連載インタビュー 「入門ピーター・ドラッカー−8つの顔」
(週刊東洋経済2001.6.9−7.28)

5: チェンジ・リーダーの条件 ─── 価値創造のイノベーション


編集部:ドラッカーはイノベーションの大家としての顔もあります。

 社会は、継続と変化の双方が実現して発展する。継続と変化の相克をいかに乗り越えるか。ドラッカーが二〇歳のころからの、変わることのない問題意識である。組織もそうだ。継続だけでは衰退する。知識が中心となる変化の時代では、継続だけでは明日はない。他方、変化だけでは組織でなくなる。蓄積もなければ、他の組織との協業もない。
 組織は変化のためのメカニズムを内部化し、変化を創造し続けなければならない。日々の改善であり、既存の製品・サービスの進化であり、価値の創造としてのイノベーションである。これがドラッカーの言う、チェンジ・リーダーの条件のエッセンスである。考えてみれば、ドラッカー自身がこれらのことを、身をもって実践してきた。
 組織が変化の先頭に立って繁栄していくには、イノベーションが欠かせない。ドラッカーはあらゆる事業に不可欠の機能として、マーケティングとともに、このイノベーションを挙げている。
 企業は安定を求めた途端、不安定になる。すぐに別の企業あるいは産業が、安くてよい製品やサービスで市場を奪う。IT革命後は特にそうなる。聞いたこともない企業、関係ないと思っていた産業が、市場を奪う。何でもあり、誰でもありの時代である。力を失うブランドが次から次へと出てくる。

生き残るために自らを陳腐化させる

 明日のことはわからない。わからないからこそ、自分で明日を作ることが必要となる。自分で自分を陳腐化しなければならない。そのほうが、結局はリスクが小さい。これからは先端に立つためではなく、単に生き残るためにも、チェンジ・リーダーたることが求められる。そのためには、変化を歓迎する気風を組織の中に育てておくことだ。幸いドラッカーは『イノベーションと起業家精神』(1985年)で起業家精神の方法論を述べている。
 ドラッカーがこの領域に最初に取り組んだのは、実に1950年代の半ばである。企業やNPOの幹部を教えるニューヨーク大学大学院の夜間セミナーでのことだった。当時、ドラッカーは1000を超えるイノベーションの事例を調べている。彼の教えるイノベーションの方法論は、想像によるものではない。
 知識を中心とする時代とは、変化が常態となる時代である。当然、企業は変化を続けなければならない。そのとき、一人ひとりのマネジメントの能力が大きな力を発揮してくる。今、求められているマネジメントの能力は、継続のマネジメントではなく、変化のマネジメントのためのものである。
 1900年〜1965年の間に発展した継続のマネジメントから、一皮むけた変化のためのマネジメントが必要になっている。驚くことにドラッカーは、1900年〜1965年は継続の時代だったと言っている。言われてみればそのとおりである。自動車産業を始め、今日の大きな産業のほとんどが、19世紀後半に生まれている。
 個々の企業だけでなく、産業そのものもまた、イノベーションを怠ると衰退の道を歩み始める。扱う製品やサービスが、利益のあがらない市況品になっていく。そこへ新商品・サービスを手に別の産業が参入してくる。金融サービス業が、今置かれている状況がその典型だ。IT革命を追い風に、今やコンビニまで金融サービス業に進出してきた。金融サービス業の商品が市況品になってしまったからだ。市況品の扱いはコンビニの方が上である。
 金融サービス業では、もう30年もイノベーションを行っていない。カードによる個人融資ぐらいのものだ。デリバティブは業界内のゼロ・サム・ゲーム用のテクニックにすぎない。ドラッカーが二年前に書いた「イノベーションか、廃業か――金融サービス業の岐路」(『ジ・エコノミスト』1999年9月25日号、『チェンジ・リーダーの条件』に収載)は、世界の金融サービス業に衝撃を与えた。
 日本では、澁澤榮一の後に、はたして何人の澁澤榮一が現れたただろうか。ドラッカーが最も高く評価する日本人経営者が澁澤榮一だ。
 これらのことは企業以外の組織についてもいえる。むしろ、企業のような競争下にない組織、特に政府関係機関についていえる。

