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  • 創造しいモノ・ガタリ 01 ~ドラッカーの助言「まず模範となる人を探しなさい」~

    ものつくり大学では様々な教員が、それぞれの専門分野の教育・研究を行っています。「創造しいモノ・ガタリ」では、教育や研究にのめり込むきっかけとなったヒト・モノ・コトを起点に自身について語ります。第1回はドラッカー研究の第一人者である教養教育センターの井坂康志教授に伺いました。 Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学教養教育センター教授 1972年、埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、社会情報学。 現在行っている教育研究のきっかけを教えてください。 大学卒業後、編集とメディア・プロデュースの仕事に従事していたのですが、入社して数年の2001年にドラッカーについてのインタビュー記事を担当したのです。当時ドラッカーのリバイバル・ブームが巻き起こっていて、書店でも『プロフェッショナルの条件』『チェンジ・リーダーの条件』などが大ベストセラーとなっていました。 ドラッカーの著作のほぼすべてを翻訳し、日本の無二の友人でもあった上田惇生先生に8回にわたるロングインタビューを行ったのが、私とマネジメントとの出会いでした。 上田先生に接して、ドラッカー経営のフレームをはるかに超越したすさまじさに触れた気がしました。私は28歳で、本格的な活動領域を見定めようと考えていたことも手伝って、ほとんど直観的に「あ、この人についていこう」と感じたのをはっきりと覚えています。あのインタビューが私の人生と仕事にとっての岐路だったのだと今にして実感します。 それは、どんなインタビューだったのですか? 上田先生とはじめてお目にかかった2001年、ちょうど日本経団連からものつくり大学教授に移籍された頃でした。大学設立にかかる東奔西走のなか、都心で1時間足らずの時間をいただけたときの喜びは今も胸に残っています。初対面時は少し謹厳な印象でしたが、お付き合いするうちに人を年齢や立場で分け隔てしない、風通しのいいお人柄とすぐにわかりました。インタビューは総計80時間にも及ぶもので、「ドラッカーの8つの顔」と題して『週刊東洋経済』に8週にわたって連載されました。今も読むことができます。いわゆる経営やマネジメントだけでなく、ドラッカーの持つ幅広い発言領域にも言及し、人となりや思想・哲学にも踏み込んでいます。インタビューは英訳されて、当時存命だったドラッカー本人にも読んでもらうことができました。「私を知る上でこのインタビューにまさるものはない」との評価をいただけたのは、一生の思い出です。 上田先生との出会いからご自分が変容したと感じるのはどのようなことでしょうか。 上田先生からいただいた宝物はあまりにも豊か過ぎて簡単に要約できませんが、やはり「強みを見よ」とのメッセージだと思います。それまでは強みという言葉さえ知りませんでしたから、はっと胸を突かれたことを記憶しています。上田先生ご自身が、人の強みしか見ない方でした。人には多くの弱みがある一方で、強みも必ずあります。要は見ようとするかしないかだけの問題です。その強みに最大の仕事をしてもらうことが大事なのだと上田先生はよく語っていました。いわば強みをかなてこ代わりに世界の重たい扉をぶち破る感覚です。これはマネジメントの底流にある考え方でもあります。 2005年5月7日、ドラッカーへのインタビュー風景(クレアモントの自宅) 加えて、2005年5月、亡くなる半年前のドラッカーに会うことができた。一生ものの僥倖でした。強力な後押しをしてくださったのもやはり上田先生でした。ちょうどその頃上田先生とともにドラッカー学会設立に動き始めてもおり、ほかならぬ本人から学会設立の許諾と賛意を得るという得難い副産物もありました。 さらにもう一つ、上田先生の生き方自体が私にとって偉大な規範として作用したこともあります。あえて言えば、自分を一つの箱に閉じ込めてはいけない、二つ以上のフィールドを同時に生きなければならないということです。上田先生は日本経団連退職後、本学開学に合わせて教授に着任され、第二の人生を教育研究に移されました。大学を退職されてからは、独立翻訳家として卓越した訳業を成し遂げられています。