新着記事

  • 【知・技の創造】新しい機械加工の学び方

    5軸制御マシニングセンタの導入 昨年末、本学情報メカトロニクス学科に5軸制御マシニングセンタが、機械加工関連の実習用の機器として導入されました。5軸制御マシニングセンタとは、従来からある汎用の旋盤やフライス盤といった複数の工作機械の機能を1台に統合し、高度なIT技術で自動化された最新鋭のNC工作機械です。 類似のものに複合加工機がありますが、これらの出現により、これまでの工作機械では加工できなかった複雑な形状の製品が、容易に加工できるようになりました。今回、伝統的な技能と最新の技術を合わせ持つテクノロジストを育成する本学では、新しいモノの作り方を理解するために、5軸制御マシニングセンタは不可欠な要素であるという判断のもとでの導入となりました。 5軸制御マシニングセンタ 国内機械加工業界の現場では… 5軸制御マシニングセンタや複合加工機(以下、二つをまとめて5軸加工機)により、機械加工の現場は、さらなる自動化や省人化が可能になります。その優位性についての理解が進む欧州では、順調に販売実績を伸ばしていますが、日本国内では少々伸び悩んでいるのが実態です。 工作機械メーカーによる実機の貸し出しや、加工実績の紹介など、様々なキャンペーンが実施されてはいますが、国内機械加工業界全体に広がりを見せているとは、まだまだ言えません。これは高額な設備投資と、これらの新しい機械を使いこなすスキルを持つ人材が、圧倒的に不足していることが理由として挙げられます。 しかし、少子高齢化の影響による労働人口の減少は明らかで、すでに待ったなしの状況です。これに対応していくには、工程の自動化と省人化が絶対条件で、投資額や人材確保の問題を上回るものとなります。その答えのひとつとして、5軸加工機の導入があります。また、5軸加工機を用いての製造を前提とした製品や部品の設計がなされていないことも大きな要因と言えます。 これには、古くから国内産業の基盤を担ってきた、安定した生産体制を敷くためのノウハウの踏襲や、5軸加工機の強みを積極的に取り入れるなどといった、設計部門の十分な理解が得られていないことが考えられます。 教育現場の対応とこれから 一方で、我々のような教育機関での教育実績が少ないことも課題となっています。特に5軸加工機は、機械本体だけでなく、その周辺機器や加工プログラムを作成するアプリケーションは、高価なものが多く、これらを複数用意する必要があるため、費用面でも教育カリキュラムに組み込むことを困難にしています。 企業から学生へ5軸加工機のレクチャーを行う様子 そして何よりも、指導する教員のスキルアップも重要です。しかし、5軸加工機の販売実績が好調な欧州を中心とした海外では、これらの工作機械は機械加工の初学者が扱い、従来のものは、高度な技術や技能を持つ熟練者が扱うべきものという考え方があります。つまり、高度なIT技術により自動化された最新の工作機械は、誰でも扱いやすいので初学者向きであるということです。 この考え方には賛否両論あると思いますが、生まれた時からIT技術が身近にある若年層は、これまでのような汎用の工作機械からではなく、自動化が進んだ最新のものから学び始めるというのは、これからの機械加工の学び方に、我が国でもなるのかもしれません。 埼玉新聞「知・技の創造」(2024年4月5日号)掲載 profile 武雄 靖(たけお やすし)情報メカトロニクス学科教授 東京農工大学大学院工学府機械システム工学専攻(博士後期課程)修了。博士(工学)、MOT(技術経営修士)。専門は機械加工学、技術経営、技能伝承など。 関連リンク ・機械加工・技能伝承研究室(武雄研究室)・情報メカトロニクス学科WEBページ

  • 【埼玉学⑤】「食」のアミューズメント・パーク サイボク

    「埼玉学」とは、埼玉県の歴史・文化・産業・地理・自然など、埼玉県に関するあらゆる分野を総合的に研究・探究する学問です。教養教育センターの井坂康志教授が新しい研究テーマとして連載を始めました。 埼玉学第5回は、埼玉県日高市にある「サイボク」が埼玉に作れられた歴史と背景、そして現在に至るまでの挑戦について触れていきます。 サイボク創立者の夢 埼玉県日高市に位置するサイボクは、食のアミューズメント・パークと呼ぶにふさわしい。その広大な敷地は、東京ドーム2.5個分に相当し、自家製の精肉やハム、ソーセージの直売店、レストラン、地元野菜や花きの販売所、そして天然温泉「花鳥風月」まで備えている。年間約400万人もの人々が訪れ、埼玉のみならず、関東一円にファンを持っている。たいていのガイドブックにもその名は記載されている。そんなサイボクには日本の戦後復興とともに歩んできた歴史が背景にある。 愛らしいマスコットキャラたちもお出迎え。 1946年、埼玉県入間郡高萩村(現在の日高市)にて「埼玉種畜牧場」が開設された。この牧場で、原種豚の育種改良が行われ、美味で安心な豚肉生産の基盤が築かれた。当時、国内には養豚学科を有する大学や農業高校がなく、創業者・笹﨑龍雄は、獅子奮迅の努力によってこの地に牧場を開いた。そんな笹﨑龍雄は、1916年、長野県の農家の8人兄妹の次男として生まれている。幼い頃から牛・馬・豚等の家畜に囲まれて育ち、中でも豚の飼育係を担当した笹﨑は、その魅力に夢中になり、いつしか「獣医」を志すようになる。しかし、8人兄妹を賄う家計は決して豊かでなく、一念発起して超難関の陸軍依託学生として東京帝国大学農学部実科(現・東京農工大学)を受験し合格する。卒業した1941年、日米開戦と同時に陸軍の獣医部将校として旧満州とフィリピンの戦地に派遣された。1945年日本が敗戦を迎えると、物資不足と食糧難を目の当たりにした笹﨑は、「食」で日本の復興に寄与しようとした。笹﨑の夢と情熱がサイボクを築き上げた。 自慢のソーセージ。 店舗の様子。 なぜ埼玉か 長野県生まれの笹﨑龍雄はなぜ埼玉に目を付けたのか。理由はいくつか考えられるが、一つ挙げるなら、埼玉の農業と深い関係がある。埼玉は何よりさつまいもと麦の生産地であった。埼玉においては、さつまいもは「主食」と言ってよかった。その地下で育つさつまいもは人間の飢えを満たし、地上で育つ葉や茎は、豚にとって良好な飼料となった。食の中心であった麦は、明治から昭和30年代中頃にかけて4種の麦を中心に生産されていた。戦前には小麦、六条大麦、二条大麦、はだか麦を合わせた4麦の生産が全国一を占めていた時期もあったが、それもまた養豚にとって恵まれた飼料の補給を可能にした。その歴史的背景を遡れば、「麦翁(ばくおう)」と呼ばれた権田愛三の存在が浮かび上がってくる。1850年に埼玉県北部の東別府村(現在の熊谷市)に生まれた権田は、一生を農業の改良に捧げた。中でも麦の栽培方法に関して功績を残し、麦の収量を4~5倍も増加させる多収栽培方法を開発したとされている。後にはその集大成ともいえる「実験麦作栽培改良法」を無償で配布、県内はもとより日本全国への技術普及に尽力した食のイノベーターだった。このような豊かな農業生産地・埼玉の「地の利」を背景に、笹﨑は養豚のイノベーションに着手していった。1931年に開通した八高線によって、豚や飼料等の運搬が容易になったこともそこに加えられるべきだろう。 埼玉の精神にふれる サイボクは現状に甘んずることなく、新しい挑戦を追求してきた。1975年には、日高牧場内に日本初の養豚家が直接販売するミートショップが開店し、その後も施設の拡大や改善が続けられた。1997年にはオランダで開催された「国際ハム・ソーセージ競技会」に初出品し、多くの賞を受賞した。さらに、2002年、周囲の猛反対を押し切り温泉堀削を試み、驚くほどの量の良質な温泉を発見した。それをきっかけに、温泉施設の建設が始まり、21世紀型の「食と健康の理想郷」をめざす施設として整備された。 今回話を聞かせてくださった現会長・笹﨑静雄氏と。 サイボクのレストランの裏手には、広大な緑の芝生と森が広がる「サイボクの森」がある。「緑の空間と空気は人々の心を癒すもとになる」「一日30~60分の日光浴は骨を丈夫にする」「子どもの近眼の主因である、屋外での遊びの欠如と日光浴不足を解消するためのこのようなアスレチック施設や、大人のための散策路やくつろぎのスペースを準備しよう」。サイボクの森は、女性スタッフ中心の発想で実現した。三世代の家族が遊べる空間として計画され、コロナ後はとりわけ得がたい憩いの場になっている。現会長・笹﨑静雄氏は、父・龍雄の存命時、豚が不調に見舞われた時の対処のし方を聞きに行くと、そのたびに「豚は何て言っていたんだ」と問い返されたと言う。「わかりません」と答えると、「豚舎に寝ないとわからないだろうな」と言われたと振り返っている。現在のサイボクの活動はすべて豚とお客さんが教えてくれたことを愚直に実践してきた結果と笹﨑氏は語る。現在のサイボクの歴史は、対話の歴史だった。客と対話し、自然と対話し、地域住民と対話し、何より豚と対話する。相手の言うことに耳を傾け、次に何が求められるかを模索する。これは郷土の偉人・渋澤栄一が事業を始めるときにこだわった方法でもある。サイボクは食のアミューズメント・パークにとどまらず、埼玉の「埼玉らしさ」にふれられるイノベーションの宝庫である。ぜひ一度訪れ、味わい、体感してみてください。 Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学教養教育センター教授 1972年、埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、社会情報学。 関連リンク ・【埼玉学①】行田-古代のリズムは今も息づく・【埼玉学②】吉見百穴-異界への入口・【埼玉学③】秩父-巡礼の道・【埼玉学④】『翔んで埼玉-琵琶湖より愛をこめて』を公開当日に観に行くということ・教養教育センターWEBページ

  • 【大学院生による研究紹介】途上国の災害における居住空間の変化に関する研究

    2018年9月28日にインドネシア・スラウェシ島で発生したマグニチュード7.5の地震により、近傍の都市は死者・行方不明者4,547人、家屋損壊100,405という甚大な被害を受けました。浦上龍兵さん(大学院2年・今井研究室)は、復興が進むインドネシア中部スラウェシ州に赴き、災害復興住宅の住環境の分析を行いました。 研究のきっかけ 私が所属している研究室の今井教授は、海外の被災地の復興について研究や実験を行っています。学部生の頃に、今井教授からインドネシア・スラウェシ島地震の被害状況を教えていただき、復興の仕方についてお話を聞くことが度々ありました。今井教授のお話を聞くうちに災害復興について興味を持ち、研究したいと思い大学院への進学を決めました。当初、大地震が発生した2018年にインドネシアでの調査を実施する予定でしたが、新型コロナウイルスの影響で延期になり、2022年に実現することになりました。今井教授に本学と千葉大学の合同調査メンバーに選んでいただいて、私がメインで被災地の住環境について調査を行い、論文を発表することになりました。 現地での調査 インドネシアには、2022年9月に10日間行きました。地震の発生から2年が経った現地は、被害が大きかった村でもNGOの活動により復興住宅の建築が進んでいました。しかし、沿岸部は津波によって地盤沈下が起こり集団移転している村もあり、そういったところはまだ瓦礫が散乱していました。私たちは、NGOの方に被害の大きかった村を6か所案内していただいて、その中からランダムに住民を選んでもらい、その住民のご自宅でアンケート調査を行いながら、並行して復興住宅の実測調査を行いました。現地の方たちは明るい人が多くて気さくに話しかけられることが度々ありました。コミュニケーションを取るために翻訳アプリを使っていましたが、見ず知らずの日本人に対して、「この村にヒーローが来た」と言ってくれました。私たちが何か変えられるわけではありませんが期待していただいて、住宅に入る時もウェルカムな対応をしていただきました。 調査に協力いただいた家族と(前列左が浦上さん) 住民の方たちのアンケート調査では、復興住宅の満足度を質問したのですが、「良い環境に住ませてもらっている」という回答が多く、復興は順調に進んでいるという印象を受けました。住環境に関するアンケートは各項目を地震前、避難期間中、復興住宅の3つのフェーズに分けて質問しています。アンケートの内容は、それぞれの時期の家族構成や、誰が住宅を建てたか、水回りの変化、地震前と復興住宅の家の広さ、住宅の満足度など基本的には生活に関することを聞いています。 アンケート調査の様子 復興住宅というと、日本ではプレハブ住宅のような一時的な避難先という印象がありますが、インドネシアでは永住することを前提とした家を建てています。インドネシアは、「ノンエンジニアド住宅」と呼ばれる専門的な知識を持たない人が施工した住宅が多くあります。ノンエンジニアド住宅が地震で崩れることにより被害が大きくなることが問題視されていました。そのため、NGOの方が「コアハウス」という頑丈な家を建てることで、また大地震が発生しても被害を抑えることができます。この復興住宅は建築当初は、リビングや寝室などの最低限の住居スペースしか確保されていません。他に必要なキッチンやトイレなどのスペースは住民が各自で増築を行います。せっかく頑丈な家を建てたのに、ノンエンジニアドが増築したらまた災害時に被害が大きくなってしまうのではないかと思うかもしれません。しかし、復興住宅は被災者に最低限の身を守れる場所を提供することが目的で、増築されることが前提の住宅です。支援金には限りがあるので最低限の耐久性がある住宅を提供しています。復興住宅は、3人家族であっても10人家族であっても同じ広さの住居が提供されます。そのため、実測調査は家族構成によってどの程度の面積を増築したか、どういう用途のスペースを増築したのか明らかにすることを目的に行いました。 復興住宅が立ち並ぶ村の様子 調査結果からの提案 今回の研究は、住宅の耐震性ではなく、住民の生活水準や満足度を調査するものです。アンケートを行った住民からの意見をまとめ、安心感や快適さ、住宅の満足度を明らかにしようと思いました。アンケートの結果から、現在の生活が地震前よりも安心や安全を感じているということが分かりました。地震前の住宅はインフラが整っていなくで川に洗濯に行っていたのが、復興と同時にインフラの整備が進み、水道や電気が使えるようになり生活水準が地震前より上がっている影響も考えられます。調査をした村の中で特に満足度が低い村がありました。その村は復興が進んでいますが、被害が大きかった他の村から多くの人が転入してきていました。その影響で元々の住民たちの安心感や安全に関する項目が大きく低下していました。原因は、他の村にはある「コミュニティスペース」という村の人たちの交流の場になる施設が無く、転入者とのコミュニケーションが取れていないことだと考察しました。村が集団移転して3年経ってもコミュニティスペースが無いということは、これから建設される可能性は低い。そこで私は、村の土地性に合ったにコミュニティスペースを建設して住民の不安を取り除くことを提案しようと思いました。コミュニティスペースは、復興住宅のスケールを考慮します。正面5メートル、奥行き6メートルの空間を中心に置き、周りに用途を付け足していきます。中心部は、屋根はかかっていますが基本的に屋外で、開放的なスペースで住民同士がコミュニケーションを行うことを想定しています。 他の村のコミュニティでの一幕 コミュニティの設計は、復興のシンボルになっている「大きなクロス型」をコンセプトにしています。復興住宅の壁には大きなクロス型があしらわれているのですが、このデザインについて37%の人が満足していたからです。復興住宅は、ジャケッティング構法と呼ばれている組積造というレンガブロックを積み上げて壁を作っています。これはインドネシアの伝統的な構法ですが、耐震性が低く地震の時に崩れてしまうため壁にワイヤーメッシュを貼り、その上からモルタルで仕上げています。その金属のメッシュがクロスの形をして浮き出ています。その壁を住民たちが好きな色に塗って仕上げています。 玄関横の大きなクロスは復興のシンボルになっている。 私の設計は、あくまで修士論文の範囲で行うものでインドネシアの村に必ず建設されるというものではありません。2024年に行われる WCEE(世界地震工学会議)にて今井教授に発表していただく予定です。今後、後輩が研究を引き継いで、いつか村にコミュニティスペースが建設されることを願っています。 関連リンク ・建設学科 建築技術デザイン研究室(今井研究室)・ものつくり学研究科WEBページ

  • 【知・技の創造】インフラ構造物更新技術

    近年は公共構造物の更新や補修補強時代のニーズに即した研究開発を行っています。橋梁(きょうりょう)等のインフラ構造物は、その約半数が建設後50年以上を経過し老朽化しています。これらの構造物をいかに再生させるか、あるいは更新させるかが喫緊の課題です。 本学には、画像の3000kNの万能試験機があり、これを使って新材料や新技術を用いた補修・補強や更新に必要な工法の共同研究をしています。 万能試験機 鋼部材の補修・補強 橋梁等の鋼部材の腐食劣化部や耐震耐荷力不足等の部位に炭素繊維強化ポリマー(以下、CFRP)で補強する技術開発をNEXCO総合技術研究所や材料メーカーと共同研究をしています。この技術はCFRPシートを含浸接着して必要枚数積層するものですが、鋼材とCFRPシートの間に高伸度弾性パテ材を挿入する世界的にも新しい技術です。最近では、CFRP成形部材を使えるように工夫しています。これらの技術は鋼桁橋、トラス橋、鋼床版橋に適用されてきていますが、今後、煙突、タンク、水圧鉄管等に用途拡大が期待できます。 FRP歩道橋 浦添大公園歩道橋(沖縄県浦添市) 塩害地域の対策で注目されているFRPを用いた歩道橋が注目されています。2019年に真空含浸法により製作したGFRP積層成形材を、集成接着した箱桁歩道橋が沖縄県浦添市に建設されました。本橋は橋長18.5mです。今後、さらなる支間長増大に対応すべく、現場接合構造の研究を行いました。また、木製歩道橋をFRPで補強する工法についても、県内自治体と共同で今後事業展開を図ります。 弾性合成桁 古くから施工されている橋梁の多くは、鋼桁の上に鉄筋コンクリート床版を固定した構造形式です。近年、NEXCOをはじめ関係各所で大規模更新事業として劣化した床版の取替えを行っています。この更新後において、床版と鋼桁を完全固定と考える合成桁設計法と、両者を重ねただけの非合成設計法がありますが、その中間的な考えである弾性合成桁の研究を行っています。この設計法を用いれば、合成桁の利点を取り入れつつ、両者の接合方法を合理化することができ、品質の良いプレキャスト床版の採用が容易になります。画像は本学で実施した弾性合成桁の載荷実験の様子です。 弾性合成桁の載荷実験の様子 まとめ 大規模更新時代を迎え、上述の新材料や新技術を用いた工法で、インフラ構造物の安全・安心に繋がる研究開発を続けています。また、埼玉橋梁メンテナンス研究会の活動にも参加し、埼玉大学、埼玉県、国土交通省大宮国道事務所、ならびに埼玉建設コンサルタント技術研修協会の方々と連携して、このような新技術の紹介を行っています。 埼玉新聞「知・技の創造」(2024年3月8日号)掲載 profile 大垣 賀津雄(おおがき かづお)建設学科教授 大阪市立大学前期博士課程修了。博士(工学)。技術士(建設部門、総合技術監理部門)。川崎重工業を経て、2015年よりものつくり大学教授。専門分野は橋梁、鋼構造、複合構造、維持管理。 関連リンク ・橋梁・構造研究室(大垣研究室)・建設学科WEBページ

  • 偶然を必然に ~6年間の集大成は自宅兼カフェの自主設計で行田まちなかの活性化に~

    行田市内に自宅兼店舗のカフェを自ら設計し、行田まちなか再生エリアプラットフォームに携わっている栗原里奈さん(大学院2年・今井研究室)。修士論文のテーマは「行田まちなか未来ビジョン策定に向けた中心市街地活性化に関する研究-あるくステーションの設計提案を通して-」。ものつくり大学での学生生活の中で、偶然を確かな自身のスキルアップにつなげている栗原さんに6年間の歩みをインタビューしました。 実習の多さと充実した設備が進学の決め手に 大学の進路選択に悩んでいる時、たまたま見たテレビ番組で、ものつくり大学のことが紹介されていました。ものづくりが好きでペーパークラフトや料理など何でも作っていたので、実習が多い大学だと知り興味を持ちました。福岡県出身ですが、実際大学を見学したいと思ったので、オープンキャンパスに参加しました。「ものつくり大学はとても設備が充実していて、今まで見学してきた他の大学とは違う」という印象を受けました。 ただ、福岡から埼玉県行田市までの距離があまりに遠かったので「行田に来ることは一生ない」と正直その時は思いました。しかし、福岡に戻りよく考え、他大学とも比較した結果、ものつくり大学一本に絞ることを決め、指定校推薦で進学しました。 自分の設計でコンクリートの家のオブジェが 自分で想像したものを自由に設計してみるのが好きだったので、2年生では、建設学科の建築デザインコースに進みました。コンクリートのオブジェをつくる授業があり、私が設計したものがチームの中で選ばれました。コンクリートのように机上に収まらないものを作れるのは本学だからこそ可能なことだと思います。実際、自分の設計による家の形をしたオブジェが完成した時はとても嬉しかったです。 インターンシップでは将来は住宅等の設計がやりたかったので、設計事務所に行くことを決めていました。事務所選びに迷いましたが、小さい事務所の雰囲気を味わいたいと思い、3人で運営している川口市の事務所にお世話になりました。実務につながるさまざまなことを学ぶことができ「建物の中でも住宅を設計したい」という思いがさらに強くなりました。 コロナ禍でリアルな先輩の卒業制作に携わることに 3年生(2020年)の頃はコロナ禍で、福岡の実家でオンライン授業を2、3カ月受けていました。今井研究室に所属しましたが、キャンパスに戻ると同研究室の先輩が卒業研究として熊谷まちなか再生エリアプラットフォームに関わり、熊谷まちなか再生未来ビジョン策定に向けたプロジェクトを行っていることを知りました。地域の課題解決に向けた取り組みである国土交通省のプロジェクトの一環で、官民学連携のまちなか再生推進事業として、ものつくり大学も立正大学、千葉大学などに加わり、熊谷市、地元企業、団体と一緒にコロナ禍でも定例会を行っているとのことでした。オンライン授業で福岡にいた私はリアルに活動している先輩の姿を目の当たりにし、温度差を感じました。今井先生からプロジェクトの協力に誘われたのを機に「全然分からないけど、何でもやってみよう」と思い、友人と一緒に携わることにしました。 卒論と同時進行で挑んだプロジェクト 4年次の進路選択は、兄が大学院に進んでいたり、熊谷のプロジェクトにも関わり続けたりしたかったので大学院進学を決めました。早い段階で進学が決まっていたこともあり、修士論文を書く勉強にもなると考え、卒業論文に挑戦しました。ル・コルビュジエによるロンシャンの礼拝堂を研究のテーマにして「窓から入る光が内部にどう影響を与えるか」といった問いを立て、夏と冬の太陽の角度の違いについて論じました。建物の窓の位置が及ぼす影響や論文の書き方を学ぶことで、大学院に進む準備ができました。 卒業論文と同時並行して熊谷でのプロジェクトに協力していました。アットホームな雰囲気で学生の意見を尊重してくれる環境で「何でも1回言ってみる」というスタンスが次第に育ち、いろいろ挑戦ができました。実際、星川沿いで行われる星川夜市に参加し、星川きらきらプロジェクトを実施し、光るカプセルなどを星川に浮かべるイベントをしたり、YATAIプロジェクトを実施し、折りたたんでコンパクトに移動できる屋台製作や活用をしたりしました。 星川夜市に参加する栗原さん(左) 熊谷まちなか再生エリアプラットフォームには大学3年生から大学院1年生(2020年度~2022年度)の3年間関わり、アイデアや意見を形にする経験ができました。 プロジェクトの成果物を発表した栗原さん(右から2人目) 行田まちなか再生プロジェクトに自身の経験を活かしたい 熊谷でのプロジェクト終了後、千葉大学や他の方から「行田市は歴史や文化、自然など豊富な資源を活用して、今抱える地域課題を解決できるのでは」という提案があり、行田まちなか再生エリアプラットフォームが立ち上がりました。ものつくり大学や商工団体、NPO法人などが中心に官民学連携で協力して、キックオフミーティングが2023年3月に行われ、2023年4月にスタートしました。私も「行田は観光名所があったり、テレビドラマの舞台になったり魅力的な街だ」と感じていたのと、「熊谷のプロジェクトに関わってきた経験を活かせるのでは」と参加することにしました。行田市は足袋産業がかつて盛んだったこともあり、「足袋」と「旅」を掛けて「たび・あるくが楽しい街、住む人々の豊かな暮らしの実現」を目指し、行田まちなか未来ビジョン策定に向けて動き出しました。 行田まちなか再生エリアプラットフォームのミーティング 行田の商店街に自宅兼店舗のカフェを自主設計することに 実は、キックオフミーティングと同時期、行田市内に自宅を建てることが決まっていました。私は大学進学に伴い、福岡から埼玉に来ましたが、兄の結婚を機に2年前、両親も埼玉に移住し、現在一緒に上尾の借家に住んでいます。父には以前から「カフェをやりたい」という夢があり、たまたま行田市の商店街にちょうどいい物件があったため、土地を購入し、自宅兼店舗のカフェを建てることになりました。大学進学をきっかけに埼玉に来て、行田市の大学で学んできたのですが、まさか自分がこの地に住むことになるとは想像もしていませんでした。 今井先生に経緯を話すと「自宅兼店舗のカフェを自主設計してみては」と勧められました。ものづくりが好きで、様々な実習を設備の充実した大学で行い、インターンシップも設計事務所に行き、設計の面白さや楽しさを経験してきた大学生活でもありました。行田まちなか未来ビジョン策定にも関わることになったので、「行田まちなか」にカフェを自主設計することで中心市街地活性化につなげたいと考えました。そして、本学での6年間の学びの集大成として「行田まちなか未来ビジョン策定に向けた中心市街地活性化に関する研究-あるくステーションの設計提案を通して-」を修士論文の研究テーマにすることにしました。 自宅兼店舗のカフェを自主設計する過程で直面した課題とやりがい 自宅兼店舗のカフェの設計を私が自らすることを両親に伝えると、特に父はとても喜んでくれました。自主設計に際し、今井先生の知り合いの工務店が施工を請け負ってくださることになりました。2023年3月から設計の案を考えたのですが、行田市は蔵の街でもあるので「蔵の街並みに合う、まちなかの交流の場としてのカフェの設計」をコンセプトに決めました。現代風の蔵の外観にし、周囲の景観に馴染むような設計にしました。 自宅兼店舗の立面図 先ず直面した課題は限られた予算や坪数の中で、いかに両親の希望に沿った建築設計にするかということでした。2階建ての建物の1階はカフェの店舗に、2階は自宅にといった構想の下、様々な案を練りました。なかなか前に進めない時は今井先生からアドバイスをいただいたことで新たな視点を入れて設計に取り組むことができました、5カ月間構想を練り、繰り返し設計図を書き直し、2023年の夏頃に設計図が完成しました。自主設計したものが実際の建物になっていくのを目にし、達成感を感じています。両親の思いを大切にして自宅兼店舗のカフェを自主設計するやりがいや喜びを体感できたのは、本学での学びや実践があったからこそ叶ったことです。 建築中の店舗兼自宅 行田まちなか未来ビジョン策定に向けた研究を活かしたい 2023年3月から関わっている行田まちなか未来ビジョン策定に向けての行田まちなか再生エリアプラットフォーム。2023年4月から毎月1回まちづくりミュージアムにて定例会を開催したり、講師の先生をお呼びし「行田まちなか再生エリアプラットフォーム・フォーラム」を現時点で3回開催したりして、率先して運営に関わっていますが、なかなか学生の意見が反映されないもどかしさを抱えています。まだ構築段階にあり、1年目なので難しさを感じるのは当然ともいえます。定例会で参加者の発言を記録したり、フォーラム開催時にはアンケートも取ってまとめたりしているのですが、時間がかかり根気もいります。しかし、こういった地道な活動を通し、参加者の声を聞くことで、様々な課題が見えて情報共有もできます。実際少しずつプラットフォームの構築に関わる団体や個人も増えていて、これからが正念場と感じています。 行田市について、正直まだ知らないことが多く、明確にイメージが湧いていないのが実感としてあります。1年間関わってきた中だけでは分からない魅力があるとも思います。修士論文では「行田まちなか未来ビジョン策定に向けた中心市街地活性化に関する研究-あるくステーションの設計提案を通して-」を研究してきたので、「あるくステーションの設計提案」を通して中心市街地活性化につなげられるように今後もものつくり大学の卒業生としてプロジェクトに関わりたいです。 卒業後は都内の内装系の会社に就職し、店舗の設計から施工の仕事に携わることになりますが、地元になる「行田まちなか」の父のカフェに市内外から歩いて来てくださる人たちとの交流を深められたら嬉しいです。 関連リンク ・建設学科 建築技術デザイン研究室(今井研究室) ・ものつくり学研究科WEBページ

