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2026年5月の記事一覧

  • 【知・技の創造】技能競技大会と人材育成

    技能五輪国際大会とは WorldSkills Competition(技能五輪国際大会) という大会をご存知でしょうか? まだ日本での一般的な認知度は決して高いといえないWorldSkills Competitionは、二年に一度開催される、ものづくりアスリートの祭典です。直近の2024リヨン大会(フランス)には、過去最多となる69の国と地域から約1400人もの若手技能者が参加し、およそ25万人もの人々が来場しました。今年(2026)は同大会の開催年にあたり、中国の上海市において、9月22日(火)から27日(日)にかけて第48回大会が開催されます。この1月には、日本代表選手も決定し、57職種に64人の青年技能者(原則22歳以下(一部の職種は25歳以下))が日本を代表して同大会に臨みます。本学、ものつくり大学からも、建設学科四年生の飯田瑠輝さんと石田悠稀さんの二人が、コンクリート躯体工事職種(Concrete Construction Work)の日本代表に選出されました。 技能五輪検定と技能五輪国際大会  技能に関する競技大会として、アジア大会(WorldSkills Asia Competition)やユーロスキルズ(EuroSkills Competitions)といった地域大会がありますが、WorldSkills Competitionは唯一の全世界レベルの技能競技大会です。 日本国内においては、技能五輪全国大会という毎年開催される技能競技大会があります。日本国内の青年技能者(原則二三歳以下)を対象とした、いわゆる「U-23(アンダー23)」の全国大会です。大会に出場するには各都道府県の代表に選ばれる必要があり、多くの職種で、技能検定二級の実技試験を都道府県予選としています。また、この大会を、二年に一度開催されるWorldSkills Competitionの日本代表選考会として位置づけています。一方、U-20の大会として若年者ものづくり競技大会という大会が毎年開催されています。こちらは、企業等に就業していない者、具体的には、職業能力開発施設、工業高等学校等において技能を習得中の若年者が対象です。また、特級、一級及び単一等級技能士を対象とした年齢制限が無い、いわば、日本における技能競技大会の最高峰に位置する技能グランプリという大会もあります。このように、各カテゴリーにおいて、インタラクティブにその分野のキャリアを探究できる競技大会が、実は、行われているのです。 技能競技大会を通した人材育成の可能性  本学は開学以来、実際にものづくりができ技能にも秀でたテクノロジストを輩出することを目指してきました。専門的知識を有し、また、実践する力も備えている、そのような人材は現代において各産業界で求められていると思います。先述した技能競技大会に挑むには、中途半端な準備では到底間に合いません。大会に参加するだけでなく、自分の力の限りを発揮するのに必要な卓越したレベルを達成するためには、長年の努力とトレーニングが必要で、競技大会本番はその集大成です。技能競技大会へのチャレンジとは、その訓練過程にこそ意味があると言えます。 2028愛知大会  2028年は、日本の愛知県で第四九回WorldSkills Competitionが開かれます。世代を問わず、是非、この大会に注目して欲しいと思います。世界各国の才能が発揮される瞬間に多くの観客が興奮する大会です。日本を応援する、また、ものづくり産業を応援する、そのような体験が、未来を発展させる力につながってゆくと思います。 埼玉新聞「知・技の創造」(2026年5月8日号)掲載 Profile 佐々木 昌孝(ささき まさたか) 建設学科教授1973年生れ。早稲田大学大学院理工学研究科(建設工学専攻)博士後期課程。博士(工学)。 2026上海大会家具職種エキスパート。専門は木材加工。

  • 【埼玉学⑮】春日部--1980年代の原風景

    Introduction 埼玉学とは、埼玉県の歴史・文化・産業・地理など、埼玉県に関するあらゆる分野を総合的に研究・探究する学問です。教養教育センターの井坂康志教授が新しい研究テーマとして連載しています。 埼玉学第15回は、『クレヨンしんちゃん』で知られる春日部を訪れます。1980年代から現在までの春日部の変容を辿ります。 水郷と職人の街 日光街道の第四の宿場町、「粕壁宿」として近世より命脈を保ってきた春日部――。この土地を地勢的な観点から俯瞰すれば、関東平野の広大な低地に位置し、古利根川や大落古利根川といった水系が網の目のように交錯する水郷の顔を持つことが直ちにわかる。古くは水上交通の要衝として栄え、度重なる水害のリスクと引き換えに、水と土がもたらす肥沃な恩恵を享受してきた。 春日部駅西口付近。かつての荒っぽい空気を孕んでいたイトーヨーカドー周辺も、解体と再開発により均質化された風景へと変容しつつある。 