執筆コラム 3分間でわかるドラッカー [25]
−「経営学の巨人」の名言・至言(週刊ダイヤモンド)

教育の重要度は増すのになぜ学校は退屈なのか
『断絶の時代』より



 「誰もが教育を大事にし充実せよと言う。だがその費用に見合うものを得ていると思う者はいない」(『断絶の時代』)
 教育は放っておくにはあまりに重大になった。知識社会では、キャリア、機会、昇進を左右するからだ。
 だが、教員の生産性が低過ぎる。必要とされる教育の水準が急激に高くなった。教員の生産性を上げ、成果を上げさせ、彼らの知識、技能、努力、献身の収穫を増大させなければならない。
 ドラッカーは、生徒や学生の成績不振は学校の責任であり、教員は恥ずべきだと言う。教育者も自分の成果には責任がある。成績の悪い学生を責めることは許されない。
 すでに生徒や学生が反旗をひるがえしている。教室で教えていることが退屈で無意味であるとしている。教育の重要度は増しているというのに。
 学校はもはや新しい世界への窓ではない。唯一の教育の場でもない。古びた代用品にすぎない。なぜなら幼児でさえ、テレビなどを通じて生々しく世界を見ている。今日の電波、通信、メディアはその方法と形態において、コミュニケーションの達人であるからだという。
 「子供たちはなぜ学校が退屈きわまりないのか、息が詰まるだけのところになっているのかを知らない。しかしテレビの水準に慣れ親しんだ彼らは、今日の教え方では受けつけない。許された唯一の反応が勉強をしないことである」(『断絶の時代』)



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