  • 第2回教養教育センター特別講演会③~役に立つ教養はどのようにして活性化するか~

    2023年11月9日に渋谷スクランブルスクエア SHIBUYA QWSで開催した、第2回教養教育センター特別講演会「教養としてのクリエィティブ」の内容を全3回にわたりお届けします。第3回は、「役に立つ教養はどのようにして活性化するか」をテーマに、ものつくり大学図書館・メディア情報センター長の井坂康志教授がモデレーターを務め、パネリストに山本ミッシェール氏、ものつくり大学教養教育センター長の澤本武博教授、ものつくり大学情報メカトロニクス学科の町田由徳准教授を迎えたパネルディスカッションの様子です。【第2回教養教育センター特別講演会 開催概要】日時:2023年11月9日(木)13:30~17:10場所:渋谷スクランブルスクエア SHIBUYA QWSプログラム[第1部 特別講演会]・基調講演「教養としてのクリエイティブ」 小泉英明氏(株式会社日立製作所 名誉フェロー)・鼎談「脳科学、言葉、手-「使える教養」はどう育つか」 小泉英明氏 山本ミッシェール氏(キャスター/ジャーナリスト/レポーター/MC/講師) 荒木邦成(ものつくり大学 ものつくり研究情報センター長)[第2部 パネルディスカッション]モデレーター 井坂康志(ものつくり大学 図書館・メディア情報センター長)パネリスト 山本ミッシェール氏      澤本武博(ものつくり大学 教養教育センター長)      町田由徳(ものつくり大学 情報メカトロニクス学科准教授) インスピレーションの源 【井坂】会場のご意見も聞きながら、自由闊達に進めていきたいと思います。【町田】私の教養の定義としましては、「すぐには役に立たないかもしれないけれども、インスピレーションの源になる引き出し」という考え方で扱っています。本学の学生は物を作っている。そのとき燃料を機関車にくべていくように、教養が創造のエネルギーになってくるようにしたい。すぐに役立つかどうかわからない。けれども、そこからインスピレーションにつなげてもらえたらと思っています。【山本】教養があればあるほど、いろんな国、立場、人とコミュニケーションできるツールになると思います。自分を内省する教養がないと、結局、深掘りはできていかないからです。私が学んだ言語は8つあります。ほぼ使えなくなってしまった言語ももちろんありますが、それもきっといつか何かの役に立つのではないかと想像しています。海外で生活をしている中、いつも父に言われていたのが、「出会った人にとっては、初めての日本人になるかもしれない。私を通して、日本とはこういう国だ、日本人とはこういう人だと判断する可能性がある。そのためにも、言葉はもちろんだけれども、文化をしっかりと学んでおくこと、かつ、それを伝えられるだけの語学力は最初に身につけなさい」ということです。我が家の家訓のようなものでした。 私は教養が人生を豊かにすると思っています。知らないより知っているほうがいろいろなことに興味を持ちやすい。 【澤本】私は教養が人生を豊かにすると思っています。知らないより知っているほうがいろいろなことに興味を持ちやすい。旅行に行っても、ただ景色がきれいというのみでなく、土地の文化や歴史を知っていると、さらに深まって楽しみが増していきます。私はワインが好きなのですが、国や地域のぶどうの産地についても知ることでさらに楽しくなってきます。また学生に興味を持ってもらいたいとき、私は講義の中で、失敗談をするようにしています。このほうが学生には受けるようです。教養の根底には体験の持つ力があると思います。 【井坂】小泉先生のお話をお伺いしていて感じたのは、圧倒的な余裕です。今日のテーマの「教養としてのクリエイティブ」とは、まさしく小泉先生の姿勢といいますか、そこにおられるだけで感じ取れる。私の率直な所感です。 現場の思いを背負って 【町田】以前、子供の遊び空間の研究をしていたことがあります。その際、保育者とか幼稚園教諭の方にインタビューをしたことがありました。幼児期の体験が重要だということは保育者の方たちはみんな知っているが、現実的にできなくなってきている。屋外活動でのリスクが高いので、事故があったときには、責任を追及されてしまう。特に公立の園の保育者の方は一切外遊びはさせられない、そういう環境が今保育の現場では起こっている。そういったところで、壊していく体験だったり、失敗してしまう体験だったりが子供のときになかなか体験できないというのが今の幼児に多いと思います。【山本】アナウンサーという仕事をしていると、みんなが何か月もかけてやってきた仕事の集大成を最後に担うことになります。彼らの思いを背負って投影しないといけないミッションを私が担っている。そこで思いを台なしにしかねないときに、これをこのまま続けていったら、多大なる迷惑がかかる、ここからどう挽回すればいいのか。いろんなオプションを考えながら、最善でどうやってリカバリーができるか、そして最終的に、小さな失敗の芽をどうやってみんなに忘れてもらえるか、どうやって感動を最後に持ってこられるかを考えます。 どうやって感動を最後に持ってこられるかを考えます。 人間はパーフェクトではないので、転びながらだけれども、なるべく大けがをしないように、いろんな種類の受け身の技を学んでおく。あと、諸先輩たちも常に現場にいるので、先輩たちの姿は必ずいつも研究しています。 現場ともコミュニケーションを取るようにしています。上司よりも仲がいい現場の人たちとコミュニケーションを取って、彼らが出したいものがわかっていれば、自分がつまずいても、最終的にはそこにたどり着けるなと思っています。 論理的、言語的に伝える 感覚的ではなく、あくまで論理的に言語的に伝えることが必要。 【町田】ものつくり大学の中では、デザイン思考の授業を担当しています。学生には具体的なうまくできたポイントを指摘してあげることが大事と思っています。物を作るのは得意だけれども、アーティスティックなものに対して、拒否感がある学生は少なくない。アートがあまり好きではない学生とは、何がいいのかわからない。対してエンジニアリングは、比較的数値的にはっきりしている。アーティスティックな考え方でうまくいった方に対して、具体的に言語化して伝えてあげると、エンジニアリング・ベースでもわかりやすい。感覚的ではなく、あくまで論理的に言語的に伝えことがアーティスティックな教育では必要かと思う。 【澤本】私はコンクリート工学が専門です。創作実習を見学しましたが、学生が物を作るときには、ただ、考えるだけではなく、実際に自分の手で作る。本学では、女子学生も活発に勉強しています。創作実習も女子学生が多い。女子学生が率先してろくろを回し、いろんな色の廃材を切って組み立てたりしています。その有効利用性も学んだり、プレゼンも上手です。 実物を見る-大塚三紀子 【井坂】一わたりお話しいただきましたところで、1度会場に伺いたいと思います。自然食レストラン・実身美(さんみ)の経営者で、ものつくり大学非常勤講師の大塚三紀子さんが今日いらっしゃっています。 アートとサイエンスの行ったり来たりが教養において大事なのではないか。 【大塚】今日はたくさんの学びがあり過ぎて、感動しています。小泉先生のお話から、構想したり、デザインしたり、最初に何かを生み出すイメージとは、見たことがあるものでないとつくりにくい部分があると思う。そのためたくさんいいものに触れることがヒントになるのではないかと思いました。 実際、美術の世界も、最初は模写から入る。ピカソの作品を模写してみると、技法をそこで学ぶと感覚とスキルの両方が身につくのではないか。そのように何か物を作ったり、生み出していくときには、何か実物を見て、ロールモデルであったり、研究して、どういうふうにできているんだろうと学んだり、実際、ある機械を分解してみて、どういうふうになっているんだろうと再現してみたりして、そこから技術を学ぶ。その成り立ちを分解してみると、技術だったり、数値にできたり、アートとサイエンスの行ったり来たりが教養において大事なのではないかと今日は感じました。【井坂】私は専門はドラッカーのマネジメントですが、彼は学生に対してドラッカーは、「まず社会に出ろ」と言っていた。本を読み、考えても、社会の風圧にさらされない限りわからない情報が存在している。マネジメントは、書物の上だけのものではないのです。 本を読み、考えても、社会の風圧にさらされない限りわからない情報が存在している。 私はこれを「実弾を撃つ」と表現しています。世の中に出ると、1発実弾を撃つと、100発返ってきます。自分なりに体験して初めてわかってくるものがある。その意味では、そんな簡単にわからないでほしいという部分も正直あります。まず、社会に出て、様々な矛盾や葛藤の中で、少しずつ前進してほしい。そのための素地が多分教養の1つの意味なのだろうと思いました。続きまして、今日、一般参加者として来てくださっている東洋大学文学部の竹内美紀先生にお話を伺いたいと思います。 お母さんの表情に学ぶ-竹内美紀 【竹内】文学部国際文化コミュニケーション学科で、絵本とか児童文学、翻訳言語学、第2言語習得などを専門にしています。文学系で、最近、認知科学を入れた研究が進んでいる。コグニティブです。つまり、今までこういう本を読んだら子供が喜んだという入出力はあるけれども、間はブラックボックスだった。どういう脳の動きとか心理発達をしているから、こういう反応をするのかというのを、脳科学とか人間発達や心理学の知見を入れることによって、子供たちの反応を科学的に言語として証明することが、ここ20、30年研究されてきている。 子育て体験と、脳科学研究をクロスさせて、実社会に戻していきたい。 私は子育ての経験から児童文学の研究に入ったので、今日のお話で面白かったのが、コンピュータと脳は違って、環境応答型というところだった。思い出したのが、長男が2歳のとき、どじょうのつかみ取りをやった。子供が楽しみにしている横で若いお母さんたちが集められまして、ベテランの子育て支援者にと言われました。「いいですか。気持ち悪いとは絶対言わないでください。子供は今日初めてどじょうを見ます。そして、このどじょうが気持ちいいものか、悪いものか、かわいいものか、面白いものかは、つかんだ瞬間にお母さんの顔を見ます。お母さんが気持ち悪いという表情をしたら、そうインプットされて、一生どじょうが気持ち悪いものになるので、そういう表情を見せないでください」。それから母子でどじょうのつかみ取りを楽しんだ。 コンピュータは、どじょうについてのアルゴリズムが決まっているので、どんな入力をしても結果は同じです。人間にはアルゴリズムがないので、お母さんの表情という出力を見て、アルゴリズムをつくる。そういうことを私は経験してきて、ベテランのお母さんや児童文学の先生は経験として、子供の前で気持ち悪いと言ってはいけないことを知っている。けれども、どうして駄目なのかを説明できない。私たちが脳科学の知見を入れることによって、若いお母さんたちに納得できる形で言語化して説明していくことが研究者として必要なことだと思っている。子育て体験と、脳科学研究をクロスさせて、実社会に戻していきたい。【山本】今、竹内先生のお母さんの顔を見て判断するという話に私はどきっとしました。学校で教えているときに、学生によっては初めて触れる内容であったり、知らなかったことがたくさん授業で出てくる。学生たちは私の反応も見ているので、そういう影響は大きくなるんだろうと今思いました。今後、自分がどういう表情をしているのかともう少し意識しながら授業をしたいなと思いました。もう一つ、私はフランスで育ったのですが、美術館は子供や学生には無料でした。いつでも無料なのです。ルーブル美術館でも模写できます。本物に触れながらの模写だと得られるものはもっとある。本物と触れ合いながら、新しいものをイノベートしていくとは大事な作業です。日本の美術館もそうですけれども、環境づくりをわれわれ大人がもっと整備していくべきだと思います。 作ると「深いところ」が見えてくる 【澤本】かつてある先生から、「先生が楽しい顔をしていないと駄目だよ」とよく言われました。先生がいつもつまらなさそうな顔をしていたり、疲れた顔をしているとよくないと思っていまして、その先生はいつも楽しい顔をしていたのを今思い出しました。【町田】生活の身近なところから教養を実践していくと考えていくと、教養というものが人の生きざま、価値観と強く結びついてくる感じがしました。 【山本】おっしゃるとおり、常に倫理的に正しいことなのか、これを自分は発して大丈夫なのかとは、いつも気にかけているところです。最初、記者で入ったときの京都時代の上司がNHK WORLDのテレビの科学番組に誘ってくれた。その上司がいつも言っていたのが、これで世に出して大丈夫なのかということです。誤報を出してはいけない。世界的な誤報を出してはいけないと言われた裏では、それだけわれわれが取材相手としっかりと取り組んでいます。万が一、言葉を間違ったら、誰かに被害が及ぶこともある。何年やっていても、ぴりぴりしながらスタッフもみんな含めて、われわれは人間なので、勝手な思い込みもありますので、思い込みに引きずられてはいけない。 倫理の問題 【町田】ものつくりと倫理というところに関わってくるけれども、学生たちへの授業の中で比較的触れているのは、作る責任というところです。ものを作るのはすばらしいことだけれども、環境負荷を与えないものつくりはあり得ないので、環境の中で生きていくわれわれとして、どのようにものづくりを行っていくかということを意識してもらいたい。 偉くなった建築家の自叙伝を読んでいると、独立したばかりで仕事がないとき、暇なときに何をしていたかというのが、その方の創造性の源として重要なところになってくる。お金がないからといって違法すれすれのところに手を染めていかないかどうか。そういった倫理感は、物を作っていく中で、ぎりぎりの選択を迫られるということがあるかもしれない。けれども、そこを判断していく素地が学生のうちにできるといいのではないかと思っています。【井坂】確かに大成した方は、無名時代にいい仕事をしていたとはよく言われることです。【山本】いろんなものを観察していくと、必ずはっとするものがある。よく学生たちには、心が少しでもぶるっと震えたものがあったら、もっと調べてみるといいよという話をする。だから、今何かぶるっとしたけれども、まあいいかとスルーしてしまうのではなくて、そこにこそ次に進める芽がある。私は自分を「わらしべ長者」といつも言っているけれども、いろんな人にお話を伺ったりすると、その次に何かつながるものが見つけられる。なので、私は人生が毎日楽しいけれども、ぜひ学生たちにも、小さな楽しみから次への芽を引き出す力、サイクルをつくってもらいたい。 経験とは人間が一番大事にすべきこと-國分学長 【井坂】ものつくり大学学長の國分泰雄先生から最後に一言コメントをいただきたいと思います。【國分】小泉先生のお話を伺っていて、コンピュータ、そして最近の生成AIの話と人間との違いを今考えていました。確かに人間は環境から学習していくけれども、コンピュータ、AIの目的は最適化するはずです。人は何か課題を見つけて、解決するときに、解決する過程を楽しむことができると言っていた人がいる。小泉先生に伺いたいのは、脳内物質が何か報酬を与えているのではないかということです。何かそういうものはあるのでしょうか。【小泉】ご指摘の通りです。ところがまだ研究が十分に行われていない気がしている。学習とは、学習自身が生存確率を高めていくものなので、快に近いものとは、必ず奥深いものが伴う。小さいときに貧しくて学校に行けなかった100歳の方に会ったことがあります。英語を勉強してみたいとおっしゃっていて、しかも、いろいろと障害もお持ちなのに、すごい勢いで勉強されていた。生きる密度が高くなった印象がありました。100歳でも学習意欲を持つケースが実際にある。今、ご指摘のところは、脳神経科学としても、もっと研究が必要なところではないかと感じる。 経験とは人間が大事にしなければならない根本です。 【國分】もう一つ、私が思ったのは、AIは経験ができないと。メロンは緑色で甘いというのをAIに教えると、そう答える。けれども、それは本当に知っていることになるのか。人間は確かにメロンを見て、緑色だとか、食べてみれば甘い。あるいは、赤ちゃんは触ってみて、ざらざらしているとか経験する。その経験がAIはできない。聞けば答えるかもしれないけれども、本当かということになるのではないかという気がした。 経験とは人間が大事にしなければならない根本です。本学も経験を積んで、現場で活躍できるテクノロジストを特徴としています。では、経験が何に効くのか。小泉先生は言葉が人間の特徴だ言われたけれども、言葉とは、同じ認知能力を持っていないとできない。認知能力は経験から積み上がっていくものなので、同じようにコミュニケーションが成り立つためには、たくさん経験をして、お互いにコミュニケーションをするために重要という気がしてきたのです。人間は社会的な生き物ですから、コミュニケーションが成り立って、社会の中でいろんな充実感を達成できる生き方ができる。人生を楽しむことにつながっている。そこに人間とAIの違いという気が今しています。【小泉】生成AIについては、言語学の議論が増えるのではないかと思っている。言語とは本当は何なのか、言語自身の意味を認識するということは、体験がないと実態は認識し得ないというところが、これから生成AIの重要な議論になるのではないかと感じた。【井坂】有意義な問題をありがとうございました。 Profile 澤本武博ものつくり大学教養教育センター長井坂康志ものつくり大学教養教育センター教授町田由徳ものつくり大学情報メカトロニクス学科准教授 関連リンク ・第2回教養教育センター特別講演会①~基調講演「教養としてのクリエイティブ」~・第2回教養教育センター特別講演会②~脳科学、言葉、手-「使える教養」はどう育つか~

  • 第2回教養教育センター特別講演会②~脳科学、言葉、手-「使える教養」はどう育つか~

    2023年11月9日に渋谷スクランブルスクエア SHIBUYA QWSで開催した、第2回教養教育センター特別講演会「教養としてのクリエィティブ」の内容を全3回にわたりお届けします。第2回は、基調講演を行った小泉英明氏、キャスターやジャーナリストとして活躍している山本ミッシェール氏、ものつくり大学ものつくり研究情報センター長の荒木邦成教授による鼎談です。【第2回教養教育センター特別講演会 開催概要】日時:2023年11月9日(木)13:30~17:10場所:渋谷スクランブルスクエア SHIBUYA QWSプログラム[第1部 特別講演会]・基調講演「教養としてのクリエイティブ」 小泉英明氏(株式会社日立製作所 名誉フェロー)・鼎談「脳科学、言葉、手-「使える教養」はどう育つか」 小泉英明氏 山本ミッシェール氏(キャスター/ジャーナリスト/レポーター/MC/講師) 荒木邦成(ものつくり大学 ものつくり研究情報センター長)[第2部 パネルディスカッション]モデレーター 井坂康志(ものつくり大学 図書館・メディア情報センター長)パネリスト 山本ミッシェール氏      澤本武博(ものつくり大学 教養教育センター長)      町田由徳(ものつくり大学 情報メカトロニクス学科准教授) 実体験の持つ意味 【山本】10年以上、NHK WORLDの『Science View』という科学番組で、ものづくり、日本の最先端技術を世界に向けて発信し続けています。NHKで最もヘルメットをかぶったアナウンサーなのではないかと思えるぐらい、ものづくり現場が大好きです。また、教育という意味では、今、3つの大学で英語、スピーチ学も教えています。【荒木】小泉先生の講演の中で、実体験が大切だという話をされていました。先生自ら旋盤とかフライスもやられているということで驚きました。われわれも教育している立場で、現場の実習が6割ありまして、座学は4割です。大学のときに座学だけでなく、実際に物を作る経験は大切です。特に教養教育とは、専門教育と違い、実物を相手にした専門教育をばねにして勉強してもらう。【小泉】そのとおりだと思います。私はとにかくものづくりが大好きなので、旋盤を見たら回したくてしようがなくなる。次にはどうしてもフライスもいじりたくなる。アーク溶接をやる。ものづくりは魅力があるのです。米国で一番最先端の研究所にいて、何を感じたかというと、いつも消防車がサイレンを鳴らして、キャンパスの中を走り回っている。火災報知器が研究室のいたるところについていて、あまり火を気にするなと研究所が言っている。燃えたら消せばいいではないか。研究者は物を作ったり、頭を使えと。マシンショップは昼夜3交代制で、真夜中も稼働している。 ものを壊すということ 学生は溶接したり、いろんなものをつくります。そういったところから、ものづくりの楽しさ、達成感を味わってもらう。 【荒木】今のお話の中で、学生が自由に機械を使えるという面で考えますと、本学の場合、学生が夜の10時まで使っていいことになっています。フライスもレーザー加工も何でも使っていい。ただ、安全面だけは気をつけなければならないので、教員が輪番制の安全当番で、何かあったときに駆けつけることでやっている。学生は溶接したり、いろんなものを作ります。そういったところから、ものづくりの楽しさ、達成感を味わってもらう。 【山本】私は小学校のとき、作るのではなくて、壊す体験をさせてもらった。そのときはロサンゼルスの郊外アーバインの小学校だったけれども、ギフテッド教育の課程に入れてもらいまして、そこでの授業が印象的でした。第1回目の授業が「さあ、好きにしてごらん」と、家電、部品、ありとあらゆるものが物いっぱいある部屋に連れていかれて、私たちは好きにばらばらにして、組み上げてよかった。「危ない」という言葉を実は一言も言われたことがなかったのです。楽しい気持ちだけが残りました。私自身の原体験はあるから、今の工場見学も、ものづくりをしている人たちに惹かれるのはそういうところなのかと思いました。【荒木】ものつくり大学にNHKのロボコンプロジェクトがありますけれども、チームには1部屋を自由に使わせている。徹夜するぐらい好きなものをやっていて、先輩からフライスとかNCの機械を教えてもらったり、技術の伝承ができる形になっている。学生はプロジェクトも一生懸命頑張りますし、志が高くなってくる感じがします。 縦縞の猫 【小泉】壊すのが楽しかったとおっしゃっていたけれども、それも重要なことです。普通だったら、壊すと叱られる。でもたとえば珍しい少し大きな時計があって、どうして動くんだろうと思ったら、中をのぞいて、ねじ回しさえあれば分解してみたくなります。幼稚園からでもできる、少なくとも小学校低学年でも。どうしてこんなふうにチクタクいって動くんだろう、不思議だと思ったら、ねじ回しで外していく。でも、今度は元に戻そうかとなったら、そこには違う難しさがある。物を壊す、分解とは、数学的に言うと順問題です。1つずつやっていけば、最後まで壊せる。ところが、組み立てるときは、すべての部品が目の前にあったとして、これをどうやって組み合わせて原状回復するとなると何通りも方法がある。これは逆問題です。数学的には、解が出ないこともある。最初から高度なものを組み立ててみなさいと言っても、そう簡単ではない。学習と教育が必要だと私は思います。 最初から高度なものを組み立ててみなさいと言っても、そう簡単ではないです。それが教育だと私は思う。 【山本】脳の中で言ったら、そういった体験はどのあたりに影響があるのでしょうか。【小泉】右脳人間、左脳人間とか極端に言われ過ぎていて、正しくないこともあります。言語野が左にあるということもあって、どちらかというと左脳のほうは分解・分析するという方向が得意で、右脳のほうは総合を得意とします。そういうことを知ったうえで教育環境をつくる。その代わり、一々口は出さない、これが幼稚園から大学まで一貫して重要かと思っています。 【荒木】その関連で、図面を描くとき、われわれのときは鉛筆で描いたけれども、今は3DCADで何でも描ける。得意な学生は図面はできるけれども、実際にいいものができるかは別問題であって、組み立ててみるとギアが回らなかったり、うまく製品ができなかったりする。原点に戻って、旋盤とかフライスで加工したときに、加工性が難しいなというのを体全体で感じて、その上で図面を描いていくと、いい図面ができる。 中小企業の社長がおっしゃるのはただ図面を描けるだけでは足りないということです。われわれとしては、CADも必要なので、全種類のD教育をやっていますけれども、2次元にしたり、実際に図面を使ってギアを作って組み合わせて、動くかどうかというところまで、教育の中の授業のプログラムに入れるようにしています。 道具を大事にする 【小泉】脳とは、抽象的なものを入れたときに、具体的な実体験で感じて知っているものしか想像ができない。だから、先に実体験がなかったら、簡単なことはできるけれども、表面的なことで終わってしまう。「赤いリンゴ」と言ったときに、それを2つに切って見ると、中は白っぽいです。でも実体験が先にあるから「赤いリンゴ」もおかしくない。 言葉ではいくらでもうそをつける(言語の恣意性)。だからこそ、実体験が教育では重要だと思います。【山本】それに関連して、先日、伝統工芸をしている友人と話をしていたときに、最先端のCADをあまり入れたがらない職人さんたちが多い中で、伝統工芸に触れたことのない若手で、CADばかりやっていたという人をあえて1人入れたというのです。そうすると反対に伝統工芸士の方も刺激を受ける。CADしか触ってきていなかった人が初めて本物に触れて、これが本物なんだ、こういうふうに手作りするんだと現場を初めて知ったことによって、2人が物を制作した違うものができて、かつ効率が圧倒的によくなった。【小泉】技能オリンピックでメダルを取った方々から指導を受けたり、特殊な実験部品をスゴ腕で削りだしてもらうこともあります。法隆寺を再建した宮大工の棟梁にも、工場に来ていただいたことがあります。そうしたら、会話が面白い。道具の話をしている。メダリストは旋盤の特殊バイトの研ぎ方に関心があって、宮大工の棟梁もいろんな「かんな」「のみ」の研ぎ方をとても大切にしている。双方、苦労話が一致して、話が尽きない。そういうところにものづくりの本質があると思います。道具が完璧な状態でないと、いいものは作れない。 道具は職人さんたちの真髄ですね。 【山本】学校における道具立ては何を考えればいいのでしょうか。【荒木】建設学科は大工道具を一式1年生のときに買う。学生が授業が始まる前に道具を手入れすることを教える。そこが最初に行うことです。【山本】私は現場に行くと、道具の写真を撮るのも好きです。代々祖父のから引き継いで使っている道具もあれば、自分で毎回作らないといけない道具もあります。こだわりの道具がないとできない。道具は職人さんたちの真髄ですね。 【荒木】小泉先生はご自分で実験機を作られたり、廃材から持ってこられたりといった話をされました。そのパッション、志についてはどうモチベーションを上げていくものでしょうか。 現場が何を欲しているか 【小泉】私の場合は、最初は水俣病への関心でした(1970年代)。ゼーマン水銀分析計を開発して原因解明のお手伝いをした後も、いまだにその関係のことも続けています。東日本大震災の後は、石巻の漁師さんや、海岸線に住む方たちともお付き合いを続けています。現場をいつまでも大切にしたいのです。注目される研究論文を書くことと、実用的な製品を開発することとは大きな隔たりがあります。論文は、1つ新しいことが見つかったら、その新しさや良いいところを強調して書くことによって、適切な学術誌に発表できます。ところが、実際に役立つ製品を作ろうとしたら、良い論文が書ける発見がたとえ3つ同時にあったとしても、1つ大きな欠点があると、実用化は困難なのです。イノベーションが叫ばれて久しいですが、そのようなところが国の大型のプロジェクトで欠けているところだと私は思っています。MRI開発プロジェクトの統括主任技師を拝命していた時に、家電のセンスで医療機器(超電導MRI)を設計したことがあります。医療機器は、通常、それを専門とするデザイングループに依頼するのですが、初めて家電のグループにデザインをお願いしました。検査を受ける方々は、そうでなくても気が滅入っているのに、ゴムチューブが這いまわっているような検査装置に入れられるのでは恐怖心が生まれる。そこで、応接室に置かれた検査ベッドに横たわるという斬新なコンセプトでデザインしてもらったのです。装置のモックアップまで作って製品構想を打ち出したところ、思いがけず猛反対を受けました。見たことがないものが出てきたのでは、売れるはずがないと、最初に本社の方々が反対。確かに常識はずれのデザインではありました。でも、多数決の意見になってくると、平均値になるから良いものなんてつくれない。待っているのは価格競争だけですから。それで、どうしたら多数決意見に勝てるかを考えました。MRIを病院で実際に使うのは放射線技師の方々です。さらに読影結果を患者さんのために役立てるのは放射線科・脳外科の医師の方々ですね。だから、両者が「これでいい」と言ってくれたら、ほかの人々は反対できない。事業部長同席の大きな会議で決めるのですが、却下寸前のところで日立病院の副院長(脳外科)の先生が手を挙げてくださって、「私はこれでいけると思う」と断言してくださった。さらにたたみかけて、「私が診断の責任者です」(診断する人間が言っていることを、あなた方は信用できなのいかという意味)と言ってくださった。放射線技師の方も「私はこの装置を毎日扱う立場の人間ですが、これでいいと思う」と同じことを言ってくださった。それでどんでん返しとなりました。(この装置は、後に通産省のグッドデザイン賞で、部門大賞となりました。)【山本】現場で何を欲しているのか、紙の上だけで考えたり、想像するよりも、現場に行ってみて必要とされるのかが大事なことですね。 ものづくりは「忖度」しない 【小泉】お二人とも、手と頭を直接使っている。放射線技師は、患者を実際に抱きかかえたり、操作盤を触る人です。脳外科の医師は、手術に役立つ画像は、患者がどういう状況なら良ものが撮れるかを熟知している。頭で知っているわけではなく体で知っている。でも、会議に出てくる人たちは間接的な情報しかないのです。 若い人たちは情熱やパッションで動いてほしい。忖度の入る余地はない。 【山本】医師や放射線技師が、これが使いやすい、これがあると人が救えるというものを形にするのがものづくり現場の本来の仕事です。創造し続ける。【荒木】そういったイノベーションを起こせる教育を行っていきたいと思いますが、ものづくりの世界で尖ったものがなかなか出しづらいということで、閉塞感がある気もいたします。大学、教養教育も含めて、イノベーションを起こせる教育をわれわれも考えなくてはいけない。 【小泉】私は国の仕事をお手伝いしている中で、ものづくりは「忖度」が入ってはいけないと考えるようになりました。今、日本の文化の中には知らずうちに忖度が現れている。科学者や技術者は忖度とは関係なかったはずです。それなのに、大きな予算を取ろうとすると、本来の目的ではないところに気がいってしまう。すると忖度が入ってくる。私は、若い人たちはパッション(情熱)で動いてほしい。忖度の入る余地がないような、突っぱねられてでも続けるんだという強い意志を持ってほしい。忖度が入ってくると、実力のある人が浮かばれなくなってくる。忖度や管理に長けた人がお金も組織も支配する。本物が生まれるはずはないのです。 パッションを育てる教育 【山本】日本のものづくりが元気だった頃はどうでしたか。【小泉】意欲の強い人たちがいたのが1970年代です。あるMRIのプロジェクトでどうしても予算を出せないと経理部から言われて、部長に掛け合った。「いや、これ以上は何もできない。出ないものは出ない」。工場長に言っても、「そんなにやりたければ、事業部長のところに行ってこい」と言われる。ほんとうに東京の事業部長のところに行ったら、にべもなく断られました。 私は、事業部長の部屋の入り口の椅子に座って帰らなかった。「なんだ、まだいるのか」といわれて、「判を押してもらうまでは帰りません」と粘った。最後には相手も根負けして「もういい、わかった。押してやる」と言って押してくれたことがあります。押してもらえなかったら、MRIの事業は続かなかったと思います。1980年代のMRI関係事業が最近まで残ったのは、国内では日立だけでした。【山本】パッションを育てるための教育とは何でしょうか。【荒木】それは教養教育の主題の一つだと思います。コミュニケーションももちろんありますが、何より自分の考えを伝えて具現化していくことでしょう。チームの場合、メンバーを鼓舞するような物をつくる。ここは授業でも工夫を要するところです。【小泉】芸術家にとってパッションは日常なのですね。突き動かされる思いで仕事をするのです。今、世界の科学技術の分野は、すぐにやれることはやってしまった煮詰まった状況になってきています。だから、米国のMIT(マサチュセッツ工科大学)やフィンランドのアールト大学(旧ヘルシンキ工科大学と芸術大学・経済大学が合併)のように、芸術を教育に取り入れる必要があると思います。イノベーションにも芸術は不可欠です。「芸術を本気で取り込まないと企業の明日はない」と主張する大企業の社長も、最近、現れました。 新しい発想とイノベーション 【山本】氷山で言うと、意識下を今改めて揺すぶり起こさないと、私たちはまどろんだ状態にとどまってしまいますね。芸術にはそれを可能にする要素があるのでしょう。【荒木】夏休みに創作実習という講座があります。ろくろを回したり、陶器やガラス細工を作ったり、鍛金、彫金でデザインをする。受講生が増えています。【山本】私はコミュニケーション学を教えています。もちろん話が上手ならば、それにこしたことはないけれども、何を伝えたいかがしっかりとあって、訥々とでもいいから、思いを伝えていれば、人に伝わるし、また次の人へとつながっていくという話をよくしています。最初からみんな100点満点で話さないといけないということではありません。まずは思いがなければ始まりませんね。【小泉】よくロードマップで未来を予測して国でも計画を立てます。2050年あたりを予測すると、30年後となりますね。一方、2020年から30年前へと遡ると1990年になります。その頃はインターネットがない。スマホがない。まるっきり違う世界です。このようにロードマップ型の、所謂、線形モデルによる研究・開発には限界があるのです。新しいものとは、あるところで非連続的に出現(トランジション=遷移)するのです。そういう想定での開発を行わないと意味がない。ロードマップ型の研究・開発とは凋落する元凶ではないかと私は危惧しています。【山本】ロードマップに組み込まれてしまうと、自分はある部品の一つで、終わったときには自分はいないわけですから、つくりがいもあまりない。 学生の未来 【荒木】学生と接していて困るのが就職のときです。「将来、何をやりたいの」と聞くけれども、なかなか将来が見えてこない。学生なりにいろいろ考えているけれども、こちらから水を向けていくと、なんとなく方向性が決まってくる。だから、コミュニケーションを取りながら、未来像を学生さんが持てるコミュニケーションも大切と考えています。【山本】最後に小泉先生から学生たちにメッセージはありますか。【小泉】私はいくつかの若い「スタートアップ企業」を応援しています。今、日本の少子高齢化と地方衰退の問題で、多くの若い人たちが「ものつくり」を含めて汗を流しています。また、パッションを持っている若い人たちがこじ開けていく事業のスケールも大きくなって来ています。グローバルなスケールで考えられるような人たちが今生まれつつある。そういう若い人を大事にしたい。力を思い切り発揮していただきたいと願っています。【荒木】いろいろありがとうございました。教養教育はまだ始まったばかりです。目標を持って何かイノベーションできる、元気のある学生を輩出していきたいと思っています。 Profile 山本ミッシェールアメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ、これまでアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、香港で生活をする。現在、世界200の国と地域で放送されているNHK WORLDで放送中の英語の科学番組「Science View」や、全国12局で放送中の持続可能な開発目標(SDGs)に関するラジオ番組「身近なことからSDGs」などにレギュラー出演。元NHK記者として、これまで気候変動など、様々な国際会議などを取材。NHKのレギュラー番組では10年以上、日本のものづくりの伝統と最先端の取材を続け、全国すべての都道府県から世界に向けて現在も情報を発信中。バイリンガル司会者として、天皇陛下の即位式、首相の晩餐会、東京オリンピック招致バンケット(3カ国語MC)、G7伊勢志摩サミットなど、多くの国際会議、会合、パーティー、記者会見、トークショーなどのイベントでバイリンガル/トライリンガル司会のプロとして活躍中。幼少期からの国際的なバックグラウンドから異文化理解や平和活動に強い関心を持ち、広島・長崎の被爆者やアカデミー賞受賞の映画監督へのインタビュー、被爆者と共に開催された世界平和コンサートの司会、ピースカンファレンスでの講演などを行う。また、エグゼクティブ・コーチとして企業研修をはじめ、大学では非常勤講師として3つの大学で授業を担当。荒木邦成ものつくり大学技能工芸学部情報メカトロニクス学科教授 関連リンク ・第2回教養教育センター特別講演会①~基調講演「教養としてのクリエイティブ」~・第2回教養教育センター特別講演会③~役に立つ教養はどのようにして活性化するか~

