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「知りながら害をなすな」がプロの倫理 |
『エッセンシャル版マネジメント』より |
「マネジメントたるものはすべて、リーダー的地位にあるものの一員として、プロフェッショナルの倫理を要求される。それはすでに、二五〇〇年前のギリシャの名医ヒポクラテスの誓いのなかにはっきり表現されている。知りながら害をなすな、である」(『エッセンシャル版マネジメント』) 顧客となるものから、「プロたるものは知りながら害をなすことはない」と信じてもらえなければならない。これを信じられなければ何も信じられない。 企業倫理なるものが企業に特別課されているかについては、大いに議論がある。企業の社会的責任なるものが、本業のほかに何を含むかについても、大いに議論がある。 しかし、プロたるものは知りつつ害をなすことはないと確信できなければ、世の中というものが成立しないという。 ウィルス入りということを知りつつ医師に血清を投与されたり、食品メーカーが食品製造機にカビを生やしていたのではたまらないからだ。 「知りながら害をなすなの原則は、今日の社会的責任に関する宣言の類に見られる政治性に比べるならば、いたって平凡に思われる。もちろんこれは、医師たちにはずっと前からわかっているように、守ることの容易なものではない。そしてまさにこの平凡さが、知りながら害をなすなの原則をマネジメントの倫理、すなわち責任の倫理にとってふさわしいものとする」(『マネジメント』) |
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