2026年4月24日、情報メカトロニクス学科の1年生を対象とした「プロフェッショナル・ゼミ(プロ・ゼミ)」が開催された。本講義の教壇に立ったのは、長野県松本市に本社を置く藤原印刷株式会社( 藤原印刷|つくるよろこびをつくる)の取締役・藤原章次氏。電子書籍の台頭や出版不況の逆風が吹き荒れる印刷業界において、同社がいかにして印刷物の「モノとしての価値」を再定義し、独自の立ち位置を確立したのか――。その軌跡と哲学が、未来のテクノロジストたちに向けて語られた。 創業から続く「革命児」の精神 藤原印刷の歴史は、70年前に藤原氏の祖母がたった一人で起業したところから始まる。当時から「印刷界の革命児」を自称した祖母は、印刷機を購入するのではなく、タイピストの国家資格を取得してデザインや文字打ちを起点とするビジネスモデルを構築。在宅の女性に技術を教えるスクールを運営しながら、自らは営業に奔走し、会社を成長させた。 しかし、藤原氏が入社する2010年以前の同社は、100%が出版社を顧客とする法律書や教科書などのモノクロテキスト印刷を主軸としていた。そのことは出版業界の衰退がそのまま会社の存続危機に直結する事実を意味する。起死回生を狙い導入した小ロット多品種対応や電子書籍の内製化も、価格競争や品質の差に阻まれ、思うような成果を出せずにいた。 「決められたことをこなすのではなく、自分で仕事を見つけて考えること」――。 藤原氏が大学時代のインターンで学んだその教訓が、窮地の藤原印刷に変化をもたらすこととなる。 「建売住宅」から「注文住宅」へ――完全オーダーメイドの挑戦 2012年、藤原氏は「モノとしての価値を再定義する」という新たな戦略を掲げた。ターゲットを出版社以外のお客様――つまり、個人や異業種の企業へと広げたのだ。そこで見えてきたのは、印刷会社に対する膨大な不満だった。 「やりたいことができない」 「選択肢が狭い」 「相談できる相手がいない」。 藤原氏は、これまでの印刷を「建売住宅」にたとえ、同社が目指すべき姿をゼロからデザインする「完全オーダーメイド(注文住宅)」へと舵を切った。 「お客様の気持ちを超える熱量で対応することで、はじめてモノとしての価値が生まれる」。この信念のもと、同社は経験のない難題に次々と挑戦し始めた。色を極限まで追求する専門職人「プリンティングディレクター」を採用し、とにかくやってみることで、他社に真似できない経験値を積み上げていった。 驚きを形にする――使用済みダンボールからドライフラワーまで 講義後半、学生たちの前には藤原印刷が手がけた驚きの「本」たちが並べられた。それは、単なる情報の媒体を超えた「表現体」そのものであった。 ・使用済みダンボールの写真集 著者が自ら拾い集めたダンボールを表紙に貼り付けた一冊。マジックの跡や凹みすらも意匠として取り込んだこの本は、海外の書店からも注文が入るほどの反響を呼んだ。 ・16ページごとに紙が変わる雑誌 「野良仕事」をテーマに、茶、黄、ピンクと束ごとに紙の種類を変えることで、視覚と触覚でテーマを伝える。 ・異素材との融合 台湾のバッグ素材、ドライフラワー、ブランドの服の端切れ、さらには本物のニット素材。本来、紙以外のものを本に貼ることは、糊の透過や厚みの問題で極めて困難だが、藤原印刷は職人の技術と創意工夫でこれらを実現させた。 これらの一風変な仕様は、効率を重視する現代の印刷ビジネスにおいては非合理そのものである。しかし、藤原氏は断言する。 「こうした要望に応え続けてきたプロセスこそが、最大の差別化になった」。 「非合理の先の合理」がもたらすもの 藤原氏が提示した「非合理の先の合理」という言葉は、本講義の核心と言える。 人が本を作る動機にはいろいろなものがあるが、大別して「記録」「儀式」「自己表現」「偏愛」の4つがある。これら個人の強い情熱に対し、手間を惜しまず向き合い続けることは、短期的には非合理に見える。しかし、その困難を乗り越えた先にこそ、「どんな難しいオーダーも苦なくこなせる」という盤石の技術力が培養される。これこそが、他社が容易に追随できない合理的な成果なのだと藤原氏は言う。 現在、藤原印刷の売上の25%は出版社以外の新規顧客が占めている。