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  • 第2回教養教育センター特別講演会③~役に立つ教養はどのようにして活性化するか~

    2023年11月9日に渋谷スクランブルスクエア SHIBUYA QWSで開催した、第2回教養教育センター特別講演会「教養としてのクリエィティブ」の内容を全3回にわたりお届けします。第3回は、「役に立つ教養はどのようにして活性化するか」をテーマに、ものつくり大学図書館・メディア情報センター長の井坂康志教授がモデレーターを務め、パネリストに山本ミッシェール氏、ものつくり大学教養教育センター長の澤本武博教授、ものつくり大学情報メカトロニクス学科の町田由徳准教授を迎えたパネルディスカッションの様子です。【第2回教養教育センター特別講演会 開催概要】日時:2023年11月9日(木)13:30~17:10場所:渋谷スクランブルスクエア SHIBUYA QWSプログラム[第1部 特別講演会]・基調講演「教養としてのクリエイティブ」 小泉英明氏(株式会社日立製作所 名誉フェロー)・鼎談「脳科学、言葉、手-「使える教養」はどう育つか」 小泉英明氏 山本ミッシェール氏(キャスター/ジャーナリスト/レポーター/MC/講師) 荒木邦成(ものつくり大学 ものつくり研究情報センター長)[第2部 パネルディスカッション]モデレーター 井坂康志(ものつくり大学 図書館・メディア情報センター長)パネリスト 山本ミッシェール氏      澤本武博(ものつくり大学 教養教育センター長)      町田由徳(ものつくり大学 情報メカトロニクス学科准教授) インスピレーションの源 【井坂】会場のご意見も聞きながら、自由闊達に進めていきたいと思います。【町田】私の教養の定義としましては、「すぐには役に立たないかもしれないけれども、インスピレーションの源になる引き出し」という考え方で扱っています。本学の学生は物を作っている。そのとき燃料を機関車にくべていくように、教養が創造のエネルギーになってくるようにしたい。すぐに役立つかどうかわからない。けれども、そこからインスピレーションにつなげてもらえたらと思っています。【山本】教養があればあるほど、いろんな国、立場、人とコミュニケーションできるツールになると思います。自分を内省する教養がないと、結局、深掘りはできていかないからです。私が学んだ言語は8つあります。ほぼ使えなくなってしまった言語ももちろんありますが、それもきっといつか何かの役に立つのではないかと想像しています。海外で生活をしている中、いつも父に言われていたのが、「出会った人にとっては、初めての日本人になるかもしれない。私を通して、日本とはこういう国だ、日本人とはこういう人だと判断する可能性がある。そのためにも、言葉はもちろんだけれども、文化をしっかりと学んでおくこと、かつ、それを伝えられるだけの語学力は最初に身につけなさい」ということです。我が家の家訓のようなものでした。 私は教養が人生を豊かにすると思っています。知らないより知っているほうがいろいろなことに興味を持ちやすい。 【澤本】私は教養が人生を豊かにすると思っています。知らないより知っているほうがいろいろなことに興味を持ちやすい。旅行に行っても、ただ景色がきれいというのみでなく、土地の文化や歴史を知っていると、さらに深まって楽しみが増していきます。私はワインが好きなのですが、国や地域のぶどうの産地についても知ることでさらに楽しくなってきます。また学生に興味を持ってもらいたいとき、私は講義の中で、失敗談をするようにしています。このほうが学生には受けるようです。教養の根底には体験の持つ力があると思います。 【井坂】小泉先生のお話をお伺いしていて感じたのは、圧倒的な余裕です。今日のテーマの「教養としてのクリエイティブ」とは、まさしく小泉先生の姿勢といいますか、そこにおられるだけで感じ取れる。私の率直な所感です。 現場の思いを背負って 【町田】以前、子供の遊び空間の研究をしていたことがあります。その際、保育者とか幼稚園教諭の方にインタビューをしたことがありました。幼児期の体験が重要だということは保育者の方たちはみんな知っているが、現実的にできなくなってきている。屋外活動でのリスクが高いので、事故があったときには、責任を追及されてしまう。特に公立の園の保育者の方は一切外遊びはさせられない、そういう環境が今保育の現場では起こっている。そういったところで、壊していく体験だったり、失敗してしまう体験だったりが子供のときになかなか体験できないというのが今の幼児に多いと思います。【山本】アナウンサーという仕事をしていると、みんなが何か月もかけてやってきた仕事の集大成を最後に担うことになります。彼らの思いを背負って投影しないといけないミッションを私が担っている。そこで思いを台なしにしかねないときに、これをこのまま続けていったら、多大なる迷惑がかかる、ここからどう挽回すればいいのか。いろんなオプションを考えながら、最善でどうやってリカバリーができるか、そして最終的に、小さな失敗の芽をどうやってみんなに忘れてもらえるか、どうやって感動を最後に持ってこられるかを考えます。 どうやって感動を最後に持ってこられるかを考えます。 人間はパーフェクトではないので、転びながらだけれども、なるべく大けがをしないように、いろんな種類の受け身の技を学んでおく。あと、諸先輩たちも常に現場にいるので、先輩たちの姿は必ずいつも研究しています。 現場ともコミュニケーションを取るようにしています。上司よりも仲がいい現場の人たちとコミュニケーションを取って、彼らが出したいものがわかっていれば、自分がつまずいても、最終的にはそこにたどり着けるなと思っています。 論理的、言語的に伝える 感覚的ではなく、あくまで論理的に言語的に伝えることが必要。 【町田】ものつくり大学の中では、デザイン思考の授業を担当しています。学生には具体的なうまくできたポイントを指摘してあげることが大事と思っています。物を作るのは得意だけれども、アーティスティックなものに対して、拒否感がある学生は少なくない。アートがあまり好きではない学生とは、何がいいのかわからない。対してエンジニアリングは、比較的数値的にはっきりしている。アーティスティックな考え方でうまくいった方に対して、具体的に言語化して伝えてあげると、エンジニアリング・ベースでもわかりやすい。感覚的ではなく、あくまで論理的に言語的に伝えことがアーティスティックな教育では必要かと思う。 【澤本】私はコンクリート工学が専門です。創作実習を見学しましたが、学生が物を作るときには、ただ、考えるだけではなく、実際に自分の手で作る。本学では、女子学生も活発に勉強しています。創作実習も女子学生が多い。女子学生が率先してろくろを回し、いろんな色の廃材を切って組み立てたりしています。その有効利用性も学んだり、プレゼンも上手です。 実物を見る-大塚三紀子 【井坂】一わたりお話しいただきましたところで、1度会場に伺いたいと思います。自然食レストラン・実身美(さんみ)の経営者で、ものつくり大学非常勤講師の大塚三紀子さんが今日いらっしゃっています。 アートとサイエンスの行ったり来たりが教養において大事なのではないか。 【大塚】今日はたくさんの学びがあり過ぎて、感動しています。小泉先生のお話から、構想したり、デザインしたり、最初に何かを生み出すイメージとは、見たことがあるものでないとつくりにくい部分があると思う。そのためたくさんいいものに触れることがヒントになるのではないかと思いました。 実際、美術の世界も、最初は模写から入る。ピカソの作品を模写してみると、技法をそこで学ぶと感覚とスキルの両方が身につくのではないか。そのように何か物を作ったり、生み出していくときには、何か実物を見て、ロールモデルであったり、研究して、どういうふうにできているんだろうと学んだり、実際、ある機械を分解してみて、どういうふうになっているんだろうと再現してみたりして、そこから技術を学ぶ。その成り立ちを分解してみると、技術だったり、数値にできたり、アートとサイエンスの行ったり来たりが教養において大事なのではないかと今日は感じました。【井坂】私は専門はドラッカーのマネジメントですが、彼は学生に対してドラッカーは、「まず社会に出ろ」と言っていた。本を読み、考えても、社会の風圧にさらされない限りわからない情報が存在している。マネジメントは、書物の上だけのものではないのです。 本を読み、考えても、社会の風圧にさらされない限りわからない情報が存在している。 私はこれを「実弾を撃つ」と表現しています。世の中に出ると、1発実弾を撃つと、100発返ってきます。自分なりに体験して初めてわかってくるものがある。その意味では、そんな簡単にわからないでほしいという部分も正直あります。まず、社会に出て、様々な矛盾や葛藤の中で、少しずつ前進してほしい。そのための素地が多分教養の1つの意味なのだろうと思いました。続きまして、今日、一般参加者として来てくださっている東洋大学文学部の竹内美紀先生にお話を伺いたいと思います。 お母さんの表情に学ぶ-竹内美紀 【竹内】文学部国際文化コミュニケーション学科で、絵本とか児童文学、翻訳言語学、第2言語習得などを専門にしています。文学系で、最近、認知科学を入れた研究が進んでいる。コグニティブです。つまり、今までこういう本を読んだら子供が喜んだという入出力はあるけれども、間はブラックボックスだった。どういう脳の動きとか心理発達をしているから、こういう反応をするのかというのを、脳科学とか人間発達や心理学の知見を入れることによって、子供たちの反応を科学的に言語として証明することが、ここ20、30年研究されてきている。 子育て体験と、脳科学研究をクロスさせて、実社会に戻していきたい。 私は子育ての経験から児童文学の研究に入ったので、今日のお話で面白かったのが、コンピュータと脳は違って、環境応答型というところだった。思い出したのが、長男が2歳のとき、どじょうのつかみ取りをやった。子供が楽しみにしている横で若いお母さんたちが集められまして、ベテランの子育て支援者にと言われました。「いいですか。気持ち悪いとは絶対言わないでください。子供は今日初めてどじょうを見ます。そして、このどじょうが気持ちいいものか、悪いものか、かわいいものか、面白いものかは、つかんだ瞬間にお母さんの顔を見ます。お母さんが気持ち悪いという表情をしたら、そうインプットされて、一生どじょうが気持ち悪いものになるので、そういう表情を見せないでください」。それから母子でどじょうのつかみ取りを楽しんだ。 コンピュータは、どじょうについてのアルゴリズムが決まっているので、どんな入力をしても結果は同じです。人間にはアルゴリズムがないので、お母さんの表情という出力を見て、アルゴリズムをつくる。そういうことを私は経験してきて、ベテランのお母さんや児童文学の先生は経験として、子供の前で気持ち悪いと言ってはいけないことを知っている。けれども、どうして駄目なのかを説明できない。私たちが脳科学の知見を入れることによって、若いお母さんたちに納得できる形で言語化して説明していくことが研究者として必要なことだと思っている。子育て体験と、脳科学研究をクロスさせて、実社会に戻していきたい。【山本】今、竹内先生のお母さんの顔を見て判断するという話に私はどきっとしました。学校で教えているときに、学生によっては初めて触れる内容であったり、知らなかったことがたくさん授業で出てくる。学生たちは私の反応も見ているので、そういう影響は大きくなるんだろうと今思いました。今後、自分がどういう表情をしているのかともう少し意識しながら授業をしたいなと思いました。もう一つ、私はフランスで育ったのですが、美術館は子供や学生には無料でした。いつでも無料なのです。ルーブル美術館でも模写できます。本物に触れながらの模写だと得られるものはもっとある。本物と触れ合いながら、新しいものをイノベートしていくとは大事な作業です。日本の美術館もそうですけれども、環境づくりをわれわれ大人がもっと整備していくべきだと思います。 作ると「深いところ」が見えてくる 【澤本】かつてある先生から、「先生が楽しい顔をしていないと駄目だよ」とよく言われました。先生がいつもつまらなさそうな顔をしていたり、疲れた顔をしているとよくないと思っていまして、その先生はいつも楽しい顔をしていたのを今思い出しました。【町田】生活の身近なところから教養を実践していくと考えていくと、教養というものが人の生きざま、価値観と強く結びついてくる感じがしました。 【山本】おっしゃるとおり、常に倫理的に正しいことなのか、これを自分は発して大丈夫なのかとは、いつも気にかけているところです。最初、記者で入ったときの京都時代の上司がNHK WORLDのテレビの科学番組に誘ってくれた。その上司がいつも言っていたのが、これで世に出して大丈夫なのかということです。誤報を出してはいけない。世界的な誤報を出してはいけないと言われた裏では、それだけわれわれが取材相手としっかりと取り組んでいます。万が一、言葉を間違ったら、誰かに被害が及ぶこともある。何年やっていても、ぴりぴりしながらスタッフもみんな含めて、われわれは人間なので、勝手な思い込みもありますので、思い込みに引きずられてはいけない。 倫理の問題 【町田】ものつくりと倫理というところに関わってくるけれども、学生たちへの授業の中で比較的触れているのは、作る責任というところです。ものを作るのはすばらしいことだけれども、環境負荷を与えないものつくりはあり得ないので、環境の中で生きていくわれわれとして、どのようにものづくりを行っていくかということを意識してもらいたい。 偉くなった建築家の自叙伝を読んでいると、独立したばかりで仕事がないとき、暇なときに何をしていたかというのが、その方の創造性の源として重要なところになってくる。お金がないからといって違法すれすれのところに手を染めていかないかどうか。そういった倫理感は、物を作っていく中で、ぎりぎりの選択を迫られるということがあるかもしれない。けれども、そこを判断していく素地が学生のうちにできるといいのではないかと思っています。【井坂】確かに大成した方は、無名時代にいい仕事をしていたとはよく言われることです。【山本】いろんなものを観察していくと、必ずはっとするものがある。よく学生たちには、心が少しでもぶるっと震えたものがあったら、もっと調べてみるといいよという話をする。だから、今何かぶるっとしたけれども、まあいいかとスルーしてしまうのではなくて、そこにこそ次に進める芽がある。私は自分を「わらしべ長者」といつも言っているけれども、いろんな人にお話を伺ったりすると、その次に何かつながるものが見つけられる。なので、私は人生が毎日楽しいけれども、ぜひ学生たちにも、小さな楽しみから次への芽を引き出す力、サイクルをつくってもらいたい。 経験とは人間が一番大事にすべきこと-國分学長 【井坂】ものつくり大学学長の國分泰雄先生から最後に一言コメントをいただきたいと思います。【國分】小泉先生のお話を伺っていて、コンピュータ、そして最近の生成AIの話と人間との違いを今考えていました。確かに人間は環境から学習していくけれども、コンピュータ、AIの目的は最適化するはずです。人は何か課題を見つけて、解決するときに、解決する過程を楽しむことができると言っていた人がいる。小泉先生に伺いたいのは、脳内物質が何か報酬を与えているのではないかということです。何かそういうものはあるのでしょうか。【小泉】ご指摘の通りです。ところがまだ研究が十分に行われていない気がしている。学習とは、学習自身が生存確率を高めていくものなので、快に近いものとは、必ず奥深いものが伴う。小さいときに貧しくて学校に行けなかった100歳の方に会ったことがあります。英語を勉強してみたいとおっしゃっていて、しかも、いろいろと障害もお持ちなのに、すごい勢いで勉強されていた。生きる密度が高くなった印象がありました。100歳でも学習意欲を持つケースが実際にある。今、ご指摘のところは、脳神経科学としても、もっと研究が必要なところではないかと感じる。 経験とは人間が大事にしなければならない根本です。 【國分】もう一つ、私が思ったのは、AIは経験ができないと。メロンは緑色で甘いというのをAIに教えると、そう答える。けれども、それは本当に知っていることになるのか。人間は確かにメロンを見て、緑色だとか、食べてみれば甘い。あるいは、赤ちゃんは触ってみて、ざらざらしているとか経験する。その経験がAIはできない。聞けば答えるかもしれないけれども、本当かということになるのではないかという気がした。 経験とは人間が大事にしなければならない根本です。本学も経験を積んで、現場で活躍できるテクノロジストを特徴としています。では、経験が何に効くのか。小泉先生は言葉が人間の特徴だ言われたけれども、言葉とは、同じ認知能力を持っていないとできない。認知能力は経験から積み上がっていくものなので、同じようにコミュニケーションが成り立つためには、たくさん経験をして、お互いにコミュニケーションをするために重要という気がしてきたのです。人間は社会的な生き物ですから、コミュニケーションが成り立って、社会の中でいろんな充実感を達成できる生き方ができる。人生を楽しむことにつながっている。そこに人間とAIの違いという気が今しています。【小泉】生成AIについては、言語学の議論が増えるのではないかと思っている。言語とは本当は何なのか、言語自身の意味を認識するということは、体験がないと実態は認識し得ないというところが、これから生成AIの重要な議論になるのではないかと感じた。【井坂】有意義な問題をありがとうございました。 Profile 澤本武博ものつくり大学教養教育センター長井坂康志ものつくり大学教養教育センター教授町田由徳ものつくり大学情報メカトロニクス学科准教授 関連リンク ・第2回教養教育センター特別講演会①~基調講演「教養としてのクリエイティブ」~・第2回教養教育センター特別講演会②~脳科学、言葉、手-「使える教養」はどう育つか~

