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研究

  • 【知・技の創造】ものづくりを体験する

    日本の建築文化について ものつくり大学では実習授業が豊富に組まれており、他の大学では体験できない実務的な技術を学べる授業内容になっています。私が担当している授業では、大工道具の使い方、木材の加工方法、原寸大での木造建築の施工など様々なことを学び、木造建築に関わる技術の基礎の習得を目指します。 日本の建築文化は木の文化とともに育まれてきました。しかし、時代を経ていく中で、日本の建築文化は多様化し、木造建築は主流から外されてきました。ところが、最近では木造建築の価値や魅力が見直され、これまで鉄やコンクリートなどで造られていた中高層ビルにも木材を用いようとする新しい試みが実行に移されてきており、大規模な木造建築物を目にする機会も増えてきました。 ものづくりによって創造される人々の生活の豊かさ 人々の生活の豊かさは、ものづくりによって創造されてきたといえます。ものづくりにおける建築物を建てる技術は、古くから引き継がれてきた技術を根幹としつつ、時代の流れの中で新たな技術の受容を繰り返し、革新され進化を続けてきました。中でも木造建築に関する技術は古くから脈々と引き継がれてきた部分が多いです。それは、日本人が生活の中で、四季を通して日本独特の気候と向き合い、木と密接に関わり合いながら豊かな文化を形成してきたことによります。 そして、木造の技術を使って建築された民家や社寺建築など多くの建築物が、修復を繰り返しながら現在まで大切に保存されてきました。それによって、古い時代に建てられた建築物の存在を、現代に生きる私たちが体感し、そこから多くのことを学ぶことができています。 特に重要なのは、その背景にある高度な技術を備えた技術者の存在です。修復には、的確な技術を備えた技術者が必要であり、その技術は後世に伝えていかなければなりません。技術を的確に伝える上では、理論や知識だけではなく人の手によって伝えていくことが不可欠であり、そのためには、その技術を扱える技術者を育成することが必要です。 技術者がいて、その技術力を発揮できる環境があってこそ、それらが絶えることなく伝わるのです。ものづくりの技術の継承には、技術を習得し、活用していく技能が必要であり、そのためには手を動かして実践し、ものづくりを体験することが必要です。体験することは、自ら考えることにつながり、理論や知識を学び、技術を習得することにつながります。 現在の研究とこれから 私は、近世から近代にかけて活動していた大工家の建築生産に関する研究を行っています。研究では、それら大工による社寺建築の遺構や社寺建築を建てる上で作成された造営史料などの分析を行います。そこには、技術者である大工の技術・技能に関する情報がつまっています。その技術・技能は現代に通じるものがたくさんあります。現代の技術・技能は、過去の技術・技能を工夫し、研鑽し、発展させたものなのです。過去の技術・技能を知ることは、現代の技術・技能の発展に不可欠なことです。 ものつくり大学の教育を通して、過去にも目を向けて学び、新たなことを創造し、培った技術・技能を後進へと伝播していけるような技術者を輩出できるよう努めてまいりたいと思います。 埼玉新聞「知・技の創造」(2024年7月5日号)掲載 profile 奥崎 優(おくざき ゆう)建設学科助教 芝浦工業大学大学院修士課程修了、工務店勤務を経て芝浦工業大学大学院博士後期課程修了。博士(工学)。2024年4月より現職。 関連リンク ・建設学科WEBページ

  • 渋沢とドラッカー--「新一万円札」に象徴される時代の精神

    マネジメントの世界的先覚者 渋沢栄一(1840~1931年) 「プロフェッショナルとしてのマネジメントの必要性を世界で最初に理解したのが渋沢だった。明治における日本の経済的な躍進は、渋沢の経営思想と行動力によるところが大きかった」『マネジメント --課題、責任、実践』(1973年)。経営学の大家として知られるピーター・F・ドラッカーによる渋沢評である。マネジメントの必要性を「世界で最初に理解した」とはいささか大仰に感じられなくもないが、渋沢を世界的先覚者の一人と目していたのは確かであろう。ドラッカーは、1909年ウィーンに生を受け、2005年にカリフォルニアに没している。しばしば「マネジメントの父」とも称される彼だが、いわゆる経営学者とは異なるもう一つの顔はあまり知られていないかもしれない。日本美術収集家としての顔である。若きドラッカーはナチズムの支配するドイツを嫌い、イギリスを経て、1937年にニューヨークに渡り、コンサルタントあるいは経営学者として活躍している。 貿易省高官だった父の影響もあり、東洋への関心は早くから芽生えていたようだ。そんな彼に、1934年のロンドンで、精神の全細胞を組み替えるがごとき衝撃体験が襲う。シティでの金融機関からの帰宅途中、不意の通り雨をよけたバーリントン・アーケード--。偶然開催されていた日本美術の展覧会だった。1934年のことである。ほとんどパウロの宗教的回心を想起させるほどの人生の決定的瞬間だったと後に回顧している。日本美術熱はやがて生涯の伴侶となる妻ドリスとともに、鑑識眼と収集で世界的名声を獲得するようになる。日本でもドラッカー・コレクションは根津美術館、千葉市美術館をはじめ巡回展を含めていくたびも開催されている。 『断絶の時代』 いかにして渋沢の人と事績に触れたかは定かではないものの、彼の渋沢理解は決して浅薄なものではない。その証拠に、著作に登場する渋沢への評価は引用件数がすくないとはいえきわめて正確である。 書き物をする晩年のドラッカー とりわけ『断絶の時代』(1969年)は、今なおドラッカーの渋沢観を知るうえで格好の書としてよい。同書は英独日の同時出版を経てベストセラーとなり、やがて「断絶」は同年の世界的流行語の位置を占める。日本版序文に「明治維新百年を個人として祝う意味もあった」と記述されるのは、なまなかな感慨とはいいがたいであろう。『断絶の時代』で次のように述べる。「岩崎弥太郎と渋沢栄一の名は、日本の外では、わずかの日本研究家が知るだけである。(略)渋沢は、90年の生涯において、600以上の会社をつくった。この二人が、当時の製造業と過半をつくった。彼ら二人ほど、大きな存在は他の国にはなかった」かかる渋沢観はともすれば、日本への強い期待とも重なって見えてくる。そればかりか、時代精神を領導し、極東の小国を大国に押し上げた人物の一人とする、最大級の賛辞としても見当外れとは言えまい。とりわけ、渋沢を評価するポイントとしては、彼が経営を責任職、すなわちプロフェッショナリズムの観点からとらえていた点にある。プロフェッショナルの「プロフェス」は、神への信仰告白を意味する。偉大な見えざる次元への畏敬の念をもってなすべき仕事として経営を見ていたドラッカーにとって、「論語とそろばん」の渋沢はわが意を十全に実践したかに見えたろう。 「渋い」世界観 晩年まで、渋沢を明治の偉人(The Great Men of Meiji)として特筆し、企業を経済的次元のみでなく、社会的次元、あるいは理念的次元でとらえていた人物と見ている。むろん企業は財サービスを生産・流通させ、利益を上げる。しかし、社会の中心的な機関として、文明の継続と発展に資するべき理念的、道徳的、精神的存在として企業を見る。企業の実相を洞察するうえで、渋沢のヴィジョンは、ドラッカーに深い直観あるいは霊感さえ与えているのだ。というのは、ドラッカーのマネジメントとは美的世界観と切り離しては考えられない。ドラッカーは禅画や観音などの宗教的深みを伴う画風を愛し、しばしば自らのコレクションに加えた。収集の過程で多くの日本の古美術商や専門家と会話し、片言の日本語を解するようにさえなったが、とりわけ好んだ日本語表現が渋い(Shibui)であった。考えてみれば、「渋い」とは苦いとか辛いとも異なる。ある種の精神的深みをにおわせる語である(渋の漢字を見るといかにも「渋い」感じがしないだろうか)。ドラッカーの収集作品に千葉市美術館で接したとき、筆者自身あまりの渋さに、軽い脱魂の感に見舞われさえした。精神世界の蘊奥に触れる広大無辺の世界--。東洋の精神を解したヨーロッパ人の境域を指し示していた。今次、一万円札のデザインが「福沢」から「渋沢」に変わる。「福」から「渋」への転換である。戦後の高度成長からバブルの1990年まで、日本は控えめに言って経済の観点から成功してきたと言ってよいだろう。一転、「失われた30年」という暗く寂しい時が流れたと一般には受けとめられている。だが、果たしてそうなのだろうか。ドラッカーが評価した渋沢は、必ずしも経済業績ではない。むしろ倫理と並行的に事業に邁進する「大人」の人格にある。一国の紙幣の象徴たる人物が代わっても利用価値が変わるわけではない。しかし、そこにはある種、象徴的な精神的指針の暗示を見出すことも不可能ではないだろう。偶然と片付けるのは簡単である。あるいは言葉遊びに過ぎないかもしれない。しかし、「言葉遊びが文明を作る」と述べたのは、ドラッカーの尊敬した批評家カール・クラウスである。「断絶の時代」を経て、新たな文明が始まるのは2020~2025年あたりだろうとドラッカーは予期していた。現在はくしくもその新時代の起点に当たっている。渋沢の名にドラッカーの好んだ「渋」が包含されるのも、一つの時代精神の先触れなのかもしれない。少なくとも、私はそう確信している。 Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学教養教育センター教授1972年、埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、社会情報学。

  • 【知・技の創造】現場の元気さと幸せ

    トヨタ自動車で32年勤めた後、行田市のものつくり大学を拠点に地元企業に協力いただき「強い現場づくり」をテーマに研究と教育に取り組み10年目になります。クルマづくりの現場で先輩たちの指導を仰ぎ、仲間たちに協力してもらい成果につながったことを、少しでもたくさんの人に伝え活用していただくため、学生たちと地元企業の生産現場で課題抽出し、現場の方々と一緒に改善活動を実践し、研究と教育につなげています。 強い現場と人 Well-Being(人々の幸せ)について日々研究をされている方の講演での話です。働く人が幸せな企業ほど会社の業績が良い、すなわち働く人の幸せ度が高い企業は生産性が高く、高業績でさらには災害も少ないことがデータにも表れているとの事です。 私の経験や研究を振り返ってみても確かに納得させられることが多くあり、とても感銘を受けました。これまで現場での生産性や働く人の意識・モチベーションにばかりに気を取られていたような気がします。考えてみれば働いている人がそこでやりがいを感じ生き生きとしている会社は業績が良い、そして幸せを感じるということではないでしょうか。 ということであれば業績を上げたい会社経営者や生産性を上げたい現場のリーダーは、働く人たちに幸せになってもらうことが大切だということになります。 ではどうすれば日々の活動の中で人は幸せを感じるようになるのでしょうか?これまでの事例から考えてみました。 会社の一体感 県内企業で学生が改善活動に取り組み、その報告会の場で謝辞を伝える場面で、「協力して頂いた社員・作業員の皆様に感謝申し上げます」と文言に表したところ、管理者の方から「当社では社員と作業員の言葉の区別はない、皆がこの会社の社員である」とのご発言をいただいたことがあります。学生の何気ない言葉遣いに対してさえ、このように考え発言いただくことはとても素晴らしいと感じました。オンリーワンの技術開発力と一体感のある現場で業績を伸ばしているこの企業で、今後も一緒に改善に取り組んでいきたいと考えています。 また、県内の従業員数50名弱で部品製造を行っている企業の品質改良活動に参加しています。これは社長が毎日発生する製品不良で捨てているモノを減らす改善活動を通して、社員のモチベーションを高めたいとの思いから始めたことです。現場のリーダーが全員参加し現地・現物での定期的な活動をスタートしてから3年になりますが、不良は簡単には減りません。それでもそれぞれのリーダーがテーマを掲げ、対策に取り組むようになってきました。時間はかかりますがこのような活動が定着すれば、社員意識が向上し、今後1/10程の不良低減が見えてくるものと考えています。 社員一丸となって、改善することを継続し、それが風土となれば、働く人はやりがいと幸せを感じるようになるのではないでしょうか。 まとめ AI/IoTの有効活用が良く言われますが、継続的に改善が出来る自立した現場づくりを通して人が育ち、やりがいを感じ、少しでも幸せを感じるように、目的を明確にし、道具としてAI/IoTを活用する、そんな企業活動が基本と考えます。これからも学生と現場での人材育成に取り組んでいきます。 埼玉新聞「知・技の創造」(2024年6月7日号)掲載 profile 小塚 高史(こづか たかし)情報メカトロニクス学科教授 北見工業大学卒、トヨタ自動車株式会社明知工場製造部長を経て2015年より現職。トヨタ生産方式が専門。 関連リンク ・ものづくりマネジメント研究室(小塚研究室)・情報メカトロニクス学科WEBページ

  • 【知・技の創造】外国人建設労働者の就労

    建設業界の人手不足と外国人労働者 平成30年12月14日、出入国管理および難民認定法及び法務省設置法の一部を改正する法律(平成30年法律第102号)の公布により、新しい在留資格『特定技能』が設けられました。これを受け、人手不足が深刻である建設業界において外国人労働者の就労が可能となりました。 14分野のひとつ、建設業界もまた深刻化する人手不足に悩まされています。建設業界の就業者数は1997年の685万人をピークに、2020年11月時点では505万人に減少しています。生産性向上や国内人材の確保のための取組を行ってもなお人材の確保が困難な建設分野において、一定の専門性・技能を有し即戦力となる外国人を受け入れていく制度が構築されました。 この制度では、特定技能1号が在留期間の通算が5年までで、家族の帯同は認められていません(図参照)。また、外国人建設就労者で技能実習2号等修了した者は引き続き通算5年間働いてもらうことができます(図のルート2参照)。 また、母国に帰国している技能実習修了者も呼び寄せ、直接雇用できるようになりました。 建設関係の業務区分と業務内容 これまでの建設分野の特定技能1号は、19業務区分(18試験区分)に分かれていました。旧制度では、ある区分で特定技能の資格を取得しても、その業務以外に携わることができませんでした。また、技能実習対象なのに特定技能にない職種があるなどの不整合もありました。 建設関係の業務区分は3つであり、【土木】【建築】【ライフライン・設備】に再編しました。これにより、特定技能外国人が従事可能な業務範囲が拡大、柔軟に仕事ができるようになりました。 業務内容は、指導者の指導・監督を受けながら、建築物の新築、増築、改築、もしくは移転また修繕もしくは模様替えに係る作業等に従事することになります。 主な業務内容は、①型枠施工、②左官、③コンクリート圧送、④屋根ふき、⑤土工、⑥鉄筋施工、⑦鉄筋継手、⑧内装仕上げ、⑨表装、⑩とび、⑪建築大工、⑫建築板金、⑬吹付ウレタン断熱、その他、建築物の新築、増築、改築もしくは移転、修繕、模様替または係る作業があります。 新たな制度と今後の期待 特定技能1号外国人の受入れ第一号が建設分野で誕生したのは2019年9月でした。2023年11月に特定技能2号評価試験ルートを整備することで今後の外国人技能者の活用が大いに期待できます。建設工事現場における技能者不足を少しずつ解消できることを願っています。 埼玉新聞「知・技の創造」(2024年5月3日号)掲載 profile 三原 斉(みはら ひとし)建設学科教授 近畿大学卒業。工学院大学大学院博士課程修了。博士(工学)・一級建築士・一級建築施工管理技士。村本建設株式会社を経て2001年より現職。専門は、建築生産、建築構法、建築技術技能教育。 関連リンク ・建築再生研究室(三原研究室)・建設学科WEBページ

  • 【知・技の創造】新しい機械加工の学び方

    5軸制御マシニングセンタの導入 昨年末、本学情報メカトロニクス学科に5軸制御マシニングセンタが、機械加工関連の実習用の機器として導入されました。5軸制御マシニングセンタとは、従来からある汎用の旋盤やフライス盤といった複数の工作機械の機能を1台に統合し、高度なIT技術で自動化された最新鋭のNC工作機械です。 類似のものに複合加工機がありますが、これらの出現により、これまでの工作機械では加工できなかった複雑な形状の製品が、容易に加工できるようになりました。今回、伝統的な技能と最新の技術を合わせ持つテクノロジストを育成する本学では、新しいモノの作り方を理解するために、5軸制御マシニングセンタは不可欠な要素であるという判断のもとでの導入となりました。 5軸制御マシニングセンタ 国内機械加工業界の現場では… 5軸制御マシニングセンタや複合加工機(以下、二つをまとめて5軸加工機)により、機械加工の現場は、さらなる自動化や省人化が可能になります。その優位性についての理解が進む欧州では、順調に販売実績を伸ばしていますが、日本国内では少々伸び悩んでいるのが実態です。 工作機械メーカーによる実機の貸し出しや、加工実績の紹介など、様々なキャンペーンが実施されてはいますが、国内機械加工業界全体に広がりを見せているとは、まだまだ言えません。これは高額な設備投資と、これらの新しい機械を使いこなすスキルを持つ人材が、圧倒的に不足していることが理由として挙げられます。 しかし、少子高齢化の影響による労働人口の減少は明らかで、すでに待ったなしの状況です。これに対応していくには、工程の自動化と省人化が絶対条件で、投資額や人材確保の問題を上回るものとなります。その答えのひとつとして、5軸加工機の導入があります。また、5軸加工機を用いての製造を前提とした製品や部品の設計がなされていないことも大きな要因と言えます。 これには、古くから国内産業の基盤を担ってきた、安定した生産体制を敷くためのノウハウの踏襲や、5軸加工機の強みを積極的に取り入れるなどといった、設計部門の十分な理解が得られていないことが考えられます。 教育現場の対応とこれから 一方で、我々のような教育機関での教育実績が少ないことも課題となっています。特に5軸加工機は、機械本体だけでなく、その周辺機器や加工プログラムを作成するアプリケーションは、高価なものが多く、これらを複数用意する必要があるため、費用面でも教育カリキュラムに組み込むことを困難にしています。 企業から学生へ5軸加工機のレクチャーを行う様子 そして何よりも、指導する教員のスキルアップも重要です。しかし、5軸加工機の販売実績が好調な欧州を中心とした海外では、これらの工作機械は機械加工の初学者が扱い、従来のものは、高度な技術や技能を持つ熟練者が扱うべきものという考え方があります。つまり、高度なIT技術により自動化された最新の工作機械は、誰でも扱いやすいので初学者向きであるということです。 この考え方には賛否両論あると思いますが、生まれた時からIT技術が身近にある若年層は、これまでのような汎用の工作機械からではなく、自動化が進んだ最新のものから学び始めるというのは、これからの機械加工の学び方に、我が国でもなるのかもしれません。 埼玉新聞「知・技の創造」(2024年4月5日号)掲載 profile 武雄 靖(たけお やすし)情報メカトロニクス学科教授 東京農工大学大学院工学府機械システム工学専攻(博士後期課程)修了。博士(工学)、MOT(技術経営修士)。専門は機械加工学、技術経営、技能伝承など。 関連リンク ・機械加工・技能伝承研究室(武雄研究室)・情報メカトロニクス学科WEBページ

