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  • 【知・技の創造】冷蔵庫の省エネ提案

    猛暑を乗り越えるために 今年もまた夏が来ると考えるたびに恐怖を覚えます。昨年2025年の夏季(6〜8月)平均気温は3年連続で記録を更新したばかりか、群馬県の伊勢崎では41.8℃を観測するなど最高気温の記録まで更新してしまいました。もはや地球は壊れているとさえ感じます。 筆者らは暑さから身を守るための工夫や猛暑時代の省エネルギー対策について継続的に研究してきました。本誌にもその第1報として「夏期快適空間の実現」と題し、居住空間への日射を遮ること、すなわち日陰を作ることの有効性を説いています。そして、第2報では「持続的な生産活動を」というタイトルで、電力に頼らない工場冷却水の製法について解説しました。今回は第3報として、家庭用の冷蔵庫に着目した冷却効率アップによる省エネルギーについて考えてみたいと思います。地球温暖化対策や電気料金の上昇が社会的課題となる昨今です。冷蔵庫のさらなる省エネルギー化は重要なテーマであると言えます。 冷蔵庫のあれこれ 冷蔵庫は家庭内では多くの電力を消費する機器なんです。資源エネルギー庁のデータによれば、家庭における冷蔵庫の消費電力はエアコンに次いで2番目となっています。一般的な冷蔵庫では、液体状態の冷媒が冷却器と呼ばれる装置内で気化および膨張する原理によって庫内を冷やしていますが、その前段階ではかなりの電力を消費するコンプレッサーが必要となるためです。  さて、このコンプレッサーで圧縮されて高温となった冷媒は、通常冷蔵庫の側面近くの放熱パイプを通って冷やされ、冷却器に到達するまでに液体に変わります。この放熱のために冷蔵庫の側面は熱くなります、設置時には壁から数センチほど離す必要があるのです。しかし、たとえ冷蔵庫側面と壁面との間に十分なスペースをとっても、止まっている空気に向かっての放熱は効率がよくありません。もし、サーキュレーターなどを使って側面に風を通すことができれば放熱はもっと促進されます。うちわで扇ぐと、空気の温度が下がるわけでもないのに、涼しく感じるのと同じ理由です。放熱の促進はダイレクトに消費電力の低減に繋がりますので、一手間かける甲斐があるかも知れません。 とはいうものの、冷蔵庫の側面に十分な空間を空けること、まして風を通すことなど難しい家庭も多いと思います。そこでもう一つ提案します。側面の放熱パイプに沿って流路を作り、外側から水を流すというアイデアです。固体から水への放熱量は空気に比べて桁違いなので、効果が期待されます。設置スペースもほとんど要りません。熱を奪った水はトイレのタンクや風呂に放出すれば室内に熱は残りませんし、水道料金にも影響しないはずです。 もちろんこの方法は一般の家庭ではもっと難しいでしょう。それに漏電を引き起こす可能性もあるので軽率に試せるものではありません。将来的に冷蔵庫メーカーなどが提供してくれるのなら、あるいは標準装備となれば、ますます省エネルギーは進み快適な住空間が実現されることと思います。 埼玉新聞「知・技の創造」(2026年4月3日号)掲載 キャプション 香村 誠(こうむら まこと)情報メカトロニクス学科教授慶応義塾大学博士課程中退、都内エンジニアリング企業を経て2002年ものつくり大学着任、現在に至る。 博士(工学)。明治大学兼任講師、専門は「流体力学・伝熱工学」

  • 【埼玉学⑭】羽生--田舎教師と田園交響楽

    Introduction 埼玉学とは、埼玉県の歴史・文化・産業・地理など、埼玉県に関するあらゆる分野を総合的に研究・探究する学問です。教養教育センターの井坂康志教授が新しい研究テーマとして連載しています。埼玉学第14回は、北埼玉の要衝、羽生を訪れます。田山花袋『田舎教師』の舞台として知られる静かな街で、井坂教授は41年前の熱狂の記憶を辿ります。冷戦下のドイツ・オーケストラと、一人の薄幸な青年教師の魂が交錯する、時を超えた旅路です。 北関東の鋼の下で 「四里の道は長かった。その間に青縞の市のたつ羽生の町があった。田圃にはげんげが咲き、豪家の垣からは八重桜が散りこぼれた」(田山花袋『田舎教師』)。羽生という地名は、埴(赤土)の生じる場所、あるいは鳥の羽が生まれる場所など諸説あるが、地形的な特性はあまりにもはっきりしている。関東平野の北端、利根川という巨大な暴れ馬の背中に張り付いた細長い鞍のような土地だ。対岸はもう群馬県。広大な沖積低地が広がり、見渡す限りの平坦な地形は、空の広さを際立たせ、地平には上州の山並みが切り絵のように並ぶ。窓の外は鋼の空が広がっている。重く、低く垂れ込めた冬の雲だ。私は隣町の出身だから、懐かしい風景ではある。羽生は、古くから交通の要衝であった。東武伊勢崎線と秩父鉄道が交差する地は、物資の集散地として栄えた。特に青縞と呼ばれる藍染めの織物は羽生の経済を支え、富が街の文化的な基盤を形成した。鉄道が敷設される以前、利根川の水運と日光脇往還の宿場としての機能が人々の往来を生んでいた。 「羽生から大越に通う乗合馬車が泥濘を飛ばして通って行った」(『田舎教師』)。花袋が描いた泥深い道は、いまや舗装され、車が行き交う。だが、土地が持つ移動の中継点としての記憶は、風の中にまだ残っているように思える。羽生駅から徒歩数分の寺へと向かった。朝10時前の空気は冷たく、少し雨も混じっているようだ。曹洞宗の古刹・建福寺。田山花袋の小説『田舎教師』のモデルとなった小林秀三の墓がある。 建福寺にて『田舎教師』のモデル小林秀三の墓に詣でる。 田舎教師の悲哀と埋没 墓前で手を合わせる。小林秀三、享年二十一(数え年)。肺結核で短い生涯を閉じた青年だ。石碑には「運命に抗う覚悟」、小林の日記に残された言葉が、胸を締め付ける。「あゝわれ終に堪えしや、あゝわれ終に田舎の一教師に埋んとするか……明日! 明日は万事定まるべし。……噫! 一語以て後日に寄す」。立身出世を夢見ながら、貧困と病を得て、閉鎖的な田舎の現実に押しつぶされ、無名のまま死んでいった青年。花袋は下宿先の住職・太田玉茗が義兄だった縁で小林の日記を目にし、悲劇的な物語を書き上げた。「さびしく死んでいく青年もあるのだ」。花袋は『東京の三十年』でこう記している。近くの図書館にある郷土資料館へ足を運ぶと、かつて田舎教師研究会という熱心なサークルが存在したことを知った。1979年から断続的に刊行された『田舎教師研究』は、会員数100名を数えた時期もあったという。時は流れ、活動は縮小し、2021年の第9号を最後に事実上の終焉を迎えているようだ。彼らが残した記録は、確かにこの地に生きた青年の魂を鎮魂し続けている。 二つの田園 資料館を後にし、羽生市産業文化ホールへと歩を進めた。41年ぶりの訪問だ。1984年12月8日。あの日、北関東の寒風吹きすさぶ田舎町のホールに、奇跡が舞い降りた。東ドイツ(当時)の名匠ハインツ・レークナー率いるベルリン放送交響楽団がやってきたのだ。私は脳裏のスクリーンにその日の映像を投影する。 当時、羽生市産業文化ホールは市政30周年を記念して1月に落成したばかりだった。衣料産業で栄えた羽生の経済力が、立派なホールを建設させ、さらに冷戦下の東側の名門オーケストラを招聘することを可能にした。控えめに言って、一種の文化的達成であったと言ってよいだろう。私は小学6年生だった。プログラムはベートーヴェン「レオノーレ序曲」、シューベルト「未完成」、メインはベートーヴェン「交響曲第6番田園」、アンコールはバッハの「G線上のアリア」。ハインツ・レークナーとベルリン放送交響楽団。正真正銘のドイツ音楽の精髄を聴かせる夜だった。彼らは当時、鉄のカーテンの向こう側、東ドイツからやってきた。自由を制限された彼らが奏でる音楽には重厚さと、沈潜する内向性があったように記憶する。出口のない青春を送ったかつての田舎教師の地で、分断された世界から届いた音色は、物理的な移動の自由を奪われた者同士が交わす、魂の密約のように耳に届いた。ホールに入ると、青紫のステンドグラスが目に入る。むろん記憶のままだ。 1984年落成の羽生市産業文化ホール。往時をしのばせる文化の薫るエントランス。 ホール内にはステンドグラス。 帰路 地元合唱団と東京のオーケストラによる第九演奏が始まる。響きは私の耳の奥底で、41年前のレークナーのタクトと合流する。演奏が終わった瞬間、拍手の中で、ふと隣の空席に気配を感じた気がした。気のせいかもしれない。もしここに小林秀三がいたとしたら、どんな顔をしていただろう。彼は音楽家になりたかった人だ。小説では東京音楽学校を受験し失敗している。衣料産業で栄えた羽生の経済力が、文化の殿堂を築き、世界最高峰の芸術を招き入れた事実は、極めて健全な地方の意志を示している。経済的な成功を次代の感受性を育む文化的土壌へと還元した先人たちの気概にほかならない。日記に「あゝわれ終に田舎の一教師に埋んとするか」と嘆いた彼は、埋没した場所で、世界最高峰の『田園』が鳴り響く未来を想像できたろうか。ホールはただの文化施設ではない。夢破れ、土に還っていった無名の人々のための、巨大な鎮魂碑なのだ。小林秀三の絶望と、レークナーの希望。二つの残響は静かに平野を溶かしていた。 付記ベルリン放送交響楽団の演奏会が1984年12月8日に実施された事実確認にあたり、羽生市産業文化ホールの荻野栄一館長とメールでやり取りを交わすことができた。館長のご説明では、40年以上前であり、また運営主体の変遷もあったために、当該情報は確認できないとのことだったが、館長との対話は、文化施設がそこに携わる人々の誠実さと、訪れる者の記憶によって生かされる生命体であることを私に教えてくれた。貴重な情報共有と温かなお心遣いに、改めて謝意を表したい。 Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学 教養教育センター教授1972年埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、情報社会学。 関連リンク ・【埼玉学①】行田-太古のリズムは今も息づく・【埼玉学②】吉見百穴-異界への入口・【埼玉学③】秩父-巡礼の道・【埼玉学④】『翔んで埼玉-琵琶湖より愛をこめてを公開当日に見に行くということ・【埼玉学⑤】「食」のアミューズメント・パーク サイボク・【埼玉学⑥】埼玉の奇祭--歌声が聞こえる・【埼玉学⑦】埼玉学者、埼玉県知事に会いに行く・【埼玉学⑧】真夏のクリスマス--下総皖一『野菊』の思い出・【埼玉学⑨】「埼玉学ツアー」が教えてくれたもの-埼玉未来大学で出会った素晴らしき仲間たち・【埼玉学⑩】鉄道博物館と大宮操の桜・【埼玉学⑪】大宮盆栽町--「これでいいのだ埼玉」・【埼玉学⑫】天国への道--埼玉県道153号幸手久喜線・【埼玉学⑬】越谷レイクタウン--ウォーターベッドに沈むもの

  • 【埼玉学⑬】越谷レイクタウンーーウォーターベッドに沈むもの

    Introduction 埼玉学とは、埼玉県の歴史・文化・産業・地理など、埼玉県に関するあらゆる分野を総合的に研究・探究する学問です。教養教育センターの井坂康志教授が新しい研究テーマとして連載しています。埼玉学第13回は、かつて沼沢地帯であった越谷の地に突如として現れた巨大な消費空間、越谷レイクタウンを歩きます。水と大地、車社会が交錯する場所で、井坂教授が感じ取ったワルシャワの記憶、足元の薄氷の正体とは。 低地 足元を見つめる。そのとき、関東平野における巨大な器の底であることに思いが至る。大宮台地の東端が尽き、地形は急速に標高を下げる。利根川や荒川といった関東を代表する大河川が、奔流を東京湾への流路として渋滞を起こす。越谷という土地の正体だ。 かつて一帯は、幾筋もの河川が蛇行し、氾濫を繰り返す湿地帯であった。人々は自然堤防の上に集落を作り、後背湿地を水田として利用した。水田では質の高い米が収穫できた。しかし、都市化の波は容赦なく保水機能を奪っていく。いつしか、水のリスクを吞み込んだまま巨大なウォーターベッドの街に変貌していた。そこで構想されたのが越谷レイクタウンだ。コンセプトは、生やさしいニュータウン開発とはいささか様相を異にする。中川・綾瀬川流域の治水対策として、広大な調節池を造成、洪水時には水を溜め込み、平時には親水空間として利用するという、災い転じて福となす壮大な社会実験であった。駅に降り立つと、目の前には地形の生んだ象徴たる大相模調節池が鎮座している。有無を言わせぬ迫力だ。かつての一面のため池と田園地帯は、いまや人口の湖岸として整備され、穏やかな水面を湛えているかに見える。水鳥は湖面を戯れ、岸にはフランスの油絵を想起させる柳が影のたまりをつくっている。湖畔に立ち、風に吹かれてみた。湿った風は、大量の水の通り道であることを嫌でも教えてくれる。 武蔵野線の湾曲と車社会の地平 ところで、水郷を貫く鉄の軌道がJR武蔵野線だ。武蔵野線は、埼玉に住む者にとってさえミステリアスだ。かつては首都圏の外郭を結ぶ貨物船として計画され、やがて旅客化された路線は、東京の放射状に伸びる各路線を横串に刺す。秩父鉄道を別にすれば、東西を走る鉄路はほかにない。 越谷レイクタウン駅--。武蔵野線の新駅として2008年に開業した。貨物列車が轟音を立てる脇で、多くの家族連れがホームに降り立つ。身近な水のテーマパークだ。ディズニーリゾートにでも家族で行けば、家計に小さくないインパクトをもたらすだろう。越谷レイクタウンなら、ちょっとした買い物をするくらいで半日は夢を見られる。どんな夢かは別の話だが。駅の北側に広がるイオンレイクタウンに目を転ずれば、広大な敷地を埋め尽くす駐車場、国道4号線や外環道から吸い寄せられるように集まる無数の自動車が嫌でも目に飛び込んでくる。レイクタウンは、埼玉のもう一つの顔、すなわち強烈なまでのクルマ社会を象徴する空間だ。鉄道という都市的な動線と、自動車というローカルな動線が、巨大な水の街でぶつかり合い、しぶきを上げる。 広大な敷地を埋め尽くす駐車場。 忘却の装置 広大なショッピングモールへと足を踏み入れた。「kaze」「mori」などと名付けられた巨大な棟を、ひたすらに歩く。ちょっとしたハイキングに匹敵する運動量だ。高い天井、人工的な照明。どこまでも続くショーウィンドウ。ふと、どこかで見たことがある気がした。奇妙な感覚だった。以前、ポーランドのワルシャワやクラクフを旅したことがある。あの時、ワルシャワ旧市街の広場や、果てしなく続く石畳を歩きながら感じた、ある種の茫洋とした感覚が突然蘇ってきた。冬の凍てついた一日であったことも関係しているかもしれない。 むろん本来なら両者を結びつけるものなどない。周囲には多くの人々が行き交っている。特に目につくのは、犬を連れた家族連れの姿だ。楽しげに笑い、ショッピングカートに愛犬を乗せ、消費という名の祝祭空間に身を浸している。平和そのものだ。しかし、なぜだろう。ワルシャワの再建された旧市街が、思い出されてならない。歴史の痛みに対する抵抗と祈りの祭儀的空間。もちろん、こじつけなのはわかっている。改めて思い起こせば、かつて泥深い湿地であり、水害に脅かされた土地であったことを考えないわけにはいかない。 柳が影のたまりをつくっている。どことなく物悲しい。 今は、そうしたすべてを、圧倒的な光量と空調、際限ない商品の列によって覆い隠し、忘れ去るための巨大な装置として上塗りする。足元の泥を忘れ、薄氷の上で踊り続けるのに必要な舞台装置だ。東欧では、ここしばらく、こんな大型ショッピングセンターが各地に乱立している。一様に便利で、快適で、どこか均質だ。地形の記憶をコンクリートで覆い隠し、空調の効いた快適な回廊を作り出す。むろん均質で清潔な人工空間を、アイデンティティの欠如と捉えるのは早計だ。むしろ、過剰な記号に溢れた現代において、真の休息を得る知的な余白なのだろう。地形の記憶を一度フラットにすることで、人々は過去の重圧から解放され、キャンバスの上に新たな家族の物語を描き出す自由を得ているのだろう。浦安という漁村の歴史的記憶の上に構築された夢の国と構造上は同じなのに違いない。注目すべきは、空間の底辺を流れる管理の美学だ。大相模調節池という巨大なインフラが、機能を超えて美しい親水空間として消費されている事実は、人間が自然を征服するのではなく、知性をもって共生をデザインした証に他ならない。水害というリスクを、豊かさという価値のシンボルに変換することこそが、埼玉という土地が持つしなやかな強さを象徴する。夕闇に映る街の明かりは、水の小都に根を下ろそうとする数万の人生の輝きだ。かつての泥を忘れ去るのではなく、それを強固な基礎として支え、その上に新たな地平を築くこと。越谷レイクタウンは、伝統と革新が危うい均衡を保ちながらも、次世代の故郷へと成熟していくプロセスを見せてくれている。 ため池の周回と薄氷の文明 モールの喧騒を逃れるように、再び外に出た。調節池の周囲を歩いてみることにした。水面は昼間の鈍い光を反射する。足元の土を踏みしめるとき、確かに水を含んだ大地の感触が伝わってくる。水は低きに流れる。物理の法則だ。秩父の山地からゆっくりと運ばれてきた水が集まり、やがて太平洋へと運ばれていく。歩きながら思考を巡らせる。犬を連れて散歩する人々の表情は穏やかだ。水面に映る街の明かりは美しい。しかし、ふとコンクリート越しに足元が透けて見える錯覚に陥る。危うさを知っているからこそ、人々の笑顔はかくも明るく、消費の祝祭は、どこか切実な輝きを帯びている。 この消費の祝祭は、どこか切実な輝きを帯びている。 地形を克服するのではない。地形を受け入れ、水と共生する。工学的な勝利と、破綻への潜在的な恐怖。危うい均衡の上に、巨大な消費社会の祝祭空間は成立する。駅へ向かう私の背に、冬の風が冷たく吹きつけた。調節池の記憶から漏れ出る、大地の吐息のようだった。武蔵野線の駅へと戻る足取りは、来た時よりも少しだけ重く、確かなものになっていた。 Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学 教養教育センター教授1972年埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、情報社会学。 関連リンク ・【埼玉学①】行田-太鼓のリズムは今も息づく・【埼玉学②】吉見百穴-異界への入口・【埼玉学③】秩父-巡礼の道・【埼玉学④】『翔んで埼玉-琵琶湖より愛をこめて』を公開当日に見に行くということ・【埼玉学⑤】「食」のアミューズメント・パーク サイボク・【埼玉学⑥】埼玉の奇祭--歌声が聞こえる・【埼玉学⑦】埼玉学者、埼玉県知事に会いに行く・【埼玉学⑧】真夏のクリスマス--下総皖一『野菊』の思い出・【埼玉学⑨】「埼玉学ツアー」が教えてくれたもの-埼玉未来大学で出会った素晴らしき仲間たち・【埼玉学⑩】鉄道博物館と大宮操の桜・【埼玉学⑪】大宮盆栽町--「これでいいのだ埼玉」・【埼玉学⑫】天国への道--埼玉県道153号幸手久喜線

  • VTuber研究に感じた「学ぶ自由」という贅沢

    Introduction 「その研究、何の役に立つの?」大学での学びを考えるとき、多くの人が一度は抱く疑問かもしれません。建設学科4年の小島都和さん(日常意匠研究室)が取り組んだ卒業研究のテーマは、VTuberの演奏に感じる“違和感”。一見すると、実務とは結び付かない不思議なテーマです。しかし、その研究過程で見えてきたのは、「役に立つかどうか」では測れない学びの価値でした。 「なんか変だよね」から始まった研究 「腕が楽器を貫通している」「指が弦に触れていない」研究室のゼミでVTuberの演奏動画を見たとき、そんな声が次々上がりました。軽音学部に所属している小島さんにとって、その違和感は見過ごせないものでした。とはいえ、当初から明確な研究テーマがあったわけではありません。自分の音楽遍歴を振り返ったり、人によって楽器の取り扱い方がどう違うの調べたり--。試行錯誤を重ねる中で、なかなか形にならないもどかしさを感じていたといいます。 軽音学部のライブで演奏する小島さん(写真:左) そんな中で見つけたのが、「VTuberの演奏シーンに感じる違和感」でした。「この“何か変だよね”をちゃんと説明できないだろうか」。その素朴な疑問が研究の出発点となりました。しかし、「違和感」を研究することは簡単ではありません。そもそも違和感とは何なのか。どこからが不自然なのか。明確な基準はありません。さらに、目に見えるデータとして集めることも難しいテーマです。研究を始めた当初、小島さんは迷走していたと振り返ります。それでも、学問とは「問いを学ぶこと」だという教授の主催するゼミでの議論を重ねる中で気づいたのは、答えがすぐに出ない問いに向き合うこと自体に意味があるということでした。その気づきによって「考えることがどんどん面白くなった」と小島さんはいいます。 「分からない」を言葉にするという挑戦 小島さんが取り組んだのは、「違和感」という曖昧な感覚を言葉にすることでした。まず、違和感を「人間にはできない動きや、物理的に不自然な現象」と定義します。そして、VTuverだけでなく、実在のバンドやアニメ、漫画など複数のコンテンツを対象に演奏シーンを一つひとつ検証していきました。収集したシーンは203にのぼります。さらに、小島さんは実際に同じフレーズを自分で演奏し、映像と比較することで検証を深めました。重要だったのは、「誰にでも伝わる言葉」にすることです。専門的な言葉をそのまま使うのではなく、「弦の端にある金属のパーツ」など、楽器を知らない人にもイメージできるように言い換える。その積み重ねによって、“何となく変”だった感覚が少しずつ輪郭を持ち始めました。 それは本当に“役に立たない”のか 分析を進める中で、小島さんはある視点にたどり着きます。それが、「ライブ感」と「リアル感」という2つの軸です。音や演出によって高い臨場感を生み出す「ライブ感」、見た目の動作が人間として自然に見えるかという「リアル感」。VTuberの演奏はライブ感が高い一方で、リアル感が低い。このアンバランスさこそが、違和感の正体でした。同じく日常意匠研究室に所属している羽多叶さんは、小島さんの研究の面白さについて、「ライブ感」と「リアル感」の2軸が基準となったことで、VTuberを推している人たちはリアルさを求めているわけではないということが可視化された点だといいます。一見すると、この研究は「VTuberの分析」に過ぎないように見えるかもしれません。しかし、その本質は「人の技能をどう表現するか」という、より普遍的な問いにあります。この視点は、音楽だけでなく、スポーツや伝統芸能など、そしてもちろん、ものづくりの技能も含め、様々な分野に通じるものです。 卒業研究を発表する小島さん 役に立たない研究ができる幸せ 「何の役に立つか分からない研究ができることが幸せなんです」日常意匠研究室を主宰する土居浩教授は、そう語ります。すぐに成果が求められる社会において、「役に立つかどうか」は需要な基準です。しかし、大学という場所には、それだけではない価値があります。すぐに答えが出ない問いについて、時間をかけて考え続けること。仲間と議論しながら、「なぜ?」を深掘りしていくこと。「ああだこうだと言い続けられる場所があること自体が、すごく貴重なことだと思うんです」その言葉に、小島さんも強く共感したといいます。ものづくりの現場では、計画通りに進める「PDCA」だけでなく、状況に応じて判断し行動する「OODA」という考え方も重要だと言われています。今回の研究もまた、あらかじめ決まった答えに向かうものではありませんでした。違和感に気づき、観察し、試し、また考える。その繰り返しの中で少しずつ輪郭が見えてくる。大学とは、そうしたプロセスを経験する場所でもあります。 大学は「答えを出す場所」ではない 「何の役に立つか分からない」その問いに、すぐに答えを出す必要はありません。むしろ、分からないまま考え続けること。違和感を言葉にし、問いを重ね、他者と共有すること。その積み重ねが新しい価値を生み出していきます。ものつくり大学には、そんな“無駄かもしれない時間”を本気で過ごせる環境があります。そして、その時間こそが、これからの時代に必要とされる力を育てていくのかもしれません。 関連リンク ・日常意匠研究室WEBページ・創造しいモノ・ガタリ03~「問い」を学ぶ。だから学問は楽しい~

  • 【知・技の創造】建築観察学

    建築観察学とは 本稿タイトルの“建築観察学”とは何か?この言葉は、小生が数年前から本学で展開している授業の科目名です。この授業では、建築物を構成する建築材料とそれらがどのように建築に取りついているのかを、本学の校舎を受講生が子細に観察して、最終的に図面化することを行います。 では、なぜ“建築観察”なのか?例えば大学入試の問題では、問題文が答えであることはないと思いますが、建築は謂わば答えが見えて建っている状態と言えます。目の前に立ち上がっている建築は倒壊していなければ,それがある意味の正解だからです。正解が目の前にあるのにこれを観察しない手はありません。建築物は,主には構造材料、仕上材料および下地材料(建築材料を支えるための下地に使われる建築材料、一般には壁や天井の中にあるため目に触れることは少ない)で構成されており、非常に多くの建築材料の集合体と言えます。 これらを観察することによって、建築材料の成り立ちや諸物性を知るとともに、どのように施工して組み立てられているかなど、建築を成立させるための技術体系の一端を体得できる効果があります。 現場を知る 建築は、経験工学の集積である側面が強く、机上の空論よりも現場を知ること、観察することによって、正に「百聞は一見に如かず」の事象の塊と言っても過言ではありません。小生は若い頃に大学での正式な建築の教育を受けないまま建設業界に勤めることとなりました。そのため、業務で分からないことがあると、どの書籍にどの技術が書かれているのか?について、恐らく大学の建築学科において専門教育を受けてきた方々は知っている基本的な事柄すら分かりませんでした。 そこで、当時の少ない給料で片っ端から専門書を購入し、読み漁りました。その結果、どの書籍にどのような技術的な答えが載っているのかの見当がつけられるようになりましたが、一部の書籍では実務では使わない古すぎる技術が記載されていることにも気づきました。すなわち、市販の書籍が全てではないことが分かったのです。 自分の足で調査する そこで始めたのが、自分が触れる建築物がどの建築材料でできているのか?材料はどのように構成されているのか?寸法?などについて、巻き尺やスケッチブックを手に測ることでした。元来凝り性なところがあって、山手線の車内のつり革や手摺の直径にはじまり、椅子の寸法構成なども乗客からの奇異な目で見られることも厭わず測ることが癖づいていました。お酒を飲みに行っても、カウンターの素材や寸法などを観察していました。周りからするとちっとも酔えない酒席です。 現在のようにインターネットが無く、自分の足を使って情報収集するしかなかったのです。今どきで言うところの“タイパが悪い行為”でした。ところが、観察することによって体得した知識が未だに活きており,普段の教育研究活動のみならず日常業務への向き合い方を考える際にも大いに役立っています。建築に限らず,特に初学者や新入社員の若い方々は、目の前にある物事や事象を観察する癖をつけてみてはいかがでしょうか。必ずや将来の自身の血となり肉となり、真の知識として体得できると思います。 埼玉新聞「知・技の創造」(2026年3月6日号)掲載 Profile 大塚 秀三(おおつか しゅうぞう)建設学科教授川口通正建築研究所を経て、2005年ものつくり大学技能工芸学部建設技能工芸学科卒業(社会人入学、1期生)2013年日本大学大学院理工学研究科博士後期課程修了 博士(工学)2018年4月より現職。専門は建築材料施工、コンクリート工学

