Introduction 水産高校出身ながら、陸海空の乗り物や家電のモノづくりに挑戦してきた横屋虹汰(こうた)さん(情報メカトロニクス学科4年)。現在はオープンキャンパスの学生スタッフとしても活動中。今回は、オープンキャンパスの参加を考えている高校生に向けて、横屋さんの人生を変えた当時の感動と、大学が誇る「圧倒的な自由」の魅力をインタビューしました。「まだ将来の目標が決まっていない」と不安を抱えている高校生にこそ届いてほしいです。 船舶から家電への興味、心が動いたオープンキャンパスの学生スタッフの言葉 山形県立加茂水産高等学校という特殊な高校の出身です。実家が海に近く、家族や親戚が漁師で、「船かっこいいな」とずっと思っていて。小学校時代、自衛隊の護衛艦に触れ「すごい世界だな」と船舶を学びたくて進学しました。在学中、約2ヶ月間乗船実習を経験する中で「過酷な状況下でも動く家電はすごい」と体感し、自ら家電を作りたいと思うようになりました。船舶や家電を学ぶ上で、工学の道をより深掘りしたいと考え、ものつくり大学に興味をもちました。 高校3年生の7月にオープンキャンパスに参加し、「学生が活発で自由度が高く、1番やりたいことができる大学だ」と実感しました。何より心が動いたのは、案内してくれた学生スタッフが「宇宙開発研究プロジェクト」についてとても楽しそうに語っていたことです。「こんなに面白く、楽しい大学生活を送れるんだ」と心が高鳴りました。 他大学と異なり、数十分の説明後はすぐに学生スタッフ主導で設備を見たり、体験授業に参加したりするスケジュールで。「実践的な学びを強みにしている大学だな」と実感しました。家電の設計に興味があったため、「どんな設計ソフトを使い、何を設計するのか」などの質問をし、丁寧に答えてもらえました。 偶然の扉から始まった「宇宙開発研究プロジェクト」への挑戦 寮生活が始まり、入学式前に隣の部屋の新入生と大学見学に。偶然開いていた扉を覗くとオープンキャンパスでお世話になった先輩方が和気あいあいと楽しんでいるのが見えて。「ここがあの宇宙開発研究プロジェクトだ」と、このプロジェクトに飛び込みました。ロケットについて知れることもプロジェクト参加の大きな理由です。1年生の時は隣の「学生フォーミュラ」プロジェクトに所属して自動車についても学び、船舶の知識に加え、陸海空の乗り物の技術を学生生活で手に入れることができました。 「宇宙開発研究プロジェクト」は、「やってみよう」と言い合え、技術も先輩が教えてくれる楽しく自由な環境でした。1年生の頃、ロケットのペイロード設計を先輩と行う中で簡略化できる部分に気づき、実験で強度不足を感じ、新素材や動力源の変更を提案しました。「それをやってみよう」と言ってもらえ実際に上手くいったことが、モノづくりで一番嬉しく自慢できる経験です。コンテストでは2つ賞も受賞でき、大きな自信に繋がりました。 「豊かに楽に楽しく」を体現するモノ・人づくり 3年生になり、モノづくりだけでなく「プロジェクト全体をどう動かすか」という「チームづくり」の難しさと面白さに気づきました。仲間がおっくうに感じる手順を簡略化して「楽にしよう」と心がけています。モノづくりに加え、仕組みを動かす人づくりに興味を持てたことは新鮮な驚きです。 僕は人の生活を豊かにするモノが大好きで、「豊かに楽に楽しく」を体現しているのがロケットに車や船、家電などのモノたちだと思っています。これを形にしようと思えたのは大学入学後です。今後は誰でも簡単に安全にプラスチックの研磨加工ができる研究をしたいです。将来は興味のある家電業界で、設計をやっていきたいと思っています。 自分がもらった感動を高校生に届ける。オープンキャンパスをリアルに感じて 自分自身がオープンキャンパスの楽しさで入学を決めたため、「そういう人を増やしたい」「学生が大学に貢献できる珍しい機会だ」という思いから、1年生から学生スタッフをしています。この大学はただ学ぶだけでなく、モノづくりや人を動かす体験ができるチャンスがあり、スタッフ活動もその一つです。 オープンキャンパスで高校生にリアルに感じてほしいのは「設備」「生の声」「体験授業」の3つです。1番の推しは学生スタッフが案内するキャンパスツアーです。大きな加工機などの設備を興味津々に見て、実際に触って「おお!」「すごい!」と目を輝かせ歓声をあげてくれる高校生の姿を目にすることが多いです。 「在学生フリートーク」では、高校生が「ここでやっていけるか」「やりたいことができるか」という不安を解消できるよう、自身の経験を踏まえて大学生の生の声で答えています。「体験授業」は大学教授の授業を直に味わえる貴重な機会で、そこも楽しんでもらいたいです。 オープンキャンパスでは「圧倒的な自由を実現する環境や、目標がなくてもサポートする仕組みがあること」を伝えるため、学生スタッフも学校説明のプレゼンを行います。 2人で登壇し、授業や40日間のインターンシップ、学生プロジェクトなどについて実体験を交えて約10分間説明します。