  • 【埼玉学⑤】「食」のアミューズメント・パーク サイボク

    「埼玉学」とは、埼玉県の歴史・文化・産業・地理・自然など、埼玉県に関するあらゆる分野を総合的に研究・探究する学問です。教養教育センターの井坂康志教授が新しい研究テーマとして連載を始めました。 埼玉学第5回は、埼玉県日高市にある「サイボク」が埼玉に作れられた歴史と背景、そして現在に至るまでの挑戦について触れていきます。 サイボク創立者の夢 埼玉県日高市に位置するサイボクは、食のアミューズメント・パークと呼ぶにふさわしい。その広大な敷地は、東京ドーム2.5個分に相当し、自家製の精肉やハム、ソーセージの直売店、レストラン、地元野菜や花きの販売所、そして天然温泉「花鳥風月」まで備えている。年間約400万人もの人々が訪れ、埼玉のみならず、関東一円にファンを持っている。たいていのガイドブックにもその名は記載されている。そんなサイボクには日本の戦後復興とともに歩んできた歴史が背景にある。 愛らしいマスコットキャラたちもお出迎え。 1946年、埼玉県入間郡高萩村(現在の日高市)にて「埼玉種畜牧場」が開設された。この牧場で、原種豚の育種改良が行われ、美味で安心な豚肉生産の基盤が築かれた。当時、国内には養豚学科を有する大学や農業高校がなく、創業者・笹﨑龍雄は、獅子奮迅の努力によってこの地に牧場を開いた。そんな笹﨑龍雄は、1916年、長野県の農家の8人兄妹の次男として生まれている。幼い頃から牛・馬・豚等の家畜に囲まれて育ち、中でも豚の飼育係を担当した笹﨑は、その魅力に夢中になり、いつしか「獣医」を志すようになる。しかし、8人兄妹を賄う家計は決して豊かでなく、一念発起して超難関の陸軍依託学生として東京帝国大学農学部実科(現・東京農工大学)を受験し合格する。卒業した1941年、日米開戦と同時に陸軍の獣医部将校として旧満州とフィリピンの戦地に派遣された。1945年日本が敗戦を迎えると、物資不足と食糧難を目の当たりにした笹﨑は、「食」で日本の復興に寄与しようとした。笹﨑の夢と情熱がサイボクを築き上げた。 自慢のソーセージ。 店舗の様子。 なぜ埼玉か 長野県生まれの笹﨑龍雄はなぜ埼玉に目を付けたのか。理由はいくつか考えられるが、一つ挙げるなら、埼玉の農業と深い関係がある。埼玉は何よりさつまいもと麦の生産地であった。埼玉においては、さつまいもは「主食」と言ってよかった。その地下で育つさつまいもは人間の飢えを満たし、地上で育つ葉や茎は、豚にとって良好な飼料となった。食の中心であった麦は、明治から昭和30年代中頃にかけて4種の麦を中心に生産されていた。戦前には小麦、六条大麦、二条大麦、はだか麦を合わせた4麦の生産が全国一を占めていた時期もあったが、それもまた養豚にとって恵まれた飼料の補給を可能にした。その歴史的背景を遡れば、「麦翁(ばくおう)」と呼ばれた権田愛三の存在が浮かび上がってくる。1850年に埼玉県北部の東別府村(現在の熊谷市)に生まれた権田は、一生を農業の改良に捧げた。中でも麦の栽培方法に関して功績を残し、麦の収量を4~5倍も増加させる多収栽培方法を開発したとされている。後にはその集大成ともいえる「実験麦作栽培改良法」を無償で配布、県内はもとより日本全国への技術普及に尽力した食のイノベーターだった。このような豊かな農業生産地・埼玉の「地の利」を背景に、笹﨑は養豚のイノベーションに着手していった。1931年に開通した八高線によって、豚や飼料等の運搬が容易になったこともそこに加えられるべきだろう。 埼玉の精神にふれる サイボクは現状に甘んずることなく、新しい挑戦を追求してきた。1975年には、日高牧場内に日本初の養豚家が直接販売するミートショップが開店し、その後も施設の拡大や改善が続けられた。1997年にはオランダで開催された「国際ハム・ソーセージ競技会」に初出品し、多くの賞を受賞した。さらに、2002年、周囲の猛反対を押し切り温泉堀削を試み、驚くほどの量の良質な温泉を発見した。それをきっかけに、温泉施設の建設が始まり、21世紀型の「食と健康の理想郷」をめざす施設として整備された。 今回話を聞かせてくださった現会長・笹﨑静雄氏と。 サイボクのレストランの裏手には、広大な緑の芝生と森が広がる「サイボクの森」がある。「緑の空間と空気は人々の心を癒すもとになる」「一日30~60分の日光浴は骨を丈夫にする」「子どもの近眼の主因である、屋外での遊びの欠如と日光浴不足を解消するためのこのようなアスレチック施設や、大人のための散策路やくつろぎのスペースを準備しよう」。サイボクの森は、女性スタッフ中心の発想で実現した。三世代の家族が遊べる空間として計画され、コロナ後はとりわけ得がたい憩いの場になっている。現会長・笹﨑静雄氏は、父・龍雄の存命時、豚が不調に見舞われた時の対処のし方を聞きに行くと、そのたびに「豚は何て言っていたんだ」と問い返されたと言う。「わかりません」と答えると、「豚舎に寝ないとわからないだろうな」と言われたと振り返っている。現在のサイボクの活動はすべて豚とお客さんが教えてくれたことを愚直に実践してきた結果と笹﨑氏は語る。現在のサイボクの歴史は、対話の歴史だった。客と対話し、自然と対話し、地域住民と対話し、何より豚と対話する。相手の言うことに耳を傾け、次に何が求められるかを模索する。これは郷土の偉人・渋澤栄一が事業を始めるときにこだわった方法でもある。サイボクは食のアミューズメント・パークにとどまらず、埼玉の「埼玉らしさ」にふれられるイノベーションの宝庫である。ぜひ一度訪れ、味わい、体感してみてください。 Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学教養教育センター教授 1972年、埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、社会情報学。 関連リンク ・【埼玉学①】行田-古代のリズムは今も息づく・【埼玉学②】吉見百穴-異界への入口・【埼玉学③】秩父-巡礼の道・【埼玉学④】『翔んで埼玉-琵琶湖より愛をこめて』を公開当日に観に行くということ・教養教育センターWEBページ

  • 【大学院生による研究紹介】途上国の災害における居住空間の変化に関する研究

    2018年9月28日にインドネシア・スラウェシ島で発生したマグニチュード7.5の地震により、近傍の都市は死者・行方不明者4,547人、家屋損壊100,405という甚大な被害を受けました。浦上龍兵さん(大学院2年・今井研究室)は、復興が進むインドネシア中部スラウェシ州に赴き、災害復興住宅の住環境の分析を行いました。 研究のきっかけ 私が所属している研究室の今井教授は、海外の被災地の復興について研究や実験を行っています。学部生の頃に、今井教授からインドネシア・スラウェシ島地震の被害状況を教えていただき、復興の仕方についてお話を聞くことが度々ありました。今井教授のお話を聞くうちに災害復興について興味を持ち、研究したいと思い大学院への進学を決めました。当初、大地震が発生した2018年にインドネシアでの調査を実施する予定でしたが、新型コロナウイルスの影響で延期になり、2022年に実現することになりました。今井教授に本学と千葉大学の合同調査メンバーに選んでいただいて、私がメインで被災地の住環境について調査を行い、論文を発表することになりました。 現地での調査 インドネシアには、2022年9月に10日間行きました。地震の発生から2年が経った現地は、被害が大きかった村でもNGOの活動により復興住宅の建築が進んでいました。しかし、沿岸部は津波によって地盤沈下が起こり集団移転している村もあり、そういったところはまだ瓦礫が散乱していました。私たちは、NGOの方に被害の大きかった村を6か所案内していただいて、その中からランダムに住民を選んでもらい、その住民のご自宅でアンケート調査を行いながら、並行して復興住宅の実測調査を行いました。現地の方たちは明るい人が多くて気さくに話しかけられることが度々ありました。コミュニケーションを取るために翻訳アプリを使っていましたが、見ず知らずの日本人に対して、「この村にヒーローが来た」と言ってくれました。私たちが何か変えられるわけではありませんが期待していただいて、住宅に入る時もウェルカムな対応をしていただきました。 調査に協力いただいた家族と(前列左が浦上さん) 住民の方たちのアンケート調査では、復興住宅の満足度を質問したのですが、「良い環境に住ませてもらっている」という回答が多く、復興は順調に進んでいるという印象を受けました。住環境に関するアンケートは各項目を地震前、避難期間中、復興住宅の3つのフェーズに分けて質問しています。アンケートの内容は、それぞれの時期の家族構成や、誰が住宅を建てたか、水回りの変化、地震前と復興住宅の家の広さ、住宅の満足度など基本的には生活に関することを聞いています。 アンケート調査の様子 復興住宅というと、日本ではプレハブ住宅のような一時的な避難先という印象がありますが、インドネシアでは永住することを前提とした家を建てています。インドネシアは、「ノンエンジニアド住宅」と呼ばれる専門的な知識を持たない人が施工した住宅が多くあります。ノンエンジニアド住宅が地震で崩れることにより被害が大きくなることが問題視されていました。そのため、NGOの方が「コアハウス」という頑丈な家を建てることで、また大地震が発生しても被害を抑えることができます。この復興住宅は建築当初は、リビングや寝室などの最低限の住居スペースしか確保されていません。他に必要なキッチンやトイレなどのスペースは住民が各自で増築を行います。せっかく頑丈な家を建てたのに、ノンエンジニアドが増築したらまた災害時に被害が大きくなってしまうのではないかと思うかもしれません。しかし、復興住宅は被災者に最低限の身を守れる場所を提供することが目的で、増築されることが前提の住宅です。支援金には限りがあるので最低限の耐久性がある住宅を提供しています。復興住宅は、3人家族であっても10人家族であっても同じ広さの住居が提供されます。そのため、実測調査は家族構成によってどの程度の面積を増築したか、どういう用途のスペースを増築したのか明らかにすることを目的に行いました。 復興住宅が立ち並ぶ村の様子 調査結果からの提案 今回の研究は、住宅の耐震性ではなく、住民の生活水準や満足度を調査するものです。アンケートを行った住民からの意見をまとめ、安心感や快適さ、住宅の満足度を明らかにしようと思いました。アンケートの結果から、現在の生活が地震前よりも安心や安全を感じているということが分かりました。地震前の住宅はインフラが整っていなくで川に洗濯に行っていたのが、復興と同時にインフラの整備が進み、水道や電気が使えるようになり生活水準が地震前より上がっている影響も考えられます。調査をした村の中で特に満足度が低い村がありました。その村は復興が進んでいますが、被害が大きかった他の村から多くの人が転入してきていました。その影響で元々の住民たちの安心感や安全に関する項目が大きく低下していました。原因は、他の村にはある「コミュニティスペース」という村の人たちの交流の場になる施設が無く、転入者とのコミュニケーションが取れていないことだと考察しました。村が集団移転して3年経ってもコミュニティスペースが無いということは、これから建設される可能性は低い。そこで私は、村の土地性に合ったにコミュニティスペースを建設して住民の不安を取り除くことを提案しようと思いました。コミュニティスペースは、復興住宅のスケールを考慮します。正面5メートル、奥行き6メートルの空間を中心に置き、周りに用途を付け足していきます。中心部は、屋根はかかっていますが基本的に屋外で、開放的なスペースで住民同士がコミュニケーションを行うことを想定しています。 他の村のコミュニティでの一幕 コミュニティの設計は、復興のシンボルになっている「大きなクロス型」をコンセプトにしています。復興住宅の壁には大きなクロス型があしらわれているのですが、このデザインについて37%の人が満足していたからです。復興住宅は、ジャケッティング構法と呼ばれている組積造というレンガブロックを積み上げて壁を作っています。これはインドネシアの伝統的な構法ですが、耐震性が低く地震の時に崩れてしまうため壁にワイヤーメッシュを貼り、その上からモルタルで仕上げています。その金属のメッシュがクロスの形をして浮き出ています。その壁を住民たちが好きな色に塗って仕上げています。 玄関横の大きなクロスは復興のシンボルになっている。 私の設計は、あくまで修士論文の範囲で行うものでインドネシアの村に必ず建設されるというものではありません。2024年に行われる WCEE(世界地震工学会議)にて今井教授に発表していただく予定です。今後、後輩が研究を引き継いで、いつか村にコミュニティスペースが建設されることを願っています。 関連リンク ・建設学科 建築技術デザイン研究室(今井研究室)・ものつくり学研究科WEBページ

  • 【知・技の創造】インフラ構造物更新技術

    近年は公共構造物の更新や補修補強時代のニーズに即した研究開発を行っています。橋梁(きょうりょう)等のインフラ構造物は、その約半数が建設後50年以上を経過し老朽化しています。これらの構造物をいかに再生させるか、あるいは更新させるかが喫緊の課題です。 本学には、画像の3000kNの万能試験機があり、これを使って新材料や新技術を用いた補修・補強や更新に必要な工法の共同研究をしています。 万能試験機 鋼部材の補修・補強 橋梁等の鋼部材の腐食劣化部や耐震耐荷力不足等の部位に炭素繊維強化ポリマー(以下、CFRP)で補強する技術開発をNEXCO総合技術研究所や材料メーカーと共同研究をしています。この技術はCFRPシートを含浸接着して必要枚数積層するものですが、鋼材とCFRPシートの間に高伸度弾性パテ材を挿入する世界的にも新しい技術です。最近では、CFRP成形部材を使えるように工夫しています。これらの技術は鋼桁橋、トラス橋、鋼床版橋に適用されてきていますが、今後、煙突、タンク、水圧鉄管等に用途拡大が期待できます。 FRP歩道橋 浦添大公園歩道橋(沖縄県浦添市) 塩害地域の対策で注目されているFRPを用いた歩道橋が注目されています。2019年に真空含浸法により製作したGFRP積層成形材を、集成接着した箱桁歩道橋が沖縄県浦添市に建設されました。本橋は橋長18.5mです。今後、さらなる支間長増大に対応すべく、現場接合構造の研究を行いました。また、木製歩道橋をFRPで補強する工法についても、県内自治体と共同で今後事業展開を図ります。 弾性合成桁 古くから施工されている橋梁の多くは、鋼桁の上に鉄筋コンクリート床版を固定した構造形式です。近年、NEXCOをはじめ関係各所で大規模更新事業として劣化した床版の取替えを行っています。この更新後において、床版と鋼桁を完全固定と考える合成桁設計法と、両者を重ねただけの非合成設計法がありますが、その中間的な考えである弾性合成桁の研究を行っています。この設計法を用いれば、合成桁の利点を取り入れつつ、両者の接合方法を合理化することができ、品質の良いプレキャスト床版の採用が容易になります。画像は本学で実施した弾性合成桁の載荷実験の様子です。 弾性合成桁の載荷実験の様子 まとめ 大規模更新時代を迎え、上述の新材料や新技術を用いた工法で、インフラ構造物の安全・安心に繋がる研究開発を続けています。また、埼玉橋梁メンテナンス研究会の活動にも参加し、埼玉大学、埼玉県、国土交通省大宮国道事務所、ならびに埼玉建設コンサルタント技術研修協会の方々と連携して、このような新技術の紹介を行っています。 埼玉新聞「知・技の創造」(2024年3月8日号)掲載 profile 大垣 賀津雄(おおがき かづお)建設学科教授 大阪市立大学前期博士課程修了。博士(工学)。技術士(建設部門、総合技術監理部門)。川崎重工業を経て、2015年よりものつくり大学教授。専門分野は橋梁、鋼構造、複合構造、維持管理。 関連リンク ・橋梁・構造研究室(大垣研究室)・建設学科WEBページ

