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【知・技の創造】地域活性化は子どもたちから
地域を担うのは誰? 郊外や地方で人口が減少する中で、地域の活力や賑わいを維持するためには、少ない人口でも生産性を上げる新たな産業の創出や観光の振興などが考えられますが、そこに住まう「人」が必要不可欠です。そのため、いずれの地域も「人」を確保するために、移住・定住の促進や、地域外に居住されていても地域とかかわりを持ってもらえる関係人口を増やすことに力を入れています。 このように人口の減少局面では「地域の外の人」に目がいきがちですが、もっと身近なところに頼もしいヒューマンリソースがあります。 地域の子どもたち 地域の子どもたちは、私立学校を除けば、お互いに同じ地域の中で同じ小学校や中学校に通学することが多く、比較的近隣に居住して親密な人間関係の基礎を築いていく傾向にあります。しかしながら高校生や大学生になると、地域外への通学や活動の場面も多くなり、そのまま就職することでネットワークは広がりますが、地域へのかかわりは少なくなる傾向にあります。 このような、子どもたちの成長過程で広がるネットワークの中に、なかでも地域に根差した生活を送る小学生・中学生の時期に、もっと積極的に地域のまちづくりや課題解決への意識や行動につながる組織をつくることができれば、中長期的な人材確保につながるのではないかと考えています。 地域へのかかわりを維持 私たちの研究室では、地域の小学校と中学校をまたいで、子どもたちによって組織された「子どもまちづくり協議会」の試験的な設置を提唱しており、ある自治体において実際に取り組みを始めています。協議会というカタい表現はあくまで組織の趣旨や活動を理解してもらうための仮称で、覚えやすく親しみやすい名称をみんなで考えればよいと考えています。 この組織の大きな目的は、小学校・中学校の子どもたちにまちづくりや地域の課題を解決してもらう当事者の一員になってもらうことです。 もちろん、子どもたちだけでは難しい場面も多いと思われますので、大学をはじめ有志のオトナも適切なサポートを行います。組織の中には複数のチームがあり、学年単位といった横割りではなく小学生・中学生の区別なく学年も超えた混成チームを編成し、自分たちで決めたテーマに取り組んだり、ほかのチームと協力することで年齢の枠を超えたつながりをつくります。 このチームは学年が上がっても、卒業しても、地域を離れても可能な限り維持に努めます。成果は議会などに提言や報告することも考えられます。 緩やかだけど強力な応援団 このようなネットワークの中の組織から、たとえ数名でも地域に残って活躍したり、Uターンしたり、地域に居住していなくても興味を持ち続けて外からの力でまちづくりや地域課題の解決を支援したり、または地域に縁がなかった人までも巻き込むきっかけになれば、緩やかではありますが強力な応援団として、けっきょくは中長期的にみると大きな効果を発揮するのではないかと考えます。 地域の活性化には中核となる人材の存在がキモですので、その人材と地域にかかわるネットワークを、いまの子どもたちの中から「育てていく」仕組みづくりも重要ではないでしょうか。 埼玉新聞「知・技の創造」(2023年11月3日号)掲載 Profile 田尻 要(たじり かなめ) 建設学科教授 九州大学 博士(工学)総合建設会社を経て国立群馬工業高等専門学校助教授、ものつくり大学准教授、2013年より現職 自治体との連携実績や委員も多数 関連リンク ・生活環境研究室研究室(田尻研究室)WEBサイト・建設学科WEBページ
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【埼玉学③】秩父--巡礼の道
「埼玉学」とは、埼玉県の歴史・文化・産業・地理・自然など、埼玉県に関するあらゆる分野を総合的に研究・探究する学問です。教養教育センターの井坂康志教授が新しい研究テーマとして連載を始めました。 今回は、秩父の土地に宿る精神に思いを馳せます。 秩父がある 「埼玉県に何があるのですか?」--あなたはこう問うかもしれない(あるいは問わないかもしれない)。私ならこう答えるだろう。「埼玉には秩父がある」と。秩父というと誰でも思い出す、巡礼。そうと聞くと、これという理由もなしに、心の深層にかすかなさざ波が立つ。なぜだろう。なぜ秩父。なぜ巡礼。 東京に隣接した埼玉からすれば、秩父はその無意識に沈む無音の精神空間を表現しているように見える。だがそれはごく最近、近代以後の現象である。なぜなら埼玉はその空間的存在論からすれば、初めから巡礼の地だったからである。これはうかつにも注意されていないように思える。秩父は、その意味で土地というより、霊性をそのまま差し出してくれる、埼玉の奥の院だ。巡礼は、元来霊的な情報システムである。それは現代人工的に編み上げられた新しい情報システムを突き破ってしばしばその顔を表す。高度な情報の時代といっても、霊性が土地ときっぱりと切り離されてしまうことはないし、また霊性を伴って初めて土地の特性は人々の意識に入ってくる。もともと埼玉のみならず、技術と霊性とはいわば二重写しをなしている。埼玉では常にそれらは密接不離の絡み合いとして現在に至っている。言い方を変えれば、日常の陰に潜んで裏側から埼玉県民の認識作用に参画し、微妙な重心として作用している。そのことを今年の夏に足を運んで得心した。 旅の始まりは秩父線 霊道としての秩父線 秩父に至る巡礼路は今は鉄路である。熊谷から秩父線に乗ると、人と自然の取り扱われ方が、まるで違っていることに気づく。訪れる者の頭脳に訴えるとともに、感覚として、ほとんど生理的に働きかけてくる。平たく言えば、「びりびりくる」のだ。秩父線ホームには意外に乗客がいる。空は曇っているけど、紫外線はかなり強そうである。初めはまばらに住宅街やショッピングモールが目に入るが、いつしか寄居を越える頃にもなれば山の中を鉄路は走る。時々貨物列車とすれ違う。ただの列車ではない。異様に長く、貨車には石灰石がぎりぎりまで小器用に積み上げられている。それは精密で美しい。武甲山から採掘されたのだろう。やがて長瀞に到着する。鉄道と言ったところで、近代以後の枠にはめられた埼玉の生態を決して表現し尽くせるものではない。ところで埼玉と鉄道の関係はほとんど信じられないくらい深い。いや、深すぎて、埼玉に住む多くの人の頭脳の地図を完全に書き換えてしまってさえいる。現在の埼玉イメージのほとんどは鉄道によって重たいローラーをかけられて、完全にすりつぶされてしまったと言ってもいいだろう。地理感覚を鉄道と混同しながら育ってきたのだ。鉄道駅で表現すれば、たちまちその土地がわかった気になるのは、そのまま怠惰な鉄道脳のしわざである。そんな簡単な事柄も、巡礼と重なってくるといささか話が違ってくる。秩父線は埼玉の鉄道の中ではむしろ唯一といってよい例外だ。この精神史と鉄路の重複は、肉眼には映らないが、長瀞に到達してはじめて、心眼に映ずる古人の確信に思いをいたすことができた気がする。こんなに気ぜわしい世の中に生きているのだから、たまには旧習がいかに土地に深く根ざしたものであるか、現地に足を運んで思いをいたしてもばちは当たらないだろう。そこには埼玉県の日常意識からぽっかり抜けた真空がそのまま横たわっていたからだ。 山中の寺社には太古の風が吹いていた 長瀞駅から徒歩10分程度のところに宝登山神社がある。参道を登っていく先からは太鼓が遠く聞こえる。それが次第に近づいてくる。この神聖性の土台を外してしまっては、土地の神秘に触れることはできない。どれほど都市文化と切り結ぼうとも、最深部では歴史からの叫びがなければ文化というものは成り立たないからだ。それらは住む人々がめいめい期せずして持ち寄り差し出しあうことで現在まで永らえている何かでもある。 それがどうだろう。現在の「埼玉」という長持ちに収まると、何か別のイメージに変質してしまう。そこにしまい込まれているのは、このような素朴な信仰や習俗であるに違いない。奥の稲荷を抜け、古寺の境内にいつしか立ち入ると、そこは清新な空気に支配された静謐な一画である。赤い鳥居はほとんど均等に山の奥まで配分されている。古代の神々の寓居にばったり立ち入ってしまったかのようだ。 どんなに慌ただしい生活をしていたとしても、ときには果てしない歴史や人の生き死にについて問うくらいの用意は誰にでもあるだろう。埼玉の中心と考えられている東京都の隣接地域では、こんな山深いエリアが埼玉に存在していることなどまず念頭に上らないのがふつうである。いわば埼玉県の東半分は生と動の支配する世界であるが、西半分からは死と静の支配する世界から日々内省を迫られていると考えてみたらどうか。モーツァルトの『魔笛』のような夜と昼の世界--。 生と動もこの世にあるしばらくの間である。しかし、死と静はほとんど永遠である。このような基本的な意識の枠組みが、すでに埼玉県には歴史地理的に表現されている。 荒川源流 徒歩で駅まで戻って、今度は反対側の小道を下りてみた。商店には笛やぞうりなどの土産が並ぶ。坂の突き当りで、長瀞の岩畳をはじめて見た。そのとき、荒川という名称の由来を肌で感じた気がした。ふだん赤羽と川口の間の鉄橋下を流れる荒川は見たところ決して荒くれた川ではない。きちんとコントロールされ、取り立てて屈託もなしにたゆたっているように見える。源流に近い秩父の荒川を目にしたとき、古代の人たちが何を求めていたか、何を恐れていたかがはっきりした気がした。私は源流にほど近い荒川の実物を前にして、人間の精神と自然の精神との純粋な対話、近代の人工的な観念の介入を許さぬ瞑想に似た感覚に否応なく行き着いた。気づけば、私は広い岩の上に横になっていた。どうも土地の神々の胎内にいるような気分になる。それは土地の育んできた「夢」なのではないか。そんな風にも思いたくなる。少なくともそこには都市部の明瞭判然たる人間の怜悧な観念は存在しなかった。おそらく土地の精神とは比喩でも観念でもない。それは勝手にひねり出されたものではなかった。古代人の中では、主体と客体などという二元論はなかっただろう。ただ荒く呼吸して大地から湧出する滔々たる水流と一体になっていただけだろう。それを知るのに学問もいらないし、書物もいらない。古人の生活に直接問いかけるだけの素朴な心があれば十分だ。きっと昔の人は、現実と観念の対立をまるで感じていなかったに違いない。自然全体のうちに人はいるのだし、人の全体のうちに自然はあるというのが、彼らの生きていく意味だったのだ。彼らは、自然が差し出してくる何かを受け取るポイントを特別な場所として認知した。このような自己を取り巻く自然が十分に内面化された場所、自己とはかくのごときのものであり、かくあるべきものであるという場所で、彼らはあえて祭祀を行ったに違いない。 寝転んで川風に吹かれてみれば、土地の精神を支えているのは、存在と切り結ぶ自然感情であることは、明らかなように思える。秩父にあるのは論理ではない。言葉でさえない。あえて言えばそれはとてつもなく古い体験である。それがうまく言葉にならないというそのことが、かえって一種の表現を求めてやまない、どこかくぐもった呼び声として内面にこだましてくる。 「埼玉には何もない」などと気楽に自嘲し、ごく最近つくられた観念に戯れることしかできないのはあまりにさびしいことだ。何もないのではない。正体を見極めがたいほどに果てしなく、あまりに何かが「あり過ぎる」のだ。 長瀞の岩畳に横になり、江風に吹かれてみる Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学教養教育センター教授1972年、埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、社会情報学。 関連リンク ・【埼玉学①】行田-太古のリズムは今も息づく・【埼玉学②】吉見百穴-異界への入口
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【知・技の創造】化学実験用流体ブロック
もっと手軽に化学実験を 化学実験と聞くと何を思い浮かべるだろうか。試験官、ビーカー、フラスコ、ピペット、秤、バーナーなどのような実験器具・機材であろうか。学校で行った化学実験は準備や後片付けに時間がかかったのを覚えている。先生はさらに時間をかけていたに違いない。もっと手軽に化学実験を行えるようにはできないか。化学変化はつねに身近で起きている。なにしろ人間自体が大規模で複雑な化学実験の舞台であるからだ。全身に張り巡らされた血管の中を血液が流れ、脳内では神経細胞がさまざまな物質を使って情報処理を行っている。流れを利用して化学実験を行い、さらに流路を自在に組み換えることができれば、いろいろな化学実験を簡単に行えるではないか。筆者が子供の頃、電子ブロックというものが販売されていた。親指大のプラスチックのブロックの中に抵抗、コンデンサ、コイル、トランジスタなどいろいろな電子部品が内蔵されていて、ブロックの側面は接続端子になっている。ブロックを並べ替えることで、基礎的な電気回路の実験からラジオのような応用的な回路を組むことができた。 流体ブロックの研究 リソグラフィ技術を使ってガラス基板にマイクロメートル幅の流路をつくり、極微量サンプルの科学分析を行う研究(Micro-TAS)は30年くらい前から行われ、多くの成果をあげている。しかしながら、部品の再利用を前提とし自由に組み換えて実験を行うというよりは、特定の目的のために設計・調整されたものが主流である。微細な流路のため層流となり溶液の混合でさえもひと手間かける必要がある。本研究室では、試験官やビーカーよりは小さく、Micro-TAS が扱う領域より大きなサイズ、すなわち数ミリメートルの流路幅をターゲットにしている。このサイズは、重力が支配的になる世界と表面張力が支配的になる世界の境界である。さらに条件によっては層流にも乱流にもなる。流体ブロックの材質は透明で薬剤耐性に優れた PDMS (ポリジメチルシロキサン)である。PDMS は自己吸着性があるのでブロック同士やガラス面などによく密着する。このため並べるだけで3次元の流体回路も簡単に組むことができる。3Dプリンタなどを用いて流路の樹脂型をつくり、PDMS が硬化した後、樹脂型を溶解させれば所望の流体ブロックができあがる。 写真は製作した流体ブロックの1例である。今後、流路中にヒーター、熱電対などの様々なパーツを組み込んだ流体ブロックを製作していく予定である。埼玉新聞「知・技の創造」(2023年10月6日号)掲載 Profile 堀内 勉(ほりうち・つとむ) 情報メカトロニクス学科教授早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。博士(理学)。日本電信電話株式会社研究所を経て2014年4月より現職。
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【知・技の創造】気がつく人
「気がつく」ということ 人の特性のひとつに「慣れ」があります。はじめはおぼつかないことでも、慣れてくるとスムーズにできるようになります。これは良い例なのですが、悪い例もあります。何かが便利になるとはじめの内はありがたがるのですが、その便利さに慣れてしまうと当初の感謝の気持ちは薄れてきてしまいます。そして、急に不便になったときには腹を立てたりします。元に戻っただけなのだから腹を立てなくても、と思うのですが、そうはいきません。かく言う私も紛れもなくその一人です。そのときに今まで便利であったことに改めて気がつきます。 この「気がつく」ということは人には大事です。特に勉強でも研究でも趣味でもどんな場合でも、何か課題を解決しようとしているときにはとても大事だと思います。ところが日常的には中々気がつきません。周囲の多くのものに注意を払っていれば気がつくのではないかと思うのですが、多くのものに注意を払うのも大変です。メガネを使用している読者の方々は、メガネを掛けていることに気がつかずにメガネを探した、という経験はありませんか。私はあります。気がつくことは案外大変なのです。ただ、何かきっかけがあれば気がつくことができる、というのが先の「悪い例」です。もちろん良いことについても、きっかけがあると気がつきやすいはずです。 「気がつく」の応用 この「気がつく」ということを技能の修得に活用できないか、と考えています。技能の修得には一般的に時間が掛かります。例え仕事に関わる技能であっても、仕事中は技能の修得(つまり練習)のみに時間を割くことはできませんから、時間が掛かるのは仕方がありません。以前から「習うより慣れろ」という言葉がありますが、慣れるのにも時間が掛かるのです。そこで、慣れていく途中で自分より上手な他社との違いに「気がつく」ような指標を示すことができれば、技能の修得に役立つのではないかと考えています。また、当たり前のことですが、気がつくのは自分自身です。気がついたことをその人自身が自覚しなければなりません。自覚するためには自分自身あるいは成果を客観的にみる必要があります。ところが一生懸命にものごとに取り組むと、夢中になってしまって自分自身を客観的にみられなくなってしまう。あるいは目的を見失ってしまう、という状況に陥りやすくなります。そのようなときに、見失った自分や目的に気がつけるような仕組みの構築を目指しています。 何かを修得しようとする(上手にできるようになろうとする)ときには、まずは先達の物まねからはじめます。ところが物まねはできても、結果が伴わないことはしばしばあることです。これはスポーツを例にするとよくわかると思います。もし物まねで済むのであれば、皆同じ打ち方、投げ方になるはずです。しかし実際にはそうはなりません。なぜならば、人それぞれの体の大きさや関節の動く範囲、筋力などが異なるからです。 したがって人はまず物まねをしますが、その後何かに気がついて、自分なりの方法を見つけることになります。何に気がつくか、についても人それぞれです。ただ気がつくきっかけを提示できればと考えています。 埼玉新聞「知・技の創造」(2023年9月8日号)掲載 Profile 髙橋 宏樹(たかはし・ひろき) 建設学科教授順天堂大学体育学部卒。同大大学院修士課程修了後、東京工業大学工学部建築学科助手を経て02年ものつくり大学講師。08年より現職。博士(工学)。 関連リンク ・人の生活と建築材料の研究室(髙橋研究室)WEBサイト・建設学科WEBページ
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【知・技の創造】地域連携と高大連携
2つのフラワーデザインアート ものつくり大学の最寄り駅である高崎線吹上駅の改札を出ると、コスモスなどの美しい花々でデザインされた柱が視線に入ります。北口案内には元荒川の桜並木、南口案内には水管橋、窓にはコウノトリや花などのデザインが描かれています。これらは、「地域連携」および「高大連携」の取り組みの一環として制作されたものです。ものつくり大学では、学生プロジェクト団体として「ものつくりデザイナーズプロジェクト」(以下、MDP)が登録されています。作品制作や学外展示、ヒーローショーを行うプロジェクトとしてデザイン活動をしています。2021年度に鴻巣市、観光協会からの依頼により「鴻巣駅自由通路フラワーデザインアートプロジェクト」として、鴻巣駅自由通路に作品を展示し、次に、2022年度「吹上駅自由通路フラワーデザインアートプロジェクト」を実施しました。2022年度のプロジェクトでは、鴻巣高等学校、鴻巣女子高等学校、吹上秋桜高等学校美術部の生徒さんが四季を通じた花やコウノトリ、桜、水管橋などを手書きおよびコンピューターグラフィックスにより作品を制作しました。それらの作品群を、本学のMDPメンバーがレイアウト構成をし、大きさや濃淡の調整を行いながら全体を完成させました。 吹上駅改札付近のフラワーデザインアートとMDPの内田颯さん(写真左)、松本拓樹さん(写真右) 高校の生徒さんには、授業やテスト、学校行事の忙しい合間を縫いながら、素敵な作品を制作してもらいました。生徒さんの提案で、窓をスライドし、2枚の窓を重ね合わせることで、デザインの見え方が変化するなどの工夫も凝らしています。さらに、朝と夜間では外光の差し込み方や照明灯の反射により、作品の輪郭が白く浮かび上がるなど、時間帯によっても窓のデザインについて異なる見え方が楽しむことができます。窓越しから視線をさらに運ぶと、青空や大きな雲が広がり、それらが窓に溶け込むことで、さながら窓自体が額縁のようにも感じられます。 「地域連携」と「高大連携」の成果 「駅の通路」という多くの方々が日常的に利用する空間に、これらの作品が末永く展示されることを嬉しく思います。MDPメンバーにとっても、やりがいのあるプロジェクトでした。プロジェクトを通じて、名所、史跡や地域を知ること、高校との協力による作品制作など、「地域連携」と「高大連携」の成果が正に統合されたものと感じています。吹上駅および鴻巣駅の近郊では、多くの名所、史跡および観光スポットがございます。散歩および観光の「出発点」として、吹上駅および鴻巣駅へお立ち寄りの際に、これらの作品についてもご覧いただき、楽しんでいただければ幸いです。埼玉新聞「知・技の創造」(2023年8月4日)掲載 Profile 松本 宏行(まつもと・ひろゆき) 情報メカトロニクス学科教授工学院大学大学院工学研究科博士後期課程修了。博士(工学)。専門は機械力学、設計工学。 関連リンク ・フラワーデザインアートで駅利用者をHAPPYに!・ものつくりデザイナーズプロジェクト「MDP」WEBページ・情報メカトロニクス学科WEBページ
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【埼玉学②】吉見百穴――異界への入り口
