猛暑を乗り越えるために 今年もまた夏が来ると考えるたびに恐怖を覚えます。昨年2025年の夏季(6〜8月)平均気温は3年連続で記録を更新したばかりか、群馬県の伊勢崎では41.8℃を観測するなど最高気温の記録まで更新してしまいました。もはや地球は壊れているとさえ感じます。 筆者らは暑さから身を守るための工夫や猛暑時代の省エネルギー対策について継続的に研究してきました。本誌にもその第1報として「夏期快適空間の実現」と題し、居住空間への日射を遮ること、すなわち日陰を作ることの有効性を説いています。そして、第2報では「持続的な生産活動を」というタイトルで、電力に頼らない工場冷却水の製法について解説しました。今回は第3報として、家庭用の冷蔵庫に着目した冷却効率アップによる省エネルギーについて考えてみたいと思います。地球温暖化対策や電気料金の上昇が社会的課題となる昨今です。冷蔵庫のさらなる省エネルギー化は重要なテーマであると言えます。 冷蔵庫のあれこれ 冷蔵庫は家庭内では多くの電力を消費する機器なんです。資源エネルギー庁のデータによれば、家庭における冷蔵庫の消費電力はエアコンに次いで2番目となっています。一般的な冷蔵庫では、液体状態の冷媒が冷却器と呼ばれる装置内で気化および膨張する原理によって庫内を冷やしていますが、その前段階ではかなりの電力を消費するコンプレッサーが必要となるためです。 さて、このコンプレッサーで圧縮されて高温となった冷媒は、通常冷蔵庫の側面近くの放熱パイプを通って冷やされ、冷却器に到達するまでに液体に変わります。この放熱のために冷蔵庫の側面は熱くなります、設置時には壁から数センチほど離す必要があるのです。しかし、たとえ冷蔵庫側面と壁面との間に十分なスペースをとっても、止まっている空気に向かっての放熱は効率がよくありません。もし、サーキュレーターなどを使って側面に風を通すことができれば放熱はもっと促進されます。うちわで扇ぐと、空気の温度が下がるわけでもないのに、涼しく感じるのと同じ理由です。放熱の促進はダイレクトに消費電力の低減に繋がりますので、一手間かける甲斐があるかも知れません。 とはいうものの、冷蔵庫の側面に十分な空間を空けること、まして風を通すことなど難しい家庭も多いと思います。そこでもう一つ提案します。側面の放熱パイプに沿って流路を作り、外側から水を流すというアイデアです。固体から水への放熱量は空気に比べて桁違いなので、効果が期待されます。設置スペースもほとんど要りません。熱を奪った水はトイレのタンクや風呂に放出すれば室内に熱は残りませんし、水道料金にも影響しないはずです。 もちろんこの方法は一般の家庭ではもっと難しいでしょう。それに漏電を引き起こす可能性もあるので軽率に試せるものではありません。将来的に冷蔵庫メーカーなどが提供してくれるのなら、あるいは標準装備となれば、ますます省エネルギーは進み快適な住空間が実現されることと思います。 埼玉新聞「知・技の創造」(2026年4月3日号)掲載 キャプション 香村 誠(こうむら まこと)情報メカトロニクス学科教授慶応義塾大学博士課程中退、都内エンジニアリング企業を経て2002年ものつくり大学着任、現在に至る。 博士(工学)。明治大学兼任講師、専門は「流体力学・伝熱工学」
Introduction 埼玉学とは、埼玉県の歴史・文化・産業・地理など、埼玉県に関するあらゆる分野を総合的に研究・探究する学問です。教養教育センターの井坂康志教授が新しい研究テーマとして連載しています。埼玉学第14回は、北埼玉の要衝、羽生を訪れます。田山花袋『田舎教師』の舞台として知られる静かな街で、井坂教授は41年前の熱狂の記憶を辿ります。冷戦下のドイツ・オーケストラと、一人の薄幸な青年教師の魂が交錯する、時を超えた旅路です。 北関東の鋼の下で 「四里の道は長かった。その間に青縞の市のたつ羽生の町があった。田圃にはげんげが咲き、豪家の垣からは八重桜が散りこぼれた」(田山花袋『田舎教師』)。羽生という地名は、埴(赤土)の生じる場所、あるいは鳥の羽が生まれる場所など諸説あるが、地形的な特性はあまりにもはっきりしている。関東平野の北端、利根川という巨大な暴れ馬の背中に張り付いた細長い鞍のような土地だ。対岸はもう群馬県。広大な沖積低地が広がり、見渡す限りの平坦な地形は、空の広さを際立たせ、地平には上州の山並みが切り絵のように並ぶ。窓の外は鋼の空が広がっている。重く、低く垂れ込めた冬の雲だ。私は隣町の出身だから、懐かしい風景ではある。羽生は、古くから交通の要衝であった。東武伊勢崎線と秩父鉄道が交差する地は、物資の集散地として栄えた。