  • 【知・技の創造】流動床インターフェースの応用研究

    流動床インターフェースの研究 砂のような固体粒子を入れた容器の底面から空気のような流体を上向きに適度に噴出させると、固体粒子は浮遊懸濁して液体のような流動性を示す。的場やすし客員教授と一緒に、流動化した砂の特性を活用した流動床インタフェースを構築し、産業・医療応用や洪水体験等新しいインタラクションシステムの可能性の研究を行っている。 砂面に投影するプロジェクションマッピング 映像を投影した流動床インターフェースに魚の模型を出し入れする様子 その中で、砂面を投影面としたプロジェクションマッピングに関する研究を進めている。砂面は、水面よりも鮮明な映像が投影できるので、ゲームを始めとしたエンターテインメントに適している。流動化の有無や強さの違い等を組み合わせたり、砂の色を変えることにより、新しいプロジェクションマッピングの可能性を検討している。例えば流動化した砂面で人体模型や臓器をかたどり、そこに正確な色の映像を投影する技術により、医療教育や術前カンファレンスなどでの可能性を検討している。また、触れられて投影面の中に手や物を出し入れすることのできるディスプレーが実現できるので、新しい応用の可能性が広がる。写真は、流動床インターフェースに映像を投影し、表面の池の部分から泳ぐ魚に見立てた魚の模型を出し入れしている様子である。 砂には色がついていて白色スクリーンとは異なる。また砂面は滑らかではなく、流動化しているときは表面を動的制御できる。さらに物の出し入れが行える。そこで砂面の反射特性や観察角度の変化に伴う明るさと色の変化、さらに砂面の深さ方向の変化に伴う明るさや色の変化等に対する色再現手法、および色彩制御技術の研究を進めている。これらは、卒業研究やインターンシップのテーマとして学生と一緒に行っている。 また、噴水のように水を連続して噴出させたところに映像を投影するディスプレーが開発されているが、水は反射率が低いので明るい場所では不向きである。これに対して、砂などを連続して噴出させることで、何もない所に突然鮮明な映像を出現させるようなディスプレーの研究も進めている。 防災訓練の応用と触感再生装置への可能性 その他に流動床現象の出現原理の解明を進めると共に、医療応用では、自力で姿勢を変えられない人のポジショニング用具や癒し用具の開発を埼玉県内の病院・企業と産学連携で実施している。さらに疑似体験型拡張現実(AR)と流動床インターフェースを活用して、視覚と身体で水害を感じる洪水体験システムへの検討を進め防災訓練に応用している。また色々な触感を実現する触感再生装置への可能性を検討している。 流動床インターフェースを活用した洪水体験の様子 埼玉新聞「知・技の創造」(2024年2月2日号)掲載 profile 菅谷 諭(すがや さとし)情報メカトロニクス学科教授 博士(工学)。東北大学大学院修了、NEC、アリゾナ大学オプティカルサイエンスセンター、静岡理工科大学助教授を経て現職。専門はオプトメカトロニクス。 関連リンク ・研究実績WEBサイト(researchmap)・的場やすし客員教授Youtubeチャンネル・情報メカトロニクス学科WEBページ

  • 【知・技の創造】新しい教養教育の展開

    教養教育センターの始動 2022年1月7日の「知・技の創造」に「新しい教養教育の取組み」として、同年4月から始動する「ものつくり大学」の新しい教養教育の記事を掲載しました。今回は、教養教育センターが取り組んできた活動について紹介します。前回紹介したものづくり系科目群、ひとづくり系科目群、リベラルアーツ系科目群の教養教育科目は順調に展開しています。 教養教育センターWEBページ 教養教育センターからの発信 第1回教養教育センター特別講演会の様子 2022年11月24日に、第1回教養教育センター特別講演を本学で行いました。スペシャルゲストとして、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授の柳瀬博一氏をお招きし、「テクノロジストのための教養教育」についてお話を頂き、その後に教養教育センター教員によるパネルディスカッションを行いました。教養教育に関する熱い思いを学生にぶつけ、教養教育のキーワードとして土居浩教授は「磨き続ける」、井坂康志教授は「無知を認める」、町田由徳准教授は「視野を広げる」、土井香乙里講師は「とことん学ぶ」を挙げていました。ちなみに私は「本物を知る」です。 2023年11月9日には、第2回教養教育センター特別講演を渋谷で行いました。会場は渋谷スクランブルスクエア15階の「SHIBUYA QWS」で、日立アカデミーとの共催、ドラッカー学会の協賛で行いました。特別講演は、日立製作所名誉フェロー、脳科学研究で著名な小泉英明氏に、「脳の基本構造を知り、学びたいという気持ち、意欲やパッションの根源を知る」についてお話を頂きました。鼎談「脳科学、言葉、ものづくり、使える教養はどう育つか」では、キャスター・ジャーナリストの山本ミッシェール氏をお招きし、パネルディスカッションでは本学教養教育センター教員も参加して活発な討論が行われました。 第2回教養教育センター特別講演会の様子 教養教育センターでは、ものつくり研究情報センターと協力して、「半径5mの経営学 ドラッカー流 強みの見方・育て方」、「上田惇生 記念講座 ドラッカー経営学の真髄」、「ものづくりのためのデザイン思考講座」の社会人育成講座を行いました。 大学ホームページからは、埼玉の歴史や文化をものつくり大学独自で研究している「埼玉学」を発信しています。是非、ホームページをご覧ください。埼玉学の記事一覧はこちら 2024年度からの始動  2024年度からは、前述の「SHIBUYA QWS」のコーポレートメンバーに入会する予定で、会員になると月に1回広い会場スペースを利用することができます。特別講演をはじめ、様々な行事を行えるようになりますので、新たな展開に期待してください。  授業では、「ICT基礎実習」、今年度新設した「データリテラシー・AI基礎」を軸に、文部科学省の「数理・データサイエンス・AI教育プログラム認定制度」に申請し、情報の分野を強化します。また、来年度は留学生のための「日本語」を新設して、「留学生就職促進教育プログラム認定制度」に申請し、留学生の日本語教育と就職支援を行います。 おわりに 教養教育センターは、向上心を持って日々新しいことに挑戦しています。来年度は第3回教養教育センター特別講演をはじめ、様々な取り組みを発信します。これからの教養教育センターの活動にご期待ください。 埼玉新聞「知・技の創造」(2024年1月5日号)掲載 profile 澤本 武博(さわもと たけひろ)建設学科教授 東京理科大学卒業、同大学院博士後期課程修了、博士(工学)。若築建設株式会社、東京理科大学助手を経て、2005年着任、2019年より学長補佐、2022年より教養教育センター長。 関連リンク ・コンクリート研究室(澤本研究室)WEBサイト・建設学科WEBページ・教養教育センターWEBページ

  • 【知・技の創造】高校ロボコンで埼玉無双

    高校生ロボコンと学生ロボコン 全国高等学校ロボット競技大会をご存じでしょうか? 主に工業高校の生徒が、毎年違うお題に対してロボットを開発する競技大会です。さまざまな対象を運んだり置いたりが課題となる「キャリアロボット」というジャンルの競技です。 11月末に福井県で全国大会が開催され、埼玉県大会で1位・2位に入賞した進修館高校が埼玉県の代表校に選出されました。 一方で、ものつくり大学「ろぼこんプロジェクト」は、NHK学生ロボコン2023に出場を果たし、出場回数は14回を誇ります。 NHK学生ロボコン大会会場にて NHK学生ロボコンは全国の大学・高専が対象のロボット競技大会で、優勝するとABUロボコン(アジア地域のロボコン大会)の出場権を得られます。全て英語のルール発表が10月初旬。これを深く理解し、ロボットを設計・開発・実装します。2月末、4月末の2回の厳正なビデオ審査を経て、出場チーム数は20チーム前後に絞られます。大会は6月初旬に開催されます。 従って大会に出場を果たすだけでもかなり大変で、メンバーの学生たちは、ほぼ1年中ロボットの開発にいそしんでいます。実はメンバーの中には前述の全国高等学校ロボット競技大会に出場経験のある学生もいます。 高大連携でロボコン無双 これらの背景から、本学と進修館高校で高大連携事業の一環として、去年12月よりロボコン講習会を始めました。本学学生が高校生に自分の経験や知識を教えます。内容は表のとおり、メカ設計・加工・制御回路と、ロボコンに必要な機械・電子・情報の内容を網羅してあります。7回目まで実施済みで、今年度末までに残りの講習を行います。今年12月からこの連携に児玉高校も仲間入りします。 埼玉県内の高校ロボコンチームの参加を募集中です。この活動を通じて、埼玉県から出場の高校生チームが全国高等学校ロボット競技大会で無双することを夢見ています。 回数内容1設計とは?(機構学とモノの捉え方)23DCADを用いた設計33Dプリンタを用いた実習4~7全国高等学校ロボット競技大会出場マシンのお悩み相談会8マイコンを用いた制御回路(センサ・アクチュエータ・LED)9マイコンを用いたシリアル通信10マイコンを用いた無線通信11板金工作の設計12板金工作と実装講習の内容 埼玉新聞「知・技の創造」(2023年12月8日号)掲載 Profile 三井 実(みつい みのる)情報メカトロニクス学科教授  北陸先端科学技術大学院大学博士後期課程修了。博士(情報科学)。専門はシステム開発、音響工学、電気電子工学。 関連リンク ・ヒューマンメディアラボ(三井研究室)WEBサイト・情報メカトロニクス学科WEBページ・ロボコンはスポ根だ!優勝目指してひた走れ!① ~リーダー&操作担当者編~・ロボコンはスポ根だ!優勝目指してひた走れ!② ~ピットクルー&大学院生編~

  • 【埼玉学④】『翔んで埼玉-琵琶湖より愛をこめて』を公開当日に観に行くということ

    「埼玉学」とは、埼玉県の歴史・文化・産業・地理・自然など、埼玉県に関するあらゆる分野を総合的に研究・探究する学問です。教養教育センターの井坂康志教授が新しい研究テーマとして連載を始めました。埼玉学第4回は、井坂教授が『翔んで埼玉-琵琶湖より愛をこめて』公開日に浦和パルコ映画館にて、埼玉学徒の皆さまと鑑賞したことを受けて、埼玉学の問題提起を述べていきます。 埼玉とは「悲劇のイデア」である 映画『翔んで埼玉2』の2023年11月23日公開に先立ち、『東京新聞』から埼玉の県民性についてコメントを求められた。私は公開当日にこの映画を見ることができたので、今となっては私の話したことはたいした意味もなくなっているのだが、ごく簡単な感想をお話して、埼玉学の問題提起に代えたいと思う。もちろん私は映画について立ち入った話をしようと思うのではないし、そんなことは専門家でないからできもしない。ただごくおおざっぱに、映画に表れた埼玉の特性についてお話ししようと思う。というのも、埼玉とは特定の土地よりも、一つの「悲劇のイデア」だからなので、この点は今日いろいろな理由から曖昧になっており、このことを明らかにすることがさらに大きな視点を獲得するうえで大事だと考えているからだ。『翔んで埼玉』が公開されたのは2019年のことだった。この作品は埼玉そのものというよりも、埼玉のイメージに着目して、その特性を新しい見方によって蘇生させることに成功した。これは埼玉に伴うおそらく近代以降の一大イノベーションとさえ言える。もちろん映画で描かれる台詞や情景は、逆説、独断、憶測、諧謔に満ちている。だが、私が映画を数度見て結果として覚えることになった「異常な感動」は、埼玉に関する動かしがたい何かを教えていると思った。『翔んで埼玉』が一つの娯楽映画を超えた何かを持っているのは、多くの人が「はじめは笑っていたが、最終部では思わず涙した」とコメントしていることからも明らかだろう。ちょっと聞くと反語に受け取られるが、それは埼玉が様々な側面で二つの勢力の葛藤を知らず身に帯びている事実を示唆している。ここで言う二つの勢力とは、主として埼玉の地形と地政に由来している。改めて埼玉を地図で確認してみると、接する都道府県は7つ。異常な数である。とくにあの長野県とも一部接している事実は埼玉県民にさえ知られているとは言えまい。 とりわけ北の群馬、南の東京都の県境が圧倒的に長大である。これは、東京という近代日本の象徴と群馬という近世権力との間に横たわる、よく言って通路、悪く言えば「玄関マット」の役割を埼玉がはからずも果たしてきた事実を示している。南北の文化・文明的差異に加えて、中央に縦走する台地を境目として、東西の山・川の地形的コントラスト。これらの異なる勢力が常時綱引きしている構図である。そのぴんと張り詰めた綱の上に埼玉が乗っている格好である。自己イメージ形成に葛藤をもたらさないはずがない。もちろん、映画はどこかでそのことを念頭に置いて、スタイリッシュかつコミカルに主張しているのであって、シーンの一つひとつは、すでに埼玉県の心中の風景を映像化したものにほかならない。そこでは、「埼玉には際立ったものが何もない」との一般の主張を覆す証拠がふんだんに存在している。『翔んで埼玉』が取り扱うのは、表面的には喜劇である。しかしその実、悲劇の本質を余すところなく表現している。ニーチェは『悲劇の誕生』において、「悲劇とは人生肯定の最高の形式」と述べている。悲劇とは、何かの不足によって起こされるものではない。むしろ何かの過剰によって惹き起こされている。主人公の麻実麗(GACKT)は、埼玉県民の素性を隠し、東京都民を圧倒的に凌駕する「都会指数」を発揮しながら、彼は進んで埼玉解放戦線の活動に身を投じ、苦節の末にその試みに成功するのが『翔んで埼玉』のストーリーである。彼は同胞たちの災厄を進んで引き受けている。その姿勢が何より悲劇的である。このように空気を読まずに地雷を踏んでしまう人。そのような人を世間では「ダサい」と呼ぶ。 「ダサさ」を愛さなくてはならない 映画館で配布されたカード。当日浦和では映画公開を知らせる号外も配布された。 およそこのような悲劇の肯定は、巷間埼玉に対して発せられる凡庸さや冗長さ、無気力、無関心とはまったく異なる。むしろ、麻実麗に見られるのは、生命の過剰であり、悲劇の精神の遂行である。意志と希望の挫折からくる不条理への愛である。『東京新聞』の取材で私は埼玉の県民性について問われたわけだが、語っているうちに私は県民性について自分が話しているのでないことに気づいた。埼玉のうちにある精神の断片を拾い上げたい気持ちになったのだ。埼玉の中に表現される縦横の衝突・葛藤は、自己イメージ形成でも大事な役割を果たしている。この衝突によってついに「ダサい」という非常に輝かしい境地に到達しえたということだ。偉大な存在に共通するのは、アイデンティティ獲得の疎外からくる絶えざる緊張である。心内に深刻な葛藤があるなら、それから目を覆ってはならないし、耐えるだけでもいけない。その葛藤が何を教えるかに目を凝らさなければならない。さらには進んで、「ダサさ」を愛さなくてはならない。これはいわば日常生活に身を浸した者の率直な決断なので、多くは無自覚であって、奇をてらった結果ではない。葛藤に伴う日常が、この生活態度に埼玉県民を導いたのだ。もちろんこういう考えは、アイデンティティの確立にはおよそ不向きである。都会に屈すれば、ただの植民地になるだろう。田舎に甘んじていれば、進歩の可能性はなくなるだろう。埼玉県はどちらでもない。まさにこの中途半端な状態を肯定するならば、進んで世間の図式的な都会とか田舎とかといった区別を越えた一次元高い自己認識を獲得しなければならない。 なぜ寛容なのか 記者からの質問は、「なぜ埼玉県民はかくも露骨にディスられても、それを寛容に受け止めるのか」というものだった。私はそれに対して、「アイデンティティの先延ばし」を習慣化しているからではないかと答えた。あえて言えば、現代においてアイデンティティの獲得はあまりにも強調され過ぎていないか。それはそれほどまでに重要なことなのか。かえって人の世を生きにくいものにしていないか。個と環境との合一は、人から貴重な内省の機会を奪っているのではないか。そもそも県民性など取るに足りないものではないか。確かに埼玉県の評価をランキングで見る限り、芳しいものではない。47都道府県のうち下から何番目。ただし、注意しなければならないのは、埼玉県民が戦っているのは他県ではなく、自己自身であるということである。『翔んで埼玉2』の話に戻る。一体、映画(フィルム)とはもともと映像化されたドキュメントという意味の言葉である。その意味からすれば、この作品は一見洒落に過ぎないようでありながら、一貫して存在してきた埼玉県民の精神的来歴を純粋に映像化したドキュメントと言ってよい。登場人物を見る限り、演出はスタイリッシュで、嫌味な芝居が演じられているようには見えない。いわゆる悪い洒落ではなく、良い洒落になっているのは明らかだ。埼玉県民はあたかも自らが脚本を書き、演出し、芝居をしているかのように感じさせる吸引力がそこにはある。事実、ほとんど一本の作品を演じきったかのような清々しい解放の表情を私は浦和パルコの観客に見た。『翔んで埼玉2』では、滋賀をはじめアイデンティティの獲得を妨げられ、延期することを定められた他県との共闘が展開される。それは埼玉県民にとって悲劇の結末をもたらすものではなかった。観終わった後の観客には、どことなく救済されたかのような、えもいわれぬ表情が浮かんでいた。さすがにすすり泣きこそ聞かれなかったものの、押し黙った苦痛に言葉を与え、苛まれた魂の奥に未来を見たごとき自由のまなざしがそこかしこにあった。 あえて定義しない勇気 おそらく、この映画はアイデンティティ確立を迫る嵐のごとき風潮の中、途方に暮れた人々にとっても解放をもたらしたことだろう。だから再び言いたい。自己の確立はそんなに偉いものなのか。むしろ一般の趨勢に抗して、どこまでも自己を定義したくなる欲求の外側に立ち続けようとする態度の方がよほど強靭でしなやかな精神力を必要とするのではないか。その証拠に自己を確立したと主張する国や地域、組織、人ほど、他者との闘争に明け暮れているのではないか。つまるところ、ディスられてもけなされても、埼玉県民の自己定義は未来にある。それは永遠の旅路を歩もうと決意する点で、「君だけの永遠の道をひたすらに歩め」(ニーチェ)と説くロマン主義的態度に通じている。これは不毛なマウント合戦に加わらず、またかりそめの「アイデンティティ」の安酒に身を任せるのでもなく、つねにただ薄い笑みをもって超然と自己に邁進する姿勢である。そういうところが、埼玉県民に争いを好まぬ「しらこばと」の平和的態度をもたらした理由と思われる。『翔んで埼玉2』はその意味で、前作に続く天啓であった。「人は最も自分がよくできることを知らない。強みとは持ち主自身によって知られていない」とはマネジメントの父ピーター・ドラッカーの言である。埼玉県民はこの映画によって、はからずも自分が最もよく行ってきたことのみならず、自己の心内で営まれた果てしない物語を知ることになる。あるいはおおげさに聞こえるだろうか。 行田市古代蓮展望タワーをしみじみと眺める。意外に高い。 Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学教養教育センター教授1972年、埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、社会情報学。 関連リンク ・東京新聞 TOKYO Web「ディスられても笑いに 埼玉の強みとは『翔んで埼玉』続編23日公開」・【埼玉学①】行田-太古のリズムは今も息づく・【埼玉学②】吉見百穴-異界への入口・【埼玉学③】秩父-巡礼の道・教養教育センターWEBページ