  • 第2回教養教育センター特別講演会① ~基調講演「教養としてのクリエイティブ」~

    2023年11月9日に渋谷スクランブルスクエア SHIBUYA QWSで開催した、第2回教養教育センター特別講演会「教養としてのクリエィティブ」の内容を全3回にわたりお届けします。第1回は、脳科学研究で著名な小泉英明(株式会社日立製作所 名誉フェロー)を講師に招いた基調講演です。【第2回教養教育センター特別講演会 開催概要】日時:2023年11月9日(木)13:30~17:10場所:渋谷スクランブルスクエア SHIBUYA QWSプログラム[第1部 特別講演会]・基調講演「教養としてのクリエイティブ」 小泉英明氏(株式会社日立製作所 名誉フェロー)・鼎談「脳科学、言葉、手-「使える教養」はどう育つか」 小泉英明氏 山本ミッシェール氏(キャスター/ジャーナリスト/レポーター/MC/講師) 荒木邦成(ものつくり大学 ものつくり研究情報センター長)[第2部 パネルディスカッション]モデレーター 井坂康志(ものつくり大学 図書館・メディア情報センター長)パネリスト 山本ミッシェール氏      澤本武博(ものつくり大学 教養教育センター長)      町田由徳(ものつくり大学 情報メカトロニクス学科准教授) 「ものつくり」のための脳 梅原猛先生がおつくりになったものつくり大学で、今日この機会を賜ったことを、とてもうれしく感じています。「なぜ人間だけが未来を考えられるか?」。私たちは未来を割と簡単に考えているけれども、未来のことを考えられるのは、多くの種の中で、ホモ・サピエンス・サピエンスだけです。サイエンスから見るとどういうことなのか。1996年に実行委員長を務めた環境科学の国際会議の中で、「環境と脳の相互作用」といセッションを当時、京大霊長学研究所の所長をしておられた久保田競先生と相談してつくりました。最初は久保田先生もそんなセッションが作れるのかと半信半疑でした。でも実際にやってみると、極めて重要であることが分かってきました。今は、その後の2000年に創られた「人新世」(Anthropocene)という言葉も一般に使われるようになってきました。地球科学の国際会議の中で、大気化学者のパウル・クルッツェンのとっぴょうしもない発言からだと言われています。1996年に「環境と脳の相互作用の重要性」という講演をしてみて、脳を基調とすれば、今まで人文・社会科学の分野にあった教育学を、自然科学とすることが可能だと考えるようになりました。そこで、「学習」と「教育」という概念を、自然科学の言葉で置き換える試みを始めました。「学習とは、環境-自分以外のすべて-からの外部刺激によって中枢神経回路を構築する過程」と定義し直しました。また、「教育とは、環境からの外部刺激を制御・補完して学習を鼓舞する過程」と定義し直しました。人間は環境抜きに学習はできないと考え、それから今に至るまでこの定義を使っています。さらに2000年に新たな21世紀を見据えた「脳科学と学習・教育」という文部省/JST主催の国際会議を企画して、実行委員長を務めてこの考えを推進してみました。 受動学習とか積極学習とか強制学習、いろいろ従来の教育学で取り上げられることは、自然科学のほうから説明がつく可能性がある。生から死への一生を通じた学習という過程の中で、包括的な概念を創れるのではないか。21世紀の幕開けの好機に、文科省と科技庁が統合された文部科学省(2001年発足)も、省庁統合の象徴として全面的に応援してくれました。 Mind,Brain,and Education さらに2002年には「『脳と学習』:21世紀の教育革命」、「Brain & Learning A Revolution in Education for the 21st Century」という題目で、OECDフォーラムの中に特別な1つのセッションが設けられました。同時に、世界を北米とヨーロッパとアジア・オセアニアの3ブロックに分けて、大きな形で約10年間、OECD国際連携研究のプログラム『脳と学習』が世界の中心的な研究所を拠点として走りました。OECDの国際諮問委員としてそのプログラムを全力で推進しながら、このうような考え方が世界へと浸透していくと、新しい学問分野がきちんとつくれるのではないかと思いました。当時、理研に脳科学総合研究センターを作られたばかりの伊藤正男先生も、アジア・オセアニアブロックの議長として、この国際プログラム「脳と科学」を全面的に支えてくださいました。ところが、教育学は人文学、あるいは、一部社会科学というところで扱われてきた長い伝統から、自然科学で扱おうと思ってもまったく類例がありません。そのような中で、ハーバード大学のカート・フィッシャー先生が中心となって国際学会をつくる話が急速に進みました。そこからお声掛けをいただいて、私も理事を務めました。Mind,Brain,and Educationという国際学会がありまして、さらに学会誌をBlackwell社から発行することになり、私は副編集長を務めることになりました。最初はBrain-Science and Educationという名前を主張したのですが、ハーバード大学の心理学者の皆様から猛烈な反対を受けてしまいました。さらには、もし、MindとBrainを同一視するならば、ハーバード大学の心理学者は全員脱退するという騒ぎになりました。ずっと後から分かったのですが、脳科学(Brain-Science)という言葉は、本田宗一郎氏が最初に言われた日本的な言葉だったのです。 新しい分野をつくることも実はものづくりの感覚に近い。 Mindといったら「心」です。Brainというと「脳」、そしてEducationの「教育」。3つはまったく違う分野です。この3つの違う分野で統合的な国際誌が出たのは初めてだということで、アメリカの出版協会からThe Best New Journal of the Year Awardをいただきました。ゼロからのスタートということで、新しい分野をつくることも実はものづくりの感覚にとても近いのです。 さらに、関連する国際会議が2003年の最初の会議に続いて2015年にも、バチカンで開催されました。2015年とは大変な年です。SDGs(「持続可能な開発目標」)が初めて発表された年です。また、COP21がパリで行われた年になります。さらに、ローマ教皇庁からもステートメント(Laudato Si: “on care for our common home”)が出されました。地球を人類の家と考える環境問題についての深い洞察です。フランシスコ教皇とは何度かお話する機会がありましたが、聖下はもともと化学のご出身です。 「『学習と教育』の自然科学からの探求」というテーマで数多くの研究が行われましたが、その一部を紹介します。研究初期の一例ですが、子猫を縦縞の環境で育てますと、横縞が見えなくなってしまう。その後、横縞の中に入れて学習をさせれなと思いがちですけれども、どうやっても駄目です。最初の臨界期だけにこういう学習(神経回路の構築)ができるのです。 視覚野は、脳の中では比較的よくわかってきた部位で、多くの裏づけが取れています。猫の視覚野と人間の視覚野は近いので、人間でも同じことが起こると考えることができます。いくつか事例も存在します。 脳がつくられるとき なぜこういうことが起こるか。人間の脳とは遺伝子だけで出来上がっているわけではない。遺伝子とは原材料を提供する。原材料を組み合わせて、脳全体のシステムができるのです。けれども、最も効率よく生存するために必要な形となるように生まれ落ちた環境、しばらく育った環境に最適化するようにと神経回路をつくる。つくるというより、むしろ消していく。最初は遺伝子によって基本的な神経回路が赤ちゃんのときから少しずつできてきます。けれども、外の環境から情報や刺激が入ってくると、関係する回路は残して、入ってこない情報は消してしまう。 0歳から30歳まで、視覚野でどのぐらい神経と神経の接続部が存在するか。視覚野の場合ですと、生後8か月でピークになって、あとはだんだんと接続部分、回路が少なくなっていきます。無駄なものをこの時期に捨てて最適化している。脳の全体容量は最初から決まっているものですから、その中でやれることをやるのです。もう一つ重要なのは、人間の脳の神経は伝達速度が速くないのです。コンピュータと比べると比較にならない。コンピュータの場合は基本的に電子によって情報伝達をしていますから、1秒間に地球を数回まわるほどの高スピードですが、人間の場合は、たかだか100メートル、一番速いもので毎秒200メートル。遅いもので数センチです。 人はそれぞれ違うものを見ている 進化の中では、「跳躍伝導」というのですが、裸線の周りに被覆ができて、効率よく信号が漏れないで伝っていく。しかも、跳躍的にスピードを上げて伝達するという仕組みを進化の中で獲得しています。そうすると一人前のスピードを持った神経になる。生まれてから髄鞘化という「さや」、被覆ができる過程ですが、脳の場所によってそれぞれ違ってきます。100年以上前に厳格な実験を行ったフレキシという学者が順番を事細かに解明している。胎内にいるとき、生まれて1年間、さらに年齢が増して、場所によっては30歳になってもまだ発達を続けているということがわかってきた。だから、できていないものに関係する教育をいくらやっても無理なのです。そこに気をつけないと間違った教育をしてしまう。もともと私は物理が専門ですから、つい対数の軸で見てしまうが、人間が生まれてから死ぬまで、1歳、10歳、100歳とグラフを描くと、その間に私たちが学習している様子がわかります。そうすると、小さいときの学習がいかに重要かがはっきりしてきます。もう一つ、脳の中では視覚が比較的わかっているほうなので、視覚を中心に例を示しているけれども、みんなも同じものを見ていると思ったら、そんなことはない。違うものを見ています。ある程度似たり寄ったりということはあるから、話が通じる。何で違ってくるかというと、神経の伝達速度は遅いですから、補おうとしたら、みんなで分担して信号を処理するしかない。脳の特徴とは、すごい数の神経回路が情報処理を分担していることです。これは並列分散処理と言いまして、スーパーコンピュータのアーキテクチャと同じです。それも比較にならないぐらいのたくさんのシステムが同時に分業の作業をやってます。最後に、結果を意識に上げてくる。脳のことはわかっているように思われていますけれども、まずどうやってそんなにばらばらにしてしまうのか、超並列分散処理が何でできるのか、最後にどうやってまとめ上げるのか、どんなふうにタグがついているのか、まだよくわかっていないのです。 生きる力を駆動する脳 視覚に関しては、色も分けてしまいます。動きも別々に処理します。それが最後に「意味」にまで持ちあげていくかという仕組みもわかっていません。分業して同時に行っているたくさんのことは意識には上がっていない。そんなことが意識に上がってきたら、収拾がつかなくなります。分業の過程を経た最後に、今度は時系列で逐次処理になって、順番に時間とともに私たちは認識します。 私たちは意識が中心だと思っていますけれども、意識していないところのほうがむしろ大量の処理をしています。 脳を考えるときに大事なことは、氷山で言えば、見えないところ、水に沈んだところから最後の最後に意識に上げていく。私たちは意識が中心だと思っていますけれども、意識していないところのほうがむしろ大量の処理をしています。 われわれの今までの教育は基本的に言葉がベースになっています。そこまでの脳の働きとは、教育の中でもほとんど無視されています。芸術に入っていくと、拮抗する条件の中で、最後には決断しなくてはならない。無意識が重要です。無意識のところは意識に出ないですから、小さいときから自然の中でしっかり育まないと性能が出ない。 脳の進化では、脊髄の次にその先の脳幹の部分ができた。単純な爬虫類の脳は、人間の脳の脳幹の形に見た目もそっくりです。そこからだんだんと層状に、外へ外へと層が広がってきました。脳幹は生命を維持するところであって、その周りの生きる力を駆動する脳(大脳辺縁系)が情動に関係する。 一番外側はより良く生きるための脳であって、いわゆる「知育」という知性を教育するときに直結する部位です。でも、やる気がなかったら、いくら知性やスキルを持っていても、それだけでは何の役にも立たない。だから、むしろ進化の順番では、内側の古い皮質(大脳辺縁系)がやる気を出すために重要です。そこは感性とも関係が深いですし、一番外側の人間らしいところ(大脳新皮質)は知性に直結するのです。 「ちょっかい」を出す知性 最初はお母さんとつながっているので、へその緒を切って初めて母親と赤ちゃんは別だということになるけれども、赤ちゃんはまだ気づいていない。自分の一番身近にいる養育者-多くの場合は母親-ですけれども、その人が信頼できると実感することが、自分が次に行動できる原点になります。まさに社会性の形成の出発点でもある2項関係です。 もう少し大きくなってくると、指さすようになる。赤ちゃんは指先を見るのではなくて、指でさされている先を見るようになります。最初の第三者を介したコミュニケーションということで、2項関係から3項関係の段階になってくると、社会が概念的には形成される。社会性の神経基盤を幼いときからいかにしっかりとつくり上げるかが教育のポイントでもあります。 さらに大きくなってくると、別の学びもいろいろ入ってくる。本質的な赤ちゃんの学びは、コンピュータと違うということです。コンピュータは、入力があったら、きちんと目的の結果を出力する。 赤ちゃんはそうではない。最初に自分が置かれている環境に対して興味を持ちます。そして、「ちょっかい」を出す。われわれはサイエンスでもわからないときには、必ず何か刺激を与えて変化を見ていく。つまり、サイエンスのやり方と同じことを赤ちゃんはやる。育ちつつある自分の五感を最大限使って、何が起こるか、何をすれば何が返ってくるのかということを学ぶ。人間の学習の本質とはアルゴリズムを自ら学ぶことであって、いわゆるマニュアルで覚えさせるだけでは駄目だということです 実際に赤ちゃんは手に取ったら、口に入れてみて、なめ回すのが最初です。まだ自分自身は動けない。もう少し発達してきて、「はいはい」ができるようになってくると、ぬいぐるみがあれば、それに赤ちゃんが興味を示して、近づいてくる。そして、興味があってたまらなくて触ってみる。もっと手足を触りたい、お顔も触ってみたい。自ら環境に働きかけて、環境から帰って来る情報を赤ちゃんは検知しながら学んでいるのです。赤ちゃんは、触感、味や香り、色や形、音色など、5感をフルに使っています。 光は不思議な素粒子 次に、ものづくりについてお話をしたいと思います。私は光も大好きです。光子(フォトン)とはとても不思議な素粒子で、重さもなければ、電荷もなければ、静止状態もない。いつも高速で動いています。発見者はアインシュタインです(1905年の三大論文の一つ)。光子のスピン(自転する属性)は1です。スピン1でプラス1、マイナス1という2つの状態がある。ちょうど1ビットですから、二つの光子が絡みあった状態(エンタングルメント)を使って計算機を作ろうとすると、量子コンピュータになります。そういうことが実際に始まっている。電子は重量、電荷、スピン(2分の1)と静止状態もあるということで、ローレンツとゼーマンが発見して1902年にノーベル賞を取っている。電子の存在を初めて証明した実験は、磁場によってスペクトル線が分かれる現象、すなわち「ゼーマン効果」の発見だったのです。この基礎物理学の原理を実用化したものが、私の最初の仕事となる「偏光ゼーマン法」なのです。1974年に最初の論文を書いて、1977年に論文シリーズと最初の実用装置を完結させました。2024年は最初の論文の50周年となります。同じ頃に、体内の水素の原子核(陽子:プロトン)を検出して画像化するMRIの原理が発表され(1973年ラウターバー他)、2003年のノーベル賞となりました。そちらも基本は原子核のゼーマン効果です。磁気共鳴画像装置(MRI)と呼ばれて、病院でも使われている。私がものづくりをしたのは、それらの原理を社会実装するためでした。「偏光ゼーマン法」の発見の際には、電磁石のポールピースの間に納まる3000度の温度を出す炉を、手作りしました。電磁石も最高で磁場強度2テスラを出しましたが、これも手造りしました。新しい原理で作った装置と実験結果は、『SCIENCE』誌がリサーチニュースとして紹介をしてくれました(1977年)。 水俣病とゼーマン水銀分析計 最初は手造りした「偏光ゼーマン法」による原子吸光高度計は、並行して商品開発を進めましたが、最初の製品は「科学機器・分析機器遺産」に2013年に認定されました。初期に行った実験をそのまま再現してほしいと言われたときに、再び当時の実験の一部をやってみました。原子化炉で摂氏3000度まで温度を上げられると、たいていの金属は蒸気にできますが、そのような高温炉を電磁石の間隙に収めることは至難の業です。そこで自転車の発電機で灯す小さなランプに目をつけました。直径1ミリメートルにも満たないタングステンのコイルが気に入ったからです。普通につくランプのガラスを割って、中のコイル状のフィラメントを取り出します。これを自作した小型の電磁石の5ミリメートルの間隙にセットするのです。高温にしても燃えないように、フィラメントには乾燥した窒素ガスを吹きかけて酸素を遮断します。そして電流を流すと3000度付近まで高温にできます。フィラメントのコイルの外径は1ミリメートル弱ですが、まず、マイクロピペットで1マイクロリットルの水溶液(微量金属を含んだ試料)を表面張力でくっつけると、コイルの中にしっかりと収まります。初めに電流を少しだけ流すと、水分は蒸発してフィラメントの表面に薄い膜ができる。今度は温度を上げて、その金属膜を一挙に蒸気にする。その金属蒸気の中に細い光のビーム(スピンがプラス1とマイナス1に対応する偏光)を通して、磁場中で磁気量子数の縮退が融けた原子スペクトルが観測できるのです。この新原理を見つけたので、カリフォルニア大学に招聘され、ローレンス・バークレイ研究所で客員物理学者としてしばらく同じような研究を行った時期がありますけれども、同じことをするのに広い研究室と、何トンという大型電磁石と10メートル近い世界最大級の分光器、パイログラファイトによる原子化炉などを研究所が準備してくれました。一方、私の感じるものづくりの魅力とは、考えて考えて身体を動かしさえすれば、大型研究費を使わずとも手作りの実験装置で世界最先端の研究ができることです。当時(1970年代)はとにかく水俣病が大変な時期だった。最近になって、水俣病の裁判がほぼ結審して、山間部にいらっしゃる患者さんたちも補償が得られる裁判の結果が最近大きなニュースになりました。環境問題のグラウンドゼロと言われる水俣病は、戦前にすでに始まり、裁判がほぼ終わったのが2023年だったのです。その間、数多くの患者さんたちは、本当に大変だったと思います。そういうことで、環境問題を解決するための計測は何としてもやりたいと思いました。水銀の次はカドミウム中毒の話が来て、ヒ素中毒の話が来て、鉛中毒そして重金属のクロムの公害の問題も出てきました。水銀は水俣病だけでなく、新潟県の阿賀野川での第2水俣病、さらには海外でも金の採掘にともなう水俣病がいまだに深刻な問題となっています。MRIでノーベル賞を取られたのは、ローターバー先生とマンスフィールド先生です。1973年の論文で、2003年に受賞されました。お話したように廃品で「偏光ゼーマン法」を見出したのが1973年です。同じときに、同じように量子物理学が実用へつながることを始めた。そして今度は、量子コンピュータの話に移っていく。先の述べたように、「MRI」も「偏光ゼーマン法」も、ゼーマン効果を使った方法として原理的には同じです。ゼーマン効果の適用が電子なのか、原子核なのかの違いです。 装置の不具合から磁気共鳴血管描画法(MRA)の発見 超伝導の全身用磁石を使って、携帯描画から機能描画へと研究と開発を進めました。磁気共鳴血管描画(MRA)や機能的磁気共鳴描画(fMRI)です。脳ドックを受けますと、くも膜下出血の原因になる脳動脈瘤の検査や脳梗塞の原因になる脳血管の狭窄の検査があります。そこにMRAが使われます。MRAで得られる鮮明な脳血管画像ですが、実は血管壁はどこにも写っていないのです。血液の流れを数字にして画像化したものがMAR画像なのです。そのMRA法の発見経緯をお話しします。脳神経外科の放射線科の先生たちが興味を持った最初の装置はまだ常電導磁石でした。最初は大型トランスの製造技術を用いた手巻きのコイルでした。大電流を流すのと水冷によって温度を一定に保つために、電線の代わりに銅の板を巻いていて、その後、軽くするためにアルミで巻いていたのが、MRIの初期の電磁石でやっていた実験です。そうしたら、像がぼけているだけでなく、強く光る点が出てしまって、装置の故障ということで呼び寄せられました。当時はお金がなかった。試作装置をきれいにして、古いものは付け替えて、第1号機として東京女子医科大学病院に納めてしまった。同じものが自分たちのところにないので、夜中に行ってお願いして、使わせていただくしかない。その中で、変な光る点が出るから、こんなのは使えないと言われて、必死に徹夜を繰り返していたら、光る点が発生するのは、実は装置の故障ではなくて、血液の動きによる信号位相の変化を検知していたということがわかった。それで、すぐ特許を出しまして、脳の血管、全身の血管(正確には血液の流れ)が実際に今使える形で写せるようになった。論文発表の後、ステアリング委員として国際MRA学会を立ち上げるお手伝いをしました。 計測をしていると、いくら新しいことをやっても、それによって人の命がすぐ助かることはめったにない。ところが、くも膜下出血とは致死率が高いが、破裂する前に発見できれば、比較的安全な手術で処置できる場合が多いのです。けれども動脈瘤を発見するのが難しいのです。MRAは造影剤を使わずに、完全に安全な検査で動脈瘤を発見できる。診断が直接的に救命につながるところが私は気に入っています。 さらに脳機能の研究から、私たちが頭の中で考えていることを直接計測できないかということを始めて、東大医学部の宮下保司先生のグループと共同研究をはじめました。1990年代の初頭です。これが最初に発表した結果です。私たちが残像(この場合は補色を感じているので、正確には残光)を感じているときに、それに対応する脳部位の活動を計測した珍しい最初のケースです。この実験の重要性は、それまで主観として捉えられていたものを、客観的に捉えることに成功したということです。すなわち、個人の脳が発生させているので、他人には直接知る方法がありませんでした。それを機能的MRIで捉えたということは、誰が計測しても、計測を繰り返しても同じ結果が得られるということです。この残光は見えている本人には10秒から30秒くらい見え続けます。その人にそれが見えなくなった瞬間を客観的に知ることができるのです。私はこの実験が心の計測の一端に入るのではないかと考えています。ここのところから人文学と自然科学の境界がはっきりしなくなってきた。人の心の中のことで、ほかの人が客観的に証明できないものであるはずなのに、少なくとも心の中で見えているか消えたかについては、誰がやっても機能的MRI装置からは同じ答えが返ってくる。 なぜ人間だけが未来を考えられるのか 人間は「快と不快」という「感情」を持っています。人間以外の動物の場合は「情動」という少し定義を広くした術語が使われています。「快」「不快」という感情もしくは情動は極めて大事で、私たちは心地よい「快」の方向へ向かうと一般に生存確率が高くなる。一方、嫌だ、臭い、うるさい、そういう「不快」からは、逆に離れようとすると生存確率が高くなります。人間だけでなくて、多分、小動物からすべて共通ではないかと考えています。 私が興味を持っているのは、精神的に心地いいことです。つまり、おいしいものを食べるときはもちろんうれしい。お金をもらったり、名誉なことがあると、何よりの生きがいになる人々もいる。名誉を感じたときに動く脳の場所は、チンパンジーがきちんと言われたとおりにやって、ご褒美にバナナをもらって動く場所と同じだということが見つかった。被殻、尾状核という線条体と呼ばれる脳の部位は、少し専門的になりますけれどもご褒美に反応する脳の部位です。このような部位がいくつかあって、それらを報酬系と呼んでいます。あなたは人格的に信頼できる人だということを心理テストの結論として聞かされたときに、お金をもらったのと同じかそれ以上に、被殻、尾状核が強く活性化することが発見されました。「脳科学と教育」という国家プロジェクトの中で、国立生理学研究所の定藤先生のグループが見出して『ニューロン誌』に発表しました。私たちとは、よかれあしかれ、知らず知らずに報酬に関心が強くて、そちらを見ていることが多い。報酬系とは動物実験では正確にわかってきたし、人間の報酬系も機能的MRIで少しづつわかってきました。 人間だけが言語を使える 実は人間だけが言語というものを使える。言語の機能を見てきた中で、ノーム・チョムスキー先生とも御一緒して、有益な御指導を頂戴してきました。「Colorless green ideas sleep furiously(色のない緑色のアイデアが激しく眠る)」という文章は、チョムスキー先生が論文の中で発表しましたが、文法的には完璧です。でも、言っていることは意味がない。つまり、言語を人間が持ったことによって、意味のない、あるいは、想像上のことをあたかも現実にあるかのように示せるようになった。言語は自動化された機能で、音韻ループが意識下で回っている。そういうことがだんだんわかりつつあります。 私も言語の本質を何とか1つ自分で見つけたいと思って、パントマイムみたいに言語を使わない、いわゆる身体表現をしているときは、言語的表現を入れたときとどこが異なっているかを探っていました。3年ほど公演に通い詰めたら、あるパントマイムの公演の中で、演者がいるのに黒子さんが現れて、ぱっと舞台を走り抜けた。黒子さんが持っていたプラカードに「3か月後」と書いてあったのです。これはチーティング(反則)です。あとで主宰の先生とも議論しましたが、「3か月後」という未来の時点をどうやっても身体表現できなかったのです。 人間だけが言語を使える、だから、人間だけが未来を考えることができる、逆に言うと、いつも自然未来だけではなくて、私たちは意思未来というのを持てた唯一の種だと感じているのです。今までの伝統的な倫理学とは、もともと習俗とか慣習、言ってみれば人間の社会から生まれたものです。でも、今の私たちの環境問題とか世界でいろいろ起こっていることを考えると、人間を中心にして考えるだけではおかしいのではないか、むしろ人間も自然の中の一つだから、本当は自然が土台にあって、倫理が組み立てられるべきではないかという考えを今持っております。地球のほうが動いているんだという視点(地動説)、つまり、人間にとってもう一度考えなくてはいけないのは自然が世界の中心だという視点です。われわれ住ませてもらっているんだという視点の倫理学がこれから重要になると考えています。 Profile 小泉 秀明(こいずみ・ひであき)1971年東京大学教養学部基礎科学科卒業後、日立製作所計測器事業部入社。1976年に偏光ゼーマン原子吸光分析法を創出し東京大学理学博士。同時に装置を実用化し、環境計測を中心に世界で1万台以上が稼働。通産省特許制度100周年にて日本の代表特許50件に選定、また初期装置は分析機器・科学機器遺産に選定。医療計測では、磁気共鳴血管描画法(MRA)や光トポグラフィ法を創出し実用化。日立基礎研究所所長、技師長、フェローを歴任。55代日本分析化学会会長。ローマ教皇庁科学アカデミー400周年記念時に招聘講演。『日経サイエンス』30周年記念号ではノーベル賞候補として紹介される。著書に『環境計測の最先端』、分担執筆に『Encyclopedia of Analytical Chemistry』、他、論文・特許・書籍・受賞など多数。 参考 ・NPO法人科学映像館:モノ作りに魅せられて 日立製作所フェロー 小泉英明https://www.youtube.com/watch?v=p4t0LXA88w8&t=82s・第2回教養教育センター特別講演会②~脳科学、言葉、手-「使える教養」はどう育つか~・第2回教養教育センター特別講演会③~役に立つ教養はどのようにして活性化するか~

  • 人と違うことをやってみる!伝統的な技法「扇垂木」への挑戦が自分自身の成長に

    寺社建築の伝統的な技法「扇垂木(おうぎだるき)」と呼ばれる屋根架構を卒業制作のテーマにし、千葉県妙長寺の本堂建築に携わった桐山実久さん(建設学科4年・小野研究室)。 念願だった技能五輪全国大会にも2度出場した経験を持ち、「やってみたいことは挑戦する」がモットー。桐山さんに卒業制作を通して実感している4年間の大学生活での学びや成長、将来の目標などのついてインタビューしました。 木造建築への熱意がものつくり大学進学に 幼い頃から、温かみを感じる木造の家が好きで、木造建築に興味がありました。高校は地元の愛媛県立吉田高校の機械建築工学科に進み、木造建築の面白さに魅了され、高校生ものづくりコンテストにも出場しました。ものつくり大学に進学したのは、同校の先輩が進学していて「技能五輪全国大会に出場できるチャンスがある」と話を聞いたことが大きかったです。ものつくり大学では、アーク溶接などにも触れましたが、やはり木造建築が好きだということを確信し、木造建築コースに進みました。木材の魅力は一度切ると元に戻せないところだと感じます。ボンドで貼っても再生できないですよね。 1年生の頃はコロナ禍でオンライン授業が中心の学生生活に。2年生、3年生の時に連続して技能五輪全国大会に出場しました。出場職種は得意分野の大工ではなく、敢えて家具に挑戦しました。高校時代に先生から「細かいものも得意だね」と言われたことがあったからです。2年生の頃はまだ授業で家具づくりを学んでいなかったため、先輩方にいろいろ教えていただき、寝る間も惜しんで工房で技術を磨き大会に臨みました。3年生の時も家具職種に挑み、努力が実り敢闘賞を受賞することができました。ものつくり大学に進学し、念願だった技能五輪全国大会に挑戦できたことで、チャレンジ精神が旺盛になりました。 技能五輪全国大会に挑戦する桐山さん 伝統的な技法「扇垂木」を卒業制作に 私は小野研究室なのですが、今井研究室と仲が良く、交流が盛んな環境に身を置いています。4年生で卒業制作を迷っていた時、インターンシップでお世話になった今井先生から「千葉県館山市妙長寺の本堂新築の屋根架構を卒業制作として取り組んでみないか」と声をかけていただきました。今井先生から、本堂の屋根の形状は扇垂木(おうぎだるき)という唐傘をモチーフにした扇状に広がった垂木のことで、非常に手間がかかり、単純に配置することが難しいことや、現役の大工さんでも経験できないまれな技法であることなどの説明を受けました。 学生生活の中で木造建築を中心に学び、大会などにも挑戦してきた経緯もあり「人と違ったことをやってみたい」という思いが強い私は「滅多にない経験ができるのは面白そう」と伝統的な技法である扇垂木の制作に挑戦したいと思いました。そして「館山市妙長寺の屋根架構の制作ー扇垂木の墨付け、刻み、加工-」を卒業制作のテーマにすることで新たな自分の可能性を見出したいと思いました。 限られた作業時間が没頭するための集中力に 扇垂木の墨付けから加工の工程は、扇垂木の木材加工の施工経験がある非常勤講師の福島先生のご指導の下、埼玉県寄居の福島工務店で行いました。扇垂木の木材となるのは、垂木、隅木、蕪束(かぶらづか)。墨付けから加工は、一般的な垂木の断面より大きいため、加工に費やす時間が多くなりました。搬入や組み立てを考慮して行った鎌継ぎ(一方の木材に端部の広がった突起を作り、他方の木材にはめ込む継ぎ手)やくせ加工などの作業も何度も行いました。作業時間が限られていたこともあり、43日間(2023年10月27日から12月8日)1日も休まず取り組みました。限られた時間の中での作業だったからこそ、集中して一心に取り組めたのだと思います。加工した木材の仕口を数えてみたら136箇所ありました。 技術的な面は、福島先生のご指導に加え、学生生活を送る過程で様々な道具を使ったり、技術を磨いたりした経験や工程を頭に入れ作業する習慣がプラスに働きました。ある程度作業に慣れると、流れが分かり、段取りをつけながら1人で進めることもありました。精神面でのプレッシャーは地元の方との交流もあり、あまり感じませんでした。技能五輪全国大会に出場した時はかなり精神的にきつかったのですが、2度の出場経験により、精神的にも鍛えられたのかもしれません。しかし、肉体的には、かなりハードでした。今まで扱ってきた木材に比べて遥かに大きく、重かったので、運んだり、転がしたりするのは想像以上に身体に負荷がかかり、腰なども痛くなりました。 難易度の高い施工に挑み、目にした本物の建築 木材の加工が終了した翌日の12月9日に、埼玉県寄居町から千葉県館山市の現場に木材を搬入しました。現地の大工さんの力もお借りし、他の学生と一緒に12月13日から、施工に入りましたが、現地に入る前と後では、緊張感が違いました。まず、蕪束と隅木の取り付けを行いました。上段、中段、下段と隅木を継いでいきました。ここでは、ビス留めをし、しっかり止めました。次に、いよいよ垂木の取り付け作業に。隅木側から垂木を取り付ける工程はとても難しかったです。ひのきの垂木は全て寸法も異なり、木材だからこそ、ねじれや乾燥もあり、調整の繰り返しに。なかなか思うように作業が進まず、苦戦しつつも丁寧にかんなを使って微調整しながら組み立てを進めていきました。垂木の上段、下段の取り付けが進んでいくに従い、扇垂木が大きいことに驚きました。 扇垂木を下から見上げる 現場で施工する桐山さん 本物の建物の施工に関わるのは初めてで、しかも寺院の本堂は地域に根付き、歴史的にも価値をもつことになる建物です。いざ完成間近になった建物を目の前にし、「こんなにも大きな寺院をつくっているんだ」と言葉に表せない感情が湧きました。100年、200年と長期間、多くの人に親しんでもらえる建物にしたいと思っています。本堂の完成は2024年3月を予定しており、扇垂木の美しさが見える屋根になるように作業を進めています。 卒業制作を通して感じている自身の成長 卒業制作を通して特に2つほど自身の成長を感じています。1つは、今までは自分が納得いくためのものづくりだったのが、人に喜んでもらえるものづくりをしたいという思いが加わったことです。そもそも、ものつくり大学に進学した理由の1つに技能五輪全国大会への挑戦があったのですが、高校時代に高校生ものづくりコンテストに参加し、自分自身に対してやり残したという後悔がありました。「賞に入賞することよりも自分の納得するものづくりがやりたい」という思いが強く、1年目には納得できず、2年連続して挑戦。結果、3年生の時は敢闘賞を取ることもでき、自分なりに納得し、達成感が味わえました。しかし、今回、長い歳月建ち続けることになる寺院の施工に携わることで、多くの人が見たり、触れたりして大切にされていくことを想像する機会に恵まれ、ものづくりの喜びを倍に感じるようになりました。 もう1つは、自分に自信が持てたことです。大学生活の中でいろいろな大会にも出場し、賞ももらってきたのですが、実は自分に自信が持てず、ものづくりも上手いと思ったことがありませんでした。自己評価が低く、時に先生から叱られることも。自信がなかったからこそ、さまざまなことに挑戦もしてきました。しかし、今回、卒業制作で難易度の高い扇垂木の制作に挑戦し、その結果、檀家さん、工務店の先生、大学の先生や友人など関わってきた人から評価してもらい、自信が持てました。本堂新築における扇垂木のことが新聞に取り上げられたことで、自分が関わった建築物が多くの方から注目を浴びていることを聞き、嬉しいです。 建築が進む妙長寺本堂 将来は木造建築の教員に 大学卒業後は、まず、大工としてプレカットの仕事に就き、大工職人として腕を磨きたいです。社会経験を積んだ後は、木造建築の教員になりたいと考えています。私の家族はみな教員で、幼い頃から「将来は先生になりたい」と思っていました。人に教えることも好きです。ただ、学生生活の中で、自信がなかなかもてず、後輩に対してもどこか教えることに引き気味でした。しかし、卒業制作などに取り組む中で教えることに少しずつ前向きになり、4年生ではSA(Students Assistant)として先生のアシスタントをしながら後輩にさまざまなことを教える経験をしています。実際、鋸の使い方1つでも教える立場になってみて、みんながそれぞれ違う使い方をしていることが分かり、その違いを面白いと感じます。一方で、一緒にSAをしている学生の教え方から学ぶことも多く、勉強になります。最近、木造建築に進む学生が少なくなっていると感じるので、木造建築の魅力や面白さを伝えられる教員になりたいです。 自分を磨けるものつくり大学での学び ものつくり大学での学生生活は、規則に従いながら過ごしていた小中学校時代、まだ何がやりたいかが明確ではなかった高校時代とは異なり、自分が好きなことをできる環境が整っていました。自分が磨きたいところを磨け、いろいろなことにも挑戦できました。先生からは理論や実践で役に立つことを教えてもらい、さまざまな実習やインターンシップでは、自分で実際にやってみる機会を多く作ることができました。具体的に教えていただいたことに挑戦できた結果、多くのことを学んだり、技術や技能を身に付けたりすることができました。さらに、先輩から教えていただき、後輩に教えるものづくりを通し、人とコミュニケーションを持ったり、信頼関係を築いたりする機会にも多く恵まれました。挑戦することを続けた4年間の学生生活の中で、特に卒業制作は、今までの学びと実践が活き、自分自身の成長を感じる機会になっています。 関連リンク ・建設学科 木質構造・材料研究室(小野研究室) ・建設学科 建築技術デザイン研究室(今井研究室) ・技能五輪全国大会実績WEBページ ・建設学科WEBページ

  • 【知・技の創造】流動床インターフェースの応用研究

    流動床インターフェースの研究 砂のような固体粒子を入れた容器の底面から空気のような流体を上向きに適度に噴出させると、固体粒子は浮遊懸濁して液体のような流動性を示す。的場やすし客員教授と一緒に、流動化した砂の特性を活用した流動床インタフェースを構築し、産業・医療応用や洪水体験等新しいインタラクションシステムの可能性の研究を行っている。 砂面に投影するプロジェクションマッピング 映像を投影した流動床インターフェースに魚の模型を出し入れする様子 その中で、砂面を投影面としたプロジェクションマッピングに関する研究を進めている。砂面は、水面よりも鮮明な映像が投影できるので、ゲームを始めとしたエンターテインメントに適している。流動化の有無や強さの違い等を組み合わせたり、砂の色を変えることにより、新しいプロジェクションマッピングの可能性を検討している。例えば流動化した砂面で人体模型や臓器をかたどり、そこに正確な色の映像を投影する技術により、医療教育や術前カンファレンスなどでの可能性を検討している。また、触れられて投影面の中に手や物を出し入れすることのできるディスプレーが実現できるので、新しい応用の可能性が広がる。写真は、流動床インターフェースに映像を投影し、表面の池の部分から泳ぐ魚に見立てた魚の模型を出し入れしている様子である。 砂には色がついていて白色スクリーンとは異なる。また砂面は滑らかではなく、流動化しているときは表面を動的制御できる。さらに物の出し入れが行える。そこで砂面の反射特性や観察角度の変化に伴う明るさと色の変化、さらに砂面の深さ方向の変化に伴う明るさや色の変化等に対する色再現手法、および色彩制御技術の研究を進めている。これらは、卒業研究やインターンシップのテーマとして学生と一緒に行っている。 また、噴水のように水を連続して噴出させたところに映像を投影するディスプレーが開発されているが、水は反射率が低いので明るい場所では不向きである。これに対して、砂などを連続して噴出させることで、何もない所に突然鮮明な映像を出現させるようなディスプレーの研究も進めている。 防災訓練の応用と触感再生装置への可能性 その他に流動床現象の出現原理の解明を進めると共に、医療応用では、自力で姿勢を変えられない人のポジショニング用具や癒し用具の開発を埼玉県内の病院・企業と産学連携で実施している。さらに疑似体験型拡張現実(AR)と流動床インターフェースを活用して、視覚と身体で水害を感じる洪水体験システムへの検討を進め防災訓練に応用している。また色々な触感を実現する触感再生装置への可能性を検討している。 流動床インターフェースを活用した洪水体験の様子 埼玉新聞「知・技の創造」(2024年2月2日号)掲載 profile 菅谷 諭(すがや さとし)情報メカトロニクス学科教授 博士(工学)。東北大学大学院修了、NEC、アリゾナ大学オプティカルサイエンスセンター、静岡理工科大学助教授を経て現職。専門はオプトメカトロニクス。 関連リンク ・研究実績WEBサイト(researchmap)・的場やすし客員教授Youtubeチャンネル・情報メカトロニクス学科WEBページ

