第2回教養教育センター特別講演会① ~基調講演「教養としてのクリエイティブ」~

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2023年11月9日に渋谷スクランブルスクエア SHIBUYA QWSで開催した、第2回教養教育センター特別講演会「教養としてのクリエィティブ」の内容を全3回にわたりお届けします。

第1回は、脳科学研究で著名な小泉英明(株式会社日立製作所 名誉フェロー)を講師に招いた基調講演です。

【第2回教養教育センター特別講演会 開催概要】
日時:2023年11月9日(木)13:30~17:10
場所:渋谷スクランブルスクエア SHIBUYA QWS

プログラム
[第1部 特別講演会]
・基調講演「教養としてのクリエイティブ」
 小泉英明氏(株式会社日立製作所 名誉フェロー)
・鼎談「脳科学、言葉、手-「使える教養」はどう育つか」
 小泉英明氏
 山本ミッシェール氏(キャスター/ジャーナリスト/レポーター/MC/講師)
 荒木邦成(ものつくり大学 ものつくり研究情報センター長)

[第2部 パネルディスカッション]
モデレーター 井坂康志(ものつくり大学 図書館・メディア情報センター長)
パネリスト 山本ミッシェール氏
      澤本武博(ものつくり大学 教養教育センター長)
      町田由徳(ものつくり大学 情報メカトロニクス学科准教授)

「ものつくり」のための脳

梅原猛先生がおつくりになったものつくり大学で、今日この機会を賜ったことを、とてもうれしく感じています。

「なぜ人間だけが未来を考えられるか?」。私たちは未来を割と簡単に考えているけれども、未来のことを考えられるのは、多くの種の中で、ホモ・サピエンス・サピエンスだけです。

サイエンスから見るとどういうことなのか。

1996年に実行委員長を務めた環境科学の国際会議の中で、「環境と脳の相互作用」といセッションを当時、京大霊長学研究所の所長をしておられた久保田競先生と相談してつくりました。最初は久保田先生もそんなセッションが作れるのかと半信半疑でした。でも実際にやってみると、極めて重要であることが分かってきました。今は、その後の2000年に創られた「人新世」(Anthropocene)という言葉も一般に使われるようになってきました。地球科学の国際会議の中で、大気化学者のパウル・クルッツェンのとっぴょうしもない発言からだと言われています。

1996年に「環境と脳の相互作用の重要性」という講演をしてみて、脳を基調とすれば、今まで人文・社会科学の分野にあった教育学を、自然科学とすることが可能だと考えるようになりました。

そこで、「学習」と「教育」という概念を、自然科学の言葉で置き換える試みを始めました。「学習とは、環境-自分以外のすべて-からの外部刺激によって中枢神経回路を構築する過程」と定義し直しました。また、「教育とは、環境からの外部刺激を制御・補完して学習を鼓舞する過程」と定義し直しました。人間は環境抜きに学習はできないと考え、それから今に至るまでこの定義を使っています。さらに2000年に新たな21世紀を見据えた「脳科学と学習・教育」という文部省/JST主催の国際会議を企画して、実行委員長を務めてこの考えを推進してみました。

受動学習とか積極学習とか強制学習、いろいろ従来の教育学で取り上げられることは、自然科学のほうから説明がつく可能性がある。生から死への一生を通じた学習という過程の中で、包括的な概念を創れるのではないか。21世紀の幕開けの好機に、文科省と科技庁が統合された文部科学省(2001年発足)も、省庁統合の象徴として全面的に応援してくれました。

Mind,Brain,and Education

さらに2002年には「『脳と学習』:21世紀の教育革命」、「Brain & Learning A Revolution in Education for the 21st Century」という題目で、OECDフォーラムの中に特別な1つのセッションが設けられました。

同時に、世界を北米とヨーロッパとアジア・オセアニアの3ブロックに分けて、大きな形で約10年間、OECD国際連携研究のプログラム『脳と学習』が世界の中心的な研究所を拠点として走りました。

