文化財建造物修復学研究室

MEMBER

メンバー

第1期研究室生(2005年度・10名)

  • 文化財

    建造物解体修理 現場見学

  • 文化財

    建造物解体修理 現場見学

  • 国宝

    法隆寺伽藍建物 見学

  • 国宝

    法隆寺伽藍建物 見学

2005年度 研究活動テーマ
  • 古建築について

  • 工務店とIT

  • 一般住宅に於ける雨漏りの原因と対策

  • 家づくりにおけるマネジメントの真髄

  • 茅葺き屋根の維持保存に関する研究

  • 公民館の設計

  • 入母屋造り三間四面堂

  • 総本山長谷寺納骨堂について

  • 歓喜院聖天堂の彫刻について

  • 10

    21世紀の堂宮大工と言う職能について

第2期研究室生(2006年度・9名)

  • 世界遺産

    日光社寺建物 見学

  • 世界遺産

    日光社寺建物 見学

  • 漆塗り実地研修

  • 極彩色塗り実地研修

2006年度 研究活動テーマ
  • JR吹上駅コンコース掲示板制作

  • 伝統工芸技法漆喰塗りの研究

  • 建築業の新しい形態についての研究

  • 上下式水車の制作

  • 近世城下町の近代化に関する研究

  • 鴻巣駅東口A3街区緑地帯整備計画

    鴻巣駅東口A3街区緑地帯整備計画

    鴻巣市にでは「こうのすリーディングプロジェクト21」と称する21 の重要施策が行われていた。その中に都市計画法施行令第二十五条六項により、「開発区域に、面積の合計が開発区域の面積の3パーセント以上の公園、緑地又は広場を設けていること。」との条文があり、今回鴻巣市は、これに相当する鴻巣駅東口A3街区緑地帯整備の基本計画を、横山研究室が担当することになった。
    <横山研:2006年度ゼミ生2名担当>

  • 古典塗装漆喰塗りについての研究

  • 日本の産石状況に関する研究

第3期研究室生(2007年度・9名)

  • 国宝

    唐招提寺金堂 修理現場見学

  • 国宝

    唐招提寺金堂 修理現場見学

  • 重要文化財

    八坂神社楼門 修理現場見学

  • 重要文化財

    知恩院方丈庭園 見学

2007年度 研究活動テーマ
  • 1 鴻巣駅東口A3街区緑地帯整備

    鴻巣駅東口A3街区緑地帯整備

    平成17年(2005)10月、鴻巣市は県央中核都市として再スタートを切り、JR鴻巣駅東口地区市街地再開発整備事業の一環で1600㎡規模の緑地帯が必要となり、鴻巣市からの依頼で設計と構築物制作を実施。(設計・一部制作)
    <横山研:2007年度ゼミ生9名担当>

第4期研究室生(2008年度・9名)

  • 重要文化財

    箱木家住宅 見学

  • 重要文化財

    東本願寺御影堂 修理現場見学

  • 登録文化財

    東本願寺御影堂 修理現場見学

  • 国宝

    浄土寺浄土堂 見学

2008年度 研究活動テーマ
  • ベランダウッドデッキの制作

  • 東京成徳大学深谷高等学校ガーデンテラス改修計画

  • 根岸家長屋門の修復計画

  • 竹を使ったアート作品制作

  • 旧能登線鉄道施設を核とした都市再生計画

  • 行田市総合福祉会館 中庭改修計画

    行田市総合福祉会館 中庭改修計画

    やすらぎの里の名で親しまれているこの施設は、リハビリテーション施設として平成11年(1999)4月に開設されたものであるが、中庭が活用できない状況であったため、行田市からの依頼で設計と施工を実施した。2008年度は中庭改修計画が主な活動になった。
    <横山研:2008年度ゼミ生3名担当>

  • 行田・蔵<今津印刷所>の調査研究

    行田・蔵<今津印刷所>の調査研究

    今津家住宅の店蔵及び主屋は、市内に現存する蔵造り建築のなかでは最古となる江戸時代後期の建立となり、形式も防火対策として北側面を塗壁とする「半蔵形式」となる。また、行田の足袋産業との関連も深く、日本遺産の構成資産の一つとなるため、行田市からの依頼により、文化財指定の調査研究を実施。
    <横山研:2008年度ゼミ生2名担当>

第5期研究室生(2009年度・9名)

  • 重要文化財

    旧帝国京都博物館 見学

  • 重要文化財

    清水寺子安塔 修理現場見学

  • 国宝

    法隆寺金堂・五重塔他 見学

  • 国宝

    法起寺三重塔 見学

2009年度 研究活動テーマ
  • 正福寺地蔵堂三手先斗栱模型制作

  • 冑山神社本殿の建物調査

    冑山神社本殿の建物調査

    胄山神社本殿は、社殿の外装を装飾する彫刻のうち、尾垂木彫刻(獏鼻)や木鼻(獅子頭)彫刻の技法共通性から、恐らく歓喜院聖天堂造営に携わった大工集団の建築と推測される。このため、江戸時代中期頃の建立と思われるが、熊谷市からの依頼により、文化財上位指定のための再調査研究を実施。
    <横山研:2009年度ゼミ生3名担当>

  • 行田市総合福祉会館 中庭改修整備

    行田市総合福祉会館 中庭改修整備

    やすらぎの里の名で親しまれているこの施設は、リハビリテーション施設として平成11年(1999)4月に開設されたものであるが、中庭が活用できない状況であったため、行田市からの依頼で設計と施工を実施した。2009年度は中庭改修計画に基づき整備が主な活動となった。
    <横山研:2009年度ゼミ生5名担当>

第6期研究室生(2010年度・9名)

  • 史跡

    名古屋城本丸御殿 復元現場他見学

  • 国宝

    法隆寺西院伽藍 見学

  • 国宝

    當麻寺西塔見学

  • 登録文化財

    東本願寺御影堂 見学

2010年度 研究活動テーマ
  • 行田市総合福祉会館 第二期中庭改修工事

    行田市総合福祉会館 第二期中庭改修工事

    やすらぎの里の名で親しまれているこの施設は、リハビリテーション施設として平成11年(1999)4月に開設されたものであるが、中庭が活用できない状況であったため、行田市からの依頼で設計と施工を実施した。2010年度は引き続き改修工事が行われ、完成に至る。
    <横山研:2010年度ゼミ生2名担当>

  • 熊谷市平戸公園内休憩所新築工事(平戸のやすら木)

    熊谷市平戸公園内休憩所新築工事(平戸のやすら木)