  • 第2回教養教育センター特別講演会②~脳科学、言葉、手-「使える教養」はどう育つか~

    2023年11月9日に渋谷スクランブルスクエア SHIBUYA QWSで開催した、第2回教養教育センター特別講演会「教養としてのクリエィティブ」の内容を全3回にわたりお届けします。第2回は、基調講演を行った小泉英明氏、キャスターやジャーナリストとして活躍している山本ミッシェール氏、ものつくり大学ものつくり研究情報センター長の荒木邦成教授による鼎談です。【第2回教養教育センター特別講演会 開催概要】日時:2023年11月9日(木)13:30~17:10場所:渋谷スクランブルスクエア SHIBUYA QWSプログラム[第1部 特別講演会]・基調講演「教養としてのクリエイティブ」 小泉英明氏(株式会社日立製作所 名誉フェロー)・鼎談「脳科学、言葉、手-「使える教養」はどう育つか」 小泉英明氏 山本ミッシェール氏(キャスター/ジャーナリスト/レポーター/MC/講師) 荒木邦成(ものつくり大学 ものつくり研究情報センター長)[第2部 パネルディスカッション]モデレーター 井坂康志(ものつくり大学 図書館・メディア情報センター長)パネリスト 山本ミッシェール氏      澤本武博(ものつくり大学 教養教育センター長)      町田由徳(ものつくり大学 情報メカトロニクス学科准教授) 実体験の持つ意味 【山本】10年以上、NHK WORLDの『Science View』という科学番組で、ものづくり、日本の最先端技術を世界に向けて発信し続けています。NHKで最もヘルメットをかぶったアナウンサーなのではないかと思えるぐらい、ものづくり現場が大好きです。また、教育という意味では、今、3つの大学で英語、スピーチ学も教えています。【荒木】小泉先生の講演の中で、実体験が大切だという話をされていました。先生自ら旋盤とかフライスもやられているということで驚きました。われわれも教育している立場で、現場の実習が6割ありまして、座学は4割です。大学のときに座学だけでなく、実際に物を作る経験は大切です。特に教養教育とは、専門教育と違い、実物を相手にした専門教育をばねにして勉強してもらう。【小泉】そのとおりだと思います。私はとにかくものづくりが大好きなので、旋盤を見たら回したくてしようがなくなる。次にはどうしてもフライスもいじりたくなる。アーク溶接をやる。ものづくりは魅力があるのです。米国で一番最先端の研究所にいて、何を感じたかというと、いつも消防車がサイレンを鳴らして、キャンパスの中を走り回っている。火災報知器が研究室のいたるところについていて、あまり火を気にするなと研究所が言っている。燃えたら消せばいいではないか。研究者は物を作ったり、頭を使えと。マシンショップは昼夜3交代制で、真夜中も稼働している。 ものを壊すということ 学生は溶接したり、いろんなものをつくります。そういったところから、ものづくりの楽しさ、達成感を味わってもらう。 【荒木】今のお話の中で、学生が自由に機械を使えるという面で考えますと、本学の場合、学生が夜の10時まで使っていいことになっています。フライスもレーザー加工も何でも使っていい。ただ、安全面だけは気をつけなければならないので、教員が輪番制の安全当番で、何かあったときに駆けつけることでやっている。学生は溶接したり、いろんなものを作ります。そういったところから、ものづくりの楽しさ、達成感を味わってもらう。 【山本】私は小学校のとき、作るのではなくて、壊す体験をさせてもらった。そのときはロサンゼルスの郊外アーバインの小学校だったけれども、ギフテッド教育の課程に入れてもらいまして、そこでの授業が印象的でした。第1回目の授業が「さあ、好きにしてごらん」と、家電、部品、ありとあらゆるものが物いっぱいある部屋に連れていかれて、私たちは好きにばらばらにして、組み上げてよかった。「危ない」という言葉を実は一言も言われたことがなかったのです。楽しい気持ちだけが残りました。私自身の原体験はあるから、今の工場見学も、ものづくりをしている人たちに惹かれるのはそういうところなのかと思いました。【荒木】ものつくり大学にNHKのロボコンプロジェクトがありますけれども、チームには1部屋を自由に使わせている。徹夜するぐらい好きなものをやっていて、先輩からフライスとかNCの機械を教えてもらったり、技術の伝承ができる形になっている。学生はプロジェクトも一生懸命頑張りますし、志が高くなってくる感じがします。 縦縞の猫 【小泉】壊すのが楽しかったとおっしゃっていたけれども、それも重要なことです。普通だったら、壊すと叱られる。でもたとえば珍しい少し大きな時計があって、どうして動くんだろうと思ったら、中をのぞいて、ねじ回しさえあれば分解してみたくなります。幼稚園からでもできる、少なくとも小学校低学年でも。どうしてこんなふうにチクタクいって動くんだろう、不思議だと思ったら、ねじ回しで外していく。でも、今度は元に戻そうかとなったら、そこには違う難しさがある。物を壊す、分解とは、数学的に言うと順問題です。1つずつやっていけば、最後まで壊せる。ところが、組み立てるときは、すべての部品が目の前にあったとして、これをどうやって組み合わせて原状回復するとなると何通りも方法がある。これは逆問題です。数学的には、解が出ないこともある。最初から高度なものを組み立ててみなさいと言っても、そう簡単ではない。学習と教育が必要だと私は思います。 最初から高度なものを組み立ててみなさいと言っても、そう簡単ではないです。それが教育だと私は思う。 【山本】脳の中で言ったら、そういった体験はどのあたりに影響があるのでしょうか。【小泉】右脳人間、左脳人間とか極端に言われ過ぎていて、正しくないこともあります。言語野が左にあるということもあって、どちらかというと左脳のほうは分解・分析するという方向が得意で、右脳のほうは総合を得意とします。そういうことを知ったうえで教育環境をつくる。その代わり、一々口は出さない、これが幼稚園から大学まで一貫して重要かと思っています。 【荒木】その関連で、図面を描くとき、われわれのときは鉛筆で描いたけれども、今は3DCADで何でも描ける。得意な学生は図面はできるけれども、実際にいいものができるかは別問題であって、組み立ててみるとギアが回らなかったり、うまく製品ができなかったりする。原点に戻って、旋盤とかフライスで加工したときに、加工性が難しいなというのを体全体で感じて、その上で図面を描いていくと、いい図面ができる。 中小企業の社長がおっしゃるのはただ図面を描けるだけでは足りないということです。われわれとしては、CADも必要なので、全種類のD教育をやっていますけれども、2次元にしたり、実際に図面を使ってギアを作って組み合わせて、動くかどうかというところまで、教育の中の授業のプログラムに入れるようにしています。 道具を大事にする 【小泉】脳とは、抽象的なものを入れたときに、具体的な実体験で感じて知っているものしか想像ができない。だから、先に実体験がなかったら、簡単なことはできるけれども、表面的なことで終わってしまう。「赤いリンゴ」と言ったときに、それを2つに切って見ると、中は白っぽいです。でも実体験が先にあるから「赤いリンゴ」もおかしくない。 言葉ではいくらでもうそをつける(言語の恣意性)。だからこそ、実体験が教育では重要だと思います。【山本】それに関連して、先日、伝統工芸をしている友人と話をしていたときに、最先端のCADをあまり入れたがらない職人さんたちが多い中で、伝統工芸に触れたことのない若手で、CADばかりやっていたという人をあえて1人入れたというのです。そうすると反対に伝統工芸士の方も刺激を受ける。CADしか触ってきていなかった人が初めて本物に触れて、これが本物なんだ、こういうふうに手作りするんだと現場を初めて知ったことによって、2人が物を制作した違うものができて、かつ効率が圧倒的によくなった。【小泉】技能オリンピックでメダルを取った方々から指導を受けたり、特殊な実験部品をスゴ腕で削りだしてもらうこともあります。法隆寺を再建した宮大工の棟梁にも、工場に来ていただいたことがあります。そうしたら、会話が面白い。道具の話をしている。メダリストは旋盤の特殊バイトの研ぎ方に関心があって、宮大工の棟梁もいろんな「かんな」「のみ」の研ぎ方をとても大切にしている。双方、苦労話が一致して、話が尽きない。そういうところにものづくりの本質があると思います。道具が完璧な状態でないと、いいものは作れない。 道具は職人さんたちの真髄ですね。 【山本】学校における道具立ては何を考えればいいのでしょうか。【荒木】建設学科は大工道具を一式1年生のときに買う。学生が授業が始まる前に道具を手入れすることを教える。そこが最初に行うことです。【山本】私は現場に行くと、道具の写真を撮るのも好きです。代々祖父のから引き継いで使っている道具もあれば、自分で毎回作らないといけない道具もあります。こだわりの道具がないとできない。道具は職人さんたちの真髄ですね。 【荒木】小泉先生はご自分で実験機を作られたり、廃材から持ってこられたりといった話をされました。そのパッション、志についてはどうモチベーションを上げていくものでしょうか。 現場が何を欲しているか 【小泉】私の場合は、最初は水俣病への関心でした(1970年代)。ゼーマン水銀分析計を開発して原因解明のお手伝いをした後も、いまだにその関係のことも続けています。東日本大震災の後は、石巻の漁師さんや、海岸線に住む方たちともお付き合いを続けています。現場をいつまでも大切にしたいのです。注目される研究論文を書くことと、実用的な製品を開発することとは大きな隔たりがあります。論文は、1つ新しいことが見つかったら、その新しさや良いいところを強調して書くことによって、適切な学術誌に発表できます。ところが、実際に役立つ製品を作ろうとしたら、良い論文が書ける発見がたとえ3つ同時にあったとしても、1つ大きな欠点があると、実用化は困難なのです。イノベーションが叫ばれて久しいですが、そのようなところが国の大型のプロジェクトで欠けているところだと私は思っています。MRI開発プロジェクトの統括主任技師を拝命していた時に、家電のセンスで医療機器(超電導MRI)を設計したことがあります。医療機器は、通常、それを専門とするデザイングループに依頼するのですが、初めて家電のグループにデザインをお願いしました。検査を受ける方々は、そうでなくても気が滅入っているのに、ゴムチューブが這いまわっているような検査装置に入れられるのでは恐怖心が生まれる。そこで、応接室に置かれた検査ベッドに横たわるという斬新なコンセプトでデザインしてもらったのです。装置のモックアップまで作って製品構想を打ち出したところ、思いがけず猛反対を受けました。見たことがないものが出てきたのでは、売れるはずがないと、最初に本社の方々が反対。確かに常識はずれのデザインではありました。でも、多数決の意見になってくると、平均値になるから良いものなんてつくれない。待っているのは価格競争だけですから。それで、どうしたら多数決意見に勝てるかを考えました。MRIを病院で実際に使うのは放射線技師の方々です。さらに読影結果を患者さんのために役立てるのは放射線科・脳外科の医師の方々ですね。だから、両者が「これでいい」と言ってくれたら、ほかの人々は反対できない。事業部長同席の大きな会議で決めるのですが、却下寸前のところで日立病院の副院長(脳外科)の先生が手を挙げてくださって、「私はこれでいけると思う」と断言してくださった。さらにたたみかけて、「私が診断の責任者です」(診断する人間が言っていることを、あなた方は信用できなのいかという意味)と言ってくださった。放射線技師の方も「私はこの装置を毎日扱う立場の人間ですが、これでいいと思う」と同じことを言ってくださった。それでどんでん返しとなりました。(この装置は、後に通産省のグッドデザイン賞で、部門大賞となりました。)【山本】現場で何を欲しているのか、紙の上だけで考えたり、想像するよりも、現場に行ってみて必要とされるのかが大事なことですね。 ものづくりは「忖度」しない 【小泉】お二人とも、手と頭を直接使っている。放射線技師は、患者を実際に抱きかかえたり、操作盤を触る人です。脳外科の医師は、手術に役立つ画像は、患者がどういう状況なら良ものが撮れるかを熟知している。頭で知っているわけではなく体で知っている。でも、会議に出てくる人たちは間接的な情報しかないのです。 若い人たちは情熱やパッションで動いてほしい。忖度の入る余地はない。 【山本】医師や放射線技師が、これが使いやすい、これがあると人が救えるというものを形にするのがものづくり現場の本来の仕事です。創造し続ける。【荒木】そういったイノベーションを起こせる教育を行っていきたいと思いますが、ものづくりの世界で尖ったものがなかなか出しづらいということで、閉塞感がある気もいたします。大学、教養教育も含めて、イノベーションを起こせる教育をわれわれも考えなくてはいけない。 【小泉】私は国の仕事をお手伝いしている中で、ものづくりは「忖度」が入ってはいけないと考えるようになりました。今、日本の文化の中には知らずうちに忖度が現れている。科学者や技術者は忖度とは関係なかったはずです。それなのに、大きな予算を取ろうとすると、本来の目的ではないところに気がいってしまう。すると忖度が入ってくる。私は、若い人たちはパッション(情熱)で動いてほしい。忖度の入る余地がないような、突っぱねられてでも続けるんだという強い意志を持ってほしい。忖度が入ってくると、実力のある人が浮かばれなくなってくる。忖度や管理に長けた人がお金も組織も支配する。本物が生まれるはずはないのです。 パッションを育てる教育 【山本】日本のものづくりが元気だった頃はどうでしたか。【小泉】意欲の強い人たちがいたのが1970年代です。あるMRIのプロジェクトでどうしても予算を出せないと経理部から言われて、部長に掛け合った。「いや、これ以上は何もできない。出ないものは出ない」。工場長に言っても、「そんなにやりたければ、事業部長のところに行ってこい」と言われる。ほんとうに東京の事業部長のところに行ったら、にべもなく断られました。 私は、事業部長の部屋の入り口の椅子に座って帰らなかった。「なんだ、まだいるのか」といわれて、「判を押してもらうまでは帰りません」と粘った。最後には相手も根負けして「もういい、わかった。押してやる」と言って押してくれたことがあります。押してもらえなかったら、MRIの事業は続かなかったと思います。1980年代のMRI関係事業が最近まで残ったのは、国内では日立だけでした。【山本】パッションを育てるための教育とは何でしょうか。【荒木】それは教養教育の主題の一つだと思います。コミュニケーションももちろんありますが、何より自分の考えを伝えて具現化していくことでしょう。チームの場合、メンバーを鼓舞するような物をつくる。ここは授業でも工夫を要するところです。【小泉】芸術家にとってパッションは日常なのですね。突き動かされる思いで仕事をするのです。今、世界の科学技術の分野は、すぐにやれることはやってしまった煮詰まった状況になってきています。だから、米国のMIT(マサチュセッツ工科大学)やフィンランドのアールト大学(旧ヘルシンキ工科大学と芸術大学・経済大学が合併)のように、芸術を教育に取り入れる必要があると思います。イノベーションにも芸術は不可欠です。「芸術を本気で取り込まないと企業の明日はない」と主張する大企業の社長も、最近、現れました。 新しい発想とイノベーション 【山本】氷山で言うと、意識下を今改めて揺すぶり起こさないと、私たちはまどろんだ状態にとどまってしまいますね。芸術にはそれを可能にする要素があるのでしょう。【荒木】夏休みに創作実習という講座があります。ろくろを回したり、陶器やガラス細工を作ったり、鍛金、彫金でデザインをする。受講生が増えています。【山本】私はコミュニケーション学を教えています。もちろん話が上手ならば、それにこしたことはないけれども、何を伝えたいかがしっかりとあって、訥々とでもいいから、思いを伝えていれば、人に伝わるし、また次の人へとつながっていくという話をよくしています。最初からみんな100点満点で話さないといけないということではありません。まずは思いがなければ始まりませんね。【小泉】よくロードマップで未来を予測して国でも計画を立てます。2050年あたりを予測すると、30年後となりますね。一方、2020年から30年前へと遡ると1990年になります。その頃はインターネットがない。スマホがない。まるっきり違う世界です。このようにロードマップ型の、所謂、線形モデルによる研究・開発には限界があるのです。新しいものとは、あるところで非連続的に出現(トランジション=遷移)するのです。そういう想定での開発を行わないと意味がない。ロードマップ型の研究・開発とは凋落する元凶ではないかと私は危惧しています。【山本】ロードマップに組み込まれてしまうと、自分はある部品の一つで、終わったときには自分はいないわけですから、つくりがいもあまりない。 学生の未来 【荒木】学生と接していて困るのが就職のときです。「将来、何をやりたいの」と聞くけれども、なかなか将来が見えてこない。学生なりにいろいろ考えているけれども、こちらから水を向けていくと、なんとなく方向性が決まってくる。だから、コミュニケーションを取りながら、未来像を学生さんが持てるコミュニケーションも大切と考えています。【山本】最後に小泉先生から学生たちにメッセージはありますか。【小泉】私はいくつかの若い「スタートアップ企業」を応援しています。今、日本の少子高齢化と地方衰退の問題で、多くの若い人たちが「ものつくり」を含めて汗を流しています。また、パッションを持っている若い人たちがこじ開けていく事業のスケールも大きくなって来ています。グローバルなスケールで考えられるような人たちが今生まれつつある。そういう若い人を大事にしたい。力を思い切り発揮していただきたいと願っています。【荒木】いろいろありがとうございました。教養教育はまだ始まったばかりです。目標を持って何かイノベーションできる、元気のある学生を輩出していきたいと思っています。 Profile 山本ミッシェールアメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ、これまでアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、香港で生活をする。現在、世界200の国と地域で放送されているNHK WORLDで放送中の英語の科学番組「Science View」や、全国12局で放送中の持続可能な開発目標(SDGs)に関するラジオ番組「身近なことからSDGs」などにレギュラー出演。元NHK記者として、これまで気候変動など、様々な国際会議などを取材。NHKのレギュラー番組では10年以上、日本のものづくりの伝統と最先端の取材を続け、全国すべての都道府県から世界に向けて現在も情報を発信中。バイリンガル司会者として、天皇陛下の即位式、首相の晩餐会、東京オリンピック招致バンケット(3カ国語MC)、G7伊勢志摩サミットなど、多くの国際会議、会合、パーティー、記者会見、トークショーなどのイベントでバイリンガル/トライリンガル司会のプロとして活躍中。幼少期からの国際的なバックグラウンドから異文化理解や平和活動に強い関心を持ち、広島・長崎の被爆者やアカデミー賞受賞の映画監督へのインタビュー、被爆者と共に開催された世界平和コンサートの司会、ピースカンファレンスでの講演などを行う。また、エグゼクティブ・コーチとして企業研修をはじめ、大学では非常勤講師として3つの大学で授業を担当。荒木邦成ものつくり大学技能工芸学部情報メカトロニクス学科教授 関連リンク ・第2回教養教育センター特別講演会①~基調講演「教養としてのクリエイティブ」~・第2回教養教育センター特別講演会③~役に立つ教養はどのようにして活性化するか~

  • 第2回教養教育センター特別講演会① ~基調講演「教養としてのクリエイティブ」~

    2023年11月9日に渋谷スクランブルスクエア SHIBUYA QWSで開催した、第2回教養教育センター特別講演会「教養としてのクリエィティブ」の内容を全3回にわたりお届けします。第1回は、脳科学研究で著名な小泉英明(株式会社日立製作所 名誉フェロー)を講師に招いた基調講演です。【第2回教養教育センター特別講演会 開催概要】日時:2023年11月9日(木)13:30~17:10場所:渋谷スクランブルスクエア SHIBUYA QWSプログラム[第1部 特別講演会]・基調講演「教養としてのクリエイティブ」 小泉英明氏(株式会社日立製作所 名誉フェロー)・鼎談「脳科学、言葉、手-「使える教養」はどう育つか」 小泉英明氏 山本ミッシェール氏(キャスター/ジャーナリスト/レポーター/MC/講師) 荒木邦成(ものつくり大学 ものつくり研究情報センター長)[第2部 パネルディスカッション]モデレーター 井坂康志(ものつくり大学 図書館・メディア情報センター長)パネリスト 山本ミッシェール氏      澤本武博(ものつくり大学 教養教育センター長)      町田由徳(ものつくり大学 情報メカトロニクス学科准教授) 「ものつくり」のための脳 梅原猛先生がおつくりになったものつくり大学で、今日この機会を賜ったことを、とてもうれしく感じています。「なぜ人間だけが未来を考えられるか?」。私たちは未来を割と簡単に考えているけれども、未来のことを考えられるのは、多くの種の中で、ホモ・サピエンス・サピエンスだけです。サイエンスから見るとどういうことなのか。1996年に実行委員長を務めた環境科学の国際会議の中で、「環境と脳の相互作用」といセッションを当時、京大霊長学研究所の所長をしておられた久保田競先生と相談してつくりました。最初は久保田先生もそんなセッションが作れるのかと半信半疑でした。でも実際にやってみると、極めて重要であることが分かってきました。今は、その後の2000年に創られた「人新世」(Anthropocene)という言葉も一般に使われるようになってきました。地球科学の国際会議の中で、大気化学者のパウル・クルッツェンのとっぴょうしもない発言からだと言われています。1996年に「環境と脳の相互作用の重要性」という講演をしてみて、脳を基調とすれば、今まで人文・社会科学の分野にあった教育学を、自然科学とすることが可能だと考えるようになりました。そこで、「学習」と「教育」という概念を、自然科学の言葉で置き換える試みを始めました。「学習とは、環境-自分以外のすべて-からの外部刺激によって中枢神経回路を構築する過程」と定義し直しました。また、「教育とは、環境からの外部刺激を制御・補完して学習を鼓舞する過程」と定義し直しました。人間は環境抜きに学習はできないと考え、それから今に至るまでこの定義を使っています。さらに2000年に新たな21世紀を見据えた「脳科学と学習・教育」という文部省/JST主催の国際会議を企画して、実行委員長を務めてこの考えを推進してみました。 受動学習とか積極学習とか強制学習、いろいろ従来の教育学で取り上げられることは、自然科学のほうから説明がつく可能性がある。生から死への一生を通じた学習という過程の中で、包括的な概念を創れるのではないか。21世紀の幕開けの好機に、文科省と科技庁が統合された文部科学省(2001年発足)も、省庁統合の象徴として全面的に応援してくれました。 Mind,Brain,and Education さらに2002年には「『脳と学習』:21世紀の教育革命」、「Brain & Learning A Revolution in Education for the 21st Century」という題目で、OECDフォーラムの中に特別な1つのセッションが設けられました。同時に、世界を北米とヨーロッパとアジア・オセアニアの3ブロックに分けて、大きな形で約10年間、OECD国際連携研究のプログラム『脳と学習』が世界の中心的な研究所を拠点として走りました。OECDの国際諮問委員としてそのプログラムを全力で推進しながら、このうような考え方が世界へと浸透していくと、新しい学問分野がきちんとつくれるのではないかと思いました。当時、理研に脳科学総合研究センターを作られたばかりの伊藤正男先生も、アジア・オセアニアブロックの議長として、この国際プログラム「脳と科学」を全面的に支えてくださいました。ところが、教育学は人文学、あるいは、一部社会科学というところで扱われてきた長い伝統から、自然科学で扱おうと思ってもまったく類例がありません。そのような中で、ハーバード大学のカート・フィッシャー先生が中心となって国際学会をつくる話が急速に進みました。そこからお声掛けをいただいて、私も理事を務めました。Mind,Brain,and Educationという国際学会がありまして、さらに学会誌をBlackwell社から発行することになり、私は副編集長を務めることになりました。最初はBrain-Science and Educationという名前を主張したのですが、ハーバード大学の心理学者の皆様から猛烈な反対を受けてしまいました。さらには、もし、MindとBrainを同一視するならば、ハーバード大学の心理学者は全員脱退するという騒ぎになりました。ずっと後から分かったのですが、脳科学(Brain-Science)という言葉は、本田宗一郎氏が最初に言われた日本的な言葉だったのです。 新しい分野をつくることも実はものづくりの感覚に近い。 Mindといったら「心」です。Brainというと「脳」、そしてEducationの「教育」。3つはまったく違う分野です。この3つの違う分野で統合的な国際誌が出たのは初めてだということで、アメリカの出版協会からThe Best New Journal of the Year Awardをいただきました。ゼロからのスタートということで、新しい分野をつくることも実はものづくりの感覚にとても近いのです。 さらに、関連する国際会議が2003年の最初の会議に続いて2015年にも、バチカンで開催されました。2015年とは大変な年です。SDGs(「持続可能な開発目標」)が初めて発表された年です。また、COP21がパリで行われた年になります。さらに、ローマ教皇庁からもステートメント(Laudato Si: “on care for our common home”)が出されました。地球を人類の家と考える環境問題についての深い洞察です。フランシスコ教皇とは何度かお話する機会がありましたが、聖下はもともと化学のご出身です。 「『学習と教育』の自然科学からの探求」というテーマで数多くの研究が行われましたが、その一部を紹介します。研究初期の一例ですが、子猫を縦縞の環境で育てますと、横縞が見えなくなってしまう。その後、横縞の中に入れて学習をさせれなと思いがちですけれども、どうやっても駄目です。最初の臨界期だけにこういう学習(神経回路の構築)ができるのです。 視覚野は、脳の中では比較的よくわかってきた部位で、多くの裏づけが取れています。猫の視覚野と人間の視覚野は近いので、人間でも同じことが起こると考えることができます。いくつか事例も存在します。 脳がつくられるとき なぜこういうことが起こるか。人間の脳とは遺伝子だけで出来上がっているわけではない。遺伝子とは原材料を提供する。原材料を組み合わせて、脳全体のシステムができるのです。けれども、最も効率よく生存するために必要な形となるように生まれ落ちた環境、しばらく育った環境に最適化するようにと神経回路をつくる。つくるというより、むしろ消していく。最初は遺伝子によって基本的な神経回路が赤ちゃんのときから少しずつできてきます。けれども、外の環境から情報や刺激が入ってくると、関係する回路は残して、入ってこない情報は消してしまう。 0歳から30歳まで、視覚野でどのぐらい神経と神経の接続部が存在するか。視覚野の場合ですと、生後8か月でピークになって、あとはだんだんと接続部分、回路が少なくなっていきます。無駄なものをこの時期に捨てて最適化している。脳の全体容量は最初から決まっているものですから、その中でやれることをやるのです。もう一つ重要なのは、人間の脳の神経は伝達速度が速くないのです。コンピュータと比べると比較にならない。コンピュータの場合は基本的に電子によって情報伝達をしていますから、1秒間に地球を数回まわるほどの高スピードですが、人間の場合は、たかだか100メートル、一番速いもので毎秒200メートル。遅いもので数センチです。 人はそれぞれ違うものを見ている 進化の中では、「跳躍伝導」というのですが、裸線の周りに被覆ができて、効率よく信号が漏れないで伝っていく。しかも、跳躍的にスピードを上げて伝達するという仕組みを進化の中で獲得しています。そうすると一人前のスピードを持った神経になる。生まれてから髄鞘化という「さや」、被覆ができる過程ですが、脳の場所によってそれぞれ違ってきます。100年以上前に厳格な実験を行ったフレキシという学者が順番を事細かに解明している。胎内にいるとき、生まれて1年間、さらに年齢が増して、場所によっては30歳になってもまだ発達を続けているということがわかってきた。だから、できていないものに関係する教育をいくらやっても無理なのです。そこに気をつけないと間違った教育をしてしまう。もともと私は物理が専門ですから、つい対数の軸で見てしまうが、人間が生まれてから死ぬまで、1歳、10歳、100歳とグラフを描くと、その間に私たちが学習している様子がわかります。そうすると、小さいときの学習がいかに重要かがはっきりしてきます。もう一つ、脳の中では視覚が比較的わかっているほうなので、視覚を中心に例を示しているけれども、みんなも同じものを見ていると思ったら、そんなことはない。違うものを見ています。ある程度似たり寄ったりということはあるから、話が通じる。何で違ってくるかというと、神経の伝達速度は遅いですから、補おうとしたら、みんなで分担して信号を処理するしかない。脳の特徴とは、すごい数の神経回路が情報処理を分担していることです。これは並列分散処理と言いまして、スーパーコンピュータのアーキテクチャと同じです。それも比較にならないぐらいのたくさんのシステムが同時に分業の作業をやってます。最後に、結果を意識に上げてくる。脳のことはわかっているように思われていますけれども、まずどうやってそんなにばらばらにしてしまうのか、超並列分散処理が何でできるのか、最後にどうやってまとめ上げるのか、どんなふうにタグがついているのか、まだよくわかっていないのです。 生きる力を駆動する脳 視覚に関しては、色も分けてしまいます。動きも別々に処理します。それが最後に「意味」にまで持ちあげていくかという仕組みもわかっていません。分業して同時に行っているたくさんのことは意識には上がっていない。そんなことが意識に上がってきたら、収拾がつかなくなります。分業の過程を経た最後に、今度は時系列で逐次処理になって、順番に時間とともに私たちは認識します。 私たちは意識が中心だと思っていますけれども、意識していないところのほうがむしろ大量の処理をしています。 脳を考えるときに大事なことは、氷山で言えば、見えないところ、水に沈んだところから最後の最後に意識に上げていく。私たちは意識が中心だと思っていますけれども、意識していないところのほうがむしろ大量の処理をしています。 われわれの今までの教育は基本的に言葉がベースになっています。そこまでの脳の働きとは、教育の中でもほとんど無視されています。芸術に入っていくと、拮抗する条件の中で、最後には決断しなくてはならない。無意識が重要です。無意識のところは意識に出ないですから、小さいときから自然の中でしっかり育まないと性能が出ない。 脳の進化では、脊髄の次にその先の脳幹の部分ができた。単純な爬虫類の脳は、人間の脳の脳幹の形に見た目もそっくりです。そこからだんだんと層状に、外へ外へと層が広がってきました。脳幹は生命を維持するところであって、その周りの生きる力を駆動する脳(大脳辺縁系)が情動に関係する。 一番外側はより良く生きるための脳であって、いわゆる「知育」という知性を教育するときに直結する部位です。でも、やる気がなかったら、いくら知性やスキルを持っていても、それだけでは何の役にも立たない。だから、むしろ進化の順番では、内側の古い皮質(大脳辺縁系)がやる気を出すために重要です。そこは感性とも関係が深いですし、一番外側の人間らしいところ(大脳新皮質)は知性に直結するのです。 「ちょっかい」を出す知性 最初はお母さんとつながっているので、へその緒を切って初めて母親と赤ちゃんは別だということになるけれども、赤ちゃんはまだ気づいていない。自分の一番身近にいる養育者-多くの場合は母親-ですけれども、その人が信頼できると実感することが、自分が次に行動できる原点になります。まさに社会性の形成の出発点でもある2項関係です。 もう少し大きくなってくると、指さすようになる。赤ちゃんは指先を見るのではなくて、指でさされている先を見るようになります。最初の第三者を介したコミュニケーションということで、2項関係から3項関係の段階になってくると、社会が概念的には形成される。社会性の神経基盤を幼いときからいかにしっかりとつくり上げるかが教育のポイントでもあります。 さらに大きくなってくると、別の学びもいろいろ入ってくる。本質的な赤ちゃんの学びは、コンピュータと違うということです。コンピュータは、入力があったら、きちんと目的の結果を出力する。 赤ちゃんはそうではない。最初に自分が置かれている環境に対して興味を持ちます。そして、「ちょっかい」を出す。われわれはサイエンスでもわからないときには、必ず何か刺激を与えて変化を見ていく。つまり、サイエンスのやり方と同じことを赤ちゃんはやる。育ちつつある自分の五感を最大限使って、何が起こるか、何をすれば何が返ってくるのかということを学ぶ。人間の学習の本質とはアルゴリズムを自ら学ぶことであって、いわゆるマニュアルで覚えさせるだけでは駄目だということです 実際に赤ちゃんは手に取ったら、口に入れてみて、なめ回すのが最初です。まだ自分自身は動けない。もう少し発達してきて、「はいはい」ができるようになってくると、ぬいぐるみがあれば、それに赤ちゃんが興味を示して、近づいてくる。そして、興味があってたまらなくて触ってみる。もっと手足を触りたい、お顔も触ってみたい。自ら環境に働きかけて、環境から帰って来る情報を赤ちゃんは検知しながら学んでいるのです。赤ちゃんは、触感、味や香り、色や形、音色など、5感をフルに使っています。 光は不思議な素粒子 次に、ものづくりについてお話をしたいと思います。私は光も大好きです。光子(フォトン)とはとても不思議な素粒子で、重さもなければ、電荷もなければ、静止状態もない。いつも高速で動いています。発見者はアインシュタインです(1905年の三大論文の一つ)。光子のスピン(自転する属性)は1です。スピン1でプラス1、マイナス1という2つの状態がある。ちょうど1ビットですから、二つの光子が絡みあった状態(エンタングルメント)を使って計算機を作ろうとすると、量子コンピュータになります。そういうことが実際に始まっている。電子は重量、電荷、スピン(2分の1)と静止状態もあるということで、ローレンツとゼーマンが発見して1902年にノーベル賞を取っている。電子の存在を初めて証明した実験は、磁場によってスペクトル線が分かれる現象、すなわち「ゼーマン効果」の発見だったのです。この基礎物理学の原理を実用化したものが、私の最初の仕事となる「偏光ゼーマン法」なのです。1974年に最初の論文を書いて、1977年に論文シリーズと最初の実用装置を完結させました。2024年は最初の論文の50周年となります。同じ頃に、体内の水素の原子核(陽子:プロトン)を検出して画像化するMRIの原理が発表され(1973年ラウターバー他)、2003年のノーベル賞となりました。そちらも基本は原子核のゼーマン効果です。磁気共鳴画像装置(MRI)と呼ばれて、病院でも使われている。私がものづくりをしたのは、それらの原理を社会実装するためでした。「偏光ゼーマン法」の発見の際には、電磁石のポールピースの間に納まる3000度の温度を出す炉を、手作りしました。電磁石も最高で磁場強度2テスラを出しましたが、これも手造りしました。新しい原理で作った装置と実験結果は、『SCIENCE』誌がリサーチニュースとして紹介をしてくれました(1977年)。 水俣病とゼーマン水銀分析計 最初は手造りした「偏光ゼーマン法」による原子吸光高度計は、並行して商品開発を進めましたが、最初の製品は「科学機器・分析機器遺産」に2013年に認定されました。初期に行った実験をそのまま再現してほしいと言われたときに、再び当時の実験の一部をやってみました。原子化炉で摂氏3000度まで温度を上げられると、たいていの金属は蒸気にできますが、そのような高温炉を電磁石の間隙に収めることは至難の業です。そこで自転車の発電機で灯す小さなランプに目をつけました。直径1ミリメートルにも満たないタングステンのコイルが気に入ったからです。普通につくランプのガラスを割って、中のコイル状のフィラメントを取り出します。これを自作した小型の電磁石の5ミリメートルの間隙にセットするのです。高温にしても燃えないように、フィラメントには乾燥した窒素ガスを吹きかけて酸素を遮断します。そして電流を流すと3000度付近まで高温にできます。フィラメントのコイルの外径は1ミリメートル弱ですが、まず、マイクロピペットで1マイクロリットルの水溶液(微量金属を含んだ試料)を表面張力でくっつけると、コイルの中にしっかりと収まります。初めに電流を少しだけ流すと、水分は蒸発してフィラメントの表面に薄い膜ができる。今度は温度を上げて、その金属膜を一挙に蒸気にする。その金属蒸気の中に細い光のビーム(スピンがプラス1とマイナス1に対応する偏光)を通して、磁場中で磁気量子数の縮退が融けた原子スペクトルが観測できるのです。この新原理を見つけたので、カリフォルニア大学に招聘され、ローレンス・バークレイ研究所で客員物理学者としてしばらく同じような研究を行った時期がありますけれども、同じことをするのに広い研究室と、何トンという大型電磁石と10メートル近い世界最大級の分光器、パイログラファイトによる原子化炉などを研究所が準備してくれました。一方、私の感じるものづくりの魅力とは、考えて考えて身体を動かしさえすれば、大型研究費を使わずとも手作りの実験装置で世界最先端の研究ができることです。当時(1970年代)はとにかく水俣病が大変な時期だった。最近になって、水俣病の裁判がほぼ結審して、山間部にいらっしゃる患者さんたちも補償が得られる裁判の結果が最近大きなニュースになりました。環境問題のグラウンドゼロと言われる水俣病は、戦前にすでに始まり、裁判がほぼ終わったのが2023年だったのです。その間、数多くの患者さんたちは、本当に大変だったと思います。そういうことで、環境問題を解決するための計測は何としてもやりたいと思いました。水銀の次はカドミウム中毒の話が来て、ヒ素中毒の話が来て、鉛中毒そして重金属のクロムの公害の問題も出てきました。水銀は水俣病だけでなく、新潟県の阿賀野川での第2水俣病、さらには海外でも金の採掘にともなう水俣病がいまだに深刻な問題となっています。MRIでノーベル賞を取られたのは、ローターバー先生とマンスフィールド先生です。1973年の論文で、2003年に受賞されました。お話したように廃品で「偏光ゼーマン法」を見出したのが1973年です。同じときに、同じように量子物理学が実用へつながることを始めた。そして今度は、量子コンピュータの話に移っていく。先の述べたように、「MRI」も「偏光ゼーマン法」も、ゼーマン効果を使った方法として原理的には同じです。ゼーマン効果の適用が電子なのか、原子核なのかの違いです。 装置の不具合から磁気共鳴血管描画法(MRA)の発見 超伝導の全身用磁石を使って、携帯描画から機能描画へと研究と開発を進めました。磁気共鳴血管描画(MRA)や機能的磁気共鳴描画(fMRI)です。脳ドックを受けますと、くも膜下出血の原因になる脳動脈瘤の検査や脳梗塞の原因になる脳血管の狭窄の検査があります。そこにMRAが使われます。MRAで得られる鮮明な脳血管画像ですが、実は血管壁はどこにも写っていないのです。血液の流れを数字にして画像化したものがMAR画像なのです。そのMRA法の発見経緯をお話しします。脳神経外科の放射線科の先生たちが興味を持った最初の装置はまだ常電導磁石でした。最初は大型トランスの製造技術を用いた手巻きのコイルでした。大電流を流すのと水冷によって温度を一定に保つために、電線の代わりに銅の板を巻いていて、その後、軽くするためにアルミで巻いていたのが、MRIの初期の電磁石でやっていた実験です。そうしたら、像がぼけているだけでなく、強く光る点が出てしまって、装置の故障ということで呼び寄せられました。当時はお金がなかった。試作装置をきれいにして、古いものは付け替えて、第1号機として東京女子医科大学病院に納めてしまった。同じものが自分たちのところにないので、夜中に行ってお願いして、使わせていただくしかない。その中で、変な光る点が出るから、こんなのは使えないと言われて、必死に徹夜を繰り返していたら、光る点が発生するのは、実は装置の故障ではなくて、血液の動きによる信号位相の変化を検知していたということがわかった。それで、すぐ特許を出しまして、脳の血管、全身の血管(正確には血液の流れ)が実際に今使える形で写せるようになった。論文発表の後、ステアリング委員として国際MRA学会を立ち上げるお手伝いをしました。 計測をしていると、いくら新しいことをやっても、それによって人の命がすぐ助かることはめったにない。ところが、くも膜下出血とは致死率が高いが、破裂する前に発見できれば、比較的安全な手術で処置できる場合が多いのです。けれども動脈瘤を発見するのが難しいのです。MRAは造影剤を使わずに、完全に安全な検査で動脈瘤を発見できる。診断が直接的に救命につながるところが私は気に入っています。 さらに脳機能の研究から、私たちが頭の中で考えていることを直接計測できないかということを始めて、東大医学部の宮下保司先生のグループと共同研究をはじめました。1990年代の初頭です。これが最初に発表した結果です。私たちが残像(この場合は補色を感じているので、正確には残光)を感じているときに、それに対応する脳部位の活動を計測した珍しい最初のケースです。この実験の重要性は、それまで主観として捉えられていたものを、客観的に捉えることに成功したということです。すなわち、個人の脳が発生させているので、他人には直接知る方法がありませんでした。それを機能的MRIで捉えたということは、誰が計測しても、計測を繰り返しても同じ結果が得られるということです。この残光は見えている本人には10秒から30秒くらい見え続けます。その人にそれが見えなくなった瞬間を客観的に知ることができるのです。私はこの実験が心の計測の一端に入るのではないかと考えています。ここのところから人文学と自然科学の境界がはっきりしなくなってきた。人の心の中のことで、ほかの人が客観的に証明できないものであるはずなのに、少なくとも心の中で見えているか消えたかについては、誰がやっても機能的MRI装置からは同じ答えが返ってくる。 なぜ人間だけが未来を考えられるのか 人間は「快と不快」という「感情」を持っています。人間以外の動物の場合は「情動」という少し定義を広くした術語が使われています。「快」「不快」という感情もしくは情動は極めて大事で、私たちは心地よい「快」の方向へ向かうと一般に生存確率が高くなる。一方、嫌だ、臭い、うるさい、そういう「不快」からは、逆に離れようとすると生存確率が高くなります。人間だけでなくて、多分、小動物からすべて共通ではないかと考えています。 私が興味を持っているのは、精神的に心地いいことです。つまり、おいしいものを食べるときはもちろんうれしい。お金をもらったり、名誉なことがあると、何よりの生きがいになる人々もいる。名誉を感じたときに動く脳の場所は、チンパンジーがきちんと言われたとおりにやって、ご褒美にバナナをもらって動く場所と同じだということが見つかった。被殻、尾状核という線条体と呼ばれる脳の部位は、少し専門的になりますけれどもご褒美に反応する脳の部位です。このような部位がいくつかあって、それらを報酬系と呼んでいます。あなたは人格的に信頼できる人だということを心理テストの結論として聞かされたときに、お金をもらったのと同じかそれ以上に、被殻、尾状核が強く活性化することが発見されました。「脳科学と教育」という国家プロジェクトの中で、国立生理学研究所の定藤先生のグループが見出して『ニューロン誌』に発表しました。私たちとは、よかれあしかれ、知らず知らずに報酬に関心が強くて、そちらを見ていることが多い。報酬系とは動物実験では正確にわかってきたし、人間の報酬系も機能的MRIで少しづつわかってきました。 人間だけが言語を使える 実は人間だけが言語というものを使える。言語の機能を見てきた中で、ノーム・チョムスキー先生とも御一緒して、有益な御指導を頂戴してきました。「Colorless green ideas sleep furiously(色のない緑色のアイデアが激しく眠る)」という文章は、チョムスキー先生が論文の中で発表しましたが、文法的には完璧です。でも、言っていることは意味がない。つまり、言語を人間が持ったことによって、意味のない、あるいは、想像上のことをあたかも現実にあるかのように示せるようになった。言語は自動化された機能で、音韻ループが意識下で回っている。そういうことがだんだんわかりつつあります。 私も言語の本質を何とか1つ自分で見つけたいと思って、パントマイムみたいに言語を使わない、いわゆる身体表現をしているときは、言語的表現を入れたときとどこが異なっているかを探っていました。3年ほど公演に通い詰めたら、あるパントマイムの公演の中で、演者がいるのに黒子さんが現れて、ぱっと舞台を走り抜けた。黒子さんが持っていたプラカードに「3か月後」と書いてあったのです。これはチーティング(反則)です。あとで主宰の先生とも議論しましたが、「3か月後」という未来の時点をどうやっても身体表現できなかったのです。 人間だけが言語を使える、だから、人間だけが未来を考えることができる、逆に言うと、いつも自然未来だけではなくて、私たちは意思未来というのを持てた唯一の種だと感じているのです。今までの伝統的な倫理学とは、もともと習俗とか慣習、言ってみれば人間の社会から生まれたものです。でも、今の私たちの環境問題とか世界でいろいろ起こっていることを考えると、人間を中心にして考えるだけではおかしいのではないか、むしろ人間も自然の中の一つだから、本当は自然が土台にあって、倫理が組み立てられるべきではないかという考えを今持っております。地球のほうが動いているんだという視点(地動説)、つまり、人間にとってもう一度考えなくてはいけないのは自然が世界の中心だという視点です。われわれ住ませてもらっているんだという視点の倫理学がこれから重要になると考えています。 Profile 小泉 秀明(こいずみ・ひであき)1971年東京大学教養学部基礎科学科卒業後、日立製作所計測器事業部入社。1976年に偏光ゼーマン原子吸光分析法を創出し東京大学理学博士。同時に装置を実用化し、環境計測を中心に世界で1万台以上が稼働。通産省特許制度100周年にて日本の代表特許50件に選定、また初期装置は分析機器・科学機器遺産に選定。医療計測では、磁気共鳴血管描画法(MRA)や光トポグラフィ法を創出し実用化。日立基礎研究所所長、技師長、フェローを歴任。55代日本分析化学会会長。ローマ教皇庁科学アカデミー400周年記念時に招聘講演。『日経サイエンス』30周年記念号ではノーベル賞候補として紹介される。著書に『環境計測の最先端』、分担執筆に『Encyclopedia of Analytical Chemistry』、他、論文・特許・書籍・受賞など多数。 参考 ・NPO法人科学映像館:モノ作りに魅せられて 日立製作所フェロー 小泉英明https://www.youtube.com/watch?v=p4t0LXA88w8&t=82s・第2回教養教育センター特別講演会②~脳科学、言葉、手-「使える教養」はどう育つか~・第2回教養教育センター特別講演会③~役に立つ教養はどのようにして活性化するか~