  • 【知・技の創造】新しい教養教育の展開

    教養教育センターの始動 2022年1月7日の「知・技の創造」に「新しい教養教育の取組み」として、同年4月から始動する「ものつくり大学」の新しい教養教育の記事を掲載しました。今回は、教養教育センターが取り組んできた活動について紹介します。前回紹介したものづくり系科目群、ひとづくり系科目群、リベラルアーツ系科目群の教養教育科目は順調に展開しています。 教養教育センターWEBページ 教養教育センターからの発信 第1回教養教育センター特別講演会の様子 2022年11月24日に、第1回教養教育センター特別講演を本学で行いました。スペシャルゲストとして、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授の柳瀬博一氏をお招きし、「テクノロジストのための教養教育」についてお話を頂き、その後に教養教育センター教員によるパネルディスカッションを行いました。教養教育に関する熱い思いを学生にぶつけ、教養教育のキーワードとして土居浩教授は「磨き続ける」、井坂康志教授は「無知を認める」、町田由徳准教授は「視野を広げる」、土井香乙里講師は「とことん学ぶ」を挙げていました。ちなみに私は「本物を知る」です。 2023年11月9日には、第2回教養教育センター特別講演を渋谷で行いました。会場は渋谷スクランブルスクエア15階の「SHIBUYA QWS」で、日立アカデミーとの共催、ドラッカー学会の協賛で行いました。特別講演は、日立製作所名誉フェロー、脳科学研究で著名な小泉英明氏に、「脳の基本構造を知り、学びたいという気持ち、意欲やパッションの根源を知る」についてお話を頂きました。鼎談「脳科学、言葉、ものづくり、使える教養はどう育つか」では、キャスター・ジャーナリストの山本ミッシェール氏をお招きし、パネルディスカッションでは本学教養教育センター教員も参加して活発な討論が行われました。 第2回教養教育センター特別講演会の様子 教養教育センターでは、ものつくり研究情報センターと協力して、「半径5mの経営学 ドラッカー流 強みの見方・育て方」、「上田惇生 記念講座 ドラッカー経営学の真髄」、「ものづくりのためのデザイン思考講座」の社会人育成講座を行いました。 大学ホームページからは、埼玉の歴史や文化をものつくり大学独自で研究している「埼玉学」を発信しています。是非、ホームページをご覧ください。埼玉学の記事一覧はこちら 2024年度からの始動  2024年度からは、前述の「SHIBUYA QWS」のコーポレートメンバーに入会する予定で、会員になると月に1回広い会場スペースを利用することができます。特別講演をはじめ、様々な行事を行えるようになりますので、新たな展開に期待してください。  授業では、「ICT基礎実習」、今年度新設した「データリテラシー・AI基礎」を軸に、文部科学省の「数理・データサイエンス・AI教育プログラム認定制度」に申請し、情報の分野を強化します。また、来年度は留学生のための「日本語」を新設して、「留学生就職促進教育プログラム認定制度」に申請し、留学生の日本語教育と就職支援を行います。 おわりに 教養教育センターは、向上心を持って日々新しいことに挑戦しています。来年度は第3回教養教育センター特別講演をはじめ、様々な取り組みを発信します。これからの教養教育センターの活動にご期待ください。 埼玉新聞「知・技の創造」(2024年1月5日号)掲載 profile 澤本 武博(さわもと たけひろ)建設学科教授 東京理科大学卒業、同大学院博士後期課程修了、博士(工学)。若築建設株式会社、東京理科大学助手を経て、2005年着任、2019年より学長補佐、2022年より教養教育センター長。 関連リンク ・コンクリート研究室(澤本研究室)WEBサイト・建設学科WEBページ・教養教育センターWEBページ

  • 【知・技の創造】高校ロボコンで埼玉無双

    高校生ロボコンと学生ロボコン 全国高等学校ロボット競技大会をご存じでしょうか? 主に工業高校の生徒が、毎年違うお題に対してロボットを開発する競技大会です。さまざまな対象を運んだり置いたりが課題となる「キャリアロボット」というジャンルの競技です。 11月末に福井県で全国大会が開催され、埼玉県大会で1位・2位に入賞した進修館高校が埼玉県の代表校に選出されました。 一方で、ものつくり大学「ろぼこんプロジェクト」は、NHK学生ロボコン2023に出場を果たし、出場回数は14回を誇ります。 NHK学生ロボコン大会会場にて NHK学生ロボコンは全国の大学・高専が対象のロボット競技大会で、優勝するとABUロボコン(アジア地域のロボコン大会)の出場権を得られます。全て英語のルール発表が10月初旬。これを深く理解し、ロボットを設計・開発・実装します。2月末、4月末の2回の厳正なビデオ審査を経て、出場チーム数は20チーム前後に絞られます。大会は6月初旬に開催されます。 従って大会に出場を果たすだけでもかなり大変で、メンバーの学生たちは、ほぼ1年中ロボットの開発にいそしんでいます。実はメンバーの中には前述の全国高等学校ロボット競技大会に出場経験のある学生もいます。 高大連携でロボコン無双 これらの背景から、本学と進修館高校で高大連携事業の一環として、去年12月よりロボコン講習会を始めました。本学学生が高校生に自分の経験や知識を教えます。内容は表のとおり、メカ設計・加工・制御回路と、ロボコンに必要な機械・電子・情報の内容を網羅してあります。7回目まで実施済みで、今年度末までに残りの講習を行います。今年12月からこの連携に児玉高校も仲間入りします。 埼玉県内の高校ロボコンチームの参加を募集中です。この活動を通じて、埼玉県から出場の高校生チームが全国高等学校ロボット競技大会で無双することを夢見ています。 回数内容1設計とは?(機構学とモノの捉え方)23DCADを用いた設計33Dプリンタを用いた実習4~7全国高等学校ロボット競技大会出場マシンのお悩み相談会8マイコンを用いた制御回路(センサ・アクチュエータ・LED)9マイコンを用いたシリアル通信10マイコンを用いた無線通信11板金工作の設計12板金工作と実装講習の内容 埼玉新聞「知・技の創造」(2023年12月8日号)掲載 Profile 三井 実(みつい みのる)情報メカトロニクス学科教授  北陸先端科学技術大学院大学博士後期課程修了。博士(情報科学)。専門はシステム開発、音響工学、電気電子工学。 関連リンク ・ヒューマンメディアラボ(三井研究室)WEBサイト・情報メカトロニクス学科WEBページ・ロボコンはスポ根だ!優勝目指してひた走れ!① ~リーダー&操作担当者編~・ロボコンはスポ根だ!優勝目指してひた走れ!② ~ピットクルー&大学院生編~

  • 【埼玉学④】『翔んで埼玉-琵琶湖より愛をこめて』を公開当日に観に行くということ

    「埼玉学」とは、埼玉県の歴史・文化・産業・地理・自然など、埼玉県に関するあらゆる分野を総合的に研究・探究する学問です。教養教育センターの井坂康志教授が新しい研究テーマとして連載を始めました。埼玉学第4回は、井坂教授が『翔んで埼玉-琵琶湖より愛をこめて』公開日に浦和パルコ映画館にて、埼玉学徒の皆さまと鑑賞したことを受けて、埼玉学の問題提起を述べていきます。 埼玉とは「悲劇のイデア」である 映画『翔んで埼玉2』の2023年11月23日公開に先立ち、『東京新聞』から埼玉の県民性についてコメントを求められた。私は公開当日にこの映画を見ることができたので、今となっては私の話したことはたいした意味もなくなっているのだが、ごく簡単な感想をお話して、埼玉学の問題提起に代えたいと思う。もちろん私は映画について立ち入った話をしようと思うのではないし、そんなことは専門家でないからできもしない。ただごくおおざっぱに、映画に表れた埼玉の特性についてお話ししようと思う。というのも、埼玉とは特定の土地よりも、一つの「悲劇のイデア」だからなので、この点は今日いろいろな理由から曖昧になっており、このことを明らかにすることがさらに大きな視点を獲得するうえで大事だと考えているからだ。『翔んで埼玉』が公開されたのは2019年のことだった。この作品は埼玉そのものというよりも、埼玉のイメージに着目して、その特性を新しい見方によって蘇生させることに成功した。これは埼玉に伴うおそらく近代以降の一大イノベーションとさえ言える。もちろん映画で描かれる台詞や情景は、逆説、独断、憶測、諧謔に満ちている。だが、私が映画を数度見て結果として覚えることになった「異常な感動」は、埼玉に関する動かしがたい何かを教えていると思った。『翔んで埼玉』が一つの娯楽映画を超えた何かを持っているのは、多くの人が「はじめは笑っていたが、最終部では思わず涙した」とコメントしていることからも明らかだろう。ちょっと聞くと反語に受け取られるが、それは埼玉が様々な側面で二つの勢力の葛藤を知らず身に帯びている事実を示唆している。ここで言う二つの勢力とは、主として埼玉の地形と地政に由来している。改めて埼玉を地図で確認してみると、接する都道府県は7つ。異常な数である。とくにあの長野県とも一部接している事実は埼玉県民にさえ知られているとは言えまい。 とりわけ北の群馬、南の東京都の県境が圧倒的に長大である。これは、東京という近代日本の象徴と群馬という近世権力との間に横たわる、よく言って通路、悪く言えば「玄関マット」の役割を埼玉がはからずも果たしてきた事実を示している。南北の文化・文明的差異に加えて、中央に縦走する台地を境目として、東西の山・川の地形的コントラスト。これらの異なる勢力が常時綱引きしている構図である。そのぴんと張り詰めた綱の上に埼玉が乗っている格好である。自己イメージ形成に葛藤をもたらさないはずがない。もちろん、映画はどこかでそのことを念頭に置いて、スタイリッシュかつコミカルに主張しているのであって、シーンの一つひとつは、すでに埼玉県の心中の風景を映像化したものにほかならない。そこでは、「埼玉には際立ったものが何もない」との一般の主張を覆す証拠がふんだんに存在している。『翔んで埼玉』が取り扱うのは、表面的には喜劇である。しかしその実、悲劇の本質を余すところなく表現している。ニーチェは『悲劇の誕生』において、「悲劇とは人生肯定の最高の形式」と述べている。悲劇とは、何かの不足によって起こされるものではない。むしろ何かの過剰によって惹き起こされている。主人公の麻実麗(GACKT)は、埼玉県民の素性を隠し、東京都民を圧倒的に凌駕する「都会指数」を発揮しながら、彼は進んで埼玉解放戦線の活動に身を投じ、苦節の末にその試みに成功するのが『翔んで埼玉』のストーリーである。彼は同胞たちの災厄を進んで引き受けている。その姿勢が何より悲劇的である。このように空気を読まずに地雷を踏んでしまう人。そのような人を世間では「ダサい」と呼ぶ。 「ダサさ」を愛さなくてはならない 映画館で配布されたカード。当日浦和では映画公開を知らせる号外も配布された。 およそこのような悲劇の肯定は、巷間埼玉に対して発せられる凡庸さや冗長さ、無気力、無関心とはまったく異なる。むしろ、麻実麗に見られるのは、生命の過剰であり、悲劇の精神の遂行である。意志と希望の挫折からくる不条理への愛である。『東京新聞』の取材で私は埼玉の県民性について問われたわけだが、語っているうちに私は県民性について自分が話しているのでないことに気づいた。埼玉のうちにある精神の断片を拾い上げたい気持ちになったのだ。埼玉の中に表現される縦横の衝突・葛藤は、自己イメージ形成でも大事な役割を果たしている。この衝突によってついに「ダサい」という非常に輝かしい境地に到達しえたということだ。偉大な存在に共通するのは、アイデンティティ獲得の疎外からくる絶えざる緊張である。心内に深刻な葛藤があるなら、それから目を覆ってはならないし、耐えるだけでもいけない。その葛藤が何を教えるかに目を凝らさなければならない。さらには進んで、「ダサさ」を愛さなくてはならない。これはいわば日常生活に身を浸した者の率直な決断なので、多くは無自覚であって、奇をてらった結果ではない。葛藤に伴う日常が、この生活態度に埼玉県民を導いたのだ。もちろんこういう考えは、アイデンティティの確立にはおよそ不向きである。都会に屈すれば、ただの植民地になるだろう。田舎に甘んじていれば、進歩の可能性はなくなるだろう。埼玉県はどちらでもない。まさにこの中途半端な状態を肯定するならば、進んで世間の図式的な都会とか田舎とかといった区別を越えた一次元高い自己認識を獲得しなければならない。 なぜ寛容なのか 記者からの質問は、「なぜ埼玉県民はかくも露骨にディスられても、それを寛容に受け止めるのか」というものだった。私はそれに対して、「アイデンティティの先延ばし」を習慣化しているからではないかと答えた。あえて言えば、現代においてアイデンティティの獲得はあまりにも強調され過ぎていないか。それはそれほどまでに重要なことなのか。かえって人の世を生きにくいものにしていないか。個と環境との合一は、人から貴重な内省の機会を奪っているのではないか。そもそも県民性など取るに足りないものではないか。確かに埼玉県の評価をランキングで見る限り、芳しいものではない。47都道府県のうち下から何番目。ただし、注意しなければならないのは、埼玉県民が戦っているのは他県ではなく、自己自身であるということである。『翔んで埼玉2』の話に戻る。一体、映画(フィルム)とはもともと映像化されたドキュメントという意味の言葉である。その意味からすれば、この作品は一見洒落に過ぎないようでありながら、一貫して存在してきた埼玉県民の精神的来歴を純粋に映像化したドキュメントと言ってよい。登場人物を見る限り、演出はスタイリッシュで、嫌味な芝居が演じられているようには見えない。いわゆる悪い洒落ではなく、良い洒落になっているのは明らかだ。埼玉県民はあたかも自らが脚本を書き、演出し、芝居をしているかのように感じさせる吸引力がそこにはある。事実、ほとんど一本の作品を演じきったかのような清々しい解放の表情を私は浦和パルコの観客に見た。『翔んで埼玉2』では、滋賀をはじめアイデンティティの獲得を妨げられ、延期することを定められた他県との共闘が展開される。それは埼玉県民にとって悲劇の結末をもたらすものではなかった。観終わった後の観客には、どことなく救済されたかのような、えもいわれぬ表情が浮かんでいた。さすがにすすり泣きこそ聞かれなかったものの、押し黙った苦痛に言葉を与え、苛まれた魂の奥に未来を見たごとき自由のまなざしがそこかしこにあった。 あえて定義しない勇気 おそらく、この映画はアイデンティティ確立を迫る嵐のごとき風潮の中、途方に暮れた人々にとっても解放をもたらしたことだろう。だから再び言いたい。自己の確立はそんなに偉いものなのか。むしろ一般の趨勢に抗して、どこまでも自己を定義したくなる欲求の外側に立ち続けようとする態度の方がよほど強靭でしなやかな精神力を必要とするのではないか。その証拠に自己を確立したと主張する国や地域、組織、人ほど、他者との闘争に明け暮れているのではないか。つまるところ、ディスられてもけなされても、埼玉県民の自己定義は未来にある。それは永遠の旅路を歩もうと決意する点で、「君だけの永遠の道をひたすらに歩め」(ニーチェ)と説くロマン主義的態度に通じている。これは不毛なマウント合戦に加わらず、またかりそめの「アイデンティティ」の安酒に身を任せるのでもなく、つねにただ薄い笑みをもって超然と自己に邁進する姿勢である。そういうところが、埼玉県民に争いを好まぬ「しらこばと」の平和的態度をもたらした理由と思われる。『翔んで埼玉2』はその意味で、前作に続く天啓であった。「人は最も自分がよくできることを知らない。強みとは持ち主自身によって知られていない」とはマネジメントの父ピーター・ドラッカーの言である。埼玉県民はこの映画によって、はからずも自分が最もよく行ってきたことのみならず、自己の心内で営まれた果てしない物語を知ることになる。あるいはおおげさに聞こえるだろうか。 行田市古代蓮展望タワーをしみじみと眺める。意外に高い。 Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学教養教育センター教授1972年、埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、社会情報学。 関連リンク ・東京新聞 TOKYO Web「ディスられても笑いに 埼玉の強みとは『翔んで埼玉』続編23日公開」・【埼玉学①】行田-太古のリズムは今も息づく・【埼玉学②】吉見百穴-異界への入口・【埼玉学③】秩父-巡礼の道・教養教育センターWEBページ

  • 建設学科の女子学生が、建設(土木建築)現場の最前線で働く女性技術者のリアルを『見る』・『聴く』

    2023年10月20日、若築建設株式会社(本社目黒区)主催の女性技術者志望者対象の「工事現場見学会及び座談会」に、本学から、建設業に興味のある建設学科3年の女子学生5名が参加しました。この企画は、参加した女子学生が工事現場や女性技術者について理解を深め、建設業の魅力に触れることで、進路選択の一助になることを目的としています。本学では、長期インターンシップや企業訪問等の多様なキャリア支援施策を実施していますが、女性による女性のための女性だけのユニークな企画参加はおそらく初めて。参加した女子学生5名のリアルな感想を伺いました。 一瞬で打ち解けた若き女性技術者の明るさと元気さ 会場となったのは東京都葛飾区の新中川護岸耐震補強工事の現場。本事業は、東京都の女性活躍モデル工事となっているものです。まず若築建設から女性技術者9名の自己紹介があり、続いて4班に分かれた本学の女子学生がそれぞれ自己紹介を行いました。その後、全体スケジュールの説明があり、「女性技術者の目線から見た現場の現況や魅力を見て、今後の進路選択に役立ててほしい」と本日の目的を強調されました。学生たちは明るく元気な女性技術者の皆さんから積極的に話しかけていただきました。遠藤 夢さん(澤本研究室)は「女性技術者の皆さんが初対面の人同士でもフレンドリーでした」と第一印象について話してくれました。次に、いよいよリアルな工事現場見学に移動。現在進めている施工場所の長さは約150メートル。その移動の途中、学生たちは、気さくに説明をされる女性技術者に触れ、「現場で働く人に対して怖いイメージをもっていたけれど、実際は優しかったです」と河田 さゆりさん(田尻研究室)はイメージと現実の姿の違いを感じたようです。工事中の現場では、この工事の責任者である女性の監理技術者が「現在進行中の護岸工事は階段状に削ったところに新しい土を入れ、地滑りが起こらないように転圧(固める)をしています」と説明してくださいました。その姿を見たタマン・プナムさん(澤本研究室)は「現場に女子の監理技術者がいるのは面白い」と興味を持ちました。学生たちはフェンス越しに護岸の工事現場の様子を見て、メモを取ったり、女性技術者から具体的な説明を聞いたりするなどして現場でどのような工事を行っているのかを体感していました。説明してもらっていたカルキ・メヌカさん(澤本研究室)とプナムさんは「現場で働く女性技術者の方に、優しく、いろいろ教えてもらえて、とても勉強になりました」と話していました。 また工事現場での女性への配慮の一つとして、設置された仮設トイレや休憩所も見学しました。気になる仮設トイレは臭いを極力抑えるコーティングがされていることや休憩所では、電子レンジやWi-Fiが完備されている話などを伺いました。学生たちは現場でどのようにトイレを使用したり、休憩したりするかといったことにも関心もあり、工事現場の環境改善が進んでいることを実感しました。晴天でしたが、風が強めの見学であったため、女性技術者から現場の仕事は天候に左右される仕事でもある事情をお聞きし、現場の実情を知り、「現場を見られてよい経験になりました」と遠藤さん。また、工事現場見学を通し「現場のイメージが変わり、若い方も働いていて、働きやすい環境だと感じました」と河田さんは話してくれました。今回の工事現場見学では、日頃見聞きできない工事の進行状況や女性技術者がどんな環境でどのように仕事をしているのか直接教えていただきました。今回の工事現場見学を通して感じ、学んだことを他の学生とも情報共有し、本学での学習に活かすとともに建設業界の内情について理解を深めていってくれることを期待します。 4班それぞれに笑顔があふれた座談会 遠藤 夢さん 1班の遠藤さんは、監理技術者含む入社1年目と2年目の女性技術者3名との座談会。用意されたプロフィールを見ながらの現場での仕事の話になり、「女性技術者でも夜勤はあるけれど『滑走路から見る東京の夜景』や『早朝の富士山』は格別」といった現場あるある的なお話をしてくださいました。女性技術者と男性技術者の違いに関心があった遠藤さんは座談会で「現場で働く技術者は資格もある人もいれば、そうでない人もいて、男女に優劣はなく、その人次第ということを知りました」と話してくれました。 2班の金子 歩南さん(澤本研究室)は、入社8年目と1年目の2名の女性技術者との座談会。入社した経緯や自社の良いところについて熱弁してくださったお2人。話を聞いた金子さんは「土木・建築の技術者に進もうとする人は『インターンシップ』がきっかけだったり、土木や建築が元々好きだったりする人がいることを知りました」と。また、土木・建築の技術者にとってどんなことが大変だったかを知りたかった金子さんは「入社当初は、土木・建築の技術者としてなかなか実力が認められなかったけれど、経験を積んで、実績を見てもらったり、さまざまな立場の方との話をしたりして分かってもらえるようになった」という体験談を聞けたそうです。 3班のプナムさんとメヌカさんは、中途入社した4年目と8年目の2名とスリランカ出身で入社2年目の計3名の女性技術者との座談会。さまざまな経歴をもつ女性技術者たちからキャリアの活かし方について具体的なお話が聞けました。また、留学生である学生2人は外国人の女性技術者の働き方や文化の違いの対応について関心が高く、働く上で文化的な違いをどうやって理解し、日本の働き方に合わせるかを熱心に聞いていました。日本でアルバイトをしているからこそ同じ外国人として働く上での大変さについて共感も生まれていました。 タマン・プナムさん カルキ・メヌカさん さらに、日本企業と海外企業の仕事の進み具合の違いといった国際的な話も展開されていました。プナムさんは「スリランカ出身の方の話がためになりました。また、海外プロジェクトに参加したら、その経験が身につき、自分自身の実力になることを知りました」と。メヌカさんは「入社前に資格取得が必要ではないかと考えていましたが、土木・建築の分野の資格は入社してからでも大丈夫だと聞いて安心しました」と話してくれました。 4班の河田さんは、入社1年目と6年目の2名の女性技術者との座談会。日常生活について話を聞いたり、女性技術者が設計したものを直接タブレットで見せてもらったり、働く上で必要なことを伺いました。リアルな女性技術者の話を聞いた河田さんは「就職活動するにあたり、立派な志望理由が必要だと思っていましたが、『さまざまな角度や観点から考えてもいいんだ』といったことを考える良い機会になりました」と話してくれました。 視野を広げた貴重な体験 今回の座談会では、学生たちが若築建設の女性技術者の皆さんからさまざまな体験やアドバイスを聞くことができました。金子さんは「他の会社を見学した際、現場で働くのは男性が中心でしたが、今日は年齢が近い女性技術者にお会いできて、話が聞けてよかったです」と他の会社見学とは違った体験ができたと話してくれました。現場で働く女性技術者の年齢が近い方も多かったため親近感もわき、自分事して考えることができ、大きく印象が変わったようです。 金子 歩南さん また、今後の進路選択に当たり、若築建設のような建設会社を選択肢に入れたい思いが生まれたり、視野を広げたものの見方について学ぶ機会になったりと貴重な時間になりました。プナムさんは「女性技術者の皆さんの経験をお聞きし、皆さんがどれだけ頑張っているかを知り、私も頑張り、このような職業に就きたいと思いました」と熱い思いを語ってくれました。メヌカさんは「若築建設では英語も磨けると聞き、とても興味を持ちました」と意欲をわかせていました。最後に澤本武博教授(建設学科)からは、先生自身が若築建設の勤務経験があったことや卒業生が働いていることなどを踏まえ「今日の経験を今後の学生生活や就職活動に活かしてほしい」というお話をしてくださいました。そして女性技術者の皆さんからは熱いエールを送っていただき、座談会の幕を閉じました。工事現場見学会や座談会の進行を行っていただき、また熱心に説明をしてくださった若築建設の女性技術者の皆さまには心より感謝申し上げます。 参加者/1班:遠藤 夢 さん(建設学科3年、澤本研究室)2班:金子 歩南 さん(建設学科3年、澤本研究室)3班:カルキ・メヌカ さん(建設学科3年、澤本研究室)3班:タマン・プナム さん(建設学科3年、澤本研究室)4班:河田 さゆり さん(建設学科3年、田尻研究室) 関連リンク ・建設学科WEBページ・澤本研究室WEBサイト・田尻研究室WEBサイト・若築建設株式会社WEBサイト

  • 【知・技の創造】地域活性化は子どもたちから

    地域を担うのは誰? 郊外や地方で人口が減少する中で、地域の活力や賑わいを維持するためには、少ない人口でも生産性を上げる新たな産業の創出や観光の振興などが考えられますが、そこに住まう「人」が必要不可欠です。そのため、いずれの地域も「人」を確保するために、移住・定住の促進や、地域外に居住されていても地域とかかわりを持ってもらえる関係人口を増やすことに力を入れています。 このように人口の減少局面では「地域の外の人」に目がいきがちですが、もっと身近なところに頼もしいヒューマンリソースがあります。 地域の子どもたち 地域の子どもたちは、私立学校を除けば、お互いに同じ地域の中で同じ小学校や中学校に通学することが多く、比較的近隣に居住して親密な人間関係の基礎を築いていく傾向にあります。しかしながら高校生や大学生になると、地域外への通学や活動の場面も多くなり、そのまま就職することでネットワークは広がりますが、地域へのかかわりは少なくなる傾向にあります。 このような、子どもたちの成長過程で広がるネットワークの中に、なかでも地域に根差した生活を送る小学生・中学生の時期に、もっと積極的に地域のまちづくりや課題解決への意識や行動につながる組織をつくることができれば、中長期的な人材確保につながるのではないかと考えています。 地域へのかかわりを維持  私たちの研究室では、地域の小学校と中学校をまたいで、子どもたちによって組織された「子どもまちづくり協議会」の試験的な設置を提唱しており、ある自治体において実際に取り組みを始めています。協議会というカタい表現はあくまで組織の趣旨や活動を理解してもらうための仮称で、覚えやすく親しみやすい名称をみんなで考えればよいと考えています。 この組織の大きな目的は、小学校・中学校の子どもたちにまちづくりや地域の課題を解決してもらう当事者の一員になってもらうことです。 もちろん、子どもたちだけでは難しい場面も多いと思われますので、大学をはじめ有志のオトナも適切なサポートを行います。組織の中には複数のチームがあり、学年単位といった横割りではなく小学生・中学生の区別なく学年も超えた混成チームを編成し、自分たちで決めたテーマに取り組んだり、ほかのチームと協力することで年齢の枠を超えたつながりをつくります。 このチームは学年が上がっても、卒業しても、地域を離れても可能な限り維持に努めます。成果は議会などに提言や報告することも考えられます。 緩やかだけど強力な応援団  このようなネットワークの中の組織から、たとえ数名でも地域に残って活躍したり、Uターンしたり、地域に居住していなくても興味を持ち続けて外からの力でまちづくりや地域課題の解決を支援したり、または地域に縁がなかった人までも巻き込むきっかけになれば、緩やかではありますが強力な応援団として、けっきょくは中長期的にみると大きな効果を発揮するのではないかと考えます。 地域の活性化には中核となる人材の存在がキモですので、その人材と地域にかかわるネットワークを、いまの子どもたちの中から「育てていく」仕組みづくりも重要ではないでしょうか。 埼玉新聞「知・技の創造」(2023年11月3日号)掲載 Profile 田尻 要(たじり かなめ) 建設学科教授  九州大学 博士(工学)総合建設会社を経て国立群馬工業高等専門学校助教授、ものつくり大学准教授、2013年より現職 自治体との連携実績や委員も多数 関連リンク ・生活環境研究室研究室(田尻研究室)WEBサイト・建設学科WEBページ

  • 先輩たちへの感謝を胸に大会へ ~第18回若年者ものづくり競技大会②~

    2023年8月1日から2日にかけて静岡県で第18回若年者ものづくり競技大会が開催されました。本学では建設学科から2名(建築大工職種1名、木材加工職種1名)の学生が出場し、建築大工職種で金賞、木材加工職種で銀賞という好成績を残すことができました。今回は木材加工職種で銀賞を受賞した入江 蛍さん(建設学科1年・静岡 科学技術高等学校出身)に、大会に出場した感想を伺いました。※木材加工職種の競技は、「小いす」を製作します。原寸図の作成、ホゾ(木材を接合する部分の突起)、ダボ(部材をつなぎ合わせる小片)による接合の加工、接合部の組み立てなどを行います。 慣れない作業に苦戦する毎日 入学当初から技能五輪全国大会に出たいと思っていました。友人から若年者ものづくり競技大会には1年生から出場できる事を聞き、早速、学内の掲示板を探しました。ものづくりに興味を持ったきっかけは、手先が器用な祖父が趣味で水車や離れを作っているのを見てきたからです。その後、大工仕事を学んでみたいと思って、高校で建築大工の技能検定を受けたり、高校生ものづくりコンテストの木材加工部門に出場しました。大工や家具、左官など色々なことに興味があって、ものつくり大学に入学したので、若年者ものづくり競技大会ではどの職種に挑戦するか迷いましたが、やったことがなかった家具に挑戦したいという思いから出場しました。練習は入学してすぐに始めました。大会出場を目指している新入生5人で先輩方に教えてもらいながら、毎日毎日練習をしました。先輩方は、日付が変わるくらいの時間まで常に教えてくださったのでびっくりしました。「まだ23時だからこれからノコやろう」とか日付をまたぐこともあったりして、時間の感覚がおかしくなっていました(笑)。授業もあって大変でしたが、昼夜を問わず練習できるのは良かったなって思います。それに、高校ではいつも一人で練習していたので、予選を受ける友人たちと一緒に、先輩方の指導を受けることができ、頑張ることができる環境はありがたいと思いましたし、だからこそ成長できたのかなって思います。 先輩との練習の様子 大工と家具では木材の大きさも道具も違いますが、少しは大工の経験があるから上手くできるかと思っていました。でも、予想以上に違いがありました。最初は、木材を切るにしても縦引き横引きが真っすぐできなくて、ぴったり合いませんでした。また、家具では白柿(しらがき)という罫書き線を引くための道具を使います。大工では墨差しや差し金を使って墨付けをするので、白柿を使ったことがありませんでした。持ち方もコツが必要で、垂直に線を引くのも難しかったので持ち方から慣れる必要がありました。家具の作業は考えることがすごく多かったです。刃には、しのぎ面という斜めになっているところがあって、そこが加工する側にくるようにとか、線を引くのもどの向きにとかスコヤをどこに当てるのかなど、ただの墨付けではあるんですけど、考えながらやる必要がありました。上手くできるようになったのは5月の学内予選の頃です。予選の時に、縦引きも横引きも最初に比べて真っすぐ切れるようになりましたし、ノミでの作業も綺麗にできるようになってきました。 わずかな隙間 高校生の時は、検定を受ける時も大会に出る時も自信を持てるまでずっと練習をしていたので、あまりプレッシャーを感じることはありませんでした。だけど今回は、本番一週間前までは何回やっても標準時間内に完成できませんでした。やればやるほど課題が見つかって、上手くいかないことがどんどん増えて焦っていました。練習で最後の最後まで納得がいく作品を作れなかったので、緊張していました。それに、本当に多くの方に教えていただいたので、期待に応えたいという気持ちがあったけど不安でした。練習では、標準時間にプラス30分程度かかって完成していましたが、それでは減点になってしまいます。金賞を狙うからには、時間内に作って減点を抑えようと思って大会に臨みました。午前中は思いのほかペースが良くて予定外のところまで作業が進んでしまいました。残りの5分は何をしたらいいのかというくらい余裕が出てしまい、掃除などをしていました(笑)。今にして思えば、ここでもうちょっと考えて進めておけば良かったなと思います。午前は驚くほど調子が良かったのですが、午後になり、最後の一番大事なところを綺麗に切れなかったことを後悔しています。練習の時も上手くいかなくて改善策を見つけて挑みましたが、今一つ上手くいかず隙間がわずかにできてしまいました。仕上げの時に、やすりをかけたり、ボンドで埋めたりして隙間を少しでも埋めるために調整して何とか仕上げました。不安だった作業時間は、標準時間よりプラス10分かかりました。プラス5分ごとに1点減点されてしまうので、出来栄えと減点を秤にかけて作業を終了することを目安にしていました。 完成した課題は、1か所隙間があり納得のいくものではなかったので「金賞は難しいかな」と思いました。でも、やってきたことに後悔はないのでその時の最大限の作品は作れたと思っています。今回、銀賞を受賞することができましたが、「やっぱり金賞取りたかったなぁ」って残念な思いです。でも、作品の出来栄えからすると入賞できて、先輩方の期待に少しは応えることができてほっとしています。先輩方には本当に毎晩遅くまでたくさん教えていただいたので感謝の気持ちでいっぱいです。 やりたい事がいっぱい 色々興味はありますが、建築士になりたいという目標があります。設計する上で、大工や左官のことも分かっていたほうが良いと思うので、まずは、1年生2年生のうちに左官や設計、資格取得など色々なことを経験したいと思います。実習が豊富だから仕上げや木造の実習も頑張りたいです。もうすぐインターンシップ先を決める時期ですが、どの分野に行くかすごく迷っています。本当は、これと決めた分野を究めていったほうがいいとは思っているんですけど、やっぱり色々なことに挑戦して経験を積んでいきたいです。 関連リンク ・練習で磨いた100%の技術を ~第18回若年者ものづくり競技大会①~・若年者ものづくり競技大会 大会後インタビュー・若年者ものづくり競技大会実績WEBページ・建設学科WEBページ