編集部: 変化の時代における一人ひとりの人間の生き方について、ドラッカーは何と言っていますか。

 不得手なことで一人前になるには、大変な時間と労力とコストがかかる。並のレベルに達するだけでも大変である。ところが得手なことで一流になるのは、至って簡単である。やがて一人ひとりの人間が、それぞれの得意とする分野で能力を伸ばすことができない学校、大学へは誰も行かなくなる。学校は不得意なことを補うところではなく、得意なことを伸ばすところにならなければならない。ドラッカーはその日が本当の教育革命が成就したときだという。
 習得すべき専門の知識の総量が多くなることは避けられない。そうすると、一八歳から二二歳の間大学に行って終わりというのではなく、三年から五年ごとに大学に戻り、新しい知識を身につけて再び仕事に戻るという、学習と実践のフィードバックが必要になる。医学やIT、バイオ、環境問題など、動きの速い分野については、特にこのことがいえる。
 自動車の免許証さえ書き換えが必要というのに、なぜか日本だけは、医師の継続学習と免許の書き換えが義務づけられていない。日進月歩の知識社会では、継続教育が慣行となっていく。
 これからは誰もが自己啓発に取り組まなければならない。そこでドラッカーは、置くべき場所に自らを置かなければならないという。

”自分の強み”を本当に知る

 知識労働者は、自分を雇っている組織よりも寿命が長くなる。今日の平均寿命では、八〇歳代まで生きることを覚悟する必要がある。非常勤かもしれないが七五歳前後までは働ける。意外と早くそうした社会になる。人口の高齢化が進むなかで、六〇歳で働くことを強制的に禁止できるほど現代社会の生産性は高くない。ドラッカーの問題意識はここでも具体的である。六〇歳で全員に働くことを辞めさせたのでは、社会が扶養の重荷に耐えられない。定年の延長ないし禁止は、社会的な要請である。
 働く者、特に知識労働者は働き続けることを望む。こうして平均労働寿命は五〇年に及ぶようになる。まさに「五〇〜六〇歳花なら蕾、七〇〜八〇歳働き盛り」である。私が六〇歳になったとき、ドラッカーが面白いのはこれからだ、自分の知的生産性も六〇歳を過ぎてから飛躍的に伸びたと書いてきてくれた。
 そもそも会社の平均寿命が三〇年そこそこである。今日のような激動の時代にあっては、会社はそれだけの寿命を保つことさえ難しくなる。長期存続が当然とされてきた組織、つまり大学をはじめとする教育機関、病院、政府機関も大きく変わらざるをえない。たとえ存続できたとしても、その構造、仕事、必要とする知識は変わらざるをえない。
 これからの知識労働者は、自らの属する組織よりも長生きする。ドラッカーは、まずこのことを前提として人生を設計しなければならないという。ここで大事なことが、自らの強みを早期に知ることである。強みについては、誰もがよく知っていると思っている。だが、大抵は間違いである。知っているのは、せいぜい得意でないことについてだ。下手の横好きは、遊びならよくとも、仕事では困る。
 何事かを成し遂げられるのは、強みによってだけだ。弱みは何物も生み出さない。幸い組織の妙味がここにある。組織の中で一人ひとりの人間それぞれの強みを生かし、弱みを意味のないものにすることが人事の要諦である。
 「会社のほうが自分より長生きする。会社のほうが自分よりもしっかりしている。会社に寄りかかっていれば大丈夫」という人たちよりも、「自分のほうが会社よりも長生きする。自分のほうが会社よりしっかりしている。会社に寄りかからなくとも大丈夫」という人たちのほうが、仕事はできるし、会社としてもはるかにありがたい存在だ。
 仕事の仕方についても同じことがいえる。仕事の仕方も人それぞれ。それが個性である。ドラッカーは、なぜかはわからないが、仕事の仕方についての個性は仕事に就くはるか前に形成されているという。したがって、仕事の仕方も、強みと同じように与件だ。与えられたもの、決まったものである。変更はできない。少なくとも簡単にはできない。
 自分の強み、得意な仕事のやり方を発見することは難しくない。数年を要するかもしれないが、どのような分野で、どのような仕事のやり方が成果をもたらすかはわかるようになる。ドラッカーは、そのための手っ取り早い方法として、16世紀の半ばにカトリックのイエズス会とプロテスタントのカルバン派が採用していたフィードバック分析を推奨する。
 何か大きなまとまったことを行う際には、期待する成果をあらかじめ書き留めておき、何カ月後かにそれを実際の成果と比べてみる。そうすると、成果の側面から見た自分の得手不得手、分野と方法がよく分かるという。