OECDの国際諮問委員としてそのプログラムを全力で推進しながら、このうような考え方が世界へと浸透していくと、新しい学問分野がきちんとつくれるのではないかと思いました。当時、理研に脳科学総合研究センターを作られたばかりの伊藤正男先生も、アジア・オセアニアブロックの議長として、この国際プログラム「脳と科学」を全面的に支えてくださいました。

ところが、教育学は人文学、あるいは、一部社会科学というところで扱われてきた長い伝統から、自然科学で扱おうと思ってもまったく類例がありません。そのような中で、ハーバード大学のカート・フィッシャー先生が中心となって国際学会をつくる話が急速に進みました。そこからお声掛けをいただいて、私も理事を務めました。Mind,Brain,and Educationという国際学会がありまして、さらに学会誌をBlackwell社から発行することになり、私は副編集長を務めることになりました。最初はBrain-Science and Educationという名前を主張したのですが、ハーバード大学の心理学者の皆様から猛烈な反対を受けてしまいました。さらには、もし、MindとBrainを同一視するならば、ハーバード大学の心理学者は全員脱退するという騒ぎになりました。ずっと後から分かったのですが、脳科学(Brain-Science)という言葉は、本田宗一郎氏が最初に言われた日本的な言葉だったのです。

新しい分野をつくることも実はものづくりの感覚に近い。

Mindといったら「心」です。Brainというと「脳」、そしてEducationの「教育」。3つはまったく違う分野です。この3つの違う分野で統合的な国際誌が出たのは初めてだということで、アメリカの出版協会からThe Best New Journal of the Year Awardをいただきました。ゼロからのスタートということで、新しい分野をつくることも実はものづくりの感覚にとても近いのです。

さらに、関連する国際会議が2003年の最初の会議に続いて2015年にも、バチカンで開催されました。2015年とは大変な年です。SDGs(「持続可能な開発目標」)が初めて発表された年です。また、COP21がパリで行われた年になります。さらに、ローマ教皇庁からもステートメント(Laudato Si: “on care for our common home”)が出されました。地球を人類の家と考える環境問題についての深い洞察です。フランシスコ教皇とは何度かお話する機会がありましたが、聖下はもともと化学のご出身です。

「『学習と教育』の自然科学からの探求」というテーマで数多くの研究が行われましたが、その一部を紹介します。研究初期の一例ですが、子猫を縦縞の環境で育てますと、横縞が見えなくなってしまう。その後、横縞の中に入れて学習をさせれなと思いがちですけれども、どうやっても駄目です。最初の臨界期だけにこういう学習(神経回路の構築)ができるのです。

視覚野は、脳の中では比較的よくわかってきた部位で、多くの裏づけが取れています。猫の視覚野と人間の視覚野は近いので、人間でも同じことが起こると考えることができます。いくつか事例も存在します。

脳がつくられるとき

なぜこういうことが起こるか。

人間の脳とは遺伝子だけで出来上がっているわけではない。遺伝子とは原材料を提供する。原材料を組み合わせて、脳全体のシステムができるのです。けれども、最も効率よく生存するために必要な形となるように生まれ落ちた環境、しばらく育った環境に最適化するようにと神経回路をつくる。つくるというより、むしろ消していく。最初は遺伝子によって基本的な神経回路が赤ちゃんのときから少しずつできてきます。けれども、外の環境から情報や刺激が入ってくると、関係する回路は残して、入ってこない情報は消してしまう。

0歳から30歳まで、視覚野でどのぐらい神経と神経の接続部が存在するか。視覚野の場合ですと、生後8か月でピークになって、あとはだんだんと接続部分、回路が少なくなっていきます。無駄なものをこの時期に捨てて最適化している。脳の全体容量は最初から決まっているものですから、その中でやれることをやるのです。