江戸時代、日光東照宮造営に関わった工匠たちが定住したのに端を発するとされる桐箪笥の製造や、農閑期の副業から発展した麦わら帽子、そして色彩豊かな押絵羽子板。これらの特産品は、地方名産の枠を超え、春日部という土地の底流に堆積した職人気質と、泥臭くも堅実な民衆の営みの歴史を雄弁に物語っている。現在の春日部に立ち、その風景を見渡すとき、そうした重層的な歴史の連なりを看取するのは意外に困難である。 1980年代の原風景--ヤンキー、自転車、たばこの煙 1980年代後半、私が高校生だった頃の春日部を思い起こしてみる。そこは現在とは異なるどころか別の惑星の一画みたいだった。街角には控えめに言って奇抜な制服に身を包んだヤンキーが溢れ、駅前にはポストモダニズム的に自転車が放置、至る所に煙草と排気ガスの混ざったえもいわれぬ匂いが漂っていた。当時の春日部は、私のようなわりと一般的な高校生にとって控えめに言って荒っぽい街だった。とりわけ、かつて西口に存在したイトーヨーカドー(2024年11月をもって長きにわたる歴史に幕を下ろした)の周辺は、一種の無法地帯めいた空気を孕んでいた。すれ違う同世代の視線には刺々しさが宿り、不用意に歩くのがためらわれるような、ヒリヒリとした野性感が街の裏側に張り付いていた。現在、それらを支えた建造物は解体され、当時のざらついた空気感は完全に消滅している。 アンチ・ヒーローと、ささやかな幸せ あのイトーヨーカドーはいずこへ――。実は虚構の世界において永遠の命を付与されることとなった。『クレヨンしんちゃん』に登場する「サトーココノカドー」である。抜群のネーミングセンスだ。日本の郊外都市における高度消費文化の象徴を見事に撃ち抜いている。現在、春日部という地名は、全国的、いや世界的にも「クレヨンしんちゃんの街」として認知されている。 バブル経済崩壊後の「失われた30年」という長期的な停滞の中で、人々が見出した「ささやかな幸せ」のバーチャルな表現にほかならない。野原しんのすけという5歳の幼稚園児は、大人が構築した建前や窮屈な社会システムを、無意識の諧謔によって軽やかに解体する、不条理世界の真のアンチ・ヒーローである。彼が走り回る春日部の風景には、私たちがかつて恐れたヤンキーたちの暴力性とは対極にある、弛緩しつつも温かみのある郊外の日常が真空パックされている。 春日部駅周辺の商店。現在、この街は不条理世界のアンチ・ヒーロー『クレヨンしんちゃん』の街として認知され、バーチャルな幸福感をまとっている。 二重映しになる街--ロビンソン百貨店と匠大塚 アーネスト・ヘミングウェイの遺稿となった未発表短編集のタイトルに、「何を見ても何かを思いだす(I Guess Everything Reminds You of Something)」という一文がある。この簡潔にして残酷な真理は、現在の春日部を歩く私の精神状態を的確に言い表している。新しく整備されたはずの駅前の風景を眺めていても、私の網膜にはかつての雑駁で混沌とした街並みが、二重にも三重にもだぶって映し出されるからだ。当の本人もとめることができない心の働きだ。中でも、鮮烈な色彩を伴って蘇るのは、今はなきロビンソン百貨店の記憶である。1985年11月、東口の広大な敷地に鳴り物入りで設立されたこの華麗なる商業施設は、当時の春日部にとって、いや周辺の埼玉県東部地域全体にとって、いくら誇っても誇り足りないくらいの消費文化の象徴であった。ロビンソン百貨店の誕生は、春日部が匿名的なベッドタウンから、最新の情報と流行を発信する拠点へと変貌を遂げた決定的な瞬間でもあった。私が初めて「ウォークマン」という革命的な製品を手に入れたのも、高校一年の時春日部のラオックスにおいてである。音楽を携帯する未曾有の体験は、それまでの空間的制約からの完全な解放を意味し、春日部のくすんだ風景に新しいレイヤーを重ね合わせる魔法のような体験だった。今の人にはおそらく想像もつかないだろう。 かつて春日部の消費文化を牽引したロビンソン百貨店跡地に建つ現在の匠大塚・春日部本店。 セントラルパーク、蠅男、ミセス・ロビンソン 当時、すぐ近くで店を営んでいた友人の家には、高校生にとって絶好の隠れ家となる離れが存在した。私たちはその薄暗い離れで『ザ・フライ(蠅男)』というグロいビデオを観た後、外気を吸うために連れ立ってロビンソン百貨店へと向かった。目当ては、新設されたばかりの洗練されたCDショップである。まだレコードやカセットテープが主流であり、コンパクトディスクというメディアが黎明期にあった時代、その銀色に輝く円盤は未来の象徴のように見えた。 そこで私は、サイモン&ガーファンクルの『セントラルパーク・コンサート』のCDを購入した。すでに一世代前のアーティストながら、名盤と言ってよい。1981年の秋にニューヨークで開催され、50万人を動員した歴史的ライブの記録である。ちなみにオープニング曲は「ミセス・ロビンソン」である。そのプラスチックのケースに収められた円盤は、数十年の時を経た今でも私の書棚に静かに収まっている。 サイモン&ガーファンクル「セントラルパーク・コンサート」 自室に戻り、ウォークマンのイヤホンを通してその音源を聴いたときの衝撃を、私は忘れることができない。