  • 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」④(全4回)~16号線の正体とリベラルアーツの本質~

    ―特別版③「ものづくりがマーケットを変える」の続きです。 柳瀬博一先生(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 教授)を講師に招き、2022年11月24日に開催された教養教育センター特別講演会の内容を全4回にわたりお届けします。 「リベラル・アーツ」「教養」。普段、よく耳にする言葉ですが、その定義は実は曖昧です。柳瀬博一先生が講演の中で、『広辞苑』から参照していますが、やっぱり、「よく分からない」。人によって解釈や定義が異なりがちな「リベラル・アーツ」について、時に古代ギリシャまで遡り、時に自身の著作の事例を交えて、目まぐるしく変わる現代に必要な「リベラル・アーツ」について解き明かします。 これまで3回にわたって紹介してきた特別版の最終回です。第4回は、リベラルアーツの本質について、柳瀬博一先生のご著作『国道16号線』から、16号線沿いに広がる歴史や文化など豊富な事例を織り交ぜながら語ります。 【教養教育センター特別講演会 開催概要】 日時:2022年11月24日(木)14:00~15:20 場所:ものつくり大学 大学本部 A3010大講義室 参加者:本学学生、高校生、一般、教職員 約220名 開催方法:オンライン・対面のハイブリッド レイヤーで見る――『国道16号線』 最後に、私の著書『国道16号線―日本を創った道』(新潮社)に触れておきたいと思います。 国道16号線はどういう道か、326キロあります。スタート地点、横須賀の走水から横浜の真ん中を通って、相模原、町田を抜けて八王子から埼玉県の入間に入ります。入間、川越、上尾、春日部です。さらに千葉県の野田、柏を通って、千葉市の中心を抜けて海岸沿い、市原から木更津、君津、富津の先端に至る。 16号線エリアには一つの固定的なイメージがあります。それは「歴史がない」というイメージです。 国道16号線沿いにはショッピングモールがやたらに多いのです。三井のアウトレットパークは16号線エリアにあります。ショッピングモールカルチャーは、16号線沿いで生まれました。またラーメンのチェーン店が多い。山岡家は16号線に重点的に出店しています。トラックの運転手の方、昼夜問わず、ラーメンを愛好する方が多い。 あるいはヤンキーのイメージ。実際にマイルドヤンキーのイメージが強く、戦後発達した郊外の街という印象もあります。 ニュータウンが実に多い。首都圏の13ニュータウンのうち、6つが16号線エリアです。代表的なのは千葉のニュータウンや洋光台です。 『定年ゴジラ』という重松清氏の名作があります。1990年代の話です。戦後の第1世代が60歳になったときがちょうど小説の設定です。要は、戦後頑張ってきたお父さんたちが必死の思いで買った多摩ニュータウンや、さらに八王子辺りの住宅の一軒家を買った。けれども、子供たちは戻ってこない。そんな話が『定年ゴジラ』には描かれている。その問題は現在にも続いています。 まとめると、戦後発達したニュータウン、画一的なチェーン店展開、歴史がないので文化レベルは低く、高齢化と首都圏集中で過疎になっている。 古い歴史と文化 しかし、歴史がないというのは本当ではない。 16号線エリアの歴史は実に古いからです。どのくらい古いか。3万年です。 16号線エリアには旧石器遺跡も多い。最初の人類が関東に来たとき、16号線エリアに重点的に住んでいる。証拠は貝塚です。日本の貝塚の4分の1から3分の1は16号線エリア、特に千葉サイドに集中している。縄文時代は東京湾に人が集住していた時代だったのです。 その後、弥生時代になると、人がいなくなるイメージがあるのですけれども、それもまったく違う。古墳が多いのを見るとそれがよくわかります。行田のさきたま古墳群は典型ですね。埼玉、千葉は、日本でも有数の古墳エリアです。中世の城が多いのも特徴です。 次に言えるのは、16号線エリアは有数の都会という事実です。人口は1200万人、埼玉、神奈川、千葉の県庁所在地を通っています。郊外のイメージは、東京23区を通っていないからです。それは東京視点にとらわれた発想ですね。 しかし東京以外では、16号線はまったく田舎ではない。大阪、京都、神戸の人口を足したより、16号線沿いは倍以上の規模です。巨大なマーケットです。通っている都市は横浜、日本最大の都市ですから。大阪よりも規模は大きい。他にも相模原、埼玉、千葉を通過している。田舎というイメージは誤りです。 さらに言うと、大学が多い。16号線エリアには110以上の大学が所在している。東工大、東大、千葉大、横国大、東京理科大は16号線沿いです。日本の二大科学研究機関も16号線沿いにある。海洋開発機構(JAMSTEC)は横須賀にあります。宇宙航空開発研究機構(JAXA)は相模原の古淵、どちらも16号線が近い。 きわめつけは、首都圏で人気のエリアということです。2021年から全世代で16号線エリアが人気になってしまった。新型コロナによってリモートが活用されるようになり、大手町や丸の内に満員電車に詰め込まれる必要がなくなってしまった。 ちなみに今、ビジネス拠点で重要なのは千葉です。リモートワークと通販時代で重要なのは物流センターとデータセンターです。埼玉も久喜が今拠点の一つになっています。流山は首都圏最大の物流センターです。楽天、アマゾン、ヤマトが集結しています。オーストラリアの物流企業も集中展開しています。コストコの本社も今年、川崎から16号線の木更津に移ってしまった。本社機能が店の隣にできている。 特筆すべきなのは印西です。1990年代から、首都圏で地盤がしっかりしているので、銀行のデータセンターがありましたが、今はグーグル、アマゾンのデータセンターがある。 元気なニュータウン 16号線沿いのニュータウンが一旦力を失った後、再び元気です。今、平日の昼間などは、保育園の子を載せたカーゴが多く見られる。子育て世代が多い証拠です。 金融からメディアの時代になったのです。千葉ニュータウンはお洒落なスポットで、IT企業勤務のスマートな若者が仕事をしています。 1998(平成元)年の世界の時価総額ランキングを見ると、ほとんどが日本の金融機関、そしてNTTです。それが今どうなっているか。アップル、アマゾン、グーグル、マイクロソフト、フェイスブックなど、金融からメディアの時代に移った。GAFAMは、要するにメディア企業です。価値を生むものが、お金ではなく、情報に変わった。 今、丸の内が何らかの事情で機能しなくなるよりも、印西が機能しなくなる方が日本人にとっては困る。データセンターがありますから、生活が成り立たなくなる。 このことは、本日のリベラルアーツとつながってきます。教養とは、ややもするとパッチワーク状の知識というイメージがあるわけですが、これではただの物知りを教養と誤認しています。そのような物知りは役に立たない。 役に立つとはどういうことか。 情報は、対立するものではなく、レイヤーを異にするものです。同じことを交通の比喩で語るなら、鉄道、地形、道路、徒歩、それぞれのレイヤーが独立しつつ重なっている。ところが、レイヤーで考えないと、「鉄道」対「道路」と対立的に考えてしまう。その時点でもう間違いです。二項対立で語るのは楽なのですが、レイヤーで考えないと実像はほとんどわからない。 16号線の正体は、地形です。大地と丘陵とリアス式海岸と巨大河川による凸凹地形を通っている。その下にはプレートがある。首都圏は、フィリピン、北米、太平洋プレートがぶつかっている世界的にも稀な複雑な地形です。不可思議な地形が残っている。できたのは12万年前です。 面白いのが縄文時代です。私が保全活動を行ってきた三浦半島の小網代という場所がありますが、ここなどはいわゆる「小流域」、手前が川の源流で、小さな川、谷、海が一つになっている。それは人類における居住の基本単位なのです。屋根に住むと治水の問題が不要になります。足元には清流がある。動物が生活し、植物が豊か繁茂し、果物や穀物が採取できる。水をせき止めると田んぼができる。湿原の下手の干潟に行くと、貝がたくさんとれる。その先に大きな海と港湾、河川交通ができる。尾根は道路です。小流域地形を発見して確保するのが日本の為政者が延々と行ってきたことです。 事情は今とあまり変わらない、だから、居住の基本単位が並んでいたのが16号線沿線です。 そこには軍事施設もできたし、生糸文化もできた。軍事と生糸の中心になったので、富国強兵と殖産興業も16号線エリアに発達した。ちなみに、軍事施設で働いていたのが日本のミュージシャンや芸能人です。日本の芸能界は16号線エリアの米軍キャンプで生まれた。ホリプロもナベプロもそうです。その後、彼らから薫陶を受けたのはユーミンやYMOです。 鉄道資本主義の弊害 最後に身近な例を一つ上げておきましょう。日本のまちづくりは鉄道が主体でした。そのせいで私たちは鉄道資本主義の世界を生きてきた。でも、鉄道の時代はもう終わっている。なぜか。道路の発達と自動車の普及が関係しています。それらは1990年代以降本格化している。まだ30年と経っていません。自動車保有は1996年に初めて1世帯1台になる。日本はアメリカより40年遅れていたのです。 モータリゼーションが急速に進むのは1990年代から2000年代で、16号線エリアにショッピングモールが栄えるようになった時期と重なっている。2000年代です。電車は関係ありません。今は自動車資本主義の時代なのに、官僚も大学人も、「電車脳」のままなのです。電車脳が作動している限り日本の地方の再生は望めない。 たぶん効果的なのは、地方ではウーバー・タクシーの活用でしょう。自動車は各家庭に3台ある。当然空いている人もいる。地元の空いている方に来てもらい、届けられます。バスやタクシーの交通不便が解消できます。 そこで、ぜひ行っていただきたいのは―学生は時間があると思うので―住んでいるところの歴史と地理を足で歩いてみると面白い。ショッピングモールは何があるのか、駅は何があるのか、何でもいい。 この辺りは元荒川がありますね。元荒川が本当の荒川だった。この荒川はどこにつながっているのか。16号線沿いの今、重要な日本の東京の首都圏の防水施設があります。首都圏外郭放水路、元荒川はその近隣にあって、利根川の元源流も入っている。 どちらの川も、元の利根川と元の荒川は、埼玉の誇る巨大モール施設。越谷レイクタウンにつながる。なぜ、巨大レイクタウンがあるのか。水の構造がそこにあるからです。歴史のレイヤーと現在の流通のレイヤーと重ねていくと、埼玉エリアのレイヤーが実に多くあり、首都圏の東京より埼玉のほうが栄えていた時期があるのがわかる。 交通が次第に不便になっている地方も、新しいテクノロジーのレイヤーを導入したり、新しいサービスのレイヤーを導入した瞬間に、むしろ暮らしやすくてコストが安く、安全な場所に変わる。それができるのはテクノロジーの力、そしてリベラルアーツ、「伝えるすべ」です。 その両方の観察眼をぜひ育てていただきたいと思います。本日はありがとうございました。 Profile 柳瀬 博一(やなせ・ひろいち) 1964年静岡県生まれ。東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。雑誌「日経ビジネス」の記者、専門誌の編集や新媒体開発などに携わった後、出版局にて『小倉昌男 経営学』『矢沢永吉 アー・ユー・ハッピー』『養老孟司 デジタル昆虫図鑑』『赤瀬川源平&山下裕二 日本美術応援団』『社長失格』『流行人類学クロニクル』など書籍の編集を行う。2018年4月より現職。著書に『国道16号線』(新潮社)、『親父の納棺』(幻冬舎)、共著に『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』(小林弘人と共著 晶文社)、『「奇跡の自然」の守りかた』(岸由二と共著 ちくまプリマ―新書)、『混ぜる教育』(崎谷実穂と共著 日経BP社)。 関連リンク 教養教育センターWEBページ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」①~東京工業大学のリベラルアーツ~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」②~理工系に必須の「伝えるすべ」~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」③~ものづくりがマーケットを変える~