もう一つ重要なのは、人間の脳の神経は伝達速度が速くないのです。コンピュータと比べると比較にならない。コンピュータの場合は基本的に電子によって情報伝達をしていますから、1秒間に地球を数回まわるほどの高スピードですが、人間の場合は、たかだか100メートル、一番速いもので毎秒200メートル。遅いもので数センチです。

人はそれぞれ違うものを見ている

進化の中では、「跳躍伝導」というのですが、裸線の周りに被覆ができて、効率よく信号が漏れないで伝っていく。しかも、跳躍的にスピードを上げて伝達するという仕組みを進化の中で獲得しています。そうすると一人前のスピードを持った神経になる。

生まれてから髄鞘化という「さや」、被覆ができる過程ですが、脳の場所によってそれぞれ違ってきます。100年以上前に厳格な実験を行ったフレキシという学者が順番を事細かに解明している。胎内にいるとき、生まれて1年間、さらに年齢が増して、場所によっては30歳になってもまだ発達を続けているということがわかってきた。だから、できていないものに関係する教育をいくらやっても無理なのです。そこに気をつけないと間違った教育をしてしまう。

もともと私は物理が専門ですから、つい対数の軸で見てしまうが、人間が生まれてから死ぬまで、1歳、10歳、100歳とグラフを描くと、その間に私たちが学習している様子がわかります。そうすると、小さいときの学習がいかに重要かがはっきりしてきます。

もう一つ、脳の中では視覚が比較的わかっているほうなので、視覚を中心に例を示しているけれども、みんなも同じものを見ていると思ったら、そんなことはない。違うものを見ています。ある程度似たり寄ったりということはあるから、話が通じる。何で違ってくるかというと、神経の伝達速度は遅いですから、補おうとしたら、みんなで分担して信号を処理するしかない。

脳の特徴とは、すごい数の神経回路が情報処理を分担していることです。これは並列分散処理と言いまして、スーパーコンピュータのアーキテクチャと同じです。それも比較にならないぐらいのたくさんのシステムが同時に分業の作業をやってます。

最後に、結果を意識に上げてくる。脳のことはわかっているように思われていますけれども、まずどうやってそんなにばらばらにしてしまうのか、超並列分散処理が何でできるのか、最後にどうやってまとめ上げるのか、どんなふうにタグがついているのか、まだよくわかっていないのです。

生きる力を駆動する脳

視覚に関しては、色も分けてしまいます。動きも別々に処理します。それが最後に「意味」にまで持ちあげていくかという仕組みもわかっていません。

分業して同時に行っているたくさんのことは意識には上がっていない。そんなことが意識に上がってきたら、収拾がつかなくなります。分業の過程を経た最後に、今度は時系列で逐次処理になって、順番に時間とともに私たちは認識します。

私たちは意識が中心だと思っていますけれども、意識していないところのほうがむしろ大量の処理をしています。

脳を考えるときに大事なことは、氷山で言えば、見えないところ、水に沈んだところから最後の最後に意識に上げていく。私たちは意識が中心だと思っていますけれども、意識していないところのほうがむしろ大量の処理をしています。

われわれの今までの教育は基本的に言葉がベースになっています。そこまでの脳の働きとは、教育の中でもほとんど無視されています。芸術に入っていくと、拮抗する条件の中で、最後には決断しなくてはならない。無意識が重要です。無意識のところは意識に出ないですから、小さいときから自然の中でしっかり育まないと性能が出ない。

脳の進化では、脊髄の次にその先の脳幹の部分ができた。単純な爬虫類の脳は、人間の脳の脳幹の形に見た目もそっくりです。そこからだんだんと層状に、外へ外へと層が広がってきました。脳幹は生命を維持するところであって、その周りの生きる力を駆動する脳(大脳辺縁系)が情動に関係する。

一番外側はより良く生きるための脳であって、いわゆる「知育」という知性を教育するときに直結する部位です。でも、やる気がなかったら、いくら知性やスキルを持っていても、それだけでは何の役にも立たない。だから、むしろ進化の順番では、内側の古い皮質(大脳辺縁系)がやる気を出すために重要です。そこは感性とも関係が深いですし、一番外側の人間らしいところ(大脳新皮質)は知性に直結するのです。