投稿ナビゲーション

  • 【知・技の創造】新しい機械加工の学び方

    5軸制御マシニングセンタの導入 昨年末、本学情報メカトロニクス学科に5軸制御マシニングセンタが、機械加工関連の実習用の機器として導入されました。5軸制御マシニングセンタとは、従来からある汎用の旋盤やフライス盤といった複数の工作機械の機能を1台に統合し、高度なIT技術で自動化された最新鋭のNC工作機械です。 類似のものに複合加工機がありますが、これらの出現により、これまでの工作機械では加工できなかった複雑な形状の製品が、容易に加工できるようになりました。今回、伝統的な技能と最新の技術を合わせ持つテクノロジストを育成する本学では、新しいモノの作り方を理解するために、5軸制御マシニングセンタは不可欠な要素であるという判断のもとでの導入となりました。 5軸制御マシニングセンタ 国内機械加工業界の現場では… 5軸制御マシニングセンタや複合加工機(以下、二つをまとめて5軸加工機)により、機械加工の現場は、さらなる自動化や省人化が可能になります。その優位性についての理解が進む欧州では、順調に販売実績を伸ばしていますが、日本国内では少々伸び悩んでいるのが実態です。 工作機械メーカーによる実機の貸し出しや、加工実績の紹介など、様々なキャンペーンが実施されてはいますが、国内機械加工業界全体に広がりを見せているとは、まだまだ言えません。これは高額な設備投資と、これらの新しい機械を使いこなすスキルを持つ人材が、圧倒的に不足していることが理由として挙げられます。 しかし、少子高齢化の影響による労働人口の減少は明らかで、すでに待ったなしの状況です。これに対応していくには、工程の自動化と省人化が絶対条件で、投資額や人材確保の問題を上回るものとなります。その答えのひとつとして、5軸加工機の導入があります。また、5軸加工機を用いての製造を前提とした製品や部品の設計がなされていないことも大きな要因と言えます。 これには、古くから国内産業の基盤を担ってきた、安定した生産体制を敷くためのノウハウの踏襲や、5軸加工機の強みを積極的に取り入れるなどといった、設計部門の十分な理解が得られていないことが考えられます。 教育現場の対応とこれから 一方で、我々のような教育機関での教育実績が少ないことも課題となっています。特に5軸加工機は、機械本体だけでなく、その周辺機器や加工プログラムを作成するアプリケーションは、高価なものが多く、これらを複数用意する必要があるため、費用面でも教育カリキュラムに組み込むことを困難にしています。 企業から学生へ5軸加工機のレクチャーを行う様子 そして何よりも、指導する教員のスキルアップも重要です。しかし、5軸加工機の販売実績が好調な欧州を中心とした海外では、これらの工作機械は機械加工の初学者が扱い、従来のものは、高度な技術や技能を持つ熟練者が扱うべきものという考え方があります。つまり、高度なIT技術により自動化された最新の工作機械は、誰でも扱いやすいので初学者向きであるということです。 この考え方には賛否両論あると思いますが、生まれた時からIT技術が身近にある若年層は、これまでのような汎用の工作機械からではなく、自動化が進んだ最新のものから学び始めるというのは、これからの機械加工の学び方に、我が国でもなるのかもしれません。 埼玉新聞「知・技の創造」(2024年4月5日号)掲載 profile 武雄 靖(たけお やすし)情報メカトロニクス学科教授 東京農工大学大学院工学府機械システム工学専攻(博士後期課程)修了。博士(工学)、MOT(技術経営修士)。専門は機械加工学、技術経営、技能伝承など。 関連リンク ・機械加工・技能伝承研究室(武雄研究室)・情報メカトロニクス学科WEBページ

  • 【埼玉学⑤】「食」のアミューズメント・パーク サイボク

    「埼玉学」とは、埼玉県の歴史・文化・産業・地理・自然など、埼玉県に関するあらゆる分野を総合的に研究・探究する学問です。教養教育センターの井坂康志教授が新しい研究テーマとして連載を始めました。 埼玉学第5回は、埼玉県日高市にある「サイボク」が埼玉に作れられた歴史と背景、そして現在に至るまでの挑戦について触れていきます。 サイボク創立者の夢 埼玉県日高市に位置するサイボクは、食のアミューズメント・パークと呼ぶにふさわしい。その広大な敷地は、東京ドーム2.5個分に相当し、自家製の精肉やハム、ソーセージの直売店、レストラン、地元野菜や花きの販売所、そして天然温泉「花鳥風月」まで備えている。年間約400万人もの人々が訪れ、埼玉のみならず、関東一円にファンを持っている。たいていのガイドブックにもその名は記載されている。そんなサイボクには日本の戦後復興とともに歩んできた歴史が背景にある。 愛らしいマスコットキャラたちもお出迎え。 1946年、埼玉県入間郡高萩村(現在の日高市)にて「埼玉種畜牧場」が開設された。この牧場で、原種豚の育種改良が行われ、美味で安心な豚肉生産の基盤が築かれた。当時、国内には養豚学科を有する大学や農業高校がなく、創業者・笹﨑龍雄は、獅子奮迅の努力によってこの地に牧場を開いた。そんな笹﨑龍雄は、1916年、長野県の農家の8人兄妹の次男として生まれている。幼い頃から牛・馬・豚等の家畜に囲まれて育ち、中でも豚の飼育係を担当した笹﨑は、その魅力に夢中になり、いつしか「獣医」を志すようになる。しかし、8人兄妹を賄う家計は決して豊かでなく、一念発起して超難関の陸軍依託学生として東京帝国大学農学部実科(現・東京農工大学)を受験し合格する。卒業した1941年、日米開戦と同時に陸軍の獣医部将校として旧満州とフィリピンの戦地に派遣された。1945年日本が敗戦を迎えると、物資不足と食糧難を目の当たりにした笹﨑は、「食」で日本の復興に寄与しようとした。笹﨑の夢と情熱がサイボクを築き上げた。 自慢のソーセージ。 店舗の様子。 なぜ埼玉か 長野県生まれの笹﨑龍雄はなぜ埼玉に目を付けたのか。理由はいくつか考えられるが、一つ挙げるなら、埼玉の農業と深い関係がある。埼玉は何よりさつまいもと麦の生産地であった。埼玉においては、さつまいもは「主食」と言ってよかった。その地下で育つさつまいもは人間の飢えを満たし、地上で育つ葉や茎は、豚にとって良好な飼料となった。食の中心であった麦は、明治から昭和30年代中頃にかけて4種の麦を中心に生産されていた。戦前には小麦、六条大麦、二条大麦、はだか麦を合わせた4麦の生産が全国一を占めていた時期もあったが、それもまた養豚にとって恵まれた飼料の補給を可能にした。その歴史的背景を遡れば、「麦翁(ばくおう)」と呼ばれた権田愛三の存在が浮かび上がってくる。1850年に埼玉県北部の東別府村(現在の熊谷市)に生まれた権田は、一生を農業の改良に捧げた。中でも麦の栽培方法に関して功績を残し、麦の収量を4~5倍も増加させる多収栽培方法を開発したとされている。後にはその集大成ともいえる「実験麦作栽培改良法」を無償で配布、県内はもとより日本全国への技術普及に尽力した食のイノベーターだった。このような豊かな農業生産地・埼玉の「地の利」を背景に、笹﨑は養豚のイノベーションに着手していった。1931年に開通した八高線によって、豚や飼料等の運搬が容易になったこともそこに加えられるべきだろう。 埼玉の精神にふれる サイボクは現状に甘んずることなく、新しい挑戦を追求してきた。1975年には、日高牧場内に日本初の養豚家が直接販売するミートショップが開店し、その後も施設の拡大や改善が続けられた。1997年にはオランダで開催された「国際ハム・ソーセージ競技会」に初出品し、多くの賞を受賞した。さらに、2002年、周囲の猛反対を押し切り温泉堀削を試み、驚くほどの量の良質な温泉を発見した。それをきっかけに、温泉施設の建設が始まり、21世紀型の「食と健康の理想郷」をめざす施設として整備された。 今回話を聞かせてくださった現会長・笹﨑静雄氏と。 サイボクのレストランの裏手には、広大な緑の芝生と森が広がる「サイボクの森」がある。「緑の空間と空気は人々の心を癒すもとになる」「一日30~60分の日光浴は骨を丈夫にする」「子どもの近眼の主因である、屋外での遊びの欠如と日光浴不足を解消するためのこのようなアスレチック施設や、大人のための散策路やくつろぎのスペースを準備しよう」。サイボクの森は、女性スタッフ中心の発想で実現した。三世代の家族が遊べる空間として計画され、コロナ後はとりわけ得がたい憩いの場になっている。現会長・笹﨑静雄氏は、父・龍雄の存命時、豚が不調に見舞われた時の対処のし方を聞きに行くと、そのたびに「豚は何て言っていたんだ」と問い返されたと言う。「わかりません」と答えると、「豚舎に寝ないとわからないだろうな」と言われたと振り返っている。現在のサイボクの活動はすべて豚とお客さんが教えてくれたことを愚直に実践してきた結果と笹﨑氏は語る。現在のサイボクの歴史は、対話の歴史だった。客と対話し、自然と対話し、地域住民と対話し、何より豚と対話する。相手の言うことに耳を傾け、次に何が求められるかを模索する。これは郷土の偉人・渋澤栄一が事業を始めるときにこだわった方法でもある。サイボクは食のアミューズメント・パークにとどまらず、埼玉の「埼玉らしさ」にふれられるイノベーションの宝庫である。ぜひ一度訪れ、味わい、体感してみてください。 Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学教養教育センター教授 1972年、埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、社会情報学。 関連リンク ・【埼玉学①】行田-古代のリズムは今も息づく・【埼玉学②】吉見百穴-異界への入口・【埼玉学③】秩父-巡礼の道・【埼玉学④】『翔んで埼玉-琵琶湖より愛をこめて』を公開当日に観に行くということ・教養教育センターWEBページ

  • 【大学院生による研究紹介】途上国の災害における居住空間の変化に関する研究

    2018年9月28日にインドネシア・スラウェシ島で発生したマグニチュード7.5の地震により、近傍の都市は死者・行方不明者4,547人、家屋損壊100,405という甚大な被害を受けました。浦上龍兵さん(大学院2年・今井研究室)は、復興が進むインドネシア中部スラウェシ州に赴き、災害復興住宅の住環境の分析を行いました。 研究のきっかけ 私が所属している研究室の今井教授は、海外の被災地の復興について研究や実験を行っています。学部生の頃に、今井教授からインドネシア・スラウェシ島地震の被害状況を教えていただき、復興の仕方についてお話を聞くことが度々ありました。今井教授のお話を聞くうちに災害復興について興味を持ち、研究したいと思い大学院への進学を決めました。当初、大地震が発生した2018年にインドネシアでの調査を実施する予定でしたが、新型コロナウイルスの影響で延期になり、2022年に実現することになりました。今井教授に本学と千葉大学の合同調査メンバーに選んでいただいて、私がメインで被災地の住環境について調査を行い、論文を発表することになりました。 現地での調査 インドネシアには、2022年9月に10日間行きました。地震の発生から2年が経った現地は、被害が大きかった村でもNGOの活動により復興住宅の建築が進んでいました。しかし、沿岸部は津波によって地盤沈下が起こり集団移転している村もあり、そういったところはまだ瓦礫が散乱していました。私たちは、NGOの方に被害の大きかった村を6か所案内していただいて、その中からランダムに住民を選んでもらい、その住民のご自宅でアンケート調査を行いながら、並行して復興住宅の実測調査を行いました。現地の方たちは明るい人が多くて気さくに話しかけられることが度々ありました。コミュニケーションを取るために翻訳アプリを使っていましたが、見ず知らずの日本人に対して、「この村にヒーローが来た」と言ってくれました。私たちが何か変えられるわけではありませんが期待していただいて、住宅に入る時もウェルカムな対応をしていただきました。 調査に協力いただいた家族と(前列左が浦上さん) 住民の方たちのアンケート調査では、復興住宅の満足度を質問したのですが、「良い環境に住ませてもらっている」という回答が多く、復興は順調に進んでいるという印象を受けました。住環境に関するアンケートは各項目を地震前、避難期間中、復興住宅の3つのフェーズに分けて質問しています。アンケートの内容は、それぞれの時期の家族構成や、誰が住宅を建てたか、水回りの変化、地震前と復興住宅の家の広さ、住宅の満足度など基本的には生活に関することを聞いています。 アンケート調査の様子 復興住宅というと、日本ではプレハブ住宅のような一時的な避難先という印象がありますが、インドネシアでは永住することを前提とした家を建てています。インドネシアは、「ノンエンジニアド住宅」と呼ばれる専門的な知識を持たない人が施工した住宅が多くあります。ノンエンジニアド住宅が地震で崩れることにより被害が大きくなることが問題視されていました。そのため、NGOの方が「コアハウス」という頑丈な家を建てることで、また大地震が発生しても被害を抑えることができます。この復興住宅は建築当初は、リビングや寝室などの最低限の住居スペースしか確保されていません。他に必要なキッチンやトイレなどのスペースは住民が各自で増築を行います。せっかく頑丈な家を建てたのに、ノンエンジニアドが増築したらまた災害時に被害が大きくなってしまうのではないかと思うかもしれません。しかし、復興住宅は被災者に最低限の身を守れる場所を提供することが目的で、増築されることが前提の住宅です。支援金には限りがあるので最低限の耐久性がある住宅を提供しています。復興住宅は、3人家族であっても10人家族であっても同じ広さの住居が提供されます。そのため、実測調査は家族構成によってどの程度の面積を増築したか、どういう用途のスペースを増築したのか明らかにすることを目的に行いました。 復興住宅が立ち並ぶ村の様子 調査結果からの提案 今回の研究は、住宅の耐震性ではなく、住民の生活水準や満足度を調査するものです。アンケートを行った住民からの意見をまとめ、安心感や快適さ、住宅の満足度を明らかにしようと思いました。アンケートの結果から、現在の生活が地震前よりも安心や安全を感じているということが分かりました。地震前の住宅はインフラが整っていなくで川に洗濯に行っていたのが、復興と同時にインフラの整備が進み、水道や電気が使えるようになり生活水準が地震前より上がっている影響も考えられます。調査をした村の中で特に満足度が低い村がありました。その村は復興が進んでいますが、被害が大きかった他の村から多くの人が転入してきていました。その影響で元々の住民たちの安心感や安全に関する項目が大きく低下していました。原因は、他の村にはある「コミュニティスペース」という村の人たちの交流の場になる施設が無く、転入者とのコミュニケーションが取れていないことだと考察しました。村が集団移転して3年経ってもコミュニティスペースが無いということは、これから建設される可能性は低い。そこで私は、村の土地性に合ったにコミュニティスペースを建設して住民の不安を取り除くことを提案しようと思いました。コミュニティスペースは、復興住宅のスケールを考慮します。正面5メートル、奥行き6メートルの空間を中心に置き、周りに用途を付け足していきます。中心部は、屋根はかかっていますが基本的に屋外で、開放的なスペースで住民同士がコミュニケーションを行うことを想定しています。 他の村のコミュニティでの一幕 コミュニティの設計は、復興のシンボルになっている「大きなクロス型」をコンセプトにしています。復興住宅の壁には大きなクロス型があしらわれているのですが、このデザインについて37%の人が満足していたからです。復興住宅は、ジャケッティング構法と呼ばれている組積造というレンガブロックを積み上げて壁を作っています。これはインドネシアの伝統的な構法ですが、耐震性が低く地震の時に崩れてしまうため壁にワイヤーメッシュを貼り、その上からモルタルで仕上げています。その金属のメッシュがクロスの形をして浮き出ています。その壁を住民たちが好きな色に塗って仕上げています。 玄関横の大きなクロスは復興のシンボルになっている。 私の設計は、あくまで修士論文の範囲で行うものでインドネシアの村に必ず建設されるというものではありません。2024年に行われる WCEE(世界地震工学会議)にて今井教授に発表していただく予定です。今後、後輩が研究を引き継いで、いつか村にコミュニティスペースが建設されることを願っています。 関連リンク ・建設学科 建築技術デザイン研究室(今井研究室)・ものつくり学研究科WEBページ

  • 【知・技の創造】インフラ構造物更新技術

    近年は公共構造物の更新や補修補強時代のニーズに即した研究開発を行っています。橋梁(きょうりょう)等のインフラ構造物は、その約半数が建設後50年以上を経過し老朽化しています。これらの構造物をいかに再生させるか、あるいは更新させるかが喫緊の課題です。 本学には、画像の3000kNの万能試験機があり、これを使って新材料や新技術を用いた補修・補強や更新に必要な工法の共同研究をしています。 万能試験機 鋼部材の補修・補強 橋梁等の鋼部材の腐食劣化部や耐震耐荷力不足等の部位に炭素繊維強化ポリマー(以下、CFRP)で補強する技術開発をNEXCO総合技術研究所や材料メーカーと共同研究をしています。この技術はCFRPシートを含浸接着して必要枚数積層するものですが、鋼材とCFRPシートの間に高伸度弾性パテ材を挿入する世界的にも新しい技術です。最近では、CFRP成形部材を使えるように工夫しています。これらの技術は鋼桁橋、トラス橋、鋼床版橋に適用されてきていますが、今後、煙突、タンク、水圧鉄管等に用途拡大が期待できます。 FRP歩道橋 浦添大公園歩道橋(沖縄県浦添市) 塩害地域の対策で注目されているFRPを用いた歩道橋が注目されています。2019年に真空含浸法により製作したGFRP積層成形材を、集成接着した箱桁歩道橋が沖縄県浦添市に建設されました。本橋は橋長18.5mです。今後、さらなる支間長増大に対応すべく、現場接合構造の研究を行いました。また、木製歩道橋をFRPで補強する工法についても、県内自治体と共同で今後事業展開を図ります。 弾性合成桁 古くから施工されている橋梁の多くは、鋼桁の上に鉄筋コンクリート床版を固定した構造形式です。近年、NEXCOをはじめ関係各所で大規模更新事業として劣化した床版の取替えを行っています。この更新後において、床版と鋼桁を完全固定と考える合成桁設計法と、両者を重ねただけの非合成設計法がありますが、その中間的な考えである弾性合成桁の研究を行っています。この設計法を用いれば、合成桁の利点を取り入れつつ、両者の接合方法を合理化することができ、品質の良いプレキャスト床版の採用が容易になります。画像は本学で実施した弾性合成桁の載荷実験の様子です。 弾性合成桁の載荷実験の様子 まとめ 大規模更新時代を迎え、上述の新材料や新技術を用いた工法で、インフラ構造物の安全・安心に繋がる研究開発を続けています。また、埼玉橋梁メンテナンス研究会の活動にも参加し、埼玉大学、埼玉県、国土交通省大宮国道事務所、ならびに埼玉建設コンサルタント技術研修協会の方々と連携して、このような新技術の紹介を行っています。 埼玉新聞「知・技の創造」(2024年3月8日号)掲載 profile 大垣 賀津雄(おおがき かづお)建設学科教授 大阪市立大学前期博士課程修了。博士(工学)。技術士(建設部門、総合技術監理部門)。川崎重工業を経て、2015年よりものつくり大学教授。専門分野は橋梁、鋼構造、複合構造、維持管理。 関連リンク ・橋梁・構造研究室(大垣研究室)・建設学科WEBページ

  • 偶然を必然に ~6年間の集大成は自宅兼カフェの自主設計で行田まちなかの活性化に~

    行田市内に自宅兼店舗のカフェを自ら設計し、行田まちなか再生エリアプラットフォームに携わっている栗原里奈さん(大学院2年・今井研究室)。修士論文のテーマは「行田まちなか未来ビジョン策定に向けた中心市街地活性化に関する研究-あるくステーションの設計提案を通して-」。ものつくり大学での学生生活の中で、偶然を確かな自身のスキルアップにつなげている栗原さんに6年間の歩みをインタビューしました。 実習の多さと充実した設備が進学の決め手に 大学の進路選択に悩んでいる時、たまたま見たテレビ番組で、ものつくり大学のことが紹介されていました。ものづくりが好きでペーパークラフトや料理など何でも作っていたので、実習が多い大学だと知り興味を持ちました。福岡県出身ですが、実際大学を見学したいと思ったので、オープンキャンパスに参加しました。「ものつくり大学はとても設備が充実していて、今まで見学してきた他の大学とは違う」という印象を受けました。 ただ、福岡から埼玉県行田市までの距離があまりに遠かったので「行田に来ることは一生ない」と正直その時は思いました。しかし、福岡に戻りよく考え、他大学とも比較した結果、ものつくり大学一本に絞ることを決め、指定校推薦で進学しました。 自分の設計でコンクリートの家のオブジェが 自分で想像したものを自由に設計してみるのが好きだったので、2年生では、建設学科の建築デザインコースに進みました。コンクリートのオブジェをつくる授業があり、私が設計したものがチームの中で選ばれました。コンクリートのように机上に収まらないものを作れるのは本学だからこそ可能なことだと思います。実際、自分の設計による家の形をしたオブジェが完成した時はとても嬉しかったです。 インターンシップでは将来は住宅等の設計がやりたかったので、設計事務所に行くことを決めていました。事務所選びに迷いましたが、小さい事務所の雰囲気を味わいたいと思い、3人で運営している川口市の事務所にお世話になりました。実務につながるさまざまなことを学ぶことができ「建物の中でも住宅を設計したい」という思いがさらに強くなりました。 コロナ禍でリアルな先輩の卒業制作に携わることに 3年生(2020年)の頃はコロナ禍で、福岡の実家でオンライン授業を2、3カ月受けていました。今井研究室に所属しましたが、キャンパスに戻ると同研究室の先輩が卒業研究として熊谷まちなか再生エリアプラットフォームに関わり、熊谷まちなか再生未来ビジョン策定に向けたプロジェクトを行っていることを知りました。地域の課題解決に向けた取り組みである国土交通省のプロジェクトの一環で、官民学連携のまちなか再生推進事業として、ものつくり大学も立正大学、千葉大学などに加わり、熊谷市、地元企業、団体と一緒にコロナ禍でも定例会を行っているとのことでした。オンライン授業で福岡にいた私はリアルに活動している先輩の姿を目の当たりにし、温度差を感じました。今井先生からプロジェクトの協力に誘われたのを機に「全然分からないけど、何でもやってみよう」と思い、友人と一緒に携わることにしました。 卒論と同時進行で挑んだプロジェクト 4年次の進路選択は、兄が大学院に進んでいたり、熊谷のプロジェクトにも関わり続けたりしたかったので大学院進学を決めました。早い段階で進学が決まっていたこともあり、修士論文を書く勉強にもなると考え、卒業論文に挑戦しました。ル・コルビュジエによるロンシャンの礼拝堂を研究のテーマにして「窓から入る光が内部にどう影響を与えるか」といった問いを立て、夏と冬の太陽の角度の違いについて論じました。建物の窓の位置が及ぼす影響や論文の書き方を学ぶことで、大学院に進む準備ができました。 卒業論文と同時並行して熊谷でのプロジェクトに協力していました。アットホームな雰囲気で学生の意見を尊重してくれる環境で「何でも1回言ってみる」というスタンスが次第に育ち、いろいろ挑戦ができました。実際、星川沿いで行われる星川夜市に参加し、星川きらきらプロジェクトを実施し、光るカプセルなどを星川に浮かべるイベントをしたり、YATAIプロジェクトを実施し、折りたたんでコンパクトに移動できる屋台製作や活用をしたりしました。 星川夜市に参加する栗原さん(左) 熊谷まちなか再生エリアプラットフォームには大学3年生から大学院1年生(2020年度~2022年度)の3年間関わり、アイデアや意見を形にする経験ができました。 プロジェクトの成果物を発表した栗原さん(右から2人目) 行田まちなか再生プロジェクトに自身の経験を活かしたい 熊谷でのプロジェクト終了後、千葉大学や他の方から「行田市は歴史や文化、自然など豊富な資源を活用して、今抱える地域課題を解決できるのでは」という提案があり、行田まちなか再生エリアプラットフォームが立ち上がりました。ものつくり大学や商工団体、NPO法人などが中心に官民学連携で協力して、キックオフミーティングが2023年3月に行われ、2023年4月にスタートしました。私も「行田は観光名所があったり、テレビドラマの舞台になったり魅力的な街だ」と感じていたのと、「熊谷のプロジェクトに関わってきた経験を活かせるのでは」と参加することにしました。行田市は足袋産業がかつて盛んだったこともあり、「足袋」と「旅」を掛けて「たび・あるくが楽しい街、住む人々の豊かな暮らしの実現」を目指し、行田まちなか未来ビジョン策定に向けて動き出しました。 行田まちなか再生エリアプラットフォームのミーティング 行田の商店街に自宅兼店舗のカフェを自主設計することに 実は、キックオフミーティングと同時期、行田市内に自宅を建てることが決まっていました。私は大学進学に伴い、福岡から埼玉に来ましたが、兄の結婚を機に2年前、両親も埼玉に移住し、現在一緒に上尾の借家に住んでいます。父には以前から「カフェをやりたい」という夢があり、たまたま行田市の商店街にちょうどいい物件があったため、土地を購入し、自宅兼店舗のカフェを建てることになりました。大学進学をきっかけに埼玉に来て、行田市の大学で学んできたのですが、まさか自分がこの地に住むことになるとは想像もしていませんでした。 今井先生に経緯を話すと「自宅兼店舗のカフェを自主設計してみては」と勧められました。ものづくりが好きで、様々な実習を設備の充実した大学で行い、インターンシップも設計事務所に行き、設計の面白さや楽しさを経験してきた大学生活でもありました。行田まちなか未来ビジョン策定にも関わることになったので、「行田まちなか」にカフェを自主設計することで中心市街地活性化につなげたいと考えました。そして、本学での6年間の学びの集大成として「行田まちなか未来ビジョン策定に向けた中心市街地活性化に関する研究-あるくステーションの設計提案を通して-」を修士論文の研究テーマにすることにしました。 自宅兼店舗のカフェを自主設計する過程で直面した課題とやりがい 自宅兼店舗のカフェの設計を私が自らすることを両親に伝えると、特に父はとても喜んでくれました。自主設計に際し、今井先生の知り合いの工務店が施工を請け負ってくださることになりました。2023年3月から設計の案を考えたのですが、行田市は蔵の街でもあるので「蔵の街並みに合う、まちなかの交流の場としてのカフェの設計」をコンセプトに決めました。現代風の蔵の外観にし、周囲の景観に馴染むような設計にしました。 自宅兼店舗の立面図 先ず直面した課題は限られた予算や坪数の中で、いかに両親の希望に沿った建築設計にするかということでした。2階建ての建物の1階はカフェの店舗に、2階は自宅にといった構想の下、様々な案を練りました。なかなか前に進めない時は今井先生からアドバイスをいただいたことで新たな視点を入れて設計に取り組むことができました、5カ月間構想を練り、繰り返し設計図を書き直し、2023年の夏頃に設計図が完成しました。自主設計したものが実際の建物になっていくのを目にし、達成感を感じています。両親の思いを大切にして自宅兼店舗のカフェを自主設計するやりがいや喜びを体感できたのは、本学での学びや実践があったからこそ叶ったことです。 建築中の店舗兼自宅 行田まちなか未来ビジョン策定に向けた研究を活かしたい 2023年3月から関わっている行田まちなか未来ビジョン策定に向けての行田まちなか再生エリアプラットフォーム。2023年4月から毎月1回まちづくりミュージアムにて定例会を開催したり、講師の先生をお呼びし「行田まちなか再生エリアプラットフォーム・フォーラム」を現時点で3回開催したりして、率先して運営に関わっていますが、なかなか学生の意見が反映されないもどかしさを抱えています。まだ構築段階にあり、1年目なので難しさを感じるのは当然ともいえます。定例会で参加者の発言を記録したり、フォーラム開催時にはアンケートも取ってまとめたりしているのですが、時間がかかり根気もいります。しかし、こういった地道な活動を通し、参加者の声を聞くことで、様々な課題が見えて情報共有もできます。実際少しずつプラットフォームの構築に関わる団体や個人も増えていて、これからが正念場と感じています。 行田市について、正直まだ知らないことが多く、明確にイメージが湧いていないのが実感としてあります。1年間関わってきた中だけでは分からない魅力があるとも思います。修士論文では「行田まちなか未来ビジョン策定に向けた中心市街地活性化に関する研究-あるくステーションの設計提案を通して-」を研究してきたので、「あるくステーションの設計提案」を通して中心市街地活性化につなげられるように今後もものつくり大学の卒業生としてプロジェクトに関わりたいです。 卒業後は都内の内装系の会社に就職し、店舗の設計から施工の仕事に携わることになりますが、地元になる「行田まちなか」の父のカフェに市内外から歩いて来てくださる人たちとの交流を深められたら嬉しいです。 関連リンク ・建設学科 建築技術デザイン研究室(今井研究室) ・ものつくり学研究科WEBページ

