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  • 建設学科の女子学生が、建設(土木建築)現場の最前線で働く女性技術者のリアルを『見る』・『聴く』

    2023年10月20日、若築建設株式会社(本社目黒区)主催の女性技術者志望者対象の「工事現場見学会及び座談会」に、本学から、建設業に興味のある建設学科3年の女子学生5名が参加しました。この企画は、参加した女子学生が工事現場や女性技術者について理解を深め、建設業の魅力に触れることで、進路選択の一助になることを目的としています。本学では、長期インターンシップや企業訪問等の多様なキャリア支援施策を実施していますが、女性による女性のための女性だけのユニークな企画参加はおそらく初めて。参加した女子学生5名のリアルな感想を伺いました。 一瞬で打ち解けた若き女性技術者の明るさと元気さ 会場となったのは東京都葛飾区の新中川護岸耐震補強工事の現場。本事業は、東京都の女性活躍モデル工事となっているものです。まず若築建設から女性技術者9名の自己紹介があり、続いて4班に分かれた本学の女子学生がそれぞれ自己紹介を行いました。その後、全体スケジュールの説明があり、「女性技術者の目線から見た現場の現況や魅力を見て、今後の進路選択に役立ててほしい」と本日の目的を強調されました。学生たちは明るく元気な女性技術者の皆さんから積極的に話しかけていただきました。遠藤 夢さん(澤本研究室)は「女性技術者の皆さんが初対面の人同士でもフレンドリーでした」と第一印象について話してくれました。次に、いよいよリアルな工事現場見学に移動。現在進めている施工場所の長さは約150メートル。その移動の途中、学生たちは、気さくに説明をされる女性技術者に触れ、「現場で働く人に対して怖いイメージをもっていたけれど、実際は優しかったです」と河田 さゆりさん(田尻研究室)はイメージと現実の姿の違いを感じたようです。工事中の現場では、この工事の責任者である女性の監理技術者が「現在進行中の護岸工事は階段状に削ったところに新しい土を入れ、地滑りが起こらないように転圧(固める)をしています」と説明してくださいました。その姿を見たタマン・プナムさん(澤本研究室)は「現場に女子の監理技術者がいるのは面白い」と興味を持ちました。学生たちはフェンス越しに護岸の工事現場の様子を見て、メモを取ったり、女性技術者から具体的な説明を聞いたりするなどして現場でどのような工事を行っているのかを体感していました。説明してもらっていたカルキ・メヌカさん(澤本研究室)とプナムさんは「現場で働く女性技術者の方に、優しく、いろいろ教えてもらえて、とても勉強になりました」と話していました。 また工事現場での女性への配慮の一つとして、設置された仮設トイレや休憩所も見学しました。気になる仮設トイレは臭いを極力抑えるコーティングがされていることや休憩所では、電子レンジやWi-Fiが完備されている話などを伺いました。学生たちは現場でどのようにトイレを使用したり、休憩したりするかといったことにも関心もあり、工事現場の環境改善が進んでいることを実感しました。晴天でしたが、風が強めの見学であったため、女性技術者から現場の仕事は天候に左右される仕事でもある事情をお聞きし、現場の実情を知り、「現場を見られてよい経験になりました」と遠藤さん。また、工事現場見学を通し「現場のイメージが変わり、若い方も働いていて、働きやすい環境だと感じました」と河田さんは話してくれました。今回の工事現場見学では、日頃見聞きできない工事の進行状況や女性技術者がどんな環境でどのように仕事をしているのか直接教えていただきました。今回の工事現場見学を通して感じ、学んだことを他の学生とも情報共有し、本学での学習に活かすとともに建設業界の内情について理解を深めていってくれることを期待します。 4班それぞれに笑顔があふれた座談会 遠藤 夢さん 1班の遠藤さんは、監理技術者含む入社1年目と2年目の女性技術者3名との座談会。用意されたプロフィールを見ながらの現場での仕事の話になり、「女性技術者でも夜勤はあるけれど『滑走路から見る東京の夜景』や『早朝の富士山』は格別」といった現場あるある的なお話をしてくださいました。女性技術者と男性技術者の違いに関心があった遠藤さんは座談会で「現場で働く技術者は資格もある人もいれば、そうでない人もいて、男女に優劣はなく、その人次第ということを知りました」と話してくれました。 2班の金子 歩南さん(澤本研究室)は、入社8年目と1年目の2名の女性技術者との座談会。入社した経緯や自社の良いところについて熱弁してくださったお2人。話を聞いた金子さんは「土木・建築の技術者に進もうとする人は『インターンシップ』がきっかけだったり、土木や建築が元々好きだったりする人がいることを知りました」と。また、土木・建築の技術者にとってどんなことが大変だったかを知りたかった金子さんは「入社当初は、土木・建築の技術者としてなかなか実力が認められなかったけれど、経験を積んで、実績を見てもらったり、さまざまな立場の方との話をしたりして分かってもらえるようになった」という体験談を聞けたそうです。 3班のプナムさんとメヌカさんは、中途入社した4年目と8年目の2名とスリランカ出身で入社2年目の計3名の女性技術者との座談会。さまざまな経歴をもつ女性技術者たちからキャリアの活かし方について具体的なお話が聞けました。また、留学生である学生2人は外国人の女性技術者の働き方や文化の違いの対応について関心が高く、働く上で文化的な違いをどうやって理解し、日本の働き方に合わせるかを熱心に聞いていました。日本でアルバイトをしているからこそ同じ外国人として働く上での大変さについて共感も生まれていました。 タマン・プナムさん カルキ・メヌカさん さらに、日本企業と海外企業の仕事の進み具合の違いといった国際的な話も展開されていました。プナムさんは「スリランカ出身の方の話がためになりました。また、海外プロジェクトに参加したら、その経験が身につき、自分自身の実力になることを知りました」と。メヌカさんは「入社前に資格取得が必要ではないかと考えていましたが、土木・建築の分野の資格は入社してからでも大丈夫だと聞いて安心しました」と話してくれました。 4班の河田さんは、入社1年目と6年目の2名の女性技術者との座談会。日常生活について話を聞いたり、女性技術者が設計したものを直接タブレットで見せてもらったり、働く上で必要なことを伺いました。リアルな女性技術者の話を聞いた河田さんは「就職活動するにあたり、立派な志望理由が必要だと思っていましたが、『さまざまな角度や観点から考えてもいいんだ』といったことを考える良い機会になりました」と話してくれました。 視野を広げた貴重な体験 今回の座談会では、学生たちが若築建設の女性技術者の皆さんからさまざまな体験やアドバイスを聞くことができました。金子さんは「他の会社を見学した際、現場で働くのは男性が中心でしたが、今日は年齢が近い女性技術者にお会いできて、話が聞けてよかったです」と他の会社見学とは違った体験ができたと話してくれました。現場で働く女性技術者の年齢が近い方も多かったため親近感もわき、自分事して考えることができ、大きく印象が変わったようです。 金子 歩南さん また、今後の進路選択に当たり、若築建設のような建設会社を選択肢に入れたい思いが生まれたり、視野を広げたものの見方について学ぶ機会になったりと貴重な時間になりました。プナムさんは「女性技術者の皆さんの経験をお聞きし、皆さんがどれだけ頑張っているかを知り、私も頑張り、このような職業に就きたいと思いました」と熱い思いを語ってくれました。メヌカさんは「若築建設では英語も磨けると聞き、とても興味を持ちました」と意欲をわかせていました。最後に澤本武博教授(建設学科)からは、先生自身が若築建設の勤務経験があったことや卒業生が働いていることなどを踏まえ「今日の経験を今後の学生生活や就職活動に活かしてほしい」というお話をしてくださいました。そして女性技術者の皆さんからは熱いエールを送っていただき、座談会の幕を閉じました。工事現場見学会や座談会の進行を行っていただき、また熱心に説明をしてくださった若築建設の女性技術者の皆さまには心より感謝申し上げます。 参加者/1班:遠藤 夢 さん(建設学科3年、澤本研究室)2班:金子 歩南 さん(建設学科3年、澤本研究室)3班:カルキ・メヌカ さん(建設学科3年、澤本研究室)3班:タマン・プナム さん(建設学科3年、澤本研究室)4班:河田 さゆり さん(建設学科3年、田尻研究室) 関連リンク ・建設学科WEBページ・澤本研究室WEBサイト・田尻研究室WEBサイト・若築建設株式会社WEBサイト

  • 【Fゼミ】私の仕事 #4--歌手としての歩みとライフワーク

    1年次のFゼミは、新入生が大学生活を円滑に進められるように、基本的な心構えや、ものづくりを担う人材としての基礎的素養を修得する授業です。このFゼミにおいて各界で活躍するプロフェッショナルを招へいし、「現場に宿る教養」とその迫力を体感し、自身の生き方やキャリアに役立ててもらうことを目的として、プロゼミ(プロフェッショナル・ゼミ)を実施しました。今回は、歌手として都内のオペラ劇場を中心に活躍する他、作曲家、台本作家、指揮者、演出家の顔を持つ舞台の総合クリエイター、阿瀬見貴光氏を講師に迎えたプロゼミをお届けします。 肉声の魅力-声楽とは 私の職業は歌手です。声楽家です。主にオペラや舞台のクラシックコンサートに出演します。それと同時に故郷の加須市で市民ミュージカルのプロデュースも行っています。まずは歌手としての仕事についてお話したいと思います。 声楽家と現代的な歌手の大きな違いは何でしょう? そうです、マイクを使うか否かです。2,000人規模の大ホールでも60人以上のオーケストラと共演する場合も、基本的に声楽家はマイクを使いません。すなわち、肉声の魅力で音楽を表現します。肉声だからといって声はただ大きければよいというわけではありません。特にオペラは「声の芸術」とも言われていて、大事なのはよく響いて遠くまで通る声です。たとえば、「ストラディバリウス」というヴァイオリンの名器をご存知の方はいますか? ストラディバリウスの音色は実に繊細で密度が高い。そして近くで聴いているとそれほど大きな音に聞こえないのに、不思議と遠くの方まで響きが飛んでいくという特性があります。声楽家はそのような魅力的な音色をお手本にして技を身につけます。楽器である身体を鍛えたり、音声学を学びます。日々の発声練習も欠かしません。世界にはたくさんの種類の楽器がありますが、人間の声こそが最も美しく表現力豊かな楽器であると私は考えています。皆さんにはアコースティックサウンド、生の響きの醍醐味を感じていただきたいですし、そのようなコンサートに是非とも足を運んで欲しいと思います。 さて、ここで実演の意味も込めて歌ってみたいと思います。オペラ発祥の国イタリアから「オー ソレ ミーオ」というナポリの民謡です。高校1年の教科書に載っていますからご存知の方も多いかもしれませんね。私はイタリアに勉強に行ったことがあるのですが、イタリア南部の方の気質はとにかく陽気でおおらかです。この曲もまたそのような気質が現れていて、活きていることが素晴らしいと感じさせてくれます。 『オー ソレ ミーオ』 新国立劇場オペラの13年間 私は渋谷区初台にあるオペラ専用劇場を有する新国立劇場に所属し、約13年間インターナショナルな活動をしてまいりました。この劇場は、オペラのほか、舞踊と劇場の部門がありまして、どれも大変クオリティの高い公演が行われています。とくにオペラ部門は『ニューヨーク・タイムズ』のオペラ番付でも上位にランキングする実力があり、世界中のトップレベルの演奏家や演出家を招へいしています。 私はこの劇場の13年間オペラ公演で、延べ156演目、780のステージに立ちました。世界トップレベルの芸術家と一緒に舞台を創ること、それが私にとって何より刺激の源になりました。彼らとの日々のリハーサルや公演を通して、彼らの美の根底にある感性、思考、宗教観に触れることができたからです。近年ではウェブ上に舞台の情報が溢れる時代になりましたが、現場でしか味わえない貴重な経験をさせていただきました。日本にいながらにして、まるで海外留学をしているかのような気分です。 さて、オペラと言えばイタリア、ドイツ、フランス、イギリスなどヨーロッパを中心とした国々の芸術家との交流が多いのですが、「オペラ界のアジア」という視点で世界を見たとき、生涯忘れられないエピソードが2つありますのでご紹介したいと思います。 日中共同プロジェクト「アイーダ」と韓国人テノール ひとつ目は2012年の日中共同制作公演『アイーダ』です。日中国交正常化40周年の節目に日中の友好の象徴として共同制作されました。この前代未聞のプロダクションは、歌手およそ100名を新国立劇場と中国国家大劇院から集め、東京と北京で公演するというものです。国家大劇院は北京の中心部にありまして、国の威厳をかけて創設された大変立派な建築物です。近くには人民大会堂(日本の国会議事堂に相当する)があります。当時、中国の反日教育はよく知られていたので、劇場内でも日本人スタッフへのあたりが厳しいのではと心配したものでしたが、まったくの杞憂でした。むしろ国家大劇院の皆さんはとても友好的で、日本の音楽事情に興味津々といった様子でした。休日には関係者が北京市内を案内してくれもしました。リハーサルの後に、若いテノール歌手に食事に誘われ「遠くから来た要人には徹底的にもてなすのが中国人の流儀だ」と言って、約一カ月分のお給料に相当する額のご馳走を用意してくれたこともありました。そして肝心のオペラ公演も大成功を収めました。隣国同士の東洋人が心をひとつにして、西洋文化の象徴であるオペラに挑戦する。満席6,000人の巨大オペラ劇場が大いに湧きました。国家間の歴史認識の違いはあれど、芸術の世界に酔いしれるとき、国境が存在しないのだと感じました。しかし大変残念なことに、東京公演の一週間後、日中両国の外交関係が急速に悪化していきました。もし、このプロジェクトがあとひと月も遅ければ公演中止となっていたでしょう。 ふたつ目のエピソードは韓国です。皆さんは韓国アイドルの「推し」はありますか? 現在ではK-pop が大人気ですし、化粧品、美容グッズ、ファッションなど韓国のトレンドには力があります。若い皆さんは驚くかもしれませんが、2013年頃の日本では韓国に対する嫌悪感、いわゆる「嫌韓」の風潮が非常に高まっていました。その年の流行語のひとつは「ヘイト・スピーチ」でした。新宿区大久保などではデモがあり、激しいバッシングも見られました。そんな社会状況の中、新国立劇場ではオペラ『リゴレット』が公演されました。主役は韓国人の若手テノール歌手、ウーキュン・キム。それまで新国立劇場で韓国人が主役を張ることはほとんどなかったこともあり、過激な世論の中で彼がどんな評価をされるのか、私は興味深く見守っていました。彼の歌声は実に素晴らしいもので、客席は大きな拍手で彼を称えました。「日本の聴衆よ、よく公平な目で評価した!」隔たりを越えた美の世界を感じ、私はステージ上で静かに胸を熱くしました。 インターナショナルな活動の中で私がいつも思うことは、舞台製作の環境は常に政治の影響を受けていますが、政治に侵されない自由な領域を持つのもまた芸術の世界であるということです。だからこそ我々芸術家は、人間の普遍的な価値観や幅広い視点をもって世界の平和に貢献すべきだと考えています。 テクノロジーと古典芸能の融合-オペラ劇場の構造 今日は建設学科の講義ですので、オペラ劇場の構造について少し触れてみたいと思います。まず特徴的なのはステージと客席に挟まれた大きな窪みです。これは「オーケストラ・ピット」と言います。 ここにオーケストラ団員最大100名と指揮者が入り演奏します。ピットの床は上下に動きます。床が下がってピットが深くなるとオーケストラの音量が小さくなり、逆に床が上がると音量は大きくなります。これによって歌手の声量とバランスを取りながら、深さを調節するわけです。ピットの上には大きな反響板があります。オペラやクラシック音楽においては、いかに生の響きを客席に届けるかが大切ですから、音響工学の専門家が材質や形状にこだわり抜いてホール全体を設計しています。 これは劇場平面図です。客席から見える本舞台の左右と奥に同じ面積のスペースがありまして、これを四面舞台と言います。大きな床ごとスライドさせることができます。これによって、巨大な舞台セットを伴う場面転換がスムーズにできますし、場合によってはふたつの演目を日替わりで公演することも可能です。この機構をもつオペラ劇場は日本ではほんのいくつかしかありません。次は劇場断面図を見てみましょう。舞台の上には大きな空間がありまして、これは照明機材や舞台美術などを吊るためのものです。下側はというと「セリ」といって、舞台面の一部もしくは全体を昇降させることができます。そして、これらの機構の多くはコンピューターによって制御されています。最新のテクノロジーは古典芸能であるオペラ(400年の歴史)に新たな表現方法をもたらし続けているのです。 私のライフワーク-ミュージカルかぞ総監督として 「多世代交流の温かい心の居場所をつくろう」と思いついたのは約30年前のことです。私が大学3年生の夏に読んだ新聞記事がきっかけとなりました。若者の意思伝達能力の低下や家庭内暴力は、家庭問題というより社会の歪みに原因があるだろうと考えていました。「自分にできること、自分にしかできないこと」音楽や舞台表現を手段として、人間が人間に興味をもって、大いに笑い、平和を謳う。そんなコミュニティをつくろう!自分がオペラ歌手になるための勉強と並行して、文化団体の運営のイメージを実践方法を温め続けました。 2012年の夏に故郷である加須市で、市民劇団「ミュージカルかぞ」を立ち上げました。ありがたいことに、市長、教育長をはじめ、地元の実力派有志たちが私の掲げる活動理念に賛同、協力してくださいました。さらに嬉しいことに、一年目からすべての年代がバランスよく揃った『三世代ミュージカル』を実現したのです。また、ダンス講師、ピアニスト、照明家などプロの第一線で活躍する業界の仲間も加須に駆けつけてくれました。市民が主役の劇団ですから入団資格は『プロの舞台人でないこと』、以上。技と魂を兼ね備えたプロの舞台スタッフが環境を整え、地元のアマチュア俳優をステージで輝かせるのが私の手法です。団員たちが燃えるような魂で舞台に立つとき、キャラクター描写の奥に個々の圧倒的な生き様が放たれます。そこには見る者の魂を震えさせるほどの「人間の美しさ」があるのです。 しかし、そこにたどり着くまでには膨大な時間と労力、技術を要します。ほとんどの団員は演技や歌唱の経験がないからです。舞台での身体表現、呼吸法、発声法、楽曲分析、台本の読解法、そして舞台創りの精神など、私が日々舞台で実践していることを43名の団員たちに解りやすく愉快に伝えています。 ミュージカルかぞは年に2演目を10年間公演し続け(コロナ禍の中止はありましたが)、着実にレベルアップしています。いつも満員御礼の客席からは割れんばかりの拍手と「ブラボー!」が飛び交います。涙を流しながら客席を立つお客様の姿が増えました。県外からのファンや、教育や文化に携わる方も多くいらっしゃるようになりました。 『大人が笑えば子供も笑う』…劇団の稽古場は笑い声が絶えません。しかし、団員個々の心の事情には静かに話を聞いて、一緒に考えます。不登校、引きこもり、健康上の悩みなど事情は様々ですが、そこから社会の歪みが見えることは少なくないです。しかし、舞台表現を磨き続け、少しずつ自分の声と言葉で素直な自分を語れるようになった団員を見たとき、私も生きていて良かったと感じます。特に子どもや若者には、人と繋がって喜びを感じる『真実の時間』を過ごしてほしいと考えています。それは誰かを愛するための心の糧になると思うからです。 時空を超えるメッセージ-ミュージカル『いち』 さて皆さん、「愛」って何でしょうね? こういった漠然とした質問が一番困るんですよね。そのような抽象的なイメージを閃きに導かれながら具象化できるのが芸術文化のいいところです。愛をいかに表現するか、私も日々悩み続けています。 私の劇作家としての代表作にミュージカル『いち』があります。作品のもととなった加須古来からの伝承『いちっ子地蔵』を読んだ瞬間、作品のインスピレーションが稲妻のように降りてきました。眠るのを忘れるくらい無我夢中で台本と楽曲を書き留めました。全2幕8景、26曲、公演2時間と、なかなかのボリュームです。ドラマの舞台は天明6年(1786年)の加須です。水害などの度重なる困難に屈することなく、助け合って前を向いて生きるお百姓さんたちの姿を描いています。現代のような科学技術はなく、物質も情報も豊かではない村落共同体の人々は何に価値を感じて生きていたのか? 現代人が忘れかけた大切な「何か」を思い起こさせてくれるのです。そして、いつも忘れはならないのは「土地に生きた先人たちの努力、犠牲、愛があったからこそ、現在の我々がある」をいうことです。脈々とつながる命、先人からの愛に感謝することが、光ある未来を導くと『いち』は教えてくれます。 「大きな社会は変えられない、まずは小さな社会から」-。土壌づくりに20年。故郷で愛の種を蒔き始めて約10年。それらが今、芽吹きはじめました。埼玉の小さな街から田畑を越えて、時空を超えて、これから新たな愛の連鎖が広がっていくのだと思います。 『野菊』 『翼をください』 『帰れソレントへ』 Profile 阿瀬見 貴光(あせみ・たかみつ)昭和音楽大学声楽科卒業。日本オペラ振興会オペラ歌手育成部18期修了。声楽を峰茂樹、L.Bertagnollio の各氏に師事。歌手としては都内のオペラ劇場を中心に活躍し、定期的なトークコンサート《あせみんシリーズ》では客席を笑いと涙の渦に巻く。その他、作曲家、台本作家、指揮者、演出家の顔を持つ部隊の総合クリエイター。完全オリジナル作品の代表作にミュージカル《いち》があり、これまでに5回の再演を重ねている。プロの舞台で培った技術や経験を地域社会に還元すべく、子どもの教育や生涯学習を目的としたアマチュア舞台芸術の発展に力を注ぐ。教育委員会等で講演を精力的に行い、芸術文化による地方創生の実践を伝えている。NPO法人ミュージカルかぞ総監督。ハーモニーかぞ常任指揮者。加須市観光大使。地元の酒をこよなく愛する四児の父。 関連リンク ・【Fゼミ】私の仕事 #1--デジタルマーケティングとオンライン販売 基礎・実践・【Fゼミ】私の仕事 #2--私が在籍してきた企業におけるマーケティング・【Fゼミ】私の仕事 #3--自分を活かす 人を活かす 原稿井坂 康志(いさか・やすし)教養教育センター教授

  • 【Fゼミ】私の仕事 #3--自分を活かす 人を活かす

    1年次のFゼミは、新入生が大学生活を円滑に進められるように、基本的な心構えや、ものづくりを担う人材としての基礎的素養を修得する授業です。このFゼミにおいて各界で活躍するプロフェッショナルを招へいし、「現場に宿る教養」とその迫力を体感し、自身の生き方やキャリアに役立ててもらうことを目的として、プロゼミ(プロフェッショナル・ゼミ)を実施しました。今回は、OL時代、自身の体調不良が玄米で改善した経緯から大阪で玄米カフェ実身美(サンミ)を創業し、顧客の健康改善事例に多く立ち合ってきた大塚三紀子氏を講師に迎えたプロゼミの内容をお届けします。 学生時代から就職まで 私は現在、㈱実身美を経営しています。本日は「自分を活かす 人を活かす」というテーマで私の経験をお話ししたいと思います。 最初に私の学生時代から始めたいと思います。私は法学部の出身なのですが、大学時代は正直なところやりたいことがありませんでした。何をしようかわからなかったというのが実感でした。法学部に在籍したことから、税理士事務所に就職はしてみたものの、やりがいは感じられませんでした。そのようなこともあり、しばらくして体調を崩してしまったのですね。 そんなとき、玄米食に切り替えたところ、めきめきと回復したのです。この経験は私にとって鮮烈なものがありました。そのとき思いました。体調不良の悩みを持つ人はきっと日本全国にいるはず。ならば、同じような方法で体調が回復することで喜びを共有することはできるだろうと。私自身が苦労したことをもとに、世の中の問題を解決できるのではないかと考えたわけです。そこで、事業を始めることにしました。これが私が経営者になったきっかけでした。 起業の経緯 実身美(サンミ)は、名前がコンセプトになっています。「実」があって「身」体に良くて「美」しい。すべて「み」と読みますから、3つで「サンミ」と呼ぶわけです。実身美は2002年に大阪市阿倍野区にて創業しています。現在は、玄米を主食とした健康食を提供しており、年間40万人以上のお客様にお届けしています。大阪阿倍野区、都島区、中央区、東京都、那覇市に5店舗を展開しています。 通信販売にも力を入れておりまして、独自開発の酵素ドレッシングは、全国お取り寄せグランプリ3年連続日本一(2017年全国4,400商品中1位、2018年全国4,730商品中1位、2019年全国5,131商品中1位)の評価をいただいております。現在でこそこのような高評価をいただいているものの、起業の時からすべてがうまくいったかというとまったくそうではありません。これから少しそのお話をしたいと思います。もともと食には興味があったのですが、起業となると何もわかりません。私はその分野にはまったくの素人でしたので、創業支援制度を利用して相談してみると、まずは「事業計画書を作成するように」と言われたのですね。ここで私は、コンセプトと数字の大切さを徹底的に学ぶことになりました。起業にあたって思いや志は何にもまして大切なものです。しかし一方で、現実に事業を成り立たせていくためいには、実にたくさんの具体的な行動が必要になってきます。 そこで大切なのは、仕組みづくりであり、数字をきちんと計算することです。たとえば、私は起業にあたって、公的金融機関からしかるべき融資をいただいたわけですが、それは言い換えれば借金をしたということです。借金をしたら、期限までに返さなければならないのは当然です。そこで、経営というものの責任を実感させられました。一度責任を引き受けた以上、何としてでもやらなければならないと決意しました。 そうなると、必要な費用を賄うのに、いくら必要か。これは痛いくらいの現実で、従業員やアルバイトさんの時給など掛け算すれば経費が出てきます。何で稼いで経費を払っていくか。これを計算しました。一日に必要な収入を割り出すと、ご来店54人という数字が出ました。これより少なかったら、店を成り立たせていくことはできないし、従業員にお給料も払えないわけです。 今にして思うのですが、「1日54人」の数字が出たから、私は成功できたのだと考えています。もちろん、お金だけではありません。店舗を展開していく中で、どうしても自分だけでは限界があります。人に働いてもらわなければなりません。自分がわかっているだけでは回らないのです。そのときはたと気づきました。どう人に動いてもらうかがわからなかったのです。そんなときに出合ったのが、「マネジメントの父」と言われているピーター・ドラッカーでした。 ドラッカー『仕事の哲学』との出合い 行き詰っていた時に出合ったのが、『仕事の哲学』というドラッカーの名言集です。2003年夏のことでした。まず感銘を受けたのが、「帯」の言葉です。 「不得手なことに時間を使ってはならない。自らの強みに集中すべきである」。 これは本当に救いになりました。その人にできることを生かさなければならない。生かせないならそれはマネジメントの責任ということです。この時期にビジネス界にも影響力を持つ人と出会えたのは幸福だったと思います。翌年2004年からはソーシャルネットワークで「ドラッカーに学ぶ」コミュニティも運営しはじめました。2007年には、翻訳者の上田惇生先生(ものつくり大学名誉教授)に勧めていただき、ドラッカー学会に入会して現在に至っています。 念のため、ここでドラッカーについて説明しておきます。1909年にウィーン生まれ。2005年にアメリカで没しています。「ビジネス界に最も影響力をもつ思想家」として知られる方で、東西冷戦の終結、転換期の到来、社会の高齢化をいちはやく知らせるとともに、「分権化」「目標管理」「経営戦略」「民営化」「顧客第一」「情報化」「知識労働者」「ABC会計」「ベンチマーキング」「コア・コンピタンス」など、マネジメントの理論と手法の多くを考案し、「マネジメントの父」と呼ばれています。今当たり前に通用している経営戦略とか目標管理などはドラッカーが発案したものです。 強みを生かすには 私がドラッカーから学んだ最大のものは、「強み」の考え方です。たとえば、ドラッカーは強みについて次のように述べています。 「何事かを成し遂げられることは強みによってである。弱みによって何かを行うことはできない」(『明日を支配するもの』) できないところに目を向けていてもしかたがありません。強みを集めて成果を上げるところまでもっていくことが大切だというのです。たとえば、経理の人はきちんと計算できれば、人付き合いできなくても成果をあげる上では問題ありません。むしろできることを卓越したレベルにまでもっていける。「強みを生かし、弱みを無意味にする」というのは、言うのは簡単なのですが、自己流だとうまくいきません。だんだんいらいらしてきます。人はなかなか見えないものだからです。 ではどう実践したか。実身美では、次の質問を投げかけています。「2人以上にほめられたことは何か」「2人以上に改善を求められたことは何か」一つ目については、「とても丁寧ですね。早いですね」といったささやかなことでよいのです。自分は大したことないと思っていても、強みは人が意外に知っているものです。スタッフ勉強会を開催して、隣の人のいいところを書いています。これを行うと、自分の気づいていないところがどんどん蓄積されて、新しい強みにも気づけたりする。「強みノート」を作成して、お互いの強みを理解し合えるように工夫しています。改善を求められたことについても同様に共有していきます。 強みに応じた人事としては、次のようなものがあります。社交性→百貨店担当学習欲→共同研究、HACCP取得、新規事業の把握責任感→マネジメント達成欲→成果が目に見える業務公平性→ルール作りのご意見番慎重さ→会社の危機を聞く、用意周到な準備が必要な案件コミュニケーション、共感性→お客様対応、広報指令性→プロジェクトリーダーポジティブ→ハードな現場収集心→リサーチ系の仕事(レシピ、店舗情報)着想→アイデアがないか聞く戦略性→成果へのプロセスを聞く さらに、気質や価値観も大切です。人には生まれ持っているものがあり、理由はわからないのにできてしまうことがあります。逆に、どんなに努力してもうまくできないこともあります。ドラッカーは次のように述べています。 「われわれは気質と個性を軽んじがちである。だがそれらのものは訓練によって容易に変えられるものではないだけに、重視し、明確に理解することが重要である」 人には教わっていないのにできてしまうことがあるのです。そういうものを生かしていきたいと考えています。なるべく人の持つ本質を大きく変えないようにすることで、生かしていきたいと考えています。 20年間存続するには--会社の文化づくり 最後になりますが、文化づくりについてお話したいと思います。私は文化の力はとても大きいと常々感じています。文化になれば言葉はいらなくなります。たとえば、日本では公共交通機関などでみんな並んで待つ文化がありますね。これは海外からすれば驚かれることです。それが文化の力であり、誰もが当たり前のようにやっていることです。 今日ものつくり大学に来て、みんなが気持ちよく挨拶してくれるのに感動いたしました。授業にもかなり前から教室に来ている。それはものつくり大学では普通のことかもしれませんが、立派な文化と言ってよいものです。文化になると人から言われなくてもできてしまう。これは、その文化の中にいる人を見れば伝わってくるものですし、本物の力だと思います。 なぜ実身美は20年継続できたのかを時々考えます。起業した企業が20年後に生き残っているのは0.3%と言われています。昔からあてにならないことを千三つと言いますが、まさに1000分の3の確率なのです。続けるのは難しいものです。ポイントは、学ぶこと、強みを生かすこと、そして「新しくしていくこと」です。続かないとは変われなかったということだからです。これは会社の文化といってよいと思います。 実身美では、継続学習とたゆまぬ改善活動を行っています。「丘の上の木を見ながら、手元の臼を引く」、すなわち、長期と短期をバランスさせる視点を大切にしています。ビジョンと現実の両方を見ながら、行くべき方向へかじ取りするのです。 最後に--マーケティングとイノベーション ドラッカーが言うのは、マーケティングとイノベーションです。ドラッカーは、「マーケティングとは販売を不要にすること」という有名な言葉を残しています。「買ってください」と言わなくても、お客様から「ほしい」と思っていただけることです。私は、自分が不便だと感じて、こんなのがあったらいいと思うことを大切にすることでした。自分も一人の顧客だからです。知人の本の編集者が教えてくれたのですが、「誰かにぴったり合うということは、その後ろに同じ感じ方をする人が30万人いる」という。それが独りよがりではなく、役に立ち、喜ばれるものになるのです。 イノベーションは新しくしていくことです。お店だったらいろんなメニューがありますね。消費者として、ほっとできるお店へのニーズがあるのに、それをベースにしているお店が少なかった。実身美の創業にはこのような思いもありました。そこで大切なのが顧客目線によるイノベーションです。お店の側は、自分が学んだイタリアンとか中華とかで勝負しようとしてしまいがちですね。果たしてそこに顧客目線はあるのかが疑問でした。自分の発想だけで出すと顧客からずれてしまいます。 自分が消費者だったらどうか。たとえば実身美では、冬に白湯を出すようにしています。というのも、通常の飲食店では、冬でも氷の入った水が出てくるところがあるからです。家ではありえないことですね。プロがそのようなことをしている。寒い時は常温の方がありがたいはずで、それだけでも感動してくれる人がいます。以前ジャーマンオムレツをメニューにしたいという意見があって、私はそこにトマトとかいろいろな野菜を入れたら魅力的ではと提案したことがあります。即座に「それではジャーマンオムレツにならない」という反論がありました。けれども、それは偶然私たちの知るジャーマンオムレツが、昔の人の保存がきくもの、じゃがいもとかしか使えなかった時代の遺物だったに過ぎない。それはものが不足していた時代に誰かが考えた苦肉の策なのに、今まったく違う現在でも踏襲してしまうのです。今はなすもトマトも入れられる。自分だったらこうするという具合に作り直していいのです。酵素ドレッシングもそうです。以前は、茶色で調味料というのが大半でした。生の良さを生かす「食べるドレッシング」という発想がなかった。それを顧客目線で開発した。 本日は「自分を活かす 人を活かす」というテーマで私の経験をお話しました。ものつくり大学の学生の皆さんに少しでも役に立てれば嬉しいです。ありがとうございました。 Profile 大塚 三紀子(おおつか・みきこ)㈱実身美 代表取締役関西大学法学部卒。OL時代、自身の体調不良が玄米で改善した経緯から2002年大阪で玄米カフェ実身美(サンミ)創業。20年間で玄米食を約500万食提供し、顧客の健康改善事例に多く立ち合う。玄米の機能性に感銘を受け、2017年度より、琉球大学医学部第二内科益崎教授研究室と玄米の機能性食品の共同研究開発を開始。働く女性を対象にした臨床試験を通じ、玄米の機能性成分がアルコール依存を軽減させる効果を認める。2019年~2023年 沖縄科学技術イノベーションシステム構築事業委託共同研究採択2022年 『特許庁 社会課題解決×知財 IOPEN プロジェクト~脳のデトックス効果のある玄米食を通じて社会ストレスを解消させる挑戦~令和3年度IOPENER』。ドラッカー学会会員。著書に『実身美のごはん』『実身美の養生ごはん』ワニブックス社がある。(累計2万9000部)『実があって身体に良く美味しい』をコンセプトにした商品開発を得意とする。酵素ドレッシングはベストお取り寄せ大賞3年連続総合大賞受賞(2019年度5,131商品中1位)他受賞多数。 関連リンク 【Fゼミ】私の仕事 #1--デジタルマーケティングとオンライン販売 基礎・実践 【Fゼミ】私の仕事 #2--私が在籍してきた企業におけるマーケティング 【Fゼミ】私の仕事 #4--歌手としての歩みとライフワーク 原稿井坂 康志(いさか・やすし)ものつくり大学教養教育センター教授