セントラルパークの広大な空間を埋め尽くす群衆のざわめき。アコースティックギターの響きが、地方都市の狭い部屋の壁を突き破り、私の意識を遠く海を越えた異国へと運んでいった。自らの目が、初めて「外の世界」からの招待状を受け取った気がした。世界は広く果てしなく、しかも多様である。私は音楽のなかに絶対的で不可侵の「自由」を見出した。しかし、その根源的な知的・感覚的体験を、あの離れの部屋で共有したはずの友人は、それから間もなくして唐突に高校を中退し、私の視界から姿を消してしまった。彼が自らの足で歩み出した先にどのような人生を見つけたのか、あるいは見つけられなかったのか。私に知るすべもない。年月は容赦なく流れ、街も人も、経済のダイナミズムの中で変容を余儀なくされる。春日部の文化を牽引したロビンソン百貨店は、流通業界の構造変化とともにその輝きを失い、2013年には西武春日部店へと屋号を変えた。地方都市の空洞化という時代の大きなうねりに抗うことはできず、2016年2月をもって完全に撤退し、その波乱に満ちた歴史に幕を下ろした。現在は匠大塚の広大なモデルルームとなっている。 ヤンキーはどこへ行った? 巨大な建造物自体は形を変えて残存しているものの、そこに集った人々の熱気や、新しい文化を無邪気に消費する高揚感はすでに失われている。現在、春日部の駅前は西口も東口も、大規模な再開発によってかつての姿をとどめないほどに変わってしまった。区画は整理され、歩道は広くなり、視界を遮る障害物は排除された。結果としてごみごみとした生活の匂いや特有の猥雑さは、ぞうきんで黒板を拭ったように無化されてしまった。あの頃、駅前を我が物顔で闊歩していたヤンキーたちは、一体どこへ行ったのだろうか。カツアゲの恐怖に怯えながらも、私たちが街に対して抱いていたあのヒリヒリとするような愛憎の念は、この平滑なアスファルトのどこに吸収されてしまったのか。ピート・シーガーが書き、ピーター・ポール&マリーが歌った反戦歌「花はどこへ行った(Where Have All the Flowers Gone?)」の物悲しいリフレインが、唐突に脳裏を掠める。 春日部--。ここは間違いなく、過去の記憶の堆積と現在の都市性が鋭く交錯する場所である。あのざらついた時代を己の身体で生き抜いた不良たちも、ロビンソン百貨店で消費の悦楽に酔いしれた大人たちも、そして音楽に無限の世界を夢見た高校生だった私も、みな等しく時代の波間に消え去った。残された街並みは、まさに「つわものどもが夢の跡」と呼ぶにふさわしい。私はその風景の中に、かつての自分自身と、見失ってしまった友人の幻影を、今もただ静かに、あてどなく探し続けていた。 私も春日部はすきです。 Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学 教養教育センター教授 1972年埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、情報社会学。 関連リンク ・【埼玉学①】行田-太古のリズムは今も息づく・【埼玉学②】吉見百穴-異界への入口・【埼玉学③】秩父-巡礼の道・【埼玉学④】『翔んで埼玉-琵琶湖より愛をこめてを公開当日に見に行くということ・【埼玉学⑤】「食」のアミューズメント・パーク サイボク・【埼玉学⑥】埼玉の奇祭--歌声が聞こえる・【埼玉学⑦】埼玉学者、埼玉県知事に会いに行く・【埼玉学⑧】真夏のクリスマス--下総皖一『野菊』の思い出・【埼玉学⑨】「埼玉学ツアー」が教えてくれたもの-埼玉未来大学で出会った素晴らしき仲間たち・【埼玉学⑩】鉄道博物館と大宮操の桜・【埼玉学⑪】大宮盆栽町--「これでいいのだ埼玉」・【埼玉学⑫】天国への道--埼玉県道153号幸手久喜線・【埼玉学⑬】越谷レイクタウン--ウォーターベッドに沈むもの・【埼玉学⑭】羽生--田舎教師と田園交響楽

  • 【Fゼミ】「非合理の先の合理」――藤原印刷・藤原章次氏が語る、印刷の再定義とプロの覚悟

    2026年4月24日、情報メカトロニクス学科の1年生を対象とした「プロフェッショナル・ゼミ(プロ・ゼミ)」が開催された。本講義の教壇に立ったのは、長野県松本市に本社を置く藤原印刷株式会社( 藤原印刷|つくるよろこびをつくる)の取締役・藤原章次氏。電子書籍の台頭や出版不況の逆風が吹き荒れる印刷業界において、同社がいかにして印刷物の「モノとしての価値」を再定義し、独自の立ち位置を確立したのか――。その軌跡と哲学が、未来のテクノロジストたちに向けて語られた。 創業から続く「革命児」の精神 藤原印刷の歴史は、70年前に藤原氏の祖母がたった一人で起業したところから始まる。当時から「印刷界の革命児」を自称した祖母は、印刷機を購入するのではなく、タイピストの国家資格を取得してデザインや文字打ちを起点とするビジネスモデルを構築。在宅の女性に技術を教えるスクールを運営しながら、自らは営業に奔走し、会社を成長させた。 しかし、藤原氏が入社する2010年以前の同社は、100%が出版社を顧客とする法律書や教科書などのモノクロテキスト印刷を主軸としていた。そのことは出版業界の衰退がそのまま会社の存続危機に直結する事実を意味する。