5月のプレゼンの際には、高校生や保護者の方から嬉しい反響をいただきました。プレゼン内容は、高校生の反応を見て「ここをこう直せばもっとリアルに伝わるだろう」と振り返り、情報の更新も含めて、毎回作り直しています。 モノづくりのすべてを学べる大学の価値と、高校生に向けてのメッセージ 実践を経験できるのが一番の大学の強みです。理論だけでなく行動する力と、その先まで考える力をこの大学なら身につけられます。個人的にメリットを体感したのが4クォーター制です。授業の切り替えが早いため、より多くの知識を取り入れられます。授業の多くは単にモノをつくるだけでなく、作り方から売るために必要な環境まで教えてくれるので、言葉通りモノづくりのすべてを学べます。 モノづくりのすべてを学べる環境を象徴するのが、学内にある最先端の設備です。大学には、複雑な形状を効率よく高精度に加工できる「5軸加工機」があります。業界的にも新しく、多くの企業が求めているため今後さらに普及していくはずです。5軸加工機を使いこなすには、切削加工の知識だけでなく、3D CAD/CAMやNCプログラムなどのITスキルも必要です。加工とITの両方を理解した人材はまだ多くありません。しかし、ものつくり大学では実際の加工技術とデジタル技術の両方を学べるため、これからのモノづくりに対応できる人材が育ちやすい環境があると思います。設備があっても使えなければ意味がありませんが、この大学なら最新の機械に実際に触れ、操作や管理まで学べる点が非常に魅力的だと思います。 大学選びは入学後に何をするかが一番大事だと思います。この大学なら広く深く自由に好きなことができるため、入学前に明確な目標がなくても新しい目標が見つかる可能性が高いです。在学生は普通科や工業高校の出身者が多い中、私はそのどちらでもない水産高校出身です。入学時は専門知識がありませんでしたが、やりたいことに何でも挑戦させてもらい、授業にも問題なくついていけました。先輩や先生、同級生がサポートしてくれるので、専門的な難しさへの心配はまったくいりません。私が色々なものに挑戦できるのは、「好きなことに挑戦できる圧倒的な自由」が大学にあるからです。高校生にはオープンキャンパスでこの自由な空気を肌で感じてほしいです。
統計と分析 先日の新聞にサッカー日本代表の森保監督の話しがありました。試合に臨むにあたり、 自チーム選手のコンディション、相手チームの状態、ピッチのコンディション、天候、審判のジャッジ等々、勝敗を決する要素が数多くある中で最善を尽くすのみという記事でした。 大学の学生募集も似ています。学生募集への影響因子としては、若者人口・オープンキャンパスの内容・大学広報活動・留学生動向・他大学の状況・世の中の経済動向など多岐に亘り、それらが時間と共に揺れ動くなかでの勝負です。 AIとアンケート ものつくり大学は実習・実務教育を”売り”にしている大学です。高校生に教育の現場を見てもらいたいとオープンキャンパスに力を入れています。現在、弊研究室では学生募集活発化の糸口を見つけるべく、オープンキャンパス来場者の自由記述テキストアンケートを統計的に調べています。 分析にAIツールが使われています。自然言語処理(NLP)中の特異値分解アルゴリズムを使ってテキストを数値データに変換、そのデータを統計分析にかけています。ここでNLPがAI技術の一分野です。文章をAI分析にかけて感想を数値化して、年・月・季節・志望学科・回答者属性・催し物内容などの観点から翌年の新入生数との相関を調べています。アンケート分析では辞書に基づいて文章内の感情語を特定し、肯定的・否定的・全体的なスコア(スコア高い→肯定的感情大)を付けることができます。来場者アンケートが有す総体的感情の度数分布を見ることができるわけです。図は10年間の約9500データの分析結果の一例です。従来はアンケート分析に個人や特定のグループの主観的な判断が介在していましたが、AIを用いて客観的・定量的な分析とすることができます。感情分析は英文に限られますが、英文化の翻訳ソフトにもAI技術が使用されています。 AIに関しては、生成AIの大学での使われ方が課題です。学生の思考力や創造力成長の機会を奪うのでは?という一方、この便利なツールを使わない手はない、卒業後の社会人としての一種の作法ではないかとの意見です。この分野の動きが速すぎるのも対応を難しくしています。ユーザとしてAI技術の推移を見守っていきたいです。 話しを学生募集に戻しますと、『AI:知能、ハードウェア:AIと物理空間を繋げる”身体”』という構図の中で、ハードウェアすなわち「モノづくり」への注目が益々高まり、AIを使いこなしながらモノづくりで自己表現したい多くの高校生がものつくり大学を希望してくれることを期待しています。 Profile 佐久田 茂(さくた しげる) 情報メカトロニクス学科教授。1961年生まれ。東京大学大学院精密機械工学専攻修士課程修了。工学博士、技術士(機械部門)。株式会社東芝生産技術センターを経て、2013年より現職。専門は精密機械システム。