  • 【Fゼミ】私の仕事 #2--私が在籍してきた企業におけるマーケティング

    1年次のFゼミは、新入生が大学生活を円滑に進められるように、基本的心構えや、ものづくりを担う人材としての基礎的素養を修得する授業です。このFゼミにおいて各界で活躍するプロフェッショナルを招へいし、「現場に宿る教養」とその迫力を体感し、自身の生き方やキャリアに役立ててもらうことを目的として、プロゼミ(プロフェッショナル・ゼミ)を実施しました。今回は、外資系企業を中心に7社の在籍経験があり、約23年にわたってマーケティングに従事している平賀敦巳氏を講師に迎えたプロゼミの内容をお届けします。 マーケティングとは何か 本日の話の流れとして、まず初めに、「マーケティング」とは何を意味する言葉なのかを説明して、全体像をつかみ、その上で「マーケティング」に含まれる具体的な仕事の種類を説明します。そして、より個別具体的に、私が在籍してきた企業でどんな仕事に実際に取り組んで来たのか、事例を紹介しながら説明します。 現在、担当している商品、当日学生に配布された まず、大家と言われる3名の方が、「マーケティング」をどのように定義しているか?ハーバード大学教授のレビットは、マーケティングとは「顧客の創造」だと言いました。「マーケティングの父」の異名をとるコトラーは、「個人や集団が、製品および価値の創造と交換を通じて、そのニーズやウォンツを満たす社会的・管理的プロセス」という、大変緻密な定義を行っています。そして、有名な経営学者であるドラッカーは、マーケティングとは「セリング(販売)を不要にすること」だと語りました。では、私は、マーケティングをどのように定義しているか。二つの○と、それを結び付ける両向きの矢印を使って、図で説明をすると分かりやすいのです。片方の○は、生活していく中で様々な課題なり欲求を抱える消費者、生活者。もう片方の○は、そういった課題を解決し、欲求を満たすリソースを持つ事業者。これら二つの○を結び付けてあげると、そこに取引が生まれ、市場が生まれます。この、市場をつくるために両者を結び付けてあげることがマーケティングなのですね。 MarketingというのはMarketにingが付いていることから分かる通り、「Marketすること」という意味。要は、「市場を作ること」がマーケティング、市場をつくり、より大きくするために、色々な働きかけることが全てマーケティング活動と言えます。こう定義すると、マーケティングというのはとても広い概念で、ほぼ「経営」と同じ意味合いになります。とはいえ、経営活動の中には、人事、経理・財務、IT等々、確かにマーケティングとは言いにくいものも含まれるので、私は以下のように整理しています。経営=直接お客様に働きかけて市場を作る広義のマーケティング+間接業務広義のマーケティング=狭義のマーケティング+セリングコトラーは、このマーケティングの全体像を、「R-STP-MM-I-Cモデル」という枠組みで整理しました。R=Research(リサーチ・調査や情報収集)STP=Segmentation(セグメンテーション・市場を分類すること)、Targeting(ターゲティング・お客様を絞ること)、Positioning(ポジショニング・お客様の頭の中での居場所、位置付けを決めること)、これらの頭文字で、マーケティングの戦略部分。MM=Marketing Mixの略でいわゆる「4P」と言われるものと同じ意味。4Pとは、Product(商品)、Price(価格)、Place(販路)、Promotion(販促)の4つのPから始まる要素を指し、マーケティングの戦術部分。I=Implementation(実行)の頭文字。頭の中で考えた戦略や戦術は、実際に実行に移されないことには現実が変化しないので、実行はとても大切です。C=Control(改善)の頭文字。俗にいう「PDCA」。実行したら必ず結果を評価して、上手くいった点は維持し、上手くいかなかったことは改善する。そのプロセスを繰り返すことが重要です。 「お客様」を知ること ビジネスをする場合、通常何らかの目的を持って始めます。その目的を達成するために、様々な商品を取り扱い、その商品を市場で売れるようにするために、先程の「R-STP-MM-I-Cモデル」に沿って、戦略を考え、戦術を練り、それらを実行に移していきます。マーケティング戦略を考える上では、まず何よりも先に、市場の一方当事者である「お客様」を知ることが重要です。お客様は、何かしらモノを買うまでに、様々な段階を経て意思決定しますが、この時の心の流れを「パーチェスファネル」などと呼びます。ファネルとは、漏斗(じょうご/ろうと)で、必ず上が広く、下に行くに従って細くなります。基本的に、認知、興味、行動、比較、購入という段階を踏んで、ようやくモノを買ってくれることになるわけで、段階を進むごとに離脱する人も出て来るため、必ず下へ行くほど細い。このパーチェスファネルを、出来るだけ横に広げていくことで、市場がつくられ、大きくなる。また、下の方をより太らせて逆三角形から台形に近付けていくことで、更に市場が大きくなる。なので、各段階の間口を広げること、そして次の段階へと進む確率を上げること、それを実現することがマーケティングの仕事のイメージとなります。お客様が持っている顕在ニーズと潜在ニーズ(ホンネ)を、質的調査(ヒアリングや観察)や量的調査(アンケート、データ分析)を通じて調べ上げたら、そのニーズを満たすことを考えなければなりません。そのために、「コンセプト」を練り上げます。コンセプトの要素は、よくABCで整理されます。A:Audience・お客様B:Benefit・便益、嬉しさC:Compelling Reason Why・お客様がその嬉しさを得られると信じるに足る理由お客様に選ばれる商品をつくるには、Aの誰を相手にするのか、Bの相手が喜んでくれそうな何を提供するのか、そしてCのそれがいかに良い商品だと分かるような根拠をどうやって伝えるか、これらABCをワンセットで提供しなくてはなりません。3つ目の、お客様に提供する「根拠」については、3つの「差別化軸」(①手軽軸、②品質軸、③密着軸)を活用します。 私が在籍してきた企業の具体例 ①女性用カミソリのポジショニング圧倒的なシェアを持っていた競合の商品が、ハッキリとしたポジショニングを持っていない点に気付き、消費者のニーズに基づいた明確なポジショニングで「挟み込み」を行った結果、多くの売場を獲得し、シェアの逆転につなげることができました。②商品をラッピングしてギフト化し、価値を高めて価格を上げる一つだと安価なキャンディを、沢山集めてお花のブーケのようなラッピング仕立てにすることで、単価を上げて発売しています。キャンディだけで比較すると割高ですが、ギフトとしての価値を創り出すことで多くの方に買い求めていただいています。 ③商品カテゴリによるコスト構造の違いと値付け化粧品や日用雑貨で様々な商品を扱ってきた中で、売価と原価の関係はカテゴリによってバラバラであることを見て来ました。より多くの粗利を稼げるカテゴリでは、その粗利を原資にして、広告や販促を展開し、逆に粗利が低いカテゴリでは、ギリギリ安値でとにかく数をさばくというやり方になっています。④小売店のバイヤーとの「棚割」商談における資料作成小売店では半年に一度、「棚割」といって棚に並べる商品の入れ替えを実施しています。消費者に商品を買ってもらう機会を確保するために、棚割で自分のところの商品がなぜ必要なのか、ロジックを組み立て、説得を試みます。⑤TVCM制作広告代理店に依頼をして、誰にどんなメッセージを伝えたいのかを説明し、目的に応じたクリエイティブを制作してきました。⑥店頭販促消費者は、「期間限定」だったり「お買い得」といったメッセージ、見た目に反応することが多いので、店頭でより多くの人に、より頻度高く買っていただくための工夫を様々に行ってきました。⑦DMを用いた店頭への集客化粧品会社で、愛用顧客の方に再び店頭へと足を運んでもらうために、凝りに凝ったDMを送付していました。頻繁に新商品を出し、常に店頭を新鮮に保って、DMによる集客でにぎわいを創り出していました。 Profile 平賀 敦巳(ひらが・あつみ) 1972年東京都出身、横浜市在住1996年慶應義塾大学大学院法学研究科修了(法学修士)外資系企業を中心に7社の在籍経験。27年強のキャリアのうち、約23年マーケティングに一貫して従事。これまでに取り扱ってきた商品は、主に日用雑貨と化粧品を中心に、洗剤や家庭紙(トイレットペーパーやティッシュペーパーなど)、スキンケアやヘアケアやボディケア、カミソリ、香水、キャンドル、保険などが挙げられる。マーケティング戦略の立案から、商品・コンセプトの調査や開発、値決め、チャネル開拓、広告宣伝・PR、販売促進に至るまで、幅広い経験を積んで来た。現在は、ベルフェッティ・ヴァン・メレ・ジャパン・サービス株式会社に勤務、カテゴリーマネージャーとしてメントスとチュッパチャップスの二つのブランドを管掌。 関連リンク 【Fゼミ】私の仕事 #1--デジタルマーケティングとオンライン販売 基礎・実践 【Fゼミ】私の仕事 #3--自分を活かす 人を活かす 【Fゼミ】私の仕事 #4--歌手としての歩みとライフワーク 原稿井坂 康志(いさか・やすし)ものつくり大学教養教育センター教授

  • 【Fゼミ】私の仕事 #1--デジタルマーケティングとオンライン販売 基礎・実践

    1年次の「Fゼミ」は、新入生が大学生活を円滑に進められるように、基本的心構えや、ものづくりを担う人材としての基礎的素養を修得する授業です。このFゼミにおいて各界で活躍するプロフェッショナルを招聘し、「現場に宿る教養」とその迫力を体感し、自身の生き方やキャリアに役立ててもらうことを目的として、プロゼミ(プロフェッショナル・ゼミ)を実施しました。大企業勤務、起業、コンサルティングなど多様な活動をし、現在は日本工芸株式会社 代表取締役を務める松澤斉之氏を講師に迎えたプロゼミの内容をお届けします。 とにかくいろんな仕事をしてきた この27年を振り返ると、私は大企業に勤めたこともありますし、第三者としてコンサルをしたこともあります。自分で会社を立ち上げて経営してきたこともあります。とにかくいろいろな活動に携わってきた自負はあるのですね。 現在も、自分の会社を経営していますが、SBI大学院大学のMBAコースで講師も務めていますし、企業の研修を行ったり新規事業のコンサルティングもしています。早稲田大学、広島大学などで「デジタルマーケティングとオンライン販売の実践」について講義をしたり、福岡県物産振興会、東京都中小企業振興公社、新宿区立高田馬場創業支援センターなどで「企画発想力人材」の育成・活用、EC活用などについて相談に乗ったりもしています。その他企業内では事業開発、EC加速、越境EC立上げ、など様々なテーマでレクチャー+立上げ支援を実施しています。 こういう生き方は、学生時代、すなわち皆さんと同じころのつまり二十歳あたりの頃のある思いに遡れると思っていますが、それについては最後にお話ししたいと思います。 新卒で就職した会社の倒産 私は東京理科大学の出身です。とにかく旅行が好きで、バックパックを背負って世界中を旅行して回っていました。在学中は中国の四川大学に1年間の短期留学もしました。これには元来の『三国志』好きが大いに関係していたと思います。 1996年に大学を卒業してから、ヤオハンジャパン社に入社しました。大学時代中国に留学したこともあり、アジア展開に注力する会社で働きたいと考えたからです。ヤオハンは小売業で、1990年代の前半までは飛ぶ鳥を落とす勢いの躍進を続けていました。ところが、この巨大な一部上場企業が、私が入社した翌年に倒産してしまいます。これは日本の企業史に残る巨大な倒産としても知られています。これはなかなかショックな出来事でありましたが、就職先の倒産を機に私の人生が本格的に始まったと言ってもよいかもしれません。その後、しばらくの間、東南アジアなどからの輸入水産商社にて製品開発・輸入及び国内販売に従事していました。やはりアジア諸国との仕事をしたくてヤオハンに入ったわけですから、その思いはずっと心にとどまっていたからです。日々とても忙しかったけれども、充実していました。 たいてい人は何かに一生懸命打ち込んでいれば、必要な出会いは向こうからやってきてくれるものです。私の場合、勤め先の倒産から数年してからでした。それは日本を代表するコンサルタント・大前研一氏との出会いです。このご縁から、1999年、大前氏の起業家育成学校(㈱ビジネス・ブレークスルー)の立ち上げに参画する幸運に恵まれました。私が従事したのは国内最大規模の起業家育成プログラムを提供するスクールです。これを機に、同スクールの企画運営に関する統括責任者となり事業戦略・マーケティングを立案・実行してきました。社内新規事業として、企業内アントレプレナー育成サポート事業を立ち上げ、リクルート、三井不動産、NTTドコモなどの大手クライアントを獲得することに成功し、マザーズ上場にも貢献できました。 ビジネス・ブレークスルーから約7年がたち、自分自身もいつか起業することを考えていましたので、2006年、新規事業開発支援のコンサルティング会社フロイデの設立に参画し、役員に就任しています。これは、事業規模に関わりなく、新規事業をスタートしたいという企業は実に多いものの、そのための人員もリソースも不足していて、なかなか着手できずにいる状況を機会と考えたためです。新規事業の専門家は世の中にさほど多くなかったのも理由の一つです。実際に着手してみると、相談件数も着々と伸びて、ホンダ、日経新聞、パナソニック、NEC、東京電力などかなり大手企業の事業開発事案に携わることができました。このフロイデという会社は現在も関わりを持っており、私の複数の活動の一つとして、現在も新規事業のコンサルティングを続けています。 40歳を目前にAmazonへの転職 その間世の中は大きく変化を続けており、私としても、ネットによる世の変化を直接目で見て、学び取りたいという思いがふつふつと湧き上がってきました。そんなときに、Amazonジャパンの求人があることを知り、すでに40歳を目前としていたにもかかわらず応募したら合格してしまいました。ここから、私の大企業との関わりが再度始まったことになります。就職して翌年で倒産したヤオハン以来です。 私がAmazonに入ったのは2012年6月でした。このAmazon体験は、私にとってとても大きなものをもたらしてくれたと思います。まずはインターネット通販 Amazonジャパンホーム&キッチン事業部に配属され、バイイングマネージャーとして販売戦略の立案と実行を任されました。これはかなり重要なポジションで、会社としても私のこれまでの経験やスキルを十分に生かせるように配慮してくれたのだろうと思います。 Amazonで得たことは実に多いのですが、私は三つあると考えています。一つはEC、すなわちネットビジネスの基本が理解できたことです。ECとは何のことかといえば、6つの要素、商品、物流、集客、販売、決済、顧客からなっています。これらへの対応、作戦計画を行うのがバイヤーの仕事です。AmazonのECは世界最高と言ってよく、仕入れはもちろんのこと、マーケティングやアフターサービスまで、多くを学ぶことができました。この体験は独立している現在、とても役に立っています。 第二が世界最高レベルの組織です。Amazonの構築した組織は、巨大でありながら実に柔軟であり、機能的でした。Amazonの組織の一員であることによって、特に大きな組織を動かすためのエッセンスのようなものが会得できたと思っています。 最後がビジネス・パートナーです。仕事をしていると仲間ができます。その仲間がいろいろな情報をもたらしてくれますし、私もいろいろな情報をシェアしたりします。そのような人間関係は、会社を辞めた後も続きます。「人脈」という言い方もしますが、これは仕事の醍醐味だと思います。 Amazonは今あげた三つの要素のどれをとっても一流であったのは間違いありません。その恵まれた環境の中で、とにかく日々の商談を行いました。結果として2,000社以上のEC化サポートの経験を積み上げることができました。 日本工芸㈱を設立--想いをつなぐ工芸ギフトショップ 私がAmazonに在籍したのは約4年です。いつかは独立しようと考えていましたから、退職は当初より織り込み済みでした。私が再び事業を立ち上げたのは、2016年12月のことです。Amazonを退職し、工芸品の越境EC運営を生業とする日本工芸株式会社を設立しました。「想いをつなぐ工芸ギフトショップ」をキャッチコピーにしています。仕事内容は伝統工芸領域のプロデュース・販売事業です。日本の伝統工芸のすばらしさを世界に知っていただきたいと思い、スタートしました。 詳しくはHPをご覧ください。https://japanesecrafts.com/ それ以前から、新規事業開発アドバイザーは長く従事しており、専門領域は、新規事業案策定、実行支援、事業創出の仕組みづくり、人材育成、EC戦略立案、集客支援など多様に展開させていただいています。 私は日本工芸㈱のビジョンを「日本の工芸、職人の技と精神性・製法・技法に宿るこだわりやプロセスを理解し、商品流通・教育など通して製品を愛する日本内外の人、世の中に広げていく」としました。日本ではたくさんの優れた職人がおられ、日々逸品の製作に励んでいます。しかし、伝統工芸品は1983年の5,410億円をピークに、2015年は1,020億円と5分の1にまで減少しています。売上減少に伴い、人手の不足、新商品開発への対応不足なども加わって産地の生産・流通は構造的に疲弊してきているのが現状です。これには、昨今の百均などに見られるように、消費者動向に添う効率よい商品調達・流通が大きく関係しています。所得・消費も減少していますので、「安くてそこそこの」ものに消費者がどんどん吸い寄せられているのでしょう。それに対して、専門店やECなどが十分に対応できていないのではないかということも、日本工芸㈱立ち上げの原動力になっています。 そのために、選定したブランド、産地、工芸品を不易流行なブランドとして発掘するところから始めます。職人さんとじっくり語り合い、文章と画像で語り、販売するようにしています。こうすることによって、国内でハンドメイドによる工芸品をセレクトしてお客様に提供する、目利き役も務めています。それぞれの職人は小規模ですから、広告や大規模なプロモーションを打つことはできませんし、その知識も乏しいのが実情です。日本工芸㈱が行いたいと考えるのは、職人さんに職人さんらしい仕事をしてもらうことです。そのほかの面倒なことは引き受ける。その価値を理解してくれる全国のお客さんをインターネットによって仲介・プロデュースしています。最近では法人による購入も増えてきました。 死ぬまで挑戦したい 私は現在で50歳です。今までいろいろな事業に携わってきました。大企業勤務、企業、コンサルティングなどなかなか経験できない多様な活動ができたのは本当にありがたかったと思います。 事業の形態は実にいろいろあるのですが、私は一番大事なのは「人」だと思うのですね。経営学者のドラッカーも、経営的問題は結局は人の問題に帰着すると語っていたかと思います。私にとっては、仕事そのものの大切さもさることながら、その仕事が社会的に意味を持つためには、やはり人との関係を創生するものがなくてはならないと考えています。新規事業のコンサルを始めたときも、Amazonでの開発業務も、日本工芸㈱の企業もつまるところは、人の力になりたいし、私自身もそこから力を得たいという思いがあったためだと思います。早いうちに海外に出たことで、いろいろな人に会うことができましたし、多くの体験をすることができました。社会人になってからも、ずいぶんたくさんの国を旅行やビジネスで訪れました。これは私が職場を始め居場所をどんどん変えてきたことも関係していると思うのですが、それによって変化していくことが恐くなくなってきたということは言えると思います。世の中は何もしなくても変わっていくものです。むしろ変わっていくことがこの世の本来の姿です。変化していくことを後ろ向きにではなく、積極的に活用していくような生き方を結果としてしてきたように思います。 私は社会人になって27年目になります。その意味では私は一社に就職して長く勤め上げる人生を送ってきたわけではありません。現在もなお複数の仕事を同時に行っています。おそらく現在学生の皆さんも、一社で勤め上げるのではなく、適宜ふさわしい仕事や会社で働いていく人生になると思います。 思い起こせば、学生時代、私はあることを考えるようになりました。それは人はいつか死ぬということです。それはいつかの問題であり、避けることのできないことです。そうであるならば、私は死ぬときに100名の友人がいる状態を理想と思うようになりました。死ぬときに100名。これを実現するためにこれから生きていこうと思ったのです。私の人生ビジョンは「挑戦する精神とともに成長する」です。死ぬまで挑戦して生きたいと日々考えています。挑戦するとは、いつでも生き方を変える準備があるということです。 大学生の皆さんは、現在基礎を築く大事な時期にいるのですから、ぜひ日々を大切に送っていただきたいと思います。技能や技術を担うテクノロジストの皆さんにとって本日のお話が何らかの参考になればと願っております。 Profile 松澤 斉之(まつざわ・なりゆき)1996年 東京理科大学卒業、在学中に中国四川大学に留学同年、ヤオハンジャパンに入社するも翌年倒産1999~2006年 大前研一氏のベンチャー(現㈱ビジネス・ブレークスルー)に参画、マザーズ上場2006年~現在 新規事業開発会社(㈱フロイデ)に参画2012~2016年 アマゾンジャパン ホーム&キッチン事業部シニアバイイングマネージャー2016年~現在 日本工芸㈱ 代表取締役、国内外EC事業、プロデュース事業(卸)、販路開拓支援事業を実施2017年~ SBI大学院大学講師(事業計画演習)2019年~ 独立行政法人中小企業基盤整備機構 中小企業支援アドバイザー 関連リンク 【Fゼミ】私の仕事 #2--私が在籍してきた企業におけるマーケティング 【Fゼミ】私の仕事 #3--自分を活かす 人を活かす 【Fゼミ】私の仕事 #4--歌手としての歩みとライフワーク

  • 【学生による授業レポート #2】受講後もSA(スチューデント・アシスタント)を通じて深める学び

    第2回「学生による授業レポート」をお届けします。今回は建設学科4年の杉山一輝さんが「鋼構造物施工および実習」を紹介します。杉山さんは2年次に「鋼構造物施工および実習」を受講して、4年次ではSA(スチューデント・アシスタント)として実習の運営をサポートしました。学生とSAの両方の視点からのレポートをお届けします。(学年は記事執筆当時) 「鋼構造物施工および実習」について 「鋼構造物施工および実習」は、鋼構造の躯体モデルとして鉄骨部材で構成されたシステム建築を施工する工程を通じて、鋼構造部材の組み立てを中心とした施工管理を学びます。高力ボルトなどの締付け管理や母屋、胴縁などのボルトによる施工要領について学び、筋交いやサグロッドなどの2次部材の役目や施工方法を習得します。 システム建築の特徴 この実習は、株式会社横河システム建築から鉄骨などの部材を提供いただくとともに、社員の方に非常勤講師として来ていただき行われています。横河システム建築は、業界トップシェアを誇るシステム建築と、国内外の大型開閉スタジアムやハワイ天文台のすばる望遠鏡大型シャッター装置など、様々な用途の大型可動建築物を提供する建築製品のトップメーカーです。 システム建築とは、建物を構成する部材を「標準化」することにより、「建築生産プロセス」をシステム化し、商品化した建築です。工場・倉庫・物流施設・店舗・スポーツ施設・最終処分場等に適した建築工法で、建設のうえで想定される検討事項・仕様が予め標準化されているので高品質でありながら、短工期・低価格を実現しています。(株式会社横河システム建築HPより引用:https://www.yokogawa-yess.co.jp/yess01/feature) 完成写真 苦労した点、勉強になった点 2年生で受講した時は、システム建築、鉄骨造と聞いてもイメージが全然湧きませんでした。図面を見て理解するにも時間がかかって施工するにもいろいろ苦労しました。しかし、世の中の鉄骨造の建築物(特に工場・倉庫)はどのように施工されているのかを細かな部分まで実習を通して知ることができ、完成に近づくほど楽しく、面白く感じました。「システム建築」がどのような事なのかも学ぶことができました。 図面確認 3年生になり、SA(スチューデント・アシスタント、以下SA)になってからは、受講生に質問されてもしっかり答えられるように図面をよく確認したり、作業内容を熟知するようにして事前準備をしていました。現場は予定通りにいかないことが多いので臨機応変に対応していくのが大変でした。SAとして、また実習に参加することで、受講当時に分からなかったことが理解できるようになったり、新たな疑問点は見つかったり、毎回の実習が充実していたので参加できて良かったと思います。 SAとして工夫した点 就職活動では、株式会社横河システム建築から内定をいただいたということもあり、SAを2年間経験させてもらっています。一般的にSAという立場は、受講生のサポート役として参加しますが、この実習では規模が大きいということもあり、SAが率先して受講生をまとめています。受講生では危険な作業が少々あり、SAがやらなくてはいけない作業があったりするからです。 工夫したことは、その場その場でいろいろとあります。教授・非常勤講師の打ち合わせに参加して、実習で使用する工具類の確認、授業の流れを把握したりして受講生がスムーズに実習できるように環境づくりを行いました。また、複数人いるSAの中でリーダーでもあったので指示を出したり、自身の分からないことはすぐに非常勤講師に質問して対応できるようにしていました。 SAによる柱設置作業 原稿建設学科4年 杉山 一輝(すぎやま かずき) 関連リンク ・【学生による授業レポート】ジジジジッ、バチバチッ・・・五感で学ぶ溶接技術・建設学科WEBページ

  • 【学生による授業レポート】ジジジジッ、バチバチッ…五感で学ぶ溶接技術

    今回は、学生の目線から授業を紹介します。建設学科1年の佐々木望さん(上記写真左)、小林優芽さん(上記写真右)が「構造基礎および実習Ⅳ」のアーク溶接実習についてレポートします。実習を通じて、学生たちは何を感じ、何を学んでいるのか。リアルな声をお届けします。(学年は記事執筆当時) ものつくり大学の授業について ものつくり大学の特色…それは何といっても実習授業の多さです。なんと授業のおよそ6割が実習であり、実践を通して知識と技術の両方を身に着けることができます。科目ごとに基礎実習から始まり、使用する道具の名称や使い方などを一から学ぶことができます。 本学は4学期制でそれぞれを1クォータ、2クォータと呼び、1クォータにつき全7回の授業と最終試験を一区切りとして履修していきます。今回は、そんな授業の中で建設学科1年次の4クォータで履修する「構造基礎および実習Ⅳ」のアーク溶接実習について紹介します。 アーク溶接の実習とは まず、アーク溶接について簡単に説明すると「アーク放電」という電気的現象を利用して金属同士をつなぎ合わせる溶接方法の一種です。アーク溶接の中にも被覆、ガスシールド、サブマージ、セルフシールドなど様々な種類がありますが、この実習では一般的に広く使用されている被覆アーク溶接を行いました。 アーク溶接の様子 この授業は、講義の中で溶接の基礎知識や安全管理等の法令を学び、実技を通してアーク溶接の技術を身に付けることを目的としています。また、6回目の授業で突合せ板継ぎ溶接の実技試験、7回目の授業で「アーク溶接等作業の安全」をテキストとした試験を行います。その試験に合格した学生には特別教育修了証が発行され、アーク溶接業務を行えるようになります。 実技試験の課題 突合せ溶接 実習では平板ストリンガー溶接、T型すみ肉溶接、丸棒フレア溶接、突合せ板継ぎ溶接といった、数種類の継手の面やコーナー部を溶接する練習を行いました。また、講義では鋼材に関する知識、溶接方法の原理、作業における安全管理、品質における溶接不良の原因や構造物への影響等について学び、試験に臨みました。 実習の流れとしては、まず作業の前に溶接方法の説明を受けます。その後、皮手袋やエプロン、防じんマスク、保護面等の保護具を着用して、3~4人で一班になり、各ブースに分かれて順番に練習を行います。作業中は、実際に現場で活躍されている非常勤講師の先生が学生の間を回り、精度の高い溶接ができるようアドバイスや注意をしてくれます。溶接金属やその周囲は非常に高温になるため、他の実習よりも危険なポイントが多いので作業中だけでなく、準備・片付けもケガ無く安全に行えるよう毎回KY(危険予知)活動をしてから実習に臨みました。 実習を行ってみて 説明ばかりでは授業の様子を想像するのも難しいですよね…。ということで、実際に授業を受けた建設学科1年、小林と佐々木の感想をお届けしたいと思います! ・何を学ぶことができたか 【小林】アーク溶接とは何かを学ぶことができました。もっとも、それを教わるための講義なので何を言ってるんだと思われてしまいそうですが、そもそも私は溶接と無縁の生活を送ってきたので、アーク溶接ってなに?というか溶接ってなんだよ。というところから入りました。1回目の講義の際、どのようなものが溶接で作られているのか紹介していただいたのですが、ほとんどが知らなかったことだったので、とても面白かったのを覚えています。 【佐々木】溶接というのは非常に優れた接合方法だということを学びました。溶接は継ぎ手効率が高く、大型の構造物を作るのに適しています。あの東京スカイツリーはなんと37,000ものパーツを全て溶接することで作られていると知り、世界一高い塔を作る溶接という技術がこんなに小さな機械で、こんなに簡単にできるものなのだと驚きました。また、一口に溶接といっても用途によって材料や溶接方法、継ぎ手の種類などが様々で、その違いを興味深く学ぶことができました。 ・楽しかったこと 【小林】アーク溶接を実技として教わったことがすごく楽しかったです。非常勤の先生方がとても優しく、どのようにすればいいか、どのくらい浮かすのか、どの音で進めていくのかなど一緒に動かしたり、その都度「今離れたよ。もう少し近付けて。そう、その音」と声をかけてくれたりして理解できるようにしてくださったので、すごく分かりやすかったです。そのおかげで綺麗に溶接ができるようになり、すごく褒めてくださることもあって、とても楽しく実習をすることができました。先生が「初めてでここまでできる人は初めて見た」とまで言ってくださったので、とても嬉しく、褒められればやる気が出る単純なタイプなので、やる気もすごく出ました。 【佐々木】練習を重ねて、アドバイスを実践していく度に溶接の精度が上がり、目に見える形でできるようになっていくのが楽しかったです。溶接は五感がとても大切で、保護面越しで見るアーク放電の光だけでなく、ジジジジッ、バチバチッといった音の違いや溶接棒越し感触を頼りに集中し、真っすぐに溶接できた時にはとても達成感を感じました。班の中でも上手な学生から感覚を教えてもらったり、説明を受けながら溶接の様子を見学することで、より学びを深めることができたと思います。講義では、先生から現場での実体験を交えてお話いただいたおかげで楽しく知識を身に着けることができたので、苦にすることなく試験勉強に取り組めました。 実習中の様子 ・苦労したこと 【小林】T字の材料に溶接するところがすごく苦労しました。平面とはまた違った角度をつけて溶接しなければならず、どうにもそれが難しかったです。1層目の溶接は擦りつけながら溶接すると言われ、この前までは浮かせるって言ってたのに?と混乱している中、追い打ちで「この前とは違う角度で溶接する」と言われてしまい、思考が停止したのをよく覚えています。さらに、そのことに気を取られ、前回できていた適切な距離を維持することができなくなり、手が震えて作業している場所が分からず、ズレてガタガタになることを経験して、やっぱり一筋縄ではいかないんだと痛感しました。 T型すみ肉溶接 【佐々木】被覆アーク溶接というのは、細長い溶接棒と溶接金属の母材を溶かし合わせてつなぎ合わせる方法で、溶接を進めるほど溶接棒が溶けていくので、母材と溶接棒の距離を保つのが難しく、溶接の後が上下にずれてしまい大変でした。アークの光が明るすぎて目視では距離の確認ができずに困っていたら、「正しい距離を保てば見えるようになる」と教えてもらい、それからは以前より真っすぐに溶接できるようになりました。また、溶接不良を何か所も発生させてしまい、溶接不良が原因で鉄橋が崩落した大事故についても学んでいたため、仕事としての難しさや、構造物を作っている技術の高さを改めて感じました。 最後に 私たちの授業紹介はいかがでしたでしょうか?建設学科では、今回紹介した構造基礎の授業だけでなく、設計製図や木造、仕上げといった幅広い分野について実習を通して学び、知識と技術を身に着けることができます。 この記事を通して「ものつくり大学って面白そう!」「他にどんな授業をしているのかな」と少しでも興味を持っていただけたらとても嬉しいです。 最後までお読みいただきありがとうございました。 原稿建設学科1年 佐々木 望(ささき のぞみ)       小林 優芽(こばやし ゆめ) 関連リンク ・【学生による授業レポート #2】受講後もSA(スチューデント・アシスタント)を通じて深める学び・建設学科WEBページ