起死回生を狙い導入した小ロット多品種対応や電子書籍の内製化も、価格競争や品質の差に阻まれ、思うような成果を出せずにいた。 「決められたことをこなすのではなく、自分で仕事を見つけて考えること」――。 藤原氏が大学時代のインターンで学んだその教訓が、窮地の藤原印刷に変化をもたらすこととなる。 「建売住宅」から「注文住宅」へ――完全オーダーメイドの挑戦 2012年、藤原氏は「モノとしての価値を再定義する」という新たな戦略を掲げた。ターゲットを出版社以外のお客様――つまり、個人や異業種の企業へと広げたのだ。そこで見えてきたのは、印刷会社に対する膨大な不満だった。 「やりたいことができない」 「選択肢が狭い」 「相談できる相手がいない」。 藤原氏は、これまでの印刷を「建売住宅」にたとえ、同社が目指すべき姿をゼロからデザインする「完全オーダーメイド(注文住宅)」へと舵を切った。 「お客様の気持ちを超える熱量で対応することで、はじめてモノとしての価値が生まれる」。この信念のもと、同社は経験のない難題に次々と挑戦し始めた。色を極限まで追求する専門職人「プリンティングディレクター」を採用し、とにかくやってみることで、他社に真似できない経験値を積み上げていった。 驚きを形にする――使用済みダンボールからドライフラワーまで 講義後半、学生たちの前には藤原印刷が手がけた驚きの「本」たちが並べられた。それは、単なる情報の媒体を超えた「表現体」そのものであった。 ・使用済みダンボールの写真集 著者が自ら拾い集めたダンボールを表紙に貼り付けた一冊。マジックの跡や凹みすらも意匠として取り込んだこの本は、海外の書店からも注文が入るほどの反響を呼んだ。 ・16ページごとに紙が変わる雑誌 「野良仕事」をテーマに、茶、黄、ピンクと束ごとに紙の種類を変えることで、視覚と触覚でテーマを伝える。 ・異素材との融合 台湾のバッグ素材、ドライフラワー、ブランドの服の端切れ、さらには本物のニット素材。本来、紙以外のものを本に貼ることは、糊の透過や厚みの問題で極めて困難だが、藤原印刷は職人の技術と創意工夫でこれらを実現させた。 これらの一風変な仕様は、効率を重視する現代の印刷ビジネスにおいては非合理そのものである。しかし、藤原氏は断言する。 「こうした要望に応え続けてきたプロセスこそが、最大の差別化になった」。 「非合理の先の合理」がもたらすもの 藤原氏が提示した「非合理の先の合理」という言葉は、本講義の核心と言える。 人が本を作る動機にはいろいろなものがあるが、大別して「記録」「儀式」「自己表現」「偏愛」の4つがある。これら個人の強い情熱に対し、手間を惜しまず向き合い続けることは、短期的には非合理に見える。しかし、その困難を乗り越えた先にこそ、「どんな難しいオーダーも苦なくこなせる」という盤石の技術力が培養される。これこそが、他社が容易に追随できない合理的な成果なのだと藤原氏は言う。 現在、藤原印刷の売上の25%は出版社以外の新規顧客が占めている。納品して終わりではなく、売る・届けるまでのサポートを行う「印刷屋の本屋」や、工場をお客様に開放する「工場のお祭り」といった活動を通じ、同社は「こだわりのあるオーダーメイドのレストラン」のような存在へと進化した。 『本が生まれるいちばん側で』 2020年、藤原氏は個人がこだわりを詰め込んで本を作る活動を「クラフトプレス」と命名し、提唱し始めた。この活動は出版界でも大きな注目を集め、2025年には同社そのものを綴った書籍『本が生まれるいちばん側で』(藤原印刷著、ライツ社)が出版されるに至った。本書は『朝日新聞』をはじめとする多くのメディアで書評に取り上げられ、印刷の奥深さを世に知らしめる一冊となっている。 講義の締めくくりに上映された工場見学映像では、1億円を超えるオフセット印刷機を操る職人たちの姿が映し出された。100枚以上の試し刷りを厭わず、色のブレを0.1mm単位で調整し、新入社員が半年間毎日「紙積み」の練習に励む。そのひたむきなクラフトマンシップに学生たちは静かに見入っていた。 【質疑応答と結びに代えて】 質疑応答では、学生から「最も印象に残っている本」について質問が飛んだ。藤原氏は迷わず「使用済みダンボールの写真集」を挙げた。7700円という高価な本が、デザインや機能を超えた「非効率な過程に宿る価値」によって飛ぶように売れていく光景に、モノ作りの真理を見たという。 進行を務めた井坂教授の専門分野はドラッカーの経営学である。ドラッカーとはドイツ語で「印刷人」に由来する名だ。井坂教授は次のようにコメントした。「非合理を突き詰めると共通した世界が広がっている。これは一つの分野を極めた方の人生哲学であり、私の研究するドラッカーのイノベーションに通じる。古いものをどう新しい時代に刷新し、価値を生み出すかのお手本のような事例だ」と。 情報メカトロニクス学科の学生にとって、今回のゼミは印刷技術の紹介ではなかったはずだ。それは、技術が何のためにあるのか、そして「モノ」に価値を宿すために人間が介在する意味とは何なのかを深く問い直す、厳粛にして情熱的な時間となった。 藤原印刷が体現する「非合理の先の合理」。その先にある景色を、若きテクノロジストたちが各々のフィールドで見つけ出すことを期待したい。