  • 第2回教養教育センター特別講演会③~役に立つ教養はどのようにして活性化するか~

    2023年11月9日に渋谷スクランブルスクエア SHIBUYA QWSで開催した、第2回教養教育センター特別講演会「教養としてのクリエィティブ」の内容を全3回にわたりお届けします。第3回は、「役に立つ教養はどのようにして活性化するか」をテーマに、ものつくり大学図書館・メディア情報センター長の井坂康志教授がモデレーターを務め、パネリストに山本ミッシェール氏、ものつくり大学教養教育センター長の澤本武博教授、ものつくり大学情報メカトロニクス学科の町田由徳准教授を迎えたパネルディスカッションの様子です。【第2回教養教育センター特別講演会 開催概要】日時:2023年11月9日(木)13:30~17:10場所:渋谷スクランブルスクエア SHIBUYA QWSプログラム[第1部 特別講演会]・基調講演「教養としてのクリエイティブ」 小泉英明氏(株式会社日立製作所 名誉フェロー)・鼎談「脳科学、言葉、手-「使える教養」はどう育つか」 小泉英明氏 山本ミッシェール氏(キャスター/ジャーナリスト/レポーター/MC/講師) 荒木邦成(ものつくり大学 ものつくり研究情報センター長)[第2部 パネルディスカッション]モデレーター 井坂康志(ものつくり大学 図書館・メディア情報センター長)パネリスト 山本ミッシェール氏      澤本武博(ものつくり大学 教養教育センター長)      町田由徳(ものつくり大学 情報メカトロニクス学科准教授) インスピレーションの源 【井坂】会場のご意見も聞きながら、自由闊達に進めていきたいと思います。【町田】私の教養の定義としましては、「すぐには役に立たないかもしれないけれども、インスピレーションの源になる引き出し」という考え方で扱っています。本学の学生は物を作っている。そのとき燃料を機関車にくべていくように、教養が創造のエネルギーになってくるようにしたい。すぐに役立つかどうかわからない。けれども、そこからインスピレーションにつなげてもらえたらと思っています。【山本】教養があればあるほど、いろんな国、立場、人とコミュニケーションできるツールになると思います。自分を内省する教養がないと、結局、深掘りはできていかないからです。私が学んだ言語は8つあります。ほぼ使えなくなってしまった言語ももちろんありますが、それもきっといつか何かの役に立つのではないかと想像しています。海外で生活をしている中、いつも父に言われていたのが、「出会った人にとっては、初めての日本人になるかもしれない。私を通して、日本とはこういう国だ、日本人とはこういう人だと判断する可能性がある。そのためにも、言葉はもちろんだけれども、文化をしっかりと学んでおくこと、かつ、それを伝えられるだけの語学力は最初に身につけなさい」ということです。我が家の家訓のようなものでした。 私は教養が人生を豊かにすると思っています。知らないより知っているほうがいろいろなことに興味を持ちやすい。 【澤本】私は教養が人生を豊かにすると思っています。知らないより知っているほうがいろいろなことに興味を持ちやすい。旅行に行っても、ただ景色がきれいというのみでなく、土地の文化や歴史を知っていると、さらに深まって楽しみが増していきます。私はワインが好きなのですが、国や地域のぶどうの産地についても知ることでさらに楽しくなってきます。また学生に興味を持ってもらいたいとき、私は講義の中で、失敗談をするようにしています。このほうが学生には受けるようです。教養の根底には体験の持つ力があると思います。 【井坂】小泉先生のお話をお伺いしていて感じたのは、圧倒的な余裕です。今日のテーマの「教養としてのクリエイティブ」とは、まさしく小泉先生の姿勢といいますか、そこにおられるだけで感じ取れる。私の率直な所感です。 現場の思いを背負って 【町田】以前、子供の遊び空間の研究をしていたことがあります。その際、保育者とか幼稚園教諭の方にインタビューをしたことがありました。幼児期の体験が重要だということは保育者の方たちはみんな知っているが、現実的にできなくなってきている。屋外活動でのリスクが高いので、事故があったときには、責任を追及されてしまう。特に公立の園の保育者の方は一切外遊びはさせられない、そういう環境が今保育の現場では起こっている。そういったところで、壊していく体験だったり、失敗してしまう体験だったりが子供のときになかなか体験できないというのが今の幼児に多いと思います。【山本】アナウンサーという仕事をしていると、みんなが何か月もかけてやってきた仕事の集大成を最後に担うことになります。彼らの思いを背負って投影しないといけないミッションを私が担っている。そこで思いを台なしにしかねないときに、これをこのまま続けていったら、多大なる迷惑がかかる、ここからどう挽回すればいいのか。いろんなオプションを考えながら、最善でどうやってリカバリーができるか、そして最終的に、小さな失敗の芽をどうやってみんなに忘れてもらえるか、どうやって感動を最後に持ってこられるかを考えます。 どうやって感動を最後に持ってこられるかを考えます。 人間はパーフェクトではないので、転びながらだけれども、なるべく大けがをしないように、いろんな種類の受け身の技を学んでおく。あと、諸先輩たちも常に現場にいるので、先輩たちの姿は必ずいつも研究しています。 現場ともコミュニケーションを取るようにしています。上司よりも仲がいい現場の人たちとコミュニケーションを取って、彼らが出したいものがわかっていれば、自分がつまずいても、最終的にはそこにたどり着けるなと思っています。 論理的、言語的に伝える 感覚的ではなく、あくまで論理的に言語的に伝えることが必要。 【町田】ものつくり大学の中では、デザイン思考の授業を担当しています。学生には具体的なうまくできたポイントを指摘してあげることが大事と思っています。物を作るのは得意だけれども、アーティスティックなものに対して、拒否感がある学生は少なくない。アートがあまり好きではない学生とは、何がいいのかわからない。対してエンジニアリングは、比較的数値的にはっきりしている。アーティスティックな考え方でうまくいった方に対して、具体的に言語化して伝えてあげると、エンジニアリング・ベースでもわかりやすい。感覚的ではなく、あくまで論理的に言語的に伝えことがアーティスティックな教育では必要かと思う。 【澤本】私はコンクリート工学が専門です。創作実習を見学しましたが、学生が物を作るときには、ただ、考えるだけではなく、実際に自分の手で作る。本学では、女子学生も活発に勉強しています。創作実習も女子学生が多い。女子学生が率先してろくろを回し、いろんな色の廃材を切って組み立てたりしています。その有効利用性も学んだり、プレゼンも上手です。 実物を見る-大塚三紀子 【井坂】一わたりお話しいただきましたところで、1度会場に伺いたいと思います。自然食レストラン・実身美(さんみ)の経営者で、ものつくり大学非常勤講師の大塚三紀子さんが今日いらっしゃっています。 アートとサイエンスの行ったり来たりが教養において大事なのではないか。 【大塚】今日はたくさんの学びがあり過ぎて、感動しています。小泉先生のお話から、構想したり、デザインしたり、最初に何かを生み出すイメージとは、見たことがあるものでないとつくりにくい部分があると思う。そのためたくさんいいものに触れることがヒントになるのではないかと思いました。 実際、美術の世界も、最初は模写から入る。ピカソの作品を模写してみると、技法をそこで学ぶと感覚とスキルの両方が身につくのではないか。そのように何か物を作ったり、生み出していくときには、何か実物を見て、ロールモデルであったり、研究して、どういうふうにできているんだろうと学んだり、実際、ある機械を分解してみて、どういうふうになっているんだろうと再現してみたりして、そこから技術を学ぶ。その成り立ちを分解してみると、技術だったり、数値にできたり、アートとサイエンスの行ったり来たりが教養において大事なのではないかと今日は感じました。【井坂】私は専門はドラッカーのマネジメントですが、彼は学生に対してドラッカーは、「まず社会に出ろ」と言っていた。本を読み、考えても、社会の風圧にさらされない限りわからない情報が存在している。マネジメントは、書物の上だけのものではないのです。 本を読み、考えても、社会の風圧にさらされない限りわからない情報が存在している。 私はこれを「実弾を撃つ」と表現しています。世の中に出ると、1発実弾を撃つと、100発返ってきます。自分なりに体験して初めてわかってくるものがある。その意味では、そんな簡単にわからないでほしいという部分も正直あります。まず、社会に出て、様々な矛盾や葛藤の中で、少しずつ前進してほしい。そのための素地が多分教養の1つの意味なのだろうと思いました。続きまして、今日、一般参加者として来てくださっている東洋大学文学部の竹内美紀先生にお話を伺いたいと思います。 お母さんの表情に学ぶ-竹内美紀 【竹内】文学部国際文化コミュニケーション学科で、絵本とか児童文学、翻訳言語学、第2言語習得などを専門にしています。文学系で、最近、認知科学を入れた研究が進んでいる。コグニティブです。つまり、今までこういう本を読んだら子供が喜んだという入出力はあるけれども、間はブラックボックスだった。どういう脳の動きとか心理発達をしているから、こういう反応をするのかというのを、脳科学とか人間発達や心理学の知見を入れることによって、子供たちの反応を科学的に言語として証明することが、ここ20、30年研究されてきている。 子育て体験と、脳科学研究をクロスさせて、実社会に戻していきたい。 私は子育ての経験から児童文学の研究に入ったので、今日のお話で面白かったのが、コンピュータと脳は違って、環境応答型というところだった。思い出したのが、長男が2歳のとき、どじょうのつかみ取りをやった。子供が楽しみにしている横で若いお母さんたちが集められまして、ベテランの子育て支援者にと言われました。「いいですか。気持ち悪いとは絶対言わないでください。子供は今日初めてどじょうを見ます。そして、このどじょうが気持ちいいものか、悪いものか、かわいいものか、面白いものかは、つかんだ瞬間にお母さんの顔を見ます。お母さんが気持ち悪いという表情をしたら、そうインプットされて、一生どじょうが気持ち悪いものになるので、そういう表情を見せないでください」。それから母子でどじょうのつかみ取りを楽しんだ。 コンピュータは、どじょうについてのアルゴリズムが決まっているので、どんな入力をしても結果は同じです。人間にはアルゴリズムがないので、お母さんの表情という出力を見て、アルゴリズムをつくる。そういうことを私は経験してきて、ベテランのお母さんや児童文学の先生は経験として、子供の前で気持ち悪いと言ってはいけないことを知っている。けれども、どうして駄目なのかを説明できない。私たちが脳科学の知見を入れることによって、若いお母さんたちに納得できる形で言語化して説明していくことが研究者として必要なことだと思っている。子育て体験と、脳科学研究をクロスさせて、実社会に戻していきたい。【山本】今、竹内先生のお母さんの顔を見て判断するという話に私はどきっとしました。学校で教えているときに、学生によっては初めて触れる内容であったり、知らなかったことがたくさん授業で出てくる。学生たちは私の反応も見ているので、そういう影響は大きくなるんだろうと今思いました。今後、自分がどういう表情をしているのかともう少し意識しながら授業をしたいなと思いました。もう一つ、私はフランスで育ったのですが、美術館は子供や学生には無料でした。いつでも無料なのです。ルーブル美術館でも模写できます。本物に触れながらの模写だと得られるものはもっとある。本物と触れ合いながら、新しいものをイノベートしていくとは大事な作業です。日本の美術館もそうですけれども、環境づくりをわれわれ大人がもっと整備していくべきだと思います。 作ると「深いところ」が見えてくる 【澤本】かつてある先生から、「先生が楽しい顔をしていないと駄目だよ」とよく言われました。先生がいつもつまらなさそうな顔をしていたり、疲れた顔をしているとよくないと思っていまして、その先生はいつも楽しい顔をしていたのを今思い出しました。【町田】生活の身近なところから教養を実践していくと考えていくと、教養というものが人の生きざま、価値観と強く結びついてくる感じがしました。 【山本】おっしゃるとおり、常に倫理的に正しいことなのか、これを自分は発して大丈夫なのかとは、いつも気にかけているところです。最初、記者で入ったときの京都時代の上司がNHK WORLDのテレビの科学番組に誘ってくれた。その上司がいつも言っていたのが、これで世に出して大丈夫なのかということです。誤報を出してはいけない。世界的な誤報を出してはいけないと言われた裏では、それだけわれわれが取材相手としっかりと取り組んでいます。万が一、言葉を間違ったら、誰かに被害が及ぶこともある。何年やっていても、ぴりぴりしながらスタッフもみんな含めて、われわれは人間なので、勝手な思い込みもありますので、思い込みに引きずられてはいけない。 倫理の問題 【町田】ものつくりと倫理というところに関わってくるけれども、学生たちへの授業の中で比較的触れているのは、作る責任というところです。ものを作るのはすばらしいことだけれども、環境負荷を与えないものつくりはあり得ないので、環境の中で生きていくわれわれとして、どのようにものづくりを行っていくかということを意識してもらいたい。 偉くなった建築家の自叙伝を読んでいると、独立したばかりで仕事がないとき、暇なときに何をしていたかというのが、その方の創造性の源として重要なところになってくる。お金がないからといって違法すれすれのところに手を染めていかないかどうか。そういった倫理感は、物を作っていく中で、ぎりぎりの選択を迫られるということがあるかもしれない。けれども、そこを判断していく素地が学生のうちにできるといいのではないかと思っています。【井坂】確かに大成した方は、無名時代にいい仕事をしていたとはよく言われることです。【山本】いろんなものを観察していくと、必ずはっとするものがある。よく学生たちには、心が少しでもぶるっと震えたものがあったら、もっと調べてみるといいよという話をする。だから、今何かぶるっとしたけれども、まあいいかとスルーしてしまうのではなくて、そこにこそ次に進める芽がある。私は自分を「わらしべ長者」といつも言っているけれども、いろんな人にお話を伺ったりすると、その次に何かつながるものが見つけられる。なので、私は人生が毎日楽しいけれども、ぜひ学生たちにも、小さな楽しみから次への芽を引き出す力、サイクルをつくってもらいたい。 経験とは人間が一番大事にすべきこと-國分学長 【井坂】ものつくり大学学長の國分泰雄先生から最後に一言コメントをいただきたいと思います。【國分】小泉先生のお話を伺っていて、コンピュータ、そして最近の生成AIの話と人間との違いを今考えていました。確かに人間は環境から学習していくけれども、コンピュータ、AIの目的は最適化するはずです。人は何か課題を見つけて、解決するときに、解決する過程を楽しむことができると言っていた人がいる。小泉先生に伺いたいのは、脳内物質が何か報酬を与えているのではないかということです。何かそういうものはあるのでしょうか。【小泉】ご指摘の通りです。ところがまだ研究が十分に行われていない気がしている。学習とは、学習自身が生存確率を高めていくものなので、快に近いものとは、必ず奥深いものが伴う。小さいときに貧しくて学校に行けなかった100歳の方に会ったことがあります。英語を勉強してみたいとおっしゃっていて、しかも、いろいろと障害もお持ちなのに、すごい勢いで勉強されていた。生きる密度が高くなった印象がありました。100歳でも学習意欲を持つケースが実際にある。今、ご指摘のところは、脳神経科学としても、もっと研究が必要なところではないかと感じる。 経験とは人間が大事にしなければならない根本です。 【國分】もう一つ、私が思ったのは、AIは経験ができないと。メロンは緑色で甘いというのをAIに教えると、そう答える。けれども、それは本当に知っていることになるのか。人間は確かにメロンを見て、緑色だとか、食べてみれば甘い。あるいは、赤ちゃんは触ってみて、ざらざらしているとか経験する。その経験がAIはできない。聞けば答えるかもしれないけれども、本当かということになるのではないかという気がした。 経験とは人間が大事にしなければならない根本です。本学も経験を積んで、現場で活躍できるテクノロジストを特徴としています。では、経験が何に効くのか。小泉先生は言葉が人間の特徴だ言われたけれども、言葉とは、同じ認知能力を持っていないとできない。認知能力は経験から積み上がっていくものなので、同じようにコミュニケーションが成り立つためには、たくさん経験をして、お互いにコミュニケーションをするために重要という気がしてきたのです。人間は社会的な生き物ですから、コミュニケーションが成り立って、社会の中でいろんな充実感を達成できる生き方ができる。人生を楽しむことにつながっている。そこに人間とAIの違いという気が今しています。【小泉】生成AIについては、言語学の議論が増えるのではないかと思っている。言語とは本当は何なのか、言語自身の意味を認識するということは、体験がないと実態は認識し得ないというところが、これから生成AIの重要な議論になるのではないかと感じた。【井坂】有意義な問題をありがとうございました。 Profile 澤本武博ものつくり大学教養教育センター長井坂康志ものつくり大学教養教育センター教授町田由徳ものつくり大学情報メカトロニクス学科准教授 関連リンク ・第2回教養教育センター特別講演会①~基調講演「教養としてのクリエイティブ」~・第2回教養教育センター特別講演会②~脳科学、言葉、手-「使える教養」はどう育つか~

  • 第2回教養教育センター特別講演会②~脳科学、言葉、手-「使える教養」はどう育つか~

    2023年11月9日に渋谷スクランブルスクエア SHIBUYA QWSで開催した、第2回教養教育センター特別講演会「教養としてのクリエィティブ」の内容を全3回にわたりお届けします。第2回は、基調講演を行った小泉英明氏、キャスターやジャーナリストとして活躍している山本ミッシェール氏、ものつくり大学ものつくり研究情報センター長の荒木邦成教授による鼎談です。【第2回教養教育センター特別講演会 開催概要】日時:2023年11月9日(木)13:30~17:10場所:渋谷スクランブルスクエア SHIBUYA QWSプログラム[第1部 特別講演会]・基調講演「教養としてのクリエイティブ」 小泉英明氏(株式会社日立製作所 名誉フェロー)・鼎談「脳科学、言葉、手-「使える教養」はどう育つか」 小泉英明氏 山本ミッシェール氏(キャスター/ジャーナリスト/レポーター/MC/講師) 荒木邦成(ものつくり大学 ものつくり研究情報センター長)[第2部 パネルディスカッション]モデレーター 井坂康志(ものつくり大学 図書館・メディア情報センター長)パネリスト 山本ミッシェール氏      澤本武博(ものつくり大学 教養教育センター長)      町田由徳(ものつくり大学 情報メカトロニクス学科准教授) 実体験の持つ意味 【山本】10年以上、NHK WORLDの『Science View』という科学番組で、ものづくり、日本の最先端技術を世界に向けて発信し続けています。NHKで最もヘルメットをかぶったアナウンサーなのではないかと思えるぐらい、ものづくり現場が大好きです。また、教育という意味では、今、3つの大学で英語、スピーチ学も教えています。【荒木】小泉先生の講演の中で、実体験が大切だという話をされていました。先生自ら旋盤とかフライスもやられているということで驚きました。われわれも教育している立場で、現場の実習が6割ありまして、座学は4割です。大学のときに座学だけでなく、実際に物を作る経験は大切です。特に教養教育とは、専門教育と違い、実物を相手にした専門教育をばねにして勉強してもらう。【小泉】そのとおりだと思います。私はとにかくものづくりが大好きなので、旋盤を見たら回したくてしようがなくなる。次にはどうしてもフライスもいじりたくなる。アーク溶接をやる。ものづくりは魅力があるのです。米国で一番最先端の研究所にいて、何を感じたかというと、いつも消防車がサイレンを鳴らして、キャンパスの中を走り回っている。火災報知器が研究室のいたるところについていて、あまり火を気にするなと研究所が言っている。燃えたら消せばいいではないか。研究者は物を作ったり、頭を使えと。マシンショップは昼夜3交代制で、真夜中も稼働している。 ものを壊すということ 学生は溶接したり、いろんなものをつくります。そういったところから、ものづくりの楽しさ、達成感を味わってもらう。 【荒木】今のお話の中で、学生が自由に機械を使えるという面で考えますと、本学の場合、学生が夜の10時まで使っていいことになっています。フライスもレーザー加工も何でも使っていい。ただ、安全面だけは気をつけなければならないので、教員が輪番制の安全当番で、何かあったときに駆けつけることでやっている。学生は溶接したり、いろんなものを作ります。そういったところから、ものづくりの楽しさ、達成感を味わってもらう。 【山本】私は小学校のとき、作るのではなくて、壊す体験をさせてもらった。そのときはロサンゼルスの郊外アーバインの小学校だったけれども、ギフテッド教育の課程に入れてもらいまして、そこでの授業が印象的でした。第1回目の授業が「さあ、好きにしてごらん」と、家電、部品、ありとあらゆるものが物いっぱいある部屋に連れていかれて、私たちは好きにばらばらにして、組み上げてよかった。「危ない」という言葉を実は一言も言われたことがなかったのです。楽しい気持ちだけが残りました。私自身の原体験はあるから、今の工場見学も、ものづくりをしている人たちに惹かれるのはそういうところなのかと思いました。【荒木】ものつくり大学にNHKのロボコンプロジェクトがありますけれども、チームには1部屋を自由に使わせている。徹夜するぐらい好きなものをやっていて、先輩からフライスとかNCの機械を教えてもらったり、技術の伝承ができる形になっている。学生はプロジェクトも一生懸命頑張りますし、志が高くなってくる感じがします。 縦縞の猫 【小泉】壊すのが楽しかったとおっしゃっていたけれども、それも重要なことです。普通だったら、壊すと叱られる。でもたとえば珍しい少し大きな時計があって、どうして動くんだろうと思ったら、中をのぞいて、ねじ回しさえあれば分解してみたくなります。幼稚園からでもできる、少なくとも小学校低学年でも。どうしてこんなふうにチクタクいって動くんだろう、不思議だと思ったら、ねじ回しで外していく。でも、今度は元に戻そうかとなったら、そこには違う難しさがある。物を壊す、分解とは、数学的に言うと順問題です。1つずつやっていけば、最後まで壊せる。ところが、組み立てるときは、すべての部品が目の前にあったとして、これをどうやって組み合わせて原状回復するとなると何通りも方法がある。これは逆問題です。数学的には、解が出ないこともある。最初から高度なものを組み立ててみなさいと言っても、そう簡単ではない。学習と教育が必要だと私は思います。 最初から高度なものを組み立ててみなさいと言っても、そう簡単ではないです。それが教育だと私は思う。 【山本】脳の中で言ったら、そういった体験はどのあたりに影響があるのでしょうか。【小泉】右脳人間、左脳人間とか極端に言われ過ぎていて、正しくないこともあります。言語野が左にあるということもあって、どちらかというと左脳のほうは分解・分析するという方向が得意で、右脳のほうは総合を得意とします。そういうことを知ったうえで教育環境をつくる。その代わり、一々口は出さない、これが幼稚園から大学まで一貫して重要かと思っています。 【荒木】その関連で、図面を描くとき、われわれのときは鉛筆で描いたけれども、今は3DCADで何でも描ける。得意な学生は図面はできるけれども、実際にいいものができるかは別問題であって、組み立ててみるとギアが回らなかったり、うまく製品ができなかったりする。原点に戻って、旋盤とかフライスで加工したときに、加工性が難しいなというのを体全体で感じて、その上で図面を描いていくと、いい図面ができる。 中小企業の社長がおっしゃるのはただ図面を描けるだけでは足りないということです。われわれとしては、CADも必要なので、全種類のD教育をやっていますけれども、2次元にしたり、実際に図面を使ってギアを作って組み合わせて、動くかどうかというところまで、教育の中の授業のプログラムに入れるようにしています。 道具を大事にする 【小泉】脳とは、抽象的なものを入れたときに、具体的な実体験で感じて知っているものしか想像ができない。だから、先に実体験がなかったら、簡単なことはできるけれども、表面的なことで終わってしまう。「赤いリンゴ」と言ったときに、それを2つに切って見ると、中は白っぽいです。でも実体験が先にあるから「赤いリンゴ」もおかしくない。 言葉ではいくらでもうそをつける(言語の恣意性)。だからこそ、実体験が教育では重要だと思います。【山本】それに関連して、先日、伝統工芸をしている友人と話をしていたときに、最先端のCADをあまり入れたがらない職人さんたちが多い中で、伝統工芸に触れたことのない若手で、CADばかりやっていたという人をあえて1人入れたというのです。そうすると反対に伝統工芸士の方も刺激を受ける。CADしか触ってきていなかった人が初めて本物に触れて、これが本物なんだ、こういうふうに手作りするんだと現場を初めて知ったことによって、2人が物を制作した違うものができて、かつ効率が圧倒的によくなった。【小泉】技能オリンピックでメダルを取った方々から指導を受けたり、特殊な実験部品をスゴ腕で削りだしてもらうこともあります。法隆寺を再建した宮大工の棟梁にも、工場に来ていただいたことがあります。そうしたら、会話が面白い。道具の話をしている。メダリストは旋盤の特殊バイトの研ぎ方に関心があって、宮大工の棟梁もいろんな「かんな」「のみ」の研ぎ方をとても大切にしている。双方、苦労話が一致して、話が尽きない。そういうところにものづくりの本質があると思います。道具が完璧な状態でないと、いいものは作れない。 道具は職人さんたちの真髄ですね。 【山本】学校における道具立ては何を考えればいいのでしょうか。【荒木】建設学科は大工道具を一式1年生のときに買う。学生が授業が始まる前に道具を手入れすることを教える。そこが最初に行うことです。【山本】私は現場に行くと、道具の写真を撮るのも好きです。代々祖父のから引き継いで使っている道具もあれば、自分で毎回作らないといけない道具もあります。こだわりの道具がないとできない。道具は職人さんたちの真髄ですね。 【荒木】小泉先生はご自分で実験機を作られたり、廃材から持ってこられたりといった話をされました。そのパッション、志についてはどうモチベーションを上げていくものでしょうか。 現場が何を欲しているか 【小泉】私の場合は、最初は水俣病への関心でした(1970年代)。ゼーマン水銀分析計を開発して原因解明のお手伝いをした後も、いまだにその関係のことも続けています。東日本大震災の後は、石巻の漁師さんや、海岸線に住む方たちともお付き合いを続けています。現場をいつまでも大切にしたいのです。注目される研究論文を書くことと、実用的な製品を開発することとは大きな隔たりがあります。論文は、1つ新しいことが見つかったら、その新しさや良いいところを強調して書くことによって、適切な学術誌に発表できます。ところが、実際に役立つ製品を作ろうとしたら、良い論文が書ける発見がたとえ3つ同時にあったとしても、1つ大きな欠点があると、実用化は困難なのです。イノベーションが叫ばれて久しいですが、そのようなところが国の大型のプロジェクトで欠けているところだと私は思っています。MRI開発プロジェクトの統括主任技師を拝命していた時に、家電のセンスで医療機器(超電導MRI)を設計したことがあります。医療機器は、通常、それを専門とするデザイングループに依頼するのですが、初めて家電のグループにデザインをお願いしました。検査を受ける方々は、そうでなくても気が滅入っているのに、ゴムチューブが這いまわっているような検査装置に入れられるのでは恐怖心が生まれる。そこで、応接室に置かれた検査ベッドに横たわるという斬新なコンセプトでデザインしてもらったのです。装置のモックアップまで作って製品構想を打ち出したところ、思いがけず猛反対を受けました。見たことがないものが出てきたのでは、売れるはずがないと、最初に本社の方々が反対。確かに常識はずれのデザインではありました。でも、多数決の意見になってくると、平均値になるから良いものなんてつくれない。待っているのは価格競争だけですから。それで、どうしたら多数決意見に勝てるかを考えました。MRIを病院で実際に使うのは放射線技師の方々です。さらに読影結果を患者さんのために役立てるのは放射線科・脳外科の医師の方々ですね。だから、両者が「これでいい」と言ってくれたら、ほかの人々は反対できない。事業部長同席の大きな会議で決めるのですが、却下寸前のところで日立病院の副院長(脳外科)の先生が手を挙げてくださって、「私はこれでいけると思う」と断言してくださった。さらにたたみかけて、「私が診断の責任者です」(診断する人間が言っていることを、あなた方は信用できなのいかという意味)と言ってくださった。放射線技師の方も「私はこの装置を毎日扱う立場の人間ですが、これでいいと思う」と同じことを言ってくださった。それでどんでん返しとなりました。(この装置は、後に通産省のグッドデザイン賞で、部門大賞となりました。)【山本】現場で何を欲しているのか、紙の上だけで考えたり、想像するよりも、現場に行ってみて必要とされるのかが大事なことですね。 ものづくりは「忖度」しない 【小泉】お二人とも、手と頭を直接使っている。放射線技師は、患者を実際に抱きかかえたり、操作盤を触る人です。脳外科の医師は、手術に役立つ画像は、患者がどういう状況なら良ものが撮れるかを熟知している。頭で知っているわけではなく体で知っている。でも、会議に出てくる人たちは間接的な情報しかないのです。 若い人たちは情熱やパッションで動いてほしい。忖度の入る余地はない。 【山本】医師や放射線技師が、これが使いやすい、これがあると人が救えるというものを形にするのがものづくり現場の本来の仕事です。創造し続ける。【荒木】そういったイノベーションを起こせる教育を行っていきたいと思いますが、ものづくりの世界で尖ったものがなかなか出しづらいということで、閉塞感がある気もいたします。大学、教養教育も含めて、イノベーションを起こせる教育をわれわれも考えなくてはいけない。 【小泉】私は国の仕事をお手伝いしている中で、ものづくりは「忖度」が入ってはいけないと考えるようになりました。今、日本の文化の中には知らずうちに忖度が現れている。科学者や技術者は忖度とは関係なかったはずです。それなのに、大きな予算を取ろうとすると、本来の目的ではないところに気がいってしまう。すると忖度が入ってくる。私は、若い人たちはパッション(情熱)で動いてほしい。忖度の入る余地がないような、突っぱねられてでも続けるんだという強い意志を持ってほしい。忖度が入ってくると、実力のある人が浮かばれなくなってくる。忖度や管理に長けた人がお金も組織も支配する。本物が生まれるはずはないのです。 パッションを育てる教育 【山本】日本のものづくりが元気だった頃はどうでしたか。【小泉】意欲の強い人たちがいたのが1970年代です。あるMRIのプロジェクトでどうしても予算を出せないと経理部から言われて、部長に掛け合った。「いや、これ以上は何もできない。出ないものは出ない」。工場長に言っても、「そんなにやりたければ、事業部長のところに行ってこい」と言われる。ほんとうに東京の事業部長のところに行ったら、にべもなく断られました。 私は、事業部長の部屋の入り口の椅子に座って帰らなかった。「なんだ、まだいるのか」といわれて、「判を押してもらうまでは帰りません」と粘った。最後には相手も根負けして「もういい、わかった。押してやる」と言って押してくれたことがあります。押してもらえなかったら、MRIの事業は続かなかったと思います。1980年代のMRI関係事業が最近まで残ったのは、国内では日立だけでした。【山本】パッションを育てるための教育とは何でしょうか。【荒木】それは教養教育の主題の一つだと思います。コミュニケーションももちろんありますが、何より自分の考えを伝えて具現化していくことでしょう。チームの場合、メンバーを鼓舞するような物をつくる。ここは授業でも工夫を要するところです。【小泉】芸術家にとってパッションは日常なのですね。突き動かされる思いで仕事をするのです。今、世界の科学技術の分野は、すぐにやれることはやってしまった煮詰まった状況になってきています。だから、米国のMIT(マサチュセッツ工科大学)やフィンランドのアールト大学(旧ヘルシンキ工科大学と芸術大学・経済大学が合併)のように、芸術を教育に取り入れる必要があると思います。イノベーションにも芸術は不可欠です。「芸術を本気で取り込まないと企業の明日はない」と主張する大企業の社長も、最近、現れました。 新しい発想とイノベーション 【山本】氷山で言うと、意識下を今改めて揺すぶり起こさないと、私たちはまどろんだ状態にとどまってしまいますね。芸術にはそれを可能にする要素があるのでしょう。【荒木】夏休みに創作実習という講座があります。ろくろを回したり、陶器やガラス細工を作ったり、鍛金、彫金でデザインをする。受講生が増えています。【山本】私はコミュニケーション学を教えています。もちろん話が上手ならば、それにこしたことはないけれども、何を伝えたいかがしっかりとあって、訥々とでもいいから、思いを伝えていれば、人に伝わるし、また次の人へとつながっていくという話をよくしています。最初からみんな100点満点で話さないといけないということではありません。まずは思いがなければ始まりませんね。【小泉】よくロードマップで未来を予測して国でも計画を立てます。2050年あたりを予測すると、30年後となりますね。一方、2020年から30年前へと遡ると1990年になります。その頃はインターネットがない。スマホがない。まるっきり違う世界です。このようにロードマップ型の、所謂、線形モデルによる研究・開発には限界があるのです。新しいものとは、あるところで非連続的に出現(トランジション=遷移)するのです。そういう想定での開発を行わないと意味がない。ロードマップ型の研究・開発とは凋落する元凶ではないかと私は危惧しています。【山本】ロードマップに組み込まれてしまうと、自分はある部品の一つで、終わったときには自分はいないわけですから、つくりがいもあまりない。 学生の未来 【荒木】学生と接していて困るのが就職のときです。「将来、何をやりたいの」と聞くけれども、なかなか将来が見えてこない。学生なりにいろいろ考えているけれども、こちらから水を向けていくと、なんとなく方向性が決まってくる。だから、コミュニケーションを取りながら、未来像を学生さんが持てるコミュニケーションも大切と考えています。【山本】最後に小泉先生から学生たちにメッセージはありますか。【小泉】私はいくつかの若い「スタートアップ企業」を応援しています。今、日本の少子高齢化と地方衰退の問題で、多くの若い人たちが「ものつくり」を含めて汗を流しています。また、パッションを持っている若い人たちがこじ開けていく事業のスケールも大きくなって来ています。グローバルなスケールで考えられるような人たちが今生まれつつある。そういう若い人を大事にしたい。力を思い切り発揮していただきたいと願っています。【荒木】いろいろありがとうございました。教養教育はまだ始まったばかりです。目標を持って何かイノベーションできる、元気のある学生を輩出していきたいと思っています。 Profile 山本ミッシェールアメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ、これまでアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、香港で生活をする。現在、世界200の国と地域で放送されているNHK WORLDで放送中の英語の科学番組「Science View」や、全国12局で放送中の持続可能な開発目標(SDGs)に関するラジオ番組「身近なことからSDGs」などにレギュラー出演。元NHK記者として、これまで気候変動など、様々な国際会議などを取材。NHKのレギュラー番組では10年以上、日本のものづくりの伝統と最先端の取材を続け、全国すべての都道府県から世界に向けて現在も情報を発信中。バイリンガル司会者として、天皇陛下の即位式、首相の晩餐会、東京オリンピック招致バンケット(3カ国語MC)、G7伊勢志摩サミットなど、多くの国際会議、会合、パーティー、記者会見、トークショーなどのイベントでバイリンガル/トライリンガル司会のプロとして活躍中。幼少期からの国際的なバックグラウンドから異文化理解や平和活動に強い関心を持ち、広島・長崎の被爆者やアカデミー賞受賞の映画監督へのインタビュー、被爆者と共に開催された世界平和コンサートの司会、ピースカンファレンスでの講演などを行う。また、エグゼクティブ・コーチとして企業研修をはじめ、大学では非常勤講師として3つの大学で授業を担当。荒木邦成ものつくり大学技能工芸学部情報メカトロニクス学科教授 関連リンク ・第2回教養教育センター特別講演会①~基調講演「教養としてのクリエイティブ」~・第2回教養教育センター特別講演会③~役に立つ教養はどのようにして活性化するか~