「ちょっかい」を出す知性

最初はお母さんとつながっているので、へその緒を切って初めて母親と赤ちゃんは別だということになるけれども、赤ちゃんはまだ気づいていない。自分の一番身近にいる養育者-多くの場合は母親-ですけれども、その人が信頼できると実感することが、自分が次に行動できる原点になります。まさに社会性の形成の出発点でもある2項関係です。

もう少し大きくなってくると、指さすようになる。赤ちゃんは指先を見るのではなくて、指でさされている先を見るようになります。最初の第三者を介したコミュニケーションということで、2項関係から3項関係の段階になってくると、社会が概念的には形成される。社会性の神経基盤を幼いときからいかにしっかりとつくり上げるかが教育のポイントでもあります。

さらに大きくなってくると、別の学びもいろいろ入ってくる。本質的な赤ちゃんの学びは、コンピュータと違うということです。コンピュータは、入力があったら、きちんと目的の結果を出力する。

赤ちゃんはそうではない。最初に自分が置かれている環境に対して興味を持ちます。そして、「ちょっかい」を出す。われわれはサイエンスでもわからないときには、必ず何か刺激を与えて変化を見ていく。つまり、サイエンスのやり方と同じことを赤ちゃんはやる。育ちつつある自分の五感を最大限使って、何が起こるか、何をすれば何が返ってくるのかということを学ぶ。人間の学習の本質とはアルゴリズムを自ら学ぶことであって、いわゆるマニュアルで覚えさせるだけでは駄目だということです

実際に赤ちゃんは手に取ったら、口に入れてみて、なめ回すのが最初です。まだ自分自身は動けない。もう少し発達してきて、「はいはい」ができるようになってくると、ぬいぐるみがあれば、それに赤ちゃんが興味を示して、近づいてくる。そして、興味があってたまらなくて触ってみる。もっと手足を触りたい、お顔も触ってみたい。自ら環境に働きかけて、環境から帰って来る情報を赤ちゃんは検知しながら学んでいるのです。赤ちゃんは、触感、味や香り、色や形、音色など、5感をフルに使っています。

光は不思議な素粒子

次に、ものづくりについてお話をしたいと思います。

私は光も大好きです。光子(フォトン)とはとても不思議な素粒子で、重さもなければ、電荷もなければ、静止状態もない。いつも高速で動いています。発見者はアインシュタインです(1905年の三大論文の一つ)。

光子のスピン(自転する属性)は1です。スピン1でプラス1、マイナス1という2つの状態がある。ちょうど1ビットですから、二つの光子が絡みあった状態(エンタングルメント)を使って計算機を作ろうとすると、量子コンピュータになります。そういうことが実際に始まっている。

電子は重量、電荷、スピン(2分の1)と静止状態もあるということで、ローレンツとゼーマンが発見して1902年にノーベル賞を取っている。電子の存在を初めて証明した実験は、磁場によってスペクトル線が分かれる現象、すなわち「ゼーマン効果」の発見だったのです。この基礎物理学の原理を実用化したものが、私の最初の仕事となる「偏光ゼーマン法」なのです。1974年に最初の論文を書いて、1977年に論文シリーズと最初の実用装置を完結させました。2024年は最初の論文の50周年となります。

同じ頃に、体内の水素の原子核(陽子:プロトン)を検出して画像化するMRIの原理が発表され(1973年ラウターバー他)、2003年のノーベル賞となりました。そちらも基本は原子核のゼーマン効果です。磁気共鳴画像装置(MRI)と呼ばれて、病院でも使われている。私がものづくりをしたのは、それらの原理を社会実装するためでした。

