Introduction 将来は貧困層を含め、多くの人々に建築の魅力を身近に感じてもらえる設計をしたいと研鑽を積んでいる井藤飛鳥さん(大学院2年・今井研究室)。ものつくり大学での学びや経験を深め、自身の成長のために海外ボランティアに参加した井藤さんにインタビューをしました。 大学での学びと経験が海外に目を向けるきっかけに 私は大学生活の4年間、建設学科建築デザインコースに進み、主体的に建築について学んできたつもりでいました。3年次の2022年9月には今井研究室でインドネシア・スラウェシ島地震の被災地の復興調査に行く経験もしました。大学4年次に、偶然手に取った國分功一郎著『暇と退屈の倫理学』を読んだことで、自身の知識の浅さ、視野の狭さを痛感しました。その後、大学院に進み、建築デザインコンペで賞をいただくことができました。また、大学の外にも目を向け、学びを得るために志の高い人たちと関わったり、様々な場所で見識を深めたりしました。その中で、所属している研究室の今井先生が関わってこられた難民支援や復興支援の活動などを知ることが、一番近くて大きな学びなのではないかと考え、海外や途上国にも真面目に目を向けるようになりました。 フィリピンのボランティアツアー「海外建設プロジェクト」への参加 2024年8月に今井研究室で、土木・建築学生を対象とした「海外建設プロジェクト in フィリピン」というボランティアツアーの案内チラシを見て、興味を持ち参加を決めました。「大学での学びや経験を海外で磨きたい。プロジェクトに参加する他大学の学生は意識が高く自身の成長につながるのでは」と思ったからです。 このボランティアツアーの核は、水問題の改善を図るため、フィリピンの離島パンダノン島のスラム街に4基の井戸設置を学生主体で行う海外建設プロジェクトです。加えて、ボホール島でスラムの人たちの雇用と教育の場を生み出すエコビレッジ建設予定地のフェンスをつくるための整地を行うことでした。ツアーの期間は、3月5日から11日の6泊7日で、参加した学生は16大学21人。志の高い仲間と共に目標達成に向け切磋琢磨することになりました。 フィリピンは近年高度な発展をしてきた一方で、都会と田舎の格差が顕著。私たちは、フィリピン中部にあるセブ島周辺のパンダノン島やボホール島などに滞在しました。パンダノン島は、リゾート地として注目を浴びているものの、貧富の差が極端で、スラム街の占める割合が圧倒的に多く、最貧困層の人々が生活している地域と聞いていました。現地に行くと、劣悪な環境下で障がいを抱えている子どもも多くいましたが、子どもたちはみんなキラキラしていて、元気いっぱいに私たちのところに駆け寄ってくれました。 パンダノン島の子どもたち パンダノン島で暮らす人々への支援活動をしている日本人の聖子さんとジェフさん夫婦が運営している海外支援団体NPO法人ゴーシェアとの出会いもありました。ジェフさんは、島のスラム街出身で奨学金をもらい大学に入ったものの、差別やいじめを受けて退学することになり、満足に勉強できなかったことから島民の意識や暮らしを変えていきたいと活動をしていました。 左:ジェフさん、中:聖子さん、右:井藤さん パンダノン島の人に愛される井戸をつくりたい 井戸づくりは、学生21人が4つのチームに分かれて活動しました。井戸設計チーム、エコビレッジフェンス設計チーム、企業協賛営業チーム、クラウドファンディングチームです。私の担当は井戸設計チームで、メンバーは4人。パンダノン島がフィリピン政府の支援から見放された島だと聞いていたので「島の人たちが活力をもてるような井戸にしたい。井戸を見る度に日本とつながっていると感じてほしい」と思い、「島の人たちに愛される井戸」の象徴として、島の大人や子どもたちと一緒に拾った貝殻で仕上げをしようと設計しました。 井戸づくりでは、まず単管パイプを水が出るまで打ち込み、周りにコンクリートブロックを積み上げて土台をつくりました。