この頁では、研究室所属やLゼミ・論文についてアレコレ語ります。
前半は、「××とは何か?」との問いに答える形式で、やや理念的に語ってます。後半は、卒論の具体的進めかたを述べています。いずれにせよちと長めの文章です。
具体的なもののひとつとして、卒論書式についても言及しています。
これをじっくり読んでいるあなたは、土居研究室の所属になった学生ということで、話を進めますね。
本学建設学科の学生は3年生後半になると、各教員の運営する研究室いずれかひとつに所属することになります。で、あなたは日常意匠研究室(=土居研究室)の所属になりました。おそらくあなたは、これまで「研究室に所属」した経験はないでしょう。だって、もうすでに「研究室に所属」した経験があるのなら、わざわざこれをじっくり読んではいませんものね。
××教員の「研究室に所属」することは、××教員が「担任」であることに似ています。3年生までのあなたには「担任」教員が制度上存在していました。基本的には「何か」あった時に面談する教員ですから、「何か」なければ実質的にはほぼ無関係。ひょっとすると「担任」が誰だかまったく覚えがないかもしれない。全然悪いことではないですよ。問題になりそうな「何か」が、まったくなかったわけですから。
もちろん「何か」無くても相談したかもしれない。まぁこの文脈ではどちらでもかまいません。
「担任」の大事な役割のひとつに「書類にサインをする」ことが挙げられます。たとえばこれから皆さんは、就職活動とインターンシップに関わることになりますね。両件ともに大学の外部と接触するわけですから、場面によっては公式な書類を(基本的にはあなたが中心になって)作成しなくてはいけません。その際の書類には、日常意匠研究室(=土居研究室)所属のあなたの場合、土居のサイン(および捺印)が必要になります。
では「日常意匠研究室(=土居研究室)に所属する」とは、「土居が書類にサインをする担当になる」ということでしょうか?
違います。少なくとも「サイン担当」だけではありません。少々難しい表現を挟んで説明しましょう。
私たちがことばを用いるとき、その指し示すものごとを説明するだけでなく、そのことばを用いることによって、相手に何かをさせたいことがしばしばあります。
ことばを用いる際には、この両面を区別することが重要です。「バカヤロウ!」が愛の詞であることだって、日常生活には溢れています。
これを、少々難しく表現すると、事実確認的(コンスタティヴ)or行為遂行的(パフォーマティヴ)な側面、と区別できます。先ほどの「バカヤロウ!」ですと、事実確認的にはともかく、行為遂行的には十二分に愛の詞になりうるわけですね。
「研究室に所属する」についても、この両面が確認できます(別に、愛の詞かどうかってわけではありませんヨ)。以下の小見出しはそれぞれ、事実確認的側面/行為遂行的側面に該当します。
まず第一に、あなたは土居の指導のもとで「研究」に従事せねばなりません。「研究」に従事することなしに「研究室に所属」することは、基本的に語義矛盾です。「研究」については後述する(広義の)ゼミや論文の話を参考にしてください。
そして第二に、あなたは土居研究室に所属する学生として、対外的に振る舞わなければなりません。ここでの対外的とは、土居研究室の外部すべてです。何も学外に限りません。同じ学科内においても、あなたは常に「土居研究室に所属する学生」として見られています。
つまりあなたは「研究室に所属」することで、属性がひとつ増えたわけです。この属性は、あなたの周囲から貼られているラベルです。あなたは「研究室に所属」することで、「周囲からラベルを貼られた状況に対応しつつ生活すること」のきわめて実践的な訓練を受けることになります。
この訓練が役に立つのはむしろ卒業後です。あなたが卒業したら確実に周囲からは「ものつくり大学建設学科の卒業生」というラベルが貼られます。あなたが好むと好まざるとにかかわらず、です。
その辺りの問題まで勘案して「卒論」について教えてくれている稀有な本が、澁谷恵宜(2003)『卒論応援団2』(クラブハウス)です。至言がたくさん含まれているこの本から、ここでの文脈に相応しい部分を引用しておきましょう。