    平成16年(2004)、JR熊谷駅に程近い平戸公園が広域避難場所に指定されたことで、屋根付き休憩所が必要となり、熊谷市からの依頼で屋根直径が約5mほどある鉄筋コンクリート造の休憩所の設計・施工を実施。
    <横山研:2010年度ゼミ生1名担当>

  • 折りたたみテーブル制作

  • 熊谷大仏源宗寺本殿の改築計画

    熊谷大仏源宗寺本殿の改築計画

    熊谷大仏のある藤井山源宗寺はJR熊谷駅より東に1.5kmほど行った閑疎な住宅街に位置にある。この本堂の建替え計画案を作成するに至った経緯は、明治維新後の廃仏毀釈で荒廃した無住の寺を檀徒の協力で戦後徐徐に復興を図ってきたが、建物の損傷が進行し、堂内への雨漏りが顕著となってきた。現状としては雨漏り箇所の格天井材が脱落し、大仏頭部に当たる無様な呈を晒す状態にあり、信仰上の観点からも早期の対応が必要だと強く感じた。
    <横山研:2010年度ゼミ生1名担当>

  • 東松山東照宮の建物調査

    東松山東照宮の建物調査

    東松山東照宮は、松本町で現在廃寺となる旧観音寺境内に位置していた。境内に東照宮が存在する事由は、元和2年(1616)に逝去した徳川家康の遺言が起因している。先の東照宮は万治3年(1660)に焼失しており、現在の建物はその後の再建となる。建物は近年まで竹間氏が管理していたが、老朽化等による諸事情で市埋蔵文化財センターに引き取られた。同センターからの依頼により、横山研究室で東照宮の解体調査を行った。
    <横山研:2010年度ゼミ生1名担当>

  • 長久寺山門の修復計画考察

    長久寺山門の修復計画考察

    長久寺は行田市街地より北東に位置し、秩父鉄道東行田駅に隣接する。史料にて寺の創建は文明年間(1469~1478年)頃と考えられており、開基は忍城城主の成田顕泰、開山は通傳上人であった。顕泰は忍城を拡張整備するに当り、鬼門鎮護のために丑寅の方角に(東北)であるご当地に武運長久を祈願してこの寺を建立したとされ、寺名がこれに由来する。行田市並びに長久寺からの要請を受け、横山研究室で山門の復原考察を実施した。
    <横山研:2010年度ゼミ生1名担当>

  • 根岸家長屋門保存修復工事

    根岸家長屋門保存修復工事

    根岸家は中世に活躍した熊谷次郎直実の末裔と言われ、戦国時代には小田原北条方の松山城主上田氏に仕え、後に帰農し甲山村に土着したと伝えられている。2008年度に実施した修理計画を基に保存修理工事が行われた。
    <横山研:2010年度ゼミ生1名担当>

  • 行田市歴史的建造物栗代蔵の利用向上計画

第7期研究室生(2011年度・6名)

  • 国宝

    清水寺本堂他 見学

  • 登録文化財

    東本願寺御影堂他 見学

  • 国宝

    根来寺大塔他 見学

  • 国宝

    金剛峯寺不動堂他 見学

2011年度 研究活動テーマ
  • 埼玉県指定文化財大雷神社本殿懸魚の制作

  • 埼玉県指定文化財大雷神社本殿建物調査

    埼玉県指定文化財大雷神社本殿建物調査

    埼玉県指定文化財大雷神社は、熊谷市上之に所在する上之村神社境内地に鎮座する。大雷神社本殿は昭和50年代に解体修理が成されているが、国指定ではなかったことから修理工事報告書や図面の作成が成されていない。このため、次の平成の修理に備えるべく、神社からの依頼を受けて、実測による図面作成を行った。
    <横山研:2011年度ゼミ生2名担当>

  • 2010年度学長プロジェクト

    2010年度学長プロジェクト

    コルビジェ・カップマルタン休暇小屋建設

  • 寄居町立用土保育所改修設計

    寄居町立用土保育所改修設計

    昭和48年(1973)に建立された木造平屋建ての保育所は劣化が著しい状態であったため、寄居町からの依頼で建物外装・南側テラス・砂場・外構などの改修設計を実施。(設計・技術指導・一部制作)
    <横山研:2011年度ゼミ生2名担当>

  • 行田・須加如来堂内厨子の調査研究

    行田・須加如来堂内厨子の調査研究

    須加如来堂と厨子は、寛政7年(1795)頃、忍城主阿部氏第7代正識(マサツネ)の庇護をを受けて建立された社寺と考えられている。現在、如来堂自体は大掛りな改変が近代に入って行われたが、厨子は当初のままで三村好等(タカトモ)の作と推測されるが、行田市からの依頼により、文化財指定調査研究を実施。
    <横山研:2011年度院生1名担当>

第8期研究室生(2012年度・5名)

  • 国宝

    姫路城 保存修理工事現場見学

  • 国宝

    姫路城 保存修理工事現場見学

  • 登録文化財

    東本願寺御影堂他見学1

  • 登録文化財

    東本願寺御影堂他見学2

2012年度 研究活動テーマ
  • 聖天山歓喜院仁王門の実測現状図面制作

    聖天山歓喜院仁王門の実測現状図面制作

    現在の仁王門は、台風の影響で倒壊した先の仁王門に倣い、明治27年(1894)に再建された建物である。建物規模は桁行14.88m・梁間5.15m・最高高さ9.22mで、屋根を入母屋造り瓦棒銅板葺とする五間三戸の仁王門となる。熊谷市からの依頼により、国登録文化財とするための調査研究を実施。
    <横山研:2012年度ゼミ生1名担当>

  • 牧野家累代の墓復原図制作及び宝篋印塔調査

    牧野家累代の墓復原図制作及び宝篋印塔調査

    徳川家康の旗本であった牧野康成は勝願寺円誉不残上人に帰依し、牧野家累代の墓所が境内一角に配されているが、宝篋印塔の数は86基に及ぶ。先の東日本大震災の影響でその多くが倒壊等する被害を受けたため、 鴻巣市からの依頼によって緊急調査を実施。
    <横山研:2012年度ゼミ生1名担当>

  • 埼玉県立松山高等学校記念館の図面制作

    埼玉県立松山高等学校記念館の図面制作

    松山高校記念館は、現在の埼玉県松山高等学校の木造本館一部を移築保存したものである。旧校舎は大正12年(1923)に竣工し、以来47年間に渡って旧制松山中学校・新制松山高等学校の本館校舎として使用されてきた。松山高校記念館は移築先の土地状況によって、中央部分しか現存していない。そこで、往時の記録保存を資するべく、竣工時の図面制作を横山研究室が行った。
    <横山研:2012年度ゼミ生1名担当>