Introduction 埼玉学とは、埼玉県の歴史・文化・産業・地理など、埼玉県に関するあらゆる分野を総合的に研究・探究する学問です。教養教育センターの井坂康志教授が新しい研究テーマとして連載しています。 埼玉学第16回は、桜の季節に幸手市の権現堂堤を訪れた井坂教授が、幸手劇場の思い出から高校生の時に聴いたポール・サイモンへと思案を深めていきます。 境界のモザイクと「沼」の正体 埼玉県の北東端に位置する幸手という街の歴史は、一般の認識をはるかに超えて古い。 鎌倉時代から室町時代にかけてすでに記録にその名が散見され、江戸時代には日光街道および奥州街道の第六の宿場町として、関東平野における交通と物流の重要な結節点であった。 この土地の地勢的特異性は、そのとんでもなく入り組んだ境界線にある。市内を東へ向かい、河川を越えれば茨城県五霞町、さらに南東へ目を向ければ旧関宿町(現在の千葉県野田市)へと接続する。埼玉、茨城、千葉という三つの県が、過去の大河の流路の痕跡を縫うようにして、複雑なモザイク状の境界を形成している。 幸手の地勢を決定づけているのが、中川の起点として位置づけられる権現堂川である。現在のその姿を観察すれば、流動性を失った「長い沼」と形容して差し支えない。しかし、この権現堂川は江戸時代の「利根川東遷事業」以前には、関東平野を蹂躙する利根川の本流そのものであった。昭和初期(1928年)の治水工事によって上流部が完全に堰き止められ、かつての大河は行き場を失い、行幸湖(みゆきこ)という名の調節池へと姿を変えた。 幸手市の権現堂桜堤。かつて利根川の本流であった権現堂川の痕跡に沿って、約1000本のソメイヨシノが並ぶ。 人為の絶景――菜の花と、桜の津波 この恐るべき水害の歴史と対峙するために天正年間(1570年代)に築かれた権現堂堤は、幾世代にもわたる人為と執念の結晶である。大正期に植樹された桜は太平洋戦争末期に伐採されたが、戦後の1949年、荒廃した風景を復興させるべく再び苗木が植えられた。後年、斜面には菜の花が植栽され、現在の景観が完成した。 春の権現堂堤を歩くとき、視界を覆い尽くす1000本のソメイヨシノは、風に煽られ、圧倒的な荒々しさを内包している。内陸の埼玉に海はない。しかし、頭上から押し寄せるその質量は、間違いなく桜の津波と形容すべきものである。 権現堂の春の絶景。淡い桃色の「桜の津波」と、力動的な黄色の菜の花が激しく衝突し、人為の絶景を構成している。 足元から眼下へ向けて斜面を埋め尽くす菜の花の黄色。パステルカラーという生ぬるい言葉では表現しきれないその原色の力は、春の陽光を反射し、網膜を焼くように痛い。淡い桃色と力動的な黄色という決して調和することのない二つの色彩が激しく衝突する。ふと空を見上げると、テレビ番組の撮影であろうドローンが、巨大な熊蜂みたいに、規則的な駆動音を響かせて空中にホバリングしている。 1989年、東武ストアの邂逅 話は変わる。いつものことだが。 私は幼少期、幸手で死にかけた。遠い昔、重い肺炎にかかって、幸手病院の集中治療室で死線をさまよったのだと母親から聞かされた記憶がある。もちろんその頃のことを記憶しているわけではなく、私が自覚的にこの土地の引力を感じた契機は、少し後小学生の頃に遡る。 幸手には、私の居住するエリアにはめずらしく映画館があった。幸手劇場がその名前である。近隣に居住した小学生や中学生で幸手劇場に赴いたことのない人は相当に稀であろう。この幸手劇場こそが、映画という日本の中心で制作されたコンテンツに直接触れられるハブの役割を果たしていた。1981年の夏には、『Dr.スランプ アラレちゃん ハロー! 不思議島』とディズニーの『101匹わんちゃん』が、異なる配給の垣根を越えて網膜に焼き付いた。 そして1986年、その熱狂は絶頂を迎える。『BE-BOP-HIGHSCHOOL 高校与太郎哀歌(エレジー)』と、同時上映の『BE FREE!』。さらに、当時の「とんねるず」現象の象徴であり、森田芳光がメガホンを取った東宝作品『そろばんずく』までもが、同じ幸手劇場という空間で上映されていた。 東映と東宝、メジャー各社の資本の論理さえも、幸手という地方都市の引力の前では無効化され、一つの濃密なトレンドの砲弾として襲い掛かってきたのである。 「幸手劇場こゝにありき」。現在路傍に佇むドラえもん。昔子供だった人たちの心に眠る夢の慰霊碑。 2005年にその役割を終えた幸手劇場の跡地には、現在、ドラえもんの石像とともに「幸手劇場ここにありき」という碑文が、かつての栄華を厳粛に刻んでいる。 さらなる衝撃は1989年、高校二年の時に訪れた。当時存在した幸手駅前の東武ストアのCDショップで、私は初めてポール・サイモンのCDを購入した。 