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カリスマ性は不要、必要なのはリーダーシップ | 『新しい現実』より |
「新しい現実を踏まえた政治のモットーは、カリスマを警戒せよでなければならない」(『新しい現実』) ドラッカーは、二十世紀ほどカリスマ的なリーダーに恵まれた世紀はなかったという。その代表格が四人の巨大なカリスマ、ヒトラー、レーニン、スターリン、毛沢東だった。 そもそもカリスマは唯一無二とする万能薬まがいのプログラムを手にしない限り、なにもできない。それら万能薬を強制するうえで力を発揮できるにすぎないからである。 ところが、いまやそのようなプログラムが存在しない。したがってカリスマ的リーダーはまったく不要である。リーダーシップは必要である。しかしそれは、今日リーダーシップと名づけられ喧伝されているものとは違う。それはいわゆるリーダー的資質とは関係ない。カリスマ性とはさらに関係ない。 リーダーシップにはいささかの神秘性もない。それは平凡で退屈なものである。 リンカーンほどカリスマ性のない人物はいなかった。チャーチルにもカリスマ性はなかった。 それどころかカリスマ性はリーダーたらんとする者を破滅させる。ほかならぬそのカリスマ性が、自らの不滅性を妄信させ、柔軟性を奪い、変化不能とするからである。 「リーダーシップの本質は行動にある。リーダーシップそれ自体はよいものでも望ましいものでもない。それは手段である」(『未来企業』) |
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