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報告と手続きは道具であって支配者ではない |
『現代の経営』より |
「報告と手続きは道具である。だがこれほど誤って使われ害をもたらしているものはない」(『現代の経営』) 報告と手続きは誤った使い方をされるとき、道具ではなく支配者となる。 よく見られる誤りが、手続きを規範と見なすことである。しかし手続きは完全に効率上の手段である。何をなすべきかを規定しない。 同じくよく見られる誤りが、手続きを判断の代わりにすることである。しかし手続きが有効に働くのは、判断が不要になっているときである。すでに判断を行ない、その正しさが検証されているという反復的な状況においてだけである。 われわれの文明は印刷された書式の魔力にあまりにとらわれている。 そして、報告と手続きの最もよく見られる間違った使い方が、管理の道具として使うことである。 かつてドラッカーは、ある公益事業に提案して、報告と手続きを二ヶ月廃止し、現場が必要とするものだけを復活させたと言う。その結果、報告と手続きを四分の三削減させたという。 報告と手続きは記入する者の道具でなければならない。記入者を評価するための道具にしてはならない。記入の出来栄えによって仕事を評価してはならない。記入ぶりによって評価してよいのは、記入を仕事にしている事務員だけである。 「報告と手続きのすべてについて、本当に必要かを定期的に検討する必要がある。五年に一度は、すべての書式を見直さなければならない」(『現代の経営』) |
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