  • 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」③(全4回)~ものづくりがマーケットを変える~

    ―特別版②「理工系に必須の『伝えるすべ』」の続きです。 柳瀬博一先生(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 教授)を講師に招き、2022年11月24日に開催された教養教育センター特別講演会の内容を全4回にわたりお届けします。 「リベラル・アーツ」「教養」。普段、よく耳にする言葉ですが、その定義は実は曖昧です。柳瀬博一先生が講演の中で、『広辞苑』から参照していますが、やっぱり、「よく分からない」。人によって解釈や定義が異なりがちな「リベラル・アーツ」について、時に古代ギリシャまで遡り、時に自身の著作の事例を交えて、目まぐるしく変わる現代に必要な「リベラル・アーツ」について解き明かします。 第3回です。現代はスマホによって、誰もがメディアになれる時代になりました。そのメディアを構成する3つのレイヤー、そして理工系とリベラルアーツのつながりについて紹介します。 【教養教育センター特別講演会 開催概要】 日時:2022年11月24日(木)14:00~15:20 場所:ものつくり大学 大学本部 A3010大講義室 参加者:本学学生、高校生、一般、教職員 約220名 開催方法:オンライン・対面のハイブリッド 誰もがメディア化した さらに言うと、企業も大学もマスメディア化しています。インターネット革命の結果です。東工大のサイトも、もうメディア化を進めていますし、さらにコロナになって誰しもがメディア化するのが当たり前になりました。学生の皆さんも先生方も、Zoomや何かで授業を行ったり情報発信したりする。テレビに出ていることと何も変わらないのです。 誰もがマスメディア化したということです。実際にマスメディア化した個人をさらにテレビが放送する逆転現象まで出てきています。池上氏を撮るZoom講義をテレビ東京が来て取材するという、舞台裏の舞台裏を撮るみたいなことが現実に起きている。 池上氏のZoom講義を取材するテレビ東京 では、それを今起こしている道具は何か。テレビや新聞や雑誌ではない。スマホですね。スマホとネットがあれば誰でもマスメディアになれる。ユーチューブの情報発信、あるいはTikTok、ツイッターはスマホでできる。ネットにつなげれば、誰でもマスメディアになれるのです。 皆さんのお手元にあるスマホには、過去のメディアがすべて入っています。AbemaTVは典型ですけれども、NHKプラス、TVer、全局が何らかの形で行っています。ちなみに、これも日本が遅れています。世界中のテレビ局は、フルタイムをインターネットで見られます。 ラジオはRADIKOやラジオクラウドということで、こちらもほぼ聞けますよね。音楽はSPOTIFYがスタートでしたけれども、アマゾン、アップルなどでも聴ける。要するに、ほとんどすべての曲がもう今スマホで聴けます。 書籍はもちろん、アマゾンを筆頭に電子書籍で読めるし、ゲームも大半はアプリでできる。すべての新聞がアプリ化しています。唯一気を吐いているのは漫画です。小学館、講談社、集英社は去年、一昨年と過去最高収益です。漫画だけは電子のほうに移って、さらに知的財産コンテンツビジネスに変わった。『少年ジャンプ』(集英社)は、1996年に630万部が売れました。2022年の4月でもう129万部です。それだけ見ると、マーケットが激減したと思うのですが、漫画マーケットの売上げは、かつてのピークが4500億円、今は6000億円です。電子書籍も課金ができるようになった。まったく変わったのです。 しかも、ここからスピンアウトした漫画やアニメーションがNetflixやアマゾン・プライムで拡散していくので、知的財産ビジネスの売上が桁違いになっています。雑誌もDマガジンをはじめとして、ウェブになりました。 映画を含む新しい映像プラットフォームとしてNetflix、アマゾン・プライム、Hulu、U-NEXTなど実に多彩です。SNSは従来の手紙や独り言ですね。電話もできる。 メディアは理工系が9割 では、スマホは何か。ハードですね。ハードは本来科学技術の固まりです。 新しいメディアは、コンテンツが先に生まれるわけではない。新しいハードウェアとプラットフォームの誕生によって生まれてくるものです。 古い例で言えば、ラジオ受信機が誕生して初めて人々はラジオを聴けるようになった。ラジオ受信機がないと、ラジオを聴取する構造ができない。あるいはテレビ受像機が誕生して初めてテレビを視聴できるようになった。 ソニーで言うと、携帯カセットテープレコーダーというマーケットはなかった。ウォークマンが先です。概念を具体化することが大切で、マーケットは後からできる。その順番がしばしば勘違いされています。常に具体的なピンポイントの製品からマーケットは広がっている。 同じようにスマホが登場して初めてネットコンテンツをどこでも見られる構造ができる。概念が先ではないのです。具体的なハードウェアが先に誕生したからです。 マーケットを変えるのは常に製品、すなわち、ものづくりです。この大学の名前のとおり、ものづくりがマーケットのゲームチェンジを常時行います。 むしろ、ここ20数年間のものづくりの世界は、決定的に外部化、すなわちアウトソースするパターンが増えました。アップルは自社でほとんど作っていない。アパレル業界に近いのです。ナイキやオンワード樫山、あるいはコム・デ・ギャルソンは自社で製品は作らない。つくっているのは概念です。概念をつくって、設計図を渡して、ものづくりは協力工場に発注しています。トヨタ自動車をはじめ、メーカーは今それを相当行っている。自社でつくっているのはごくわずかです。 例えば、アップルがワールドエクスポでiPhoneの発売を発表したのは2007年です。まだ14~15年しかたっていない。ソフトバンクの孫正義社長が頼み込んで、2008年、iPhone3G、KDDIが入ったのは、東日本大震災「3・11」の後のことでした。2011年10月です。だから、3・11が起きたときは、スマホはまだ誰も持っていなかった。あのとき、さまざまな映像が飛び交いましたけれども、携帯電話によってでした。ユーチューブではなく、ほとんどはユーストリームです。 だから、今のスマホ、ユーチューブの世界はだいぶ前からあるように錯覚していますが、まだ10年もたっていない。最近といってよいのです。ドコモが参入してからまだ10年もたっていない。 では、何がゲームチェンジャーになったか。ドコモ、KDDIもソフトバンクも関係ない。アップルです。アップルがiPhoneという概念を製造して、形にして爆発的に普及させた。グーグルなどが追随して、ギャラクシーなどのスマホを作った。だから、マーケットのほうが製品より後です。これも勘違いされています。順番から言ってiPhoneが先でスマホが後です。 情報生態圏の基盤 メディアは、次の3つのレイヤーからできています。 ハードウェア、コンテンツ、プラットフォームです。ハードウェアは再生装置です。コンテンツは番組その他、プラットフォームは、コンテンツのデリバリー・システムです。この3つがメディアの情報生態系の基本なのです。 ラジオの場合は、ハードウェアはラジオ受信機ですね。コンテンツはラジオ番組です。プラットフォームは放送技術、放送局の仕組みです。テレビも同様ですね。テレビ受像機に替わるだけです。 新聞の場合は、紙の束がハードウェアです。コンテンツは記者の書く記事、プラットフォームは新聞印刷と宅配の流通システムです。だから、ある意味で新聞は究極の製造業です。ほとんどを自社で行っている。 出版社は、ハードウェアは書籍や雑誌の紙の束、コンテンツは記事、小説、テキストです。プラットフォームは出版流通と印刷になります。レイヤー構造から読み解くと、出版と新聞は似て非なるものです。メディアで自社が何も行っていないのは出版です。出版はアイデア・ビジネスなのです。 ゲーム、ハードウェアはゲームソフトとゲームプレイヤーです。プラットフォームは個々のゲーム規格ですね。ゲーム規格によって再生できるゲームが違います。それを行っているのは任天堂、あるいはマイクロソフトのXボックスなどを想起するとよい。 究極にわかりやすいのが、聖書です。聖書は紀元前1400年前です。今から3400年前に「十戒」ができる。このときは粘土板なわけです。粘土板に「十戒」が刻まれている。この場合コンテンツは「十戒」ですけれども、プラットフォームは当時生まれたばかりの文字、ハードウェアは粘土板ですね。「死海文書」になると、羊皮紙にきれいな手書きとなる。ということは、コンテンツは同じです。ハードウェアは羊皮紙、プラットフォームは羊皮紙を作る技術です。 さらに15世紀のグーテンベルグの活版印刷になります。一気に聖書がベストセラーになります。ハードウェアは紙の束になります。コンテンツは同じ聖書です。プラットフォームは活版印刷工房です。それが500年たつと、世界最大のベストセラーになる。 これが電子版に変わるとどうなるか。ハードウェアはキンドルやスマホになる。聖書のコンテンツは変わりません。プラットフォームはキンドルの規格であるインターネットです。スマホになると、今度はアプリになります。ハードウェアはスマホです。この場合もコンテンツは変わらない。プラットフォームはアップル、グーグルのApp storeになったとしても、聖書の中身は変わらないのです。変わっているのはプラットフォームとハードウェアです。 今見ていてもわかりますが、メディアのハードウェアとプラットフォームは、科学と技術の進歩で変わるものです。特にインターネットの時代になって、ハードウェアが一気に進化していきます。ということは、ハードウェアの変化が新しいメディアです。けれどもコンテンツはほとんど変わっていない。優良なコンテンツは、ハードウェアとプラットフォームが変わるごとに、中身を変えずに少しずつ表現を変えているだけで、本質的には変わっていないのです。 結局、どういうことか。前者のハードウェア制作は理工系の仕事なのです。後者のコンテンツは伝えるわざだから、リベラルアーツの産物ということです。これは理工系、文系ではない。ここには理工系、文系、アートなどのあらゆる知識が入っている。 ―特別版④「16号線の正体とリベラルアーツの本質」に続きます。 Profile 柳瀬 博一(やなせ・ひろいち) 1964年静岡県生まれ。東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。雑誌「日経ビジネス」の記者、専門誌の編集や新媒体開発などに携わった後、出版局にて『小倉昌男 経営学』『矢沢永吉 アー・ユー・ハッピー』『養老孟司 デジタル昆虫図鑑』『赤瀬川源平&山下裕二 日本美術応援団』『社長失格』『流行人類学クロニクル』など書籍の編集を行う。2018年4月より現職。著書に『国道16号線』(新潮社)、『親父の納棺』(幻冬舎)、共著に『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』(小林弘人と共著 晶文社)、『「奇跡の自然」の守りかた』(岸由二と共著 ちくまプリマ―新書)、『混ぜる教育』(崎谷実穂と共著 日経BP社)。 関連リンク 教養教育センターWEBページ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」①~東京工業大学のリベラルアーツ~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」②~理工系に必須の「伝えるすべ」~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」④(全4回)~16号線の正体とリベラルアーツの本質~

  • 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」②(全4回)~理工系に必須の「伝えるすべ」~

    ―特別版①「東京工業大学のリベラルアーツ」の続きです。柳瀬博一先生(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 教授)を講師に招き、2022年11月24日に開催された教養教育センター特別講演会の内容を全4回にわたりお届けします。「リベラル・アーツ」「教養」。普段、よく耳にする言葉ですが、その定義は実は曖昧です。柳瀬博一先生が講演の中で、『広辞苑』から参照していますが、やっぱり、「よく分からない」。人によって解釈や定義が異なりがちな「リベラル・アーツ」について、時に古代ギリシャまで遡り、時に自身の著作の事例を交えて、目まぐるしく変わる現代に必要な「リベラル・アーツ」について解き明かします。第2回は、日本の大学、とりわけ理工系が抱える課題である女子率の低さに始まり、リベラルアーツの源流、そして、リベラルアーツとは何であるか紐解いていきます。【教養教育センター特別講演会 開催概要】日時:2022年11月24日(木)14:00~15:20場所:ものつくり大学 大学本部 A3010大講義室参加者:本学学生、高校生、一般、教職員 約220名開催方法:オンライン・対面のハイブリッド 女子率の低さという問題 日本はトップ大学の女子比率が低いままです。とりわけ理工系は低い。東工大も例外ではありません。世界的でもまれに見るひどい状態です。大学教育がまだ途上にある事実を示している。 誰しもが危機感を抱くべきなのですが、日本の高学歴学生たちもそれが問題とは認識していない。これは日本のどこへ行っても変わりません。       日本がどのくらい遅れているか。データを見ると明らかです。 東京大学でたった19.3%です。京都大学22.5%、一橋大学で28.4%です。これらの数字を見るとおおよそわかりますね。早稲田大学、慶應義塾大学もともに4割に達していません。 では、世界はどうか。世界の大学ランキングを見ると、女子の比率はオックスフォード大学で47%、カリフォルニア工科大学36%、ハーバード大学もほぼ1対1です。スタンフォード大学は46%、ケンブリッジ大学は47%、ほとんど1対1です。MIT(マサチューセッツ工科大学)も4対6です。MITは2000年代に学長と経済学部長がそれぞれ女性でした。プリンストン大学は47%です。UCバークレーは女性が多い。イェール大学も同様です。 興味深いのはジョンズ・ホプキンス大学ですね。世界最高峰の医学部を持つ大学です。女性のほうが多い。ペンシルバニア大学は世界最高峰のMBAを持つ大学です。スイスのETHですら、3割は女子です。北京大学、清華大学も同様です。 こうして見ると、女子比率は、コーネル大学、シンガポール国立大学いずれも、1対1です。デューク大学も女子のほうが多い。 日本の問題がおわかりと思います。東大も京大も東工大も入っていない。問題は深刻です。人口における男女比率は1対1です。男性と女性に生まれついての知的能力差はありません。男性の方が理工系に向いているというのも嘘であることが数多くのデータから証明されております。あらゆる日本の大学がこの異様に低い女子比率を変えなければいけません。東工大では今女性が増える戦略を取り始めています。ご期待ください。 リベラルアーツとは「伝えるすべ」である リベラルアーツ教育についてお話しします。大学に加わって改めて感じたのは、リベラルアーツ、あるいは教養については、案外定義がきっちりしていない、ということでした。 『広辞苑』(岩波書店)に載っている「リベラルアーツ」の定義を参照しましょう。 「教養、教え育てること、社会人にとって必要な広い文化的な知識、単なる知識ではなくて、人間がその素質を精神的・全人的に開化・発展させるために学び養われる学問や芸術」とある。 よくわからない定義です。 リベラルアーツとは、「職業や専門に直接結びつかない教養。大学における一般教養」、こう書いてあるわけですね。これらは、日本の現実を表現しています。要するに、般教(パンキョー)がリベラルアーツだと信じ込まされてきた。 考えてみてください。文科系大学に進むと、生物学や数学や物理学、一般教養として履修しますね。東工大のような理科系大学に行くと、政治学、経済学、哲学、文学は一般教養になる。ということは、学問分野と教養教育、リベラルアーツ教育とは、関係がないことになる。先の『広辞苑』の設定が近い。だから大学生からすると、専門に移るまでにぬるく教わるクイズ的知識みたいなものを何となく教養と思っている。クイズ番組が教養番組として流れているのは、逆に言うとマーケットの認識を正確に反映しているということです。 こういうときは、源流を紐解いてみるのがよい。リベラルアーツの由来は何なのか。 リベラルアーツとは、古代ギリシャの「自由七科」が源流です。2種類あります。言語系3つ、文法・弁証法、あるいは論理学、さらに修辞学です。数学系では4つ、算術・幾何学・音楽・天文学です。リベラルアーツは「アルテス・リベラレス」ですね。 もともと紀元前8年、ポリス(都市国家)が古代ギリシャに生まれたときに、自由市民と奴隷に分かれていました。その頃の奴隷とは、現場仕事に従事する人々です。それぞれの必須知識がパイデイアとテクネーです。学ぶことが違う。パイデイアは、どちらかというと教養のイメージ、テクネーは実学です。 理由の一つは、ギリシャの弁論家イソクラテスが修辞学校をつくったことにあります。その頃は、演説が重視されていた時代だったので、弁舌を磨くための学校ができたわけです。それが修辞学です。さらに、演説のときは比喩を使いこなす必要がありました。古典を見栄えよく用いなければならない。そこで文法を教え、さらに演説で説得力ある美しい論理展開のために弁証法を学ぶ。その段でいくと、弁論術の一環として、先の語学系教育の基盤ができた。アルテス・リベラレスの言語系三科はこれらにあたるわけです。 では、数学系はどうか。かの哲人プラトンです。プラトンがアカデメイアをつくる。イソクラテスとは対照的に、世界は法則に満ちていると言ったのがプラトンですね。そこで、プラトンは算術、幾何学、そして世界の音を分割して数字で表す音楽、そして、地球から見る世界のことわりを探求する天文学です。 イソクラテスとプラトンは互いに反目し合っていたのですけれども、その後、セットにして教えるのがふさわしいということで、ローマ時代になって7科の原形ができる。クアドリウィウム、算術・音楽・幾何学・天文学を四科でクリドル、4つです。文法・修辞学・弁証法を三学、トリウィウムですから3つですね。 上級学校は3つありました。神学部、要は聖職者養成です。ローマ・カトリックが強大な力を持っていたためです。次に法律、政治家養成ですね。そして医学、内科医。まさに教養課程として7科、リベラルアーツの7学科があったということです。 ではこのリベラルアーツ7科とはなんでしょうか。実は全て「伝えるすべ」なんです。 イソクラテスの方は、言葉、物語です。文系的な「伝えるすべ」ですね。すなわち、いかに物語の構造で人に世界をわかりやすく伝えるかに関わっている。 プラトンの方は、数学です。理工系的な「伝えるすべ」です。算術、幾何学、音楽、天文学を使って、やはり人にわかりやすく、論理的に世界を伝える。文系、理工系のそれぞれの方法を使った「伝えるすべ」がリベラルアーツと呼んでいたということになります。つまり「伝える力」、すなわちメディア力です。 メディア力こそが教養の根幹である。池上彰氏や出口治明氏(APU(立命館大学アジア太平洋大学)学長)の本がよく読まれています。これらはお手軽に見えますが、実はそうではない。あの2人の取組みがリベラルアーツの本質を構成している。  一人ではわからないことを、まさに物語と論理で教えてくれているからです。だから、専門家はリベラルアーツの能力を持ち、わかりにくいことを伝えるすべを持つことが必要で、教養とは伝える力にかかっているのです。 理工系はメディアの当事者 そこでメディア論です。私は東工大でメディア論を教えています。 まず、理工系出身者はメディアの当事者であると伝えます。 というのも、理工系出身者が今ますますジャーナリズムの担い手になっている。そもそもメディア仕事は8割が理工系の仕事です。だから、理工系の学生にとって、メディアについて学ぶことは、伝える力、リベラルアーツそのものであり、同時に本業と心得るべきです。これが意外と認識されていません。 では、なぜ当事者なのでしょうか。 大隅良典先生は東工大の教授です。2016年10月のノーベル賞学者です。大隅先生がノーベル賞を受賞したとき、東工大のすずかけ台キャンパスで記者会見が行われています。まさに、メディアの当事者ということだ。まさにリベラルアーツが要求されるわけです。世界の誰よりも詳しい知識を、誰にでもわかりやすく説明することが期待されているからです。 私が徹底的に教えているのは、情報発信の仕方に関わっています。「伝える力」としてのリベラルアーツは理工系の研究者にとって必須の道具です。なぜなら、論文を執筆する、学会発表を行う、研究室でプレゼンする、あるいは経営会議に入って理工系のことがわからない投資家に資金を拠出してもらう、新製品を記者会見でレクチャーする、いずれも説明がきちんとできないと話にならない。すべてメディア当事者の仕事なのです。 さらに言うと、メディア・ジャーナリズムの取材対象としては、好むと好まざるとにかかわらず、アサインされる事案は理工系の人ほど多いのです。研究失敗の記者会見、工場の事故の説明、会社の研究・技術関係の不祥事。典型は福島の原発事故でしたね。東京電力福島第一原子力発電所所長の吉田昌郎氏は東工大の出身者ですが、吉田氏の伝える力が現場を救った。  現下のコロナなどはさらに典型と言ってよい。例えば西浦博氏(北海道大学教授)は、「8割おじさん」で知られますが、「8割」というわかりやすいキャッチコピーで、集団の公衆感染問題を相当に回避できた。マスク着用や人との接触を8割減らすと、指数関数的に感染を減少させられると指摘した。背景には複雑な計算が存在しつつも、キャッチコピーとして「8割」を使ったわけです。天才的な伝える力です。 このような人々は、科学と技術をよく理解した上で、しかもわかりやすく、受け手に目線を合わせて、根気強く伝えた。日本のコロナ対策はいろいろ言われていますけれども、最終的に感染者数・死者数の圧倒的には少なさは紛れもない事実です。専門家がジャーナリストになってくれたおかげです。 理工系の出身者はジャーナリズムにとって必須の存在になっています。というのは、時代の変革期は、テクノロジーの変革期であり、テクノロジーを誰にでもわかるように説明できるかどうかが重大な意味を持つためです。文系出身者がそれを行うのは相当に困難です。理工系出身者がリベラルアーツ力を生かしてメディアになってもらわなければ世の中が困ります。 ―特別版③「ものづくりがマーケットを変える」に続きます。 Profile   柳瀬 博一(やなせ・ひろいち) 1964年静岡県生まれ。東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。雑誌「日経ビジネス」の記者、専門誌の編集や新媒体開発などに携わった後、出版局にて『小倉昌男 経営学』『矢沢永吉 アー・ユー・ハッピー』『養老孟司 デジタル昆虫図鑑』『赤瀬川源平&山下裕二 日本美術応援団』『社長失格』『流行人類学クロニクル』など書籍の編集を行う。2018年4月より現職。著書に『国道16号線』(新潮社)、『親父の納棺』(幻冬舎)、共著に『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』(小林弘人と共著 晶文社)、『「奇跡の自然」の守りかた』(岸由二と共著 ちくまプリマ―新書)、『混ぜる教育』(崎谷実穂と共著 日経BP社)。 関連リンク 教養教育センターWEBページ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」①~東京工業大学のリベラルアーツ~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」③(全4回)~ものづくりがマーケットを変える~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」④(全4回)~16号線の正体とリベラルアーツの本質~

  • 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」①(全4回)~東京工業大学のリベラルアーツ~

    柳瀬博一先生(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 教授)を講師に招き、2022年11月24日に開催された教養教育センター特別講演会の内容を全4回にわたりお届けします。「リベラル・アーツ」「教養」。普段、よく耳にする言葉ですが、その定義は実は曖昧です。柳瀬博一先生が講演の中で、『広辞苑』から参照していますが、やっぱり、「よく分からない」。人によって解釈や定義が異なりがちな「リベラル・アーツ」について、時に古代ギリシャまで遡り、時に自身の著作の事例を交えて、目まぐるしく変わる現代に必要な「リベラル・アーツ」について解き明かします。第1回は、柳瀬博一先生が在籍する東京工業大学のリベラルアーツ教育の歴史、特徴的なカリキュラムについて紹介します。【教養教育センター特別講演会 開催概要】日時:2022年11月24日(木)14:00~15:20場所:ものつくり大学 大学本部 A3010大講義室参加者:本学学生、高校生、一般、教職員 約220名開催方法:オンライン・対面のハイブリッド 東京工業大学のリベラルアーツ教育 私が現在在籍する東京工業大学は、リベラルアーツ研究教育院を2016年から開設しています。国立大学でリベラルアーツを冠に持つ学部・学院は、東工大が初めてかもしれません。 私は日経BP社という出版社で、記者、編集者、プロデューサーの業務に携わってきました。メディアの現場に身を置いてきました。その私がご縁がありまして、2018年から東工大のリベラルアーツ研究教育院に参加することになりました。現在は、テクノロジーとメディアの関わりあいについて、学生たちに教えております。 まず、東工大がどのような教養教育を行っているのか、大きな特徴は、教養教育を1年生から修士、博士課程で一貫して行うこと。大学の教養課程って、普通1年生2年生でおしまいですよね。東工大は学部4年、修士2年、さらに博士課程でもリベラルアーツ教育を施しています。 改革以前から、東工大はリベラルアーツ教育ではしかるべき定評を得てきた大学です。特に戦後新制において、東京大学をしのぐほどに進んでいるとされた時代がありました。そのときは小説家の伊藤整、KJ法で著名な川喜田二郎など日本のリベラルアーツの牽引者となる人たちが教鞭をとっていました。比較的近年では文学者の江藤淳氏がその列に加わります。 1990年代、大学の実学志向が強くなったときに、教養教育部門は、あらゆる大学で細っていった。その反省もあって、2000年代から再び大学の教養教育を見直す趨勢の中で、リベラルアーツ教育復権の旗印のもと東工大が目指したのは、いわゆるくさび形教育、教養教育を必須とする授業構成になります。 そのために、環境・社会理工学院をはじめさまざまな「縦軸」の大学院と学部をセットにした学院が設立され、他方で「横軸」だったリベラルアーツ研究教育院を組織として独立させた。現在60数名の教員が在籍しています。 もう一つ興味深いのが、東工大は理工系の大学ながらも、学部生が、リベラルアーツ研究教育院の教員のもとで研究を行う道が用意されています。大学院では、社会・人間科学コースが設置されており、人文科学系の学生が多く在籍しています。他大学や海外から進学してくる人もいれば、社会人入学の方、そして学部時代は東工大で理系だった学生もいます。私のゼミも昨年度の学生は東工大の内部進学者でした。情報工学を学んだあと、2年間みっちりテクノロジーとメディアの革新について素晴らしい修士論文を書き上げて、修了しました。最近、サントリー学芸賞を取った卒業生も、この大学院からは出ております。東工大というと理工系のイメージが強く、事実理工系の大学なのですけれども、リベラルアーツからも専門家も育っています。 先鞭をつけた池上彰氏 東工大がリベラルアーツ教育を復権させようと考えたのは2010年代初頭からとなります。このときに基盤を固められたのが哲学の桑子敏雄名誉教授、そして2022年春までリベラルアーツ研究教育院初代学院長を務められた上田紀行教授でした。その折に、大学の目玉になる先生を呼ぼうと考えた。しかも、純粋なアカデミシャンではなくて、リベラルアーツを広く豊かに教えられる外部の先生を呼ぼうということになったのです。白羽の矢が立ったのは池上彰氏でした。 リベラルアーツ研究教育院では、大学入学と同時に全学生が「立志プロジェクト」を受講します。2019年までは、大講堂で池上彰さんや外部から招いた専門家が講義を行いました。ここ3年はコロナ禍に対応して、動画配信で対応しています。これまでに劇作家の平田オリザ氏、水俣病のセンターの当事者の方など多彩な方が壇上に上がり講義を行っています。 次の週は、大学としては珍しいことですが、クラスを作るのです。27~28人を40組、リベラルアーツの先生全員が担任を持ちます。グループワークを行って、登壇者の話を批評的に論じるのです。グループワークでは自己紹介を行い、互いの人となりを知った上で、授業のサマリーをまとめて発表する。計5回繰り返し、最終的にこの大学で何を学びたいのか、つまり「志」を提出してもらい、まとめて発表する。大切なのは、必ず発表を伴うものとすることです。これが立志プロジェクトの「少人数クラス」の基本進行デザインです。 しかし、これで終わりではありません。3年生の秋には「教養卒論」の授業があります。普通、3年生になったら専門課程に進んで、教養科目の授業はおしまい、という大学が多いと思います。東工大は3年生全員が秋冬の15回の授業で、自分のこれから進む分野や興味と3年間で身につけた教養を掛け算して1万字の「教養卒論」を書いてもらうのです。最終的に優れた論文は表彰します。翌年夏には教養卒論の発表会を大講堂で行います。相当数の学生が集まります。見栄えのするパワポを準備して、本気で発表に臨む。 教授陣の紹介サイト それともう一つ、私が東工大に移籍して取り組んだしごとについてもお話しておきましょう。それは大学の教授陣の紹介サイトをつくることでした。日本の大学は公式の教員プロフィールが一覧で見られるサイトがあまりないんです。これは私がメディアにいた頃から、疑問に思っていたことでした。企業もIR関連情報のところに役員の詳しいプロフィールが載っていないことがあります。企業のIRで重要なのは、経営陣の顔が出ていること、人柄がわかること、活動内容がクリアであることです。つまり、経営陣自体がコンテンツになっていなければならない。 では、大学はどうか。大学における最大の財産は―最終的には学生ですけれども―入学時においては教授陣ですね。メディア出身の特技を生かして東工大のリベラルアーツ研究教育院のインタビューサイトをつくりました。インタビューも私が行っています。 全ての先生方を平等に見せるように心がけました。先生方の研究内容、教育の取組み等々、いわば小さな「私の履歴書」のようなサイトを一覧で見られるようにした。これは好評でした。実際に外部の方々が東工大の先生にアプローチしたい、インタビューしたい、相談に乗ってほしいというとき、有効に活用していただいています。 ―特別版②「理工系に必須の『伝えるすべ』」に続きます。 Profile 柳瀬 博一(やなせ・ひろいち) 1964年静岡県生まれ。東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。雑誌「日経ビジネス」の記者、専門誌の編集や新媒体開発などに携わった後、出版局にて『小倉昌男 経営学』『矢沢永吉 アー・ユー・ハッピー』『養老孟司 デジタル昆虫図鑑』『赤瀬川源平&山下裕二 日本美術応援団』『社長失格』『流行人類学クロニクル』など書籍の編集を行う。2018年4月より現職。著書に『国道16号線』(新潮社)、『親父の納棺』(幻冬舎)、共著に『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』(小林弘人と共著 晶文社)、『「奇跡の自然」の守りかた』(岸由二と共著 ちくまプリマ―新書)、『混ぜる教育』(崎谷実穂と共著 日経BP社)。 関連リンク 教養教育センターWEBページ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」②(全4回)~理工系に必須の「伝えるすべ」~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」③(全4回)~ものづくりがマーケットを変える~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」④(全4回)~16号線の正体とリベラルアーツの本質~

