講演 「ドラッカー経営思想の真髄−この転換期をいかに生きるか」
(社) 埼玉県経営者協会 平成13年度定時総会 特別講演要旨

時代認識(今いかなる時代にあるか)


 失われた十年ということが、今、言われています。この失われた十年がほんとうに失われた十年であるかどうか、ドラッカーは分からないと言っています。アメリカにも失われた十年があり、ヨーロッパにも失われた十年があった。時代はずれていますが、1980年代当時、何をやっても日本にやられてしまうという時代でした。
 しかし、ちょうどクリントンの在任期間と重なっているわけですが、1990年代に入ってアメリカの経済がよくなった。アメリカでは失われた十年は、失われた十年ではなく雌伏の十年だった、と今は言われているわけです。
 それでは日本も、この十年が雌伏の十年になるかどうか。分からないということは、なるかも知れないということです。ただし、それには二つの問題を解決することが必要だと言っています。一つが不良債権の問題、もう一つが財政赤字の問題です。
 日本は、この二つの問題を解決できるかというと、彼はできるといっています。なぜなら、日本はアッと言う間に仏教を取り入れ、アッと言う間に明治維新をやって、アッと言う間に戦後の復興を成し遂げたではないか。この二つの問題はそれらのものと比較されるほど大変なものであるのかと改めて考えさせられるわけですが、絶対に解決しないとダメだと言っています。
 ただし、実はこの問題よりももっと大事なことがある。それは今、日本は転換期にあるということです。つまり、景気を云々する前に、個々の会社が構造的にどういう位置にあるかということが大事だと言っています。
 1969年、ドラッカーは『断絶の時代−いま起こりつつあることの本質』を書き、「地震の群発のように社会を激動が襲いはじめた。その原因は地殻変動としての断絶にある。この断絶の時代は起業家の時代、グローバル化の時代、多元化の時代、知識の時代である」と言いました。世界中で読まれ世紀のベストセラーとなりました。
 この本の中で、ドラッカーは民営化のアイデアを出しましたが、それがJRの民営化など、実は世界の民営化ブームの火付け役になったわけです。マーガレット・サッチャーの率いるイギリス保守党の政策綱領になったときには「ドラッカーの提案による民営化」とキチンと書いてありました。
 民営化の主導者もドラッカーだったということですけども、この本を書いた20年後の1989年、彼は『新しい現実』を書きました。
 この本の冒頭では、「平坦な大地にも、高みにのぼり谷へと降りる峠がある。そのほとんどは単なる地形の変化であって、気候や言葉や生活様式が変わることはない。しかし、なかにはそうでない峠もある。本当の境界がある。とくに高くなるわけでも、目をひくわけでもない。たとえば、ブレンネル峠はアルプスの中でももっとも低く、もっとも緩やかである。だが、それはいにしえより地中海文化と北欧文化を分けてきた。

