連載インタビュー 「入門ピーター・ドラッカー−8つの顔」
(週刊東洋経済2001.6.9−7.28)

6: 人を幸せにするのは何か ─── 「脱」経済至上主義のあり方


編集部:人間と社会についてドラッカーは何といっていますか。

 ドラッカーの関心の中心には常に人間がある。人間とは、どんなに偉くなろうと、おカネを残そうと、楽しく暮らそうと、死ぬときは独りという存在だ。そういう個としての人間がある。同時に、社会的な絆を必要とし、社会に貢献するとき人生の意味を見いだす、社会的な存在としての人間がある。人間の実存はこの両方が確立してはじめて可能となる。
 ドラッカーが、個としての人間について書いているのは、「もう一人のキルケゴール」だけである。他はすべて社会的な存在としての人間が、いかにして活躍し、貢献するかにかかわるものだ。彼は社会的な存在としての人間に焦点を合わせる。そこでドラッカーはこう問いかける。社会的な存在としての人間が幸せであるためには、何をおいても社会として機能する社会が存在しなければならない。そのための条件は何か。
 社会が社会たるための条件については、『産業人の未来』(1942年)で詳しく論じている。人の集まりが単なる群衆ではなく、社会として機能するには、そこにいる一人ひとりの人間に位置づけがなければならない。位置づけのない人間の集まりは群衆にすぎない。同時に役割がなければならない。役割のない人間の集まりは烏合の衆にすぎない。
 社会が社会として成立するには、一人ひとりの人間にこの位置づけと役割という、二つのモノが与えられていなければならない。一般的な傾向、あるいは少なくとも通念としては、これまでアメリカでは役割ばかりが重視され、日本では位置づけばかりが重視されてきた。この二つはいずれも同じように重要であり、必要にして不可欠である。仕事だけでは悲しいし、居るだけでは困る。

大衆の切なる叫び「脱」経済至上主義

 この二つの条件に加え、そこに存在する権力が納得できるものでなくてはならない。納得できれば、世襲であろうと、神からの授かりものであろうとかまわない。これが社会、ひいては組織が社会として成立するための三条件である。ドラッカーの「社会に関する一般理論」である。
 もちろん人は自由と平等を求める。奴隷状態には我慢できないし、恵まれた者とそうでない者がいることにも我慢できない。しかし、何が自由であり、何が平等であるかは時代によって、社会によって異なる。人間は神の子であると規定していた時代もあったし、政治的な存在であると規定していた時代もあった。
 これに対しアダム・スミスが、人間は経済的存在、エコノミック・マン、エコノミック・アニマルであると戯画化して以来、それがそのまま今日に至っている。
 ブルジョア資本主義は、経済を中心に据えて利潤追求を行えば、「神の見えざる手」が社会を望ましい状態にするとした。逆にマルクス社会主義は、生産手段を資本家の手から奪い利潤追求をなくせば、プロレタリアは解放されるとした。ここで注意しなければならないのは、ブルジョア資本主義とマルクス社会主義のいずれもが、経済中心のイズム、経済至上主義だったという点にある。
 ところが、第一世界大戦による大量の戦死者と、その後に起こった大恐慌による大量失業者の発生で、そんな経済至上主義はいらないという状態になった。
 経済のために生き、経済のために死に、経済のために戦い、経済のために休戦するなどということは嫌だということになった。しかし、自らの手で勝ち取った民主主義に愛着のあったイギリスやフランスは、自由と平等にこだわり、全体主義に進むには躊躇があった。
 一方、国家統一の副産物として、与えられた民主主義しかなかった国、つまりドイツ、イタリア、日本は、耐えきれずにファシズム全体主義に走った。ファシズム全体主義の本質は、軍国主義でも弾圧でも暴力でもない。それらは付随的なものである。本質はもっと深い。それは、「脱」経済至上主義である。
 ナチスドイツでは、工場でいちばん偉いのは工場長ではなく、古参党員の守衛だったり、商店ではオーナー経営者ではなくベルリン直結の新入り店員だったりした。ファシズムは、経済のために生き、経済のために働き、経済のために死ぬことを拒否する大衆の切なる叫びへの一つの答えだった。これがドラッカー二九歳のときの処女作『「経済人」の終わり』(1939年)のテーマだ。