特に青縞と呼ばれる藍染めの織物は羽生の経済を支え、富が街の文化的な基盤を形成した。鉄道が敷設される以前、利根川の水運と日光脇往還の宿場としての機能が人々の往来を生んでいた。 「羽生から大越に通う乗合馬車が泥濘を飛ばして通って行った」(『田舎教師』)。花袋が描いた泥深い道は、いまや舗装され、車が行き交う。だが、土地が持つ移動の中継点としての記憶は、風の中にまだ残っているように思える。羽生駅から徒歩数分の寺へと向かった。朝10時前の空気は冷たく、少し雨も混じっているようだ。曹洞宗の古刹・建福寺。田山花袋の小説『田舎教師』のモデルとなった小林秀三の墓がある。 建福寺にて『田舎教師』のモデル小林秀三の墓に詣でる。 田舎教師の悲哀と埋没 墓前で手を合わせる。小林秀三、享年二十一(数え年)。肺結核で短い生涯を閉じた青年だ。石碑には「運命に抗う覚悟」、小林の日記に残された言葉が、胸を締め付ける。「あゝわれ終に堪えしや、あゝわれ終に田舎の一教師に埋んとするか……明日! 明日は万事定まるべし。……噫! 一語以て後日に寄す」。立身出世を夢見ながら、貧困と病を得て、閉鎖的な田舎の現実に押しつぶされ、無名のまま死んでいった青年。花袋は下宿先の住職・太田玉茗が義兄だった縁で小林の日記を目にし、悲劇的な物語を書き上げた。「さびしく死んでいく青年もあるのだ」。花袋は『東京の三十年』でこう記している。近くの図書館にある郷土資料館へ足を運ぶと、かつて田舎教師研究会という熱心なサークルが存在したことを知った。1979年から断続的に刊行された『田舎教師研究』は、会員数100名を数えた時期もあったという。時は流れ、活動は縮小し、2021年の第9号を最後に事実上の終焉を迎えているようだ。彼らが残した記録は、確かにこの地に生きた青年の魂を鎮魂し続けている。 二つの田園 資料館を後にし、羽生市産業文化ホールへと歩を進めた。41年ぶりの訪問だ。1984年12月8日。あの日、北関東の寒風吹きすさぶ田舎町のホールに、奇跡が舞い降りた。東ドイツ(当時)の名匠ハインツ・レークナー率いるベルリン放送交響楽団がやってきたのだ。私は脳裏のスクリーンにその日の映像を投影する。 当時、羽生市産業文化ホールは市政30周年を記念して1月に落成したばかりだった。衣料産業で栄えた羽生の経済力が、立派なホールを建設させ、さらに冷戦下の東側の名門オーケストラを招聘することを可能にした。控えめに言って、一種の文化的達成であったと言ってよいだろう。私は小学6年生だった。プログラムはベートーヴェン「レオノーレ序曲」、シューベルト「未完成」、メインはベートーヴェン「交響曲第6番田園」、アンコールはバッハの「G線上のアリア」。ハインツ・レークナーとベルリン放送交響楽団。正真正銘のドイツ音楽の精髄を聴かせる夜だった。彼らは当時、鉄のカーテンの向こう側、東ドイツからやってきた。自由を制限された彼らが奏でる音楽には重厚さと、沈潜する内向性があったように記憶する。出口のない青春を送ったかつての田舎教師の地で、分断された世界から届いた音色は、物理的な移動の自由を奪われた者同士が交わす、魂の密約のように耳に届いた。ホールに入ると、青紫のステンドグラスが目に入る。むろん記憶のままだ。 1984年落成の羽生市産業文化ホール。往時をしのばせる文化の薫るエントランス。 ホール内にはステンドグラス。 帰路 地元合唱団と東京のオーケストラによる第九演奏が始まる。響きは私の耳の奥底で、41年前のレークナーのタクトと合流する。演奏が終わった瞬間、拍手の中で、ふと隣の空席に気配を感じた気がした。気のせいかもしれない。もしここに小林秀三がいたとしたら、どんな顔をしていただろう。彼は音楽家になりたかった人だ。小説では東京音楽学校を受験し失敗している。衣料産業で栄えた羽生の経済力が、文化の殿堂を築き、世界最高峰の芸術を招き入れた事実は、極めて健全な地方の意志を示している。経済的な成功を次代の感受性を育む文化的土壌へと還元した先人たちの気概にほかならない。日記に「あゝわれ終に田舎の一教師に埋んとするか」と嘆いた彼は、埋没した場所で、世界最高峰の『田園』が鳴り響く未来を想像できたろうか。ホールはただの文化施設ではない。夢破れ、土に還っていった無名の人々のための、巨大な鎮魂碑なのだ。小林秀三の絶望と、レークナーの希望。二つの残響は静かに平野を溶かしていた。 付記ベルリン放送交響楽団の演奏会が1984年12月8日に実施された事実確認にあたり、羽生市産業文化ホールの荻野栄一館長とメールでやり取りを交わすことができた。館長のご説明では、40年以上前であり、また運営主体の変遷もあったために、当該情報は確認できないとのことだったが、館長との対話は、文化施設がそこに携わる人々の誠実さと、訪れる者の記憶によって生かされる生命体であることを私に教えてくれた。