優先すべきは自分の価値観

 ドラッカーは、自らが強みとするものと、自らが価値ありとするものとが違うときが問題だという。価値ありとするほうを優先させなければならない。景気が悪いと簡単にはいかないが、進路を大きく変えることである。所を得るべく動かなければならない。
 組織にも企業にもそれぞれの価値観がある。一人ひとりの人間にも価値観がある。成果を上げるためには、自分の価値観が仕事の価値観になじまなければならない。同じである必要はないが、共存しうるものでなくてはならない。さもなければ、心楽しまず成果も上がらない。
 強みとする分野と仕事の仕方が合わないことはあまりない。両者は直接的な関係にある。ところが自分がよくできること、しかも特によくできることが価値観に合わないことがある。世の中に貢献しているという実感がわかず、人生そのもの、あるいはその一部を割くに値しないと思われる。
 ドラッカー自身、若いころ得意で成功していたことと、自分の価値観との相違に悩んだことがある。1930年代の半ば、ロンドンの投資銀行で順風満帆だった。強みを存分に発揮していた。しかし金儲けでは世の中に貢献している実感がわかなかった。
 ドラッカーにとって価値あるものはカネではなく人である。金持ちになることに価値を見いだせなかった。大恐慌のさなかにあってカネがあるわけでも、ほかに職があるわけでもない。見通しが立っていたわけでもない。しかし彼は投資銀行を辞めた。それが正しい行動だった。
 こうして自分の強みは何か、自分の仕事のやり方はどのようなものか、自分にとって価値あるものは何か、という三つの問題に答えが出さえすれば、いわゆる得るべきところも明らかになる。
 ただしこれは、働きはじめた若いうちにできることではない。得るべき所を子供のころから知ることのできる者はわずかしかいない。

自らの得るべき所を知る

 相当の能力を秘めていてさえ、自らの得るべき所を知るのは二〇代後半過ぎだ。しかもフィードバック分析を行うことによってである。そうして初めて得意なことや自分流の仕事の仕方がわかってくる。これらのことがわかれば、得るべき所もわかってくる。逆にいるべきでない所も明らかになる。そこでドラッカーは、大組織で成果を上げられないことがわかったならば、大組織でよい地位を提供されても断らなければならないという。
 最高の仕事は、頭の中で計画してできるものではない。自らの強み、仕事の仕方、価値観を知ることで、用意していた者だけが手にできる。なぜならば自らの得るべき所を知ることによって、働き者で有能ではあるが、とりたてて才能があるわけではない普通の人が、超一流の仕事をできるようになるからである。
 これらのことは、ドラッカーが『明日を支配するもの』(1999年)で、微に入り細にわたって言っていることである。一度しかない人生。自らにとって価値のないことを追求していたのでは、あまりにもったいない。ドラッカー自身がそうだった。先の見通しもないのに退職してアメリカに渡り、新しい人生をはじめた。あの戦前の深刻な不況期に、である。
 自分について知っておくべき大事なことは、緊張や不安があるほうが仕事ができるか、安定した環境のほうが仕事ができるかである。どちらでもよいという人はあまりいない。
 さらに重要な問題として、意思決定者とその補佐役との、いずれとしてのほうが成果を出せるかである。補佐役さえいれば、自分の責任で自信をもって意思決定を行える人たちがいる。逆にナンバー2として活躍していたが、トップの座に就いた途端に耐えられなくなる人もいる。トップの座には意思決定を行える人が必要だ。
 これらのことから出せる結論は、自らを大きく変えようとしてはならないということだ。それではうまくいかない。
 それよりも、自らの得意とするもの、仕事のやり方、価値ありとするものを伸ばしていくべきだ。

お薦めの二冊
『イノベーションと起業家精神』(1985年)
『明日を支配するもの――21世紀のマネジメント革命』(1999年)
【ともにダイヤモンド社刊】



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