  • 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」④(全4回)~16号線の正体とリベラルアーツの本質~

    ―特別版③「ものづくりがマーケットを変える」の続きです。 柳瀬博一先生(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 教授)を講師に招き、2022年11月24日に開催された教養教育センター特別講演会の内容を全4回にわたりお届けします。 「リベラル・アーツ」「教養」。普段、よく耳にする言葉ですが、その定義は実は曖昧です。柳瀬博一先生が講演の中で、『広辞苑』から参照していますが、やっぱり、「よく分からない」。人によって解釈や定義が異なりがちな「リベラル・アーツ」について、時に古代ギリシャまで遡り、時に自身の著作の事例を交えて、目まぐるしく変わる現代に必要な「リベラル・アーツ」について解き明かします。 これまで3回にわたって紹介してきた特別版の最終回です。第4回は、リベラルアーツの本質について、柳瀬博一先生のご著作『国道16号線』から、16号線沿いに広がる歴史や文化など豊富な事例を織り交ぜながら語ります。 【教養教育センター特別講演会 開催概要】 日時:2022年11月24日(木)14:00~15:20 場所:ものつくり大学 大学本部 A3010大講義室 参加者:本学学生、高校生、一般、教職員 約220名 開催方法:オンライン・対面のハイブリッド レイヤーで見る――『国道16号線』 最後に、私の著書『国道16号線―日本を創った道』(新潮社)に触れておきたいと思います。 国道16号線はどういう道か、326キロあります。スタート地点、横須賀の走水から横浜の真ん中を通って、相模原、町田を抜けて八王子から埼玉県の入間に入ります。入間、川越、上尾、春日部です。さらに千葉県の野田、柏を通って、千葉市の中心を抜けて海岸沿い、市原から木更津、君津、富津の先端に至る。 16号線エリアには一つの固定的なイメージがあります。それは「歴史がない」というイメージです。 国道16号線沿いにはショッピングモールがやたらに多いのです。三井のアウトレットパークは16号線エリアにあります。ショッピングモールカルチャーは、16号線沿いで生まれました。またラーメンのチェーン店が多い。山岡家は16号線に重点的に出店しています。トラックの運転手の方、昼夜問わず、ラーメンを愛好する方が多い。 あるいはヤンキーのイメージ。実際にマイルドヤンキーのイメージが強く、戦後発達した郊外の街という印象もあります。 ニュータウンが実に多い。首都圏の13ニュータウンのうち、6つが16号線エリアです。代表的なのは千葉のニュータウンや洋光台です。 『定年ゴジラ』という重松清氏の名作があります。1990年代の話です。戦後の第1世代が60歳になったときがちょうど小説の設定です。要は、戦後頑張ってきたお父さんたちが必死の思いで買った多摩ニュータウンや、さらに八王子辺りの住宅の一軒家を買った。けれども、子供たちは戻ってこない。そんな話が『定年ゴジラ』には描かれている。その問題は現在にも続いています。 まとめると、戦後発達したニュータウン、画一的なチェーン店展開、歴史がないので文化レベルは低く、高齢化と首都圏集中で過疎になっている。 古い歴史と文化 しかし、歴史がないというのは本当ではない。 16号線エリアの歴史は実に古いからです。どのくらい古いか。3万年です。 16号線エリアには旧石器遺跡も多い。最初の人類が関東に来たとき、16号線エリアに重点的に住んでいる。証拠は貝塚です。日本の貝塚の4分の1から3分の1は16号線エリア、特に千葉サイドに集中している。縄文時代は東京湾に人が集住していた時代だったのです。 その後、弥生時代になると、人がいなくなるイメージがあるのですけれども、それもまったく違う。古墳が多いのを見るとそれがよくわかります。行田のさきたま古墳群は典型ですね。埼玉、千葉は、日本でも有数の古墳エリアです。中世の城が多いのも特徴です。 次に言えるのは、16号線エリアは有数の都会という事実です。人口は1200万人、埼玉、神奈川、千葉の県庁所在地を通っています。郊外のイメージは、東京23区を通っていないからです。それは東京視点にとらわれた発想ですね。 しかし東京以外では、16号線はまったく田舎ではない。大阪、京都、神戸の人口を足したより、16号線沿いは倍以上の規模です。巨大なマーケットです。通っている都市は横浜、日本最大の都市ですから。大阪よりも規模は大きい。他にも相模原、埼玉、千葉を通過している。田舎というイメージは誤りです。 さらに言うと、大学が多い。16号線エリアには110以上の大学が所在している。東工大、東大、千葉大、横国大、東京理科大は16号線沿いです。日本の二大科学研究機関も16号線沿いにある。海洋開発機構(JAMSTEC)は横須賀にあります。宇宙航空開発研究機構(JAXA)は相模原の古淵、どちらも16号線が近い。 きわめつけは、首都圏で人気のエリアということです。2021年から全世代で16号線エリアが人気になってしまった。新型コロナによってリモートが活用されるようになり、大手町や丸の内に満員電車に詰め込まれる必要がなくなってしまった。 ちなみに今、ビジネス拠点で重要なのは千葉です。リモートワークと通販時代で重要なのは物流センターとデータセンターです。埼玉も久喜が今拠点の一つになっています。流山は首都圏最大の物流センターです。楽天、アマゾン、ヤマトが集結しています。オーストラリアの物流企業も集中展開しています。コストコの本社も今年、川崎から16号線の木更津に移ってしまった。本社機能が店の隣にできている。 特筆すべきなのは印西です。1990年代から、首都圏で地盤がしっかりしているので、銀行のデータセンターがありましたが、今はグーグル、アマゾンのデータセンターがある。 元気なニュータウン 16号線沿いのニュータウンが一旦力を失った後、再び元気です。今、平日の昼間などは、保育園の子を載せたカーゴが多く見られる。子育て世代が多い証拠です。 金融からメディアの時代になったのです。千葉ニュータウンはお洒落なスポットで、IT企業勤務のスマートな若者が仕事をしています。 1998(平成元)年の世界の時価総額ランキングを見ると、ほとんどが日本の金融機関、そしてNTTです。それが今どうなっているか。アップル、アマゾン、グーグル、マイクロソフト、フェイスブックなど、金融からメディアの時代に移った。GAFAMは、要するにメディア企業です。価値を生むものが、お金ではなく、情報に変わった。 今、丸の内が何らかの事情で機能しなくなるよりも、印西が機能しなくなる方が日本人にとっては困る。データセンターがありますから、生活が成り立たなくなる。 このことは、本日のリベラルアーツとつながってきます。教養とは、ややもするとパッチワーク状の知識というイメージがあるわけですが、これではただの物知りを教養と誤認しています。そのような物知りは役に立たない。 役に立つとはどういうことか。 情報は、対立するものではなく、レイヤーを異にするものです。同じことを交通の比喩で語るなら、鉄道、地形、道路、徒歩、それぞれのレイヤーが独立しつつ重なっている。ところが、レイヤーで考えないと、「鉄道」対「道路」と対立的に考えてしまう。その時点でもう間違いです。二項対立で語るのは楽なのですが、レイヤーで考えないと実像はほとんどわからない。 16号線の正体は、地形です。大地と丘陵とリアス式海岸と巨大河川による凸凹地形を通っている。その下にはプレートがある。首都圏は、フィリピン、北米、太平洋プレートがぶつかっている世界的にも稀な複雑な地形です。不可思議な地形が残っている。できたのは12万年前です。 面白いのが縄文時代です。私が保全活動を行ってきた三浦半島の小網代という場所がありますが、ここなどはいわゆる「小流域」、手前が川の源流で、小さな川、谷、海が一つになっている。それは人類における居住の基本単位なのです。屋根に住むと治水の問題が不要になります。足元には清流がある。動物が生活し、植物が豊か繁茂し、果物や穀物が採取できる。水をせき止めると田んぼができる。湿原の下手の干潟に行くと、貝がたくさんとれる。その先に大きな海と港湾、河川交通ができる。尾根は道路です。小流域地形を発見して確保するのが日本の為政者が延々と行ってきたことです。 事情は今とあまり変わらない、だから、居住の基本単位が並んでいたのが16号線沿線です。 そこには軍事施設もできたし、生糸文化もできた。軍事と生糸の中心になったので、富国強兵と殖産興業も16号線エリアに発達した。ちなみに、軍事施設で働いていたのが日本のミュージシャンや芸能人です。日本の芸能界は16号線エリアの米軍キャンプで生まれた。ホリプロもナベプロもそうです。その後、彼らから薫陶を受けたのはユーミンやYMOです。 鉄道資本主義の弊害 最後に身近な例を一つ上げておきましょう。日本のまちづくりは鉄道が主体でした。そのせいで私たちは鉄道資本主義の世界を生きてきた。でも、鉄道の時代はもう終わっている。なぜか。道路の発達と自動車の普及が関係しています。それらは1990年代以降本格化している。まだ30年と経っていません。自動車保有は1996年に初めて1世帯1台になる。日本はアメリカより40年遅れていたのです。 モータリゼーションが急速に進むのは1990年代から2000年代で、16号線エリアにショッピングモールが栄えるようになった時期と重なっている。2000年代です。電車は関係ありません。今は自動車資本主義の時代なのに、官僚も大学人も、「電車脳」のままなのです。電車脳が作動している限り日本の地方の再生は望めない。 たぶん効果的なのは、地方ではウーバー・タクシーの活用でしょう。自動車は各家庭に3台ある。当然空いている人もいる。地元の空いている方に来てもらい、届けられます。バスやタクシーの交通不便が解消できます。 そこで、ぜひ行っていただきたいのは―学生は時間があると思うので―住んでいるところの歴史と地理を足で歩いてみると面白い。ショッピングモールは何があるのか、駅は何があるのか、何でもいい。 この辺りは元荒川がありますね。元荒川が本当の荒川だった。この荒川はどこにつながっているのか。16号線沿いの今、重要な日本の東京の首都圏の防水施設があります。首都圏外郭放水路、元荒川はその近隣にあって、利根川の元源流も入っている。 どちらの川も、元の利根川と元の荒川は、埼玉の誇る巨大モール施設。越谷レイクタウンにつながる。なぜ、巨大レイクタウンがあるのか。水の構造がそこにあるからです。歴史のレイヤーと現在の流通のレイヤーと重ねていくと、埼玉エリアのレイヤーが実に多くあり、首都圏の東京より埼玉のほうが栄えていた時期があるのがわかる。 交通が次第に不便になっている地方も、新しいテクノロジーのレイヤーを導入したり、新しいサービスのレイヤーを導入した瞬間に、むしろ暮らしやすくてコストが安く、安全な場所に変わる。それができるのはテクノロジーの力、そしてリベラルアーツ、「伝えるすべ」です。 その両方の観察眼をぜひ育てていただきたいと思います。本日はありがとうございました。 Profile 柳瀬 博一(やなせ・ひろいち) 1964年静岡県生まれ。東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。雑誌「日経ビジネス」の記者、専門誌の編集や新媒体開発などに携わった後、出版局にて『小倉昌男 経営学』『矢沢永吉 アー・ユー・ハッピー』『養老孟司 デジタル昆虫図鑑』『赤瀬川源平&山下裕二 日本美術応援団』『社長失格』『流行人類学クロニクル』など書籍の編集を行う。2018年4月より現職。著書に『国道16号線』(新潮社)、『親父の納棺』(幻冬舎)、共著に『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』(小林弘人と共著 晶文社)、『「奇跡の自然」の守りかた』(岸由二と共著 ちくまプリマ―新書)、『混ぜる教育』(崎谷実穂と共著 日経BP社)。 関連リンク 教養教育センターWEBページ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」①~東京工業大学のリベラルアーツ~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」②~理工系に必須の「伝えるすべ」~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」③~ものづくりがマーケットを変える~

  • 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」③(全4回)~ものづくりがマーケットを変える~

    ―特別版②「理工系に必須の『伝えるすべ』」の続きです。 柳瀬博一先生(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 教授)を講師に招き、2022年11月24日に開催された教養教育センター特別講演会の内容を全4回にわたりお届けします。 「リベラル・アーツ」「教養」。普段、よく耳にする言葉ですが、その定義は実は曖昧です。柳瀬博一先生が講演の中で、『広辞苑』から参照していますが、やっぱり、「よく分からない」。人によって解釈や定義が異なりがちな「リベラル・アーツ」について、時に古代ギリシャまで遡り、時に自身の著作の事例を交えて、目まぐるしく変わる現代に必要な「リベラル・アーツ」について解き明かします。 第3回です。現代はスマホによって、誰もがメディアになれる時代になりました。そのメディアを構成する3つのレイヤー、そして理工系とリベラルアーツのつながりについて紹介します。 【教養教育センター特別講演会 開催概要】 日時:2022年11月24日(木)14:00~15:20 場所:ものつくり大学 大学本部 A3010大講義室 参加者:本学学生、高校生、一般、教職員 約220名 開催方法:オンライン・対面のハイブリッド 誰もがメディア化した さらに言うと、企業も大学もマスメディア化しています。インターネット革命の結果です。東工大のサイトも、もうメディア化を進めていますし、さらにコロナになって誰しもがメディア化するのが当たり前になりました。学生の皆さんも先生方も、Zoomや何かで授業を行ったり情報発信したりする。テレビに出ていることと何も変わらないのです。 誰もがマスメディア化したということです。実際にマスメディア化した個人をさらにテレビが放送する逆転現象まで出てきています。池上氏を撮るZoom講義をテレビ東京が来て取材するという、舞台裏の舞台裏を撮るみたいなことが現実に起きている。 池上氏のZoom講義を取材するテレビ東京 では、それを今起こしている道具は何か。テレビや新聞や雑誌ではない。スマホですね。スマホとネットがあれば誰でもマスメディアになれる。ユーチューブの情報発信、あるいはTikTok、ツイッターはスマホでできる。ネットにつなげれば、誰でもマスメディアになれるのです。 皆さんのお手元にあるスマホには、過去のメディアがすべて入っています。AbemaTVは典型ですけれども、NHKプラス、TVer、全局が何らかの形で行っています。ちなみに、これも日本が遅れています。世界中のテレビ局は、フルタイムをインターネットで見られます。 ラジオはRADIKOやラジオクラウドということで、こちらもほぼ聞けますよね。音楽はSPOTIFYがスタートでしたけれども、アマゾン、アップルなどでも聴ける。要するに、ほとんどすべての曲がもう今スマホで聴けます。 書籍はもちろん、アマゾンを筆頭に電子書籍で読めるし、ゲームも大半はアプリでできる。すべての新聞がアプリ化しています。唯一気を吐いているのは漫画です。小学館、講談社、集英社は去年、一昨年と過去最高収益です。漫画だけは電子のほうに移って、さらに知的財産コンテンツビジネスに変わった。『少年ジャンプ』(集英社)は、1996年に630万部が売れました。2022年の4月でもう129万部です。それだけ見ると、マーケットが激減したと思うのですが、漫画マーケットの売上げは、かつてのピークが4500億円、今は6000億円です。電子書籍も課金ができるようになった。まったく変わったのです。 しかも、ここからスピンアウトした漫画やアニメーションがNetflixやアマゾン・プライムで拡散していくので、知的財産ビジネスの売上が桁違いになっています。雑誌もDマガジンをはじめとして、ウェブになりました。 映画を含む新しい映像プラットフォームとしてNetflix、アマゾン・プライム、Hulu、U-NEXTなど実に多彩です。SNSは従来の手紙や独り言ですね。電話もできる。 メディアは理工系が9割 では、スマホは何か。ハードですね。ハードは本来科学技術の固まりです。 新しいメディアは、コンテンツが先に生まれるわけではない。新しいハードウェアとプラットフォームの誕生によって生まれてくるものです。 古い例で言えば、ラジオ受信機が誕生して初めて人々はラジオを聴けるようになった。ラジオ受信機がないと、ラジオを聴取する構造ができない。あるいはテレビ受像機が誕生して初めてテレビを視聴できるようになった。 ソニーで言うと、携帯カセットテープレコーダーというマーケットはなかった。ウォークマンが先です。概念を具体化することが大切で、マーケットは後からできる。その順番がしばしば勘違いされています。常に具体的なピンポイントの製品からマーケットは広がっている。 同じようにスマホが登場して初めてネットコンテンツをどこでも見られる構造ができる。概念が先ではないのです。具体的なハードウェアが先に誕生したからです。 マーケットを変えるのは常に製品、すなわち、ものづくりです。この大学の名前のとおり、ものづくりがマーケットのゲームチェンジを常時行います。 むしろ、ここ20数年間のものづくりの世界は、決定的に外部化、すなわちアウトソースするパターンが増えました。アップルは自社でほとんど作っていない。アパレル業界に近いのです。ナイキやオンワード樫山、あるいはコム・デ・ギャルソンは自社で製品は作らない。つくっているのは概念です。概念をつくって、設計図を渡して、ものづくりは協力工場に発注しています。トヨタ自動車をはじめ、メーカーは今それを相当行っている。自社でつくっているのはごくわずかです。 例えば、アップルがワールドエクスポでiPhoneの発売を発表したのは2007年です。まだ14~15年しかたっていない。ソフトバンクの孫正義社長が頼み込んで、2008年、iPhone3G、KDDIが入ったのは、東日本大震災「3・11」の後のことでした。2011年10月です。だから、3・11が起きたときは、スマホはまだ誰も持っていなかった。あのとき、さまざまな映像が飛び交いましたけれども、携帯電話によってでした。ユーチューブではなく、ほとんどはユーストリームです。 だから、今のスマホ、ユーチューブの世界はだいぶ前からあるように錯覚していますが、まだ10年もたっていない。最近といってよいのです。ドコモが参入してからまだ10年もたっていない。 では、何がゲームチェンジャーになったか。ドコモ、KDDIもソフトバンクも関係ない。アップルです。アップルがiPhoneという概念を製造して、形にして爆発的に普及させた。グーグルなどが追随して、ギャラクシーなどのスマホを作った。だから、マーケットのほうが製品より後です。これも勘違いされています。順番から言ってiPhoneが先でスマホが後です。 情報生態圏の基盤 メディアは、次の3つのレイヤーからできています。 ハードウェア、コンテンツ、プラットフォームです。ハードウェアは再生装置です。コンテンツは番組その他、プラットフォームは、コンテンツのデリバリー・システムです。この3つがメディアの情報生態系の基本なのです。 ラジオの場合は、ハードウェアはラジオ受信機ですね。コンテンツはラジオ番組です。プラットフォームは放送技術、放送局の仕組みです。テレビも同様ですね。テレビ受像機に替わるだけです。 新聞の場合は、紙の束がハードウェアです。コンテンツは記者の書く記事、プラットフォームは新聞印刷と宅配の流通システムです。だから、ある意味で新聞は究極の製造業です。ほとんどを自社で行っている。 出版社は、ハードウェアは書籍や雑誌の紙の束、コンテンツは記事、小説、テキストです。プラットフォームは出版流通と印刷になります。レイヤー構造から読み解くと、出版と新聞は似て非なるものです。メディアで自社が何も行っていないのは出版です。出版はアイデア・ビジネスなのです。 ゲーム、ハードウェアはゲームソフトとゲームプレイヤーです。プラットフォームは個々のゲーム規格ですね。ゲーム規格によって再生できるゲームが違います。それを行っているのは任天堂、あるいはマイクロソフトのXボックスなどを想起するとよい。 究極にわかりやすいのが、聖書です。聖書は紀元前1400年前です。今から3400年前に「十戒」ができる。このときは粘土板なわけです。粘土板に「十戒」が刻まれている。この場合コンテンツは「十戒」ですけれども、プラットフォームは当時生まれたばかりの文字、ハードウェアは粘土板ですね。「死海文書」になると、羊皮紙にきれいな手書きとなる。ということは、コンテンツは同じです。ハードウェアは羊皮紙、プラットフォームは羊皮紙を作る技術です。 さらに15世紀のグーテンベルグの活版印刷になります。一気に聖書がベストセラーになります。ハードウェアは紙の束になります。コンテンツは同じ聖書です。プラットフォームは活版印刷工房です。それが500年たつと、世界最大のベストセラーになる。 これが電子版に変わるとどうなるか。ハードウェアはキンドルやスマホになる。聖書のコンテンツは変わりません。プラットフォームはキンドルの規格であるインターネットです。スマホになると、今度はアプリになります。ハードウェアはスマホです。この場合もコンテンツは変わらない。プラットフォームはアップル、グーグルのApp storeになったとしても、聖書の中身は変わらないのです。変わっているのはプラットフォームとハードウェアです。 今見ていてもわかりますが、メディアのハードウェアとプラットフォームは、科学と技術の進歩で変わるものです。特にインターネットの時代になって、ハードウェアが一気に進化していきます。ということは、ハードウェアの変化が新しいメディアです。けれどもコンテンツはほとんど変わっていない。優良なコンテンツは、ハードウェアとプラットフォームが変わるごとに、中身を変えずに少しずつ表現を変えているだけで、本質的には変わっていないのです。 結局、どういうことか。前者のハードウェア制作は理工系の仕事なのです。後者のコンテンツは伝えるわざだから、リベラルアーツの産物ということです。これは理工系、文系ではない。ここには理工系、文系、アートなどのあらゆる知識が入っている。 ―特別版④「16号線の正体とリベラルアーツの本質」に続きます。 Profile 柳瀬 博一(やなせ・ひろいち) 1964年静岡県生まれ。東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。雑誌「日経ビジネス」の記者、専門誌の編集や新媒体開発などに携わった後、出版局にて『小倉昌男 経営学』『矢沢永吉 アー・ユー・ハッピー』『養老孟司 デジタル昆虫図鑑』『赤瀬川源平&山下裕二 日本美術応援団』『社長失格』『流行人類学クロニクル』など書籍の編集を行う。2018年4月より現職。著書に『国道16号線』(新潮社)、『親父の納棺』(幻冬舎)、共著に『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』(小林弘人と共著 晶文社)、『「奇跡の自然」の守りかた』(岸由二と共著 ちくまプリマ―新書)、『混ぜる教育』(崎谷実穂と共著 日経BP社)。 関連リンク 教養教育センターWEBページ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」①~東京工業大学のリベラルアーツ~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」②~理工系に必須の「伝えるすべ」~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」④(全4回)~16号線の正体とリベラルアーツの本質~

  • 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」②(全4回)~理工系に必須の「伝えるすべ」~

    ―特別版①「東京工業大学のリベラルアーツ」の続きです。柳瀬博一先生(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 教授)を講師に招き、2022年11月24日に開催された教養教育センター特別講演会の内容を全4回にわたりお届けします。「リベラル・アーツ」「教養」。普段、よく耳にする言葉ですが、その定義は実は曖昧です。柳瀬博一先生が講演の中で、『広辞苑』から参照していますが、やっぱり、「よく分からない」。人によって解釈や定義が異なりがちな「リベラル・アーツ」について、時に古代ギリシャまで遡り、時に自身の著作の事例を交えて、目まぐるしく変わる現代に必要な「リベラル・アーツ」について解き明かします。第2回は、日本の大学、とりわけ理工系が抱える課題である女子率の低さに始まり、リベラルアーツの源流、そして、リベラルアーツとは何であるか紐解いていきます。【教養教育センター特別講演会 開催概要】日時:2022年11月24日(木)14:00~15:20場所:ものつくり大学 大学本部 A3010大講義室参加者:本学学生、高校生、一般、教職員 約220名開催方法:オンライン・対面のハイブリッド 女子率の低さという問題 日本はトップ大学の女子比率が低いままです。とりわけ理工系は低い。東工大も例外ではありません。世界的でもまれに見るひどい状態です。大学教育がまだ途上にある事実を示している。 誰しもが危機感を抱くべきなのですが、日本の高学歴学生たちもそれが問題とは認識していない。これは日本のどこへ行っても変わりません。       日本がどのくらい遅れているか。データを見ると明らかです。 東京大学でたった19.3%です。京都大学22.5%、一橋大学で28.4%です。これらの数字を見るとおおよそわかりますね。早稲田大学、慶應義塾大学もともに4割に達していません。 では、世界はどうか。世界の大学ランキングを見ると、女子の比率はオックスフォード大学で47%、カリフォルニア工科大学36%、ハーバード大学もほぼ1対1です。スタンフォード大学は46%、ケンブリッジ大学は47%、ほとんど1対1です。MIT(マサチューセッツ工科大学)も4対6です。MITは2000年代に学長と経済学部長がそれぞれ女性でした。プリンストン大学は47%です。UCバークレーは女性が多い。イェール大学も同様です。 興味深いのはジョンズ・ホプキンス大学ですね。世界最高峰の医学部を持つ大学です。女性のほうが多い。ペンシルバニア大学は世界最高峰のMBAを持つ大学です。スイスのETHですら、3割は女子です。北京大学、清華大学も同様です。 こうして見ると、女子比率は、コーネル大学、シンガポール国立大学いずれも、1対1です。デューク大学も女子のほうが多い。 日本の問題がおわかりと思います。東大も京大も東工大も入っていない。問題は深刻です。人口における男女比率は1対1です。男性と女性に生まれついての知的能力差はありません。男性の方が理工系に向いているというのも嘘であることが数多くのデータから証明されております。あらゆる日本の大学がこの異様に低い女子比率を変えなければいけません。東工大では今女性が増える戦略を取り始めています。ご期待ください。 リベラルアーツとは「伝えるすべ」である リベラルアーツ教育についてお話しします。大学に加わって改めて感じたのは、リベラルアーツ、あるいは教養については、案外定義がきっちりしていない、ということでした。 『広辞苑』(岩波書店)に載っている「リベラルアーツ」の定義を参照しましょう。 「教養、教え育てること、社会人にとって必要な広い文化的な知識、単なる知識ではなくて、人間がその素質を精神的・全人的に開化・発展させるために学び養われる学問や芸術」とある。 よくわからない定義です。 リベラルアーツとは、「職業や専門に直接結びつかない教養。大学における一般教養」、こう書いてあるわけですね。これらは、日本の現実を表現しています。要するに、般教(パンキョー)がリベラルアーツだと信じ込まされてきた。 考えてみてください。文科系大学に進むと、生物学や数学や物理学、一般教養として履修しますね。東工大のような理科系大学に行くと、政治学、経済学、哲学、文学は一般教養になる。ということは、学問分野と教養教育、リベラルアーツ教育とは、関係がないことになる。先の『広辞苑』の設定が近い。だから大学生からすると、専門に移るまでにぬるく教わるクイズ的知識みたいなものを何となく教養と思っている。クイズ番組が教養番組として流れているのは、逆に言うとマーケットの認識を正確に反映しているということです。 こういうときは、源流を紐解いてみるのがよい。リベラルアーツの由来は何なのか。 リベラルアーツとは、古代ギリシャの「自由七科」が源流です。2種類あります。言語系3つ、文法・弁証法、あるいは論理学、さらに修辞学です。数学系では4つ、算術・幾何学・音楽・天文学です。リベラルアーツは「アルテス・リベラレス」ですね。 もともと紀元前8年、ポリス(都市国家)が古代ギリシャに生まれたときに、自由市民と奴隷に分かれていました。その頃の奴隷とは、現場仕事に従事する人々です。それぞれの必須知識がパイデイアとテクネーです。学ぶことが違う。パイデイアは、どちらかというと教養のイメージ、テクネーは実学です。 理由の一つは、ギリシャの弁論家イソクラテスが修辞学校をつくったことにあります。その頃は、演説が重視されていた時代だったので、弁舌を磨くための学校ができたわけです。それが修辞学です。さらに、演説のときは比喩を使いこなす必要がありました。古典を見栄えよく用いなければならない。そこで文法を教え、さらに演説で説得力ある美しい論理展開のために弁証法を学ぶ。その段でいくと、弁論術の一環として、先の語学系教育の基盤ができた。アルテス・リベラレスの言語系三科はこれらにあたるわけです。 では、数学系はどうか。かの哲人プラトンです。プラトンがアカデメイアをつくる。イソクラテスとは対照的に、世界は法則に満ちていると言ったのがプラトンですね。そこで、プラトンは算術、幾何学、そして世界の音を分割して数字で表す音楽、そして、地球から見る世界のことわりを探求する天文学です。 イソクラテスとプラトンは互いに反目し合っていたのですけれども、その後、セットにして教えるのがふさわしいということで、ローマ時代になって7科の原形ができる。クアドリウィウム、算術・音楽・幾何学・天文学を四科でクリドル、4つです。文法・修辞学・弁証法を三学、トリウィウムですから3つですね。 上級学校は3つありました。神学部、要は聖職者養成です。ローマ・カトリックが強大な力を持っていたためです。次に法律、政治家養成ですね。そして医学、内科医。まさに教養課程として7科、リベラルアーツの7学科があったということです。 ではこのリベラルアーツ7科とはなんでしょうか。実は全て「伝えるすべ」なんです。 イソクラテスの方は、言葉、物語です。文系的な「伝えるすべ」ですね。すなわち、いかに物語の構造で人に世界をわかりやすく伝えるかに関わっている。 プラトンの方は、数学です。理工系的な「伝えるすべ」です。算術、幾何学、音楽、天文学を使って、やはり人にわかりやすく、論理的に世界を伝える。文系、理工系のそれぞれの方法を使った「伝えるすべ」がリベラルアーツと呼んでいたということになります。つまり「伝える力」、すなわちメディア力です。 メディア力こそが教養の根幹である。池上彰氏や出口治明氏(APU(立命館大学アジア太平洋大学)学長)の本がよく読まれています。これらはお手軽に見えますが、実はそうではない。あの2人の取組みがリベラルアーツの本質を構成している。  一人ではわからないことを、まさに物語と論理で教えてくれているからです。だから、専門家はリベラルアーツの能力を持ち、わかりにくいことを伝えるすべを持つことが必要で、教養とは伝える力にかかっているのです。 理工系はメディアの当事者 そこでメディア論です。私は東工大でメディア論を教えています。 まず、理工系出身者はメディアの当事者であると伝えます。 というのも、理工系出身者が今ますますジャーナリズムの担い手になっている。そもそもメディア仕事は8割が理工系の仕事です。だから、理工系の学生にとって、メディアについて学ぶことは、伝える力、リベラルアーツそのものであり、同時に本業と心得るべきです。これが意外と認識されていません。 では、なぜ当事者なのでしょうか。 大隅良典先生は東工大の教授です。2016年10月のノーベル賞学者です。大隅先生がノーベル賞を受賞したとき、東工大のすずかけ台キャンパスで記者会見が行われています。まさに、メディアの当事者ということだ。まさにリベラルアーツが要求されるわけです。世界の誰よりも詳しい知識を、誰にでもわかりやすく説明することが期待されているからです。 私が徹底的に教えているのは、情報発信の仕方に関わっています。「伝える力」としてのリベラルアーツは理工系の研究者にとって必須の道具です。なぜなら、論文を執筆する、学会発表を行う、研究室でプレゼンする、あるいは経営会議に入って理工系のことがわからない投資家に資金を拠出してもらう、新製品を記者会見でレクチャーする、いずれも説明がきちんとできないと話にならない。すべてメディア当事者の仕事なのです。 さらに言うと、メディア・ジャーナリズムの取材対象としては、好むと好まざるとにかかわらず、アサインされる事案は理工系の人ほど多いのです。研究失敗の記者会見、工場の事故の説明、会社の研究・技術関係の不祥事。典型は福島の原発事故でしたね。東京電力福島第一原子力発電所所長の吉田昌郎氏は東工大の出身者ですが、吉田氏の伝える力が現場を救った。  現下のコロナなどはさらに典型と言ってよい。例えば西浦博氏(北海道大学教授)は、「8割おじさん」で知られますが、「8割」というわかりやすいキャッチコピーで、集団の公衆感染問題を相当に回避できた。マスク着用や人との接触を8割減らすと、指数関数的に感染を減少させられると指摘した。背景には複雑な計算が存在しつつも、キャッチコピーとして「8割」を使ったわけです。天才的な伝える力です。 このような人々は、科学と技術をよく理解した上で、しかもわかりやすく、受け手に目線を合わせて、根気強く伝えた。日本のコロナ対策はいろいろ言われていますけれども、最終的に感染者数・死者数の圧倒的には少なさは紛れもない事実です。専門家がジャーナリストになってくれたおかげです。 理工系の出身者はジャーナリズムにとって必須の存在になっています。というのは、時代の変革期は、テクノロジーの変革期であり、テクノロジーを誰にでもわかるように説明できるかどうかが重大な意味を持つためです。文系出身者がそれを行うのは相当に困難です。理工系出身者がリベラルアーツ力を生かしてメディアになってもらわなければ世の中が困ります。 ―特別版③「ものづくりがマーケットを変える」に続きます。 Profile   柳瀬 博一(やなせ・ひろいち) 1964年静岡県生まれ。東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。雑誌「日経ビジネス」の記者、専門誌の編集や新媒体開発などに携わった後、出版局にて『小倉昌男 経営学』『矢沢永吉 アー・ユー・ハッピー』『養老孟司 デジタル昆虫図鑑』『赤瀬川源平&山下裕二 日本美術応援団』『社長失格』『流行人類学クロニクル』など書籍の編集を行う。2018年4月より現職。著書に『国道16号線』(新潮社)、『親父の納棺』(幻冬舎)、共著に『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』(小林弘人と共著 晶文社)、『「奇跡の自然」の守りかた』(岸由二と共著 ちくまプリマ―新書)、『混ぜる教育』(崎谷実穂と共著 日経BP社)。 関連リンク 教養教育センターWEBページ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」①~東京工業大学のリベラルアーツ~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」③(全4回)~ものづくりがマーケットを変える~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」④(全4回)~16号線の正体とリベラルアーツの本質~