ソロ初期の傑作群、『ポール・サイモン』(1972年)、『ひとりごと(原題:There Goes Rhymin’ Simon)』(1973年)、そして『ライブ・ライミン(原題:Live Rhymin’)』(1974年)であった。サイモン&ガーファンクル(S&G)の解散後、単独アーティストとして彼が提示した音楽は、当時の私にとってひどく背伸びをした、しかし恐るべき精度を持つ知的構造物であった。 遠い過去と現在の風景が二重写しになる。思わず目をつむる。 第一作『ポール・サイモン』では、S&G時代のフォーク・ロックの残滓を断ち切るように、レゲエやラテン音楽のリズムが鋭く導入されていた。続く『ひとりごと』において、彼はアメリカ南部のゴスペルやR&Bの泥臭いエネルギーを、極めて洗練されたポップスの文脈へと知的に翻訳してみせた。『ライブ・ライミン』では、南米のフォルクローレ・グループ(ウルバンバ)や黒人ゴスペル・グループ(ジェシー・ディクソン・シンガーズ)を従え、ジャンルの壁などいともたやすく越境する生々しいグルーヴを見せつけた。このアルバムにはあるハプニングが収められている。後半、名曲『アメリカ』に移ろうとギターのチューニングをしているサイモンに、観客の一人が呼びかける。“Say a few words!”(なんか言ってくれよ)チューニングをしている時は、えてして目の前の現実を置き去りにしてしまうものだ。そんな一瞬をついたほほえましい場面である。興味深いのはその先である。声はサイモンの耳に届き、はっと我に返ったようにこういう。Say a few words? Let’s hope that…let’s hope that we continue to live…(何か言わなきゃね。そう、僕たちは、うん、生き続けるんだって、こう思いたいね)水を打ったような沈黙の後、割れるような拍手が会場を覆い尽くす。アルペジオで『アメリカ』のイントロに入っていく。このライブが録音された1973年当時は、ベトナム戦争の終結直後やウォーターゲート事件など、アメリカ社会が不安定で閉塞感に包まれていた時期だった。そうした時代背景を思い返すと、彼のこの「生き続けよう」というばかばかしいくらいシンプルで切実な祈りのような言葉が、当時の人々にどれほど重く、かつ温かく響いたかが察せられる。そこにあったのは、S&G時代の完璧に計算された二声のハーモニーとは異質の、剥き出しの人間だった。人は、集団や調和から離脱し、完全に単独の存在となったとき、これほどまでに違う世界を構築できるのか。この事実は、当時の私にとってひとつの救いとなった。そして、その認識は数十年を経た現在においても何一つ変わっていない。 居心地の悪さと、決別のペダル ポール・サイモンの音楽の圧倒的な単独性に触れたとき、幸手という街は、私にとってある見慣れた生活圏から、別の世界へと向かうためのターミナル駅へと変貌した。まるで別の路線へ列車を乗り換えるような、あるいは細胞の組成から別人になったようなパラダイムシフトであった。というのも、私はすでに、埼玉という土地を出る決心を固めていた。東京の大学への進学が決定した1992年の春。私は自転車のペダルを漕いで権現堂堤を訪れた。強風に煽られる桜の津波と、目に痛い菜の花の原色は、まぎれもなく私の故郷の原風景であった。しかし、その景色を前にして、私はただ遠い世界へ行くことだけを望んでいた。34年が過ぎた。あえて言うまでもなく、とんでもない時間のつらなりだ。現在、春日部や幸手の変貌した風景を眺めていると、あの日の自転車の上から見た景色と、強烈な決別の意志が、現在の視界と二重写しになって襲ってくる。もしあの時の自分が、今の自分に「何か言ってくれよ」と呼びかけたら――。何と言うのだろうな。 Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学 教養教育センター教授 1972年埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、情報社会学。 関連リンク ・【埼玉学①】行田-太古のリズムは今も息づく・【埼玉学②】吉見百穴-異界への入口・【埼玉学③】秩父-巡礼の道・【埼玉学④】『翔んで埼玉-琵琶湖より愛をこめてを公開当日に見に行くということ・【埼玉学⑤】「食」のアミューズメント・パーク サイボク・【埼玉学⑥】埼玉の奇祭--歌声が聞こえる・【埼玉学⑦】埼玉学者、埼玉県知事に会いに行く・【埼玉学⑧】真夏のクリスマス--下総皖一『野菊』の思い出・【埼玉学⑨】「埼玉学ツアー」が教えてくれたもの-埼玉未来大学で出会った素晴らしき仲間たち・【埼玉学⑩】鉄道博物館と大宮操の桜・【埼玉学⑪】大宮盆栽町--「これでいいのだ埼玉」・【埼玉学⑫】天国への道--埼玉県道153号幸手久喜線・【埼玉学⑬】越谷レイクタウン--ウォーターベッドに沈むもの・【埼玉学⑭】羽生--田舎教師と田園交響楽・【埼玉学⑮】春日部--1980年代の原風景
