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同族企業には原則がある 外部の者以上に働かない限り 一族を働かせてはならない |
『チェンジ・リーダーの条件』より |
「経済成長の活力は、巨大企業から、同族企業を含む中堅企業へと移行しつつある」 (『チェンジ・リーダーの条件』) 現在の経営では、官営の大工場を民家の有力者に払い下げて、新しい産業をつくるわけにはいかない。いわんや国有国営の企業に産業を任せるわけにもいかない。となれば、主役は民間の大企業、中堅企業における多角化であり、中小企業の成長である。 ドラッカーは、中小企業、特に同族企業を支援し、その事業継承を容易にすることが、企業家精神の観点から重要だという。現在の問題として、多くの企業が、一人ないしは数人の手によってつくられ、同族として発展を始める。 もはや、同族がよいか悪いかが問題ではない。個を重視するからには、個による企業を当然としなければならない。とすれば、同族への継承も当然としなければならない。一代限りで没収というわけにはいかないし、没収同然というわけにもいくまい。 ここにおいて、同族企業の側も、同族企業のマネジメントについての原則を知り、その根底にある理念を理解しなければならない。 それは、同族企業にせよ、会社を所有する一族にせよ、一族が同族企業に奉仕する場合にのみ繁栄できるということである。反対に、働く者が一族に奉仕すべくマネジメントするようでは、同族企業と一族のいずれもが繁栄できない。生き残ることさえできないだろう。 ドラッカーは、同族企業という言葉で鍵となるのは、前半の「同族」ではなく、「企業」のほうだという。同族以外の者並みの能力を持ち、少なくとも同族以外の者以上に働く者ではない限り、同族企業で働かせてはならない。出来の悪い甥を働かせて給料を払うくらいなら、来ないようにカネをあげたほうが安くつくとさえいう。 初代のロスチャイルドは、ロンドン、パリ、ウィーン、フランクフルトに四人の息子を配置した。本当は、ニューヨークにもう一人置きたかったが、人柄はよくても仕事ができない五男坊には任せられなかった。肩書きだけでも、というわけにもいかず、ナポリで生涯を優雅にすごさせたという。 「同族企業では、一族の者は肩書きや仕事が何であれ、事実上、トップマネジメントの一員である」 (『チェンジ・リーダーの条件』) |
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