  • 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」①(全4回)~東京工業大学のリベラルアーツ~

    柳瀬博一先生(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 教授)を講師に招き、2022年11月24日に開催された教養教育センター特別講演会の内容を全4回にわたりお届けします。「リベラル・アーツ」「教養」。普段、よく耳にする言葉ですが、その定義は実は曖昧です。柳瀬博一先生が講演の中で、『広辞苑』から参照していますが、やっぱり、「よく分からない」。人によって解釈や定義が異なりがちな「リベラル・アーツ」について、時に古代ギリシャまで遡り、時に自身の著作の事例を交えて、目まぐるしく変わる現代に必要な「リベラル・アーツ」について解き明かします。第1回は、柳瀬博一先生が在籍する東京工業大学のリベラルアーツ教育の歴史、特徴的なカリキュラムについて紹介します。【教養教育センター特別講演会 開催概要】日時:2022年11月24日(木)14:00~15:20場所:ものつくり大学 大学本部 A3010大講義室参加者:本学学生、高校生、一般、教職員 約220名開催方法:オンライン・対面のハイブリッド 東京工業大学のリベラルアーツ教育 私が現在在籍する東京工業大学は、リベラルアーツ研究教育院を2016年から開設しています。国立大学でリベラルアーツを冠に持つ学部・学院は、東工大が初めてかもしれません。 私は日経BP社という出版社で、記者、編集者、プロデューサーの業務に携わってきました。メディアの現場に身を置いてきました。その私がご縁がありまして、2018年から東工大のリベラルアーツ研究教育院に参加することになりました。現在は、テクノロジーとメディアの関わりあいについて、学生たちに教えております。 まず、東工大がどのような教養教育を行っているのか、大きな特徴は、教養教育を1年生から修士、博士課程で一貫して行うこと。大学の教養課程って、普通1年生2年生でおしまいですよね。東工大は学部4年、修士2年、さらに博士課程でもリベラルアーツ教育を施しています。 改革以前から、東工大はリベラルアーツ教育ではしかるべき定評を得てきた大学です。特に戦後新制において、東京大学をしのぐほどに進んでいるとされた時代がありました。そのときは小説家の伊藤整、KJ法で著名な川喜田二郎など日本のリベラルアーツの牽引者となる人たちが教鞭をとっていました。比較的近年では文学者の江藤淳氏がその列に加わります。 1990年代、大学の実学志向が強くなったときに、教養教育部門は、あらゆる大学で細っていった。その反省もあって、2000年代から再び大学の教養教育を見直す趨勢の中で、リベラルアーツ教育復権の旗印のもと東工大が目指したのは、いわゆるくさび形教育、教養教育を必須とする授業構成になります。 そのために、環境・社会理工学院をはじめさまざまな「縦軸」の大学院と学部をセットにした学院が設立され、他方で「横軸」だったリベラルアーツ研究教育院を組織として独立させた。現在60数名の教員が在籍しています。 もう一つ興味深いのが、東工大は理工系の大学ながらも、学部生が、リベラルアーツ研究教育院の教員のもとで研究を行う道が用意されています。大学院では、社会・人間科学コースが設置されており、人文科学系の学生が多く在籍しています。他大学や海外から進学してくる人もいれば、社会人入学の方、そして学部時代は東工大で理系だった学生もいます。私のゼミも昨年度の学生は東工大の内部進学者でした。情報工学を学んだあと、2年間みっちりテクノロジーとメディアの革新について素晴らしい修士論文を書き上げて、修了しました。最近、サントリー学芸賞を取った卒業生も、この大学院からは出ております。東工大というと理工系のイメージが強く、事実理工系の大学なのですけれども、リベラルアーツからも専門家も育っています。 先鞭をつけた池上彰氏 東工大がリベラルアーツ教育を復権させようと考えたのは2010年代初頭からとなります。このときに基盤を固められたのが哲学の桑子敏雄名誉教授、そして2022年春までリベラルアーツ研究教育院初代学院長を務められた上田紀行教授でした。その折に、大学の目玉になる先生を呼ぼうと考えた。しかも、純粋なアカデミシャンではなくて、リベラルアーツを広く豊かに教えられる外部の先生を呼ぼうということになったのです。白羽の矢が立ったのは池上彰氏でした。 リベラルアーツ研究教育院では、大学入学と同時に全学生が「立志プロジェクト」を受講します。2019年までは、大講堂で池上彰さんや外部から招いた専門家が講義を行いました。ここ3年はコロナ禍に対応して、動画配信で対応しています。これまでに劇作家の平田オリザ氏、水俣病のセンターの当事者の方など多彩な方が壇上に上がり講義を行っています。 次の週は、大学としては珍しいことですが、クラスを作るのです。27~28人を40組、リベラルアーツの先生全員が担任を持ちます。グループワークを行って、登壇者の話を批評的に論じるのです。グループワークでは自己紹介を行い、互いの人となりを知った上で、授業のサマリーをまとめて発表する。計5回繰り返し、最終的にこの大学で何を学びたいのか、つまり「志」を提出してもらい、まとめて発表する。大切なのは、必ず発表を伴うものとすることです。これが立志プロジェクトの「少人数クラス」の基本進行デザインです。 しかし、これで終わりではありません。3年生の秋には「教養卒論」の授業があります。普通、3年生になったら専門課程に進んで、教養科目の授業はおしまい、という大学が多いと思います。東工大は3年生全員が秋冬の15回の授業で、自分のこれから進む分野や興味と3年間で身につけた教養を掛け算して1万字の「教養卒論」を書いてもらうのです。最終的に優れた論文は表彰します。翌年夏には教養卒論の発表会を大講堂で行います。相当数の学生が集まります。見栄えのするパワポを準備して、本気で発表に臨む。 教授陣の紹介サイト それともう一つ、私が東工大に移籍して取り組んだしごとについてもお話しておきましょう。それは大学の教授陣の紹介サイトをつくることでした。日本の大学は公式の教員プロフィールが一覧で見られるサイトがあまりないんです。これは私がメディアにいた頃から、疑問に思っていたことでした。企業もIR関連情報のところに役員の詳しいプロフィールが載っていないことがあります。企業のIRで重要なのは、経営陣の顔が出ていること、人柄がわかること、活動内容がクリアであることです。つまり、経営陣自体がコンテンツになっていなければならない。 では、大学はどうか。大学における最大の財産は―最終的には学生ですけれども―入学時においては教授陣ですね。メディア出身の特技を生かして東工大のリベラルアーツ研究教育院のインタビューサイトをつくりました。インタビューも私が行っています。 全ての先生方を平等に見せるように心がけました。先生方の研究内容、教育の取組み等々、いわば小さな「私の履歴書」のようなサイトを一覧で見られるようにした。これは好評でした。実際に外部の方々が東工大の先生にアプローチしたい、インタビューしたい、相談に乗ってほしいというとき、有効に活用していただいています。 ―特別版②「理工系に必須の『伝えるすべ』」に続きます。 Profile 柳瀬 博一(やなせ・ひろいち) 1964年静岡県生まれ。東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。雑誌「日経ビジネス」の記者、専門誌の編集や新媒体開発などに携わった後、出版局にて『小倉昌男 経営学』『矢沢永吉 アー・ユー・ハッピー』『養老孟司 デジタル昆虫図鑑』『赤瀬川源平&山下裕二 日本美術応援団』『社長失格』『流行人類学クロニクル』など書籍の編集を行う。2018年4月より現職。著書に『国道16号線』(新潮社)、『親父の納棺』(幻冬舎)、共著に『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』(小林弘人と共著 晶文社)、『「奇跡の自然」の守りかた』(岸由二と共著 ちくまプリマ―新書)、『混ぜる教育』(崎谷実穂と共著 日経BP社)。 関連リンク 教養教育センターWEBページ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」②(全4回)~理工系に必須の「伝えるすべ」~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」③(全4回)~ものづくりがマーケットを変える~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」④(全4回)~16号線の正体とリベラルアーツの本質~

  • 震災復興の願いを実現した「集いの場」建設

    村上 緑さん(建設学科4年・今井研究室)は、2022年3月下旬、ある決意を胸に父親と共に大学の実習で使用した木材をトラックに積み込み、ものつくり大学から故郷へ出発しました。それから季節は流れて、11月末。たくさんの人に支えられて、夢を叶えました。 故郷のために 村上さんは、岩手県陸前高田市の出身。陸前高田市は、2011年3月11日に発生した東日本大震災での津波により、大きな被害を受けた地域です。全国的にも有名な「奇跡の一本松」(モニュメント)は、震災遺構のひとつです。当時住んでいた地域は、600戸のうち592戸が全半壊するという壊滅的な被害を受けました。 奇跡の一本松 11歳で震災体験をし、その後、ものつくり大学に進学し、卒業制作に選んだテーマは、故郷の地に「皆で集まれる場所」を作ること。そもそも、ものつくり大学を進学先に選んだ理由も、「何もなくなったところから道路や橋が作られ、建物ができ、人々が戻ってくる光景を目の当たりにして、ものづくりの魅力に気づき、学びたい」と考えたからでした。 震災から9年が経過した2020年、津波浸水域であった市街地は10mのかさ上げが終わり、地権者へ引き渡されました。しかし、9年の間に多くの住民が別の場所に新たな生活拠点を持ってしまったため、かさ上げ地は、今も空き地が点在しています。実家も、すでに市内の別の地域に移転していました。 そこで、幼い頃にたくさんの人と関わり、たくさんの経験をし、たくさんの思い出が作られた大好きな故郷にコミュニティを復活させるため、元々住んでいた土地に、皆が集まれる「集いの場」を作ることを決めたのです。 陸前高田にある昔ながらの家には、「おかみ(お上座敷)」と呼ばれる多目的に使える部屋がありました。大切な人をもてなすためのその部屋は、冠婚葬祭や宴会の場所として使用され、遠方から親戚や友人が来た時には宿泊場所としても使われていました。この「おかみ」を再現することができれば、多くの人が集まってくると考えたのでした。 「集いの場」建設へ 「集いの場」は、村上さんにとって、ものつくり大学で学んできたことの集大成になりました。まず、建設に必要な確認申請は、今井教授や小野教授、内定先の設計事務所の方々などの力を借りながらも、全て自分で行いました。建設に使用する木材は、SDGsを考え、実習で毎年出てしまう使用済みの木材を構造材の一部に使ったほか、屋内の小物などに形を変え、資源を有効活用しています。 帰郷してから、工事に協力してくれる工務店を自分で探しました。古くから地元にあり、震災直後は瓦礫の撤去などに尽力していた工務店が快く協力してくれることになり、同級生の鈴木 岳大さん、高橋 光さん(2人とも建設学科4年・小野研究室)と一緒にインターンシップ生という形で、基礎のコンクリ打ちや建方《たてかた》に加わりました。 地鎮祭は、震災前に住んでいた地元の神社にお願いし、境内の竹を四方竹に使いました。また、地鎮祭には、大学から今井教授と小野教授の他に、内定先でもあり、構造計算の相談をしていた設計事務所の方も埼玉から駆けつけてくれました。 基礎工事が終わってからの建方工事は「あっという間」でした。建方は力仕事も多く、女性には重労働でしたが、一緒にインターンシップに行った鈴木さんと高橋さんが率先して動いてくれました。さらに、ものつくり大学で非常勤講師をしていた親戚の村上幸一さんも、当時使っていた大学のロゴが入ったヘルメットを被り、喜んで工事を手伝ってくれました。 建方工事の様子 大学のヘルメットで現場に立つ村上幸一さん 2022年6月には、たくさんの地元の人たちが集まる中で上棟式が行われました。最近は略式で行われることが多い上棟式ですが、伝統的な上棟式では鶴と亀が描かれた矢羽根を表鬼門(北東)と裏鬼門(南西)に配して氏神様を鎮めます。その絵は自身が描いたものです。また、矢羽根を結ぶ帯には、村上家の三姉妹が成人式で締めた着物の帯が使われました。上棟式で使われた竹は、思い出の品として、完成後も土間の仕切り兼インテリアとなり再利用されています。 震災後に自宅を再建した時はまだ自粛ムードがあり、上棟式をすることはできませんでした。しかし、「集いの場」は地元の活性化のために建てるのだから、「地元の人たちにも来てほしい」という思いから、今では珍しい昔ながらの上棟式を行いました。災いをはらうために行われる餅まきも自ら行い、そこには、子どもたちが喜んで掴もうと手を伸ばす姿がありました。 村上さんが描いた矢羽根 餅まきの様子 インテリアとして再利用した竹材 敷地内には、東屋も建っています。これは、自身が3年生の時に木造実習で制作したものを移築しています。この東屋は、地元の人たちが自由に休憩できるように敷地ギリギリの場所に配置されています。完成した今は、絵本『泣いた赤鬼』の一節「心の優しい鬼のうちです どなたでもおいでください…」を引用した看板が立てられています。 誰でも自由に休憩できる東屋 屋根、外壁、床工事も終わった11月末には、1年生から4年生まで総勢20名を超える学生たちが陸前高田に行き、4日間にわたって仕上の内装工事を行いました。天井や壁を珪藻土で塗り、居間・土間のトイレ・洗面所の3か所の建具は、技能五輪全国大会の家具職種に出場経験のある三明 杏さん(建設学科4年・佐々木研究室)が制作しました。 「皆には感謝です。それと、ものを作るのが好きだけど、何をしたらいいか分からない後輩たちには、ものづくりの場を提供できたことが嬉しい」と話します。そして、学生同士の縁だけではなく、和室には震災前の自宅で使っていた畳店に発注した畳を使い、地元とのつながりも深めています。 こうして、村上さんの夢だった建坪 約24坪の「集いの場」が完成しました。 故郷への思い 建設中は、施主であり施工業者でもあったので、全てを一人で背負い込んでしまい、責任感からプレッシャーに押しつぶされそうになった時もありました。それでも、たくさんの人の力を借りて、「集いの場」を完成させました。2年生の頃から図面を描き、構想していた「地元の人の役に立つ、家族のために形になるものを作る」という夢を叶えることができたのです。また、「集いの場」の建設は、「父の夢でもありました。震災で更地になった今泉に戻る」という強い思いがありました。「大好きな故郷のために、大好きな大学で学んだことを活かして、ものづくりが大好きな仲間と共に協力しあって『集いの場』を完成させることができ、本当に嬉しいです」。 「こんなにたくさんの人が協力してくれるとは思っていなかった」と言う村上さんの献身的で真っすぐで、そして情熱的な夢に触れた時、誰もが協力したくなるのは間違いないところです。 「大学から『集いの場』でゼミ合宿などを開きたいという要請には応えたいし、私自身が出張オープンキャンパスを開くことだってできます」と今後の活用についても夢は広がります。 大学を出発する前にこう言っていました。「私にとって、故郷はとても大切な場所で、多くの人が行きかう町並みや空気感、景色、におい、色すべてが大好きでした。今でもよく思い出しますし、これからも心の中で生き続けます。だけど、震災前の風景を知らない、覚えていない子どもたちが増えています。その子どもたちにとっての故郷が『自分にとって大切な町』になるように願っています」。 村上さんが作った「集いの場」は、これからきっと、地域のコミュニティに必要不可欠な場所となり、次世代へとつながる場になっていくでしょう。 関連リンク 建設学科WEBページ 建設学科 建築技術デザイン研究室(今井研究室)

  • Japan Steel Bridge Competition 2022 ものつくり大学だからこそ作れる橋梁モデル

    建設学科 大垣研究室は、「Japan Steel Bridge Competition(通称:ブリコン)」に毎年出場しています。ブリコンとは、学生が自ら橋の構造を考え、設計、製作(鋼材の切断、溶接、孔開け、塗装)、架設を行い、全国の大学生および高専生の間で競い合う大会です。大会当日は、架設競技、プレゼン競技、載荷競技、美観投票を行います。2022年9月に開催された大会では、大垣研究室から2チームが出場し、Aチームが美観部門1位、Bチームが美観部門2位という成績を収めました。美観部門で1位を受賞したAチームで、プレゼン競技を担当した後藤 七海さん(建設学科4年)、製作を担当した杉本 陸さん(建設学科4年)に伺いました。 どんな橋を目指して作ったか 【後藤】美観と構造を意識しました。美観を重視するためにレンズ型トラス橋を選択しました。構造は、曲線と直線を組み合わせています。昨年のブリコンでは、曲線部分の継手に時間がかかってしまったため、今回は3種類の継手を取り入れ、継手箇所を工夫して架設も意識しました。 製作したレンズ型トラス橋の設計図 プレートで挟むタイプの継手 差し込むタイプの継手 かみ合わせるタイプの継手 美観部門1位に選ばれた理由は 【杉本】シンプルに形だと思います。他のチームも凝った形をした橋はありましたが、鉄骨を1番曲げていたのは私たちでした。私は高校の3年間、溶接と鉄を加工した経験がありますが、真っ直ぐな鉄骨を700℃~800℃くらいの熱で少しずつ曲げるため、ものすごく時間がかかりましたし、難しかったです。加工は、ほぼ一人で作業しました。材料から切り出すのが2~3日、曲げ加工に1週間、溶接に1週間、塗装に3~4日かけて、全体で2週間半かかりました。お昼の12時に大学に来て作業をして、大学から帰るのは夜中の3時とか、1日10時間以上かけて曲げました。本来であれば、2か月かかるような作業を突貫で仕上げました。それでも、大会前夜まで溶接をしていました。 【後藤】部材を決められた箱の中に納めないといけないのですが、設計に甘いところがあって納まりきらなかったため、一度加工したものを削り直し、歪んでしまった部材を大会前夜まで直していました。ビードをあんなに削ったのは初めてだっていうくらい削りました。今年は、アーチ橋を作っている大学が少なかったです。私たち以外にもアーチ橋を作っている大学はありましたが、継手の部分が多くてカクカクしていました。直線を重ねたアーチよりも、鉄骨を曲げてアーチを作った方が綺麗に見えます。 【杉本】他には、塗装も評価されたと思います。私たちの橋は、スクールカラーの茜色をベースにしたキャンディレッドにしましたが、通常、1層から3層くらいで塗装を終わりにするところ、私たちは13層塗りました。シルバーを5~6層、レッドを3~4層、クリアを4層と重ねて塗っていて、車の塗装の層数より多いです。時間をかけた分、仕上りも綺麗になりました。アーチが綺麗でも、塗装が汚かったら、1位を取れていたか分からないです。 今回以上に美観の良い橋は作れるか 【杉本】情報メカトロニクス学科と一緒に製作すればできると思います。建設学科の設備だけでは加工の機械が足りていません。情報メカトロニクス学科には、使いたいと思う設備が全部揃っています。一緒に製作できれば、企業に依頼したのではないかというくらいケタ違いの橋ができると思います。学内に機械は揃っているので、後は使いこなす知識が必要です。 【後藤】ものつくり大学の設備はピカイチだと思います。知識についても、私たちは様々な実習を経験しているから身に付いていると思います。私たちは全員、溶接の資格を持っていますが、他のチームは、溶接担当の人しか持っていないチームもあります。 【杉本】橋の形としては、今回以上のものは作れないと感じます。総合優勝を目指すのであれば、鉄骨を変えて耐力を上げる必要があります。ブリコンで使う材料は「鋼材」とだけ決まっています。鋼材と一言でいっても色々な物がありますから、今使っている鋼材よりも硬い鋼材を使えば総合優勝を狙えるかもしれません。ただ、今より費用がかかり、溶接も加工も大変になるという問題があります。 【後藤】他には、橋を車上橋にすることも考えられます。吊り橋にしてワイヤーを上手く使った形ができたら、今回の橋より格好良い橋ができると思います。ただ、架設にかかる時間と耐力を考えると、今回の橋の形のバランスがベストだと思います。 プレゼン競技で伝えたかったことは 【後藤】大学の実習でも、要点をまとめて施工フローを作っているのですが、それと同じ感覚でプレゼン資料を作りました。文章は少なくして、写真と言葉で伝えることを心がけました。1番伝えたかったのは製作過程です。杉本さんが頑張ってくれた分、うまく伝えたいと思っていました。製作風景の写真を説明していた時に、審査員の方に「企業に依頼したのですか?」と聞かれましたが、杉本さんの作業している写真が学生の作業風景に見えなかったみたいです(笑)。 昨年の大会から成長していたことは 【後藤】チームメンバーとは、1年間一緒に研究をしてきたから、コミュニケーションが上がっています。誰が何をできるのか分かっているため、仕事も振りやすかったです。加工ができるからとか、去年もプレゼンやったからとか、架設のリーダーはまとめる力があるメンバーにやってもらうとか。1年で人となりを知れて、それぞれの得意分野を知れたから仕事を任せることができるようになりました。 総合優勝するために必要なこと 【杉本】自分たちだけで処理しないで、大学全体を巻き込んで作れると良いと思います。今のままでは、加工の知識や技術があっても、他で負けている部分があります。例えば、美観の面では、他のチームにはカラーコーディネーターの資格を持っている人や、デザインのセンスがある人がいます。でも、私たちの橋は、デザインはあまり凝っている方ではありません。そこで、デザインに強い人がいたら、その人のデザインを基に、「じゃあ、こうしたら耐久性も上がるよ」ということができます。また、チームの人員に限りがあり、製作に時間をかける分、設計と解析にかけられる時間が少ない現状があります。 【後藤】他には、アーチ橋ではなく、早く架設できる橋にすることや、知識を深めて解析をしっかり行い、強い構造の橋にすることも考えられます。解析の知識があれば、色々な形をどんどん解析にかけて強い形を検討することができます。今は知識が無いから、解析通りの結果が出ずに、橋が想定以上にたわんでしまっています。 橋梁の魅力は 【杉本】橋は人の目に付くところが魅力です。ビル等の建築物だと自分が製作した鉄骨が隠れてしまいますが、橋なら完成した後も鉄骨が見えます。橋は人が通る所に作りますし、運送がロボットに変わって自動になっても橋が無くなることはありません。 【後藤】単純に橋は格好良いと思っています。そして、橋は人の生活を良くするためにあり、人が住んでいる限り無くなりません。住宅は古くなると壊してしまいますが、橋は補修されてずっと残ります。それに、橋には色々な形があって、変わった形の橋を作ることができるのも魅力です。 ブリコンの経験は今後に活かせるか 【後藤】ブリコンを通じて、色々な形の橋を知りました。私は橋梁関係の企業で施工管理に就くため、工程についても、誰に仕事を振って、次の作業は何か、工程はどの程度あるか、安全やKY(危険予知)等も心がけるようになりました。ブリコンで、設計の知識も製作の知識も身に付き、それぞれの工程についても知ることができました。 【杉本】後藤さんと同じく、設計と製作などの他の工程を担当している人とのコミュニケーションの取り方が身に付いたと思います。他には、今回の製作では工程計画も無く、自分の限界までやってしまったから、しっかり工程計画を作れるようになったら、工程を管理できたかなと思います。 関連リンク 建設学科WEBページ 建設学科 橋梁・構造研究室(大垣研究室)

  • 行田市花いっぱい運動 地域との交流を通じて得た学び

    行田市はコロナ禍が続き、需要が低迷している市内の花卉《かき》農家を支援するため、「花いっぱい運動」を開始しました。行田市の観光事業である花手水に合わせて、忍城周辺や水城公園のヴェールカフェ周辺を花で彩っています。ものつくり大学では、建設学科の大竹研究室が、花によるフォトスポットやフラワースポットを制作し、花いっぱい運動に協力しました。今回は、忍城東小路とヴェールカフェ前のフォトスポット制作を担当した笠倉 圭佑さん(建設学科4年)と、忍城址内と浮き城の径のフラワースポット制作を担当した三森 公威さん(ものつくり学研究科1年)に伺いました。 フォトスポット制作が決まった時の気持ち 【笠倉】お話をいただいのが5月で、フォトスポットの設置時期が9月ということで、あまり時間も無く、最初は「できるかな」という気持ちでした。制作に関しては、フォトスポットは、今までに設計した事もありませんし、花についても詳しくないのですが、知らないが故に、逆にデザインの幅広さを感じていました。 【三森】最初は、笠倉さんのサポートというイメージで関わりました。2か所にフォトスポットを作るのだと思っていましたが、話を聞いているうちに他にもフラワースポットを作ることを知り、大竹先生から勧められて、制作を始めました。 フォトスポット、フラワースポットのコンセプト 【笠倉】フォトスポットのコンセプトは「カメラマンも被写体になる人も、花を楽しめるフォトスポット」です。フォトスポット制作の話を聞いたその日の午後には、スケッチを描き始めました。そこで、平面的なフォトスポットだと、被写体になる人から見えるのはカメラマンだけで、花を見られないのは勿体無いなと感じ、最初から奥行きのある立方体のデザインを考えていました。大竹先生からは、「フォトスポットの背後にあるヴェールカフェも背景に使ってみたら」というアドバイスをいただき、借景のヒントを得ました。 笠倉さんが描いたスケッチ ヴェールカフェ前のフォトスポット模型 【三森】フラワースポットは、行田市が月に1度開催している花手水のライトアップイベント「希望の光」をサポートして、より華やかにできるスポットを作ろうと思いました。浮き城の径の池に浮かべたフラワースポットのコンセプトは「浮かぶ行田市」です。池に花手水を作り、忍城の模型を浮かべて、「のぼうの城」の田楽踊りのシーンを作りました。忍城址内のフラワースポットは、番傘と組み合わせる予定だったので、番傘の上でよく回される「枡」をコンセプトにしました。ライトアップのメインである番傘との調和を崩さないことを意識して制作しました。 制作にあたって大学で学んできたことは活かせたか 【笠倉】設計の授業で、人の目線や見え方を学んでいなかったら、平面的なフォトスポットになっていたと思います。自分の好きなように設計するのではなく、使ってもらう人たちに楽しんでもらいたいと考えて作ることができました。 【三森】大学での学びを強く実感したのは、現場で施工している時でした。非常勤講師の先生と学生だけで施工したのですが、私たちは全員、1年生の時に架設の経験をしているため、スムーズに組み立てることができました。元々、2日間かけて単管を組む予定でしたが、1日目で組み終わり、2日目からは花を飾り付ける作業に入ることができました。 制作で苦労したことは 【笠倉】私が花に詳しくないため、花の飾り方は一番苦労しました。始めは、ただ花を吊るすことを考えていましたが、「花と花の間隔や、水やりや花の入れ替え作業の効率も考える必要がある」と行田市の方たちから意見をいただきました。そこで、フォトスポットの高さを低くし、作業をしやすくしました。また、花を斜めに設置すれば花が綺麗に見えると思い、格子状に組んだフェンスに入れる案や、板に丸い穴を開けて花を入れる案などを考えました。試行錯誤する中で、苗のポッドをアーチ状に結ぶ案が出て、試してみたところ強度もあり、花の見え方も綺麗だったので、実際に花を入れて撮った動画を行田市の方たちに見ていただき、強度を確認してもらい、この案に決定しました。 【三森】浮き城の径のフラワースポットは、打合せの時に忍城の模型を持参して、浮く素材を何パターンか提案しながら制作を進めました。花手水に使用する花が、ロス花を使用する関係上、数に限りがあったため、枠のサイズや厚みを調整して、花が綺麗に見えるパターンを探しました。また、池の流れで枠が流れてしまうため、重しの付け方や紐の長さも繰り返し試しました。 施工中の市民の方々の反応は 【笠倉】単管を組んでいる時は、近くを通った人たちから「何を作っているの?」と、たくさんの声をかけていただきました。花を飾り付けていくうちに「あ~、綺麗だね」という声が増えてきて、喜んでもらえていることを実感しました。忍城東小路のフォトスポットは、小学生の通学路になっていたため、単管を組んでいる時に「あ~、ジャングルジム!」って言われたりして、「登っちゃダメだよ」みたいなコミュニケーションがありました。制作中に声をかけていただいて、市民の方たちに注目されている事を感じることができ、嬉しかったです。 【三森】浮き城の径の池に入っている時に「池で花手水やるの?」という感じで、たくさんの方に話しかけられました。池に忍城と船を浮かべている時は、小さい子から中学生まで反応がすごく良かったので、やって良かったと感じました。 学生の視点から見る地域交流は 【三森】授業でものを作る時も、安全性は気にしながら作っていますが、学外にものを作る時は、長く設置されることを考慮して、継続性や見た目の変化を気にする必要があることを学びました。これは、授業では学べない事で、責任を感じました。 【笠倉】色々な条件がある中でものを作るのは難しかったですし、考える事がたくさんありました。ですが、完成した時に見てくれる人の数が学内で制作する時より格段に多く、人に見せるためにものを作るのは初めての経験でしたので、すごくやりがいがありました。大変でしたが、こんな経験はそうそうできないですから、制作できて良かったです。達成感が授業とは段違いでした。 地域と大学のより良い関係とは 【三森】今回のような連携は、学生にとっては経験になりますし、市役所の方たちにとっては新しいアイデアをもらえるということがお互いのメリットかと思います。普通、大学に依頼すると設計はできても、施工は企業に別途依頼すると思いますが、ものつくり大学であれば、設計から施工まで全部できる。できる幅が広いことが、ものつくり大学の強みだと思います。 【笠倉】頼られる大学になっていくと良いと思います。地域から頼られることで、学生は勉強する場ができます。ものつくり大学が作ったものが地域に増えたら、大学の名前も広がっていきますし、大学の外でものを作る経験をした方が絶対に自分の経験になりますから。 今回の学びをどう活かすか 【三森】行政の仕事に就くことを考えているため、行田市の方たちと仕事をできたことが貴重な経験になりました。私は、3Dプリンターやレーザーカッターを活用したデジタルファブリケーションについて研究していますが、レーザーカッターで多くの試作品を作ったことで、有用性や課題が見えてきました。手作業で模型を作ると時間がかかるのですが、レーザーカッターで作ると部材を切る時間は15分くらいで済みます。組み立てはあまり時間がかからず、加工も一定の精度でできるため、デジタルファブリケーションの強みが見えました。 【笠倉】条件がある中での制作で、考える力が身に付いたと思います。そして、知識が無いとそもそも思いつかない、知らない事が多いと何もできないということを実感しました。後は、伝え方が一番大事だと思いました。例えば、単管を組む時に、非常勤講師の先生から、どうやって作ればいいのか聞かれた時に、私は言葉で伝えるのが苦手なので、絵を描いて伝えていました。自分の強みを使って伝える力は大事だなと思いました。どう活かせるかというか、どこでも使える力だということを学べました。 関連リンク 【知・技の創造】装飾が愛着に繋がる 建設学科 デザイン・空間表現研究室(大竹研究室) 建設学科WEBページ

