随想


「ドラッカー経営思想の原点」 企業経営2002 autumn
財団法人 企業経営研究所
「企業経営」 no.80 autumn


 ドラッカーが書くものは、すべてベストセラーになる。世の中がどうなっているか、どうなるかがはっきり分かるからである。しかも自分が感じていることをはっきりそうだと確認してくれる。加えて、そこから世の中がさらにはっきり見えてくる。
 自分で考え、自分で行動できるようになる。近著『ネクスト・ソサエティ』も実によく読まれている。
 当たり前といえば当たり前である。現代社会最高の哲人と言われ、マネジメントの父とされてはいても、一番時間を使っているのは、大企業、中小企業、政府、政府機関、病院、大学、NPOの相談にのることである。訳のわからない理屈を言っていたのでは、誰も相談にはこない。
 GEのジャック・ウェルチは二〇年前、自分がCEOに指名されたら、すぐにしようと思っていたことが一つだけあったという。それがドラッカーに会うことだった。ドラッカーは「お宅ではいろいろな事業をやっているが、もしやっていなかったら今から始めるつもりのものばかりなのか」と聞いたという。この二人の会話から合作で生まれた戦略が、あの有名な一位二位戦略だった。GEは、世界で一位二位でない事業、一位二位になれそうにもない事業からは一切手を引いた。
 この世に絶対の真理はあるか、というのがドラッカーの問いである。真理などないとするならば、進歩も文明もありえなくなる。弱肉強食、勝手気まま、露見さえしなければ何でもするということになる。転換期に特有のものなのかどうかは分からないが、最近そのような事例をあまりに多く目にする。その結果が経営破たんである。
 それではその真理が掴めるか、掴めないか。この問いに対する答えが、ドラッカーと並みいる他の諸々の学識ある人々とを分ける。ドラッカーは、真理を掴むことなど、神ならぬ身の人間には到底なしえぬこととする。
 これを系譜的にみるならば、ドラッカーの考えはアメリカとイギリスの伝統たる正統保守主義に属する。保守主義は三本の柱からなる。第一に、ビジョンを掲げ理想を追求する。過去の栄光を求める保守反動とは一線を画す。第二に、今日を基盤とし、今日手にする手段、方法、制度を活用する。第三に、青写真や万能薬は求めない。そのように安直なものは存在しえないとする。経験から知りえた基本と原則に従いつつ、問題を解決し機会を開拓していく。医学において万能薬を求める試みはとうの昔に諦められている。今は風邪には風邪の薬、癌には癌の薬が求められている。
 唯一絶対の真理はあるし、その真理は人間が掴めるとする考えを、理性万能主義という。端的にいうならば、理屈主義である。人類の思想史を紐解くならばあまりに多くの真理が発見されていることに目を白黒させられる。しかし現実に人類の発展をもたらしたものは、それらの真理ではなく、個々の技能であり、道具である。体系としての技術である。テイラーの生産性革命であり、現在進行中のマネジメント革命である。
 これまで明らかにされたという自称真理のすべてが、その約束を果たしていない。諸々のイズムがその典型である。ブルジョワ資本主義がそうだったし、マルクス社会主義がそうだった。人間は経済的存在であるとの発見は、経済学者という人気職業を生み出しはしたが、約束したように人間を自動的に幸せにすることはできなかった。それどころか、二つの世界大戦を招き、大恐慌をもたらした。
 ドラッカーは1909年11月、ハプスブルグ家の支配するオーストリア・ハンガリー帝国の首都、ウィーンで生まれた。代々が学者、医者、高級官僚という家柄である。父親が経済省事務次官、退官後は銀行頭取、ウィーン大学経済学教授、その教え子の一人が、ケインズと並ぶ大経済学者シュンペーターだった。
 ドラッカー四歳のとき、父アドルフ・ドラッカーと、後のチェコスロバキア初代大統領トーマシュ・マサリクの会話の断片を耳にする「文明の終わりだね」
 この年、ヨーロッパだけで1000万人が死に、3000万人が負傷するという第一次世界大戦が勃発する。間もなく親戚、友達の親の戦死が伝えられるという毎日が始まる。八歳のときに戦争が終わり、四〇〇年にわたったハプスブルグ家の支配が終わる。
 第一次世界大戦と、その直後の社会主義と全体主義とのせめぎ合い、十九歳のときに起こった世界大恐慌と失業者のむれ、ナチスの政権奪取と第二次世界大戦。この激変の中で、ドラッカーの関心はつねに文明の行方でありつづけた。
 ドラッカーの奥行きの深さは、この文明への関心にある。諸々の経済学者との違いもここにある。いち早く今日の転換期を見通し、知識社会と高齢化社会の到来を告げることのできたのも、ひとえにこの文明そのものへの関心にあった。
 財とサービスのほとんどが組織によって供給され、働く人たちのほとんどが組織に働くという組織社会においては、文明の行方は組織がいかにマネジメントされるかによって定まる。ドラッカーのマネジメントへの取り組みは、まさに切羽詰ったものである。それは金儲けの早道ではない。
 そこにドラッカーの力の源泉があり、魅力の鍵がある。
 企業に働く一人ひとりの人間に求められるものも、この文明への寄与という高い志であり、覚悟である。

随想2 『ドラッカー経営思想のある原風景』

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