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#卒業研究・制作

  • 【大学院生による研究紹介】途上国の災害における居住空間の変化に関する研究

    2018年9月28日にインドネシア・スラウェシ島で発生したマグニチュード7.5の地震により、近傍の都市は死者・行方不明者4,547人、家屋損壊100,405という甚大な被害を受けました。浦上龍兵さん(大学院2年・今井研究室)は、復興が進むインドネシア中部スラウェシ州に赴き、災害復興住宅の住環境の分析を行いました。 研究のきっかけ 私が所属している研究室の今井教授は、海外の被災地の復興について研究や実験を行っています。学部生の頃に、今井教授からインドネシア・スラウェシ島地震の被害状況を教えていただき、復興の仕方についてお話を聞くことが度々ありました。今井教授のお話を聞くうちに災害復興について興味を持ち、研究したいと思い大学院への進学を決めました。当初、大地震が発生した2018年にインドネシアでの調査を実施する予定でしたが、新型コロナウイルスの影響で延期になり、2022年に実現することになりました。今井教授に本学と千葉大学の合同調査メンバーに選んでいただいて、私がメインで被災地の住環境について調査を行い、論文を発表することになりました。 現地での調査 インドネシアには、2022年9月に10日間行きました。地震の発生から2年が経った現地は、被害が大きかった村でもNGOの活動により復興住宅の建築が進んでいました。しかし、沿岸部は津波によって地盤沈下が起こり集団移転している村もあり、そういったところはまだ瓦礫が散乱していました。私たちは、NGOの方に被害の大きかった村を6か所案内していただいて、その中からランダムに住民を選んでもらい、その住民のご自宅でアンケート調査を行いながら、並行して復興住宅の実測調査を行いました。現地の方たちは明るい人が多くて気さくに話しかけられることが度々ありました。コミュニケーションを取るために翻訳アプリを使っていましたが、見ず知らずの日本人に対して、「この村にヒーローが来た」と言ってくれました。私たちが何か変えられるわけではありませんが期待していただいて、住宅に入る時もウェルカムな対応をしていただきました。 調査に協力いただいた家族と(前列左が浦上さん) 住民の方たちのアンケート調査では、復興住宅の満足度を質問したのですが、「良い環境に住ませてもらっている」という回答が多く、復興は順調に進んでいるという印象を受けました。住環境に関するアンケートは各項目を地震前、避難期間中、復興住宅の3つのフェーズに分けて質問しています。アンケートの内容は、それぞれの時期の家族構成や、誰が住宅を建てたか、水回りの変化、地震前と復興住宅の家の広さ、住宅の満足度など基本的には生活に関することを聞いています。 アンケート調査の様子 復興住宅というと、日本ではプレハブ住宅のような一時的な避難先という印象がありますが、インドネシアでは永住することを前提とした家を建てています。インドネシアは、「ノンエンジニアド住宅」と呼ばれる専門的な知識を持たない人が施工した住宅が多くあります。ノンエンジニアド住宅が地震で崩れることにより被害が大きくなることが問題視されていました。そのため、NGOの方が「コアハウス」という頑丈な家を建てることで、また大地震が発生しても被害を抑えることができます。この復興住宅は建築当初は、リビングや寝室などの最低限の住居スペースしか確保されていません。他に必要なキッチンやトイレなどのスペースは住民が各自で増築を行います。せっかく頑丈な家を建てたのに、ノンエンジニアドが増築したらまた災害時に被害が大きくなってしまうのではないかと思うかもしれません。しかし、復興住宅は被災者に最低限の身を守れる場所を提供することが目的で、増築されることが前提の住宅です。支援金には限りがあるので最低限の耐久性がある住宅を提供しています。復興住宅は、3人家族であっても10人家族であっても同じ広さの住居が提供されます。そのため、実測調査は家族構成によってどの程度の面積を増築したか、どういう用途のスペースを増築したのか明らかにすることを目的に行いました。 復興住宅が立ち並ぶ村の様子 調査結果からの提案 今回の研究は、住宅の耐震性ではなく、住民の生活水準や満足度を調査するものです。アンケートを行った住民からの意見をまとめ、安心感や快適さ、住宅の満足度を明らかにしようと思いました。アンケートの結果から、現在の生活が地震前よりも安心や安全を感じているということが分かりました。地震前の住宅はインフラが整っていなくで川に洗濯に行っていたのが、復興と同時にインフラの整備が進み、水道や電気が使えるようになり生活水準が地震前より上がっている影響も考えられます。調査をした村の中で特に満足度が低い村がありました。その村は復興が進んでいますが、被害が大きかった他の村から多くの人が転入してきていました。その影響で元々の住民たちの安心感や安全に関する項目が大きく低下していました。原因は、他の村にはある「コミュニティスペース」という村の人たちの交流の場になる施設が無く、転入者とのコミュニケーションが取れていないことだと考察しました。村が集団移転して3年経ってもコミュニティスペースが無いということは、これから建設される可能性は低い。そこで私は、村の土地性に合ったにコミュニティスペースを建設して住民の不安を取り除くことを提案しようと思いました。コミュニティスペースは、復興住宅のスケールを考慮します。正面5メートル、奥行き6メートルの空間を中心に置き、周りに用途を付け足していきます。中心部は、屋根はかかっていますが基本的に屋外で、開放的なスペースで住民同士がコミュニケーションを行うことを想定しています。 他の村のコミュニティでの一幕 コミュニティの設計は、復興のシンボルになっている「大きなクロス型」をコンセプトにしています。復興住宅の壁には大きなクロス型があしらわれているのですが、このデザインについて37%の人が満足していたからです。復興住宅は、ジャケッティング構法と呼ばれている組積造というレンガブロックを積み上げて壁を作っています。これはインドネシアの伝統的な構法ですが、耐震性が低く地震の時に崩れてしまうため壁にワイヤーメッシュを貼り、その上からモルタルで仕上げています。その金属のメッシュがクロスの形をして浮き出ています。その壁を住民たちが好きな色に塗って仕上げています。 玄関横の大きなクロスは復興のシンボルになっている。 私の設計は、あくまで修士論文の範囲で行うものでインドネシアの村に必ず建設されるというものではありません。2024年に行われる WCEE(世界地震工学会議)にて今井教授に発表していただく予定です。今後、後輩が研究を引き継いで、いつか村にコミュニティスペースが建設されることを願っています。 関連リンク ・建設学科 建築技術デザイン研究室(今井研究室)・ものつくり学研究科WEBページ

  • 偶然を必然に ~6年間の集大成は自宅兼カフェの自主設計で行田まちなかの活性化に~