  • 建設学科の女子学生が、建設(土木建築)現場の最前線で働く女性技術者のリアルを『見る』・『聴く』

    2023年10月20日、若築建設株式会社(本社目黒区)主催の女性技術者志望者対象の「工事現場見学会及び座談会」に、本学から、建設業に興味のある建設学科3年の女子学生5名が参加しました。この企画は、参加した女子学生が工事現場や女性技術者について理解を深め、建設業の魅力に触れることで、進路選択の一助になることを目的としています。本学では、長期インターンシップや企業訪問等の多様なキャリア支援施策を実施していますが、女性による女性のための女性だけのユニークな企画参加はおそらく初めて。参加した女子学生5名のリアルな感想を伺いました。 一瞬で打ち解けた若き女性技術者の明るさと元気さ 会場となったのは東京都葛飾区の新中川護岸耐震補強工事の現場。本事業は、東京都の女性活躍モデル工事となっているものです。まず若築建設から女性技術者9名の自己紹介があり、続いて4班に分かれた本学の女子学生がそれぞれ自己紹介を行いました。その後、全体スケジュールの説明があり、「女性技術者の目線から見た現場の現況や魅力を見て、今後の進路選択に役立ててほしい」と本日の目的を強調されました。学生たちは明るく元気な女性技術者の皆さんから積極的に話しかけていただきました。遠藤 夢さん(澤本研究室)は「女性技術者の皆さんが初対面の人同士でもフレンドリーでした」と第一印象について話してくれました。次に、いよいよリアルな工事現場見学に移動。現在進めている施工場所の長さは約150メートル。その移動の途中、学生たちは、気さくに説明をされる女性技術者に触れ、「現場で働く人に対して怖いイメージをもっていたけれど、実際は優しかったです」と河田 さゆりさん(田尻研究室)はイメージと現実の姿の違いを感じたようです。工事中の現場では、この工事の責任者である女性の監理技術者が「現在進行中の護岸工事は階段状に削ったところに新しい土を入れ、地滑りが起こらないように転圧(固める)をしています」と説明してくださいました。その姿を見たタマン・プナムさん(澤本研究室)は「現場に女子の監理技術者がいるのは面白い」と興味を持ちました。学生たちはフェンス越しに護岸の工事現場の様子を見て、メモを取ったり、女性技術者から具体的な説明を聞いたりするなどして現場でどのような工事を行っているのかを体感していました。説明してもらっていたカルキ・メヌカさん(澤本研究室)とプナムさんは「現場で働く女性技術者の方に、優しく、いろいろ教えてもらえて、とても勉強になりました」と話していました。 また工事現場での女性への配慮の一つとして、設置された仮設トイレや休憩所も見学しました。気になる仮設トイレは臭いを極力抑えるコーティングがされていることや休憩所では、電子レンジやWi-Fiが完備されている話などを伺いました。学生たちは現場でどのようにトイレを使用したり、休憩したりするかといったことにも関心もあり、工事現場の環境改善が進んでいることを実感しました。晴天でしたが、風が強めの見学であったため、女性技術者から現場の仕事は天候に左右される仕事でもある事情をお聞きし、現場の実情を知り、「現場を見られてよい経験になりました」と遠藤さん。また、工事現場見学を通し「現場のイメージが変わり、若い方も働いていて、働きやすい環境だと感じました」と河田さんは話してくれました。今回の工事現場見学では、日頃見聞きできない工事の進行状況や女性技術者がどんな環境でどのように仕事をしているのか直接教えていただきました。今回の工事現場見学を通して感じ、学んだことを他の学生とも情報共有し、本学での学習に活かすとともに建設業界の内情について理解を深めていってくれることを期待します。 4班それぞれに笑顔があふれた座談会 遠藤 夢さん 1班の遠藤さんは、監理技術者含む入社1年目と2年目の女性技術者3名との座談会。用意されたプロフィールを見ながらの現場での仕事の話になり、「女性技術者でも夜勤はあるけれど『滑走路から見る東京の夜景』や『早朝の富士山』は格別」といった現場あるある的なお話をしてくださいました。女性技術者と男性技術者の違いに関心があった遠藤さんは座談会で「現場で働く技術者は資格もある人もいれば、そうでない人もいて、男女に優劣はなく、その人次第ということを知りました」と話してくれました。 2班の金子 歩南さん(澤本研究室)は、入社8年目と1年目の2名の女性技術者との座談会。入社した経緯や自社の良いところについて熱弁してくださったお2人。話を聞いた金子さんは「土木・建築の技術者に進もうとする人は『インターンシップ』がきっかけだったり、土木や建築が元々好きだったりする人がいることを知りました」と。また、土木・建築の技術者にとってどんなことが大変だったかを知りたかった金子さんは「入社当初は、土木・建築の技術者としてなかなか実力が認められなかったけれど、経験を積んで、実績を見てもらったり、さまざまな立場の方との話をしたりして分かってもらえるようになった」という体験談を聞けたそうです。 3班のプナムさんとメヌカさんは、中途入社した4年目と8年目の2名とスリランカ出身で入社2年目の計3名の女性技術者との座談会。さまざまな経歴をもつ女性技術者たちからキャリアの活かし方について具体的なお話が聞けました。また、留学生である学生2人は外国人の女性技術者の働き方や文化の違いの対応について関心が高く、働く上で文化的な違いをどうやって理解し、日本の働き方に合わせるかを熱心に聞いていました。日本でアルバイトをしているからこそ同じ外国人として働く上での大変さについて共感も生まれていました。 タマン・プナムさん カルキ・メヌカさん さらに、日本企業と海外企業の仕事の進み具合の違いといった国際的な話も展開されていました。プナムさんは「スリランカ出身の方の話がためになりました。また、海外プロジェクトに参加したら、その経験が身につき、自分自身の実力になることを知りました」と。メヌカさんは「入社前に資格取得が必要ではないかと考えていましたが、土木・建築の分野の資格は入社してからでも大丈夫だと聞いて安心しました」と話してくれました。 4班の河田さんは、入社1年目と6年目の2名の女性技術者との座談会。日常生活について話を聞いたり、女性技術者が設計したものを直接タブレットで見せてもらったり、働く上で必要なことを伺いました。リアルな女性技術者の話を聞いた河田さんは「就職活動するにあたり、立派な志望理由が必要だと思っていましたが、『さまざまな角度や観点から考えてもいいんだ』といったことを考える良い機会になりました」と話してくれました。 視野を広げた貴重な体験 今回の座談会では、学生たちが若築建設の女性技術者の皆さんからさまざまな体験やアドバイスを聞くことができました。金子さんは「他の会社を見学した際、現場で働くのは男性が中心でしたが、今日は年齢が近い女性技術者にお会いできて、話が聞けてよかったです」と他の会社見学とは違った体験ができたと話してくれました。現場で働く女性技術者の年齢が近い方も多かったため親近感もわき、自分事して考えることができ、大きく印象が変わったようです。 金子 歩南さん また、今後の進路選択に当たり、若築建設のような建設会社を選択肢に入れたい思いが生まれたり、視野を広げたものの見方について学ぶ機会になったりと貴重な時間になりました。プナムさんは「女性技術者の皆さんの経験をお聞きし、皆さんがどれだけ頑張っているかを知り、私も頑張り、このような職業に就きたいと思いました」と熱い思いを語ってくれました。メヌカさんは「若築建設では英語も磨けると聞き、とても興味を持ちました」と意欲をわかせていました。最後に澤本武博教授(建設学科)からは、先生自身が若築建設の勤務経験があったことや卒業生が働いていることなどを踏まえ「今日の経験を今後の学生生活や就職活動に活かしてほしい」というお話をしてくださいました。そして女性技術者の皆さんからは熱いエールを送っていただき、座談会の幕を閉じました。工事現場見学会や座談会の進行を行っていただき、また熱心に説明をしてくださった若築建設の女性技術者の皆さまには心より感謝申し上げます。 参加者/1班:遠藤 夢 さん(建設学科3年、澤本研究室)2班:金子 歩南 さん(建設学科3年、澤本研究室)3班:カルキ・メヌカ さん(建設学科3年、澤本研究室)3班:タマン・プナム さん(建設学科3年、澤本研究室)4班:河田 さゆり さん(建設学科3年、田尻研究室) 関連リンク ・建設学科WEBページ・澤本研究室WEBサイト・田尻研究室WEBサイト・若築建設株式会社WEBサイト

  • 【Fゼミ】私の仕事 #4--歌手としての歩みとライフワーク

    1年次のFゼミは、新入生が大学生活を円滑に進められるように、基本的な心構えや、ものづくりを担う人材としての基礎的素養を修得する授業です。このFゼミにおいて各界で活躍するプロフェッショナルを招へいし、「現場に宿る教養」とその迫力を体感し、自身の生き方やキャリアに役立ててもらうことを目的として、プロゼミ(プロフェッショナル・ゼミ)を実施しました。今回は、歌手として都内のオペラ劇場を中心に活躍する他、作曲家、台本作家、指揮者、演出家の顔を持つ舞台の総合クリエイター、阿瀬見貴光氏を講師に迎えたプロゼミをお届けします。 肉声の魅力-声楽とは 私の職業は歌手です。声楽家です。主にオペラや舞台のクラシックコンサートに出演します。それと同時に故郷の加須市で市民ミュージカルのプロデュースも行っています。まずは歌手としての仕事についてお話したいと思います。 声楽家と現代的な歌手の大きな違いは何でしょう? そうです、マイクを使うか否かです。2,000人規模の大ホールでも60人以上のオーケストラと共演する場合も、基本的に声楽家はマイクを使いません。すなわち、肉声の魅力で音楽を表現します。肉声だからといって声はただ大きければよいというわけではありません。特にオペラは「声の芸術」とも言われていて、大事なのはよく響いて遠くまで通る声です。たとえば、「ストラディバリウス」というヴァイオリンの名器をご存知の方はいますか? ストラディバリウスの音色は実に繊細で密度が高い。そして近くで聴いているとそれほど大きな音に聞こえないのに、不思議と遠くの方まで響きが飛んでいくという特性があります。声楽家はそのような魅力的な音色をお手本にして技を身につけます。楽器である身体を鍛えたり、音声学を学びます。日々の発声練習も欠かしません。世界にはたくさんの種類の楽器がありますが、人間の声こそが最も美しく表現力豊かな楽器であると私は考えています。皆さんにはアコースティックサウンド、生の響きの醍醐味を感じていただきたいですし、そのようなコンサートに是非とも足を運んで欲しいと思います。 さて、ここで実演の意味も込めて歌ってみたいと思います。オペラ発祥の国イタリアから「オー ソレ ミーオ」というナポリの民謡です。高校1年の教科書に載っていますからご存知の方も多いかもしれませんね。私はイタリアに勉強に行ったことがあるのですが、イタリア南部の方の気質はとにかく陽気でおおらかです。この曲もまたそのような気質が現れていて、活きていることが素晴らしいと感じさせてくれます。 『オー ソレ ミーオ』 新国立劇場オペラの13年間 私は渋谷区初台にあるオペラ専用劇場を有する新国立劇場に所属し、約13年間インターナショナルな活動をしてまいりました。この劇場は、オペラのほか、舞踊と劇場の部門がありまして、どれも大変クオリティの高い公演が行われています。とくにオペラ部門は『ニューヨーク・タイムズ』のオペラ番付でも上位にランキングする実力があり、世界中のトップレベルの演奏家や演出家を招へいしています。 私はこの劇場の13年間オペラ公演で、延べ156演目、780のステージに立ちました。世界トップレベルの芸術家と一緒に舞台を創ること、それが私にとって何より刺激の源になりました。彼らとの日々のリハーサルや公演を通して、彼らの美の根底にある感性、思考、宗教観に触れることができたからです。近年ではウェブ上に舞台の情報が溢れる時代になりましたが、現場でしか味わえない貴重な経験をさせていただきました。日本にいながらにして、まるで海外留学をしているかのような気分です。 さて、オペラと言えばイタリア、ドイツ、フランス、イギリスなどヨーロッパを中心とした国々の芸術家との交流が多いのですが、「オペラ界のアジア」という視点で世界を見たとき、生涯忘れられないエピソードが2つありますのでご紹介したいと思います。 日中共同プロジェクト「アイーダ」と韓国人テノール ひとつ目は2012年の日中共同制作公演『アイーダ』です。日中国交正常化40周年の節目に日中の友好の象徴として共同制作されました。この前代未聞のプロダクションは、歌手およそ100名を新国立劇場と中国国家大劇院から集め、東京と北京で公演するというものです。国家大劇院は北京の中心部にありまして、国の威厳をかけて創設された大変立派な建築物です。近くには人民大会堂(日本の国会議事堂に相当する)があります。当時、中国の反日教育はよく知られていたので、劇場内でも日本人スタッフへのあたりが厳しいのではと心配したものでしたが、まったくの杞憂でした。むしろ国家大劇院の皆さんはとても友好的で、日本の音楽事情に興味津々といった様子でした。休日には関係者が北京市内を案内してくれもしました。リハーサルの後に、若いテノール歌手に食事に誘われ「遠くから来た要人には徹底的にもてなすのが中国人の流儀だ」と言って、約一カ月分のお給料に相当する額のご馳走を用意してくれたこともありました。そして肝心のオペラ公演も大成功を収めました。隣国同士の東洋人が心をひとつにして、西洋文化の象徴であるオペラに挑戦する。満席6,000人の巨大オペラ劇場が大いに湧きました。国家間の歴史認識の違いはあれど、芸術の世界に酔いしれるとき、国境が存在しないのだと感じました。しかし大変残念なことに、東京公演の一週間後、日中両国の外交関係が急速に悪化していきました。もし、このプロジェクトがあとひと月も遅ければ公演中止となっていたでしょう。 ふたつ目のエピソードは韓国です。皆さんは韓国アイドルの「推し」はありますか? 現在ではK-pop が大人気ですし、化粧品、美容グッズ、ファッションなど韓国のトレンドには力があります。若い皆さんは驚くかもしれませんが、2013年頃の日本では韓国に対する嫌悪感、いわゆる「嫌韓」の風潮が非常に高まっていました。その年の流行語のひとつは「ヘイト・スピーチ」でした。新宿区大久保などではデモがあり、激しいバッシングも見られました。そんな社会状況の中、新国立劇場ではオペラ『リゴレット』が公演されました。主役は韓国人の若手テノール歌手、ウーキュン・キム。それまで新国立劇場で韓国人が主役を張ることはほとんどなかったこともあり、過激な世論の中で彼がどんな評価をされるのか、私は興味深く見守っていました。彼の歌声は実に素晴らしいもので、客席は大きな拍手で彼を称えました。「日本の聴衆よ、よく公平な目で評価した!」隔たりを越えた美の世界を感じ、私はステージ上で静かに胸を熱くしました。 インターナショナルな活動の中で私がいつも思うことは、舞台製作の環境は常に政治の影響を受けていますが、政治に侵されない自由な領域を持つのもまた芸術の世界であるということです。だからこそ我々芸術家は、人間の普遍的な価値観や幅広い視点をもって世界の平和に貢献すべきだと考えています。 テクノロジーと古典芸能の融合-オペラ劇場の構造 今日は建設学科の講義ですので、オペラ劇場の構造について少し触れてみたいと思います。まず特徴的なのはステージと客席に挟まれた大きな窪みです。これは「オーケストラ・ピット」と言います。 ここにオーケストラ団員最大100名と指揮者が入り演奏します。ピットの床は上下に動きます。床が下がってピットが深くなるとオーケストラの音量が小さくなり、逆に床が上がると音量は大きくなります。これによって歌手の声量とバランスを取りながら、深さを調節するわけです。ピットの上には大きな反響板があります。オペラやクラシック音楽においては、いかに生の響きを客席に届けるかが大切ですから、音響工学の専門家が材質や形状にこだわり抜いてホール全体を設計しています。 これは劇場平面図です。客席から見える本舞台の左右と奥に同じ面積のスペースがありまして、これを四面舞台と言います。大きな床ごとスライドさせることができます。これによって、巨大な舞台セットを伴う場面転換がスムーズにできますし、場合によってはふたつの演目を日替わりで公演することも可能です。この機構をもつオペラ劇場は日本ではほんのいくつかしかありません。次は劇場断面図を見てみましょう。舞台の上には大きな空間がありまして、これは照明機材や舞台美術などを吊るためのものです。下側はというと「セリ」といって、舞台面の一部もしくは全体を昇降させることができます。そして、これらの機構の多くはコンピューターによって制御されています。最新のテクノロジーは古典芸能であるオペラ(400年の歴史)に新たな表現方法をもたらし続けているのです。 私のライフワーク-ミュージカルかぞ総監督として 「多世代交流の温かい心の居場所をつくろう」と思いついたのは約30年前のことです。私が大学3年生の夏に読んだ新聞記事がきっかけとなりました。若者の意思伝達能力の低下や家庭内暴力は、家庭問題というより社会の歪みに原因があるだろうと考えていました。「自分にできること、自分にしかできないこと」音楽や舞台表現を手段として、人間が人間に興味をもって、大いに笑い、平和を謳う。そんなコミュニティをつくろう!自分がオペラ歌手になるための勉強と並行して、文化団体の運営のイメージを実践方法を温め続けました。 2012年の夏に故郷である加須市で、市民劇団「ミュージカルかぞ」を立ち上げました。ありがたいことに、市長、教育長をはじめ、地元の実力派有志たちが私の掲げる活動理念に賛同、協力してくださいました。さらに嬉しいことに、一年目からすべての年代がバランスよく揃った『三世代ミュージカル』を実現したのです。また、ダンス講師、ピアニスト、照明家などプロの第一線で活躍する業界の仲間も加須に駆けつけてくれました。市民が主役の劇団ですから入団資格は『プロの舞台人でないこと』、以上。技と魂を兼ね備えたプロの舞台スタッフが環境を整え、地元のアマチュア俳優をステージで輝かせるのが私の手法です。団員たちが燃えるような魂で舞台に立つとき、キャラクター描写の奥に個々の圧倒的な生き様が放たれます。そこには見る者の魂を震えさせるほどの「人間の美しさ」があるのです。 しかし、そこにたどり着くまでには膨大な時間と労力、技術を要します。ほとんどの団員は演技や歌唱の経験がないからです。舞台での身体表現、呼吸法、発声法、楽曲分析、台本の読解法、そして舞台創りの精神など、私が日々舞台で実践していることを43名の団員たちに解りやすく愉快に伝えています。 ミュージカルかぞは年に2演目を10年間公演し続け(コロナ禍の中止はありましたが)、着実にレベルアップしています。いつも満員御礼の客席からは割れんばかりの拍手と「ブラボー!」が飛び交います。涙を流しながら客席を立つお客様の姿が増えました。県外からのファンや、教育や文化に携わる方も多くいらっしゃるようになりました。 『大人が笑えば子供も笑う』…劇団の稽古場は笑い声が絶えません。しかし、団員個々の心の事情には静かに話を聞いて、一緒に考えます。不登校、引きこもり、健康上の悩みなど事情は様々ですが、そこから社会の歪みが見えることは少なくないです。しかし、舞台表現を磨き続け、少しずつ自分の声と言葉で素直な自分を語れるようになった団員を見たとき、私も生きていて良かったと感じます。特に子どもや若者には、人と繋がって喜びを感じる『真実の時間』を過ごしてほしいと考えています。それは誰かを愛するための心の糧になると思うからです。 時空を超えるメッセージ-ミュージカル『いち』 さて皆さん、「愛」って何でしょうね? こういった漠然とした質問が一番困るんですよね。そのような抽象的なイメージを閃きに導かれながら具象化できるのが芸術文化のいいところです。愛をいかに表現するか、私も日々悩み続けています。 私の劇作家としての代表作にミュージカル『いち』があります。作品のもととなった加須古来からの伝承『いちっ子地蔵』を読んだ瞬間、作品のインスピレーションが稲妻のように降りてきました。眠るのを忘れるくらい無我夢中で台本と楽曲を書き留めました。全2幕8景、26曲、公演2時間と、なかなかのボリュームです。ドラマの舞台は天明6年(1786年)の加須です。水害などの度重なる困難に屈することなく、助け合って前を向いて生きるお百姓さんたちの姿を描いています。現代のような科学技術はなく、物質も情報も豊かではない村落共同体の人々は何に価値を感じて生きていたのか? 現代人が忘れかけた大切な「何か」を思い起こさせてくれるのです。そして、いつも忘れはならないのは「土地に生きた先人たちの努力、犠牲、愛があったからこそ、現在の我々がある」をいうことです。脈々とつながる命、先人からの愛に感謝することが、光ある未来を導くと『いち』は教えてくれます。 「大きな社会は変えられない、まずは小さな社会から」-。土壌づくりに20年。故郷で愛の種を蒔き始めて約10年。それらが今、芽吹きはじめました。埼玉の小さな街から田畑を越えて、時空を超えて、これから新たな愛の連鎖が広がっていくのだと思います。 『野菊』 『翼をください』 『帰れソレントへ』 Profile 阿瀬見 貴光(あせみ・たかみつ)昭和音楽大学声楽科卒業。日本オペラ振興会オペラ歌手育成部18期修了。声楽を峰茂樹、L.Bertagnollio の各氏に師事。歌手としては都内のオペラ劇場を中心に活躍し、定期的なトークコンサート《あせみんシリーズ》では客席を笑いと涙の渦に巻く。その他、作曲家、台本作家、指揮者、演出家の顔を持つ部隊の総合クリエイター。完全オリジナル作品の代表作にミュージカル《いち》があり、これまでに5回の再演を重ねている。プロの舞台で培った技術や経験を地域社会に還元すべく、子どもの教育や生涯学習を目的としたアマチュア舞台芸術の発展に力を注ぐ。教育委員会等で講演を精力的に行い、芸術文化による地方創生の実践を伝えている。NPO法人ミュージカルかぞ総監督。ハーモニーかぞ常任指揮者。加須市観光大使。地元の酒をこよなく愛する四児の父。 関連リンク ・【Fゼミ】私の仕事 #1--デジタルマーケティングとオンライン販売 基礎・実践・【Fゼミ】私の仕事 #2--私が在籍してきた企業におけるマーケティング・【Fゼミ】私の仕事 #3--自分を活かす 人を活かす 原稿井坂 康志(いさか・やすし)教養教育センター教授

  • 【Fゼミ】私の仕事 #3--自分を活かす 人を活かす

    1年次のFゼミは、新入生が大学生活を円滑に進められるように、基本的な心構えや、ものづくりを担う人材としての基礎的素養を修得する授業です。このFゼミにおいて各界で活躍するプロフェッショナルを招へいし、「現場に宿る教養」とその迫力を体感し、自身の生き方やキャリアに役立ててもらうことを目的として、プロゼミ(プロフェッショナル・ゼミ)を実施しました。今回は、OL時代、自身の体調不良が玄米で改善した経緯から大阪で玄米カフェ実身美(サンミ)を創業し、顧客の健康改善事例に多く立ち合ってきた大塚三紀子氏を講師に迎えたプロゼミの内容をお届けします。 学生時代から就職まで 私は現在、㈱実身美を経営しています。本日は「自分を活かす 人を活かす」というテーマで私の経験をお話ししたいと思います。 最初に私の学生時代から始めたいと思います。私は法学部の出身なのですが、大学時代は正直なところやりたいことがありませんでした。何をしようかわからなかったというのが実感でした。法学部に在籍したことから、税理士事務所に就職はしてみたものの、やりがいは感じられませんでした。そのようなこともあり、しばらくして体調を崩してしまったのですね。 そんなとき、玄米食に切り替えたところ、めきめきと回復したのです。この経験は私にとって鮮烈なものがありました。そのとき思いました。体調不良の悩みを持つ人はきっと日本全国にいるはず。ならば、同じような方法で体調が回復することで喜びを共有することはできるだろうと。私自身が苦労したことをもとに、世の中の問題を解決できるのではないかと考えたわけです。そこで、事業を始めることにしました。これが私が経営者になったきっかけでした。 起業の経緯 実身美(サンミ)は、名前がコンセプトになっています。「実」があって「身」体に良くて「美」しい。すべて「み」と読みますから、3つで「サンミ」と呼ぶわけです。実身美は2002年に大阪市阿倍野区にて創業しています。現在は、玄米を主食とした健康食を提供しており、年間40万人以上のお客様にお届けしています。大阪阿倍野区、都島区、中央区、東京都、那覇市に5店舗を展開しています。 通信販売にも力を入れておりまして、独自開発の酵素ドレッシングは、全国お取り寄せグランプリ3年連続日本一(2017年全国4,400商品中1位、2018年全国4,730商品中1位、2019年全国5,131商品中1位)の評価をいただいております。現在でこそこのような高評価をいただいているものの、起業の時からすべてがうまくいったかというとまったくそうではありません。これから少しそのお話をしたいと思います。もともと食には興味があったのですが、起業となると何もわかりません。私はその分野にはまったくの素人でしたので、創業支援制度を利用して相談してみると、まずは「事業計画書を作成するように」と言われたのですね。ここで私は、コンセプトと数字の大切さを徹底的に学ぶことになりました。起業にあたって思いや志は何にもまして大切なものです。しかし一方で、現実に事業を成り立たせていくためいには、実にたくさんの具体的な行動が必要になってきます。 そこで大切なのは、仕組みづくりであり、数字をきちんと計算することです。たとえば、私は起業にあたって、公的金融機関からしかるべき融資をいただいたわけですが、それは言い換えれば借金をしたということです。借金をしたら、期限までに返さなければならないのは当然です。そこで、経営というものの責任を実感させられました。一度責任を引き受けた以上、何としてでもやらなければならないと決意しました。 そうなると、必要な費用を賄うのに、いくら必要か。これは痛いくらいの現実で、従業員やアルバイトさんの時給など掛け算すれば経費が出てきます。何で稼いで経費を払っていくか。これを計算しました。一日に必要な収入を割り出すと、ご来店54人という数字が出ました。これより少なかったら、店を成り立たせていくことはできないし、従業員にお給料も払えないわけです。 今にして思うのですが、「1日54人」の数字が出たから、私は成功できたのだと考えています。もちろん、お金だけではありません。店舗を展開していく中で、どうしても自分だけでは限界があります。人に働いてもらわなければなりません。自分がわかっているだけでは回らないのです。そのときはたと気づきました。どう人に動いてもらうかがわからなかったのです。そんなときに出合ったのが、「マネジメントの父」と言われているピーター・ドラッカーでした。 ドラッカー『仕事の哲学』との出合い 行き詰っていた時に出合ったのが、『仕事の哲学』というドラッカーの名言集です。2003年夏のことでした。まず感銘を受けたのが、「帯」の言葉です。 「不得手なことに時間を使ってはならない。自らの強みに集中すべきである」。 これは本当に救いになりました。その人にできることを生かさなければならない。生かせないならそれはマネジメントの責任ということです。この時期にビジネス界にも影響力を持つ人と出会えたのは幸福だったと思います。翌年2004年からはソーシャルネットワークで「ドラッカーに学ぶ」コミュニティも運営しはじめました。2007年には、翻訳者の上田惇生先生(ものつくり大学名誉教授)に勧めていただき、ドラッカー学会に入会して現在に至っています。 念のため、ここでドラッカーについて説明しておきます。1909年にウィーン生まれ。2005年にアメリカで没しています。「ビジネス界に最も影響力をもつ思想家」として知られる方で、東西冷戦の終結、転換期の到来、社会の高齢化をいちはやく知らせるとともに、「分権化」「目標管理」「経営戦略」「民営化」「顧客第一」「情報化」「知識労働者」「ABC会計」「ベンチマーキング」「コア・コンピタンス」など、マネジメントの理論と手法の多くを考案し、「マネジメントの父」と呼ばれています。今当たり前に通用している経営戦略とか目標管理などはドラッカーが発案したものです。 強みを生かすには 私がドラッカーから学んだ最大のものは、「強み」の考え方です。たとえば、ドラッカーは強みについて次のように述べています。 「何事かを成し遂げられることは強みによってである。弱みによって何かを行うことはできない」(『明日を支配するもの』) できないところに目を向けていてもしかたがありません。強みを集めて成果を上げるところまでもっていくことが大切だというのです。たとえば、経理の人はきちんと計算できれば、人付き合いできなくても成果をあげる上では問題ありません。むしろできることを卓越したレベルにまでもっていける。「強みを生かし、弱みを無意味にする」というのは、言うのは簡単なのですが、自己流だとうまくいきません。だんだんいらいらしてきます。人はなかなか見えないものだからです。 ではどう実践したか。実身美では、次の質問を投げかけています。「2人以上にほめられたことは何か」「2人以上に改善を求められたことは何か」一つ目については、「とても丁寧ですね。早いですね」といったささやかなことでよいのです。自分は大したことないと思っていても、強みは人が意外に知っているものです。スタッフ勉強会を開催して、隣の人のいいところを書いています。これを行うと、自分の気づいていないところがどんどん蓄積されて、新しい強みにも気づけたりする。「強みノート」を作成して、お互いの強みを理解し合えるように工夫しています。改善を求められたことについても同様に共有していきます。 強みに応じた人事としては、次のようなものがあります。社交性→百貨店担当学習欲→共同研究、HACCP取得、新規事業の把握責任感→マネジメント達成欲→成果が目に見える業務公平性→ルール作りのご意見番慎重さ→会社の危機を聞く、用意周到な準備が必要な案件コミュニケーション、共感性→お客様対応、広報指令性→プロジェクトリーダーポジティブ→ハードな現場収集心→リサーチ系の仕事(レシピ、店舗情報)着想→アイデアがないか聞く戦略性→成果へのプロセスを聞く さらに、気質や価値観も大切です。人には生まれ持っているものがあり、理由はわからないのにできてしまうことがあります。逆に、どんなに努力してもうまくできないこともあります。ドラッカーは次のように述べています。 「われわれは気質と個性を軽んじがちである。だがそれらのものは訓練によって容易に変えられるものではないだけに、重視し、明確に理解することが重要である」 人には教わっていないのにできてしまうことがあるのです。そういうものを生かしていきたいと考えています。なるべく人の持つ本質を大きく変えないようにすることで、生かしていきたいと考えています。 20年間存続するには--会社の文化づくり 最後になりますが、文化づくりについてお話したいと思います。私は文化の力はとても大きいと常々感じています。文化になれば言葉はいらなくなります。たとえば、日本では公共交通機関などでみんな並んで待つ文化がありますね。これは海外からすれば驚かれることです。それが文化の力であり、誰もが当たり前のようにやっていることです。 今日ものつくり大学に来て、みんなが気持ちよく挨拶してくれるのに感動いたしました。授業にもかなり前から教室に来ている。それはものつくり大学では普通のことかもしれませんが、立派な文化と言ってよいものです。文化になると人から言われなくてもできてしまう。これは、その文化の中にいる人を見れば伝わってくるものですし、本物の力だと思います。 なぜ実身美は20年継続できたのかを時々考えます。起業した企業が20年後に生き残っているのは0.3%と言われています。昔からあてにならないことを千三つと言いますが、まさに1000分の3の確率なのです。続けるのは難しいものです。ポイントは、学ぶこと、強みを生かすこと、そして「新しくしていくこと」です。続かないとは変われなかったということだからです。これは会社の文化といってよいと思います。 実身美では、継続学習とたゆまぬ改善活動を行っています。「丘の上の木を見ながら、手元の臼を引く」、すなわち、長期と短期をバランスさせる視点を大切にしています。ビジョンと現実の両方を見ながら、行くべき方向へかじ取りするのです。 最後に--マーケティングとイノベーション ドラッカーが言うのは、マーケティングとイノベーションです。ドラッカーは、「マーケティングとは販売を不要にすること」という有名な言葉を残しています。「買ってください」と言わなくても、お客様から「ほしい」と思っていただけることです。私は、自分が不便だと感じて、こんなのがあったらいいと思うことを大切にすることでした。自分も一人の顧客だからです。知人の本の編集者が教えてくれたのですが、「誰かにぴったり合うということは、その後ろに同じ感じ方をする人が30万人いる」という。それが独りよがりではなく、役に立ち、喜ばれるものになるのです。 イノベーションは新しくしていくことです。お店だったらいろんなメニューがありますね。消費者として、ほっとできるお店へのニーズがあるのに、それをベースにしているお店が少なかった。実身美の創業にはこのような思いもありました。そこで大切なのが顧客目線によるイノベーションです。お店の側は、自分が学んだイタリアンとか中華とかで勝負しようとしてしまいがちですね。果たしてそこに顧客目線はあるのかが疑問でした。自分の発想だけで出すと顧客からずれてしまいます。 自分が消費者だったらどうか。たとえば実身美では、冬に白湯を出すようにしています。というのも、通常の飲食店では、冬でも氷の入った水が出てくるところがあるからです。家ではありえないことですね。プロがそのようなことをしている。寒い時は常温の方がありがたいはずで、それだけでも感動してくれる人がいます。以前ジャーマンオムレツをメニューにしたいという意見があって、私はそこにトマトとかいろいろな野菜を入れたら魅力的ではと提案したことがあります。即座に「それではジャーマンオムレツにならない」という反論がありました。けれども、それは偶然私たちの知るジャーマンオムレツが、昔の人の保存がきくもの、じゃがいもとかしか使えなかった時代の遺物だったに過ぎない。それはものが不足していた時代に誰かが考えた苦肉の策なのに、今まったく違う現在でも踏襲してしまうのです。今はなすもトマトも入れられる。自分だったらこうするという具合に作り直していいのです。酵素ドレッシングもそうです。以前は、茶色で調味料というのが大半でした。生の良さを生かす「食べるドレッシング」という発想がなかった。それを顧客目線で開発した。 本日は「自分を活かす 人を活かす」というテーマで私の経験をお話しました。ものつくり大学の学生の皆さんに少しでも役に立てれば嬉しいです。ありがとうございました。 Profile 大塚 三紀子(おおつか・みきこ)㈱実身美 代表取締役関西大学法学部卒。OL時代、自身の体調不良が玄米で改善した経緯から2002年大阪で玄米カフェ実身美(サンミ)創業。20年間で玄米食を約500万食提供し、顧客の健康改善事例に多く立ち合う。玄米の機能性に感銘を受け、2017年度より、琉球大学医学部第二内科益崎教授研究室と玄米の機能性食品の共同研究開発を開始。働く女性を対象にした臨床試験を通じ、玄米の機能性成分がアルコール依存を軽減させる効果を認める。2019年~2023年 沖縄科学技術イノベーションシステム構築事業委託共同研究採択2022年 『特許庁 社会課題解決×知財 IOPEN プロジェクト~脳のデトックス効果のある玄米食を通じて社会ストレスを解消させる挑戦~令和3年度IOPENER』。ドラッカー学会会員。著書に『実身美のごはん』『実身美の養生ごはん』ワニブックス社がある。(累計2万9000部)『実があって身体に良く美味しい』をコンセプトにした商品開発を得意とする。酵素ドレッシングはベストお取り寄せ大賞3年連続総合大賞受賞(2019年度5,131商品中1位)他受賞多数。 関連リンク 【Fゼミ】私の仕事 #1--デジタルマーケティングとオンライン販売 基礎・実践 【Fゼミ】私の仕事 #2--私が在籍してきた企業におけるマーケティング 【Fゼミ】私の仕事 #4--歌手としての歩みとライフワーク 原稿井坂 康志(いさか・やすし)ものつくり大学教養教育センター教授