  • 先端技術×伝統技法で14mの木橋を蘇らせる。学生が挑んだリノベーションの舞台裏

    Introduction 2024年5月、ものつくり大学と草加市が締結した「木橋リノベーション事業に関する基本協定」。その第2弾として2025年度に取り組んだのが、橋長14メートルの木橋「ふれあい橋」の再生です。橋梁・構造を研究する建設学科の大垣研究室と、木造構造・材料を研究する芝沼研究室による共同リノベーション事業として実施されました。この事業の中心を担った、建設学科4年生の小林駿斗さん(大垣研)と坂本匠さん(芝沼研)に、実践的な学びや苦闘、そして成長の記録をインタビューしました。 想像を超えた14メートル橋との対面、研究室を越えた結束 -まずは、このリノベーション事業に携わることになったきっかけと、その時の思いを教えてください。 【坂本】私は卒業研究のテーマを考えていた際、芝沼先生から「大垣研究室と合同で木橋のリノベーションをやってみないか」と勧められたのがきっかけです。元々大きい橋の改修という話を聞いていましたが、当初は「古い橋の一部を新しいものに作り直すだけなら、そんなには難しくないだろう」と少し楽観的に考えていた部分もありました。 【小林】私は前年度の「中根ふれあい橋」の補修も経験していたので、大垣先生からお話をいただいた時は「昨年の経験が生かせる」と引き受けました。しかし、現場で実際に14メートルの「ふれあい橋」を目にした時は、想像の3倍くらい巨大で驚きました。「本当にこれを自分たちだけで補修し、卒業できるのかな」とプレッシャーが押し寄せてきたのを覚えています。 坂本匠さん 小林駿斗さん 大学に搬入された補修前の「ふれあい橋」 -大垣研究室(橋梁・構造)と芝沼研究室(木造構造・木材)の共同リノベーション事業で異なる専門性を持つ学生がどのように連携したのですか? 【坂本】私は主に高欄(手すり)の製作を担当し、小林君たちは橋の骨組みである主桁(しゅけた)1や床板(しょうばん)2の補修を担当しました。高欄は、組み立てなど人が必要な時は、芝沼研究室のメンバー以外にも声を掛けて10人くらいで作業をしました。高欄を主桁に取り付ける段階に入ってからは小林君たちとずっと一緒に作業に取り組みました。 【小林】大垣研究室側は、私と大学院生の平田さんを中心に、3~4人で動いていました。先生方の指導はもちろんですが、平田さんは昨年の知見もありますし、木材にも詳しいのでさまざまなアドバイスをいただきました。 小林さんが作成した「ふれあい橋」の側面図 硬くて重い木材「ボンゴシ」との格闘 -2025年6月、大学に「ふれあい橋」が運び込まれましたが、実際に目の当たりにしてどうでしたか? 【小林】現場で見た時は「表面が少し痛んでいるかな」という程度に思えましたが、いざ解体してみると愕然(がくぜん)としました。木材の内部がアリに食い尽くされていたり、雨水が溜まって芯まで腐っていたり・・・。前回の「中根ふれあい橋」は日本の材で軽かったのですが、今回の「ふれあい橋」は南アフリカ原産「ボンゴシ」という非常に硬く、重い木材が使われていました。本来、腐食や雨などに強いはずの材ですが、3本ある主桁の1段目がほぼ全滅状態でした。 【坂本】橋をぱっと見て、高欄の柱の接合部は腐っていると思いました。実際、表面上は硬そうに見えても、解体してみると、中はかなり腐朽劣化した状態でした。 接合部の解体作業 腐朽劣化状況 -その「ボンゴシ」材の解体作業にかなり苦労されたそうですね。 【小林】正直、もう二度と触りたくないと思うほど大変でした。とにかく硬くて重い。例えば、ビスを一本打つのも一苦労で、木が硬すぎてビスが負けて、途中でねじ切れてしまう感じだったんです。腐った部分を削ろうとしても、ノミや丸鋸とかの刃が欠けたりすることもあり、作業する学生全員が悲鳴を上げてしまうような状況でした。 【坂本】ボンゴシ材に触れ、木材の中に深く埋まっている鉄筋を抜く作業にはかなり苦戦しました。当初は「使える部分は再利用する」という方針でしたが、あまりの劣化の激しさに、多くの部材が再利用不可能だと判断されました。そこから急きょ、新しい材を発注し、一から加工し直すことに・・・。作業量は当初の予想を上回ることになりました。 先端素材CFRPと伝統技法「腰掛鎌接」の融合 -小林さんが担当された主桁や床板の補修では腐朽部分に樹脂3施工とCFRP(炭素繊維強化プラスチック)4施工を行ったそうですね。樹脂施工で大変だったことは? 【小林】苦労したのは「樹脂」の温度管理でした。解体後に腐った部分を取り除き、そこに樹脂を流し込んで固める作業をしたんです。樹脂を漏らさないために木材の欠損部に合わせ枠を貼って、樹脂を流し込む型枠を作りました。樹脂は混ぜると化学反応で熱を持ちますが、夏の猛暑もあって、型枠の中でグツグツと煮え立ってしまうんですよ。それを防ぐため、早朝から少しずつ注入し、つきっきりで作業しました。型枠を外して整えるまで計3日。日付をまたぐこともありましたが、木材を確実に蘇らせるためには欠かせない工程でした。 樹脂注入作業 -今回のリノベーションでは、最先端素材である「CFRP」が補修の鍵となっていますね。この素材の特性と採用した狙いについて教えてください。 【小林】CFRPは鉄と同等の強度を持ちながら非常に軽く、腐食しないという特性があります。日光に弱い点も塗装でカバーできるんです。今回は、腐食して弱くなった木材の一部を樹脂で埋め戻し、その上からCFRPシートを何層も貼り付けることで、元の木材単体よりもはるかに高い耐久性と強度を持たせる手法を取りました。 -CFRP施工で最も気を使われたポイントは? 【小林】特に「成型版(CFRPシートを何層も重ねて固めた板)」を作る時は気を使いました。CFRPシートに樹脂を染み込ませて積層し、板状のパーツ(成型版)を自作するのですが、これが時間との勝負なんです。樹脂が固まり始める前に、すべてのシートを重ねなければならない。休憩も一切取れず、ゼミの仲間10人とシャツを絞れば汗が出るくらいになりながら極限状態で作業しました。でも、その苦労があったからこそ、完成後の「載荷試験」で、設計荷重をかけても「たわみ」が従来の半分以下に抑えられた時は、努力が報われた気がしてうれしかったです。 接合部のCFRP成型版による補修 -坂本さんが担当された高欄は、橋の「顔」とも言える部分ですね。特にこだわったポイントは? 【坂本】デザインに関しては、元々の形状を最大限に尊重しました。その中で特にこだわったのが、人の手が直接触れる「笠木(かさぎ)5」の部分です。当初は、木材同士を直角に切って組み合わせる単純な接合方法でしたが、あえて、ものつくり大学で学んだ昔ながらの伝統的な継手「腰掛鎌継(こしかけかまつぎ)6」を採用しました。木材同士を複雑に噛み合わせることで、一本の太い木のように強固に繋がり、乾燥や湿気による「ねじれ」にも強い構造になるんです。ここには非常に力を入れました。 -高欄づくりにおいて、苦労した点や工夫したところはありますか? 【坂本】とにかく加工と組み立ての物量が膨大でした。例えば、高欄の縦材を差し込むための穴を200個ほど開ける作業などは、非常に時間がかかり苦労しましたね。また、仕上の際、通路側の柱の節(ふし)が目立つ箇所に塗装がうまく乗らず、黒ずんでしまった部分がありました。そこを小さな木材で丁寧に補修する「埋木(節などの穴を木片で埋める作業)」を施し、指先で触れたときに引っかかりがないよう、徹底的に磨き上げました。 -この橋を訪れる利用者には、どのようなことを感じてほしいですか? 【坂本】高欄には、ヒノキや杉といった柔らかく温かみのある木材を使用しています。橋を渡る人がふと高欄に手を置いたとき、「あ、なんだか温かみがあるな」と、木の持つ優しさを肌で感じてもらえたらうれしいですね。 笠木の加工の様子 予期せぬトラブルと深まった互いへの信頼 -お二人の間で、冷や汗をかいた場面があったそうですね。 【坂本】実は、最終組み立ての段階で大きなミスが発覚しました。私と小林君の間で、ボルトを通す位置の打ち合わせが不十分だったんです。私が主桁に高欄を取り付けようとした場所には、小林君が主桁を補強するため大量のビスが打ってあって。ボルトを通そうとドリルを当てても、中のビスに当たって進まない。でも、橋の構造上、ボルトの位置はもう変えられない。結局、反対側から慎重に穴を開け、中にあるビスを鉄鋼用のヤスリでひたすら削り落とし、貫通させたのは何より大変でした。 【小林】あれは本当に青ざめました。補強を強固にすることに必死で、後からボルトを通すスペースを確保することを失念していたんです。ミスマッチがないように「事前の打ち合わせの『ほうれんそう(円滑な業務遂行のための「報告」「連絡」「相談」の頭文字をとった言葉)』」がいかに重要かを痛感しました。 -異なる強みを持つお二人がタッグを組んだからこそ成し遂げられたと感じます。一緒に作業をされたことで、お互いに刺激を受けたり、助けられたりしたことはありますか? 【小林】坂本君は加工技術が本当に卓越していて、現場では何度も助けられました。実は、最初は自分一人ですべての補修を担うつもりだったんです。でも、芝沼先生から「一人では大変すぎるから坂本さんにも入ってもらおう」と助言をいただいて。もし自分一人で高欄まで手掛けていたら、作業は膨大な時間を要していたはずです。彼の高度な技術があったからこそ、このクオリティで完成させることができました。 【坂本】僕は木造が専門なので、樹脂やCFRPシートに関する知識は全くない状態からのスタートでした。しかし、今回手がけた高欄も、実は笠木の部分にシートを巻くなど、先端素材の技術や知識が必要な場面があったんです。そんな時、小林君や大垣研の皆さんが人手を出して一緒に作業してくれたり、大学院生の先輩が木造の作業まで手伝ってくれたりと、知識面でも作業面でも本当に支えられました。自分一人では決して届かなかった領域を、仲間のおかげで形にすることができました。 実学が教えてくれた、ものづくり人としての成長 -補修完了にあたり、1月7日に行われた完成式を終えた今、自分自身の成長をどう感じていますか? 【小林】私はもともと、図面を正確に書くことやCADの操作が苦手で、どこか避けている部分がありました。しかし、14メートルの橋をリノベーションするには、構造計算をし、ミリ単位の図面を引き、それを現場に落とし込む必要があります。そのプロセスを逃げずにやり遂げたことで、技術的な自信がつきました。また、共同事業では何より協力体制が大事だったので、必要不可欠なコミュニケーション能力も向上したと思います。 【坂本】私は「工程管理」の重要性を学びました。見積り通りに進まず、自分の予測の甘さを痛感させられたこともありました。しかし、最終的には「この作業は何日くらいで終わるだろう」といった予測を立てられる能力が身についたと感じています。大学4年間の集大成としてこの事業をやり遂げることができたのは自分にとって大きな自信になっています。 -ものつくり大学での学びは、リノベーション事業でどのように生かされましたか? 【坂本】私は高校が普通科出身でしたが、ものづくりが好きでこの大学に進学しました。3年生の時に技能五輪国際大会に出場させてもらった経験があり、そこで培った「正確性とスピードの両立」という意識が橋の高欄をきれいに作る上で生きました。 【小林】私も普通科出身で、最初は「体を動かして学びたい」という理由で入学しました。オープンキャンパスで「工事をしているのも全部学生だよ」と教わった時の衝撃は今も覚えています。CADの使い方や図面の書き方が役に立ったのはもちろん、道具の使い方や危険時対応の学びも生きました。今回のリノベーション事業では、ものつくり大学だからこそ、ストラクチャー実習場7という充実した設備を使えたり、ラフタークレーンも入ってこられたりして大変助かりました。 補修が完了した「ふれあい橋」 未来へつなぐ、伝統と責任の架け橋 -自分たちが直した橋が、草加市民の生活の一部になることへの思いを聞かせてください。 【坂本】元々あった「ふれあい橋」は散歩道として交通量も多く、地域のみなさんに馴染み深いものだったと思います。私たちが改修した橋も親しみを感じて使って欲しいです。私が作った腰掛鎌継の継手や、細かな「埋め木」の跡に気づいてくれる人がいたらうれしいです。「ふれあい橋」が草加市の方々に大切に使い続けてもらえるよう、ものつくり大学の後輩たちにメンテナンスを引き継いでもらい、整備を継続していってほしいと思います。 【小林】公園が目の前にあるので、交通量もありますし、人が歩くので「安全に使われてほしい」と思います。私たちが施したCFRP補強や防水加工も万能ではありません。日々の点検や塗装の塗り替えなど、適切なメンテナンスをしていただければ助かります。 -最後にお二人の卒業後の進路に今回のリノベーション事業はどのようにつながっていると感じますか? 【坂本】4月からは、群馬の住宅工務店で大工として働き始めます。橋であっても住宅であっても、「人が使うものを作る」という本質は変わりません。今回のリノベーション事業を通し、人が使うもの、毎日の生活に必要なものを作れたことで、未来に向けた一歩になったと感じています。 【小林】私はゼネコンに就職し、施工監理か生産管理の道に進みます。木造の現場ではありませんが、実際に使われる橋の改修を行ったので、工程管理や人との連係プレーの学びは、これから必ず生きると信じています。 用語解説 1.主桁(しゅけた):橋の「背骨」となる最も重要な構造部材。橋の長さ方向に架けられ、橋の上に乗る人や車を支え、その力を土台に伝える役割を果たす。2.床版(しょうばん):人が直接通る「床」の部分。主桁の上に敷き詰められる板材のこと。常に雨や歩行による摩耗にさらされるため、高い耐久性と滑りにくさが求められる。3.CFRP(炭素繊維強化プラスチック):「鉄より強く、アルミより軽い」最先端の複合素材。炭素繊維を樹脂で固めたもので、重さは鉄の約4分の1だが、強度は10倍近くある。4.樹脂(じゅし):木材の欠損部を埋め、強度を回復させる「液体プラスチック」。2種類の液体を混ぜることで化学反応を起こし、カチカチに硬化する。腐朽して空洞になった内部に流し込むことで、腐食の進行を止め、木材を内部から補強する。5.笠木(かさぎ):手すり(高欄)の最上部に取り付ける仕上げ材。橋を渡る人が直接手を置く部分。手触りの良さといった意匠性だけでなく、下の構造体に雨水が浸入するのを防ぐ「屋根」のような役割も持っている。6.腰掛鎌継(こしかけかまつぎ):釘を使わずに木材をつなぐ、日本伝統の「継手(つぎて)」技法。一方の材を「鎌」のような形に削り、もう一方の凹みに落とし込んでスライドさせることで、引っ張っても抜けない強固な連結を可能にする。乾燥による木の狂いにも強い、先人の知恵が詰まった技法。7.ストラクチャー実習場:巨大な構造物の製作・実験が可能な、ものつくり大学独自の施設。学生が「本物」のスケールで実習を行える、実践教育の象徴的な場所。 関連リンク ●建設学科ウェブページ

  • 世界銀メダリストが導く、中庭再生までの100日。~大学生と高校生の挑戦~

    Introduction 技能五輪国際大会造園職種の銀メダリストで、大学院ものつくり学研究科1年の田子雅也さんがリーダーとなり、高大連携の一環として、2024年12月から約1年にわたり取り組んだ「岩槻商業高等学校 中庭整備プロジェクト」。ものつくり大学の学生と岩槻商業高等学校(以下、岩槻商業)の生徒との協働により2025年12月22日に完成に至った中庭。デザインの考案から造園実技の指導に至るまで、持ち前のものづくり魂でプロジェクトを完遂させた田子さんに、完成までの歩みと思いをインタビューしました。 ものづくり魂で挑んだプロジェクト -まず、このプロジェクトにどのような思いで関わろうと決められたのですか? 【田子雅也さん(以下、田子)】私はものづくりに対して、「人から満足してもらえ、自分が本当に納得したものをつくりたい」という気持ちを常に持っています。今回の岩槻商業の中庭整備プロジェクトは、未経験の課題も山積みでした。しかし、「生徒さんや先生方に喜んでもらえるなら、全力で挑戦しよう」という思いが何より勝りました。自分が「こうしたい」という思いももちろんありますが、高校側の「こういう場所があったらいいな」という願いを、可能な限り実現しよう、と覚悟を決めて臨みました。 インタビューに答える田子さん 中庭のデザインに込めたこだわり ー中庭のデザイン考案も田子さんが担当されたそうですね。具体的にどのようなニーズを汲み取り、形にしていったのでしょうか。 【田子】高校側からは大きく分けて2つの要望がありました。一つは「機能的・交流的側面」。鬱蒼(うっそう)としていた中庭を開放的な空間にし、生徒たちが昼食を食べたり、触れ合ったりできる「広場」にしたいという声です。もう一つは「教育的・地域共生的な側面」。前校長先生の熱い思いでもあったのですが、「近隣の保育園児などが家庭菜園を体験できるような、地域との繋がりを育む場所にしたい」という声でした。デザインにあたっては、まず「庭との関わり方」と「空間構成」を徹底的に考えました。庭には「外から眺める庭」と「中に入って体験する庭」がありますが、今回は、生徒たちが主体的に使えるよう、広々とした空間構成を意識しました。また、学校施設である以上、安全面に留意しました。中庭の下には避難設備として埋設物が埋まっているのですが、そこを壊さず、しっかり機能させたまま計画しました。 -デザインにおいて、特に「田子さんのこだわり」を出した部分はどこですか? 【田子】特にこだわったのは、「板石石畳(いたいしいしだたみ)」です。自然石の切り石を精密に舗装していく技術は、私が以前から自身の表現として極めたかった分野でした。これを今回のプロジェクトにどう落とし込むか、何度もシミュレーションを重ねました。そして、もう一つは「タイルアート」です。通常の造園ではあまり行わない手法ですが、岩槻商業のマスコットキャラクターである「商子(しょうこ)ちゃん」をタイルで描くことにしました。 3方向が交差する、プロジェクトの象徴の石畳。100㎏超の板石を「歩かせる」ように運び、足裏で感じる微細な段差まで徹底して調整。後輩に石の加工やデザインを伝承しながら、安定感のある美しさと歩きやすさを両立させた。 -デザイン画を描くプロセスや、それに対する高校側の反応はいかがでしたか? 【田子】手描きで2案作成しました。1枚描くのに1時間半くらいかけました。平面的なポイント。つまり庭のメインになる場所を決め、それと同時にそのメインを引き立てる「空き」、つまり空間の余裕を大切にしたいと考えました。植栽や石の「高さ」のバランスを重視して構成をもしたんです。そこから高校側と打ち合わせを重ね、2案それぞれの良さを残しながらブラッシュアップしていきました。2025年3月頃に最終案がまとまったのですが、生徒たちは「これが本当に自分たちの学校にできるの?」とワクワクした表情を見せてくれました。一方で、先生方からは「このクオリティを予算内で本当に実現できるのか」という不安の声もありました。そこで工夫したのが、「循環型の資材調達」です。既存の中庭にあった石を再利用し、足りない分は非常勤講師の渡邉先生が経営する「株式会社八廣園」から譲り受けた余剰材などを活用しました。4月の段階で、予算計算と綿密な工程計画を詰め、徹底的に準備しました。 田子さんがデザインした完成図面 ものつくり大学特有の「多職種」の絆 -実際の施工は2025年5月から始まったのですね。完成までのプロセスを教えてください。 【田子】施工期間は大学での準備を含めると100日を超え、岩槻商業の現場には約80日通い詰めました。工程としては、まず地盤を整えてコンクリートを打ち、洗い出しの仕上げを施してから石畳を組んでいく。骨格となる「固い物(石や構造物)」ができてから、最後に樹木を入れ、芝を張って「柔らかさ」を出す。これが造園のセオリーです。 -プロジェクトに関わったものつくり大学の学生の構成や協力体制は? 【田子】私のほかに、のべ10名ほどの4年生が手伝ってくれました。彼らは卒業研究で多忙な中、合間を縫って現場に入ってくれました。特に中心となった4、5名は、私とほぼ同じ頻度で現場を支えてくれたんです。一人では絶対に不可能だったプロジェクトです。現場の制約は想像以上に厳しかったです。最大の問題は「重機を入れられない」こと。さらに私自身が免許を持っていなかったため、免許のある学生がいる時しか軽トラが使えず、350㎏という積載量の限界と格闘しながら、巨大な石や木を運びました。技術的な難所やクレーンが必要な場面では、八廣園さんのプロの助けを借りましたが、基本は学生たちの手作業です。ここで、ものつくり大学の強みが発揮されました。 田子さんと一緒に作業をした学生たち -「ものつくり大学ならでは」の強みとは? 【田子】「多職種の力」です。ベンチの設計には大工を目指している学生から木材の性質について意見をもらい、タイルアートでは技能五輪全国大会のタイル張り職種で金賞を取った学生のアドバイスを受けました。「庭」という空間は、植物、石、木工、左官、タイル・・・あらゆる業種が重なり合って成立しています。それを学生同士のネットワークで補完し合い、一つの作品を作り上げられたのは、大きな収穫でした。造園だけをやっていては辿り着けないクオリティを実現できました。 酷暑、重機なき苦悩。例え話で高校生に伝えた「ものづくりの技」 -特に夏場の作業は、過酷を極めたのではないでしょうか。 【田子】本当に、その時期が一番きつかったですね。60平米もの面積を、重機を使わずスコップだけでひたすら手掘りしたんです。掘り出した大量の土を、400~500メートル先の置き場までネコ(一輪車)でひたすら運び続けました。体力のある学生たちですら、汗だくで無言になってしまって。「声がけをしなければ、誰か倒れてしまう」という、命の危険を感じるほどの暑さでした。高校生の安全を守るため、一番過酷な時期の土台作りは我々大学生が引き受け、進めました。 -重機が使えない中、どのような苦労や工夫をされたのですか? 【田子】300㎏~400㎏ある石を動かすために「三又(さんまた)」という原始的な三脚とチェーンブロックを使いました。クレーンなら5分で済む作業に、準備から30分以上かかりました。効率が悪く、安全面にも気を使ったのですが、道具を駆使して石を据える経験が貴重でした。また、工期短縮のために「プレキャスト化(事前製作)」の工夫もしました。大学でパーツをあらかじめ作っておき、現場で繋ぎ合わせました。 三又(さんまた)で作業を行う田子さん達 -高校生への技術指導で意識したことはありますか? 【田子】高校生には「商子ちゃん」のタイル仕上げや、植栽、石の加工などの作業を手伝ってもらいました。石の加工の仕方やデザインの考え方を、実践を交えて教えました。タイルの加工は大半はこちらで準備しました。初めて触る「タイルニッパー」でタイルを割ってもらい、一緒に作り上げました。専門用語を並べても伝わらないので、身近に感じてもらうために「例え」を使いました。例えば、タイルの目地を繋ぐ時、「3枚のタイルが合わさる部分を『Y』の字にすると綺麗に見えるよ。三ツ矢サイダーのマークを意識してみて」と教えました。例えを使うことで生徒さんの理解が深まり、一気に作業の精度が上がるんです。植栽では、やはり高校生たちのセンスもあると思うんですね。色使いとか、本当は華道部の生徒さんにも参加してほしかったのですが、日程が合わなくて、最終的に高校側のプロジェクトメンバーの15名が、放課後の時間を使って、自分たちの庭に命を吹き込んでくれました。 伝統の「洗い出し」に映える、マスコットキャラクター「商子ちゃん」。乾ききる前に表面を水やスポンジでさらい、中の砂利を露出させる「洗い出し」、地元の砂利や色鮮やかな砂利を混ぜた表情豊かな足元には、タイルアートの「商子ちゃん」もデザインされている。この柔らかな凸凹は、高いデザイン性だけでなく、雨の日でも滑りにくい効果をもたらす。 技能五輪の経験がもたらしたもの -田子さんは世界銀メダリストですが、高校時代から技能五輪全国大会に出場されていますよね。その経験はこのプロジェクトにどう反映されましたか? 【田子】大会に出るための訓練で、実際に庭を見て、感性を磨いてきたことが一番生きました。植木の植え方、高さのバランス、平面的な空間構成、これらは訓練の中で無数の庭を見て、実際に手を動かす中で自然と身についてきたものです。そのおかげで、今回のデザイン案もあまり悩まずに、かなり早い段階でまとめ上げることができました。「これは自分でも実現可能だ」という裏付けがあるからこそのデザインで、それは間違いなく、これまでの厳しい訓練の結果です。 -自身の中で、この100日間で感じた「成長」は何でしょうか。 【田子】一番は「段取り」の重要性を再認識したことです。大学から岩槻商業までは往復3時間。忘れ物一つが、致命的なタイムロスとコスト増を招きます。「段取り八分、仕事二分」という言葉の重みを、責任者として身をもって学びました。材料、道具、人員の動き、そのすべてを先読みして管理するプロデュース能力は、技能五輪で得た経験がベースにあり、現場ならではの学びとなりました。 高校生との交流、そして「生きた庭」の未来へ -商業高校の生徒さんとの交流で、意外な発見や喜びはありましたか? 【田子】私は農業高校の生徒さんとの交流は多いのですが、商業高校の生徒さんとはなかなか機会がなかったんです。普段はパソコンや電卓に向き合っている生徒たちにとって、土を触り、自分の手で形を作る作業はとても新鮮だったようです。「今日は作業をやるから来てね」と言うと、興味をもって参加してくれる生徒さんがたくさんいました。「ものを作るのが好き」という言葉を聞いた時、商業という枠組みを超えて、ものづくりの可能性を感じました。デザインを立体として具現化し、生徒さんに喜んでもらえる空間を実現できたことも、何よりの達成感になりました。最初は全容が見えなかった中庭に、緑が入り形になっていくにつれ、生徒さんから「ああ、すごいな」、学生が作ったベンチを見て「これすごいね」と声をかけていただけるようになったときはうれしかったです。 -2025年12月22日、ついに中庭が完成しました。高校側の反応はいかがでしたか? 【田子】「暑い中も含め、長い間ありがとうございました」と感謝の声をいただきました。完成が冬だったので、今はまだ木々が少し寂しい姿をしています。だから高校生たちには「春に芽吹くまでは、しっかり水をあげてね。これからどんどん緑が増えていくから」と伝えました。校長先生が庭を眺めて、「あそこに何か植えたいな」とポツリとつぶやいてくださったのはうれしかったですね。 -この中庭が、今後どのように育ってほしいですか。 【田子】岩槻商業には、これまで「憩いの場」と呼べる緑地が少なかったと聞きます。文化祭などの行事はもちろん、日常の何気ない時間に、ふとこの庭を通り抜けてほしいです。あえて通り抜けができる動線を設計したのは、生活の一部に庭を取り込んでほしかったからです。季節ごとに変化する緑に目を向け、心がふっと軽くなる。そんな場所になってほしいですね。 植栽は、地面のフリク(不陸・凸凹)に合わせて、自然本来の育ち方を再現する「自然樹形」を意識した。ツツジやアジサイ、沈丁花など、高校という場所にふさわしい樹種を厳選。高校に生えていた「龍のひげ」も学生と一緒に植え直し、四季折々の風景を楽しめる憩いの場としての中庭に。 建築と庭を繋ぐ、次世代のプロデューサーを目指して -田子さんが、そもそも造園を志したきっかけは何だったのでしょう? 【田子】中学2年生の時に見た、東京スカイツリーの建設動画です。最初は建築そのものに興味が湧いたのですが、スカイツリーが建った後の下町の映像を見て、心が動きました。人間が作ったコンクリートの直線的な建物と、植木の曲線的な要素が絡み合った街の景色。それが「人と自然の合作」のように見えたんです。建築もいいけれど、緑地デザイン、特にランドスケープデザインをやりたいと直感しました。 -農業高校からものつくり大学、そして大学院へ。学び続ける理由は? 【田子】高校時代は緑地デザインコースで学び、造園部に入り、1年から3年まで毎年技能五輪全国大会に出場し、敢闘賞や銀賞を受賞しました。仲間と切磋琢磨するのが楽しくて技術も上達したのだと思います。ものつくり大学を選んだのは、建築の要素も学びつつ、技能五輪で金賞を目指せる環境があったからです。緑地デザインの中には建築の要素も入っているんですよね。大学院に進んだのは、造園をより建築に馴染ませるための勉強をしたかったからです。現在は三原研究室で、技能五輪を通した若手技能者のスキルアップについての論文を書きつつ、京都の桂離宮や迎賓館などを巡り、空間のあり方を自主的に研究しています。私の目標は、「建築が分かる造園屋」になることです。将来は、建築と庭の両方を一貫してプロデュース、設計・施工できる存在になりたいです。特に今は、商業施設や店舗の庭に興味があります。飲食店などに立ち寄った人の目に留まり、「この庭はいいな。自分の庭もこの人に任せたい」と思ってもらえるような、そんなきっかけを作れる庭を手がけていきたいですね。 -最後に、このプロジェクトを通して、高校生たちにメッセージを。 【田子】庭は完成して終わりではありません。5年後、10年後、木々が大きく育ち、花が咲き、実が成る。その時、関わった生徒たちが卒業生としてここを訪れ、「この石は自分が置いたんだ」「このタイル、一緒に割ったな」と思い出してくれたら。自分たちが作った場所が、後輩たちに愛され、育っている。その誇りと達成感を共有し続けてほしいです。 一緒に中庭を作った岩槻商業高校の生徒さんとともに 関連リンク ・大学院ものつくり学研究科・第47回技能五輪国際大会応援ページ・岩槻商業高等学校「岩商Topics」

