講演 「ドラッカー経営思想の真髄−この転換期をいかに生きるか」
(社) 埼玉県経営者協会 平成13年度定時総会 特別講演要旨

なぜ、ドラッカーなのか、ドラッカーとは


 上田でございます。ドラッカーが処女作『「経済人」の終わり−全体主義はなぜ生まれたか』を書いたのが、1939年です。
 私が編集したドラッカーの膨大な世界のエッセンスを網羅した三部作『はじめて読むドラッカー[自己実現編]プロフェッショナルの条件、[マネジメント編]チェンジ・リ−ダーの条件、[社会編]イノベーターの条件』(2000年)は、最初に日本版が出て、韓国版が出て、つぎに英語版が出版され、十ヶ国語で発行の予定です。
 その前の作品が『明日を支配するもの−21世紀のマネジメント革命』、1999年に書いたものです。ということは、本日私は、60年間にわたって彼が書いてきたものについて話さなければいけないわけです。
 ドラッカーの本が出ますと、必ずそれを読んで感銘した。もっと読んでみたいので、つぎは何がよいか?と、よく聞かれます。答えるのに非常に困る。ドラッカー自身も、それを経験しています。
 そこで、私のほうから、ドラッカーの世界がわかるような本をまとめてみたらどうか。論文の選択は私がやると提案しました。「ぜひやろう」ということになって、2冊の本にまとめることになりました。大きく分けて、社会に関するもの、マネジメントに関するものです。しかし、作業を始めてみると、一人一人の人間に直接話しかけているものがかなりある。これも一つにまとめられるというので、『はじめて読むドラッカー』は、[自己実現編][マネジメント編][社会編]という三部作になりました。
 この三冊の本をまとめるのに、一年半かかりました。それをきょうは一時間半でお話します。六十年を一時間半で話す、それなら最新の五年、十年のものに絞って話せばいいようなものですが、実はドラッカーのすごいところは、1939年の問題意識が、今もそのまま続いているところにあります。
 『「経済人」の終わり』の経済人というのはエコノミックマン、ひところ日本でよく言われたエコノミックアニマルと同じ意味です。
 経済のために生まれて、経済のために死んで、経済のために戦争する。時には、経済のために休戦する。人間とは経済的な存在である。つまり1776年のアダム・スミス以来、人間の経済的側面だけを取り上げ、経済の自由と平等を実現すれば、人間そのものが自由で、平等で、幸せになれる、という思想が一般化した。ブルジョア資本主義だけではなくて、マルクス社会主義も経済を中心に置いている。どちらも経済至上主義だったわけです。
 その経済至上主義を追求していった結果、第一次世界大戦が起こり、大恐慌がやってきた。その時、ヨーロッパの人たちはみんな「もう経済至上主義はいやだ」と思った。ただし、自分たちの力で民主主義を勝ち取った国ではファシズム全体主義に走ることには、ためらいがあった。ところが、自由、平等というものが国家統一の過程において、たまたま手に入った国、つまりそれはそれまでバラバラだったドイツとイタリア、日本だったわけですが、それらの国が経済至上主義はいやだということで、脱経済至上主義に突っ走った。それが全体主義だった。ドラッカーもその時、果たして経済至上主義で人間は幸せになり得るかを考えた。ファシズム全体主義がその答えでないことは明らかだった。
 で、その答えは何だろう−と書いているのが、1939年の処女作『「経済人」の終わり』です。これは後のイギリス首相ウィンストン・チャーチルが激賞し、首相就任後直ちにイギリスの幹部候補生学校の卒業生全員に配ったという本です。
 経済至上主義でいいのか−という問題は、今もなお続いているわけです。このようにドラッカーが言っていることは、ずうっと全部つながっています。最近の五年や十年のものでは全思想をお話するわけにはいかない。ですから、きょうは六十年を思い切り縮めて、その真髄を話すつもりです。しかし、余りにもたくさんありますので、大事なことを漏らしてしまうかもしれない。そこでどうしてもお話したいことを一つだけ最初に申しあげておきます。