  • 第2回教養教育センター特別講演会① ~基調講演「教養としてのクリエイティブ」~

    2023年11月9日に渋谷スクランブルスクエア SHIBUYA QWSで開催した、第2回教養教育センター特別講演会「教養としてのクリエィティブ」の内容を全3回にわたりお届けします。第1回は、脳科学研究で著名な小泉英明(株式会社日立製作所 名誉フェロー)を講師に招いた基調講演です。【第2回教養教育センター特別講演会 開催概要】日時:2023年11月9日(木)13:30~17:10場所:渋谷スクランブルスクエア SHIBUYA QWSプログラム[第1部 特別講演会]・基調講演「教養としてのクリエイティブ」 小泉英明氏(株式会社日立製作所 名誉フェロー)・鼎談「脳科学、言葉、手-「使える教養」はどう育つか」 小泉英明氏 山本ミッシェール氏(キャスター/ジャーナリスト/レポーター/MC/講師) 荒木邦成(ものつくり大学 ものつくり研究情報センター長)[第2部 パネルディスカッション]モデレーター 井坂康志(ものつくり大学 図書館・メディア情報センター長)パネリスト 山本ミッシェール氏      澤本武博(ものつくり大学 教養教育センター長)      町田由徳(ものつくり大学 情報メカトロニクス学科准教授) 「ものつくり」のための脳 梅原猛先生がおつくりになったものつくり大学で、今日この機会を賜ったことを、とてもうれしく感じています。「なぜ人間だけが未来を考えられるか?」。私たちは未来を割と簡単に考えているけれども、未来のことを考えられるのは、多くの種の中で、ホモ・サピエンス・サピエンスだけです。サイエンスから見るとどういうことなのか。1996年に実行委員長を務めた環境科学の国際会議の中で、「環境と脳の相互作用」といセッションを当時、京大霊長学研究所の所長をしておられた久保田競先生と相談してつくりました。最初は久保田先生もそんなセッションが作れるのかと半信半疑でした。でも実際にやってみると、極めて重要であることが分かってきました。今は、その後の2000年に創られた「人新世」(Anthropocene)という言葉も一般に使われるようになってきました。地球科学の国際会議の中で、大気化学者のパウル・クルッツェンのとっぴょうしもない発言からだと言われています。1996年に「環境と脳の相互作用の重要性」という講演をしてみて、脳を基調とすれば、今まで人文・社会科学の分野にあった教育学を、自然科学とすることが可能だと考えるようになりました。そこで、「学習」と「教育」という概念を、自然科学の言葉で置き換える試みを始めました。「学習とは、環境-自分以外のすべて-からの外部刺激によって中枢神経回路を構築する過程」と定義し直しました。また、「教育とは、環境からの外部刺激を制御・補完して学習を鼓舞する過程」と定義し直しました。人間は環境抜きに学習はできないと考え、それから今に至るまでこの定義を使っています。さらに2000年に新たな21世紀を見据えた「脳科学と学習・教育」という文部省/JST主催の国際会議を企画して、実行委員長を務めてこの考えを推進してみました。 受動学習とか積極学習とか強制学習、いろいろ従来の教育学で取り上げられることは、自然科学のほうから説明がつく可能性がある。生から死への一生を通じた学習という過程の中で、包括的な概念を創れるのではないか。21世紀の幕開けの好機に、文科省と科技庁が統合された文部科学省(2001年発足)も、省庁統合の象徴として全面的に応援してくれました。 Mind,Brain,and Education さらに2002年には「『脳と学習』:21世紀の教育革命」、「Brain & Learning A Revolution in Education for the 21st Century」という題目で、OECDフォーラムの中に特別な1つのセッションが設けられました。同時に、世界を北米とヨーロッパとアジア・オセアニアの3ブロックに分けて、大きな形で約10年間、OECD国際連携研究のプログラム『脳と学習』が世界の中心的な研究所を拠点として走りました。OECDの国際諮問委員としてそのプログラムを全力で推進しながら、このうような考え方が世界へと浸透していくと、新しい学問分野がきちんとつくれるのではないかと思いました。当時、理研に脳科学総合研究センターを作られたばかりの伊藤正男先生も、アジア・オセアニアブロックの議長として、この国際プログラム「脳と科学」を全面的に支えてくださいました。ところが、教育学は人文学、あるいは、一部社会科学というところで扱われてきた長い伝統から、自然科学で扱おうと思ってもまったく類例がありません。そのような中で、ハーバード大学のカート・フィッシャー先生が中心となって国際学会をつくる話が急速に進みました。そこからお声掛けをいただいて、私も理事を務めました。Mind,Brain,and Educationという国際学会がありまして、さらに学会誌をBlackwell社から発行することになり、私は副編集長を務めることになりました。最初はBrain-Science and Educationという名前を主張したのですが、ハーバード大学の心理学者の皆様から猛烈な反対を受けてしまいました。さらには、もし、MindとBrainを同一視するならば、ハーバード大学の心理学者は全員脱退するという騒ぎになりました。ずっと後から分かったのですが、脳科学(Brain-Science)という言葉は、本田宗一郎氏が最初に言われた日本的な言葉だったのです。 新しい分野をつくることも実はものづくりの感覚に近い。 Mindといったら「心」です。Brainというと「脳」、そしてEducationの「教育」。3つはまったく違う分野です。この3つの違う分野で統合的な国際誌が出たのは初めてだということで、アメリカの出版協会からThe Best New Journal of the Year Awardをいただきました。ゼロからのスタートということで、新しい分野をつくることも実はものづくりの感覚にとても近いのです。 さらに、関連する国際会議が2003年の最初の会議に続いて2015年にも、バチカンで開催されました。2015年とは大変な年です。SDGs(「持続可能な開発目標」)が初めて発表された年です。また、COP21がパリで行われた年になります。さらに、ローマ教皇庁からもステートメント(Laudato Si: “on care for our common home”)が出されました。地球を人類の家と考える環境問題についての深い洞察です。フランシスコ教皇とは何度かお話する機会がありましたが、聖下はもともと化学のご出身です。 「『学習と教育』の自然科学からの探求」というテーマで数多くの研究が行われましたが、その一部を紹介します。研究初期の一例ですが、子猫を縦縞の環境で育てますと、横縞が見えなくなってしまう。その後、横縞の中に入れて学習をさせれなと思いがちですけれども、どうやっても駄目です。最初の臨界期だけにこういう学習(神経回路の構築)ができるのです。 視覚野は、脳の中では比較的よくわかってきた部位で、多くの裏づけが取れています。猫の視覚野と人間の視覚野は近いので、人間でも同じことが起こると考えることができます。いくつか事例も存在します。 脳がつくられるとき なぜこういうことが起こるか。人間の脳とは遺伝子だけで出来上がっているわけではない。遺伝子とは原材料を提供する。原材料を組み合わせて、脳全体のシステムができるのです。けれども、最も効率よく生存するために必要な形となるように生まれ落ちた環境、しばらく育った環境に最適化するようにと神経回路をつくる。つくるというより、むしろ消していく。最初は遺伝子によって基本的な神経回路が赤ちゃんのときから少しずつできてきます。けれども、外の環境から情報や刺激が入ってくると、関係する回路は残して、入ってこない情報は消してしまう。 0歳から30歳まで、視覚野でどのぐらい神経と神経の接続部が存在するか。視覚野の場合ですと、生後8か月でピークになって、あとはだんだんと接続部分、回路が少なくなっていきます。無駄なものをこの時期に捨てて最適化している。脳の全体容量は最初から決まっているものですから、その中でやれることをやるのです。もう一つ重要なのは、人間の脳の神経は伝達速度が速くないのです。コンピュータと比べると比較にならない。コンピュータの場合は基本的に電子によって情報伝達をしていますから、1秒間に地球を数回まわるほどの高スピードですが、人間の場合は、たかだか100メートル、一番速いもので毎秒200メートル。遅いもので数センチです。 人はそれぞれ違うものを見ている 進化の中では、「跳躍伝導」というのですが、裸線の周りに被覆ができて、効率よく信号が漏れないで伝っていく。しかも、跳躍的にスピードを上げて伝達するという仕組みを進化の中で獲得しています。そうすると一人前のスピードを持った神経になる。生まれてから髄鞘化という「さや」、被覆ができる過程ですが、脳の場所によってそれぞれ違ってきます。100年以上前に厳格な実験を行ったフレキシという学者が順番を事細かに解明している。胎内にいるとき、生まれて1年間、さらに年齢が増して、場所によっては30歳になってもまだ発達を続けているということがわかってきた。だから、できていないものに関係する教育をいくらやっても無理なのです。そこに気をつけないと間違った教育をしてしまう。もともと私は物理が専門ですから、つい対数の軸で見てしまうが、人間が生まれてから死ぬまで、1歳、10歳、100歳とグラフを描くと、その間に私たちが学習している様子がわかります。そうすると、小さいときの学習がいかに重要かがはっきりしてきます。もう一つ、脳の中では視覚が比較的わかっているほうなので、視覚を中心に例を示しているけれども、みんなも同じものを見ていると思ったら、そんなことはない。違うものを見ています。ある程度似たり寄ったりということはあるから、話が通じる。何で違ってくるかというと、神経の伝達速度は遅いですから、補おうとしたら、みんなで分担して信号を処理するしかない。脳の特徴とは、すごい数の神経回路が情報処理を分担していることです。これは並列分散処理と言いまして、スーパーコンピュータのアーキテクチャと同じです。それも比較にならないぐらいのたくさんのシステムが同時に分業の作業をやってます。最後に、結果を意識に上げてくる。脳のことはわかっているように思われていますけれども、まずどうやってそんなにばらばらにしてしまうのか、超並列分散処理が何でできるのか、最後にどうやってまとめ上げるのか、どんなふうにタグがついているのか、まだよくわかっていないのです。 生きる力を駆動する脳 視覚に関しては、色も分けてしまいます。動きも別々に処理します。それが最後に「意味」にまで持ちあげていくかという仕組みもわかっていません。分業して同時に行っているたくさんのことは意識には上がっていない。そんなことが意識に上がってきたら、収拾がつかなくなります。分業の過程を経た最後に、今度は時系列で逐次処理になって、順番に時間とともに私たちは認識します。 私たちは意識が中心だと思っていますけれども、意識していないところのほうがむしろ大量の処理をしています。 脳を考えるときに大事なことは、氷山で言えば、見えないところ、水に沈んだところから最後の最後に意識に上げていく。私たちは意識が中心だと思っていますけれども、意識していないところのほうがむしろ大量の処理をしています。 われわれの今までの教育は基本的に言葉がベースになっています。そこまでの脳の働きとは、教育の中でもほとんど無視されています。芸術に入っていくと、拮抗する条件の中で、最後には決断しなくてはならない。無意識が重要です。無意識のところは意識に出ないですから、小さいときから自然の中でしっかり育まないと性能が出ない。 脳の進化では、脊髄の次にその先の脳幹の部分ができた。単純な爬虫類の脳は、人間の脳の脳幹の形に見た目もそっくりです。そこからだんだんと層状に、外へ外へと層が広がってきました。脳幹は生命を維持するところであって、その周りの生きる力を駆動する脳(大脳辺縁系)が情動に関係する。 一番外側はより良く生きるための脳であって、いわゆる「知育」という知性を教育するときに直結する部位です。でも、やる気がなかったら、いくら知性やスキルを持っていても、それだけでは何の役にも立たない。だから、むしろ進化の順番では、内側の古い皮質(大脳辺縁系)がやる気を出すために重要です。そこは感性とも関係が深いですし、一番外側の人間らしいところ(大脳新皮質)は知性に直結するのです。 「ちょっかい」を出す知性 最初はお母さんとつながっているので、へその緒を切って初めて母親と赤ちゃんは別だということになるけれども、赤ちゃんはまだ気づいていない。自分の一番身近にいる養育者-多くの場合は母親-ですけれども、その人が信頼できると実感することが、自分が次に行動できる原点になります。まさに社会性の形成の出発点でもある2項関係です。 もう少し大きくなってくると、指さすようになる。赤ちゃんは指先を見るのではなくて、指でさされている先を見るようになります。最初の第三者を介したコミュニケーションということで、2項関係から3項関係の段階になってくると、社会が概念的には形成される。社会性の神経基盤を幼いときからいかにしっかりとつくり上げるかが教育のポイントでもあります。 さらに大きくなってくると、別の学びもいろいろ入ってくる。本質的な赤ちゃんの学びは、コンピュータと違うということです。コンピュータは、入力があったら、きちんと目的の結果を出力する。 赤ちゃんはそうではない。最初に自分が置かれている環境に対して興味を持ちます。そして、「ちょっかい」を出す。われわれはサイエンスでもわからないときには、必ず何か刺激を与えて変化を見ていく。つまり、サイエンスのやり方と同じことを赤ちゃんはやる。育ちつつある自分の五感を最大限使って、何が起こるか、何をすれば何が返ってくるのかということを学ぶ。人間の学習の本質とはアルゴリズムを自ら学ぶことであって、いわゆるマニュアルで覚えさせるだけでは駄目だということです 実際に赤ちゃんは手に取ったら、口に入れてみて、なめ回すのが最初です。まだ自分自身は動けない。もう少し発達してきて、「はいはい」ができるようになってくると、ぬいぐるみがあれば、それに赤ちゃんが興味を示して、近づいてくる。そして、興味があってたまらなくて触ってみる。もっと手足を触りたい、お顔も触ってみたい。自ら環境に働きかけて、環境から帰って来る情報を赤ちゃんは検知しながら学んでいるのです。赤ちゃんは、触感、味や香り、色や形、音色など、5感をフルに使っています。 光は不思議な素粒子 次に、ものづくりについてお話をしたいと思います。私は光も大好きです。光子(フォトン)とはとても不思議な素粒子で、重さもなければ、電荷もなければ、静止状態もない。いつも高速で動いています。発見者はアインシュタインです(1905年の三大論文の一つ)。光子のスピン(自転する属性)は1です。スピン1でプラス1、マイナス1という2つの状態がある。ちょうど1ビットですから、二つの光子が絡みあった状態(エンタングルメント)を使って計算機を作ろうとすると、量子コンピュータになります。そういうことが実際に始まっている。電子は重量、電荷、スピン(2分の1)と静止状態もあるということで、ローレンツとゼーマンが発見して1902年にノーベル賞を取っている。電子の存在を初めて証明した実験は、磁場によってスペクトル線が分かれる現象、すなわち「ゼーマン効果」の発見だったのです。この基礎物理学の原理を実用化したものが、私の最初の仕事となる「偏光ゼーマン法」なのです。1974年に最初の論文を書いて、1977年に論文シリーズと最初の実用装置を完結させました。2024年は最初の論文の50周年となります。同じ頃に、体内の水素の原子核(陽子:プロトン)を検出して画像化するMRIの原理が発表され(1973年ラウターバー他)、2003年のノーベル賞となりました。そちらも基本は原子核のゼーマン効果です。磁気共鳴画像装置(MRI)と呼ばれて、病院でも使われている。私がものづくりをしたのは、それらの原理を社会実装するためでした。「偏光ゼーマン法」の発見の際には、電磁石のポールピースの間に納まる3000度の温度を出す炉を、手作りしました。電磁石も最高で磁場強度2テスラを出しましたが、これも手造りしました。新しい原理で作った装置と実験結果は、『SCIENCE』誌がリサーチニュースとして紹介をしてくれました(1977年)。 水俣病とゼーマン水銀分析計 最初は手造りした「偏光ゼーマン法」による原子吸光高度計は、並行して商品開発を進めましたが、最初の製品は「科学機器・分析機器遺産」に2013年に認定されました。初期に行った実験をそのまま再現してほしいと言われたときに、再び当時の実験の一部をやってみました。原子化炉で摂氏3000度まで温度を上げられると、たいていの金属は蒸気にできますが、そのような高温炉を電磁石の間隙に収めることは至難の業です。そこで自転車の発電機で灯す小さなランプに目をつけました。直径1ミリメートルにも満たないタングステンのコイルが気に入ったからです。普通につくランプのガラスを割って、中のコイル状のフィラメントを取り出します。これを自作した小型の電磁石の5ミリメートルの間隙にセットするのです。高温にしても燃えないように、フィラメントには乾燥した窒素ガスを吹きかけて酸素を遮断します。そして電流を流すと3000度付近まで高温にできます。フィラメントのコイルの外径は1ミリメートル弱ですが、まず、マイクロピペットで1マイクロリットルの水溶液(微量金属を含んだ試料)を表面張力でくっつけると、コイルの中にしっかりと収まります。初めに電流を少しだけ流すと、水分は蒸発してフィラメントの表面に薄い膜ができる。今度は温度を上げて、その金属膜を一挙に蒸気にする。その金属蒸気の中に細い光のビーム(スピンがプラス1とマイナス1に対応する偏光)を通して、磁場中で磁気量子数の縮退が融けた原子スペクトルが観測できるのです。この新原理を見つけたので、カリフォルニア大学に招聘され、ローレンス・バークレイ研究所で客員物理学者としてしばらく同じような研究を行った時期がありますけれども、同じことをするのに広い研究室と、何トンという大型電磁石と10メートル近い世界最大級の分光器、パイログラファイトによる原子化炉などを研究所が準備してくれました。一方、私の感じるものづくりの魅力とは、考えて考えて身体を動かしさえすれば、大型研究費を使わずとも手作りの実験装置で世界最先端の研究ができることです。当時(1970年代)はとにかく水俣病が大変な時期だった。最近になって、水俣病の裁判がほぼ結審して、山間部にいらっしゃる患者さんたちも補償が得られる裁判の結果が最近大きなニュースになりました。環境問題のグラウンドゼロと言われる水俣病は、戦前にすでに始まり、裁判がほぼ終わったのが2023年だったのです。その間、数多くの患者さんたちは、本当に大変だったと思います。そういうことで、環境問題を解決するための計測は何としてもやりたいと思いました。水銀の次はカドミウム中毒の話が来て、ヒ素中毒の話が来て、鉛中毒そして重金属のクロムの公害の問題も出てきました。水銀は水俣病だけでなく、新潟県の阿賀野川での第2水俣病、さらには海外でも金の採掘にともなう水俣病がいまだに深刻な問題となっています。MRIでノーベル賞を取られたのは、ローターバー先生とマンスフィールド先生です。1973年の論文で、2003年に受賞されました。お話したように廃品で「偏光ゼーマン法」を見出したのが1973年です。同じときに、同じように量子物理学が実用へつながることを始めた。そして今度は、量子コンピュータの話に移っていく。先の述べたように、「MRI」も「偏光ゼーマン法」も、ゼーマン効果を使った方法として原理的には同じです。ゼーマン効果の適用が電子なのか、原子核なのかの違いです。 装置の不具合から磁気共鳴血管描画法(MRA)の発見 超伝導の全身用磁石を使って、携帯描画から機能描画へと研究と開発を進めました。磁気共鳴血管描画(MRA)や機能的磁気共鳴描画(fMRI)です。脳ドックを受けますと、くも膜下出血の原因になる脳動脈瘤の検査や脳梗塞の原因になる脳血管の狭窄の検査があります。そこにMRAが使われます。MRAで得られる鮮明な脳血管画像ですが、実は血管壁はどこにも写っていないのです。血液の流れを数字にして画像化したものがMAR画像なのです。そのMRA法の発見経緯をお話しします。脳神経外科の放射線科の先生たちが興味を持った最初の装置はまだ常電導磁石でした。最初は大型トランスの製造技術を用いた手巻きのコイルでした。大電流を流すのと水冷によって温度を一定に保つために、電線の代わりに銅の板を巻いていて、その後、軽くするためにアルミで巻いていたのが、MRIの初期の電磁石でやっていた実験です。そうしたら、像がぼけているだけでなく、強く光る点が出てしまって、装置の故障ということで呼び寄せられました。当時はお金がなかった。試作装置をきれいにして、古いものは付け替えて、第1号機として東京女子医科大学病院に納めてしまった。同じものが自分たちのところにないので、夜中に行ってお願いして、使わせていただくしかない。その中で、変な光る点が出るから、こんなのは使えないと言われて、必死に徹夜を繰り返していたら、光る点が発生するのは、実は装置の故障ではなくて、血液の動きによる信号位相の変化を検知していたということがわかった。それで、すぐ特許を出しまして、脳の血管、全身の血管(正確には血液の流れ)が実際に今使える形で写せるようになった。論文発表の後、ステアリング委員として国際MRA学会を立ち上げるお手伝いをしました。 計測をしていると、いくら新しいことをやっても、それによって人の命がすぐ助かることはめったにない。ところが、くも膜下出血とは致死率が高いが、破裂する前に発見できれば、比較的安全な手術で処置できる場合が多いのです。けれども動脈瘤を発見するのが難しいのです。MRAは造影剤を使わずに、完全に安全な検査で動脈瘤を発見できる。診断が直接的に救命につながるところが私は気に入っています。 さらに脳機能の研究から、私たちが頭の中で考えていることを直接計測できないかということを始めて、東大医学部の宮下保司先生のグループと共同研究をはじめました。1990年代の初頭です。これが最初に発表した結果です。私たちが残像(この場合は補色を感じているので、正確には残光)を感じているときに、それに対応する脳部位の活動を計測した珍しい最初のケースです。この実験の重要性は、それまで主観として捉えられていたものを、客観的に捉えることに成功したということです。すなわち、個人の脳が発生させているので、他人には直接知る方法がありませんでした。それを機能的MRIで捉えたということは、誰が計測しても、計測を繰り返しても同じ結果が得られるということです。この残光は見えている本人には10秒から30秒くらい見え続けます。その人にそれが見えなくなった瞬間を客観的に知ることができるのです。私はこの実験が心の計測の一端に入るのではないかと考えています。ここのところから人文学と自然科学の境界がはっきりしなくなってきた。人の心の中のことで、ほかの人が客観的に証明できないものであるはずなのに、少なくとも心の中で見えているか消えたかについては、誰がやっても機能的MRI装置からは同じ答えが返ってくる。 なぜ人間だけが未来を考えられるのか 人間は「快と不快」という「感情」を持っています。人間以外の動物の場合は「情動」という少し定義を広くした術語が使われています。「快」「不快」という感情もしくは情動は極めて大事で、私たちは心地よい「快」の方向へ向かうと一般に生存確率が高くなる。一方、嫌だ、臭い、うるさい、そういう「不快」からは、逆に離れようとすると生存確率が高くなります。人間だけでなくて、多分、小動物からすべて共通ではないかと考えています。 私が興味を持っているのは、精神的に心地いいことです。つまり、おいしいものを食べるときはもちろんうれしい。お金をもらったり、名誉なことがあると、何よりの生きがいになる人々もいる。名誉を感じたときに動く脳の場所は、チンパンジーがきちんと言われたとおりにやって、ご褒美にバナナをもらって動く場所と同じだということが見つかった。被殻、尾状核という線条体と呼ばれる脳の部位は、少し専門的になりますけれどもご褒美に反応する脳の部位です。このような部位がいくつかあって、それらを報酬系と呼んでいます。あなたは人格的に信頼できる人だということを心理テストの結論として聞かされたときに、お金をもらったのと同じかそれ以上に、被殻、尾状核が強く活性化することが発見されました。「脳科学と教育」という国家プロジェクトの中で、国立生理学研究所の定藤先生のグループが見出して『ニューロン誌』に発表しました。私たちとは、よかれあしかれ、知らず知らずに報酬に関心が強くて、そちらを見ていることが多い。報酬系とは動物実験では正確にわかってきたし、人間の報酬系も機能的MRIで少しづつわかってきました。 人間だけが言語を使える 実は人間だけが言語というものを使える。言語の機能を見てきた中で、ノーム・チョムスキー先生とも御一緒して、有益な御指導を頂戴してきました。「Colorless green ideas sleep furiously(色のない緑色のアイデアが激しく眠る)」という文章は、チョムスキー先生が論文の中で発表しましたが、文法的には完璧です。でも、言っていることは意味がない。つまり、言語を人間が持ったことによって、意味のない、あるいは、想像上のことをあたかも現実にあるかのように示せるようになった。言語は自動化された機能で、音韻ループが意識下で回っている。そういうことがだんだんわかりつつあります。 私も言語の本質を何とか1つ自分で見つけたいと思って、パントマイムみたいに言語を使わない、いわゆる身体表現をしているときは、言語的表現を入れたときとどこが異なっているかを探っていました。3年ほど公演に通い詰めたら、あるパントマイムの公演の中で、演者がいるのに黒子さんが現れて、ぱっと舞台を走り抜けた。黒子さんが持っていたプラカードに「3か月後」と書いてあったのです。これはチーティング(反則)です。あとで主宰の先生とも議論しましたが、「3か月後」という未来の時点をどうやっても身体表現できなかったのです。 人間だけが言語を使える、だから、人間だけが未来を考えることができる、逆に言うと、いつも自然未来だけではなくて、私たちは意思未来というのを持てた唯一の種だと感じているのです。今までの伝統的な倫理学とは、もともと習俗とか慣習、言ってみれば人間の社会から生まれたものです。でも、今の私たちの環境問題とか世界でいろいろ起こっていることを考えると、人間を中心にして考えるだけではおかしいのではないか、むしろ人間も自然の中の一つだから、本当は自然が土台にあって、倫理が組み立てられるべきではないかという考えを今持っております。地球のほうが動いているんだという視点(地動説)、つまり、人間にとってもう一度考えなくてはいけないのは自然が世界の中心だという視点です。われわれ住ませてもらっているんだという視点の倫理学がこれから重要になると考えています。 Profile 小泉 秀明(こいずみ・ひであき)1971年東京大学教養学部基礎科学科卒業後、日立製作所計測器事業部入社。1976年に偏光ゼーマン原子吸光分析法を創出し東京大学理学博士。同時に装置を実用化し、環境計測を中心に世界で1万台以上が稼働。通産省特許制度100周年にて日本の代表特許50件に選定、また初期装置は分析機器・科学機器遺産に選定。医療計測では、磁気共鳴血管描画法(MRA)や光トポグラフィ法を創出し実用化。日立基礎研究所所長、技師長、フェローを歴任。55代日本分析化学会会長。ローマ教皇庁科学アカデミー400周年記念時に招聘講演。『日経サイエンス』30周年記念号ではノーベル賞候補として紹介される。著書に『環境計測の最先端』、分担執筆に『Encyclopedia of Analytical Chemistry』、他、論文・特許・書籍・受賞など多数。 参考 ・NPO法人科学映像館:モノ作りに魅せられて 日立製作所フェロー 小泉英明https://www.youtube.com/watch?v=p4t0LXA88w8&t=82s・第2回教養教育センター特別講演会②~脳科学、言葉、手-「使える教養」はどう育つか~・第2回教養教育センター特別講演会③~役に立つ教養はどのようにして活性化するか~

  • 人と違うことをやってみる!伝統的な技法「扇垂木」への挑戦が自分自身の成長に

    寺社建築の伝統的な技法「扇垂木(おうぎだるき)」と呼ばれる屋根架構を卒業制作のテーマにし、千葉県妙長寺の本堂建築に携わった桐山実久さん(建設学科4年・小野研究室)。 念願だった技能五輪全国大会にも2度出場した経験を持ち、「やってみたいことは挑戦する」がモットー。桐山さんに卒業制作を通して実感している4年間の大学生活での学びや成長、将来の目標などのついてインタビューしました。 木造建築への熱意がものつくり大学進学に 幼い頃から、温かみを感じる木造の家が好きで、木造建築に興味がありました。高校は地元の愛媛県立吉田高校の機械建築工学科に進み、木造建築の面白さに魅了され、高校生ものづくりコンテストにも出場しました。ものつくり大学に進学したのは、同校の先輩が進学していて「技能五輪全国大会に出場できるチャンスがある」と話を聞いたことが大きかったです。ものつくり大学では、アーク溶接などにも触れましたが、やはり木造建築が好きだということを確信し、木造建築コースに進みました。木材の魅力は一度切ると元に戻せないところだと感じます。ボンドで貼っても再生できないですよね。 1年生の頃はコロナ禍でオンライン授業が中心の学生生活に。2年生、3年生の時に連続して技能五輪全国大会に出場しました。出場職種は得意分野の大工ではなく、敢えて家具に挑戦しました。高校時代に先生から「細かいものも得意だね」と言われたことがあったからです。2年生の頃はまだ授業で家具づくりを学んでいなかったため、先輩方にいろいろ教えていただき、寝る間も惜しんで工房で技術を磨き大会に臨みました。3年生の時も家具職種に挑み、努力が実り敢闘賞を受賞することができました。ものつくり大学に進学し、念願だった技能五輪全国大会に挑戦できたことで、チャレンジ精神が旺盛になりました。 技能五輪全国大会に挑戦する桐山さん 伝統的な技法「扇垂木」を卒業制作に 私は小野研究室なのですが、今井研究室と仲が良く、交流が盛んな環境に身を置いています。4年生で卒業制作を迷っていた時、インターンシップでお世話になった今井先生から「千葉県館山市妙長寺の本堂新築の屋根架構を卒業制作として取り組んでみないか」と声をかけていただきました。今井先生から、本堂の屋根の形状は扇垂木(おうぎだるき)という唐傘をモチーフにした扇状に広がった垂木のことで、非常に手間がかかり、単純に配置することが難しいことや、現役の大工さんでも経験できないまれな技法であることなどの説明を受けました。 学生生活の中で木造建築を中心に学び、大会などにも挑戦してきた経緯もあり「人と違ったことをやってみたい」という思いが強い私は「滅多にない経験ができるのは面白そう」と伝統的な技法である扇垂木の制作に挑戦したいと思いました。そして「館山市妙長寺の屋根架構の制作ー扇垂木の墨付け、刻み、加工-」を卒業制作のテーマにすることで新たな自分の可能性を見出したいと思いました。 限られた作業時間が没頭するための集中力に 扇垂木の墨付けから加工の工程は、扇垂木の木材加工の施工経験がある非常勤講師の福島先生のご指導の下、埼玉県寄居の福島工務店で行いました。扇垂木の木材となるのは、垂木、隅木、蕪束(かぶらづか)。墨付けから加工は、一般的な垂木の断面より大きいため、加工に費やす時間が多くなりました。搬入や組み立てを考慮して行った鎌継ぎ(一方の木材に端部の広がった突起を作り、他方の木材にはめ込む継ぎ手)やくせ加工などの作業も何度も行いました。作業時間が限られていたこともあり、43日間(2023年10月27日から12月8日)1日も休まず取り組みました。限られた時間の中での作業だったからこそ、集中して一心に取り組めたのだと思います。加工した木材の仕口を数えてみたら136箇所ありました。 技術的な面は、福島先生のご指導に加え、学生生活を送る過程で様々な道具を使ったり、技術を磨いたりした経験や工程を頭に入れ作業する習慣がプラスに働きました。ある程度作業に慣れると、流れが分かり、段取りをつけながら1人で進めることもありました。精神面でのプレッシャーは地元の方との交流もあり、あまり感じませんでした。技能五輪全国大会に出場した時はかなり精神的にきつかったのですが、2度の出場経験により、精神的にも鍛えられたのかもしれません。しかし、肉体的には、かなりハードでした。今まで扱ってきた木材に比べて遥かに大きく、重かったので、運んだり、転がしたりするのは想像以上に身体に負荷がかかり、腰なども痛くなりました。 難易度の高い施工に挑み、目にした本物の建築 木材の加工が終了した翌日の12月9日に、埼玉県寄居町から千葉県館山市の現場に木材を搬入しました。現地の大工さんの力もお借りし、他の学生と一緒に12月13日から、施工に入りましたが、現地に入る前と後では、緊張感が違いました。まず、蕪束と隅木の取り付けを行いました。上段、中段、下段と隅木を継いでいきました。ここでは、ビス留めをし、しっかり止めました。次に、いよいよ垂木の取り付け作業に。隅木側から垂木を取り付ける工程はとても難しかったです。ひのきの垂木は全て寸法も異なり、木材だからこそ、ねじれや乾燥もあり、調整の繰り返しに。なかなか思うように作業が進まず、苦戦しつつも丁寧にかんなを使って微調整しながら組み立てを進めていきました。垂木の上段、下段の取り付けが進んでいくに従い、扇垂木が大きいことに驚きました。 扇垂木を下から見上げる 現場で施工する桐山さん 本物の建物の施工に関わるのは初めてで、しかも寺院の本堂は地域に根付き、歴史的にも価値をもつことになる建物です。いざ完成間近になった建物を目の前にし、「こんなにも大きな寺院をつくっているんだ」と言葉に表せない感情が湧きました。100年、200年と長期間、多くの人に親しんでもらえる建物にしたいと思っています。本堂の完成は2024年3月を予定しており、扇垂木の美しさが見える屋根になるように作業を進めています。 卒業制作を通して感じている自身の成長 卒業制作を通して特に2つほど自身の成長を感じています。1つは、今までは自分が納得いくためのものづくりだったのが、人に喜んでもらえるものづくりをしたいという思いが加わったことです。そもそも、ものつくり大学に進学した理由の1つに技能五輪全国大会への挑戦があったのですが、高校時代に高校生ものづくりコンテストに参加し、自分自身に対してやり残したという後悔がありました。「賞に入賞することよりも自分の納得するものづくりがやりたい」という思いが強く、1年目には納得できず、2年連続して挑戦。結果、3年生の時は敢闘賞を取ることもでき、自分なりに納得し、達成感が味わえました。しかし、今回、長い歳月建ち続けることになる寺院の施工に携わることで、多くの人が見たり、触れたりして大切にされていくことを想像する機会に恵まれ、ものづくりの喜びを倍に感じるようになりました。 もう1つは、自分に自信が持てたことです。大学生活の中でいろいろな大会にも出場し、賞ももらってきたのですが、実は自分に自信が持てず、ものづくりも上手いと思ったことがありませんでした。自己評価が低く、時に先生から叱られることも。自信がなかったからこそ、さまざまなことに挑戦もしてきました。しかし、今回、卒業制作で難易度の高い扇垂木の制作に挑戦し、その結果、檀家さん、工務店の先生、大学の先生や友人など関わってきた人から評価してもらい、自信が持てました。本堂新築における扇垂木のことが新聞に取り上げられたことで、自分が関わった建築物が多くの方から注目を浴びていることを聞き、嬉しいです。 建築が進む妙長寺本堂 将来は木造建築の教員に 大学卒業後は、まず、大工としてプレカットの仕事に就き、大工職人として腕を磨きたいです。社会経験を積んだ後は、木造建築の教員になりたいと考えています。私の家族はみな教員で、幼い頃から「将来は先生になりたい」と思っていました。人に教えることも好きです。ただ、学生生活の中で、自信がなかなかもてず、後輩に対してもどこか教えることに引き気味でした。しかし、卒業制作などに取り組む中で教えることに少しずつ前向きになり、4年生ではSA(Students Assistant)として先生のアシスタントをしながら後輩にさまざまなことを教える経験をしています。実際、鋸の使い方1つでも教える立場になってみて、みんながそれぞれ違う使い方をしていることが分かり、その違いを面白いと感じます。一方で、一緒にSAをしている学生の教え方から学ぶことも多く、勉強になります。最近、木造建築に進む学生が少なくなっていると感じるので、木造建築の魅力や面白さを伝えられる教員になりたいです。 自分を磨けるものつくり大学での学び ものつくり大学での学生生活は、規則に従いながら過ごしていた小中学校時代、まだ何がやりたいかが明確ではなかった高校時代とは異なり、自分が好きなことをできる環境が整っていました。自分が磨きたいところを磨け、いろいろなことにも挑戦できました。先生からは理論や実践で役に立つことを教えてもらい、さまざまな実習やインターンシップでは、自分で実際にやってみる機会を多く作ることができました。具体的に教えていただいたことに挑戦できた結果、多くのことを学んだり、技術や技能を身に付けたりすることができました。さらに、先輩から教えていただき、後輩に教えるものづくりを通し、人とコミュニケーションを持ったり、信頼関係を築いたりする機会にも多く恵まれました。挑戦することを続けた4年間の学生生活の中で、特に卒業制作は、今までの学びと実践が活き、自分自身の成長を感じる機会になっています。 関連リンク ・建設学科 木質構造・材料研究室(小野研究室) ・建設学科 建築技術デザイン研究室(今井研究室) ・技能五輪全国大会実績WEBページ ・建設学科WEBページ

  • 【知・技の創造】流動床インターフェースの応用研究

    流動床インターフェースの研究 砂のような固体粒子を入れた容器の底面から空気のような流体を上向きに適度に噴出させると、固体粒子は浮遊懸濁して液体のような流動性を示す。的場やすし客員教授と一緒に、流動化した砂の特性を活用した流動床インタフェースを構築し、産業・医療応用や洪水体験等新しいインタラクションシステムの可能性の研究を行っている。 砂面に投影するプロジェクションマッピング 映像を投影した流動床インターフェースに魚の模型を出し入れする様子 その中で、砂面を投影面としたプロジェクションマッピングに関する研究を進めている。砂面は、水面よりも鮮明な映像が投影できるので、ゲームを始めとしたエンターテインメントに適している。流動化の有無や強さの違い等を組み合わせたり、砂の色を変えることにより、新しいプロジェクションマッピングの可能性を検討している。例えば流動化した砂面で人体模型や臓器をかたどり、そこに正確な色の映像を投影する技術により、医療教育や術前カンファレンスなどでの可能性を検討している。また、触れられて投影面の中に手や物を出し入れすることのできるディスプレーが実現できるので、新しい応用の可能性が広がる。写真は、流動床インターフェースに映像を投影し、表面の池の部分から泳ぐ魚に見立てた魚の模型を出し入れしている様子である。 砂には色がついていて白色スクリーンとは異なる。また砂面は滑らかではなく、流動化しているときは表面を動的制御できる。さらに物の出し入れが行える。そこで砂面の反射特性や観察角度の変化に伴う明るさと色の変化、さらに砂面の深さ方向の変化に伴う明るさや色の変化等に対する色再現手法、および色彩制御技術の研究を進めている。これらは、卒業研究やインターンシップのテーマとして学生と一緒に行っている。 また、噴水のように水を連続して噴出させたところに映像を投影するディスプレーが開発されているが、水は反射率が低いので明るい場所では不向きである。これに対して、砂などを連続して噴出させることで、何もない所に突然鮮明な映像を出現させるようなディスプレーの研究も進めている。 防災訓練の応用と触感再生装置への可能性 その他に流動床現象の出現原理の解明を進めると共に、医療応用では、自力で姿勢を変えられない人のポジショニング用具や癒し用具の開発を埼玉県内の病院・企業と産学連携で実施している。さらに疑似体験型拡張現実(AR)と流動床インターフェースを活用して、視覚と身体で水害を感じる洪水体験システムへの検討を進め防災訓練に応用している。また色々な触感を実現する触感再生装置への可能性を検討している。 流動床インターフェースを活用した洪水体験の様子 埼玉新聞「知・技の創造」(2024年2月2日号)掲載 profile 菅谷 諭(すがや さとし)情報メカトロニクス学科教授 博士(工学)。東北大学大学院修了、NEC、アリゾナ大学オプティカルサイエンスセンター、静岡理工科大学助教授を経て現職。専門はオプトメカトロニクス。 関連リンク ・研究実績WEBサイト(researchmap)・的場やすし客員教授Youtubeチャンネル・情報メカトロニクス学科WEBページ