納品して終わりではなく、売る・届けるまでのサポートを行う「印刷屋の本屋」や、工場をお客様に開放する「工場のお祭り」といった活動を通じ、同社は「こだわりのあるオーダーメイドのレストラン」のような存在へと進化した。 『本が生まれるいちばん側で』 2020年、藤原氏は個人がこだわりを詰め込んで本を作る活動を「クラフトプレス」と命名し、提唱し始めた。この活動は出版界でも大きな注目を集め、2025年には同社そのものを綴った書籍『本が生まれるいちばん側で』(藤原印刷著、ライツ社)が出版されるに至った。本書は『朝日新聞』をはじめとする多くのメディアで書評に取り上げられ、印刷の奥深さを世に知らしめる一冊となっている。 講義の締めくくりに上映された工場見学映像では、1億円を超えるオフセット印刷機を操る職人たちの姿が映し出された。100枚以上の試し刷りを厭わず、色のブレを0.1mm単位で調整し、新入社員が半年間毎日「紙積み」の練習に励む。そのひたむきなクラフトマンシップに学生たちは静かに見入っていた。 【質疑応答と結びに代えて】 質疑応答では、学生から「最も印象に残っている本」について質問が飛んだ。藤原氏は迷わず「使用済みダンボールの写真集」を挙げた。7700円という高価な本が、デザインや機能を超えた「非効率な過程に宿る価値」によって飛ぶように売れていく光景に、モノ作りの真理を見たという。 進行を務めた井坂教授の専門分野はドラッカーの経営学である。ドラッカーとはドイツ語で「印刷人」に由来する名だ。井坂教授は次のようにコメントした。「非合理を突き詰めると共通した世界が広がっている。これは一つの分野を極めた方の人生哲学であり、私の研究するドラッカーのイノベーションに通じる。古いものをどう新しい時代に刷新し、価値を生み出すかのお手本のような事例だ」と。 情報メカトロニクス学科の学生にとって、今回のゼミは印刷技術の紹介ではなかったはずだ。それは、技術が何のためにあるのか、そして「モノ」に価値を宿すために人間が介在する意味とは何なのかを深く問い直す、厳粛にして情熱的な時間となった。 藤原印刷が体現する「非合理の先の合理」。その先にある景色を、若きテクノロジストたちが各々のフィールドで見つけ出すことを期待したい。
2026年4月24日、情報メカトロニクス学科の1年生を対象とした「プロフェッショナル・ゼミ(プロ・ゼミ)」が開催された。本講義の教壇に立ったのは、長野県松本市に本社を置く藤原印刷株式会社( 藤原印刷|つくるよろこびをつくる)の取締役・藤原章次氏。電子書籍の台頭や出版不況の逆風が吹き荒れる印刷業界において、同社がいかにして印刷物の「モノとしての価値」を再定義し、独自の立ち位置を確立したのか――。その軌跡と哲学が、未来のテクノロジストたちに向けて語られた。 創業から続く「革命児」の精神 藤原印刷の歴史は、70年前に藤原氏の祖母がたった一人で起業したところから始まる。当時から「印刷界の革命児」を自称した祖母は、印刷機を購入するのではなく、タイピストの国家資格を取得してデザインや文字打ちを起点とするビジネスモデルを構築。在宅の女性に技術を教えるスクールを運営しながら、自らは営業に奔走し、会社を成長させた。 しかし、藤原氏が入社する2010年以前の同社は、100%が出版社を顧客とする法律書や教科書などのモノクロテキスト印刷を主軸としていた。そのことは出版業界の衰退がそのまま会社の存続危機に直結する事実を意味する。起死回生を狙い導入した小ロット多品種対応や電子書籍の内製化も、価格競争や品質の差に阻まれ、思うような成果を出せずにいた。 「決められたことをこなすのではなく、自分で仕事を見つけて考えること」――。 藤原氏が大学時代のインターンで学んだその教訓が、窮地の藤原印刷に変化をもたらすこととなる。 「建売住宅」から「注文住宅」へ――完全オーダーメイドの挑戦 2012年、藤原氏は「モノとしての価値を再定義する」という新たな戦略を掲げた。ターゲットを出版社以外のお客様――つまり、個人や異業種の企業へと広げたのだ。そこで見えてきたのは、印刷会社に対する膨大な不満だった。 「やりたいことができない」 「選択肢が狭い」 「相談できる相手がいない」。 藤原氏は、これまでの印刷を「建売住宅」にたとえ、同社が目指すべき姿をゼロからデザインする「完全オーダーメイド(注文住宅)」へと舵を切った。 