上田先生には日本経団連職員、ものつくり大学教授、翻訳家の三つの顔があったことになります。人生百年とも言われる昨今、一つの分野にアイデンティティを預けるのはある意味でリスクなのですね。複数の課題を自らに課して、強みをエンジンにして多面的に貢献していく。そんな考えを上田先生から学んだように感じています。 どうして編集者から大学に転身したのでしょうか。 上田惇生先生と共著とともに。 専任教員として着任したのは2022年なのですが、ずっと前の2004年から上田先生とともに「マネジメント論」「一般社会学」などの社会科学系科目を非常勤講師として教えていました。起点をそこにとれば、ものつくり大学とのご縁は20年近くになります。ものつくり大学はテクノロジスト養成の高等教育機関です。上田先生はよく「畳の上の水練」ではいけないとおっしゃっていました。知識を頭の中だけに閉じ込めてはいけない。知識とは自由なものだからです。 私は出版社で本や雑誌など500点ほどを手がける機会に恵まれました。私の解釈では、編集者もアイデアを形にする意味では、テクノロジストの一種です。その体験を若い人たちと共有したいという思いはかねてからありました。ちょうど50歳を目前としていた時期でもあり、転身によい頃合いとも思えました。 教養教育センターでは、現在どのような活動を行っていますか。 学部向けの授業として「Druckerのマネジメント論」などの講義を持っています。学生とともに、とりわけ関心を惹く企業や団体を選定し、統合報告書やESGレポートの読解を通してマネジメント特性を分析する事例研究を行っています。研究としては、ドラッカーの残した書簡や講義などの一次資料を用いて、著作やコンサルティング活動の関係性の調査、それと第二次大戦後形成された日本的経営、経営ジャーナリズムに与えたドラッカーの影響を考察したりしています。 学外向けの活動としてはどのようなものがありますか。 社会人向けの講座をいくつか開講しています。2022年度は「現場で生かすマネジメント」として、中間管理職を想定した講義をオンデマンドで配信しました。時間管理、意思決定、フィードバック分析など比較的即効性の高いマネジメント手法についてお話ししています。2023年度は、お世話になった上田先生の人と業績を顕彰する意味で、「上田惇生記念講座 ドラッカー経営学の真髄」という連続講義を開講する予定です。上田先生と公私ともに親しくされた外部講師数名を招き、それぞれの視点からドラッカー経営学の要諦を語っていただくというものです。こちらもオンデマンドで配信されます。将来的には埼玉の地元中小企業、学校、病院等にドラッカーのマネジメントを広く活用していただけるプラットフォームづくりを行っていきたいと思っています。というのも、本学の位置する埼玉県には優れた資源が少なくありません。近隣の深谷市はドラッカーが尊敬した渋澤栄一翁の故郷でもありますし、高い技術を持つ中小企業も多く集積しています。私自身、近隣自治体の加須市出身でもありますので、地域に根差した発展に多少とも貢献できればと願っているところです。 最後にメッセージがあればお聞かせください。 生きていればもちろん失敗など数限りなくあります。歩いていれば誰でも転びます。転んでいない人は、まだ歩みを始めてさえいない人だと思う。そこで大切なのは、したたかに学び続けることですね。とくに歴史から学ぶことです。私はしばしば学生に「起こったこと・考えたことをその日のうちに書きとめておくように」と伝えるのですが、日記を書くことは時間を味方につけることであり、振り返りを通して自己成長に大きく寄与することは間違いありません。「あのとき、困難をこんな風に乗り越えたんだ」という自信にもなりますし、何より自分についての貴重なデータベースになります。それともう一つ。どこへいっても最初に尊敬できる人を探してほしい。この人から学びたい、こんな風になりたいという人を真っ先に探すことです。見つけ出したら、決して離れないことです。学べるものは何でも学ばせてもらうといい。きっと喜んで経験や知恵を分け与えてくれるでしょう。ドラッカーは常々若い人に、「まず模範となる人を探しなさい」と助言していたそうです。私自身若い頃に多くの尊敬できる方々をお会いできたことはつくづく幸運であったと実感します。上田先生やドラッカーは私にとってまさしくその最たる存在でした。若い方の心の片隅にとどめておいてもらえたら嬉しいと思います。 関連リンク ・教養教育センターWEBページ・上田惇生名誉教授連載インタビュー