  • 【知・技の創造】グローバル人材育成

    人材育成と交流事業 ものつくり大学の理念の一つである「技能・科学技術・社会経済のグローバル化に対応できる国際性の重視」を踏まえ、本学では、国際社会において主体的に活躍できる人材の育成を重要な教育目標として位置づけています。 この理念のもと、本学は、異文化および多様な価値観への理解を深めるとともに、国際的なコミュニケーション能力に加え、主体性、課題解決力、協働力、柔軟な思考力を備えたグローバル人材の育成を目的として、国際交流事業を積極的に推進しています。 日本の製造業は1980年代以降、円高や国際競争の激化を背景に海外展開を加速させ、その結果、国内産業の空洞化が進行しました。現在は円安局面にあるものの、海外の生産拠点においても日本のものづくりの品質や技能を維持・発展させることが求められており、現地人材と協働しながら技術や生産システムを高度化できる技術者が求められています。 交換留学を経て成長する学生たち こうした背景から、本学では、タイ王国バンコクに所在する泰日工業大学(Thai-Nichi Institute of Technology:TNI)と連携し、本学学生の派遣とTNI学生の受け入れを行う相互交流型の留学プログラムを実施しています。 これまでに本学からTNIへは延べ45名の学生を派遣してきました。派遣期間は約2か月で、前半の1か月は、海外での生活基盤を整えるとともに、生活習慣の違いを理解し、インターンシップに必要な基礎的語学力を養うことを目的として、TNIでの学修活動を行います。後半の1か月は日系企業および地元企業でインターンシップ研修を受けます。 派遣された学生を対象に実施したアンケート調査では、海外インターンシップを通じて成長を実感した能力として、「異文化理解」、「コミュニケーション力」、「問題解決力」が特に高い割合を占める結果となりました(図1)。また、ほぼ全員の学生が、現在のキャリア形成に「非常に有用」または「有用」であると回答しました。 (図1)交換留学プログラムを通じて実感したスキル・能力 体験から学びへ 一方、TNIの学生は本学に派遣され、約4か月間にわたる卒業研究を行っています。本学の研究室に所属し、教員の指導のもとで研究活動や実験・製作に取り組むことで、日本のものづくり教育や研究手法、安全管理、チームでの協働の在り方を実践的に学んでいます。これまでに本学に派遣されたTNIの学生数は、延べ57名に上ります。 「百聞は一見にしかず」ということわざのとおり、本交換留学プログラムにおける海外での学びは、実際に見て体験することでこそ得られる気づきに満ちています。こうした体験を積み重ねる学びの旅の中で学生達たちは進化を遂げ、その経験が将来にわたる成長の礎となることが期待されます。 埼玉新聞「知・技の創造」(2026年2月6日号)掲載 Profile ビチャイ サェチャウ情報メカトロニクス学科教授タイ王国King Mongkut’s Institute of Technology North Bangkok卒、東京工業大学大学院博士課程終了、工学博士。東芝(株)に入社、同大学助手を経て2001年より現職。専門は「制御工学、メカトロニクス」

  • 【知・技の創造】非破壊検査が開く可能性

    コンクリート構造物の老朽化の対応 現在、高度経済成長期以降に整備された大量のインフラの老朽化が深刻になっており、建設から50年以上経過した構造物が増加しています。「国土交通省白書」では、損傷発生後に補修する「事後保全」から、損傷が軽微な段階で補修を行う「予防保全」に転換することを打ち出しています。そのためには、劣化の状況を目視だけでなく、非破壊検査を活用することが重要になってきます。さらに、深刻な労働者不足に対応するために、AIの活用や、ロボット化の技術が必要不可欠になります。 共同研究の紹介 コンクリート構造物の耐久性は、使用するコンクリートの性能に大きく左右されます。そこで、まずはコンクリート構造物をつくる段階からAI等を活用した技術が研究、実用化されています。近年、生コンの全数の流動性をリアルタイムで確認できる技術が開発され、流れている生コンの画像解析とAIを活用したもの、センサを取り付け流れる生コンの抵抗を測定する方法などがあります。私は流れてくる生コンの抵抗を測定する方法で(株)フジタと共同研究を行っています。幅の異なる金属棒にセンサを取り付け、それぞれの金属棒の生コンが流れる際に受ける抵抗値を測定・解析し、ビンガムモデルを用いて流動性を評価する方法です。現在、施工現場で実用化実験を行っているところです。 次に、コンクリート構造物の劣化調査では、高速道路のコンクリート床版の劣化に着目し、私はコンクリート床版の内部劣化を調査する衝撃弾性波法の自動打撃装置の開発を(株)ネクスコ東日本エンジニアリング、リック(株)、(株)シーテックと共同研究を行っています。衝撃弾性波法は、コンクリート面を鋼球などで打撃し、衝撃により発生した弾性波をコンクリート面に受信センサとして設置した加速度計により受信して、コンクリート内部等の状態を推定する試験方法ですが、実構造物での適用事例が少ないです。また、打撃・受信方法についても従来の人力ではなく、一定の力でコンクリート面を打撃でき、弾性波を正しく受信できる機構を持つ自動打撃装置を開発しました。現場実装に向け、実橋梁による検証や、容易な測定手法、評価方法の確立に取り組んでいます。 非破壊検査への今後の期待 現在、様々な方法でコンクリートを壊さずに調べることのできる非破壊検査技術が研究・実用化しています。今後は、更なるAIやロボットの活用、これら非破壊試験方法のJIS(日本産業規格)やNDIS(日本非破壊検査協会規格)などの標準化、そして若手技術者の育成に力を入れ、国土を守る役割を担えたらと思う次第です。埼玉新聞「知・技の創造」(2026年1月9日号)掲載 Profile 澤本 武博(さわもと たけひろ)建設学科教授 東京理科大学卒業、同大学院博士後期課程修了、博士(工学)。若築建設株式会社、東京理科大学助手を経て、2005年着任、19年より学長補佐、22年より教養教育センター長。

  • 【知・技の創造】ものづくりの原点

    トヨタ生産方式とは トヨタ自動車で36年間、生産現場に携わり、改善や人材育成に取り組んできました。今年4月から大学に移り、若い学生と向き合う中で、改めて「ものづくりの本質をどう伝えるか」を深く考えるようになりました。 戦後の日本経済を支えてきたのは製造業、とりわけ自動車産業です。その中心にある「トヨタ生産方式(TPS)」は、「ジャストインタイム」や「自働化」といった仕組みで知られますが、本質はそこに留まりません。最も大切なのは、時代が変わっても“人が中心であり、人が軸である”という考え方です。 「つくる」から始まる TPSの源流は、創業者が改良した機織り機にまでさかのぼります。当時、両手で行っていた作業を片手でできるように改善した背景には、「母親の仕事を楽にしてあげたい」という子の思いがありました。TPSの原点は「効率化」ではなく、「誰かを楽にしてあげたい」という心にあります。それは利益や生産性を超え、「すべての人の幸せ」を目指す思想でした。 TPSには「工程は常に改善できる状態にしておく」という重要な考え方があります。現場は常に変化するため、“後から改善できるようにしておく”ことが肝心です。人が工夫しやすい環境を整えることが、持続的な生産性向上につながります。 一方、今の製造業を取り巻く環境は大きく変化しています。人口減少や高齢化、グローバル競争、カーボンニュートラル、AIの急速な進化――未曾有の時代です。これからの100年を見据えるとき、「ものづくりは人づくり」という視点を忘れてはなりません。AIは設計や保全で活躍しますが、現場の気づきや創造的発想は人にしかできません。人の五感=“センサー”を生かし、技術と融合してこそ「知と技の創造」が生まれます。 幸せを追求する姿勢 私が思い出すのは、ものつくり大学初代会長・豊田章一郎氏の言葉です。「新しいものをつくるために知恵を絞り、仲間と一緒に汗をかき、時間を忘れて熱中する、その瞬間が極めて楽しい。」学内では学生たちが自主的にプロジェクトに挑み、仲間と試行錯誤する姿があります。 その姿に、TPSの精神、“人が中心”であり、“人の幸せ”を追求する姿勢があります。 生産性向上は重要ですが、人を犠牲にしては長続きしません。 人にはそれぞれの価値観、個性があります。それを受け入れ、多様性を力に変えられる職場こそ、これからの製造業に求められる姿です。 学生たちは柔軟な発想を持ちながらも、将来に不安を抱えています。だからこそ伝えたい。 「ものづくりは人を幸せにできる仕事である」という事を。 埼玉には多くの中小企業があり、地域を支えてきました。 私は大学・企業・地域を結び、人を中心としたものづくりを探求し、支援していきたいと思います。 埼玉新聞「知・技の創造」(2025年12月5日号)掲載 Profile 荒井 豊(あらい ゆたか)情報メカトロニクス学科教授 法政大学工学部卒。トヨタ自動車株式会社、愛三工業株式会社を経て2025年4月より現職。専門はトヨタ生産方式、所属学会:生産管理学会、鋳造工学会。

  • 【埼玉学⑫】天国への道--埼玉県道153号幸手久喜線

    Introduction 「埼玉学」とは、埼玉県の歴史・文化・産業・地理など、埼玉県に関するあらゆる分野を総合的に研究・探究する学問です。教養教育センターの井坂康志教授が新しい研究テーマとして連載しています。 埼玉学第12回は、井坂教授の子供時代の聖地・イトーヨーカドー久喜店から埼玉県道153号線を幸手方面に歩きながら、久喜・幸手の地名の由来に思いを馳せていきます。 起点--イトーヨーカ堂久喜店 30年ぶりに歩こうと決めた。私が「天国への道」と勝手に名づけた街道だ。埼玉県北東部、久喜駅の西口に降り立つ。上野東京ラインと東武伊勢崎線の交差するちょっとしたターミナルだ。都心へのアクセスもなかなか悪くない。大手町、東京、新宿、渋谷へも一本で行ける。 記憶の中の久喜は、埃っぽく、それでいて精悍な地方都市の顔つきをしていたものだが、駅舎はかつての面影もなく変貌を遂げていた。どうしても立ち寄らねばならない場所があった。駅前のロータリーを横切り、イトーヨーカドー久喜店へと向かう。子供時代の「聖地」だ。今や機能的なショッピングセンターとして再編されている。迷うことなく、かつて書店とレコード店があったはずのフロアへと向かっていた。学研の学習まんが「ひみつシリーズ」を買ってもらい、初めてレコードを手に入れた思い出の一画だ。クラシックが少しだけ好きだった。フルトヴェングラー指揮の二枚組レコード『第九』。背伸びにもほどがある選盤だ。子供の耳にはあまりに渋すぎた。おまけにレコードにはなぜか傷があり、針が飛ぶ。がっかりして店に持って行くと、店員の方は理由も聞かずに新品と交換してくれた。あの時の安堵と、大人の寛大さに触れた驚きは、レコードそのものより鮮烈に残っている。もちろん、書店もレコード店も現存していない。 後年、私は幸運にも、セブン&アイ・ホールディングスの創業者・伊藤雅俊さんと知遇を得た。その折、久喜店での思い出話をしたことがある。「子供の頃、久喜のヨーカドーには本当にお世話になりました」と水を向けると、伊藤さんは「ああ、あそこね。変な店だけどね」とだけ答えた。子供をほめられたような、そっけなくもはにかんだ印象だった。すっかり様変わりした店内で、私は年老いた母への手土産を求めた。一階の銘菓コーナーに、オルセー美術館の所蔵作品をあしらった洋菓子のセットを見つける。ルノワールの『ピアノに寄る少女たち』だ。 子供の頃の聖地・イトーヨーカドー久喜店 今はもう取り壊されてしまった実家が思い起こされる。母は音楽の教師だった。部屋にはピアノ、タイプライター、そして数多の画集があった。壁にはルノワールのポスターが貼られていた。私は菓子折りを贖い、店を出た。いくつもの記憶が絡まり合って交差し、浄化されていく気がする。久喜--。久しき喜び(the Eternal Joy)。「天国の道」の起点だ。埼玉学の探求は、こんなところからも始まる。 街道の記憶 ここは広大な関東平野のほぼ中央部。久喜から幸手方面へと伸びる道をひたすらに歩く。現在は埼玉県道153号幸手久喜線と呼ばれる。久喜と幸手--。二つの宿場町の名だ。久喜は、江戸時代、日光街道の西を走る「館林道(佐野道)」の要衝として栄えた「久喜宿」である。岩槻から分岐し、利根川を越えて北関東へと向かうこの脇往環は、大名行列や一般の旅人で賑わう日光街道とはまた別の賑わいを見せ、人々の往来の絶えることなき宿場だった。大宮台地の東のへりが、中川や利根川が形作った東部の広大な低地帯へと落ちていく境界線上に位置している。人々は、台地の安定した地盤と、低地の豊かな水を求めた。道は必然的にその際を縫っている。「くき」の由来も地形と無関係ではないだろう。台地が低地に突き出した「岬」のような地形を指す「陸(くが)」を転じたとも、あるいは低湿地帯に杭を打って土地を「区切り」定めたことから来たとも言われる。いずれにせよ、水と台地のせめぎ合いをその名は示しているだろう。幸手へと続く道は、緩やかに下る。大宮台地の高みから、中川低地へと、土地の骨格に沿っている何よりの証拠だ。道の両側には、かつての見渡す限りの田園風景はなく、ロードサイド店や住宅地が切れ目なく続く。幸手もまた、久喜と並び称される宿場町だった。日光街道と日光御成道がここで合流し、江戸から六番目の宿場として、また権現堂川(現在の権現堂堤)の渡河地点として、江戸北辺の玄関口の役を担った。地形を見れば、その宿命はさらにはっきりしてくる。幸手は、西から流れる倉松川と、北を塞ぐ大河・利根川(権現堂川)に挟まれた、低地の中のわずかな高みに築かれている。絶えず洪水の脅威にさらされながらも、水運と陸運の利便性を手放すことができなかった人々のぎりぎりの選択の痕跡でもあった。この道は、台地の安定から低地の混沌へ、そして再び秩序ある宿場町へと至る、土地の紡ぐ記憶そのものだ。 中間点の茶屋 そのほぼ中間地点に、喫茶「どんぐり」がある。変わることなき山小屋風のログハウスが目に入る。扉を開ける。店内はあの日のままだ。壁一面の高山植物の写真、フォルクローレのBGM、高齢の主人が、物静かにカウンター奥に立つ。私は、窓際に腰かけ、ブレンドコーヒーを注文する。初めてこの店を訪れたのは1995年、大学四年生の時だった。就職活動を終えて間もなく、定年を迎える父と二人で来た。そのとき何を父と話したのか。ほとんど覚えていない。コーヒーを口にする。30年前よりも少し薄く感じるのは、時の重みがそう感じさせるのか。 喫茶どんぐりにて。 父は時々、若い頃心酔した社会主義者・河上肇の歌を暗唱したものだった。「辿りつき振り返り見れば山河(やまかわ)を越えては越えて来つるものかな」。遠い感情が今は重たく私の心中にある。 「辿りつき振り返り見れば山河を越えては越えて来つるものかな」(河上肇) 「幸いなる手」へ 店を出て、幸手を目指す。秋の空が高い。「幸手」(the Happy Hands)。なんと美しい地名か。アイヌ語の「サッ・テ」(乾いた・ところ)から来ているという説や、幸宮神社の神域を意味する「幸(さき)つ・御手(みて)」から転じたなど、諸説あるらしい。地名は、そこに住まう人々の願いの結晶なのかもしれない。特に幸手は、権現堂堤の決壊に象徴されるように、幾度となく水害に苦しめられてきた。厳しい現実の中で、人々が「幸」を願い、その手につかもうともがいてきた痕跡がこの地名には刻まれている。宿場町の面影を残す市街地に入った時、私は確信した。「久喜(久しき喜び)」という、過去の温かな記憶の地から出発し、「幸手(幸いなる手)」という未来への希望を手渡す街道ーー。イザヤ書の啓示みたいに聞こえないか。30年ぶりの道は、私に多くを語りかける。ここは歴史と地形の織りなす魂の巡礼路なのだ。埼玉学とは、自らの足で土地を歩み、その土地固有の記憶と対話し、自らの生の原点へと立ち返る旅であっていい。いや、そうあっていけない理由がない。幸手のホームに立つ。手提げ袋の中のルノワールが、確かな重みを持って母の住む故郷へと私を誘っている。 ルノワール「ピアノに寄る少女たち」 Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学 教養教育センター教授1972年埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、情報社会学。 関連リンク ・【埼玉学①】行田-太古のリズムは今も息づく・【埼玉学②】吉見百穴-異界への入口・【埼玉学③】秩父-巡礼の道・【埼玉学④】『翔んで埼玉-琵琶湖より愛をこめて』を公開当日に見に行くということ・【埼玉学⑤】「食」のアミューズメント・パーク サイボク・【埼玉学⑥】埼玉の奇祭--歌声が聞こえる・【埼玉学⑦】埼玉学者、埼玉県知事に会いに行く・【埼玉学⑧】真夏のクリスマスーー下総皖一『野菊』の思い出・【埼玉学⑨】「埼玉学ツアー」が教えてくれたもの-埼玉未来大学で出会った素晴らしき仲間たち・【埼玉学⑩】鉄道博物館と大宮操の桜・【埼玉学⑪】大宮盆栽町--「これでいいのだ。埼玉」

  • 【知・技の創造】ブルーチェアと皆野町

    色鮮やかな「みなのんち」 埼玉県秩父盆地に位置する皆野町では、森林資源の循環と地域交流をテーマにした取り組みが進められています。その拠点となるのが、皆野駅前にある移住相談センター「みなのんち」です。移住希望者と地域住民が気軽に立ち寄れる場所として改修されましたが、より親しみやすく魅力ある空間とすることが課題でした。 私たちはその一環として、町内の製材工場から提供された端材を活用し、子どもたちを対象に「イスづくりワークショップ」を企画しました。小学五年生から中学生までが参加し、役場職員や地域おこし協力隊、そして私たち大学生が協力して進めました。完成したイスの一部は「みなのんち」に常設し、残りは参加者が自宅に持ち帰る仕組みとしました。施設に置いたものは町のイメージカラーの青で仕上げ、「みなのブルーチェア」と名付けました。 当日は子どもたちが思い思いの色を選び、真剣な表情で組み立てに挑みました。材料の不足で急な調整が必要になったり、木材の節をどう扱うか迷ったりする場面もありましたが、そのたびに学生と子どもたちが一緒に考え、工夫を重ねていきました。完成したイスに腰掛けたときの誇らしげな笑顔は忘れられません。アンケートでも「楽しかった」「またやりたい」という声が多く寄せられました。 次の世代へつなげること こうしたワークショップは、子どもたちにものづくりの楽しさを伝えることが主な目的でした。しかし、ふり返ると最も大きな学びを得たのは、実は運営側の学生だったのではないかと感じています。部材の準備や加工方法の検討、当日の進行計画や資料づくり、さらに地域の方々との調整など、授業では経験できない実践的な課題に向き合いました。現場での予想外のトラブルにも対応し、参加者に安心して取り組んでもらえるよう工夫を凝らす過程は、ものづくりの技術以上に貴重な学びを与えてくれました。 森林資源を無駄にしない端材の活用、地域の人々との交流、子どもたちの体験。これらはいずれも大切な目的でしたが、その裏で学生自身が大きく成長できたことが、このプロジェクトの思わぬ成果だったと実感しています。 「みなのんち」に置かれた青いイスは、町の象徴であると同時に、私たち学生にとっても学びの証です。この小さな家具が、地域への愛着や次世代への継承のきっかけとなることを願っています。 埼玉新聞「知・技の創造」(2025年11月7日号)掲載 Profile 大竹 由夏(おおたけ ゆか)建設学科講師筑波大学博士後期課程修了。博士(デザイン学)。一級建築士。筑波大学博士特別研究員を経て現職。