  • 【知・技の創造】地域活性化は子どもたちから

    地域を担うのは誰? 郊外や地方で人口が減少する中で、地域の活力や賑わいを維持するためには、少ない人口でも生産性を上げる新たな産業の創出や観光の振興などが考えられますが、そこに住まう「人」が必要不可欠です。そのため、いずれの地域も「人」を確保するために、移住・定住の促進や、地域外に居住されていても地域とかかわりを持ってもらえる関係人口を増やすことに力を入れています。 このように人口の減少局面では「地域の外の人」に目がいきがちですが、もっと身近なところに頼もしいヒューマンリソースがあります。 地域の子どもたち 地域の子どもたちは、私立学校を除けば、お互いに同じ地域の中で同じ小学校や中学校に通学することが多く、比較的近隣に居住して親密な人間関係の基礎を築いていく傾向にあります。しかしながら高校生や大学生になると、地域外への通学や活動の場面も多くなり、そのまま就職することでネットワークは広がりますが、地域へのかかわりは少なくなる傾向にあります。 このような、子どもたちの成長過程で広がるネットワークの中に、なかでも地域に根差した生活を送る小学生・中学生の時期に、もっと積極的に地域のまちづくりや課題解決への意識や行動につながる組織をつくることができれば、中長期的な人材確保につながるのではないかと考えています。 地域へのかかわりを維持  私たちの研究室では、地域の小学校と中学校をまたいで、子どもたちによって組織された「子どもまちづくり協議会」の試験的な設置を提唱しており、ある自治体において実際に取り組みを始めています。協議会というカタい表現はあくまで組織の趣旨や活動を理解してもらうための仮称で、覚えやすく親しみやすい名称をみんなで考えればよいと考えています。 この組織の大きな目的は、小学校・中学校の子どもたちにまちづくりや地域の課題を解決してもらう当事者の一員になってもらうことです。 もちろん、子どもたちだけでは難しい場面も多いと思われますので、大学をはじめ有志のオトナも適切なサポートを行います。組織の中には複数のチームがあり、学年単位といった横割りではなく小学生・中学生の区別なく学年も超えた混成チームを編成し、自分たちで決めたテーマに取り組んだり、ほかのチームと協力することで年齢の枠を超えたつながりをつくります。 このチームは学年が上がっても、卒業しても、地域を離れても可能な限り維持に努めます。成果は議会などに提言や報告することも考えられます。 緩やかだけど強力な応援団  このようなネットワークの中の組織から、たとえ数名でも地域に残って活躍したり、Uターンしたり、地域に居住していなくても興味を持ち続けて外からの力でまちづくりや地域課題の解決を支援したり、または地域に縁がなかった人までも巻き込むきっかけになれば、緩やかではありますが強力な応援団として、けっきょくは中長期的にみると大きな効果を発揮するのではないかと考えます。 地域の活性化には中核となる人材の存在がキモですので、その人材と地域にかかわるネットワークを、いまの子どもたちの中から「育てていく」仕組みづくりも重要ではないでしょうか。 埼玉新聞「知・技の創造」(2023年11月3日号)掲載 Profile 田尻 要(たじり かなめ) 建設学科教授  九州大学 博士(工学)総合建設会社を経て国立群馬工業高等専門学校助教授、ものつくり大学准教授、2013年より現職 自治体との連携実績や委員も多数 関連リンク ・生活環境研究室研究室(田尻研究室)WEBサイト・建設学科WEBページ

  • 【埼玉学③】秩父--巡礼の道

    「埼玉学」とは、埼玉県の歴史・文化・産業・地理・自然など、埼玉県に関するあらゆる分野を総合的に研究・探究する学問です。教養教育センターの井坂康志教授が新しい研究テーマとして連載を始めました。 今回は、秩父の土地に宿る精神に思いを馳せます。 秩父がある 「埼玉県に何があるのですか?」--あなたはこう問うかもしれない(あるいは問わないかもしれない)。私ならこう答えるだろう。「埼玉には秩父がある」と。秩父というと誰でも思い出す、巡礼。そうと聞くと、これという理由もなしに、心の深層にかすかなさざ波が立つ。なぜだろう。なぜ秩父。なぜ巡礼。 東京に隣接した埼玉からすれば、秩父はその無意識に沈む無音の精神空間を表現しているように見える。だがそれはごく最近、近代以後の現象である。なぜなら埼玉はその空間的存在論からすれば、初めから巡礼の地だったからである。これはうかつにも注意されていないように思える。秩父は、その意味で土地というより、霊性をそのまま差し出してくれる、埼玉の奥の院だ。巡礼は、元来霊的な情報システムである。それは現代人工的に編み上げられた新しい情報システムを突き破ってしばしばその顔を表す。高度な情報の時代といっても、霊性が土地ときっぱりと切り離されてしまうことはないし、また霊性を伴って初めて土地の特性は人々の意識に入ってくる。もともと埼玉のみならず、技術と霊性とはいわば二重写しをなしている。埼玉では常にそれらは密接不離の絡み合いとして現在に至っている。言い方を変えれば、日常の陰に潜んで裏側から埼玉県民の認識作用に参画し、微妙な重心として作用している。そのことを今年の夏に足を運んで得心した。 旅の始まりは秩父線 霊道としての秩父線 秩父に至る巡礼路は今は鉄路である。熊谷から秩父線に乗ると、人と自然の取り扱われ方が、まるで違っていることに気づく。訪れる者の頭脳に訴えるとともに、感覚として、ほとんど生理的に働きかけてくる。平たく言えば、「びりびりくる」のだ。秩父線ホームには意外に乗客がいる。空は曇っているけど、紫外線はかなり強そうである。初めはまばらに住宅街やショッピングモールが目に入るが、いつしか寄居を越える頃にもなれば山の中を鉄路は走る。時々貨物列車とすれ違う。ただの列車ではない。異様に長く、貨車には石灰石がぎりぎりまで小器用に積み上げられている。それは精密で美しい。武甲山から採掘されたのだろう。やがて長瀞に到着する。鉄道と言ったところで、近代以後の枠にはめられた埼玉の生態を決して表現し尽くせるものではない。ところで埼玉と鉄道の関係はほとんど信じられないくらい深い。いや、深すぎて、埼玉に住む多くの人の頭脳の地図を完全に書き換えてしまってさえいる。現在の埼玉イメージのほとんどは鉄道によって重たいローラーをかけられて、完全にすりつぶされてしまったと言ってもいいだろう。地理感覚を鉄道と混同しながら育ってきたのだ。鉄道駅で表現すれば、たちまちその土地がわかった気になるのは、そのまま怠惰な鉄道脳のしわざである。そんな簡単な事柄も、巡礼と重なってくるといささか話が違ってくる。秩父線は埼玉の鉄道の中ではむしろ唯一といってよい例外だ。この精神史と鉄路の重複は、肉眼には映らないが、長瀞に到達してはじめて、心眼に映ずる古人の確信に思いをいたすことができた気がする。こんなに気ぜわしい世の中に生きているのだから、たまには旧習がいかに土地に深く根ざしたものであるか、現地に足を運んで思いをいたしてもばちは当たらないだろう。そこには埼玉県の日常意識からぽっかり抜けた真空がそのまま横たわっていたからだ。 山中の寺社には太古の風が吹いていた 長瀞駅から徒歩10分程度のところに宝登山神社がある。参道を登っていく先からは太鼓が遠く聞こえる。それが次第に近づいてくる。この神聖性の土台を外してしまっては、土地の神秘に触れることはできない。どれほど都市文化と切り結ぼうとも、最深部では歴史からの叫びがなければ文化というものは成り立たないからだ。それらは住む人々がめいめい期せずして持ち寄り差し出しあうことで現在まで永らえている何かでもある。 それがどうだろう。現在の「埼玉」という長持ちに収まると、何か別のイメージに変質してしまう。そこにしまい込まれているのは、このような素朴な信仰や習俗であるに違いない。奥の稲荷を抜け、古寺の境内にいつしか立ち入ると、そこは清新な空気に支配された静謐な一画である。赤い鳥居はほとんど均等に山の奥まで配分されている。古代の神々の寓居にばったり立ち入ってしまったかのようだ。 どんなに慌ただしい生活をしていたとしても、ときには果てしない歴史や人の生き死にについて問うくらいの用意は誰にでもあるだろう。埼玉の中心と考えられている東京都の隣接地域では、こんな山深いエリアが埼玉に存在していることなどまず念頭に上らないのがふつうである。いわば埼玉県の東半分は生と動の支配する世界であるが、西半分からは死と静の支配する世界から日々内省を迫られていると考えてみたらどうか。モーツァルトの『魔笛』のような夜と昼の世界--。 生と動もこの世にあるしばらくの間である。しかし、死と静はほとんど永遠である。このような基本的な意識の枠組みが、すでに埼玉県には歴史地理的に表現されている。 荒川源流 徒歩で駅まで戻って、今度は反対側の小道を下りてみた。商店には笛やぞうりなどの土産が並ぶ。坂の突き当りで、長瀞の岩畳をはじめて見た。そのとき、荒川という名称の由来を肌で感じた気がした。ふだん赤羽と川口の間の鉄橋下を流れる荒川は見たところ決して荒くれた川ではない。きちんとコントロールされ、取り立てて屈託もなしにたゆたっているように見える。源流に近い秩父の荒川を目にしたとき、古代の人たちが何を求めていたか、何を恐れていたかがはっきりした気がした。私は源流にほど近い荒川の実物を前にして、人間の精神と自然の精神との純粋な対話、近代の人工的な観念の介入を許さぬ瞑想に似た感覚に否応なく行き着いた。気づけば、私は広い岩の上に横になっていた。どうも土地の神々の胎内にいるような気分になる。それは土地の育んできた「夢」なのではないか。そんな風にも思いたくなる。少なくともそこには都市部の明瞭判然たる人間の怜悧な観念は存在しなかった。おそらく土地の精神とは比喩でも観念でもない。それは勝手にひねり出されたものではなかった。古代人の中では、主体と客体などという二元論はなかっただろう。ただ荒く呼吸して大地から湧出する滔々たる水流と一体になっていただけだろう。それを知るのに学問もいらないし、書物もいらない。古人の生活に直接問いかけるだけの素朴な心があれば十分だ。きっと昔の人は、現実と観念の対立をまるで感じていなかったに違いない。自然全体のうちに人はいるのだし、人の全体のうちに自然はあるというのが、彼らの生きていく意味だったのだ。彼らは、自然が差し出してくる何かを受け取るポイントを特別な場所として認知した。このような自己を取り巻く自然が十分に内面化された場所、自己とはかくのごときのものであり、かくあるべきものであるという場所で、彼らはあえて祭祀を行ったに違いない。 寝転んで川風に吹かれてみれば、土地の精神を支えているのは、存在と切り結ぶ自然感情であることは、明らかなように思える。秩父にあるのは論理ではない。言葉でさえない。あえて言えばそれはとてつもなく古い体験である。それがうまく言葉にならないというそのことが、かえって一種の表現を求めてやまない、どこかくぐもった呼び声として内面にこだましてくる。 「埼玉には何もない」などと気楽に自嘲し、ごく最近つくられた観念に戯れることしかできないのはあまりにさびしいことだ。何もないのではない。正体を見極めがたいほどに果てしなく、あまりに何かが「あり過ぎる」のだ。 長瀞の岩畳に横になり、江風に吹かれてみる Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学教養教育センター教授1972年、埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、社会情報学。 関連リンク ・【埼玉学①】行田-太古のリズムは今も息づく・【埼玉学②】吉見百穴-異界への入口

  • 【知・技の創造】化学実験用流体ブロック

    もっと手軽に化学実験を 化学実験と聞くと何を思い浮かべるだろうか。試験官、ビーカー、フラスコ、ピペット、秤、バーナーなどのような実験器具・機材であろうか。学校で行った化学実験は準備や後片付けに時間がかかったのを覚えている。先生はさらに時間をかけていたに違いない。もっと手軽に化学実験を行えるようにはできないか。化学変化はつねに身近で起きている。なにしろ人間自体が大規模で複雑な化学実験の舞台であるからだ。全身に張り巡らされた血管の中を血液が流れ、脳内では神経細胞がさまざまな物質を使って情報処理を行っている。流れを利用して化学実験を行い、さらに流路を自在に組み換えることができれば、いろいろな化学実験を簡単に行えるではないか。筆者が子供の頃、電子ブロックというものが販売されていた。親指大のプラスチックのブロックの中に抵抗、コンデンサ、コイル、トランジスタなどいろいろな電子部品が内蔵されていて、ブロックの側面は接続端子になっている。ブロックを並べ替えることで、基礎的な電気回路の実験からラジオのような応用的な回路を組むことができた。 流体ブロックの研究 リソグラフィ技術を使ってガラス基板にマイクロメートル幅の流路をつくり、極微量サンプルの科学分析を行う研究(Micro-TAS)は30年くらい前から行われ、多くの成果をあげている。しかしながら、部品の再利用を前提とし自由に組み換えて実験を行うというよりは、特定の目的のために設計・調整されたものが主流である。微細な流路のため層流となり溶液の混合でさえもひと手間かける必要がある。本研究室では、試験官やビーカーよりは小さく、Micro-TAS が扱う領域より大きなサイズ、すなわち数ミリメートルの流路幅をターゲットにしている。このサイズは、重力が支配的になる世界と表面張力が支配的になる世界の境界である。さらに条件によっては層流にも乱流にもなる。流体ブロックの材質は透明で薬剤耐性に優れた PDMS (ポリジメチルシロキサン)である。PDMS は自己吸着性があるのでブロック同士やガラス面などによく密着する。このため並べるだけで3次元の流体回路も簡単に組むことができる。3Dプリンタなどを用いて流路の樹脂型をつくり、PDMS が硬化した後、樹脂型を溶解させれば所望の流体ブロックができあがる。 写真は製作した流体ブロックの1例である。今後、流路中にヒーター、熱電対などの様々なパーツを組み込んだ流体ブロックを製作していく予定である。埼玉新聞「知・技の創造」(2023年10月6日号)掲載 Profile 堀内 勉(ほりうち・つとむ) 情報メカトロニクス学科教授早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。博士(理学)。日本電信電話株式会社研究所を経て2014年4月より現職。

  • 【知・技の創造】気がつく人

    「気がつく」ということ 人の特性のひとつに「慣れ」があります。はじめはおぼつかないことでも、慣れてくるとスムーズにできるようになります。これは良い例なのですが、悪い例もあります。何かが便利になるとはじめの内はありがたがるのですが、その便利さに慣れてしまうと当初の感謝の気持ちは薄れてきてしまいます。そして、急に不便になったときには腹を立てたりします。元に戻っただけなのだから腹を立てなくても、と思うのですが、そうはいきません。かく言う私も紛れもなくその一人です。そのときに今まで便利であったことに改めて気がつきます。 この「気がつく」ということは人には大事です。特に勉強でも研究でも趣味でもどんな場合でも、何か課題を解決しようとしているときにはとても大事だと思います。ところが日常的には中々気がつきません。周囲の多くのものに注意を払っていれば気がつくのではないかと思うのですが、多くのものに注意を払うのも大変です。メガネを使用している読者の方々は、メガネを掛けていることに気がつかずにメガネを探した、という経験はありませんか。私はあります。気がつくことは案外大変なのです。ただ、何かきっかけがあれば気がつくことができる、というのが先の「悪い例」です。もちろん良いことについても、きっかけがあると気がつきやすいはずです。 「気がつく」の応用 この「気がつく」ということを技能の修得に活用できないか、と考えています。技能の修得には一般的に時間が掛かります。例え仕事に関わる技能であっても、仕事中は技能の修得(つまり練習)のみに時間を割くことはできませんから、時間が掛かるのは仕方がありません。以前から「習うより慣れろ」という言葉がありますが、慣れるのにも時間が掛かるのです。そこで、慣れていく途中で自分より上手な他社との違いに「気がつく」ような指標を示すことができれば、技能の修得に役立つのではないかと考えています。また、当たり前のことですが、気がつくのは自分自身です。気がついたことをその人自身が自覚しなければなりません。自覚するためには自分自身あるいは成果を客観的にみる必要があります。ところが一生懸命にものごとに取り組むと、夢中になってしまって自分自身を客観的にみられなくなってしまう。あるいは目的を見失ってしまう、という状況に陥りやすくなります。そのようなときに、見失った自分や目的に気がつけるような仕組みの構築を目指しています。 何かを修得しようとする(上手にできるようになろうとする)ときには、まずは先達の物まねからはじめます。ところが物まねはできても、結果が伴わないことはしばしばあることです。これはスポーツを例にするとよくわかると思います。もし物まねで済むのであれば、皆同じ打ち方、投げ方になるはずです。しかし実際にはそうはなりません。なぜならば、人それぞれの体の大きさや関節の動く範囲、筋力などが異なるからです。 したがって人はまず物まねをしますが、その後何かに気がついて、自分なりの方法を見つけることになります。何に気がつくか、についても人それぞれです。ただ気がつくきっかけを提示できればと考えています。 埼玉新聞「知・技の創造」(2023年9月8日号)掲載 Profile 髙橋 宏樹(たかはし・ひろき) 建設学科教授順天堂大学体育学部卒。同大大学院修士課程修了後、東京工業大学工学部建築学科助手を経て02年ものつくり大学講師。08年より現職。博士(工学)。 関連リンク ・人の生活と建築材料の研究室(髙橋研究室)WEBサイト・建設学科WEBページ