Introduction 水産高校出身ながら、陸海空の乗り物や家電のモノづくりに挑戦してきた横屋虹汰(こうた)さん(情報メカトロニクス学科4年)。現在はオープンキャンパスの学生スタッフとしても活動中。今回は、オープンキャンパスの参加を考えている高校生に向けて、横屋さんの人生を変えた当時の感動と、大学が誇る「圧倒的な自由」の魅力をインタビューしました。「まだ将来の目標が決まっていない」と不安を抱えている高校生にこそ届いてほしいです。 船舶から家電への興味、心が動いたオープンキャンパスの学生スタッフの言葉 山形県立加茂水産高等学校という特殊な高校の出身です。実家が海に近く、家族や親戚が漁師で、「船かっこいいな」とずっと思っていて。小学校時代、自衛隊の護衛艦に触れ「すごい世界だな」と船舶を学びたくて進学しました。在学中、約2ヶ月間乗船実習を経験する中で「過酷な状況下でも動く家電はすごい」と体感し、自ら家電を作りたいと思うようになりました。船舶や家電を学ぶ上で、工学の道をより深掘りしたいと考え、ものつくり大学に興味をもちました。 高校3年生の7月にオープンキャンパスに参加し、「学生が活発で自由度が高く、1番やりたいことができる大学だ」と実感しました。何より心が動いたのは、案内してくれた学生スタッフが「宇宙開発研究プロジェクト」についてとても楽しそうに語っていたことです。「こんなに面白く、楽しい大学生活を送れるんだ」と心が高鳴りました。 他大学と異なり、数十分の説明後はすぐに学生スタッフ主導で設備を見たり、体験授業に参加したりするスケジュールで。「実践的な学びを強みにしている大学だな」と実感しました。家電の設計に興味があったため、「どんな設計ソフトを使い、何を設計するのか」などの質問をし、丁寧に答えてもらえました。 偶然の扉から始まった「宇宙開発研究プロジェクト」への挑戦 寮生活が始まり、入学式前に隣の部屋の新入生と大学見学に。偶然開いていた扉を覗くとオープンキャンパスでお世話になった先輩方が和気あいあいと楽しんでいるのが見えて。「ここがあの宇宙開発研究プロジェクトだ」と、このプロジェクトに飛び込みました。ロケットについて知れることもプロジェクト参加の大きな理由です。1年生の時は隣の「学生フォーミュラ」プロジェクトに所属して自動車についても学び、船舶の知識に加え、陸海空の乗り物の技術を学生生活で手に入れることができました。 「宇宙開発研究プロジェクト」は、「やってみよう」と言い合え、技術も先輩が教えてくれる楽しく自由な環境でした。1年生の頃、ロケットのペイロード設計を先輩と行う中で簡略化できる部分に気づき、実験で強度不足を感じ、新素材や動力源の変更を提案しました。「それをやってみよう」と言ってもらえ実際に上手くいったことが、モノづくりで一番嬉しく自慢できる経験です。コンテストでは2つ賞も受賞でき、大きな自信に繋がりました。 「豊かに楽に楽しく」を体現するモノ・人づくり 3年生になり、モノづくりだけでなく「プロジェクト全体をどう動かすか」という「チームづくり」の難しさと面白さに気づきました。仲間がおっくうに感じる手順を簡略化して「楽にしよう」と心がけています。モノづくりに加え、仕組みを動かす人づくりに興味を持てたことは新鮮な驚きです。 僕は人の生活を豊かにするモノが大好きで、「豊かに楽に楽しく」を体現しているのがロケットに車や船、家電などのモノたちだと思っています。これを形にしようと思えたのは大学入学後です。今後は誰でも簡単に安全にプラスチックの研磨加工ができる研究をしたいです。将来は興味のある家電業界で、設計をやっていきたいと思っています。 自分がもらった感動を高校生に届ける。オープンキャンパスをリアルに感じて 自分自身がオープンキャンパスの楽しさで入学を決めたため、「そういう人を増やしたい」「学生が大学に貢献できる珍しい機会だ」という思いから、1年生から学生スタッフをしています。この大学はただ学ぶだけでなく、モノづくりや人を動かす体験ができるチャンスがあり、スタッフ活動もその一つです。 オープンキャンパスで高校生にリアルに感じてほしいのは「設備」「生の声」「体験授業」の3つです。1番の推しは学生スタッフが案内するキャンパスツアーです。大きな加工機などの設備を興味津々に見て、実際に触って「おお!」「すごい!」と目を輝かせ歓声をあげてくれる高校生の姿を目にすることが多いです。 「在学生フリートーク」では、高校生が「ここでやっていけるか」「やりたいことができるか」という不安を解消できるよう、自身の経験を踏まえて大学生の生の声で答えています。「体験授業」は大学教授の授業を直に味わえる貴重な機会で、そこも楽しんでもらいたいです。 オープンキャンパスでは「圧倒的な自由を実現する環境や、目標がなくてもサポートする仕組みがあること」を伝えるため、学生スタッフも学校説明のプレゼンを行います。 2人で登壇し、授業や40日間のインターンシップ、学生プロジェクトなどについて実体験を交えて約10分間説明します。