貴重な情報共有と温かなお心遣いに、改めて謝意を表したい。 Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学 教養教育センター教授1972年埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、情報社会学。 関連リンク ・【埼玉学①】行田-太古のリズムは今も息づく・【埼玉学②】吉見百穴-異界への入口・【埼玉学③】秩父-巡礼の道・【埼玉学④】『翔んで埼玉-琵琶湖より愛をこめてを公開当日に見に行くということ・【埼玉学⑤】「食」のアミューズメント・パーク サイボク・【埼玉学⑥】埼玉の奇祭--歌声が聞こえる・【埼玉学⑦】埼玉学者、埼玉県知事に会いに行く・【埼玉学⑧】真夏のクリスマス--下総皖一『野菊』の思い出・【埼玉学⑨】「埼玉学ツアー」が教えてくれたもの-埼玉未来大学で出会った素晴らしき仲間たち・【埼玉学⑩】鉄道博物館と大宮操の桜・【埼玉学⑪】大宮盆栽町--「これでいいのだ埼玉」・【埼玉学⑫】天国への道--埼玉県道153号幸手久喜線・【埼玉学⑬】越谷レイクタウン--ウォーターベッドに沈むもの
Introduction 埼玉学とは、埼玉県の歴史・文化・産業・地理など、埼玉県に関するあらゆる分野を総合的に研究・探究する学問です。教養教育センターの井坂康志教授が新しい研究テーマとして連載しています。埼玉学第13回は、かつて沼沢地帯であった越谷の地に突如として現れた巨大な消費空間、越谷レイクタウンを歩きます。水と大地、車社会が交錯する場所で、井坂教授が感じ取ったワルシャワの記憶、足元の薄氷の正体とは。 低地 足元を見つめる。そのとき、関東平野における巨大な器の底であることに思いが至る。大宮台地の東端が尽き、地形は急速に標高を下げる。利根川や荒川といった関東を代表する大河川が、奔流を東京湾への流路として渋滞を起こす。越谷という土地の正体だ。 かつて一帯は、幾筋もの河川が蛇行し、氾濫を繰り返す湿地帯であった。人々は自然堤防の上に集落を作り、後背湿地を水田として利用した。水田では質の高い米が収穫できた。しかし、都市化の波は容赦なく保水機能を奪っていく。いつしか、水のリスクを吞み込んだまま巨大なウォーターベッドの街に変貌していた。そこで構想されたのが越谷レイクタウンだ。コンセプトは、生やさしいニュータウン開発とはいささか様相を異にする。中川・綾瀬川流域の治水対策として、広大な調節池を造成、洪水時には水を溜め込み、平時には親水空間として利用するという、災い転じて福となす壮大な社会実験であった。駅に降り立つと、目の前には地形の生んだ象徴たる大相模調節池が鎮座している。有無を言わせぬ迫力だ。かつての一面のため池と田園地帯は、いまや人口の湖岸として整備され、穏やかな水面を湛えているかに見える。水鳥は湖面を戯れ、岸にはフランスの油絵を想起させる柳が影のたまりをつくっている。湖畔に立ち、風に吹かれてみた。湿った風は、大量の水の通り道であることを嫌でも教えてくれる。 武蔵野線の湾曲と車社会の地平 ところで、水郷を貫く鉄の軌道がJR武蔵野線だ。武蔵野線は、埼玉に住む者にとってさえミステリアスだ。かつては首都圏の外郭を結ぶ貨物船として計画され、やがて旅客化された路線は、東京の放射状に伸びる各路線を横串に刺す。秩父鉄道を別にすれば、東西を走る鉄路はほかにない。 越谷レイクタウン駅--。武蔵野線の新駅として2008年に開業した。貨物列車が轟音を立てる脇で、多くの家族連れがホームに降り立つ。身近な水のテーマパークだ。ディズニーリゾートにでも家族で行けば、家計に小さくないインパクトをもたらすだろう。越谷レイクタウンなら、ちょっとした買い物をするくらいで半日は夢を見られる。どんな夢かは別の話だが。駅の北側に広がるイオンレイクタウンに目を転ずれば、広大な敷地を埋め尽くす駐車場、国道4号線や外環道から吸い寄せられるように集まる無数の自動車が嫌でも目に飛び込んでくる。レイクタウンは、埼玉のもう一つの顔、すなわち強烈なまでのクルマ社会を象徴する空間だ。鉄道という都市的な動線と、自動車というローカルな動線が、巨大な水の街でぶつかり合い、しぶきを上げる。 広大な敷地を埋め尽くす駐車場。 忘却の装置 広大なショッピングモールへと足を踏み入れた。「kaze」「mori」などと名付けられた巨大な棟を、ひたすらに歩く。ちょっとしたハイキングに匹敵する運動量だ。高い天井、人工的な照明。どこまでも続くショーウィンドウ。ふと、どこかで見たことがある気がした。