連載インタビュー 「入門ピーター・ドラッカー−8つの顔」
(週刊東洋経済2001.6.9−7.28)

4: マネジメントの知識こそが ─── 現代の万人のための帝王学


編集部:ドラッカーの青年時代の顔とはどのようなものなのでしょうか。

 ドラッカー自身、その構想力、分析力、情報量は、若い頃から並外れていた。天才的な頭の良さに加えて猛烈に勉強していた。
 高校を出た後、学校にあきあきしていた彼は、実社会に出たくて商社に就職する。すでに沈滞をはじめていたウィーンを出てドイツのハンブルグに行く。ハンブルグ大学に籍をおいたのは、親の手前だったという。そうはいっても、仕事の後は毎日が図書館通いだった。ただし週末にはよくハイキングをしたらしい。
 一年ちょっとでフランクフルト大学に籍を移し、証券会社に入る。わずか一九歳で景気上昇を予測する論文を書いて経済誌に掲載される。ところが、最新の理論モデルとデータを駆使した論文が出た直後、あの株式大暴落が起こる。それ以来、彼は理論による予測、特に数学モデルを使った予測は一切やめたと言っている。
 勤めていた証券会社が潰れた後、新聞記者になる。ここですぐに国際問題と金融問題を担当する論説委員に抜擢され、日によっては一日二本論説を書くという生活を送る。彼自身の言葉によれば、飛び抜けて優秀だったからではなく、第一次大戦後のドイツでは、三〇代、四〇代の働き手の多くが戦死していたため、若手の論説が起用されていただけだという。それにしても大したものである。ドラッカーにはときとして必要以上に謙遜する癖がある。
 とはいえ、彼は当時の心構えについて、知っておくべきことで知らないことはない状態になろうと決心していたという。パンテオンの屋根におかれた彫像群の作者フェイデイアスが、誰の目にも見えるはずのない背中部分について支払いを拒んだアテネの会計官に対し言った言葉「神々が見ている」こそ、若き日のドラッカーのモットーだった。

全体を全体として知覚することの大切さ

 二一歳で博士号をとり、大学在学中に主任教授の代講までしている。ちなみにそのときの下級生であり、代講相手の学生だったのが、ドラッカー夫人となるドリス・シュミットである。彼女とは後日、ロンドン時代に、ピカデリーサーカスの地下鉄のエスカレーターで上行きと下行きですれ違うという劇的な再会をして恋が芽生える。
 ちょうどこのフランクフルト時代、後にナチスの幹部になった学友に勧められたナチ入党を断る。ナチが政権掌握直後に提供してきた情報省の仕事も断る。それどころか、すでに社会の継続と変化について問題意識を持っていた彼は、継続のメカニズムとしての法治国家の生みの親の一人、議会主義者F・ユーリス・シュタールについての評論を書いて、名門出版社モーア社の、政治法律叢書100号記念として出版されるという破格の扱いを受ける。
 シュタールはプロテスタンティズムの再興者でありキリスト教徒だったが、人種的にはユダヤ人だった。ユダヤ人を評価した論文がナチの気に入るはずがない。事実、出版の二週間後、禁書にされ焚書される。そしてドラッカー自身、立憲政体を信奉する保守主義者のキリスト教徒として、ドイツでは教職に就くことも文筆を生業とすることもできないと悟り、イギリスに渡る。
 ドラッカーは若いころから構想力、分析力に優れていた。それでいながら、観察することの大切さ、全体として知覚することの大切さを説き続けてきた。最近では環境問題、途上国問題、教育問題など、21世紀の重要課題はすべて、全体を全体として捉える能力によってのみ解決が可能であると断じている。英語でいうならば、コンシーブ(conceive:理解する)よりも、パーシーブ(perceive:知覚する)、左脳よりも右脳、分析よりも観察が大事だといっている。事実、彼もわれわれにおなじみの右脳・左脳という言葉を使って説明している。
 ドラッカーは数字に弱いという人がいる。とんでもないことであって、彼は大学で統計学を教えていたこともある。数字をそれほど重視しないのは、数字になったときには過去のもの、意味のないものになっているからにすぎない。明日を変える重要なことは、残念ながら定量化になじまないというのが彼の考えである。

