コソボ紛争をきっかけに日本の緊急人道支援は大きく変化した。1999年4月、NATO(北大西洋条約機構)の空爆を発端に、約50万人の難民が近隣諸国(アルバニア・マケドニア等)に流出。この状況に対して、国連をはじめ各国NGO、そして日本のNGOも緊急支援を行うため現地入りをする。そこでの光景は、写真に示すように、自らの土地を追われた人々が長距離の移動の末、疲れ果てて地べたに倒れこんで支援を求めている姿であった。日本のNGO数団体は、それぞれの専門性(医療、通信、建設等)を最大限に活かして、オールジャパン体制でこの支援に取り組み、ひとつの難民キャンプを設営するという計画した。しかし2ヶ月後、計画を実施する段階になって、コソボ紛争に対して和平合意が結ばれ、難民の帰還が急速に進んだ。この状況の変化に関係援助団体は翻弄され、その対応に追われた。結果、我々の活動の場は急遽、彼らの自国コソボ内における帰還支援へと変わっていった。

この経験から緊急支援を行う上での初動の重要性が大きな教訓となり、それ以後は、いつどこで紛争や地震が起こっても、人々に一日でも一時間でも早い支援を届けるための取り組みが始まった。

通常、難民キャンプでは家族用テントが配給されるまで、早くても1週間から2週間という時間がかかる。その理由は、非常事態下においての何万、何十万という数のテントの調達と輸送が困難だからである。その間、人々は野外で過ごすことになり、激しい暑さ、寒さ、雨などの悪天候に見まわれることも多く、体力的にも心理的にも極限状態に陥る。

打開策として当時所属していたNGOピースウィンズ・ジャパンにおいて、帝人株式会社との共同で緊急支援用大型シェルター「バルーンシェルター」を開発した。空気膜構造のシェルターは、骨材を持たないため非常に軽く、収納もコンパクトで、建方や解体も数時間でできる。これらの利点を最大限に難民キャンプ等の緊急の場に活用できるよう開発、研究を行なった。

バルーンシェルターは間口22m、奥行き5.8mと大型で、収容人数80人であるにも関わらず、本体梱包サイズが1㎥に収まり、更にコンパクトで60kgと軽量のため携帯性に優れている。難民発生時の緊急支援の初動調査段階で、スタッフとともに飛行機で輸送し、現地に搬入することが可能なため、人々に対して早期の仮居住空間の提供や、または緊急医療施設の開設が出来る。緊急支援NGOの現地入りの平均所要時間は、難民発生から約2~3日と早く、多くの人々を風雨から守ることができるバルーンシェルターは大いに活躍した。これまでバルーンシェルターは紛争地のみならず被災地で活用されている。海外では2001年インド・ブジ地震、2002年アフガニスタン国内避難民キャンプで使用され、国内災害では2004年新潟中越地震時に避難所として約400人の人々が2週間寝泊まりし、また2016年熊本地震でも使用された。

コソボ紛争 アフガニスタンでのバルーンシェルター
2004年新潟中越地震 400人の人が2週間すごす
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