  • 創造しいモノ・ガタリ 01 ~ドラッカーの助言「まず模範となる人を探しなさい」~

    ものつくり大学では様々な教員が、それぞれの専門分野の教育・研究を行っています。「創造しいモノ・ガタリ」では、教育や研究にのめり込むきっかけとなったヒト・モノ・コトを起点に自身について語ります。第1回はドラッカー研究の第一人者である教養教育センターの井坂康志教授に伺いました。 Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学教養教育センター教授 1972年、埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、社会情報学。 現在行っている教育研究のきっかけを教えてください。 大学卒業後、編集とメディア・プロデュースの仕事に従事していたのですが、入社して数年の2001年にドラッカーについてのインタビュー記事を担当したのです。当時ドラッカーのリバイバル・ブームが巻き起こっていて、書店でも『プロフェッショナルの条件』『チェンジ・リーダーの条件』などが大ベストセラーとなっていました。 ドラッカーの著作のほぼすべてを翻訳し、日本の無二の友人でもあった上田惇生先生に8回にわたるロングインタビューを行ったのが、私とマネジメントとの出会いでした。 上田先生に接して、ドラッカー経営のフレームをはるかに超越したすさまじさに触れた気がしました。私は28歳で、本格的な活動領域を見定めようと考えていたことも手伝って、ほとんど直観的に「あ、この人についていこう」と感じたのをはっきりと覚えています。あのインタビューが私の人生と仕事にとっての岐路だったのだと今にして実感します。 それは、どんなインタビューだったのですか? 上田先生とはじめてお目にかかった2001年、ちょうど日本経団連からものつくり大学教授に移籍された頃でした。大学設立にかかる東奔西走のなか、都心で1時間足らずの時間をいただけたときの喜びは今も胸に残っています。初対面時は少し謹厳な印象でしたが、お付き合いするうちに人を年齢や立場で分け隔てしない、風通しのいいお人柄とすぐにわかりました。インタビューは総計80時間にも及ぶもので、「ドラッカーの8つの顔」と題して『週刊東洋経済』に8週にわたって連載されました。今も読むことができます。いわゆる経営やマネジメントだけでなく、ドラッカーの持つ幅広い発言領域にも言及し、人となりや思想・哲学にも踏み込んでいます。インタビューは英訳されて、当時存命だったドラッカー本人にも読んでもらうことができました。「私を知る上でこのインタビューにまさるものはない」との評価をいただけたのは、一生の思い出です。 上田先生との出会いからご自分が変容したと感じるのはどのようなことでしょうか。 上田先生からいただいた宝物はあまりにも豊か過ぎて簡単に要約できませんが、やはり「強みを見よ」とのメッセージだと思います。それまでは強みという言葉さえ知りませんでしたから、はっと胸を突かれたことを記憶しています。上田先生ご自身が、人の強みしか見ない方でした。人には多くの弱みがある一方で、強みも必ずあります。要は見ようとするかしないかだけの問題です。その強みに最大の仕事をしてもらうことが大事なのだと上田先生はよく語っていました。いわば強みをかなてこ代わりに世界の重たい扉をぶち破る感覚です。これはマネジメントの底流にある考え方でもあります。 2005年5月7日、ドラッカーへのインタビュー風景(クレアモントの自宅) 加えて、2005年5月、亡くなる半年前のドラッカーに会うことができた。一生ものの僥倖でした。強力な後押しをしてくださったのもやはり上田先生でした。ちょうどその頃上田先生とともにドラッカー学会設立に動き始めてもおり、ほかならぬ本人から学会設立の許諾と賛意を得るという得難い副産物もありました。 さらにもう一つ、上田先生の生き方自体が私にとって偉大な規範として作用したこともあります。あえて言えば、自分を一つの箱に閉じ込めてはいけない、二つ以上のフィールドを同時に生きなければならないということです。上田先生は日本経団連退職後、本学開学に合わせて教授に着任され、第二の人生を教育研究に移されました。大学を退職されてからは、独立翻訳家として卓越した訳業を成し遂げられています。上田先生には日本経団連職員、ものつくり大学教授、翻訳家の三つの顔があったことになります。