「埼玉学」とは、埼玉県の歴史・文化・産業・地理・自然など、埼玉県に関するあらゆる分野を総合的に研究・探究する学問です。教養教育センターの井坂康志教授が新しい研究テーマとして連載を始めました。 今回は、埼玉県比企郡吉見町にある古墳時代の末期(6世紀末~7世紀末)に造られたとされる吉見百穴を訪れ、その不思議な魅力に触れていきます。 埼玉の不思議なもの 古人の建造物は、石や土、木とは限りません。岩の壁面に穿たれた「穴」もあるからです。吉見百穴の存在を最初に私に教えてくれたのは、学研という出版社が刊行していた「まんがひみつシリーズ」でした。シリーズ発刊は1972年だから、ほぼ半世紀前になります。自然や社会について子供でも理解できる工夫を見ると、仕事は丁寧、文章は達意、じつに卓越したクラフツマンシップの発揮された本に仕上がっています。 思わずため息が出るくらい、よくできたシリーズでした。たとえば、「野球」「切手」「宇宙」「からだ」「昆虫」など子供にとっては何ともいえず心惹かれるテーマ。実に軽快な手さばきで、面白おかしく編み直していく。私もかつては編集の仕事をしていたのですが、大いに脱帽させられたものでした。 とくに気に入っていたのは、『日本のひみつ探検』(「学研まんがひみつシリーズ29」)です。今みたいにスマホもネットもなかったので、暇さえあれば目を落としました。ただめくるだけのときにもありました。各ページ欄外には一つずつ「豆知識」が配されて、それだけで心が揺らめくのです。日本の地殻変動の目覚ましい働きから、自然的造形や名所旧跡などをとても親しげに、子供に寄り添って示してくれる。鬼の洗濯板、琵琶湖、青木ヶ原樹海、天橋立など、神秘の予感に彩られた地名はたぶんこの本で知ったと思います。 子供の頃の愛読書 一つが吉見百穴です(確か本には「ひゃっけつ」とルビが振られていた記憶がありますが、「ひゃくあな」が一般的のようですね)。古代の旧跡が自分の住む埼玉県にあるというので、根拠なく湧いてきた誇らしい気持ちだけは覚えています。いつか訪れてみたいと思いました。ですが、埼玉県民を悩ませる複雑怪奇の鉄道事情も相まって、訪れることができずに今日に至ってしまいました。(余談となりますが、私の勤める行田市の大学から隣町・加須市の実家に行くのに、高崎線の吹上駅まで15分、一度大宮まで出て宇都宮線に乗り換えて栗橋まで約1時間、徒歩で15分と計90分かかります。ちなみに、同地点から新宿までとほぼ同じ時間です。あるいは所沢あたりに出ようと思ったら、東京より遠い) 百穴を訪ねてみた 鴻巣駅からバスが出ていることは聞いていました。初夏の汗ばむような暑い日、吉見百穴を訪ねてみました。とにかく長い荒川の橋を抜けていきます。対岸まで続く緑の農地を眺めるともなく眺めながら、表れては消える田野や林と心の中で対話していると、唐突に現れたのが吉見百穴でした。日本の昔から名勝や景勝と言われている地はたいていは素朴な演出が施されているのが常ですが、完全にむき出し、空に向かって露出しています。 異様な無数の穴は唐突に現れる 川一つ隔てた向こうの灰色の岩壁には、蜂の巣のように詰まった感じの穴が目に入る。現代でいうところのカプセルホテルを思わせるところがあります。異様な穴がある時代に突如として出現したのに、どのような事情があったのは、私にはわかりません。実は、この疑問はすでに『日本のひみつ探検』を読んだ頃から私の頭を占めていました。 穴の用途については二つのまったく異質の説が存在していました。一つは、コロボックルの住処とする住居説、もう一つは墓所説です。両説は、考えるほど不明瞭になる気がします。ある時代にこのような構造物の突如とした出現について、どのような詳細があったのか、私は知りません。というか、知りたくもない。かくも得体の知れない穴についての説明など、どんな本を読んでも、人から聞いても、とうてい自分を納得させる自信がないからです。 異様な300の目 私はひたすら穴ばかり凝視していました。私のごとき素人には見当もつかないながらも、何か理解を求めてやまぬ生き物のように私には感じられました。あるいは、近くを流れる川向こうの平地の動静を監視している諜報施設のようにも。いずれにしても、近代に汚染された頭脳では及ばない、神妙な調和が付随するのは間違いなく、いつまでも見ていても見飽きることがなかった。これが本当のところです。見ているうちになんだか見られているのはこちらのほうではないか、そんな不気味な感覚に支配されるのです。穴の中に入ってみました。入口は大人一人がやっと入れるくらい、ひんやりとしている。 穴の一つに入ってみる 岩の壁面に穿たれた穴は300を超えるという。百とは「数の多さ」を意味する寓意でしょう。現実はその寓意をはるかに上回っている。しかもただの穴と言っても、300以上の穴を硬い岩壁に穿つ作業が生半可でない以上、何らかの強い意志と固く結ばれていないわけがない。思いつきの気まぐれでないことは確かでしょう。 もちろんその意思が何なのか、どこに通じているのかは私にわかるはずもないのですが、その場に身を置いて私が抱いた勝手な印象は、「戦への備え」でした。いくつもの穿たれた穴から敵方の動静を虎視眈々と監視する「目」です。第二次大戦中、軍事施設が存在していました。現在は柵で仕切られていますが、いくつかの穴の奥は軍需工場に通じていたとのこと。埼玉県には桶川や所沢、戦時中の空を担う重要施設がいくつも設置されていました。時に人は土地に一種のにおいを感じることがあります。古代人の感じ取ったものと同系の土地に染み付くかすかな匂い。そして張り詰めた決死の思い――。これらの穴は一体どこにつながっているのでしょうか。 ここはかつて軍事施設だった。怖い profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学教養教育センター教授 1972年、埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、社会情報学。 関連リンク 【埼玉学①】行田-太古のリズムは今も息づく
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【知・技の創造】木造住宅4号特例の縮小
木造の住宅設計における「4号特例」とは 私の研究室では建築物の構造設計を通じて物の仕組みや成り立ちを考える研究を行っています。皆さんは木造の住宅設計において「4号特例」という制度があるのをご存じでしょうか?4号特例について新築の設計を例に説明すると、建築基準法第6条1項4号で定める建築物を建築士が設計する場合、建築確認の際に構造耐力関係規定などの審査を省略できる制度の事です。つまり対象となる建築物を設計する際に一部の書類提出を省略できるため、建築士も施主が望まない限りは審査に不要な書類の作成は行ってきませんでした。ここで対象となる建築物とは住宅等の木造建築物で2階建て以下の建物、延べ面積が500㎡以下で建物高さが13mまたは軒の高さが9m以下の建物で、これらの建物については建築確認審査を簡略化するという規定が「4号特例」と呼ばれる制度です。 ただし、建築士の責任で基準法に適合させることが前提です。4号特例は1983年に法改正してできた制度で当時の4号建築物の着工件数は今の倍程度あり確認審査側の人手との兼ね合いで、設計業務の一部の範囲については建築士の判断に委ねようという経緯がありました。 その後、1998年の建築基準法改正による建築確認・検査の民営化等によって、建築確認審査の実施率が向上し続ける一方で、4号特例制度を活用した多数の住宅において不適切な設計・工事監理が行われ、構造強度不足が明らかになる事案が断続的に発生したことなどを受け、制度の見直しの必要性が検討されてきました。 4号特例の縮小と課題 そのような状況の中、地球規模の課題である気候変動問題の解決に向けて、2050年までにカーボンニュートラルと呼ばれている脱炭素社会の実現に向けて国土交通省は建築物省エネ法と建築基準法を改正しました。2025年の全面施行に向け、段階的に政省令や告示などを定めていく予定で、その改正の中に「4号特例の縮小」と呼ばれる審査制度の見直し案が盛り込まれることになりました。改正後は4号の規定内容は新3号というものに引き継がれ特例となる対象は、平屋建て、床面積200㎡以下に範囲が縮小されます。 つまり2階建ての木造戸建て住宅は構造審査が必要になるという事です。これは建築業界にとっては大きな変化で建築士の業務量は増大し確認審査員の負担する審査件数も増大することで円滑な施工が実現できるのか懸念されています。木造住宅を手掛ける構造設計者の人数は、4号特例の縮小によって構造計算が必要になる住宅の物件数の増加に対して十分とは言えず、今後建設業界全体で木造住宅の構造計算を手掛けられる技術者を育てていく必要があります。もちろん4号特例の縮小は住宅を建てる施主側にとっては大きな安心につながります。より構造計画を重視した設計が求められることになり構造設計者の役割が重要になってきます。 私の研究室でも建築構造の基礎を学び構造設計の分野で活躍できる人材を社会に送り出していきたいと思っています。 埼玉新聞「知・技の創造」(2023年7月7日)掲載 Profile 間藤 早太(まとう・はやた) 建設学科教授日本大学理工学部建築学科卒業。1級建築士・構造設計1級建築士。金箱構造設計事務所を経て間藤構造設計事務所を設立。2022年より現職。 関連リンク ・建設学科WEBページ
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創造しいモノ・ガタリ 04 ~私の原動力-「誰も想像していなかったもの」をつくりたい~
教養教育センターの井坂康志教授が、ものつくり大学の教員に、教育や研究にのめりこむきっかけとなったヒト・モノ・コトについてインタビュー。今回は、的場やすし客員教授に伺いました。 Profile 的場 やすし(まとば やすし)的場ラボ(個人事業主)主宰信州大学理学部生物学科卒業後、本田技術研究所における自動車材料研究、認知症高齢者介護施設運営に理事として参画等を経て現在は、ものつくり大学客員教授、お茶の水女子大学学部教育研究協力員。仮想世界と実物体を融合した新しいインターフェースを研究中。これまでに、ACM SIGGRAPH Art Gallery(2000、2007)、Emerging Technologies(2011、2012、2013年)や、Ars Electronica(1999年)への作品出展をはじめ、デジタルコンテンツグランプリ アート部門インタラクティブ賞(2001年)、アジアデジタルアート大賞展 インタラクティブアート部門優秀賞(2012、2013年)、Laval Virtual Awards 部門賞(2011、2012、2013年)グランプリ(2013年)、CEDEC インタラクティブ賞(2017年)、経済産業省 Innovative Technologies 特別賞(2013、2017年)、テレビ東京 WBS トレンドたまご年間大賞(2013、2017年)他受賞 先生の研究の原点はどのようなものだったのでしょうか。 子どもの頃からアイディアを考えるのが好きでした。優れたアイディアを見るのも大好きで、小さい頃に初めてトイレットペーパーをワンタッチで交換できる機構を見たときに、ものすごく感動した記憶があります(それまでは伸縮する棒で固定する、面倒くさい機構しか知らなかったので)。小さい頃から面倒くさがりで、常に「楽をしたい」と思っていたので「苦労して行っていた作業がアイディアひとつで楽になる」というのは非常に素晴らしいことだと考えていました。大学時代は信州大学理学部の生物学科に在籍し、蚕のさなぎの休眠時の呼吸について研究していました。卒業後は、バイク好きだったこともあり、本田技術研究所で材料関係の研究職に就いて、内装材の研究開発などに従事していましたが、20代の後半に違うことをしたいと思って研究所を辞めて、介護施設の運営に関わる仕事などを行ってきました。このころから「HCI」(ヒューマンコンピュータインタラクション)分野に興味を持ち、メディアアート作品の制作を始めました。ものつくり大学との出会いは2008年、修士課程入学を機としています。ずっとものをつくるのは好きだったので木工などは得意でしたが、金属加工などはわからないことが多かったので、菅谷諭先生のもとで取り組みました。2009年の大学祭の「ものつくりコンペ」に「シャボン玉 空気砲」という作品を出展して優勝したこともあります。ものつくり大学を卒業した後、電気通信大学の博士課程に籍を置き、約8年インターフェースの研究を続けました。 2009年ものつくりコンペ優勝作品「シャボン玉 空気砲」 現在先生は流動床で知られていますね。きっかけを教えてください。 流動床という現象は古くから様々な産業で使われてきましたが、一般にはほとんど知られていませんでした。私は流動床と仕事の上で直接の関係があったわけではありません。そのおもしろさを見つけることができたのは半ば偶然の出合いであり、非常に幸運だったと感じています。きっかけは、ある日 YouTube で流動床焼却炉の動画を目にしたことです。それを見ていた時、「普通の状態では、その上を歩くことのできる砂が、スイッチを入れると液状化して、中で泳げるようになる」という世界初の装置が作れると思いました。そしてこれをインターフェースとして、面白いエンターテイメントシステムが絶対作れると確信したわけです。このアイディアが始まりでした。そして2016年に「流動床インターフェース」を作ったのですが、作ってみたら液状化した砂の感触が想像以上に面白くてびっくりしました。 それまでもいろいろなディスプレイを作ってこられたのですね。その話を伺えますか。 2011年に制作した「スプラッシュディスプレイ(SplashDisplay)」があります。たとえば、通常のテレビや映画では爆発のシーンが映っても実際に画面上で物理的に物体が飛び散る現象が起きるわけではありませんが、物理的な物体の移動を伴うことで、リアルに爆発したように見えるディスプレイを実現しました。底面120センチ×90センチ、深さ30センチの容器を発砲ビーズで満たし、上方に設置したプロジェクターからビーズの表面へ映像を投影して水平型のディスプレイを構成します。容器の底は網状になっており、その下に多数の送風機または移動できる送風機を設置して、投影される爆発の映像に合わせて送風機を作動させ、風によってビーズを上方に吹き飛ばします。このため、ユーザーからはディスプレイ表面にリアルな爆発が発生したように見えるのです。この作品は、2012年の SIGGRAPH(北米で行われるCGやインタラクション技術などを扱う世界最大の学会)における発表、2012年の Laval Virtual Award(フランスで行われる世界最大の VR・3Dなどのコンテスト)における「3D Games and Entertainment 賞」の受賞、アジアデジタルアート大賞優秀賞受賞などでの発表の機会に加えて、国内外50か所以上の美術館などでの展示を行い、好評を博することができました。もう一つ、「アクアトップ ディスプレイ(Aquatop Display」は、お風呂の水面をタッチパネルディスプレイにしたものです。お風呂に入浴剤を入れて真っ白にした状態で、上からプロジェクターで映像を投影することで水面をディスプレイにします。さらに「キネクト」という特殊なセンサーカメラで、水面にタッチした指や、水の中から水面上へ突き出した指の位置を検出することで、お風呂の水面がタッチパネル付きディスプレイになるという作品です。フランスで開催された Laval Virtual 2013 でのグランプリ受賞や、WBS 2013 トレンドたまご年間大賞 他、数々の賞を受賞することができました。 その他にも触ると痛いタッチパネルディスプレイ「Biri-Biri」や、生きた魚のディスプレイ「ChatFish」、水の滝のディスプレイ「AquaFall Display」他を作っています。 スプラッシュディスプレイ アクアトップ ディスプレイ 流動床に戻りますが、どのようにして世に出していったのでしょうか。 「流動床インターフェース」を制作したのは2016年ですが、発表で最も早いものは、2017年3月3日明治大学で行われた、情報処理学会主催のシンポジウム「インタラクション2017」でのデモ発表ですね。このシンポジウムには多数の HCI 研究者が参加していたのですが、流動床について知識を持っている来場者はほとんどいないことがわかりました。デモ発表では、HCI 研究者から大きな驚きと興味をもって迎えられ、一般参加者の投票で選ばれる賞とプログラム委員で決定する賞の2つのデモ賞を受賞することができました。得票数は「断トツ」ということでした。テレビや新聞にもこれまでに40回以上取り上げられています。2017年3月17日テレビ東京の「ワールドビジネスサテライト」というニュース番組の「トレンドたまご」コーナーで、最初に取り上げてもらいました。スタジオの方々には「流動床による砂の液状化や HMD を使ったVR」のハイテクな要素と「人間の手を介して実現されるアナログな演出」のローテクの要素のギャップに、ユニークな印象を持っていただけたようです。同年12月に「2017トレンドたまご年間大賞」を受賞しています。これまでに何度も大学外で展示を行っていますが、ほとんどの人が水のように変化する砂に初めて接することで、驚き、歓声を上げていました。また流動化した砂に腕を入れてかき混ぜる体験は、水のようになめらかなのに濡れることがない何とも言えない不思議な感覚で、「気持ちが良い」「目を閉じれば水」「癒される」「家に欲しい」という意見が多く聞かれました。流動床を世に出すにあたっては、ものつくり大学の菅谷諭先生のご尽力に触れないわけにはいきません。菅谷先生は砂1トンを必要とする本装置のために、学内に場所を提供してくださいました。また、特許取得にあたっても、菅谷先生はお知り合いの弁理士の紹介等、特許取得を後押ししてくださいました。 初期の流動床インターフェース テレビ収録の様子 他に印象に残っているものは。 幕張メッセ及び ZOZO マリンスタジアムで開催されたロックフェスティバル「SUMMER SONIC 2017」(2017年8月19~20日)にて、江崎グリコ社ブース内の体験型アトラクション「なめらカヌー」の流動床部分を制作し、展示を行いました。江崎グリコ社は毎年、同社のアイス製品「パピコ」のなめらかさを表現する趣旨のアトラクションを展示しています。2017年は「なめらかに流動化した砂の上でパピコの形をしたカヌーに乗り、複数の小型バスケットゴールに投げ入れる」という競技の要素を持った展示を行うことになり、これまでにない大規模な装置を製作しました(4メートル×3メートル、深さ30センチ、砂を約5トン使用)。カヌーはパピコをそのまま大きくした形状にしたため、胴体が円筒状となり、底が丸く非常に不安定で転覆しやすい状態になってしまいました。このため、砂の中に隠れて見えないように、底からワイヤーを伸ばしてカヌーにつなげ、傾く角度に制限をつけて転覆しない構造にしました。来場者は、乗り込むまでは安定しているのですが、その後のスイッチ操作で砂が突如液状化し、不安定な状態になるアトラクションに、新鮮な驚きを感じてくれたようです。 最後に、ものつくり大学の学生にメッセージをお願いします。 私にとって創造の原動力になっているのは、「今まで誰も想像していなかったアイディアを考え、新しくてすごい物を作りたい」という思いでした。これまで、思いついたアイディアをいろいろな場で提案してきました。ただ、変わった発想のアイディアって認めてもらえないことが多いですね。特に日本ではそうなのかもしれません。将来、学生の皆さんが提案したアイディアが周りの人から認められない、ということがあるかもしれません。でも、めげないでください。よくあることです。実は、私が今まで作ってきた研究作品の中で、もっとも優れたアイディアだと自分で思うのは「信号機カメラ」と「ツイドア」という作品です。「信号機カメラ」は全盲の方に歩行者用信号機の色を音声で伝えるスマホアプリで、「ツイドア」は認知症高齢者の徘徊の発生をツイッターを利用して写真付きで伝える装置です。「福祉関係だから良い」という訳ではなく、アイディアのシンプルさや効果など、総合的に考えて今までの作品の中でダントツに良いと思っています。しかしこの2つとも今までの学会発表やテレビでの紹介では(自分では不思議に思うのですが)ほとんど評価されていません。評価基準が人とずれているのかも…とも思いますが。電気通信大学時代に開発した「アクアトップ ディスプレイ」も、大学でこのアイディアを私が最初に提案したときの周りの反応は「お風呂はそういうことをするところじゃないでしょ」といったように芳しくないもので、共同研究者を探すのも苦労するほどでした。しかし、実際に開発すると高い評価を受け、数々の賞を受賞しました。流動床インターフェースも開発当初、都内にある知り合いの大学の研究室に共同研究を持ちかけたものの、共同研究には至らなかった経緯があります。もしも、おもしろいアイディアを思いついたけれど他人から評価されなかったときは、説明がうまく出来ていないのかもしれません(本当におもしろくないという可能性もありますが…)。そんなときは試作品を作って見せると、理解してもらえることも多いです。ものつくり大学は機材が充実しているし、すぐれた技術を持つ先生方からアドバイスをもらえます。アイディアがあればどんどん実現させることができる環境があるので、ものつくり大学の学生の皆さんにも、どんどんおもしろいものを作り出してほしいと思っています。モチベーションは何でもいいと思います。私の場合、流動床が世の中の関心を集めたこともあって、テレビ取材を多く受けました。たくさんの芸能人に会うこともできました。そのような動機でもいいと思います。また、おもしろいものをおもしろいと思える感性も大切だと思います。他人の意見に左右されず、感性を磨きましょう。おもしろいものを作るためにはアイディアをたくさん考え、たくさん試して、たくさん失敗することも大事だと思います。たくさん失敗を経験することで「失敗しない作り方」がわかってきます。ぜひどんどん挑戦して、優れたアイディアを世の中に出してほしいと願っています。 取材・原稿井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学教養教育センター教授 関連リンク ・的場やすし YouTubeチャンネル
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【知・技の創造】広い視点での英語学習
英語とものづくりの類似点 英語を習得するには、ただ語彙や文法を多く知っているのみでは不十分である。「材料」としての語彙知識をもとに適切なものを選び、文法という「設計図」に従い、「組み立て」、場面や相手との関係で適切に使う(「取扱説明書」)ことが必要で、ある意味「ものづくり」と類似点がある。また、異文化理解や使う人の文化的価値観(「背景知識」)を知ることが円滑なコミュニケーション上必要になる。そのためには、様々な英語の様相を知ることが重要である。 言葉は変化する 大学で英語の授業を担当しているが、自身は「英語そのもの」の専門家、つまり通訳や翻訳者ではなく、大学院で「英語学(言語学を英語を対象に研究)」専門で、研究という立場から英語を見てきた。帰りのバスの時間待ちで入った大学の図書館で出会った「英語学概論」という1冊の本にとても興味を持ち影響を受けたのが始まりで、研究の道に入り今に至っている。 日本語に古典があるように、「古英語から現代英語」への変遷がある。5世紀にイギリスへ移住したアングロサクソン人の支配、そしてバイキングの侵略やノルマン征服などの歴史的出来事に影響され語彙が変わり、さらに「大母音推移」という中英語~近代英語にかけて起こった母音を中心とする音の変化により、後世で私たちが英語学習で苦労する「綴り文字と音のずれ」にも歴史があることが分かる。ことばは生きており、変化している。 多くの言語は共通の「祖語(インドヨーロッパ語族)」が起源でさまざまに派生し分化した。英語はその中で「ゲルマン語派」である。同属のドイツ語話者はオランダ語が親戚あるいは方言のように構造や語彙が似ており覚えやすい。日本語はこの語族には含まれず(その起源についてはいろんな説がある)構造から全く異なることから、日本語話者が英語を学ぶことに難しい部分が存在する。世界の言語は数千もあると言われているが、消滅したあるいは消滅の危機にある言語もある。言葉は、変化するものであり、若者言葉や「はやりの」言葉の中にも、徐々に定着し、文法化され、辞書に載るものも出てくる。このように英語の歴史の一部を見てみるだけでも、英語が奥深いものであることがわかる。 言語を学ぶために必要なもの 英語を学ぶには、英文法・表現の習得のみではなく、その背景にあることを総体的に知ることも重要である。日本語と比較すると、英語は「発想の仕方、物の見方などの世界観」が日本語とは異なる部分があり、異分野の人との円滑なコミュニケーションを行う上で、言葉のみでなく文化や社会を知ることも必要となる。本学の学生が将来、企業でさまざまな背景や価値観を持った人たちと働き、英語圏の英語とは異なる「さまざまな英語」を共通としてコミュニケーションを取る機会も出てくると思われる。いかに相手を理解し「英語というコミュニケーションツール」を用い意思疎通するのかが重要となる。そのため、「正しい文法知識」ということだけではなく、「異なった考え方や文化を持つ相手を理解し積極的に相手とコミュニケーションをとる態度」が重要である。授業では、これまで学び研究してきたことに基づき、広い視点で英語を学べる場を提供していきたいと考える。 埼玉新聞「知・技の創造」(2023年6月2日号)掲載 Profile 土井 香乙里(どい・かおり) 教養教育センター講師富山大学大学院・大阪大学大学院・早稲田大学大学院などで学び、早稲田大学人間科学学術院(人間情報科学科)助手などを経て、現職。専門は、言語学・応用言語学。 関連リンク ・教養教育センター 英語教育・コミュニケーション研究室(土井研究室)・教養教育センターWEBページ
