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「環境問題」は 人類全体の問題であるとの 共通認識なくしては効果なし |
『新しい現実』より |
「今後ますます、生態系に対する配慮、つまり危機に瀕した 人類の生存環境の保護を政策に織り込むことが必要になってくる」 (『新しい現実』) ドラッカーは、生態系に対する問題意識と政策は、国境を超えざるを えないという。危機にあるのは、人類の生存環境、すなわち人類そのもの だからである。 ところがわれわれは、いまだに、人類とは別の、人類から切り離された 何物かを守るという意味で環境保護という言葉を使っている。 このことをドラッカーは憂える。 完全に局地的な環境問題であっても、そのもたらす影響は局地的では ない。環境汚染に国境はない。 したがって環境の保護には、生態系にかかわるグローバルな法、すなわち 国際法が必要となる。 一九三〇年代のニューディール時代、米国の連邦政府は、児童労働に よって生産された製品が州境を越えることを禁止することで、 南部諸州の頑強な反対を押し切り、児童労働を事実上禁止した。 ドラッカーは八九年、この例に倣って、海洋の汚染、地球の温暖化、 オゾン層の破壊など、人類の生存環境の汚染と破壊を伴って生産された 財については、貿易を禁ずることを提案した。 たとえ、自由貿易に対する干渉ではあっても、それは必要な干渉である とした。 「環境の破壊は地球上いずこで行なわれようとも、人類全体の問題であり、 人類全体に対する脅威であるとの共通の認識がなければ、効果的な行動 は不可能である」(『新しい現実』) |
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