  • 熊谷星川通り身代わり地蔵尊覆屋建替えプロジェクト

    熊谷星川通り身代わり地蔵尊覆屋建替えプロジェクト

    昭和57年頃(1982)に建立された木造覆屋の劣化破損が著しい状態であったため、星川商店街理事会からの依頼で、建替えのための設計・施工を実施。(設計・制作)
    <横山研:2012年度ゼミ生2名担当>

  • 深谷・深谷商業高校記念館の修復

    深谷・深谷商業高校記念館の修復

    大正11年(1922)4月に竣工した二層楼は深谷市のシンボルでもあり、渋沢栄一も支援した重要な歴史的建造物として文化財登録をされている。平成の修理では破損部補修の他、耐震補強や整備に加 えて、外観意匠の復原整備が実施された。(復原整備等技術指導)
    <横山研:2012年度院生1名担当>

第9期研究室生(2013年度・5名)

  • 研究室集合写真

  • 箭弓稲荷神社本殿屋根上 集合写真

  • 箭弓稲荷神社御社殿 実測調査

  • 箭弓稲荷神社元宮 実測調査

2013年度 研究活動テーマ
  • 埼玉県指定有形文化財 箭弓稲荷神社社殿実測現状図面制作

    埼玉県指定有形文化財 箭弓稲荷神社社殿実測現状図面制作

    江戸期に整備された川越熊谷道・秩父道・日光街道並びに脇街道の要所となっていた松山宿の小高い場所に箭弓稲荷神社は鎮座している。創建は和銅5年(712年)と伝えられ、2012年にはご鎮座1300年を迎えられたもので、県内屈指の古社である。箭弓稲荷神社社殿は、天保11年(1841)9月に竣工した権現造形式の社殿であるが、御鎮座1300年を記念した学術調査研究を実施した。
    <横山研:2013年度ゼミ生3名担当>

  • 箭弓稲荷神社 元宮実測図面制作

    箭弓稲荷神社 元宮実測図面制作

    江戸期に整備された川越熊谷道・秩父道・日光街道並びに脇街道の要所となっていた松山宿の小高い場所に箭弓稲荷神社は鎮座している。創建は和銅5年(712年)と伝えられ、2012年にはご鎮座1300年を迎えられたもので、県内屈指の古社である。境内の中心部に位置する権現造の社殿背面には、一間社流造の元宮が同一の東正面を向いて鎮座しているが、御鎮座1300年を記念した学術調査研究を実施した。
    <横山研:2013年度ゼミ生3名担当>

  • 行田市内に所在する寺院建築の悉皆調査

第10期研究室生(2014年度・4名)

  • 研究室集合写真

  • 学生テレビ取材対応

  • 神社社殿修復研修学生表彰

  • 素屋根足場組立研修

2014年度 研究活動テーマ
  • 埼玉県指定有形文化財 箭弓稲荷神社社殿修復プロジェクト

    埼玉県指定有形文化財 箭弓稲荷神社社殿修復プロジェクト

    箭弓稲荷神社社殿は、天保11年(1841)9月に竣工した権現造形式の社殿であるが、御鎮座1300年を記念した学術調査研究によって、社殿の屋根を中心に、建物各所の破損が著しいことが判明した。このため、県指定文化財としての修復工事が行われることになったが、破損部補修の他、耐震補強と拝殿の復原整備も実施された。
    <横山研:2014年度ゼミ生4名担当>

  • 行田市歴史的建築建造物 大澤家住宅主家実測図面作成

    行田市歴史的建築建造物 大澤家住宅主家実測図面作成

    埼玉県行田市に所在する大澤家住宅は現在も足袋蔵が多く点在する中心市街地となる本町に位置し、日光館林道に面している。建物の建立年代としては、調査にて江戸時代後期と想定される。この建物の建物調査を横山研究室で実施した。
    <横山研:2014年度ゼミ生1名担当>

第11期研究室生(2015年度・6名)

  • 研究室集合写真

  • 桶川飛行学校建物基礎調査

  • 柿本人麻呂神社建物調査

  • 八坂神社社殿建物調査

2015年度 研究活動テーマ
  • 箭弓稲荷神社玉垣修復工事

    箭弓稲荷神社玉垣修復工事

    箭弓稲荷神社は江戸時代後期となる天保14年(1843)に竣工した権現造の建物であり、埼玉県指定有形文化財に指定されている。2014年度、ご鎮座1300年記念事業の一環として社殿の修復工事が横山研究室の設計監理・技術指導の下に成された。引き続き2015年度は第2期整備事業として本殿を取り囲む玉垣修復と手水舎修復が横山研究室で実施された。
    <横山研:2015年度ゼミ生1名担当>

  • 東松山指定有形文化財箭弓稲荷神社手水舎の建築考察

    東松山指定有形文化財箭弓稲荷神社手水舎の建築考察

    箭弓稲荷神社は江戸時代後期となる天保14年(1843)に竣工した権現造の建物であり、埼玉県指定有形文化財に指定されている。2014年度、ご鎮座1300年記念事業の一環として社殿の修復工事が横山研究室の設計監理・技術指導の下に成された。引き続き2015年度は第2期整備事業として本殿を取り囲む玉垣修復と手水舎修復が横山研究室で実施された。
    <横山研:2015年度ゼミ生1名担当>

  • 箭弓稲荷神社絵馬殿 新築基礎設計案

    箭弓稲荷神社絵馬殿 新築基礎設計案

    2014年度、横山研究室の工事監理のもとで行われた保存修理工事において、拝殿に飾られてあった絵馬凡そ100枚が耐震上等の観点から取り外されることになり別棟の保管庫に保存されことになった。そのことで参拝者の方から絵馬を見学したという意見が多数上がったため、絵馬殿を新築する計画が立てられた。そこで横山研究室に基本設計案の依頼が持ち込まれた。
    <横山研:2015年度ゼミ生2名担当>

  • 川越柿ノ本人麻呂神社社殿の実測図面制作

    川越柿ノ本人麻呂神社社殿の実測図面制作

    川越氷川神社境内に位置する柿ノ本人麻呂神社社殿は、歌道上達神に崇められている万葉歌人柿本人麻呂を御祭神として祀っており、武蔵国では唯一の社となる。この建物を川越氷川神社からの依頼で調査研究を実施した。
    <横山研:2015年度ゼミ生1名担当>

