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人にとって経済は目的ではなく手段である |
『すでに起こった未来』より |
「私は、経済を支配的な領域として認めることはもちろん、独立した領域 として認めることもできない。 オーストリア学派の経済学者のように、経済的な領域を唯一の意味ある 領域とする考えはさらに認められない」 (『すでに起こった未来』) ドラッカー自身、政治や社会にかかわるあらゆる意思決定において、 経済的なコストを考慮に入れるべきことを強く主張してきた。 市場経済に代わるものをあまりに多く目にしてきたがゆえに、経済体制 としては、市場経済を支持するという。しかし、それでも、ドラッカーに とって、経済は唯一の領域ではなく、一つの側面にすぎない。 経済的な要因は、決定要因ではなく制約要因にすぎない。経済的な ニーズとその充足は、重要ではあっても絶対ではない。 したがって、ドラッカーは、自分は経済学者、エコノミストではない、と言う。 このことを彼は、一九三四年にロンドンのマーチャントバンクのエコノミスト としてケンブリッジ大学でケインズのセミナーを聴講して知った。 そのとき突然、ケインズおよび出席していた優れた学徒の全員が 「財と経済の動き」に関心を持っており、彼自身は「人と社会の動き」に 関心を持っていることを悟ったという。 「経済活動、経済機関、経済合理性は、それ自体が目的ではない。 非経済的な目的、すなわち人間的な目的や社会的な目的のための 手段である」(『すでに起こった未来』) |
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