「偏光ゼーマン法」の発見の際には、電磁石のポールピースの間に納まる3000度の温度を出す炉を、手作りしました。電磁石も最高で磁場強度2テスラを出しましたが、これも手造りしました。新しい原理で作った装置と実験結果は、『SCIENCE』誌がリサーチニュースとして紹介をしてくれました(1977年)。

水俣病とゼーマン水銀分析計

最初は手造りした「偏光ゼーマン法」による原子吸光高度計は、並行して商品開発を進めましたが、最初の製品は「科学機器・分析機器遺産」に2013年に認定されました。初期に行った実験をそのまま再現してほしいと言われたときに、再び当時の実験の一部をやってみました。原子化炉で摂氏3000度まで温度を上げられると、たいていの金属は蒸気にできますが、そのような高温炉を電磁石の間隙に収めることは至難の業です。そこで自転車の発電機で灯す小さなランプに目をつけました。直径1ミリメートルにも満たないタングステンのコイルが気に入ったからです。普通につくランプのガラスを割って、中のコイル状のフィラメントを取り出します。これを自作した小型の電磁石の5ミリメートルの間隙にセットするのです。高温にしても燃えないように、フィラメントには乾燥した窒素ガスを吹きかけて酸素を遮断します。そして電流を流すと3000度付近まで高温にできます。フィラメントのコイルの外径は1ミリメートル弱ですが、まず、マイクロピペットで1マイクロリットルの水溶液(微量金属を含んだ試料)を表面張力でくっつけると、コイルの中にしっかりと収まります。初めに電流を少しだけ流すと、水分は蒸発してフィラメントの表面に薄い膜ができる。今度は温度を上げて、その金属膜を一挙に蒸気にする。その金属蒸気の中に細い光のビーム(スピンがプラス1とマイナス1に対応する偏光)を通して、磁場中で磁気量子数の縮退が融けた原子スペクトルが観測できるのです。

この新原理を見つけたので、カリフォルニア大学に招聘され、ローレンス・バークレイ研究所で客員物理学者としてしばらく同じような研究を行った時期がありますけれども、同じことをするのに広い研究室と、何トンという大型電磁石と10メートル近い世界最大級の分光器、パイログラファイトによる原子化炉などを研究所が準備してくれました。一方、私の感じるものづくりの魅力とは、考えて考えて身体を動かしさえすれば、大型研究費を使わずとも手作りの実験装置で世界最先端の研究ができることです。

当時(1970年代)はとにかく水俣病が大変な時期だった。最近になって、水俣病の裁判がほぼ結審して、山間部にいらっしゃる患者さんたちも補償が得られる裁判の結果が最近大きなニュースになりました。環境問題のグラウンドゼロと言われる水俣病は、戦前にすでに始まり、裁判がほぼ終わったのが2023年だったのです。その間、数多くの患者さんたちは、本当に大変だったと思います。そういうことで、環境問題を解決するための計測は何としてもやりたいと思いました。水銀の次はカドミウム中毒の話が来て、ヒ素中毒の話が来て、鉛中毒そして重金属のクロムの公害の問題も出てきました。水銀は水俣病だけでなく、新潟県の阿賀野川での第2水俣病、さらには海外でも金の採掘にともなう水俣病がいまだに深刻な問題となっています。

MRIでノーベル賞を取られたのは、ローターバー先生とマンスフィールド先生です。1973年の論文で、2003年に受賞されました。お話したように廃品で「偏光ゼーマン法」を見出したのが1973年です。同じときに、同じように量子物理学が実用へつながることを始めた。そして今度は、量子コンピュータの話に移っていく。先の述べたように、「MRI」も「偏光ゼーマン法」も、ゼーマン効果を使った方法として原理的には同じです。ゼーマン効果の適用が電子なのか、原子核なのかの違いです。