大学の専攻には漠然としたイメージがついて回ることを自覚して、そのイメージと現実がズレているなら、自分で修正をかけてしまいましょう。[澁谷 2003:51]
あなたは「研究室に所属」して、ゼミに参加し、卒論を作成します。その一連の実践は、あなたと、あなたを取り巻く周囲とを、いわばすりあわせる作業の、初歩的な訓練です。これはぜひ将来のために身につけて欲しい作業です。
さて誤解の無いようにすぐさま付け加えておきましょう。あなたと、あなたを取り巻く周囲とを、すりあわせる作業は、周囲に阿る(オモネルと読みます)ことではアリマセン。さらに大事なのが、次の引用です。
卒論の場合、「指示待ち」の姿勢でいては、何も研究は進みません。[澁谷 2003:24]
大学における、「教わる」から「学ぶ」へのシフトチェンジは、土居が講義で強調するところです。その重要性が卒論の場合、きわめて明確に出てしまいます。では、どうしたらいいのか? もう少しつきあってくれるあなたは、このままスクロールしてね。
「研究室に所属する」ことは、何となく判ったかと思います。それではゼミとは何でしょう? じつは、もっとも大学らしいのがゼミである、と土居は考えています。でも、もっともよく判らないのがゼミである、これもまた事実なのです。
じつはゼミとは、担当教員の思い出にかなり左右されます。その教員が(かつて)学生だった時分に参加していたゼミのイメージが、その教員が(今現在)運営するゼミに反映されるとのテーゼはおそらく、大多数の大学教員が首肯することでしょう。
あなたが「私の家」と言った時、イメェヂするのは「家屋」ですか? それとも「家族」ですか? このうち片方だけが正解だということではないですよね。
もちろん話の文脈によって、どちらかが正解に近い場合がありますけれども、それはまた別の話。
たとえば「私は土居研です」と「私は土居ゼミです」には、大差ありません。大袈裟に表現すれば、「研究を志向する特定少数の人間集団」を指し示す際に、その人間集団が交流する施設面に注目したのが「土居研」ですし、その人間集団の活動面に注目したのが「土居ゼミ」になります。先ほどの「家屋」と「家族」の違いに似てるでしょ?(かなり強引だけど)
「家屋」と「家族」の場合には、両者を統合する「家」ということばがあります。「研究室」と「ゼミ」を統合する適当なことばは、残念ながら無いのが現状です。だから無用にややこしい事態を招いているのですね。
ややこしいのは、科目名としての「(狭義の)ゼミ」と、研究室の活動全般を指し示す(広義の)ゼミとが、混乱して使用されていることですな。この点を誤解しないように。
あなたが土居研究室に所属して卒業を志すならば、取得しなければならない科目として「卒業研究および制作」と「創造プロジェクトIV」があります。日常意匠研究室(=土居研究室)では両科目を以下のように設定しています。
実質的に卒論はゼミと一体として評価します。日常意匠研究室(=土居研究室)においては、卒論評価がその作成された内容を評価するものであり、ゼミはその作成過程を指導(評価)するものとして位置づけています。少々難しく、ゼミはメタ卒論作成だと表現してもよいでしょう。
ここでもまた澁谷恵宜(2003)『卒論応援団2』(クラブハウス)から引用しておきましょう。
卒論の中で、どのような場合にも必ず役立つこと、それは内容そのものよりも、卒論というプロジェクトをマネジメントしていくスキルの方にあります。[澁谷 2003:16]
※なお日常意匠研究室(=土居研究室)では、年度末卒業予定者の卒論(研究室内)締切を年内に設定しますが、その草稿提出は夏季休暇明けすぐが締切です。冬季休暇明けは口頭試問およびリライト(並行して発表会対策)期間とします。
さらに念押しの引用。
卒論の場合、「指示待ち」の姿勢でいては、何も研究は進みません。[澁谷 2003:24]
どうすればよいか気になるあなたは、すぐさま土居までメイルを!
そうでないあなたは、土居まで報告のメイルを怠らないように!