  • 【Fゼミ】私の仕事 #2--私が在籍してきた企業におけるマーケティング

    1年次のFゼミは、新入生が大学生活を円滑に進められるように、基本的心構えや、ものづくりを担う人材としての基礎的素養を修得する授業です。このFゼミにおいて各界で活躍するプロフェッショナルを招へいし、「現場に宿る教養」とその迫力を体感し、自身の生き方やキャリアに役立ててもらうことを目的として、プロゼミ(プロフェッショナル・ゼミ)を実施しました。今回は、外資系企業を中心に7社の在籍経験があり、約23年にわたってマーケティングに従事している平賀敦巳氏を講師に迎えたプロゼミの内容をお届けします。 マーケティングとは何か 本日の話の流れとして、まず初めに、「マーケティング」とは何を意味する言葉なのかを説明して、全体像をつかみ、その上で「マーケティング」に含まれる具体的な仕事の種類を説明します。そして、より個別具体的に、私が在籍してきた企業でどんな仕事に実際に取り組んで来たのか、事例を紹介しながら説明します。 現在、担当している商品、当日学生に配布された まず、大家と言われる3名の方が、「マーケティング」をどのように定義しているか?ハーバード大学教授のレビットは、マーケティングとは「顧客の創造」だと言いました。「マーケティングの父」の異名をとるコトラーは、「個人や集団が、製品および価値の創造と交換を通じて、そのニーズやウォンツを満たす社会的・管理的プロセス」という、大変緻密な定義を行っています。そして、有名な経営学者であるドラッカーは、マーケティングとは「セリング(販売)を不要にすること」だと語りました。では、私は、マーケティングをどのように定義しているか。二つの○と、それを結び付ける両向きの矢印を使って、図で説明をすると分かりやすいのです。片方の○は、生活していく中で様々な課題なり欲求を抱える消費者、生活者。もう片方の○は、そういった課題を解決し、欲求を満たすリソースを持つ事業者。これら二つの○を結び付けてあげると、そこに取引が生まれ、市場が生まれます。この、市場をつくるために両者を結び付けてあげることがマーケティングなのですね。 MarketingというのはMarketにingが付いていることから分かる通り、「Marketすること」という意味。要は、「市場を作ること」がマーケティング、市場をつくり、より大きくするために、色々な働きかけることが全てマーケティング活動と言えます。こう定義すると、マーケティングというのはとても広い概念で、ほぼ「経営」と同じ意味合いになります。とはいえ、経営活動の中には、人事、経理・財務、IT等々、確かにマーケティングとは言いにくいものも含まれるので、私は以下のように整理しています。経営=直接お客様に働きかけて市場を作る広義のマーケティング+間接業務広義のマーケティング=狭義のマーケティング+セリングコトラーは、このマーケティングの全体像を、「R-STP-MM-I-Cモデル」という枠組みで整理しました。R=Research(リサーチ・調査や情報収集)STP=Segmentation(セグメンテーション・市場を分類すること)、Targeting(ターゲティング・お客様を絞ること)、Positioning(ポジショニング・お客様の頭の中での居場所、位置付けを決めること)、これらの頭文字で、マーケティングの戦略部分。MM=Marketing Mixの略でいわゆる「4P」と言われるものと同じ意味。4Pとは、Product(商品)、Price(価格)、Place(販路)、Promotion(販促)の4つのPから始まる要素を指し、マーケティングの戦術部分。I=Implementation(実行)の頭文字。頭の中で考えた戦略や戦術は、実際に実行に移されないことには現実が変化しないので、実行はとても大切です。C=Control(改善)の頭文字。俗にいう「PDCA」。実行したら必ず結果を評価して、上手くいった点は維持し、上手くいかなかったことは改善する。そのプロセスを繰り返すことが重要です。 「お客様」を知ること ビジネスをする場合、通常何らかの目的を持って始めます。その目的を達成するために、様々な商品を取り扱い、その商品を市場で売れるようにするために、先程の「R-STP-MM-I-Cモデル」に沿って、戦略を考え、戦術を練り、それらを実行に移していきます。マーケティング戦略を考える上では、まず何よりも先に、市場の一方当事者である「お客様」を知ることが重要です。お客様は、何かしらモノを買うまでに、様々な段階を経て意思決定しますが、この時の心の流れを「パーチェスファネル」などと呼びます。ファネルとは、漏斗(じょうご/ろうと)で、必ず上が広く、下に行くに従って細くなります。基本的に、認知、興味、行動、比較、購入という段階を踏んで、ようやくモノを買ってくれることになるわけで、段階を進むごとに離脱する人も出て来るため、必ず下へ行くほど細い。このパーチェスファネルを、出来るだけ横に広げていくことで、市場がつくられ、大きくなる。また、下の方をより太らせて逆三角形から台形に近付けていくことで、更に市場が大きくなる。なので、各段階の間口を広げること、そして次の段階へと進む確率を上げること、それを実現することがマーケティングの仕事のイメージとなります。お客様が持っている顕在ニーズと潜在ニーズ(ホンネ)を、質的調査(ヒアリングや観察)や量的調査(アンケート、データ分析)を通じて調べ上げたら、そのニーズを満たすことを考えなければなりません。そのために、「コンセプト」を練り上げます。コンセプトの要素は、よくABCで整理されます。A:Audience・お客様B:Benefit・便益、嬉しさC:Compelling Reason Why・お客様がその嬉しさを得られると信じるに足る理由お客様に選ばれる商品をつくるには、Aの誰を相手にするのか、Bの相手が喜んでくれそうな何を提供するのか、そしてCのそれがいかに良い商品だと分かるような根拠をどうやって伝えるか、これらABCをワンセットで提供しなくてはなりません。3つ目の、お客様に提供する「根拠」については、3つの「差別化軸」(①手軽軸、②品質軸、③密着軸)を活用します。 私が在籍してきた企業の具体例 ①女性用カミソリのポジショニング圧倒的なシェアを持っていた競合の商品が、ハッキリとしたポジショニングを持っていない点に気付き、消費者のニーズに基づいた明確なポジショニングで「挟み込み」を行った結果、多くの売場を獲得し、シェアの逆転につなげることができました。②商品をラッピングしてギフト化し、価値を高めて価格を上げる一つだと安価なキャンディを、沢山集めてお花のブーケのようなラッピング仕立てにすることで、単価を上げて発売しています。キャンディだけで比較すると割高ですが、ギフトとしての価値を創り出すことで多くの方に買い求めていただいています。 ③商品カテゴリによるコスト構造の違いと値付け化粧品や日用雑貨で様々な商品を扱ってきた中で、売価と原価の関係はカテゴリによってバラバラであることを見て来ました。より多くの粗利を稼げるカテゴリでは、その粗利を原資にして、広告や販促を展開し、逆に粗利が低いカテゴリでは、ギリギリ安値でとにかく数をさばくというやり方になっています。④小売店のバイヤーとの「棚割」商談における資料作成小売店では半年に一度、「棚割」といって棚に並べる商品の入れ替えを実施しています。消費者に商品を買ってもらう機会を確保するために、棚割で自分のところの商品がなぜ必要なのか、ロジックを組み立て、説得を試みます。⑤TVCM制作広告代理店に依頼をして、誰にどんなメッセージを伝えたいのかを説明し、目的に応じたクリエイティブを制作してきました。⑥店頭販促消費者は、「期間限定」だったり「お買い得」といったメッセージ、見た目に反応することが多いので、店頭でより多くの人に、より頻度高く買っていただくための工夫を様々に行ってきました。⑦DMを用いた店頭への集客化粧品会社で、愛用顧客の方に再び店頭へと足を運んでもらうために、凝りに凝ったDMを送付していました。頻繁に新商品を出し、常に店頭を新鮮に保って、DMによる集客でにぎわいを創り出していました。 Profile 平賀 敦巳(ひらが・あつみ) 1972年東京都出身、横浜市在住1996年慶應義塾大学大学院法学研究科修了(法学修士)外資系企業を中心に7社の在籍経験。27年強のキャリアのうち、約23年マーケティングに一貫して従事。これまでに取り扱ってきた商品は、主に日用雑貨と化粧品を中心に、洗剤や家庭紙(トイレットペーパーやティッシュペーパーなど)、スキンケアやヘアケアやボディケア、カミソリ、香水、キャンドル、保険などが挙げられる。マーケティング戦略の立案から、商品・コンセプトの調査や開発、値決め、チャネル開拓、広告宣伝・PR、販売促進に至るまで、幅広い経験を積んで来た。現在は、ベルフェッティ・ヴァン・メレ・ジャパン・サービス株式会社に勤務、カテゴリーマネージャーとしてメントスとチュッパチャップスの二つのブランドを管掌。 関連リンク 【Fゼミ】私の仕事 #1--デジタルマーケティングとオンライン販売 基礎・実践 【Fゼミ】私の仕事 #3--自分を活かす 人を活かす 【Fゼミ】私の仕事 #4--歌手としての歩みとライフワーク 原稿井坂 康志(いさか・やすし)ものつくり大学教養教育センター教授

  • 【Fゼミ】私の仕事 #1--デジタルマーケティングとオンライン販売 基礎・実践

    1年次の「Fゼミ」は、新入生が大学生活を円滑に進められるように、基本的心構えや、ものづくりを担う人材としての基礎的素養を修得する授業です。このFゼミにおいて各界で活躍するプロフェッショナルを招聘し、「現場に宿る教養」とその迫力を体感し、自身の生き方やキャリアに役立ててもらうことを目的として、プロゼミ(プロフェッショナル・ゼミ)を実施しました。大企業勤務、起業、コンサルティングなど多様な活動をし、現在は日本工芸株式会社 代表取締役を務める松澤斉之氏を講師に迎えたプロゼミの内容をお届けします。 とにかくいろんな仕事をしてきた この27年を振り返ると、私は大企業に勤めたこともありますし、第三者としてコンサルをしたこともあります。自分で会社を立ち上げて経営してきたこともあります。とにかくいろいろな活動に携わってきた自負はあるのですね。 現在も、自分の会社を経営していますが、SBI大学院大学のMBAコースで講師も務めていますし、企業の研修を行ったり新規事業のコンサルティングもしています。早稲田大学、広島大学などで「デジタルマーケティングとオンライン販売の実践」について講義をしたり、福岡県物産振興会、東京都中小企業振興公社、新宿区立高田馬場創業支援センターなどで「企画発想力人材」の育成・活用、EC活用などについて相談に乗ったりもしています。その他企業内では事業開発、EC加速、越境EC立上げ、など様々なテーマでレクチャー+立上げ支援を実施しています。 こういう生き方は、学生時代、すなわち皆さんと同じころのつまり二十歳あたりの頃のある思いに遡れると思っていますが、それについては最後にお話ししたいと思います。 新卒で就職した会社の倒産 私は東京理科大学の出身です。とにかく旅行が好きで、バックパックを背負って世界中を旅行して回っていました。在学中は中国の四川大学に1年間の短期留学もしました。これには元来の『三国志』好きが大いに関係していたと思います。 1996年に大学を卒業してから、ヤオハンジャパン社に入社しました。大学時代中国に留学したこともあり、アジア展開に注力する会社で働きたいと考えたからです。ヤオハンは小売業で、1990年代の前半までは飛ぶ鳥を落とす勢いの躍進を続けていました。ところが、この巨大な一部上場企業が、私が入社した翌年に倒産してしまいます。これは日本の企業史に残る巨大な倒産としても知られています。これはなかなかショックな出来事でありましたが、就職先の倒産を機に私の人生が本格的に始まったと言ってもよいかもしれません。その後、しばらくの間、東南アジアなどからの輸入水産商社にて製品開発・輸入及び国内販売に従事していました。やはりアジア諸国との仕事をしたくてヤオハンに入ったわけですから、その思いはずっと心にとどまっていたからです。日々とても忙しかったけれども、充実していました。 たいてい人は何かに一生懸命打ち込んでいれば、必要な出会いは向こうからやってきてくれるものです。私の場合、勤め先の倒産から数年してからでした。それは日本を代表するコンサルタント・大前研一氏との出会いです。このご縁から、1999年、大前氏の起業家育成学校(㈱ビジネス・ブレークスルー)の立ち上げに参画する幸運に恵まれました。私が従事したのは国内最大規模の起業家育成プログラムを提供するスクールです。これを機に、同スクールの企画運営に関する統括責任者となり事業戦略・マーケティングを立案・実行してきました。社内新規事業として、企業内アントレプレナー育成サポート事業を立ち上げ、リクルート、三井不動産、NTTドコモなどの大手クライアントを獲得することに成功し、マザーズ上場にも貢献できました。 ビジネス・ブレークスルーから約7年がたち、自分自身もいつか起業することを考えていましたので、2006年、新規事業開発支援のコンサルティング会社フロイデの設立に参画し、役員に就任しています。これは、事業規模に関わりなく、新規事業をスタートしたいという企業は実に多いものの、そのための人員もリソースも不足していて、なかなか着手できずにいる状況を機会と考えたためです。新規事業の専門家は世の中にさほど多くなかったのも理由の一つです。実際に着手してみると、相談件数も着々と伸びて、ホンダ、日経新聞、パナソニック、NEC、東京電力などかなり大手企業の事業開発事案に携わることができました。このフロイデという会社は現在も関わりを持っており、私の複数の活動の一つとして、現在も新規事業のコンサルティングを続けています。 40歳を目前にAmazonへの転職 その間世の中は大きく変化を続けており、私としても、ネットによる世の変化を直接目で見て、学び取りたいという思いがふつふつと湧き上がってきました。そんなときに、Amazonジャパンの求人があることを知り、すでに40歳を目前としていたにもかかわらず応募したら合格してしまいました。ここから、私の大企業との関わりが再度始まったことになります。就職して翌年で倒産したヤオハン以来です。 私がAmazonに入ったのは2012年6月でした。このAmazon体験は、私にとってとても大きなものをもたらしてくれたと思います。まずはインターネット通販 Amazonジャパンホーム&キッチン事業部に配属され、バイイングマネージャーとして販売戦略の立案と実行を任されました。これはかなり重要なポジションで、会社としても私のこれまでの経験やスキルを十分に生かせるように配慮してくれたのだろうと思います。 Amazonで得たことは実に多いのですが、私は三つあると考えています。一つはEC、すなわちネットビジネスの基本が理解できたことです。ECとは何のことかといえば、6つの要素、商品、物流、集客、販売、決済、顧客からなっています。これらへの対応、作戦計画を行うのがバイヤーの仕事です。AmazonのECは世界最高と言ってよく、仕入れはもちろんのこと、マーケティングやアフターサービスまで、多くを学ぶことができました。この体験は独立している現在、とても役に立っています。 第二が世界最高レベルの組織です。Amazonの構築した組織は、巨大でありながら実に柔軟であり、機能的でした。Amazonの組織の一員であることによって、特に大きな組織を動かすためのエッセンスのようなものが会得できたと思っています。 最後がビジネス・パートナーです。仕事をしていると仲間ができます。その仲間がいろいろな情報をもたらしてくれますし、私もいろいろな情報をシェアしたりします。そのような人間関係は、会社を辞めた後も続きます。「人脈」という言い方もしますが、これは仕事の醍醐味だと思います。 Amazonは今あげた三つの要素のどれをとっても一流であったのは間違いありません。その恵まれた環境の中で、とにかく日々の商談を行いました。結果として2,000社以上のEC化サポートの経験を積み上げることができました。 日本工芸㈱を設立--想いをつなぐ工芸ギフトショップ 私がAmazonに在籍したのは約4年です。いつかは独立しようと考えていましたから、退職は当初より織り込み済みでした。私が再び事業を立ち上げたのは、2016年12月のことです。Amazonを退職し、工芸品の越境EC運営を生業とする日本工芸株式会社を設立しました。「想いをつなぐ工芸ギフトショップ」をキャッチコピーにしています。仕事内容は伝統工芸領域のプロデュース・販売事業です。日本の伝統工芸のすばらしさを世界に知っていただきたいと思い、スタートしました。 詳しくはHPをご覧ください。https://japanesecrafts.com/ それ以前から、新規事業開発アドバイザーは長く従事しており、専門領域は、新規事業案策定、実行支援、事業創出の仕組みづくり、人材育成、EC戦略立案、集客支援など多様に展開させていただいています。 私は日本工芸㈱のビジョンを「日本の工芸、職人の技と精神性・製法・技法に宿るこだわりやプロセスを理解し、商品流通・教育など通して製品を愛する日本内外の人、世の中に広げていく」としました。日本ではたくさんの優れた職人がおられ、日々逸品の製作に励んでいます。しかし、伝統工芸品は1983年の5,410億円をピークに、2015年は1,020億円と5分の1にまで減少しています。売上減少に伴い、人手の不足、新商品開発への対応不足なども加わって産地の生産・流通は構造的に疲弊してきているのが現状です。これには、昨今の百均などに見られるように、消費者動向に添う効率よい商品調達・流通が大きく関係しています。所得・消費も減少していますので、「安くてそこそこの」ものに消費者がどんどん吸い寄せられているのでしょう。それに対して、専門店やECなどが十分に対応できていないのではないかということも、日本工芸㈱立ち上げの原動力になっています。 そのために、選定したブランド、産地、工芸品を不易流行なブランドとして発掘するところから始めます。職人さんとじっくり語り合い、文章と画像で語り、販売するようにしています。こうすることによって、国内でハンドメイドによる工芸品をセレクトしてお客様に提供する、目利き役も務めています。それぞれの職人は小規模ですから、広告や大規模なプロモーションを打つことはできませんし、その知識も乏しいのが実情です。日本工芸㈱が行いたいと考えるのは、職人さんに職人さんらしい仕事をしてもらうことです。そのほかの面倒なことは引き受ける。その価値を理解してくれる全国のお客さんをインターネットによって仲介・プロデュースしています。最近では法人による購入も増えてきました。 死ぬまで挑戦したい 私は現在で50歳です。今までいろいろな事業に携わってきました。大企業勤務、企業、コンサルティングなどなかなか経験できない多様な活動ができたのは本当にありがたかったと思います。 事業の形態は実にいろいろあるのですが、私は一番大事なのは「人」だと思うのですね。経営学者のドラッカーも、経営的問題は結局は人の問題に帰着すると語っていたかと思います。私にとっては、仕事そのものの大切さもさることながら、その仕事が社会的に意味を持つためには、やはり人との関係を創生するものがなくてはならないと考えています。新規事業のコンサルを始めたときも、Amazonでの開発業務も、日本工芸㈱の企業もつまるところは、人の力になりたいし、私自身もそこから力を得たいという思いがあったためだと思います。早いうちに海外に出たことで、いろいろな人に会うことができましたし、多くの体験をすることができました。社会人になってからも、ずいぶんたくさんの国を旅行やビジネスで訪れました。これは私が職場を始め居場所をどんどん変えてきたことも関係していると思うのですが、それによって変化していくことが恐くなくなってきたということは言えると思います。世の中は何もしなくても変わっていくものです。むしろ変わっていくことがこの世の本来の姿です。変化していくことを後ろ向きにではなく、積極的に活用していくような生き方を結果としてしてきたように思います。 私は社会人になって27年目になります。その意味では私は一社に就職して長く勤め上げる人生を送ってきたわけではありません。現在もなお複数の仕事を同時に行っています。おそらく現在学生の皆さんも、一社で勤め上げるのではなく、適宜ふさわしい仕事や会社で働いていく人生になると思います。 思い起こせば、学生時代、私はあることを考えるようになりました。それは人はいつか死ぬということです。それはいつかの問題であり、避けることのできないことです。そうであるならば、私は死ぬときに100名の友人がいる状態を理想と思うようになりました。死ぬときに100名。これを実現するためにこれから生きていこうと思ったのです。私の人生ビジョンは「挑戦する精神とともに成長する」です。死ぬまで挑戦して生きたいと日々考えています。挑戦するとは、いつでも生き方を変える準備があるということです。 大学生の皆さんは、現在基礎を築く大事な時期にいるのですから、ぜひ日々を大切に送っていただきたいと思います。技能や技術を担うテクノロジストの皆さんにとって本日のお話が何らかの参考になればと願っております。 Profile 松澤 斉之(まつざわ・なりゆき)1996年 東京理科大学卒業、在学中に中国四川大学に留学同年、ヤオハンジャパンに入社するも翌年倒産1999~2006年 大前研一氏のベンチャー(現㈱ビジネス・ブレークスルー)に参画、マザーズ上場2006年~現在 新規事業開発会社(㈱フロイデ)に参画2012~2016年 アマゾンジャパン ホーム&キッチン事業部シニアバイイングマネージャー2016年~現在 日本工芸㈱ 代表取締役、国内外EC事業、プロデュース事業(卸)、販路開拓支援事業を実施2017年~ SBI大学院大学講師(事業計画演習)2019年~ 独立行政法人中小企業基盤整備機構 中小企業支援アドバイザー 関連リンク 【Fゼミ】私の仕事 #2--私が在籍してきた企業におけるマーケティング 【Fゼミ】私の仕事 #3--自分を活かす 人を活かす 【Fゼミ】私の仕事 #4--歌手としての歩みとライフワーク

  • 【学生による授業レポート #2】受講後もSA(スチューデント・アシスタント)を通じて深める学び

    第2回「学生による授業レポート」をお届けします。今回は建設学科4年の杉山一輝さんが「鋼構造物施工および実習」を紹介します。杉山さんは2年次に「鋼構造物施工および実習」を受講して、4年次ではSA(スチューデント・アシスタント)として実習の運営をサポートしました。学生とSAの両方の視点からのレポートをお届けします。(学年は記事執筆当時) 「鋼構造物施工および実習」について 「鋼構造物施工および実習」は、鋼構造の躯体モデルとして鉄骨部材で構成されたシステム建築を施工する工程を通じて、鋼構造部材の組み立てを中心とした施工管理を学びます。高力ボルトなどの締付け管理や母屋、胴縁などのボルトによる施工要領について学び、筋交いやサグロッドなどの2次部材の役目や施工方法を習得します。 システム建築の特徴 この実習は、株式会社横河システム建築から鉄骨などの部材を提供いただくとともに、社員の方に非常勤講師として来ていただき行われています。横河システム建築は、業界トップシェアを誇るシステム建築と、国内外の大型開閉スタジアムやハワイ天文台のすばる望遠鏡大型シャッター装置など、様々な用途の大型可動建築物を提供する建築製品のトップメーカーです。 システム建築とは、建物を構成する部材を「標準化」することにより、「建築生産プロセス」をシステム化し、商品化した建築です。工場・倉庫・物流施設・店舗・スポーツ施設・最終処分場等に適した建築工法で、建設のうえで想定される検討事項・仕様が予め標準化されているので高品質でありながら、短工期・低価格を実現しています。(株式会社横河システム建築HPより引用:https://www.yokogawa-yess.co.jp/yess01/feature) 完成写真 苦労した点、勉強になった点 2年生で受講した時は、システム建築、鉄骨造と聞いてもイメージが全然湧きませんでした。図面を見て理解するにも時間がかかって施工するにもいろいろ苦労しました。しかし、世の中の鉄骨造の建築物(特に工場・倉庫)はどのように施工されているのかを細かな部分まで実習を通して知ることができ、完成に近づくほど楽しく、面白く感じました。「システム建築」がどのような事なのかも学ぶことができました。 図面確認 3年生になり、SA(スチューデント・アシスタント、以下SA)になってからは、受講生に質問されてもしっかり答えられるように図面をよく確認したり、作業内容を熟知するようにして事前準備をしていました。現場は予定通りにいかないことが多いので臨機応変に対応していくのが大変でした。SAとして、また実習に参加することで、受講当時に分からなかったことが理解できるようになったり、新たな疑問点は見つかったり、毎回の実習が充実していたので参加できて良かったと思います。 SAとして工夫した点 就職活動では、株式会社横河システム建築から内定をいただいたということもあり、SAを2年間経験させてもらっています。一般的にSAという立場は、受講生のサポート役として参加しますが、この実習では規模が大きいということもあり、SAが率先して受講生をまとめています。受講生では危険な作業が少々あり、SAがやらなくてはいけない作業があったりするからです。 工夫したことは、その場その場でいろいろとあります。教授・非常勤講師の打ち合わせに参加して、実習で使用する工具類の確認、授業の流れを把握したりして受講生がスムーズに実習できるように環境づくりを行いました。また、複数人いるSAの中でリーダーでもあったので指示を出したり、自身の分からないことはすぐに非常勤講師に質問して対応できるようにしていました。 SAによる柱設置作業 原稿建設学科4年 杉山 一輝(すぎやま かずき) 関連リンク ・【学生による授業レポート】ジジジジッ、バチバチッ・・・五感で学ぶ溶接技術・建設学科WEBページ

  • 【学生による授業レポート】ジジジジッ、バチバチッ…五感で学ぶ溶接技術

    今回は、学生の目線から授業を紹介します。建設学科1年の佐々木望さん(上記写真左)、小林優芽さん(上記写真右)が「構造基礎および実習Ⅳ」のアーク溶接実習についてレポートします。実習を通じて、学生たちは何を感じ、何を学んでいるのか。リアルな声をお届けします。(学年は記事執筆当時) ものつくり大学の授業について ものつくり大学の特色…それは何といっても実習授業の多さです。なんと授業のおよそ6割が実習であり、実践を通して知識と技術の両方を身に着けることができます。科目ごとに基礎実習から始まり、使用する道具の名称や使い方などを一から学ぶことができます。 本学は4学期制でそれぞれを1クォータ、2クォータと呼び、1クォータにつき全7回の授業と最終試験を一区切りとして履修していきます。今回は、そんな授業の中で建設学科1年次の4クォータで履修する「構造基礎および実習Ⅳ」のアーク溶接実習について紹介します。 アーク溶接の実習とは まず、アーク溶接について簡単に説明すると「アーク放電」という電気的現象を利用して金属同士をつなぎ合わせる溶接方法の一種です。アーク溶接の中にも被覆、ガスシールド、サブマージ、セルフシールドなど様々な種類がありますが、この実習では一般的に広く使用されている被覆アーク溶接を行いました。 アーク溶接の様子 この授業は、講義の中で溶接の基礎知識や安全管理等の法令を学び、実技を通してアーク溶接の技術を身に付けることを目的としています。また、6回目の授業で突合せ板継ぎ溶接の実技試験、7回目の授業で「アーク溶接等作業の安全」をテキストとした試験を行います。その試験に合格した学生には特別教育修了証が発行され、アーク溶接業務を行えるようになります。 実技試験の課題 突合せ溶接 実習では平板ストリンガー溶接、T型すみ肉溶接、丸棒フレア溶接、突合せ板継ぎ溶接といった、数種類の継手の面やコーナー部を溶接する練習を行いました。また、講義では鋼材に関する知識、溶接方法の原理、作業における安全管理、品質における溶接不良の原因や構造物への影響等について学び、試験に臨みました。 実習の流れとしては、まず作業の前に溶接方法の説明を受けます。その後、皮手袋やエプロン、防じんマスク、保護面等の保護具を着用して、3~4人で一班になり、各ブースに分かれて順番に練習を行います。作業中は、実際に現場で活躍されている非常勤講師の先生が学生の間を回り、精度の高い溶接ができるようアドバイスや注意をしてくれます。溶接金属やその周囲は非常に高温になるため、他の実習よりも危険なポイントが多いので作業中だけでなく、準備・片付けもケガ無く安全に行えるよう毎回KY(危険予知)活動をしてから実習に臨みました。 実習を行ってみて 説明ばかりでは授業の様子を想像するのも難しいですよね…。ということで、実際に授業を受けた建設学科1年、小林と佐々木の感想をお届けしたいと思います! ・何を学ぶことができたか 【小林】アーク溶接とは何かを学ぶことができました。もっとも、それを教わるための講義なので何を言ってるんだと思われてしまいそうですが、そもそも私は溶接と無縁の生活を送ってきたので、アーク溶接ってなに?というか溶接ってなんだよ。というところから入りました。1回目の講義の際、どのようなものが溶接で作られているのか紹介していただいたのですが、ほとんどが知らなかったことだったので、とても面白かったのを覚えています。 【佐々木】溶接というのは非常に優れた接合方法だということを学びました。溶接は継ぎ手効率が高く、大型の構造物を作るのに適しています。あの東京スカイツリーはなんと37,000ものパーツを全て溶接することで作られていると知り、世界一高い塔を作る溶接という技術がこんなに小さな機械で、こんなに簡単にできるものなのだと驚きました。また、一口に溶接といっても用途によって材料や溶接方法、継ぎ手の種類などが様々で、その違いを興味深く学ぶことができました。 ・楽しかったこと 【小林】アーク溶接を実技として教わったことがすごく楽しかったです。非常勤の先生方がとても優しく、どのようにすればいいか、どのくらい浮かすのか、どの音で進めていくのかなど一緒に動かしたり、その都度「今離れたよ。もう少し近付けて。そう、その音」と声をかけてくれたりして理解できるようにしてくださったので、すごく分かりやすかったです。そのおかげで綺麗に溶接ができるようになり、すごく褒めてくださることもあって、とても楽しく実習をすることができました。先生が「初めてでここまでできる人は初めて見た」とまで言ってくださったので、とても嬉しく、褒められればやる気が出る単純なタイプなので、やる気もすごく出ました。 【佐々木】練習を重ねて、アドバイスを実践していく度に溶接の精度が上がり、目に見える形でできるようになっていくのが楽しかったです。溶接は五感がとても大切で、保護面越しで見るアーク放電の光だけでなく、ジジジジッ、バチバチッといった音の違いや溶接棒越し感触を頼りに集中し、真っすぐに溶接できた時にはとても達成感を感じました。班の中でも上手な学生から感覚を教えてもらったり、説明を受けながら溶接の様子を見学することで、より学びを深めることができたと思います。講義では、先生から現場での実体験を交えてお話いただいたおかげで楽しく知識を身に着けることができたので、苦にすることなく試験勉強に取り組めました。 実習中の様子 ・苦労したこと 【小林】T字の材料に溶接するところがすごく苦労しました。平面とはまた違った角度をつけて溶接しなければならず、どうにもそれが難しかったです。1層目の溶接は擦りつけながら溶接すると言われ、この前までは浮かせるって言ってたのに?と混乱している中、追い打ちで「この前とは違う角度で溶接する」と言われてしまい、思考が停止したのをよく覚えています。さらに、そのことに気を取られ、前回できていた適切な距離を維持することができなくなり、手が震えて作業している場所が分からず、ズレてガタガタになることを経験して、やっぱり一筋縄ではいかないんだと痛感しました。 T型すみ肉溶接 【佐々木】被覆アーク溶接というのは、細長い溶接棒と溶接金属の母材を溶かし合わせてつなぎ合わせる方法で、溶接を進めるほど溶接棒が溶けていくので、母材と溶接棒の距離を保つのが難しく、溶接の後が上下にずれてしまい大変でした。アークの光が明るすぎて目視では距離の確認ができずに困っていたら、「正しい距離を保てば見えるようになる」と教えてもらい、それからは以前より真っすぐに溶接できるようになりました。また、溶接不良を何か所も発生させてしまい、溶接不良が原因で鉄橋が崩落した大事故についても学んでいたため、仕事としての難しさや、構造物を作っている技術の高さを改めて感じました。 最後に 私たちの授業紹介はいかがでしたでしょうか?建設学科では、今回紹介した構造基礎の授業だけでなく、設計製図や木造、仕上げといった幅広い分野について実習を通して学び、知識と技術を身に着けることができます。 この記事を通して「ものつくり大学って面白そう!」「他にどんな授業をしているのかな」と少しでも興味を持っていただけたらとても嬉しいです。 最後までお読みいただきありがとうございました。 原稿建設学科1年 佐々木 望(ささき のぞみ)       小林 優芽(こばやし ゆめ) 関連リンク ・【学生による授業レポート #2】受講後もSA(スチューデント・アシスタント)を通じて深める学び・建設学科WEBページ

