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現代社会における“知識”は 専門分野では定義できない “学際的”たらざるをえない |
『断絶の時代』より |
「知識の世界は流動してやまない。今日の学部、学科、科目も意味を失う。もともとそれらのうち歴史をもつものはほとんどない」 (ドラッカー名著集F『断絶の時代』) ドラッカーは、生物学と心理学、経済学と行政学、社会学と行動科学、論理学と数字、統計学と言語学などを分ける境界が無意味になったという。これからは、学部、学科、科目の境界が陳腐化し、理解と学習の障害になる。 これまで、知識の探求と成果は、応用から切り離されていた。研究対象ごとに、知識の論理に従って組織されていた。学部、学科、科目、さらには学位、高等教育の全体系が、専門別に組織されていた。市場志向でなく、製品志向だった。 ようやく今日、知識とその探求が、専門分野別ではなく、応用分野別に組織されるようになった。“学際研究”が急速に進歩した。 現代社会の動力源としての“知識”は、仕事に使われて初めて意味を持つ。もはや仕事は、専門分野によっては定義できない。目的は、常に学際的たらざるをえない。 これまでわれわれは、知識とその探求において、優先順位や限界について考えなければならなくなるとは夢にも思わなかった。しかし、他のあらゆるものと同じように、もはや知識も絶対的な善ではありえない。 「知識の探求において、優先順位の決定は容易ではない。だが、知識の探求には限界がある。使える資源に限りがある。ただし、不足しているのは、資金ではない。そもそも研究を行うのは金ではない。人である」 (『断片の時代』) |
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