その後、単管パイプの中にホースを入れ、それをポンプに接続し土台に固定しました。 井戸づくりの様子 井戸づくりで一番大変だったのは、部品や材料が十分になかったことです。日本からポンプを持ってきたのですが、日本とフィリピンのポンプは規格が合わず苦戦しました。また、建設材料の鉄筋や砂も不足していたため、島中を探し回りました。 本来、材料が不足していなければ、計画通りに進んだ方はずの井戸のポンプづくり。「滞在中に4つの井戸を絶対に完成させる」という強い思いで、夜に会議を開きました。会議の中では段取りや流れを決めました。私たち井戸設計チームのメンバー4人が各チームに分かれ、それぞれリーダーとなり、会議を進めました。私は小学校の井戸の担当で、誰が何をやるかの指示、コンクリートの配合やつくり方の説明などをしました。 自分たちで設計した井戸から水が出た感動を島の人と分かち合う 自分たちでポンプ台の設計や井戸堀りを行ったり、計画通りに進まなく苦労したりした分、井戸水が4基の井戸から全部出たときは何にも例えられない思いでいっぱいでした。水が出た時は島の大人も子どもも集まってきて、喜んでくれました。これで島の子どもたちがよりよく生活できるようになると思うと感極まりました。普通に日本に住んでいたら、このような感動を得る機会はなかなかなかないと思います。 貝殻で仕上げをする子どもたち 帰国後のレポートに、この時のことを「当たり前とは何なのかを考えさせられた」と参加した学生全員が書いていました。日本では基本的に材料不足といったことは稀なことで、海外に出たからこその発見だったといえます。 今回のボランティアでは大学で学んできたことが生きました。まず、コンクリートの配合を仲間に指示できました。これは1、2年次のコンクリート施工の実習で学んだことです。次に、井戸に仕上げをする際、モルタルを塗ったのですが、コテを使ったことがない他の大学の学生が多かったことに対し、「熊谷まちづくりプロジェクト」の空き家リノベーション工事などでコテを使うことに慣れていたので、早くきれいに仕上げることができました。さらに、井戸のポンプを固定する木製土台は現地で入手できるココナッツの木を使いました。とても固く、加工が大変だったのですが、大学での実習やこれまでの研究室での施工経験が役に立ち、電動のこぎりが使えない状況下で、手鋸(てのこ)で加工することができました。 日本で生まれ、育った意味について考える必要がある 今回のボランティアツアーで「日本で生まれ、育った意味について考える必要がある」という思いが生まれました。お世話になったホームステイ先にはシャワーがなく、雨水をためた小さい桶1杯分で済ませる経験をしました。日本にいたら普通はあり得ないことです。しかし、そこで暮らしている人にとっては当たり前のこと。また、私たち日本人は嫌でも勉強する環境で生まれ育ってきましたが、勉強することができない環境にいる人たちがいることを目の当たりにしました。 ゴーシェアのメンバーで現地を案内してくれた若者たちは、私たち学生と年代が近いこともあり、互いに目標を共有し「パッション」という熱量で通じ合いました。このモチベーションを保ち続けるために、今後もボランティアで出会った仲間とかかわっていきたいと思います。そして、ものつくり大学の学生のみなさんには、私のような海外のボランティア経験をしてほしいと思います。 将来は貧困層を含め、多種多様な人たちに開かれた建築物をつくりたい 将来は、貧困層を含め、より多くの人たちに建築の魅力を身近に感じてもらえる建物をつくる建築家になりたいと思っています。こういった思いはボランティアに行く前からありました。現段階では、海外の先進国、途上国問わず、環境に溶け合い、建築の様々なスケールを駆使し、可能性を探りたいという思いがあります。 今回、フィリピンのボランティアツアーで離島のスラム街の人たちに向けた井戸設置やエコビレッジ予定地の整地という海外建設プロジェクトのほか、現地滞在、他大学の学生や地域の人との交流により、ものの見方が変わったり、自分自身が目指したい方向が明確になったりして大きな気づきを得られました。今後、この経験を残りの大学院生活に生かしていきたいです。 関連リンク ・建設学科 建築技術デザイン研究室(今井研究室)・ものつくり学研究科