「お客様の気持ちを超える熱量で対応することで、はじめてモノとしての価値が生まれる」。この信念のもと、同社は経験のない難題に次々と挑戦し始めた。色を極限まで追求する専門職人「プリンティングディレクター」を採用し、とにかくやってみることで、他社に真似できない経験値を積み上げていった。 驚きを形にする――使用済みダンボールからドライフラワーまで 講義後半、学生たちの前には藤原印刷が手がけた驚きの「本」たちが並べられた。それは、単なる情報の媒体を超えた「表現体」そのものであった。 ・使用済みダンボールの写真集 著者が自ら拾い集めたダンボールを表紙に貼り付けた一冊。マジックの跡や凹みすらも意匠として取り込んだこの本は、海外の書店からも注文が入るほどの反響を呼んだ。 ・16ページごとに紙が変わる雑誌 「野良仕事」をテーマに、茶、黄、ピンクと束ごとに紙の種類を変えることで、視覚と触覚でテーマを伝える。 ・異素材との融合 台湾のバッグ素材、ドライフラワー、ブランドの服の端切れ、さらには本物のニット素材。本来、紙以外のものを本に貼ることは、糊の透過や厚みの問題で極めて困難だが、藤原印刷は職人の技術と創意工夫でこれらを実現させた。 これらの一風変な仕様は、効率を重視する現代の印刷ビジネスにおいては非合理そのものである。しかし、藤原氏は断言する。 「こうした要望に応え続けてきたプロセスこそが、最大の差別化になった」。 「非合理の先の合理」がもたらすもの 藤原氏が提示した「非合理の先の合理」という言葉は、本講義の核心と言える。 人が本を作る動機にはいろいろなものがあるが、大別して「記録」「儀式」「自己表現」「偏愛」の4つがある。これら個人の強い情熱に対し、手間を惜しまず向き合い続けることは、短期的には非合理に見える。しかし、その困難を乗り越えた先にこそ、「どんな難しいオーダーも苦なくこなせる」という盤石の技術力が培養される。これこそが、他社が容易に追随できない合理的な成果なのだと藤原氏は言う。 現在、藤原印刷の売上の25%は出版社以外の新規顧客が占めている。納品して終わりではなく、売る・届けるまでのサポートを行う「印刷屋の本屋」や、工場をお客様に開放する「工場のお祭り」といった活動を通じ、同社は「こだわりのあるオーダーメイドのレストラン」のような存在へと進化した。 『本が生まれるいちばん側で』 2020年、藤原氏は個人がこだわりを詰め込んで本を作る活動を「クラフトプレス」と命名し、提唱し始めた。この活動は出版界でも大きな注目を集め、2025年には同社そのものを綴った書籍『本が生まれるいちばん側で』(藤原印刷著、ライツ社)が出版されるに至った。本書は『朝日新聞』をはじめとする多くのメディアで書評に取り上げられ、印刷の奥深さを世に知らしめる一冊となっている。 講義の締めくくりに上映された工場見学映像では、1億円を超えるオフセット印刷機を操る職人たちの姿が映し出された。100枚以上の試し刷りを厭わず、色のブレを0.1mm単位で調整し、新入社員が半年間毎日「紙積み」の練習に励む。そのひたむきなクラフトマンシップに学生たちは静かに見入っていた。 【質疑応答と結びに代えて】 質疑応答では、学生から「最も印象に残っている本」について質問が飛んだ。藤原氏は迷わず「使用済みダンボールの写真集」を挙げた。7700円という高価な本が、デザインや機能を超えた「非効率な過程に宿る価値」によって飛ぶように売れていく光景に、モノ作りの真理を見たという。 進行を務めた井坂教授の専門分野はドラッカーの経営学である。ドラッカーとはドイツ語で「印刷人」に由来する名だ。井坂教授は次のようにコメントした。「非合理を突き詰めると共通した世界が広がっている。これは一つの分野を極めた方の人生哲学であり、私の研究するドラッカーのイノベーションに通じる。古いものをどう新しい時代に刷新し、価値を生み出すかのお手本のような事例だ」と。 情報メカトロニクス学科の学生にとって、今回のゼミは印刷技術の紹介ではなかったはずだ。それは、技術が何のためにあるのか、そして「モノ」に価値を宿すために人間が介在する意味とは何なのかを深く問い直す、厳粛にして情熱的な時間となった。 藤原印刷が体現する「非合理の先の合理」。その先にある景色を、若きテクノロジストたちが各々のフィールドで見つけ出すことを期待したい。