編集部:ドラッカーにはNPOの師としての顔があります。

 経済至上主義は人を幸せにするのか。幸せにしないとするならば、何が人を幸せにするのかとのドラッカーの問題提起は、ドラッカー自身の中にずっと息づいている。彼は、瞬間的ではあったにせよ、日本の会社主義に「脱」経済至上主義社会の一つの形を見いだした。
 勤務時間が終わった後まで仕事の話をするサラリーマンのいる日本は、従業員を部品扱いする欧米とは異質だった。企業にせよ政府機関にせよ、勤め先がコミュニティとなり、絆と安定をもたらしていた。ところが、会社主義は行き過ぎのあまりの袋小路に入ってしまった。
 それにもかかわらず、ドラッカーはまだ日本に期待している。もし日本が、人と人との絆を大事にしつつ、開放的で出入り自由な組織を実現できれば、それこそ世界のモデルとなりうるという。ドラッカーの人間重視と日本好きが重なった形だが、事実、日本では会社を辞めていく者を物心ともに応援する会社が現れてきている。同時に他社からやってきて間もない者を、子会社の社長にする会社も現れている。

NPOの隆盛に見る問題解決の糸口

 人は経済至上主義で幸せたりうるか。この問いへの答えが自由を否定する全体主義でないならば、真の答えはどこにあるのか。人間が経済のためのものでないことは、誰もが知っている。私はこの常識が常識でなくなっていることが、今日の日本に閉塞感をもたらしている根因であると思う。皮肉なことに、経済を中心に置くと経済までおかしくなる。
 アメリカでは、NPOが自己実現と絆の場となっている。自らの能力をフルに発揮し、社会に貢献し、他者との絆を確認する所がNPOだ。
 ちょうど政府が社会的な問題の解決にほとんど無能であることが明らかになった今日、アメリカだけが解決の糸口をつかんでいるかに見える。つまり二つの種類の問題を同時に解決する糸口をつかんでいる。それがNPOの隆盛である。NPOは助けられる者にとっての救いだけではない。助ける者、ボランティアにとっての救いである。
 それは今、もっとも求められている、一人ひとりの人間の市民性を回復する足がかりとなっている。ドラッカーは、人は一年に一度納税し、四年に一度投票するだけでは、社会的存在としての自我を満足させることはできないという。NPOでは、自らの得手とする能力を武器に、目に見える形で社会に貢献できる。
 アメリカのNPOは、アメリカ人が急に慈善に目覚め、寄付の額を大幅に増やすようになったために急成長したのではない。企業のマネジメントに多くを学んだ結果である。ドラッカーはさらに進んで、今日では企業のほうがNPOから多くを学ぶ段階になっているという。幾つかの例を挙げれば、知識労働者の動機づけ、使命感であり、取締役会(NPOの理事会)とマネジメント(執行部)との関係である。
 彼は企業経営、政府機関運営の師であるだけではない。NPOのマネジメントについての、世界一の師でもある。彼の書いた『非営利組織の経営』(1991年)はNPOのバイブルとなっている。ドラッカーの名を冠し、ドラッカーが名誉会長を務めるドラッカーNPO財団が表彰する年間最優秀NPO賞の授与は、毎年、大きく報道されている。最高のNPO活動を広く知らしめることによって、他のNPO活動の水準を大幅に向上させようとするこの方法こそ、ドラッカーが説くベンチマーキング手法の実践である。
 これからは、一人ひとりの人間にとって不可欠のコミュニティなるものが大きく変わる。もう村や隣近所ではない。それはどこに見いだせばよいか。アメリカでは、ボランティアとして働くNPOがそれである。日本では、新しく自由で柔らかなものに変身したあとの会社をはじめとする諸々の組織かもしれない。あるいは、それぞれの人間の、それぞれの専門領域の世界かもしれない。
 他方、社会の力、中央政府の力によって社会を救おうという時代が完全に終わった。政府に対し社会を救えと要求はしていても、本気でそうは思っていない。そのような意味での社会主義は通用しない。福祉社会主義も通用しない。ケネディのような進歩主義も通用しないし、ジョンソンの掲げたプログラムも役に立たない。
 政府が自らの手で社会を救うことができないことは、今や誰もが知っている。ドラッカーは、政府には不得手なことがあるという。自ら実行者になることだ。基盤やルールは作れるし、作らなければならない。しかし自らはプレイヤーになれない。恐ろしく不器用である。
 もともと、そのようなことは常識だった。第一次世界大戦後つまり1918年から1965年ごろまで続いた一時の幻想に過ぎない。日本はまだ惰性でそれにすがっているが、すでに崩壊していることが万人の常識となる日は近い。すでに申し上げたように、世界の民営化ブームに火をつけたのはサッチャーだ。そのイギリス保守党に民営化のアイデアを与えたのが、ドラッカーの『断絶の時代』(1969年)だった。

