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企業は公益をもって自らの利益としなければならない |
『現代の経営』より |
「企業とは社会における富の創出機関であり生産機関である」(『現代の経営』) 企業はすべて資源の能力を増大させ、社会の富を増大させていかなければならないとドラッカーは言う。しかも、社会のリーダー的存在としてのマネジメントの責任とは、公益の利益をもって企業の利益にすることであるという。私益を公益に従属させることでは十分ではない。まさに公益を私益とすることによって、両者の調和を実現させなければならない。 二五〇年前、英国の著述家マンデヴィルは商業時代の精神を、その有名な言葉「私人の悪徳が公益となる」と要約した。利己心は無意識的かつ自動的に公共の利益になるとした。 経済学は結論に達することなく、この問題を論じ続けている。しかしドラッカーは、彼が正しかったか間違っていたかは、もはや全く意味がないと言う。そのような考えによっては、そもそも社会が永続しえない。 いかなるリーダー的存在といえども、マンデヴィルの思想を基盤とする限り、社会に認められることはない。あらゆるリーダー的存在が、公益が自らの利益を決定すると言えなければならない。そのような確信こそが、リーダー的地位にあることの唯一の正当な根拠である。 「私人の悪徳が公共の利益になるなどという思想に基づく社会は、それがいかに論理的に完全であろうとも、その利益がいかに大きくあろうとも、永続することはできない」(『現代の経営』) |
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