  • 【埼玉学⑪】大宮盆栽町--「これでいいのだ。埼玉」

    Introduction 「埼玉学」とは、埼玉県の歴史・文化・産業・地理など、埼玉県に関するあらゆる分野を総合的に研究・探究する学問です。教養教育センターの井坂康志教授が新しい研究テーマとして連載しています。埼玉学第11回は、土呂駅に初めて降り立ち、さいたま市大宮盆栽美術館を訪れた井坂教授が散策しているうちに直感した、盆栽、タモリ、バカボンのパパのつながりについて述べていきます。 土呂駅を降りる 子供の頃から、いや、物心ついた時から、私はJR宇都宮線に揺られてきた。何度揺られたか分からない。埼玉と東京とひたすらに行き来するありふれた路線だ。大宮、浦和、上野、数えきれないほど乗り降りした駅がある一方、車窓からその名を目にするだけで、一度もホームに降り立ったことのない駅がないわけではない。その筆頭が土呂駅だ。土呂は大宮駅の隣、その何とも言えない語感もさることながら、駅の周囲に何か目立った建築物は見当たらず、ぽっかり中空にくりぬかれた残欠のような駅である。その日、私はふと思い立ち、吸い寄せられるように土呂駅で電車を降りた。爽快なまでにすっきりした駅だ。人影もまばら。かつてタモリは埼玉のこんな茫洋とした風景を目にして「ダサい」と言ったのかもしれないな。そう思えてきた。私の埼玉学の探究は、時にこんな気まぐれな下車から始まる。 土呂駅で初めて降りてみた 盆栽村と小さな宇宙 目指すは、駅からほど近い大宮盆栽村。駅前ロータリーから仰ぐ空は高く、さしあたりさえぎるものは見当たらない。秋の直射日光をまともに浴びながら、少しばかり歩を進めると、やがて近代的な洋館が目に入る。「さいたま市大宮盆栽美術館」だ。門をくぐると、やや湿り気を含む空気に迎えられる。屋内屋外に展示された盆栽の一つひとつが、弱まる日差しに凛とした存在感を放っている。幹はダイナミックな躍動と共にうねり、古木に生じた瑞々しい苔の情感とコントラスト。ほとばしるマグマを一瞬で凍結させたかのようだ。つめたく感じるその内奥では、灼熱の情念が渦巻いている。どれ一つとっても、快い緊張をはらんでいる。私はこれまで、盆栽を年配者の趣味という先入観で見ていた。あるいは老後の高尚なたしなみとも見ていた。大きな間違いだった。目の前にあるのは、限られた空間の中に、大自然の風景、悠久の時の流れ、そして生命の厳しさ、美しさ、そしてそれらすべてへのありとあらゆる畏敬を凝縮した、紛れもない「ミクロコスモス(小宇宙)」であった。これは人が自然と対話し、その力を借り上げて創り上げる、自由で創造的な芸術だ。解説によれば、盆栽村の歴史は、1923年の関東大震災に遡る。多くの盆栽・植木職人たちが、壊滅的な被害を受けた東京を離れ、植物の育成に適した土壌と水、そして空気が綺麗なこの地を安住のための回避所として集団で移住してきたのだ。そう思うと、一つひとつの盆栽が、芸術品を超えて、危険で暴力的な時代を生き抜いた人々の憧れのしるしのようにも見えてくる。 盆栽と漫画。世界へ 館内には、ドイツ人と思われる団体、地元の小学生、高齢の方々等、様々な年齢や背景を持つ人々が、熱心に一つひとつの盆栽に目をとめていた。彼らはガイドに耳を傾け、スマートフォンのカメラを盆栽に向けている。表に出て、盆栽町をそぞろ歩くと知らずある一画に迷い込んだ。時間が止まったかのような閑静な通りだ。一見雑な植え込みや草木も、引いてみると不思議な調和を維持している。この一画が、巨大な盆栽の中の世界のように感じられてきた。あるいは何かの気のせいだろうか。「さいたま市立漫画会館」の看板が目に入る。市立で、しかも無料となれば、入らない理由がない。誘われるように足を踏み入れると、そこは近代日本漫画の祖、北澤楽天という人物の功績を伝える施設だった。恥ずかしながら、私はその名を知らなかった。パネルの説明によれば、日本初の職業漫画家として活躍し、風刺画や子供向けの漫画で一世を風靡した偉人だという。晩年をこの盆栽町で過ごしたとも記されている。彼の描く、生き生きとしたポスターやポンチ絵を眺めるともなく眺めていると、ふと奇妙な共通点に思いが至った。「BONSAI」は、今や世界共通語だ。そして、北澤楽天が礎を築いた日本の漫画もまた、「MANGA」として世界に認知された日本を代表する文化だ。小さな鉢のミクロコスモスと、紙上の二次元の世界。表現方法は違えど、どちらも国境をやすやすと超え、世界へと拡大したのだ。 さいたま市大宮盆栽美術館 中庭。小宇宙の銀河系 タモリの視線と消えた水路 街路を歩きながら、私はかつてテレビで観た「ブラタモリ」の大宮特集を思い出していた。地形や街の成り立ちに異常なほど敏感なタモリが、大宮台地や、暗渠(あんきょ)となった川の跡を嬉々として語りながら、女性アナウンサーとゆっくり歩を進める様子が脳裏に蘇る。彼の視線を借りて足元に注意を向けると、なるほど、盆栽町には不自然な直線を描く通路が伸びているのに気づく。その周辺には、ランダムでありながら、全体的には妙に均整の取れた古木や下草が目に入ってくる。なんだか昭和時代を象徴する切り絵みたいな風景が、秋の赤光に照らされて浮かび上がってくる。私が歩みを進めている道の形状から、それは明らかにかつて水の流れていた跡だ。その証拠にマンホールがずいぶん先まで転々とその流路を暗示している。大宮台地の縁から染み出した水が、小さな流れとなってこの地を潤していたのだろう。水のほとりには、人々の生活があったはずだ。子供たちの笑い声、洗濯する母親たちの姿、じょうろで草木を潤す老人たち--。今はアスファルトの下に消えた水の流れの記憶が、土地の起伏や道の形に確かに刻まれている。土地の歴史を読み解くタモリの視点は、物事の本質を別の角度から喝破した師・赤塚不二夫の視点と、どこか通じるものがあるのかもしれない。こんな具合に想像がとりとめなく広がっていくのは私の悪い癖だ。赤塚とくれば、バカボンのパパへと思考は一直線である。赤塚の代表作『天才バカボン』で、バカボンのパパの職業が「植木屋さん」だった事実に、私ははっとした。もちろん植木と盆栽は厳密には違う。しかし、ともに日常に潜む宇宙であることに変わりはない。バカボンのパパは、日々、ミクロコスモスと向き合っていたのだ。漫画という二次元の世界で。そして、彼の哲学を集約したあの決め台詞、「これでいいのだ」。それは、あらゆる物事をあるがままに肯定する、老子の説く「無為自然」の境地そのものだ。自然の摂理を受け入れ、その中に美を見出す盆栽の精神と、何かが通底しているように思えた。タモリは師・赤塚の弔辞で、その人生を「これでいいのだ」と要約したのだったな。初めて降り立った土呂駅で出合った小宇宙としての盆栽。世界に広がる漫画。消えた水路の記憶。植木職人だったバカボンのパパ。宇宙、世界、水、道、そして平和--。一見、何の脈絡もない点と点が、一本の道で結ばれた気がした。盆栽町は、戦争と革命を経た日本において、一種の桃源郷だったのではないか。そのとき、タモリがかつて口にしたとされる『ダサい』という一語が、それらを煮詰めた一本のボトルに、そっと貼られた一枚のラベルのように思えてくる。盆栽町を後にしながら、私は静かにこうつぶやいていた。「これでいいのだ。埼玉」と。 「これでいいのだ。埼玉」By 井坂康志 Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学 教養教育センター教授1972年埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、情報社会学。 関連リンク ・【埼玉学①】行田-太古のリズムは今も息づく・【埼玉学②】吉見百穴-異界への入口・【埼玉学③】秩父-巡礼の道・【埼玉学④】『翔んで埼玉-琵琶湖より愛をこめて』を公開当日に見に行くということ・【埼玉学⑤】「食」のアミューズメント・パーク サイボク・【埼玉学⑥】埼玉の奇祭--歌声が聞こえる・【埼玉学⑦】埼玉学者、埼玉県知事に会いに行く・【埼玉学⑧】真夏のクリスマスーー下総皖一『野菊』の思い出・【埼玉学⑨】「埼玉学ツアー」が教えてくれたもの-埼玉未来大学で出会った素晴らしき仲間たち・【埼玉学⑩】鉄道博物館と大宮操の桜

  • 手を動かす「ものづくり」から、考える「仕組みづくり」に~料理研究サークル、ラジオパーソナリティー、そして商店街の活性化に取り組んで見えたこと~

    Introduction 学内外で多岐にわたる活動に取り組んでいる和田燿(ひかる)さん(建設学科4年・田尻研究室)。ラジオパーソナリティーなど、ものつくり大学の学生として稀有な分野に挑戦してきた和田さんにインタビューしました。 やりたいことを実現できる環境があるものつくり大学 現在、田尻研究室でまちづくりの一環として商店街の活性化プロジェクトに取り組んでいるほか、料理研究サークルの代表やFMクマガヤのラジオパーソナリティーとして活動しています。この大学生活を通じ、ものつくり大学には「やりたいことを実現できる環境」が存在し、意欲と行動が伴えば、教職員の方から地域の方まで誰でも協力してくれると実感しています。もともと建築系を学びたい気持ちがあり、ものつくり大学を選びましたが、進学の決め手は、オープンキャンパスでの体験でした。特に響いたのは、田尻教授による建設学科の説明と、その後の先輩方によるキャンパスツアーです。先輩方が心から楽しそうに大学の魅力を語る姿は印象に残っています。特に「溶接のいいところ」を熱弁してくださった女性の先輩の姿からは、「本当に好きでやっているのだな」という情熱が伝わってきました。「この大学なら、真に楽しんで勉強できる」と確信し、進学を決めました。 碧蓮祭から誕生した「料理研究サークル」 大学1年で初めて学園祭である碧蓮(へきれん)祭に参加したとき、イベントとしての土台となるステージのイベントや出展物の面白さはずば抜けていると感じました。しかし、イベントに欠かせない飲食店があまり賑わっていない印象を受けました。人が並んでいるのは主に外部からの出店で、学生主体の飲食店の盛り上がりが欠けていたのです。そこで、「自分たちでその盛り上がりをつくろう」と思い、もともと料理が好きだったこともあり、1年生の12月にメンバーを集めて料理研究サークルを立ち上げました。「学祭で学生主体の飲食販売を盛り上げる」ことを目標に掲げました。料理研究サークルの活動を通して、好運な出会いもありました。サークル内でピザを作っていたところ、学生課の職員の方が、行田市内で特色あるピザ屋さんに連れて行ってくれたのです。これがきっかけで、私はそのピザ屋でアルバイトをすることになりました。「ピザが好き」「料理研究サークル」「ものつくり大学」という3つの要素を掛け合わせ、2年生の2023年6月にレンガで「移動式ピザ窯」をつくりました。レンガ1個が2.5㎏あり、合計で300~400個のレンガを買ったのですが、総重量が約1トンにも及び、かなり労働力を要しました。このピザ窯は常設できないため、組み立ててバラす形にしました。ピザ窯は30分ほどで組み立てられますが、建設棟の保管場所から運搬する作業を含めると2~3時間かかります。台車に載せられるだけのレンガを何度も往復して運び、みんなで数100個のレンガを頑張って積む作業をします。 レンガを積み上げて作ったピザ窯 このピザ窯は、碧蓮祭のほか、学内の留学生交流会やサークルの新入生歓迎会など様々なイベントで活躍し、碧蓮祭で飲食販売の盛り上がりをつくることができたと感じています。また、私がかかわっているFMクマガヤや商店街の活性化プロジェクトがきっかけで、大学外にピザを出店することもできました。私たちの出店により、ものつくり大学に興味を持っていただいたり、たくさんの方から純粋にピザの味を喜んでもらえたり、貴重な体験ができました。現在、料理研究サークルのメンバーは20人弱いて、一人ひとりパワーがあります。メンバーはみな決断や行動がスムーズで、課題が生じると自らで解決しようと動きます。対応力や行動力がある主体的なサークルだと感じています。 碧蓮祭でピザを販売する料理研究サークル(中央が和田さん) 碧蓮祭で販売したピザ ピザから繋がったFMクマガヤのパーソナリティー 2024年11月、アルバイト先のピザ屋が市内のお寺の縁日へ出店した際、学生である私のブースを設けてくださり、チャレンジメニューとしてオリジナルピザを販売しました。その時、FMクマガヤのパーソナリティーの方がピザ屋に取材に訪れていました。料理研究サークルを学外にもPRしたいと考えていたので、思い切ってサークルのPR方法について相談してみました。すると、「スタジオにおいでよ」と声をかけていただき、好運にも11月に「週刊フードラボ」という番組にサークルの仲間とゲスト出演することができました。初めてのラジオ出演は、シンプルに緊張しました。目の前にマイクがあるだけでこんなに話す内容が変わるんだという驚きがありました。マイクを前にすると普段の雑談や会話とは全く異なるベクトルが必要だと感じました。「週刊フードラボ」の番組内では、料理研究サークルの活動内容や今後の目標を多くの人に知ってもらえるよう意識して話をしました。翌月の12月には、クリスマスイベントの公開放送にも誘われ出演。そこでFMクマガヤの局長の宇野さんから「パーソナリティーをやってみないか?」と声をかけられました。自分がやれるものだとは思っていませんでしたが、「もらえるチャンスは全部取る」という衝動的な思いから、挑戦を決意。面接後に研修をFMクマガヤの代表の栗原さんから受けました。実際の放送中に受けたミキサー等の機械類の研修では、ミスが生放送に大きく影響してしまったのですが、ミスを受け止めつつ、生放送という場でどうつなげていくかの心構えを学びました。その後、2025年3月にパーソナリティーとなりました。 飾らない大学生の姿が魅力のパーソナリティーでありたい 現在、週2日ほど番組に携わっており、第3火曜日の19時から「りすチャン2025」という番組のナビゲーターも務めています。週に約6時間ものフリートークを行うため、日頃からネタを探し、メモを取るようにしています。思いついたことやあった出来事を箇条書きにし、そこから話を広げています。自分の中で思っているくだらないことを「こうなんですよね」とリスナーに語りかけることで、日常の中から何かをひねり出そうと努めています。夜の番組なので、多少の大学生らしいゆるさは許してほしいという気持ちがあります。大人になると忘れがちな気持ちや、「とりあえずやってみたい」という学生らしさをストレートに受け取ってもらいたいです。飾らない大学生の姿が魅力のパーソナリティーでありたいと思っています。私のように料理研究サークルの活動を外部に広げられたのは、たまたまだと思っています。発信できないだけで、ものつくり大学には木工や、機械いじりといった、各々が持つ個性が溢れています。ラジオという媒体を通じて、そうした学生の魅力を発信し、ものつくり大学の学生の「とがり」を出していきたいです。 学内にFMクマガヤのサテライトスタジオが 今月(2025年10月)からFMクマガヤのサテライトスタジオが学内の図書館・メディア情報センターに設置される予定です。碧蓮祭の1日目である10月25日に公開生放送が行われることになり、話が早く進んでいることに驚いています。私はサテライトスタジオ設置の話を知り、9月にメディア研究サークルを立ち上げ、図書館・メディア情報センター長の井坂教授に顧問をお願いしました。このサークルはラジオに限定せず、メディア全般を取り扱い、学生と地域のつながりを広げていく予定です。サテライトスタジオが実際にどう動くかは未知数ですが、行田とものつくり大学、そして学生の魅力を発信していきたいです。私以外に、主軸に立ってメインで動く学生も見つけていきたいです。こうした活動に前向きな学生が見つかれば、きちんと活動を継続していけると思います。10月25日の公開生放送では碧蓮祭に携わる人や団体の魅力を掘り下げていく予定です。 今までの活動で見えてきたもの 今後は、田尻研究室での取り組みに特に力を注いでいきたいと考えています。建築系を学びたくて進学したものの、サークル活動やラジオパーソナリティなどを通じ、実際に手を動かして「ものをつくる」よりも、いろいろ考えて「仕組みをつくる」ことに興味が移りました。田尻研究室は、物理的な「もの」をつくるような研究ではなく、「基盤の仕組みづくり」の研究室であり、考えることに重きを置いています。まちづくりや都市計画の分野が研究の中心です。私は、商店街の活性化に取り組んでおり、現在、先輩からプロジェクトを引き継ぎ、イベント等を運営する側となっています。この研究室で学ぶ中で、これからやるべきことも見つかりました。まずは学部卒と名乗るだけの能力を身に付けるために学びを深めたいです。また、以前は施工監理といった職種しか考えていませんでしたが、それ以外の可能性もあることを知りました。本当に自分がやりたいことを見つけるために、大学院へ進学し、より深く専門的な知識と考える力をつけたいと考えています。 挑戦や行動力の原点は「興味」 現在に至るまでの大学生活での挑戦や行動力の原点は、単純に「興味」です。「やったことのないこと」「簡単にやれないこと」をやってみる気持ちが強いです。料理研究サークルをつくったことが全てのはじまりでしたが、ラジオのパーソナリティーにしても、一つずつ行動したことに対して評価され、誘っていただく機会に恵まれました。一個ずつやったことに対して派生していった結果、今があります。これからは、今まで培った力や縁の一つ一つを大切にしつつ、田尻研究室の一員として研究活動を追求できればと思います。大学生活は「何もしないのはもったいない」と強く思います。なにかに興味をもち、やりたいと思ったら、まずはいったん口に出し、人に話してみることが大切です。たとえ無理そうでも、夢物語でも、話してみることで周囲の協力が集まり、話はどんどん広がっていくと実感しています。 関連リンク ・建設学科 まちづくり研究室(田尻研究室)・ものつくり大学料理研究サークル(@iot_oryouri)-Instagram

  • 【知・技の創造】CFARと人間の感覚

    レーダとCFAR 例えば、暗い夜道を歩いているとしましょう。月明かりは弱く、街灯もまばらです。そんな中で、遠くに何かが動いたように感じます。「あれは人影か、それとも風に揺れる木か」。判断するには、周囲の暗さや雑音、自分の緊張度合いに応じて、目や意識の“感度”を調整しなければなりません。敏感になりすぎれば、揺れる葉や虫の影にさえ反応してしまう。逆に鈍感すぎれば、本物の人影を見逃します。この感度調整が、レーダで使われるCFAR(しー・ふぁー)の本質です。 CFARは Constant False Alarm Rate、「誤警報確率を一定に保つ」という意味です。「誤警報」とは、間違った信号を検知して本物の信号と見なしてしまうことです。レーダは電波を送信し、その反射波を受信して物体の有無を判断しますが、海面や雨粒、森林や地形からの不要な反射波=雑音(クラッタ)が常に混じります。しかも雑音は自然条件や環境で大きく変化します。穏やかな夜道なら小さな動きも見つけやすいですが、強風に揺れる木々の中では見極めが難しい。それでも誤警報確率を一定に抑え、必要な対象だけを見つける技術がCFARです。 音と場所の関係性 実際のアルゴリズムでは、観測データを複数のセルに区切り、検出したい信号の周囲セルから雑音の平均やばらつきなどを推定します。それを基準に「この強さを超えれば本物」と判断するしきい値を決めます。基準は状況に応じて動き、雑音が大きければ上がり、小さければ下がる。ざわついた繁華街では多少の物音を無視し、静かな森では小枝の折れる音に敏感になる―そんな人間の感覚に近いものです。 もし調整をせず、常に同じ基準を使えばどうなるでしょう。静かな環境では弱い信号まで拾える一方、雑音が増すと誤警報が多発します。逆に騒がしい状況に合わせた高い基準を使い続ければ、静かな場面で小さな信号を見逃してしまう。人が常に「耳栓をした状態」か「全力で耳を澄ませた状態」のどちらかしか選べないとすれば、不便で危険です。 このCFARの発想は、人間社会にも応用できます。例えば日常の健康管理。体調のわずかな変化に過敏になれば、少しの頭痛や疲労でも「大病ではないか」と不安になる。逆に鈍感すぎれば、重大な兆候を見逃します。状況に応じて「気に留める基準」を変えることが、心身を健やかに保つコツかもしれません。 これからの未来へ向けて レーダの世界では、周囲の平均で判断するCell Averaging (CA)-CFAR、平均値から大きく外れる値の影響を抑えるGreatest of (GO)-CFAR、逆に平均値に比較して小さな値の影響を抑えるSmallest of (SO)-CFAR、更には大きい順に並べて上から何番目かの代表値を選び、その値で判断するOrder Statistics (OS)-CFARなど、多様かつ複数の方式があります。それぞれ「疑い深い性格」や「大らかな性格」のように特徴があり、海上監視、航空機探知、自動車やヘリコプタの前方障害物探知システム、気象レーダなど、目的や場面ごとに選ばれます。 CFARの目的は、雑音に満ちた現実の中で、限られた注意力を最も有効に使うことです。私たちも日々、膨大な情報や刺激の中で、本当に必要な信号を見極めようとしています。状況に応じて感度を調整することは、レーダのみならず賢く生きるための技術にも繋がっていくものです。 埼玉新聞「知・技の創造」(2025年10月3日号)掲載 Profile 山口 裕之(やまぐち ひろゆき)情報メカトロニクス学科教授防衛装備庁航空装備研究所を経て2025年4月より現職。電波を利用した計測・センシング技術に関する研究に従事。博士(工学)。

  • 【埼玉学⑩】鉄道博物館と大宮操の桜

    Introduction 「埼玉学」とは、埼玉県の歴史・文化・産業・地理など、埼玉県に関するあらゆる分野を総合的に研究・探究する学問です。教養教育センターの井坂康志教授が新しい研究テーマとして連載しています。JR大宮駅とさいたま新都心駅の間にある「大宮操の桜」をご存じでしょうか。埼玉学第10回は、学生が授業で書いたエッセイの「大宮操の桜」に関する誤読から思索を広げていきます。 もう一つの物語 昨年、私が受け持つ「ライティング」(文章作法)の授業で、ある学生が提出した一篇のエッセイに私ははっとさせられた。私の精神の根幹を揺さぶり、そして「埼玉学」が進むべき道を照らし出す、静かな啓示のような文章だったからだ。大宮を走る電車の車窓から、ふと目に飛び込んでくる「大宮操の桜」という看板。学生のエッセイはそう始まる。 https://twitter.com/RailwayTown_Omy/status/1891440266113888510 実は以前から私も気になっていた。その学生は初め、「操」の一文字を、自身の母校の名の由来でもある思い出の町名「操町(みさおちょう)」と同じ、「みさお」と読んだという。「操(みさお)の桜」--。なんと詩情溢れる名だろう。この大宮の地で、どれほどの出合いと別れが繰り返されてきたか。それはあるいは戦時中、出征する兵隊の物語であるかもしれないし、国鉄の線路を隔ててはぐくまれた若者同士の友情なのかもしれない。私はそんなことを考えた。もちろん、スマートフォンで検索すれば、数秒で「正解」は見つかる。事実は想像とは違っていた。それは大宮が鉄道の要所たる所以、日本の大動脈を支えた広大な「大宮操車場(おおみやそうしゃじょう)」の略称、「大宮操(おおみやそう)」なのだと。しかし、である。エッセイを書いてくれた学生の「心の旅」は、そんな「正解」などと次元を違えるしなやかさを備えていた。検索結果の画面に映し出された、生命力に満ち溢れて咲き誇る桜の姿が、卒業後も活発に交流を続ける旧友たちの絆と重なった。そして、あの桜は、やはり「操(みさお)の桜」として、誰にも侵されることのない、かけがえのない意味を持ってその心に咲き始めたのだ。このことがずっと心の片隅にあった。5月のある日、私はその桜の背景にある物語を確かめるべく、大宮の鉄道額物館を訪れた。 鉄道の聖地で目にした物語 大宮の鉄道博物館は、日本の近代化を牽引した鉄道の輝かしい歴史を後世に伝える、まさに「聖地」と呼ぶにふさわしい場所だ。 まさに鉄道の「聖地」、技術者たちの魂が宿る空間。 広大なホールに威風堂々と鎮座する歴代の車両は、明治、大正、昭和、平成という時代を駆け抜け、日本の発展という巨大な物語をその鋼鉄の体躯をもって雄弁に語りかけてくる。私はその圧倒的なスケールと、設計図の線一本、リベットの一本にまで宿る技術者たちの魂に感嘆を覚えながら、館内を巡った。 そこにあるのは、誰もが共有可能な客観的な歴史だ。「大宮操車場」が、いかに多くの人々の生活を支え、日本の物流の動脈として機能してきたか。その「正しく」「公的な」物語を、博物館は豊富な資料と共に私たちに教えてくれる。それは、疑いようのない事実であり、埼玉が日本の近代史において果たした役割を示す、誇るべき遺産にほかならない。 日本の近代化を物語る、歴代の名車両(大宮・鉄道博物館) 「操車場」と「操町」-創造的な誤差が生まれる場所 博物館の重厚な扉を抜け、初夏の光へ戻ったとき、私は再びあの学生の文章を思い出していた。「大宮操の桜」は、間違いなく大宮が鉄道の要所であったことと分かちがたく結びついている。あの桜は、数多の貨物列車が行き交う様を、そしてそこで働く人々の汗と誇りと涙を、何十年にもわたって見つめ続けてきた生き証人である。これが、「大宮操(そう)」という名の持つ、動かしがたい歴史だ。しかし、学生は、その「操」という一つの漢字から、別の物語を読み取った。それは一人ひとりの内面の記憶と友情に彩られた、どこまでも私的な「もう一つの物語」である。私はかねがね思う。あえてトルストイの有名な小説の一節を借りるなら、「正解とはみな似たようなものだが、誤解とはそれぞれに誤解である」、いや、もっと言えば、正解とはもっともらしい誤解の一種なのかもしれないと。私たちにはテクストを豊かに誤読する権利だってあるのではないか。世の中には「創造的な誤読」というものだって確かにあるのだ。それは客観的な事実や作者の意図といった「正解」から出発しながらも、読み手自身の経験や記憶、価値観というフィルターを通して、まったく新しい、個人的で豊かな意味をつくり出す行為である。「誤読」は事実の否定ではない。むしろそれは、鉄道という巨大な産業の物語というキャンバスの上に、友情や思い出という、人間的で温かな光を灯す、創造的な営みにほかならない。操車場の桜が、その記憶の中で世界で一本だけの特別な木へと生まれ変わったのだから。「埼玉学」に関わる者として、忘れたくないのがこのことだ。まさにこのような「創造的な誤読」をこそ、慈しむ学でありたい。 すべてを受容する「玉」としての埼玉学 埼玉学とは、客体としての歴史や文化・産業を分析し、評価するだけの学問ではない。それは、この土地に生きる個々の人間の心に流れた、かけがえのない時間をこそ、尊い研究対象とする学問なのだ。学生の「創造的な誤読」も、鉄道史研究家の緻密な考証も、埼玉学という巨大な器の中では、等しい価値を持つ。なぜなら、そのどちらもが、埼玉という土地と関わる中で生まれた、紛れもない「真実」だからだ。それは、一つの「正解」を頂点とするピラミッド構造ではなく、あらゆる物語が共存可能な果てしなく広がる生態系の学である。この受容性こそが、埼玉学を「玉」のような存在たらしめる。玉は磨かれるほどに、どこから光を当てても柔らかく輝き、どんな坂道でも、どんな人の手の中にあっても、その形を変えることなく自由に転がっていくことができる。「操(みさお)の桜」は、埼玉の醸す光の環なのだ。一人ひとりの心内に通ずる古道に、静かに耳を澄ましてみる。あの学生に心の中で「ありがとう」と知らずつぶやいていた。 Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学教養教育センター教授1972年、埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、社会情報学。 関連リンク ・【埼玉学①】行田-太古のリズムは今も息づく・【埼玉学②】吉見百穴-異界への入口・【埼玉学③】秩父-巡礼の道・【埼玉学④】『翔んで埼玉-琵琶湖より愛をこめて』を公開当日に見に行くということ・【埼玉学⑤】「食」のアミューズメント・パーク サイボク・【埼玉学⑥】埼玉の奇祭--歌声が聞こえる・【埼玉学⑦】埼玉学者、埼玉県知事に会いに行く・【埼玉学⑧】真夏のクリスマス--下総皖一『野菊』の思い出・【埼玉学⑨】「埼玉学」ツアーが教えてくれたもの-埼玉未来大学で出会った素晴らしき仲間たち・教養教育センターWEBページ