  • 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」④(全4回)~16号線の正体とリベラルアーツの本質~

    ―特別版③「ものづくりがマーケットを変える」の続きです。 柳瀬博一先生(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 教授)を講師に招き、2022年11月24日に開催された教養教育センター特別講演会の内容を全4回にわたりお届けします。 「リベラル・アーツ」「教養」。普段、よく耳にする言葉ですが、その定義は実は曖昧です。柳瀬博一先生が講演の中で、『広辞苑』から参照していますが、やっぱり、「よく分からない」。人によって解釈や定義が異なりがちな「リベラル・アーツ」について、時に古代ギリシャまで遡り、時に自身の著作の事例を交えて、目まぐるしく変わる現代に必要な「リベラル・アーツ」について解き明かします。 これまで3回にわたって紹介してきた特別版の最終回です。第4回は、リベラルアーツの本質について、柳瀬博一先生のご著作『国道16号線』から、16号線沿いに広がる歴史や文化など豊富な事例を織り交ぜながら語ります。 【教養教育センター特別講演会 開催概要】 日時:2022年11月24日(木)14:00~15:20 場所:ものつくり大学 大学本部 A3010大講義室 参加者:本学学生、高校生、一般、教職員 約220名 開催方法:オンライン・対面のハイブリッド レイヤーで見る――『国道16号線』 最後に、私の著書『国道16号線―日本を創った道』(新潮社)に触れておきたいと思います。 国道16号線はどういう道か、326キロあります。スタート地点、横須賀の走水から横浜の真ん中を通って、相模原、町田を抜けて八王子から埼玉県の入間に入ります。入間、川越、上尾、春日部です。さらに千葉県の野田、柏を通って、千葉市の中心を抜けて海岸沿い、市原から木更津、君津、富津の先端に至る。 16号線エリアには一つの固定的なイメージがあります。それは「歴史がない」というイメージです。 国道16号線沿いにはショッピングモールがやたらに多いのです。三井のアウトレットパークは16号線エリアにあります。ショッピングモールカルチャーは、16号線沿いで生まれました。またラーメンのチェーン店が多い。山岡家は16号線に重点的に出店しています。トラックの運転手の方、昼夜問わず、ラーメンを愛好する方が多い。 あるいはヤンキーのイメージ。実際にマイルドヤンキーのイメージが強く、戦後発達した郊外の街という印象もあります。 ニュータウンが実に多い。首都圏の13ニュータウンのうち、6つが16号線エリアです。代表的なのは千葉のニュータウンや洋光台です。 『定年ゴジラ』という重松清氏の名作があります。1990年代の話です。戦後の第1世代が60歳になったときがちょうど小説の設定です。要は、戦後頑張ってきたお父さんたちが必死の思いで買った多摩ニュータウンや、さらに八王子辺りの住宅の一軒家を買った。けれども、子供たちは戻ってこない。そんな話が『定年ゴジラ』には描かれている。その問題は現在にも続いています。 まとめると、戦後発達したニュータウン、画一的なチェーン店展開、歴史がないので文化レベルは低く、高齢化と首都圏集中で過疎になっている。 古い歴史と文化 しかし、歴史がないというのは本当ではない。 16号線エリアの歴史は実に古いからです。どのくらい古いか。3万年です。 16号線エリアには旧石器遺跡も多い。最初の人類が関東に来たとき、16号線エリアに重点的に住んでいる。証拠は貝塚です。日本の貝塚の4分の1から3分の1は16号線エリア、特に千葉サイドに集中している。縄文時代は東京湾に人が集住していた時代だったのです。 その後、弥生時代になると、人がいなくなるイメージがあるのですけれども、それもまったく違う。古墳が多いのを見るとそれがよくわかります。行田のさきたま古墳群は典型ですね。埼玉、千葉は、日本でも有数の古墳エリアです。中世の城が多いのも特徴です。 次に言えるのは、16号線エリアは有数の都会という事実です。人口は1200万人、埼玉、神奈川、千葉の県庁所在地を通っています。郊外のイメージは、東京23区を通っていないからです。それは東京視点にとらわれた発想ですね。 しかし東京以外では、16号線はまったく田舎ではない。大阪、京都、神戸の人口を足したより、16号線沿いは倍以上の規模です。巨大なマーケットです。通っている都市は横浜、日本最大の都市ですから。大阪よりも規模は大きい。他にも相模原、埼玉、千葉を通過している。田舎というイメージは誤りです。 さらに言うと、大学が多い。16号線エリアには110以上の大学が所在している。東工大、東大、千葉大、横国大、東京理科大は16号線沿いです。日本の二大科学研究機関も16号線沿いにある。海洋開発機構(JAMSTEC)は横須賀にあります。宇宙航空開発研究機構(JAXA)は相模原の古淵、どちらも16号線が近い。 きわめつけは、首都圏で人気のエリアということです。2021年から全世代で16号線エリアが人気になってしまった。新型コロナによってリモートが活用されるようになり、大手町や丸の内に満員電車に詰め込まれる必要がなくなってしまった。 ちなみに今、ビジネス拠点で重要なのは千葉です。リモートワークと通販時代で重要なのは物流センターとデータセンターです。埼玉も久喜が今拠点の一つになっています。流山は首都圏最大の物流センターです。楽天、アマゾン、ヤマトが集結しています。オーストラリアの物流企業も集中展開しています。コストコの本社も今年、川崎から16号線の木更津に移ってしまった。本社機能が店の隣にできている。 特筆すべきなのは印西です。1990年代から、首都圏で地盤がしっかりしているので、銀行のデータセンターがありましたが、今はグーグル、アマゾンのデータセンターがある。 元気なニュータウン 16号線沿いのニュータウンが一旦力を失った後、再び元気です。今、平日の昼間などは、保育園の子を載せたカーゴが多く見られる。子育て世代が多い証拠です。 金融からメディアの時代になったのです。千葉ニュータウンはお洒落なスポットで、IT企業勤務のスマートな若者が仕事をしています。 1998(平成元)年の世界の時価総額ランキングを見ると、ほとんどが日本の金融機関、そしてNTTです。それが今どうなっているか。アップル、アマゾン、グーグル、マイクロソフト、フェイスブックなど、金融からメディアの時代に移った。GAFAMは、要するにメディア企業です。価値を生むものが、お金ではなく、情報に変わった。 今、丸の内が何らかの事情で機能しなくなるよりも、印西が機能しなくなる方が日本人にとっては困る。データセンターがありますから、生活が成り立たなくなる。 このことは、本日のリベラルアーツとつながってきます。教養とは、ややもするとパッチワーク状の知識というイメージがあるわけですが、これではただの物知りを教養と誤認しています。そのような物知りは役に立たない。 役に立つとはどういうことか。 情報は、対立するものではなく、レイヤーを異にするものです。同じことを交通の比喩で語るなら、鉄道、地形、道路、徒歩、それぞれのレイヤーが独立しつつ重なっている。ところが、レイヤーで考えないと、「鉄道」対「道路」と対立的に考えてしまう。その時点でもう間違いです。二項対立で語るのは楽なのですが、レイヤーで考えないと実像はほとんどわからない。 16号線の正体は、地形です。大地と丘陵とリアス式海岸と巨大河川による凸凹地形を通っている。その下にはプレートがある。首都圏は、フィリピン、北米、太平洋プレートがぶつかっている世界的にも稀な複雑な地形です。不可思議な地形が残っている。できたのは12万年前です。 面白いのが縄文時代です。私が保全活動を行ってきた三浦半島の小網代という場所がありますが、ここなどはいわゆる「小流域」、手前が川の源流で、小さな川、谷、海が一つになっている。それは人類における居住の基本単位なのです。屋根に住むと治水の問題が不要になります。足元には清流がある。動物が生活し、植物が豊か繁茂し、果物や穀物が採取できる。水をせき止めると田んぼができる。湿原の下手の干潟に行くと、貝がたくさんとれる。その先に大きな海と港湾、河川交通ができる。尾根は道路です。小流域地形を発見して確保するのが日本の為政者が延々と行ってきたことです。 事情は今とあまり変わらない、だから、居住の基本単位が並んでいたのが16号線沿線です。 そこには軍事施設もできたし、生糸文化もできた。軍事と生糸の中心になったので、富国強兵と殖産興業も16号線エリアに発達した。ちなみに、軍事施設で働いていたのが日本のミュージシャンや芸能人です。日本の芸能界は16号線エリアの米軍キャンプで生まれた。ホリプロもナベプロもそうです。その後、彼らから薫陶を受けたのはユーミンやYMOです。 鉄道資本主義の弊害 最後に身近な例を一つ上げておきましょう。日本のまちづくりは鉄道が主体でした。そのせいで私たちは鉄道資本主義の世界を生きてきた。でも、鉄道の時代はもう終わっている。なぜか。道路の発達と自動車の普及が関係しています。それらは1990年代以降本格化している。まだ30年と経っていません。自動車保有は1996年に初めて1世帯1台になる。日本はアメリカより40年遅れていたのです。 モータリゼーションが急速に進むのは1990年代から2000年代で、16号線エリアにショッピングモールが栄えるようになった時期と重なっている。2000年代です。電車は関係ありません。今は自動車資本主義の時代なのに、官僚も大学人も、「電車脳」のままなのです。電車脳が作動している限り日本の地方の再生は望めない。 たぶん効果的なのは、地方ではウーバー・タクシーの活用でしょう。自動車は各家庭に3台ある。当然空いている人もいる。地元の空いている方に来てもらい、届けられます。バスやタクシーの交通不便が解消できます。 そこで、ぜひ行っていただきたいのは―学生は時間があると思うので―住んでいるところの歴史と地理を足で歩いてみると面白い。ショッピングモールは何があるのか、駅は何があるのか、何でもいい。 この辺りは元荒川がありますね。元荒川が本当の荒川だった。この荒川はどこにつながっているのか。16号線沿いの今、重要な日本の東京の首都圏の防水施設があります。首都圏外郭放水路、元荒川はその近隣にあって、利根川の元源流も入っている。 どちらの川も、元の利根川と元の荒川は、埼玉の誇る巨大モール施設。越谷レイクタウンにつながる。なぜ、巨大レイクタウンがあるのか。水の構造がそこにあるからです。歴史のレイヤーと現在の流通のレイヤーと重ねていくと、埼玉エリアのレイヤーが実に多くあり、首都圏の東京より埼玉のほうが栄えていた時期があるのがわかる。 交通が次第に不便になっている地方も、新しいテクノロジーのレイヤーを導入したり、新しいサービスのレイヤーを導入した瞬間に、むしろ暮らしやすくてコストが安く、安全な場所に変わる。それができるのはテクノロジーの力、そしてリベラルアーツ、「伝えるすべ」です。 その両方の観察眼をぜひ育てていただきたいと思います。本日はありがとうございました。 Profile 柳瀬 博一(やなせ・ひろいち) 1964年静岡県生まれ。東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。雑誌「日経ビジネス」の記者、専門誌の編集や新媒体開発などに携わった後、出版局にて『小倉昌男 経営学』『矢沢永吉 アー・ユー・ハッピー』『養老孟司 デジタル昆虫図鑑』『赤瀬川源平&山下裕二 日本美術応援団』『社長失格』『流行人類学クロニクル』など書籍の編集を行う。2018年4月より現職。著書に『国道16号線』(新潮社)、『親父の納棺』(幻冬舎)、共著に『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』(小林弘人と共著 晶文社)、『「奇跡の自然」の守りかた』(岸由二と共著 ちくまプリマ―新書)、『混ぜる教育』(崎谷実穂と共著 日経BP社)。 関連リンク 教養教育センターWEBページ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」①~東京工業大学のリベラルアーツ~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」②~理工系に必須の「伝えるすべ」~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」③~ものづくりがマーケットを変える~

  • 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」③(全4回)~ものづくりがマーケットを変える~

    ―特別版②「理工系に必須の『伝えるすべ』」の続きです。 柳瀬博一先生(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 教授)を講師に招き、2022年11月24日に開催された教養教育センター特別講演会の内容を全4回にわたりお届けします。 「リベラル・アーツ」「教養」。普段、よく耳にする言葉ですが、その定義は実は曖昧です。柳瀬博一先生が講演の中で、『広辞苑』から参照していますが、やっぱり、「よく分からない」。人によって解釈や定義が異なりがちな「リベラル・アーツ」について、時に古代ギリシャまで遡り、時に自身の著作の事例を交えて、目まぐるしく変わる現代に必要な「リベラル・アーツ」について解き明かします。 第3回です。現代はスマホによって、誰もがメディアになれる時代になりました。そのメディアを構成する3つのレイヤー、そして理工系とリベラルアーツのつながりについて紹介します。 【教養教育センター特別講演会 開催概要】 日時:2022年11月24日(木)14:00~15:20 場所:ものつくり大学 大学本部 A3010大講義室 参加者:本学学生、高校生、一般、教職員 約220名 開催方法:オンライン・対面のハイブリッド 誰もがメディア化した さらに言うと、企業も大学もマスメディア化しています。インターネット革命の結果です。東工大のサイトも、もうメディア化を進めていますし、さらにコロナになって誰しもがメディア化するのが当たり前になりました。学生の皆さんも先生方も、Zoomや何かで授業を行ったり情報発信したりする。テレビに出ていることと何も変わらないのです。 誰もがマスメディア化したということです。実際にマスメディア化した個人をさらにテレビが放送する逆転現象まで出てきています。池上氏を撮るZoom講義をテレビ東京が来て取材するという、舞台裏の舞台裏を撮るみたいなことが現実に起きている。 池上氏のZoom講義を取材するテレビ東京 では、それを今起こしている道具は何か。テレビや新聞や雑誌ではない。スマホですね。スマホとネットがあれば誰でもマスメディアになれる。ユーチューブの情報発信、あるいはTikTok、ツイッターはスマホでできる。ネットにつなげれば、誰でもマスメディアになれるのです。 皆さんのお手元にあるスマホには、過去のメディアがすべて入っています。AbemaTVは典型ですけれども、NHKプラス、TVer、全局が何らかの形で行っています。ちなみに、これも日本が遅れています。世界中のテレビ局は、フルタイムをインターネットで見られます。 ラジオはRADIKOやラジオクラウドということで、こちらもほぼ聞けますよね。音楽はSPOTIFYがスタートでしたけれども、アマゾン、アップルなどでも聴ける。要するに、ほとんどすべての曲がもう今スマホで聴けます。 書籍はもちろん、アマゾンを筆頭に電子書籍で読めるし、ゲームも大半はアプリでできる。すべての新聞がアプリ化しています。唯一気を吐いているのは漫画です。小学館、講談社、集英社は去年、一昨年と過去最高収益です。漫画だけは電子のほうに移って、さらに知的財産コンテンツビジネスに変わった。『少年ジャンプ』(集英社)は、1996年に630万部が売れました。2022年の4月でもう129万部です。それだけ見ると、マーケットが激減したと思うのですが、漫画マーケットの売上げは、かつてのピークが4500億円、今は6000億円です。電子書籍も課金ができるようになった。まったく変わったのです。 しかも、ここからスピンアウトした漫画やアニメーションがNetflixやアマゾン・プライムで拡散していくので、知的財産ビジネスの売上が桁違いになっています。雑誌もDマガジンをはじめとして、ウェブになりました。 映画を含む新しい映像プラットフォームとしてNetflix、アマゾン・プライム、Hulu、U-NEXTなど実に多彩です。SNSは従来の手紙や独り言ですね。電話もできる。 メディアは理工系が9割 では、スマホは何か。ハードですね。ハードは本来科学技術の固まりです。 新しいメディアは、コンテンツが先に生まれるわけではない。新しいハードウェアとプラットフォームの誕生によって生まれてくるものです。 古い例で言えば、ラジオ受信機が誕生して初めて人々はラジオを聴けるようになった。ラジオ受信機がないと、ラジオを聴取する構造ができない。あるいはテレビ受像機が誕生して初めてテレビを視聴できるようになった。 ソニーで言うと、携帯カセットテープレコーダーというマーケットはなかった。ウォークマンが先です。概念を具体化することが大切で、マーケットは後からできる。その順番がしばしば勘違いされています。常に具体的なピンポイントの製品からマーケットは広がっている。 同じようにスマホが登場して初めてネットコンテンツをどこでも見られる構造ができる。概念が先ではないのです。具体的なハードウェアが先に誕生したからです。 マーケットを変えるのは常に製品、すなわち、ものづくりです。この大学の名前のとおり、ものづくりがマーケットのゲームチェンジを常時行います。 むしろ、ここ20数年間のものづくりの世界は、決定的に外部化、すなわちアウトソースするパターンが増えました。アップルは自社でほとんど作っていない。アパレル業界に近いのです。ナイキやオンワード樫山、あるいはコム・デ・ギャルソンは自社で製品は作らない。つくっているのは概念です。概念をつくって、設計図を渡して、ものづくりは協力工場に発注しています。トヨタ自動車をはじめ、メーカーは今それを相当行っている。自社でつくっているのはごくわずかです。 例えば、アップルがワールドエクスポでiPhoneの発売を発表したのは2007年です。まだ14~15年しかたっていない。ソフトバンクの孫正義社長が頼み込んで、2008年、iPhone3G、KDDIが入ったのは、東日本大震災「3・11」の後のことでした。2011年10月です。だから、3・11が起きたときは、スマホはまだ誰も持っていなかった。あのとき、さまざまな映像が飛び交いましたけれども、携帯電話によってでした。ユーチューブではなく、ほとんどはユーストリームです。 だから、今のスマホ、ユーチューブの世界はだいぶ前からあるように錯覚していますが、まだ10年もたっていない。最近といってよいのです。ドコモが参入してからまだ10年もたっていない。 では、何がゲームチェンジャーになったか。ドコモ、KDDIもソフトバンクも関係ない。アップルです。アップルがiPhoneという概念を製造して、形にして爆発的に普及させた。グーグルなどが追随して、ギャラクシーなどのスマホを作った。だから、マーケットのほうが製品より後です。これも勘違いされています。順番から言ってiPhoneが先でスマホが後です。 情報生態圏の基盤 メディアは、次の3つのレイヤーからできています。 ハードウェア、コンテンツ、プラットフォームです。ハードウェアは再生装置です。コンテンツは番組その他、プラットフォームは、コンテンツのデリバリー・システムです。この3つがメディアの情報生態系の基本なのです。 ラジオの場合は、ハードウェアはラジオ受信機ですね。コンテンツはラジオ番組です。プラットフォームは放送技術、放送局の仕組みです。テレビも同様ですね。テレビ受像機に替わるだけです。 新聞の場合は、紙の束がハードウェアです。コンテンツは記者の書く記事、プラットフォームは新聞印刷と宅配の流通システムです。だから、ある意味で新聞は究極の製造業です。ほとんどを自社で行っている。 出版社は、ハードウェアは書籍や雑誌の紙の束、コンテンツは記事、小説、テキストです。プラットフォームは出版流通と印刷になります。レイヤー構造から読み解くと、出版と新聞は似て非なるものです。メディアで自社が何も行っていないのは出版です。出版はアイデア・ビジネスなのです。 ゲーム、ハードウェアはゲームソフトとゲームプレイヤーです。プラットフォームは個々のゲーム規格ですね。ゲーム規格によって再生できるゲームが違います。それを行っているのは任天堂、あるいはマイクロソフトのXボックスなどを想起するとよい。 究極にわかりやすいのが、聖書です。聖書は紀元前1400年前です。今から3400年前に「十戒」ができる。このときは粘土板なわけです。粘土板に「十戒」が刻まれている。この場合コンテンツは「十戒」ですけれども、プラットフォームは当時生まれたばかりの文字、ハードウェアは粘土板ですね。「死海文書」になると、羊皮紙にきれいな手書きとなる。ということは、コンテンツは同じです。ハードウェアは羊皮紙、プラットフォームは羊皮紙を作る技術です。 さらに15世紀のグーテンベルグの活版印刷になります。一気に聖書がベストセラーになります。ハードウェアは紙の束になります。コンテンツは同じ聖書です。プラットフォームは活版印刷工房です。それが500年たつと、世界最大のベストセラーになる。 これが電子版に変わるとどうなるか。ハードウェアはキンドルやスマホになる。聖書のコンテンツは変わりません。プラットフォームはキンドルの規格であるインターネットです。スマホになると、今度はアプリになります。ハードウェアはスマホです。この場合もコンテンツは変わらない。プラットフォームはアップル、グーグルのApp storeになったとしても、聖書の中身は変わらないのです。変わっているのはプラットフォームとハードウェアです。 今見ていてもわかりますが、メディアのハードウェアとプラットフォームは、科学と技術の進歩で変わるものです。特にインターネットの時代になって、ハードウェアが一気に進化していきます。ということは、ハードウェアの変化が新しいメディアです。けれどもコンテンツはほとんど変わっていない。優良なコンテンツは、ハードウェアとプラットフォームが変わるごとに、中身を変えずに少しずつ表現を変えているだけで、本質的には変わっていないのです。 結局、どういうことか。前者のハードウェア制作は理工系の仕事なのです。後者のコンテンツは伝えるわざだから、リベラルアーツの産物ということです。これは理工系、文系ではない。ここには理工系、文系、アートなどのあらゆる知識が入っている。 ―特別版④「16号線の正体とリベラルアーツの本質」に続きます。 Profile 柳瀬 博一(やなせ・ひろいち) 1964年静岡県生まれ。東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。雑誌「日経ビジネス」の記者、専門誌の編集や新媒体開発などに携わった後、出版局にて『小倉昌男 経営学』『矢沢永吉 アー・ユー・ハッピー』『養老孟司 デジタル昆虫図鑑』『赤瀬川源平&山下裕二 日本美術応援団』『社長失格』『流行人類学クロニクル』など書籍の編集を行う。2018年4月より現職。著書に『国道16号線』(新潮社)、『親父の納棺』(幻冬舎)、共著に『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』(小林弘人と共著 晶文社)、『「奇跡の自然」の守りかた』(岸由二と共著 ちくまプリマ―新書)、『混ぜる教育』(崎谷実穂と共著 日経BP社)。 関連リンク 教養教育センターWEBページ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」①~東京工業大学のリベラルアーツ~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」②~理工系に必須の「伝えるすべ」~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」④(全4回)~16号線の正体とリベラルアーツの本質~

  • 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」②(全4回)~理工系に必須の「伝えるすべ」~

    ―特別版①「東京工業大学のリベラルアーツ」の続きです。柳瀬博一先生(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 教授)を講師に招き、2022年11月24日に開催された教養教育センター特別講演会の内容を全4回にわたりお届けします。「リベラル・アーツ」「教養」。普段、よく耳にする言葉ですが、その定義は実は曖昧です。柳瀬博一先生が講演の中で、『広辞苑』から参照していますが、やっぱり、「よく分からない」。人によって解釈や定義が異なりがちな「リベラル・アーツ」について、時に古代ギリシャまで遡り、時に自身の著作の事例を交えて、目まぐるしく変わる現代に必要な「リベラル・アーツ」について解き明かします。第2回は、日本の大学、とりわけ理工系が抱える課題である女子率の低さに始まり、リベラルアーツの源流、そして、リベラルアーツとは何であるか紐解いていきます。【教養教育センター特別講演会 開催概要】日時:2022年11月24日(木)14:00~15:20場所:ものつくり大学 大学本部 A3010大講義室参加者:本学学生、高校生、一般、教職員 約220名開催方法:オンライン・対面のハイブリッド 女子率の低さという問題 日本はトップ大学の女子比率が低いままです。とりわけ理工系は低い。東工大も例外ではありません。世界的でもまれに見るひどい状態です。大学教育がまだ途上にある事実を示している。 誰しもが危機感を抱くべきなのですが、日本の高学歴学生たちもそれが問題とは認識していない。これは日本のどこへ行っても変わりません。       日本がどのくらい遅れているか。データを見ると明らかです。 東京大学でたった19.3%です。京都大学22.5%、一橋大学で28.4%です。これらの数字を見るとおおよそわかりますね。早稲田大学、慶應義塾大学もともに4割に達していません。 では、世界はどうか。世界の大学ランキングを見ると、女子の比率はオックスフォード大学で47%、カリフォルニア工科大学36%、ハーバード大学もほぼ1対1です。スタンフォード大学は46%、ケンブリッジ大学は47%、ほとんど1対1です。MIT(マサチューセッツ工科大学)も4対6です。MITは2000年代に学長と経済学部長がそれぞれ女性でした。プリンストン大学は47%です。UCバークレーは女性が多い。イェール大学も同様です。 興味深いのはジョンズ・ホプキンス大学ですね。世界最高峰の医学部を持つ大学です。女性のほうが多い。ペンシルバニア大学は世界最高峰のMBAを持つ大学です。スイスのETHですら、3割は女子です。北京大学、清華大学も同様です。 こうして見ると、女子比率は、コーネル大学、シンガポール国立大学いずれも、1対1です。デューク大学も女子のほうが多い。 日本の問題がおわかりと思います。東大も京大も東工大も入っていない。問題は深刻です。人口における男女比率は1対1です。男性と女性に生まれついての知的能力差はありません。男性の方が理工系に向いているというのも嘘であることが数多くのデータから証明されております。あらゆる日本の大学がこの異様に低い女子比率を変えなければいけません。東工大では今女性が増える戦略を取り始めています。ご期待ください。 リベラルアーツとは「伝えるすべ」である リベラルアーツ教育についてお話しします。大学に加わって改めて感じたのは、リベラルアーツ、あるいは教養については、案外定義がきっちりしていない、ということでした。 『広辞苑』(岩波書店)に載っている「リベラルアーツ」の定義を参照しましょう。 「教養、教え育てること、社会人にとって必要な広い文化的な知識、単なる知識ではなくて、人間がその素質を精神的・全人的に開化・発展させるために学び養われる学問や芸術」とある。 よくわからない定義です。 リベラルアーツとは、「職業や専門に直接結びつかない教養。大学における一般教養」、こう書いてあるわけですね。これらは、日本の現実を表現しています。要するに、般教(パンキョー)がリベラルアーツだと信じ込まされてきた。 考えてみてください。文科系大学に進むと、生物学や数学や物理学、一般教養として履修しますね。東工大のような理科系大学に行くと、政治学、経済学、哲学、文学は一般教養になる。ということは、学問分野と教養教育、リベラルアーツ教育とは、関係がないことになる。先の『広辞苑』の設定が近い。だから大学生からすると、専門に移るまでにぬるく教わるクイズ的知識みたいなものを何となく教養と思っている。クイズ番組が教養番組として流れているのは、逆に言うとマーケットの認識を正確に反映しているということです。 こういうときは、源流を紐解いてみるのがよい。リベラルアーツの由来は何なのか。 リベラルアーツとは、古代ギリシャの「自由七科」が源流です。2種類あります。言語系3つ、文法・弁証法、あるいは論理学、さらに修辞学です。数学系では4つ、算術・幾何学・音楽・天文学です。リベラルアーツは「アルテス・リベラレス」ですね。 もともと紀元前8年、ポリス(都市国家)が古代ギリシャに生まれたときに、自由市民と奴隷に分かれていました。その頃の奴隷とは、現場仕事に従事する人々です。それぞれの必須知識がパイデイアとテクネーです。学ぶことが違う。パイデイアは、どちらかというと教養のイメージ、テクネーは実学です。 理由の一つは、ギリシャの弁論家イソクラテスが修辞学校をつくったことにあります。その頃は、演説が重視されていた時代だったので、弁舌を磨くための学校ができたわけです。それが修辞学です。さらに、演説のときは比喩を使いこなす必要がありました。古典を見栄えよく用いなければならない。そこで文法を教え、さらに演説で説得力ある美しい論理展開のために弁証法を学ぶ。その段でいくと、弁論術の一環として、先の語学系教育の基盤ができた。アルテス・リベラレスの言語系三科はこれらにあたるわけです。 では、数学系はどうか。かの哲人プラトンです。プラトンがアカデメイアをつくる。イソクラテスとは対照的に、世界は法則に満ちていると言ったのがプラトンですね。そこで、プラトンは算術、幾何学、そして世界の音を分割して数字で表す音楽、そして、地球から見る世界のことわりを探求する天文学です。 イソクラテスとプラトンは互いに反目し合っていたのですけれども、その後、セットにして教えるのがふさわしいということで、ローマ時代になって7科の原形ができる。クアドリウィウム、算術・音楽・幾何学・天文学を四科でクリドル、4つです。文法・修辞学・弁証法を三学、トリウィウムですから3つですね。 上級学校は3つありました。神学部、要は聖職者養成です。ローマ・カトリックが強大な力を持っていたためです。次に法律、政治家養成ですね。そして医学、内科医。まさに教養課程として7科、リベラルアーツの7学科があったということです。 ではこのリベラルアーツ7科とはなんでしょうか。実は全て「伝えるすべ」なんです。 イソクラテスの方は、言葉、物語です。文系的な「伝えるすべ」ですね。すなわち、いかに物語の構造で人に世界をわかりやすく伝えるかに関わっている。 プラトンの方は、数学です。理工系的な「伝えるすべ」です。算術、幾何学、音楽、天文学を使って、やはり人にわかりやすく、論理的に世界を伝える。文系、理工系のそれぞれの方法を使った「伝えるすべ」がリベラルアーツと呼んでいたということになります。つまり「伝える力」、すなわちメディア力です。 メディア力こそが教養の根幹である。池上彰氏や出口治明氏(APU(立命館大学アジア太平洋大学)学長)の本がよく読まれています。これらはお手軽に見えますが、実はそうではない。あの2人の取組みがリベラルアーツの本質を構成している。  一人ではわからないことを、まさに物語と論理で教えてくれているからです。だから、専門家はリベラルアーツの能力を持ち、わかりにくいことを伝えるすべを持つことが必要で、教養とは伝える力にかかっているのです。 理工系はメディアの当事者 そこでメディア論です。私は東工大でメディア論を教えています。 まず、理工系出身者はメディアの当事者であると伝えます。 というのも、理工系出身者が今ますますジャーナリズムの担い手になっている。そもそもメディア仕事は8割が理工系の仕事です。だから、理工系の学生にとって、メディアについて学ぶことは、伝える力、リベラルアーツそのものであり、同時に本業と心得るべきです。これが意外と認識されていません。 では、なぜ当事者なのでしょうか。 大隅良典先生は東工大の教授です。2016年10月のノーベル賞学者です。大隅先生がノーベル賞を受賞したとき、東工大のすずかけ台キャンパスで記者会見が行われています。まさに、メディアの当事者ということだ。まさにリベラルアーツが要求されるわけです。世界の誰よりも詳しい知識を、誰にでもわかりやすく説明することが期待されているからです。 私が徹底的に教えているのは、情報発信の仕方に関わっています。「伝える力」としてのリベラルアーツは理工系の研究者にとって必須の道具です。なぜなら、論文を執筆する、学会発表を行う、研究室でプレゼンする、あるいは経営会議に入って理工系のことがわからない投資家に資金を拠出してもらう、新製品を記者会見でレクチャーする、いずれも説明がきちんとできないと話にならない。すべてメディア当事者の仕事なのです。 さらに言うと、メディア・ジャーナリズムの取材対象としては、好むと好まざるとにかかわらず、アサインされる事案は理工系の人ほど多いのです。研究失敗の記者会見、工場の事故の説明、会社の研究・技術関係の不祥事。典型は福島の原発事故でしたね。東京電力福島第一原子力発電所所長の吉田昌郎氏は東工大の出身者ですが、吉田氏の伝える力が現場を救った。  現下のコロナなどはさらに典型と言ってよい。例えば西浦博氏(北海道大学教授)は、「8割おじさん」で知られますが、「8割」というわかりやすいキャッチコピーで、集団の公衆感染問題を相当に回避できた。マスク着用や人との接触を8割減らすと、指数関数的に感染を減少させられると指摘した。背景には複雑な計算が存在しつつも、キャッチコピーとして「8割」を使ったわけです。天才的な伝える力です。 このような人々は、科学と技術をよく理解した上で、しかもわかりやすく、受け手に目線を合わせて、根気強く伝えた。日本のコロナ対策はいろいろ言われていますけれども、最終的に感染者数・死者数の圧倒的には少なさは紛れもない事実です。専門家がジャーナリストになってくれたおかげです。 理工系の出身者はジャーナリズムにとって必須の存在になっています。というのは、時代の変革期は、テクノロジーの変革期であり、テクノロジーを誰にでもわかるように説明できるかどうかが重大な意味を持つためです。文系出身者がそれを行うのは相当に困難です。理工系出身者がリベラルアーツ力を生かしてメディアになってもらわなければ世の中が困ります。 ―特別版③「ものづくりがマーケットを変える」に続きます。 Profile   柳瀬 博一(やなせ・ひろいち) 1964年静岡県生まれ。東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。雑誌「日経ビジネス」の記者、専門誌の編集や新媒体開発などに携わった後、出版局にて『小倉昌男 経営学』『矢沢永吉 アー・ユー・ハッピー』『養老孟司 デジタル昆虫図鑑』『赤瀬川源平&山下裕二 日本美術応援団』『社長失格』『流行人類学クロニクル』など書籍の編集を行う。2018年4月より現職。著書に『国道16号線』(新潮社)、『親父の納棺』(幻冬舎)、共著に『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』(小林弘人と共著 晶文社)、『「奇跡の自然」の守りかた』(岸由二と共著 ちくまプリマ―新書)、『混ぜる教育』(崎谷実穂と共著 日経BP社)。 関連リンク 教養教育センターWEBページ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」①~東京工業大学のリベラルアーツ~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」③(全4回)~ものづくりがマーケットを変える~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」④(全4回)~16号線の正体とリベラルアーツの本質~