  • 【知・技の創造】技能競技大会と人材育成

    技能五輪国際大会とは WorldSkills Competition(技能五輪国際大会) という大会をご存知でしょうか? まだ日本での一般的な認知度は決して高いといえないWorldSkills Competitionは、二年に一度開催される、ものづくりアスリートの祭典です。直近の2024リヨン大会(フランス)には、過去最多となる69の国と地域から約1400人もの若手技能者が参加し、およそ25万人もの人々が来場しました。今年(2026)は同大会の開催年にあたり、中国の上海市において、9月22日(火)から27日(日)にかけて第48回大会が開催されます。この1月には、日本代表選手も決定し、57職種に64人の青年技能者(原則22歳以下(一部の職種は25歳以下))が日本を代表して同大会に臨みます。本学、ものつくり大学からも、建設学科四年生の飯田瑠輝さんと石田悠稀さんの二人が、コンクリート躯体工事職種(Concrete Construction Work)の日本代表に選出されました。 技能五輪検定と技能五輪国際大会  技能に関する競技大会として、アジア大会(WorldSkills Asia Competition)やユーロスキルズ(EuroSkills Competitions)といった地域大会がありますが、WorldSkills Competitionは唯一の全世界レベルの技能競技大会です。 日本国内においては、技能五輪全国大会という毎年開催される技能競技大会があります。日本国内の青年技能者(原則二三歳以下)を対象とした、いわゆる「U-23(アンダー23)」の全国大会です。大会に出場するには各都道府県の代表に選ばれる必要があり、多くの職種で、技能検定二級の実技試験を都道府県予選としています。また、この大会を、二年に一度開催されるWorldSkills Competitionの日本代表選考会として位置づけています。一方、U-20の大会として若年者ものづくり競技大会という大会が毎年開催されています。こちらは、企業等に就業していない者、具体的には、職業能力開発施設、工業高等学校等において技能を習得中の若年者が対象です。また、特級、一級及び単一等級技能士を対象とした年齢制限が無い、いわば、日本における技能競技大会の最高峰に位置する技能グランプリという大会もあります。このように、各カテゴリーにおいて、インタラクティブにその分野のキャリアを探究できる競技大会が、実は、行われているのです。 技能競技大会を通した人材育成の可能性  本学は開学以来、実際にものづくりができ技能にも秀でたテクノロジストを輩出することを目指してきました。専門的知識を有し、また、実践する力も備えている、そのような人材は現代において各産業界で求められていると思います。先述した技能競技大会に挑むには、中途半端な準備では到底間に合いません。大会に参加するだけでなく、自分の力の限りを発揮するのに必要な卓越したレベルを達成するためには、長年の努力とトレーニングが必要で、競技大会本番はその集大成です。技能競技大会へのチャレンジとは、その訓練過程にこそ意味があると言えます。 2028愛知大会  2028年は、日本の愛知県で第四九回WorldSkills Competitionが開かれます。世代を問わず、是非、この大会に注目して欲しいと思います。世界各国の才能が発揮される瞬間に多くの観客が興奮する大会です。日本を応援する、また、ものづくり産業を応援する、そのような体験が、未来を発展させる力につながってゆくと思います。 埼玉新聞「知・技の創造」(2026年5月8日号)掲載 Profile 佐々木 昌孝(ささき まさたか) 建設学科教授1973年生れ。早稲田大学大学院理工学研究科(建設工学専攻)博士後期課程。博士(工学)。 2026上海大会家具職種エキスパート。専門は木材加工。

  • 【埼玉学⑮】春日部--1980年代の原風景

    Introduction 埼玉学とは、埼玉県の歴史・文化・産業・地理など、埼玉県に関するあらゆる分野を総合的に研究・探究する学問です。教養教育センターの井坂康志教授が新しい研究テーマとして連載しています。 埼玉学第15回は、『クレヨンしんちゃん』で知られる春日部を訪れます。1980年代から現在までの春日部の変容を辿ります。 水郷と職人の街 日光街道の第四の宿場町、「粕壁宿」として近世より命脈を保ってきた春日部――。この土地を地勢的な観点から俯瞰すれば、関東平野の広大な低地に位置し、古利根川や大落古利根川といった水系が網の目のように交錯する水郷の顔を持つことが直ちにわかる。古くは水上交通の要衝として栄え、度重なる水害のリスクと引き換えに、水と土がもたらす肥沃な恩恵を享受してきた。 春日部駅西口付近。かつての荒っぽい空気を孕んでいたイトーヨーカドー周辺も、解体と再開発により均質化された風景へと変容しつつある。 江戸時代、日光東照宮造営に関わった工匠たちが定住したのに端を発するとされる桐箪笥の製造や、農閑期の副業から発展した麦わら帽子、そして色彩豊かな押絵羽子板。