ロンドン時代の雨宿りがドラッカーと日本を結びつけた

 かつて駐日大使のライシャワーが日本人は構想力や分析力が弱いと書いたとき、ドラッカーは「構想力や分析力は弱いかもしれないが、ヨーロッパが膨大な神学の体系を組み立てていたころ、日本は知覚の華たる『源氏物語』を生んでいたではないか」と言ってくれた。彼が日本に寄せる期待や愛情の一因はここにもある。
 ドラッカーの日本画、特に水墨画の収集と知識は一級品である。日本の主要都市のデパートで公開したことがあるほどだ。
 大学で東洋画の非常勤講師を務めたこともある。彼によれば日本画と中国画は、似てはいても根本的に違う。中国人は日本画を前にしては落ち着けない。日本画が書いているのは、物よりも空間だという。
 そもそも日本との最初の出会いが、ロンドン時代に雨宿りに飛び込んだ画廊でやっていた日本画展だった。あまりの衝撃に、それ以来、日本画の虜になってしまった。同時に日本という国に強烈な関心を持ち続けることになった。

編集部:ドラッカーはマネジメントの基本をどうとらえていますか?

 昔は国王、領主の治世いかんによって、国民、領民の幸せが左右された。そこで帝王学なるものが生まれた。会社でもつい近ごろまで、社長の経営次第で会社の運命、社員の幸せが左右された。リーダーの才覚で成功するか失敗するかが分かれた。
 ドラッカーは、これからはそうではないという。組織の構成員一人ひとりが自らを律する帝王学を身に着けなければならない。万人のための帝王学として書いたものが、三五年も前の著作『経営者の条件』(1966年)である。今も増刷され広く読まれている。マネジメントの知識こそ現代における帝王学である。

企業経営三つの役割

 マネジメントについてドラッカーは、三つの役割を言っている。
 第一は、それぞれの組織に特有の社会的機能をまっとうすることである。事業を通じて社会に貢献することである。新聞社であればよい紙面作りに努め、八百屋であれば安くて新鮮な野菜を売ることである。社会に貢献する気のない組織はギャング団ぐらいのものである。他の組織はすべて、社会に貢献するからこそ、存在を許され、場所を占有し、人を雇用し指示することを許されている。
 第二は、それぞれの組織にかかわりを持つ人たちが生き生きと生産的に働けるようにすることである。社会的な存在としての人間は、自らの能力を存分に発揮し、自己実現し、社会に貢献することを求める。特にこれからは、生き生きと生産的に働くことのできない組織からは、人が去っていくという時代になる。
 第三は、世の中に悪い影響を与えないことである。自らの存在と活動のゆえに世の中に与えるインパクトをなくすことである。少なくとも最小限にとどめることである。物を作っているのであれば、どうしても音が出るであろう。だが、音量は極力、小さくしなければならない。ドラッカーはそれらの迷惑は極力、小さくしなければならないという。
 さらに一歩進み、組織の強みを用いて、社会の問題を解決することだという。できれば事業化することだ。電力会社、自動車メーカー、コンビニ、病院、いずれも社会のニーズを満たすことが事業となっている。このことはあらゆる事業についていえる。ドラッカーのいう組織の社会的責任とはこういうことである。 
 企業の社会的責任という名の、何か特別の責任が存在するわけではないと強くいう。社会の特定の人、層、機関に特別の責任を与えることは、政治学的に間違いである。ヨーロッパでは、はるか昔に葬られた考えである。
 近代企業の生まれるずっと前、あの『パンセ』(1670年)のパスカルが指摘したとおりである。特別の責任を課すならば、特別の権限を与えることになる。権限に責任が伴うように、責任には権限が伴う。
 マネジメントにとって利益とは、これら三つの役割を明日も果たしていくための必要条件である。同時に仕事ぶりを測る尺度である。目的ではない。必要条件のほうが、目的よりもきつい。尺度もまた目的よりもきつい。
 私自身、経団連で働いていた三十数年の間、金儲けのために企業を経営しているなどという経営者には一人も会っていない。ドラッカーのいうように、利潤動機というものは存在しない。利益とは社会の公器としての企業がその役割を果たし続けていくためのコストであり、条件である。そして成果の判断基準である。
 ドラッカーによれば、そもそも利潤動機なるものの実在が怪しい。経済活動の動因を説明できなかった古典派経済学が空想したものにすぎないという。

