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#留学生

  • 目指すはベトナムと日本の架け橋。いつか強みを生かして、新たなキャリアにステップアップしたい

    ベトナム出身のヴ―・ディン・ズーンさん(総合機械学科4年生)は、中学時代よりテレビで知った日本文化や日本社会に親しみを持ち、また有形の製品を扱い、「自身の仕事が形になっている」という実感を得られる日本の製造業に大きな期待や希望を抱いていました。 3年間の日本語学習を経て、ものつくり大学へ入学。2023年度4月からは日本での就業をスタートさせます。留学生だから感じる様々な課題を持ち前の明るさと好奇心で乗り越えてきたズーンさんの今後の目標や夢はなにか。後輩へのメッセージと共にお届けします。 ベトナム社会の発展に尽力されているホエ先生との出会い ベトナム、ホーチミン市にあるドンズー日本語学校のグエン・ドク・ホエ先生との出会いが、日本に留学するきっかけとなりました。ホエ先生は、国費留学生として1959年から74年まで、京都大学と東京大学大学院に在籍していた方で、帰国後、独自の日本語学習法をベトナム人向けに編み出し、約30年で2千人以上を日本に留学させてきた方です。一貫して日本語の普及に尽力してきた功績が認められて、2019年には日本政府から外務大臣表彰、2021年には外国人叙勲で旭日小綬章を受章されています。それほど素晴らしい先生です。 私の実家はハノイから約150キロ離れたところですが、ホエ先生は各地の高校を訪ねて優秀な学生にドンズーで日本語を勉強し留学しないかと進めていました。ベトナムでは農業が主で、大きな機械を使った製造業はハード&ソフト共に後れていました。テレビで見た日本の機械の優秀さや頑丈さに感心して、もともと中学時代に日本の歴史や文化に親しみがあり、製造業に興味があったので、いずれは留学したいと思っていました。それでホエ先生の学校で日本語を学んでから、来日して日本語学校で2年経過してから、ものつくり大学総合機械学科へ入学しました。 日本語を学んできたとはいえ、入学してから多くの日本の友人や知り合いを作ることで、ようやく日本語が堪能になっていきました。人見知りしない性格なので、どんどん興味あることに飛び込んでいったのです。しかし、筆記試験には苦戦しました。読み書きはもちろん出来るのですが、漢字圏の外国人の方に比べると不利かな・・・と。そこが苦労した点ですね。 とにかくモノをいじりまわし、作り上げることが好き 大学では、フライス盤、旋盤など工作機械を使えるようになり、資格を取得しながら学んできました。機械システムと電気システムおよび情報システムの搭載されているコンピュータシステムも学び、ハードウェアとソフトウェア、両面の開発も学んできました。卒業研究では『インピーダンスマッチングを考慮に入れた人力発電装置』という題目で取組み、成果発表を行いました。これはキックボードの普及に向けた充電器の需要が高まっている現状で、自分で自分のキックボードを充電できる設備があれば誰でも楽に発電することができると考えました。 インピーダンスとは、回路と回路を伝送路で結ぶとき、回路のインピーダンスが異なると、信号電流の一部が反射されてノイズとなったり、出力が低下したりします。この不整合を解消するのがインピーダンスマッチングです。そのことを考慮しながら、人力による発電機の開発に取り組みました。ペダル的なものを漕いで、発電させるもので、負荷もかけられるので軽い運動にも最適です。そのため強度が重要でした。また100ボルトのコンセントも設置して、スマホ充電器にも活用でき、アウトドアや災害時などでも運動を兼ねて使用することができるように開発しました。自分で言うのもなんですが、発想は面白いと思っています。 また学業以外の活動では、チューターをしていました。4年生ではスチューデントアシスタント(SA)。留学生のための国際交流サークルやバドミントンサークルに入っていました。 