  • 【知・技の創造】ものづくりを体験する

    日本の建築文化について ものつくり大学では実習授業が豊富に組まれており、他の大学では体験できない実務的な技術を学べる授業内容になっています。私が担当している授業では、大工道具の使い方、木材の加工方法、原寸大での木造建築の施工など様々なことを学び、木造建築に関わる技術の基礎の習得を目指します。 日本の建築文化は木の文化とともに育まれてきました。しかし、時代を経ていく中で、日本の建築文化は多様化し、木造建築は主流から外されてきました。ところが、最近では木造建築の価値や魅力が見直され、これまで鉄やコンクリートなどで造られていた中高層ビルにも木材を用いようとする新しい試みが実行に移されてきており、大規模な木造建築物を目にする機会も増えてきました。 ものづくりによって創造される人々の生活の豊かさ 人々の生活の豊かさは、ものづくりによって創造されてきたといえます。ものづくりにおける建築物を建てる技術は、古くから引き継がれてきた技術を根幹としつつ、時代の流れの中で新たな技術の受容を繰り返し、革新され進化を続けてきました。中でも木造建築に関する技術は古くから脈々と引き継がれてきた部分が多いです。それは、日本人が生活の中で、四季を通して日本独特の気候と向き合い、木と密接に関わり合いながら豊かな文化を形成してきたことによります。 そして、木造の技術を使って建築された民家や社寺建築など多くの建築物が、修復を繰り返しながら現在まで大切に保存されてきました。それによって、古い時代に建てられた建築物の存在を、現代に生きる私たちが体感し、そこから多くのことを学ぶことができています。 特に重要なのは、その背景にある高度な技術を備えた技術者の存在です。修復には、的確な技術を備えた技術者が必要であり、その技術は後世に伝えていかなければなりません。技術を的確に伝える上では、理論や知識だけではなく人の手によって伝えていくことが不可欠であり、そのためには、その技術を扱える技術者を育成することが必要です。 技術者がいて、その技術力を発揮できる環境があってこそ、それらが絶えることなく伝わるのです。ものづくりの技術の継承には、技術を習得し、活用していく技能が必要であり、そのためには手を動かして実践し、ものづくりを体験することが必要です。体験することは、自ら考えることにつながり、理論や知識を学び、技術を習得することにつながります。 現在の研究とこれから 私は、近世から近代にかけて活動していた大工家の建築生産に関する研究を行っています。研究では、それら大工による社寺建築の遺構や社寺建築を建てる上で作成された造営史料などの分析を行います。そこには、技術者である大工の技術・技能に関する情報がつまっています。その技術・技能は現代に通じるものがたくさんあります。現代の技術・技能は、過去の技術・技能を工夫し、研鑽し、発展させたものなのです。過去の技術・技能を知ることは、現代の技術・技能の発展に不可欠なことです。 ものつくり大学の教育を通して、過去にも目を向けて学び、新たなことを創造し、培った技術・技能を後進へと伝播していけるような技術者を輩出できるよう努めてまいりたいと思います。 埼玉新聞「知・技の創造」(2024年7月5日号)掲載 profile 奥崎 優(おくざき ゆう)建設学科助教 芝浦工業大学大学院修士課程修了、工務店勤務を経て芝浦工業大学大学院博士後期課程修了。博士(工学)。2024年4月より現職。 関連リンク ・建設学科WEBページ

  • 渋沢とドラッカー--「新一万円札」に象徴される時代の精神

    マネジメントの世界的先覚者 渋沢栄一(1840~1931年) 「プロフェッショナルとしてのマネジメントの必要性を世界で最初に理解したのが渋沢だった。明治における日本の経済的な躍進は、渋沢の経営思想と行動力によるところが大きかった」『マネジメント --課題、責任、実践』(1973年)。経営学の大家として知られるピーター・F・ドラッカーによる渋沢評である。マネジメントの必要性を「世界で最初に理解した」とはいささか大仰に感じられなくもないが、渋沢を世界的先覚者の一人と目していたのは確かであろう。ドラッカーは、1909年ウィーンに生を受け、2005年にカリフォルニアに没している。しばしば「マネジメントの父」とも称される彼だが、いわゆる経営学者とは異なるもう一つの顔はあまり知られていないかもしれない。日本美術収集家としての顔である。若きドラッカーはナチズムの支配するドイツを嫌い、イギリスを経て、1937年にニューヨークに渡り、コンサルタントあるいは経営学者として活躍している。 貿易省高官だった父の影響もあり、東洋への関心は早くから芽生えていたようだ。そんな彼に、1934年のロンドンで、精神の全細胞を組み替えるがごとき衝撃体験が襲う。シティでの金融機関からの帰宅途中、不意の通り雨をよけたバーリントン・アーケード--。偶然開催されていた日本美術の展覧会だった。1934年のことである。ほとんどパウロの宗教的回心を想起させるほどの人生の決定的瞬間だったと後に回顧している。日本美術熱はやがて生涯の伴侶となる妻ドリスとともに、鑑識眼と収集で世界的名声を獲得するようになる。日本でもドラッカー・コレクションは根津美術館、千葉市美術館をはじめ巡回展を含めていくたびも開催されている。 『断絶の時代』 いかにして渋沢の人と事績に触れたかは定かではないものの、彼の渋沢理解は決して浅薄なものではない。その証拠に、著作に登場する渋沢への評価は引用件数がすくないとはいえきわめて正確である。 書き物をする晩年のドラッカー とりわけ『断絶の時代』(1969年)は、今なおドラッカーの渋沢観を知るうえで格好の書としてよい。同書は英独日の同時出版を経てベストセラーとなり、やがて「断絶」は同年の世界的流行語の位置を占める。日本版序文に「明治維新百年を個人として祝う意味もあった」と記述されるのは、なまなかな感慨とはいいがたいであろう。『断絶の時代』で次のように述べる。「岩崎弥太郎と渋沢栄一の名は、日本の外では、わずかの日本研究家が知るだけである。(略)渋沢は、90年の生涯において、600以上の会社をつくった。この二人が、当時の製造業と過半をつくった。彼ら二人ほど、大きな存在は他の国にはなかった」かかる渋沢観はともすれば、日本への強い期待とも重なって見えてくる。そればかりか、時代精神を領導し、極東の小国を大国に押し上げた人物の一人とする、最大級の賛辞としても見当外れとは言えまい。とりわけ、渋沢を評価するポイントとしては、彼が経営を責任職、すなわちプロフェッショナリズムの観点からとらえていた点にある。プロフェッショナルの「プロフェス」は、神への信仰告白を意味する。偉大な見えざる次元への畏敬の念をもってなすべき仕事として経営を見ていたドラッカーにとって、「論語とそろばん」の渋沢はわが意を十全に実践したかに見えたろう。 「渋い」世界観 晩年まで、渋沢を明治の偉人(The Great Men of Meiji)として特筆し、企業を経済的次元のみでなく、社会的次元、あるいは理念的次元でとらえていた人物と見ている。むろん企業は財サービスを生産・流通させ、利益を上げる。しかし、社会の中心的な機関として、文明の継続と発展に資するべき理念的、道徳的、精神的存在として企業を見る。企業の実相を洞察するうえで、渋沢のヴィジョンは、ドラッカーに深い直観あるいは霊感さえ与えているのだ。というのは、ドラッカーのマネジメントとは美的世界観と切り離しては考えられない。ドラッカーは禅画や観音などの宗教的深みを伴う画風を愛し、しばしば自らのコレクションに加えた。収集の過程で多くの日本の古美術商や専門家と会話し、片言の日本語を解するようにさえなったが、とりわけ好んだ日本語表現が渋い(Shibui)であった。考えてみれば、「渋い」とは苦いとか辛いとも異なる。ある種の精神的深みをにおわせる語である(渋の漢字を見るといかにも「渋い」感じがしないだろうか)。ドラッカーの収集作品に千葉市美術館で接したとき、筆者自身あまりの渋さに、軽い脱魂の感に見舞われさえした。精神世界の蘊奥に触れる広大無辺の世界--。東洋の精神を解したヨーロッパ人の境域を指し示していた。今次、一万円札のデザインが「福沢」から「渋沢」に変わる。「福」から「渋」への転換である。戦後の高度成長からバブルの1990年まで、日本は控えめに言って経済の観点から成功してきたと言ってよいだろう。一転、「失われた30年」という暗く寂しい時が流れたと一般には受けとめられている。だが、果たしてそうなのだろうか。ドラッカーが評価した渋沢は、必ずしも経済業績ではない。むしろ倫理と並行的に事業に邁進する「大人」の人格にある。一国の紙幣の象徴たる人物が代わっても利用価値が変わるわけではない。しかし、そこにはある種、象徴的な精神的指針の暗示を見出すことも不可能ではないだろう。偶然と片付けるのは簡単である。あるいは言葉遊びに過ぎないかもしれない。しかし、「言葉遊びが文明を作る」と述べたのは、ドラッカーの尊敬した批評家カール・クラウスである。「断絶の時代」を経て、新たな文明が始まるのは2020~2025年あたりだろうとドラッカーは予期していた。現在はくしくもその新時代の起点に当たっている。渋沢の名にドラッカーの好んだ「渋」が包含されるのも、一つの時代精神の先触れなのかもしれない。少なくとも、私はそう確信している。 Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学教養教育センター教授1972年、埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、社会情報学。

  • 【知・技の創造】現場の元気さと幸せ

    トヨタ自動車で32年勤めた後、行田市のものつくり大学を拠点に地元企業に協力いただき「強い現場づくり」をテーマに研究と教育に取り組み10年目になります。クルマづくりの現場で先輩たちの指導を仰ぎ、仲間たちに協力してもらい成果につながったことを、少しでもたくさんの人に伝え活用していただくため、学生たちと地元企業の生産現場で課題抽出し、現場の方々と一緒に改善活動を実践し、研究と教育につなげています。 強い現場と人 Well-Being(人々の幸せ)について日々研究をされている方の講演での話です。働く人が幸せな企業ほど会社の業績が良い、すなわち働く人の幸せ度が高い企業は生産性が高く、高業績でさらには災害も少ないことがデータにも表れているとの事です。 私の経験や研究を振り返ってみても確かに納得させられることが多くあり、とても感銘を受けました。これまで現場での生産性や働く人の意識・モチベーションにばかりに気を取られていたような気がします。考えてみれば働いている人がそこでやりがいを感じ生き生きとしている会社は業績が良い、そして幸せを感じるということではないでしょうか。 ということであれば業績を上げたい会社経営者や生産性を上げたい現場のリーダーは、働く人たちに幸せになってもらうことが大切だということになります。 ではどうすれば日々の活動の中で人は幸せを感じるようになるのでしょうか?これまでの事例から考えてみました。 会社の一体感 県内企業で学生が改善活動に取り組み、その報告会の場で謝辞を伝える場面で、「協力して頂いた社員・作業員の皆様に感謝申し上げます」と文言に表したところ、管理者の方から「当社では社員と作業員の言葉の区別はない、皆がこの会社の社員である」とのご発言をいただいたことがあります。学生の何気ない言葉遣いに対してさえ、このように考え発言いただくことはとても素晴らしいと感じました。オンリーワンの技術開発力と一体感のある現場で業績を伸ばしているこの企業で、今後も一緒に改善に取り組んでいきたいと考えています。 また、県内の従業員数50名弱で部品製造を行っている企業の品質改良活動に参加しています。これは社長が毎日発生する製品不良で捨てているモノを減らす改善活動を通して、社員のモチベーションを高めたいとの思いから始めたことです。現場のリーダーが全員参加し現地・現物での定期的な活動をスタートしてから3年になりますが、不良は簡単には減りません。それでもそれぞれのリーダーがテーマを掲げ、対策に取り組むようになってきました。時間はかかりますがこのような活動が定着すれば、社員意識が向上し、今後1/10程の不良低減が見えてくるものと考えています。 社員一丸となって、改善することを継続し、それが風土となれば、働く人はやりがいと幸せを感じるようになるのではないでしょうか。 まとめ AI/IoTの有効活用が良く言われますが、継続的に改善が出来る自立した現場づくりを通して人が育ち、やりがいを感じ、少しでも幸せを感じるように、目的を明確にし、道具としてAI/IoTを活用する、そんな企業活動が基本と考えます。これからも学生と現場での人材育成に取り組んでいきます。 埼玉新聞「知・技の創造」(2024年6月7日号)掲載 profile 小塚 高史(こづか たかし)情報メカトロニクス学科教授 北見工業大学卒、トヨタ自動車株式会社明知工場製造部長を経て2015年より現職。トヨタ生産方式が専門。 関連リンク ・ものづくりマネジメント研究室(小塚研究室)・情報メカトロニクス学科WEBページ

  • 【知・技の創造】外国人建設労働者の就労

    建設業界の人手不足と外国人労働者 平成30年12月14日、出入国管理および難民認定法及び法務省設置法の一部を改正する法律(平成30年法律第102号)の公布により、新しい在留資格『特定技能』が設けられました。これを受け、人手不足が深刻である建設業界において外国人労働者の就労が可能となりました。 14分野のひとつ、建設業界もまた深刻化する人手不足に悩まされています。建設業界の就業者数は1997年の685万人をピークに、2020年11月時点では505万人に減少しています。生産性向上や国内人材の確保のための取組を行ってもなお人材の確保が困難な建設分野において、一定の専門性・技能を有し即戦力となる外国人を受け入れていく制度が構築されました。 この制度では、特定技能1号が在留期間の通算が5年までで、家族の帯同は認められていません(図参照)。また、外国人建設就労者で技能実習2号等修了した者は引き続き通算5年間働いてもらうことができます(図のルート2参照)。 また、母国に帰国している技能実習修了者も呼び寄せ、直接雇用できるようになりました。 建設関係の業務区分と業務内容 これまでの建設分野の特定技能1号は、19業務区分(18試験区分)に分かれていました。旧制度では、ある区分で特定技能の資格を取得しても、その業務以外に携わることができませんでした。また、技能実習対象なのに特定技能にない職種があるなどの不整合もありました。 建設関係の業務区分は3つであり、【土木】【建築】【ライフライン・設備】に再編しました。これにより、特定技能外国人が従事可能な業務範囲が拡大、柔軟に仕事ができるようになりました。 業務内容は、指導者の指導・監督を受けながら、建築物の新築、増築、改築、もしくは移転また修繕もしくは模様替えに係る作業等に従事することになります。 主な業務内容は、①型枠施工、②左官、③コンクリート圧送、④屋根ふき、⑤土工、⑥鉄筋施工、⑦鉄筋継手、⑧内装仕上げ、⑨表装、⑩とび、⑪建築大工、⑫建築板金、⑬吹付ウレタン断熱、その他、建築物の新築、増築、改築もしくは移転、修繕、模様替または係る作業があります。 新たな制度と今後の期待 特定技能1号外国人の受入れ第一号が建設分野で誕生したのは2019年9月でした。2023年11月に特定技能2号評価試験ルートを整備することで今後の外国人技能者の活用が大いに期待できます。建設工事現場における技能者不足を少しずつ解消できることを願っています。 埼玉新聞「知・技の創造」(2024年5月3日号)掲載 profile 三原 斉(みはら ひとし)建設学科教授 近畿大学卒業。工学院大学大学院博士課程修了。博士(工学)・一級建築士・一級建築施工管理技士。村本建設株式会社を経て2001年より現職。専門は、建築生産、建築構法、建築技術技能教育。 関連リンク ・建築再生研究室(三原研究室)・建設学科WEBページ

  • 【知・技の創造】新しい機械加工の学び方

    5軸制御マシニングセンタの導入 昨年末、本学情報メカトロニクス学科に5軸制御マシニングセンタが、機械加工関連の実習用の機器として導入されました。5軸制御マシニングセンタとは、従来からある汎用の旋盤やフライス盤といった複数の工作機械の機能を1台に統合し、高度なIT技術で自動化された最新鋭のNC工作機械です。 類似のものに複合加工機がありますが、これらの出現により、これまでの工作機械では加工できなかった複雑な形状の製品が、容易に加工できるようになりました。今回、伝統的な技能と最新の技術を合わせ持つテクノロジストを育成する本学では、新しいモノの作り方を理解するために、5軸制御マシニングセンタは不可欠な要素であるという判断のもとでの導入となりました。 5軸制御マシニングセンタ 国内機械加工業界の現場では… 5軸制御マシニングセンタや複合加工機(以下、二つをまとめて5軸加工機)により、機械加工の現場は、さらなる自動化や省人化が可能になります。その優位性についての理解が進む欧州では、順調に販売実績を伸ばしていますが、日本国内では少々伸び悩んでいるのが実態です。 工作機械メーカーによる実機の貸し出しや、加工実績の紹介など、様々なキャンペーンが実施されてはいますが、国内機械加工業界全体に広がりを見せているとは、まだまだ言えません。これは高額な設備投資と、これらの新しい機械を使いこなすスキルを持つ人材が、圧倒的に不足していることが理由として挙げられます。 しかし、少子高齢化の影響による労働人口の減少は明らかで、すでに待ったなしの状況です。これに対応していくには、工程の自動化と省人化が絶対条件で、投資額や人材確保の問題を上回るものとなります。その答えのひとつとして、5軸加工機の導入があります。また、5軸加工機を用いての製造を前提とした製品や部品の設計がなされていないことも大きな要因と言えます。 これには、古くから国内産業の基盤を担ってきた、安定した生産体制を敷くためのノウハウの踏襲や、5軸加工機の強みを積極的に取り入れるなどといった、設計部門の十分な理解が得られていないことが考えられます。 教育現場の対応とこれから 一方で、我々のような教育機関での教育実績が少ないことも課題となっています。特に5軸加工機は、機械本体だけでなく、その周辺機器や加工プログラムを作成するアプリケーションは、高価なものが多く、これらを複数用意する必要があるため、費用面でも教育カリキュラムに組み込むことを困難にしています。 企業から学生へ5軸加工機のレクチャーを行う様子 そして何よりも、指導する教員のスキルアップも重要です。しかし、5軸加工機の販売実績が好調な欧州を中心とした海外では、これらの工作機械は機械加工の初学者が扱い、従来のものは、高度な技術や技能を持つ熟練者が扱うべきものという考え方があります。つまり、高度なIT技術により自動化された最新の工作機械は、誰でも扱いやすいので初学者向きであるということです。 この考え方には賛否両論あると思いますが、生まれた時からIT技術が身近にある若年層は、これまでのような汎用の工作機械からではなく、自動化が進んだ最新のものから学び始めるというのは、これからの機械加工の学び方に、我が国でもなるのかもしれません。 埼玉新聞「知・技の創造」(2024年4月5日号)掲載 profile 武雄 靖(たけお やすし)情報メカトロニクス学科教授 東京農工大学大学院工学府機械システム工学専攻(博士後期課程)修了。博士(工学)、MOT(技術経営修士)。専門は機械加工学、技術経営、技能伝承など。 関連リンク ・機械加工・技能伝承研究室(武雄研究室)・情報メカトロニクス学科WEBページ