    行田市内に自宅兼店舗のカフェを自ら設計し、行田まちなか再生エリアプラットフォームに携わっている栗原里奈さん(大学院2年・今井研究室)。修士論文のテーマは「行田まちなか未来ビジョン策定に向けた中心市街地活性化に関する研究-あるくステーションの設計提案を通して-」。ものつくり大学での学生生活の中で、偶然を確かな自身のスキルアップにつなげている栗原さんに6年間の歩みをインタビューしました。 実習の多さと充実した設備が進学の決め手に 大学の進路選択に悩んでいる時、たまたま見たテレビ番組で、ものつくり大学のことが紹介されていました。ものづくりが好きでペーパークラフトや料理など何でも作っていたので、実習が多い大学だと知り興味を持ちました。福岡県出身ですが、実際大学を見学したいと思ったので、オープンキャンパスに参加しました。「ものつくり大学はとても設備が充実していて、今まで見学してきた他の大学とは違う」という印象を受けました。 ただ、福岡から埼玉県行田市までの距離があまりに遠かったので「行田に来ることは一生ない」と正直その時は思いました。しかし、福岡に戻りよく考え、他大学とも比較した結果、ものつくり大学一本に絞ることを決め、指定校推薦で進学しました。 自分の設計でコンクリートの家のオブジェが 自分で想像したものを自由に設計してみるのが好きだったので、2年生では、建設学科の建築デザインコースに進みました。コンクリートのオブジェをつくる授業があり、私が設計したものがチームの中で選ばれました。コンクリートのように机上に収まらないものを作れるのは本学だからこそ可能なことだと思います。実際、自分の設計による家の形をしたオブジェが完成した時はとても嬉しかったです。 インターンシップでは将来は住宅等の設計がやりたかったので、設計事務所に行くことを決めていました。事務所選びに迷いましたが、小さい事務所の雰囲気を味わいたいと思い、3人で運営している川口市の事務所にお世話になりました。実務につながるさまざまなことを学ぶことができ「建物の中でも住宅を設計したい」という思いがさらに強くなりました。 コロナ禍でリアルな先輩の卒業制作に携わることに 3年生(2020年)の頃はコロナ禍で、福岡の実家でオンライン授業を2、3カ月受けていました。今井研究室に所属しましたが、キャンパスに戻ると同研究室の先輩が卒業研究として熊谷まちなか再生エリアプラットフォームに関わり、熊谷まちなか再生未来ビジョン策定に向けたプロジェクトを行っていることを知りました。地域の課題解決に向けた取り組みである国土交通省のプロジェクトの一環で、官民学連携のまちなか再生推進事業として、ものつくり大学も立正大学、千葉大学などに加わり、熊谷市、地元企業、団体と一緒にコロナ禍でも定例会を行っているとのことでした。オンライン授業で福岡にいた私はリアルに活動している先輩の姿を目の当たりにし、温度差を感じました。今井先生からプロジェクトの協力に誘われたのを機に「全然分からないけど、何でもやってみよう」と思い、友人と一緒に携わることにしました。 卒論と同時進行で挑んだプロジェクト 4年次の進路選択は、兄が大学院に進んでいたり、熊谷のプロジェクトにも関わり続けたりしたかったので大学院進学を決めました。早い段階で進学が決まっていたこともあり、修士論文を書く勉強にもなると考え、卒業論文に挑戦しました。ル・コルビュジエによるロンシャンの礼拝堂を研究のテーマにして「窓から入る光が内部にどう影響を与えるか」といった問いを立て、夏と冬の太陽の角度の違いについて論じました。建物の窓の位置が及ぼす影響や論文の書き方を学ぶことで、大学院に進む準備ができました。 卒業論文と同時並行して熊谷でのプロジェクトに協力していました。アットホームな雰囲気で学生の意見を尊重してくれる環境で「何でも1回言ってみる」というスタンスが次第に育ち、いろいろ挑戦ができました。実際、星川沿いで行われる星川夜市に参加し、星川きらきらプロジェクトを実施し、光るカプセルなどを星川に浮かべるイベントをしたり、YATAIプロジェクトを実施し、折りたたんでコンパクトに移動できる屋台製作や活用をしたりしました。 星川夜市に参加する栗原さん(左) 熊谷まちなか再生エリアプラットフォームには大学3年生から大学院1年生(2020年度~2022年度)の3年間関わり、アイデアや意見を形にする経験ができました。 プロジェクトの成果物を発表した栗原さん(右から2人目) 行田まちなか再生プロジェクトに自身の経験を活かしたい 熊谷でのプロジェクト終了後、千葉大学や他の方から「行田市は歴史や文化、自然など豊富な資源を活用して、今抱える地域課題を解決できるのでは」という提案があり、行田まちなか再生エリアプラットフォームが立ち上がりました。ものつくり大学や商工団体、NPO法人などが中心に官民学連携で協力して、キックオフミーティングが2023年3月に行われ、2023年4月にスタートしました。私も「行田は観光名所があったり、テレビドラマの舞台になったり魅力的な街だ」と感じていたのと、「熊谷のプロジェクトに関わってきた経験を活かせるのでは」と参加することにしました。行田市は足袋産業がかつて盛んだったこともあり、「足袋」と「旅」を掛けて「たび・あるくが楽しい街、住む人々の豊かな暮らしの実現」を目指し、行田まちなか未来ビジョン策定に向けて動き出しました。 行田まちなか再生エリアプラットフォームのミーティング 行田の商店街に自宅兼店舗のカフェを自主設計することに 実は、キックオフミーティングと同時期、行田市内に自宅を建てることが決まっていました。私は大学進学に伴い、福岡から埼玉に来ましたが、兄の結婚を機に2年前、両親も埼玉に移住し、現在一緒に上尾の借家に住んでいます。父には以前から「カフェをやりたい」という夢があり、たまたま行田市の商店街にちょうどいい物件があったため、土地を購入し、自宅兼店舗のカフェを建てることになりました。大学進学をきっかけに埼玉に来て、行田市の大学で学んできたのですが、まさか自分がこの地に住むことになるとは想像もしていませんでした。 今井先生に経緯を話すと「自宅兼店舗のカフェを自主設計してみては」と勧められました。ものづくりが好きで、様々な実習を設備の充実した大学で行い、インターンシップも設計事務所に行き、設計の面白さや楽しさを経験してきた大学生活でもありました。行田まちなか未来ビジョン策定にも関わることになったので、「行田まちなか」にカフェを自主設計することで中心市街地活性化につなげたいと考えました。そして、本学での6年間の学びの集大成として「行田まちなか未来ビジョン策定に向けた中心市街地活性化に関する研究-あるくステーションの設計提案を通して-」を修士論文の研究テーマにすることにしました。 自宅兼店舗のカフェを自主設計する過程で直面した課題とやりがい 自宅兼店舗のカフェの設計を私が自らすることを両親に伝えると、特に父はとても喜んでくれました。自主設計に際し、今井先生の知り合いの工務店が施工を請け負ってくださることになりました。2023年3月から設計の案を考えたのですが、行田市は蔵の街でもあるので「蔵の街並みに合う、まちなかの交流の場としてのカフェの設計」をコンセプトに決めました。