5月のプレゼンの際には、高校生や保護者の方から嬉しい反響をいただきました。プレゼン内容は、高校生の反応を見て「ここをこう直せばもっとリアルに伝わるだろう」と振り返り、情報の更新も含めて、毎回作り直しています。 モノづくりのすべてを学べる大学の価値と、高校生に向けてのメッセージ 実践を経験できるのが一番の大学の強みです。理論だけでなく行動する力と、その先まで考える力をこの大学なら身につけられます。個人的にメリットを体感したのが4クォーター制です。授業の切り替えが早いため、より多くの知識を取り入れられます。授業の多くは単にモノをつくるだけでなく、作り方から売るために必要な環境まで教えてくれるので、言葉通りモノづくりのすべてを学べます。 モノづくりのすべてを学べる環境を象徴するのが、学内にある最先端の設備です。大学には、複雑な形状を効率よく高精度に加工できる「5軸加工機」があります。業界的にも新しく、多くの企業が求めているため今後さらに普及していくはずです。5軸加工機を使いこなすには、切削加工の知識だけでなく、3D CAD/CAMやNCプログラムなどのITスキルも必要です。加工とITの両方を理解した人材はまだ多くありません。しかし、ものつくり大学では実際の加工技術とデジタル技術の両方を学べるため、これからのモノづくりに対応できる人材が育ちやすい環境があると思います。設備があっても使えなければ意味がありませんが、この大学なら最新の機械に実際に触れ、操作や管理まで学べる点が非常に魅力的だと思います。 大学選びは入学後に何をするかが一番大事だと思います。この大学なら広く深く自由に好きなことができるため、入学前に明確な目標がなくても新しい目標が見つかる可能性が高いです。在学生は普通科や工業高校の出身者が多い中、私はそのどちらでもない水産高校出身です。入学時は専門知識がありませんでしたが、やりたいことに何でも挑戦させてもらい、授業にも問題なくついていけました。先輩や先生、同級生がサポートしてくれるので、専門的な難しさへの心配はまったくいりません。私が色々なものに挑戦できるのは、「好きなことに挑戦できる圧倒的な自由」が大学にあるからです。高校生にはオープンキャンパスでこの自由な空気を肌で感じてほしいです。
統計と分析 先日の新聞にサッカー日本代表の森保監督の話しがありました。試合に臨むにあたり、 自チーム選手のコンディション、相手チームの状態、ピッチのコンディション、天候、審判のジャッジ等々、勝敗を決する要素が数多くある中で最善を尽くすのみという記事でした。 大学の学生募集も似ています。学生募集への影響因子としては、若者人口・オープンキャンパスの内容・大学広報活動・留学生動向・他大学の状況・世の中の経済動向など多岐に亘り、それらが時間と共に揺れ動くなかでの勝負です。 AIとアンケート ものつくり大学は実習・実務教育を”売り”にしている大学です。高校生に教育の現場を見てもらいたいとオープンキャンパスに力を入れています。現在、弊研究室では学生募集活発化の糸口を見つけるべく、オープンキャンパス来場者の自由記述テキストアンケートを統計的に調べています。 分析にAIツールが使われています。自然言語処理(NLP)中の特異値分解アルゴリズムを使ってテキストを数値データに変換、そのデータを統計分析にかけています。ここでNLPがAI技術の一分野です。文章をAI分析にかけて感想を数値化して、年・月・季節・志望学科・回答者属性・催し物内容などの観点から翌年の新入生数との相関を調べています。アンケート分析では辞書に基づいて文章内の感情語を特定し、肯定的・否定的・全体的なスコア(スコア高い→肯定的感情大)を付けることができます。来場者アンケートが有す総体的感情の度数分布を見ることができるわけです。図は10年間の約9500データの分析結果の一例です。従来はアンケート分析に個人や特定のグループの主観的な判断が介在していましたが、AIを用いて客観的・定量的な分析とすることができます。感情分析は英文に限られますが、英文化の翻訳ソフトにもAI技術が使用されています。 AIに関しては、生成AIの大学での使われ方が課題です。学生の思考力や創造力成長の機会を奪うのでは?という一方、この便利なツールを使わない手はない、卒業後の社会人としての一種の作法ではないかとの意見です。この分野の動きが速すぎるのも対応を難しくしています。ユーザとしてAI技術の推移を見守っていきたいです。 話しを学生募集に戻しますと、『AI:知能、ハードウェア:AIと物理空間を繋げる”身体”』という構図の中で、ハードウェアすなわち「モノづくり」への注目が益々高まり、AIを使いこなしながらモノづくりで自己表現したい多くの高校生がものつくり大学を希望してくれることを期待しています。 Profile 佐久田 茂(さくた しげる) 情報メカトロニクス学科教授。1961年生まれ。東京大学大学院精密機械工学専攻修士課程修了。工学博士、技術士(機械部門)。株式会社東芝生産技術センターを経て、2013年より現職。専門は精密機械システム。