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【大学院生による研究紹介】高出力機構(SDV)リカンベント自転車の研究
本学では学部4年次と大学院2年次から本格的に研究が始まります。この研究は、担当指導教員と共に研究テーマを選定し、企画・設計・制作・検査・評価までの一連の作業を行います。 今回は、佐藤正承さん(大学院1年生・佐久田研究室)が、集大成となる自身の研究を紹介します。 はじめに 私は、高校生の頃から自転車に関する研究を行いたいという思いがあり、学部の卒業研究のテーマとして取り上げ、大学院生になった現在も研究を続けています。今回はその一部を私の持論とともにご紹介させていただきます。 今では身近な移動手段として幅広い層から利用されている自転車ですが、自転車の歴史は浅く200年という短い歳月の中で様々な変化を遂げ、今の自転車が存在しています。世界には推定10億台以上の自転車がありますが、その多くは東南アジアに集中しています。さらに、欧米諸国でも地球環境の配慮や健康の面からも自転車の利用度は増加傾向にあります。しかし、従来型自転車の駆動機構では単純で生産しやすいということに重きを置いた構造であり、人間からの動力を最大限に発揮する機構とは言えません。また、楽に短時間で通勤通学をサポートする乗り物として電動アシスト自転車もありますが、価格が高くモーターによる駆動が環境面で問題視されています。 現在、皆さんにはあまり聞きなじみのない「SDVリカンベント自転車」という高出力自転車の研究を行っています。この研究では、従来型自転車と比べて最大で1.8倍の出力を実現することが可能であり、将来的には従来型機構の代替となる可能性を秘めています。以前も2人の先輩が研究され、私が引き継いで3代目になりました。私は、さらなる効率化を追求するために研究を進めています。この高出力自転車ですが、元々は産業技術総合研究所(以下、産総研)とオーテック有限会社で共同研究が行われていましたが、産総研での研究が終了した後に、私が所属する精密機械システム研究室(佐久田研究室)が研究の継承と発展のために購入しました。 SDVリカンベント自転車とは? 高出力機構「SDV」は、産総研とオーテックの共同研究で開発されました。SDVはSuper da Vinci Vehicle の略で世界的に有名な画家 Leonardo da Vinci(レオナルド・ダ・ヴィンチ) が描いたとされるデッサンにあやかり名付けられ、SDVや高出力自転車と呼ばれています。もし、デッサンが事実であるとすれば、その起源は15世紀末まで遡ることができ「現在の自転車に革命をもたらす可能性がある」という夢と希望に満ち溢れた自転車を研究していることになります。 Leonardo da Vinci が描いたとされるデッサン リカンベント自転車とは、オランダ語で寝そべりながら運転する自転車の事で、空気抵抗が少ない事から世界一速い手動2輪と言われています。このリカンベントタイプでは、カナダ出身のTodd・Reichert(トッド・ライヘルト)氏が自転車の世界最速記録である144km/hを達成したとしても知られている乗り物です。そのためSDVリカンベント自転車は。SDV(高出力)の機構とリカンベント自転車(世界一速い自転車)を組み合わせて制作された自転車なので、実走しても体感できるほど未来の自転車(ロマン仕様)です。今後、この自転車を使用して世界最速に挑む人が現れるかもしれません。 高出力機構SDVリカンベント自転車 SDV型駆動(長円運動)と従来型駆動(真円運動)の違い <SDV型(例:高出力自転車)の場合> ・スプロケット:上下左右に2枚のスプロケット(歯車)合計4枚仕様・回転方法:チェーンを直接引っ張り回転させる・形状:精密な形状・長円:人間が得意とされる駆動方式・価格:髙い SDVの特徴・SDVは人間が得意とされる上から下へ蹴る力を効率的に力に変換することができる・長円状のチェーンにペダルを直結し、長い直線部分で人間の蹴る力を駆動力に変換できるためパワーロスが少なく大きな力を得ることができる。 <従来型(例:ママチャリ)の場合> ・スプロケット:片側に1枚のスプロケット・回転方法:クランク(歯車)本体を回転させる・形状:生産しやすい形状・真円:真円なため力が伝わりにくい・価格:安い 従来型の特徴・踏みやすく、ペダリング(漕ぐ動作)が安定しているため、上り坂や低速時にも力が入りやすい・形状が円形で加工が容易であるため、コストが低いのも特徴 SDV 従来型 従来型が最適な機構ではない理由 従来型とは、この場ではシティサイクル(ママチャリ)などに装備されている真円形状の事を指し、真円の形状では人間が得意とされる踏み込み力(人間が地面を蹴る動作すなわち直線距離)が少なく、パワーが伝わりにくい傾向にあります。一方で、円運動の特性を考慮し、効率的なパワー発生を実現するために、楕円形状の機構が販売されています。しかし、従来型と楕円形状でのパワーの差は0.1倍程度であまり効果が期待できません。私も時折、楕円形状を使用していますが、体感できる程の変化は感じられませんでした(回転効率が上昇するためやや速くなる程度です)。しかし、これらのことを踏まえて開発されたのがSDVという機構です。SDVは2枚のスプロケット(歯車)を横に並べて配置することによって、直線距離を長くすることで人間が得意とされる踏み込み力を高い値で維持しながら自転車に伝えることが可能になりました。詳細はこの場では触れませんが、産総研の報告によると、最適な運動形態はややS字状であるとの結果が出ており、それを基にこの装置が開発されました。 今後の課題 ・登坂時には、電動アシスト自転車のように楽に坂道を上ることができないため、この課題に対して解決策を模索する必要がある。・SDVの価格は従来の機構に比べて高いため、低価格での提供を実現することを目指す必要がある。・構造が複雑でメンテナンスが困難なため、メンテナンス性を考慮した改良が必要である。・更なる多様化(現在では自転車に採用されているが、手漕ぎ自転車やスワンボートに対応可能にする) おわりに 現在、市場で販売されている自転車の大半は従来型(真円)の駆動方式を採用した言わば、非効率的な自転車が販売されています。一部では「自転車は二酸化炭素を排出しないエコな乗り物だ」などと言われていますが、エコな乗り物であっても用途によってはエコな乗り物ではないと私は考えています。自転車は走行中に二酸化炭素を排出しないだけではなく、維持費が安価であるという利点もありますが、自動車やバイクと比べ継続的に使用することが難しいことや製造工程でのコスト面が問題点として挙げられます。 また、通勤通学を短時間かつ楽に実現するために、電動アシスト自転車が広く普及していますが、モーターを動かすためのバッテリーは火力発電(2021年時点で化石燃料による火力発電が72.9%)から賄われた電気が利用されています。さらに、国によっては廃棄されるバッテリーの数が急激に増えており、リサイクル率の低いバッテリーが環境問題に悪影響を及ぼす可能性があります。そのため私個人としては、このような背景を考慮すると電動アシスト自転車の魅力を十分に感じることができません。まだ、経験が浅いため一概に否定しませんが、単純に「疲れたくないから」や「短時間で移動したいから」と言った安直な考えではなく、本当に自分自身のライフスタイルに適合するかどうかを慎重に考えるべきだと思います。 そのための戦略転換として、SDVの研究を行っています。前任者から研究を行っている高出力機構SDVはモーターに頼らず、人力だけで最大1.8倍の出力を実現することができます。この「人力だけで1.8倍」という点が魅力的ですし、さらにその名称は「Leonardo da Vinciが描いたとされるデッサン」を基に名付けられたという点から、技術者の世界観や遊び心、ユーモアなセンスが感じられます。高出力機構SDVの研究を進めることで、温室効果ガスや二酸化炭素の排出削減など、環境問題に対して有効な移動手段になる可能性があります。SDVの機構は環境にやさしく、持続可能な移動手段としての役割を果たすことが期待されます。 「この機構は未完成だが、その潜在能力から見れば未完の大器であると言える」。これからも高出力機構SDVリカンベント自転車の研究を進め、身近な場所で利用できる機構を目指します。そして、従来の機構よりもエコで高効率な自転車を提供し、社会に貢献したいと考えています。 あとがき 最後までこの文章をお読みいただきありがとうございました。楽しんでいただけましたか?少しでも高出力機構SDVリカンベント自転車の魅力が伝われば幸いです。ものつくり大学では、「ものつくり魂」を基盤に、ものづくりに直結する実技・実務教育を学び、一流の「テクノロジスト」を目指しています。学生の中には大学で初めて工作機械に触れた学生も多く、私もその一人です。ですが、企業の最前線で活躍してきた教職員の方々のサポートもあり、学生たちは充実した学びを受けることができます。また、研究分野では産業界で求められる課題・問題意識に取り組んでいます。 最後に、この記事を通じてものづくりに対する情熱や研究への取り組みを感じていただけたら幸いです。お忙しい中、最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。これからも、ものづくりの世界でさらなる成長を追求し、社会に貢献していくことを目指します。 原稿ものつくり学研究科1年 佐藤 正承(さとう まさよし) 関連リンク ・情報メカトロニクス学科 精密機械システム研究室(佐久田研究室)・ものつくり学研究科WEBページ
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【埼玉学①】行田-太古のリズムは今も息づく
「埼玉学」とは、埼玉県の歴史・文化・産業・地理・自然など、埼玉県に関するあらゆる分野を総合的に研究・探究する学問です。教養教育センターの井坂康志教授が新しい研究テーマとして連載を始めます。 わからないところが魅力 ものつくり大学の初代総長である哲学者の梅原猛は、「法隆寺の魅力は分からないところにある」と述べています。同じように埼玉を見るとき、魅力の淵源はその「分からなさ」にあるように思えてなりません。分からないなかでもとりわけ茫洋としているのが、行田をはじめとする県北です。実はこのエリアこそが古代と地続きのつながりを持ち、古墳や万葉の文化が今なお濃厚に息づく土地であることはあまり知られていません。その証拠を一つあげるなら、行田市には、埼玉(さきたま)の地名があり、埼玉県名発祥の地と称されています。この地が歴史上、文化・文明の中心だったことを思わせるに十分でしょう。 行田には埼玉(さきたま)の地名がある。 では、現在の埼玉県はどうでしょうか。埼玉県は、2つの時間意識を同時に持ち合わせている県のように見えます。東京という先端都市に追いつこうとする衝動と、太古の精神を穏やかに保存しようとする念慮の2つの動きが同時に存在している。この「二重の動き」によって、埼玉県は最も現代的であるとともにもっとも原始的であり、結果としてどことなく不確かで混沌としています。同時に、この2つの異なる時間意識の中でせめぎ合いつつ、アイデンティティの確立を先延ばしして現在に至っているようにも見えます。 「登れる」古墳がある そんな埼玉県の知られざる太古のリズムに触れたいのであれば、繰り返しになりますが、なるべく北部、特に行田、羽生、加須のあたりを訪れることをお勧めいたします。特に行田に広がる田野に身を置くと、まるで古代の本能が呼び起され、いつしか自己と大地が一体化したような錯覚さえ起ってくるから不思議です。 古墳に登るときの心持ちはどこか神妙である。 典型は古墳です。「さきたま古墳公園」は都心からわずか一時間ほど、にもかかわらず案外知られていません。まずは大きさに関係なく、目に付いた古墳に登ってみましょう。この「古墳に登る」というのは、考えてみれば他でなかなか味わうことの難しい刺激的な体験です。近畿地方の巨大古墳などは、実際に行ってみても、前方後円墳の形がそのまま目視できるわけではなく、沼地の先に森が広がっているようにしか見えません。それが行田の稲荷山古墳に登ってみると、前方後円墳の名称の由来がくっきりと解像度高く感じられるのです。さらには、登ってみることで、古墳を作った人たちの気持ちに触れられるというか、古墳建造の現場に立ち会っているかのような親密な感情さえ湧いてきます。 現代では、建築物の形式はスタイルやデザインによって表現されますが、古墳においては古代の美意識がそのまま何の衒いもなく露出しています。それは土木の力を通じて形成された、太古の人々の精神のフォルムです。たとえば稲荷山古墳の上をゆっくり歩くと、太古の人々の歌が素朴な抑揚と共に聞こえてくるような気さえしてきます。 小埼沼と万葉歌碑 もう一つ、行田には万葉の歌碑があります。比較的近くの小埼沼を私は先日訪れてみました。立てられたプレートは、行田市教育委員会によるものです。それによると、小埼沼は江戸時代には現在もほぼ同じ形状を保っているごく小さな水たまりであったと言います(私が見た時は水はなく、草で覆われていました)。この場所は、古代には東京湾の入り江として埼玉の港だったと伝えられていますが、プレートの説明によればその可能性は低いようです。 涸れた小埼沼のほとりにたたずむ 沼の脇の碑は、阿部正允(忍城主)によって1753年に設置されたものです。万葉集から2つの歌が刻まれており、その一つは次のようなものでした。 「佐吉多萬能 津尓乎流布祢乃 可是乎伊多美 都奈波多由登毛許登奈多延曽祢(埼玉の 津に居る船の 風を疾み 綱は絶ゆとも 言な絶えそね)」 時代が進み、AIやDXが私たちの認識を高度にシステム化していったとしても、ここには、変わることのない認識の原風景のようなものが表現されています。言霊を信じた万葉の歌人は、「綱は切れても言葉は絶やさないようにしてくださいね」と歌っています。言葉は手紙であったり、実際に交わされる音であったり、あるいは、心の中のつぶやきであったりもする。そこには言葉の実在への絶対的な信仰のようなものが見て取れます。それがなければ、このような深い感情は詠み切られるはずもなかったでしょう。 埼玉は長い間に多くの変化を経験してきました。農村はいつしか都市になり、河川が鉄道に置き換えられました。家業から巨大組織へと人間の活動現場は変化を遂げてきました。この明滅するごとき百年余りの変動の時代において、これらの原型は、確固たる意志をもって歴史の重みを静かに指し示しているように見えました。 人間の営みは、古墳であれ歌であれ、広い意味でのものづくりです。言うまでもなく、古代においても、古墳や歌は作り手にとってとても大切な存在でした。おそらく、今以上に古代の人々は、自身の活動が後世に与える影響を真摯に考え抜いて、その責任を引き受けようとしていたのではないでしょうか。だからこそ、千数百年後を経た現代でさえ、私たちは、残された偉大な文物を介して太古の精神の動きに触れられるし、また感動もできる。 埼玉県名発祥の地・行田。ここは埼玉の最も古い意識に導く入口のように感じられます。 Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学教養教育センター教授 1972年、埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、社会情報学。 関連リンク 【埼玉学②】吉見百穴――異界への入り口 【埼玉学③】秩父--巡礼の道
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【知・技の創造】ポストコロナと大学間連携
政府は本年5月に新型コロナウイルス感染症の位置付けを「2類相当」から「5類」に移行するとしており、私たちの生活におけるコロナ対策も一つの転換点を迎えようとしています。2020年に入り世界中で新型コロナウイルスの感染が拡大して以降「ポストコロナ」や「ニューノーマル」といった言葉を用いて、新しい教育環境の創出にまつわる議論が様々な場面でされてきました。とりわけ、デジタルを活用したグローバル化、地方創生、リカレント教育、大学間連携といったキーワードが活発に議論されてきました。 人材育成と大学間連携 時代に求められる、時代に受け入れられる学びの形態を考え続けることは大学の責務であり、いま社会に求められているものとして「超スマート人材の育成」と「社会と連携した職業訓練」が挙げられます。Society 5.0と呼ばれる「サイバー空間とフィジカル(現実)空間を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する人間中心の社会(Society)」を担う人材、それが超スマート人材ですが、情報社会(Society 4.0)に続く新たな社会の担い手になるためには、幅広い学びが必要です。それぞれの専門分野の学びはもちろん、コミュニケーション能力や協調性といった人間力を育むことが必要不可欠であり、それは言い換えれば、他者を理解し、尊重できる能力なのかもしれません。私がいま所属しているものつくり大学では、隣接する羽生市の埼玉純真短期大学と、加須市にある平成国際大学との間で連携協力協定を締結しています。このように複数の大学が連携することで、他分野の学生等との相互交流が可能となり、「他者を理解し尊重する能力」が育まれることに繋がります。 こども学科と建設学科 パンデミックの影響もありましたが、埼玉純真短期大学「こども学科」とものつくり大学「建設学科」の学生たちが交流することで、2018年度「模擬保育室(おひさまランド)」の幼児用家具と室内遊具をデザイン・製作、2020~2021年度「屋外キッズハウス」をデザイン・製作するというプロジェクトが展開されてきました。専門的知識と実践力のある保育者・教育者を社会に輩出する「こども学科」と、実際にものづくりができ技能にも秀でたテクノロジストを輩出する「建設学科」の学生たちが、お互いを理解し尊重することで実現した成果です。 2018年度制作の「模擬保育室(おひさまランド) 2020年度制作のキッズハウス ポストコロナ元年 令和5年度の埼玉県一般会計当初予算は「ポストコロナ元年~持続可能な発展に向けて~」と名付けられました。「10年先、20年先を見据え、埼玉県の持続可能な発展に向けての礎を築いていく」という決意が込められているそうです。その具体的な取り組みの中には、資源のスマートな利用、ゼロ・カーボン社会に向けた取り組みも含まれています。「木材」を使った模擬保育教室と屋外キッズハウスプロジェクトは、森林と木材利用がカーボンニュートラルに貢献できることの学びに通じるものです。学生たちがそのことを深く考えるのは、あるいは卒業後かもしれませんが、大学間連携によって他者を理解することを学んだ若者たちが、超スマート人材として次世代の担い手になってくれることを願っています。 2021年度制作のキッズハウス 埼玉新聞「知・技の創造」(2023年5月5日号)掲載 Profile 佐々木 昌孝(ささき・まさたか) 建設学科教授 1973年生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科(建設工学専攻)博士後期課程。博士(工学)。2020年4月より現職。専門は木材加工、日本建築史 関連リンク ・家具研究室(佐々木研究室)WEBサイト・建設学科WEBページ
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創造しいモノ・ガタリ 03 ~「問い」を学ぶ。だから学問は楽しい~