奇妙な感覚だった。以前、ポーランドのワルシャワやクラクフを旅したことがある。あの時、ワルシャワ旧市街の広場や、果てしなく続く石畳を歩きながら感じた、ある種の茫洋とした感覚が突然蘇ってきた。冬の凍てついた一日であったことも関係しているかもしれない。 むろん本来なら両者を結びつけるものなどない。周囲には多くの人々が行き交っている。特に目につくのは、犬を連れた家族連れの姿だ。楽しげに笑い、ショッピングカートに愛犬を乗せ、消費という名の祝祭空間に身を浸している。平和そのものだ。しかし、なぜだろう。ワルシャワの再建された旧市街が、思い出されてならない。歴史の痛みに対する抵抗と祈りの祭儀的空間。もちろん、こじつけなのはわかっている。改めて思い起こせば、かつて泥深い湿地であり、水害に脅かされた土地であったことを考えないわけにはいかない。 柳が影のたまりをつくっている。どことなく物悲しい。 今は、そうしたすべてを、圧倒的な光量と空調、際限ない商品の列によって覆い隠し、忘れ去るための巨大な装置として上塗りする。足元の泥を忘れ、薄氷の上で踊り続けるのに必要な舞台装置だ。東欧では、ここしばらく、こんな大型ショッピングセンターが各地に乱立している。一様に便利で、快適で、どこか均質だ。地形の記憶をコンクリートで覆い隠し、空調の効いた快適な回廊を作り出す。むろん均質で清潔な人工空間を、アイデンティティの欠如と捉えるのは早計だ。むしろ、過剰な記号に溢れた現代において、真の休息を得る知的な余白なのだろう。地形の記憶を一度フラットにすることで、人々は過去の重圧から解放され、キャンバスの上に新たな家族の物語を描き出す自由を得ているのだろう。浦安という漁村の歴史的記憶の上に構築された夢の国と構造上は同じなのに違いない。注目すべきは、空間の底辺を流れる管理の美学だ。大相模調節池という巨大なインフラが、機能を超えて美しい親水空間として消費されている事実は、人間が自然を征服するのではなく、知性をもって共生をデザインした証に他ならない。水害というリスクを、豊かさという価値のシンボルに変換することこそが、埼玉という土地が持つしなやかな強さを象徴する。夕闇に映る街の明かりは、水の小都に根を下ろそうとする数万の人生の輝きだ。かつての泥を忘れ去るのではなく、それを強固な基礎として支え、その上に新たな地平を築くこと。越谷レイクタウンは、伝統と革新が危うい均衡を保ちながらも、次世代の故郷へと成熟していくプロセスを見せてくれている。 ため池の周回と薄氷の文明 モールの喧騒を逃れるように、再び外に出た。調節池の周囲を歩いてみることにした。水面は昼間の鈍い光を反射する。足元の土を踏みしめるとき、確かに水を含んだ大地の感触が伝わってくる。水は低きに流れる。物理の法則だ。秩父の山地からゆっくりと運ばれてきた水が集まり、やがて太平洋へと運ばれていく。歩きながら思考を巡らせる。犬を連れて散歩する人々の表情は穏やかだ。水面に映る街の明かりは美しい。しかし、ふとコンクリート越しに足元が透けて見える錯覚に陥る。危うさを知っているからこそ、人々の笑顔はかくも明るく、消費の祝祭は、どこか切実な輝きを帯びている。 この消費の祝祭は、どこか切実な輝きを帯びている。 地形を克服するのではない。地形を受け入れ、水と共生する。工学的な勝利と、破綻への潜在的な恐怖。危うい均衡の上に、巨大な消費社会の祝祭空間は成立する。駅へ向かう私の背に、冬の風が冷たく吹きつけた。調節池の記憶から漏れ出る、大地の吐息のようだった。武蔵野線の駅へと戻る足取りは、来た時よりも少しだけ重く、確かなものになっていた。 Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学 教養教育センター教授1972年埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、情報社会学。 関連リンク ・【埼玉学①】行田-太鼓のリズムは今も息づく・【埼玉学②】吉見百穴-異界への入口・【埼玉学③】秩父-巡礼の道・【埼玉学④】『翔んで埼玉-琵琶湖より愛をこめて』を公開当日に見に行くということ・【埼玉学⑤】「食」のアミューズメント・パーク サイボク・【埼玉学⑥】埼玉の奇祭--歌声が聞こえる・【埼玉学⑦】埼玉学者、埼玉県知事に会いに行く・【埼玉学⑧】真夏のクリスマス--下総皖一『野菊』の思い出・【埼玉学⑨】「埼玉学ツアー」が教えてくれたもの-埼玉未来大学で出会った素晴らしき仲間たち・【埼玉学⑩】鉄道博物館と大宮操の桜・【埼玉学⑪】大宮盆栽町--「これでいいのだ埼玉」・【埼玉学⑫】天国への道--埼玉県道153号幸手久喜線