  • 【知・技の創造】新しい教養教育の展開

    教養教育センターの始動 2022年1月7日の「知・技の創造」に「新しい教養教育の取組み」として、同年4月から始動する「ものつくり大学」の新しい教養教育の記事を掲載しました。今回は、教養教育センターが取り組んできた活動について紹介します。前回紹介したものづくり系科目群、ひとづくり系科目群、リベラルアーツ系科目群の教養教育科目は順調に展開しています。 教養教育センターWEBページ 教養教育センターからの発信 第1回教養教育センター特別講演会の様子 2022年11月24日に、第1回教養教育センター特別講演を本学で行いました。スペシャルゲストとして、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授の柳瀬博一氏をお招きし、「テクノロジストのための教養教育」についてお話を頂き、その後に教養教育センター教員によるパネルディスカッションを行いました。教養教育に関する熱い思いを学生にぶつけ、教養教育のキーワードとして土居浩教授は「磨き続ける」、井坂康志教授は「無知を認める」、町田由徳准教授は「視野を広げる」、土井香乙里講師は「とことん学ぶ」を挙げていました。ちなみに私は「本物を知る」です。 2023年11月9日には、第2回教養教育センター特別講演を渋谷で行いました。会場は渋谷スクランブルスクエア15階の「SHIBUYA QWS」で、日立アカデミーとの共催、ドラッカー学会の協賛で行いました。特別講演は、日立製作所名誉フェロー、脳科学研究で著名な小泉英明氏に、「脳の基本構造を知り、学びたいという気持ち、意欲やパッションの根源を知る」についてお話を頂きました。鼎談「脳科学、言葉、ものづくり、使える教養はどう育つか」では、キャスター・ジャーナリストの山本ミッシェール氏をお招きし、パネルディスカッションでは本学教養教育センター教員も参加して活発な討論が行われました。 第2回教養教育センター特別講演会の様子 教養教育センターでは、ものつくり研究情報センターと協力して、「半径5mの経営学 ドラッカー流 強みの見方・育て方」、「上田惇生 記念講座 ドラッカー経営学の真髄」、「ものづくりのためのデザイン思考講座」の社会人育成講座を行いました。 大学ホームページからは、埼玉の歴史や文化をものつくり大学独自で研究している「埼玉学」を発信しています。是非、ホームページをご覧ください。埼玉学の記事一覧はこちら 2024年度からの始動  2024年度からは、前述の「SHIBUYA QWS」のコーポレートメンバーに入会する予定で、会員になると月に1回広い会場スペースを利用することができます。特別講演をはじめ、様々な行事を行えるようになりますので、新たな展開に期待してください。  授業では、「ICT基礎実習」、今年度新設した「データリテラシー・AI基礎」を軸に、文部科学省の「数理・データサイエンス・AI教育プログラム認定制度」に申請し、情報の分野を強化します。また、来年度は留学生のための「日本語」を新設して、「留学生就職促進教育プログラム認定制度」に申請し、留学生の日本語教育と就職支援を行います。 おわりに 教養教育センターは、向上心を持って日々新しいことに挑戦しています。来年度は第3回教養教育センター特別講演をはじめ、様々な取り組みを発信します。これからの教養教育センターの活動にご期待ください。 埼玉新聞「知・技の創造」(2024年1月5日号)掲載 profile 澤本 武博(さわもと たけひろ)建設学科教授 東京理科大学卒業、同大学院博士後期課程修了、博士(工学)。若築建設株式会社、東京理科大学助手を経て、2005年着任、2019年より学長補佐、2022年より教養教育センター長。 関連リンク ・コンクリート研究室(澤本研究室)WEBサイト・建設学科WEBページ・教養教育センターWEBページ

  • 【知・技の創造】高校ロボコンで埼玉無双

    高校生ロボコンと学生ロボコン 全国高等学校ロボット競技大会をご存じでしょうか? 主に工業高校の生徒が、毎年違うお題に対してロボットを開発する競技大会です。さまざまな対象を運んだり置いたりが課題となる「キャリアロボット」というジャンルの競技です。 11月末に福井県で全国大会が開催され、埼玉県大会で1位・2位に入賞した進修館高校が埼玉県の代表校に選出されました。 一方で、ものつくり大学「ろぼこんプロジェクト」は、NHK学生ロボコン2023に出場を果たし、出場回数は14回を誇ります。 NHK学生ロボコン大会会場にて NHK学生ロボコンは全国の大学・高専が対象のロボット競技大会で、優勝するとABUロボコン(アジア地域のロボコン大会)の出場権を得られます。全て英語のルール発表が10月初旬。これを深く理解し、ロボットを設計・開発・実装します。2月末、4月末の2回の厳正なビデオ審査を経て、出場チーム数は20チーム前後に絞られます。大会は6月初旬に開催されます。 従って大会に出場を果たすだけでもかなり大変で、メンバーの学生たちは、ほぼ1年中ロボットの開発にいそしんでいます。実はメンバーの中には前述の全国高等学校ロボット競技大会に出場経験のある学生もいます。 高大連携でロボコン無双 これらの背景から、本学と進修館高校で高大連携事業の一環として、去年12月よりロボコン講習会を始めました。本学学生が高校生に自分の経験や知識を教えます。内容は表のとおり、メカ設計・加工・制御回路と、ロボコンに必要な機械・電子・情報の内容を網羅してあります。7回目まで実施済みで、今年度末までに残りの講習を行います。今年12月からこの連携に児玉高校も仲間入りします。 埼玉県内の高校ロボコンチームの参加を募集中です。この活動を通じて、埼玉県から出場の高校生チームが全国高等学校ロボット競技大会で無双することを夢見ています。 回数内容1設計とは?(機構学とモノの捉え方)23DCADを用いた設計33Dプリンタを用いた実習4~7全国高等学校ロボット競技大会出場マシンのお悩み相談会8マイコンを用いた制御回路(センサ・アクチュエータ・LED)9マイコンを用いたシリアル通信10マイコンを用いた無線通信11板金工作の設計12板金工作と実装講習の内容 埼玉新聞「知・技の創造」(2023年12月8日号)掲載 Profile 三井 実(みつい みのる)情報メカトロニクス学科教授  北陸先端科学技術大学院大学博士後期課程修了。博士(情報科学)。専門はシステム開発、音響工学、電気電子工学。 関連リンク ・ヒューマンメディアラボ(三井研究室)WEBサイト・情報メカトロニクス学科WEBページ・ロボコンはスポ根だ!優勝目指してひた走れ!① ~リーダー&操作担当者編~・ロボコンはスポ根だ!優勝目指してひた走れ!② ~ピットクルー&大学院生編~

  • 【埼玉学④】『翔んで埼玉-琵琶湖より愛をこめて』を公開当日に観に行くということ

    「埼玉学」とは、埼玉県の歴史・文化・産業・地理・自然など、埼玉県に関するあらゆる分野を総合的に研究・探究する学問です。教養教育センターの井坂康志教授が新しい研究テーマとして連載を始めました。埼玉学第4回は、井坂教授が『翔んで埼玉-琵琶湖より愛をこめて』公開日に浦和パルコ映画館にて、埼玉学徒の皆さまと鑑賞したことを受けて、埼玉学の問題提起を述べていきます。 埼玉とは「悲劇のイデア」である 映画『翔んで埼玉2』の2023年11月23日公開に先立ち、『東京新聞』から埼玉の県民性についてコメントを求められた。私は公開当日にこの映画を見ることができたので、今となっては私の話したことはたいした意味もなくなっているのだが、ごく簡単な感想をお話して、埼玉学の問題提起に代えたいと思う。もちろん私は映画について立ち入った話をしようと思うのではないし、そんなことは専門家でないからできもしない。ただごくおおざっぱに、映画に表れた埼玉の特性についてお話ししようと思う。というのも、埼玉とは特定の土地よりも、一つの「悲劇のイデア」だからなので、この点は今日いろいろな理由から曖昧になっており、このことを明らかにすることがさらに大きな視点を獲得するうえで大事だと考えているからだ。『翔んで埼玉』が公開されたのは2019年のことだった。この作品は埼玉そのものというよりも、埼玉のイメージに着目して、その特性を新しい見方によって蘇生させることに成功した。これは埼玉に伴うおそらく近代以降の一大イノベーションとさえ言える。もちろん映画で描かれる台詞や情景は、逆説、独断、憶測、諧謔に満ちている。だが、私が映画を数度見て結果として覚えることになった「異常な感動」は、埼玉に関する動かしがたい何かを教えていると思った。『翔んで埼玉』が一つの娯楽映画を超えた何かを持っているのは、多くの人が「はじめは笑っていたが、最終部では思わず涙した」とコメントしていることからも明らかだろう。ちょっと聞くと反語に受け取られるが、それは埼玉が様々な側面で二つの勢力の葛藤を知らず身に帯びている事実を示唆している。ここで言う二つの勢力とは、主として埼玉の地形と地政に由来している。改めて埼玉を地図で確認してみると、接する都道府県は7つ。異常な数である。とくにあの長野県とも一部接している事実は埼玉県民にさえ知られているとは言えまい。 とりわけ北の群馬、南の東京都の県境が圧倒的に長大である。これは、東京という近代日本の象徴と群馬という近世権力との間に横たわる、よく言って通路、悪く言えば「玄関マット」の役割を埼玉がはからずも果たしてきた事実を示している。南北の文化・文明的差異に加えて、中央に縦走する台地を境目として、東西の山・川の地形的コントラスト。これらの異なる勢力が常時綱引きしている構図である。そのぴんと張り詰めた綱の上に埼玉が乗っている格好である。自己イメージ形成に葛藤をもたらさないはずがない。もちろん、映画はどこかでそのことを念頭に置いて、スタイリッシュかつコミカルに主張しているのであって、シーンの一つひとつは、すでに埼玉県の心中の風景を映像化したものにほかならない。そこでは、「埼玉には際立ったものが何もない」との一般の主張を覆す証拠がふんだんに存在している。『翔んで埼玉』が取り扱うのは、表面的には喜劇である。しかしその実、悲劇の本質を余すところなく表現している。ニーチェは『悲劇の誕生』において、「悲劇とは人生肯定の最高の形式」と述べている。悲劇とは、何かの不足によって起こされるものではない。むしろ何かの過剰によって惹き起こされている。主人公の麻実麗(GACKT)は、埼玉県民の素性を隠し、東京都民を圧倒的に凌駕する「都会指数」を発揮しながら、彼は進んで埼玉解放戦線の活動に身を投じ、苦節の末にその試みに成功するのが『翔んで埼玉』のストーリーである。彼は同胞たちの災厄を進んで引き受けている。その姿勢が何より悲劇的である。このように空気を読まずに地雷を踏んでしまう人。そのような人を世間では「ダサい」と呼ぶ。 「ダサさ」を愛さなくてはならない 映画館で配布されたカード。当日浦和では映画公開を知らせる号外も配布された。 およそこのような悲劇の肯定は、巷間埼玉に対して発せられる凡庸さや冗長さ、無気力、無関心とはまったく異なる。むしろ、麻実麗に見られるのは、生命の過剰であり、悲劇の精神の遂行である。意志と希望の挫折からくる不条理への愛である。『東京新聞』の取材で私は埼玉の県民性について問われたわけだが、語っているうちに私は県民性について自分が話しているのでないことに気づいた。埼玉のうちにある精神の断片を拾い上げたい気持ちになったのだ。埼玉の中に表現される縦横の衝突・葛藤は、自己イメージ形成でも大事な役割を果たしている。この衝突によってついに「ダサい」という非常に輝かしい境地に到達しえたということだ。偉大な存在に共通するのは、アイデンティティ獲得の疎外からくる絶えざる緊張である。心内に深刻な葛藤があるなら、それから目を覆ってはならないし、耐えるだけでもいけない。その葛藤が何を教えるかに目を凝らさなければならない。さらには進んで、「ダサさ」を愛さなくてはならない。これはいわば日常生活に身を浸した者の率直な決断なので、多くは無自覚であって、奇をてらった結果ではない。葛藤に伴う日常が、この生活態度に埼玉県民を導いたのだ。もちろんこういう考えは、アイデンティティの確立にはおよそ不向きである。都会に屈すれば、ただの植民地になるだろう。田舎に甘んじていれば、進歩の可能性はなくなるだろう。埼玉県はどちらでもない。まさにこの中途半端な状態を肯定するならば、進んで世間の図式的な都会とか田舎とかといった区別を越えた一次元高い自己認識を獲得しなければならない。 なぜ寛容なのか 記者からの質問は、「なぜ埼玉県民はかくも露骨にディスられても、それを寛容に受け止めるのか」というものだった。私はそれに対して、「アイデンティティの先延ばし」を習慣化しているからではないかと答えた。あえて言えば、現代においてアイデンティティの獲得はあまりにも強調され過ぎていないか。それはそれほどまでに重要なことなのか。かえって人の世を生きにくいものにしていないか。個と環境との合一は、人から貴重な内省の機会を奪っているのではないか。そもそも県民性など取るに足りないものではないか。確かに埼玉県の評価をランキングで見る限り、芳しいものではない。47都道府県のうち下から何番目。ただし、注意しなければならないのは、埼玉県民が戦っているのは他県ではなく、自己自身であるということである。『翔んで埼玉2』の話に戻る。一体、映画(フィルム)とはもともと映像化されたドキュメントという意味の言葉である。その意味からすれば、この作品は一見洒落に過ぎないようでありながら、一貫して存在してきた埼玉県民の精神的来歴を純粋に映像化したドキュメントと言ってよい。登場人物を見る限り、演出はスタイリッシュで、嫌味な芝居が演じられているようには見えない。いわゆる悪い洒落ではなく、良い洒落になっているのは明らかだ。埼玉県民はあたかも自らが脚本を書き、演出し、芝居をしているかのように感じさせる吸引力がそこにはある。事実、ほとんど一本の作品を演じきったかのような清々しい解放の表情を私は浦和パルコの観客に見た。『翔んで埼玉2』では、滋賀をはじめアイデンティティの獲得を妨げられ、延期することを定められた他県との共闘が展開される。それは埼玉県民にとって悲劇の結末をもたらすものではなかった。観終わった後の観客には、どことなく救済されたかのような、えもいわれぬ表情が浮かんでいた。さすがにすすり泣きこそ聞かれなかったものの、押し黙った苦痛に言葉を与え、苛まれた魂の奥に未来を見たごとき自由のまなざしがそこかしこにあった。 あえて定義しない勇気 おそらく、この映画はアイデンティティ確立を迫る嵐のごとき風潮の中、途方に暮れた人々にとっても解放をもたらしたことだろう。だから再び言いたい。自己の確立はそんなに偉いものなのか。むしろ一般の趨勢に抗して、どこまでも自己を定義したくなる欲求の外側に立ち続けようとする態度の方がよほど強靭でしなやかな精神力を必要とするのではないか。その証拠に自己を確立したと主張する国や地域、組織、人ほど、他者との闘争に明け暮れているのではないか。つまるところ、ディスられてもけなされても、埼玉県民の自己定義は未来にある。それは永遠の旅路を歩もうと決意する点で、「君だけの永遠の道をひたすらに歩め」(ニーチェ)と説くロマン主義的態度に通じている。これは不毛なマウント合戦に加わらず、またかりそめの「アイデンティティ」の安酒に身を任せるのでもなく、つねにただ薄い笑みをもって超然と自己に邁進する姿勢である。そういうところが、埼玉県民に争いを好まぬ「しらこばと」の平和的態度をもたらした理由と思われる。『翔んで埼玉2』はその意味で、前作に続く天啓であった。「人は最も自分がよくできることを知らない。強みとは持ち主自身によって知られていない」とはマネジメントの父ピーター・ドラッカーの言である。埼玉県民はこの映画によって、はからずも自分が最もよく行ってきたことのみならず、自己の心内で営まれた果てしない物語を知ることになる。あるいはおおげさに聞こえるだろうか。 行田市古代蓮展望タワーをしみじみと眺める。意外に高い。 Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学教養教育センター教授1972年、埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、社会情報学。 関連リンク ・東京新聞 TOKYO Web「ディスられても笑いに 埼玉の強みとは『翔んで埼玉』続編23日公開」・【埼玉学①】行田-太古のリズムは今も息づく・【埼玉学②】吉見百穴-異界への入口・【埼玉学③】秩父-巡礼の道・教養教育センターWEBページ

  • 建設学科の女子学生が、建設(土木建築)現場の最前線で働く女性技術者のリアルを『見る』・『聴く』

    2023年10月20日、若築建設株式会社(本社目黒区)主催の女性技術者志望者対象の「工事現場見学会及び座談会」に、本学から、建設業に興味のある建設学科3年の女子学生5名が参加しました。この企画は、参加した女子学生が工事現場や女性技術者について理解を深め、建設業の魅力に触れることで、進路選択の一助になることを目的としています。本学では、長期インターンシップや企業訪問等の多様なキャリア支援施策を実施していますが、女性による女性のための女性だけのユニークな企画参加はおそらく初めて。参加した女子学生5名のリアルな感想を伺いました。 一瞬で打ち解けた若き女性技術者の明るさと元気さ 会場となったのは東京都葛飾区の新中川護岸耐震補強工事の現場。本事業は、東京都の女性活躍モデル工事となっているものです。まず若築建設から女性技術者9名の自己紹介があり、続いて4班に分かれた本学の女子学生がそれぞれ自己紹介を行いました。その後、全体スケジュールの説明があり、「女性技術者の目線から見た現場の現況や魅力を見て、今後の進路選択に役立ててほしい」と本日の目的を強調されました。学生たちは明るく元気な女性技術者の皆さんから積極的に話しかけていただきました。遠藤 夢さん(澤本研究室)は「女性技術者の皆さんが初対面の人同士でもフレンドリーでした」と第一印象について話してくれました。次に、いよいよリアルな工事現場見学に移動。現在進めている施工場所の長さは約150メートル。その移動の途中、学生たちは、気さくに説明をされる女性技術者に触れ、「現場で働く人に対して怖いイメージをもっていたけれど、実際は優しかったです」と河田 さゆりさん(田尻研究室)はイメージと現実の姿の違いを感じたようです。工事中の現場では、この工事の責任者である女性の監理技術者が「現在進行中の護岸工事は階段状に削ったところに新しい土を入れ、地滑りが起こらないように転圧(固める)をしています」と説明してくださいました。その姿を見たタマン・プナムさん(澤本研究室)は「現場に女子の監理技術者がいるのは面白い」と興味を持ちました。学生たちはフェンス越しに護岸の工事現場の様子を見て、メモを取ったり、女性技術者から具体的な説明を聞いたりするなどして現場でどのような工事を行っているのかを体感していました。説明してもらっていたカルキ・メヌカさん(澤本研究室)とプナムさんは「現場で働く女性技術者の方に、優しく、いろいろ教えてもらえて、とても勉強になりました」と話していました。 また工事現場での女性への配慮の一つとして、設置された仮設トイレや休憩所も見学しました。気になる仮設トイレは臭いを極力抑えるコーティングがされていることや休憩所では、電子レンジやWi-Fiが完備されている話などを伺いました。学生たちは現場でどのようにトイレを使用したり、休憩したりするかといったことにも関心もあり、工事現場の環境改善が進んでいることを実感しました。晴天でしたが、風が強めの見学であったため、女性技術者から現場の仕事は天候に左右される仕事でもある事情をお聞きし、現場の実情を知り、「現場を見られてよい経験になりました」と遠藤さん。また、工事現場見学を通し「現場のイメージが変わり、若い方も働いていて、働きやすい環境だと感じました」と河田さんは話してくれました。今回の工事現場見学では、日頃見聞きできない工事の進行状況や女性技術者がどんな環境でどのように仕事をしているのか直接教えていただきました。今回の工事現場見学を通して感じ、学んだことを他の学生とも情報共有し、本学での学習に活かすとともに建設業界の内情について理解を深めていってくれることを期待します。 4班それぞれに笑顔があふれた座談会 遠藤 夢さん 1班の遠藤さんは、監理技術者含む入社1年目と2年目の女性技術者3名との座談会。用意されたプロフィールを見ながらの現場での仕事の話になり、「女性技術者でも夜勤はあるけれど『滑走路から見る東京の夜景』や『早朝の富士山』は格別」といった現場あるある的なお話をしてくださいました。女性技術者と男性技術者の違いに関心があった遠藤さんは座談会で「現場で働く技術者は資格もある人もいれば、そうでない人もいて、男女に優劣はなく、その人次第ということを知りました」と話してくれました。 2班の金子 歩南さん(澤本研究室)は、入社8年目と1年目の2名の女性技術者との座談会。入社した経緯や自社の良いところについて熱弁してくださったお2人。話を聞いた金子さんは「土木・建築の技術者に進もうとする人は『インターンシップ』がきっかけだったり、土木や建築が元々好きだったりする人がいることを知りました」と。また、土木・建築の技術者にとってどんなことが大変だったかを知りたかった金子さんは「入社当初は、土木・建築の技術者としてなかなか実力が認められなかったけれど、経験を積んで、実績を見てもらったり、さまざまな立場の方との話をしたりして分かってもらえるようになった」という体験談を聞けたそうです。 3班のプナムさんとメヌカさんは、中途入社した4年目と8年目の2名とスリランカ出身で入社2年目の計3名の女性技術者との座談会。さまざまな経歴をもつ女性技術者たちからキャリアの活かし方について具体的なお話が聞けました。また、留学生である学生2人は外国人の女性技術者の働き方や文化の違いの対応について関心が高く、働く上で文化的な違いをどうやって理解し、日本の働き方に合わせるかを熱心に聞いていました。日本でアルバイトをしているからこそ同じ外国人として働く上での大変さについて共感も生まれていました。 タマン・プナムさん カルキ・メヌカさん さらに、日本企業と海外企業の仕事の進み具合の違いといった国際的な話も展開されていました。プナムさんは「スリランカ出身の方の話がためになりました。また、海外プロジェクトに参加したら、その経験が身につき、自分自身の実力になることを知りました」と。メヌカさんは「入社前に資格取得が必要ではないかと考えていましたが、土木・建築の分野の資格は入社してからでも大丈夫だと聞いて安心しました」と話してくれました。 4班の河田さんは、入社1年目と6年目の2名の女性技術者との座談会。日常生活について話を聞いたり、女性技術者が設計したものを直接タブレットで見せてもらったり、働く上で必要なことを伺いました。リアルな女性技術者の話を聞いた河田さんは「就職活動するにあたり、立派な志望理由が必要だと思っていましたが、『さまざまな角度や観点から考えてもいいんだ』といったことを考える良い機会になりました」と話してくれました。 視野を広げた貴重な体験 今回の座談会では、学生たちが若築建設の女性技術者の皆さんからさまざまな体験やアドバイスを聞くことができました。金子さんは「他の会社を見学した際、現場で働くのは男性が中心でしたが、今日は年齢が近い女性技術者にお会いできて、話が聞けてよかったです」と他の会社見学とは違った体験ができたと話してくれました。現場で働く女性技術者の年齢が近い方も多かったため親近感もわき、自分事して考えることができ、大きく印象が変わったようです。 金子 歩南さん また、今後の進路選択に当たり、若築建設のような建設会社を選択肢に入れたい思いが生まれたり、視野を広げたものの見方について学ぶ機会になったりと貴重な時間になりました。プナムさんは「女性技術者の皆さんの経験をお聞きし、皆さんがどれだけ頑張っているかを知り、私も頑張り、このような職業に就きたいと思いました」と熱い思いを語ってくれました。メヌカさんは「若築建設では英語も磨けると聞き、とても興味を持ちました」と意欲をわかせていました。最後に澤本武博教授(建設学科)からは、先生自身が若築建設の勤務経験があったことや卒業生が働いていることなどを踏まえ「今日の経験を今後の学生生活や就職活動に活かしてほしい」というお話をしてくださいました。そして女性技術者の皆さんからは熱いエールを送っていただき、座談会の幕を閉じました。工事現場見学会や座談会の進行を行っていただき、また熱心に説明をしてくださった若築建設の女性技術者の皆さまには心より感謝申し上げます。 参加者/1班:遠藤 夢 さん(建設学科3年、澤本研究室)2班:金子 歩南 さん(建設学科3年、澤本研究室)3班:カルキ・メヌカ さん(建設学科3年、澤本研究室)3班:タマン・プナム さん(建設学科3年、澤本研究室)4班:河田 さゆり さん(建設学科3年、田尻研究室) 関連リンク ・建設学科WEBページ・澤本研究室WEBサイト・田尻研究室WEBサイト・若築建設株式会社WEBサイト

  • 【知・技の創造】地域活性化は子どもたちから

    地域を担うのは誰? 郊外や地方で人口が減少する中で、地域の活力や賑わいを維持するためには、少ない人口でも生産性を上げる新たな産業の創出や観光の振興などが考えられますが、そこに住まう「人」が必要不可欠です。そのため、いずれの地域も「人」を確保するために、移住・定住の促進や、地域外に居住されていても地域とかかわりを持ってもらえる関係人口を増やすことに力を入れています。 このように人口の減少局面では「地域の外の人」に目がいきがちですが、もっと身近なところに頼もしいヒューマンリソースがあります。 地域の子どもたち 地域の子どもたちは、私立学校を除けば、お互いに同じ地域の中で同じ小学校や中学校に通学することが多く、比較的近隣に居住して親密な人間関係の基礎を築いていく傾向にあります。しかしながら高校生や大学生になると、地域外への通学や活動の場面も多くなり、そのまま就職することでネットワークは広がりますが、地域へのかかわりは少なくなる傾向にあります。 このような、子どもたちの成長過程で広がるネットワークの中に、なかでも地域に根差した生活を送る小学生・中学生の時期に、もっと積極的に地域のまちづくりや課題解決への意識や行動につながる組織をつくることができれば、中長期的な人材確保につながるのではないかと考えています。 地域へのかかわりを維持  私たちの研究室では、地域の小学校と中学校をまたいで、子どもたちによって組織された「子どもまちづくり協議会」の試験的な設置を提唱しており、ある自治体において実際に取り組みを始めています。協議会というカタい表現はあくまで組織の趣旨や活動を理解してもらうための仮称で、覚えやすく親しみやすい名称をみんなで考えればよいと考えています。 この組織の大きな目的は、小学校・中学校の子どもたちにまちづくりや地域の課題を解決してもらう当事者の一員になってもらうことです。 もちろん、子どもたちだけでは難しい場面も多いと思われますので、大学をはじめ有志のオトナも適切なサポートを行います。組織の中には複数のチームがあり、学年単位といった横割りではなく小学生・中学生の区別なく学年も超えた混成チームを編成し、自分たちで決めたテーマに取り組んだり、ほかのチームと協力することで年齢の枠を超えたつながりをつくります。 このチームは学年が上がっても、卒業しても、地域を離れても可能な限り維持に努めます。成果は議会などに提言や報告することも考えられます。 緩やかだけど強力な応援団  このようなネットワークの中の組織から、たとえ数名でも地域に残って活躍したり、Uターンしたり、地域に居住していなくても興味を持ち続けて外からの力でまちづくりや地域課題の解決を支援したり、または地域に縁がなかった人までも巻き込むきっかけになれば、緩やかではありますが強力な応援団として、けっきょくは中長期的にみると大きな効果を発揮するのではないかと考えます。 地域の活性化には中核となる人材の存在がキモですので、その人材と地域にかかわるネットワークを、いまの子どもたちの中から「育てていく」仕組みづくりも重要ではないでしょうか。 埼玉新聞「知・技の創造」(2023年11月3日号)掲載 Profile 田尻 要(たじり かなめ) 建設学科教授  九州大学 博士(工学)総合建設会社を経て国立群馬工業高等専門学校助教授、ものつくり大学准教授、2013年より現職 自治体との連携実績や委員も多数 関連リンク ・生活環境研究室研究室(田尻研究室)WEBサイト・建設学科WEBページ

  • 先輩たちへの感謝を胸に大会へ ~第18回若年者ものづくり競技大会②~

    2023年8月1日から2日にかけて静岡県で第18回若年者ものづくり競技大会が開催されました。本学では建設学科から2名(建築大工職種1名、木材加工職種1名)の学生が出場し、建築大工職種で金賞、木材加工職種で銀賞という好成績を残すことができました。今回は木材加工職種で銀賞を受賞した入江 蛍さん(建設学科1年・静岡 科学技術高等学校出身)に、大会に出場した感想を伺いました。※木材加工職種の競技は、「小いす」を製作します。原寸図の作成、ホゾ(木材を接合する部分の突起)、ダボ(部材をつなぎ合わせる小片)による接合の加工、接合部の組み立てなどを行います。 慣れない作業に苦戦する毎日 入学当初から技能五輪全国大会に出たいと思っていました。友人から若年者ものづくり競技大会には1年生から出場できる事を聞き、早速、学内の掲示板を探しました。ものづくりに興味を持ったきっかけは、手先が器用な祖父が趣味で水車や離れを作っているのを見てきたからです。その後、大工仕事を学んでみたいと思って、高校で建築大工の技能検定を受けたり、高校生ものづくりコンテストの木材加工部門に出場しました。大工や家具、左官など色々なことに興味があって、ものつくり大学に入学したので、若年者ものづくり競技大会ではどの職種に挑戦するか迷いましたが、やったことがなかった家具に挑戦したいという思いから出場しました。練習は入学してすぐに始めました。大会出場を目指している新入生5人で先輩方に教えてもらいながら、毎日毎日練習をしました。先輩方は、日付が変わるくらいの時間まで常に教えてくださったのでびっくりしました。「まだ23時だからこれからノコやろう」とか日付をまたぐこともあったりして、時間の感覚がおかしくなっていました(笑)。授業もあって大変でしたが、昼夜を問わず練習できるのは良かったなって思います。それに、高校ではいつも一人で練習していたので、予選を受ける友人たちと一緒に、先輩方の指導を受けることができ、頑張ることができる環境はありがたいと思いましたし、だからこそ成長できたのかなって思います。 先輩との練習の様子 大工と家具では木材の大きさも道具も違いますが、少しは大工の経験があるから上手くできるかと思っていました。でも、予想以上に違いがありました。最初は、木材を切るにしても縦引き横引きが真っすぐできなくて、ぴったり合いませんでした。また、家具では白柿(しらがき)という罫書き線を引くための道具を使います。大工では墨差しや差し金を使って墨付けをするので、白柿を使ったことがありませんでした。持ち方もコツが必要で、垂直に線を引くのも難しかったので持ち方から慣れる必要がありました。家具の作業は考えることがすごく多かったです。刃には、しのぎ面という斜めになっているところがあって、そこが加工する側にくるようにとか、線を引くのもどの向きにとかスコヤをどこに当てるのかなど、ただの墨付けではあるんですけど、考えながらやる必要がありました。上手くできるようになったのは5月の学内予選の頃です。予選の時に、縦引きも横引きも最初に比べて真っすぐ切れるようになりましたし、ノミでの作業も綺麗にできるようになってきました。 わずかな隙間 高校生の時は、検定を受ける時も大会に出る時も自信を持てるまでずっと練習をしていたので、あまりプレッシャーを感じることはありませんでした。だけど今回は、本番一週間前までは何回やっても標準時間内に完成できませんでした。やればやるほど課題が見つかって、上手くいかないことがどんどん増えて焦っていました。練習で最後の最後まで納得がいく作品を作れなかったので、緊張していました。それに、本当に多くの方に教えていただいたので、期待に応えたいという気持ちがあったけど不安でした。練習では、標準時間にプラス30分程度かかって完成していましたが、それでは減点になってしまいます。金賞を狙うからには、時間内に作って減点を抑えようと思って大会に臨みました。午前中は思いのほかペースが良くて予定外のところまで作業が進んでしまいました。残りの5分は何をしたらいいのかというくらい余裕が出てしまい、掃除などをしていました(笑)。今にして思えば、ここでもうちょっと考えて進めておけば良かったなと思います。午前は驚くほど調子が良かったのですが、午後になり、最後の一番大事なところを綺麗に切れなかったことを後悔しています。練習の時も上手くいかなくて改善策を見つけて挑みましたが、今一つ上手くいかず隙間がわずかにできてしまいました。仕上げの時に、やすりをかけたり、ボンドで埋めたりして隙間を少しでも埋めるために調整して何とか仕上げました。不安だった作業時間は、標準時間よりプラス10分かかりました。プラス5分ごとに1点減点されてしまうので、出来栄えと減点を秤にかけて作業を終了することを目安にしていました。 完成した課題は、1か所隙間があり納得のいくものではなかったので「金賞は難しいかな」と思いました。でも、やってきたことに後悔はないのでその時の最大限の作品は作れたと思っています。今回、銀賞を受賞することができましたが、「やっぱり金賞取りたかったなぁ」って残念な思いです。でも、作品の出来栄えからすると入賞できて、先輩方の期待に少しは応えることができてほっとしています。先輩方には本当に毎晩遅くまでたくさん教えていただいたので感謝の気持ちでいっぱいです。 やりたい事がいっぱい 色々興味はありますが、建築士になりたいという目標があります。設計する上で、大工や左官のことも分かっていたほうが良いと思うので、まずは、1年生2年生のうちに左官や設計、資格取得など色々なことを経験したいと思います。実習が豊富だから仕上げや木造の実習も頑張りたいです。もうすぐインターンシップ先を決める時期ですが、どの分野に行くかすごく迷っています。本当は、これと決めた分野を究めていったほうがいいとは思っているんですけど、やっぱり色々なことに挑戦して経験を積んでいきたいです。 関連リンク ・練習で磨いた100%の技術を ~第18回若年者ものづくり競技大会①~・若年者ものづくり競技大会 大会後インタビュー・若年者ものづくり競技大会実績WEBページ・建設学科WEBページ

  • 投稿ナビゲーション