教養教育センターの井坂康志教授が、ものつくり大学の教員に、教育や研究にのめりこむきっかけとなったヒト・モノ・コトについてインタビュー。今回は教養教育センター 土居浩教授に伺いました。 Profile 土居 浩(どい ひろし)教養教育センター 教授総合研究大学院大学 博士課程(国際日本研究専攻)修了。博士(学術)。2001年ものつくり大学開学当初から着任。関心領域は、日常意匠論。 少年時代から先生になりたいと思っていたのでしょうか。 中高時代は学校の先生になれればいいなとは思っていましたね。先生のロールモデルで記憶しているのは理科の先生です。科目は理科なので思い出されるのは白衣姿なのですが、器楽演奏をはじめ音楽にも造詣が深く、ギター・マンドリン部の顧問としてお世話になりました。今にして思えば、学びを楽しまれている先生方との出会いに、恵まれてましたね。大学教員とは無縁の幼少期でしたので、その具体的イメージは皆無だったのですが、それでも、大学入学後に教わりました先生方は、とても楽しそうに見えたことが印象に残っています。 先生の専門分野は民俗学、宗教学ですが、専門分野に進む上でのきっかけとなったのはどんなことでしょうか。 平成になってから、京都の伏見にある教育大学に進学しました。振り返れば当時の日本はバブル経済の只中でしたが、その恩恵を私自身は感じなかったですね。それよりも、天安門事件やベルリンの壁崩壊や湾岸戦争といった激動する世界各地のニュースが流れる中、東京から距離を置いた京都で、ゆったりとした学生生活に浸った良き時代でありました。結局、十二年ほど京都で暮らしたので、私にとって京都は古里のひとつですし、今でも私の半分くらいは京都時代の要素で形成されている、とすら感じます。大学時代は地理学を専攻しておりまして、しばしば先生とともに現地を観察する機会が多かったことは大きかったと思います。それがフィールドワークという調査手法であることを後から学ぶわけですが、むしろ、歩くとそこが調査対象の現場になる体験が強烈でした。都会だろうが田舎だろうが、先生に同行すると、何とはない風景から何かが見出される。そんな「見方」を教わるわけです。この体験は私にとって研究者の眼の凄みを思い知らされる点で決定的でした。いま私が思い浮かべているのは、地理学の恩師である坂口慶治先生で、廃村研究が御専門です(これまでの研究が『廃村の研究:山地集落消滅の機構と要因』にまとめられています)。活きた地理学を学ぶ上で本当にお世話になりました。坂口先生は、大学時代に得ることのできた大切なロールモデルのお一人です。フィールドワークに同行すると、いつも楽しんでおられたことは印象的でしたね。先生が誰よりもその現地を楽しんで学んでいる。中高時代の先生もそうだったのですが、この学ぶ楽しさを全身で示していただいたことは、私の学びの原体験の一つとして、かつ現在の私の教育姿勢の根本として刷り込まれているかと思います。学部3回生の時に(講義とは全く関係なく)書いたレポート。すでにこの時から現在の専門に近い関心があったらしい。そんな影響の一端かと思いますが、私のゼミでの卒業研究のテーマを、学生以上に私が面白がっていることが、しばしばあります。たとえばコイン精米所についての研究(概要を研究室ウェブサイトに掲載してます)です。調査を重ねると、田舎よりも都市に近い土地に立地しているとか、勝手に思い込んでいた常識が覆る面白さがありました。このような身近なところにあるモノのような、小さな歴史を調べていくのは本当に楽しいことです。どんなありふれた(と思い込んでいる)風景にも、ありふれていない固有の物語があるのですから。おそらく私が大学で学んだことは、先生たちから座学として教わる知識よりも、先生のフィールドワークに同行することで、研究対象を楽しがる・面白がる技能を身につけたことだと思います。ある種の感染ですよね。次世代へわずかなりとも感染させたいものです。 コロナ禍で24時間営業を停止したコイン精米所(鴻巣市) コロナ禍でマスクするパチンコホールのキャラクター(さいたま市) 先生は「お墓」の研究でも知られていますが、専門分野に進む契機を教えてください。 やはり京都で暮らしたことが大きいです。京都の繁華街を散策していた時に、映画館の裏手に寺院が並んでいて、墓地だらけなことに気付いたんですね。私自身が生まれ育った実家のお墓は、市街地から離れた市営墓地の一角にあります。ですから初発の問いは「京都の墓はなぜ街の中心部にあるのか」でしたね。この問いが解けたら次の問いが生じて、今に至るような「墓ばかり調べている」人になりました。地区の納骨堂(福岡県筑後市)散骨の島として知られるカズラ島(島根県海士町)を対岸から眺める問いがイモヅル式に連鎖する過程で、地理学に限定されず、より幅広い視点から研究したいと考え、博士課程では総合研究大学院大学の国際日本研究専攻へ進学しました。この組織は国際日本文化研究センター(日文研)が受入機関で、京都の桂坂という、当時まだまだ開発中だったニュータウン地区の最辺縁部に位置してました。たいへん恵まれた研究環境で、特に図書館は、蔵書はもちろん研究支援サービスも含め、極めて充実していました。曲りなりとも私が博士論文をまとめることができたのは、日文研の図書館の支援なくしては、ありえなかったですね。日文研という機関がようやく創立十年になる頃で、私が在学した専攻としては四期生で、集団としても若かったですね。教員(教授・助教授・助手)も院生も、サロンのような交流部屋で活発に議論していたことを思い出します。実はその仮想敵として想定されるのが、梅原先生でした。何しろ日文研の初代所長として、当時の日本文化論に大きな影響を与えておられましたので、いかに梅原日本学を乗り越えるかが、教員も院生も共通する課題でした。この日文研での縁、梅原先生と縁が結ばれたことが、ものつくり大学に関わることになりました。 梅原先生について教えてください。 この大学の関係者からは、私が梅原先生の直弟子だと勘違いされたこともありましたが、私は世代的に「孫弟子」にあたります。さらには、直接にお会いしたのが日文研という研究所でしたので、研究会に同席するというヨコの繋がりで対面しましたので、教団から教わるようなタテの繋がりとは違います。梅原先生といえば、本当に愉しげに研究について語るお姿しか思い出せないほど、「学問は楽しい」を根底に据えておられた方でした。これは私が梅原先生からいただいた最大の学恩です。ここまで口頭では「梅原先生」と申し上げておりますが、正直、言い慣れないです。隔絶した偉人ですから、むしろ「梅原猛」と呼ぶのが相応しい。そう感じています。以前もエッセイに書きましたが、夏目漱石や和辻哲郎のように教科書に載るような、あるいは吉本隆明や司馬遼太郎のような高名な人に「先生」をつけると違和感がありますよね。個として強烈な人物だからでしょう。強烈な人物からは、熱気・元気・覇気の類が感じられるものですが、私が直接にその気にあてられ続けているのが「梅原猛」です。ものつくり大学着任直後、開学時の入学式の式辞を今もよく覚えています。それは「伝説」の式辞と呼ぶにふわさしいものでした。一般的に式辞と言えば、長くても5分程度かと思うのですが、梅原猛の式辞は1時間を超えて行われた大演説だったからです。途中に一度休憩を挟まざるをえないほどの熱弁を梅原猛はふるわれました。それは、ものつくり大学にかける思いの燃え上がるがごとき祝辞だったのです。「なぜものつくり大学が必要なのか」。その文明史的な観点から語っておられたのですが、そのとき浴びた熱気が、今でも私にとっての教育の熱源になっているのでしょう。 そのような影響は先生の現在の教育姿勢にも強く反映されていますね。 そうですね。学生だった頃、私たちを導いてくれた先生方の姿がとてもいきいきと楽しそうだったことが、現在の私の精神的細胞を形づくっているようにも感じています。学生がどう感じているかわかりませんが、私自身はいつも楽しく、ともに学生と学べることをありがたく思いながら教員生活を送ってきました。それに、楽しく学ぶことは、新しい問いを連れてきてくれます。学問とは「問いを学ぶ」とも読める。現在、AI(人工知能)が速やかに滑らかに何らかの回答を導き出してくれるのが話題になっていますが、ここで私のいう「問いを学ぶ」について、AIはどんな回答を提供してくれるのでしょうか。ごく最近のChatGPTを巡る議論は、私から眺めると「適切な問いとは何か」との延長上でしかありません。つまるところ、適切な答えへと至る「問いを学ぶ」姿勢を鍛えるしかない。これこそ教養として、誰もが身につけるべき基礎技能だと、私は確信しています。 取材・原稿井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学教養教育センター教授 関連リンク ・教養教育センターWEBページ・教養教育センター 日常意匠研究室(土居研究室)
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【知・技の創造】加工技術で環境課題に貢献
自動車や鉄道車両の軽量化手法 自動車や鉄道車両に代表される輸送機器の軽量化は、省エネルギー化や二酸化炭素排出低減などの環境問題に対し効果的な手段です。つまり、部材の強度や剛性に対する制約条件がある中で軽量化を図る必要があります。軽量化の手法としては大きく、材料の変更と形状の変更があり、要求される仕様に応じて一方または両方の手法が用いられます。 材料の変更については、単に強度や剛性が高い材料ということではなく、重量に対して強度や剛性が高い材料であることが重要です。自動車の強度部材として多く用いられている高張力鋼板は、一般的な鋼板と単位体積あたりの重量に差はありませんが、強度が高いため鋼板の板厚を薄くすることができ、体積減少により軽量化を図ることができます。アルミニウム合金やマグネシウム合金の強度や剛性は一般的な鉄系材料より小さいですが、単位重量あたりでは一般的な鉄系材料より大きくなります。このため、必ずしも板厚を薄くするなど体積を減らすことはできませんが、軽量化を図ることが可能です。 形状の変更については、1つの部材内において求められる強度や剛性に対応した断面積となるように設計することが重要です。なお、形状の変更は使用する素材の体積を減らすことを目的としているため、省資源化の観点でも優れた手法です。軽量化と省資源化を目的とした構造部品の代表的な例として管材があり、輸送機器の分野でも広く使用されています。管材は構造として、曲げやねじりの強度や剛性に対して影響の小さい半径方向中心部が空洞となっており、一方で影響の大きい半径方向中心部から距離の大きい位置で力を受けるため、重量に対して強度や剛性を高くすることができます。 変断面管の加工方法に関する研究 現在私は、管材において更なる軽量化を実現する変断面管の加工方法を提案し、その実用化に向けた研究を行っています。変断面管は長手方向にも要求される強度や剛性の分布に対応した形状とすることができるため、軽量化により有利な部材です。変断面管は自転車のフレームなど限られた部品に適用されているのが現状であり、実用的な加工方法も含めて、自動車や鉄道車両への積極的な適用の検討が進められている段階です。 提案している変断面管の加工方法は逐次鍛造によるもので、素材把持部と金型による加圧部の動作をコンピュータで制御し、刀鍛冶のように間欠的に素材を加圧し所望の形状に加工するものです。従来技術であるラジアルフォージングやスウェージングなどと比較し、汎用的な金型のみで複雑形状に加工できるため、金型素材や金型製作の観点でも省資源、省エネルギー化を図ることができる利点があります。この研究の最終ゴールとしては、コンピュータ上で設計した変断面管の形状データを入力とし、加工条件を自動決定後、自動加工を行う一連のシステムの実用化を目指しています。そして、提案した加工技術を用いた輸送機器部品の軽量化により環境問題に貢献していきたいと考えています。 埼玉新聞「知・技の創造」(2023年4月7日号)掲載 Profile 牧山 高大(まきやま たかひろ) 情報メカトロニクス学科講師電気通信大学大学院博士後期課程修了 博士(工学)株式会社日立製作所生産技術研究所を経て、2019年4月より現職。専門は塑性加工学。 関連リンク ・情報メカトロニクス学科WEBページ
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【知・技の創造】コンクリートの未来に向けて
転換点を迎えたコンクリート コンクリートは、現代のインフラ構築において不可欠な構造材料です。コンクリートの構成材料は、一般には水、セメント、細骨材(砂)、荒骨材(砂利)と少量のセメント分散効果のある液剤(化学混和剤)の5つになります。このうち、水、細骨材および粗骨材は、特殊な環境を除いて地球上のあらゆるところで採取できます。また、構造材料には、ほかに木材や鋼材が代表的ですが、我が国においては単位体積あたりではコンクリートが最も安価です。 これに加えて、適切な材料を使って練混ぜ、施工および養生を行えば、大きな圧縮強度が得られ、長大な構造物を重力に逆らわない自由な造形で構築することが可能です。 こうした特性が、広範に使われている所以なのかもしれません。しかしながら、昨今では施工人員の不足や環境負荷低減への対応が喫緊の課題となっており、大きな転換点を迎えています。 コンクリートの施行の変容 コンクリート工事は、機械化が進んでいるものの、未だに多くの作業を人力に頼る部分が大きいです。ある程度の構造物であれば、コンクリートを打込む部位1か所につき20名ほどの作業者が必要とされる場合もあります。一方で、作業者の高齢化や若年入職者の減少など、今後ますます人員が不足する可能性が高くなっています。 実習でコンクリートを打設している様子 この対策のために、ロボットの活用や更なる機械化施工に加え、3Dプリンティングの技術の開発など、各所で様々な取り組みが活発化しており、近い将来には多くの作業者が見られた建設現場の風景が変わる可能性を秘めています。 コンクリートの環境負荷低減 冒頭で述べたように、コンクリートは総合的には最も合理的な構造材料と言えます。一方で、セメントの製造には多くの二酸化炭素を排出し、地球環境保護の観点からは、いかに抑制するかが喫緊の課題となっています。業界の取り組みにより、徐々に改善されつつありますが、今後も引き続き検討していく必要があるでしょう。 また、セメントの代替として、高炉スラグ微粉末(鉄鋼生産の副産物)やフライアッシュ(石炭火力発電所等で副産される石炭灰)を大量に置換して、従前のセメントを用いたコンクリートと同等の性能を得る技術など、各所で多くの研究が行われています。 一方で、解体後のコンクリート塊は、従来より再生砕石等でほぼ全量がリサイクルされてきましたが、より環境負荷低減を図る上でもさらなる構造物の長寿命化や新たなリサイクル方法など、様々な技術が開発されつつあります。これらの研究開発が、コンクリートの未来に向けて大きな展開につながることが期待されています。 コンクリートの未来に向けて 現代のコンクリートが登場して100年ほど経過し、歴史的にも大きな転換点を迎えている状況ですが、これに代わる合理性を持った構造材料の登場には至っておらず、今後も当分の間多くの構造物で使われるものと思われます。 一方で、社会の変容のスピードは速く、これに追随して変化していかなければ、時代に取り残された技術となってしまいます。当研究室としても、新たなコンクリートの未来に向けて学生諸君とともに様々な課題解決のために研究活動に取り組んでいきたいと考えます。 埼玉新聞「知・技の創造」(2023年3月3日号)掲載 Profile 大塚 秀三(おおつか しゅうぞう) 建設学科教授 川口通正建築研究所を経て2005年ものつくり大学技能工芸学部建設技能工芸学科卒業(社会人入学、1期生)2013年日本大学大学院理工学研究科博士後期課程修了 博士(工学)2018年4月より現職。専門は建築材料施工、コンクリート工学 関連リンク ・建設学科WEBページ・建設学科 建築材料施工研究室(大塚研究室)
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創造しいモノ・ガタリ 02 ~「本物」を見に行こう~
教養教育センターの井坂康志教授が、ものつくり大学の教員に、教育や研究にのめりこむきっかけとなったヒト・モノ・コトについてインタビュー。今回は建設学科 八代克彦教授に伺いました。 Profile 八代 克彦(やしろ かつひこ)技能工芸学部建設学科 教授 1957年、群馬県沼田市生まれ。東京工業大学大学院理工学研究科建築学専攻博士課程単位取得退学。博士(工学)。札幌市立高等専門学校助教授を経て、2005年にものつくり大学へ移籍。専門は建築意匠・計画 現在行っている教育研究のきっかけを教えてください。 専門の建築意匠・計画の分野だけでなく、いろいろなモノに対して自然と関心が向いてきた研究人生であったと思います。一見すると寄り道に見えることが、後々意外なところで新しい活動につながったり触発されたりといったこともずいぶん体験してきました。 やはり研究人生の基点となったのが、東京工業大学の4年次に所属した茶谷正洋研究室です。茶谷先生は世間では「折り紙建築」の創始者として有名ですが、実は建築意匠・構法の研究者として環太平洋の民家を精力的にサーヴェイされており、その総仕上げともいえる中国の地下住居に研究室所属時に出くわし、一辺で魅了されました。時は1980年代初頭、中国北部の黄土高原に見られる伝統的な住居形態・窰洞(ヤオトン)と呼ばれる地面に穴を掘って生活する人々がなんと4,000万人もいました。これは、中国の陝西省北部、甘粛省東部、山西省中南部、河南省西部などの農村では普通に見られる住宅形式です。地坑院ともいわれており、現在では国家級無形文化遺産にも登録され、今でもかなりの数の人々(約1,000万人?)の人々が崖や地面に掘った穴を住居として利用しています。 その研究を行ったのが、1980年代中葉、天安門事件の前の時代でした。西安に留学し、住居の構造はもちろんのこと、文化人類学的な関心からも研究を深めることができました。黄土高原の表土である黄土は、柔らかく、非常に多孔質であるために簡単に掘り抜くことができ、住居全体を地下に沈めた「下沈式」と呼ばれる、世界的にも特異なものでした。今ならドローンで比較的安易に撮影可能と思いますが、当時はそのようなものはありませんので、横2m×縦2.7mほどの大きな六角凧で空撮を敢行しました。どこに行っても住人が凧の紐を持つのを争って手伝ってくれたのが懐かしい思い出です。 ヤオトン空撮写真(河南省洛陽) その経験が後々まで力を持ったということですね。 そうだと思います。やはり最初に関心を持った分野というのは、後々まで影響するようで、現在に至っても、私の建築デザインの原型にはあの洞窟住居があるように感じています。東工大の後は札幌市立高等専門学校に務めました。この学校は全国初かつ唯一のデザイン系の高専で、校長が建築家の清家清先生です。この学校で研究からデザイン教育にフォーカスしていったのですが、一貫して地下住居への関心は持ち続けてきました。なぜか気になる。そこには、必ず何かがあるはずなのです。その何かが研究を継続するうえでの芯のようなものを提供してくれたのかとも思う。まさに穴だらけの研究人生です。その後、2005年からものつくり大学で教鞭を執るようになりました。ものつくり大学では、手と頭を動かしてモノをつくる、ものづくりにこだわりを持つ学生が多く、刺激的な教育研究生活を送ってこられたと思います。これからも、学生には自分の中にある関心の芽を大切にしてほしいと思いますね。私の場合それは中国の地下住居だった。関心対象はどんどん形を変えていくかもしれないけれど、核にあるものはたぶん変わらない。二十歳前後の頃に、なぜかはっとさせられたもの、心を温めてくれたもの、存分に時間とエネルギーを費やしたものは、一生の主軸になってくれます。 ものつくり大学で最も強い思いのある作品は何ですか。 いろいろあるのですが、とりわけル・コルビュジエ(1887~1965年)の休暇小屋原寸レプリカが第一に挙げられると思います。現在ものつくり大学のキャンパスに設置されています。コルビュジエは、スイス生まれのフランス人建築家で、ミース・ファン・デル・ローエ、フランク・ロイド・ライト、ヴァルター・グロピウスと並んで近代建築の四大巨匠の一人に数えられる人です。これは正確には、「カップ・マルタンの休暇小屋」と言います。地中海イタリア国境近くの保養地リヴィエラにあるコルビュジエ夫婦のわずか5坪の別荘です。1951年にコルビュジエ64歳の折、妻の誕生祝いとして即興で設計して翌年に完成させた建築物です。打ち放しのコンクリートがコルビュジエの一般的なイメージなのですが、休暇小屋はきわめて珍しい木造建築なのですね。日本でのコルビュジエ作品としては、上野の国立西洋美術館が有名です。彼が設計者に指名されたのは1955年ですから、国立西洋美術館の構想も休暇小屋で練り上げられた可能性もあります。 どんなプロジェクトだったのでしょうか。 レプリカ制作に着手したのは、2010年6月、当時神本武征学長の頃でした。学長プロジェクトとして「とにかく大学を元気にする企画」という募集があって、さっそく有志を募ってプロジェクトを立ち上げました。「世界を変えたモノに学ぶ/原寸プロジェクト実行委員会」がそれです。建設学科と製造学科(現 情報メカトロニクス学科)両方の教職員学生を巻き込み、世界的名作とされる住宅や工業製品を原寸で忠実に再現することを通して、本物のものづくりを直に体験してほしいと考えて始めました。第一弾となったのが、この小さな休暇小屋であったわけです。そのこともあって、2010年9月に急いでフランスに渡り、必要な手続きを行うことになりましたが、これがとても刺激的でした。ありがたいことに、パリのル・コルビュジエ財団からは、翌10月には無事に許諾を得ることができました。2011年2月には、カップ・マルタンに学生10名、教職員6名とともに実物を見に行きました。これは現地の実測調査も兼ねており、約2年間の卒業制作として、設計、確認申請、施工とものつくり大学の学生たちが、ネジ一個から建具金物、照明、家具に至るまで丸ごと再現しています。実際に現地で見て、自分たちの手で原寸制作する。本人たちにとって本物のすさまじさを思い知らされる体験だったはずです。繰り返しになりますが、休暇小屋は私にとって、両学科協働で制作したものですから、両学科の叡智を結集した象徴的作品といってよい。現在は遠方からも足を運んで見に来てくださる方が大勢おられます。 カップマルタン実測調査の様子 教育研究にあたって心がけていることは何でしょう。 私はオプティミスティック(楽観的)な性格だと思っています。やはり学生に対しても希望と好奇心の大切さを語りたいと常々思っています。悲観的なことを語るのは、なんとなく知的に見えるかもしれないけど、現実には何も生み出さないのですね。特に本学の学生は、テクノロジストとして、将来ものづくりのリーダーになっていくわけですから、まずは自分がそれに惚れていないと明るい未来を堂々と語れないと思う。リーダーは不退転の決意で明朗なビジョンを語れなければ、誰もついていきたいとは思わないでしょう。そのこともあって、教育や研究の中でも、いつも学生には希望と好奇心、プラス一歩前に出る勇気を伝えてきたと思います。 最後にメッセージがあればお聞かせください。 私自身は「タンジブル」なもの、いわゆる五感で見て触れることを大切にしてきました。それらは物質という形式をとっているわけですけれども、創造した人の精神や思いの結晶でもあるわけです。そうであるならば、現在のようにオンラインとかネットで見られる時代だからこそ、なおさら本物に触れてほしいと思います。本物に触れなければどうしても伝わらないものがこの世界には偏在しているから。たとえば、「世界を変えたモノに学ぶ/原寸プロジェクト実行委員会」も、実物のみが語る声に対して繊細に耳を澄ませる体験がぜひとも必要だった。だから、カップ・マルタンまで足を運んだのです。それは私が大学時代、洞窟住居を研究するために中国に留学したのと同じ動機です。まさに、ホンモノ《・・・・》というのは千里を遠しとせず足を運ばせるにふさわしい熱量を持っているものなのです。フランスに本物があればフランスに行くし、中国に本物があれば中国に行く。そんな具合に私は世界中を見て回ってきたと思います。だから、ぜひ学生諸君には本物を相手にしてほしい。本物に触れ、その熱度に打たれてほしい。そのためにはどんどん外に行ってほしいと思います。まずはコルビュジエ設計の世界遺産、国立西洋美術館に足を運んでみてはいかがでしょうか。上野にあるわけですから。電車に乗れば一時間程度。たいした距離ではありません。実際に行って五感をフルに働かせてほしい。頭だけで想像したのとはまったく違う質感、コルビュジエの手触り感が伝わってくるはずです。 カップ・マルタンの休暇小屋レプリカの室内 八代教授と藤原名誉教授の著書「図解 世界遺産 ル・コルビュジエの小屋ができるまで」(エクスナレッジ刊) 取材・原稿井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学教養教育センター教授 関連リンク ・建設学科WEBページ・建設学科 デザインプロセス研究室(八代研究室)