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  • 【知・技の創造】冷蔵庫の省エネ提案

    猛暑を乗り越えるために 今年もまた夏が来ると考えるたびに恐怖を覚えます。昨年2025年の夏季(6〜8月)平均気温は3年連続で記録を更新したばかりか、群馬県の伊勢崎では41.8℃を観測するなど最高気温の記録まで更新してしまいました。もはや地球は壊れているとさえ感じます。 筆者らは暑さから身を守るための工夫や猛暑時代の省エネルギー対策について継続的に研究してきました。本誌にもその第1報として「夏期快適空間の実現」と題し、居住空間への日射を遮ること、すなわち日陰を作ることの有効性を説いています。そして、第2報では「持続的な生産活動を」というタイトルで、電力に頼らない工場冷却水の製法について解説しました。今回は第3報として、家庭用の冷蔵庫に着目した冷却効率アップによる省エネルギーについて考えてみたいと思います。地球温暖化対策や電気料金の上昇が社会的課題となる昨今です。冷蔵庫のさらなる省エネルギー化は重要なテーマであると言えます。 冷蔵庫のあれこれ 冷蔵庫は家庭内では多くの電力を消費する機器なんです。資源エネルギー庁のデータによれば、家庭における冷蔵庫の消費電力はエアコンに次いで2番目となっています。一般的な冷蔵庫では、液体状態の冷媒が冷却器と呼ばれる装置内で気化および膨張する原理によって庫内を冷やしていますが、その前段階ではかなりの電力を消費するコンプレッサーが必要となるためです。  さて、このコンプレッサーで圧縮されて高温となった冷媒は、通常冷蔵庫の側面近くの放熱パイプを通って冷やされ、冷却器に到達するまでに液体に変わります。この放熱のために冷蔵庫の側面は熱くなります、設置時には壁から数センチほど離す必要があるのです。しかし、たとえ冷蔵庫側面と壁面との間に十分なスペースをとっても、止まっている空気に向かっての放熱は効率がよくありません。もし、サーキュレーターなどを使って側面に風を通すことができれば放熱はもっと促進されます。うちわで扇ぐと、空気の温度が下がるわけでもないのに、涼しく感じるのと同じ理由です。放熱の促進はダイレクトに消費電力の低減に繋がりますので、一手間かける甲斐があるかも知れません。 とはいうものの、冷蔵庫の側面に十分な空間を空けること、まして風を通すことなど難しい家庭も多いと思います。そこでもう一つ提案します。側面の放熱パイプに沿って流路を作り、外側から水を流すというアイデアです。固体から水への放熱量は空気に比べて桁違いなので、効果が期待されます。設置スペースもほとんど要りません。熱を奪った水はトイレのタンクや風呂に放出すれば室内に熱は残りませんし、水道料金にも影響しないはずです。 もちろんこの方法は一般の家庭ではもっと難しいでしょう。それに漏電を引き起こす可能性もあるので軽率に試せるものではありません。将来的に冷蔵庫メーカーなどが提供してくれるのなら、あるいは標準装備となれば、ますます省エネルギーは進み快適な住空間が実現されることと思います。 埼玉新聞「知・技の創造」(2026年4月3日号)掲載 キャプション 香村 誠(こうむら まこと)情報メカトロニクス学科教授慶応義塾大学博士課程中退、都内エンジニアリング企業を経て2002年ものつくり大学着任、現在に至る。 博士(工学)。明治大学兼任講師、専門は「流体力学・伝熱工学」

  • 【埼玉学⑭】羽生--田舎教師と田園交響楽

    Introduction 埼玉学とは、埼玉県の歴史・文化・産業・地理など、埼玉県に関するあらゆる分野を総合的に研究・探究する学問です。教養教育センターの井坂康志教授が新しい研究テーマとして連載しています。埼玉学第14回は、北埼玉の要衝、羽生を訪れます。田山花袋『田舎教師』の舞台として知られる静かな街で、井坂教授は41年前の熱狂の記憶を辿ります。冷戦下のドイツ・オーケストラと、一人の薄幸な青年教師の魂が交錯する、時を超えた旅路です。 北関東の鋼の下で 「四里の道は長かった。その間に青縞の市のたつ羽生の町があった。田圃にはげんげが咲き、豪家の垣からは八重桜が散りこぼれた」(田山花袋『田舎教師』)。羽生という地名は、埴(赤土)の生じる場所、あるいは鳥の羽が生まれる場所など諸説あるが、地形的な特性はあまりにもはっきりしている。関東平野の北端、利根川という巨大な暴れ馬の背中に張り付いた細長い鞍のような土地だ。対岸はもう群馬県。広大な沖積低地が広がり、見渡す限りの平坦な地形は、空の広さを際立たせ、地平には上州の山並みが切り絵のように並ぶ。窓の外は鋼の空が広がっている。重く、低く垂れ込めた冬の雲だ。私は隣町の出身だから、懐かしい風景ではある。羽生は、古くから交通の要衝であった。東武伊勢崎線と秩父鉄道が交差する地は、物資の集散地として栄えた。特に青縞と呼ばれる藍染めの織物は羽生の経済を支え、富が街の文化的な基盤を形成した。鉄道が敷設される以前、利根川の水運と日光脇往還の宿場としての機能が人々の往来を生んでいた。 「羽生から大越に通う乗合馬車が泥濘を飛ばして通って行った」(『田舎教師』)。花袋が描いた泥深い道は、いまや舗装され、車が行き交う。だが、土地が持つ移動の中継点としての記憶は、風の中にまだ残っているように思える。羽生駅から徒歩数分の寺へと向かった。朝10時前の空気は冷たく、少し雨も混じっているようだ。曹洞宗の古刹・建福寺。田山花袋の小説『田舎教師』のモデルとなった小林秀三の墓がある。 建福寺にて『田舎教師』のモデル小林秀三の墓に詣でる。 田舎教師の悲哀と埋没 墓前で手を合わせる。小林秀三、享年二十一(数え年)。肺結核で短い生涯を閉じた青年だ。石碑には「運命に抗う覚悟」、小林の日記に残された言葉が、胸を締め付ける。「あゝわれ終に堪えしや、あゝわれ終に田舎の一教師に埋んとするか……明日! 明日は万事定まるべし。……噫! 一語以て後日に寄す」。立身出世を夢見ながら、貧困と病を得て、閉鎖的な田舎の現実に押しつぶされ、無名のまま死んでいった青年。花袋は下宿先の住職・太田玉茗が義兄だった縁で小林の日記を目にし、悲劇的な物語を書き上げた。「さびしく死んでいく青年もあるのだ」。花袋は『東京の三十年』でこう記している。近くの図書館にある郷土資料館へ足を運ぶと、かつて田舎教師研究会という熱心なサークルが存在したことを知った。1979年から断続的に刊行された『田舎教師研究』は、会員数100名を数えた時期もあったという。時は流れ、活動は縮小し、2021年の第9号を最後に事実上の終焉を迎えているようだ。彼らが残した記録は、確かにこの地に生きた青年の魂を鎮魂し続けている。 二つの田園 資料館を後にし、羽生市産業文化ホールへと歩を進めた。41年ぶりの訪問だ。1984年12月8日。あの日、北関東の寒風吹きすさぶ田舎町のホールに、奇跡が舞い降りた。東ドイツ(当時)の名匠ハインツ・レークナー率いるベルリン放送交響楽団がやってきたのだ。私は脳裏のスクリーンにその日の映像を投影する。 当時、羽生市産業文化ホールは市政30周年を記念して1月に落成したばかりだった。衣料産業で栄えた羽生の経済力が、立派なホールを建設させ、さらに冷戦下の東側の名門オーケストラを招聘することを可能にした。控えめに言って、一種の文化的達成であったと言ってよいだろう。私は小学6年生だった。プログラムはベートーヴェン「レオノーレ序曲」、シューベルト「未完成」、メインはベートーヴェン「交響曲第6番田園」、アンコールはバッハの「G線上のアリア」。ハインツ・レークナーとベルリン放送交響楽団。正真正銘のドイツ音楽の精髄を聴かせる夜だった。彼らは当時、鉄のカーテンの向こう側、東ドイツからやってきた。自由を制限された彼らが奏でる音楽には重厚さと、沈潜する内向性があったように記憶する。出口のない青春を送ったかつての田舎教師の地で、分断された世界から届いた音色は、物理的な移動の自由を奪われた者同士が交わす、魂の密約のように耳に届いた。ホールに入ると、青紫のステンドグラスが目に入る。むろん記憶のままだ。 1984年落成の羽生市産業文化ホール。往時をしのばせる文化の薫るエントランス。 ホール内にはステンドグラス。 帰路 地元合唱団と東京のオーケストラによる第九演奏が始まる。響きは私の耳の奥底で、41年前のレークナーのタクトと合流する。演奏が終わった瞬間、拍手の中で、ふと隣の空席に気配を感じた気がした。気のせいかもしれない。もしここに小林秀三がいたとしたら、どんな顔をしていただろう。彼は音楽家になりたかった人だ。小説では東京音楽学校を受験し失敗している。衣料産業で栄えた羽生の経済力が、文化の殿堂を築き、世界最高峰の芸術を招き入れた事実は、極めて健全な地方の意志を示している。経済的な成功を次代の感受性を育む文化的土壌へと還元した先人たちの気概にほかならない。日記に「あゝわれ終に田舎の一教師に埋んとするか」と嘆いた彼は、埋没した場所で、世界最高峰の『田園』が鳴り響く未来を想像できたろうか。ホールはただの文化施設ではない。夢破れ、土に還っていった無名の人々のための、巨大な鎮魂碑なのだ。小林秀三の絶望と、レークナーの希望。二つの残響は静かに平野を溶かしていた。 付記ベルリン放送交響楽団の演奏会が1984年12月8日に実施された事実確認にあたり、羽生市産業文化ホールの荻野栄一館長とメールでやり取りを交わすことができた。館長のご説明では、40年以上前であり、また運営主体の変遷もあったために、当該情報は確認できないとのことだったが、館長との対話は、文化施設がそこに携わる人々の誠実さと、訪れる者の記憶によって生かされる生命体であることを私に教えてくれた。貴重な情報共有と温かなお心遣いに、改めて謝意を表したい。 Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学 教養教育センター教授1972年埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、情報社会学。 関連リンク ・【埼玉学①】行田-太古のリズムは今も息づく・【埼玉学②】吉見百穴-異界への入口・【埼玉学③】秩父-巡礼の道・【埼玉学④】『翔んで埼玉-琵琶湖より愛をこめてを公開当日に見に行くということ・【埼玉学⑤】「食」のアミューズメント・パーク サイボク・【埼玉学⑥】埼玉の奇祭--歌声が聞こえる・【埼玉学⑦】埼玉学者、埼玉県知事に会いに行く・【埼玉学⑧】真夏のクリスマス--下総皖一『野菊』の思い出・【埼玉学⑨】「埼玉学ツアー」が教えてくれたもの-埼玉未来大学で出会った素晴らしき仲間たち・【埼玉学⑩】鉄道博物館と大宮操の桜・【埼玉学⑪】大宮盆栽町--「これでいいのだ埼玉」・【埼玉学⑫】天国への道--埼玉県道153号幸手久喜線・【埼玉学⑬】越谷レイクタウン--ウォーターベッドに沈むもの

  • 【埼玉学⑬】越谷レイクタウンーーウォーターベッドに沈むもの

    Introduction 埼玉学とは、埼玉県の歴史・文化・産業・地理など、埼玉県に関するあらゆる分野を総合的に研究・探究する学問です。教養教育センターの井坂康志教授が新しい研究テーマとして連載しています。埼玉学第13回は、かつて沼沢地帯であった越谷の地に突如として現れた巨大な消費空間、越谷レイクタウンを歩きます。水と大地、車社会が交錯する場所で、井坂教授が感じ取ったワルシャワの記憶、足元の薄氷の正体とは。 低地 足元を見つめる。そのとき、関東平野における巨大な器の底であることに思いが至る。大宮台地の東端が尽き、地形は急速に標高を下げる。利根川や荒川といった関東を代表する大河川が、奔流を東京湾への流路として渋滞を起こす。越谷という土地の正体だ。 かつて一帯は、幾筋もの河川が蛇行し、氾濫を繰り返す湿地帯であった。人々は自然堤防の上に集落を作り、後背湿地を水田として利用した。水田では質の高い米が収穫できた。しかし、都市化の波は容赦なく保水機能を奪っていく。いつしか、水のリスクを吞み込んだまま巨大なウォーターベッドの街に変貌していた。そこで構想されたのが越谷レイクタウンだ。コンセプトは、生やさしいニュータウン開発とはいささか様相を異にする。中川・綾瀬川流域の治水対策として、広大な調節池を造成、洪水時には水を溜め込み、平時には親水空間として利用するという、災い転じて福となす壮大な社会実験であった。駅に降り立つと、目の前には地形の生んだ象徴たる大相模調節池が鎮座している。有無を言わせぬ迫力だ。かつての一面のため池と田園地帯は、いまや人口の湖岸として整備され、穏やかな水面を湛えているかに見える。水鳥は湖面を戯れ、岸にはフランスの油絵を想起させる柳が影のたまりをつくっている。湖畔に立ち、風に吹かれてみた。湿った風は、大量の水の通り道であることを嫌でも教えてくれる。 武蔵野線の湾曲と車社会の地平 ところで、水郷を貫く鉄の軌道がJR武蔵野線だ。武蔵野線は、埼玉に住む者にとってさえミステリアスだ。かつては首都圏の外郭を結ぶ貨物船として計画され、やがて旅客化された路線は、東京の放射状に伸びる各路線を横串に刺す。秩父鉄道を別にすれば、東西を走る鉄路はほかにない。 越谷レイクタウン駅--。武蔵野線の新駅として2008年に開業した。貨物列車が轟音を立てる脇で、多くの家族連れがホームに降り立つ。身近な水のテーマパークだ。ディズニーリゾートにでも家族で行けば、家計に小さくないインパクトをもたらすだろう。越谷レイクタウンなら、ちょっとした買い物をするくらいで半日は夢を見られる。どんな夢かは別の話だが。駅の北側に広がるイオンレイクタウンに目を転ずれば、広大な敷地を埋め尽くす駐車場、国道4号線や外環道から吸い寄せられるように集まる無数の自動車が嫌でも目に飛び込んでくる。レイクタウンは、埼玉のもう一つの顔、すなわち強烈なまでのクルマ社会を象徴する空間だ。鉄道という都市的な動線と、自動車というローカルな動線が、巨大な水の街でぶつかり合い、しぶきを上げる。 広大な敷地を埋め尽くす駐車場。 忘却の装置 広大なショッピングモールへと足を踏み入れた。「kaze」「mori」などと名付けられた巨大な棟を、ひたすらに歩く。ちょっとしたハイキングに匹敵する運動量だ。高い天井、人工的な照明。どこまでも続くショーウィンドウ。ふと、どこかで見たことがある気がした。奇妙な感覚だった。以前、ポーランドのワルシャワやクラクフを旅したことがある。あの時、ワルシャワ旧市街の広場や、果てしなく続く石畳を歩きながら感じた、ある種の茫洋とした感覚が突然蘇ってきた。冬の凍てついた一日であったことも関係しているかもしれない。 むろん本来なら両者を結びつけるものなどない。周囲には多くの人々が行き交っている。特に目につくのは、犬を連れた家族連れの姿だ。楽しげに笑い、ショッピングカートに愛犬を乗せ、消費という名の祝祭空間に身を浸している。平和そのものだ。しかし、なぜだろう。ワルシャワの再建された旧市街が、思い出されてならない。歴史の痛みに対する抵抗と祈りの祭儀的空間。もちろん、こじつけなのはわかっている。改めて思い起こせば、かつて泥深い湿地であり、水害に脅かされた土地であったことを考えないわけにはいかない。 柳が影のたまりをつくっている。どことなく物悲しい。 今は、そうしたすべてを、圧倒的な光量と空調、際限ない商品の列によって覆い隠し、忘れ去るための巨大な装置として上塗りする。足元の泥を忘れ、薄氷の上で踊り続けるのに必要な舞台装置だ。東欧では、ここしばらく、こんな大型ショッピングセンターが各地に乱立している。一様に便利で、快適で、どこか均質だ。地形の記憶をコンクリートで覆い隠し、空調の効いた快適な回廊を作り出す。むろん均質で清潔な人工空間を、アイデンティティの欠如と捉えるのは早計だ。むしろ、過剰な記号に溢れた現代において、真の休息を得る知的な余白なのだろう。地形の記憶を一度フラットにすることで、人々は過去の重圧から解放され、キャンバスの上に新たな家族の物語を描き出す自由を得ているのだろう。浦安という漁村の歴史的記憶の上に構築された夢の国と構造上は同じなのに違いない。注目すべきは、空間の底辺を流れる管理の美学だ。大相模調節池という巨大なインフラが、機能を超えて美しい親水空間として消費されている事実は、人間が自然を征服するのではなく、知性をもって共生をデザインした証に他ならない。水害というリスクを、豊かさという価値のシンボルに変換することこそが、埼玉という土地が持つしなやかな強さを象徴する。夕闇に映る街の明かりは、水の小都に根を下ろそうとする数万の人生の輝きだ。かつての泥を忘れ去るのではなく、それを強固な基礎として支え、その上に新たな地平を築くこと。越谷レイクタウンは、伝統と革新が危うい均衡を保ちながらも、次世代の故郷へと成熟していくプロセスを見せてくれている。 ため池の周回と薄氷の文明 モールの喧騒を逃れるように、再び外に出た。調節池の周囲を歩いてみることにした。水面は昼間の鈍い光を反射する。足元の土を踏みしめるとき、確かに水を含んだ大地の感触が伝わってくる。水は低きに流れる。物理の法則だ。秩父の山地からゆっくりと運ばれてきた水が集まり、やがて太平洋へと運ばれていく。歩きながら思考を巡らせる。犬を連れて散歩する人々の表情は穏やかだ。水面に映る街の明かりは美しい。しかし、ふとコンクリート越しに足元が透けて見える錯覚に陥る。危うさを知っているからこそ、人々の笑顔はかくも明るく、消費の祝祭は、どこか切実な輝きを帯びている。 この消費の祝祭は、どこか切実な輝きを帯びている。 地形を克服するのではない。地形を受け入れ、水と共生する。工学的な勝利と、破綻への潜在的な恐怖。危うい均衡の上に、巨大な消費社会の祝祭空間は成立する。駅へ向かう私の背に、冬の風が冷たく吹きつけた。調節池の記憶から漏れ出る、大地の吐息のようだった。武蔵野線の駅へと戻る足取りは、来た時よりも少しだけ重く、確かなものになっていた。 Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学 教養教育センター教授1972年埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、情報社会学。 関連リンク ・【埼玉学①】行田-太鼓のリズムは今も息づく・【埼玉学②】吉見百穴-異界への入口・【埼玉学③】秩父-巡礼の道・【埼玉学④】『翔んで埼玉-琵琶湖より愛をこめて』を公開当日に見に行くということ・【埼玉学⑤】「食」のアミューズメント・パーク サイボク・【埼玉学⑥】埼玉の奇祭--歌声が聞こえる・【埼玉学⑦】埼玉学者、埼玉県知事に会いに行く・【埼玉学⑧】真夏のクリスマス--下総皖一『野菊』の思い出・【埼玉学⑨】「埼玉学ツアー」が教えてくれたもの-埼玉未来大学で出会った素晴らしき仲間たち・【埼玉学⑩】鉄道博物館と大宮操の桜・【埼玉学⑪】大宮盆栽町--「これでいいのだ埼玉」・【埼玉学⑫】天国への道--埼玉県道153号幸手久喜線

  • VTuber研究に感じた「学ぶ自由」という贅沢

    Introduction 「その研究、何の役に立つの?」大学での学びを考えるとき、多くの人が一度は抱く疑問かもしれません。建設学科4年の小島都和さん(日常意匠研究室)が取り組んだ卒業研究のテーマは、VTuberの演奏に感じる“違和感”。一見すると、実務とは結び付かない不思議なテーマです。しかし、その研究過程で見えてきたのは、「役に立つかどうか」では測れない学びの価値でした。 「なんか変だよね」から始まった研究 「腕が楽器を貫通している」「指が弦に触れていない」研究室のゼミでVTuberの演奏動画を見たとき、そんな声が次々上がりました。軽音学部に所属している小島さんにとって、その違和感は見過ごせないものでした。とはいえ、当初から明確な研究テーマがあったわけではありません。自分の音楽遍歴を振り返ったり、人によって楽器の取り扱い方がどう違うの調べたり--。試行錯誤を重ねる中で、なかなか形にならないもどかしさを感じていたといいます。 軽音学部のライブで演奏する小島さん(写真:左) そんな中で見つけたのが、「VTuberの演奏シーンに感じる違和感」でした。「この“何か変だよね”をちゃんと説明できないだろうか」。その素朴な疑問が研究の出発点となりました。しかし、「違和感」を研究することは簡単ではありません。そもそも違和感とは何なのか。どこからが不自然なのか。明確な基準はありません。さらに、目に見えるデータとして集めることも難しいテーマです。研究を始めた当初、小島さんは迷走していたと振り返ります。それでも、学問とは「問いを学ぶこと」だという教授の主催するゼミでの議論を重ねる中で気づいたのは、答えがすぐに出ない問いに向き合うこと自体に意味があるということでした。その気づきによって「考えることがどんどん面白くなった」と小島さんはいいます。 「分からない」を言葉にするという挑戦 小島さんが取り組んだのは、「違和感」という曖昧な感覚を言葉にすることでした。まず、違和感を「人間にはできない動きや、物理的に不自然な現象」と定義します。そして、VTuverだけでなく、実在のバンドやアニメ、漫画など複数のコンテンツを対象に演奏シーンを一つひとつ検証していきました。収集したシーンは203にのぼります。さらに、小島さんは実際に同じフレーズを自分で演奏し、映像と比較することで検証を深めました。重要だったのは、「誰にでも伝わる言葉」にすることです。専門的な言葉をそのまま使うのではなく、「弦の端にある金属のパーツ」など、楽器を知らない人にもイメージできるように言い換える。その積み重ねによって、“何となく変”だった感覚が少しずつ輪郭を持ち始めました。 それは本当に“役に立たない”のか 分析を進める中で、小島さんはある視点にたどり着きます。それが、「ライブ感」と「リアル感」という2つの軸です。音や演出によって高い臨場感を生み出す「ライブ感」、見た目の動作が人間として自然に見えるかという「リアル感」。VTuberの演奏はライブ感が高い一方で、リアル感が低い。このアンバランスさこそが、違和感の正体でした。同じく日常意匠研究室に所属している羽多叶さんは、小島さんの研究の面白さについて、「ライブ感」と「リアル感」の2軸が基準となったことで、VTuberを推している人たちはリアルさを求めているわけではないということが可視化された点だといいます。一見すると、この研究は「VTuberの分析」に過ぎないように見えるかもしれません。しかし、その本質は「人の技能をどう表現するか」という、より普遍的な問いにあります。この視点は、音楽だけでなく、スポーツや伝統芸能など、そしてもちろん、ものづくりの技能も含め、様々な分野に通じるものです。 卒業研究を発表する小島さん 役に立たない研究ができる幸せ 「何の役に立つか分からない研究ができることが幸せなんです」日常意匠研究室を主宰する土居浩教授は、そう語ります。すぐに成果が求められる社会において、「役に立つかどうか」は需要な基準です。しかし、大学という場所には、それだけではない価値があります。すぐに答えが出ない問いについて、時間をかけて考え続けること。仲間と議論しながら、「なぜ?」を深掘りしていくこと。「ああだこうだと言い続けられる場所があること自体が、すごく貴重なことだと思うんです」その言葉に、小島さんも強く共感したといいます。ものづくりの現場では、計画通りに進める「PDCA」だけでなく、状況に応じて判断し行動する「OODA」という考え方も重要だと言われています。今回の研究もまた、あらかじめ決まった答えに向かうものではありませんでした。違和感に気づき、観察し、試し、また考える。その繰り返しの中で少しずつ輪郭が見えてくる。大学とは、そうしたプロセスを経験する場所でもあります。 大学は「答えを出す場所」ではない 「何の役に立つか分からない」その問いに、すぐに答えを出す必要はありません。むしろ、分からないまま考え続けること。違和感を言葉にし、問いを重ね、他者と共有すること。その積み重ねが新しい価値を生み出していきます。ものつくり大学には、そんな“無駄かもしれない時間”を本気で過ごせる環境があります。そして、その時間こそが、これからの時代に必要とされる力を育てていくのかもしれません。 関連リンク ・日常意匠研究室WEBページ・創造しいモノ・ガタリ03~「問い」を学ぶ。だから学問は楽しい~

  • 【知・技の創造】建築観察学

    建築観察学とは 本稿タイトルの“建築観察学”とは何か?この言葉は、小生が数年前から本学で展開している授業の科目名です。この授業では、建築物を構成する建築材料とそれらがどのように建築に取りついているのかを、本学の校舎を受講生が子細に観察して、最終的に図面化することを行います。 では、なぜ“建築観察”なのか?例えば大学入試の問題では、問題文が答えであることはないと思いますが、建築は謂わば答えが見えて建っている状態と言えます。目の前に立ち上がっている建築は倒壊していなければ,それがある意味の正解だからです。正解が目の前にあるのにこれを観察しない手はありません。建築物は,主には構造材料、仕上材料および下地材料(建築材料を支えるための下地に使われる建築材料、一般には壁や天井の中にあるため目に触れることは少ない)で構成されており、非常に多くの建築材料の集合体と言えます。 これらを観察することによって、建築材料の成り立ちや諸物性を知るとともに、どのように施工して組み立てられているかなど、建築を成立させるための技術体系の一端を体得できる効果があります。 現場を知る 建築は、経験工学の集積である側面が強く、机上の空論よりも現場を知ること、観察することによって、正に「百聞は一見に如かず」の事象の塊と言っても過言ではありません。小生は若い頃に大学での正式な建築の教育を受けないまま建設業界に勤めることとなりました。そのため、業務で分からないことがあると、どの書籍にどの技術が書かれているのか?について、恐らく大学の建築学科において専門教育を受けてきた方々は知っている基本的な事柄すら分かりませんでした。 そこで、当時の少ない給料で片っ端から専門書を購入し、読み漁りました。その結果、どの書籍にどのような技術的な答えが載っているのかの見当がつけられるようになりましたが、一部の書籍では実務では使わない古すぎる技術が記載されていることにも気づきました。すなわち、市販の書籍が全てではないことが分かったのです。 自分の足で調査する そこで始めたのが、自分が触れる建築物がどの建築材料でできているのか?材料はどのように構成されているのか?寸法?などについて、巻き尺やスケッチブックを手に測ることでした。元来凝り性なところがあって、山手線の車内のつり革や手摺の直径にはじまり、椅子の寸法構成なども乗客からの奇異な目で見られることも厭わず測ることが癖づいていました。お酒を飲みに行っても、カウンターの素材や寸法などを観察していました。周りからするとちっとも酔えない酒席です。 現在のようにインターネットが無く、自分の足を使って情報収集するしかなかったのです。今どきで言うところの“タイパが悪い行為”でした。ところが、観察することによって体得した知識が未だに活きており,普段の教育研究活動のみならず日常業務への向き合い方を考える際にも大いに役立っています。建築に限らず,特に初学者や新入社員の若い方々は、目の前にある物事や事象を観察する癖をつけてみてはいかがでしょうか。必ずや将来の自身の血となり肉となり、真の知識として体得できると思います。 埼玉新聞「知・技の創造」(2026年3月6日号)掲載 Profile 大塚 秀三(おおつか しゅうぞう)建設学科教授川口通正建築研究所を経て、2005年ものつくり大学技能工芸学部建設技能工芸学科卒業(社会人入学、1期生)2013年日本大学大学院理工学研究科博士後期課程修了 博士(工学)2018年4月より現職。専門は建築材料施工、コンクリート工学