  • 【埼玉学⑤】「食」のアミューズメント・パーク サイボク

    「埼玉学」とは、埼玉県の歴史・文化・産業・地理・自然など、埼玉県に関するあらゆる分野を総合的に研究・探究する学問です。教養教育センターの井坂康志教授が新しい研究テーマとして連載を始めました。 埼玉学第5回は、埼玉県日高市にある「サイボク」が埼玉に作れられた歴史と背景、そして現在に至るまでの挑戦について触れていきます。 サイボク創立者の夢 埼玉県日高市に位置するサイボクは、食のアミューズメント・パークと呼ぶにふさわしい。その広大な敷地は、東京ドーム2.5個分に相当し、自家製の精肉やハム、ソーセージの直売店、レストラン、地元野菜や花きの販売所、そして天然温泉「花鳥風月」まで備えている。年間約400万人もの人々が訪れ、埼玉のみならず、関東一円にファンを持っている。たいていのガイドブックにもその名は記載されている。そんなサイボクには日本の戦後復興とともに歩んできた歴史が背景にある。 愛らしいマスコットキャラたちもお出迎え。 1946年、埼玉県入間郡高萩村(現在の日高市)にて「埼玉種畜牧場」が開設された。この牧場で、原種豚の育種改良が行われ、美味で安心な豚肉生産の基盤が築かれた。当時、国内には養豚学科を有する大学や農業高校がなく、創業者・笹﨑龍雄は、獅子奮迅の努力によってこの地に牧場を開いた。そんな笹﨑龍雄は、1916年、長野県の農家の8人兄妹の次男として生まれている。幼い頃から牛・馬・豚等の家畜に囲まれて育ち、中でも豚の飼育係を担当した笹﨑は、その魅力に夢中になり、いつしか「獣医」を志すようになる。しかし、8人兄妹を賄う家計は決して豊かでなく、一念発起して超難関の陸軍依託学生として東京帝国大学農学部実科(現・東京農工大学)を受験し合格する。卒業した1941年、日米開戦と同時に陸軍の獣医部将校として旧満州とフィリピンの戦地に派遣された。1945年日本が敗戦を迎えると、物資不足と食糧難を目の当たりにした笹﨑は、「食」で日本の復興に寄与しようとした。笹﨑の夢と情熱がサイボクを築き上げた。 自慢のソーセージ。 店舗の様子。 なぜ埼玉か 長野県生まれの笹﨑龍雄はなぜ埼玉に目を付けたのか。理由はいくつか考えられるが、一つ挙げるなら、埼玉の農業と深い関係がある。埼玉は何よりさつまいもと麦の生産地であった。埼玉においては、さつまいもは「主食」と言ってよかった。その地下で育つさつまいもは人間の飢えを満たし、地上で育つ葉や茎は、豚にとって良好な飼料となった。食の中心であった麦は、明治から昭和30年代中頃にかけて4種の麦を中心に生産されていた。戦前には小麦、六条大麦、二条大麦、はだか麦を合わせた4麦の生産が全国一を占めていた時期もあったが、それもまた養豚にとって恵まれた飼料の補給を可能にした。その歴史的背景を遡れば、「麦翁(ばくおう)」と呼ばれた権田愛三の存在が浮かび上がってくる。1850年に埼玉県北部の東別府村(現在の熊谷市)に生まれた権田は、一生を農業の改良に捧げた。中でも麦の栽培方法に関して功績を残し、麦の収量を4~5倍も増加させる多収栽培方法を開発したとされている。後にはその集大成ともいえる「実験麦作栽培改良法」を無償で配布、県内はもとより日本全国への技術普及に尽力した食のイノベーターだった。このような豊かな農業生産地・埼玉の「地の利」を背景に、笹﨑は養豚のイノベーションに着手していった。1931年に開通した八高線によって、豚や飼料等の運搬が容易になったこともそこに加えられるべきだろう。 埼玉の精神にふれる サイボクは現状に甘んずることなく、新しい挑戦を追求してきた。1975年には、日高牧場内に日本初の養豚家が直接販売するミートショップが開店し、その後も施設の拡大や改善が続けられた。1997年にはオランダで開催された「国際ハム・ソーセージ競技会」に初出品し、多くの賞を受賞した。さらに、2002年、周囲の猛反対を押し切り温泉堀削を試み、驚くほどの量の良質な温泉を発見した。それをきっかけに、温泉施設の建設が始まり、21世紀型の「食と健康の理想郷」をめざす施設として整備された。 今回話を聞かせてくださった現会長・笹﨑静雄氏と。 サイボクのレストランの裏手には、広大な緑の芝生と森が広がる「サイボクの森」がある。「緑の空間と空気は人々の心を癒すもとになる」「一日30~60分の日光浴は骨を丈夫にする」「子どもの近眼の主因である、屋外での遊びの欠如と日光浴不足を解消するためのこのようなアスレチック施設や、大人のための散策路やくつろぎのスペースを準備しよう」。サイボクの森は、女性スタッフ中心の発想で実現した。三世代の家族が遊べる空間として計画され、コロナ後はとりわけ得がたい憩いの場になっている。現会長・笹﨑静雄氏は、父・龍雄の存命時、豚が不調に見舞われた時の対処のし方を聞きに行くと、そのたびに「豚は何て言っていたんだ」と問い返されたと言う。「わかりません」と答えると、「豚舎に寝ないとわからないだろうな」と言われたと振り返っている。現在のサイボクの活動はすべて豚とお客さんが教えてくれたことを愚直に実践してきた結果と笹﨑氏は語る。現在のサイボクの歴史は、対話の歴史だった。客と対話し、自然と対話し、地域住民と対話し、何より豚と対話する。相手の言うことに耳を傾け、次に何が求められるかを模索する。これは郷土の偉人・渋澤栄一が事業を始めるときにこだわった方法でもある。サイボクは食のアミューズメント・パークにとどまらず、埼玉の「埼玉らしさ」にふれられるイノベーションの宝庫である。ぜひ一度訪れ、味わい、体感してみてください。 Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学教養教育センター教授 1972年、埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、社会情報学。 関連リンク ・【埼玉学①】行田-古代のリズムは今も息づく・【埼玉学②】吉見百穴-異界への入口・【埼玉学③】秩父-巡礼の道・【埼玉学④】『翔んで埼玉-琵琶湖より愛をこめて』を公開当日に観に行くということ・教養教育センターWEBページ

  • 【大学院生による研究紹介】途上国の災害における居住空間の変化に関する研究

    2018年9月28日にインドネシア・スラウェシ島で発生したマグニチュード7.5の地震により、近傍の都市は死者・行方不明者4,547人、家屋損壊100,405という甚大な被害を受けました。浦上龍兵さん(大学院2年・今井研究室)は、復興が進むインドネシア中部スラウェシ州に赴き、災害復興住宅の住環境の分析を行いました。 研究のきっかけ 私が所属している研究室の今井教授は、海外の被災地の復興について研究や実験を行っています。学部生の頃に、今井教授からインドネシア・スラウェシ島地震の被害状況を教えていただき、復興の仕方についてお話を聞くことが度々ありました。今井教授のお話を聞くうちに災害復興について興味を持ち、研究したいと思い大学院への進学を決めました。当初、大地震が発生した2018年にインドネシアでの調査を実施する予定でしたが、新型コロナウイルスの影響で延期になり、2022年に実現することになりました。今井教授に本学と千葉大学の合同調査メンバーに選んでいただいて、私がメインで被災地の住環境について調査を行い、論文を発表することになりました。 現地での調査 インドネシアには、2022年9月に10日間行きました。地震の発生から2年が経った現地は、被害が大きかった村でもNGOの活動により復興住宅の建築が進んでいました。しかし、沿岸部は津波によって地盤沈下が起こり集団移転している村もあり、そういったところはまだ瓦礫が散乱していました。私たちは、NGOの方に被害の大きかった村を6か所案内していただいて、その中からランダムに住民を選んでもらい、その住民のご自宅でアンケート調査を行いながら、並行して復興住宅の実測調査を行いました。現地の方たちは明るい人が多くて気さくに話しかけられることが度々ありました。コミュニケーションを取るために翻訳アプリを使っていましたが、見ず知らずの日本人に対して、「この村にヒーローが来た」と言ってくれました。私たちが何か変えられるわけではありませんが期待していただいて、住宅に入る時もウェルカムな対応をしていただきました。 調査に協力いただいた家族と(前列左が浦上さん) 住民の方たちのアンケート調査では、復興住宅の満足度を質問したのですが、「良い環境に住ませてもらっている」という回答が多く、復興は順調に進んでいるという印象を受けました。住環境に関するアンケートは各項目を地震前、避難期間中、復興住宅の3つのフェーズに分けて質問しています。アンケートの内容は、それぞれの時期の家族構成や、誰が住宅を建てたか、水回りの変化、地震前と復興住宅の家の広さ、住宅の満足度など基本的には生活に関することを聞いています。 アンケート調査の様子 復興住宅というと、日本ではプレハブ住宅のような一時的な避難先という印象がありますが、インドネシアでは永住することを前提とした家を建てています。インドネシアは、「ノンエンジニアド住宅」と呼ばれる専門的な知識を持たない人が施工した住宅が多くあります。ノンエンジニアド住宅が地震で崩れることにより被害が大きくなることが問題視されていました。そのため、NGOの方が「コアハウス」という頑丈な家を建てることで、また大地震が発生しても被害を抑えることができます。この復興住宅は建築当初は、リビングや寝室などの最低限の住居スペースしか確保されていません。他に必要なキッチンやトイレなどのスペースは住民が各自で増築を行います。せっかく頑丈な家を建てたのに、ノンエンジニアドが増築したらまた災害時に被害が大きくなってしまうのではないかと思うかもしれません。しかし、復興住宅は被災者に最低限の身を守れる場所を提供することが目的で、増築されることが前提の住宅です。支援金には限りがあるので最低限の耐久性がある住宅を提供しています。復興住宅は、3人家族であっても10人家族であっても同じ広さの住居が提供されます。そのため、実測調査は家族構成によってどの程度の面積を増築したか、どういう用途のスペースを増築したのか明らかにすることを目的に行いました。 復興住宅が立ち並ぶ村の様子 調査結果からの提案 今回の研究は、住宅の耐震性ではなく、住民の生活水準や満足度を調査するものです。アンケートを行った住民からの意見をまとめ、安心感や快適さ、住宅の満足度を明らかにしようと思いました。アンケートの結果から、現在の生活が地震前よりも安心や安全を感じているということが分かりました。地震前の住宅はインフラが整っていなくで川に洗濯に行っていたのが、復興と同時にインフラの整備が進み、水道や電気が使えるようになり生活水準が地震前より上がっている影響も考えられます。調査をした村の中で特に満足度が低い村がありました。その村は復興が進んでいますが、被害が大きかった他の村から多くの人が転入してきていました。その影響で元々の住民たちの安心感や安全に関する項目が大きく低下していました。原因は、他の村にはある「コミュニティスペース」という村の人たちの交流の場になる施設が無く、転入者とのコミュニケーションが取れていないことだと考察しました。村が集団移転して3年経ってもコミュニティスペースが無いということは、これから建設される可能性は低い。そこで私は、村の土地性に合ったにコミュニティスペースを建設して住民の不安を取り除くことを提案しようと思いました。コミュニティスペースは、復興住宅のスケールを考慮します。正面5メートル、奥行き6メートルの空間を中心に置き、周りに用途を付け足していきます。中心部は、屋根はかかっていますが基本的に屋外で、開放的なスペースで住民同士がコミュニケーションを行うことを想定しています。 他の村のコミュニティでの一幕 コミュニティの設計は、復興のシンボルになっている「大きなクロス型」をコンセプトにしています。復興住宅の壁には大きなクロス型があしらわれているのですが、このデザインについて37%の人が満足していたからです。復興住宅は、ジャケッティング構法と呼ばれている組積造というレンガブロックを積み上げて壁を作っています。これはインドネシアの伝統的な構法ですが、耐震性が低く地震の時に崩れてしまうため壁にワイヤーメッシュを貼り、その上からモルタルで仕上げています。その金属のメッシュがクロスの形をして浮き出ています。その壁を住民たちが好きな色に塗って仕上げています。 玄関横の大きなクロスは復興のシンボルになっている。 私の設計は、あくまで修士論文の範囲で行うものでインドネシアの村に必ず建設されるというものではありません。2024年に行われる WCEE(世界地震工学会議)にて今井教授に発表していただく予定です。今後、後輩が研究を引き継いで、いつか村にコミュニティスペースが建設されることを願っています。 関連リンク ・建設学科 建築技術デザイン研究室(今井研究室)・ものつくり学研究科WEBページ

  • 【知・技の創造】インフラ構造物更新技術

    近年は公共構造物の更新や補修補強時代のニーズに即した研究開発を行っています。橋梁(きょうりょう)等のインフラ構造物は、その約半数が建設後50年以上を経過し老朽化しています。これらの構造物をいかに再生させるか、あるいは更新させるかが喫緊の課題です。 本学には、画像の3000kNの万能試験機があり、これを使って新材料や新技術を用いた補修・補強や更新に必要な工法の共同研究をしています。 万能試験機 鋼部材の補修・補強 橋梁等の鋼部材の腐食劣化部や耐震耐荷力不足等の部位に炭素繊維強化ポリマー(以下、CFRP)で補強する技術開発をNEXCO総合技術研究所や材料メーカーと共同研究をしています。この技術はCFRPシートを含浸接着して必要枚数積層するものですが、鋼材とCFRPシートの間に高伸度弾性パテ材を挿入する世界的にも新しい技術です。最近では、CFRP成形部材を使えるように工夫しています。これらの技術は鋼桁橋、トラス橋、鋼床版橋に適用されてきていますが、今後、煙突、タンク、水圧鉄管等に用途拡大が期待できます。 FRP歩道橋 浦添大公園歩道橋(沖縄県浦添市) 塩害地域の対策で注目されているFRPを用いた歩道橋が注目されています。2019年に真空含浸法により製作したGFRP積層成形材を、集成接着した箱桁歩道橋が沖縄県浦添市に建設されました。本橋は橋長18.5mです。今後、さらなる支間長増大に対応すべく、現場接合構造の研究を行いました。また、木製歩道橋をFRPで補強する工法についても、県内自治体と共同で今後事業展開を図ります。 弾性合成桁 古くから施工されている橋梁の多くは、鋼桁の上に鉄筋コンクリート床版を固定した構造形式です。近年、NEXCOをはじめ関係各所で大規模更新事業として劣化した床版の取替えを行っています。この更新後において、床版と鋼桁を完全固定と考える合成桁設計法と、両者を重ねただけの非合成設計法がありますが、その中間的な考えである弾性合成桁の研究を行っています。この設計法を用いれば、合成桁の利点を取り入れつつ、両者の接合方法を合理化することができ、品質の良いプレキャスト床版の採用が容易になります。画像は本学で実施した弾性合成桁の載荷実験の様子です。 弾性合成桁の載荷実験の様子 まとめ 大規模更新時代を迎え、上述の新材料や新技術を用いた工法で、インフラ構造物の安全・安心に繋がる研究開発を続けています。また、埼玉橋梁メンテナンス研究会の活動にも参加し、埼玉大学、埼玉県、国土交通省大宮国道事務所、ならびに埼玉建設コンサルタント技術研修協会の方々と連携して、このような新技術の紹介を行っています。 埼玉新聞「知・技の創造」(2024年3月8日号)掲載 profile 大垣 賀津雄(おおがき かづお)建設学科教授 大阪市立大学前期博士課程修了。博士(工学)。技術士(建設部門、総合技術監理部門)。川崎重工業を経て、2015年よりものつくり大学教授。専門分野は橋梁、鋼構造、複合構造、維持管理。 関連リンク ・橋梁・構造研究室(大垣研究室)・建設学科WEBページ