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【知・技の創造】地域活性化は子どもたちから
地域を担うのは誰? 郊外や地方で人口が減少する中で、地域の活力や賑わいを維持するためには、少ない人口でも生産性を上げる新たな産業の創出や観光の振興などが考えられますが、そこに住まう「人」が必要不可欠です。そのため、いずれの地域も「人」を確保するために、移住・定住の促進や、地域外に居住されていても地域とかかわりを持ってもらえる関係人口を増やすことに力を入れています。 このように人口の減少局面では「地域の外の人」に目がいきがちですが、もっと身近なところに頼もしいヒューマンリソースがあります。 地域の子どもたち 地域の子どもたちは、私立学校を除けば、お互いに同じ地域の中で同じ小学校や中学校に通学することが多く、比較的近隣に居住して親密な人間関係の基礎を築いていく傾向にあります。しかしながら高校生や大学生になると、地域外への通学や活動の場面も多くなり、そのまま就職することでネットワークは広がりますが、地域へのかかわりは少なくなる傾向にあります。 このような、子どもたちの成長過程で広がるネットワークの中に、なかでも地域に根差した生活を送る小学生・中学生の時期に、もっと積極的に地域のまちづくりや課題解決への意識や行動につながる組織をつくることができれば、中長期的な人材確保につながるのではないかと考えています。 地域へのかかわりを維持 私たちの研究室では、地域の小学校と中学校をまたいで、子どもたちによって組織された「子どもまちづくり協議会」の試験的な設置を提唱しており、ある自治体において実際に取り組みを始めています。協議会というカタい表現はあくまで組織の趣旨や活動を理解してもらうための仮称で、覚えやすく親しみやすい名称をみんなで考えればよいと考えています。 この組織の大きな目的は、小学校・中学校の子どもたちにまちづくりや地域の課題を解決してもらう当事者の一員になってもらうことです。 もちろん、子どもたちだけでは難しい場面も多いと思われますので、大学をはじめ有志のオトナも適切なサポートを行います。組織の中には複数のチームがあり、学年単位といった横割りではなく小学生・中学生の区別なく学年も超えた混成チームを編成し、自分たちで決めたテーマに取り組んだり、ほかのチームと協力することで年齢の枠を超えたつながりをつくります。 このチームは学年が上がっても、卒業しても、地域を離れても可能な限り維持に努めます。成果は議会などに提言や報告することも考えられます。 緩やかだけど強力な応援団 このようなネットワークの中の組織から、たとえ数名でも地域に残って活躍したり、Uターンしたり、地域に居住していなくても興味を持ち続けて外からの力でまちづくりや地域課題の解決を支援したり、または地域に縁がなかった人までも巻き込むきっかけになれば、緩やかではありますが強力な応援団として、けっきょくは中長期的にみると大きな効果を発揮するのではないかと考えます。 地域の活性化には中核となる人材の存在がキモですので、その人材と地域にかかわるネットワークを、いまの子どもたちの中から「育てていく」仕組みづくりも重要ではないでしょうか。 埼玉新聞「知・技の創造」(2023年11月3日号)掲載 Profile 田尻 要(たじり かなめ) 建設学科教授 九州大学 博士(工学)総合建設会社を経て国立群馬工業高等専門学校助教授、ものつくり大学准教授、2013年より現職 自治体との連携実績や委員も多数 関連リンク ・生活環境研究室研究室(田尻研究室)WEBサイト・建設学科WEBページ
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【埼玉学③】秩父--巡礼の道
「埼玉学」とは、埼玉県の歴史・文化・産業・地理・自然など、埼玉県に関するあらゆる分野を総合的に研究・探究する学問です。教養教育センターの井坂康志教授が新しい研究テーマとして連載を始めました。 今回は、秩父の土地に宿る精神に思いを馳せます。 秩父がある 「埼玉県に何があるのですか?」--あなたはこう問うかもしれない(あるいは問わないかもしれない)。私ならこう答えるだろう。「埼玉には秩父がある」と。秩父というと誰でも思い出す、巡礼。そうと聞くと、これという理由もなしに、心の深層にかすかなさざ波が立つ。なぜだろう。なぜ秩父。なぜ巡礼。 東京に隣接した埼玉からすれば、秩父はその無意識に沈む無音の精神空間を表現しているように見える。だがそれはごく最近、近代以後の現象である。なぜなら埼玉はその空間的存在論からすれば、初めから巡礼の地だったからである。これはうかつにも注意されていないように思える。秩父は、その意味で土地というより、霊性をそのまま差し出してくれる、埼玉の奥の院だ。巡礼は、元来霊的な情報システムである。それは現代人工的に編み上げられた新しい情報システムを突き破ってしばしばその顔を表す。高度な情報の時代といっても、霊性が土地ときっぱりと切り離されてしまうことはないし、また霊性を伴って初めて土地の特性は人々の意識に入ってくる。もともと埼玉のみならず、技術と霊性とはいわば二重写しをなしている。埼玉では常にそれらは密接不離の絡み合いとして現在に至っている。言い方を変えれば、日常の陰に潜んで裏側から埼玉県民の認識作用に参画し、微妙な重心として作用している。そのことを今年の夏に足を運んで得心した。 旅の始まりは秩父線 霊道としての秩父線 秩父に至る巡礼路は今は鉄路である。熊谷から秩父線に乗ると、人と自然の取り扱われ方が、まるで違っていることに気づく。訪れる者の頭脳に訴えるとともに、感覚として、ほとんど生理的に働きかけてくる。平たく言えば、「びりびりくる」のだ。秩父線ホームには意外に乗客がいる。空は曇っているけど、紫外線はかなり強そうである。初めはまばらに住宅街やショッピングモールが目に入るが、いつしか寄居を越える頃にもなれば山の中を鉄路は走る。時々貨物列車とすれ違う。ただの列車ではない。異様に長く、貨車には石灰石がぎりぎりまで小器用に積み上げられている。それは精密で美しい。武甲山から採掘されたのだろう。やがて長瀞に到着する。鉄道と言ったところで、近代以後の枠にはめられた埼玉の生態を決して表現し尽くせるものではない。ところで埼玉と鉄道の関係はほとんど信じられないくらい深い。いや、深すぎて、埼玉に住む多くの人の頭脳の地図を完全に書き換えてしまってさえいる。現在の埼玉イメージのほとんどは鉄道によって重たいローラーをかけられて、完全にすりつぶされてしまったと言ってもいいだろう。地理感覚を鉄道と混同しながら育ってきたのだ。鉄道駅で表現すれば、たちまちその土地がわかった気になるのは、そのまま怠惰な鉄道脳のしわざである。そんな簡単な事柄も、巡礼と重なってくるといささか話が違ってくる。秩父線は埼玉の鉄道の中ではむしろ唯一といってよい例外だ。この精神史と鉄路の重複は、肉眼には映らないが、長瀞に到達してはじめて、心眼に映ずる古人の確信に思いをいたすことができた気がする。こんなに気ぜわしい世の中に生きているのだから、たまには旧習がいかに土地に深く根ざしたものであるか、現地に足を運んで思いをいたしてもばちは当たらないだろう。そこには埼玉県の日常意識からぽっかり抜けた真空がそのまま横たわっていたからだ。 山中の寺社には太古の風が吹いていた 長瀞駅から徒歩10分程度のところに宝登山神社がある。参道を登っていく先からは太鼓が遠く聞こえる。それが次第に近づいてくる。この神聖性の土台を外してしまっては、土地の神秘に触れることはできない。どれほど都市文化と切り結ぼうとも、最深部では歴史からの叫びがなければ文化というものは成り立たないからだ。それらは住む人々がめいめい期せずして持ち寄り差し出しあうことで現在まで永らえている何かでもある。 それがどうだろう。現在の「埼玉」という長持ちに収まると、何か別のイメージに変質してしまう。そこにしまい込まれているのは、このような素朴な信仰や習俗であるに違いない。奥の稲荷を抜け、古寺の境内にいつしか立ち入ると、そこは清新な空気に支配された静謐な一画である。赤い鳥居はほとんど均等に山の奥まで配分されている。古代の神々の寓居にばったり立ち入ってしまったかのようだ。 どんなに慌ただしい生活をしていたとしても、ときには果てしない歴史や人の生き死にについて問うくらいの用意は誰にでもあるだろう。埼玉の中心と考えられている東京都の隣接地域では、こんな山深いエリアが埼玉に存在していることなどまず念頭に上らないのがふつうである。いわば埼玉県の東半分は生と動の支配する世界であるが、西半分からは死と静の支配する世界から日々内省を迫られていると考えてみたらどうか。モーツァルトの『魔笛』のような夜と昼の世界--。 生と動もこの世にあるしばらくの間である。しかし、死と静はほとんど永遠である。このような基本的な意識の枠組みが、すでに埼玉県には歴史地理的に表現されている。 荒川源流 徒歩で駅まで戻って、今度は反対側の小道を下りてみた。商店には笛やぞうりなどの土産が並ぶ。坂の突き当りで、長瀞の岩畳をはじめて見た。そのとき、荒川という名称の由来を肌で感じた気がした。ふだん赤羽と川口の間の鉄橋下を流れる荒川は見たところ決して荒くれた川ではない。きちんとコントロールされ、取り立てて屈託もなしにたゆたっているように見える。源流に近い秩父の荒川を目にしたとき、古代の人たちが何を求めていたか、何を恐れていたかがはっきりした気がした。私は源流にほど近い荒川の実物を前にして、人間の精神と自然の精神との純粋な対話、近代の人工的な観念の介入を許さぬ瞑想に似た感覚に否応なく行き着いた。気づけば、私は広い岩の上に横になっていた。どうも土地の神々の胎内にいるような気分になる。それは土地の育んできた「夢」なのではないか。そんな風にも思いたくなる。少なくともそこには都市部の明瞭判然たる人間の怜悧な観念は存在しなかった。おそらく土地の精神とは比喩でも観念でもない。それは勝手にひねり出されたものではなかった。古代人の中では、主体と客体などという二元論はなかっただろう。ただ荒く呼吸して大地から湧出する滔々たる水流と一体になっていただけだろう。それを知るのに学問もいらないし、書物もいらない。古人の生活に直接問いかけるだけの素朴な心があれば十分だ。きっと昔の人は、現実と観念の対立をまるで感じていなかったに違いない。自然全体のうちに人はいるのだし、人の全体のうちに自然はあるというのが、彼らの生きていく意味だったのだ。彼らは、自然が差し出してくる何かを受け取るポイントを特別な場所として認知した。このような自己を取り巻く自然が十分に内面化された場所、自己とはかくのごときのものであり、かくあるべきものであるという場所で、彼らはあえて祭祀を行ったに違いない。 寝転んで川風に吹かれてみれば、土地の精神を支えているのは、存在と切り結ぶ自然感情であることは、明らかなように思える。秩父にあるのは論理ではない。言葉でさえない。あえて言えばそれはとてつもなく古い体験である。それがうまく言葉にならないというそのことが、かえって一種の表現を求めてやまない、どこかくぐもった呼び声として内面にこだましてくる。 「埼玉には何もない」などと気楽に自嘲し、ごく最近つくられた観念に戯れることしかできないのはあまりにさびしいことだ。何もないのではない。正体を見極めがたいほどに果てしなく、あまりに何かが「あり過ぎる」のだ。 長瀞の岩畳に横になり、江風に吹かれてみる Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学教養教育センター教授1972年、埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、社会情報学。 関連リンク ・【埼玉学①】行田-太古のリズムは今も息づく・【埼玉学②】吉見百穴-異界への入口
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【知・技の創造】化学実験用流体ブロック
もっと手軽に化学実験を 化学実験と聞くと何を思い浮かべるだろうか。試験官、ビーカー、フラスコ、ピペット、秤、バーナーなどのような実験器具・機材であろうか。学校で行った化学実験は準備や後片付けに時間がかかったのを覚えている。先生はさらに時間をかけていたに違いない。もっと手軽に化学実験を行えるようにはできないか。化学変化はつねに身近で起きている。なにしろ人間自体が大規模で複雑な化学実験の舞台であるからだ。全身に張り巡らされた血管の中を血液が流れ、脳内では神経細胞がさまざまな物質を使って情報処理を行っている。流れを利用して化学実験を行い、さらに流路を自在に組み換えることができれば、いろいろな化学実験を簡単に行えるではないか。筆者が子供の頃、電子ブロックというものが販売されていた。親指大のプラスチックのブロックの中に抵抗、コンデンサ、コイル、トランジスタなどいろいろな電子部品が内蔵されていて、ブロックの側面は接続端子になっている。ブロックを並べ替えることで、基礎的な電気回路の実験からラジオのような応用的な回路を組むことができた。 流体ブロックの研究 リソグラフィ技術を使ってガラス基板にマイクロメートル幅の流路をつくり、極微量サンプルの科学分析を行う研究(Micro-TAS)は30年くらい前から行われ、多くの成果をあげている。しかしながら、部品の再利用を前提とし自由に組み換えて実験を行うというよりは、特定の目的のために設計・調整されたものが主流である。微細な流路のため層流となり溶液の混合でさえもひと手間かける必要がある。本研究室では、試験官やビーカーよりは小さく、Micro-TAS が扱う領域より大きなサイズ、すなわち数ミリメートルの流路幅をターゲットにしている。このサイズは、重力が支配的になる世界と表面張力が支配的になる世界の境界である。さらに条件によっては層流にも乱流にもなる。流体ブロックの材質は透明で薬剤耐性に優れた PDMS (ポリジメチルシロキサン)である。PDMS は自己吸着性があるのでブロック同士やガラス面などによく密着する。このため並べるだけで3次元の流体回路も簡単に組むことができる。3Dプリンタなどを用いて流路の樹脂型をつくり、PDMS が硬化した後、樹脂型を溶解させれば所望の流体ブロックができあがる。 写真は製作した流体ブロックの1例である。今後、流路中にヒーター、熱電対などの様々なパーツを組み込んだ流体ブロックを製作していく予定である。埼玉新聞「知・技の創造」(2023年10月6日号)掲載 Profile 堀内 勉(ほりうち・つとむ) 情報メカトロニクス学科教授早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。博士(理学)。日本電信電話株式会社研究所を経て2014年4月より現職。
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【知・技の創造】気がつく人
「気がつく」ということ 人の特性のひとつに「慣れ」があります。はじめはおぼつかないことでも、慣れてくるとスムーズにできるようになります。これは良い例なのですが、悪い例もあります。何かが便利になるとはじめの内はありがたがるのですが、その便利さに慣れてしまうと当初の感謝の気持ちは薄れてきてしまいます。そして、急に不便になったときには腹を立てたりします。元に戻っただけなのだから腹を立てなくても、と思うのですが、そうはいきません。かく言う私も紛れもなくその一人です。そのときに今まで便利であったことに改めて気がつきます。 この「気がつく」ということは人には大事です。特に勉強でも研究でも趣味でもどんな場合でも、何か課題を解決しようとしているときにはとても大事だと思います。ところが日常的には中々気がつきません。周囲の多くのものに注意を払っていれば気がつくのではないかと思うのですが、多くのものに注意を払うのも大変です。メガネを使用している読者の方々は、メガネを掛けていることに気がつかずにメガネを探した、という経験はありませんか。私はあります。気がつくことは案外大変なのです。ただ、何かきっかけがあれば気がつくことができる、というのが先の「悪い例」です。もちろん良いことについても、きっかけがあると気がつきやすいはずです。 「気がつく」の応用 この「気がつく」ということを技能の修得に活用できないか、と考えています。技能の修得には一般的に時間が掛かります。例え仕事に関わる技能であっても、仕事中は技能の修得(つまり練習)のみに時間を割くことはできませんから、時間が掛かるのは仕方がありません。以前から「習うより慣れろ」という言葉がありますが、慣れるのにも時間が掛かるのです。そこで、慣れていく途中で自分より上手な他社との違いに「気がつく」ような指標を示すことができれば、技能の修得に役立つのではないかと考えています。また、当たり前のことですが、気がつくのは自分自身です。気がついたことをその人自身が自覚しなければなりません。自覚するためには自分自身あるいは成果を客観的にみる必要があります。ところが一生懸命にものごとに取り組むと、夢中になってしまって自分自身を客観的にみられなくなってしまう。あるいは目的を見失ってしまう、という状況に陥りやすくなります。そのようなときに、見失った自分や目的に気がつけるような仕組みの構築を目指しています。 何かを修得しようとする(上手にできるようになろうとする)ときには、まずは先達の物まねからはじめます。ところが物まねはできても、結果が伴わないことはしばしばあることです。これはスポーツを例にするとよくわかると思います。もし物まねで済むのであれば、皆同じ打ち方、投げ方になるはずです。しかし実際にはそうはなりません。なぜならば、人それぞれの体の大きさや関節の動く範囲、筋力などが異なるからです。 したがって人はまず物まねをしますが、その後何かに気がついて、自分なりの方法を見つけることになります。何に気がつくか、についても人それぞれです。ただ気がつくきっかけを提示できればと考えています。 埼玉新聞「知・技の創造」(2023年9月8日号)掲載 Profile 髙橋 宏樹(たかはし・ひろき) 建設学科教授順天堂大学体育学部卒。同大大学院修士課程修了後、東京工業大学工学部建築学科助手を経て02年ものつくり大学講師。08年より現職。博士(工学)。 関連リンク ・人の生活と建築材料の研究室(髙橋研究室)WEBサイト・建設学科WEBページ
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【知・技の創造】地域連携と高大連携
2つのフラワーデザインアート ものつくり大学の最寄り駅である高崎線吹上駅の改札を出ると、コスモスなどの美しい花々でデザインされた柱が視線に入ります。北口案内には元荒川の桜並木、南口案内には水管橋、窓にはコウノトリや花などのデザインが描かれています。これらは、「地域連携」および「高大連携」の取り組みの一環として制作されたものです。ものつくり大学では、学生プロジェクト団体として「ものつくりデザイナーズプロジェクト」(以下、MDP)が登録されています。作品制作や学外展示、ヒーローショーを行うプロジェクトとしてデザイン活動をしています。2021年度に鴻巣市、観光協会からの依頼により「鴻巣駅自由通路フラワーデザインアートプロジェクト」として、鴻巣駅自由通路に作品を展示し、次に、2022年度「吹上駅自由通路フラワーデザインアートプロジェクト」を実施しました。2022年度のプロジェクトでは、鴻巣高等学校、鴻巣女子高等学校、吹上秋桜高等学校美術部の生徒さんが四季を通じた花やコウノトリ、桜、水管橋などを手書きおよびコンピューターグラフィックスにより作品を制作しました。それらの作品群を、本学のMDPメンバーがレイアウト構成をし、大きさや濃淡の調整を行いながら全体を完成させました。 吹上駅改札付近のフラワーデザインアートとMDPの内田颯さん(写真左)、松本拓樹さん(写真右) 高校の生徒さんには、授業やテスト、学校行事の忙しい合間を縫いながら、素敵な作品を制作してもらいました。生徒さんの提案で、窓をスライドし、2枚の窓を重ね合わせることで、デザインの見え方が変化するなどの工夫も凝らしています。さらに、朝と夜間では外光の差し込み方や照明灯の反射により、作品の輪郭が白く浮かび上がるなど、時間帯によっても窓のデザインについて異なる見え方が楽しむことができます。窓越しから視線をさらに運ぶと、青空や大きな雲が広がり、それらが窓に溶け込むことで、さながら窓自体が額縁のようにも感じられます。 「地域連携」と「高大連携」の成果 「駅の通路」という多くの方々が日常的に利用する空間に、これらの作品が末永く展示されることを嬉しく思います。MDPメンバーにとっても、やりがいのあるプロジェクトでした。プロジェクトを通じて、名所、史跡や地域を知ること、高校との協力による作品制作など、「地域連携」と「高大連携」の成果が正に統合されたものと感じています。吹上駅および鴻巣駅の近郊では、多くの名所、史跡および観光スポットがございます。散歩および観光の「出発点」として、吹上駅および鴻巣駅へお立ち寄りの際に、これらの作品についてもご覧いただき、楽しんでいただければ幸いです。埼玉新聞「知・技の創造」(2023年8月4日)掲載 Profile 松本 宏行(まつもと・ひろゆき) 情報メカトロニクス学科教授工学院大学大学院工学研究科博士後期課程修了。博士(工学)。専門は機械力学、設計工学。 関連リンク ・フラワーデザインアートで駅利用者をHAPPYに!・ものつくりデザイナーズプロジェクト「MDP」WEBページ・情報メカトロニクス学科WEBページ
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【埼玉学②】吉見百穴――異界への入り口