  • 川越八坂神社本殿の実測図面制作

    川越八坂神社本殿の実測図面制作

    この八坂神社本殿は、家光が江戸城二の丸東照宮として寛永14年(1637)に建立した社殿が、その後の合祀によって空虚となったため、川越喜多院が管理していた天神社外宮として、分割移築されたものと推測されている。このため、その可能性を明らかとすべく、川越氷川神社からの依頼で調査研究を実施。
    <横山研:2015年度ゼミ生1名担当>

  • 旧忍町信用組合店舗移転計画に伴う復原図制作

    旧忍町信用組合店舗移転計画に伴う復原図制作

    旧忍町信用組合店舗は、大正11年(1922)8月に竣工した木造銀行建築で、市内では希少な「下見板コロニアル様式」となる。建物は東日本大震災の影響等で劣化破損が進行したために解体計画も浮上したが、所有権が行田市に譲渡されたことで、水城公園東側園地に移転する計画が上がった。その基本計画案の策定の過程で建物調査を横山研究室で行った。
    <横山研:2015年度ゼミ生2名担当>

第12期研究室生(2016年度・7名)

  • 研究室集合写真

  • 桶川飛行学校構造模型制作

  • 常光院研究室出張所

  • 常光院本堂建物調査

2016年度 研究活動テーマ
  • 三州瓦の現状と将来展望に関する調査研究

  • 行田市内神社建築 第一次調査

    行田市内神社建築 第一次調査

    横山研究室では地域への社会貢献として、2014年度に行田市内に所在する寺院建築第一次悉皆調査を実施しており、今回もそれに引き続いて神社建築第一次悉皆調査を卒業研究の一環として行い、市内の神社建築の現状を明らかにすることを目標に掲げた。
    <横山研:2016年度ゼミ生2名担当>

  • 旧桶川飛行学校施設群構造模型制作

    旧桶川飛行学校施設群構造模型制作

    旧桶川飛行学校は、太平洋戦争に出撃した飛行兵士たちの操縦訓練等が行われていた教育施設である。現在するものは守衛棟・便所棟・車庫棟・兵舎棟の4棟しかないが、これら建物群は桶川市指定文化財となっている。この建物群の構造模型制作を行うことになったが、来年度の現状変更手続きを行って最盛期となる昭和18年当時の姿に復原整備する予定となることから、現状と復原の二つの構造模型制作を行うものとした。
    <横山研:2016年度ゼミ生2名担当>

  • 常光院本堂 建物図面制作

    常光院本堂 建物図面制作

    常光院は延暦寺直系の天台宗別格本山であり、嘗てここには鎌倉幕府評定衆の1人でもあった中条氏の館が存在していた。この本堂は、中条常光公の菩提を弔うために館を寺に改修したものと伝えられてきたが、熊谷市からの依頼によって文化財指定のための調査研究を実施。
    <横山研:2016年度ゼミ生2名担当>

  • 鴻巣・鴻巣御殿の復元模型制作に関する調査研究

    鴻巣・鴻巣御殿の復元模型制作に関する調査研究

    鴻巣御殿は、関ケ原合戦前後に築かれたとされる徳川将軍家(家康・秀忠・家光)の鷹狩り等で使用した休憩・宿泊施設であったが、明暦3年(1657)の江戸大火により、解体されて、江戸城に部材が運ばれた。このため、文献として残る鴻巣御殿目録等を頼りに、鴻巣市からの依頼によって往時の状況を模型復元するための調査研究を実施。

第13期研究室生(2017年度・6名)

  • 研究室集合写真

  • ゼミ研修旅行

  • 伊勢神宮(内宮)見学

  • 明治村見学

2017年度 研究活動テーマ
  • 行田市歴史的建造物 保泉蔵の調査・図面制作

    行田市歴史的建造物 保泉蔵の調査・図面制作

    保泉蔵は、2017年度に日本遺産認定を受けた構成遺産の一つです。本研究では、店蔵兼住居を除く蔵の実測調査と現状図面制作を行うことを研究目的とし、「前蔵」・「新蔵」・「石蔵」・「連蔵」を調査した。また、ほぼ同年代に建立された他の蔵との比較検証も併せて実施し、保泉蔵の建築的特徴も明らかとしました。
    <横山研:2017年度ゼミ生2名担当>

  • 旧忍町信用組合店舗 移築工事に伴う調査・図面制作

    旧忍町信用組合店舗 移築工事に伴う調査・図面制作

    旧忍町信用組合店舗は、大正11年(1922)8月に竣工した木造銀行建築で、市内では希少な「下見板コロニアル様式」となる。建物は東日本大震災の影響等で劣化破損が進行したために解体計画も浮上したが、所有権が行田市に譲渡されたことで、水城公園東側園地に移転することになり、破損部補修や耐震補強の他、復原整備も実施された。(調査研究・設計・技術指導)
    <横山研:2017年度ゼミ生3名担当>

  • 川島・金剛寺比企氏位牌堂の調査研究

    川島・金剛寺比企氏位牌堂の調査研究

    金剛寺と所縁が深い比企能員(ヨシカズ)は源頼朝や頼家の腹心家臣であったが、北条家の陰謀によって殺害された。その後、近世に入って再興を果たしたが、この堂宇は江戸時代初期となる寛永17年(1640)の建立となるため、金剛寺からの依頼によって文化財指定登録のための調査研究を実施。
    <横山研:2017年度院生1名担当>

第14期研究室生(2018年度・8名)

  • 研究室集合写真

  • 研究室での技術指導

  • 長島記念館建物調査集合写真

  • 妙安寺観音堂建物調査

2018年度 研究活動テーマ
  • 熊谷市長嶋記念館の歴史的建造物調査・図面制作

    熊谷市長嶋記念館の歴史的建造物調査・図面制作

    旧大里村の名主を務める名家であった長島家は1800坪ほどの広大な敷地を有し、そこには全7棟の建物が所在している。その中心に位置する主屋は、間口12間・奥行6間半の6間取りとなる大規模建物で、屋根裏は養蚕部屋となっている。熊谷市からの依頼によって文化財指定登録のための調査研究を実施。
    <横山研:2018年度ゼミ生3名担当>

  • 第1期 東松山市内における社寺建築悉皆調査

    東松山市内における社寺建築悉皆調査

    東松山市には古代から近代までの歴史遺産が点在しており、多くの神社・寺院・祠も所在している。しかし、全容を把握しきれていない状態にあるため、官学連携事業となる社寺建築悉皆調査依頼が横山研究室にあり、6ヶ年度事業として調査研究が実施。
    <横山研:2018年度ゼミ生4名担当>