ここでは全般的なことを述べます。提出用の卒論書式についてはそちらを参照するように。
土居自身が首肯するのは、内田樹さんの 見解です。次の引用で「!」と判ったあなたは、早速に具体的な進めかたを実践して下さい。
学術論文とは、私たちが先人から受け取った『贈り物』を次の世代にパスするものである。それは『反証可能性』に基づき、コミュニケーションの可能性を信じることで成り立つ言語行為である。(@内田樹)
とはいえ、これだけ紹介するのでは芸がありませんから、ほんの少し加筆しておきましょう。
「何か」を批判する言葉使いを仔細に検討することで、しばしばその「何か」の輪郭が明瞭になります。ここでは、論文を批判する学者の言葉使いを取り上げましょう。大別して2通りあります。ひとつは「論文の体裁をなしていない」、もうひとつは「オリジナリティがない」です。
「オリジナリティがない」とは何となく判るでしょう。オリジナリティとは、平たく言えば、他人と違う部分です。じつはこの「他人と違う」ことを示すのが、論文作成の中でも、きわめて困難な道程なのです。考えてもみてください。「他人と違う」ことを示すためには、これまで他人がどんなことをしてきたのか、あなた自身がきちんと検証しなければならないのです。
たとえば論文を書き上げ「これは私が新たに明らかにしたことです!」と発表した後、「あれ?××さんが5年前にすでに明らかにしていることじゃないの?」と判明したら、その論文は論文として価値がなくなります。
つまり自分のことだけを見ていては、オリジナリティを確保できないんですね。
他人との違いがあるかないか、つまり「オリジナリティの有無」を判断するのに、きわめて効率がよい文章形式が、じつは論文なのです。「論文の体裁」は、構造的に、他人との違いを判明させる形式を持っています。だからこそ「論文の体裁をなしていない」とは、他人との違いを判明させる文章形式ではないことを意味します。
ではどんな文章形式が論文なのか? 日常会話との違いを例にして説明しましょう。
私たちの日常会話では、その内容が喋った当人のオリジナリティかどうかは、あまり気にせずに会話が進行します。日常会話においては、内容よりも文脈、さらに言えばその場の雰囲気・ノリのようなことこそ重要になります。逆に言うと、その場の文脈を離れては意味が無いような言葉使いを、私たちは日常会話でしていることになります。
このような日常会話における言葉使いと、論文における言葉使いは、まるで違います。
論文における言葉使いは、日常会話と異なり、その場の文脈を離れても耐えうる言葉使いを目指さなければなりません。「その場の文脈を離れる」とは、具体的には未来の読者を想定した言葉使い、ということです。
たとえば5年後あるいは10年後、あなたの書いた論文を読もうとする(奇特な)読者が出現しないとも限りません。その人が了解するであろう言葉使いが、論文には求められます。
「未来の読者を想定する」とは言っても、あなたはほとんど論文を読んだことがないでしょうから、 どんな文章か具体的に想像することができないでしょうね。当然のことですが、「論文」を数多く読み慣れておかねば、論文は書くことができません。ある意味、母語以外の言語のようなものです。練習しないと、使いこなすことができません。
あなたはまず「論文」を読む必要があります。それも大量に。大量の「論文」を読みこなす過程で、それぞれの学界事情も(おぼろげながら)見えて来ることでしょう。
日常意匠研究室のゼミで学ぶためには、ゼミに参加しつつ、以下の3点を身につける必要があります。
逆に言えば、上記3点が身についていなければ、たとえ制度的には長期間在籍していようが、何も学んでいないと判断せざるをえません。ですから一日も早く、ゼミでの学びに慣れることが望まれます。極言すれば、身体改造ですね。それぞれの具体的内容は、ゼミの定例報告会で説明します。
「論文」を書くためには、どのような文章が「論文」なのかを把握せねばなりません。まずは「論文」が掲載された専門雑誌で眼力を鍛えましょう。本学の図書・情報センターでは、建築・土木に関係する各専門雑誌が閲覧できます。まずは日本建築学会が刊行している「日本建築学会論文集」(いわゆる黄表紙)へたどりつきましょう。計画系・構造系・環境系と三種類あり、それぞれ年に12冊刊行されています。表紙には掲載されている論文題目と執筆者が列挙されています。この表紙、過去十年分に眼を通して、自分に興味関心のあるキーワードにまったく遭遇しなかったら、改めて相談に来ること。
念のために申し添えれば、この段階ではキーワード検索などをしてはいけません。この、論文集目次を人力でスキャニングする作業は、あなたが無意識に蓄積してきた興味関心を刺激し、キーワードとして意識化することこそ目指しています。