これらの特産品は、地方名産の枠を超え、春日部という土地の底流に堆積した職人気質と、泥臭くも堅実な民衆の営みの歴史を雄弁に物語っている。現在の春日部に立ち、その風景を見渡すとき、そうした重層的な歴史の連なりを看取するのは意外に困難である。 1980年代の原風景--ヤンキー、自転車、たばこの煙 1980年代後半、私が高校生だった頃の春日部を思い起こしてみる。そこは現在とは異なるどころか別の惑星の一画みたいだった。街角には控えめに言って奇抜な制服に身を包んだヤンキーが溢れ、駅前にはポストモダニズム的に自転車が放置、至る所に煙草と排気ガスの混ざったえもいわれぬ匂いが漂っていた。当時の春日部は、私のようなわりと一般的な高校生にとって控えめに言って荒っぽい街だった。とりわけ、かつて西口に存在したイトーヨーカドー(2024年11月をもって長きにわたる歴史に幕を下ろした)の周辺は、一種の無法地帯めいた空気を孕んでいた。すれ違う同世代の視線には刺々しさが宿り、不用意に歩くのがためらわれるような、ヒリヒリとした野性感が街の裏側に張り付いていた。現在、それらを支えた建造物は解体され、当時のざらついた空気感は完全に消滅している。 アンチ・ヒーローと、ささやかな幸せ あのイトーヨーカドーはいずこへ――。実は虚構の世界において永遠の命を付与されることとなった。『クレヨンしんちゃん』に登場する「サトーココノカドー」である。抜群のネーミングセンスだ。日本の郊外都市における高度消費文化の象徴を見事に撃ち抜いている。現在、春日部という地名は、全国的、いや世界的にも「クレヨンしんちゃんの街」として認知されている。 バブル経済崩壊後の「失われた30年」という長期的な停滞の中で、人々が見出した「ささやかな幸せ」のバーチャルな表現にほかならない。野原しんのすけという5歳の幼稚園児は、大人が構築した建前や窮屈な社会システムを、無意識の諧謔によって軽やかに解体する、不条理世界の真のアンチ・ヒーローである。彼が走り回る春日部の風景には、私たちがかつて恐れたヤンキーたちの暴力性とは対極にある、弛緩しつつも温かみのある郊外の日常が真空パックされている。 春日部駅周辺の商店。現在、この街は不条理世界のアンチ・ヒーロー『クレヨンしんちゃん』の街として認知され、バーチャルな幸福感をまとっている。 二重映しになる街--ロビンソン百貨店と匠大塚 アーネスト・ヘミングウェイの遺稿となった未発表短編集のタイトルに、「何を見ても何かを思いだす(I Guess Everything Reminds You of Something)」という一文がある。この簡潔にして残酷な真理は、現在の春日部を歩く私の精神状態を的確に言い表している。新しく整備されたはずの駅前の風景を眺めていても、私の網膜にはかつての雑駁で混沌とした街並みが、二重にも三重にもだぶって映し出されるからだ。当の本人もとめることができない心の働きだ。中でも、鮮烈な色彩を伴って蘇るのは、今はなきロビンソン百貨店の記憶である。1985年11月、東口の広大な敷地に鳴り物入りで設立されたこの華麗なる商業施設は、当時の春日部にとって、いや周辺の埼玉県東部地域全体にとって、いくら誇っても誇り足りないくらいの消費文化の象徴であった。ロビンソン百貨店の誕生は、春日部が匿名的なベッドタウンから、最新の情報と流行を発信する拠点へと変貌を遂げた決定的な瞬間でもあった。私が初めて「ウォークマン」という革命的な製品を手に入れたのも、高校一年の時春日部のラオックスにおいてである。音楽を携帯する未曾有の体験は、それまでの空間的制約からの完全な解放を意味し、春日部のくすんだ風景に新しいレイヤーを重ね合わせる魔法のような体験だった。今の人にはおそらく想像もつかないだろう。 かつて春日部の消費文化を牽引したロビンソン百貨店跡地に建つ現在の匠大塚・春日部本店。 セントラルパーク、蠅男、ミセス・ロビンソン 当時、すぐ近くで店を営んでいた友人の家には、高校生にとって絶好の隠れ家となる離れが存在した。私たちはその薄暗い離れで『ザ・フライ(蠅男)』というグロいビデオを観た後、外気を吸うために連れ立ってロビンソン百貨店へと向かった。目当ては、新設されたばかりの洗練されたCDショップである。まだレコードやカセットテープが主流であり、コンパクトディスクというメディアが黎明期にあった時代、その銀色に輝く円盤は未来の象徴のように見えた。 そこで私は、サイモン&ガーファンクルの『セントラルパーク・コンサート』のCDを購入した。すでに一世代前のアーティストながら、名盤と言ってよい。1981年の秋にニューヨークで開催され、50万人を動員した歴史的ライブの記録である。ちなみにオープニング曲は「ミセス・ロビンソン」である。そのプラスチックのケースに収められた円盤は、数十年の時を経た今でも私の書棚に静かに収まっている。 サイモン&ガーファンクル「セントラルパーク・コンサート」 自室に戻り、ウォークマンのイヤホンを通してその音源を聴いたときの衝撃を、私は忘れることができない。セントラルパークの広大な空間を埋め尽くす群衆のざわめき。