  • 行田市歴史的建造物草生蔵の調査・図面制作

    行田市歴史的建造物草生蔵の調査・図面制作

    草生蔵は、2017年度に日本遺産認定を受けた「和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち行田」の構成遺産の一つです。本研究では、蔵の実測調査と現状図面制作を行うことを研究目的としました。
    <横山研:2018年度ゼミ生1名担当>

  • 桶川・旧熊谷陸軍桶川分教場建物群の修復、2018年度~2019年度継続

    桶川・旧熊谷陸軍桶川分教場建物群の修復、2018年度~2019年度継続

    旧熊谷陸軍飛行学校桶川分教場は、昭和12年(1937)6月に竣工した飛行実技訓練施設であったが、戦後は共同住宅に用途変更されたことで、現代まで建物の存続が奇跡的に適うことになった。全国で唯一、複数の木造戦争関連施設が残されるため、今後、恒久平和を考える施設として保存活用されることになり、現在、修復工事が行われている。
    <横山研:2018年度院生1名担当>

第15期研究室生(2019年度・7名)

  • 研究室集合写真

  • 行田堤根2号橋調査風景

  • 卒業研究発表会

  • 東松山悉皆調査 調査足場組立風景

2019年度 研究活動テーマ
  • 土木遺産 行田堤根2号橋の調査・図面制作

    土木遺産 行田堤根2号橋の調査・図面制作

    堤根2号橋の建造は昭和8年(1933)のことであり、地域の農業用水不足を解消するため、元荒川と支派川の合流整備事業に伴って架設されたアーチ橋となる。なお、この橋の構造体は鉄道の古レールを再利用したもので希少であり、バランスドアーチ橋に分類されものとなる。
    <横山研:2019年度ゼミ生1名担当>

  • 第2期 東松山市内における社寺建築悉皆調査

    第2期 東松山市内における社寺建築悉皆調査

    2018年度に実施した「大岡地区」に引き続き、2019年度は「松山地区」の悉皆調査を実施した。今回の一次調査から三次調査までを含めると、神社16件・寺院9件・祠44件の合計69件の建物調査が行われた。
    <横山研:2019年度ゼミ生4名担当>

  • 行田熊野神社境内移転に伴う調査・図面制作

    行田熊野神社境内移転に伴う調査・図面制作

    熊野神社本殿は利根川堤防に面する行田市須加の地に所在するが、国策となる利根川堤防の強化工事に伴って移転が余儀なくされている。このため、地元からの依頼によって建物調査を行ったが、本殿は一間社春日造となり、調査の結果、建立は江戸時代中期となる享保13年(1728)頃の建立であることが判った。これらの基礎資料を基に、今後、地元で移転計画が進められることになる。
    <横山研:2019年度ゼミ生2名担当>

  • 歴史的建造物 長慶寺薬師堂の復原考察

    歴史的建造物 長慶寺薬師堂の復原考察

    長慶寺薬師堂は熊谷市西城丸に位置する真言密教寺院で、桁行三間・梁間三間の入母屋桟瓦葺の構造形式となる。調査により建立は江戸時代中期となる享保18年(1733)であることが判明した。また、この建築を担ったのは国宝歓喜院聖天堂造営の棟梁であった林兵庫正清であったこと、更には彫刻師が初代と二代目の石原吟八の協働作品であったことも判明し、この地域の装飾建築の変遷を知るうえでも貴重な研究成果が得られた。
    <横山研:2019年度大学院生1名担当>

第16期研究室生(2020年度・9名)

  • 研究室集合写真

  • ゼミ生歓迎会

  • 調査用足場組立演習風景

  • 日枝神社調査用足場組立風景

2020年度 研究活動テーマ
  • 日枝神社本殿 建物調査及び図面制作

    日枝神社本殿 建物調査及び図面制作

    鴻巣市小谷に所在する日枝神社本殿は、八棟造を彷彿させる一間社杮葺の建物で、外観の各所に壮麗な彫刻を纏った装飾建築となる。今回の調査研究において奇跡的に床下から建立年代を示す墨書が発見され、江戸時代後期となる宝暦6年(1756)の完成であることが判った。また、彫刻師も歓喜院聖天堂彫刻棟梁であった石原吟八に関係した人物であることも推測された。このように県北での装飾建築の変遷を知るうえでも貴重な研究成果が得られた。
    <横山研:2020年度ゼミ生2名担当>

  • 第3期 東松山市内における社寺建築悉皆調査

    第3期 東松山市内における社寺建築悉皆調査

    2019年度に実施した「松山地区」に引き続き、2020年度は「野本地区」の悉皆調査を実施した。今回の一次調査から三次調査までを含めると、神社19件・寺院10件・祠70件の合計99件の建物調査が行われた。
    <横山研:2020年度ゼミ生6名担当>

  • 円光寺厨子の調査・図面制作

    円光寺厨子の調査・図面制作

    東松山市下野本に所在する円光寺は、天台宗寺院の中本寺となる浄光寺の境外仏堂となるが、この本堂内部に備わる厨子の調査を実施した。厨子は一間四面の入母屋造・板瓦棒葺の建物で、軒唐破風も備わる。外装は黒漆に金箔押しが成され、軒裏は弁柄塗装が施されいる。建立年代を特定する墨書は発見できなかったが、聞き取り調査により、江戸時代後期頃の作品だと考えられている。
    <横山研:2020年度ゼミ生1名担当>

  • 氷川神社本殿の調査・図面制作

    氷川神社本殿の調査・図面制作

    東松山市下青鳥に所在する氷川神社本殿は、一間流造の杮葺の建物で、近在に所在する箭弓稲荷神社社殿のように、多様な彫刻を纏う装飾建築である。この本殿の建立は天保年間と伝えられているが、彫刻技法が先の箭弓稲荷神社のものと同一であることや、天保8~10年の間が造替工事を休止としていることから、恐らく氷川神社本殿は職人たちの食扶ちを繋ぐため、この時期に建立が成されたものと推測される。
    <横山研:2020年度ゼミ生1名担当>