現代風の蔵の外観にし、周囲の景観に馴染むような設計にしました。 自宅兼店舗の立面図 先ず直面した課題は限られた予算や坪数の中で、いかに両親の希望に沿った建築設計にするかということでした。2階建ての建物の1階はカフェの店舗に、2階は自宅にといった構想の下、様々な案を練りました。なかなか前に進めない時は今井先生からアドバイスをいただいたことで新たな視点を入れて設計に取り組むことができました、5カ月間構想を練り、繰り返し設計図を書き直し、2023年の夏頃に設計図が完成しました。自主設計したものが実際の建物になっていくのを目にし、達成感を感じています。両親の思いを大切にして自宅兼店舗のカフェを自主設計するやりがいや喜びを体感できたのは、本学での学びや実践があったからこそ叶ったことです。 建築中の店舗兼自宅 行田まちなか未来ビジョン策定に向けた研究を活かしたい 2023年3月から関わっている行田まちなか未来ビジョン策定に向けての行田まちなか再生エリアプラットフォーム。2023年4月から毎月1回まちづくりミュージアムにて定例会を開催したり、講師の先生をお呼びし「行田まちなか再生エリアプラットフォーム・フォーラム」を現時点で3回開催したりして、率先して運営に関わっていますが、なかなか学生の意見が反映されないもどかしさを抱えています。まだ構築段階にあり、1年目なので難しさを感じるのは当然ともいえます。定例会で参加者の発言を記録したり、フォーラム開催時にはアンケートも取ってまとめたりしているのですが、時間がかかり根気もいります。しかし、こういった地道な活動を通し、参加者の声を聞くことで、様々な課題が見えて情報共有もできます。実際少しずつプラットフォームの構築に関わる団体や個人も増えていて、これからが正念場と感じています。 行田市について、正直まだ知らないことが多く、明確にイメージが湧いていないのが実感としてあります。1年間関わってきた中だけでは分からない魅力があるとも思います。修士論文では「行田まちなか未来ビジョン策定に向けた中心市街地活性化に関する研究-あるくステーションの設計提案を通して-」を研究してきたので、「あるくステーションの設計提案」を通して中心市街地活性化につなげられるように今後もものつくり大学の卒業生としてプロジェクトに関わりたいです。 卒業後は都内の内装系の会社に就職し、店舗の設計から施工の仕事に携わることになりますが、地元になる「行田まちなか」の父のカフェに市内外から歩いて来てくださる人たちとの交流を深められたら嬉しいです。 関連リンク ・建設学科 建築技術デザイン研究室(今井研究室) ・ものつくり学研究科WEBページ

  • 人と違うことをやってみる!伝統的な技法「扇垂木」への挑戦が自分自身の成長に

    寺社建築の伝統的な技法「扇垂木(おうぎだるき)」と呼ばれる屋根架構を卒業制作のテーマにし、千葉県妙長寺の本堂建築に携わった桐山実久さん(建設学科4年・小野研究室)。 念願だった技能五輪全国大会にも2度出場した経験を持ち、「やってみたいことは挑戦する」がモットー。桐山さんに卒業制作を通して実感している4年間の大学生活での学びや成長、将来の目標などのついてインタビューしました。 木造建築への熱意がものつくり大学進学に 幼い頃から、温かみを感じる木造の家が好きで、木造建築に興味がありました。高校は地元の愛媛県立吉田高校の機械建築工学科に進み、木造建築の面白さに魅了され、高校生ものづくりコンテストにも出場しました。ものつくり大学に進学したのは、同校の先輩が進学していて「技能五輪全国大会に出場できるチャンスがある」と話を聞いたことが大きかったです。ものつくり大学では、アーク溶接などにも触れましたが、やはり木造建築が好きだということを確信し、木造建築コースに進みました。木材の魅力は一度切ると元に戻せないところだと感じます。ボンドで貼っても再生できないですよね。 1年生の頃はコロナ禍でオンライン授業が中心の学生生活に。2年生、3年生の時に連続して技能五輪全国大会に出場しました。出場職種は得意分野の大工ではなく、敢えて家具に挑戦しました。高校時代に先生から「細かいものも得意だね」と言われたことがあったからです。2年生の頃はまだ授業で家具づくりを学んでいなかったため、先輩方にいろいろ教えていただき、寝る間も惜しんで工房で技術を磨き大会に臨みました。3年生の時も家具職種に挑み、努力が実り敢闘賞を受賞することができました。ものつくり大学に進学し、念願だった技能五輪全国大会に挑戦できたことで、チャレンジ精神が旺盛になりました。 技能五輪全国大会に挑戦する桐山さん 伝統的な技法「扇垂木」を卒業制作に 私は小野研究室なのですが、今井研究室と仲が良く、交流が盛んな環境に身を置いています。4年生で卒業制作を迷っていた時、インターンシップでお世話になった今井先生から「千葉県館山市妙長寺の本堂新築の屋根架構を卒業制作として取り組んでみないか」と声をかけていただきました。今井先生から、本堂の屋根の形状は扇垂木(おうぎだるき)という唐傘をモチーフにした扇状に広がった垂木のことで、非常に手間がかかり、単純に配置することが難しいことや、現役の大工さんでも経験できないまれな技法であることなどの説明を受けました。 学生生活の中で木造建築を中心に学び、大会などにも挑戦してきた経緯もあり「人と違ったことをやってみたい」という思いが強い私は「滅多にない経験ができるのは面白そう」と伝統的な技法である扇垂木の制作に挑戦したいと思いました。そして「館山市妙長寺の屋根架構の制作ー扇垂木の墨付け、刻み、加工-」を卒業制作のテーマにすることで新たな自分の可能性を見出したいと思いました。 限られた作業時間が没頭するための集中力に 扇垂木の墨付けから加工の工程は、扇垂木の木材加工の施工経験がある非常勤講師の福島先生のご指導の下、埼玉県寄居の福島工務店で行いました。扇垂木の木材となるのは、垂木、隅木、蕪束(かぶらづか)。墨付けから加工は、一般的な垂木の断面より大きいため、加工に費やす時間が多くなりました。搬入や組み立てを考慮して行った鎌継ぎ(一方の木材に端部の広がった突起を作り、他方の木材にはめ込む継ぎ手)やくせ加工などの作業も何度も行いました。作業時間が限られていたこともあり、43日間(2023年10月27日から12月8日)1日も休まず取り組みました。限られた時間の中での作業だったからこそ、集中して一心に取り組めたのだと思います。加工した木材の仕口を数えてみたら136箇所ありました。 技術的な面は、福島先生のご指導に加え、学生生活を送る過程で様々な道具を使ったり、技術を磨いたりした経験や工程を頭に入れ作業する習慣がプラスに働きました。ある程度作業に慣れると、流れが分かり、段取りをつけながら1人で進めることもありました。精神面でのプレッシャーは地元の方との交流もあり、あまり感じませんでした。技能五輪全国大会に出場した時はかなり精神的にきつかったのですが、2度の出場経験により、精神的にも鍛えられたのかもしれません。しかし、肉体的には、かなりハードでした。