執筆コラム 3分間でわかるドラッカー [262]
−「経営学の巨人」の名言・至言(週刊ダイヤモンド)

企業は社会的組織であり、 共通の目的に向けた活動を 組織化するための道具である
『企業とは何か』より



「もはやわれわれは、社会の基盤としての”経済人”の 理念を維持することはできない。われわれは、人間の本質および 社会の目的についての新しい理念を基盤として、 自由で機能する社会をつくりあげなければならない。 しかし、われわれは、その新しい理念が何であるかを知らない」 (ドラッカー名著集I『産業人の未来』)
今から、約七〇年前の一九三九年、 ドラッカーは、処女作『「経済人」の終わり』 を書いた。 「経済人」とは、エコノミック・マン、 すなわちエコノミック・アニマル、 経済至上主義のことだった。 ドラッカーの目には、すでに経済至上主義が 終わったと映っていた。
では、その後に来るのは何か。 ドラッカーは、第二作の書名を 『産業人の未来』とした。 これほど野暮ったい書名も珍しい。
だが、ここでいう「産業人」こそ、 現実に産業界で働く人のことである。 特に、会社という名の組織に働く「組織人」のことである。 よりよい社会をつくるのは、 それら企業の社長、部長、係長である。 世のため人のために優れた財・サービスを提供する 「産業人」が、文明をつくる。
ところが、八〇年代の米国での 会社乗っ取りブームが、無能な経営者を叱咤すべき存在としての 株主に至上の地位を与えた。 そして、その株主至上主義が、 原油価格高騰によるオイルマネーの 怪物化を受け、経済の様相と社会の様相を急激に変貌させ つつある。
いまや、一定の短期利益を上げない役員会は、 産業活動の経験のない、投資ファンドによって信任を拒否され、 ”機械的に排除”されることがあるのだという。 そんな権力を手にした新種の株主が、 株式会社という”有用だが脆かった制度”を壊すことさえ危惧される。
「自由で機能する社会を可能とするには、企業をコミュニティへと 発展させることが必要である。 産業社会は、企業が自らの役員に対し、 社会的な位置と役割を与えるときにのみ機能する。 そして企業内の権力が、その成員による責任と意思決定を 基盤とするとき、産業社会もはじめて自由となる。 今日必要とされているものは、全面計画でも、 一九世紀のレッセフェールでもない。 分権と自治を基盤とする産業現場」の組織化である」 (『産業人の未来』)





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