  • 八幡神社本殿の調査・図面制作

    八幡神社本殿の調査・図面制作

    東松山市上野本に所在する八幡神社本殿は、三間流造の瓦棒板葺の建物で、棟高が6mを超える大規模な建物である。今回調査によって天保元年(1830)の再建であったことが判明したが、特異事例として前面軒桁が向拝柱を基点に両端へ75mm毎傾斜している。恐らくこれは、軒先の雨仕舞を考慮し、大工棟梁が行った対応だと推測されるが、軒高や棟高が高い位置にあることから、目線では凡そおかしさは感じない。恐らく、往時の大工棟梁がギリギリの線で、外観意匠と雨仕舞を検討した結果だと推測される。
    <横山研:2020年度ゼミ生2名担当>

  • 行田市歴史的建造物 行田窯の調査・図面制作

    行田市歴史的建造物 行田窯の調査・図面制作

    行田市佐間に所在する行田窯は日本遺産の構成資産の一つであり、荒井八郎氏が昭和初期頃に足袋の原反倉庫とするために建設が行われた。創建当初の建物規模は梁間四間(7272mm)、桁行長さが十五間(27270mm)の大規模倉庫で、屋根は切妻造・桟瓦葺で外壁には下見板張りとなっていた。しかし、平成16年(2004)に土地の一部が売却されることに伴って、桁行面が2/3ほど取り壊され、現在に至っている。平成後期には陶芸工房として活用されていたが、現在は積極活用が成されていない状況にあり、日本遺産の認定建造物でもあることから、今後の活用展開が望まれている。
    <横山研:2020年度ゼミ生1名担当>

第17期研究室生(2021年度・10名)

  • 研究室集合写真1

  • 研究室集合写真2

  • 圓通寺観音堂調査風景

  • 繋ぎの龍 見取図制作風景

2021年度 研究活動テーマ
  • 第4期 東松山市内における社寺建築悉皆調査

    第4期 東松山市内における社寺建築悉皆調査

    2021年度東松山市内における社寺悉皆調査は、「唐子地区」と「高坂地区の一部」が対象となった。唐子地区の神社は一間社流造が主流であり、御祭神に須佐之男命や軻遇突智命が祀られていることが多いことが判った。この地区は河川が多く、恐らく水害に悩ませられることが多かったことで、防災の神が多く祀られているものと推測される。寺院は5つの宗派がありヒアリング調査でも、改宗記録はどの寺院にも残されておらず、天台宗や曹洞宗が多いことが窺える。特に天台宗に関しては、徳川家康の参謀までに上り詰めた南光坊天海の影響が大きかったのではないかと思われる。
    <横山研:2021年度ゼミ生4名担当>

  • 巌殿山正法寺観音堂の調査・図面制作

    巌殿山正法寺観音堂の調査・図面制作

    正法寺観音堂は元々、享保19年(1734)に飯能市の長念寺観音堂として建立され、明治19年(1886)に正法寺へ移築された記録が残る。移築の際に様々な変更があり、密教宗教に対応した現在の形態に至る。今回行った調査では、床下で丸柱に仕上げられていたことが発見され、移築前の形態を彷彿させる痕跡が見受けられた。これによって、禅宗様で見られる土間形態であったことの他、各柱の埋木の痕跡や内陣の来迎壁の痕跡、古文書の絵画から方3間の建物であったことが推測された。
    <横山研:2021年度ゼミ生1名担当>

  • 世明寿寺観音堂 建物調査及び図面制作

    世明寿寺観音堂 建物調査及び図面制作

    世明寿寺観音堂の建物調査では棟札等の墨書は発見できなかったため、建立年代は不明である。しかし、装飾彫刻が向拝廻りや木鼻・四面板支輪等に限られる点や、全体の木柄が細く感じることからも幕末頃の再建と考えられる。内部は梁間奥二間目の柱間装置を境に内・外陣の空間が区分され、内陣中央には南北朝時代頃の作と推測される総高195cmの千手観音立像が、厨子内部に祀られている。一般的な三間堂では仏像を祀る須弥壇を背面壁に接続させ、それを来迎壁に見立てた形式にすることが多いが、世明寿寺は千手観音立像や脇侍の二十八部衆が祀られている。聖域の内陣を広く採る目的から奥行内陣側に柱を一本追加し、内・外陣を仕切る柱間装置を凡そ棟の中央通りに配置することを目論んだと推測される。
    <横山研:2021年度ゼミ生1名担当>

  • 青鳥山妙昌寺祖師堂厨子の調査・図面制作

    青鳥山妙昌寺祖師堂厨子の調査・図面制作

    東松山市唐子地区に所在する青鳥山妙昌寺祖師堂内厨子の調査、図面制作卒業研究として実測することになった。妙昌寺は青鳥城主藤原斎心入道利行が開基となり、弘安4年(1281)に青鳥の地に創建したと伝えられる日蓮宗寺院である。
    厨子内の調査によって、幕末に実施された塗装工事の木札が見つかった。これによると、元治2年(1865)に厨子の塗装が行われたことが判り、厨子の制作年代自体も江戸時代後期以前ではないかと推測できる。下地の当初顔料は岩絵具であり、表層の後補顔料は水干絵具であることが確認された。一般的には仕上材に採用することは殆ど無く、恐らく時代が徳川幕府終焉の幕末となることから、経済状況悪化等の影響を受けたことに起因すると考えられる。以上のことから、塗装劣化が進捗する厨子の緊急対応策として、最低限の仕様によって元治2年の修復が実施されたものと推測された。
    <横山研:2021年度ゼミ生1名担当>

  • 圓通寺山門の調査・図面制作

    圓通寺山門の調査・図面制作

    鴻巣市屈巣に所在する臨済宗円覚寺派圓通寺の山門は、施主の意向により現状図面制作と歴史的価値を知るため、実測調査と図面制作が行われた。
    開基は弘安10年(1287)と伝えられており、鎌倉時代後期頃に開山を果たしたと考えられている。建立年代を示す墨書調査も並行して行ったが、発見するには至らなかった。しかし、懸魚固定に和釘が用いられていたため、山門建立は江戸時代後期以降と判断された。また、屋根が茅葺であった痕跡も確認されなかったため、山門は当初から瓦屋根であったと推測される。なお、建物規模と時代的背景から瓦は三井寺出入り瓦職人の西村半兵衛が開発した古式な左肩桟瓦であった可能性も否めない。徳川吉宗が打ち出した瓦葺屋根奨励策(享保5年)以後、江戸の大火を経験する過程において不燃化対策として経済性・施工性に富んだ桟瓦が採用されたと考える。
    <横山研:2021年度ゼミ生1名担当>