「埼玉学」とは、埼玉県の歴史・文化・産業・地理・自然など、埼玉県に関するあらゆる分野を総合的に研究・探究する学問です。教養教育センターの井坂康志教授が新しい研究テーマとして連載を始めました。 今回は、埼玉県比企郡吉見町にある古墳時代の末期(6世紀末~7世紀末)に造られたとされる吉見百穴を訪れ、その不思議な魅力に触れていきます。 埼玉の不思議なもの 古人の建造物は、石や土、木とは限りません。岩の壁面に穿たれた「穴」もあるからです。吉見百穴の存在を最初に私に教えてくれたのは、学研という出版社が刊行していた「まんがひみつシリーズ」でした。シリーズ発刊は1972年だから、ほぼ半世紀前になります。自然や社会について子供でも理解できる工夫を見ると、仕事は丁寧、文章は達意、じつに卓越したクラフツマンシップの発揮された本に仕上がっています。 思わずため息が出るくらい、よくできたシリーズでした。たとえば、「野球」「切手」「宇宙」「からだ」「昆虫」など子供にとっては何ともいえず心惹かれるテーマ。実に軽快な手さばきで、面白おかしく編み直していく。私もかつては編集の仕事をしていたのですが、大いに脱帽させられたものでした。 とくに気に入っていたのは、『日本のひみつ探検』(「学研まんがひみつシリーズ29」)です。今みたいにスマホもネットもなかったので、暇さえあれば目を落としました。ただめくるだけのときにもありました。各ページ欄外には一つずつ「豆知識」が配されて、それだけで心が揺らめくのです。日本の地殻変動の目覚ましい働きから、自然的造形や名所旧跡などをとても親しげに、子供に寄り添って示してくれる。鬼の洗濯板、琵琶湖、青木ヶ原樹海、天橋立など、神秘の予感に彩られた地名はたぶんこの本で知ったと思います。 子供の頃の愛読書 一つが吉見百穴です(確か本には「ひゃっけつ」とルビが振られていた記憶がありますが、「ひゃくあな」が一般的のようですね)。古代の旧跡が自分の住む埼玉県にあるというので、根拠なく湧いてきた誇らしい気持ちだけは覚えています。いつか訪れてみたいと思いました。ですが、埼玉県民を悩ませる複雑怪奇の鉄道事情も相まって、訪れることができずに今日に至ってしまいました。(余談となりますが、私の勤める行田市の大学から隣町・加須市の実家に行くのに、高崎線の吹上駅まで15分、一度大宮まで出て宇都宮線に乗り換えて栗橋まで約1時間、徒歩で15分と計90分かかります。ちなみに、同地点から新宿までとほぼ同じ時間です。あるいは所沢あたりに出ようと思ったら、東京より遠い) 百穴を訪ねてみた 鴻巣駅からバスが出ていることは聞いていました。初夏の汗ばむような暑い日、吉見百穴を訪ねてみました。とにかく長い荒川の橋を抜けていきます。対岸まで続く緑の農地を眺めるともなく眺めながら、表れては消える田野や林と心の中で対話していると、唐突に現れたのが吉見百穴でした。日本の昔から名勝や景勝と言われている地はたいていは素朴な演出が施されているのが常ですが、完全にむき出し、空に向かって露出しています。 異様な無数の穴は唐突に現れる 川一つ隔てた向こうの灰色の岩壁には、蜂の巣のように詰まった感じの穴が目に入る。現代でいうところのカプセルホテルを思わせるところがあります。異様な穴がある時代に突如として出現したのに、どのような事情があったのは、私にはわかりません。実は、この疑問はすでに『日本のひみつ探検』を読んだ頃から私の頭を占めていました。 穴の用途については二つのまったく異質の説が存在していました。一つは、コロボックルの住処とする住居説、もう一つは墓所説です。両説は、考えるほど不明瞭になる気がします。ある時代にこのような構造物の突如とした出現について、どのような詳細があったのか、私は知りません。というか、知りたくもない。かくも得体の知れない穴についての説明など、どんな本を読んでも、人から聞いても、とうてい自分を納得させる自信がないからです。 異様な300の目 私はひたすら穴ばかり凝視していました。私のごとき素人には見当もつかないながらも、何か理解を求めてやまぬ生き物のように私には感じられました。あるいは、近くを流れる川向こうの平地の動静を監視している諜報施設のようにも。いずれにしても、近代に汚染された頭脳では及ばない、神妙な調和が付随するのは間違いなく、いつまでも見ていても見飽きることがなかった。これが本当のところです。見ているうちになんだか見られているのはこちらのほうではないか、そんな不気味な感覚に支配されるのです。穴の中に入ってみました。入口は大人一人がやっと入れるくらい、ひんやりとしている。 穴の一つに入ってみる 岩の壁面に穿たれた穴は300を超えるという。百とは「数の多さ」を意味する寓意でしょう。現実はその寓意をはるかに上回っている。しかもただの穴と言っても、300以上の穴を硬い岩壁に穿つ作業が生半可でない以上、何らかの強い意志と固く結ばれていないわけがない。思いつきの気まぐれでないことは確かでしょう。 もちろんその意思が何なのか、どこに通じているのかは私にわかるはずもないのですが、その場に身を置いて私が抱いた勝手な印象は、「戦への備え」でした。いくつもの穿たれた穴から敵方の動静を虎視眈々と監視する「目」です。第二次大戦中、軍事施設が存在していました。現在は柵で仕切られていますが、いくつかの穴の奥は軍需工場に通じていたとのこと。埼玉県には桶川や所沢、戦時中の空を担う重要施設がいくつも設置されていました。時に人は土地に一種のにおいを感じることがあります。古代人の感じ取ったものと同系の土地に染み付くかすかな匂い。そして張り詰めた決死の思い――。これらの穴は一体どこにつながっているのでしょうか。 ここはかつて軍事施設だった。怖い profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学教養教育センター教授 1972年、埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、社会情報学。 関連リンク 【埼玉学①】行田-太古のリズムは今も息づく
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【知・技の創造】木造住宅4号特例の縮小
木造の住宅設計における「4号特例」とは 私の研究室では建築物の構造設計を通じて物の仕組みや成り立ちを考える研究を行っています。皆さんは木造の住宅設計において「4号特例」という制度があるのをご存じでしょうか?4号特例について新築の設計を例に説明すると、建築基準法第6条1項4号で定める建築物を建築士が設計する場合、建築確認の際に構造耐力関係規定などの審査を省略できる制度の事です。つまり対象となる建築物を設計する際に一部の書類提出を省略できるため、建築士も施主が望まない限りは審査に不要な書類の作成は行ってきませんでした。ここで対象となる建築物とは住宅等の木造建築物で2階建て以下の建物、延べ面積が500㎡以下で建物高さが13mまたは軒の高さが9m以下の建物で、これらの建物については建築確認審査を簡略化するという規定が「4号特例」と呼ばれる制度です。 ただし、建築士の責任で基準法に適合させることが前提です。4号特例は1983年に法改正してできた制度で当時の4号建築物の着工件数は今の倍程度あり確認審査側の人手との兼ね合いで、設計業務の一部の範囲については建築士の判断に委ねようという経緯がありました。 その後、1998年の建築基準法改正による建築確認・検査の民営化等によって、建築確認審査の実施率が向上し続ける一方で、4号特例制度を活用した多数の住宅において不適切な設計・工事監理が行われ、構造強度不足が明らかになる事案が断続的に発生したことなどを受け、制度の見直しの必要性が検討されてきました。 4号特例の縮小と課題 そのような状況の中、地球規模の課題である気候変動問題の解決に向けて、2050年までにカーボンニュートラルと呼ばれている脱炭素社会の実現に向けて国土交通省は建築物省エネ法と建築基準法を改正しました。2025年の全面施行に向け、段階的に政省令や告示などを定めていく予定で、その改正の中に「4号特例の縮小」と呼ばれる審査制度の見直し案が盛り込まれることになりました。改正後は4号の規定内容は新3号というものに引き継がれ特例となる対象は、平屋建て、床面積200㎡以下に範囲が縮小されます。 つまり2階建ての木造戸建て住宅は構造審査が必要になるという事です。これは建築業界にとっては大きな変化で建築士の業務量は増大し確認審査員の負担する審査件数も増大することで円滑な施工が実現できるのか懸念されています。木造住宅を手掛ける構造設計者の人数は、4号特例の縮小によって構造計算が必要になる住宅の物件数の増加に対して十分とは言えず、今後建設業界全体で木造住宅の構造計算を手掛けられる技術者を育てていく必要があります。もちろん4号特例の縮小は住宅を建てる施主側にとっては大きな安心につながります。より構造計画を重視した設計が求められることになり構造設計者の役割が重要になってきます。 私の研究室でも建築構造の基礎を学び構造設計の分野で活躍できる人材を社会に送り出していきたいと思っています。 埼玉新聞「知・技の創造」(2023年7月7日)掲載 Profile 間藤 早太(まとう・はやた) 建設学科教授日本大学理工学部建築学科卒業。1級建築士・構造設計1級建築士。金箱構造設計事務所を経て間藤構造設計事務所を設立。2022年より現職。 関連リンク ・建設学科WEBページ
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創造しいモノ・ガタリ 04 ~私の原動力-「誰も想像していなかったもの」をつくりたい~
教養教育センターの井坂康志教授が、ものつくり大学の教員に、教育や研究にのめりこむきっかけとなったヒト・モノ・コトについてインタビュー。今回は、的場やすし客員教授に伺いました。 Profile 的場 やすし(まとば やすし)的場ラボ(個人事業主)主宰信州大学理学部生物学科卒業後、本田技術研究所における自動車材料研究、認知症高齢者介護施設運営に理事として参画等を経て現在は、ものつくり大学客員教授、お茶の水女子大学学部教育研究協力員。仮想世界と実物体を融合した新しいインターフェースを研究中。これまでに、ACM SIGGRAPH Art Gallery(2000、2007)、Emerging Technologies(2011、2012、2013年)や、Ars Electronica(1999年)への作品出展をはじめ、デジタルコンテンツグランプリ アート部門インタラクティブ賞(2001年)、アジアデジタルアート大賞展 インタラクティブアート部門優秀賞(2012、2013年)、Laval Virtual Awards 部門賞(2011、2012、2013年)グランプリ(2013年)、CEDEC インタラクティブ賞(2017年)、経済産業省 Innovative Technologies 特別賞(2013、2017年)、テレビ東京 WBS トレンドたまご年間大賞(2013、2017年)他受賞 先生の研究の原点はどのようなものだったのでしょうか。 子どもの頃からアイディアを考えるのが好きでした。優れたアイディアを見るのも大好きで、小さい頃に初めてトイレットペーパーをワンタッチで交換できる機構を見たときに、ものすごく感動した記憶があります(それまでは伸縮する棒で固定する、面倒くさい機構しか知らなかったので)。小さい頃から面倒くさがりで、常に「楽をしたい」と思っていたので「苦労して行っていた作業がアイディアひとつで楽になる」というのは非常に素晴らしいことだと考えていました。大学時代は信州大学理学部の生物学科に在籍し、蚕のさなぎの休眠時の呼吸について研究していました。卒業後は、バイク好きだったこともあり、本田技術研究所で材料関係の研究職に就いて、内装材の研究開発などに従事していましたが、20代の後半に違うことをしたいと思って研究所を辞めて、介護施設の運営に関わる仕事などを行ってきました。このころから「HCI」(ヒューマンコンピュータインタラクション)分野に興味を持ち、メディアアート作品の制作を始めました。ものつくり大学との出会いは2008年、修士課程入学を機としています。ずっとものをつくるのは好きだったので木工などは得意でしたが、金属加工などはわからないことが多かったので、菅谷諭先生のもとで取り組みました。2009年の大学祭の「ものつくりコンペ」に「シャボン玉 空気砲」という作品を出展して優勝したこともあります。ものつくり大学を卒業した後、電気通信大学の博士課程に籍を置き、約8年インターフェースの研究を続けました。 2009年ものつくりコンペ優勝作品「シャボン玉 空気砲」 現在先生は流動床で知られていますね。きっかけを教えてください。 流動床という現象は古くから様々な産業で使われてきましたが、一般にはほとんど知られていませんでした。私は流動床と仕事の上で直接の関係があったわけではありません。そのおもしろさを見つけることができたのは半ば偶然の出合いであり、非常に幸運だったと感じています。きっかけは、ある日 YouTube で流動床焼却炉の動画を目にしたことです。それを見ていた時、「普通の状態では、その上を歩くことのできる砂が、スイッチを入れると液状化して、中で泳げるようになる」という世界初の装置が作れると思いました。そしてこれをインターフェースとして、面白いエンターテイメントシステムが絶対作れると確信したわけです。このアイディアが始まりでした。そして2016年に「流動床インターフェース」を作ったのですが、作ってみたら液状化した砂の感触が想像以上に面白くてびっくりしました。 それまでもいろいろなディスプレイを作ってこられたのですね。その話を伺えますか。 2011年に制作した「スプラッシュディスプレイ(SplashDisplay)」があります。たとえば、通常のテレビや映画では爆発のシーンが映っても実際に画面上で物理的に物体が飛び散る現象が起きるわけではありませんが、物理的な物体の移動を伴うことで、リアルに爆発したように見えるディスプレイを実現しました。底面120センチ×90センチ、深さ30センチの容器を発砲ビーズで満たし、上方に設置したプロジェクターからビーズの表面へ映像を投影して水平型のディスプレイを構成します。容器の底は網状になっており、その下に多数の送風機または移動できる送風機を設置して、投影される爆発の映像に合わせて送風機を作動させ、風によってビーズを上方に吹き飛ばします。このため、ユーザーからはディスプレイ表面にリアルな爆発が発生したように見えるのです。この作品は、2012年の SIGGRAPH(北米で行われるCGやインタラクション技術などを扱う世界最大の学会)における発表、2012年の Laval Virtual Award(フランスで行われる世界最大の VR・3Dなどのコンテスト)における「3D Games and Entertainment 賞」の受賞、アジアデジタルアート大賞優秀賞受賞などでの発表の機会に加えて、国内外50か所以上の美術館などでの展示を行い、好評を博することができました。もう一つ、「アクアトップ ディスプレイ(Aquatop Display」は、お風呂の水面をタッチパネルディスプレイにしたものです。お風呂に入浴剤を入れて真っ白にした状態で、上からプロジェクターで映像を投影することで水面をディスプレイにします。さらに「キネクト」という特殊なセンサーカメラで、水面にタッチした指や、水の中から水面上へ突き出した指の位置を検出することで、お風呂の水面がタッチパネル付きディスプレイになるという作品です。フランスで開催された Laval Virtual 2013 でのグランプリ受賞や、WBS 2013 トレンドたまご年間大賞 他、数々の賞を受賞することができました。 その他にも触ると痛いタッチパネルディスプレイ「Biri-Biri」や、生きた魚のディスプレイ「ChatFish」、水の滝のディスプレイ「AquaFall Display」他を作っています。 スプラッシュディスプレイ アクアトップ ディスプレイ 流動床に戻りますが、どのようにして世に出していったのでしょうか。 「流動床インターフェース」を制作したのは2016年ですが、発表で最も早いものは、2017年3月3日明治大学で行われた、情報処理学会主催のシンポジウム「インタラクション2017」でのデモ発表ですね。このシンポジウムには多数の HCI 研究者が参加していたのですが、流動床について知識を持っている来場者はほとんどいないことがわかりました。デモ発表では、HCI 研究者から大きな驚きと興味をもって迎えられ、一般参加者の投票で選ばれる賞とプログラム委員で決定する賞の2つのデモ賞を受賞することができました。得票数は「断トツ」ということでした。テレビや新聞にもこれまでに40回以上取り上げられています。2017年3月17日テレビ東京の「ワールドビジネスサテライト」というニュース番組の「トレンドたまご」コーナーで、最初に取り上げてもらいました。スタジオの方々には「流動床による砂の液状化や HMD を使ったVR」のハイテクな要素と「人間の手を介して実現されるアナログな演出」のローテクの要素のギャップに、ユニークな印象を持っていただけたようです。同年12月に「2017トレンドたまご年間大賞」を受賞しています。これまでに何度も大学外で展示を行っていますが、ほとんどの人が水のように変化する砂に初めて接することで、驚き、歓声を上げていました。また流動化した砂に腕を入れてかき混ぜる体験は、水のようになめらかなのに濡れることがない何とも言えない不思議な感覚で、「気持ちが良い」「目を閉じれば水」「癒される」「家に欲しい」という意見が多く聞かれました。流動床を世に出すにあたっては、ものつくり大学の菅谷諭先生のご尽力に触れないわけにはいきません。菅谷先生は砂1トンを必要とする本装置のために、学内に場所を提供してくださいました。また、特許取得にあたっても、菅谷先生はお知り合いの弁理士の紹介等、特許取得を後押ししてくださいました。 初期の流動床インターフェース テレビ収録の様子 他に印象に残っているものは。 幕張メッセ及び ZOZO マリンスタジアムで開催されたロックフェスティバル「SUMMER SONIC 2017」(2017年8月19~20日)にて、江崎グリコ社ブース内の体験型アトラクション「なめらカヌー」の流動床部分を制作し、展示を行いました。江崎グリコ社は毎年、同社のアイス製品「パピコ」のなめらかさを表現する趣旨のアトラクションを展示しています。2017年は「なめらかに流動化した砂の上でパピコの形をしたカヌーに乗り、複数の小型バスケットゴールに投げ入れる」という競技の要素を持った展示を行うことになり、これまでにない大規模な装置を製作しました(4メートル×3メートル、深さ30センチ、砂を約5トン使用)。カヌーはパピコをそのまま大きくした形状にしたため、胴体が円筒状となり、底が丸く非常に不安定で転覆しやすい状態になってしまいました。このため、砂の中に隠れて見えないように、底からワイヤーを伸ばしてカヌーにつなげ、傾く角度に制限をつけて転覆しない構造にしました。来場者は、乗り込むまでは安定しているのですが、その後のスイッチ操作で砂が突如液状化し、不安定な状態になるアトラクションに、新鮮な驚きを感じてくれたようです。 最後に、ものつくり大学の学生にメッセージをお願いします。 私にとって創造の原動力になっているのは、「今まで誰も想像していなかったアイディアを考え、新しくてすごい物を作りたい」という思いでした。これまで、思いついたアイディアをいろいろな場で提案してきました。ただ、変わった発想のアイディアって認めてもらえないことが多いですね。特に日本ではそうなのかもしれません。将来、学生の皆さんが提案したアイディアが周りの人から認められない、ということがあるかもしれません。でも、めげないでください。よくあることです。実は、私が今まで作ってきた研究作品の中で、もっとも優れたアイディアだと自分で思うのは「信号機カメラ」と「ツイドア」という作品です。「信号機カメラ」は全盲の方に歩行者用信号機の色を音声で伝えるスマホアプリで、「ツイドア」は認知症高齢者の徘徊の発生をツイッターを利用して写真付きで伝える装置です。「福祉関係だから良い」という訳ではなく、アイディアのシンプルさや効果など、総合的に考えて今までの作品の中でダントツに良いと思っています。しかしこの2つとも今までの学会発表やテレビでの紹介では(自分では不思議に思うのですが)ほとんど評価されていません。評価基準が人とずれているのかも…とも思いますが。電気通信大学時代に開発した「アクアトップ ディスプレイ」も、大学でこのアイディアを私が最初に提案したときの周りの反応は「お風呂はそういうことをするところじゃないでしょ」といったように芳しくないもので、共同研究者を探すのも苦労するほどでした。しかし、実際に開発すると高い評価を受け、数々の賞を受賞しました。流動床インターフェースも開発当初、都内にある知り合いの大学の研究室に共同研究を持ちかけたものの、共同研究には至らなかった経緯があります。もしも、おもしろいアイディアを思いついたけれど他人から評価されなかったときは、説明がうまく出来ていないのかもしれません(本当におもしろくないという可能性もありますが…)。そんなときは試作品を作って見せると、理解してもらえることも多いです。ものつくり大学は機材が充実しているし、すぐれた技術を持つ先生方からアドバイスをもらえます。アイディアがあればどんどん実現させることができる環境があるので、ものつくり大学の学生の皆さんにも、どんどんおもしろいものを作り出してほしいと思っています。モチベーションは何でもいいと思います。私の場合、流動床が世の中の関心を集めたこともあって、テレビ取材を多く受けました。たくさんの芸能人に会うこともできました。そのような動機でもいいと思います。また、おもしろいものをおもしろいと思える感性も大切だと思います。他人の意見に左右されず、感性を磨きましょう。おもしろいものを作るためにはアイディアをたくさん考え、たくさん試して、たくさん失敗することも大事だと思います。たくさん失敗を経験することで「失敗しない作り方」がわかってきます。ぜひどんどん挑戦して、優れたアイディアを世の中に出してほしいと願っています。 取材・原稿井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学教養教育センター教授 関連リンク ・的場やすし YouTubeチャンネル
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【知・技の創造】広い視点での英語学習
英語とものづくりの類似点 英語を習得するには、ただ語彙や文法を多く知っているのみでは不十分である。「材料」としての語彙知識をもとに適切なものを選び、文法という「設計図」に従い、「組み立て」、場面や相手との関係で適切に使う(「取扱説明書」)ことが必要で、ある意味「ものづくり」と類似点がある。また、異文化理解や使う人の文化的価値観(「背景知識」)を知ることが円滑なコミュニケーション上必要になる。そのためには、様々な英語の様相を知ることが重要である。 言葉は変化する 大学で英語の授業を担当しているが、自身は「英語そのもの」の専門家、つまり通訳や翻訳者ではなく、大学院で「英語学(言語学を英語を対象に研究)」専門で、研究という立場から英語を見てきた。帰りのバスの時間待ちで入った大学の図書館で出会った「英語学概論」という1冊の本にとても興味を持ち影響を受けたのが始まりで、研究の道に入り今に至っている。 日本語に古典があるように、「古英語から現代英語」への変遷がある。5世紀にイギリスへ移住したアングロサクソン人の支配、そしてバイキングの侵略やノルマン征服などの歴史的出来事に影響され語彙が変わり、さらに「大母音推移」という中英語~近代英語にかけて起こった母音を中心とする音の変化により、後世で私たちが英語学習で苦労する「綴り文字と音のずれ」にも歴史があることが分かる。ことばは生きており、変化している。 多くの言語は共通の「祖語(インドヨーロッパ語族)」が起源でさまざまに派生し分化した。英語はその中で「ゲルマン語派」である。同属のドイツ語話者はオランダ語が親戚あるいは方言のように構造や語彙が似ており覚えやすい。日本語はこの語族には含まれず(その起源についてはいろんな説がある)構造から全く異なることから、日本語話者が英語を学ぶことに難しい部分が存在する。世界の言語は数千もあると言われているが、消滅したあるいは消滅の危機にある言語もある。言葉は、変化するものであり、若者言葉や「はやりの」言葉の中にも、徐々に定着し、文法化され、辞書に載るものも出てくる。このように英語の歴史の一部を見てみるだけでも、英語が奥深いものであることがわかる。 言語を学ぶために必要なもの 英語を学ぶには、英文法・表現の習得のみではなく、その背景にあることを総体的に知ることも重要である。日本語と比較すると、英語は「発想の仕方、物の見方などの世界観」が日本語とは異なる部分があり、異分野の人との円滑なコミュニケーションを行う上で、言葉のみでなく文化や社会を知ることも必要となる。本学の学生が将来、企業でさまざまな背景や価値観を持った人たちと働き、英語圏の英語とは異なる「さまざまな英語」を共通としてコミュニケーションを取る機会も出てくると思われる。いかに相手を理解し「英語というコミュニケーションツール」を用い意思疎通するのかが重要となる。そのため、「正しい文法知識」ということだけではなく、「異なった考え方や文化を持つ相手を理解し積極的に相手とコミュニケーションをとる態度」が重要である。授業では、これまで学び研究してきたことに基づき、広い視点で英語を学べる場を提供していきたいと考える。 埼玉新聞「知・技の創造」(2023年6月2日号)掲載 Profile 土井 香乙里(どい・かおり) 教養教育センター講師富山大学大学院・大阪大学大学院・早稲田大学大学院などで学び、早稲田大学人間科学学術院(人間情報科学科)助手などを経て、現職。専門は、言語学・応用言語学。 関連リンク ・教養教育センター 英語教育・コミュニケーション研究室(土井研究室)・教養教育センターWEBページ