今まで扱ってきた木材に比べて遥かに大きく、重かったので、運んだり、転がしたりするのは想像以上に身体に負荷がかかり、腰なども痛くなりました。 難易度の高い施工に挑み、目にした本物の建築 木材の加工が終了した翌日の12月9日に、埼玉県寄居町から千葉県館山市の現場に木材を搬入しました。現地の大工さんの力もお借りし、他の学生と一緒に12月13日から、施工に入りましたが、現地に入る前と後では、緊張感が違いました。まず、蕪束と隅木の取り付けを行いました。上段、中段、下段と隅木を継いでいきました。ここでは、ビス留めをし、しっかり止めました。次に、いよいよ垂木の取り付け作業に。隅木側から垂木を取り付ける工程はとても難しかったです。ひのきの垂木は全て寸法も異なり、木材だからこそ、ねじれや乾燥もあり、調整の繰り返しに。なかなか思うように作業が進まず、苦戦しつつも丁寧にかんなを使って微調整しながら組み立てを進めていきました。垂木の上段、下段の取り付けが進んでいくに従い、扇垂木が大きいことに驚きました。 扇垂木を下から見上げる 現場で施工する桐山さん 本物の建物の施工に関わるのは初めてで、しかも寺院の本堂は地域に根付き、歴史的にも価値をもつことになる建物です。いざ完成間近になった建物を目の前にし、「こんなにも大きな寺院をつくっているんだ」と言葉に表せない感情が湧きました。100年、200年と長期間、多くの人に親しんでもらえる建物にしたいと思っています。本堂の完成は2024年3月を予定しており、扇垂木の美しさが見える屋根になるように作業を進めています。 卒業制作を通して感じている自身の成長 卒業制作を通して特に2つほど自身の成長を感じています。1つは、今までは自分が納得いくためのものづくりだったのが、人に喜んでもらえるものづくりをしたいという思いが加わったことです。そもそも、ものつくり大学に進学した理由の1つに技能五輪全国大会への挑戦があったのですが、高校時代に高校生ものづくりコンテストに参加し、自分自身に対してやり残したという後悔がありました。「賞に入賞することよりも自分の納得するものづくりがやりたい」という思いが強く、1年目には納得できず、2年連続して挑戦。結果、3年生の時は敢闘賞を取ることもでき、自分なりに納得し、達成感が味わえました。しかし、今回、長い歳月建ち続けることになる寺院の施工に携わることで、多くの人が見たり、触れたりして大切にされていくことを想像する機会に恵まれ、ものづくりの喜びを倍に感じるようになりました。 もう1つは、自分に自信が持てたことです。大学生活の中でいろいろな大会にも出場し、賞ももらってきたのですが、実は自分に自信が持てず、ものづくりも上手いと思ったことがありませんでした。自己評価が低く、時に先生から叱られることも。自信がなかったからこそ、さまざまなことに挑戦もしてきました。しかし、今回、卒業制作で難易度の高い扇垂木の制作に挑戦し、その結果、檀家さん、工務店の先生、大学の先生や友人など関わってきた人から評価してもらい、自信が持てました。本堂新築における扇垂木のことが新聞に取り上げられたことで、自分が関わった建築物が多くの方から注目を浴びていることを聞き、嬉しいです。 建築が進む妙長寺本堂 将来は木造建築の教員に 大学卒業後は、まず、大工としてプレカットの仕事に就き、大工職人として腕を磨きたいです。社会経験を積んだ後は、木造建築の教員になりたいと考えています。私の家族はみな教員で、幼い頃から「将来は先生になりたい」と思っていました。人に教えることも好きです。ただ、学生生活の中で、自信がなかなかもてず、後輩に対してもどこか教えることに引き気味でした。しかし、卒業制作などに取り組む中で教えることに少しずつ前向きになり、4年生ではSA(Students Assistant)として先生のアシスタントをしながら後輩にさまざまなことを教える経験をしています。実際、鋸の使い方1つでも教える立場になってみて、みんながそれぞれ違う使い方をしていることが分かり、その違いを面白いと感じます。一方で、一緒にSAをしている学生の教え方から学ぶことも多く、勉強になります。最近、木造建築に進む学生が少なくなっていると感じるので、木造建築の魅力や面白さを伝えられる教員になりたいです。 自分を磨けるものつくり大学での学び ものつくり大学での学生生活は、規則に従いながら過ごしていた小中学校時代、まだ何がやりたいかが明確ではなかった高校時代とは異なり、自分が好きなことをできる環境が整っていました。自分が磨きたいところを磨け、いろいろなことにも挑戦できました。先生からは理論や実践で役に立つことを教えてもらい、さまざまな実習やインターンシップでは、自分で実際にやってみる機会を多く作ることができました。具体的に教えていただいたことに挑戦できた結果、多くのことを学んだり、技術や技能を身に付けたりすることができました。さらに、先輩から教えていただき、後輩に教えるものづくりを通し、人とコミュニケーションを持ったり、信頼関係を築いたりする機会にも多く恵まれました。挑戦することを続けた4年間の学生生活の中で、特に卒業制作は、今までの学びと実践が活き、自分自身の成長を感じる機会になっています。 関連リンク ・建設学科 木質構造・材料研究室(小野研究室) ・建設学科 建築技術デザイン研究室(今井研究室) ・技能五輪全国大会実績WEBページ ・建設学科WEBページ

  • 【大学院生による研究紹介】高出力機構(SDV)リカンベント自転車の研究

    本学では学部4年次と大学院2年次から本格的に研究が始まります。この研究は、担当指導教員と共に研究テーマを選定し、企画・設計・制作・検査・評価までの一連の作業を行います。 今回は、佐藤正承さん(大学院1年生・佐久田研究室)が、集大成となる自身の研究を紹介します。 はじめに 私は、高校生の頃から自転車に関する研究を行いたいという思いがあり、学部の卒業研究のテーマとして取り上げ、大学院生になった現在も研究を続けています。今回はその一部を私の持論とともにご紹介させていただきます。 今では身近な移動手段として幅広い層から利用されている自転車ですが、自転車の歴史は浅く200年という短い歳月の中で様々な変化を遂げ、今の自転車が存在しています。世界には推定10億台以上の自転車がありますが、その多くは東南アジアに集中しています。さらに、欧米諸国でも地球環境の配慮や健康の面からも自転車の利用度は増加傾向にあります。しかし、従来型自転車の駆動機構では単純で生産しやすいということに重きを置いた構造であり、人間からの動力を最大限に発揮する機構とは言えません。また、楽に短時間で通勤通学をサポートする乗り物として電動アシスト自転車もありますが、価格が高くモーターによる駆動が環境面で問題視されています。 現在、皆さんにはあまり聞きなじみのない「SDVリカンベント自転車」という高出力自転車の研究を行っています。この研究では、従来型自転車と比べて最大で1.8倍の出力を実現することが可能であり、将来的には従来型機構の代替となる可能性を秘めています。以前も2人の先輩が研究され、私が引き継いで3代目になりました。私は、さらなる効率化を追求するために研究を進めています。