猛暑を乗り越えるために 今年もまた夏が来ると考えるたびに恐怖を覚えます。昨年2025年の夏季(6〜8月)平均気温は3年連続で記録を更新したばかりか、群馬県の伊勢崎では41.8℃を観測するなど最高気温の記録まで更新してしまいました。もはや地球は壊れているとさえ感じます。 筆者らは暑さから身を守るための工夫や猛暑時代の省エネルギー対策について継続的に研究してきました。本誌にもその第1報として「夏期快適空間の実現」と題し、居住空間への日射を遮ること、すなわち日陰を作ることの有効性を説いています。そして、第2報では「持続的な生産活動を」というタイトルで、電力に頼らない工場冷却水の製法について解説しました。今回は第3報として、家庭用の冷蔵庫に着目した冷却効率アップによる省エネルギーについて考えてみたいと思います。地球温暖化対策や電気料金の上昇が社会的課題となる昨今です。冷蔵庫のさらなる省エネルギー化は重要なテーマであると言えます。 冷蔵庫のあれこれ 冷蔵庫は家庭内では多くの電力を消費する機器なんです。資源エネルギー庁のデータによれば、家庭における冷蔵庫の消費電力はエアコンに次いで2番目となっています。一般的な冷蔵庫では、液体状態の冷媒が冷却器と呼ばれる装置内で気化および膨張する原理によって庫内を冷やしていますが、その前段階ではかなりの電力を消費するコンプレッサーが必要となるためです。 さて、このコンプレッサーで圧縮されて高温となった冷媒は、通常冷蔵庫の側面近くの放熱パイプを通って冷やされ、冷却器に到達するまでに液体に変わります。この放熱のために冷蔵庫の側面は熱くなります、設置時には壁から数センチほど離す必要があるのです。しかし、たとえ冷蔵庫側面と壁面との間に十分なスペースをとっても、止まっている空気に向かっての放熱は効率がよくありません。もし、サーキュレーターなどを使って側面に風を通すことができれば放熱はもっと促進されます。うちわで扇ぐと、空気の温度が下がるわけでもないのに、涼しく感じるのと同じ理由です。放熱の促進はダイレクトに消費電力の低減に繋がりますので、一手間かける甲斐があるかも知れません。 とはいうものの、冷蔵庫の側面に十分な空間を空けること、まして風を通すことなど難しい家庭も多いと思います。そこでもう一つ提案します。側面の放熱パイプに沿って流路を作り、外側から水を流すというアイデアです。固体から水への放熱量は空気に比べて桁違いなので、効果が期待されます。設置スペースもほとんど要りません。熱を奪った水はトイレのタンクや風呂に放出すれば室内に熱は残りませんし、水道料金にも影響しないはずです。 もちろんこの方法は一般の家庭ではもっと難しいでしょう。それに漏電を引き起こす可能性もあるので軽率に試せるものではありません。将来的に冷蔵庫メーカーなどが提供してくれるのなら、あるいは標準装備となれば、ますます省エネルギーは進み快適な住空間が実現されることと思います。 埼玉新聞「知・技の創造」(2026年4月3日号)掲載 キャプション 香村 誠(こうむら まこと)情報メカトロニクス学科教授慶応義塾大学博士課程中退、都内エンジニアリング企業を経て2002年ものつくり大学着任、現在に至る。 博士(工学)。明治大学兼任講師、専門は「流体力学・伝熱工学」
Introduction 埼玉学とは、埼玉県の歴史・文化・産業・地理など、埼玉県に関するあらゆる分野を総合的に研究・探究する学問です。教養教育センターの井坂康志教授が新しい研究テーマとして連載しています。埼玉学第14回は、北埼玉の要衝、羽生を訪れます。田山花袋『田舎教師』の舞台として知られる静かな街で、井坂教授は41年前の熱狂の記憶を辿ります。冷戦下のドイツ・オーケストラと、一人の薄幸な青年教師の魂が交錯する、時を超えた旅路です。 北関東の鋼の下で 「四里の道は長かった。その間に青縞の市のたつ羽生の町があった。田圃にはげんげが咲き、豪家の垣からは八重桜が散りこぼれた」(田山花袋『田舎教師』)。羽生という地名は、埴(赤土)の生じる場所、あるいは鳥の羽が生まれる場所など諸説あるが、地形的な特性はあまりにもはっきりしている。関東平野の北端、利根川という巨大な暴れ馬の背中に張り付いた細長い鞍のような土地だ。対岸はもう群馬県。広大な沖積低地が広がり、見渡す限りの平坦な地形は、空の広さを際立たせ、地平には上州の山並みが切り絵のように並ぶ。窓の外は鋼の空が広がっている。重く、低く垂れ込めた冬の雲だ。私は隣町の出身だから、懐かしい風景ではある。羽生は、古くから交通の要衝であった。東武伊勢崎線と秩父鉄道が交差する地は、物資の集散地として栄えた。