  • 先端技術×伝統技法で14mの木橋を蘇らせる。学生が挑んだリノベーションの舞台裏

    Introduction 2024年5月、ものつくり大学と草加市が締結した「木橋リノベーション事業に関する基本協定」。その第2弾として2025年度に取り組んだのが、橋長14メートルの木橋「ふれあい橋」の再生です。橋梁・構造を研究する建設学科の大垣研究室と、木造構造・材料を研究する芝沼研究室による共同リノベーション事業として実施されました。この事業の中心を担った、建設学科4年生の小林駿斗さん(大垣研)と坂本匠さん(芝沼研)に、実践的な学びや苦闘、そして成長の記録をインタビューしました。 想像を超えた14メートル橋との対面、研究室を越えた結束 -まずは、このリノベーション事業に携わることになったきっかけと、その時の思いを教えてください。 【坂本】私は卒業研究のテーマを考えていた際、芝沼先生から「大垣研究室と合同で木橋のリノベーションをやってみないか」と勧められたのがきっかけです。元々大きい橋の改修という話を聞いていましたが、当初は「古い橋の一部を新しいものに作り直すだけなら、そんなには難しくないだろう」と少し楽観的に考えていた部分もありました。 【小林】私は前年度の「中根ふれあい橋」の補修も経験していたので、大垣先生からお話をいただいた時は「昨年の経験が生かせる」と引き受けました。しかし、現場で実際に14メートルの「ふれあい橋」を目にした時は、想像の3倍くらい巨大で驚きました。「本当にこれを自分たちだけで補修し、卒業できるのかな」とプレッシャーが押し寄せてきたのを覚えています。 坂本匠さん 小林駿斗さん 大学に搬入された補修前の「ふれあい橋」 -大垣研究室(橋梁・構造)と芝沼研究室(木造構造・木材)の共同リノベーション事業で異なる専門性を持つ学生がどのように連携したのですか? 【坂本】私は主に高欄(手すり)の製作を担当し、小林君たちは橋の骨組みである主桁(しゅけた)1や床板(しょうばん)2の補修を担当しました。高欄は、組み立てなど人が必要な時は、芝沼研究室のメンバー以外にも声を掛けて10人くらいで作業をしました。高欄を主桁に取り付ける段階に入ってからは小林君たちとずっと一緒に作業に取り組みました。 【小林】大垣研究室側は、私と大学院生の平田さんを中心に、3~4人で動いていました。先生方の指導はもちろんですが、平田さんは昨年の知見もありますし、木材にも詳しいのでさまざまなアドバイスをいただきました。 小林さんが作成した「ふれあい橋」の側面図 硬くて重い木材「ボンゴシ」との格闘 -2025年6月、大学に「ふれあい橋」が運び込まれましたが、実際に目の当たりにしてどうでしたか? 【小林】現場で見た時は「表面が少し痛んでいるかな」という程度に思えましたが、いざ解体してみると愕然(がくぜん)としました。木材の内部がアリに食い尽くされていたり、雨水が溜まって芯まで腐っていたり・・・。前回の「中根ふれあい橋」は日本の材で軽かったのですが、今回の「ふれあい橋」は南アフリカ原産「ボンゴシ」という非常に硬く、重い木材が使われていました。本来、腐食や雨などに強いはずの材ですが、3本ある主桁の1段目がほぼ全滅状態でした。 【坂本】橋をぱっと見て、高欄の柱の接合部は腐っていると思いました。実際、表面上は硬そうに見えても、解体してみると、中はかなり腐朽劣化した状態でした。 接合部の解体作業 腐朽劣化状況 -その「ボンゴシ」材の解体作業にかなり苦労されたそうですね。 【小林】正直、もう二度と触りたくないと思うほど大変でした。とにかく硬くて重い。例えば、ビスを一本打つのも一苦労で、木が硬すぎてビスが負けて、途中でねじ切れてしまう感じだったんです。腐った部分を削ろうとしても、ノミや丸鋸とかの刃が欠けたりすることもあり、作業する学生全員が悲鳴を上げてしまうような状況でした。 【坂本】ボンゴシ材に触れ、木材の中に深く埋まっている鉄筋を抜く作業にはかなり苦戦しました。当初は「使える部分は再利用する」という方針でしたが、あまりの劣化の激しさに、多くの部材が再利用不可能だと判断されました。そこから急きょ、新しい材を発注し、一から加工し直すことに・・・。作業量は当初の予想を上回ることになりました。 先端素材CFRPと伝統技法「腰掛鎌接」の融合 -小林さんが担当された主桁や床板の補修では腐朽部分に樹脂3施工とCFRP(炭素繊維強化プラスチック)4施工を行ったそうですね。樹脂施工で大変だったことは? 【小林】苦労したのは「樹脂」の温度管理でした。解体後に腐った部分を取り除き、そこに樹脂を流し込んで固める作業をしたんです。樹脂を漏らさないために木材の欠損部に合わせ枠を貼って、樹脂を流し込む型枠を作りました。樹脂は混ぜると化学反応で熱を持ちますが、夏の猛暑もあって、型枠の中でグツグツと煮え立ってしまうんですよ。それを防ぐため、早朝から少しずつ注入し、つきっきりで作業しました。型枠を外して整えるまで計3日。日付をまたぐこともありましたが、木材を確実に蘇らせるためには欠かせない工程でした。 樹脂注入作業 -今回のリノベーションでは、最先端素材である「CFRP」が補修の鍵となっていますね。この素材の特性と採用した狙いについて教えてください。 【小林】CFRPは鉄と同等の強度を持ちながら非常に軽く、腐食しないという特性があります。日光に弱い点も塗装でカバーできるんです。今回は、腐食して弱くなった木材の一部を樹脂で埋め戻し、その上からCFRPシートを何層も貼り付けることで、元の木材単体よりもはるかに高い耐久性と強度を持たせる手法を取りました。 -CFRP施工で最も気を使われたポイントは? 【小林】特に「成型版(CFRPシートを何層も重ねて固めた板)」を作る時は気を使いました。CFRPシートに樹脂を染み込ませて積層し、板状のパーツ(成型版)を自作するのですが、これが時間との勝負なんです。樹脂が固まり始める前に、すべてのシートを重ねなければならない。休憩も一切取れず、ゼミの仲間10人とシャツを絞れば汗が出るくらいになりながら極限状態で作業しました。でも、その苦労があったからこそ、完成後の「載荷試験」で、設計荷重をかけても「たわみ」が従来の半分以下に抑えられた時は、努力が報われた気がしてうれしかったです。 接合部のCFRP成型版による補修 -坂本さんが担当された高欄は、橋の「顔」とも言える部分ですね。特にこだわったポイントは? 【坂本】デザインに関しては、元々の形状を最大限に尊重しました。その中で特にこだわったのが、人の手が直接触れる「笠木(かさぎ)5」の部分です。当初は、木材同士を直角に切って組み合わせる単純な接合方法でしたが、あえて、ものつくり大学で学んだ昔ながらの伝統的な継手「腰掛鎌継(こしかけかまつぎ)6」を採用しました。木材同士を複雑に噛み合わせることで、一本の太い木のように強固に繋がり、乾燥や湿気による「ねじれ」にも強い構造になるんです。ここには非常に力を入れました。 -高欄づくりにおいて、苦労した点や工夫したところはありますか? 【坂本】とにかく加工と組み立ての物量が膨大でした。例えば、高欄の縦材を差し込むための穴を200個ほど開ける作業などは、非常に時間がかかり苦労しましたね。また、仕上の際、通路側の柱の節(ふし)が目立つ箇所に塗装がうまく乗らず、黒ずんでしまった部分がありました。そこを小さな木材で丁寧に補修する「埋木(節などの穴を木片で埋める作業)」を施し、指先で触れたときに引っかかりがないよう、徹底的に磨き上げました。 -この橋を訪れる利用者には、どのようなことを感じてほしいですか? 【坂本】高欄には、ヒノキや杉といった柔らかく温かみのある木材を使用しています。橋を渡る人がふと高欄に手を置いたとき、「あ、なんだか温かみがあるな」と、木の持つ優しさを肌で感じてもらえたらうれしいですね。 笠木の加工の様子 予期せぬトラブルと深まった互いへの信頼 -お二人の間で、冷や汗をかいた場面があったそうですね。 【坂本】実は、最終組み立ての段階で大きなミスが発覚しました。私と小林君の間で、ボルトを通す位置の打ち合わせが不十分だったんです。私が主桁に高欄を取り付けようとした場所には、小林君が主桁を補強するため大量のビスが打ってあって。ボルトを通そうとドリルを当てても、中のビスに当たって進まない。でも、橋の構造上、ボルトの位置はもう変えられない。結局、反対側から慎重に穴を開け、中にあるビスを鉄鋼用のヤスリでひたすら削り落とし、貫通させたのは何より大変でした。 【小林】あれは本当に青ざめました。補強を強固にすることに必死で、後からボルトを通すスペースを確保することを失念していたんです。ミスマッチがないように「事前の打ち合わせの『ほうれんそう(円滑な業務遂行のための「報告」「連絡」「相談」の頭文字をとった言葉)』」がいかに重要かを痛感しました。 -異なる強みを持つお二人がタッグを組んだからこそ成し遂げられたと感じます。一緒に作業をされたことで、お互いに刺激を受けたり、助けられたりしたことはありますか? 【小林】坂本君は加工技術が本当に卓越していて、現場では何度も助けられました。実は、最初は自分一人ですべての補修を担うつもりだったんです。でも、芝沼先生から「一人では大変すぎるから坂本さんにも入ってもらおう」と助言をいただいて。もし自分一人で高欄まで手掛けていたら、作業は膨大な時間を要していたはずです。彼の高度な技術があったからこそ、このクオリティで完成させることができました。 【坂本】僕は木造が専門なので、樹脂やCFRPシートに関する知識は全くない状態からのスタートでした。しかし、今回手がけた高欄も、実は笠木の部分にシートを巻くなど、先端素材の技術や知識が必要な場面があったんです。そんな時、小林君や大垣研の皆さんが人手を出して一緒に作業してくれたり、大学院生の先輩が木造の作業まで手伝ってくれたりと、知識面でも作業面でも本当に支えられました。自分一人では決して届かなかった領域を、仲間のおかげで形にすることができました。 実学が教えてくれた、ものづくり人としての成長 -補修完了にあたり、1月7日に行われた完成式を終えた今、自分自身の成長をどう感じていますか? 【小林】私はもともと、図面を正確に書くことやCADの操作が苦手で、どこか避けている部分がありました。しかし、14メートルの橋をリノベーションするには、構造計算をし、ミリ単位の図面を引き、それを現場に落とし込む必要があります。そのプロセスを逃げずにやり遂げたことで、技術的な自信がつきました。また、共同事業では何より協力体制が大事だったので、必要不可欠なコミュニケーション能力も向上したと思います。 【坂本】私は「工程管理」の重要性を学びました。見積り通りに進まず、自分の予測の甘さを痛感させられたこともありました。しかし、最終的には「この作業は何日くらいで終わるだろう」といった予測を立てられる能力が身についたと感じています。大学4年間の集大成としてこの事業をやり遂げることができたのは自分にとって大きな自信になっています。 -ものつくり大学での学びは、リノベーション事業でどのように生かされましたか? 【坂本】私は高校が普通科出身でしたが、ものづくりが好きでこの大学に進学しました。3年生の時に技能五輪国際大会に出場させてもらった経験があり、そこで培った「正確性とスピードの両立」という意識が橋の高欄をきれいに作る上で生きました。 【小林】私も普通科出身で、最初は「体を動かして学びたい」という理由で入学しました。オープンキャンパスで「工事をしているのも全部学生だよ」と教わった時の衝撃は今も覚えています。CADの使い方や図面の書き方が役に立ったのはもちろん、道具の使い方や危険時対応の学びも生きました。今回のリノベーション事業では、ものつくり大学だからこそ、ストラクチャー実習場7という充実した設備を使えたり、ラフタークレーンも入ってこられたりして大変助かりました。 補修が完了した「ふれあい橋」 未来へつなぐ、伝統と責任の架け橋 -自分たちが直した橋が、草加市民の生活の一部になることへの思いを聞かせてください。 【坂本】元々あった「ふれあい橋」は散歩道として交通量も多く、地域のみなさんに馴染み深いものだったと思います。私たちが改修した橋も親しみを感じて使って欲しいです。私が作った腰掛鎌継の継手や、細かな「埋め木」の跡に気づいてくれる人がいたらうれしいです。「ふれあい橋」が草加市の方々に大切に使い続けてもらえるよう、ものつくり大学の後輩たちにメンテナンスを引き継いでもらい、整備を継続していってほしいと思います。 【小林】公園が目の前にあるので、交通量もありますし、人が歩くので「安全に使われてほしい」と思います。私たちが施したCFRP補強や防水加工も万能ではありません。日々の点検や塗装の塗り替えなど、適切なメンテナンスをしていただければ助かります。 -最後にお二人の卒業後の進路に今回のリノベーション事業はどのようにつながっていると感じますか? 【坂本】4月からは、群馬の住宅工務店で大工として働き始めます。橋であっても住宅であっても、「人が使うものを作る」という本質は変わりません。今回のリノベーション事業を通し、人が使うもの、毎日の生活に必要なものを作れたことで、未来に向けた一歩になったと感じています。 【小林】私はゼネコンに就職し、施工監理か生産管理の道に進みます。木造の現場ではありませんが、実際に使われる橋の改修を行ったので、工程管理や人との連係プレーの学びは、これから必ず生きると信じています。 用語解説 1.主桁(しゅけた):橋の「背骨」となる最も重要な構造部材。橋の長さ方向に架けられ、橋の上に乗る人や車を支え、その力を土台に伝える役割を果たす。2.床版(しょうばん):人が直接通る「床」の部分。主桁の上に敷き詰められる板材のこと。常に雨や歩行による摩耗にさらされるため、高い耐久性と滑りにくさが求められる。3.CFRP(炭素繊維強化プラスチック):「鉄より強く、アルミより軽い」最先端の複合素材。炭素繊維を樹脂で固めたもので、重さは鉄の約4分の1だが、強度は10倍近くある。4.樹脂(じゅし):木材の欠損部を埋め、強度を回復させる「液体プラスチック」。2種類の液体を混ぜることで化学反応を起こし、カチカチに硬化する。腐朽して空洞になった内部に流し込むことで、腐食の進行を止め、木材を内部から補強する。5.笠木(かさぎ):手すり(高欄)の最上部に取り付ける仕上げ材。橋を渡る人が直接手を置く部分。手触りの良さといった意匠性だけでなく、下の構造体に雨水が浸入するのを防ぐ「屋根」のような役割も持っている。6.腰掛鎌継(こしかけかまつぎ):釘を使わずに木材をつなぐ、日本伝統の「継手(つぎて)」技法。一方の材を「鎌」のような形に削り、もう一方の凹みに落とし込んでスライドさせることで、引っ張っても抜けない強固な連結を可能にする。乾燥による木の狂いにも強い、先人の知恵が詰まった技法。7.ストラクチャー実習場:巨大な構造物の製作・実験が可能な、ものつくり大学独自の施設。学生が「本物」のスケールで実習を行える、実践教育の象徴的な場所。 関連リンク ●建設学科ウェブページ

  • 世界銀メダリストが導く、中庭再生までの100日。~大学生と高校生の挑戦~

    Introduction 技能五輪国際大会造園職種の銀メダリストで、大学院ものつくり学研究科1年の田子雅也さんがリーダーとなり、高大連携の一環として、2024年12月から約1年にわたり取り組んだ「岩槻商業高等学校 中庭整備プロジェクト」。ものつくり大学の学生と岩槻商業高等学校(以下、岩槻商業)の生徒との協働により2025年12月22日に完成に至った中庭。デザインの考案から造園実技の指導に至るまで、持ち前のものづくり魂でプロジェクトを完遂させた田子さんに、完成までの歩みと思いをインタビューしました。 ものづくり魂で挑んだプロジェクト -まず、このプロジェクトにどのような思いで関わろうと決められたのですか? 【田子雅也さん(以下、田子)】私はものづくりに対して、「人から満足してもらえ、自分が本当に納得したものをつくりたい」という気持ちを常に持っています。今回の岩槻商業の中庭整備プロジェクトは、未経験の課題も山積みでした。しかし、「生徒さんや先生方に喜んでもらえるなら、全力で挑戦しよう」という思いが何より勝りました。自分が「こうしたい」という思いももちろんありますが、高校側の「こういう場所があったらいいな」という願いを、可能な限り実現しよう、と覚悟を決めて臨みました。 インタビューに答える田子さん 中庭のデザインに込めたこだわり ー中庭のデザイン考案も田子さんが担当されたそうですね。具体的にどのようなニーズを汲み取り、形にしていったのでしょうか。 【田子】高校側からは大きく分けて2つの要望がありました。一つは「機能的・交流的側面」。鬱蒼(うっそう)としていた中庭を開放的な空間にし、生徒たちが昼食を食べたり、触れ合ったりできる「広場」にしたいという声です。もう一つは「教育的・地域共生的な側面」。前校長先生の熱い思いでもあったのですが、「近隣の保育園児などが家庭菜園を体験できるような、地域との繋がりを育む場所にしたい」という声でした。デザインにあたっては、まず「庭との関わり方」と「空間構成」を徹底的に考えました。庭には「外から眺める庭」と「中に入って体験する庭」がありますが、今回は、生徒たちが主体的に使えるよう、広々とした空間構成を意識しました。また、学校施設である以上、安全面に留意しました。中庭の下には避難設備として埋設物が埋まっているのですが、そこを壊さず、しっかり機能させたまま計画しました。 -デザインにおいて、特に「田子さんのこだわり」を出した部分はどこですか? 【田子】特にこだわったのは、「板石石畳(いたいしいしだたみ)」です。自然石の切り石を精密に舗装していく技術は、私が以前から自身の表現として極めたかった分野でした。これを今回のプロジェクトにどう落とし込むか、何度もシミュレーションを重ねました。そして、もう一つは「タイルアート」です。通常の造園ではあまり行わない手法ですが、岩槻商業のマスコットキャラクターである「商子(しょうこ)ちゃん」をタイルで描くことにしました。 3方向が交差する、プロジェクトの象徴の石畳。100㎏超の板石を「歩かせる」ように運び、足裏で感じる微細な段差まで徹底して調整。後輩に石の加工やデザインを伝承しながら、安定感のある美しさと歩きやすさを両立させた。 -デザイン画を描くプロセスや、それに対する高校側の反応はいかがでしたか? 【田子】手描きで2案作成しました。1枚描くのに1時間半くらいかけました。平面的なポイント。つまり庭のメインになる場所を決め、それと同時にそのメインを引き立てる「空き」、つまり空間の余裕を大切にしたいと考えました。植栽や石の「高さ」のバランスを重視して構成をもしたんです。そこから高校側と打ち合わせを重ね、2案それぞれの良さを残しながらブラッシュアップしていきました。2025年3月頃に最終案がまとまったのですが、生徒たちは「これが本当に自分たちの学校にできるの?」とワクワクした表情を見せてくれました。一方で、先生方からは「このクオリティを予算内で本当に実現できるのか」という不安の声もありました。そこで工夫したのが、「循環型の資材調達」です。既存の中庭にあった石を再利用し、足りない分は非常勤講師の渡邉先生が経営する「株式会社八廣園」から譲り受けた余剰材などを活用しました。4月の段階で、予算計算と綿密な工程計画を詰め、徹底的に準備しました。 田子さんがデザインした完成図面 ものつくり大学特有の「多職種」の絆 -実際の施工は2025年5月から始まったのですね。完成までのプロセスを教えてください。 【田子】施工期間は大学での準備を含めると100日を超え、岩槻商業の現場には約80日通い詰めました。工程としては、まず地盤を整えてコンクリートを打ち、洗い出しの仕上げを施してから石畳を組んでいく。骨格となる「固い物(石や構造物)」ができてから、最後に樹木を入れ、芝を張って「柔らかさ」を出す。これが造園のセオリーです。 -プロジェクトに関わったものつくり大学の学生の構成や協力体制は? 【田子】私のほかに、のべ10名ほどの4年生が手伝ってくれました。彼らは卒業研究で多忙な中、合間を縫って現場に入ってくれました。特に中心となった4、5名は、私とほぼ同じ頻度で現場を支えてくれたんです。一人では絶対に不可能だったプロジェクトです。現場の制約は想像以上に厳しかったです。最大の問題は「重機を入れられない」こと。さらに私自身が免許を持っていなかったため、免許のある学生がいる時しか軽トラが使えず、350㎏という積載量の限界と格闘しながら、巨大な石や木を運びました。技術的な難所やクレーンが必要な場面では、八廣園さんのプロの助けを借りましたが、基本は学生たちの手作業です。ここで、ものつくり大学の強みが発揮されました。 田子さんと一緒に作業をした学生たち -「ものつくり大学ならでは」の強みとは? 【田子】「多職種の力」です。ベンチの設計には大工を目指している学生から木材の性質について意見をもらい、タイルアートでは技能五輪全国大会のタイル張り職種で金賞を取った学生のアドバイスを受けました。「庭」という空間は、植物、石、木工、左官、タイル・・・あらゆる業種が重なり合って成立しています。それを学生同士のネットワークで補完し合い、一つの作品を作り上げられたのは、大きな収穫でした。造園だけをやっていては辿り着けないクオリティを実現できました。 酷暑、重機なき苦悩。例え話で高校生に伝えた「ものづくりの技」 -特に夏場の作業は、過酷を極めたのではないでしょうか。 【田子】本当に、その時期が一番きつかったですね。60平米もの面積を、重機を使わずスコップだけでひたすら手掘りしたんです。掘り出した大量の土を、400~500メートル先の置き場までネコ(一輪車)でひたすら運び続けました。体力のある学生たちですら、汗だくで無言になってしまって。「声がけをしなければ、誰か倒れてしまう」という、命の危険を感じるほどの暑さでした。高校生の安全を守るため、一番過酷な時期の土台作りは我々大学生が引き受け、進めました。 -重機が使えない中、どのような苦労や工夫をされたのですか? 【田子】300㎏~400㎏ある石を動かすために「三又(さんまた)」という原始的な三脚とチェーンブロックを使いました。クレーンなら5分で済む作業に、準備から30分以上かかりました。効率が悪く、安全面にも気を使ったのですが、道具を駆使して石を据える経験が貴重でした。また、工期短縮のために「プレキャスト化(事前製作)」の工夫もしました。大学でパーツをあらかじめ作っておき、現場で繋ぎ合わせました。 三又(さんまた)で作業を行う田子さん達 -高校生への技術指導で意識したことはありますか? 【田子】高校生には「商子ちゃん」のタイル仕上げや、植栽、石の加工などの作業を手伝ってもらいました。石の加工の仕方やデザインの考え方を、実践を交えて教えました。タイルの加工は大半はこちらで準備しました。初めて触る「タイルニッパー」でタイルを割ってもらい、一緒に作り上げました。専門用語を並べても伝わらないので、身近に感じてもらうために「例え」を使いました。例えば、タイルの目地を繋ぐ時、「3枚のタイルが合わさる部分を『Y』の字にすると綺麗に見えるよ。三ツ矢サイダーのマークを意識してみて」と教えました。例えを使うことで生徒さんの理解が深まり、一気に作業の精度が上がるんです。植栽では、やはり高校生たちのセンスもあると思うんですね。色使いとか、本当は華道部の生徒さんにも参加してほしかったのですが、日程が合わなくて、最終的に高校側のプロジェクトメンバーの15名が、放課後の時間を使って、自分たちの庭に命を吹き込んでくれました。 伝統の「洗い出し」に映える、マスコットキャラクター「商子ちゃん」。乾ききる前に表面を水やスポンジでさらい、中の砂利を露出させる「洗い出し」、地元の砂利や色鮮やかな砂利を混ぜた表情豊かな足元には、タイルアートの「商子ちゃん」もデザインされている。この柔らかな凸凹は、高いデザイン性だけでなく、雨の日でも滑りにくい効果をもたらす。 技能五輪の経験がもたらしたもの -田子さんは世界銀メダリストですが、高校時代から技能五輪全国大会に出場されていますよね。その経験はこのプロジェクトにどう反映されましたか? 【田子】大会に出るための訓練で、実際に庭を見て、感性を磨いてきたことが一番生きました。植木の植え方、高さのバランス、平面的な空間構成、これらは訓練の中で無数の庭を見て、実際に手を動かす中で自然と身についてきたものです。そのおかげで、今回のデザイン案もあまり悩まずに、かなり早い段階でまとめ上げることができました。「これは自分でも実現可能だ」という裏付けがあるからこそのデザインで、それは間違いなく、これまでの厳しい訓練の結果です。 -自身の中で、この100日間で感じた「成長」は何でしょうか。 【田子】一番は「段取り」の重要性を再認識したことです。大学から岩槻商業までは往復3時間。忘れ物一つが、致命的なタイムロスとコスト増を招きます。「段取り八分、仕事二分」という言葉の重みを、責任者として身をもって学びました。材料、道具、人員の動き、そのすべてを先読みして管理するプロデュース能力は、技能五輪で得た経験がベースにあり、現場ならではの学びとなりました。 高校生との交流、そして「生きた庭」の未来へ -商業高校の生徒さんとの交流で、意外な発見や喜びはありましたか? 【田子】私は農業高校の生徒さんとの交流は多いのですが、商業高校の生徒さんとはなかなか機会がなかったんです。普段はパソコンや電卓に向き合っている生徒たちにとって、土を触り、自分の手で形を作る作業はとても新鮮だったようです。「今日は作業をやるから来てね」と言うと、興味をもって参加してくれる生徒さんがたくさんいました。「ものを作るのが好き」という言葉を聞いた時、商業という枠組みを超えて、ものづくりの可能性を感じました。デザインを立体として具現化し、生徒さんに喜んでもらえる空間を実現できたことも、何よりの達成感になりました。最初は全容が見えなかった中庭に、緑が入り形になっていくにつれ、生徒さんから「ああ、すごいな」、学生が作ったベンチを見て「これすごいね」と声をかけていただけるようになったときはうれしかったです。 -2025年12月22日、ついに中庭が完成しました。高校側の反応はいかがでしたか? 【田子】「暑い中も含め、長い間ありがとうございました」と感謝の声をいただきました。完成が冬だったので、今はまだ木々が少し寂しい姿をしています。だから高校生たちには「春に芽吹くまでは、しっかり水をあげてね。これからどんどん緑が増えていくから」と伝えました。校長先生が庭を眺めて、「あそこに何か植えたいな」とポツリとつぶやいてくださったのはうれしかったですね。 -この中庭が、今後どのように育ってほしいですか。 【田子】岩槻商業には、これまで「憩いの場」と呼べる緑地が少なかったと聞きます。文化祭などの行事はもちろん、日常の何気ない時間に、ふとこの庭を通り抜けてほしいです。あえて通り抜けができる動線を設計したのは、生活の一部に庭を取り込んでほしかったからです。季節ごとに変化する緑に目を向け、心がふっと軽くなる。そんな場所になってほしいですね。 植栽は、地面のフリク(不陸・凸凹)に合わせて、自然本来の育ち方を再現する「自然樹形」を意識した。ツツジやアジサイ、沈丁花など、高校という場所にふさわしい樹種を厳選。高校に生えていた「龍のひげ」も学生と一緒に植え直し、四季折々の風景を楽しめる憩いの場としての中庭に。 建築と庭を繋ぐ、次世代のプロデューサーを目指して -田子さんが、そもそも造園を志したきっかけは何だったのでしょう? 【田子】中学2年生の時に見た、東京スカイツリーの建設動画です。最初は建築そのものに興味が湧いたのですが、スカイツリーが建った後の下町の映像を見て、心が動きました。人間が作ったコンクリートの直線的な建物と、植木の曲線的な要素が絡み合った街の景色。それが「人と自然の合作」のように見えたんです。建築もいいけれど、緑地デザイン、特にランドスケープデザインをやりたいと直感しました。 -農業高校からものつくり大学、そして大学院へ。学び続ける理由は? 【田子】高校時代は緑地デザインコースで学び、造園部に入り、1年から3年まで毎年技能五輪全国大会に出場し、敢闘賞や銀賞を受賞しました。仲間と切磋琢磨するのが楽しくて技術も上達したのだと思います。ものつくり大学を選んだのは、建築の要素も学びつつ、技能五輪で金賞を目指せる環境があったからです。緑地デザインの中には建築の要素も入っているんですよね。大学院に進んだのは、造園をより建築に馴染ませるための勉強をしたかったからです。現在は三原研究室で、技能五輪を通した若手技能者のスキルアップについての論文を書きつつ、京都の桂離宮や迎賓館などを巡り、空間のあり方を自主的に研究しています。私の目標は、「建築が分かる造園屋」になることです。将来は、建築と庭の両方を一貫してプロデュース、設計・施工できる存在になりたいです。特に今は、商業施設や店舗の庭に興味があります。飲食店などに立ち寄った人の目に留まり、「この庭はいいな。自分の庭もこの人に任せたい」と思ってもらえるような、そんなきっかけを作れる庭を手がけていきたいですね。 -最後に、このプロジェクトを通して、高校生たちにメッセージを。 【田子】庭は完成して終わりではありません。5年後、10年後、木々が大きく育ち、花が咲き、実が成る。その時、関わった生徒たちが卒業生としてここを訪れ、「この石は自分が置いたんだ」「このタイル、一緒に割ったな」と思い出してくれたら。自分たちが作った場所が、後輩たちに愛され、育っている。その誇りと達成感を共有し続けてほしいです。 一緒に中庭を作った岩槻商業高校の生徒さんとともに 関連リンク ・大学院ものつくり学研究科・第47回技能五輪国際大会応援ページ・岩槻商業高等学校「岩商Topics」