  • 第2回教養教育センター特別講演会③~役に立つ教養はどのようにして活性化するか~

    2023年11月9日に渋谷スクランブルスクエア SHIBUYA QWSで開催した、第2回教養教育センター特別講演会「教養としてのクリエィティブ」の内容を全3回にわたりお届けします。第3回は、「役に立つ教養はどのようにして活性化するか」をテーマに、ものつくり大学図書館・メディア情報センター長の井坂康志教授がモデレーターを務め、パネリストに山本ミッシェール氏、ものつくり大学教養教育センター長の澤本武博教授、ものつくり大学情報メカトロニクス学科の町田由徳准教授を迎えたパネルディスカッションの様子です。【第2回教養教育センター特別講演会 開催概要】日時:2023年11月9日(木)13:30~17:10場所:渋谷スクランブルスクエア SHIBUYA QWSプログラム[第1部 特別講演会]・基調講演「教養としてのクリエイティブ」 小泉英明氏(株式会社日立製作所 名誉フェロー)・鼎談「脳科学、言葉、手-「使える教養」はどう育つか」 小泉英明氏 山本ミッシェール氏(キャスター/ジャーナリスト/レポーター/MC/講師) 荒木邦成(ものつくり大学 ものつくり研究情報センター長)[第2部 パネルディスカッション]モデレーター 井坂康志(ものつくり大学 図書館・メディア情報センター長)パネリスト 山本ミッシェール氏      澤本武博(ものつくり大学 教養教育センター長)      町田由徳(ものつくり大学 情報メカトロニクス学科准教授) インスピレーションの源 【井坂】会場のご意見も聞きながら、自由闊達に進めていきたいと思います。【町田】私の教養の定義としましては、「すぐには役に立たないかもしれないけれども、インスピレーションの源になる引き出し」という考え方で扱っています。本学の学生は物を作っている。そのとき燃料を機関車にくべていくように、教養が創造のエネルギーになってくるようにしたい。すぐに役立つかどうかわからない。けれども、そこからインスピレーションにつなげてもらえたらと思っています。【山本】教養があればあるほど、いろんな国、立場、人とコミュニケーションできるツールになると思います。自分を内省する教養がないと、結局、深掘りはできていかないからです。私が学んだ言語は8つあります。ほぼ使えなくなってしまった言語ももちろんありますが、それもきっといつか何かの役に立つのではないかと想像しています。海外で生活をしている中、いつも父に言われていたのが、「出会った人にとっては、初めての日本人になるかもしれない。私を通して、日本とはこういう国だ、日本人とはこういう人だと判断する可能性がある。そのためにも、言葉はもちろんだけれども、文化をしっかりと学んでおくこと、かつ、それを伝えられるだけの語学力は最初に身につけなさい」ということです。我が家の家訓のようなものでした。 私は教養が人生を豊かにすると思っています。知らないより知っているほうがいろいろなことに興味を持ちやすい。 【澤本】私は教養が人生を豊かにすると思っています。知らないより知っているほうがいろいろなことに興味を持ちやすい。旅行に行っても、ただ景色がきれいというのみでなく、土地の文化や歴史を知っていると、さらに深まって楽しみが増していきます。私はワインが好きなのですが、国や地域のぶどうの産地についても知ることでさらに楽しくなってきます。また学生に興味を持ってもらいたいとき、私は講義の中で、失敗談をするようにしています。このほうが学生には受けるようです。教養の根底には体験の持つ力があると思います。 【井坂】小泉先生のお話をお伺いしていて感じたのは、圧倒的な余裕です。今日のテーマの「教養としてのクリエイティブ」とは、まさしく小泉先生の姿勢といいますか、そこにおられるだけで感じ取れる。私の率直な所感です。 現場の思いを背負って 【町田】以前、子供の遊び空間の研究をしていたことがあります。その際、保育者とか幼稚園教諭の方にインタビューをしたことがありました。幼児期の体験が重要だということは保育者の方たちはみんな知っているが、現実的にできなくなってきている。屋外活動でのリスクが高いので、事故があったときには、責任を追及されてしまう。特に公立の園の保育者の方は一切外遊びはさせられない、そういう環境が今保育の現場では起こっている。そういったところで、壊していく体験だったり、失敗してしまう体験だったりが子供のときになかなか体験できないというのが今の幼児に多いと思います。【山本】アナウンサーという仕事をしていると、みんなが何か月もかけてやってきた仕事の集大成を最後に担うことになります。彼らの思いを背負って投影しないといけないミッションを私が担っている。そこで思いを台なしにしかねないときに、これをこのまま続けていったら、多大なる迷惑がかかる、ここからどう挽回すればいいのか。いろんなオプションを考えながら、最善でどうやってリカバリーができるか、そして最終的に、小さな失敗の芽をどうやってみんなに忘れてもらえるか、どうやって感動を最後に持ってこられるかを考えます。 どうやって感動を最後に持ってこられるかを考えます。 人間はパーフェクトではないので、転びながらだけれども、なるべく大けがをしないように、いろんな種類の受け身の技を学んでおく。あと、諸先輩たちも常に現場にいるので、先輩たちの姿は必ずいつも研究しています。 現場ともコミュニケーションを取るようにしています。上司よりも仲がいい現場の人たちとコミュニケーションを取って、彼らが出したいものがわかっていれば、自分がつまずいても、最終的にはそこにたどり着けるなと思っています。 論理的、言語的に伝える 感覚的ではなく、あくまで論理的に言語的に伝えることが必要。 【町田】ものつくり大学の中では、デザイン思考の授業を担当しています。学生には具体的なうまくできたポイントを指摘してあげることが大事と思っています。物を作るのは得意だけれども、アーティスティックなものに対して、拒否感がある学生は少なくない。アートがあまり好きではない学生とは、何がいいのかわからない。対してエンジニアリングは、比較的数値的にはっきりしている。アーティスティックな考え方でうまくいった方に対して、具体的に言語化して伝えてあげると、エンジニアリング・ベースでもわかりやすい。感覚的ではなく、あくまで論理的に言語的に伝えことがアーティスティックな教育では必要かと思う。 【澤本】私はコンクリート工学が専門です。創作実習を見学しましたが、学生が物を作るときには、ただ、考えるだけではなく、実際に自分の手で作る。本学では、女子学生も活発に勉強しています。創作実習も女子学生が多い。女子学生が率先してろくろを回し、いろんな色の廃材を切って組み立てたりしています。その有効利用性も学んだり、プレゼンも上手です。 実物を見る-大塚三紀子 【井坂】一わたりお話しいただきましたところで、1度会場に伺いたいと思います。自然食レストラン・実身美(さんみ)の経営者で、ものつくり大学非常勤講師の大塚三紀子さんが今日いらっしゃっています。 アートとサイエンスの行ったり来たりが教養において大事なのではないか。 【大塚】今日はたくさんの学びがあり過ぎて、感動しています。小泉先生のお話から、構想したり、デザインしたり、最初に何かを生み出すイメージとは、見たことがあるものでないとつくりにくい部分があると思う。そのためたくさんいいものに触れることがヒントになるのではないかと思いました。 実際、美術の世界も、最初は模写から入る。ピカソの作品を模写してみると、技法をそこで学ぶと感覚とスキルの両方が身につくのではないか。そのように何か物を作ったり、生み出していくときには、何か実物を見て、ロールモデルであったり、研究して、どういうふうにできているんだろうと学んだり、実際、ある機械を分解してみて、どういうふうになっているんだろうと再現してみたりして、そこから技術を学ぶ。その成り立ちを分解してみると、技術だったり、数値にできたり、アートとサイエンスの行ったり来たりが教養において大事なのではないかと今日は感じました。【井坂】私は専門はドラッカーのマネジメントですが、彼は学生に対してドラッカーは、「まず社会に出ろ」と言っていた。本を読み、考えても、社会の風圧にさらされない限りわからない情報が存在している。マネジメントは、書物の上だけのものではないのです。 本を読み、考えても、社会の風圧にさらされない限りわからない情報が存在している。 私はこれを「実弾を撃つ」と表現しています。世の中に出ると、1発実弾を撃つと、100発返ってきます。自分なりに体験して初めてわかってくるものがある。その意味では、そんな簡単にわからないでほしいという部分も正直あります。まず、社会に出て、様々な矛盾や葛藤の中で、少しずつ前進してほしい。そのための素地が多分教養の1つの意味なのだろうと思いました。続きまして、今日、一般参加者として来てくださっている東洋大学文学部の竹内美紀先生にお話を伺いたいと思います。 お母さんの表情に学ぶ-竹内美紀 【竹内】文学部国際文化コミュニケーション学科で、絵本とか児童文学、翻訳言語学、第2言語習得などを専門にしています。文学系で、最近、認知科学を入れた研究が進んでいる。コグニティブです。つまり、今までこういう本を読んだら子供が喜んだという入出力はあるけれども、間はブラックボックスだった。どういう脳の動きとか心理発達をしているから、こういう反応をするのかというのを、脳科学とか人間発達や心理学の知見を入れることによって、子供たちの反応を科学的に言語として証明することが、ここ20、30年研究されてきている。 子育て体験と、脳科学研究をクロスさせて、実社会に戻していきたい。 私は子育ての経験から児童文学の研究に入ったので、今日のお話で面白かったのが、コンピュータと脳は違って、環境応答型というところだった。思い出したのが、長男が2歳のとき、どじょうのつかみ取りをやった。子供が楽しみにしている横で若いお母さんたちが集められまして、ベテランの子育て支援者にと言われました。「いいですか。気持ち悪いとは絶対言わないでください。子供は今日初めてどじょうを見ます。そして、このどじょうが気持ちいいものか、悪いものか、かわいいものか、面白いものかは、つかんだ瞬間にお母さんの顔を見ます。お母さんが気持ち悪いという表情をしたら、そうインプットされて、一生どじょうが気持ち悪いものになるので、そういう表情を見せないでください」。それから母子でどじょうのつかみ取りを楽しんだ。 コンピュータは、どじょうについてのアルゴリズムが決まっているので、どんな入力をしても結果は同じです。人間にはアルゴリズムがないので、お母さんの表情という出力を見て、アルゴリズムをつくる。そういうことを私は経験してきて、ベテランのお母さんや児童文学の先生は経験として、子供の前で気持ち悪いと言ってはいけないことを知っている。けれども、どうして駄目なのかを説明できない。私たちが脳科学の知見を入れることによって、若いお母さんたちに納得できる形で言語化して説明していくことが研究者として必要なことだと思っている。子育て体験と、脳科学研究をクロスさせて、実社会に戻していきたい。【山本】今、竹内先生のお母さんの顔を見て判断するという話に私はどきっとしました。学校で教えているときに、学生によっては初めて触れる内容であったり、知らなかったことがたくさん授業で出てくる。学生たちは私の反応も見ているので、そういう影響は大きくなるんだろうと今思いました。今後、自分がどういう表情をしているのかともう少し意識しながら授業をしたいなと思いました。もう一つ、私はフランスで育ったのですが、美術館は子供や学生には無料でした。いつでも無料なのです。ルーブル美術館でも模写できます。本物に触れながらの模写だと得られるものはもっとある。本物と触れ合いながら、新しいものをイノベートしていくとは大事な作業です。日本の美術館もそうですけれども、環境づくりをわれわれ大人がもっと整備していくべきだと思います。 作ると「深いところ」が見えてくる 【澤本】かつてある先生から、「先生が楽しい顔をしていないと駄目だよ」とよく言われました。先生がいつもつまらなさそうな顔をしていたり、疲れた顔をしているとよくないと思っていまして、その先生はいつも楽しい顔をしていたのを今思い出しました。【町田】生活の身近なところから教養を実践していくと考えていくと、教養というものが人の生きざま、価値観と強く結びついてくる感じがしました。 【山本】おっしゃるとおり、常に倫理的に正しいことなのか、これを自分は発して大丈夫なのかとは、いつも気にかけているところです。最初、記者で入ったときの京都時代の上司がNHK WORLDのテレビの科学番組に誘ってくれた。その上司がいつも言っていたのが、これで世に出して大丈夫なのかということです。誤報を出してはいけない。世界的な誤報を出してはいけないと言われた裏では、それだけわれわれが取材相手としっかりと取り組んでいます。万が一、言葉を間違ったら、誰かに被害が及ぶこともある。何年やっていても、ぴりぴりしながらスタッフもみんな含めて、われわれは人間なので、勝手な思い込みもありますので、思い込みに引きずられてはいけない。 倫理の問題 【町田】ものつくりと倫理というところに関わってくるけれども、学生たちへの授業の中で比較的触れているのは、作る責任というところです。ものを作るのはすばらしいことだけれども、環境負荷を与えないものつくりはあり得ないので、環境の中で生きていくわれわれとして、どのようにものづくりを行っていくかということを意識してもらいたい。 偉くなった建築家の自叙伝を読んでいると、独立したばかりで仕事がないとき、暇なときに何をしていたかというのが、その方の創造性の源として重要なところになってくる。お金がないからといって違法すれすれのところに手を染めていかないかどうか。そういった倫理感は、物を作っていく中で、ぎりぎりの選択を迫られるということがあるかもしれない。けれども、そこを判断していく素地が学生のうちにできるといいのではないかと思っています。【井坂】確かに大成した方は、無名時代にいい仕事をしていたとはよく言われることです。【山本】いろんなものを観察していくと、必ずはっとするものがある。よく学生たちには、心が少しでもぶるっと震えたものがあったら、もっと調べてみるといいよという話をする。だから、今何かぶるっとしたけれども、まあいいかとスルーしてしまうのではなくて、そこにこそ次に進める芽がある。私は自分を「わらしべ長者」といつも言っているけれども、いろんな人にお話を伺ったりすると、その次に何かつながるものが見つけられる。なので、私は人生が毎日楽しいけれども、ぜひ学生たちにも、小さな楽しみから次への芽を引き出す力、サイクルをつくってもらいたい。 経験とは人間が一番大事にすべきこと-國分学長 【井坂】ものつくり大学学長の國分泰雄先生から最後に一言コメントをいただきたいと思います。【國分】小泉先生のお話を伺っていて、コンピュータ、そして最近の生成AIの話と人間との違いを今考えていました。確かに人間は環境から学習していくけれども、コンピュータ、AIの目的は最適化するはずです。人は何か課題を見つけて、解決するときに、解決する過程を楽しむことができると言っていた人がいる。小泉先生に伺いたいのは、脳内物質が何か報酬を与えているのではないかということです。何かそういうものはあるのでしょうか。【小泉】ご指摘の通りです。ところがまだ研究が十分に行われていない気がしている。学習とは、学習自身が生存確率を高めていくものなので、快に近いものとは、必ず奥深いものが伴う。小さいときに貧しくて学校に行けなかった100歳の方に会ったことがあります。英語を勉強してみたいとおっしゃっていて、しかも、いろいろと障害もお持ちなのに、すごい勢いで勉強されていた。生きる密度が高くなった印象がありました。100歳でも学習意欲を持つケースが実際にある。今、ご指摘のところは、脳神経科学としても、もっと研究が必要なところではないかと感じる。 経験とは人間が大事にしなければならない根本です。 【國分】もう一つ、私が思ったのは、AIは経験ができないと。メロンは緑色で甘いというのをAIに教えると、そう答える。けれども、それは本当に知っていることになるのか。人間は確かにメロンを見て、緑色だとか、食べてみれば甘い。あるいは、赤ちゃんは触ってみて、ざらざらしているとか経験する。その経験がAIはできない。聞けば答えるかもしれないけれども、本当かということになるのではないかという気がした。 経験とは人間が大事にしなければならない根本です。本学も経験を積んで、現場で活躍できるテクノロジストを特徴としています。では、経験が何に効くのか。小泉先生は言葉が人間の特徴だ言われたけれども、言葉とは、同じ認知能力を持っていないとできない。認知能力は経験から積み上がっていくものなので、同じようにコミュニケーションが成り立つためには、たくさん経験をして、お互いにコミュニケーションをするために重要という気がしてきたのです。人間は社会的な生き物ですから、コミュニケーションが成り立って、社会の中でいろんな充実感を達成できる生き方ができる。人生を楽しむことにつながっている。そこに人間とAIの違いという気が今しています。【小泉】生成AIについては、言語学の議論が増えるのではないかと思っている。言語とは本当は何なのか、言語自身の意味を認識するということは、体験がないと実態は認識し得ないというところが、これから生成AIの重要な議論になるのではないかと感じた。【井坂】有意義な問題をありがとうございました。 Profile 澤本武博ものつくり大学教養教育センター長井坂康志ものつくり大学教養教育センター教授町田由徳ものつくり大学情報メカトロニクス学科准教授 関連リンク ・第2回教養教育センター特別講演会①~基調講演「教養としてのクリエイティブ」~・第2回教養教育センター特別講演会②~脳科学、言葉、手-「使える教養」はどう育つか~