  • 宗像神社社殿の調査・図面制作

    宗像神社社殿の調査・図面制作

    鴻巣市に所在する宗像神社社殿は施主の意向により、御祭神を他の社に合祀し、解体撤去することが決まった。これに伴い、当研究室で調査と図面制作を行うことになった。
    小屋裏調査により棟札が3枚発見され、創建時の棟札からは建立が宝暦10年(1760)であり、大工棟梁が飯田一族の1人であることが判った。また、拝殿と記されていることから、中の厨子が本殿に見立てられていたものと考えられる。なお、飯田一族はこの地域中心に数々の社寺建築の造営を担っており、装飾彫刻が壮麗なる箭弓稲荷神社社殿や八雲神社本殿などの造営を担っている。他2枚の棟札からは大正10年(1921)、平成5年(1993)に修理工事が行われたことが記されていた。
    <横山研:2021年度ゼミ生1名担当>

  • 今津印刷所土蔵の調査・図面制作

    今津印刷所土蔵の調査・図面制作

    行田市内に所在する今津印刷所土蔵は、北側側道に面した一連建物の外壁や屋根の破損劣化が著しく、通行人に被害を齎す危険性が高いと判断されたことから、この現況調査依頼が行田市よりあり、建物調査と図面制作が行われた。
    今津蔵は総二階建ての切妻造り・桟瓦葺屋根の平入り形式で、桁行三間(5454mm)×梁間二間(3636mm)の規模となる。類例調査により、行田市内の土蔵は梁間長さを「二間~三間」とする傾向が多く、この建物にも共通性が確認できた。恐らく、幕末から明治後期頃までの土蔵内部を無柱空間にするには、この長さが適正範囲だったと推測される。
    <横山研:2021年度ゼミ生1名担当>

  • 中島家住宅石蔵の調査・図面制作

    中島家住宅石蔵の調査・図面制作

    日本遺産となる「足袋蔵のまち行田」には耐久性や耐火性に優れた石蔵が存在するが、同市内に所在する中島家住宅石蔵もこれに準ずることから、実測図面の制作と石蔵構造の検討を行った。
    調査により棟札が発見され、慶應元年(1865)9月5日に建立された近世建築である事が判明した。この石蔵は「天保年間行田町絵図」との照合を行った結果から居酒屋を営んでいた千歳屋清七が食材などを保管する目的で造立したものと推測された。石蔵には外壁に大谷石が使用されており、木軸下地に大谷石を貼り付けた「貼石工法」と石を積み上げた「積石工法」の過渡期に位置するもので木軸下地でありながらも、大谷石を組積する「混構造」となることが判明した。このような事例は他では確認されていない事から、貴重な歴史的建造物と言える。
    <横山研:2021年度ゼミ生1名担当>

  • 東松山市材木町一丁目屋台の調査・図面制作

    東松山市材木町一丁目屋台の調査・図面制作

    東松山市の八雲神社大祭は旧松山町11町内で行われているが、その内の材木町一丁目の屋台が歴史的な価値を有するとのことで調査依頼があり、これを実施した。
    屋台の構造形式は、前後に車軸で連結された車輪四輪にて下部木組架台を支えており、前輪は回転臼・引回し棒が備わり、曳行の際に方向転換が可能となる。架台上には高欄付の雛壇が備わり、土台から延びる6本の本柱が桁を受け、唐破風や装飾彫刻が上部屋根組を支えている。また、後部柱間にも唐破風や彫刻を付す引分障子が取り付く。
    今回調査では、中柱持送り彫刻裏面の発見墨書から、彫刻師が八雲神社本殿の彫刻制作を担った「飯田仙之助」であったことが判った。更にここには仙之助の師匠が「石原吟八郎」と上州彫物師集団の元祖でもあった「高松又八邦教」との関係までが記されており、三者の師弟関係を明確に示した記述は発見されておらず、大変貴重な発見となった。
    <横山研:2021年度ゼミ生1名担当>

  • 10

    秩父神社社殿の彩色技法調査とその考察

    秩父神社社殿の彩色技法調査とその考察

    秩父市に所在する秩父神社社殿の塗装替え修理工事が実施されることに伴い、本殿東面 にある左甚五郎作と伝わる「つなぎの龍」の原寸見取図制作を実施することになった。
    紙は白麻紙3号で礬水(どうさ)を引いたものを用いる。礬水とは膠水にミョウバンを少量加えたもので、これを白麻紙に塗布することで膠による乾燥収縮のヨレを防いだ。絵具や膠は社殿に施されているものと同じ胡粉や群青、三千本膠などを用いて伝統的技法・材料に倣い見取り図を完成させた。今回修理で行われた工学調査の結果、旧塗膜の発見によって、前回修理の際に伝統的な技法が踏襲されていない配色に変更されていたことが判明した。これは、前回修理の際に見取り図などの修理の指標となるものが不十分だったと推察される。見取り図制作はオーセンティシティを堅持する手段とも成り得るが、今回の見取り図制作も試み、この作品の意図が理解できたように感じた。
    <横山研:2021年度ゼミ生1名担当>

第18期研究室生(2022年度・11名)

  • 研究室集合写真1(学部生)

  • 研究室集合写真2(院生)

  • 世明寿寺観音堂厨子 調査風景

  • 長光寺阿弥陀堂空殿 調査風景

2022年度 研究活動テーマ
  • 圓通寺観音堂の調査・図面制作・研究

    圓通寺観音堂の調査・図面制作・研究

    埼玉県鴻巣市にある臨済宗円覚寺派圓通寺の末寺となる観音堂は、入母屋造の銅板葺、梁間三間・桁行三間の方三間の御堂となるが、天正18年(1590)に起こった忍城の水攻めの際、この地で急死した石田三成の愛馬を祀る堂宇であったと伝えられている。当堂に関する史料は、殆ど残されていなかったため、建物実態調査と放射性炭素年代測定(AMS法)によって年代を推定することとした。その結果、県内でも6番目に古い中世 安土・桃山時代となる天正中期頃(1558-1581)の寺院建築と推測され、創建当初の寄棟造の茅葺屋根から変遷した姿も凡そ明らかとなった。
    <横山研:2022年度院生1名担当>