  • 【知・技の創造】グローバル人材育成

    人材育成と交流事業 ものつくり大学の理念の一つである「技能・科学技術・社会経済のグローバル化に対応できる国際性の重視」を踏まえ、本学では、国際社会において主体的に活躍できる人材の育成を重要な教育目標として位置づけています。 この理念のもと、本学は、異文化および多様な価値観への理解を深めるとともに、国際的なコミュニケーション能力に加え、主体性、課題解決力、協働力、柔軟な思考力を備えたグローバル人材の育成を目的として、国際交流事業を積極的に推進しています。 日本の製造業は1980年代以降、円高や国際競争の激化を背景に海外展開を加速させ、その結果、国内産業の空洞化が進行しました。現在は円安局面にあるものの、海外の生産拠点においても日本のものづくりの品質や技能を維持・発展させることが求められており、現地人材と協働しながら技術や生産システムを高度化できる技術者が求められています。 交換留学を経て成長する学生たち こうした背景から、本学では、タイ王国バンコクに所在する泰日工業大学(Thai-Nichi Institute of Technology:TNI)と連携し、本学学生の派遣とTNI学生の受け入れを行う相互交流型の留学プログラムを実施しています。 これまでに本学からTNIへは延べ45名の学生を派遣してきました。派遣期間は約2か月で、前半の1か月は、海外での生活基盤を整えるとともに、生活習慣の違いを理解し、インターンシップに必要な基礎的語学力を養うことを目的として、TNIでの学修活動を行います。後半の1か月は日系企業および地元企業でインターンシップ研修を受けます。 派遣された学生を対象に実施したアンケート調査では、海外インターンシップを通じて成長を実感した能力として、「異文化理解」、「コミュニケーション力」、「問題解決力」が特に高い割合を占める結果となりました(図1)。また、ほぼ全員の学生が、現在のキャリア形成に「非常に有用」または「有用」であると回答しました。 (図1)交換留学プログラムを通じて実感したスキル・能力 体験から学びへ 一方、TNIの学生は本学に派遣され、約4か月間にわたる卒業研究を行っています。本学の研究室に所属し、教員の指導のもとで研究活動や実験・製作に取り組むことで、日本のものづくり教育や研究手法、安全管理、チームでの協働の在り方を実践的に学んでいます。これまでに本学に派遣されたTNIの学生数は、延べ57名に上ります。 「百聞は一見にしかず」ということわざのとおり、本交換留学プログラムにおける海外での学びは、実際に見て体験することでこそ得られる気づきに満ちています。こうした体験を積み重ねる学びの旅の中で学生達たちは進化を遂げ、その経験が将来にわたる成長の礎となることが期待されます。 埼玉新聞「知・技の創造」(2026年2月6日号)掲載 Profile ビチャイ サェチャウ情報メカトロニクス学科教授タイ王国King Mongkut’s Institute of Technology North Bangkok卒、東京工業大学大学院博士課程終了、工学博士。東芝(株)に入社、同大学助手を経て2001年より現職。専門は「制御工学、メカトロニクス」

  • 【知・技の創造】非破壊検査が開く可能性

    コンクリート構造物の老朽化の対応 現在、高度経済成長期以降に整備された大量のインフラの老朽化が深刻になっており、建設から50年以上経過した構造物が増加しています。「国土交通省白書」では、損傷発生後に補修する「事後保全」から、損傷が軽微な段階で補修を行う「予防保全」に転換することを打ち出しています。そのためには、劣化の状況を目視だけでなく、非破壊検査を活用することが重要になってきます。さらに、深刻な労働者不足に対応するために、AIの活用や、ロボット化の技術が必要不可欠になります。 共同研究の紹介 コンクリート構造物の耐久性は、使用するコンクリートの性能に大きく左右されます。そこで、まずはコンクリート構造物をつくる段階からAI等を活用した技術が研究、実用化されています。近年、生コンの全数の流動性をリアルタイムで確認できる技術が開発され、流れている生コンの画像解析とAIを活用したもの、センサを取り付け流れる生コンの抵抗を測定する方法などがあります。私は流れてくる生コンの抵抗を測定する方法で(株)フジタと共同研究を行っています。幅の異なる金属棒にセンサを取り付け、それぞれの金属棒の生コンが流れる際に受ける抵抗値を測定・解析し、ビンガムモデルを用いて流動性を評価する方法です。現在、施工現場で実用化実験を行っているところです。 次に、コンクリート構造物の劣化調査では、高速道路のコンクリート床版の劣化に着目し、私はコンクリート床版の内部劣化を調査する衝撃弾性波法の自動打撃装置の開発を(株)ネクスコ東日本エンジニアリング、リック(株)、(株)シーテックと共同研究を行っています。衝撃弾性波法は、コンクリート面を鋼球などで打撃し、衝撃により発生した弾性波をコンクリート面に受信センサとして設置した加速度計により受信して、コンクリート内部等の状態を推定する試験方法ですが、実構造物での適用事例が少ないです。また、打撃・受信方法についても従来の人力ではなく、一定の力でコンクリート面を打撃でき、弾性波を正しく受信できる機構を持つ自動打撃装置を開発しました。現場実装に向け、実橋梁による検証や、容易な測定手法、評価方法の確立に取り組んでいます。 非破壊検査への今後の期待 現在、様々な方法でコンクリートを壊さずに調べることのできる非破壊検査技術が研究・実用化しています。今後は、更なるAIやロボットの活用、これら非破壊試験方法のJIS(日本産業規格)やNDIS(日本非破壊検査協会規格)などの標準化、そして若手技術者の育成に力を入れ、国土を守る役割を担えたらと思う次第です。埼玉新聞「知・技の創造」(2026年1月9日号)掲載 Profile 澤本 武博(さわもと たけひろ)建設学科教授 東京理科大学卒業、同大学院博士後期課程修了、博士(工学)。若築建設株式会社、東京理科大学助手を経て、2005年着任、19年より学長補佐、22年より教養教育センター長。

  • 【知・技の創造】ものづくりの原点

    トヨタ生産方式とは トヨタ自動車で36年間、生産現場に携わり、改善や人材育成に取り組んできました。今年4月から大学に移り、若い学生と向き合う中で、改めて「ものづくりの本質をどう伝えるか」を深く考えるようになりました。 戦後の日本経済を支えてきたのは製造業、とりわけ自動車産業です。その中心にある「トヨタ生産方式(TPS)」は、「ジャストインタイム」や「自働化」といった仕組みで知られますが、本質はそこに留まりません。最も大切なのは、時代が変わっても“人が中心であり、人が軸である”という考え方です。 「つくる」から始まる TPSの源流は、創業者が改良した機織り機にまでさかのぼります。当時、両手で行っていた作業を片手でできるように改善した背景には、「母親の仕事を楽にしてあげたい」という子の思いがありました。TPSの原点は「効率化」ではなく、「誰かを楽にしてあげたい」という心にあります。それは利益や生産性を超え、「すべての人の幸せ」を目指す思想でした。 TPSには「工程は常に改善できる状態にしておく」という重要な考え方があります。現場は常に変化するため、“後から改善できるようにしておく”ことが肝心です。人が工夫しやすい環境を整えることが、持続的な生産性向上につながります。 一方、今の製造業を取り巻く環境は大きく変化しています。人口減少や高齢化、グローバル競争、カーボンニュートラル、AIの急速な進化――未曾有の時代です。これからの100年を見据えるとき、「ものづくりは人づくり」という視点を忘れてはなりません。AIは設計や保全で活躍しますが、現場の気づきや創造的発想は人にしかできません。人の五感=“センサー”を生かし、技術と融合してこそ「知と技の創造」が生まれます。 幸せを追求する姿勢 私が思い出すのは、ものつくり大学初代会長・豊田章一郎氏の言葉です。「新しいものをつくるために知恵を絞り、仲間と一緒に汗をかき、時間を忘れて熱中する、その瞬間が極めて楽しい。」学内では学生たちが自主的にプロジェクトに挑み、仲間と試行錯誤する姿があります。 その姿に、TPSの精神、“人が中心”であり、“人の幸せ”を追求する姿勢があります。 生産性向上は重要ですが、人を犠牲にしては長続きしません。 人にはそれぞれの価値観、個性があります。それを受け入れ、多様性を力に変えられる職場こそ、これからの製造業に求められる姿です。 学生たちは柔軟な発想を持ちながらも、将来に不安を抱えています。だからこそ伝えたい。 「ものづくりは人を幸せにできる仕事である」という事を。 埼玉には多くの中小企業があり、地域を支えてきました。 私は大学・企業・地域を結び、人を中心としたものづくりを探求し、支援していきたいと思います。 埼玉新聞「知・技の創造」(2025年12月5日号)掲載 Profile 荒井 豊(あらい ゆたか)情報メカトロニクス学科教授 法政大学工学部卒。トヨタ自動車株式会社、愛三工業株式会社を経て2025年4月より現職。専門はトヨタ生産方式、所属学会:生産管理学会、鋳造工学会。

  • 【埼玉学⑫】天国への道--埼玉県道153号幸手久喜線

    Introduction 「埼玉学」とは、埼玉県の歴史・文化・産業・地理など、埼玉県に関するあらゆる分野を総合的に研究・探究する学問です。教養教育センターの井坂康志教授が新しい研究テーマとして連載しています。 埼玉学第12回は、井坂教授の子供時代の聖地・イトーヨーカドー久喜店から埼玉県道153号線を幸手方面に歩きながら、久喜・幸手の地名の由来に思いを馳せていきます。 起点--イトーヨーカ堂久喜店 30年ぶりに歩こうと決めた。私が「天国への道」と勝手に名づけた街道だ。埼玉県北東部、久喜駅の西口に降り立つ。上野東京ラインと東武伊勢崎線の交差するちょっとしたターミナルだ。都心へのアクセスもなかなか悪くない。大手町、東京、新宿、渋谷へも一本で行ける。 記憶の中の久喜は、埃っぽく、それでいて精悍な地方都市の顔つきをしていたものだが、駅舎はかつての面影もなく変貌を遂げていた。どうしても立ち寄らねばならない場所があった。駅前のロータリーを横切り、イトーヨーカドー久喜店へと向かう。子供時代の「聖地」だ。今や機能的なショッピングセンターとして再編されている。迷うことなく、かつて書店とレコード店があったはずのフロアへと向かっていた。学研の学習まんが「ひみつシリーズ」を買ってもらい、初めてレコードを手に入れた思い出の一画だ。クラシックが少しだけ好きだった。フルトヴェングラー指揮の二枚組レコード『第九』。背伸びにもほどがある選盤だ。子供の耳にはあまりに渋すぎた。おまけにレコードにはなぜか傷があり、針が飛ぶ。がっかりして店に持って行くと、店員の方は理由も聞かずに新品と交換してくれた。あの時の安堵と、大人の寛大さに触れた驚きは、レコードそのものより鮮烈に残っている。もちろん、書店もレコード店も現存していない。 後年、私は幸運にも、セブン&アイ・ホールディングスの創業者・伊藤雅俊さんと知遇を得た。その折、久喜店での思い出話をしたことがある。「子供の頃、久喜のヨーカドーには本当にお世話になりました」と水を向けると、伊藤さんは「ああ、あそこね。変な店だけどね」とだけ答えた。子供をほめられたような、そっけなくもはにかんだ印象だった。すっかり様変わりした店内で、私は年老いた母への手土産を求めた。一階の銘菓コーナーに、オルセー美術館の所蔵作品をあしらった洋菓子のセットを見つける。ルノワールの『ピアノに寄る少女たち』だ。 子供の頃の聖地・イトーヨーカドー久喜店 今はもう取り壊されてしまった実家が思い起こされる。母は音楽の教師だった。部屋にはピアノ、タイプライター、そして数多の画集があった。壁にはルノワールのポスターが貼られていた。私は菓子折りを贖い、店を出た。いくつもの記憶が絡まり合って交差し、浄化されていく気がする。久喜--。久しき喜び(the Eternal Joy)。「天国の道」の起点だ。埼玉学の探求は、こんなところからも始まる。 街道の記憶 ここは広大な関東平野のほぼ中央部。久喜から幸手方面へと伸びる道をひたすらに歩く。現在は埼玉県道153号幸手久喜線と呼ばれる。久喜と幸手--。二つの宿場町の名だ。久喜は、江戸時代、日光街道の西を走る「館林道(佐野道)」の要衝として栄えた「久喜宿」である。岩槻から分岐し、利根川を越えて北関東へと向かうこの脇往環は、大名行列や一般の旅人で賑わう日光街道とはまた別の賑わいを見せ、人々の往来の絶えることなき宿場だった。大宮台地の東のへりが、中川や利根川が形作った東部の広大な低地帯へと落ちていく境界線上に位置している。人々は、台地の安定した地盤と、低地の豊かな水を求めた。道は必然的にその際を縫っている。「くき」の由来も地形と無関係ではないだろう。台地が低地に突き出した「岬」のような地形を指す「陸(くが)」を転じたとも、あるいは低湿地帯に杭を打って土地を「区切り」定めたことから来たとも言われる。いずれにせよ、水と台地のせめぎ合いをその名は示しているだろう。幸手へと続く道は、緩やかに下る。大宮台地の高みから、中川低地へと、土地の骨格に沿っている何よりの証拠だ。道の両側には、かつての見渡す限りの田園風景はなく、ロードサイド店や住宅地が切れ目なく続く。幸手もまた、久喜と並び称される宿場町だった。日光街道と日光御成道がここで合流し、江戸から六番目の宿場として、また権現堂川(現在の権現堂堤)の渡河地点として、江戸北辺の玄関口の役を担った。地形を見れば、その宿命はさらにはっきりしてくる。幸手は、西から流れる倉松川と、北を塞ぐ大河・利根川(権現堂川)に挟まれた、低地の中のわずかな高みに築かれている。絶えず洪水の脅威にさらされながらも、水運と陸運の利便性を手放すことができなかった人々のぎりぎりの選択の痕跡でもあった。この道は、台地の安定から低地の混沌へ、そして再び秩序ある宿場町へと至る、土地の紡ぐ記憶そのものだ。 中間点の茶屋 そのほぼ中間地点に、喫茶「どんぐり」がある。変わることなき山小屋風のログハウスが目に入る。扉を開ける。店内はあの日のままだ。壁一面の高山植物の写真、フォルクローレのBGM、高齢の主人が、物静かにカウンター奥に立つ。私は、窓際に腰かけ、ブレンドコーヒーを注文する。初めてこの店を訪れたのは1995年、大学四年生の時だった。就職活動を終えて間もなく、定年を迎える父と二人で来た。そのとき何を父と話したのか。ほとんど覚えていない。コーヒーを口にする。30年前よりも少し薄く感じるのは、時の重みがそう感じさせるのか。 喫茶どんぐりにて。 父は時々、若い頃心酔した社会主義者・河上肇の歌を暗唱したものだった。「辿りつき振り返り見れば山河(やまかわ)を越えては越えて来つるものかな」。遠い感情が今は重たく私の心中にある。 「辿りつき振り返り見れば山河を越えては越えて来つるものかな」(河上肇) 「幸いなる手」へ 店を出て、幸手を目指す。秋の空が高い。「幸手」(the Happy Hands)。なんと美しい地名か。アイヌ語の「サッ・テ」(乾いた・ところ)から来ているという説や、幸宮神社の神域を意味する「幸(さき)つ・御手(みて)」から転じたなど、諸説あるらしい。地名は、そこに住まう人々の願いの結晶なのかもしれない。特に幸手は、権現堂堤の決壊に象徴されるように、幾度となく水害に苦しめられてきた。厳しい現実の中で、人々が「幸」を願い、その手につかもうともがいてきた痕跡がこの地名には刻まれている。宿場町の面影を残す市街地に入った時、私は確信した。「久喜(久しき喜び)」という、過去の温かな記憶の地から出発し、「幸手(幸いなる手)」という未来への希望を手渡す街道ーー。イザヤ書の啓示みたいに聞こえないか。30年ぶりの道は、私に多くを語りかける。ここは歴史と地形の織りなす魂の巡礼路なのだ。埼玉学とは、自らの足で土地を歩み、その土地固有の記憶と対話し、自らの生の原点へと立ち返る旅であっていい。いや、そうあっていけない理由がない。幸手のホームに立つ。手提げ袋の中のルノワールが、確かな重みを持って母の住む故郷へと私を誘っている。 ルノワール「ピアノに寄る少女たち」 Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学 教養教育センター教授1972年埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、情報社会学。 関連リンク ・【埼玉学①】行田-太古のリズムは今も息づく・【埼玉学②】吉見百穴-異界への入口・【埼玉学③】秩父-巡礼の道・【埼玉学④】『翔んで埼玉-琵琶湖より愛をこめて』を公開当日に見に行くということ・【埼玉学⑤】「食」のアミューズメント・パーク サイボク・【埼玉学⑥】埼玉の奇祭--歌声が聞こえる・【埼玉学⑦】埼玉学者、埼玉県知事に会いに行く・【埼玉学⑧】真夏のクリスマスーー下総皖一『野菊』の思い出・【埼玉学⑨】「埼玉学ツアー」が教えてくれたもの-埼玉未来大学で出会った素晴らしき仲間たち・【埼玉学⑩】鉄道博物館と大宮操の桜・【埼玉学⑪】大宮盆栽町--「これでいいのだ。埼玉」

  • 【知・技の創造】ブルーチェアと皆野町

    色鮮やかな「みなのんち」 埼玉県秩父盆地に位置する皆野町では、森林資源の循環と地域交流をテーマにした取り組みが進められています。その拠点となるのが、皆野駅前にある移住相談センター「みなのんち」です。移住希望者と地域住民が気軽に立ち寄れる場所として改修されましたが、より親しみやすく魅力ある空間とすることが課題でした。 私たちはその一環として、町内の製材工場から提供された端材を活用し、子どもたちを対象に「イスづくりワークショップ」を企画しました。小学五年生から中学生までが参加し、役場職員や地域おこし協力隊、そして私たち大学生が協力して進めました。完成したイスの一部は「みなのんち」に常設し、残りは参加者が自宅に持ち帰る仕組みとしました。施設に置いたものは町のイメージカラーの青で仕上げ、「みなのブルーチェア」と名付けました。 当日は子どもたちが思い思いの色を選び、真剣な表情で組み立てに挑みました。材料の不足で急な調整が必要になったり、木材の節をどう扱うか迷ったりする場面もありましたが、そのたびに学生と子どもたちが一緒に考え、工夫を重ねていきました。完成したイスに腰掛けたときの誇らしげな笑顔は忘れられません。アンケートでも「楽しかった」「またやりたい」という声が多く寄せられました。 次の世代へつなげること こうしたワークショップは、子どもたちにものづくりの楽しさを伝えることが主な目的でした。しかし、ふり返ると最も大きな学びを得たのは、実は運営側の学生だったのではないかと感じています。部材の準備や加工方法の検討、当日の進行計画や資料づくり、さらに地域の方々との調整など、授業では経験できない実践的な課題に向き合いました。現場での予想外のトラブルにも対応し、参加者に安心して取り組んでもらえるよう工夫を凝らす過程は、ものづくりの技術以上に貴重な学びを与えてくれました。 森林資源を無駄にしない端材の活用、地域の人々との交流、子どもたちの体験。これらはいずれも大切な目的でしたが、その裏で学生自身が大きく成長できたことが、このプロジェクトの思わぬ成果だったと実感しています。 「みなのんち」に置かれた青いイスは、町の象徴であると同時に、私たち学生にとっても学びの証です。この小さな家具が、地域への愛着や次世代への継承のきっかけとなることを願っています。 埼玉新聞「知・技の創造」(2025年11月7日号)掲載 Profile 大竹 由夏(おおたけ ゆか)建設学科講師筑波大学博士後期課程修了。博士(デザイン学)。一級建築士。筑波大学博士特別研究員を経て現職。