Introduction 埼玉学とは、埼玉県の歴史・文化・産業・地理など、埼玉県に関するあらゆる分野を総合的に研究・探究する学問です。教養教育センターの井坂康志教授が新しい研究テーマとして連載しています。 埼玉学第16回は、桜の季節に幸手市の権現堂堤を訪れた井坂教授が、幸手劇場の思い出から高校生の時に聴いたポール・サイモンへと思案を深めていきます。 境界のモザイクと「沼」の正体 埼玉県の北東端に位置する幸手という街の歴史は、一般の認識をはるかに超えて古い。 鎌倉時代から室町時代にかけてすでに記録にその名が散見され、江戸時代には日光街道および奥州街道の第六の宿場町として、関東平野における交通と物流の重要な結節点であった。 この土地の地勢的特異性は、そのとんでもなく入り組んだ境界線にある。市内を東へ向かい、河川を越えれば茨城県五霞町、さらに南東へ目を向ければ旧関宿町(現在の千葉県野田市)へと接続する。埼玉、茨城、千葉という三つの県が、過去の大河の流路の痕跡を縫うようにして、複雑なモザイク状の境界を形成している。 幸手の地勢を決定づけているのが、中川の起点として位置づけられる権現堂川である。現在のその姿を観察すれば、流動性を失った「長い沼」と形容して差し支えない。しかし、この権現堂川は江戸時代の「利根川東遷事業」以前には、関東平野を蹂躙する利根川の本流そのものであった。昭和初期(1928年)の治水工事によって上流部が完全に堰き止められ、かつての大河は行き場を失い、行幸湖(みゆきこ)という名の調節池へと姿を変えた。 幸手市の権現堂桜堤。かつて利根川の本流であった権現堂川の痕跡に沿って、約1000本のソメイヨシノが並ぶ。 人為の絶景――菜の花と、桜の津波 この恐るべき水害の歴史と対峙するために天正年間(1570年代)に築かれた権現堂堤は、幾世代にもわたる人為と執念の結晶である。大正期に植樹された桜は太平洋戦争末期に伐採されたが、戦後の1949年、荒廃した風景を復興させるべく再び苗木が植えられた。後年、斜面には菜の花が植栽され、現在の景観が完成した。 春の権現堂堤を歩くとき、視界を覆い尽くす1000本のソメイヨシノは、風に煽られ、圧倒的な荒々しさを内包している。内陸の埼玉に海はない。しかし、頭上から押し寄せるその質量は、間違いなく桜の津波と形容すべきものである。 権現堂の春の絶景。淡い桃色の「桜の津波」と、力動的な黄色の菜の花が激しく衝突し、人為の絶景を構成している。 足元から眼下へ向けて斜面を埋め尽くす菜の花の黄色。パステルカラーという生ぬるい言葉では表現しきれないその原色の力は、春の陽光を反射し、網膜を焼くように痛い。淡い桃色と力動的な黄色という決して調和することのない二つの色彩が激しく衝突する。ふと空を見上げると、テレビ番組の撮影であろうドローンが、巨大な熊蜂みたいに、規則的な駆動音を響かせて空中にホバリングしている。 1989年、東武ストアの邂逅 話は変わる。いつものことだが。 私は幼少期、幸手で死にかけた。遠い昔、重い肺炎にかかって、幸手病院の集中治療室で死線をさまよったのだと母親から聞かされた記憶がある。もちろんその頃のことを記憶しているわけではなく、私が自覚的にこの土地の引力を感じた契機は、少し後小学生の頃に遡る。 幸手には、私の居住するエリアにはめずらしく映画館があった。幸手劇場がその名前である。近隣に居住した小学生や中学生で幸手劇場に赴いたことのない人は相当に稀であろう。この幸手劇場こそが、映画という日本の中心で制作されたコンテンツに直接触れられるハブの役割を果たしていた。1981年の夏には、『Dr.スランプ アラレちゃん ハロー! 不思議島』とディズニーの『101匹わんちゃん』が、異なる配給の垣根を越えて網膜に焼き付いた。 そして1986年、その熱狂は絶頂を迎える。『BE-BOP-HIGHSCHOOL 高校与太郎哀歌(エレジー)』と、同時上映の『BE FREE!』。さらに、当時の「とんねるず」現象の象徴であり、森田芳光がメガホンを取った東宝作品『そろばんずく』までもが、同じ幸手劇場という空間で上映されていた。 東映と東宝、メジャー各社の資本の論理さえも、幸手という地方都市の引力の前では無効化され、一つの濃密なトレンドの砲弾として襲い掛かってきたのである。 「幸手劇場こゝにありき」。現在路傍に佇むドラえもん。昔子供だった人たちの心に眠る夢の慰霊碑。 2005年にその役割を終えた幸手劇場の跡地には、現在、ドラえもんの石像とともに「幸手劇場ここにありき」という碑文が、かつての栄華を厳粛に刻んでいる。 さらなる衝撃は1989年、高校二年の時に訪れた。当時存在した幸手駅前の東武ストアのCDショップで、私は初めてポール・サイモンのCDを購入した。 