「当たり前」ということのすごさ

 心理学には物欲、性欲、食欲はあっても、利潤欲なるものはない。物欲によって事業をしている人など、どれだけいるのだろうか。利潤欲とは、経済についての学問の根幹に据えるだけの、普遍性のある存在なのだろうか。しかもこの利潤動機という言葉が、ドラッカーによれば、企業活動に対する無用の反感と誤解を招いている。困ったことに経営者自身が、金儲けのために働いていないのに、この利潤動機という言葉を軽はずみに使っている。企業のよい点は、利益という必要条件が存在することである。つまりは倒産する機能が内在化されていることである。倒産するという機能は、自由企業体制なる制度の最も優れた点である。この機能を奪うならば、国営やボランティアで運営しても同じことだ。その意味では、かつての住専問題近くはそごう問題で、公的資金、つまり税金を使おうとしたときの世論の反発は正しい。つぶれるということは、経営に誤りがあった証拠である。
 それがはっきり目に見える形に表れるところが、企業体制のすばらしいところだという。この言葉をドラッカーから聞いたときには、正直言ってどきっとさせられた。彼の言うことは常に当たり前のことである。強いていえば、忘れられがちな当たり前のことだからこそのすごさがある。
 経営者が会社をつぶすことは、本業によって社会に貢献できず、社会からの預かりものである人材を生き生きと働かせられず、地域社会に害をなすという点で、先に述べた三つの役割のどれも果たせなかったことを意味する。いかに仕方のないことだったと弁解しても、最大の無責任ということである。
 ドラッカーはこれに加え、仕事のプロとしての倫理があるという。すなわち、知りながら害をなすなである。これは古代からの医師の倫理、ヒポクラテスの誓いである。これこそまさにプロとしての倫理である。ここにも当たり前のすごさがある。ところが昨今、日本では知りながら害をなしたという不祥事がいくつか起こっている。ドラッカーに言わせれば、社会的責任に反する行為として最大の罪である。第一の役割としての事業を通じて社会に貢献するということは、社会のニーズに応えるということである。つまるところ客を創り、客を満足させるということである。ドラッカーのマーケティング論の真髄はここにある。

マーケティングの理想は販売活動を不要にすること

 ドラッカーによれば、客とは、企業にとっては財・サービスを買ってくれる消費者であり、病院にとっては病人であり、大学にとっては学生である。ここにおいて、客となるべきでありながら客になっていない人たち、つまりノンカスタマーへの関心が事業の明日を決する。ノンカスタマーに注意しなかったために衰退していく業種、企業は多い。変化はノンカスタマーから起こるからである。このノンカスタマーの概念とその重要性を明らかにしたのもドラッカーだ。
 デパートは自分の店の顧客については十分なデータを持っていたという。しかしそれでは、新種の膨大な消費者、たとえば営業時間中に買い物に行くことのできない、働く女性を満足させることはできなかった。気がついたときは遅かった。事業とは顧客の創造であるとのドラッカーの言はあまりに有名である。
 客を創ることをマーケティングという。マーケティングとは販売活動の総称ではない。販売活動を不要にすることこそ、マーケティングの理想である。逆に、消費者運動こそマーケティングの恥である。
 これもインタビューで聞いたことだが、これからは、およそあらゆるものが、アウトソーシングの検討の対象になるという。聖域はない。そこに働く者がその分野で一流であってもトップになれない仕事は、すべてアウトソーシングの対象となる。経理や研究開発も例外でない。そうすると、どうしてもアウトソーシングできない分野として残るものは、何か。この問いに対するドラッカーの答えがマーケティングである。マーケティングこそ、あらゆる事業にとって不可欠の機能である。
 ドラッカーは組織の存在価値は組織の外の世界にある、組織の成果は外にあると口を酸っぱくして言ってきた。組織は一義的に社会のためのものだ。そこにいる人間のためのものではない。しかしこの当然のことが忘れられる。客よりも会社、会社よりも上役という思考では明日はない。これは何も会社にかぎったことではない。あらゆる組織にいえる。

お薦めの二冊
『経営者の条件』(1967年)
『マネジメント――課題、責任、実践』(1974年)
【ともにダイヤモンド社刊】



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