 そして、歴史にも境界がある。目立つこともない。その時点では、とくに気づかれることもない。だが、ひとたび超えてしまえば、社会的、政治的な風景が変わり、気候が変わる。そして、言葉も変わる。新しい現実がはじまる。1965年から1973年の間のどこかで、世界はこのような境界を越え、新しい次の世紀に入った」と言っています。
 その四年後の1993年には、『ポスト資本主義社会』で、歴史は数百年に一度、際立った転換をする。しかし、変わるのは瞬間にではない。社会は数十年をかけて、次の新しい時代のために身繕いをすると言いました。
 その後の時代は何か―。恐らく知識が中心になるだろうと言っています。しかし、それまでの間の転換期の時代については、何とも名前のつけようがないから、ポスト資本主義社会、「資本主義社会のあとの時代」という名前しかつけていません。
 この激動の時代は、2020年〜2030年まで続く、つまりここにおられるみなさんは、世にも稀なるゼネレーション、世代ということです。それが辛いと思われるか、楽しいと思われるか。どっちにしたって、激動の時代しか知らないという人類史上稀な世代なのですから、楽しいと思ったほうが得だということだと思います。
 私たちは、稀な時代にある。ついこの間までは継続の時代、おどろくほどの継続の時代でした。1900年から1965年までです。この間には、ほとんど何も重要な発明が行われていません。
 われわれは戦争に負けたりして、いろいろあったから“激動の時代”と思っていますが、実際は何も起こっていない。いろんなものが、ほんとうに起こりはじめたのは1965年からです。従って、1965年までに開発されたものは、マネジメントにしても、政治にしても、その手法というものが今の時代には通用しない。当たり前のことです。マネジメントも継続のためのもの、すでにあるものをよりよく行うためのマネジメントでした。
 今、必要なのは、新しいものをマネジメントする。つまり、イノベーション、起業家精神のマネジメントです。
 この激動の時代の転換というものは、何もかもが同時に変わるものではありません。もう変わってしまったものもあります。一番最初に変わったのは、恐らく肉体労働の占める位置だと思います。と同時に、労働組合の重要性というものの変化です。重要ではあっても、かつてのような重要さではなくなった。労働組合は、とりわけイギリスでは政府そのものだったわけです。そういうすでに起こってしまった変化、それからいま進行中の変化、経済のグローバル化などは、現在進行中の変化です。
 教育、政治などはこれからで、教育のほうは項目さえまだ分からない。政治のほうは、利害集団による連合政治というものが、不可能になっている。なぜならば、知識労働者には、利害というものがない。その知識労働者をまとめる政党は、まだ現れていません。
 或いは、社会の問題は、すべて国がやってくれるはずだという中央集権の手法も通用しなくなっています。政府がやることにも限界があり、得意なことと、不得意なことがあるということが、明らかになっています。それらが全部変わり終わるのが、恐らく2020〜2030年であるといいます。
 経済のほうでは、情報化が進行中です。ドラッカーは、IT革命が社会にもたらす影響については、産業革命と対比するとよく分かると言います。
 産業革命では蒸気機関の発明によって、それまで作られていた製品の生産が、ものすごく大量にできるようになった。確かに蒸気機関の発明は、製品を大量に、そして早く生産することを可能にした。大変なことです。しかし、新製品は生んでいない。新製品とか、新産業を興したのは、その後現れた鉄道が、距離というものをなくし、経済を変えたあとのことです。
 IT革命におけるコンピュータも、いままでのプロセスをルーチン化しただけである。確かに影響は大きい。
 しかし、ほんとうの影響はeコマースがもたらす。距離をなくす。世界中のどこからどんな競争相手がやってきても当たり前という時代になる。誰でもビジネスを始められるという世の中が、初めて実現した。
 そして、それが政治、経済、社会、その他のいろいろなものを変えていく。産業革命における鉄道に相当するものが、IT革命におけるeコマースです。しかし、eコマースに何が乗るか乗らないかというと、世の中が余りに複雑なので、やってみないと分からない。そこで起業家として最も大事なことは、小さく始めることであると言っています。
 このIT革命で、ものすごく影響を受けるのが、教育です。われわれは教育で、二つのものを身につけます。一つは、自分で学んで習うこと。もう一つが、マンツーマンで教わることです。
 IT革命で教育ソフトが発達すれば、学生が自分で学ぶことについてはコンピュータに任せ、先生方はマンツーマンで教えることに力を注ぐことが可能となります。生徒の得意とするところをドンドン伸ばせるようになります。そういう意味での教育革命が起こる。 もう一つ知識というものの定義も変わりつつあります。ソクラテスは「人間とはなんぞや」を考え、ソフィストはいかに生きるかを考えた。東洋では儒教はいかに生きるべきかを考えた。道教や禅は、自分は何者であるかを考えた。つまり、これまで知識については、人間とはなんぞやという問題意識と、いかに生きるべきかという問題意識との間の対立はあったが、役に立つかどうかという問題意識は、人類史上ずうっとなかった。知識と技能は全然別の道を歩いていた。それが最近になって、知識は役に立つことが分かり、同時に役に立たない知識があるということも分かった。危険な知識があるということまで分かった。
 そこで知識があるということは、いったい何であるかという根本的な問題が出てきた。知識は役に立つものという、そうした時代における教養とは、いったい何ぞや―という問題も出てきた。時代は、そこまで変わっていくであろうとドラッカーは言っています。



↑ 見出リストへ戻る ← 前へ | 次へ →