特に青縞と呼ばれる藍染めの織物は羽生の経済を支え、富が街の文化的な基盤を形成した。鉄道が敷設される以前、利根川の水運と日光脇往還の宿場としての機能が人々の往来を生んでいた。 「羽生から大越に通う乗合馬車が泥濘を飛ばして通って行った」(『田舎教師』)。花袋が描いた泥深い道は、いまや舗装され、車が行き交う。だが、土地が持つ移動の中継点としての記憶は、風の中にまだ残っているように思える。羽生駅から徒歩数分の寺へと向かった。朝10時前の空気は冷たく、少し雨も混じっているようだ。曹洞宗の古刹・建福寺。田山花袋の小説『田舎教師』のモデルとなった小林秀三の墓がある。 建福寺にて『田舎教師』のモデル小林秀三の墓に詣でる。 田舎教師の悲哀と埋没 墓前で手を合わせる。小林秀三、享年二十一(数え年)。肺結核で短い生涯を閉じた青年だ。石碑には「運命に抗う覚悟」、小林の日記に残された言葉が、胸を締め付ける。「あゝわれ終に堪えしや、あゝわれ終に田舎の一教師に埋んとするか……明日! 明日は万事定まるべし。……噫! 一語以て後日に寄す」。立身出世を夢見ながら、貧困と病を得て、閉鎖的な田舎の現実に押しつぶされ、無名のまま死んでいった青年。花袋は下宿先の住職・太田玉茗が義兄だった縁で小林の日記を目にし、悲劇的な物語を書き上げた。「さびしく死んでいく青年もあるのだ」。花袋は『東京の三十年』でこう記している。近くの図書館にある郷土資料館へ足を運ぶと、かつて田舎教師研究会という熱心なサークルが存在したことを知った。1979年から断続的に刊行された『田舎教師研究』は、会員数100名を数えた時期もあったという。時は流れ、活動は縮小し、2021年の第9号を最後に事実上の終焉を迎えているようだ。彼らが残した記録は、確かにこの地に生きた青年の魂を鎮魂し続けている。 二つの田園 資料館を後にし、羽生市産業文化ホールへと歩を進めた。41年ぶりの訪問だ。1984年12月8日。あの日、北関東の寒風吹きすさぶ田舎町のホールに、奇跡が舞い降りた。東ドイツ(当時)の名匠ハインツ・レークナー率いるベルリン放送交響楽団がやってきたのだ。私は脳裏のスクリーンにその日の映像を投影する。 当時、羽生市産業文化ホールは市政30周年を記念して1月に落成したばかりだった。衣料産業で栄えた羽生の経済力が、立派なホールを建設させ、さらに冷戦下の東側の名門オーケストラを招聘することを可能にした。控えめに言って、一種の文化的達成であったと言ってよいだろう。私は小学6年生だった。プログラムはベートーヴェン「レオノーレ序曲」、シューベルト「未完成」、メインはベートーヴェン「交響曲第6番田園」、アンコールはバッハの「G線上のアリア」。ハインツ・レークナーとベルリン放送交響楽団。正真正銘のドイツ音楽の精髄を聴かせる夜だった。彼らは当時、鉄のカーテンの向こう側、東ドイツからやってきた。自由を制限された彼らが奏でる音楽には重厚さと、沈潜する内向性があったように記憶する。出口のない青春を送ったかつての田舎教師の地で、分断された世界から届いた音色は、物理的な移動の自由を奪われた者同士が交わす、魂の密約のように耳に届いた。ホールに入ると、青紫のステンドグラスが目に入る。むろん記憶のままだ。 1984年落成の羽生市産業文化ホール。往時をしのばせる文化の薫るエントランス。 ホール内にはステンドグラス。 帰路 地元合唱団と東京のオーケストラによる第九演奏が始まる。響きは私の耳の奥底で、41年前のレークナーのタクトと合流する。演奏が終わった瞬間、拍手の中で、ふと隣の空席に気配を感じた気がした。気のせいかもしれない。もしここに小林秀三がいたとしたら、どんな顔をしていただろう。彼は音楽家になりたかった人だ。小説では東京音楽学校を受験し失敗している。衣料産業で栄えた羽生の経済力が、文化の殿堂を築き、世界最高峰の芸術を招き入れた事実は、極めて健全な地方の意志を示している。経済的な成功を次代の感受性を育む文化的土壌へと還元した先人たちの気概にほかならない。日記に「あゝわれ終に田舎の一教師に埋んとするか」と嘆いた彼は、埋没した場所で、世界最高峰の『田園』が鳴り響く未来を想像できたろうか。ホールはただの文化施設ではない。夢破れ、土に還っていった無名の人々のための、巨大な鎮魂碑なのだ。小林秀三の絶望と、レークナーの希望。二つの残響は静かに平野を溶かしていた。 付記ベルリン放送交響楽団の演奏会が1984年12月8日に実施された事実確認にあたり、羽生市産業文化ホールの荻野栄一館長とメールでやり取りを交わすことができた。館長のご説明では、40年以上前であり、また運営主体の変遷もあったために、当該情報は確認できないとのことだったが、館長との対話は、文化施設がそこに携わる人々の誠実さと、訪れる者の記憶によって生かされる生命体であることを私に教えてくれた。