人が好き!出会った人との距離をもっともっと近くへ!! プライベートではスピーカーを製作したり、オートバイを改装したりして楽しんでいます。しかも完成はないので、永遠に作業をして常にアップロードしています。製作したスピーカーでは、母国ベトナムの音楽を聴いています。改装したオートバイに乗車して仲間たち4人と静岡へツーリングに行きました。ツーリングは楽しかったですが、残念ながら車検切れで今は乗っていません。思い返せば、「ものづくり」に励んできた4年間でした。性格なので、これからもきっとやめられないんでしょうね(笑)。 また、ベトナムフェスティバル in 神奈川の実行委員として活動。同じ川崎市で多文化共生推進事業活動やベトナム支援会で活動しています。神奈川県では県内に暮らすベトナム人や訪日ベトナム人観光客が増加していて、将来にわたる両地域の継続的な成長と発展を図っています。その一助になればと活動しています。 それから日本ボビナム協会の会員になって活動をしています。ボビナムとはベトナムで生まれ、世界60カ国に広がる総合武術です。加盟国はアジア各国はもちろん、ヨーロッパ、中東、オーストラリア、アフリカ、アメリカと全世界に広がりをみせています。創始者グェン・ロックさんにより1938年に設立。東洋の中国拳法、古武術などと西洋のレスリング、キックボクシングなどがベトナム人によって研究、分析され、練り上げられた、個性的かつ合理的な総合武術です。これまでに上野公園で行われたベトナムフェスティバルや靖国神社奉納演舞などに参加して、身に付けた技を見ていただいています。ドンチャンと呼ばれる美しい足技の数々も、ボビナムの特色です。日本でも技の名前や用語などはベトナム語を使い、ベトナムで培われた文化と精神を尊重しています。 このように性格はアクティブでアグレッシブです。とにかく人が好きです。人とかかわりを持つことが楽しいです。一対一でも複数でもOKです。出会ってからお互いの距離が縮まることが嬉しいです。もっともっと距離感を縮めて、一緒に人生を楽しみたい気持ちが強いです。人から向上心、好奇心が旺盛だね、とよく言われます。自分でもそう思いますし、素晴らしい長所だと思っています。これが個性ですね。他の人も、様々な素晴らしい個性をお持ちなので、そうした出会いをもっともっと、この日本で経験したいと思っています。 大好きだった日本―来日をきっかけに日本で働きたいと強く思った 卒業後は日本企業に従事します。いずれは母国と製造業の可能性を幅広く事業展開出来たら一番嬉しいですし、将来的にそこに関わりたいと思っています。ベトナムはとても成長していける国でもあるので、これから何年かかけて学ぶことを糧にして、母国のベトナムだけでなく、日本と海外の架け橋になりたいとも思っています。 まずは両国の橋渡しができる人物になりたいと大きな夢を抱いていますし、すごく自分に期待しています。そして自分のことだけでなく、社会のためを思うこと、そして未来の指導者として両国で頑張りたいです。ですので、ホームは日本でもベトナムでもどちらでもよいと思っています。諦めずに、いつか必ず乗り越えられる、今じゃなければ明日がある、ゴールとなる日が必ず来ると信じていれば乗り越えられると思っています。何が必要なのか、何をすべきなのか考えることも多くあり、いろいろな対応を求められると思いますが、逆にそれは嬉しいです。外国人だから、若いからとか一切関係なく、意見や考えを取り入れてもらえたり、毎日違うことをやることで成長できると信じています。 後輩たちには、目的を持って留学しないとダメと言いたいです。日本語を学ぶことも、大学の学修も、日本社会へ溶け込むことも、ぜんぶ夢や目的のためでないと続きません。色々な方のサポートを受けて、それを感謝し、成果でお応えする。そうした考えを持って、日々研鑽することがとても重要だと思います。 皆さん、私に続いてください。わからなければ、私に声かけてくださいね。それでは、 Anh đợi em( アン ドイ エン)! 関連リンク ・情報メカトロニクス学科WEBページ