(ここで論文紹介ゼミを経て、本格的な準備へと進みます。)
黄表紙での眼力訓練を経たら、続けて日本生活学会が刊行している「生活学論叢」で、同様に鍛えましょう。
卒論を具体的に進めるに際しては、小笠原喜康さんの本[小笠原 2009]が、とても参考になります。
では早速[小笠原 2009]を座右に、進めてゆきましょう。
小笠原さんの指南で興味深いのは、「文献・資料の集め方」の「下調べ」段階として、「コトバ調べ」を奨励している点です[小笠原 2009:66-75]。あなた自身の研究テーマにおけるキーワードを発見し、そのキーワードの相互連関を把握しましょう。
キーワードの相互連関を把握する際に活躍するのが、図書館に並んでいる百科事典です。労を惜しまずに、図書館へ出向きましょう。そしてアイウエオ順に並んでいる何冊もの本巻から、お目当ての項目が載っている巻を探しては、いけません。まず手にすべきは索引の巻。これを調べてキーワードの相互連関について見通しをつけるのです。
以上の手順を踏めば、これまでとは大いに異なる言葉使いで、自身の興味あることがらを表現できるはずです(もし、まだできていないのであれば、以上の手順が足りません。反復しましょう)。
これでようやく、テーマの設定が可能になります。漠然としたイメェヂのみでテーマを設定することは、たいへん危険です。テーマを絞り込むためにも語彙を増やし、自身のイメェヂ・マップを拡張しましょう。
ものつくり大学・建設学科の卒論として相応しいと、あなた自身がきちんと他者に対して説明できるのであれば、何をテーマにしてもかまいません。
でも実際のところ、それが一番難しいのです。そして、その難しいことをあーでもないこーでもないと考えること(=実質的には、土居も含めたゼミでのメンバ相互の議論)こそ、この卒論執筆に際してもっとも意義深いことだと、土居は判断しています。
先輩たちの苦闘は、たとえば浩坊抄録で少しだけうかがうことができます。また、ゼミのメンバになれば、その苦闘をもっと詳しく直接的に知ることができます。
とはいえ実際のところ、上記の「語彙を増やす」と「テーマを設定する」については、ゼミであーでもないこーでもないと交わされる《雑談》の中にヒントが埋もれているのです。研究室ブログ浩坊拾遺では、具体例を挙げて卒論プロジェクトの進め方を紹介してますので、参照するように。
提出条件として、学科で設定されているのは、以下のことのみです。
これを完全ベタ打ちとして単純に文字数に換算すると28,800文字です。400字詰め原稿用紙換算で72枚となります。もしあなたが、これまでこの長さの文章を書いたことがないなら、覚悟した方がよろしい。いろいろな意味で“未知の世界”です。
それはあなた自身だけに限りません。あなたの道具であるワープロソフト(を搭載しているPC本体)にとっても、おそらく“未知の世界”でしょう。いろんな知らなかったことが起こります。データを複数の媒体に保存することは大前提です。PC本体のハードディスクだけでなく、最新版はせめてフラッシュメモリへコピィし、できればネットワーク上にもアップしときましょう。
さて、様々なジャンルの論文を読んだあなたが悩むのは、おそらく注や参考文献の表記法でしょう。じつは注や参考文献の表記法は、その論文が掲載される雑誌ごとに微妙に違います。たしかにジャンルごとに大まかに共通する表記法はあります。しかし、あなたが日常意匠研究室(=土居研究室)で取り組んでいるテーマに関わる、様々なジャンルに共通する表記法は、ありません。(もし共通する表記法が存在するのであれば、むしろ土居が教えてもらいたいくらいです)
本気で注や参考文献の表記法を徹底したいコダワリのあなたは、SIST科学技術情報流通技術基準を参照しましょう。
とはいえ、このまま突き放したのでは、あなたは困惑することでしょう。なので、先に示した[小笠原2009]を参照しつつ、土居研究室へ提出する卒論の書式=表記法原則を、以下に示しましょう。
提出条件として学科で設定されているのは、先に示したように、以下のことのみです。
ですからこれは大前提となります。その上で、土居研究室では以下の前提を共有するものとします。
つまり土居の目論見としては、少なくとも[小笠原2009]は読み込んだ上で卒論を作成しなさいョ、と言外の指令(=メタ・メッセージ)を皆さんへ送っているわけです。
以上の前提その1・その2・その3を踏まえた上で、以下の少々細々としたローカル・ルールを適用します。
さあ!これで「細かな書き方が分からない(から書けません)」の言い訳を封じました! あとはひたすら、書いては添削を受ける、の繰り返しになります。あなたと、あなたの道具であるワープロソフト(を搭載しているPC本体)が、どうかクラッシュすることなく、卒論作成に邁進されますように!