歴史建造物の調査研究 2005年に本学に着任以来、これまでに50件を超える歴史的建造物の調査研究や修復設計・技術指導に関するご依頼を賜り、自身の専門分野となる近世社寺建築を嚆矢に、古民家や本陣建築のほか、近代の洋風建築や足袋蔵、特攻訓練も行われた戦争遺跡、さらには土木遺産となる河川のれんが造門樋や鉄骨バランスアーチ橋に加え、産業技術遺産となる蒸気機関車など、多岐に渡る歴史的遺産の調査研究を学生と共に携わってきました。 横山研究室が復原整備を手掛けた旧忍町信用組合店舗 鍵は建造物と「対話」すること 上掲に伴う調査研究の手法は「実態調査」・「文献調査」・「数例比較調査」の三柱を基軸に進めていくことになりますが、大切なことは実践的な調査研究を通して歴史的建造物との対話がいかに行えるかが鍵となります。つまり、これには現状把握のための精緻な実態調査が必要で、室内空間だけに留まらず、床下・小屋裏・屋根裏と真っ黒に汚れながらも丁寧且つ敏速に膨大な調書を取り、それを整理して図面化することが対話の第一歩につながります。 このような前提のもと、次のステップとして創建当初の姿がどのような形態であったかを探るため、建物を構成する主要軸部の柱や梁などに残存する仕口や埋木痕跡のほか、木材表面に残る釘穴なども隈なく調べることで、復元考察が進められています。なお、近世以前の歴史的建造物は古写真が実在することは殆ど皆無であるため、このためにも文献調査を粘り強く広範囲に行い、絵図や規模を記す文書を見つけ出すことができれば大金星となります。 さらに同一の建築様式となる歴史的建造物との類例比較調査を行い、これらを踏まえながら対話の密度を高めて行けば、徐々に創建当初の姿が見えてくることになるのです。 いずれにしても日々の積み重ねが重要であり、一朝一夕に研究成果の到達を見ることはできませんが、東松山市に所在する箭弓稲荷神社社殿は二年間に及ぶ調査研究の結果、近世最後の大規模権現造形式の社殿であることを明らかとすることができ、昨年の1月19日に国の重要文化財指定に導くことがかないました。 箭弓稲荷神社の調査の様子 地方都市再生の鍵 首都圏に位置する埼玉県においても、残念ながら地方都市では人口減少が見受けられ、これを何とか食い止める施策が官民によって打ち出されています。街輿しに伴う手法はそれぞれの地域的特性に添ったコンセプトに基づき、計画性を持って段階的に進められていますが、これからの時代は「土着性と新規性の融合」が地方都市再生の鍵だと考えられます。このためにも、地域に残存する歴史的建造物をバナキュラー建築に位置づけ、保存再生と積極活用を図ることが重要だと言えます。 これにより、その歴史的建造物は地域のランドマークとなり、結果的にオンリーワンとなる地域ブランディング確立にも寄与し、例えば川越市の「蔵造りの街並み」のように、歴史の香りが漂う越渡として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されるなど、全国にその名を知らしめることになります。 なお、土着性と新規性の融合比率は、土着性の方が優位でなければなりません。これが過度に逆転すると地域特性を生かした街並み再生のコンセプトが瓦解する恐れもあり、関係者が特に留意すべき点として掲げられます。 埼玉新聞「知・技の創造」(2025年5月9日号)掲載 Prpfile 横山 晋一(よこやま しんいち) 建設学科 教授 横浜国立大学大学院博士課程後期修了。博士(工学)財団法人文化財建造物保存技術協会、立正大学を経て現職。 専門分野は市域に残る歴史的建造物の保存再生と活用提案。