  • 【知・技の創造】流動床インターフェースの応用研究

    流動床インターフェースの研究 砂のような固体粒子を入れた容器の底面から空気のような流体を上向きに適度に噴出させると、固体粒子は浮遊懸濁して液体のような流動性を示す。的場やすし客員教授と一緒に、流動化した砂の特性を活用した流動床インタフェースを構築し、産業・医療応用や洪水体験等新しいインタラクションシステムの可能性の研究を行っている。 砂面に投影するプロジェクションマッピング 映像を投影した流動床インターフェースに魚の模型を出し入れする様子 その中で、砂面を投影面としたプロジェクションマッピングに関する研究を進めている。砂面は、水面よりも鮮明な映像が投影できるので、ゲームを始めとしたエンターテインメントに適している。流動化の有無や強さの違い等を組み合わせたり、砂の色を変えることにより、新しいプロジェクションマッピングの可能性を検討している。例えば流動化した砂面で人体模型や臓器をかたどり、そこに正確な色の映像を投影する技術により、医療教育や術前カンファレンスなどでの可能性を検討している。また、触れられて投影面の中に手や物を出し入れすることのできるディスプレーが実現できるので、新しい応用の可能性が広がる。写真は、流動床インターフェースに映像を投影し、表面の池の部分から泳ぐ魚に見立てた魚の模型を出し入れしている様子である。 砂には色がついていて白色スクリーンとは異なる。また砂面は滑らかではなく、流動化しているときは表面を動的制御できる。さらに物の出し入れが行える。そこで砂面の反射特性や観察角度の変化に伴う明るさと色の変化、さらに砂面の深さ方向の変化に伴う明るさや色の変化等に対する色再現手法、および色彩制御技術の研究を進めている。これらは、卒業研究やインターンシップのテーマとして学生と一緒に行っている。 また、噴水のように水を連続して噴出させたところに映像を投影するディスプレーが開発されているが、水は反射率が低いので明るい場所では不向きである。これに対して、砂などを連続して噴出させることで、何もない所に突然鮮明な映像を出現させるようなディスプレーの研究も進めている。 防災訓練の応用と触感再生装置への可能性 その他に流動床現象の出現原理の解明を進めると共に、医療応用では、自力で姿勢を変えられない人のポジショニング用具や癒し用具の開発を埼玉県内の病院・企業と産学連携で実施している。さらに疑似体験型拡張現実(AR)と流動床インターフェースを活用して、視覚と身体で水害を感じる洪水体験システムへの検討を進め防災訓練に応用している。また色々な触感を実現する触感再生装置への可能性を検討している。 流動床インターフェースを活用した洪水体験の様子 埼玉新聞「知・技の創造」(2024年2月2日号)掲載 profile 菅谷 諭(すがや さとし)情報メカトロニクス学科教授 博士(工学)。東北大学大学院修了、NEC、アリゾナ大学オプティカルサイエンスセンター、静岡理工科大学助教授を経て現職。専門はオプトメカトロニクス。 関連リンク ・研究実績WEBサイト(researchmap)・的場やすし客員教授Youtubeチャンネル・情報メカトロニクス学科WEBページ

  • 【知・技の創造】新しい教養教育の展開

    教養教育センターの始動 2022年1月7日の「知・技の創造」に「新しい教養教育の取組み」として、同年4月から始動する「ものつくり大学」の新しい教養教育の記事を掲載しました。今回は、教養教育センターが取り組んできた活動について紹介します。前回紹介したものづくり系科目群、ひとづくり系科目群、リベラルアーツ系科目群の教養教育科目は順調に展開しています。 教養教育センターWEBページ 教養教育センターからの発信 第1回教養教育センター特別講演会の様子 2022年11月24日に、第1回教養教育センター特別講演を本学で行いました。スペシャルゲストとして、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授の柳瀬博一氏をお招きし、「テクノロジストのための教養教育」についてお話を頂き、その後に教養教育センター教員によるパネルディスカッションを行いました。教養教育に関する熱い思いを学生にぶつけ、教養教育のキーワードとして土居浩教授は「磨き続ける」、井坂康志教授は「無知を認める」、町田由徳准教授は「視野を広げる」、土井香乙里講師は「とことん学ぶ」を挙げていました。ちなみに私は「本物を知る」です。 2023年11月9日には、第2回教養教育センター特別講演を渋谷で行いました。会場は渋谷スクランブルスクエア15階の「SHIBUYA QWS」で、日立アカデミーとの共催、ドラッカー学会の協賛で行いました。特別講演は、日立製作所名誉フェロー、脳科学研究で著名な小泉英明氏に、「脳の基本構造を知り、学びたいという気持ち、意欲やパッションの根源を知る」についてお話を頂きました。鼎談「脳科学、言葉、ものづくり、使える教養はどう育つか」では、キャスター・ジャーナリストの山本ミッシェール氏をお招きし、パネルディスカッションでは本学教養教育センター教員も参加して活発な討論が行われました。 第2回教養教育センター特別講演会の様子 教養教育センターでは、ものつくり研究情報センターと協力して、「半径5mの経営学 ドラッカー流 強みの見方・育て方」、「上田惇生 記念講座 ドラッカー経営学の真髄」、「ものづくりのためのデザイン思考講座」の社会人育成講座を行いました。 大学ホームページからは、埼玉の歴史や文化をものつくり大学独自で研究している「埼玉学」を発信しています。是非、ホームページをご覧ください。埼玉学の記事一覧はこちら 2024年度からの始動  2024年度からは、前述の「SHIBUYA QWS」のコーポレートメンバーに入会する予定で、会員になると月に1回広い会場スペースを利用することができます。特別講演をはじめ、様々な行事を行えるようになりますので、新たな展開に期待してください。  授業では、「ICT基礎実習」、今年度新設した「データリテラシー・AI基礎」を軸に、文部科学省の「数理・データサイエンス・AI教育プログラム認定制度」に申請し、情報の分野を強化します。また、来年度は留学生のための「日本語」を新設して、「留学生就職促進教育プログラム認定制度」に申請し、留学生の日本語教育と就職支援を行います。 おわりに 教養教育センターは、向上心を持って日々新しいことに挑戦しています。来年度は第3回教養教育センター特別講演をはじめ、様々な取り組みを発信します。これからの教養教育センターの活動にご期待ください。 埼玉新聞「知・技の創造」(2024年1月5日号)掲載 profile 澤本 武博(さわもと たけひろ)建設学科教授 東京理科大学卒業、同大学院博士後期課程修了、博士(工学)。若築建設株式会社、東京理科大学助手を経て、2005年着任、2019年より学長補佐、2022年より教養教育センター長。 関連リンク ・コンクリート研究室(澤本研究室)WEBサイト・建設学科WEBページ・教養教育センターWEBページ

  • 【知・技の創造】高校ロボコンで埼玉無双

    高校生ロボコンと学生ロボコン 全国高等学校ロボット競技大会をご存じでしょうか? 主に工業高校の生徒が、毎年違うお題に対してロボットを開発する競技大会です。さまざまな対象を運んだり置いたりが課題となる「キャリアロボット」というジャンルの競技です。 11月末に福井県で全国大会が開催され、埼玉県大会で1位・2位に入賞した進修館高校が埼玉県の代表校に選出されました。 一方で、ものつくり大学「ろぼこんプロジェクト」は、NHK学生ロボコン2023に出場を果たし、出場回数は14回を誇ります。 NHK学生ロボコン大会会場にて NHK学生ロボコンは全国の大学・高専が対象のロボット競技大会で、優勝するとABUロボコン(アジア地域のロボコン大会)の出場権を得られます。全て英語のルール発表が10月初旬。これを深く理解し、ロボットを設計・開発・実装します。2月末、4月末の2回の厳正なビデオ審査を経て、出場チーム数は20チーム前後に絞られます。大会は6月初旬に開催されます。 従って大会に出場を果たすだけでもかなり大変で、メンバーの学生たちは、ほぼ1年中ロボットの開発にいそしんでいます。実はメンバーの中には前述の全国高等学校ロボット競技大会に出場経験のある学生もいます。 高大連携でロボコン無双 これらの背景から、本学と進修館高校で高大連携事業の一環として、去年12月よりロボコン講習会を始めました。本学学生が高校生に自分の経験や知識を教えます。内容は表のとおり、メカ設計・加工・制御回路と、ロボコンに必要な機械・電子・情報の内容を網羅してあります。7回目まで実施済みで、今年度末までに残りの講習を行います。今年12月からこの連携に児玉高校も仲間入りします。 埼玉県内の高校ロボコンチームの参加を募集中です。この活動を通じて、埼玉県から出場の高校生チームが全国高等学校ロボット競技大会で無双することを夢見ています。 回数内容1設計とは?(機構学とモノの捉え方)23DCADを用いた設計33Dプリンタを用いた実習4~7全国高等学校ロボット競技大会出場マシンのお悩み相談会8マイコンを用いた制御回路(センサ・アクチュエータ・LED)9マイコンを用いたシリアル通信10マイコンを用いた無線通信11板金工作の設計12板金工作と実装講習の内容 埼玉新聞「知・技の創造」(2023年12月8日号)掲載 Profile 三井 実(みつい みのる)情報メカトロニクス学科教授  北陸先端科学技術大学院大学博士後期課程修了。博士(情報科学)。専門はシステム開発、音響工学、電気電子工学。 関連リンク ・ヒューマンメディアラボ(三井研究室)WEBサイト・情報メカトロニクス学科WEBページ・ロボコンはスポ根だ!優勝目指してひた走れ!① ~リーダー&操作担当者編~・ロボコンはスポ根だ!優勝目指してひた走れ!② ~ピットクルー&大学院生編~

  • 【埼玉学④】『翔んで埼玉-琵琶湖より愛をこめて』を公開当日に観に行くということ

    「埼玉学」とは、埼玉県の歴史・文化・産業・地理・自然など、埼玉県に関するあらゆる分野を総合的に研究・探究する学問です。教養教育センターの井坂康志教授が新しい研究テーマとして連載を始めました。埼玉学第4回は、井坂教授が『翔んで埼玉-琵琶湖より愛をこめて』公開日に浦和パルコ映画館にて、埼玉学徒の皆さまと鑑賞したことを受けて、埼玉学の問題提起を述べていきます。 埼玉とは「悲劇のイデア」である 映画『翔んで埼玉2』の2023年11月23日公開に先立ち、『東京新聞』から埼玉の県民性についてコメントを求められた。私は公開当日にこの映画を見ることができたので、今となっては私の話したことはたいした意味もなくなっているのだが、ごく簡単な感想をお話して、埼玉学の問題提起に代えたいと思う。もちろん私は映画について立ち入った話をしようと思うのではないし、そんなことは専門家でないからできもしない。ただごくおおざっぱに、映画に表れた埼玉の特性についてお話ししようと思う。というのも、埼玉とは特定の土地よりも、一つの「悲劇のイデア」だからなので、この点は今日いろいろな理由から曖昧になっており、このことを明らかにすることがさらに大きな視点を獲得するうえで大事だと考えているからだ。『翔んで埼玉』が公開されたのは2019年のことだった。この作品は埼玉そのものというよりも、埼玉のイメージに着目して、その特性を新しい見方によって蘇生させることに成功した。これは埼玉に伴うおそらく近代以降の一大イノベーションとさえ言える。もちろん映画で描かれる台詞や情景は、逆説、独断、憶測、諧謔に満ちている。だが、私が映画を数度見て結果として覚えることになった「異常な感動」は、埼玉に関する動かしがたい何かを教えていると思った。『翔んで埼玉』が一つの娯楽映画を超えた何かを持っているのは、多くの人が「はじめは笑っていたが、最終部では思わず涙した」とコメントしていることからも明らかだろう。ちょっと聞くと反語に受け取られるが、それは埼玉が様々な側面で二つの勢力の葛藤を知らず身に帯びている事実を示唆している。ここで言う二つの勢力とは、主として埼玉の地形と地政に由来している。改めて埼玉を地図で確認してみると、接する都道府県は7つ。異常な数である。とくにあの長野県とも一部接している事実は埼玉県民にさえ知られているとは言えまい。 とりわけ北の群馬、南の東京都の県境が圧倒的に長大である。これは、東京という近代日本の象徴と群馬という近世権力との間に横たわる、よく言って通路、悪く言えば「玄関マット」の役割を埼玉がはからずも果たしてきた事実を示している。南北の文化・文明的差異に加えて、中央に縦走する台地を境目として、東西の山・川の地形的コントラスト。これらの異なる勢力が常時綱引きしている構図である。そのぴんと張り詰めた綱の上に埼玉が乗っている格好である。自己イメージ形成に葛藤をもたらさないはずがない。もちろん、映画はどこかでそのことを念頭に置いて、スタイリッシュかつコミカルに主張しているのであって、シーンの一つひとつは、すでに埼玉県の心中の風景を映像化したものにほかならない。そこでは、「埼玉には際立ったものが何もない」との一般の主張を覆す証拠がふんだんに存在している。『翔んで埼玉』が取り扱うのは、表面的には喜劇である。しかしその実、悲劇の本質を余すところなく表現している。ニーチェは『悲劇の誕生』において、「悲劇とは人生肯定の最高の形式」と述べている。悲劇とは、何かの不足によって起こされるものではない。むしろ何かの過剰によって惹き起こされている。主人公の麻実麗(GACKT)は、埼玉県民の素性を隠し、東京都民を圧倒的に凌駕する「都会指数」を発揮しながら、彼は進んで埼玉解放戦線の活動に身を投じ、苦節の末にその試みに成功するのが『翔んで埼玉』のストーリーである。彼は同胞たちの災厄を進んで引き受けている。その姿勢が何より悲劇的である。このように空気を読まずに地雷を踏んでしまう人。そのような人を世間では「ダサい」と呼ぶ。 「ダサさ」を愛さなくてはならない 映画館で配布されたカード。当日浦和では映画公開を知らせる号外も配布された。 およそこのような悲劇の肯定は、巷間埼玉に対して発せられる凡庸さや冗長さ、無気力、無関心とはまったく異なる。むしろ、麻実麗に見られるのは、生命の過剰であり、悲劇の精神の遂行である。意志と希望の挫折からくる不条理への愛である。『東京新聞』の取材で私は埼玉の県民性について問われたわけだが、語っているうちに私は県民性について自分が話しているのでないことに気づいた。埼玉のうちにある精神の断片を拾い上げたい気持ちになったのだ。埼玉の中に表現される縦横の衝突・葛藤は、自己イメージ形成でも大事な役割を果たしている。この衝突によってついに「ダサい」という非常に輝かしい境地に到達しえたということだ。偉大な存在に共通するのは、アイデンティティ獲得の疎外からくる絶えざる緊張である。心内に深刻な葛藤があるなら、それから目を覆ってはならないし、耐えるだけでもいけない。その葛藤が何を教えるかに目を凝らさなければならない。さらには進んで、「ダサさ」を愛さなくてはならない。これはいわば日常生活に身を浸した者の率直な決断なので、多くは無自覚であって、奇をてらった結果ではない。葛藤に伴う日常が、この生活態度に埼玉県民を導いたのだ。もちろんこういう考えは、アイデンティティの確立にはおよそ不向きである。都会に屈すれば、ただの植民地になるだろう。田舎に甘んじていれば、進歩の可能性はなくなるだろう。埼玉県はどちらでもない。まさにこの中途半端な状態を肯定するならば、進んで世間の図式的な都会とか田舎とかといった区別を越えた一次元高い自己認識を獲得しなければならない。 なぜ寛容なのか 記者からの質問は、「なぜ埼玉県民はかくも露骨にディスられても、それを寛容に受け止めるのか」というものだった。私はそれに対して、「アイデンティティの先延ばし」を習慣化しているからではないかと答えた。あえて言えば、現代においてアイデンティティの獲得はあまりにも強調され過ぎていないか。それはそれほどまでに重要なことなのか。かえって人の世を生きにくいものにしていないか。個と環境との合一は、人から貴重な内省の機会を奪っているのではないか。そもそも県民性など取るに足りないものではないか。確かに埼玉県の評価をランキングで見る限り、芳しいものではない。47都道府県のうち下から何番目。ただし、注意しなければならないのは、埼玉県民が戦っているのは他県ではなく、自己自身であるということである。『翔んで埼玉2』の話に戻る。一体、映画(フィルム)とはもともと映像化されたドキュメントという意味の言葉である。その意味からすれば、この作品は一見洒落に過ぎないようでありながら、一貫して存在してきた埼玉県民の精神的来歴を純粋に映像化したドキュメントと言ってよい。登場人物を見る限り、演出はスタイリッシュで、嫌味な芝居が演じられているようには見えない。いわゆる悪い洒落ではなく、良い洒落になっているのは明らかだ。埼玉県民はあたかも自らが脚本を書き、演出し、芝居をしているかのように感じさせる吸引力がそこにはある。事実、ほとんど一本の作品を演じきったかのような清々しい解放の表情を私は浦和パルコの観客に見た。『翔んで埼玉2』では、滋賀をはじめアイデンティティの獲得を妨げられ、延期することを定められた他県との共闘が展開される。それは埼玉県民にとって悲劇の結末をもたらすものではなかった。観終わった後の観客には、どことなく救済されたかのような、えもいわれぬ表情が浮かんでいた。さすがにすすり泣きこそ聞かれなかったものの、押し黙った苦痛に言葉を与え、苛まれた魂の奥に未来を見たごとき自由のまなざしがそこかしこにあった。 あえて定義しない勇気 おそらく、この映画はアイデンティティ確立を迫る嵐のごとき風潮の中、途方に暮れた人々にとっても解放をもたらしたことだろう。だから再び言いたい。自己の確立はそんなに偉いものなのか。むしろ一般の趨勢に抗して、どこまでも自己を定義したくなる欲求の外側に立ち続けようとする態度の方がよほど強靭でしなやかな精神力を必要とするのではないか。その証拠に自己を確立したと主張する国や地域、組織、人ほど、他者との闘争に明け暮れているのではないか。つまるところ、ディスられてもけなされても、埼玉県民の自己定義は未来にある。それは永遠の旅路を歩もうと決意する点で、「君だけの永遠の道をひたすらに歩め」(ニーチェ)と説くロマン主義的態度に通じている。これは不毛なマウント合戦に加わらず、またかりそめの「アイデンティティ」の安酒に身を任せるのでもなく、つねにただ薄い笑みをもって超然と自己に邁進する姿勢である。そういうところが、埼玉県民に争いを好まぬ「しらこばと」の平和的態度をもたらした理由と思われる。『翔んで埼玉2』はその意味で、前作に続く天啓であった。「人は最も自分がよくできることを知らない。強みとは持ち主自身によって知られていない」とはマネジメントの父ピーター・ドラッカーの言である。埼玉県民はこの映画によって、はからずも自分が最もよく行ってきたことのみならず、自己の心内で営まれた果てしない物語を知ることになる。あるいはおおげさに聞こえるだろうか。 行田市古代蓮展望タワーをしみじみと眺める。意外に高い。 Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学教養教育センター教授1972年、埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、社会情報学。 関連リンク ・東京新聞 TOKYO Web「ディスられても笑いに 埼玉の強みとは『翔んで埼玉』続編23日公開」・【埼玉学①】行田-太古のリズムは今も息づく・【埼玉学②】吉見百穴-異界への入口・【埼玉学③】秩父-巡礼の道・教養教育センターWEBページ