この高出力自転車ですが、元々は産業技術総合研究所(以下、産総研)とオーテック有限会社で共同研究が行われていましたが、産総研での研究が終了した後に、私が所属する精密機械システム研究室(佐久田研究室)が研究の継承と発展のために購入しました。 SDVリカンベント自転車とは? 高出力機構「SDV」は、産総研とオーテックの共同研究で開発されました。SDVはSuper da Vinci Vehicle の略で世界的に有名な画家 Leonardo da Vinci(レオナルド・ダ・ヴィンチ) が描いたとされるデッサンにあやかり名付けられ、SDVや高出力自転車と呼ばれています。もし、デッサンが事実であるとすれば、その起源は15世紀末まで遡ることができ「現在の自転車に革命をもたらす可能性がある」という夢と希望に満ち溢れた自転車を研究していることになります。 Leonardo da Vinci が描いたとされるデッサン リカンベント自転車とは、オランダ語で寝そべりながら運転する自転車の事で、空気抵抗が少ない事から世界一速い手動2輪と言われています。このリカンベントタイプでは、カナダ出身のTodd・Reichert(トッド・ライヘルト)氏が自転車の世界最速記録である144km/hを達成したとしても知られている乗り物です。そのためSDVリカンベント自転車は。SDV(高出力)の機構とリカンベント自転車(世界一速い自転車)を組み合わせて制作された自転車なので、実走しても体感できるほど未来の自転車(ロマン仕様)です。今後、この自転車を使用して世界最速に挑む人が現れるかもしれません。 高出力機構SDVリカンベント自転車 SDV型駆動(長円運動)と従来型駆動(真円運動)の違い <SDV型(例:高出力自転車)の場合> ・スプロケット:上下左右に2枚のスプロケット(歯車)合計4枚仕様・回転方法:チェーンを直接引っ張り回転させる・形状:精密な形状・長円:人間が得意とされる駆動方式・価格:髙い SDVの特徴・SDVは人間が得意とされる上から下へ蹴る力を効率的に力に変換することができる・長円状のチェーンにペダルを直結し、長い直線部分で人間の蹴る力を駆動力に変換できるためパワーロスが少なく大きな力を得ることができる。 <従来型(例:ママチャリ)の場合> ・スプロケット:片側に1枚のスプロケット・回転方法:クランク(歯車)本体を回転させる・形状:生産しやすい形状・真円:真円なため力が伝わりにくい・価格:安い 従来型の特徴・踏みやすく、ペダリング(漕ぐ動作)が安定しているため、上り坂や低速時にも力が入りやすい・形状が円形で加工が容易であるため、コストが低いのも特徴 SDV 従来型 従来型が最適な機構ではない理由 従来型とは、この場ではシティサイクル(ママチャリ)などに装備されている真円形状の事を指し、真円の形状では人間が得意とされる踏み込み力(人間が地面を蹴る動作すなわち直線距離)が少なく、パワーが伝わりにくい傾向にあります。一方で、円運動の特性を考慮し、効率的なパワー発生を実現するために、楕円形状の機構が販売されています。しかし、従来型と楕円形状でのパワーの差は0.1倍程度であまり効果が期待できません。私も時折、楕円形状を使用していますが、体感できる程の変化は感じられませんでした(回転効率が上昇するためやや速くなる程度です)。しかし、これらのことを踏まえて開発されたのがSDVという機構です。SDVは2枚のスプロケット(歯車)を横に並べて配置することによって、直線距離を長くすることで人間が得意とされる踏み込み力を高い値で維持しながら自転車に伝えることが可能になりました。詳細はこの場では触れませんが、産総研の報告によると、最適な運動形態はややS字状であるとの結果が出ており、それを基にこの装置が開発されました。 今後の課題 ・登坂時には、電動アシスト自転車のように楽に坂道を上ることができないため、この課題に対して解決策を模索する必要がある。・SDVの価格は従来の機構に比べて高いため、低価格での提供を実現することを目指す必要がある。・構造が複雑でメンテナンスが困難なため、メンテナンス性を考慮した改良が必要である。・更なる多様化(現在では自転車に採用されているが、手漕ぎ自転車やスワンボートに対応可能にする) おわりに 現在、市場で販売されている自転車の大半は従来型(真円)の駆動方式を採用した言わば、非効率的な自転車が販売されています。一部では「自転車は二酸化炭素を排出しないエコな乗り物だ」などと言われていますが、エコな乗り物であっても用途によってはエコな乗り物ではないと私は考えています。自転車は走行中に二酸化炭素を排出しないだけではなく、維持費が安価であるという利点もありますが、自動車やバイクと比べ継続的に使用することが難しいことや製造工程でのコスト面が問題点として挙げられます。 また、通勤通学を短時間かつ楽に実現するために、電動アシスト自転車が広く普及していますが、モーターを動かすためのバッテリーは火力発電(2021年時点で化石燃料による火力発電が72.9%)から賄われた電気が利用されています。さらに、国によっては廃棄されるバッテリーの数が急激に増えており、リサイクル率の低いバッテリーが環境問題に悪影響を及ぼす可能性があります。そのため私個人としては、このような背景を考慮すると電動アシスト自転車の魅力を十分に感じることができません。まだ、経験が浅いため一概に否定しませんが、単純に「疲れたくないから」や「短時間で移動したいから」と言った安直な考えではなく、本当に自分自身のライフスタイルに適合するかどうかを慎重に考えるべきだと思います。 そのための戦略転換として、SDVの研究を行っています。前任者から研究を行っている高出力機構SDVはモーターに頼らず、人力だけで最大1.8倍の出力を実現することができます。この「人力だけで1.8倍」という点が魅力的ですし、さらにその名称は「Leonardo da Vinciが描いたとされるデッサン」を基に名付けられたという点から、技術者の世界観や遊び心、ユーモアなセンスが感じられます。高出力機構SDVの研究を進めることで、温室効果ガスや二酸化炭素の排出削減など、環境問題に対して有効な移動手段になる可能性があります。SDVの機構は環境にやさしく、持続可能な移動手段としての役割を果たすことが期待されます。 「この機構は未完成だが、その潜在能力から見れば未完の大器であると言える」。これからも高出力機構SDVリカンベント自転車の研究を進め、身近な場所で利用できる機構を目指します。そして、従来の機構よりもエコで高効率な自転車を提供し、社会に貢献したいと考えています。 あとがき 最後までこの文章をお読みいただきありがとうございました。楽しんでいただけましたか?少しでも高出力機構SDVリカンベント自転車の魅力が伝われば幸いです。ものつくり大学では、「ものつくり魂」を基盤に、ものづくりに直結する実技・実務教育を学び、一流の「テクノロジスト」を目指しています。学生の中には大学で初めて工作機械に触れた学生も多く、私もその一人です。ですが、企業の最前線で活躍してきた教職員の方々のサポートもあり、学生たちは充実した学びを受けることができます。また、研究分野では産業界で求められる課題・問題意識に取り組んでいます。 最後に、この記事を通じてものづくりに対する情熱や研究への取り組みを感じていただけたら幸いです。お忙しい中、最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。これからも、ものづくりの世界でさらなる成長を追求し、社会に貢献していくことを目指します。 原稿ものつくり学研究科1年 佐藤 正承(さとう まさよし) 関連リンク ・情報メカトロニクス学科 精密機械システム研究室(佐久田研究室)・ものつくり学研究科WEBページ