  • 第2回教養教育センター特別講演会②~脳科学、言葉、手-「使える教養」はどう育つか~

    2023年11月9日に渋谷スクランブルスクエア SHIBUYA QWSで開催した、第2回教養教育センター特別講演会「教養としてのクリエィティブ」の内容を全3回にわたりお届けします。第2回は、基調講演を行った小泉英明氏、キャスターやジャーナリストとして活躍している山本ミッシェール氏、ものつくり大学ものつくり研究情報センター長の荒木邦成教授による鼎談です。【第2回教養教育センター特別講演会 開催概要】日時:2023年11月9日(木)13:30~17:10場所:渋谷スクランブルスクエア SHIBUYA QWSプログラム[第1部 特別講演会]・基調講演「教養としてのクリエイティブ」 小泉英明氏(株式会社日立製作所 名誉フェロー)・鼎談「脳科学、言葉、手-「使える教養」はどう育つか」 小泉英明氏 山本ミッシェール氏(キャスター/ジャーナリスト/レポーター/MC/講師) 荒木邦成(ものつくり大学 ものつくり研究情報センター長)[第2部 パネルディスカッション]モデレーター 井坂康志(ものつくり大学 図書館・メディア情報センター長)パネリスト 山本ミッシェール氏      澤本武博(ものつくり大学 教養教育センター長)      町田由徳(ものつくり大学 情報メカトロニクス学科准教授) 実体験の持つ意味 【山本】10年以上、NHK WORLDの『Science View』という科学番組で、ものづくり、日本の最先端技術を世界に向けて発信し続けています。NHKで最もヘルメットをかぶったアナウンサーなのではないかと思えるぐらい、ものづくり現場が大好きです。また、教育という意味では、今、3つの大学で英語、スピーチ学も教えています。【荒木】小泉先生の講演の中で、実体験が大切だという話をされていました。先生自ら旋盤とかフライスもやられているということで驚きました。われわれも教育している立場で、現場の実習が6割ありまして、座学は4割です。大学のときに座学だけでなく、実際に物を作る経験は大切です。特に教養教育とは、専門教育と違い、実物を相手にした専門教育をばねにして勉強してもらう。【小泉】そのとおりだと思います。私はとにかくものづくりが大好きなので、旋盤を見たら回したくてしようがなくなる。次にはどうしてもフライスもいじりたくなる。アーク溶接をやる。ものづくりは魅力があるのです。米国で一番最先端の研究所にいて、何を感じたかというと、いつも消防車がサイレンを鳴らして、キャンパスの中を走り回っている。火災報知器が研究室のいたるところについていて、あまり火を気にするなと研究所が言っている。燃えたら消せばいいではないか。研究者は物を作ったり、頭を使えと。マシンショップは昼夜3交代制で、真夜中も稼働している。 ものを壊すということ 学生は溶接したり、いろんなものをつくります。そういったところから、ものづくりの楽しさ、達成感を味わってもらう。 【荒木】今のお話の中で、学生が自由に機械を使えるという面で考えますと、本学の場合、学生が夜の10時まで使っていいことになっています。フライスもレーザー加工も何でも使っていい。ただ、安全面だけは気をつけなければならないので、教員が輪番制の安全当番で、何かあったときに駆けつけることでやっている。学生は溶接したり、いろんなものを作ります。そういったところから、ものづくりの楽しさ、達成感を味わってもらう。 【山本】私は小学校のとき、作るのではなくて、壊す体験をさせてもらった。そのときはロサンゼルスの郊外アーバインの小学校だったけれども、ギフテッド教育の課程に入れてもらいまして、そこでの授業が印象的でした。第1回目の授業が「さあ、好きにしてごらん」と、家電、部品、ありとあらゆるものが物いっぱいある部屋に連れていかれて、私たちは好きにばらばらにして、組み上げてよかった。「危ない」という言葉を実は一言も言われたことがなかったのです。楽しい気持ちだけが残りました。私自身の原体験はあるから、今の工場見学も、ものづくりをしている人たちに惹かれるのはそういうところなのかと思いました。【荒木】ものつくり大学にNHKのロボコンプロジェクトがありますけれども、チームには1部屋を自由に使わせている。徹夜するぐらい好きなものをやっていて、先輩からフライスとかNCの機械を教えてもらったり、技術の伝承ができる形になっている。学生はプロジェクトも一生懸命頑張りますし、志が高くなってくる感じがします。 縦縞の猫 【小泉】壊すのが楽しかったとおっしゃっていたけれども、それも重要なことです。普通だったら、壊すと叱られる。でもたとえば珍しい少し大きな時計があって、どうして動くんだろうと思ったら、中をのぞいて、ねじ回しさえあれば分解してみたくなります。幼稚園からでもできる、少なくとも小学校低学年でも。どうしてこんなふうにチクタクいって動くんだろう、不思議だと思ったら、ねじ回しで外していく。でも、今度は元に戻そうかとなったら、そこには違う難しさがある。物を壊す、分解とは、数学的に言うと順問題です。1つずつやっていけば、最後まで壊せる。ところが、組み立てるときは、すべての部品が目の前にあったとして、これをどうやって組み合わせて原状回復するとなると何通りも方法がある。これは逆問題です。数学的には、解が出ないこともある。最初から高度なものを組み立ててみなさいと言っても、そう簡単ではない。学習と教育が必要だと私は思います。 最初から高度なものを組み立ててみなさいと言っても、そう簡単ではないです。それが教育だと私は思う。 【山本】脳の中で言ったら、そういった体験はどのあたりに影響があるのでしょうか。【小泉】右脳人間、左脳人間とか極端に言われ過ぎていて、正しくないこともあります。言語野が左にあるということもあって、どちらかというと左脳のほうは分解・分析するという方向が得意で、右脳のほうは総合を得意とします。そういうことを知ったうえで教育環境をつくる。その代わり、一々口は出さない、これが幼稚園から大学まで一貫して重要かと思っています。 【荒木】その関連で、図面を描くとき、われわれのときは鉛筆で描いたけれども、今は3DCADで何でも描ける。得意な学生は図面はできるけれども、実際にいいものができるかは別問題であって、組み立ててみるとギアが回らなかったり、うまく製品ができなかったりする。原点に戻って、旋盤とかフライスで加工したときに、加工性が難しいなというのを体全体で感じて、その上で図面を描いていくと、いい図面ができる。 中小企業の社長がおっしゃるのはただ図面を描けるだけでは足りないということです。われわれとしては、CADも必要なので、全種類のD教育をやっていますけれども、2次元にしたり、実際に図面を使ってギアを作って組み合わせて、動くかどうかというところまで、教育の中の授業のプログラムに入れるようにしています。 道具を大事にする 【小泉】脳とは、抽象的なものを入れたときに、具体的な実体験で感じて知っているものしか想像ができない。だから、先に実体験がなかったら、簡単なことはできるけれども、表面的なことで終わってしまう。「赤いリンゴ」と言ったときに、それを2つに切って見ると、中は白っぽいです。でも実体験が先にあるから「赤いリンゴ」もおかしくない。 言葉ではいくらでもうそをつける(言語の恣意性)。だからこそ、実体験が教育では重要だと思います。【山本】それに関連して、先日、伝統工芸をしている友人と話をしていたときに、最先端のCADをあまり入れたがらない職人さんたちが多い中で、伝統工芸に触れたことのない若手で、CADばかりやっていたという人をあえて1人入れたというのです。そうすると反対に伝統工芸士の方も刺激を受ける。CADしか触ってきていなかった人が初めて本物に触れて、これが本物なんだ、こういうふうに手作りするんだと現場を初めて知ったことによって、2人が物を制作した違うものができて、かつ効率が圧倒的によくなった。【小泉】技能オリンピックでメダルを取った方々から指導を受けたり、特殊な実験部品をスゴ腕で削りだしてもらうこともあります。法隆寺を再建した宮大工の棟梁にも、工場に来ていただいたことがあります。そうしたら、会話が面白い。道具の話をしている。メダリストは旋盤の特殊バイトの研ぎ方に関心があって、宮大工の棟梁もいろんな「かんな」「のみ」の研ぎ方をとても大切にしている。双方、苦労話が一致して、話が尽きない。そういうところにものづくりの本質があると思います。道具が完璧な状態でないと、いいものは作れない。 道具は職人さんたちの真髄ですね。 【山本】学校における道具立ては何を考えればいいのでしょうか。【荒木】建設学科は大工道具を一式1年生のときに買う。学生が授業が始まる前に道具を手入れすることを教える。そこが最初に行うことです。【山本】私は現場に行くと、道具の写真を撮るのも好きです。代々祖父のから引き継いで使っている道具もあれば、自分で毎回作らないといけない道具もあります。こだわりの道具がないとできない。道具は職人さんたちの真髄ですね。 【荒木】小泉先生はご自分で実験機を作られたり、廃材から持ってこられたりといった話をされました。そのパッション、志についてはどうモチベーションを上げていくものでしょうか。 現場が何を欲しているか 【小泉】私の場合は、最初は水俣病への関心でした(1970年代)。ゼーマン水銀分析計を開発して原因解明のお手伝いをした後も、いまだにその関係のことも続けています。東日本大震災の後は、石巻の漁師さんや、海岸線に住む方たちともお付き合いを続けています。現場をいつまでも大切にしたいのです。注目される研究論文を書くことと、実用的な製品を開発することとは大きな隔たりがあります。論文は、1つ新しいことが見つかったら、その新しさや良いいところを強調して書くことによって、適切な学術誌に発表できます。ところが、実際に役立つ製品を作ろうとしたら、良い論文が書ける発見がたとえ3つ同時にあったとしても、1つ大きな欠点があると、実用化は困難なのです。イノベーションが叫ばれて久しいですが、そのようなところが国の大型のプロジェクトで欠けているところだと私は思っています。MRI開発プロジェクトの統括主任技師を拝命していた時に、家電のセンスで医療機器(超電導MRI)を設計したことがあります。医療機器は、通常、それを専門とするデザイングループに依頼するのですが、初めて家電のグループにデザインをお願いしました。検査を受ける方々は、そうでなくても気が滅入っているのに、ゴムチューブが這いまわっているような検査装置に入れられるのでは恐怖心が生まれる。そこで、応接室に置かれた検査ベッドに横たわるという斬新なコンセプトでデザインしてもらったのです。装置のモックアップまで作って製品構想を打ち出したところ、思いがけず猛反対を受けました。見たことがないものが出てきたのでは、売れるはずがないと、最初に本社の方々が反対。確かに常識はずれのデザインではありました。でも、多数決の意見になってくると、平均値になるから良いものなんてつくれない。待っているのは価格競争だけですから。それで、どうしたら多数決意見に勝てるかを考えました。MRIを病院で実際に使うのは放射線技師の方々です。さらに読影結果を患者さんのために役立てるのは放射線科・脳外科の医師の方々ですね。だから、両者が「これでいい」と言ってくれたら、ほかの人々は反対できない。事業部長同席の大きな会議で決めるのですが、却下寸前のところで日立病院の副院長(脳外科)の先生が手を挙げてくださって、「私はこれでいけると思う」と断言してくださった。さらにたたみかけて、「私が診断の責任者です」(診断する人間が言っていることを、あなた方は信用できなのいかという意味)と言ってくださった。放射線技師の方も「私はこの装置を毎日扱う立場の人間ですが、これでいいと思う」と同じことを言ってくださった。それでどんでん返しとなりました。(この装置は、後に通産省のグッドデザイン賞で、部門大賞となりました。)【山本】現場で何を欲しているのか、紙の上だけで考えたり、想像するよりも、現場に行ってみて必要とされるのかが大事なことですね。 ものづくりは「忖度」しない 【小泉】お二人とも、手と頭を直接使っている。放射線技師は、患者を実際に抱きかかえたり、操作盤を触る人です。脳外科の医師は、手術に役立つ画像は、患者がどういう状況なら良ものが撮れるかを熟知している。頭で知っているわけではなく体で知っている。でも、会議に出てくる人たちは間接的な情報しかないのです。 若い人たちは情熱やパッションで動いてほしい。忖度の入る余地はない。 【山本】医師や放射線技師が、これが使いやすい、これがあると人が救えるというものを形にするのがものづくり現場の本来の仕事です。創造し続ける。【荒木】そういったイノベーションを起こせる教育を行っていきたいと思いますが、ものづくりの世界で尖ったものがなかなか出しづらいということで、閉塞感がある気もいたします。大学、教養教育も含めて、イノベーションを起こせる教育をわれわれも考えなくてはいけない。 【小泉】私は国の仕事をお手伝いしている中で、ものづくりは「忖度」が入ってはいけないと考えるようになりました。今、日本の文化の中には知らずうちに忖度が現れている。科学者や技術者は忖度とは関係なかったはずです。それなのに、大きな予算を取ろうとすると、本来の目的ではないところに気がいってしまう。すると忖度が入ってくる。私は、若い人たちはパッション(情熱)で動いてほしい。忖度の入る余地がないような、突っぱねられてでも続けるんだという強い意志を持ってほしい。忖度が入ってくると、実力のある人が浮かばれなくなってくる。忖度や管理に長けた人がお金も組織も支配する。本物が生まれるはずはないのです。 パッションを育てる教育 【山本】日本のものづくりが元気だった頃はどうでしたか。【小泉】意欲の強い人たちがいたのが1970年代です。あるMRIのプロジェクトでどうしても予算を出せないと経理部から言われて、部長に掛け合った。「いや、これ以上は何もできない。出ないものは出ない」。工場長に言っても、「そんなにやりたければ、事業部長のところに行ってこい」と言われる。ほんとうに東京の事業部長のところに行ったら、にべもなく断られました。 私は、事業部長の部屋の入り口の椅子に座って帰らなかった。「なんだ、まだいるのか」といわれて、「判を押してもらうまでは帰りません」と粘った。最後には相手も根負けして「もういい、わかった。押してやる」と言って押してくれたことがあります。押してもらえなかったら、MRIの事業は続かなかったと思います。1980年代のMRI関係事業が最近まで残ったのは、国内では日立だけでした。【山本】パッションを育てるための教育とは何でしょうか。【荒木】それは教養教育の主題の一つだと思います。コミュニケーションももちろんありますが、何より自分の考えを伝えて具現化していくことでしょう。チームの場合、メンバーを鼓舞するような物をつくる。ここは授業でも工夫を要するところです。【小泉】芸術家にとってパッションは日常なのですね。突き動かされる思いで仕事をするのです。今、世界の科学技術の分野は、すぐにやれることはやってしまった煮詰まった状況になってきています。だから、米国のMIT(マサチュセッツ工科大学)やフィンランドのアールト大学(旧ヘルシンキ工科大学と芸術大学・経済大学が合併)のように、芸術を教育に取り入れる必要があると思います。イノベーションにも芸術は不可欠です。「芸術を本気で取り込まないと企業の明日はない」と主張する大企業の社長も、最近、現れました。 新しい発想とイノベーション 【山本】氷山で言うと、意識下を今改めて揺すぶり起こさないと、私たちはまどろんだ状態にとどまってしまいますね。芸術にはそれを可能にする要素があるのでしょう。【荒木】夏休みに創作実習という講座があります。ろくろを回したり、陶器やガラス細工を作ったり、鍛金、彫金でデザインをする。受講生が増えています。【山本】私はコミュニケーション学を教えています。もちろん話が上手ならば、それにこしたことはないけれども、何を伝えたいかがしっかりとあって、訥々とでもいいから、思いを伝えていれば、人に伝わるし、また次の人へとつながっていくという話をよくしています。最初からみんな100点満点で話さないといけないということではありません。まずは思いがなければ始まりませんね。【小泉】よくロードマップで未来を予測して国でも計画を立てます。2050年あたりを予測すると、30年後となりますね。一方、2020年から30年前へと遡ると1990年になります。その頃はインターネットがない。スマホがない。まるっきり違う世界です。このようにロードマップ型の、所謂、線形モデルによる研究・開発には限界があるのです。新しいものとは、あるところで非連続的に出現(トランジション=遷移)するのです。そういう想定での開発を行わないと意味がない。ロードマップ型の研究・開発とは凋落する元凶ではないかと私は危惧しています。【山本】ロードマップに組み込まれてしまうと、自分はある部品の一つで、終わったときには自分はいないわけですから、つくりがいもあまりない。 学生の未来 【荒木】学生と接していて困るのが就職のときです。「将来、何をやりたいの」と聞くけれども、なかなか将来が見えてこない。学生なりにいろいろ考えているけれども、こちらから水を向けていくと、なんとなく方向性が決まってくる。だから、コミュニケーションを取りながら、未来像を学生さんが持てるコミュニケーションも大切と考えています。【山本】最後に小泉先生から学生たちにメッセージはありますか。【小泉】私はいくつかの若い「スタートアップ企業」を応援しています。今、日本の少子高齢化と地方衰退の問題で、多くの若い人たちが「ものつくり」を含めて汗を流しています。また、パッションを持っている若い人たちがこじ開けていく事業のスケールも大きくなって来ています。グローバルなスケールで考えられるような人たちが今生まれつつある。そういう若い人を大事にしたい。力を思い切り発揮していただきたいと願っています。【荒木】いろいろありがとうございました。教養教育はまだ始まったばかりです。目標を持って何かイノベーションできる、元気のある学生を輩出していきたいと思っています。 Profile 山本ミッシェールアメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ、これまでアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、香港で生活をする。現在、世界200の国と地域で放送されているNHK WORLDで放送中の英語の科学番組「Science View」や、全国12局で放送中の持続可能な開発目標(SDGs)に関するラジオ番組「身近なことからSDGs」などにレギュラー出演。元NHK記者として、これまで気候変動など、様々な国際会議などを取材。NHKのレギュラー番組では10年以上、日本のものづくりの伝統と最先端の取材を続け、全国すべての都道府県から世界に向けて現在も情報を発信中。バイリンガル司会者として、天皇陛下の即位式、首相の晩餐会、東京オリンピック招致バンケット(3カ国語MC)、G7伊勢志摩サミットなど、多くの国際会議、会合、パーティー、記者会見、トークショーなどのイベントでバイリンガル/トライリンガル司会のプロとして活躍中。幼少期からの国際的なバックグラウンドから異文化理解や平和活動に強い関心を持ち、広島・長崎の被爆者やアカデミー賞受賞の映画監督へのインタビュー、被爆者と共に開催された世界平和コンサートの司会、ピースカンファレンスでの講演などを行う。また、エグゼクティブ・コーチとして企業研修をはじめ、大学では非常勤講師として3つの大学で授業を担当。荒木邦成ものつくり大学技能工芸学部情報メカトロニクス学科教授 関連リンク ・第2回教養教育センター特別講演会①~基調講演「教養としてのクリエイティブ」~・第2回教養教育センター特別講演会③~役に立つ教養はどのようにして活性化するか~

  • 第2回教養教育センター特別講演会① ~基調講演「教養としてのクリエイティブ」~

    2023年11月9日に渋谷スクランブルスクエア SHIBUYA QWSで開催した、第2回教養教育センター特別講演会「教養としてのクリエィティブ」の内容を全3回にわたりお届けします。第1回は、脳科学研究で著名な小泉英明(株式会社日立製作所 名誉フェロー)を講師に招いた基調講演です。【第2回教養教育センター特別講演会 開催概要】日時:2023年11月9日(木)13:30~17:10場所:渋谷スクランブルスクエア SHIBUYA QWSプログラム[第1部 特別講演会]・基調講演「教養としてのクリエイティブ」 小泉英明氏(株式会社日立製作所 名誉フェロー)・鼎談「脳科学、言葉、手-「使える教養」はどう育つか」 小泉英明氏 山本ミッシェール氏(キャスター/ジャーナリスト/レポーター/MC/講師) 荒木邦成(ものつくり大学 ものつくり研究情報センター長)[第2部 パネルディスカッション]モデレーター 井坂康志(ものつくり大学 図書館・メディア情報センター長)パネリスト 山本ミッシェール氏      澤本武博(ものつくり大学 教養教育センター長)      町田由徳(ものつくり大学 情報メカトロニクス学科准教授) 「ものつくり」のための脳 梅原猛先生がおつくりになったものつくり大学で、今日この機会を賜ったことを、とてもうれしく感じています。「なぜ人間だけが未来を考えられるか?」。私たちは未来を割と簡単に考えているけれども、未来のことを考えられるのは、多くの種の中で、ホモ・サピエンス・サピエンスだけです。サイエンスから見るとどういうことなのか。1996年に実行委員長を務めた環境科学の国際会議の中で、「環境と脳の相互作用」といセッションを当時、京大霊長学研究所の所長をしておられた久保田競先生と相談してつくりました。最初は久保田先生もそんなセッションが作れるのかと半信半疑でした。でも実際にやってみると、極めて重要であることが分かってきました。今は、その後の2000年に創られた「人新世」(Anthropocene)という言葉も一般に使われるようになってきました。地球科学の国際会議の中で、大気化学者のパウル・クルッツェンのとっぴょうしもない発言からだと言われています。1996年に「環境と脳の相互作用の重要性」という講演をしてみて、脳を基調とすれば、今まで人文・社会科学の分野にあった教育学を、自然科学とすることが可能だと考えるようになりました。そこで、「学習」と「教育」という概念を、自然科学の言葉で置き換える試みを始めました。「学習とは、環境-自分以外のすべて-からの外部刺激によって中枢神経回路を構築する過程」と定義し直しました。また、「教育とは、環境からの外部刺激を制御・補完して学習を鼓舞する過程」と定義し直しました。人間は環境抜きに学習はできないと考え、それから今に至るまでこの定義を使っています。さらに2000年に新たな21世紀を見据えた「脳科学と学習・教育」という文部省/JST主催の国際会議を企画して、実行委員長を務めてこの考えを推進してみました。 受動学習とか積極学習とか強制学習、いろいろ従来の教育学で取り上げられることは、自然科学のほうから説明がつく可能性がある。生から死への一生を通じた学習という過程の中で、包括的な概念を創れるのではないか。21世紀の幕開けの好機に、文科省と科技庁が統合された文部科学省(2001年発足)も、省庁統合の象徴として全面的に応援してくれました。 Mind,Brain,and Education さらに2002年には「『脳と学習』:21世紀の教育革命」、「Brain & Learning A Revolution in Education for the 21st Century」という題目で、OECDフォーラムの中に特別な1つのセッションが設けられました。同時に、世界を北米とヨーロッパとアジア・オセアニアの3ブロックに分けて、大きな形で約10年間、OECD国際連携研究のプログラム『脳と学習』が世界の中心的な研究所を拠点として走りました。OECDの国際諮問委員としてそのプログラムを全力で推進しながら、このうような考え方が世界へと浸透していくと、新しい学問分野がきちんとつくれるのではないかと思いました。当時、理研に脳科学総合研究センターを作られたばかりの伊藤正男先生も、アジア・オセアニアブロックの議長として、この国際プログラム「脳と科学」を全面的に支えてくださいました。ところが、教育学は人文学、あるいは、一部社会科学というところで扱われてきた長い伝統から、自然科学で扱おうと思ってもまったく類例がありません。そのような中で、ハーバード大学のカート・フィッシャー先生が中心となって国際学会をつくる話が急速に進みました。そこからお声掛けをいただいて、私も理事を務めました。Mind,Brain,and Educationという国際学会がありまして、さらに学会誌をBlackwell社から発行することになり、私は副編集長を務めることになりました。最初はBrain-Science and Educationという名前を主張したのですが、ハーバード大学の心理学者の皆様から猛烈な反対を受けてしまいました。さらには、もし、MindとBrainを同一視するならば、ハーバード大学の心理学者は全員脱退するという騒ぎになりました。ずっと後から分かったのですが、脳科学(Brain-Science)という言葉は、本田宗一郎氏が最初に言われた日本的な言葉だったのです。 新しい分野をつくることも実はものづくりの感覚に近い。 Mindといったら「心」です。Brainというと「脳」、そしてEducationの「教育」。3つはまったく違う分野です。この3つの違う分野で統合的な国際誌が出たのは初めてだということで、アメリカの出版協会からThe Best New Journal of the Year Awardをいただきました。ゼロからのスタートということで、新しい分野をつくることも実はものづくりの感覚にとても近いのです。 さらに、関連する国際会議が2003年の最初の会議に続いて2015年にも、バチカンで開催されました。2015年とは大変な年です。SDGs(「持続可能な開発目標」)が初めて発表された年です。また、COP21がパリで行われた年になります。さらに、ローマ教皇庁からもステートメント(Laudato Si: “on care for our common home”)が出されました。地球を人類の家と考える環境問題についての深い洞察です。フランシスコ教皇とは何度かお話する機会がありましたが、聖下はもともと化学のご出身です。 「『学習と教育』の自然科学からの探求」というテーマで数多くの研究が行われましたが、その一部を紹介します。研究初期の一例ですが、子猫を縦縞の環境で育てますと、横縞が見えなくなってしまう。その後、横縞の中に入れて学習をさせれなと思いがちですけれども、どうやっても駄目です。最初の臨界期だけにこういう学習(神経回路の構築)ができるのです。 視覚野は、脳の中では比較的よくわかってきた部位で、多くの裏づけが取れています。猫の視覚野と人間の視覚野は近いので、人間でも同じことが起こると考えることができます。いくつか事例も存在します。 脳がつくられるとき なぜこういうことが起こるか。人間の脳とは遺伝子だけで出来上がっているわけではない。遺伝子とは原材料を提供する。原材料を組み合わせて、脳全体のシステムができるのです。けれども、最も効率よく生存するために必要な形となるように生まれ落ちた環境、しばらく育った環境に最適化するようにと神経回路をつくる。つくるというより、むしろ消していく。最初は遺伝子によって基本的な神経回路が赤ちゃんのときから少しずつできてきます。けれども、外の環境から情報や刺激が入ってくると、関係する回路は残して、入ってこない情報は消してしまう。 0歳から30歳まで、視覚野でどのぐらい神経と神経の接続部が存在するか。視覚野の場合ですと、生後8か月でピークになって、あとはだんだんと接続部分、回路が少なくなっていきます。無駄なものをこの時期に捨てて最適化している。脳の全体容量は最初から決まっているものですから、その中でやれることをやるのです。もう一つ重要なのは、人間の脳の神経は伝達速度が速くないのです。コンピュータと比べると比較にならない。コンピュータの場合は基本的に電子によって情報伝達をしていますから、1秒間に地球を数回まわるほどの高スピードですが、人間の場合は、たかだか100メートル、一番速いもので毎秒200メートル。遅いもので数センチです。 人はそれぞれ違うものを見ている 進化の中では、「跳躍伝導」というのですが、裸線の周りに被覆ができて、効率よく信号が漏れないで伝っていく。しかも、跳躍的にスピードを上げて伝達するという仕組みを進化の中で獲得しています。そうすると一人前のスピードを持った神経になる。生まれてから髄鞘化という「さや」、被覆ができる過程ですが、脳の場所によってそれぞれ違ってきます。100年以上前に厳格な実験を行ったフレキシという学者が順番を事細かに解明している。胎内にいるとき、生まれて1年間、さらに年齢が増して、場所によっては30歳になってもまだ発達を続けているということがわかってきた。だから、できていないものに関係する教育をいくらやっても無理なのです。そこに気をつけないと間違った教育をしてしまう。もともと私は物理が専門ですから、つい対数の軸で見てしまうが、人間が生まれてから死ぬまで、1歳、10歳、100歳とグラフを描くと、その間に私たちが学習している様子がわかります。そうすると、小さいときの学習がいかに重要かがはっきりしてきます。もう一つ、脳の中では視覚が比較的わかっているほうなので、視覚を中心に例を示しているけれども、みんなも同じものを見ていると思ったら、そんなことはない。違うものを見ています。ある程度似たり寄ったりということはあるから、話が通じる。何で違ってくるかというと、神経の伝達速度は遅いですから、補おうとしたら、みんなで分担して信号を処理するしかない。脳の特徴とは、すごい数の神経回路が情報処理を分担していることです。これは並列分散処理と言いまして、スーパーコンピュータのアーキテクチャと同じです。それも比較にならないぐらいのたくさんのシステムが同時に分業の作業をやってます。最後に、結果を意識に上げてくる。脳のことはわかっているように思われていますけれども、まずどうやってそんなにばらばらにしてしまうのか、超並列分散処理が何でできるのか、最後にどうやってまとめ上げるのか、どんなふうにタグがついているのか、まだよくわかっていないのです。 生きる力を駆動する脳 視覚に関しては、色も分けてしまいます。動きも別々に処理します。それが最後に「意味」にまで持ちあげていくかという仕組みもわかっていません。分業して同時に行っているたくさんのことは意識には上がっていない。そんなことが意識に上がってきたら、収拾がつかなくなります。分業の過程を経た最後に、今度は時系列で逐次処理になって、順番に時間とともに私たちは認識します。 私たちは意識が中心だと思っていますけれども、意識していないところのほうがむしろ大量の処理をしています。 脳を考えるときに大事なことは、氷山で言えば、見えないところ、水に沈んだところから最後の最後に意識に上げていく。私たちは意識が中心だと思っていますけれども、意識していないところのほうがむしろ大量の処理をしています。 われわれの今までの教育は基本的に言葉がベースになっています。そこまでの脳の働きとは、教育の中でもほとんど無視されています。芸術に入っていくと、拮抗する条件の中で、最後には決断しなくてはならない。無意識が重要です。無意識のところは意識に出ないですから、小さいときから自然の中でしっかり育まないと性能が出ない。 脳の進化では、脊髄の次にその先の脳幹の部分ができた。単純な爬虫類の脳は、人間の脳の脳幹の形に見た目もそっくりです。そこからだんだんと層状に、外へ外へと層が広がってきました。脳幹は生命を維持するところであって、その周りの生きる力を駆動する脳(大脳辺縁系)が情動に関係する。 一番外側はより良く生きるための脳であって、いわゆる「知育」という知性を教育するときに直結する部位です。でも、やる気がなかったら、いくら知性やスキルを持っていても、それだけでは何の役にも立たない。だから、むしろ進化の順番では、内側の古い皮質(大脳辺縁系)がやる気を出すために重要です。そこは感性とも関係が深いですし、一番外側の人間らしいところ(大脳新皮質)は知性に直結するのです。 「ちょっかい」を出す知性 最初はお母さんとつながっているので、へその緒を切って初めて母親と赤ちゃんは別だということになるけれども、赤ちゃんはまだ気づいていない。自分の一番身近にいる養育者-多くの場合は母親-ですけれども、その人が信頼できると実感することが、自分が次に行動できる原点になります。まさに社会性の形成の出発点でもある2項関係です。 もう少し大きくなってくると、指さすようになる。赤ちゃんは指先を見るのではなくて、指でさされている先を見るようになります。最初の第三者を介したコミュニケーションということで、2項関係から3項関係の段階になってくると、社会が概念的には形成される。社会性の神経基盤を幼いときからいかにしっかりとつくり上げるかが教育のポイントでもあります。 さらに大きくなってくると、別の学びもいろいろ入ってくる。本質的な赤ちゃんの学びは、コンピュータと違うということです。コンピュータは、入力があったら、きちんと目的の結果を出力する。 赤ちゃんはそうではない。最初に自分が置かれている環境に対して興味を持ちます。そして、「ちょっかい」を出す。われわれはサイエンスでもわからないときには、必ず何か刺激を与えて変化を見ていく。つまり、サイエンスのやり方と同じことを赤ちゃんはやる。育ちつつある自分の五感を最大限使って、何が起こるか、何をすれば何が返ってくるのかということを学ぶ。人間の学習の本質とはアルゴリズムを自ら学ぶことであって、いわゆるマニュアルで覚えさせるだけでは駄目だということです 実際に赤ちゃんは手に取ったら、口に入れてみて、なめ回すのが最初です。まだ自分自身は動けない。もう少し発達してきて、「はいはい」ができるようになってくると、ぬいぐるみがあれば、それに赤ちゃんが興味を示して、近づいてくる。そして、興味があってたまらなくて触ってみる。もっと手足を触りたい、お顔も触ってみたい。自ら環境に働きかけて、環境から帰って来る情報を赤ちゃんは検知しながら学んでいるのです。赤ちゃんは、触感、味や香り、色や形、音色など、5感をフルに使っています。 光は不思議な素粒子 次に、ものづくりについてお話をしたいと思います。私は光も大好きです。光子(フォトン)とはとても不思議な素粒子で、重さもなければ、電荷もなければ、静止状態もない。いつも高速で動いています。発見者はアインシュタインです(1905年の三大論文の一つ)。光子のスピン(自転する属性)は1です。スピン1でプラス1、マイナス1という2つの状態がある。ちょうど1ビットですから、二つの光子が絡みあった状態(エンタングルメント)を使って計算機を作ろうとすると、量子コンピュータになります。そういうことが実際に始まっている。電子は重量、電荷、スピン(2分の1)と静止状態もあるということで、ローレンツとゼーマンが発見して1902年にノーベル賞を取っている。電子の存在を初めて証明した実験は、磁場によってスペクトル線が分かれる現象、すなわち「ゼーマン効果」の発見だったのです。この基礎物理学の原理を実用化したものが、私の最初の仕事となる「偏光ゼーマン法」なのです。1974年に最初の論文を書いて、1977年に論文シリーズと最初の実用装置を完結させました。2024年は最初の論文の50周年となります。同じ頃に、体内の水素の原子核(陽子:プロトン)を検出して画像化するMRIの原理が発表され(1973年ラウターバー他)、2003年のノーベル賞となりました。そちらも基本は原子核のゼーマン効果です。磁気共鳴画像装置(MRI)と呼ばれて、病院でも使われている。私がものづくりをしたのは、それらの原理を社会実装するためでした。「偏光ゼーマン法」の発見の際には、電磁石のポールピースの間に納まる3000度の温度を出す炉を、手作りしました。電磁石も最高で磁場強度2テスラを出しましたが、これも手造りしました。新しい原理で作った装置と実験結果は、『SCIENCE』誌がリサーチニュースとして紹介をしてくれました(1977年)。 水俣病とゼーマン水銀分析計 最初は手造りした「偏光ゼーマン法」による原子吸光高度計は、並行して商品開発を進めましたが、最初の製品は「科学機器・分析機器遺産」に2013年に認定されました。初期に行った実験をそのまま再現してほしいと言われたときに、再び当時の実験の一部をやってみました。原子化炉で摂氏3000度まで温度を上げられると、たいていの金属は蒸気にできますが、そのような高温炉を電磁石の間隙に収めることは至難の業です。そこで自転車の発電機で灯す小さなランプに目をつけました。直径1ミリメートルにも満たないタングステンのコイルが気に入ったからです。普通につくランプのガラスを割って、中のコイル状のフィラメントを取り出します。これを自作した小型の電磁石の5ミリメートルの間隙にセットするのです。高温にしても燃えないように、フィラメントには乾燥した窒素ガスを吹きかけて酸素を遮断します。そして電流を流すと3000度付近まで高温にできます。フィラメントのコイルの外径は1ミリメートル弱ですが、まず、マイクロピペットで1マイクロリットルの水溶液(微量金属を含んだ試料)を表面張力でくっつけると、コイルの中にしっかりと収まります。初めに電流を少しだけ流すと、水分は蒸発してフィラメントの表面に薄い膜ができる。今度は温度を上げて、その金属膜を一挙に蒸気にする。その金属蒸気の中に細い光のビーム(スピンがプラス1とマイナス1に対応する偏光)を通して、磁場中で磁気量子数の縮退が融けた原子スペクトルが観測できるのです。この新原理を見つけたので、カリフォルニア大学に招聘され、ローレンス・バークレイ研究所で客員物理学者としてしばらく同じような研究を行った時期がありますけれども、同じことをするのに広い研究室と、何トンという大型電磁石と10メートル近い世界最大級の分光器、パイログラファイトによる原子化炉などを研究所が準備してくれました。一方、私の感じるものづくりの魅力とは、考えて考えて身体を動かしさえすれば、大型研究費を使わずとも手作りの実験装置で世界最先端の研究ができることです。当時(1970年代)はとにかく水俣病が大変な時期だった。最近になって、水俣病の裁判がほぼ結審して、山間部にいらっしゃる患者さんたちも補償が得られる裁判の結果が最近大きなニュースになりました。環境問題のグラウンドゼロと言われる水俣病は、戦前にすでに始まり、裁判がほぼ終わったのが2023年だったのです。その間、数多くの患者さんたちは、本当に大変だったと思います。そういうことで、環境問題を解決するための計測は何としてもやりたいと思いました。水銀の次はカドミウム中毒の話が来て、ヒ素中毒の話が来て、鉛中毒そして重金属のクロムの公害の問題も出てきました。水銀は水俣病だけでなく、新潟県の阿賀野川での第2水俣病、さらには海外でも金の採掘にともなう水俣病がいまだに深刻な問題となっています。MRIでノーベル賞を取られたのは、ローターバー先生とマンスフィールド先生です。1973年の論文で、2003年に受賞されました。お話したように廃品で「偏光ゼーマン法」を見出したのが1973年です。同じときに、同じように量子物理学が実用へつながることを始めた。そして今度は、量子コンピュータの話に移っていく。先の述べたように、「MRI」も「偏光ゼーマン法」も、ゼーマン効果を使った方法として原理的には同じです。ゼーマン効果の適用が電子なのか、原子核なのかの違いです。 装置の不具合から磁気共鳴血管描画法(MRA)の発見 超伝導の全身用磁石を使って、携帯描画から機能描画へと研究と開発を進めました。磁気共鳴血管描画(MRA)や機能的磁気共鳴描画(fMRI)です。脳ドックを受けますと、くも膜下出血の原因になる脳動脈瘤の検査や脳梗塞の原因になる脳血管の狭窄の検査があります。そこにMRAが使われます。MRAで得られる鮮明な脳血管画像ですが、実は血管壁はどこにも写っていないのです。血液の流れを数字にして画像化したものがMAR画像なのです。そのMRA法の発見経緯をお話しします。脳神経外科の放射線科の先生たちが興味を持った最初の装置はまだ常電導磁石でした。最初は大型トランスの製造技術を用いた手巻きのコイルでした。大電流を流すのと水冷によって温度を一定に保つために、電線の代わりに銅の板を巻いていて、その後、軽くするためにアルミで巻いていたのが、MRIの初期の電磁石でやっていた実験です。そうしたら、像がぼけているだけでなく、強く光る点が出てしまって、装置の故障ということで呼び寄せられました。当時はお金がなかった。試作装置をきれいにして、古いものは付け替えて、第1号機として東京女子医科大学病院に納めてしまった。同じものが自分たちのところにないので、夜中に行ってお願いして、使わせていただくしかない。その中で、変な光る点が出るから、こんなのは使えないと言われて、必死に徹夜を繰り返していたら、光る点が発生するのは、実は装置の故障ではなくて、血液の動きによる信号位相の変化を検知していたということがわかった。それで、すぐ特許を出しまして、脳の血管、全身の血管(正確には血液の流れ)が実際に今使える形で写せるようになった。論文発表の後、ステアリング委員として国際MRA学会を立ち上げるお手伝いをしました。 計測をしていると、いくら新しいことをやっても、それによって人の命がすぐ助かることはめったにない。ところが、くも膜下出血とは致死率が高いが、破裂する前に発見できれば、比較的安全な手術で処置できる場合が多いのです。けれども動脈瘤を発見するのが難しいのです。MRAは造影剤を使わずに、完全に安全な検査で動脈瘤を発見できる。診断が直接的に救命につながるところが私は気に入っています。 さらに脳機能の研究から、私たちが頭の中で考えていることを直接計測できないかということを始めて、東大医学部の宮下保司先生のグループと共同研究をはじめました。1990年代の初頭です。これが最初に発表した結果です。私たちが残像(この場合は補色を感じているので、正確には残光)を感じているときに、それに対応する脳部位の活動を計測した珍しい最初のケースです。この実験の重要性は、それまで主観として捉えられていたものを、客観的に捉えることに成功したということです。すなわち、個人の脳が発生させているので、他人には直接知る方法がありませんでした。それを機能的MRIで捉えたということは、誰が計測しても、計測を繰り返しても同じ結果が得られるということです。この残光は見えている本人には10秒から30秒くらい見え続けます。その人にそれが見えなくなった瞬間を客観的に知ることができるのです。私はこの実験が心の計測の一端に入るのではないかと考えています。ここのところから人文学と自然科学の境界がはっきりしなくなってきた。人の心の中のことで、ほかの人が客観的に証明できないものであるはずなのに、少なくとも心の中で見えているか消えたかについては、誰がやっても機能的MRI装置からは同じ答えが返ってくる。 なぜ人間だけが未来を考えられるのか 人間は「快と不快」という「感情」を持っています。人間以外の動物の場合は「情動」という少し定義を広くした術語が使われています。「快」「不快」という感情もしくは情動は極めて大事で、私たちは心地よい「快」の方向へ向かうと一般に生存確率が高くなる。一方、嫌だ、臭い、うるさい、そういう「不快」からは、逆に離れようとすると生存確率が高くなります。人間だけでなくて、多分、小動物からすべて共通ではないかと考えています。 私が興味を持っているのは、精神的に心地いいことです。つまり、おいしいものを食べるときはもちろんうれしい。お金をもらったり、名誉なことがあると、何よりの生きがいになる人々もいる。名誉を感じたときに動く脳の場所は、チンパンジーがきちんと言われたとおりにやって、ご褒美にバナナをもらって動く場所と同じだということが見つかった。被殻、尾状核という線条体と呼ばれる脳の部位は、少し専門的になりますけれどもご褒美に反応する脳の部位です。このような部位がいくつかあって、それらを報酬系と呼んでいます。あなたは人格的に信頼できる人だということを心理テストの結論として聞かされたときに、お金をもらったのと同じかそれ以上に、被殻、尾状核が強く活性化することが発見されました。「脳科学と教育」という国家プロジェクトの中で、国立生理学研究所の定藤先生のグループが見出して『ニューロン誌』に発表しました。私たちとは、よかれあしかれ、知らず知らずに報酬に関心が強くて、そちらを見ていることが多い。報酬系とは動物実験では正確にわかってきたし、人間の報酬系も機能的MRIで少しづつわかってきました。 人間だけが言語を使える 実は人間だけが言語というものを使える。言語の機能を見てきた中で、ノーム・チョムスキー先生とも御一緒して、有益な御指導を頂戴してきました。「Colorless green ideas sleep furiously(色のない緑色のアイデアが激しく眠る)」という文章は、チョムスキー先生が論文の中で発表しましたが、文法的には完璧です。でも、言っていることは意味がない。つまり、言語を人間が持ったことによって、意味のない、あるいは、想像上のことをあたかも現実にあるかのように示せるようになった。言語は自動化された機能で、音韻ループが意識下で回っている。そういうことがだんだんわかりつつあります。 私も言語の本質を何とか1つ自分で見つけたいと思って、パントマイムみたいに言語を使わない、いわゆる身体表現をしているときは、言語的表現を入れたときとどこが異なっているかを探っていました。3年ほど公演に通い詰めたら、あるパントマイムの公演の中で、演者がいるのに黒子さんが現れて、ぱっと舞台を走り抜けた。黒子さんが持っていたプラカードに「3か月後」と書いてあったのです。これはチーティング(反則)です。あとで主宰の先生とも議論しましたが、「3か月後」という未来の時点をどうやっても身体表現できなかったのです。 人間だけが言語を使える、だから、人間だけが未来を考えることができる、逆に言うと、いつも自然未来だけではなくて、私たちは意思未来というのを持てた唯一の種だと感じているのです。今までの伝統的な倫理学とは、もともと習俗とか慣習、言ってみれば人間の社会から生まれたものです。でも、今の私たちの環境問題とか世界でいろいろ起こっていることを考えると、人間を中心にして考えるだけではおかしいのではないか、むしろ人間も自然の中の一つだから、本当は自然が土台にあって、倫理が組み立てられるべきではないかという考えを今持っております。地球のほうが動いているんだという視点(地動説)、つまり、人間にとってもう一度考えなくてはいけないのは自然が世界の中心だという視点です。われわれ住ませてもらっているんだという視点の倫理学がこれから重要になると考えています。 Profile 小泉 秀明(こいずみ・ひであき)1971年東京大学教養学部基礎科学科卒業後、日立製作所計測器事業部入社。1976年に偏光ゼーマン原子吸光分析法を創出し東京大学理学博士。同時に装置を実用化し、環境計測を中心に世界で1万台以上が稼働。通産省特許制度100周年にて日本の代表特許50件に選定、また初期装置は分析機器・科学機器遺産に選定。医療計測では、磁気共鳴血管描画法(MRA)や光トポグラフィ法を創出し実用化。日立基礎研究所所長、技師長、フェローを歴任。55代日本分析化学会会長。ローマ教皇庁科学アカデミー400周年記念時に招聘講演。『日経サイエンス』30周年記念号ではノーベル賞候補として紹介される。著書に『環境計測の最先端』、分担執筆に『Encyclopedia of Analytical Chemistry』、他、論文・特許・書籍・受賞など多数。 参考 ・NPO法人科学映像館:モノ作りに魅せられて 日立製作所フェロー 小泉英明https://www.youtube.com/watch?v=p4t0LXA88w8&t=82s・第2回教養教育センター特別講演会②~脳科学、言葉、手-「使える教養」はどう育つか~・第2回教養教育センター特別講演会③~役に立つ教養はどのようにして活性化するか~