 象徴的に一つの文字だけ書きます。『憶=おぼえる』という字ですけども、「何をもって憶えられたいか」「何をもって憶えていられたいか」「或いは何をもって知られたいか」ということです。このことを一年に一回、お正月でも、誕生日の日でもお考えください。これによって、人生が変わる、事業が変わる。そういう人の例をドラッカーは、たくさん見ているそうです。
 彼自身がそうだったそうです。十三歳の時に、宗教の先生から聞かれたことだそうです。ケインズと並ぶ大経済学者のシュンペーターもこれを、ずうっと考えていたそうです。実はドラッカーのお父さんは、シュンペーターの先生です。
 ドラッカーは1909年生まれです。今、九十一歳ですが、まだ書いたり、講演したりしています。著書はもちろん、雑誌、新聞に書いたものを必ず読むという人がたくさんいます。スピーチをすれば必ず聴きに行く。最近は、高齢のため飛行機で海外に出ることはしていませんが、衛星を使って講演をしています。そうすると何百人という人が、それぞれの首都で聞くということです。
 同時に彼は、コンサルタントをしています。相談に来る人たちは、GE、GM、IBM、ベンチャー、或いは政府機関、NPOの人たちなどさまざまです。なぜ、相談に来るかというと、問題を抱えているからです。こうしてドラッカーのところへは問題が押し寄せてきます。ということは彼には変化が見えるということです。
 情報がたくさん集まっています。座っていて世の中の動き、一番先端のことが分かってしまうわけです。圧倒的なシェアをもっている企業は、すでにここまでシェアがきてしまったが、この先どうしたらいいか相談にくる。或いは、最先端を走っているところが、自分のところはこれで成功しているけど、この成功を陳腐化し、さらに先に進むためにはどうしたらいいか。そういう相談に来るのです。
 先日、NHKがドラッカーの番組をつくって、それを衛星放送と教育チャンネルで流しましたが、再放送を五回やっています。つまり、彼は相変わらず生きた存在である、ということです。
 1960年代、日本ではマネジメントブームでした。世界中がそうでした。書店に行くと、経済書コーナーに人だかりがしていました。このブームは、マネジメントを発明したドラッカーが火をつけたものです。このブームは70年ころに終わりました。しかし、その後もドラッカーだけが読みつがれている。
 なぜかと言えば、1969年に彼は『断絶の時代−いま起こりつつあることの本質』を書いた。この断絶の時代が今もまだ続いているわけです。或いは、1976年には高齢化にともなう経済、社会、政治の変化についての世界最初の本『見えざる革命』を書いた。1985年には起業家の時代がやってくるという『イノベーションと起業家精神−その原理と方法』を書いた。経営学ブームが終わった後も、ドラッカーだけは読みつがれてきたということです。
 ところが、最近、またドラッカーに関する本が相次いで出版されています。それでは、なぜ再びドラッカーなのか。ドラッカーのいう『断絶の時代』は、いよいよこれからがクライマックスなのだという認識が、とくに日本において深まっているからだと思います。いま日本に再度ドラッカーブームが来ているということです。
 ドラッカーは、『「経済人」の終わり』『産業人の未来−改革の原理としての保守主義』の二冊だけを書いて筆を擱き、政治家、実業家になったとしても、一流の政治学者として名を残していたでしょう。
 マネジメントを発明した男としてのドラッカーがいます。それから現代社会についての最高の哲学者といわれているドラッカーがいます。
 目標管理を説いたドラッカーと、ソ連はもう潰れると予言したドラッカー、ドラッカーという人物が何人かいるように思われるほどです。しかし、実は全く同じ人物が、同じ意識で、同じようにモノを見てゆくことによって、いろいろなものが見え、頭の中に浮かんできているということなのです。



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