  • 震災復興の願いを実現した「集いの場」建設

    村上 緑さん(建設学科4年・今井研究室)は、2022年3月下旬、ある決意を胸に父親と共に大学の実習で使用した木材をトラックに積み込み、ものつくり大学から故郷へ出発しました。それから季節は流れて、11月末。たくさんの人に支えられて、夢を叶えました。 故郷のために 村上さんは、岩手県陸前高田市の出身。陸前高田市は、2011年3月11日に発生した東日本大震災での津波により、大きな被害を受けた地域です。全国的にも有名な「奇跡の一本松」(モニュメント)は、震災遺構のひとつです。当時住んでいた地域は、600戸のうち592戸が全半壊するという壊滅的な被害を受けました。 奇跡の一本松 11歳で震災体験をし、その後、ものつくり大学に進学し、卒業制作に選んだテーマは、故郷の地に「皆で集まれる場所」を作ること。そもそも、ものつくり大学を進学先に選んだ理由も、「何もなくなったところから道路や橋が作られ、建物ができ、人々が戻ってくる光景を目の当たりにして、ものづくりの魅力に気づき、学びたい」と考えたからでした。 震災から9年が経過した2020年、津波浸水域であった市街地は10mのかさ上げが終わり、地権者へ引き渡されました。しかし、9年の間に多くの住民が別の場所に新たな生活拠点を持ってしまったため、かさ上げ地は、今も空き地が点在しています。実家も、すでに市内の別の地域に移転していました。 そこで、幼い頃にたくさんの人と関わり、たくさんの経験をし、たくさんの思い出が作られた大好きな故郷にコミュニティを復活させるため、元々住んでいた土地に、皆が集まれる「集いの場」を作ることを決めたのです。 陸前高田にある昔ながらの家には、「おかみ(お上座敷)」と呼ばれる多目的に使える部屋がありました。大切な人をもてなすためのその部屋は、冠婚葬祭や宴会の場所として使用され、遠方から親戚や友人が来た時には宿泊場所としても使われていました。この「おかみ」を再現することができれば、多くの人が集まってくると考えたのでした。 「集いの場」建設へ 「集いの場」は、村上さんにとって、ものつくり大学で学んできたことの集大成になりました。まず、建設に必要な確認申請は、今井教授や小野教授、内定先の設計事務所の方々などの力を借りながらも、全て自分で行いました。建設に使用する木材は、SDGsを考え、実習で毎年出てしまう使用済みの木材を構造材の一部に使ったほか、屋内の小物などに形を変え、資源を有効活用しています。 帰郷してから、工事に協力してくれる工務店を自分で探しました。古くから地元にあり、震災直後は瓦礫の撤去などに尽力していた工務店が快く協力してくれることになり、同級生の鈴木 岳大さん、高橋 光さん(2人とも建設学科4年・小野研究室)と一緒にインターンシップ生という形で、基礎のコンクリ打ちや建方《たてかた》に加わりました。 地鎮祭は、震災前に住んでいた地元の神社にお願いし、境内の竹を四方竹に使いました。また、地鎮祭には、大学から今井教授と小野教授の他に、内定先でもあり、構造計算の相談をしていた設計事務所の方も埼玉から駆けつけてくれました。 基礎工事が終わってからの建方工事は「あっという間」でした。建方は力仕事も多く、女性には重労働でしたが、一緒にインターンシップに行った鈴木さんと高橋さんが率先して動いてくれました。さらに、ものつくり大学で非常勤講師をしていた親戚の村上幸一さんも、当時使っていた大学のロゴが入ったヘルメットを被り、喜んで工事を手伝ってくれました。 建方工事の様子 大学のヘルメットで現場に立つ村上幸一さん 2022年6月には、たくさんの地元の人たちが集まる中で上棟式が行われました。最近は略式で行われることが多い上棟式ですが、伝統的な上棟式では鶴と亀が描かれた矢羽根を表鬼門(北東)と裏鬼門(南西)に配して氏神様を鎮めます。その絵は自身が描いたものです。また、矢羽根を結ぶ帯には、村上家の三姉妹が成人式で締めた着物の帯が使われました。上棟式で使われた竹は、思い出の品として、完成後も土間の仕切り兼インテリアとなり再利用されています。 震災後に自宅を再建した時はまだ自粛ムードがあり、上棟式をすることはできませんでした。しかし、「集いの場」は地元の活性化のために建てるのだから、「地元の人たちにも来てほしい」という思いから、今では珍しい昔ながらの上棟式を行いました。災いをはらうために行われる餅まきも自ら行い、そこには、子どもたちが喜んで掴もうと手を伸ばす姿がありました。 村上さんが描いた矢羽根 餅まきの様子 インテリアとして再利用した竹材 敷地内には、東屋も建っています。これは、自身が3年生の時に木造実習で制作したものを移築しています。この東屋は、地元の人たちが自由に休憩できるように敷地ギリギリの場所に配置されています。完成した今は、絵本『泣いた赤鬼』の一節「心の優しい鬼のうちです どなたでもおいでください…」を引用した看板が立てられています。 誰でも自由に休憩できる東屋 屋根、外壁、床工事も終わった11月末には、1年生から4年生まで総勢20名を超える学生たちが陸前高田に行き、4日間にわたって仕上の内装工事を行いました。天井や壁を珪藻土で塗り、居間・土間のトイレ・洗面所の3か所の建具は、技能五輪全国大会の家具職種に出場経験のある三明 杏さん(建設学科4年・佐々木研究室)が制作しました。 「皆には感謝です。それと、ものを作るのが好きだけど、何をしたらいいか分からない後輩たちには、ものづくりの場を提供できたことが嬉しい」と話します。そして、学生同士の縁だけではなく、和室には震災前の自宅で使っていた畳店に発注した畳を使い、地元とのつながりも深めています。 こうして、村上さんの夢だった建坪 約24坪の「集いの場」が完成しました。 故郷への思い 建設中は、施主であり施工業者でもあったので、全てを一人で背負い込んでしまい、責任感からプレッシャーに押しつぶされそうになった時もありました。それでも、たくさんの人の力を借りて、「集いの場」を完成させました。2年生の頃から図面を描き、構想していた「地元の人の役に立つ、家族のために形になるものを作る」という夢を叶えることができたのです。また、「集いの場」の建設は、「父の夢でもありました。震災で更地になった今泉に戻る」という強い思いがありました。「大好きな故郷のために、大好きな大学で学んだことを活かして、ものづくりが大好きな仲間と共に協力しあって『集いの場』を完成させることができ、本当に嬉しいです」。 