装置の不具合から磁気共鳴血管描画法(MRA)の発見

超伝導の全身用磁石を使って、携帯描画から機能描画へと研究と開発を進めました。磁気共鳴血管描画(MRA)や機能的磁気共鳴描画(fMRI)です。

脳ドックを受けますと、くも膜下出血の原因になる脳動脈瘤の検査や脳梗塞の原因になる脳血管の狭窄の検査があります。そこにMRAが使われます。MRAで得られる鮮明な脳血管画像ですが、実は血管壁はどこにも写っていないのです。血液の流れを数字にして画像化したものがMAR画像なのです。そのMRA法の発見経緯をお話しします。

脳神経外科の放射線科の先生たちが興味を持った最初の装置はまだ常電導磁石でした。最初は大型トランスの製造技術を用いた手巻きのコイルでした。大電流を流すのと水冷によって温度を一定に保つために、電線の代わりに銅の板を巻いていて、その後、軽くするためにアルミで巻いていたのが、MRIの初期の電磁石でやっていた実験です。そうしたら、像がぼけているだけでなく、強く光る点が出てしまって、装置の故障ということで呼び寄せられました。

当時はお金がなかった。試作装置をきれいにして、古いものは付け替えて、第1号機として東京女子医科大学病院に納めてしまった。同じものが自分たちのところにないので、夜中に行ってお願いして、使わせていただくしかない。その中で、変な光る点が出るから、こんなのは使えないと言われて、必死に徹夜を繰り返していたら、光る点が発生するのは、実は装置の故障ではなくて、血液の動きによる信号位相の変化を検知していたということがわかった。それで、すぐ特許を出しまして、脳の血管、全身の血管(正確には血液の流れ)が実際に今使える形で写せるようになった。論文発表の後、ステアリング委員として国際MRA学会を立ち上げるお手伝いをしました。

計測をしていると、いくら新しいことをやっても、それによって人の命がすぐ助かることはめったにない。ところが、くも膜下出血とは致死率が高いが、破裂する前に発見できれば、比較的安全な手術で処置できる場合が多いのです。けれども動脈瘤を発見するのが難しいのです。MRAは造影剤を使わずに、完全に安全な検査で動脈瘤を発見できる。診断が直接的に救命につながるところが私は気に入っています。

さらに脳機能の研究から、私たちが頭の中で考えていることを直接計測できないかということを始めて、東大医学部の宮下保司先生のグループと共同研究をはじめました。1990年代の初頭です。これが最初に発表した結果です。

私たちが残像(この場合は補色を感じているので、正確には残光)を感じているときに、それに対応する脳部位の活動を計測した珍しい最初のケースです。この実験の重要性は、それまで主観として捉えられていたものを、客観的に捉えることに成功したということです。すなわち、個人の脳が発生させているので、他人には直接知る方法がありませんでした。それを機能的MRIで捉えたということは、誰が計測しても、計測を繰り返しても同じ結果が得られるということです。この残光は見えている本人には10秒から30秒くらい見え続けます。その人にそれが見えなくなった瞬間を客観的に知ることができるのです。私はこの実験が心の計測の一端に入るのではないかと考えています。ここのところから人文学と自然科学の境界がはっきりしなくなってきた。人の心の中のことで、ほかの人が客観的に証明できないものであるはずなのに、少なくとも心の中で見えているか消えたかについては、誰がやっても機能的MRI装置からは同じ答えが返ってくる。

なぜ人間だけが未来を考えられるのか

人間は「快と不快」という「感情」を持っています。人間以外の動物の場合は「情動」という少し定義を広くした術語が使われています。「快」「不快」という感情もしくは情動は極めて大事で、私たちは心地よい「快」の方向へ向かうと一般に生存確率が高くなる。一方、嫌だ、臭い、うるさい、そういう「不快」からは、逆に離れようとすると生存確率が高くなります。人間だけでなくて、多分、小動物からすべて共通ではないかと考えています。

私が興味を持っているのは、精神的に心地いいことです。つまり、おいしいものを食べるときはもちろんうれしい。お金をもらったり、名誉なことがあると、何よりの生きがいになる人々もいる。名誉を感じたときに動く脳の場所は、チンパンジーがきちんと言われたとおりにやって、ご褒美にバナナをもらって動く場所と同じだということが見つかった。