  • 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」④(全4回)~16号線の正体とリベラルアーツの本質~

    ―特別版③「ものづくりがマーケットを変える」の続きです。 柳瀬博一先生(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 教授)を講師に招き、2022年11月24日に開催された教養教育センター特別講演会の内容を全4回にわたりお届けします。 「リベラル・アーツ」「教養」。普段、よく耳にする言葉ですが、その定義は実は曖昧です。柳瀬博一先生が講演の中で、『広辞苑』から参照していますが、やっぱり、「よく分からない」。人によって解釈や定義が異なりがちな「リベラル・アーツ」について、時に古代ギリシャまで遡り、時に自身の著作の事例を交えて、目まぐるしく変わる現代に必要な「リベラル・アーツ」について解き明かします。 これまで3回にわたって紹介してきた特別版の最終回です。第4回は、リベラルアーツの本質について、柳瀬博一先生のご著作『国道16号線』から、16号線沿いに広がる歴史や文化など豊富な事例を織り交ぜながら語ります。 【教養教育センター特別講演会 開催概要】 日時:2022年11月24日(木)14:00~15:20 場所:ものつくり大学 大学本部 A3010大講義室 参加者:本学学生、高校生、一般、教職員 約220名 開催方法:オンライン・対面のハイブリッド レイヤーで見る――『国道16号線』 最後に、私の著書『国道16号線―日本を創った道』(新潮社)に触れておきたいと思います。 国道16号線はどういう道か、326キロあります。スタート地点、横須賀の走水から横浜の真ん中を通って、相模原、町田を抜けて八王子から埼玉県の入間に入ります。入間、川越、上尾、春日部です。さらに千葉県の野田、柏を通って、千葉市の中心を抜けて海岸沿い、市原から木更津、君津、富津の先端に至る。 16号線エリアには一つの固定的なイメージがあります。それは「歴史がない」というイメージです。 国道16号線沿いにはショッピングモールがやたらに多いのです。三井のアウトレットパークは16号線エリアにあります。ショッピングモールカルチャーは、16号線沿いで生まれました。またラーメンのチェーン店が多い。山岡家は16号線に重点的に出店しています。トラックの運転手の方、昼夜問わず、ラーメンを愛好する方が多い。 あるいはヤンキーのイメージ。実際にマイルドヤンキーのイメージが強く、戦後発達した郊外の街という印象もあります。 ニュータウンが実に多い。首都圏の13ニュータウンのうち、6つが16号線エリアです。代表的なのは千葉のニュータウンや洋光台です。 『定年ゴジラ』という重松清氏の名作があります。1990年代の話です。戦後の第1世代が60歳になったときがちょうど小説の設定です。要は、戦後頑張ってきたお父さんたちが必死の思いで買った多摩ニュータウンや、さらに八王子辺りの住宅の一軒家を買った。けれども、子供たちは戻ってこない。そんな話が『定年ゴジラ』には描かれている。その問題は現在にも続いています。 まとめると、戦後発達したニュータウン、画一的なチェーン店展開、歴史がないので文化レベルは低く、高齢化と首都圏集中で過疎になっている。 古い歴史と文化 しかし、歴史がないというのは本当ではない。 16号線エリアの歴史は実に古いからです。どのくらい古いか。3万年です。 16号線エリアには旧石器遺跡も多い。最初の人類が関東に来たとき、16号線エリアに重点的に住んでいる。証拠は貝塚です。日本の貝塚の4分の1から3分の1は16号線エリア、特に千葉サイドに集中している。縄文時代は東京湾に人が集住していた時代だったのです。 その後、弥生時代になると、人がいなくなるイメージがあるのですけれども、それもまったく違う。古墳が多いのを見るとそれがよくわかります。行田のさきたま古墳群は典型ですね。埼玉、千葉は、日本でも有数の古墳エリアです。中世の城が多いのも特徴です。 次に言えるのは、16号線エリアは有数の都会という事実です。人口は1200万人、埼玉、神奈川、千葉の県庁所在地を通っています。郊外のイメージは、東京23区を通っていないからです。それは東京視点にとらわれた発想ですね。 しかし東京以外では、16号線はまったく田舎ではない。大阪、京都、神戸の人口を足したより、16号線沿いは倍以上の規模です。巨大なマーケットです。通っている都市は横浜、日本最大の都市ですから。大阪よりも規模は大きい。他にも相模原、埼玉、千葉を通過している。田舎というイメージは誤りです。 さらに言うと、大学が多い。16号線エリアには110以上の大学が所在している。東工大、東大、千葉大、横国大、東京理科大は16号線沿いです。日本の二大科学研究機関も16号線沿いにある。海洋開発機構(JAMSTEC)は横須賀にあります。宇宙航空開発研究機構(JAXA)は相模原の古淵、どちらも16号線が近い。 きわめつけは、首都圏で人気のエリアということです。2021年から全世代で16号線エリアが人気になってしまった。新型コロナによってリモートが活用されるようになり、大手町や丸の内に満員電車に詰め込まれる必要がなくなってしまった。 ちなみに今、ビジネス拠点で重要なのは千葉です。リモートワークと通販時代で重要なのは物流センターとデータセンターです。埼玉も久喜が今拠点の一つになっています。流山は首都圏最大の物流センターです。楽天、アマゾン、ヤマトが集結しています。オーストラリアの物流企業も集中展開しています。コストコの本社も今年、川崎から16号線の木更津に移ってしまった。本社機能が店の隣にできている。 特筆すべきなのは印西です。1990年代から、首都圏で地盤がしっかりしているので、銀行のデータセンターがありましたが、今はグーグル、アマゾンのデータセンターがある。 元気なニュータウン 16号線沿いのニュータウンが一旦力を失った後、再び元気です。今、平日の昼間などは、保育園の子を載せたカーゴが多く見られる。子育て世代が多い証拠です。 金融からメディアの時代になったのです。千葉ニュータウンはお洒落なスポットで、IT企業勤務のスマートな若者が仕事をしています。 1998(平成元)年の世界の時価総額ランキングを見ると、ほとんどが日本の金融機関、そしてNTTです。それが今どうなっているか。アップル、アマゾン、グーグル、マイクロソフト、フェイスブックなど、金融からメディアの時代に移った。GAFAMは、要するにメディア企業です。価値を生むものが、お金ではなく、情報に変わった。 今、丸の内が何らかの事情で機能しなくなるよりも、印西が機能しなくなる方が日本人にとっては困る。データセンターがありますから、生活が成り立たなくなる。 このことは、本日のリベラルアーツとつながってきます。教養とは、ややもするとパッチワーク状の知識というイメージがあるわけですが、これではただの物知りを教養と誤認しています。そのような物知りは役に立たない。 役に立つとはどういうことか。 情報は、対立するものではなく、レイヤーを異にするものです。同じことを交通の比喩で語るなら、鉄道、地形、道路、徒歩、それぞれのレイヤーが独立しつつ重なっている。ところが、レイヤーで考えないと、「鉄道」対「道路」と対立的に考えてしまう。その時点でもう間違いです。二項対立で語るのは楽なのですが、レイヤーで考えないと実像はほとんどわからない。 16号線の正体は、地形です。大地と丘陵とリアス式海岸と巨大河川による凸凹地形を通っている。その下にはプレートがある。首都圏は、フィリピン、北米、太平洋プレートがぶつかっている世界的にも稀な複雑な地形です。不可思議な地形が残っている。できたのは12万年前です。 面白いのが縄文時代です。私が保全活動を行ってきた三浦半島の小網代という場所がありますが、ここなどはいわゆる「小流域」、手前が川の源流で、小さな川、谷、海が一つになっている。それは人類における居住の基本単位なのです。屋根に住むと治水の問題が不要になります。足元には清流がある。動物が生活し、植物が豊か繁茂し、果物や穀物が採取できる。水をせき止めると田んぼができる。湿原の下手の干潟に行くと、貝がたくさんとれる。その先に大きな海と港湾、河川交通ができる。尾根は道路です。小流域地形を発見して確保するのが日本の為政者が延々と行ってきたことです。 事情は今とあまり変わらない、だから、居住の基本単位が並んでいたのが16号線沿線です。 そこには軍事施設もできたし、生糸文化もできた。軍事と生糸の中心になったので、富国強兵と殖産興業も16号線エリアに発達した。ちなみに、軍事施設で働いていたのが日本のミュージシャンや芸能人です。日本の芸能界は16号線エリアの米軍キャンプで生まれた。ホリプロもナベプロもそうです。その後、彼らから薫陶を受けたのはユーミンやYMOです。 鉄道資本主義の弊害 最後に身近な例を一つ上げておきましょう。日本のまちづくりは鉄道が主体でした。そのせいで私たちは鉄道資本主義の世界を生きてきた。でも、鉄道の時代はもう終わっている。なぜか。道路の発達と自動車の普及が関係しています。それらは1990年代以降本格化している。まだ30年と経っていません。自動車保有は1996年に初めて1世帯1台になる。日本はアメリカより40年遅れていたのです。 モータリゼーションが急速に進むのは1990年代から2000年代で、16号線エリアにショッピングモールが栄えるようになった時期と重なっている。2000年代です。電車は関係ありません。今は自動車資本主義の時代なのに、官僚も大学人も、「電車脳」のままなのです。電車脳が作動している限り日本の地方の再生は望めない。 たぶん効果的なのは、地方ではウーバー・タクシーの活用でしょう。自動車は各家庭に3台ある。当然空いている人もいる。地元の空いている方に来てもらい、届けられます。バスやタクシーの交通不便が解消できます。 そこで、ぜひ行っていただきたいのは―学生は時間があると思うので―住んでいるところの歴史と地理を足で歩いてみると面白い。ショッピングモールは何があるのか、駅は何があるのか、何でもいい。 この辺りは元荒川がありますね。元荒川が本当の荒川だった。この荒川はどこにつながっているのか。16号線沿いの今、重要な日本の東京の首都圏の防水施設があります。首都圏外郭放水路、元荒川はその近隣にあって、利根川の元源流も入っている。 どちらの川も、元の利根川と元の荒川は、埼玉の誇る巨大モール施設。越谷レイクタウンにつながる。なぜ、巨大レイクタウンがあるのか。水の構造がそこにあるからです。歴史のレイヤーと現在の流通のレイヤーと重ねていくと、埼玉エリアのレイヤーが実に多くあり、首都圏の東京より埼玉のほうが栄えていた時期があるのがわかる。 交通が次第に不便になっている地方も、新しいテクノロジーのレイヤーを導入したり、新しいサービスのレイヤーを導入した瞬間に、むしろ暮らしやすくてコストが安く、安全な場所に変わる。それができるのはテクノロジーの力、そしてリベラルアーツ、「伝えるすべ」です。 その両方の観察眼をぜひ育てていただきたいと思います。本日はありがとうございました。 Profile 柳瀬 博一(やなせ・ひろいち) 1964年静岡県生まれ。東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。雑誌「日経ビジネス」の記者、専門誌の編集や新媒体開発などに携わった後、出版局にて『小倉昌男 経営学』『矢沢永吉 アー・ユー・ハッピー』『養老孟司 デジタル昆虫図鑑』『赤瀬川源平&山下裕二 日本美術応援団』『社長失格』『流行人類学クロニクル』など書籍の編集を行う。2018年4月より現職。著書に『国道16号線』(新潮社)、『親父の納棺』(幻冬舎)、共著に『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』(小林弘人と共著 晶文社)、『「奇跡の自然」の守りかた』(岸由二と共著 ちくまプリマ―新書)、『混ぜる教育』(崎谷実穂と共著 日経BP社)。 関連リンク 教養教育センターWEBページ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」①~東京工業大学のリベラルアーツ~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」②~理工系に必須の「伝えるすべ」~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」③~ものづくりがマーケットを変える~