  • 【知・技の創造】地域活性化は子どもたちから

    地域を担うのは誰? 郊外や地方で人口が減少する中で、地域の活力や賑わいを維持するためには、少ない人口でも生産性を上げる新たな産業の創出や観光の振興などが考えられますが、そこに住まう「人」が必要不可欠です。そのため、いずれの地域も「人」を確保するために、移住・定住の促進や、地域外に居住されていても地域とかかわりを持ってもらえる関係人口を増やすことに力を入れています。 このように人口の減少局面では「地域の外の人」に目がいきがちですが、もっと身近なところに頼もしいヒューマンリソースがあります。 地域の子どもたち 地域の子どもたちは、私立学校を除けば、お互いに同じ地域の中で同じ小学校や中学校に通学することが多く、比較的近隣に居住して親密な人間関係の基礎を築いていく傾向にあります。しかしながら高校生や大学生になると、地域外への通学や活動の場面も多くなり、そのまま就職することでネットワークは広がりますが、地域へのかかわりは少なくなる傾向にあります。 このような、子どもたちの成長過程で広がるネットワークの中に、なかでも地域に根差した生活を送る小学生・中学生の時期に、もっと積極的に地域のまちづくりや課題解決への意識や行動につながる組織をつくることができれば、中長期的な人材確保につながるのではないかと考えています。 地域へのかかわりを維持  私たちの研究室では、地域の小学校と中学校をまたいで、子どもたちによって組織された「子どもまちづくり協議会」の試験的な設置を提唱しており、ある自治体において実際に取り組みを始めています。協議会というカタい表現はあくまで組織の趣旨や活動を理解してもらうための仮称で、覚えやすく親しみやすい名称をみんなで考えればよいと考えています。 この組織の大きな目的は、小学校・中学校の子どもたちにまちづくりや地域の課題を解決してもらう当事者の一員になってもらうことです。 もちろん、子どもたちだけでは難しい場面も多いと思われますので、大学をはじめ有志のオトナも適切なサポートを行います。組織の中には複数のチームがあり、学年単位といった横割りではなく小学生・中学生の区別なく学年も超えた混成チームを編成し、自分たちで決めたテーマに取り組んだり、ほかのチームと協力することで年齢の枠を超えたつながりをつくります。 このチームは学年が上がっても、卒業しても、地域を離れても可能な限り維持に努めます。成果は議会などに提言や報告することも考えられます。 緩やかだけど強力な応援団  このようなネットワークの中の組織から、たとえ数名でも地域に残って活躍したり、Uターンしたり、地域に居住していなくても興味を持ち続けて外からの力でまちづくりや地域課題の解決を支援したり、または地域に縁がなかった人までも巻き込むきっかけになれば、緩やかではありますが強力な応援団として、けっきょくは中長期的にみると大きな効果を発揮するのではないかと考えます。 地域の活性化には中核となる人材の存在がキモですので、その人材と地域にかかわるネットワークを、いまの子どもたちの中から「育てていく」仕組みづくりも重要ではないでしょうか。 埼玉新聞「知・技の創造」(2023年11月3日号)掲載 Profile 田尻 要(たじり かなめ) 建設学科教授  九州大学 博士(工学)総合建設会社を経て国立群馬工業高等専門学校助教授、ものつくり大学准教授、2013年より現職 自治体との連携実績や委員も多数 関連リンク ・生活環境研究室研究室(田尻研究室)WEBサイト・建設学科WEBページ

  • 【埼玉学③】秩父--巡礼の道

    「埼玉学」とは、埼玉県の歴史・文化・産業・地理・自然など、埼玉県に関するあらゆる分野を総合的に研究・探究する学問です。教養教育センターの井坂康志教授が新しい研究テーマとして連載を始めました。 今回は、秩父の土地に宿る精神に思いを馳せます。 秩父がある 「埼玉県に何があるのですか?」--あなたはこう問うかもしれない(あるいは問わないかもしれない)。私ならこう答えるだろう。「埼玉には秩父がある」と。秩父というと誰でも思い出す、巡礼。そうと聞くと、これという理由もなしに、心の深層にかすかなさざ波が立つ。なぜだろう。なぜ秩父。なぜ巡礼。 東京に隣接した埼玉からすれば、秩父はその無意識に沈む無音の精神空間を表現しているように見える。だがそれはごく最近、近代以後の現象である。なぜなら埼玉はその空間的存在論からすれば、初めから巡礼の地だったからである。これはうかつにも注意されていないように思える。秩父は、その意味で土地というより、霊性をそのまま差し出してくれる、埼玉の奥の院だ。巡礼は、元来霊的な情報システムである。それは現代人工的に編み上げられた新しい情報システムを突き破ってしばしばその顔を表す。高度な情報の時代といっても、霊性が土地ときっぱりと切り離されてしまうことはないし、また霊性を伴って初めて土地の特性は人々の意識に入ってくる。もともと埼玉のみならず、技術と霊性とはいわば二重写しをなしている。埼玉では常にそれらは密接不離の絡み合いとして現在に至っている。言い方を変えれば、日常の陰に潜んで裏側から埼玉県民の認識作用に参画し、微妙な重心として作用している。そのことを今年の夏に足を運んで得心した。 旅の始まりは秩父線 霊道としての秩父線 秩父に至る巡礼路は今は鉄路である。熊谷から秩父線に乗ると、人と自然の取り扱われ方が、まるで違っていることに気づく。訪れる者の頭脳に訴えるとともに、感覚として、ほとんど生理的に働きかけてくる。平たく言えば、「びりびりくる」のだ。秩父線ホームには意外に乗客がいる。空は曇っているけど、紫外線はかなり強そうである。初めはまばらに住宅街やショッピングモールが目に入るが、いつしか寄居を越える頃にもなれば山の中を鉄路は走る。時々貨物列車とすれ違う。ただの列車ではない。異様に長く、貨車には石灰石がぎりぎりまで小器用に積み上げられている。それは精密で美しい。武甲山から採掘されたのだろう。やがて長瀞に到着する。鉄道と言ったところで、近代以後の枠にはめられた埼玉の生態を決して表現し尽くせるものではない。ところで埼玉と鉄道の関係はほとんど信じられないくらい深い。いや、深すぎて、埼玉に住む多くの人の頭脳の地図を完全に書き換えてしまってさえいる。現在の埼玉イメージのほとんどは鉄道によって重たいローラーをかけられて、完全にすりつぶされてしまったと言ってもいいだろう。地理感覚を鉄道と混同しながら育ってきたのだ。鉄道駅で表現すれば、たちまちその土地がわかった気になるのは、そのまま怠惰な鉄道脳のしわざである。そんな簡単な事柄も、巡礼と重なってくるといささか話が違ってくる。秩父線は埼玉の鉄道の中ではむしろ唯一といってよい例外だ。この精神史と鉄路の重複は、肉眼には映らないが、長瀞に到達してはじめて、心眼に映ずる古人の確信に思いをいたすことができた気がする。こんなに気ぜわしい世の中に生きているのだから、たまには旧習がいかに土地に深く根ざしたものであるか、現地に足を運んで思いをいたしてもばちは当たらないだろう。そこには埼玉県の日常意識からぽっかり抜けた真空がそのまま横たわっていたからだ。 山中の寺社には太古の風が吹いていた 長瀞駅から徒歩10分程度のところに宝登山神社がある。参道を登っていく先からは太鼓が遠く聞こえる。それが次第に近づいてくる。この神聖性の土台を外してしまっては、土地の神秘に触れることはできない。どれほど都市文化と切り結ぼうとも、最深部では歴史からの叫びがなければ文化というものは成り立たないからだ。それらは住む人々がめいめい期せずして持ち寄り差し出しあうことで現在まで永らえている何かでもある。 それがどうだろう。現在の「埼玉」という長持ちに収まると、何か別のイメージに変質してしまう。そこにしまい込まれているのは、このような素朴な信仰や習俗であるに違いない。奥の稲荷を抜け、古寺の境内にいつしか立ち入ると、そこは清新な空気に支配された静謐な一画である。赤い鳥居はほとんど均等に山の奥まで配分されている。古代の神々の寓居にばったり立ち入ってしまったかのようだ。 どんなに慌ただしい生活をしていたとしても、ときには果てしない歴史や人の生き死にについて問うくらいの用意は誰にでもあるだろう。埼玉の中心と考えられている東京都の隣接地域では、こんな山深いエリアが埼玉に存在していることなどまず念頭に上らないのがふつうである。いわば埼玉県の東半分は生と動の支配する世界であるが、西半分からは死と静の支配する世界から日々内省を迫られていると考えてみたらどうか。モーツァルトの『魔笛』のような夜と昼の世界--。 生と動もこの世にあるしばらくの間である。しかし、死と静はほとんど永遠である。このような基本的な意識の枠組みが、すでに埼玉県には歴史地理的に表現されている。 荒川源流 徒歩で駅まで戻って、今度は反対側の小道を下りてみた。商店には笛やぞうりなどの土産が並ぶ。坂の突き当りで、長瀞の岩畳をはじめて見た。そのとき、荒川という名称の由来を肌で感じた気がした。ふだん赤羽と川口の間の鉄橋下を流れる荒川は見たところ決して荒くれた川ではない。きちんとコントロールされ、取り立てて屈託もなしにたゆたっているように見える。源流に近い秩父の荒川を目にしたとき、古代の人たちが何を求めていたか、何を恐れていたかがはっきりした気がした。私は源流にほど近い荒川の実物を前にして、人間の精神と自然の精神との純粋な対話、近代の人工的な観念の介入を許さぬ瞑想に似た感覚に否応なく行き着いた。気づけば、私は広い岩の上に横になっていた。どうも土地の神々の胎内にいるような気分になる。それは土地の育んできた「夢」なのではないか。そんな風にも思いたくなる。少なくともそこには都市部の明瞭判然たる人間の怜悧な観念は存在しなかった。おそらく土地の精神とは比喩でも観念でもない。それは勝手にひねり出されたものではなかった。古代人の中では、主体と客体などという二元論はなかっただろう。ただ荒く呼吸して大地から湧出する滔々たる水流と一体になっていただけだろう。それを知るのに学問もいらないし、書物もいらない。古人の生活に直接問いかけるだけの素朴な心があれば十分だ。きっと昔の人は、現実と観念の対立をまるで感じていなかったに違いない。自然全体のうちに人はいるのだし、人の全体のうちに自然はあるというのが、彼らの生きていく意味だったのだ。彼らは、自然が差し出してくる何かを受け取るポイントを特別な場所として認知した。このような自己を取り巻く自然が十分に内面化された場所、自己とはかくのごときのものであり、かくあるべきものであるという場所で、彼らはあえて祭祀を行ったに違いない。 寝転んで川風に吹かれてみれば、土地の精神を支えているのは、存在と切り結ぶ自然感情であることは、明らかなように思える。秩父にあるのは論理ではない。言葉でさえない。あえて言えばそれはとてつもなく古い体験である。それがうまく言葉にならないというそのことが、かえって一種の表現を求めてやまない、どこかくぐもった呼び声として内面にこだましてくる。 「埼玉には何もない」などと気楽に自嘲し、ごく最近つくられた観念に戯れることしかできないのはあまりにさびしいことだ。何もないのではない。正体を見極めがたいほどに果てしなく、あまりに何かが「あり過ぎる」のだ。 長瀞の岩畳に横になり、江風に吹かれてみる Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学教養教育センター教授1972年、埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、社会情報学。 関連リンク ・【埼玉学①】行田-太古のリズムは今も息づく・【埼玉学②】吉見百穴-異界への入口

  • 【知・技の創造】化学実験用流体ブロック

    もっと手軽に化学実験を 化学実験と聞くと何を思い浮かべるだろうか。試験官、ビーカー、フラスコ、ピペット、秤、バーナーなどのような実験器具・機材であろうか。学校で行った化学実験は準備や後片付けに時間がかかったのを覚えている。先生はさらに時間をかけていたに違いない。もっと手軽に化学実験を行えるようにはできないか。化学変化はつねに身近で起きている。なにしろ人間自体が大規模で複雑な化学実験の舞台であるからだ。全身に張り巡らされた血管の中を血液が流れ、脳内では神経細胞がさまざまな物質を使って情報処理を行っている。流れを利用して化学実験を行い、さらに流路を自在に組み換えることができれば、いろいろな化学実験を簡単に行えるではないか。筆者が子供の頃、電子ブロックというものが販売されていた。親指大のプラスチックのブロックの中に抵抗、コンデンサ、コイル、トランジスタなどいろいろな電子部品が内蔵されていて、ブロックの側面は接続端子になっている。ブロックを並べ替えることで、基礎的な電気回路の実験からラジオのような応用的な回路を組むことができた。 流体ブロックの研究 リソグラフィ技術を使ってガラス基板にマイクロメートル幅の流路をつくり、極微量サンプルの科学分析を行う研究(Micro-TAS)は30年くらい前から行われ、多くの成果をあげている。しかしながら、部品の再利用を前提とし自由に組み換えて実験を行うというよりは、特定の目的のために設計・調整されたものが主流である。微細な流路のため層流となり溶液の混合でさえもひと手間かける必要がある。本研究室では、試験官やビーカーよりは小さく、Micro-TAS が扱う領域より大きなサイズ、すなわち数ミリメートルの流路幅をターゲットにしている。このサイズは、重力が支配的になる世界と表面張力が支配的になる世界の境界である。さらに条件によっては層流にも乱流にもなる。流体ブロックの材質は透明で薬剤耐性に優れた PDMS (ポリジメチルシロキサン)である。PDMS は自己吸着性があるのでブロック同士やガラス面などによく密着する。このため並べるだけで3次元の流体回路も簡単に組むことができる。3Dプリンタなどを用いて流路の樹脂型をつくり、PDMS が硬化した後、樹脂型を溶解させれば所望の流体ブロックができあがる。 写真は製作した流体ブロックの1例である。今後、流路中にヒーター、熱電対などの様々なパーツを組み込んだ流体ブロックを製作していく予定である。埼玉新聞「知・技の創造」(2023年10月6日号)掲載 Profile 堀内 勉(ほりうち・つとむ) 情報メカトロニクス学科教授早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。博士(理学)。日本電信電話株式会社研究所を経て2014年4月より現職。

  • 【知・技の創造】気がつく人

    「気がつく」ということ 人の特性のひとつに「慣れ」があります。はじめはおぼつかないことでも、慣れてくるとスムーズにできるようになります。これは良い例なのですが、悪い例もあります。何かが便利になるとはじめの内はありがたがるのですが、その便利さに慣れてしまうと当初の感謝の気持ちは薄れてきてしまいます。そして、急に不便になったときには腹を立てたりします。元に戻っただけなのだから腹を立てなくても、と思うのですが、そうはいきません。かく言う私も紛れもなくその一人です。そのときに今まで便利であったことに改めて気がつきます。 この「気がつく」ということは人には大事です。特に勉強でも研究でも趣味でもどんな場合でも、何か課題を解決しようとしているときにはとても大事だと思います。ところが日常的には中々気がつきません。周囲の多くのものに注意を払っていれば気がつくのではないかと思うのですが、多くのものに注意を払うのも大変です。メガネを使用している読者の方々は、メガネを掛けていることに気がつかずにメガネを探した、という経験はありませんか。私はあります。気がつくことは案外大変なのです。ただ、何かきっかけがあれば気がつくことができる、というのが先の「悪い例」です。もちろん良いことについても、きっかけがあると気がつきやすいはずです。 「気がつく」の応用 この「気がつく」ということを技能の修得に活用できないか、と考えています。技能の修得には一般的に時間が掛かります。例え仕事に関わる技能であっても、仕事中は技能の修得(つまり練習)のみに時間を割くことはできませんから、時間が掛かるのは仕方がありません。以前から「習うより慣れろ」という言葉がありますが、慣れるのにも時間が掛かるのです。そこで、慣れていく途中で自分より上手な他社との違いに「気がつく」ような指標を示すことができれば、技能の修得に役立つのではないかと考えています。また、当たり前のことですが、気がつくのは自分自身です。気がついたことをその人自身が自覚しなければなりません。自覚するためには自分自身あるいは成果を客観的にみる必要があります。ところが一生懸命にものごとに取り組むと、夢中になってしまって自分自身を客観的にみられなくなってしまう。あるいは目的を見失ってしまう、という状況に陥りやすくなります。そのようなときに、見失った自分や目的に気がつけるような仕組みの構築を目指しています。 何かを修得しようとする(上手にできるようになろうとする)ときには、まずは先達の物まねからはじめます。ところが物まねはできても、結果が伴わないことはしばしばあることです。これはスポーツを例にするとよくわかると思います。もし物まねで済むのであれば、皆同じ打ち方、投げ方になるはずです。しかし実際にはそうはなりません。なぜならば、人それぞれの体の大きさや関節の動く範囲、筋力などが異なるからです。 したがって人はまず物まねをしますが、その後何かに気がついて、自分なりの方法を見つけることになります。何に気がつくか、についても人それぞれです。ただ気がつくきっかけを提示できればと考えています。 埼玉新聞「知・技の創造」(2023年9月8日号)掲載 Profile 髙橋 宏樹(たかはし・ひろき) 建設学科教授順天堂大学体育学部卒。同大大学院修士課程修了後、東京工業大学工学部建築学科助手を経て02年ものつくり大学講師。08年より現職。博士(工学)。 関連リンク ・人の生活と建築材料の研究室(髙橋研究室)WEBサイト・建設学科WEBページ