  • 目指すはベトナムと日本の架け橋。いつか強みを生かして、新たなキャリアにステップアップしたい

    ベトナム出身のヴ―・ディン・ズーンさん(総合機械学科4年生)は、中学時代よりテレビで知った日本文化や日本社会に親しみを持ち、また有形の製品を扱い、「自身の仕事が形になっている」という実感を得られる日本の製造業に大きな期待や希望を抱いていました。 3年間の日本語学習を経て、ものつくり大学へ入学。2023年度4月からは日本での就業をスタートさせます。留学生だから感じる様々な課題を持ち前の明るさと好奇心で乗り越えてきたズーンさんの今後の目標や夢はなにか。後輩へのメッセージと共にお届けします。 ベトナム社会の発展に尽力されているホエ先生との出会い ベトナム、ホーチミン市にあるドンズー日本語学校のグエン・ドク・ホエ先生との出会いが、日本に留学するきっかけとなりました。ホエ先生は、国費留学生として1959年から74年まで、京都大学と東京大学大学院に在籍していた方で、帰国後、独自の日本語学習法をベトナム人向けに編み出し、約30年で2千人以上を日本に留学させてきた方です。一貫して日本語の普及に尽力してきた功績が認められて、2019年には日本政府から外務大臣表彰、2021年には外国人叙勲で旭日小綬章を受章されています。それほど素晴らしい先生です。 私の実家はハノイから約150キロ離れたところですが、ホエ先生は各地の高校を訪ねて優秀な学生にドンズーで日本語を勉強し留学しないかと進めていました。ベトナムでは農業が主で、大きな機械を使った製造業はハード&ソフト共に後れていました。テレビで見た日本の機械の優秀さや頑丈さに感心して、もともと中学時代に日本の歴史や文化に親しみがあり、製造業に興味があったので、いずれは留学したいと思っていました。それでホエ先生の学校で日本語を学んでから、来日して日本語学校で2年経過してから、ものつくり大学総合機械学科へ入学しました。 日本語を学んできたとはいえ、入学してから多くの日本の友人や知り合いを作ることで、ようやく日本語が堪能になっていきました。人見知りしない性格なので、どんどん興味あることに飛び込んでいったのです。しかし、筆記試験には苦戦しました。読み書きはもちろん出来るのですが、漢字圏の外国人の方に比べると不利かな・・・と。そこが苦労した点ですね。 とにかくモノをいじりまわし、作り上げることが好き 大学では、フライス盤、旋盤など工作機械を使えるようになり、資格を取得しながら学んできました。機械システムと電気システムおよび情報システムの搭載されているコンピュータシステムも学び、ハードウェアとソフトウェア、両面の開発も学んできました。卒業研究では『インピーダンスマッチングを考慮に入れた人力発電装置』という題目で取組み、成果発表を行いました。これはキックボードの普及に向けた充電器の需要が高まっている現状で、自分で自分のキックボードを充電できる設備があれば誰でも楽に発電することができると考えました。 インピーダンスとは、回路と回路を伝送路で結ぶとき、回路のインピーダンスが異なると、信号電流の一部が反射されてノイズとなったり、出力が低下したりします。この不整合を解消するのがインピーダンスマッチングです。そのことを考慮しながら、人力による発電機の開発に取り組みました。ペダル的なものを漕いで、発電させるもので、負荷もかけられるので軽い運動にも最適です。そのため強度が重要でした。また100ボルトのコンセントも設置して、スマホ充電器にも活用でき、アウトドアや災害時などでも運動を兼ねて使用することができるように開発しました。自分で言うのもなんですが、発想は面白いと思っています。 また学業以外の活動では、チューターをしていました。4年生ではスチューデントアシスタント(SA)。留学生のための国際交流サークルやバドミントンサークルに入っていました。 人が好き!