Introduction 将来は貧困層を含め、多くの人々に建築の魅力を身近に感じてもらえる設計をしたいと研鑽を積んでいる井藤飛鳥さん(大学院2年・今井研究室)。ものつくり大学での学びや経験を深め、自身の成長のために海外ボランティアに参加した井藤さんにインタビューをしました。 大学での学びと経験が海外に目を向けるきっかけに 私は大学生活の4年間、建設学科建築デザインコースに進み、主体的に建築について学んできたつもりでいました。3年次の2022年9月には今井研究室でインドネシア・スラウェシ島地震の被災地の復興調査に行く経験もしました。大学4年次に、偶然手に取った國分功一郎著『暇と退屈の倫理学』を読んだことで、自身の知識の浅さ、視野の狭さを痛感しました。その後、大学院に進み、建築デザインコンペで賞をいただくことができました。また、大学の外にも目を向け、学びを得るために志の高い人たちと関わったり、様々な場所で見識を深めたりしました。その中で、所属している研究室の今井先生が関わってこられた難民支援や復興支援の活動などを知ることが、一番近くて大きな学びなのではないかと考え、海外や途上国にも真面目に目を向けるようになりました。 フィリピンのボランティアツアー「海外建設プロジェクト」への参加 2024年8月に今井研究室で、土木・建築学生を対象とした「海外建設プロジェクト in フィリピン」というボランティアツアーの案内チラシを見て、興味を持ち参加を決めました。「大学での学びや経験を海外で磨きたい。プロジェクトに参加する他大学の学生は意識が高く自身の成長につながるのでは」と思ったからです。 このボランティアツアーの核は、水問題の改善を図るため、フィリピンの離島パンダノン島のスラム街に4基の井戸設置を学生主体で行う海外建設プロジェクトです。加えて、ボホール島でスラムの人たちの雇用と教育の場を生み出すエコビレッジ建設予定地のフェンスをつくるための整地を行うことでした。ツアーの期間は、3月5日から11日の6泊7日で、参加した学生は16大学21人。志の高い仲間と共に目標達成に向け切磋琢磨することになりました。 フィリピンは近年高度な発展をしてきた一方で、都会と田舎の格差が顕著。私たちは、フィリピン中部にあるセブ島周辺のパンダノン島やボホール島などに滞在しました。パンダノン島は、リゾート地として注目を浴びているものの、貧富の差が極端で、スラム街の占める割合が圧倒的に多く、最貧困層の人々が生活している地域と聞いていました。現地に行くと、劣悪な環境下で障がいを抱えている子どもも多くいましたが、子どもたちはみんなキラキラしていて、元気いっぱいに私たちのところに駆け寄ってくれました。 パンダノン島の子どもたち パンダノン島で暮らす人々への支援活動をしている日本人の聖子さんとジェフさん夫婦が運営している海外支援団体NPO法人ゴーシェアとの出会いもありました。ジェフさんは、島のスラム街出身で奨学金をもらい大学に入ったものの、差別やいじめを受けて退学することになり、満足に勉強できなかったことから島民の意識や暮らしを変えていきたいと活動をしていました。 左:ジェフさん、中:聖子さん、右:井藤さん パンダノン島の人に愛される井戸をつくりたい 井戸づくりは、学生21人が4つのチームに分かれて活動しました。井戸設計チーム、エコビレッジフェンス設計チーム、企業協賛営業チーム、クラウドファンディングチームです。私の担当は井戸設計チームで、メンバーは4人。パンダノン島がフィリピン政府の支援から見放された島だと聞いていたので「島の人たちが活力をもてるような井戸にしたい。井戸を見る度に日本とつながっていると感じてほしい」と思い、「島の人たちに愛される井戸」の象徴として、島の大人や子どもたちと一緒に拾った貝殻で仕上げをしようと設計しました。 井戸づくりでは、まず単管パイプを水が出るまで打ち込み、周りにコンクリートブロックを積み上げて土台をつくりました。