被殻、尾状核という線条体と呼ばれる脳の部位は、少し専門的になりますけれどもご褒美に反応する脳の部位です。このような部位がいくつかあって、それらを報酬系と呼んでいます。あなたは人格的に信頼できる人だということを心理テストの結論として聞かされたときに、お金をもらったのと同じかそれ以上に、被殻、尾状核が強く活性化することが発見されました。「脳科学と教育」という国家プロジェクトの中で、国立生理学研究所の定藤先生のグループが見出して『ニューロン誌』に発表しました。

私たちとは、よかれあしかれ、知らず知らずに報酬に関心が強くて、そちらを見ていることが多い。報酬系とは動物実験では正確にわかってきたし、人間の報酬系も機能的MRIで少しづつわかってきました。

人間だけが言語を使える

実は人間だけが言語というものを使える。言語の機能を見てきた中で、ノーム・チョムスキー先生とも御一緒して、有益な御指導を頂戴してきました。「Colorless green ideas sleep furiously(色のない緑色のアイデアが激しく眠る)」という文章は、チョムスキー先生が論文の中で発表しましたが、文法的には完璧です。でも、言っていることは意味がない。つまり、言語を人間が持ったことによって、意味のない、あるいは、想像上のことをあたかも現実にあるかのように示せるようになった。言語は自動化された機能で、音韻ループが意識下で回っている。そういうことがだんだんわかりつつあります。

私も言語の本質を何とか1つ自分で見つけたいと思って、パントマイムみたいに言語を使わない、いわゆる身体表現をしているときは、言語的表現を入れたときとどこが異なっているかを探っていました。3年ほど公演に通い詰めたら、あるパントマイムの公演の中で、演者がいるのに黒子さんが現れて、ぱっと舞台を走り抜けた。黒子さんが持っていたプラカードに「3か月後」と書いてあったのです。これはチーティング(反則)です。あとで主宰の先生とも議論しましたが、「3か月後」という未来の時点をどうやっても身体表現できなかったのです。

人間だけが言語を使える、だから、人間だけが未来を考えることができる、逆に言うと、いつも自然未来だけではなくて、私たちは意思未来というのを持てた唯一の種だと感じているのです。

今までの伝統的な倫理学とは、もともと習俗とか慣習、言ってみれば人間の社会から生まれたものです。でも、今の私たちの環境問題とか世界でいろいろ起こっていることを考えると、人間を中心にして考えるだけではおかしいのではないか、むしろ人間も自然の中の一つだから、本当は自然が土台にあって、倫理が組み立てられるべきではないかという考えを今持っております。

地球のほうが動いているんだという視点(地動説)、つまり、人間にとってもう一度考えなくてはいけないのは自然が世界の中心だという視点です。われわれ住ませてもらっているんだという視点の倫理学がこれから重要になると考えています。

Profile

小泉 秀明(こいずみ・ひであき)

1971年東京大学教養学部基礎科学科卒業後、日立製作所計測器事業部入社。1976年に偏光ゼーマン原子吸光分析法を創出し東京大学理学博士。同時に装置を実用化し、環境計測を中心に世界で1万台以上が稼働。通産省特許制度100周年にて日本の代表特許50件に選定、また初期装置は分析機器・科学機器遺産に選定。医療計測では、磁気共鳴血管描画法(MRA)や光トポグラフィ法を創出し実用化。日立基礎研究所所長、技師長、フェローを歴任。55代日本分析化学会会長。ローマ教皇庁科学アカデミー400周年記念時に招聘講演。『日経サイエンス』30周年記念号ではノーベル賞候補として紹介される。著書に『環境計測の最先端』、分担執筆に『Encyclopedia of Analytical Chemistry』、他、論文・特許・書籍・受賞など多数。

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