「こんなにたくさんの人が協力してくれるとは思っていなかった」と言う村上さんの献身的で真っすぐで、そして情熱的な夢に触れた時、誰もが協力したくなるのは間違いないところです。 「大学から『集いの場』でゼミ合宿などを開きたいという要請には応えたいし、私自身が出張オープンキャンパスを開くことだってできます」と今後の活用についても夢は広がります。 大学を出発する前にこう言っていました。「私にとって、故郷はとても大切な場所で、多くの人が行きかう町並みや空気感、景色、におい、色すべてが大好きでした。今でもよく思い出しますし、これからも心の中で生き続けます。だけど、震災前の風景を知らない、覚えていない子どもたちが増えています。その子どもたちにとっての故郷が『自分にとって大切な町』になるように願っています」。 村上さんが作った「集いの場」は、これからきっと、地域のコミュニティに必要不可欠な場所となり、次世代へとつながる場になっていくでしょう。 関連リンク 建設学科WEBページ 建設学科 建築技術デザイン研究室(今井研究室)

  • ぼくが旅に出る理由 モバイルハウスで日本一周

    ものつくり大学が2010年度から主催している「高校生建設設計競技」の2022年度の課題は「これからのモバイルハウス」です。「モバイルハウス」は、新型コロナウイルスがまん延し、人々の行動が制限されてしまった昨今、3密を避けられることからブームになったアウトドアと共に注目されている、「自由に移動できる家」です。設計ではなく、実際に軽トラックの荷台に居住空間を載せて作ったモバイルハウスで、日本一周に挑戦した学生がいます。渡邊 大也さん(建設学科4年・今井研究室)は、2022年の7月に盛暑の東日本を縦断。その後、9月から10月にかけて西日本を横断しました。渡邊さんは、どうしてモバイルハウスを作ったのか、なぜ日本一周の旅に出たのか、その理由に迫ります。 モバイルハウスを作ったきっかけ 運転免許取得時に、祖父から譲り受けた20年ものの軽トラックの荷台を何かに活かしたかったのが、そもそもの始まりです。最初は、大好きなヒマワリを皆に見てもらうために荷台で育てていましたが、大学1年の2月頃から新型コロナウイルスが拡大し始め、2年生の最初の頃は全ての授業がオンライン授業になりました。そこで、「オンラインならば全国を旅しながらでも授業を受けられるんじゃないか」と思い立ち、モバイルハウスの制作が始まりました。 子供の頃から旅行やキャンプが大好きで、高校生の時に、小口良平さんの「スマイル!笑顔と出会った自転車地球一周157カ国、155,502㎞」という本を読んでから、バックパッカーになるという夢を持っていました。そして、モバイルハウスを作った理由としてもう一つ、「元々、ものを作るのは好きだったけど、大きなものを完成させたことが無かったので、10代最後の挑戦にしたい」という思いがありました。 大学2年の夏からモバイルハウスの制作が始まりました。最初の頃は夢が膨らみすぎて、天井部分に芝生を植える等、完成した今となっては非現実的なアイデアもあり、納得のいくモバイルハウスが完成した時には大学4年生になっていました。 モバイルハウスの図面 制作中のモバイルハウス モバイルハウスのこだわり モバイルハウスは「海と船」をモチーフにして作られています。山梨出身で大学は埼玉。身近に海がない環境で育ったため、海に憧れを抱いていました。 モバイルハウスの助手席側の窓は、実際に船舶に使われている丸窓が入り、運転席側の窓は、旅先で海を眺めることを想定して、白く大きな窓を採用しています。また、屋根の部分は波をモチーフにして木材を加工しています。 制作にあたっては、大学の授業を応用して一人で制作を進めました。作り始めた頃は、モバイルハウスを作って旅に出ようとしている事を友人に話しても、皆から笑われたり、「やめときなよ」を言われました。しかし、完成が近くなってきて、本気さが伝わると、友人たちが最後の仕上げを手伝ってくれました。 旅での経験 完成したモバイルハウスで、いよいよ日本一周の旅に出発します。東日本に1か月、西日本に1か月半ほどの旅でしたが、どこに行くのか事前に計画は立てず、行先を決めるのは前日の夜。 世界遺産検定3級を持っていて、今回の旅には国内の世界遺産を巡るという目的がありました。日本を一周する中で、日本にある25件の世界遺産のうち10件を訪ねました。これで、未訪問の世界遺産は残り4つです。 大浦天主堂(長崎県) 白川郷(岐阜県) 他にも、旅にノルマ的なものを課していて、「建築・グルメ・文化」のうち、2つを堪能したと思えたら、次の場所に移るというものでした。 今回の旅で思い出に残っている場所は、モバイルハウスを作ったら絶対に行きたいと思っていた石川県の千里浜です。千里浜なぎさドライブウェイは、日本で唯一、一般の自動車やバイクでも砂浜の波打ち際を走れる道路です。海に憧れ、「海と船」をモチーフにしたモバイルハウスを作ったからには、是非とも写真に納めたい場所でした。ちなみに、石川県では、近江町市場の海鮮料理やターバンカレーを堪能して、兼六園や金沢21世紀美術館を訪ねました。 他にも、鹿児島県の桜島も印象に残る旅先でした。山梨で育ったため、山は見慣れていますが、山の形がまるで違っていて、ちょうど噴火していた桜島の雄大さが心に残っています。 旅の最中には、様々な人と出会い、繋がりもできました。特に、広島を旅していた時には、モバイルハウスを作りたいと考えている長崎から来た人に話しかけられ、ちょうど卒業研究用に作っていた資料を渡したことから意気投合しました。「今度、長崎に来る時は案内するよ」と言われたことで、実際に訪ねてみました。 また、千葉を旅している時は、所属する研究室の今井教授から「私の実家に行っていいよ」と連絡があり、実際にお風呂を借り、ご飯をごちそうになりました。 鳥取で台風に遭った時は、体育館に開設された避難所に行きました。避難しているのは一人だけでした。1か月という長い間、1.3畳ほどのモバイルハウスで生活していたため、広い体育館で一人になり、不意に寂しさを覚えました。寝れずにいたら、避難所の管理人の方が話しかけてきてくれて、夜遅くまで旅の話を聞いてくれました。 モバイルハウスの後方に「日本一周」と看板を掲げていたので、行く先々で話しかけてもらいました。長野の道の駅で同じように旅をしている方から素麺をごちそうになったり、途中で寄ったコンビニのオーナーから差し入れをいただいたりした事もあります。追い越していったバイクの方に手を振られる等、人の優しさに触れることができた旅でした。 モバイルハウス後方 長野でいただいた素麺 トラブルも数多くありました。一人旅だから何かあっても、自分で何とかするしかありません。佐賀の山を走っていた時に、エンジンオイルランプが点灯した上にガス欠になりかけていたところ、更にぬかるみでスタックした時は、山中に一人の状況に絶望して思わず叫びそうになりました(笑)。事前に、自動車部の友人から、オイルの入れ方やスタックした時の対処法を教えてもらっていたので何とかなりましたが、本当に怖かったです。 