出会った人との距離をもっともっと近くへ!! プライベートではスピーカーを製作したり、オートバイを改装したりして楽しんでいます。しかも完成はないので、永遠に作業をして常にアップロードしています。製作したスピーカーでは、母国ベトナムの音楽を聴いています。改装したオートバイに乗車して仲間たち4人と静岡へツーリングに行きました。ツーリングは楽しかったですが、残念ながら車検切れで今は乗っていません。思い返せば、「ものづくり」に励んできた4年間でした。性格なので、これからもきっとやめられないんでしょうね(笑)。 また、ベトナムフェスティバル in 神奈川の実行委員として活動。同じ川崎市で多文化共生推進事業活動やベトナム支援会で活動しています。神奈川県では県内に暮らすベトナム人や訪日ベトナム人観光客が増加していて、将来にわたる両地域の継続的な成長と発展を図っています。その一助になればと活動しています。 それから日本ボビナム協会の会員になって活動をしています。ボビナムとはベトナムで生まれ、世界60カ国に広がる総合武術です。加盟国はアジア各国はもちろん、ヨーロッパ、中東、オーストラリア、アフリカ、アメリカと全世界に広がりをみせています。創始者グェン・ロックさんにより1938年に設立。東洋の中国拳法、古武術などと西洋のレスリング、キックボクシングなどがベトナム人によって研究、分析され、練り上げられた、個性的かつ合理的な総合武術です。これまでに上野公園で行われたベトナムフェスティバルや靖国神社奉納演舞などに参加して、身に付けた技を見ていただいています。ドンチャンと呼ばれる美しい足技の数々も、ボビナムの特色です。日本でも技の名前や用語などはベトナム語を使い、ベトナムで培われた文化と精神を尊重しています。 このように性格はアクティブでアグレッシブです。とにかく人が好きです。人とかかわりを持つことが楽しいです。一対一でも複数でもOKです。出会ってからお互いの距離が縮まることが嬉しいです。もっともっと距離感を縮めて、一緒に人生を楽しみたい気持ちが強いです。人から向上心、好奇心が旺盛だね、とよく言われます。自分でもそう思いますし、素晴らしい長所だと思っています。これが個性ですね。他の人も、様々な素晴らしい個性をお持ちなので、そうした出会いをもっともっと、この日本で経験したいと思っています。 大好きだった日本―来日をきっかけに日本で働きたいと強く思った 卒業後は日本企業に従事します。いずれは母国と製造業の可能性を幅広く事業展開出来たら一番嬉しいですし、将来的にそこに関わりたいと思っています。ベトナムはとても成長していける国でもあるので、これから何年かかけて学ぶことを糧にして、母国のベトナムだけでなく、日本と海外の架け橋になりたいとも思っています。 まずは両国の橋渡しができる人物になりたいと大きな夢を抱いていますし、すごく自分に期待しています。そして自分のことだけでなく、社会のためを思うこと、そして未来の指導者として両国で頑張りたいです。ですので、ホームは日本でもベトナムでもどちらでもよいと思っています。諦めずに、いつか必ず乗り越えられる、今じゃなければ明日がある、ゴールとなる日が必ず来ると信じていれば乗り越えられると思っています。何が必要なのか、何をすべきなのか考えることも多くあり、いろいろな対応を求められると思いますが、逆にそれは嬉しいです。外国人だから、若いからとか一切関係なく、意見や考えを取り入れてもらえたり、毎日違うことをやることで成長できると信じています。 後輩たちには、目的を持って留学しないとダメと言いたいです。日本語を学ぶことも、大学の学修も、日本社会へ溶け込むことも、ぜんぶ夢や目的のためでないと続きません。色々な方のサポートを受けて、それを感謝し、成果でお応えする。そうした考えを持って、日々研鑽することがとても重要だと思います。 皆さん、私に続いてください。わからなければ、私に声かけてくださいね。それでは、 Anh đợi em( アン ドイ エン)! 関連リンク ・情報メカトロニクス学科WEBページ