  • 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」③(全4回)~ものづくりがマーケットを変える~

    ―特別版②「理工系に必須の『伝えるすべ』」の続きです。 柳瀬博一先生(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 教授)を講師に招き、2022年11月24日に開催された教養教育センター特別講演会の内容を全4回にわたりお届けします。 「リベラル・アーツ」「教養」。普段、よく耳にする言葉ですが、その定義は実は曖昧です。柳瀬博一先生が講演の中で、『広辞苑』から参照していますが、やっぱり、「よく分からない」。人によって解釈や定義が異なりがちな「リベラル・アーツ」について、時に古代ギリシャまで遡り、時に自身の著作の事例を交えて、目まぐるしく変わる現代に必要な「リベラル・アーツ」について解き明かします。 第3回です。現代はスマホによって、誰もがメディアになれる時代になりました。そのメディアを構成する3つのレイヤー、そして理工系とリベラルアーツのつながりについて紹介します。 【教養教育センター特別講演会 開催概要】 日時:2022年11月24日(木)14:00~15:20 場所:ものつくり大学 大学本部 A3010大講義室 参加者:本学学生、高校生、一般、教職員 約220名 開催方法:オンライン・対面のハイブリッド 誰もがメディア化した さらに言うと、企業も大学もマスメディア化しています。インターネット革命の結果です。東工大のサイトも、もうメディア化を進めていますし、さらにコロナになって誰しもがメディア化するのが当たり前になりました。学生の皆さんも先生方も、Zoomや何かで授業を行ったり情報発信したりする。テレビに出ていることと何も変わらないのです。 誰もがマスメディア化したということです。実際にマスメディア化した個人をさらにテレビが放送する逆転現象まで出てきています。池上氏を撮るZoom講義をテレビ東京が来て取材するという、舞台裏の舞台裏を撮るみたいなことが現実に起きている。 池上氏のZoom講義を取材するテレビ東京 では、それを今起こしている道具は何か。テレビや新聞や雑誌ではない。スマホですね。スマホとネットがあれば誰でもマスメディアになれる。ユーチューブの情報発信、あるいはTikTok、ツイッターはスマホでできる。ネットにつなげれば、誰でもマスメディアになれるのです。 皆さんのお手元にあるスマホには、過去のメディアがすべて入っています。AbemaTVは典型ですけれども、NHKプラス、TVer、全局が何らかの形で行っています。ちなみに、これも日本が遅れています。世界中のテレビ局は、フルタイムをインターネットで見られます。 ラジオはRADIKOやラジオクラウドということで、こちらもほぼ聞けますよね。音楽はSPOTIFYがスタートでしたけれども、アマゾン、アップルなどでも聴ける。要するに、ほとんどすべての曲がもう今スマホで聴けます。 書籍はもちろん、アマゾンを筆頭に電子書籍で読めるし、ゲームも大半はアプリでできる。すべての新聞がアプリ化しています。唯一気を吐いているのは漫画です。小学館、講談社、集英社は去年、一昨年と過去最高収益です。漫画だけは電子のほうに移って、さらに知的財産コンテンツビジネスに変わった。『少年ジャンプ』(集英社)は、1996年に630万部が売れました。2022年の4月でもう129万部です。それだけ見ると、マーケットが激減したと思うのですが、漫画マーケットの売上げは、かつてのピークが4500億円、今は6000億円です。電子書籍も課金ができるようになった。まったく変わったのです。 しかも、ここからスピンアウトした漫画やアニメーションがNetflixやアマゾン・プライムで拡散していくので、知的財産ビジネスの売上が桁違いになっています。雑誌もDマガジンをはじめとして、ウェブになりました。 映画を含む新しい映像プラットフォームとしてNetflix、アマゾン・プライム、Hulu、U-NEXTなど実に多彩です。SNSは従来の手紙や独り言ですね。電話もできる。 メディアは理工系が9割 では、スマホは何か。ハードですね。ハードは本来科学技術の固まりです。 新しいメディアは、コンテンツが先に生まれるわけではない。新しいハードウェアとプラットフォームの誕生によって生まれてくるものです。 古い例で言えば、ラジオ受信機が誕生して初めて人々はラジオを聴けるようになった。ラジオ受信機がないと、ラジオを聴取する構造ができない。あるいはテレビ受像機が誕生して初めてテレビを視聴できるようになった。 ソニーで言うと、携帯カセットテープレコーダーというマーケットはなかった。ウォークマンが先です。概念を具体化することが大切で、マーケットは後からできる。その順番がしばしば勘違いされています。常に具体的なピンポイントの製品からマーケットは広がっている。 同じようにスマホが登場して初めてネットコンテンツをどこでも見られる構造ができる。概念が先ではないのです。具体的なハードウェアが先に誕生したからです。 マーケットを変えるのは常に製品、すなわち、ものづくりです。この大学の名前のとおり、ものづくりがマーケットのゲームチェンジを常時行います。 むしろ、ここ20数年間のものづくりの世界は、決定的に外部化、すなわちアウトソースするパターンが増えました。アップルは自社でほとんど作っていない。アパレル業界に近いのです。ナイキやオンワード樫山、あるいはコム・デ・ギャルソンは自社で製品は作らない。つくっているのは概念です。概念をつくって、設計図を渡して、ものづくりは協力工場に発注しています。トヨタ自動車をはじめ、メーカーは今それを相当行っている。自社でつくっているのはごくわずかです。 例えば、アップルがワールドエクスポでiPhoneの発売を発表したのは2007年です。まだ14~15年しかたっていない。ソフトバンクの孫正義社長が頼み込んで、2008年、iPhone3G、KDDIが入ったのは、東日本大震災「3・11」の後のことでした。2011年10月です。だから、3・11が起きたときは、スマホはまだ誰も持っていなかった。あのとき、さまざまな映像が飛び交いましたけれども、携帯電話によってでした。ユーチューブではなく、ほとんどはユーストリームです。 だから、今のスマホ、ユーチューブの世界はだいぶ前からあるように錯覚していますが、まだ10年もたっていない。最近といってよいのです。ドコモが参入してからまだ10年もたっていない。 では、何がゲームチェンジャーになったか。ドコモ、KDDIもソフトバンクも関係ない。アップルです。アップルがiPhoneという概念を製造して、形にして爆発的に普及させた。グーグルなどが追随して、ギャラクシーなどのスマホを作った。だから、マーケットのほうが製品より後です。これも勘違いされています。順番から言ってiPhoneが先でスマホが後です。 情報生態圏の基盤 メディアは、次の3つのレイヤーからできています。 ハードウェア、コンテンツ、プラットフォームです。ハードウェアは再生装置です。コンテンツは番組その他、プラットフォームは、コンテンツのデリバリー・システムです。この3つがメディアの情報生態系の基本なのです。 ラジオの場合は、ハードウェアはラジオ受信機ですね。コンテンツはラジオ番組です。プラットフォームは放送技術、放送局の仕組みです。テレビも同様ですね。テレビ受像機に替わるだけです。 新聞の場合は、紙の束がハードウェアです。コンテンツは記者の書く記事、プラットフォームは新聞印刷と宅配の流通システムです。だから、ある意味で新聞は究極の製造業です。ほとんどを自社で行っている。 出版社は、ハードウェアは書籍や雑誌の紙の束、コンテンツは記事、小説、テキストです。プラットフォームは出版流通と印刷になります。レイヤー構造から読み解くと、出版と新聞は似て非なるものです。メディアで自社が何も行っていないのは出版です。出版はアイデア・ビジネスなのです。 ゲーム、ハードウェアはゲームソフトとゲームプレイヤーです。プラットフォームは個々のゲーム規格ですね。ゲーム規格によって再生できるゲームが違います。それを行っているのは任天堂、あるいはマイクロソフトのXボックスなどを想起するとよい。 究極にわかりやすいのが、聖書です。聖書は紀元前1400年前です。今から3400年前に「十戒」ができる。このときは粘土板なわけです。粘土板に「十戒」が刻まれている。この場合コンテンツは「十戒」ですけれども、プラットフォームは当時生まれたばかりの文字、ハードウェアは粘土板ですね。「死海文書」になると、羊皮紙にきれいな手書きとなる。ということは、コンテンツは同じです。ハードウェアは羊皮紙、プラットフォームは羊皮紙を作る技術です。 さらに15世紀のグーテンベルグの活版印刷になります。一気に聖書がベストセラーになります。ハードウェアは紙の束になります。コンテンツは同じ聖書です。プラットフォームは活版印刷工房です。それが500年たつと、世界最大のベストセラーになる。 これが電子版に変わるとどうなるか。ハードウェアはキンドルやスマホになる。聖書のコンテンツは変わりません。プラットフォームはキンドルの規格であるインターネットです。スマホになると、今度はアプリになります。ハードウェアはスマホです。この場合もコンテンツは変わらない。プラットフォームはアップル、グーグルのApp storeになったとしても、聖書の中身は変わらないのです。変わっているのはプラットフォームとハードウェアです。 今見ていてもわかりますが、メディアのハードウェアとプラットフォームは、科学と技術の進歩で変わるものです。特にインターネットの時代になって、ハードウェアが一気に進化していきます。ということは、ハードウェアの変化が新しいメディアです。けれどもコンテンツはほとんど変わっていない。優良なコンテンツは、ハードウェアとプラットフォームが変わるごとに、中身を変えずに少しずつ表現を変えているだけで、本質的には変わっていないのです。 結局、どういうことか。前者のハードウェア制作は理工系の仕事なのです。後者のコンテンツは伝えるわざだから、リベラルアーツの産物ということです。これは理工系、文系ではない。ここには理工系、文系、アートなどのあらゆる知識が入っている。 ―特別版④「16号線の正体とリベラルアーツの本質」に続きます。 Profile 柳瀬 博一(やなせ・ひろいち) 1964年静岡県生まれ。東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。雑誌「日経ビジネス」の記者、専門誌の編集や新媒体開発などに携わった後、出版局にて『小倉昌男 経営学』『矢沢永吉 アー・ユー・ハッピー』『養老孟司 デジタル昆虫図鑑』『赤瀬川源平&山下裕二 日本美術応援団』『社長失格』『流行人類学クロニクル』など書籍の編集を行う。2018年4月より現職。著書に『国道16号線』(新潮社)、『親父の納棺』(幻冬舎)、共著に『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』(小林弘人と共著 晶文社)、『「奇跡の自然」の守りかた』(岸由二と共著 ちくまプリマ―新書)、『混ぜる教育』(崎谷実穂と共著 日経BP社)。 関連リンク 教養教育センターWEBページ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」①~東京工業大学のリベラルアーツ~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」②~理工系に必須の「伝えるすべ」~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」④(全4回)~16号線の正体とリベラルアーツの本質~

  • 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」②(全4回)~理工系に必須の「伝えるすべ」~

    ―特別版①「東京工業大学のリベラルアーツ」の続きです。柳瀬博一先生(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 教授)を講師に招き、2022年11月24日に開催された教養教育センター特別講演会の内容を全4回にわたりお届けします。「リベラル・アーツ」「教養」。普段、よく耳にする言葉ですが、その定義は実は曖昧です。柳瀬博一先生が講演の中で、『広辞苑』から参照していますが、やっぱり、「よく分からない」。人によって解釈や定義が異なりがちな「リベラル・アーツ」について、時に古代ギリシャまで遡り、時に自身の著作の事例を交えて、目まぐるしく変わる現代に必要な「リベラル・アーツ」について解き明かします。第2回は、日本の大学、とりわけ理工系が抱える課題である女子率の低さに始まり、リベラルアーツの源流、そして、リベラルアーツとは何であるか紐解いていきます。【教養教育センター特別講演会 開催概要】日時:2022年11月24日(木)14:00~15:20場所:ものつくり大学 大学本部 A3010大講義室参加者:本学学生、高校生、一般、教職員 約220名開催方法:オンライン・対面のハイブリッド 女子率の低さという問題 日本はトップ大学の女子比率が低いままです。とりわけ理工系は低い。東工大も例外ではありません。世界的でもまれに見るひどい状態です。大学教育がまだ途上にある事実を示している。 誰しもが危機感を抱くべきなのですが、日本の高学歴学生たちもそれが問題とは認識していない。これは日本のどこへ行っても変わりません。       日本がどのくらい遅れているか。データを見ると明らかです。 東京大学でたった19.3%です。京都大学22.5%、一橋大学で28.4%です。これらの数字を見るとおおよそわかりますね。早稲田大学、慶應義塾大学もともに4割に達していません。 では、世界はどうか。世界の大学ランキングを見ると、女子の比率はオックスフォード大学で47%、カリフォルニア工科大学36%、ハーバード大学もほぼ1対1です。スタンフォード大学は46%、ケンブリッジ大学は47%、ほとんど1対1です。MIT(マサチューセッツ工科大学)も4対6です。MITは2000年代に学長と経済学部長がそれぞれ女性でした。プリンストン大学は47%です。UCバークレーは女性が多い。イェール大学も同様です。 興味深いのはジョンズ・ホプキンス大学ですね。世界最高峰の医学部を持つ大学です。女性のほうが多い。ペンシルバニア大学は世界最高峰のMBAを持つ大学です。スイスのETHですら、3割は女子です。北京大学、清華大学も同様です。 こうして見ると、女子比率は、コーネル大学、シンガポール国立大学いずれも、1対1です。デューク大学も女子のほうが多い。 日本の問題がおわかりと思います。東大も京大も東工大も入っていない。問題は深刻です。人口における男女比率は1対1です。男性と女性に生まれついての知的能力差はありません。男性の方が理工系に向いているというのも嘘であることが数多くのデータから証明されております。あらゆる日本の大学がこの異様に低い女子比率を変えなければいけません。東工大では今女性が増える戦略を取り始めています。ご期待ください。 リベラルアーツとは「伝えるすべ」である リベラルアーツ教育についてお話しします。大学に加わって改めて感じたのは、リベラルアーツ、あるいは教養については、案外定義がきっちりしていない、ということでした。 『広辞苑』(岩波書店)に載っている「リベラルアーツ」の定義を参照しましょう。 「教養、教え育てること、社会人にとって必要な広い文化的な知識、単なる知識ではなくて、人間がその素質を精神的・全人的に開化・発展させるために学び養われる学問や芸術」とある。 よくわからない定義です。 リベラルアーツとは、「職業や専門に直接結びつかない教養。大学における一般教養」、こう書いてあるわけですね。これらは、日本の現実を表現しています。要するに、般教(パンキョー)がリベラルアーツだと信じ込まされてきた。 考えてみてください。文科系大学に進むと、生物学や数学や物理学、一般教養として履修しますね。東工大のような理科系大学に行くと、政治学、経済学、哲学、文学は一般教養になる。ということは、学問分野と教養教育、リベラルアーツ教育とは、関係がないことになる。先の『広辞苑』の設定が近い。だから大学生からすると、専門に移るまでにぬるく教わるクイズ的知識みたいなものを何となく教養と思っている。クイズ番組が教養番組として流れているのは、逆に言うとマーケットの認識を正確に反映しているということです。 こういうときは、源流を紐解いてみるのがよい。リベラルアーツの由来は何なのか。 リベラルアーツとは、古代ギリシャの「自由七科」が源流です。2種類あります。言語系3つ、文法・弁証法、あるいは論理学、さらに修辞学です。数学系では4つ、算術・幾何学・音楽・天文学です。リベラルアーツは「アルテス・リベラレス」ですね。 もともと紀元前8年、ポリス(都市国家)が古代ギリシャに生まれたときに、自由市民と奴隷に分かれていました。その頃の奴隷とは、現場仕事に従事する人々です。それぞれの必須知識がパイデイアとテクネーです。学ぶことが違う。パイデイアは、どちらかというと教養のイメージ、テクネーは実学です。 理由の一つは、ギリシャの弁論家イソクラテスが修辞学校をつくったことにあります。その頃は、演説が重視されていた時代だったので、弁舌を磨くための学校ができたわけです。それが修辞学です。さらに、演説のときは比喩を使いこなす必要がありました。古典を見栄えよく用いなければならない。そこで文法を教え、さらに演説で説得力ある美しい論理展開のために弁証法を学ぶ。その段でいくと、弁論術の一環として、先の語学系教育の基盤ができた。アルテス・リベラレスの言語系三科はこれらにあたるわけです。 では、数学系はどうか。かの哲人プラトンです。プラトンがアカデメイアをつくる。イソクラテスとは対照的に、世界は法則に満ちていると言ったのがプラトンですね。そこで、プラトンは算術、幾何学、そして世界の音を分割して数字で表す音楽、そして、地球から見る世界のことわりを探求する天文学です。 イソクラテスとプラトンは互いに反目し合っていたのですけれども、その後、セットにして教えるのがふさわしいということで、ローマ時代になって7科の原形ができる。クアドリウィウム、算術・音楽・幾何学・天文学を四科でクリドル、4つです。文法・修辞学・弁証法を三学、トリウィウムですから3つですね。 上級学校は3つありました。神学部、要は聖職者養成です。ローマ・カトリックが強大な力を持っていたためです。次に法律、政治家養成ですね。そして医学、内科医。まさに教養課程として7科、リベラルアーツの7学科があったということです。 ではこのリベラルアーツ7科とはなんでしょうか。実は全て「伝えるすべ」なんです。 イソクラテスの方は、言葉、物語です。文系的な「伝えるすべ」ですね。すなわち、いかに物語の構造で人に世界をわかりやすく伝えるかに関わっている。 プラトンの方は、数学です。理工系的な「伝えるすべ」です。算術、幾何学、音楽、天文学を使って、やはり人にわかりやすく、論理的に世界を伝える。文系、理工系のそれぞれの方法を使った「伝えるすべ」がリベラルアーツと呼んでいたということになります。つまり「伝える力」、すなわちメディア力です。 メディア力こそが教養の根幹である。池上彰氏や出口治明氏(APU(立命館大学アジア太平洋大学)学長)の本がよく読まれています。これらはお手軽に見えますが、実はそうではない。あの2人の取組みがリベラルアーツの本質を構成している。  一人ではわからないことを、まさに物語と論理で教えてくれているからです。だから、専門家はリベラルアーツの能力を持ち、わかりにくいことを伝えるすべを持つことが必要で、教養とは伝える力にかかっているのです。 理工系はメディアの当事者 そこでメディア論です。私は東工大でメディア論を教えています。 まず、理工系出身者はメディアの当事者であると伝えます。 というのも、理工系出身者が今ますますジャーナリズムの担い手になっている。そもそもメディア仕事は8割が理工系の仕事です。だから、理工系の学生にとって、メディアについて学ぶことは、伝える力、リベラルアーツそのものであり、同時に本業と心得るべきです。これが意外と認識されていません。 では、なぜ当事者なのでしょうか。 大隅良典先生は東工大の教授です。2016年10月のノーベル賞学者です。大隅先生がノーベル賞を受賞したとき、東工大のすずかけ台キャンパスで記者会見が行われています。まさに、メディアの当事者ということだ。まさにリベラルアーツが要求されるわけです。世界の誰よりも詳しい知識を、誰にでもわかりやすく説明することが期待されているからです。 私が徹底的に教えているのは、情報発信の仕方に関わっています。「伝える力」としてのリベラルアーツは理工系の研究者にとって必須の道具です。なぜなら、論文を執筆する、学会発表を行う、研究室でプレゼンする、あるいは経営会議に入って理工系のことがわからない投資家に資金を拠出してもらう、新製品を記者会見でレクチャーする、いずれも説明がきちんとできないと話にならない。すべてメディア当事者の仕事なのです。 さらに言うと、メディア・ジャーナリズムの取材対象としては、好むと好まざるとにかかわらず、アサインされる事案は理工系の人ほど多いのです。研究失敗の記者会見、工場の事故の説明、会社の研究・技術関係の不祥事。典型は福島の原発事故でしたね。東京電力福島第一原子力発電所所長の吉田昌郎氏は東工大の出身者ですが、吉田氏の伝える力が現場を救った。  現下のコロナなどはさらに典型と言ってよい。例えば西浦博氏(北海道大学教授)は、「8割おじさん」で知られますが、「8割」というわかりやすいキャッチコピーで、集団の公衆感染問題を相当に回避できた。マスク着用や人との接触を8割減らすと、指数関数的に感染を減少させられると指摘した。背景には複雑な計算が存在しつつも、キャッチコピーとして「8割」を使ったわけです。天才的な伝える力です。 このような人々は、科学と技術をよく理解した上で、しかもわかりやすく、受け手に目線を合わせて、根気強く伝えた。日本のコロナ対策はいろいろ言われていますけれども、最終的に感染者数・死者数の圧倒的には少なさは紛れもない事実です。専門家がジャーナリストになってくれたおかげです。 理工系の出身者はジャーナリズムにとって必須の存在になっています。というのは、時代の変革期は、テクノロジーの変革期であり、テクノロジーを誰にでもわかるように説明できるかどうかが重大な意味を持つためです。文系出身者がそれを行うのは相当に困難です。理工系出身者がリベラルアーツ力を生かしてメディアになってもらわなければ世の中が困ります。 ―特別版③「ものづくりがマーケットを変える」に続きます。 Profile   柳瀬 博一(やなせ・ひろいち) 1964年静岡県生まれ。東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。雑誌「日経ビジネス」の記者、専門誌の編集や新媒体開発などに携わった後、出版局にて『小倉昌男 経営学』『矢沢永吉 アー・ユー・ハッピー』『養老孟司 デジタル昆虫図鑑』『赤瀬川源平&山下裕二 日本美術応援団』『社長失格』『流行人類学クロニクル』など書籍の編集を行う。2018年4月より現職。著書に『国道16号線』(新潮社)、『親父の納棺』(幻冬舎)、共著に『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』(小林弘人と共著 晶文社)、『「奇跡の自然」の守りかた』(岸由二と共著 ちくまプリマ―新書)、『混ぜる教育』(崎谷実穂と共著 日経BP社)。 関連リンク 教養教育センターWEBページ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」①~東京工業大学のリベラルアーツ~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」③(全4回)~ものづくりがマーケットを変える~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」④(全4回)~16号線の正体とリベラルアーツの本質~

  • 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」①(全4回)~東京工業大学のリベラルアーツ~

    柳瀬博一先生(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 教授)を講師に招き、2022年11月24日に開催された教養教育センター特別講演会の内容を全4回にわたりお届けします。「リベラル・アーツ」「教養」。普段、よく耳にする言葉ですが、その定義は実は曖昧です。柳瀬博一先生が講演の中で、『広辞苑』から参照していますが、やっぱり、「よく分からない」。人によって解釈や定義が異なりがちな「リベラル・アーツ」について、時に古代ギリシャまで遡り、時に自身の著作の事例を交えて、目まぐるしく変わる現代に必要な「リベラル・アーツ」について解き明かします。第1回は、柳瀬博一先生が在籍する東京工業大学のリベラルアーツ教育の歴史、特徴的なカリキュラムについて紹介します。【教養教育センター特別講演会 開催概要】日時:2022年11月24日(木)14:00~15:20場所:ものつくり大学 大学本部 A3010大講義室参加者:本学学生、高校生、一般、教職員 約220名開催方法:オンライン・対面のハイブリッド 東京工業大学のリベラルアーツ教育 私が現在在籍する東京工業大学は、リベラルアーツ研究教育院を2016年から開設しています。国立大学でリベラルアーツを冠に持つ学部・学院は、東工大が初めてかもしれません。 私は日経BP社という出版社で、記者、編集者、プロデューサーの業務に携わってきました。メディアの現場に身を置いてきました。その私がご縁がありまして、2018年から東工大のリベラルアーツ研究教育院に参加することになりました。現在は、テクノロジーとメディアの関わりあいについて、学生たちに教えております。 まず、東工大がどのような教養教育を行っているのか、大きな特徴は、教養教育を1年生から修士、博士課程で一貫して行うこと。大学の教養課程って、普通1年生2年生でおしまいですよね。東工大は学部4年、修士2年、さらに博士課程でもリベラルアーツ教育を施しています。 改革以前から、東工大はリベラルアーツ教育ではしかるべき定評を得てきた大学です。特に戦後新制において、東京大学をしのぐほどに進んでいるとされた時代がありました。そのときは小説家の伊藤整、KJ法で著名な川喜田二郎など日本のリベラルアーツの牽引者となる人たちが教鞭をとっていました。比較的近年では文学者の江藤淳氏がその列に加わります。 1990年代、大学の実学志向が強くなったときに、教養教育部門は、あらゆる大学で細っていった。その反省もあって、2000年代から再び大学の教養教育を見直す趨勢の中で、リベラルアーツ教育復権の旗印のもと東工大が目指したのは、いわゆるくさび形教育、教養教育を必須とする授業構成になります。 そのために、環境・社会理工学院をはじめさまざまな「縦軸」の大学院と学部をセットにした学院が設立され、他方で「横軸」だったリベラルアーツ研究教育院を組織として独立させた。現在60数名の教員が在籍しています。 もう一つ興味深いのが、東工大は理工系の大学ながらも、学部生が、リベラルアーツ研究教育院の教員のもとで研究を行う道が用意されています。大学院では、社会・人間科学コースが設置されており、人文科学系の学生が多く在籍しています。他大学や海外から進学してくる人もいれば、社会人入学の方、そして学部時代は東工大で理系だった学生もいます。私のゼミも昨年度の学生は東工大の内部進学者でした。情報工学を学んだあと、2年間みっちりテクノロジーとメディアの革新について素晴らしい修士論文を書き上げて、修了しました。最近、サントリー学芸賞を取った卒業生も、この大学院からは出ております。東工大というと理工系のイメージが強く、事実理工系の大学なのですけれども、リベラルアーツからも専門家も育っています。 先鞭をつけた池上彰氏 東工大がリベラルアーツ教育を復権させようと考えたのは2010年代初頭からとなります。このときに基盤を固められたのが哲学の桑子敏雄名誉教授、そして2022年春までリベラルアーツ研究教育院初代学院長を務められた上田紀行教授でした。その折に、大学の目玉になる先生を呼ぼうと考えた。しかも、純粋なアカデミシャンではなくて、リベラルアーツを広く豊かに教えられる外部の先生を呼ぼうということになったのです。白羽の矢が立ったのは池上彰氏でした。 リベラルアーツ研究教育院では、大学入学と同時に全学生が「立志プロジェクト」を受講します。2019年までは、大講堂で池上彰さんや外部から招いた専門家が講義を行いました。ここ3年はコロナ禍に対応して、動画配信で対応しています。これまでに劇作家の平田オリザ氏、水俣病のセンターの当事者の方など多彩な方が壇上に上がり講義を行っています。 次の週は、大学としては珍しいことですが、クラスを作るのです。27~28人を40組、リベラルアーツの先生全員が担任を持ちます。グループワークを行って、登壇者の話を批評的に論じるのです。グループワークでは自己紹介を行い、互いの人となりを知った上で、授業のサマリーをまとめて発表する。計5回繰り返し、最終的にこの大学で何を学びたいのか、つまり「志」を提出してもらい、まとめて発表する。大切なのは、必ず発表を伴うものとすることです。これが立志プロジェクトの「少人数クラス」の基本進行デザインです。 しかし、これで終わりではありません。3年生の秋には「教養卒論」の授業があります。普通、3年生になったら専門課程に進んで、教養科目の授業はおしまい、という大学が多いと思います。東工大は3年生全員が秋冬の15回の授業で、自分のこれから進む分野や興味と3年間で身につけた教養を掛け算して1万字の「教養卒論」を書いてもらうのです。最終的に優れた論文は表彰します。翌年夏には教養卒論の発表会を大講堂で行います。相当数の学生が集まります。見栄えのするパワポを準備して、本気で発表に臨む。 教授陣の紹介サイト それともう一つ、私が東工大に移籍して取り組んだしごとについてもお話しておきましょう。それは大学の教授陣の紹介サイトをつくることでした。日本の大学は公式の教員プロフィールが一覧で見られるサイトがあまりないんです。これは私がメディアにいた頃から、疑問に思っていたことでした。企業もIR関連情報のところに役員の詳しいプロフィールが載っていないことがあります。企業のIRで重要なのは、経営陣の顔が出ていること、人柄がわかること、活動内容がクリアであることです。つまり、経営陣自体がコンテンツになっていなければならない。 では、大学はどうか。大学における最大の財産は―最終的には学生ですけれども―入学時においては教授陣ですね。メディア出身の特技を生かして東工大のリベラルアーツ研究教育院のインタビューサイトをつくりました。インタビューも私が行っています。 全ての先生方を平等に見せるように心がけました。先生方の研究内容、教育の取組み等々、いわば小さな「私の履歴書」のようなサイトを一覧で見られるようにした。これは好評でした。実際に外部の方々が東工大の先生にアプローチしたい、インタビューしたい、相談に乗ってほしいというとき、有効に活用していただいています。 ―特別版②「理工系に必須の『伝えるすべ』」に続きます。 Profile 柳瀬 博一(やなせ・ひろいち) 1964年静岡県生まれ。東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。雑誌「日経ビジネス」の記者、専門誌の編集や新媒体開発などに携わった後、出版局にて『小倉昌男 経営学』『矢沢永吉 アー・ユー・ハッピー』『養老孟司 デジタル昆虫図鑑』『赤瀬川源平&山下裕二 日本美術応援団』『社長失格』『流行人類学クロニクル』など書籍の編集を行う。2018年4月より現職。著書に『国道16号線』(新潮社)、『親父の納棺』(幻冬舎)、共著に『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』(小林弘人と共著 晶文社)、『「奇跡の自然」の守りかた』(岸由二と共著 ちくまプリマ―新書)、『混ぜる教育』(崎谷実穂と共著 日経BP社)。 関連リンク 教養教育センターWEBページ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」②(全4回)~理工系に必須の「伝えるすべ」~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」③(全4回)~ものづくりがマーケットを変える~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」④(全4回)~16号線の正体とリベラルアーツの本質~