貴重な情報共有と温かなお心遣いに、改めて謝意を表したい。 Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学 教養教育センター教授1972年埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、情報社会学。 関連リンク ・【埼玉学①】行田-太古のリズムは今も息づく・【埼玉学②】吉見百穴-異界への入口・【埼玉学③】秩父-巡礼の道・【埼玉学④】『翔んで埼玉-琵琶湖より愛をこめてを公開当日に見に行くということ・【埼玉学⑤】「食」のアミューズメント・パーク サイボク・【埼玉学⑥】埼玉の奇祭--歌声が聞こえる・【埼玉学⑦】埼玉学者、埼玉県知事に会いに行く・【埼玉学⑧】真夏のクリスマス--下総皖一『野菊』の思い出・【埼玉学⑨】「埼玉学ツアー」が教えてくれたもの-埼玉未来大学で出会った素晴らしき仲間たち・【埼玉学⑩】鉄道博物館と大宮操の桜・【埼玉学⑪】大宮盆栽町--「これでいいのだ埼玉」・【埼玉学⑫】天国への道--埼玉県道153号幸手久喜線・【埼玉学⑬】越谷レイクタウン--ウォーターベッドに沈むもの
Introduction 埼玉学とは、埼玉県の歴史・文化・産業・地理など、埼玉県に関するあらゆる分野を総合的に研究・探究する学問です。教養教育センターの井坂康志教授が新しい研究テーマとして連載しています。埼玉学第13回は、かつて沼沢地帯であった越谷の地に突如として現れた巨大な消費空間、越谷レイクタウンを歩きます。水と大地、車社会が交錯する場所で、井坂教授が感じ取ったワルシャワの記憶、足元の薄氷の正体とは。 低地 足元を見つめる。そのとき、関東平野における巨大な器の底であることに思いが至る。大宮台地の東端が尽き、地形は急速に標高を下げる。利根川や荒川といった関東を代表する大河川が、奔流を東京湾への流路として渋滞を起こす。越谷という土地の正体だ。 かつて一帯は、幾筋もの河川が蛇行し、氾濫を繰り返す湿地帯であった。人々は自然堤防の上に集落を作り、後背湿地を水田として利用した。水田では質の高い米が収穫できた。しかし、都市化の波は容赦なく保水機能を奪っていく。いつしか、水のリスクを吞み込んだまま巨大なウォーターベッドの街に変貌していた。そこで構想されたのが越谷レイクタウンだ。コンセプトは、生やさしいニュータウン開発とはいささか様相を異にする。中川・綾瀬川流域の治水対策として、広大な調節池を造成、洪水時には水を溜め込み、平時には親水空間として利用するという、災い転じて福となす壮大な社会実験であった。駅に降り立つと、目の前には地形の生んだ象徴たる大相模調節池が鎮座している。有無を言わせぬ迫力だ。かつての一面のため池と田園地帯は、いまや人口の湖岸として整備され、穏やかな水面を湛えているかに見える。水鳥は湖面を戯れ、岸にはフランスの油絵を想起させる柳が影のたまりをつくっている。湖畔に立ち、風に吹かれてみた。湿った風は、大量の水の通り道であることを嫌でも教えてくれる。 武蔵野線の湾曲と車社会の地平 ところで、水郷を貫く鉄の軌道がJR武蔵野線だ。武蔵野線は、埼玉に住む者にとってさえミステリアスだ。かつては首都圏の外郭を結ぶ貨物船として計画され、やがて旅客化された路線は、東京の放射状に伸びる各路線を横串に刺す。秩父鉄道を別にすれば、東西を走る鉄路はほかにない。 越谷レイクタウン駅--。武蔵野線の新駅として2008年に開業した。貨物列車が轟音を立てる脇で、多くの家族連れがホームに降り立つ。身近な水のテーマパークだ。ディズニーリゾートにでも家族で行けば、家計に小さくないインパクトをもたらすだろう。越谷レイクタウンなら、ちょっとした買い物をするくらいで半日は夢を見られる。どんな夢かは別の話だが。駅の北側に広がるイオンレイクタウンに目を転ずれば、広大な敷地を埋め尽くす駐車場、国道4号線や外環道から吸い寄せられるように集まる無数の自動車が嫌でも目に飛び込んでくる。レイクタウンは、埼玉のもう一つの顔、すなわち強烈なまでのクルマ社会を象徴する空間だ。鉄道という都市的な動線と、自動車というローカルな動線が、巨大な水の街でぶつかり合い、しぶきを上げる。 広大な敷地を埋め尽くす駐車場。 忘却の装置 広大なショッピングモールへと足を踏み入れた。「kaze」「mori」などと名付けられた巨大な棟を、ひたすらに歩く。ちょっとしたハイキングに匹敵する運動量だ。高い天井、人工的な照明。どこまでも続くショーウィンドウ。ふと、どこかで見たことがある気がした。