多元社会到来と第三ミレニアムの課題

 ドラッカーは、かつて日本やアメリカで機能していたような、利害の連合という政治手法も通用しなくなったという。利害集団という観念は知識労働者には通用しない。イズムが危険なだけで役に立たないことが明らかになった一方、利害による連合、いわゆる支持層に代わるべきものが現れていない。そもそも、社会の中核を占めることになる知識労働者の要求に応える政党がない。行き着く先はまだ見えない。無党派は答えのヒント、重大な手がかりであっても答えそのものではない。
 しかも失われた一〇年から脱却するとともに、転換期の五〇年を無事に乗り切るという問題に加え、もう一つ、第三ミレニアムつまり21世紀以降に持ち越されているとてつもなく大きな宿題がある。それは、2020年、2030年、へたをすると2100年、2200年になっても解決できないかもしれない課題だ。
 社会の問題が、政府の手で解決されないことは明らかである。もちろん、個々の人間がばらばらで動いても解決はしない。社会のニーズは諸々の組織の力によってのみ解決される。しかもそれらの組織が、製品の提供、医療の提供、教育の提供というように、それぞれ特化、専門化した領域でそれぞれの強みを発揮したとき、それらのニーズはよりよく果たされる。
 つまり社会は多元化したということだ。おまけにかつてのコミュニティがなくなるわけではない。新しいコミュニティも生まれつつある。単一の目標を持つ無数の組織と、それら新旧のコミュニティが併存するという、多元社会が到来する。というよりも、すでに到来している。
 すると、この多元社会で社会全体の問題は誰が扱うのか。どこが扱うのか。どう扱うのか。すき間にある問題はどうするか、という課題が出てくる。これをドラッカーは、第三ミレニアムの課題として位置づける。第二ミレニアムは集権化を求めた。第三ミレニアムは多元化を求める。集権化には集権化の課題があった。多元化にも多元化の課題がある。

編集部:環境問題については何といっていますか。

 この社会の多元化にかかわる問題も、問題を全体として捉えなければ、解決の糸口さえ見つからないという種類の問題である。たとえば、エネルギー政策における、住民投票の位置づけだ。
 環境問題も21世紀のみならず、第三ミレニアム最大の問題だという。この環境問題も、全体として把握するとき、ようやく解決の可能性がみえてくる種類の問題である。
 その解決の前提として大事なのは、必要とされているのはアセスメント(事前評価)ではなくモニタリング(観察・監視)であるとの認識である。複雑な生態系では何が起こるかわからない。これはあらゆることについていえる。アセスメントだけでは大抵失敗する。
 ドラッカーの基本姿勢は、物をよく見ることにある。丁寧に見ていかなければならない。あらかじめ評価する能力は人間には備わっていない。アセスメントの努力は必要でだが、評価しきれると錯覚することは極めて危険である。おまけに費用対効果が恐ろしく悪い。増えるのは書類ばかりである。
 これは事業についてもいえる。ドラッカーは、事業はすべからく小さくはじめよと説いている。おまけに予期せぬ客が来たら、それが本当の客だといっている。何事であれ事前評価は難しい。
 環境マネジメントの最高の方法は、ビジネス化することである。社会的な問題をビジネスに応用して成功した例は、たくさんある。ドラッカーは、自社の製品に微量ながら有毒な物質が含まれていることを知ったある会社が、化学製品の毒性を研究して、毒性検査ビジネスとして成功させた例を紹介している。社会的な責任がビジネスにつながった。これは不便だとか、これは困るというものからイノベーションが生まれる。問題にこそチャンスがある。

お薦めの二冊
『「経済人」の終わり――全体主義はなぜ生まれたか』(1939年)
『非営利組織の経営――原理と実践』(1991年)
【ともにダイヤモンド社刊】



LIST インタビューリストへ戻る PREV 前へ | 次へ NEXT