アコースティックギターの響きが、地方都市の狭い部屋の壁を突き破り、私の意識を遠く海を越えた異国へと運んでいった。自らの目が、初めて「外の世界」からの招待状を受け取った気がした。世界は広く果てしなく、しかも多様である。私は音楽のなかに絶対的で不可侵の「自由」を見出した。しかし、その根源的な知的・感覚的体験を、あの離れの部屋で共有したはずの友人は、それから間もなくして唐突に高校を中退し、私の視界から姿を消してしまった。彼が自らの足で歩み出した先にどのような人生を見つけたのか、あるいは見つけられなかったのか。私に知るすべもない。年月は容赦なく流れ、街も人も、経済のダイナミズムの中で変容を余儀なくされる。春日部の文化を牽引したロビンソン百貨店は、流通業界の構造変化とともにその輝きを失い、2013年には西武春日部店へと屋号を変えた。地方都市の空洞化という時代の大きなうねりに抗うことはできず、2016年2月をもって完全に撤退し、その波乱に満ちた歴史に幕を下ろした。現在は匠大塚の広大なモデルルームとなっている。 ヤンキーはどこへ行った? 巨大な建造物自体は形を変えて残存しているものの、そこに集った人々の熱気や、新しい文化を無邪気に消費する高揚感はすでに失われている。現在、春日部の駅前は西口も東口も、大規模な再開発によってかつての姿をとどめないほどに変わってしまった。区画は整理され、歩道は広くなり、視界を遮る障害物は排除された。結果としてごみごみとした生活の匂いや特有の猥雑さは、ぞうきんで黒板を拭ったように無化されてしまった。あの頃、駅前を我が物顔で闊歩していたヤンキーたちは、一体どこへ行ったのだろうか。カツアゲの恐怖に怯えながらも、私たちが街に対して抱いていたあのヒリヒリとするような愛憎の念は、この平滑なアスファルトのどこに吸収されてしまったのか。ピート・シーガーが書き、ピーター・ポール&マリーが歌った反戦歌「花はどこへ行った(Where Have All the Flowers Gone?)」の物悲しいリフレインが、唐突に脳裏を掠める。 春日部--。ここは間違いなく、過去の記憶の堆積と現在の都市性が鋭く交錯する場所である。あのざらついた時代を己の身体で生き抜いた不良たちも、ロビンソン百貨店で消費の悦楽に酔いしれた大人たちも、そして音楽に無限の世界を夢見た高校生だった私も、みな等しく時代の波間に消え去った。残された街並みは、まさに「つわものどもが夢の跡」と呼ぶにふさわしい。私はその風景の中に、かつての自分自身と、見失ってしまった友人の幻影を、今もただ静かに、あてどなく探し続けていた。 私も春日部はすきです。 Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学 教養教育センター教授 1972年埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、情報社会学。 関連リンク ・【埼玉学①】行田-太古のリズムは今も息づく・【埼玉学②】吉見百穴-異界への入口・【埼玉学③】秩父-巡礼の道・【埼玉学④】『翔んで埼玉-琵琶湖より愛をこめてを公開当日に見に行くということ・【埼玉学⑤】「食」のアミューズメント・パーク サイボク・【埼玉学⑥】埼玉の奇祭--歌声が聞こえる・【埼玉学⑦】埼玉学者、埼玉県知事に会いに行く・【埼玉学⑧】真夏のクリスマス--下総皖一『野菊』の思い出・【埼玉学⑨】「埼玉学ツアー」が教えてくれたもの-埼玉未来大学で出会った素晴らしき仲間たち・【埼玉学⑩】鉄道博物館と大宮操の桜・【埼玉学⑪】大宮盆栽町--「これでいいのだ埼玉」・【埼玉学⑫】天国への道--埼玉県道153号幸手久喜線・【埼玉学⑬】越谷レイクタウン--ウォーターベッドに沈むもの・【埼玉学⑭】羽生--田舎教師と田園交響楽

  • 【Fゼミ】「非合理の先の合理」――藤原印刷・藤原章次氏が語る、印刷の再定義とプロの覚悟

    2026年4月24日、情報メカトロニクス学科の1年生を対象とした「プロフェッショナル・ゼミ(プロ・ゼミ)」が開催された。本講義の教壇に立ったのは、長野県松本市に本社を置く藤原印刷株式会社( 藤原印刷|つくるよろこびをつくる)の取締役・藤原章次氏。電子書籍の台頭や出版不況の逆風が吹き荒れる印刷業界において、同社がいかにして印刷物の「モノとしての価値」を再定義し、独自の立ち位置を確立したのか――。その軌跡と哲学が、未来のテクノロジストたちに向けて語られた。 創業から続く「革命児」の精神 藤原印刷の歴史は、70年前に藤原氏の祖母がたった一人で起業したところから始まる。当時から「印刷界の革命児」を自称した祖母は、印刷機を購入するのではなく、タイピストの国家資格を取得してデザインや文字打ちを起点とするビジネスモデルを構築。在宅の女性に技術を教えるスクールを運営しながら、自らは営業に奔走し、会社を成長させた。 しかし、藤原氏が入社する2010年以前の同社は、100%が出版社を顧客とする法律書や教科書などのモノクロテキスト印刷を主軸としていた。そのことは出版業界の衰退がそのまま会社の存続危機に直結する事実を意味する。起死回生を狙い導入した小ロット多品種対応や電子書籍の内製化も、価格競争や品質の差に阻まれ、思うような成果を出せずにいた。 