奇妙な感覚だった。以前、ポーランドのワルシャワやクラクフを旅したことがある。あの時、ワルシャワ旧市街の広場や、果てしなく続く石畳を歩きながら感じた、ある種の茫洋とした感覚が突然蘇ってきた。冬の凍てついた一日であったことも関係しているかもしれない。 むろん本来なら両者を結びつけるものなどない。周囲には多くの人々が行き交っている。特に目につくのは、犬を連れた家族連れの姿だ。楽しげに笑い、ショッピングカートに愛犬を乗せ、消費という名の祝祭空間に身を浸している。平和そのものだ。しかし、なぜだろう。ワルシャワの再建された旧市街が、思い出されてならない。歴史の痛みに対する抵抗と祈りの祭儀的空間。もちろん、こじつけなのはわかっている。改めて思い起こせば、かつて泥深い湿地であり、水害に脅かされた土地であったことを考えないわけにはいかない。 柳が影のたまりをつくっている。どことなく物悲しい。 今は、そうしたすべてを、圧倒的な光量と空調、際限ない商品の列によって覆い隠し、忘れ去るための巨大な装置として上塗りする。足元の泥を忘れ、薄氷の上で踊り続けるのに必要な舞台装置だ。東欧では、ここしばらく、こんな大型ショッピングセンターが各地に乱立している。一様に便利で、快適で、どこか均質だ。地形の記憶をコンクリートで覆い隠し、空調の効いた快適な回廊を作り出す。むろん均質で清潔な人工空間を、アイデンティティの欠如と捉えるのは早計だ。むしろ、過剰な記号に溢れた現代において、真の休息を得る知的な余白なのだろう。地形の記憶を一度フラットにすることで、人々は過去の重圧から解放され、キャンバスの上に新たな家族の物語を描き出す自由を得ているのだろう。浦安という漁村の歴史的記憶の上に構築された夢の国と構造上は同じなのに違いない。注目すべきは、空間の底辺を流れる管理の美学だ。大相模調節池という巨大なインフラが、機能を超えて美しい親水空間として消費されている事実は、人間が自然を征服するのではなく、知性をもって共生をデザインした証に他ならない。水害というリスクを、豊かさという価値のシンボルに変換することこそが、埼玉という土地が持つしなやかな強さを象徴する。夕闇に映る街の明かりは、水の小都に根を下ろそうとする数万の人生の輝きだ。かつての泥を忘れ去るのではなく、それを強固な基礎として支え、その上に新たな地平を築くこと。越谷レイクタウンは、伝統と革新が危うい均衡を保ちながらも、次世代の故郷へと成熟していくプロセスを見せてくれている。 ため池の周回と薄氷の文明 モールの喧騒を逃れるように、再び外に出た。調節池の周囲を歩いてみることにした。水面は昼間の鈍い光を反射する。足元の土を踏みしめるとき、確かに水を含んだ大地の感触が伝わってくる。水は低きに流れる。物理の法則だ。秩父の山地からゆっくりと運ばれてきた水が集まり、やがて太平洋へと運ばれていく。歩きながら思考を巡らせる。犬を連れて散歩する人々の表情は穏やかだ。水面に映る街の明かりは美しい。しかし、ふとコンクリート越しに足元が透けて見える錯覚に陥る。危うさを知っているからこそ、人々の笑顔はかくも明るく、消費の祝祭は、どこか切実な輝きを帯びている。 この消費の祝祭は、どこか切実な輝きを帯びている。 地形を克服するのではない。地形を受け入れ、水と共生する。工学的な勝利と、破綻への潜在的な恐怖。危うい均衡の上に、巨大な消費社会の祝祭空間は成立する。駅へ向かう私の背に、冬の風が冷たく吹きつけた。調節池の記憶から漏れ出る、大地の吐息のようだった。武蔵野線の駅へと戻る足取りは、来た時よりも少しだけ重く、確かなものになっていた。 Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学 教養教育センター教授1972年埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、情報社会学。 関連リンク ・【埼玉学①】行田-太鼓のリズムは今も息づく・【埼玉学②】吉見百穴-異界への入口・【埼玉学③】秩父-巡礼の道・【埼玉学④】『翔んで埼玉-琵琶湖より愛をこめて』を公開当日に見に行くということ・【埼玉学⑤】「食」のアミューズメント・パーク サイボク・【埼玉学⑥】埼玉の奇祭--歌声が聞こえる・【埼玉学⑦】埼玉学者、埼玉県知事に会いに行く・【埼玉学⑧】真夏のクリスマス--下総皖一『野菊』の思い出・【埼玉学⑨】「埼玉学ツアー」が教えてくれたもの-埼玉未来大学で出会った素晴らしき仲間たち・【埼玉学⑩】鉄道博物館と大宮操の桜・【埼玉学⑪】大宮盆栽町--「これでいいのだ埼玉」・【埼玉学⑫】天国への道--埼玉県道153号幸手久喜線