ソロ初期の傑作群、『ポール・サイモン』(1972年)、『ひとりごと(原題:There Goes Rhymin’ Simon)』(1973年)、そして『ライブ・ライミン(原題:Live Rhymin’)』(1974年)であった。サイモン&ガーファンクル(S&G)の解散後、単独アーティストとして彼が提示した音楽は、当時の私にとってひどく背伸びをした、しかし恐るべき精度を持つ知的構造物であった。 遠い過去と現在の風景が二重写しになる。思わず目をつむる。 第一作『ポール・サイモン』では、S&G時代のフォーク・ロックの残滓を断ち切るように、レゲエやラテン音楽のリズムが鋭く導入されていた。続く『ひとりごと』において、彼はアメリカ南部のゴスペルやR&Bの泥臭いエネルギーを、極めて洗練されたポップスの文脈へと知的に翻訳してみせた。『ライブ・ライミン』では、南米のフォルクローレ・グループ(ウルバンバ)や黒人ゴスペル・グループ(ジェシー・ディクソン・シンガーズ)を従え、ジャンルの壁などいともたやすく越境する生々しいグルーヴを見せつけた。このアルバムにはあるハプニングが収められている。後半、名曲『アメリカ』に移ろうとギターのチューニングをしているサイモンに、観客の一人が呼びかける。“Say a few words!”(なんか言ってくれよ)チューニングをしている時は、えてして目の前の現実を置き去りにしてしまうものだ。そんな一瞬をついたほほえましい場面である。興味深いのはその先である。声はサイモンの耳に届き、はっと我に返ったようにこういう。Say a few words? Let’s hope that…let’s hope that we continue to live…(何か言わなきゃね。そう、僕たちは、うん、生き続けるんだって、こう思いたいね)水を打ったような沈黙の後、割れるような拍手が会場を覆い尽くす。アルペジオで『アメリカ』のイントロに入っていく。このライブが録音された1973年当時は、ベトナム戦争の終結直後やウォーターゲート事件など、アメリカ社会が不安定で閉塞感に包まれていた時期だった。そうした時代背景を思い返すと、彼のこの「生き続けよう」というばかばかしいくらいシンプルで切実な祈りのような言葉が、当時の人々にどれほど重く、かつ温かく響いたかが察せられる。そこにあったのは、S&G時代の完璧に計算された二声のハーモニーとは異質の、剥き出しの人間だった。人は、集団や調和から離脱し、完全に単独の存在となったとき、これほどまでに違う世界を構築できるのか。この事実は、当時の私にとってひとつの救いとなった。そして、その認識は数十年を経た現在においても何一つ変わっていない。 居心地の悪さと、決別のペダル ポール・サイモンの音楽の圧倒的な単独性に触れたとき、幸手という街は、私にとってある見慣れた生活圏から、別の世界へと向かうためのターミナル駅へと変貌した。まるで別の路線へ列車を乗り換えるような、あるいは細胞の組成から別人になったようなパラダイムシフトであった。というのも、私はすでに、埼玉という土地を出る決心を固めていた。東京の大学への進学が決定した1992年の春。私は自転車のペダルを漕いで権現堂堤を訪れた。強風に煽られる桜の津波と、目に痛い菜の花の原色は、まぎれもなく私の故郷の原風景であった。しかし、その景色を前にして、私はただ遠い世界へ行くことだけを望んでいた。34年が過ぎた。あえて言うまでもなく、とんでもない時間のつらなりだ。現在、春日部や幸手の変貌した風景を眺めていると、あの日の自転車の上から見た景色と、強烈な決別の意志が、現在の視界と二重写しになって襲ってくる。もしあの時の自分が、今の自分に「何か言ってくれよ」と呼びかけたら――。何と言うのだろうな。 Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学 教養教育センター教授 1972年埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、情報社会学。 関連リンク ・【埼玉学①】行田-太古のリズムは今も息づく・【埼玉学②】吉見百穴-異界への入口・【埼玉学③】秩父-巡礼の道・【埼玉学④】『翔んで埼玉-琵琶湖より愛をこめてを公開当日に見に行くということ・【埼玉学⑤】「食」のアミューズメント・パーク サイボク・【埼玉学⑥】埼玉の奇祭--歌声が聞こえる・【埼玉学⑦】埼玉学者、埼玉県知事に会いに行く・【埼玉学⑧】真夏のクリスマス--下総皖一『野菊』の思い出・【埼玉学⑨】「埼玉学ツアー」が教えてくれたもの-埼玉未来大学で出会った素晴らしき仲間たち・【埼玉学⑩】鉄道博物館と大宮操の桜・【埼玉学⑪】大宮盆栽町--「これでいいのだ埼玉」・【埼玉学⑫】天国への道--埼玉県道153号幸手久喜線・【埼玉学⑬】越谷レイクタウン--ウォーターベッドに沈むもの・【埼玉学⑭】羽生--田舎教師と田園交響楽・【埼玉学⑮】春日部--1980年代の原風景