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【大学院生による研究紹介】高出力機構(SDV)リカンベント自転車の研究
本学では学部4年次と大学院2年次から本格的に研究が始まります。この研究は、担当指導教員と共に研究テーマを選定し、企画・設計・制作・検査・評価までの一連の作業を行います。 今回は、佐藤正承さん(大学院1年生・佐久田研究室)が、集大成となる自身の研究を紹介します。 はじめに 私は、高校生の頃から自転車に関する研究を行いたいという思いがあり、学部の卒業研究のテーマとして取り上げ、大学院生になった現在も研究を続けています。今回はその一部を私の持論とともにご紹介させていただきます。 今では身近な移動手段として幅広い層から利用されている自転車ですが、自転車の歴史は浅く200年という短い歳月の中で様々な変化を遂げ、今の自転車が存在しています。世界には推定10億台以上の自転車がありますが、その多くは東南アジアに集中しています。さらに、欧米諸国でも地球環境の配慮や健康の面からも自転車の利用度は増加傾向にあります。しかし、従来型自転車の駆動機構では単純で生産しやすいということに重きを置いた構造であり、人間からの動力を最大限に発揮する機構とは言えません。また、楽に短時間で通勤通学をサポートする乗り物として電動アシスト自転車もありますが、価格が高くモーターによる駆動が環境面で問題視されています。 現在、皆さんにはあまり聞きなじみのない「SDVリカンベント自転車」という高出力自転車の研究を行っています。この研究では、従来型自転車と比べて最大で1.8倍の出力を実現することが可能であり、将来的には従来型機構の代替となる可能性を秘めています。以前も2人の先輩が研究され、私が引き継いで3代目になりました。私は、さらなる効率化を追求するために研究を進めています。この高出力自転車ですが、元々は産業技術総合研究所(以下、産総研)とオーテック有限会社で共同研究が行われていましたが、産総研での研究が終了した後に、私が所属する精密機械システム研究室(佐久田研究室)が研究の継承と発展のために購入しました。 SDVリカンベント自転車とは? 高出力機構「SDV」は、産総研とオーテックの共同研究で開発されました。SDVはSuper da Vinci Vehicle の略で世界的に有名な画家 Leonardo da Vinci(レオナルド・ダ・ヴィンチ) が描いたとされるデッサンにあやかり名付けられ、SDVや高出力自転車と呼ばれています。もし、デッサンが事実であるとすれば、その起源は15世紀末まで遡ることができ「現在の自転車に革命をもたらす可能性がある」という夢と希望に満ち溢れた自転車を研究していることになります。 Leonardo da Vinci が描いたとされるデッサン リカンベント自転車とは、オランダ語で寝そべりながら運転する自転車の事で、空気抵抗が少ない事から世界一速い手動2輪と言われています。このリカンベントタイプでは、カナダ出身のTodd・Reichert(トッド・ライヘルト)氏が自転車の世界最速記録である144km/hを達成したとしても知られている乗り物です。そのためSDVリカンベント自転車は。SDV(高出力)の機構とリカンベント自転車(世界一速い自転車)を組み合わせて制作された自転車なので、実走しても体感できるほど未来の自転車(ロマン仕様)です。今後、この自転車を使用して世界最速に挑む人が現れるかもしれません。 高出力機構SDVリカンベント自転車 SDV型駆動(長円運動)と従来型駆動(真円運動)の違い <SDV型(例:高出力自転車)の場合> ・スプロケット:上下左右に2枚のスプロケット(歯車)合計4枚仕様・回転方法:チェーンを直接引っ張り回転させる・形状:精密な形状・長円:人間が得意とされる駆動方式・価格:髙い SDVの特徴・SDVは人間が得意とされる上から下へ蹴る力を効率的に力に変換することができる・長円状のチェーンにペダルを直結し、長い直線部分で人間の蹴る力を駆動力に変換できるためパワーロスが少なく大きな力を得ることができる。 <従来型(例:ママチャリ)の場合> ・スプロケット:片側に1枚のスプロケット・回転方法:クランク(歯車)本体を回転させる・形状:生産しやすい形状・真円:真円なため力が伝わりにくい・価格:安い 従来型の特徴・踏みやすく、ペダリング(漕ぐ動作)が安定しているため、上り坂や低速時にも力が入りやすい・形状が円形で加工が容易であるため、コストが低いのも特徴 SDV 従来型 従来型が最適な機構ではない理由 従来型とは、この場ではシティサイクル(ママチャリ)などに装備されている真円形状の事を指し、真円の形状では人間が得意とされる踏み込み力(人間が地面を蹴る動作すなわち直線距離)が少なく、パワーが伝わりにくい傾向にあります。一方で、円運動の特性を考慮し、効率的なパワー発生を実現するために、楕円形状の機構が販売されています。しかし、従来型と楕円形状でのパワーの差は0.1倍程度であまり効果が期待できません。私も時折、楕円形状を使用していますが、体感できる程の変化は感じられませんでした(回転効率が上昇するためやや速くなる程度です)。しかし、これらのことを踏まえて開発されたのがSDVという機構です。SDVは2枚のスプロケット(歯車)を横に並べて配置することによって、直線距離を長くすることで人間が得意とされる踏み込み力を高い値で維持しながら自転車に伝えることが可能になりました。詳細はこの場では触れませんが、産総研の報告によると、最適な運動形態はややS字状であるとの結果が出ており、それを基にこの装置が開発されました。 今後の課題 ・登坂時には、電動アシスト自転車のように楽に坂道を上ることができないため、この課題に対して解決策を模索する必要がある。・SDVの価格は従来の機構に比べて高いため、低価格での提供を実現することを目指す必要がある。・構造が複雑でメンテナンスが困難なため、メンテナンス性を考慮した改良が必要である。・更なる多様化(現在では自転車に採用されているが、手漕ぎ自転車やスワンボートに対応可能にする) おわりに 現在、市場で販売されている自転車の大半は従来型(真円)の駆動方式を採用した言わば、非効率的な自転車が販売されています。一部では「自転車は二酸化炭素を排出しないエコな乗り物だ」などと言われていますが、エコな乗り物であっても用途によってはエコな乗り物ではないと私は考えています。自転車は走行中に二酸化炭素を排出しないだけではなく、維持費が安価であるという利点もありますが、自動車やバイクと比べ継続的に使用することが難しいことや製造工程でのコスト面が問題点として挙げられます。 また、通勤通学を短時間かつ楽に実現するために、電動アシスト自転車が広く普及していますが、モーターを動かすためのバッテリーは火力発電(2021年時点で化石燃料による火力発電が72.9%)から賄われた電気が利用されています。さらに、国によっては廃棄されるバッテリーの数が急激に増えており、リサイクル率の低いバッテリーが環境問題に悪影響を及ぼす可能性があります。そのため私個人としては、このような背景を考慮すると電動アシスト自転車の魅力を十分に感じることができません。まだ、経験が浅いため一概に否定しませんが、単純に「疲れたくないから」や「短時間で移動したいから」と言った安直な考えではなく、本当に自分自身のライフスタイルに適合するかどうかを慎重に考えるべきだと思います。 そのための戦略転換として、SDVの研究を行っています。前任者から研究を行っている高出力機構SDVはモーターに頼らず、人力だけで最大1.8倍の出力を実現することができます。この「人力だけで1.8倍」という点が魅力的ですし、さらにその名称は「Leonardo da Vinciが描いたとされるデッサン」を基に名付けられたという点から、技術者の世界観や遊び心、ユーモアなセンスが感じられます。高出力機構SDVの研究を進めることで、温室効果ガスや二酸化炭素の排出削減など、環境問題に対して有効な移動手段になる可能性があります。SDVの機構は環境にやさしく、持続可能な移動手段としての役割を果たすことが期待されます。 「この機構は未完成だが、その潜在能力から見れば未完の大器であると言える」。これからも高出力機構SDVリカンベント自転車の研究を進め、身近な場所で利用できる機構を目指します。そして、従来の機構よりもエコで高効率な自転車を提供し、社会に貢献したいと考えています。 あとがき 最後までこの文章をお読みいただきありがとうございました。楽しんでいただけましたか?少しでも高出力機構SDVリカンベント自転車の魅力が伝われば幸いです。ものつくり大学では、「ものつくり魂」を基盤に、ものづくりに直結する実技・実務教育を学び、一流の「テクノロジスト」を目指しています。学生の中には大学で初めて工作機械に触れた学生も多く、私もその一人です。ですが、企業の最前線で活躍してきた教職員の方々のサポートもあり、学生たちは充実した学びを受けることができます。また、研究分野では産業界で求められる課題・問題意識に取り組んでいます。 最後に、この記事を通じてものづくりに対する情熱や研究への取り組みを感じていただけたら幸いです。お忙しい中、最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。これからも、ものづくりの世界でさらなる成長を追求し、社会に貢献していくことを目指します。 原稿ものつくり学研究科1年 佐藤 正承(さとう まさよし) 関連リンク ・情報メカトロニクス学科 精密機械システム研究室(佐久田研究室)・ものつくり学研究科WEBページ
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【埼玉学①】行田-太古のリズムは今も息づく
「埼玉学」とは、埼玉県の歴史・文化・産業・地理・自然など、埼玉県に関するあらゆる分野を総合的に研究・探究する学問です。教養教育センターの井坂康志教授が新しい研究テーマとして連載を始めます。 わからないところが魅力 ものつくり大学の初代総長である哲学者の梅原猛は、「法隆寺の魅力は分からないところにある」と述べています。同じように埼玉を見るとき、魅力の淵源はその「分からなさ」にあるように思えてなりません。分からないなかでもとりわけ茫洋としているのが、行田をはじめとする県北です。実はこのエリアこそが古代と地続きのつながりを持ち、古墳や万葉の文化が今なお濃厚に息づく土地であることはあまり知られていません。その証拠を一つあげるなら、行田市には、埼玉(さきたま)の地名があり、埼玉県名発祥の地と称されています。この地が歴史上、文化・文明の中心だったことを思わせるに十分でしょう。 行田には埼玉(さきたま)の地名がある。 では、現在の埼玉県はどうでしょうか。埼玉県は、2つの時間意識を同時に持ち合わせている県のように見えます。東京という先端都市に追いつこうとする衝動と、太古の精神を穏やかに保存しようとする念慮の2つの動きが同時に存在している。この「二重の動き」によって、埼玉県は最も現代的であるとともにもっとも原始的であり、結果としてどことなく不確かで混沌としています。同時に、この2つの異なる時間意識の中でせめぎ合いつつ、アイデンティティの確立を先延ばしして現在に至っているようにも見えます。 「登れる」古墳がある そんな埼玉県の知られざる太古のリズムに触れたいのであれば、繰り返しになりますが、なるべく北部、特に行田、羽生、加須のあたりを訪れることをお勧めいたします。特に行田に広がる田野に身を置くと、まるで古代の本能が呼び起され、いつしか自己と大地が一体化したような錯覚さえ起ってくるから不思議です。 古墳に登るときの心持ちはどこか神妙である。 典型は古墳です。「さきたま古墳公園」は都心からわずか一時間ほど、にもかかわらず案外知られていません。まずは大きさに関係なく、目に付いた古墳に登ってみましょう。この「古墳に登る」というのは、考えてみれば他でなかなか味わうことの難しい刺激的な体験です。近畿地方の巨大古墳などは、実際に行ってみても、前方後円墳の形がそのまま目視できるわけではなく、沼地の先に森が広がっているようにしか見えません。それが行田の稲荷山古墳に登ってみると、前方後円墳の名称の由来がくっきりと解像度高く感じられるのです。さらには、登ってみることで、古墳を作った人たちの気持ちに触れられるというか、古墳建造の現場に立ち会っているかのような親密な感情さえ湧いてきます。 現代では、建築物の形式はスタイルやデザインによって表現されますが、古墳においては古代の美意識がそのまま何の衒いもなく露出しています。それは土木の力を通じて形成された、太古の人々の精神のフォルムです。たとえば稲荷山古墳の上をゆっくり歩くと、太古の人々の歌が素朴な抑揚と共に聞こえてくるような気さえしてきます。 小埼沼と万葉歌碑 もう一つ、行田には万葉の歌碑があります。比較的近くの小埼沼を私は先日訪れてみました。立てられたプレートは、行田市教育委員会によるものです。それによると、小埼沼は江戸時代には現在もほぼ同じ形状を保っているごく小さな水たまりであったと言います(私が見た時は水はなく、草で覆われていました)。この場所は、古代には東京湾の入り江として埼玉の港だったと伝えられていますが、プレートの説明によればその可能性は低いようです。 涸れた小埼沼のほとりにたたずむ 沼の脇の碑は、阿部正允(忍城主)によって1753年に設置されたものです。万葉集から2つの歌が刻まれており、その一つは次のようなものでした。 「佐吉多萬能 津尓乎流布祢乃 可是乎伊多美 都奈波多由登毛許登奈多延曽祢(埼玉の 津に居る船の 風を疾み 綱は絶ゆとも 言な絶えそね)」 時代が進み、AIやDXが私たちの認識を高度にシステム化していったとしても、ここには、変わることのない認識の原風景のようなものが表現されています。言霊を信じた万葉の歌人は、「綱は切れても言葉は絶やさないようにしてくださいね」と歌っています。言葉は手紙であったり、実際に交わされる音であったり、あるいは、心の中のつぶやきであったりもする。そこには言葉の実在への絶対的な信仰のようなものが見て取れます。それがなければ、このような深い感情は詠み切られるはずもなかったでしょう。 埼玉は長い間に多くの変化を経験してきました。農村はいつしか都市になり、河川が鉄道に置き換えられました。家業から巨大組織へと人間の活動現場は変化を遂げてきました。この明滅するごとき百年余りの変動の時代において、これらの原型は、確固たる意志をもって歴史の重みを静かに指し示しているように見えました。 人間の営みは、古墳であれ歌であれ、広い意味でのものづくりです。言うまでもなく、古代においても、古墳や歌は作り手にとってとても大切な存在でした。おそらく、今以上に古代の人々は、自身の活動が後世に与える影響を真摯に考え抜いて、その責任を引き受けようとしていたのではないでしょうか。だからこそ、千数百年後を経た現代でさえ、私たちは、残された偉大な文物を介して太古の精神の動きに触れられるし、また感動もできる。 埼玉県名発祥の地・行田。ここは埼玉の最も古い意識に導く入口のように感じられます。 Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学教養教育センター教授 1972年、埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、社会情報学。 関連リンク 【埼玉学②】吉見百穴――異界への入り口 【埼玉学③】秩父--巡礼の道
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【知・技の創造】ポストコロナと大学間連携
政府は本年5月に新型コロナウイルス感染症の位置付けを「2類相当」から「5類」に移行するとしており、私たちの生活におけるコロナ対策も一つの転換点を迎えようとしています。2020年に入り世界中で新型コロナウイルスの感染が拡大して以降「ポストコロナ」や「ニューノーマル」といった言葉を用いて、新しい教育環境の創出にまつわる議論が様々な場面でされてきました。とりわけ、デジタルを活用したグローバル化、地方創生、リカレント教育、大学間連携といったキーワードが活発に議論されてきました。 人材育成と大学間連携 時代に求められる、時代に受け入れられる学びの形態を考え続けることは大学の責務であり、いま社会に求められているものとして「超スマート人材の育成」と「社会と連携した職業訓練」が挙げられます。Society 5.0と呼ばれる「サイバー空間とフィジカル(現実)空間を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する人間中心の社会(Society)」を担う人材、それが超スマート人材ですが、情報社会(Society 4.0)に続く新たな社会の担い手になるためには、幅広い学びが必要です。それぞれの専門分野の学びはもちろん、コミュニケーション能力や協調性といった人間力を育むことが必要不可欠であり、それは言い換えれば、他者を理解し、尊重できる能力なのかもしれません。私がいま所属しているものつくり大学では、隣接する羽生市の埼玉純真短期大学と、加須市にある平成国際大学との間で連携協力協定を締結しています。このように複数の大学が連携することで、他分野の学生等との相互交流が可能となり、「他者を理解し尊重する能力」が育まれることに繋がります。 こども学科と建設学科 パンデミックの影響もありましたが、埼玉純真短期大学「こども学科」とものつくり大学「建設学科」の学生たちが交流することで、2018年度「模擬保育室(おひさまランド)」の幼児用家具と室内遊具をデザイン・製作、2020~2021年度「屋外キッズハウス」をデザイン・製作するというプロジェクトが展開されてきました。専門的知識と実践力のある保育者・教育者を社会に輩出する「こども学科」と、実際にものづくりができ技能にも秀でたテクノロジストを輩出する「建設学科」の学生たちが、お互いを理解し尊重することで実現した成果です。 2018年度制作の「模擬保育室(おひさまランド) 2020年度制作のキッズハウス ポストコロナ元年 令和5年度の埼玉県一般会計当初予算は「ポストコロナ元年~持続可能な発展に向けて~」と名付けられました。「10年先、20年先を見据え、埼玉県の持続可能な発展に向けての礎を築いていく」という決意が込められているそうです。その具体的な取り組みの中には、資源のスマートな利用、ゼロ・カーボン社会に向けた取り組みも含まれています。「木材」を使った模擬保育教室と屋外キッズハウスプロジェクトは、森林と木材利用がカーボンニュートラルに貢献できることの学びに通じるものです。学生たちがそのことを深く考えるのは、あるいは卒業後かもしれませんが、大学間連携によって他者を理解することを学んだ若者たちが、超スマート人材として次世代の担い手になってくれることを願っています。 2021年度制作のキッズハウス 埼玉新聞「知・技の創造」(2023年5月5日号)掲載 Profile 佐々木 昌孝(ささき・まさたか) 建設学科教授 1973年生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科(建設工学専攻)博士後期課程。博士(工学)。2020年4月より現職。専門は木材加工、日本建築史 関連リンク ・家具研究室(佐々木研究室)WEBサイト・建設学科WEBページ
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創造しいモノ・ガタリ 03 ~「問い」を学ぶ。だから学問は楽しい~