  • 平山家住宅を事例とした茅葺民家の研究

    平山家住宅を事例とした茅葺民家の研究

    埼玉県熊谷市所在の平山家住宅は江戸時代中期建立された県内最大規模の農家住宅であり、この地で名主を務めた旧家の様相を知るにも貴重な歴史遺産であることから、昭和46年(1971)に国の重要文化財に指定された。以後、維持保全のための全解体修理が昭和50年(1975)~昭和52年(1977)に掛けて実施され、その23年後となる平成12年(2000)には、茅葺屋根の全面葺替え工事が行われたが、現状は破損劣化の著しい進行が確認された。
    今研究ではこの平山家住宅を事例として、茅葺民家が抱える課題を多角的に抽出する。茅葺民家の今後の維持保存に関して所有者の意向を踏まえ、関係する地元教育委員会との連携を図りながら、実態に即した維持保存のための手法案を取り纏め、近い将来に策定される平山家住宅保存管理計画書に寄与する基礎的な研究資料として提言した。
    <横山研:2022年度院生1名担当>

  • 第5期 東松山市内における社寺建築悉皆調査

    第5期 東松山市内における社寺建築悉皆調査

    2018~2021年度にかけて実施してきた調査の最終年として、2022年度は「高坂地区」の悉皆調査を実施した。1次調査から3次調査まで含めると、神社14件・寺院17件・石造物170件の合計201件の調査を実施した。
    5カ年度事業となった社寺建築悉皆調査の総括を、神社・寺院・祠に大別し、更にその中を①大岡地区、②松山地区、③野本地区、④唐子地区、⑤高坂地区に分類整理し、その考察と総括を行った報告書を編集した。
    <横山研:2022年度ゼミ生4名担当>

  • 巌殿山正法寺仁王門の調査・図面制作

    巌殿山正法寺仁王門の調査・図面制作

    東松山市岩殿に所在する巌殿山正法寺は真言宗智山派の寺院であるが、古式な密教伽藍形態の最下部に位置する仁王門の調査を実施した。仁王門は梁間三間、奥行二間の三間一戸、単層八脚門、桟瓦葺の建物であり、江戸時代末期に焼失後、大正年間に造替られている。
    詳細調査を進めると、懸魚や天井板が付帯していた痕跡なども発見された。
    <横山研:2022年度ゼミ生1名担当>

  • 常安寺米山観音堂の調査・図面制作

    常安寺米山観音堂の調査・図面制作

    東松山市西本宿に所在する米山観音堂は、正面3間・奥行1間で精巧な胴羽目彫刻などが施される他、特徴的な形態は入母屋造りの屋根中央部に腰屋根が付帯していることである。米山観音堂の正確な建立年代は不詳であるが、御堂に備わる祭典幕に昭和35年(1960年)の銘があり、その頃に御堂が完成したと見られている。
    <横山研:2022年度ゼミ生1名担当>

  • 慈眼寺馬頭観音堂・厨子の調査・図面制作

    慈眼寺馬頭観音堂・厨子の調査・図面制作

    慈眼寺は真言宗智山派の寺院で、安土桃山時代の文禄年間(1592-1596)に開山された。現存の観音堂は、江戸時代末期の嘉永6年(1853)に再建され、その後昭和57年に建具や基礎など一部が現代風に修理された。建物規模は正面3間・奥行4間の妻入り入母屋造りとなっており一間間の向拝が備わっている。内部は内・外陣に空間が区分され内陣中央には寛文6年(1666)に奉安されたとされる馬頭観音坐像が厨子内部に祀られ、300年以上に渡り絶えることなく信仰を高めている。文政年間(1818~1830)には厨子が再建修理されている。
    <横山研:2022年度ゼミ生1名担当>

  • 真観寺仁王門の調査・図面制作

    真観寺仁王門の調査・図面制作

    埼玉県行田市小見に所在する真観寺仁王門は、元文4年(1739)に建立された楼門造りの仁王門であり、創建当初は瓦葺きであったことが史資料調査で明らかとなった。しかし、本瓦か桟瓦であったかは不明であったが、偶然にも仁王門脇の切り株を抜根したところ、そこから創建当初の瓦の断片が出土した。これを調査したところ、近世の江戸式桟瓦であったことが判明した。出土した瓦断片が決めてとなり、創建当初の復原図面も作成が適ったが、この仁王門の歴史的な価値を一層高めることができた。
    <横山研:2022年度ゼミ生2名担当>

  • 長光寺阿弥陀堂空殿の調査・図面制作

    長光寺阿弥陀堂空殿の調査・図面制作

    行田市須加に所在する曹洞宗長光寺阿弥陀堂は長光寺の境外仏堂であったが、現在、境内に移転のための建替工事が行われている。阿弥陀堂内に備わる空殿は、正面柱間芯々が三尺五寸(1061㎜)、側面柱間芯々が一尺七寸五分(530㎜)で、屋根形状は向破風入母屋造で正面に軒唐破風が備わる。この阿弥陀仏に桂昌院が目の病気を煩って回復を祈願したところ、病が治ったとの言い伝えが残されている。このためか、空殿桟唐戸には徳川家の三つ葉葵紋が錺金具として使用されており、調査の結果、桂昌院の子供となる五代将軍徳川綱吉の紋章に近似していることが判った。恐らく実母の病の回復を御仏に感謝するため、空殿を建立したものと推測される。
    <横山研:2022年度ゼミ生1名担当>

  • 金剛寺宝篋印塔の調査・図面制作

    金剛寺宝篋印塔の調査・図面制作

    川島町に所在する金剛寺は、平安時代初期頃から比企氏との関係があったとされる古寺である。また、比企氏は平安時代後期から鎌倉時代初期にかけて源氏に仕えた御家人でもあったが、比企の乱で北条氏に滅ぼされてしまった。しかし、生き残った一族の末裔が徳川敬に仕え、その比企家墓地が宝篋印塔として金剛寺境内墓地に位置していた。このため、御寺からの依頼を受けて調査を実施したが、この形式は江戸時代から制作されるようになった関東式宝篋印塔であり、同じく鴻巣の正願寺境内墓地に位置する江戸時代初期の牧野家宝篋印塔との共通点が多く確認できた。
    <横山研:2022年度ゼミ生1名担当>

  • 10

    イサミスクール工場 モルタル蔵の調査・図面制作

    イサミスクール工場 モルタル蔵の調査・図面制作

    この建物は主要構造を木造とする2階建て、平入りのモルタル蔵である。この建物規模は間口三間半(6363㎜)×奥行二間半(4545㎜)の総2階建てとなり、小屋組は柱上の軒桁に小屋梁を架け渡す和小屋の京呂組形式となっている。大正期の関東大震災を境に、真物の石よりも軽く、低予算で工期の短縮が図れ、更に重厚かつ防火性能の機能を備えた擬石造りの蔵が出現し始めるが、正にその時代背景によって建立された蔵であったことが調査によって明らかとなった。
    <横山研:2022年度ゼミ生1名担当>