その後、単管パイプの中にホースを入れ、それをポンプに接続し土台に固定しました。 井戸づくりの様子 井戸づくりで一番大変だったのは、部品や材料が十分になかったことです。日本からポンプを持ってきたのですが、日本とフィリピンのポンプは規格が合わず苦戦しました。また、建設材料の鉄筋や砂も不足していたため、島中を探し回りました。 本来、材料が不足していなければ、計画通りに進んだ方はずの井戸のポンプづくり。「滞在中に4つの井戸を絶対に完成させる」という強い思いで、夜に会議を開きました。会議の中では段取りや流れを決めました。私たち井戸設計チームのメンバー4人が各チームに分かれ、それぞれリーダーとなり、会議を進めました。私は小学校の井戸の担当で、誰が何をやるかの指示、コンクリートの配合やつくり方の説明などをしました。 自分たちで設計した井戸から水が出た感動を島の人と分かち合う 自分たちでポンプ台の設計や井戸堀りを行ったり、計画通りに進まなく苦労したりした分、井戸水が4基の井戸から全部出たときは何にも例えられない思いでいっぱいでした。水が出た時は島の大人も子どもも集まってきて、喜んでくれました。これで島の子どもたちがよりよく生活できるようになると思うと感極まりました。普通に日本に住んでいたら、このような感動を得る機会はなかなかなかないと思います。 貝殻で仕上げをする子どもたち 帰国後のレポートに、この時のことを「当たり前とは何なのかを考えさせられた」と参加した学生全員が書いていました。日本では基本的に材料不足といったことは稀なことで、海外に出たからこその発見だったといえます。 今回のボランティアでは大学で学んできたことが生きました。まず、コンクリートの配合を仲間に指示できました。これは1、2年次のコンクリート施工の実習で学んだことです。次に、井戸に仕上げをする際、モルタルを塗ったのですが、コテを使ったことがない他の大学の学生が多かったことに対し、「熊谷まちづくりプロジェクト」の空き家リノベーション工事などでコテを使うことに慣れていたので、早くきれいに仕上げることができました。さらに、井戸のポンプを固定する木製土台は現地で入手できるココナッツの木を使いました。とても固く、加工が大変だったのですが、大学での実習やこれまでの研究室での施工経験が役に立ち、電動のこぎりが使えない状況下で、手鋸(てのこ)で加工することができました。 日本で生まれ、育った意味について考える必要がある 今回のボランティアツアーで「日本で生まれ、育った意味について考える必要がある」という思いが生まれました。お世話になったホームステイ先にはシャワーがなく、雨水をためた小さい桶1杯分で済ませる経験をしました。日本にいたら普通はあり得ないことです。しかし、そこで暮らしている人にとっては当たり前のこと。また、私たち日本人は嫌でも勉強する環境で生まれ育ってきましたが、勉強することができない環境にいる人たちがいることを目の当たりにしました。 ゴーシェアのメンバーで現地を案内してくれた若者たちは、私たち学生と年代が近いこともあり、互いに目標を共有し「パッション」という熱量で通じ合いました。このモチベーションを保ち続けるために、今後もボランティアで出会った仲間とかかわっていきたいと思います。そして、ものつくり大学の学生のみなさんには、私のような海外のボランティア経験をしてほしいと思います。 将来は貧困層を含め、多種多様な人たちに開かれた建築物をつくりたい 将来は、貧困層を含め、より多くの人たちに建築の魅力を身近に感じてもらえる建物をつくる建築家になりたいと思っています。こういった思いはボランティアに行く前からありました。現段階では、海外の先進国、途上国問わず、環境に溶け合い、建築の様々なスケールを駆使し、可能性を探りたいという思いがあります。 今回、フィリピンのボランティアツアーで離島のスラム街の人たちに向けた井戸設置やエコビレッジ予定地の整地という海外建設プロジェクトのほか、現地滞在、他大学の学生や地域の人との交流により、ものの見方が変わったり、自分自身が目指したい方向が明確になったりして大きな気づきを得られました。今後、この経験を残りの大学院生活に生かしていきたいです。 関連リンク ・建設学科 建築技術デザイン研究室(今井研究室)・ものつくり学研究科