  • 【埼玉学⑪】大宮盆栽町--「これでいいのだ。埼玉」

    Introduction 「埼玉学」とは、埼玉県の歴史・文化・産業・地理など、埼玉県に関するあらゆる分野を総合的に研究・探究する学問です。教養教育センターの井坂康志教授が新しい研究テーマとして連載しています。埼玉学第11回は、土呂駅に初めて降り立ち、さいたま市大宮盆栽美術館を訪れた井坂教授が散策しているうちに直感した、盆栽、タモリ、バカボンのパパのつながりについて述べていきます。 土呂駅を降りる 子供の頃から、いや、物心ついた時から、私はJR宇都宮線に揺られてきた。何度揺られたか分からない。埼玉と東京とひたすらに行き来するありふれた路線だ。大宮、浦和、上野、数えきれないほど乗り降りした駅がある一方、車窓からその名を目にするだけで、一度もホームに降り立ったことのない駅がないわけではない。その筆頭が土呂駅だ。土呂は大宮駅の隣、その何とも言えない語感もさることながら、駅の周囲に何か目立った建築物は見当たらず、ぽっかり中空にくりぬかれた残欠のような駅である。その日、私はふと思い立ち、吸い寄せられるように土呂駅で電車を降りた。爽快なまでにすっきりした駅だ。人影もまばら。かつてタモリは埼玉のこんな茫洋とした風景を目にして「ダサい」と言ったのかもしれないな。そう思えてきた。私の埼玉学の探究は、時にこんな気まぐれな下車から始まる。 土呂駅で初めて降りてみた 盆栽村と小さな宇宙 目指すは、駅からほど近い大宮盆栽村。駅前ロータリーから仰ぐ空は高く、さしあたりさえぎるものは見当たらない。秋の直射日光をまともに浴びながら、少しばかり歩を進めると、やがて近代的な洋館が目に入る。「さいたま市大宮盆栽美術館」だ。門をくぐると、やや湿り気を含む空気に迎えられる。屋内屋外に展示された盆栽の一つひとつが、弱まる日差しに凛とした存在感を放っている。幹はダイナミックな躍動と共にうねり、古木に生じた瑞々しい苔の情感とコントラスト。ほとばしるマグマを一瞬で凍結させたかのようだ。つめたく感じるその内奥では、灼熱の情念が渦巻いている。どれ一つとっても、快い緊張をはらんでいる。私はこれまで、盆栽を年配者の趣味という先入観で見ていた。あるいは老後の高尚なたしなみとも見ていた。大きな間違いだった。目の前にあるのは、限られた空間の中に、大自然の風景、悠久の時の流れ、そして生命の厳しさ、美しさ、そしてそれらすべてへのありとあらゆる畏敬を凝縮した、紛れもない「ミクロコスモス(小宇宙)」であった。これは人が自然と対話し、その力を借り上げて創り上げる、自由で創造的な芸術だ。解説によれば、盆栽村の歴史は、1923年の関東大震災に遡る。多くの盆栽・植木職人たちが、壊滅的な被害を受けた東京を離れ、植物の育成に適した土壌と水、そして空気が綺麗なこの地を安住のための回避所として集団で移住してきたのだ。そう思うと、一つひとつの盆栽が、芸術品を超えて、危険で暴力的な時代を生き抜いた人々の憧れのしるしのようにも見えてくる。 盆栽と漫画。世界へ 館内には、ドイツ人と思われる団体、地元の小学生、高齢の方々等、様々な年齢や背景を持つ人々が、熱心に一つひとつの盆栽に目をとめていた。彼らはガイドに耳を傾け、スマートフォンのカメラを盆栽に向けている。表に出て、盆栽町をそぞろ歩くと知らずある一画に迷い込んだ。時間が止まったかのような閑静な通りだ。一見雑な植え込みや草木も、引いてみると不思議な調和を維持している。この一画が、巨大な盆栽の中の世界のように感じられてきた。あるいは何かの気のせいだろうか。「さいたま市立漫画会館」の看板が目に入る。市立で、しかも無料となれば、入らない理由がない。誘われるように足を踏み入れると、そこは近代日本漫画の祖、北澤楽天という人物の功績を伝える施設だった。恥ずかしながら、私はその名を知らなかった。パネルの説明によれば、日本初の職業漫画家として活躍し、風刺画や子供向けの漫画で一世を風靡した偉人だという。晩年をこの盆栽町で過ごしたとも記されている。彼の描く、生き生きとしたポスターやポンチ絵を眺めるともなく眺めていると、ふと奇妙な共通点に思いが至った。「BONSAI」は、今や世界共通語だ。そして、北澤楽天が礎を築いた日本の漫画もまた、「MANGA」として世界に認知された日本を代表する文化だ。小さな鉢のミクロコスモスと、紙上の二次元の世界。表現方法は違えど、どちらも国境をやすやすと超え、世界へと拡大したのだ。 さいたま市大宮盆栽美術館 中庭。小宇宙の銀河系 タモリの視線と消えた水路 街路を歩きながら、私はかつてテレビで観た「ブラタモリ」の大宮特集を思い出していた。地形や街の成り立ちに異常なほど敏感なタモリが、大宮台地や、暗渠(あんきょ)となった川の跡を嬉々として語りながら、女性アナウンサーとゆっくり歩を進める様子が脳裏に蘇る。彼の視線を借りて足元に注意を向けると、なるほど、盆栽町には不自然な直線を描く通路が伸びているのに気づく。その周辺には、ランダムでありながら、全体的には妙に均整の取れた古木や下草が目に入ってくる。なんだか昭和時代を象徴する切り絵みたいな風景が、秋の赤光に照らされて浮かび上がってくる。私が歩みを進めている道の形状から、それは明らかにかつて水の流れていた跡だ。その証拠にマンホールがずいぶん先まで転々とその流路を暗示している。大宮台地の縁から染み出した水が、小さな流れとなってこの地を潤していたのだろう。水のほとりには、人々の生活があったはずだ。子供たちの笑い声、洗濯する母親たちの姿、じょうろで草木を潤す老人たち--。今はアスファルトの下に消えた水の流れの記憶が、土地の起伏や道の形に確かに刻まれている。土地の歴史を読み解くタモリの視点は、物事の本質を別の角度から喝破した師・赤塚不二夫の視点と、どこか通じるものがあるのかもしれない。こんな具合に想像がとりとめなく広がっていくのは私の悪い癖だ。赤塚とくれば、バカボンのパパへと思考は一直線である。赤塚の代表作『天才バカボン』で、バカボンのパパの職業が「植木屋さん」だった事実に、私ははっとした。もちろん植木と盆栽は厳密には違う。しかし、ともに日常に潜む宇宙であることに変わりはない。バカボンのパパは、日々、ミクロコスモスと向き合っていたのだ。漫画という二次元の世界で。そして、彼の哲学を集約したあの決め台詞、「これでいいのだ」。それは、あらゆる物事をあるがままに肯定する、老子の説く「無為自然」の境地そのものだ。自然の摂理を受け入れ、その中に美を見出す盆栽の精神と、何かが通底しているように思えた。タモリは師・赤塚の弔辞で、その人生を「これでいいのだ」と要約したのだったな。初めて降り立った土呂駅で出合った小宇宙としての盆栽。世界に広がる漫画。消えた水路の記憶。植木職人だったバカボンのパパ。宇宙、世界、水、道、そして平和--。一見、何の脈絡もない点と点が、一本の道で結ばれた気がした。盆栽町は、戦争と革命を経た日本において、一種の桃源郷だったのではないか。そのとき、タモリがかつて口にしたとされる『ダサい』という一語が、それらを煮詰めた一本のボトルに、そっと貼られた一枚のラベルのように思えてくる。盆栽町を後にしながら、私は静かにこうつぶやいていた。「これでいいのだ。埼玉」と。 「これでいいのだ。埼玉」By 井坂康志 Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学 教養教育センター教授1972年埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、情報社会学。 関連リンク ・【埼玉学①】行田-太古のリズムは今も息づく・【埼玉学②】吉見百穴-異界への入口・【埼玉学③】秩父-巡礼の道・【埼玉学④】『翔んで埼玉-琵琶湖より愛をこめて』を公開当日に見に行くということ・【埼玉学⑤】「食」のアミューズメント・パーク サイボク・【埼玉学⑥】埼玉の奇祭--歌声が聞こえる・【埼玉学⑦】埼玉学者、埼玉県知事に会いに行く・【埼玉学⑧】真夏のクリスマスーー下総皖一『野菊』の思い出・【埼玉学⑨】「埼玉学ツアー」が教えてくれたもの-埼玉未来大学で出会った素晴らしき仲間たち・【埼玉学⑩】鉄道博物館と大宮操の桜

  • 手を動かす「ものづくり」から、考える「仕組みづくり」に~料理研究サークル、ラジオパーソナリティー、そして商店街の活性化に取り組んで見えたこと~

    Introduction 学内外で多岐にわたる活動に取り組んでいる和田燿(ひかる)さん(建設学科4年・田尻研究室)。ラジオパーソナリティーなど、ものつくり大学の学生として稀有な分野に挑戦してきた和田さんにインタビューしました。 やりたいことを実現できる環境があるものつくり大学 現在、田尻研究室でまちづくりの一環として商店街の活性化プロジェクトに取り組んでいるほか、料理研究サークルの代表やFMクマガヤのラジオパーソナリティーとして活動しています。この大学生活を通じ、ものつくり大学には「やりたいことを実現できる環境」が存在し、意欲と行動が伴えば、教職員の方から地域の方まで誰でも協力してくれると実感しています。もともと建築系を学びたい気持ちがあり、ものつくり大学を選びましたが、進学の決め手は、オープンキャンパスでの体験でした。特に響いたのは、田尻教授による建設学科の説明と、その後の先輩方によるキャンパスツアーです。先輩方が心から楽しそうに大学の魅力を語る姿は印象に残っています。特に「溶接のいいところ」を熱弁してくださった女性の先輩の姿からは、「本当に好きでやっているのだな」という情熱が伝わってきました。「この大学なら、真に楽しんで勉強できる」と確信し、進学を決めました。 碧蓮祭から誕生した「料理研究サークル」 大学1年で初めて学園祭である碧蓮(へきれん)祭に参加したとき、イベントとしての土台となるステージのイベントや出展物の面白さはずば抜けていると感じました。しかし、イベントに欠かせない飲食店があまり賑わっていない印象を受けました。人が並んでいるのは主に外部からの出店で、学生主体の飲食店の盛り上がりが欠けていたのです。そこで、「自分たちでその盛り上がりをつくろう」と思い、もともと料理が好きだったこともあり、1年生の12月にメンバーを集めて料理研究サークルを立ち上げました。「学祭で学生主体の飲食販売を盛り上げる」ことを目標に掲げました。料理研究サークルの活動を通して、好運な出会いもありました。サークル内でピザを作っていたところ、学生課の職員の方が、行田市内で特色あるピザ屋さんに連れて行ってくれたのです。これがきっかけで、私はそのピザ屋でアルバイトをすることになりました。「ピザが好き」「料理研究サークル」「ものつくり大学」という3つの要素を掛け合わせ、2年生の2023年6月にレンガで「移動式ピザ窯」をつくりました。レンガ1個が2.5㎏あり、合計で300~400個のレンガを買ったのですが、総重量が約1トンにも及び、かなり労働力を要しました。このピザ窯は常設できないため、組み立ててバラす形にしました。ピザ窯は30分ほどで組み立てられますが、建設棟の保管場所から運搬する作業を含めると2~3時間かかります。台車に載せられるだけのレンガを何度も往復して運び、みんなで数100個のレンガを頑張って積む作業をします。 レンガを積み上げて作ったピザ窯 このピザ窯は、碧蓮祭のほか、学内の留学生交流会やサークルの新入生歓迎会など様々なイベントで活躍し、碧蓮祭で飲食販売の盛り上がりをつくることができたと感じています。また、私がかかわっているFMクマガヤや商店街の活性化プロジェクトがきっかけで、大学外にピザを出店することもできました。私たちの出店により、ものつくり大学に興味を持っていただいたり、たくさんの方から純粋にピザの味を喜んでもらえたり、貴重な体験ができました。現在、料理研究サークルのメンバーは20人弱いて、一人ひとりパワーがあります。メンバーはみな決断や行動がスムーズで、課題が生じると自らで解決しようと動きます。対応力や行動力がある主体的なサークルだと感じています。 碧蓮祭でピザを販売する料理研究サークル(中央が和田さん) 碧蓮祭で販売したピザ ピザから繋がったFMクマガヤのパーソナリティー 2024年11月、アルバイト先のピザ屋が市内のお寺の縁日へ出店した際、学生である私のブースを設けてくださり、チャレンジメニューとしてオリジナルピザを販売しました。その時、FMクマガヤのパーソナリティーの方がピザ屋に取材に訪れていました。料理研究サークルを学外にもPRしたいと考えていたので、思い切ってサークルのPR方法について相談してみました。すると、「スタジオにおいでよ」と声をかけていただき、好運にも11月に「週刊フードラボ」という番組にサークルの仲間とゲスト出演することができました。初めてのラジオ出演は、シンプルに緊張しました。目の前にマイクがあるだけでこんなに話す内容が変わるんだという驚きがありました。マイクを前にすると普段の雑談や会話とは全く異なるベクトルが必要だと感じました。「週刊フードラボ」の番組内では、料理研究サークルの活動内容や今後の目標を多くの人に知ってもらえるよう意識して話をしました。翌月の12月には、クリスマスイベントの公開放送にも誘われ出演。そこでFMクマガヤの局長の宇野さんから「パーソナリティーをやってみないか?」と声をかけられました。自分がやれるものだとは思っていませんでしたが、「もらえるチャンスは全部取る」という衝動的な思いから、挑戦を決意。面接後に研修をFMクマガヤの代表の栗原さんから受けました。実際の放送中に受けたミキサー等の機械類の研修では、ミスが生放送に大きく影響してしまったのですが、ミスを受け止めつつ、生放送という場でどうつなげていくかの心構えを学びました。その後、2025年3月にパーソナリティーとなりました。 飾らない大学生の姿が魅力のパーソナリティーでありたい 現在、週2日ほど番組に携わっており、第3火曜日の19時から「りすチャン2025」という番組のナビゲーターも務めています。週に約6時間ものフリートークを行うため、日頃からネタを探し、メモを取るようにしています。思いついたことやあった出来事を箇条書きにし、そこから話を広げています。自分の中で思っているくだらないことを「こうなんですよね」とリスナーに語りかけることで、日常の中から何かをひねり出そうと努めています。夜の番組なので、多少の大学生らしいゆるさは許してほしいという気持ちがあります。大人になると忘れがちな気持ちや、「とりあえずやってみたい」という学生らしさをストレートに受け取ってもらいたいです。飾らない大学生の姿が魅力のパーソナリティーでありたいと思っています。私のように料理研究サークルの活動を外部に広げられたのは、たまたまだと思っています。発信できないだけで、ものつくり大学には木工や、機械いじりといった、各々が持つ個性が溢れています。ラジオという媒体を通じて、そうした学生の魅力を発信し、ものつくり大学の学生の「とがり」を出していきたいです。 学内にFMクマガヤのサテライトスタジオが 今月(2025年10月)からFMクマガヤのサテライトスタジオが学内の図書館・メディア情報センターに設置される予定です。碧蓮祭の1日目である10月25日に公開生放送が行われることになり、話が早く進んでいることに驚いています。私はサテライトスタジオ設置の話を知り、9月にメディア研究サークルを立ち上げ、図書館・メディア情報センター長の井坂教授に顧問をお願いしました。このサークルはラジオに限定せず、メディア全般を取り扱い、学生と地域のつながりを広げていく予定です。サテライトスタジオが実際にどう動くかは未知数ですが、行田とものつくり大学、そして学生の魅力を発信していきたいです。私以外に、主軸に立ってメインで動く学生も見つけていきたいです。こうした活動に前向きな学生が見つかれば、きちんと活動を継続していけると思います。10月25日の公開生放送では碧蓮祭に携わる人や団体の魅力を掘り下げていく予定です。 今までの活動で見えてきたもの 今後は、田尻研究室での取り組みに特に力を注いでいきたいと考えています。建築系を学びたくて進学したものの、サークル活動やラジオパーソナリティなどを通じ、実際に手を動かして「ものをつくる」よりも、いろいろ考えて「仕組みをつくる」ことに興味が移りました。田尻研究室は、物理的な「もの」をつくるような研究ではなく、「基盤の仕組みづくり」の研究室であり、考えることに重きを置いています。まちづくりや都市計画の分野が研究の中心です。私は、商店街の活性化に取り組んでおり、現在、先輩からプロジェクトを引き継ぎ、イベント等を運営する側となっています。この研究室で学ぶ中で、これからやるべきことも見つかりました。まずは学部卒と名乗るだけの能力を身に付けるために学びを深めたいです。また、以前は施工監理といった職種しか考えていませんでしたが、それ以外の可能性もあることを知りました。本当に自分がやりたいことを見つけるために、大学院へ進学し、より深く専門的な知識と考える力をつけたいと考えています。 挑戦や行動力の原点は「興味」 現在に至るまでの大学生活での挑戦や行動力の原点は、単純に「興味」です。「やったことのないこと」「簡単にやれないこと」をやってみる気持ちが強いです。料理研究サークルをつくったことが全てのはじまりでしたが、ラジオのパーソナリティーにしても、一つずつ行動したことに対して評価され、誘っていただく機会に恵まれました。一個ずつやったことに対して派生していった結果、今があります。これからは、今まで培った力や縁の一つ一つを大切にしつつ、田尻研究室の一員として研究活動を追求できればと思います。大学生活は「何もしないのはもったいない」と強く思います。なにかに興味をもち、やりたいと思ったら、まずはいったん口に出し、人に話してみることが大切です。たとえ無理そうでも、夢物語でも、話してみることで周囲の協力が集まり、話はどんどん広がっていくと実感しています。 関連リンク ・建設学科 まちづくり研究室(田尻研究室)・ものつくり大学料理研究サークル(@iot_oryouri)-Instagram

  • 【知・技の創造】CFARと人間の感覚

    レーダとCFAR 例えば、暗い夜道を歩いているとしましょう。月明かりは弱く、街灯もまばらです。そんな中で、遠くに何かが動いたように感じます。「あれは人影か、それとも風に揺れる木か」。判断するには、周囲の暗さや雑音、自分の緊張度合いに応じて、目や意識の“感度”を調整しなければなりません。敏感になりすぎれば、揺れる葉や虫の影にさえ反応してしまう。逆に鈍感すぎれば、本物の人影を見逃します。この感度調整が、レーダで使われるCFAR(しー・ふぁー)の本質です。 CFARは Constant False Alarm Rate、「誤警報確率を一定に保つ」という意味です。「誤警報」とは、間違った信号を検知して本物の信号と見なしてしまうことです。レーダは電波を送信し、その反射波を受信して物体の有無を判断しますが、海面や雨粒、森林や地形からの不要な反射波=雑音(クラッタ)が常に混じります。しかも雑音は自然条件や環境で大きく変化します。穏やかな夜道なら小さな動きも見つけやすいですが、強風に揺れる木々の中では見極めが難しい。それでも誤警報確率を一定に抑え、必要な対象だけを見つける技術がCFARです。 音と場所の関係性 実際のアルゴリズムでは、観測データを複数のセルに区切り、検出したい信号の周囲セルから雑音の平均やばらつきなどを推定します。それを基準に「この強さを超えれば本物」と判断するしきい値を決めます。基準は状況に応じて動き、雑音が大きければ上がり、小さければ下がる。ざわついた繁華街では多少の物音を無視し、静かな森では小枝の折れる音に敏感になる―そんな人間の感覚に近いものです。 もし調整をせず、常に同じ基準を使えばどうなるでしょう。静かな環境では弱い信号まで拾える一方、雑音が増すと誤警報が多発します。逆に騒がしい状況に合わせた高い基準を使い続ければ、静かな場面で小さな信号を見逃してしまう。人が常に「耳栓をした状態」か「全力で耳を澄ませた状態」のどちらかしか選べないとすれば、不便で危険です。 このCFARの発想は、人間社会にも応用できます。例えば日常の健康管理。体調のわずかな変化に過敏になれば、少しの頭痛や疲労でも「大病ではないか」と不安になる。逆に鈍感すぎれば、重大な兆候を見逃します。状況に応じて「気に留める基準」を変えることが、心身を健やかに保つコツかもしれません。 これからの未来へ向けて レーダの世界では、周囲の平均で判断するCell Averaging (CA)-CFAR、平均値から大きく外れる値の影響を抑えるGreatest of (GO)-CFAR、逆に平均値に比較して小さな値の影響を抑えるSmallest of (SO)-CFAR、更には大きい順に並べて上から何番目かの代表値を選び、その値で判断するOrder Statistics (OS)-CFARなど、多様かつ複数の方式があります。それぞれ「疑い深い性格」や「大らかな性格」のように特徴があり、海上監視、航空機探知、自動車やヘリコプタの前方障害物探知システム、気象レーダなど、目的や場面ごとに選ばれます。 CFARの目的は、雑音に満ちた現実の中で、限られた注意力を最も有効に使うことです。私たちも日々、膨大な情報や刺激の中で、本当に必要な信号を見極めようとしています。状況に応じて感度を調整することは、レーダのみならず賢く生きるための技術にも繋がっていくものです。 埼玉新聞「知・技の創造」(2025年10月3日号)掲載 Profile 山口 裕之(やまぐち ひろゆき)情報メカトロニクス学科教授防衛装備庁航空装備研究所を経て2025年4月より現職。電波を利用した計測・センシング技術に関する研究に従事。博士(工学)。

  • 【埼玉学⑩】鉄道博物館と大宮操の桜

    Introduction 「埼玉学」とは、埼玉県の歴史・文化・産業・地理など、埼玉県に関するあらゆる分野を総合的に研究・探究する学問です。教養教育センターの井坂康志教授が新しい研究テーマとして連載しています。JR大宮駅とさいたま新都心駅の間にある「大宮操の桜」をご存じでしょうか。埼玉学第10回は、学生が授業で書いたエッセイの「大宮操の桜」に関する誤読から思索を広げていきます。 もう一つの物語 昨年、私が受け持つ「ライティング」(文章作法)の授業で、ある学生が提出した一篇のエッセイに私ははっとさせられた。私の精神の根幹を揺さぶり、そして「埼玉学」が進むべき道を照らし出す、静かな啓示のような文章だったからだ。大宮を走る電車の車窓から、ふと目に飛び込んでくる「大宮操の桜」という看板。学生のエッセイはそう始まる。 https://twitter.com/RailwayTown_Omy/status/1891440266113888510 実は以前から私も気になっていた。その学生は初め、「操」の一文字を、自身の母校の名の由来でもある思い出の町名「操町(みさおちょう)」と同じ、「みさお」と読んだという。「操(みさお)の桜」--。なんと詩情溢れる名だろう。この大宮の地で、どれほどの出合いと別れが繰り返されてきたか。それはあるいは戦時中、出征する兵隊の物語であるかもしれないし、国鉄の線路を隔ててはぐくまれた若者同士の友情なのかもしれない。私はそんなことを考えた。もちろん、スマートフォンで検索すれば、数秒で「正解」は見つかる。事実は想像とは違っていた。それは大宮が鉄道の要所たる所以、日本の大動脈を支えた広大な「大宮操車場(おおみやそうしゃじょう)」の略称、「大宮操(おおみやそう)」なのだと。しかし、である。エッセイを書いてくれた学生の「心の旅」は、そんな「正解」などと次元を違えるしなやかさを備えていた。検索結果の画面に映し出された、生命力に満ち溢れて咲き誇る桜の姿が、卒業後も活発に交流を続ける旧友たちの絆と重なった。そして、あの桜は、やはり「操(みさお)の桜」として、誰にも侵されることのない、かけがえのない意味を持ってその心に咲き始めたのだ。このことがずっと心の片隅にあった。5月のある日、私はその桜の背景にある物語を確かめるべく、大宮の鉄道額物館を訪れた。 鉄道の聖地で目にした物語 大宮の鉄道博物館は、日本の近代化を牽引した鉄道の輝かしい歴史を後世に伝える、まさに「聖地」と呼ぶにふさわしい場所だ。 まさに鉄道の「聖地」、技術者たちの魂が宿る空間。 広大なホールに威風堂々と鎮座する歴代の車両は、明治、大正、昭和、平成という時代を駆け抜け、日本の発展という巨大な物語をその鋼鉄の体躯をもって雄弁に語りかけてくる。私はその圧倒的なスケールと、設計図の線一本、リベットの一本にまで宿る技術者たちの魂に感嘆を覚えながら、館内を巡った。 そこにあるのは、誰もが共有可能な客観的な歴史だ。「大宮操車場」が、いかに多くの人々の生活を支え、日本の物流の動脈として機能してきたか。その「正しく」「公的な」物語を、博物館は豊富な資料と共に私たちに教えてくれる。それは、疑いようのない事実であり、埼玉が日本の近代史において果たした役割を示す、誇るべき遺産にほかならない。 日本の近代化を物語る、歴代の名車両(大宮・鉄道博物館) 「操車場」と「操町」-創造的な誤差が生まれる場所 博物館の重厚な扉を抜け、初夏の光へ戻ったとき、私は再びあの学生の文章を思い出していた。「大宮操の桜」は、間違いなく大宮が鉄道の要所であったことと分かちがたく結びついている。あの桜は、数多の貨物列車が行き交う様を、そしてそこで働く人々の汗と誇りと涙を、何十年にもわたって見つめ続けてきた生き証人である。これが、「大宮操(そう)」という名の持つ、動かしがたい歴史だ。しかし、学生は、その「操」という一つの漢字から、別の物語を読み取った。それは一人ひとりの内面の記憶と友情に彩られた、どこまでも私的な「もう一つの物語」である。私はかねがね思う。あえてトルストイの有名な小説の一節を借りるなら、「正解とはみな似たようなものだが、誤解とはそれぞれに誤解である」、いや、もっと言えば、正解とはもっともらしい誤解の一種なのかもしれないと。私たちにはテクストを豊かに誤読する権利だってあるのではないか。世の中には「創造的な誤読」というものだって確かにあるのだ。それは客観的な事実や作者の意図といった「正解」から出発しながらも、読み手自身の経験や記憶、価値観というフィルターを通して、まったく新しい、個人的で豊かな意味をつくり出す行為である。「誤読」は事実の否定ではない。むしろそれは、鉄道という巨大な産業の物語というキャンバスの上に、友情や思い出という、人間的で温かな光を灯す、創造的な営みにほかならない。操車場の桜が、その記憶の中で世界で一本だけの特別な木へと生まれ変わったのだから。「埼玉学」に関わる者として、忘れたくないのがこのことだ。まさにこのような「創造的な誤読」をこそ、慈しむ学でありたい。 すべてを受容する「玉」としての埼玉学 埼玉学とは、客体としての歴史や文化・産業を分析し、評価するだけの学問ではない。それは、この土地に生きる個々の人間の心に流れた、かけがえのない時間をこそ、尊い研究対象とする学問なのだ。学生の「創造的な誤読」も、鉄道史研究家の緻密な考証も、埼玉学という巨大な器の中では、等しい価値を持つ。なぜなら、そのどちらもが、埼玉という土地と関わる中で生まれた、紛れもない「真実」だからだ。それは、一つの「正解」を頂点とするピラミッド構造ではなく、あらゆる物語が共存可能な果てしなく広がる生態系の学である。この受容性こそが、埼玉学を「玉」のような存在たらしめる。玉は磨かれるほどに、どこから光を当てても柔らかく輝き、どんな坂道でも、どんな人の手の中にあっても、その形を変えることなく自由に転がっていくことができる。「操(みさお)の桜」は、埼玉の醸す光の環なのだ。一人ひとりの心内に通ずる古道に、静かに耳を澄ましてみる。あの学生に心の中で「ありがとう」と知らずつぶやいていた。 Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学教養教育センター教授1972年、埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、社会情報学。 関連リンク ・【埼玉学①】行田-太古のリズムは今も息づく・【埼玉学②】吉見百穴-異界への入口・【埼玉学③】秩父-巡礼の道・【埼玉学④】『翔んで埼玉-琵琶湖より愛をこめて』を公開当日に見に行くということ・【埼玉学⑤】「食」のアミューズメント・パーク サイボク・【埼玉学⑥】埼玉の奇祭--歌声が聞こえる・【埼玉学⑦】埼玉学者、埼玉県知事に会いに行く・【埼玉学⑧】真夏のクリスマス--下総皖一『野菊』の思い出・【埼玉学⑨】「埼玉学」ツアーが教えてくれたもの-埼玉未来大学で出会った素晴らしき仲間たち・教養教育センターWEBページ

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