教養教育センターの井坂康志教授が、ものつくり大学の教員に、教育や研究にのめりこむきっかけとなったヒト・モノ・コトについてインタビュー。今回は教養教育センター 土居浩教授に伺いました。 Profile 土居 浩(どい ひろし)教養教育センター 教授総合研究大学院大学 博士課程(国際日本研究専攻)修了。博士(学術)。2001年ものつくり大学開学当初から着任。関心領域は、日常意匠論。 少年時代から先生になりたいと思っていたのでしょうか。 中高時代は学校の先生になれればいいなとは思っていましたね。先生のロールモデルで記憶しているのは理科の先生です。科目は理科なので思い出されるのは白衣姿なのですが、器楽演奏をはじめ音楽にも造詣が深く、ギター・マンドリン部の顧問としてお世話になりました。今にして思えば、学びを楽しまれている先生方との出会いに、恵まれてましたね。大学教員とは無縁の幼少期でしたので、その具体的イメージは皆無だったのですが、それでも、大学入学後に教わりました先生方は、とても楽しそうに見えたことが印象に残っています。 先生の専門分野は民俗学、宗教学ですが、専門分野に進む上でのきっかけとなったのはどんなことでしょうか。 平成になってから、京都の伏見にある教育大学に進学しました。振り返れば当時の日本はバブル経済の只中でしたが、その恩恵を私自身は感じなかったですね。それよりも、天安門事件やベルリンの壁崩壊や湾岸戦争といった激動する世界各地のニュースが流れる中、東京から距離を置いた京都で、ゆったりとした学生生活に浸った良き時代でありました。結局、十二年ほど京都で暮らしたので、私にとって京都は古里のひとつですし、今でも私の半分くらいは京都時代の要素で形成されている、とすら感じます。大学時代は地理学を専攻しておりまして、しばしば先生とともに現地を観察する機会が多かったことは大きかったと思います。それがフィールドワークという調査手法であることを後から学ぶわけですが、むしろ、歩くとそこが調査対象の現場になる体験が強烈でした。都会だろうが田舎だろうが、先生に同行すると、何とはない風景から何かが見出される。そんな「見方」を教わるわけです。この体験は私にとって研究者の眼の凄みを思い知らされる点で決定的でした。いま私が思い浮かべているのは、地理学の恩師である坂口慶治先生で、廃村研究が御専門です(これまでの研究が『廃村の研究:山地集落消滅の機構と要因』にまとめられています)。活きた地理学を学ぶ上で本当にお世話になりました。坂口先生は、大学時代に得ることのできた大切なロールモデルのお一人です。フィールドワークに同行すると、いつも楽しんでおられたことは印象的でしたね。先生が誰よりもその現地を楽しんで学んでいる。中高時代の先生もそうだったのですが、この学ぶ楽しさを全身で示していただいたことは、私の学びの原体験の一つとして、かつ現在の私の教育姿勢の根本として刷り込まれているかと思います。学部3回生の時に(講義とは全く関係なく)書いたレポート。すでにこの時から現在の専門に近い関心があったらしい。そんな影響の一端かと思いますが、私のゼミでの卒業研究のテーマを、学生以上に私が面白がっていることが、しばしばあります。たとえばコイン精米所についての研究(概要を研究室ウェブサイトに掲載してます)です。調査を重ねると、田舎よりも都市に近い土地に立地しているとか、勝手に思い込んでいた常識が覆る面白さがありました。このような身近なところにあるモノのような、小さな歴史を調べていくのは本当に楽しいことです。どんなありふれた(と思い込んでいる)風景にも、ありふれていない固有の物語があるのですから。おそらく私が大学で学んだことは、先生たちから座学として教わる知識よりも、先生のフィールドワークに同行することで、研究対象を楽しがる・面白がる技能を身につけたことだと思います。ある種の感染ですよね。次世代へわずかなりとも感染させたいものです。 コロナ禍で24時間営業を停止したコイン精米所(鴻巣市) コロナ禍でマスクするパチンコホールのキャラクター(さいたま市) 先生は「お墓」の研究でも知られていますが、専門分野に進む契機を教えてください。 やはり京都で暮らしたことが大きいです。京都の繁華街を散策していた時に、映画館の裏手に寺院が並んでいて、墓地だらけなことに気付いたんですね。私自身が生まれ育った実家のお墓は、市街地から離れた市営墓地の一角にあります。ですから初発の問いは「京都の墓はなぜ街の中心部にあるのか」でしたね。この問いが解けたら次の問いが生じて、今に至るような「墓ばかり調べている」人になりました。地区の納骨堂(福岡県筑後市)散骨の島として知られるカズラ島(島根県海士町)を対岸から眺める問いがイモヅル式に連鎖する過程で、地理学に限定されず、より幅広い視点から研究したいと考え、博士課程では総合研究大学院大学の国際日本研究専攻へ進学しました。この組織は国際日本文化研究センター(日文研)が受入機関で、京都の桂坂という、当時まだまだ開発中だったニュータウン地区の最辺縁部に位置してました。たいへん恵まれた研究環境で、特に図書館は、蔵書はもちろん研究支援サービスも含め、極めて充実していました。曲りなりとも私が博士論文をまとめることができたのは、日文研の図書館の支援なくしては、ありえなかったですね。日文研という機関がようやく創立十年になる頃で、私が在学した専攻としては四期生で、集団としても若かったですね。教員(教授・助教授・助手)も院生も、サロンのような交流部屋で活発に議論していたことを思い出します。実はその仮想敵として想定されるのが、梅原先生でした。何しろ日文研の初代所長として、当時の日本文化論に大きな影響を与えておられましたので、いかに梅原日本学を乗り越えるかが、教員も院生も共通する課題でした。この日文研での縁、梅原先生と縁が結ばれたことが、ものつくり大学に関わることになりました。 梅原先生について教えてください。 この大学の関係者からは、私が梅原先生の直弟子だと勘違いされたこともありましたが、私は世代的に「孫弟子」にあたります。さらには、直接にお会いしたのが日文研という研究所でしたので、研究会に同席するというヨコの繋がりで対面しましたので、教団から教わるようなタテの繋がりとは違います。梅原先生といえば、本当に愉しげに研究について語るお姿しか思い出せないほど、「学問は楽しい」を根底に据えておられた方でした。これは私が梅原先生からいただいた最大の学恩です。ここまで口頭では「梅原先生」と申し上げておりますが、正直、言い慣れないです。隔絶した偉人ですから、むしろ「梅原猛」と呼ぶのが相応しい。そう感じています。以前もエッセイに書きましたが、夏目漱石や和辻哲郎のように教科書に載るような、あるいは吉本隆明や司馬遼太郎のような高名な人に「先生」をつけると違和感がありますよね。個として強烈な人物だからでしょう。強烈な人物からは、熱気・元気・覇気の類が感じられるものですが、私が直接にその気にあてられ続けているのが「梅原猛」です。ものつくり大学着任直後、開学時の入学式の式辞を今もよく覚えています。それは「伝説」の式辞と呼ぶにふわさしいものでした。一般的に式辞と言えば、長くても5分程度かと思うのですが、梅原猛の式辞は1時間を超えて行われた大演説だったからです。途中に一度休憩を挟まざるをえないほどの熱弁を梅原猛はふるわれました。それは、ものつくり大学にかける思いの燃え上がるがごとき祝辞だったのです。「なぜものつくり大学が必要なのか」。その文明史的な観点から語っておられたのですが、そのとき浴びた熱気が、今でも私にとっての教育の熱源になっているのでしょう。 そのような影響は先生の現在の教育姿勢にも強く反映されていますね。 そうですね。学生だった頃、私たちを導いてくれた先生方の姿がとてもいきいきと楽しそうだったことが、現在の私の精神的細胞を形づくっているようにも感じています。学生がどう感じているかわかりませんが、私自身はいつも楽しく、ともに学生と学べることをありがたく思いながら教員生活を送ってきました。それに、楽しく学ぶことは、新しい問いを連れてきてくれます。学問とは「問いを学ぶ」とも読める。現在、AI(人工知能)が速やかに滑らかに何らかの回答を導き出してくれるのが話題になっていますが、ここで私のいう「問いを学ぶ」について、AIはどんな回答を提供してくれるのでしょうか。ごく最近のChatGPTを巡る議論は、私から眺めると「適切な問いとは何か」との延長上でしかありません。つまるところ、適切な答えへと至る「問いを学ぶ」姿勢を鍛えるしかない。これこそ教養として、誰もが身につけるべき基礎技能だと、私は確信しています。 取材・原稿井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学教養教育センター教授 関連リンク ・教養教育センターWEBページ・教養教育センター 日常意匠研究室(土居研究室)
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【知・技の創造】加工技術で環境課題に貢献
自動車や鉄道車両の軽量化手法 自動車や鉄道車両に代表される輸送機器の軽量化は、省エネルギー化や二酸化炭素排出低減などの環境問題に対し効果的な手段です。つまり、部材の強度や剛性に対する制約条件がある中で軽量化を図る必要があります。軽量化の手法としては大きく、材料の変更と形状の変更があり、要求される仕様に応じて一方または両方の手法が用いられます。 材料の変更については、単に強度や剛性が高い材料ということではなく、重量に対して強度や剛性が高い材料であることが重要です。自動車の強度部材として多く用いられている高張力鋼板は、一般的な鋼板と単位体積あたりの重量に差はありませんが、強度が高いため鋼板の板厚を薄くすることができ、体積減少により軽量化を図ることができます。アルミニウム合金やマグネシウム合金の強度や剛性は一般的な鉄系材料より小さいですが、単位重量あたりでは一般的な鉄系材料より大きくなります。このため、必ずしも板厚を薄くするなど体積を減らすことはできませんが、軽量化を図ることが可能です。 形状の変更については、1つの部材内において求められる強度や剛性に対応した断面積となるように設計することが重要です。なお、形状の変更は使用する素材の体積を減らすことを目的としているため、省資源化の観点でも優れた手法です。軽量化と省資源化を目的とした構造部品の代表的な例として管材があり、輸送機器の分野でも広く使用されています。管材は構造として、曲げやねじりの強度や剛性に対して影響の小さい半径方向中心部が空洞となっており、一方で影響の大きい半径方向中心部から距離の大きい位置で力を受けるため、重量に対して強度や剛性を高くすることができます。 変断面管の加工方法に関する研究 現在私は、管材において更なる軽量化を実現する変断面管の加工方法を提案し、その実用化に向けた研究を行っています。変断面管は長手方向にも要求される強度や剛性の分布に対応した形状とすることができるため、軽量化により有利な部材です。変断面管は自転車のフレームなど限られた部品に適用されているのが現状であり、実用的な加工方法も含めて、自動車や鉄道車両への積極的な適用の検討が進められている段階です。 提案している変断面管の加工方法は逐次鍛造によるもので、素材把持部と金型による加圧部の動作をコンピュータで制御し、刀鍛冶のように間欠的に素材を加圧し所望の形状に加工するものです。従来技術であるラジアルフォージングやスウェージングなどと比較し、汎用的な金型のみで複雑形状に加工できるため、金型素材や金型製作の観点でも省資源、省エネルギー化を図ることができる利点があります。この研究の最終ゴールとしては、コンピュータ上で設計した変断面管の形状データを入力とし、加工条件を自動決定後、自動加工を行う一連のシステムの実用化を目指しています。そして、提案した加工技術を用いた輸送機器部品の軽量化により環境問題に貢献していきたいと考えています。 埼玉新聞「知・技の創造」(2023年4月7日号)掲載 Profile 牧山 高大(まきやま たかひろ) 情報メカトロニクス学科講師電気通信大学大学院博士後期課程修了 博士(工学)株式会社日立製作所生産技術研究所を経て、2019年4月より現職。専門は塑性加工学。 関連リンク ・情報メカトロニクス学科WEBページ
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【知・技の創造】コンクリートの未来に向けて
転換点を迎えたコンクリート コンクリートは、現代のインフラ構築において不可欠な構造材料です。コンクリートの構成材料は、一般には水、セメント、細骨材(砂)、荒骨材(砂利)と少量のセメント分散効果のある液剤(化学混和剤)の5つになります。このうち、水、細骨材および粗骨材は、特殊な環境を除いて地球上のあらゆるところで採取できます。また、構造材料には、ほかに木材や鋼材が代表的ですが、我が国においては単位体積あたりではコンクリートが最も安価です。 これに加えて、適切な材料を使って練混ぜ、施工および養生を行えば、大きな圧縮強度が得られ、長大な構造物を重力に逆らわない自由な造形で構築することが可能です。 こうした特性が、広範に使われている所以なのかもしれません。しかしながら、昨今では施工人員の不足や環境負荷低減への対応が喫緊の課題となっており、大きな転換点を迎えています。 コンクリートの施行の変容 コンクリート工事は、機械化が進んでいるものの、未だに多くの作業を人力に頼る部分が大きいです。ある程度の構造物であれば、コンクリートを打込む部位1か所につき20名ほどの作業者が必要とされる場合もあります。一方で、作業者の高齢化や若年入職者の減少など、今後ますます人員が不足する可能性が高くなっています。 実習でコンクリートを打設している様子 この対策のために、ロボットの活用や更なる機械化施工に加え、3Dプリンティングの技術の開発など、各所で様々な取り組みが活発化しており、近い将来には多くの作業者が見られた建設現場の風景が変わる可能性を秘めています。 コンクリートの環境負荷低減 冒頭で述べたように、コンクリートは総合的には最も合理的な構造材料と言えます。一方で、セメントの製造には多くの二酸化炭素を排出し、地球環境保護の観点からは、いかに抑制するかが喫緊の課題となっています。業界の取り組みにより、徐々に改善されつつありますが、今後も引き続き検討していく必要があるでしょう。 また、セメントの代替として、高炉スラグ微粉末(鉄鋼生産の副産物)やフライアッシュ(石炭火力発電所等で副産される石炭灰)を大量に置換して、従前のセメントを用いたコンクリートと同等の性能を得る技術など、各所で多くの研究が行われています。 一方で、解体後のコンクリート塊は、従来より再生砕石等でほぼ全量がリサイクルされてきましたが、より環境負荷低減を図る上でもさらなる構造物の長寿命化や新たなリサイクル方法など、様々な技術が開発されつつあります。これらの研究開発が、コンクリートの未来に向けて大きな展開につながることが期待されています。 コンクリートの未来に向けて 現代のコンクリートが登場して100年ほど経過し、歴史的にも大きな転換点を迎えている状況ですが、これに代わる合理性を持った構造材料の登場には至っておらず、今後も当分の間多くの構造物で使われるものと思われます。 一方で、社会の変容のスピードは速く、これに追随して変化していかなければ、時代に取り残された技術となってしまいます。当研究室としても、新たなコンクリートの未来に向けて学生諸君とともに様々な課題解決のために研究活動に取り組んでいきたいと考えます。 埼玉新聞「知・技の創造」(2023年3月3日号)掲載 Profile 大塚 秀三(おおつか しゅうぞう) 建設学科教授 川口通正建築研究所を経て2005年ものつくり大学技能工芸学部建設技能工芸学科卒業(社会人入学、1期生)2013年日本大学大学院理工学研究科博士後期課程修了 博士(工学)2018年4月より現職。専門は建築材料施工、コンクリート工学 関連リンク ・建設学科WEBページ・建設学科 建築材料施工研究室(大塚研究室)
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創造しいモノ・ガタリ 02 ~「本物」を見に行こう~
教養教育センターの井坂康志教授が、ものつくり大学の教員に、教育や研究にのめりこむきっかけとなったヒト・モノ・コトについてインタビュー。今回は建設学科 八代克彦教授に伺いました。 Profile 八代 克彦(やしろ かつひこ)技能工芸学部建設学科 教授 1957年、群馬県沼田市生まれ。東京工業大学大学院理工学研究科建築学専攻博士課程単位取得退学。博士(工学)。札幌市立高等専門学校助教授を経て、2005年にものつくり大学へ移籍。専門は建築意匠・計画 現在行っている教育研究のきっかけを教えてください。 専門の建築意匠・計画の分野だけでなく、いろいろなモノに対して自然と関心が向いてきた研究人生であったと思います。一見すると寄り道に見えることが、後々意外なところで新しい活動につながったり触発されたりといったこともずいぶん体験してきました。 やはり研究人生の基点となったのが、東京工業大学の4年次に所属した茶谷正洋研究室です。茶谷先生は世間では「折り紙建築」の創始者として有名ですが、実は建築意匠・構法の研究者として環太平洋の民家を精力的にサーヴェイされており、その総仕上げともいえる中国の地下住居に研究室所属時に出くわし、一辺で魅了されました。時は1980年代初頭、中国北部の黄土高原に見られる伝統的な住居形態・窰洞(ヤオトン)と呼ばれる地面に穴を掘って生活する人々がなんと4,000万人もいました。これは、中国の陝西省北部、甘粛省東部、山西省中南部、河南省西部などの農村では普通に見られる住宅形式です。地坑院ともいわれており、現在では国家級無形文化遺産にも登録され、今でもかなりの数の人々(約1,000万人?)の人々が崖や地面に掘った穴を住居として利用しています。 その研究を行ったのが、1980年代中葉、天安門事件の前の時代でした。西安に留学し、住居の構造はもちろんのこと、文化人類学的な関心からも研究を深めることができました。黄土高原の表土である黄土は、柔らかく、非常に多孔質であるために簡単に掘り抜くことができ、住居全体を地下に沈めた「下沈式」と呼ばれる、世界的にも特異なものでした。今ならドローンで比較的安易に撮影可能と思いますが、当時はそのようなものはありませんので、横2m×縦2.7mほどの大きな六角凧で空撮を敢行しました。どこに行っても住人が凧の紐を持つのを争って手伝ってくれたのが懐かしい思い出です。 ヤオトン空撮写真(河南省洛陽) その経験が後々まで力を持ったということですね。 そうだと思います。やはり最初に関心を持った分野というのは、後々まで影響するようで、現在に至っても、私の建築デザインの原型にはあの洞窟住居があるように感じています。東工大の後は札幌市立高等専門学校に務めました。この学校は全国初かつ唯一のデザイン系の高専で、校長が建築家の清家清先生です。この学校で研究からデザイン教育にフォーカスしていったのですが、一貫して地下住居への関心は持ち続けてきました。なぜか気になる。そこには、必ず何かがあるはずなのです。その何かが研究を継続するうえでの芯のようなものを提供してくれたのかとも思う。まさに穴だらけの研究人生です。その後、2005年からものつくり大学で教鞭を執るようになりました。ものつくり大学では、手と頭を動かしてモノをつくる、ものづくりにこだわりを持つ学生が多く、刺激的な教育研究生活を送ってこられたと思います。これからも、学生には自分の中にある関心の芽を大切にしてほしいと思いますね。私の場合それは中国の地下住居だった。関心対象はどんどん形を変えていくかもしれないけれど、核にあるものはたぶん変わらない。二十歳前後の頃に、なぜかはっとさせられたもの、心を温めてくれたもの、存分に時間とエネルギーを費やしたものは、一生の主軸になってくれます。 ものつくり大学で最も強い思いのある作品は何ですか。 いろいろあるのですが、とりわけル・コルビュジエ(1887~1965年)の休暇小屋原寸レプリカが第一に挙げられると思います。現在ものつくり大学のキャンパスに設置されています。コルビュジエは、スイス生まれのフランス人建築家で、ミース・ファン・デル・ローエ、フランク・ロイド・ライト、ヴァルター・グロピウスと並んで近代建築の四大巨匠の一人に数えられる人です。これは正確には、「カップ・マルタンの休暇小屋」と言います。地中海イタリア国境近くの保養地リヴィエラにあるコルビュジエ夫婦のわずか5坪の別荘です。1951年にコルビュジエ64歳の折、妻の誕生祝いとして即興で設計して翌年に完成させた建築物です。打ち放しのコンクリートがコルビュジエの一般的なイメージなのですが、休暇小屋はきわめて珍しい木造建築なのですね。日本でのコルビュジエ作品としては、上野の国立西洋美術館が有名です。彼が設計者に指名されたのは1955年ですから、国立西洋美術館の構想も休暇小屋で練り上げられた可能性もあります。 どんなプロジェクトだったのでしょうか。 レプリカ制作に着手したのは、2010年6月、当時神本武征学長の頃でした。学長プロジェクトとして「とにかく大学を元気にする企画」という募集があって、さっそく有志を募ってプロジェクトを立ち上げました。「世界を変えたモノに学ぶ/原寸プロジェクト実行委員会」がそれです。建設学科と製造学科(現 情報メカトロニクス学科)両方の教職員学生を巻き込み、世界的名作とされる住宅や工業製品を原寸で忠実に再現することを通して、本物のものづくりを直に体験してほしいと考えて始めました。第一弾となったのが、この小さな休暇小屋であったわけです。そのこともあって、2010年9月に急いでフランスに渡り、必要な手続きを行うことになりましたが、これがとても刺激的でした。ありがたいことに、パリのル・コルビュジエ財団からは、翌10月には無事に許諾を得ることができました。2011年2月には、カップ・マルタンに学生10名、教職員6名とともに実物を見に行きました。これは現地の実測調査も兼ねており、約2年間の卒業制作として、設計、確認申請、施工とものつくり大学の学生たちが、ネジ一個から建具金物、照明、家具に至るまで丸ごと再現しています。実際に現地で見て、自分たちの手で原寸制作する。本人たちにとって本物のすさまじさを思い知らされる体験だったはずです。繰り返しになりますが、休暇小屋は私にとって、両学科協働で制作したものですから、両学科の叡智を結集した象徴的作品といってよい。現在は遠方からも足を運んで見に来てくださる方が大勢おられます。 カップマルタン実測調査の様子 教育研究にあたって心がけていることは何でしょう。 私はオプティミスティック(楽観的)な性格だと思っています。やはり学生に対しても希望と好奇心の大切さを語りたいと常々思っています。悲観的なことを語るのは、なんとなく知的に見えるかもしれないけど、現実には何も生み出さないのですね。特に本学の学生は、テクノロジストとして、将来ものづくりのリーダーになっていくわけですから、まずは自分がそれに惚れていないと明るい未来を堂々と語れないと思う。リーダーは不退転の決意で明朗なビジョンを語れなければ、誰もついていきたいとは思わないでしょう。そのこともあって、教育や研究の中でも、いつも学生には希望と好奇心、プラス一歩前に出る勇気を伝えてきたと思います。 最後にメッセージがあればお聞かせください。 私自身は「タンジブル」なもの、いわゆる五感で見て触れることを大切にしてきました。それらは物質という形式をとっているわけですけれども、創造した人の精神や思いの結晶でもあるわけです。そうであるならば、現在のようにオンラインとかネットで見られる時代だからこそ、なおさら本物に触れてほしいと思います。本物に触れなければどうしても伝わらないものがこの世界には偏在しているから。たとえば、「世界を変えたモノに学ぶ/原寸プロジェクト実行委員会」も、実物のみが語る声に対して繊細に耳を澄ませる体験がぜひとも必要だった。だから、カップ・マルタンまで足を運んだのです。それは私が大学時代、洞窟住居を研究するために中国に留学したのと同じ動機です。まさに、ホンモノ《・・・・》というのは千里を遠しとせず足を運ばせるにふさわしい熱量を持っているものなのです。フランスに本物があればフランスに行くし、中国に本物があれば中国に行く。そんな具合に私は世界中を見て回ってきたと思います。だから、ぜひ学生諸君には本物を相手にしてほしい。本物に触れ、その熱度に打たれてほしい。そのためにはどんどん外に行ってほしいと思います。まずはコルビュジエ設計の世界遺産、国立西洋美術館に足を運んでみてはいかがでしょうか。上野にあるわけですから。電車に乗れば一時間程度。たいした距離ではありません。実際に行って五感をフルに働かせてほしい。頭だけで想像したのとはまったく違う質感、コルビュジエの手触り感が伝わってくるはずです。 カップ・マルタンの休暇小屋レプリカの室内 八代教授と藤原名誉教授の著書「図解 世界遺産 ル・コルビュジエの小屋ができるまで」(エクスナレッジ刊) 取材・原稿井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学教養教育センター教授 関連リンク ・建設学科WEBページ・建設学科 デザインプロセス研究室(八代研究室)