「決められたことをこなすのではなく、自分で仕事を見つけて考えること」――。 藤原氏が大学時代のインターンで学んだその教訓が、窮地の藤原印刷に変化をもたらすこととなる。 「建売住宅」から「注文住宅」へ――完全オーダーメイドの挑戦 2012年、藤原氏は「モノとしての価値を再定義する」という新たな戦略を掲げた。ターゲットを出版社以外のお客様――つまり、個人や異業種の企業へと広げたのだ。そこで見えてきたのは、印刷会社に対する膨大な不満だった。 「やりたいことができない」 「選択肢が狭い」 「相談できる相手がいない」。 藤原氏は、これまでの印刷を「建売住宅」にたとえ、同社が目指すべき姿をゼロからデザインする「完全オーダーメイド(注文住宅)」へと舵を切った。 「お客様の気持ちを超える熱量で対応することで、はじめてモノとしての価値が生まれる」。この信念のもと、同社は経験のない難題に次々と挑戦し始めた。色を極限まで追求する専門職人「プリンティングディレクター」を採用し、とにかくやってみることで、他社に真似できない経験値を積み上げていった。 驚きを形にする――使用済みダンボールからドライフラワーまで 講義後半、学生たちの前には藤原印刷が手がけた驚きの「本」たちが並べられた。それは、単なる情報の媒体を超えた「表現体」そのものであった。 ・使用済みダンボールの写真集 著者が自ら拾い集めたダンボールを表紙に貼り付けた一冊。マジックの跡や凹みすらも意匠として取り込んだこの本は、海外の書店からも注文が入るほどの反響を呼んだ。 ・16ページごとに紙が変わる雑誌 「野良仕事」をテーマに、茶、黄、ピンクと束ごとに紙の種類を変えることで、視覚と触覚でテーマを伝える。 ・異素材との融合 台湾のバッグ素材、ドライフラワー、ブランドの服の端切れ、さらには本物のニット素材。本来、紙以外のものを本に貼ることは、糊の透過や厚みの問題で極めて困難だが、藤原印刷は職人の技術と創意工夫でこれらを実現させた。 これらの一風変な仕様は、効率を重視する現代の印刷ビジネスにおいては非合理そのものである。しかし、藤原氏は断言する。 「こうした要望に応え続けてきたプロセスこそが、最大の差別化になった」。 「非合理の先の合理」がもたらすもの 藤原氏が提示した「非合理の先の合理」という言葉は、本講義の核心と言える。 人が本を作る動機にはいろいろなものがあるが、大別して「記録」「儀式」「自己表現」「偏愛」の4つがある。これら個人の強い情熱に対し、手間を惜しまず向き合い続けることは、短期的には非合理に見える。しかし、その困難を乗り越えた先にこそ、「どんな難しいオーダーも苦なくこなせる」という盤石の技術力が培養される。これこそが、他社が容易に追随できない合理的な成果なのだと藤原氏は言う。 現在、藤原印刷の売上の25%は出版社以外の新規顧客が占めている。納品して終わりではなく、売る・届けるまでのサポートを行う「印刷屋の本屋」や、工場をお客様に開放する「工場のお祭り」といった活動を通じ、同社は「こだわりのあるオーダーメイドのレストラン」のような存在へと進化した。 『本が生まれるいちばん側で』 2020年、藤原氏は個人がこだわりを詰め込んで本を作る活動を「クラフトプレス」と命名し、提唱し始めた。この活動は出版界でも大きな注目を集め、2025年には同社そのものを綴った書籍『本が生まれるいちばん側で』(藤原印刷著、ライツ社)が出版されるに至った。本書は『朝日新聞』をはじめとする多くのメディアで書評に取り上げられ、印刷の奥深さを世に知らしめる一冊となっている。 講義の締めくくりに上映された工場見学映像では、1億円を超えるオフセット印刷機を操る職人たちの姿が映し出された。100枚以上の試し刷りを厭わず、色のブレを0.1mm単位で調整し、新入社員が半年間毎日「紙積み」の練習に励む。そのひたむきなクラフトマンシップに学生たちは静かに見入っていた。 【質疑応答と結びに代えて】 質疑応答では、学生から「最も印象に残っている本」について質問が飛んだ。藤原氏は迷わず「使用済みダンボールの写真集」を挙げた。7700円という高価な本が、デザインや機能を超えた「非効率な過程に宿る価値」によって飛ぶように売れていく光景に、モノ作りの真理を見たという。 進行を務めた井坂教授の専門分野はドラッカーの経営学である。ドラッカーとはドイツ語で「印刷人」に由来する名だ。井坂教授は次のようにコメントした。「非合理を突き詰めると共通した世界が広がっている。これは一つの分野を極めた方の人生哲学であり、私の研究するドラッカーのイノベーションに通じる。古いものをどう新しい時代に刷新し、価値を生み出すかのお手本のような事例だ」と。 情報メカトロニクス学科の学生にとって、今回のゼミは印刷技術の紹介ではなかったはずだ。それは、技術が何のためにあるのか、そして「モノ」に価値を宿すために人間が介在する意味とは何なのかを深く問い直す、厳粛にして情熱的な時間となった。 藤原印刷が体現する「非合理の先の合理」。その先にある景色を、若きテクノロジストたちが各々のフィールドで見つけ出すことを期待したい。