歴史建造物の調査研究 2005年に本学に着任以来、これまでに50件を超える歴史的建造物の調査研究や修復設計・技術指導に関するご依頼を賜り、自身の専門分野となる近世社寺建築を嚆矢に、古民家や本陣建築のほか、近代の洋風建築や足袋蔵、特攻訓練も行われた戦争遺跡、さらには土木遺産となる河川のれんが造門樋や鉄骨バランスアーチ橋に加え、産業技術遺産となる蒸気機関車など、多岐に渡る歴史的遺産の調査研究を学生と共に携わってきました。 横山研究室が復原整備を手掛けた旧忍町信用組合店舗 鍵は建造物と「対話」すること 上掲に伴う調査研究の手法は「実態調査」・「文献調査」・「数例比較調査」の三柱を基軸に進めていくことになりますが、大切なことは実践的な調査研究を通して歴史的建造物との対話がいかに行えるかが鍵となります。つまり、これには現状把握のための精緻な実態調査が必要で、室内空間だけに留まらず、床下・小屋裏・屋根裏と真っ黒に汚れながらも丁寧且つ敏速に膨大な調書を取り、それを整理して図面化することが対話の第一歩につながります。 このような前提のもと、次のステップとして創建当初の姿がどのような形態であったかを探るため、建物を構成する主要軸部の柱や梁などに残存する仕口や埋木痕跡のほか、木材表面に残る釘穴なども隈なく調べることで、復元考察が進められています。なお、近世以前の歴史的建造物は古写真が実在することは殆ど皆無であるため、このためにも文献調査を粘り強く広範囲に行い、絵図や規模を記す文書を見つけ出すことができれば大金星となります。 さらに同一の建築様式となる歴史的建造物との類例比較調査を行い、これらを踏まえながら対話の密度を高めて行けば、徐々に創建当初の姿が見えてくることになるのです。 いずれにしても日々の積み重ねが重要であり、一朝一夕に研究成果の到達を見ることはできませんが、東松山市に所在する箭弓稲荷神社社殿は二年間に及ぶ調査研究の結果、近世最後の大規模権現造形式の社殿であることを明らかとすることができ、昨年の1月19日に国の重要文化財指定に導くことがかないました。 箭弓稲荷神社の調査の様子 地方都市再生の鍵 首都圏に位置する埼玉県においても、残念ながら地方都市では人口減少が見受けられ、これを何とか食い止める施策が官民によって打ち出されています。街輿しに伴う手法はそれぞれの地域的特性に添ったコンセプトに基づき、計画性を持って段階的に進められていますが、これからの時代は「土着性と新規性の融合」が地方都市再生の鍵だと考えられます。このためにも、地域に残存する歴史的建造物をバナキュラー建築に位置づけ、保存再生と積極活用を図ることが重要だと言えます。 これにより、その歴史的建造物は地域のランドマークとなり、結果的にオンリーワンとなる地域ブランディング確立にも寄与し、例えば川越市の「蔵造りの街並み」のように、歴史の香りが漂う越渡として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されるなど、全国にその名を知らしめることになります。 なお、土着性と新規性の融合比率は、土着性の方が優位でなければなりません。これが過度に逆転すると地域特性を生かした街並み再生のコンセプトが瓦解する恐れもあり、関係者が特に留意すべき点として掲げられます。 埼玉新聞「知・技の創造」(2025年5月9日号)掲載 Prpfile 横山 晋一(よこやま しんいち) 建設学科 教授 横浜国立大学大学院博士課程後期修了。博士(工学)財団法人文化財建造物保存技術協会、立正大学を経て現職。 専門分野は市域に残る歴史的建造物の保存再生と活用提案。