  • 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」①(全4回)~東京工業大学のリベラルアーツ~

    柳瀬博一先生(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 教授)を講師に招き、2022年11月24日に開催された教養教育センター特別講演会の内容を全4回にわたりお届けします。「リベラル・アーツ」「教養」。普段、よく耳にする言葉ですが、その定義は実は曖昧です。柳瀬博一先生が講演の中で、『広辞苑』から参照していますが、やっぱり、「よく分からない」。人によって解釈や定義が異なりがちな「リベラル・アーツ」について、時に古代ギリシャまで遡り、時に自身の著作の事例を交えて、目まぐるしく変わる現代に必要な「リベラル・アーツ」について解き明かします。第1回は、柳瀬博一先生が在籍する東京工業大学のリベラルアーツ教育の歴史、特徴的なカリキュラムについて紹介します。【教養教育センター特別講演会 開催概要】日時:2022年11月24日(木)14:00~15:20場所:ものつくり大学 大学本部 A3010大講義室参加者:本学学生、高校生、一般、教職員 約220名開催方法:オンライン・対面のハイブリッド 東京工業大学のリベラルアーツ教育 私が現在在籍する東京工業大学は、リベラルアーツ研究教育院を2016年から開設しています。国立大学でリベラルアーツを冠に持つ学部・学院は、東工大が初めてかもしれません。 私は日経BP社という出版社で、記者、編集者、プロデューサーの業務に携わってきました。メディアの現場に身を置いてきました。その私がご縁がありまして、2018年から東工大のリベラルアーツ研究教育院に参加することになりました。現在は、テクノロジーとメディアの関わりあいについて、学生たちに教えております。 まず、東工大がどのような教養教育を行っているのか、大きな特徴は、教養教育を1年生から修士、博士課程で一貫して行うこと。大学の教養課程って、普通1年生2年生でおしまいですよね。東工大は学部4年、修士2年、さらに博士課程でもリベラルアーツ教育を施しています。 改革以前から、東工大はリベラルアーツ教育ではしかるべき定評を得てきた大学です。特に戦後新制において、東京大学をしのぐほどに進んでいるとされた時代がありました。そのときは小説家の伊藤整、KJ法で著名な川喜田二郎など日本のリベラルアーツの牽引者となる人たちが教鞭をとっていました。比較的近年では文学者の江藤淳氏がその列に加わります。 1990年代、大学の実学志向が強くなったときに、教養教育部門は、あらゆる大学で細っていった。その反省もあって、2000年代から再び大学の教養教育を見直す趨勢の中で、リベラルアーツ教育復権の旗印のもと東工大が目指したのは、いわゆるくさび形教育、教養教育を必須とする授業構成になります。 そのために、環境・社会理工学院をはじめさまざまな「縦軸」の大学院と学部をセットにした学院が設立され、他方で「横軸」だったリベラルアーツ研究教育院を組織として独立させた。現在60数名の教員が在籍しています。 もう一つ興味深いのが、東工大は理工系の大学ながらも、学部生が、リベラルアーツ研究教育院の教員のもとで研究を行う道が用意されています。大学院では、社会・人間科学コースが設置されており、人文科学系の学生が多く在籍しています。他大学や海外から進学してくる人もいれば、社会人入学の方、そして学部時代は東工大で理系だった学生もいます。私のゼミも昨年度の学生は東工大の内部進学者でした。情報工学を学んだあと、2年間みっちりテクノロジーとメディアの革新について素晴らしい修士論文を書き上げて、修了しました。最近、サントリー学芸賞を取った卒業生も、この大学院からは出ております。東工大というと理工系のイメージが強く、事実理工系の大学なのですけれども、リベラルアーツからも専門家も育っています。 先鞭をつけた池上彰氏 東工大がリベラルアーツ教育を復権させようと考えたのは2010年代初頭からとなります。このときに基盤を固められたのが哲学の桑子敏雄名誉教授、そして2022年春までリベラルアーツ研究教育院初代学院長を務められた上田紀行教授でした。その折に、大学の目玉になる先生を呼ぼうと考えた。しかも、純粋なアカデミシャンではなくて、リベラルアーツを広く豊かに教えられる外部の先生を呼ぼうということになったのです。白羽の矢が立ったのは池上彰氏でした。 リベラルアーツ研究教育院では、大学入学と同時に全学生が「立志プロジェクト」を受講します。2019年までは、大講堂で池上彰さんや外部から招いた専門家が講義を行いました。ここ3年はコロナ禍に対応して、動画配信で対応しています。これまでに劇作家の平田オリザ氏、水俣病のセンターの当事者の方など多彩な方が壇上に上がり講義を行っています。 次の週は、大学としては珍しいことですが、クラスを作るのです。27~28人を40組、リベラルアーツの先生全員が担任を持ちます。グループワークを行って、登壇者の話を批評的に論じるのです。グループワークでは自己紹介を行い、互いの人となりを知った上で、授業のサマリーをまとめて発表する。計5回繰り返し、最終的にこの大学で何を学びたいのか、つまり「志」を提出してもらい、まとめて発表する。大切なのは、必ず発表を伴うものとすることです。これが立志プロジェクトの「少人数クラス」の基本進行デザインです。 しかし、これで終わりではありません。3年生の秋には「教養卒論」の授業があります。普通、3年生になったら専門課程に進んで、教養科目の授業はおしまい、という大学が多いと思います。東工大は3年生全員が秋冬の15回の授業で、自分のこれから進む分野や興味と3年間で身につけた教養を掛け算して1万字の「教養卒論」を書いてもらうのです。最終的に優れた論文は表彰します。翌年夏には教養卒論の発表会を大講堂で行います。相当数の学生が集まります。見栄えのするパワポを準備して、本気で発表に臨む。 教授陣の紹介サイト それともう一つ、私が東工大に移籍して取り組んだしごとについてもお話しておきましょう。それは大学の教授陣の紹介サイトをつくることでした。日本の大学は公式の教員プロフィールが一覧で見られるサイトがあまりないんです。これは私がメディアにいた頃から、疑問に思っていたことでした。企業もIR関連情報のところに役員の詳しいプロフィールが載っていないことがあります。企業のIRで重要なのは、経営陣の顔が出ていること、人柄がわかること、活動内容がクリアであることです。つまり、経営陣自体がコンテンツになっていなければならない。 では、大学はどうか。大学における最大の財産は―最終的には学生ですけれども―入学時においては教授陣ですね。メディア出身の特技を生かして東工大のリベラルアーツ研究教育院のインタビューサイトをつくりました。インタビューも私が行っています。 全ての先生方を平等に見せるように心がけました。先生方の研究内容、教育の取組み等々、いわば小さな「私の履歴書」のようなサイトを一覧で見られるようにした。これは好評でした。実際に外部の方々が東工大の先生にアプローチしたい、インタビューしたい、相談に乗ってほしいというとき、有効に活用していただいています。 ―特別版②「理工系に必須の『伝えるすべ』」に続きます。 Profile 柳瀬 博一(やなせ・ひろいち) 1964年静岡県生まれ。東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。雑誌「日経ビジネス」の記者、専門誌の編集や新媒体開発などに携わった後、出版局にて『小倉昌男 経営学』『矢沢永吉 アー・ユー・ハッピー』『養老孟司 デジタル昆虫図鑑』『赤瀬川源平&山下裕二 日本美術応援団』『社長失格』『流行人類学クロニクル』など書籍の編集を行う。2018年4月より現職。著書に『国道16号線』(新潮社)、『親父の納棺』(幻冬舎)、共著に『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』(小林弘人と共著 晶文社)、『「奇跡の自然」の守りかた』(岸由二と共著 ちくまプリマ―新書)、『混ぜる教育』(崎谷実穂と共著 日経BP社)。 関連リンク 教養教育センターWEBページ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」②(全4回)~理工系に必須の「伝えるすべ」~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」③(全4回)~ものづくりがマーケットを変える~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」④(全4回)~16号線の正体とリベラルアーツの本質~

  • 震災復興の願いを実現した「集いの場」建設

    村上 緑さん(建設学科4年・今井研究室)は、2022年3月下旬、ある決意を胸に父親と共に大学の実習で使用した木材をトラックに積み込み、ものつくり大学から故郷へ出発しました。それから季節は流れて、11月末。たくさんの人に支えられて、夢を叶えました。 故郷のために 村上さんは、岩手県陸前高田市の出身。陸前高田市は、2011年3月11日に発生した東日本大震災での津波により、大きな被害を受けた地域です。全国的にも有名な「奇跡の一本松」(モニュメント)は、震災遺構のひとつです。当時住んでいた地域は、600戸のうち592戸が全半壊するという壊滅的な被害を受けました。 奇跡の一本松 11歳で震災体験をし、その後、ものつくり大学に進学し、卒業制作に選んだテーマは、故郷の地に「皆で集まれる場所」を作ること。そもそも、ものつくり大学を進学先に選んだ理由も、「何もなくなったところから道路や橋が作られ、建物ができ、人々が戻ってくる光景を目の当たりにして、ものづくりの魅力に気づき、学びたい」と考えたからでした。 震災から9年が経過した2020年、津波浸水域であった市街地は10mのかさ上げが終わり、地権者へ引き渡されました。しかし、9年の間に多くの住民が別の場所に新たな生活拠点を持ってしまったため、かさ上げ地は、今も空き地が点在しています。実家も、すでに市内の別の地域に移転していました。 そこで、幼い頃にたくさんの人と関わり、たくさんの経験をし、たくさんの思い出が作られた大好きな故郷にコミュニティを復活させるため、元々住んでいた土地に、皆が集まれる「集いの場」を作ることを決めたのです。 陸前高田にある昔ながらの家には、「おかみ(お上座敷)」と呼ばれる多目的に使える部屋がありました。大切な人をもてなすためのその部屋は、冠婚葬祭や宴会の場所として使用され、遠方から親戚や友人が来た時には宿泊場所としても使われていました。この「おかみ」を再現することができれば、多くの人が集まってくると考えたのでした。 「集いの場」建設へ 「集いの場」は、村上さんにとって、ものつくり大学で学んできたことの集大成になりました。まず、建設に必要な確認申請は、今井教授や小野教授、内定先の設計事務所の方々などの力を借りながらも、全て自分で行いました。建設に使用する木材は、SDGsを考え、実習で毎年出てしまう使用済みの木材を構造材の一部に使ったほか、屋内の小物などに形を変え、資源を有効活用しています。 帰郷してから、工事に協力してくれる工務店を自分で探しました。古くから地元にあり、震災直後は瓦礫の撤去などに尽力していた工務店が快く協力してくれることになり、同級生の鈴木 岳大さん、高橋 光さん(2人とも建設学科4年・小野研究室)と一緒にインターンシップ生という形で、基礎のコンクリ打ちや建方《たてかた》に加わりました。 地鎮祭は、震災前に住んでいた地元の神社にお願いし、境内の竹を四方竹に使いました。また、地鎮祭には、大学から今井教授と小野教授の他に、内定先でもあり、構造計算の相談をしていた設計事務所の方も埼玉から駆けつけてくれました。 基礎工事が終わってからの建方工事は「あっという間」でした。建方は力仕事も多く、女性には重労働でしたが、一緒にインターンシップに行った鈴木さんと高橋さんが率先して動いてくれました。さらに、ものつくり大学で非常勤講師をしていた親戚の村上幸一さんも、当時使っていた大学のロゴが入ったヘルメットを被り、喜んで工事を手伝ってくれました。 建方工事の様子 大学のヘルメットで現場に立つ村上幸一さん 2022年6月には、たくさんの地元の人たちが集まる中で上棟式が行われました。最近は略式で行われることが多い上棟式ですが、伝統的な上棟式では鶴と亀が描かれた矢羽根を表鬼門(北東)と裏鬼門(南西)に配して氏神様を鎮めます。その絵は自身が描いたものです。また、矢羽根を結ぶ帯には、村上家の三姉妹が成人式で締めた着物の帯が使われました。上棟式で使われた竹は、思い出の品として、完成後も土間の仕切り兼インテリアとなり再利用されています。 震災後に自宅を再建した時はまだ自粛ムードがあり、上棟式をすることはできませんでした。しかし、「集いの場」は地元の活性化のために建てるのだから、「地元の人たちにも来てほしい」という思いから、今では珍しい昔ながらの上棟式を行いました。災いをはらうために行われる餅まきも自ら行い、そこには、子どもたちが喜んで掴もうと手を伸ばす姿がありました。 村上さんが描いた矢羽根 餅まきの様子 インテリアとして再利用した竹材 敷地内には、東屋も建っています。これは、自身が3年生の時に木造実習で制作したものを移築しています。この東屋は、地元の人たちが自由に休憩できるように敷地ギリギリの場所に配置されています。完成した今は、絵本『泣いた赤鬼』の一節「心の優しい鬼のうちです どなたでもおいでください…」を引用した看板が立てられています。 誰でも自由に休憩できる東屋 屋根、外壁、床工事も終わった11月末には、1年生から4年生まで総勢20名を超える学生たちが陸前高田に行き、4日間にわたって仕上の内装工事を行いました。天井や壁を珪藻土で塗り、居間・土間のトイレ・洗面所の3か所の建具は、技能五輪全国大会の家具職種に出場経験のある三明 杏さん(建設学科4年・佐々木研究室)が制作しました。 「皆には感謝です。それと、ものを作るのが好きだけど、何をしたらいいか分からない後輩たちには、ものづくりの場を提供できたことが嬉しい」と話します。そして、学生同士の縁だけではなく、和室には震災前の自宅で使っていた畳店に発注した畳を使い、地元とのつながりも深めています。 こうして、村上さんの夢だった建坪 約24坪の「集いの場」が完成しました。 故郷への思い 建設中は、施主であり施工業者でもあったので、全てを一人で背負い込んでしまい、責任感からプレッシャーに押しつぶされそうになった時もありました。それでも、たくさんの人の力を借りて、「集いの場」を完成させました。2年生の頃から図面を描き、構想していた「地元の人の役に立つ、家族のために形になるものを作る」という夢を叶えることができたのです。また、「集いの場」の建設は、「父の夢でもありました。震災で更地になった今泉に戻る」という強い思いがありました。「大好きな故郷のために、大好きな大学で学んだことを活かして、ものづくりが大好きな仲間と共に協力しあって『集いの場』を完成させることができ、本当に嬉しいです」。 「こんなにたくさんの人が協力してくれるとは思っていなかった」と言う村上さんの献身的で真っすぐで、そして情熱的な夢に触れた時、誰もが協力したくなるのは間違いないところです。 「大学から『集いの場』でゼミ合宿などを開きたいという要請には応えたいし、私自身が出張オープンキャンパスを開くことだってできます」と今後の活用についても夢は広がります。 大学を出発する前にこう言っていました。「私にとって、故郷はとても大切な場所で、多くの人が行きかう町並みや空気感、景色、におい、色すべてが大好きでした。今でもよく思い出しますし、これからも心の中で生き続けます。だけど、震災前の風景を知らない、覚えていない子どもたちが増えています。その子どもたちにとっての故郷が『自分にとって大切な町』になるように願っています」。 村上さんが作った「集いの場」は、これからきっと、地域のコミュニティに必要不可欠な場所となり、次世代へとつながる場になっていくでしょう。 関連リンク 建設学科WEBページ 建設学科 建築技術デザイン研究室(今井研究室)

  • Japan Steel Bridge Competition 2022 ものつくり大学だからこそ作れる橋梁モデル

    建設学科 大垣研究室は、「Japan Steel Bridge Competition(通称:ブリコン)」に毎年出場しています。ブリコンとは、学生が自ら橋の構造を考え、設計、製作(鋼材の切断、溶接、孔開け、塗装)、架設を行い、全国の大学生および高専生の間で競い合う大会です。大会当日は、架設競技、プレゼン競技、載荷競技、美観投票を行います。2022年9月に開催された大会では、大垣研究室から2チームが出場し、Aチームが美観部門1位、Bチームが美観部門2位という成績を収めました。美観部門で1位を受賞したAチームで、プレゼン競技を担当した後藤 七海さん(建設学科4年)、製作を担当した杉本 陸さん(建設学科4年)に伺いました。 どんな橋を目指して作ったか 【後藤】美観と構造を意識しました。美観を重視するためにレンズ型トラス橋を選択しました。構造は、曲線と直線を組み合わせています。昨年のブリコンでは、曲線部分の継手に時間がかかってしまったため、今回は3種類の継手を取り入れ、継手箇所を工夫して架設も意識しました。 製作したレンズ型トラス橋の設計図 プレートで挟むタイプの継手 差し込むタイプの継手 かみ合わせるタイプの継手 美観部門1位に選ばれた理由は 【杉本】シンプルに形だと思います。他のチームも凝った形をした橋はありましたが、鉄骨を1番曲げていたのは私たちでした。私は高校の3年間、溶接と鉄を加工した経験がありますが、真っ直ぐな鉄骨を700℃~800℃くらいの熱で少しずつ曲げるため、ものすごく時間がかかりましたし、難しかったです。加工は、ほぼ一人で作業しました。材料から切り出すのが2~3日、曲げ加工に1週間、溶接に1週間、塗装に3~4日かけて、全体で2週間半かかりました。お昼の12時に大学に来て作業をして、大学から帰るのは夜中の3時とか、1日10時間以上かけて曲げました。本来であれば、2か月かかるような作業を突貫で仕上げました。それでも、大会前夜まで溶接をしていました。 【後藤】部材を決められた箱の中に納めないといけないのですが、設計に甘いところがあって納まりきらなかったため、一度加工したものを削り直し、歪んでしまった部材を大会前夜まで直していました。ビードをあんなに削ったのは初めてだっていうくらい削りました。今年は、アーチ橋を作っている大学が少なかったです。私たち以外にもアーチ橋を作っている大学はありましたが、継手の部分が多くてカクカクしていました。直線を重ねたアーチよりも、鉄骨を曲げてアーチを作った方が綺麗に見えます。 【杉本】他には、塗装も評価されたと思います。私たちの橋は、スクールカラーの茜色をベースにしたキャンディレッドにしましたが、通常、1層から3層くらいで塗装を終わりにするところ、私たちは13層塗りました。シルバーを5~6層、レッドを3~4層、クリアを4層と重ねて塗っていて、車の塗装の層数より多いです。時間をかけた分、仕上りも綺麗になりました。アーチが綺麗でも、塗装が汚かったら、1位を取れていたか分からないです。 今回以上に美観の良い橋は作れるか 【杉本】情報メカトロニクス学科と一緒に製作すればできると思います。建設学科の設備だけでは加工の機械が足りていません。情報メカトロニクス学科には、使いたいと思う設備が全部揃っています。一緒に製作できれば、企業に依頼したのではないかというくらいケタ違いの橋ができると思います。学内に機械は揃っているので、後は使いこなす知識が必要です。 【後藤】ものつくり大学の設備はピカイチだと思います。知識についても、私たちは様々な実習を経験しているから身に付いていると思います。私たちは全員、溶接の資格を持っていますが、他のチームは、溶接担当の人しか持っていないチームもあります。 【杉本】橋の形としては、今回以上のものは作れないと感じます。総合優勝を目指すのであれば、鉄骨を変えて耐力を上げる必要があります。ブリコンで使う材料は「鋼材」とだけ決まっています。鋼材と一言でいっても色々な物がありますから、今使っている鋼材よりも硬い鋼材を使えば総合優勝を狙えるかもしれません。ただ、今より費用がかかり、溶接も加工も大変になるという問題があります。 【後藤】他には、橋を車上橋にすることも考えられます。吊り橋にしてワイヤーを上手く使った形ができたら、今回の橋より格好良い橋ができると思います。ただ、架設にかかる時間と耐力を考えると、今回の橋の形のバランスがベストだと思います。 プレゼン競技で伝えたかったことは 【後藤】大学の実習でも、要点をまとめて施工フローを作っているのですが、それと同じ感覚でプレゼン資料を作りました。文章は少なくして、写真と言葉で伝えることを心がけました。1番伝えたかったのは製作過程です。杉本さんが頑張ってくれた分、うまく伝えたいと思っていました。製作風景の写真を説明していた時に、審査員の方に「企業に依頼したのですか?」と聞かれましたが、杉本さんの作業している写真が学生の作業風景に見えなかったみたいです(笑)。 昨年の大会から成長していたことは 【後藤】チームメンバーとは、1年間一緒に研究をしてきたから、コミュニケーションが上がっています。誰が何をできるのか分かっているため、仕事も振りやすかったです。加工ができるからとか、去年もプレゼンやったからとか、架設のリーダーはまとめる力があるメンバーにやってもらうとか。1年で人となりを知れて、それぞれの得意分野を知れたから仕事を任せることができるようになりました。 総合優勝するために必要なこと 【杉本】自分たちだけで処理しないで、大学全体を巻き込んで作れると良いと思います。今のままでは、加工の知識や技術があっても、他で負けている部分があります。例えば、美観の面では、他のチームにはカラーコーディネーターの資格を持っている人や、デザインのセンスがある人がいます。でも、私たちの橋は、デザインはあまり凝っている方ではありません。そこで、デザインに強い人がいたら、その人のデザインを基に、「じゃあ、こうしたら耐久性も上がるよ」ということができます。また、チームの人員に限りがあり、製作に時間をかける分、設計と解析にかけられる時間が少ない現状があります。 【後藤】他には、アーチ橋ではなく、早く架設できる橋にすることや、知識を深めて解析をしっかり行い、強い構造の橋にすることも考えられます。解析の知識があれば、色々な形をどんどん解析にかけて強い形を検討することができます。今は知識が無いから、解析通りの結果が出ずに、橋が想定以上にたわんでしまっています。 橋梁の魅力は 【杉本】橋は人の目に付くところが魅力です。ビル等の建築物だと自分が製作した鉄骨が隠れてしまいますが、橋なら完成した後も鉄骨が見えます。橋は人が通る所に作りますし、運送がロボットに変わって自動になっても橋が無くなることはありません。 【後藤】単純に橋は格好良いと思っています。そして、橋は人の生活を良くするためにあり、人が住んでいる限り無くなりません。住宅は古くなると壊してしまいますが、橋は補修されてずっと残ります。それに、橋には色々な形があって、変わった形の橋を作ることができるのも魅力です。 ブリコンの経験は今後に活かせるか 【後藤】ブリコンを通じて、色々な形の橋を知りました。私は橋梁関係の企業で施工管理に就くため、工程についても、誰に仕事を振って、次の作業は何か、工程はどの程度あるか、安全やKY(危険予知)等も心がけるようになりました。ブリコンで、設計の知識も製作の知識も身に付き、それぞれの工程についても知ることができました。 【杉本】後藤さんと同じく、設計と製作などの他の工程を担当している人とのコミュニケーションの取り方が身に付いたと思います。他には、今回の製作では工程計画も無く、自分の限界までやってしまったから、しっかり工程計画を作れるようになったら、工程を管理できたかなと思います。 関連リンク 建設学科WEBページ 建設学科 橋梁・構造研究室(大垣研究室)

  • 行田市花いっぱい運動 地域との交流を通じて得た学び

    行田市はコロナ禍が続き、需要が低迷している市内の花卉《かき》農家を支援するため、「花いっぱい運動」を開始しました。行田市の観光事業である花手水に合わせて、忍城周辺や水城公園のヴェールカフェ周辺を花で彩っています。ものつくり大学では、建設学科の大竹研究室が、花によるフォトスポットやフラワースポットを制作し、花いっぱい運動に協力しました。今回は、忍城東小路とヴェールカフェ前のフォトスポット制作を担当した笠倉 圭佑さん(建設学科4年)と、忍城址内と浮き城の径のフラワースポット制作を担当した三森 公威さん(ものつくり学研究科1年)に伺いました。 フォトスポット制作が決まった時の気持ち 【笠倉】お話をいただいのが5月で、フォトスポットの設置時期が9月ということで、あまり時間も無く、最初は「できるかな」という気持ちでした。制作に関しては、フォトスポットは、今までに設計した事もありませんし、花についても詳しくないのですが、知らないが故に、逆にデザインの幅広さを感じていました。 【三森】最初は、笠倉さんのサポートというイメージで関わりました。2か所にフォトスポットを作るのだと思っていましたが、話を聞いているうちに他にもフラワースポットを作ることを知り、大竹先生から勧められて、制作を始めました。 フォトスポット、フラワースポットのコンセプト 【笠倉】フォトスポットのコンセプトは「カメラマンも被写体になる人も、花を楽しめるフォトスポット」です。フォトスポット制作の話を聞いたその日の午後には、スケッチを描き始めました。そこで、平面的なフォトスポットだと、被写体になる人から見えるのはカメラマンだけで、花を見られないのは勿体無いなと感じ、最初から奥行きのある立方体のデザインを考えていました。大竹先生からは、「フォトスポットの背後にあるヴェールカフェも背景に使ってみたら」というアドバイスをいただき、借景のヒントを得ました。 笠倉さんが描いたスケッチ ヴェールカフェ前のフォトスポット模型 【三森】フラワースポットは、行田市が月に1度開催している花手水のライトアップイベント「希望の光」をサポートして、より華やかにできるスポットを作ろうと思いました。浮き城の径の池に浮かべたフラワースポットのコンセプトは「浮かぶ行田市」です。池に花手水を作り、忍城の模型を浮かべて、「のぼうの城」の田楽踊りのシーンを作りました。忍城址内のフラワースポットは、番傘と組み合わせる予定だったので、番傘の上でよく回される「枡」をコンセプトにしました。ライトアップのメインである番傘との調和を崩さないことを意識して制作しました。 制作にあたって大学で学んできたことは活かせたか 【笠倉】設計の授業で、人の目線や見え方を学んでいなかったら、平面的なフォトスポットになっていたと思います。自分の好きなように設計するのではなく、使ってもらう人たちに楽しんでもらいたいと考えて作ることができました。 【三森】大学での学びを強く実感したのは、現場で施工している時でした。非常勤講師の先生と学生だけで施工したのですが、私たちは全員、1年生の時に架設の経験をしているため、スムーズに組み立てることができました。元々、2日間かけて単管を組む予定でしたが、1日目で組み終わり、2日目からは花を飾り付ける作業に入ることができました。 制作で苦労したことは 【笠倉】私が花に詳しくないため、花の飾り方は一番苦労しました。始めは、ただ花を吊るすことを考えていましたが、「花と花の間隔や、水やりや花の入れ替え作業の効率も考える必要がある」と行田市の方たちから意見をいただきました。そこで、フォトスポットの高さを低くし、作業をしやすくしました。また、花を斜めに設置すれば花が綺麗に見えると思い、格子状に組んだフェンスに入れる案や、板に丸い穴を開けて花を入れる案などを考えました。試行錯誤する中で、苗のポッドをアーチ状に結ぶ案が出て、試してみたところ強度もあり、花の見え方も綺麗だったので、実際に花を入れて撮った動画を行田市の方たちに見ていただき、強度を確認してもらい、この案に決定しました。 【三森】浮き城の径のフラワースポットは、打合せの時に忍城の模型を持参して、浮く素材を何パターンか提案しながら制作を進めました。花手水に使用する花が、ロス花を使用する関係上、数に限りがあったため、枠のサイズや厚みを調整して、花が綺麗に見えるパターンを探しました。また、池の流れで枠が流れてしまうため、重しの付け方や紐の長さも繰り返し試しました。 施工中の市民の方々の反応は 【笠倉】単管を組んでいる時は、近くを通った人たちから「何を作っているの?」と、たくさんの声をかけていただきました。花を飾り付けていくうちに「あ~、綺麗だね」という声が増えてきて、喜んでもらえていることを実感しました。忍城東小路のフォトスポットは、小学生の通学路になっていたため、単管を組んでいる時に「あ~、ジャングルジム!」って言われたりして、「登っちゃダメだよ」みたいなコミュニケーションがありました。制作中に声をかけていただいて、市民の方たちに注目されている事を感じることができ、嬉しかったです。 【三森】浮き城の径の池に入っている時に「池で花手水やるの?」という感じで、たくさんの方に話しかけられました。池に忍城と船を浮かべている時は、小さい子から中学生まで反応がすごく良かったので、やって良かったと感じました。 学生の視点から見る地域交流は 【三森】授業でものを作る時も、安全性は気にしながら作っていますが、学外にものを作る時は、長く設置されることを考慮して、継続性や見た目の変化を気にする必要があることを学びました。これは、授業では学べない事で、責任を感じました。 【笠倉】色々な条件がある中でものを作るのは難しかったですし、考える事がたくさんありました。ですが、完成した時に見てくれる人の数が学内で制作する時より格段に多く、人に見せるためにものを作るのは初めての経験でしたので、すごくやりがいがありました。大変でしたが、こんな経験はそうそうできないですから、制作できて良かったです。達成感が授業とは段違いでした。 地域と大学のより良い関係とは 【三森】今回のような連携は、学生にとっては経験になりますし、市役所の方たちにとっては新しいアイデアをもらえるということがお互いのメリットかと思います。普通、大学に依頼すると設計はできても、施工は企業に別途依頼すると思いますが、ものつくり大学であれば、設計から施工まで全部できる。できる幅が広いことが、ものつくり大学の強みだと思います。 【笠倉】頼られる大学になっていくと良いと思います。地域から頼られることで、学生は勉強する場ができます。ものつくり大学が作ったものが地域に増えたら、大学の名前も広がっていきますし、大学の外でものを作る経験をした方が絶対に自分の経験になりますから。 今回の学びをどう活かすか 【三森】行政の仕事に就くことを考えているため、行田市の方たちと仕事をできたことが貴重な経験になりました。私は、3Dプリンターやレーザーカッターを活用したデジタルファブリケーションについて研究していますが、レーザーカッターで多くの試作品を作ったことで、有用性や課題が見えてきました。手作業で模型を作ると時間がかかるのですが、レーザーカッターで作ると部材を切る時間は15分くらいで済みます。組み立てはあまり時間がかからず、加工も一定の精度でできるため、デジタルファブリケーションの強みが見えました。 【笠倉】条件がある中での制作で、考える力が身に付いたと思います。そして、知識が無いとそもそも思いつかない、知らない事が多いと何もできないということを実感しました。後は、伝え方が一番大事だと思いました。例えば、単管を組む時に、非常勤講師の先生から、どうやって作ればいいのか聞かれた時に、私は言葉で伝えるのが苦手なので、絵を描いて伝えていました。自分の強みを使って伝える力は大事だなと思いました。どう活かせるかというか、どこでも使える力だということを学べました。 関連リンク 【知・技の創造】装飾が愛着に繋がる 建設学科 デザイン・空間表現研究室(大竹研究室) 建設学科WEBページ



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