人生百年とも言われる昨今、一つの分野にアイデンティティを預けるのはある意味でリスクなのですね。複数の課題を自らに課して、強みをエンジンにして多面的に貢献していく。そんな考えを上田先生から学んだように感じています。 どうして編集者から大学に転身したのでしょうか。 上田惇生先生と共著とともに。 専任教員として着任したのは2022年なのですが、ずっと前の2004年から上田先生とともに「マネジメント論」「一般社会学」などの社会科学系科目を非常勤講師として教えていました。起点をそこにとれば、ものつくり大学とのご縁は20年近くになります。ものつくり大学はテクノロジスト養成の高等教育機関です。上田先生はよく「畳の上の水練」ではいけないとおっしゃっていました。知識を頭の中だけに閉じ込めてはいけない。知識とは自由なものだからです。 私は出版社で本や雑誌など500点ほどを手がける機会に恵まれました。私の解釈では、編集者もアイデアを形にする意味では、テクノロジストの一種です。その体験を若い人たちと共有したいという思いはかねてからありました。ちょうど50歳を目前としていた時期でもあり、転身によい頃合いとも思えました。 教養教育センターでは、現在どのような活動を行っていますか。 学部向けの授業として「Druckerのマネジメント論」などの講義を持っています。学生とともに、とりわけ関心を惹く企業や団体を選定し、統合報告書やESGレポートの読解を通してマネジメント特性を分析する事例研究を行っています。研究としては、ドラッカーの残した書簡や講義などの一次資料を用いて、著作やコンサルティング活動の関係性の調査、それと第二次大戦後形成された日本的経営、経営ジャーナリズムに与えたドラッカーの影響を考察したりしています。 学外向けの活動としてはどのようなものがありますか。 社会人向けの講座をいくつか開講しています。2022年度は「現場で生かすマネジメント」として、中間管理職を想定した講義をオンデマンドで配信しました。時間管理、意思決定、フィードバック分析など比較的即効性の高いマネジメント手法についてお話ししています。2023年度は、お世話になった上田先生の人と業績を顕彰する意味で、「上田惇生記念講座 ドラッカー経営学の真髄」という連続講義を開講する予定です。上田先生と公私ともに親しくされた外部講師数名を招き、それぞれの視点からドラッカー経営学の要諦を語っていただくというものです。こちらもオンデマンドで配信されます。将来的には埼玉の地元中小企業、学校、病院等にドラッカーのマネジメントを広く活用していただけるプラットフォームづくりを行っていきたいと思っています。というのも、本学の位置する埼玉県には優れた資源が少なくありません。近隣の深谷市はドラッカーが尊敬した渋澤栄一翁の故郷でもありますし、高い技術を持つ中小企業も多く集積しています。私自身、近隣自治体の加須市出身でもありますので、地域に根差した発展に多少とも貢献できればと願っているところです。 最後にメッセージがあればお聞かせください。 生きていればもちろん失敗など数限りなくあります。歩いていれば誰でも転びます。転んでいない人は、まだ歩みを始めてさえいない人だと思う。そこで大切なのは、したたかに学び続けることですね。とくに歴史から学ぶことです。私はしばしば学生に「起こったこと・考えたことをその日のうちに書きとめておくように」と伝えるのですが、日記を書くことは時間を味方につけることであり、振り返りを通して自己成長に大きく寄与することは間違いありません。「あのとき、困難をこんな風に乗り越えたんだ」という自信にもなりますし、何より自分についての貴重なデータベースになります。それともう一つ。どこへいっても最初に尊敬できる人を探してほしい。この人から学びたい、こんな風になりたいという人を真っ先に探すことです。見つけ出したら、決して離れないことです。学べるものは何でも学ばせてもらうといい。きっと喜んで経験や知恵を分け与えてくれるでしょう。ドラッカーは常々若い人に、「まず模範となる人を探しなさい」と助言していたそうです。私自身若い頃に多くの尊敬できる方々をお会いできたことはつくづく幸運であったと実感します。上田先生やドラッカーは私にとってまさしくその最たる存在でした。若い方の心の片隅にとどめておいてもらえたら嬉しいと思います。 関連リンク ・教養教育センターWEBページ・上田惇生名誉教授連載インタビュー