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六五歳定年は誤り 高年齢者パワーをあなどるなかれ |
『変貌する経営者の世界』より |
「高年者が働くのは、怠けているよりも働きたいからである。 仲間が欲しいからであり、依存したくないからである。 これらの欲求が、経済的な理由と同じように、 あるいはそれ以上に、彼らの労働力市場への参入を促している」 (『変貌する経営者の世界』) 九六歳を迎える直前まで活躍していたドラッカーにしてみれば、 六五歳の定年退職が間違っていることは当然だった。 定年が六五歳に定められたのが、ビスマルク時代のドイツにおいてで ある。これが米国に導入されたのが第一次世界大戦時で、今日の平均 寿命と高年齢者の健康状態から計算すれば、当時の六五歳は今日の 七五歳に相当する。 ドラッカーは、六五歳定年は、元気な人たちをゴミ箱へ捨てているよう なものだという。彼らの反撃は当然である。しかも、六五歳定年は、年金 制度にとっても耐えがたい負担の原因となっている。 しかも彼ら高年齢者は、自らの主張を通すだけのパワーを持ちつつある。 ドラッカーは、この高年齢パワーを「パーマネント・マジョリティ」と呼ぶ。 先進国では、彼らの人口は増える一方であり、選挙での投票率も高い。 定年延長ないし定年制廃止は、政治的にも、経済的にも、不可避である。 いまや、年齢による強制退職は差別である。残された問題は、高年齢者 自身が納得する退職基準の構築だけである。 「かつては、年齢の故に退職する者などいなかった。高齢者そのものが いなかった」(『変貌する経営者の世界』) |
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