これからのモバイルハウス いつかモバイルハウスで海外に行き、高校生の時に留学していたアメリカのテネシー州まで旅をして、ホストファミリーを驚かせるという野望を持っています。 モバイルハウスで旅をする中で、「モバイルハウスがあれば家はいらない」と考えるようになりました。先日、モバイルハウスを所有している人たちの集まりがありました。夫婦二人と犬一匹でモバイルハウスに暮らしている方と出会い、モバイルハウスの可能性を感じました。軽トラックだと居住空間は狭いですが、1トントラックや2トントラックの荷台であれば、居住空間も広くすることができます。 実は、旅が終わった今も、ほとんどアパートで寝ることはなく、最後にアパートで寝たのはいつか分からないくらい、モバイルハウスか研究室に寝泊まりする日々が続いています。 日本ではモバイルハウスはかなり珍しい車ですが、車幅以内、高さ2.5m以内、350㎏以内であれば、自分の好きなように作れます。荷台に居住空間を荷物として載せているだけなので、特に手続きも必要ありません。制約があるからこそ、作っていて面白いと感じていて、モバイルハウスをもっと広めたいと考えています。 旅とは「生きがい」です。小さい頃から安定が好きではなく、刺激を求めていて、何をしても結局、旅に繋がります。就職先は、全国に支店がある内装工事の会社から内定をもらいましたが、転勤についても全国色々なところで建築に関われるので、今から楽しみです。 関連リンク 第12回ものつくり大学高校生建設設計競技 建設学科 建築技術デザイン研究室(今井研究室) 建設学科WEBページ

  • 【大学院生による研究紹介】途上国の災害における居住空間の変化に関する研究

    2018年9月28日にインドネシア・スラウェシ島で発生したマグニチュード7.5の地震により、近傍の都市は死者・行方不明者4,547人、家屋損壊100,405という甚大な被害を受けました。浦上龍兵さん(大学院2年・今井研究室)は、復興が進むインドネシア中部スラウェシ州に赴き、災害復興住宅の住環境の分析を行いました。 研究のきっかけ 私が所属している研究室の今井教授は、海外の被災地の復興について研究や実験を行っています。学部生の頃に、今井教授からインドネシア・スラウェシ島地震の被害状況を教えていただき、復興の仕方についてお話を聞くことが度々ありました。今井教授のお話を聞くうちに災害復興について興味を持ち、研究したいと思い大学院への進学を決めました。当初、大地震が発生した2018年にインドネシアでの調査を実施する予定でしたが、新型コロナウイルスの影響で延期になり、2022年に実現することになりました。今井教授に本学と千葉大学の合同調査メンバーに選んでいただいて、私がメインで被災地の住環境について調査を行い、論文を発表することになりました。 現地での調査 インドネシアには、2022年9月に10日間行きました。地震の発生から2年が経った現地は、被害が大きかった村でもNGOの活動により復興住宅の建築が進んでいました。しかし、沿岸部は津波によって地盤沈下が起こり集団移転している村もあり、そういったところはまだ瓦礫が散乱していました。私たちは、NGOの方に被害の大きかった村を6か所案内していただいて、その中からランダムに住民を選んでもらい、その住民のご自宅でアンケート調査を行いながら、並行して復興住宅の実測調査を行いました。現地の方たちは明るい人が多くて気さくに話しかけられることが度々ありました。コミュニケーションを取るために翻訳アプリを使っていましたが、見ず知らずの日本人に対して、「この村にヒーローが来た」と言ってくれました。私たちが何か変えられるわけではありませんが期待していただいて、住宅に入る時もウェルカムな対応をしていただきました。 調査に協力いただいた家族と(前列左が浦上さん) 住民の方たちのアンケート調査では、復興住宅の満足度を質問したのですが、「良い環境に住ませてもらっている」という回答が多く、復興は順調に進んでいるという印象を受けました。住環境に関するアンケートは各項目を地震前、避難期間中、復興住宅の3つのフェーズに分けて質問しています。アンケートの内容は、それぞれの時期の家族構成や、誰が住宅を建てたか、水回りの変化、地震前と復興住宅の家の広さ、住宅の満足度など基本的には生活に関することを聞いています。 アンケート調査の様子 復興住宅というと、日本ではプレハブ住宅のような一時的な避難先という印象がありますが、インドネシアでは永住することを前提とした家を建てています。インドネシアは、「ノンエンジニアド住宅」と呼ばれる専門的な知識を持たない人が施工した住宅が多くあります。ノンエンジニアド住宅が地震で崩れることにより被害が大きくなることが問題視されていました。そのため、NGOの方が「コアハウス」という頑丈な家を建てることで、また大地震が発生しても被害を抑えることができます。この復興住宅は建築当初は、リビングや寝室などの最低限の住居スペースしか確保されていません。他に必要なキッチンやトイレなどのスペースは住民が各自で増築を行います。せっかく頑丈な家を建てたのに、ノンエンジニアドが増築したらまた災害時に被害が大きくなってしまうのではないかと思うかもしれません。しかし、復興住宅は被災者に最低限の身を守れる場所を提供することが目的で、増築されることが前提の住宅です。支援金には限りがあるので最低限の耐久性がある住宅を提供しています。復興住宅は、3人家族であっても10人家族であっても同じ広さの住居が提供されます。そのため、実測調査は家族構成によってどの程度の面積を増築したか、どういう用途のスペースを増築したのか明らかにすることを目的に行いました。 復興住宅が立ち並ぶ村の様子 調査結果からの提案 今回の研究は、住宅の耐震性ではなく、住民の生活水準や満足度を調査するものです。アンケートを行った住民からの意見をまとめ、安心感や快適さ、住宅の満足度を明らかにしようと思いました。アンケートの結果から、現在の生活が地震前よりも安心や安全を感じているということが分かりました。地震前の住宅はインフラが整っていなくで川に洗濯に行っていたのが、復興と同時にインフラの整備が進み、水道や電気が使えるようになり生活水準が地震前より上がっている影響も考えられます。調査をした村の中で特に満足度が低い村がありました。その村は復興が進んでいますが、被害が大きかった他の村から多くの人が転入してきていました。その影響で元々の住民たちの安心感や安全に関する項目が大きく低下していました。原因は、他の村にはある「コミュニティスペース」という村の人たちの交流の場になる施設が無く、転入者とのコミュニケーションが取れていないことだと考察しました。村が集団移転して3年経ってもコミュニティスペースが無いということは、これから建設される可能性は低い。そこで私は、村の土地性に合ったにコミュニティスペースを建設して住民の不安を取り除くことを提案しようと思いました。コミュニティスペースは、復興住宅のスケールを考慮します。正面5メートル、奥行き6メートルの空間を中心に置き、周りに用途を付け足していきます。中心部は、屋根はかかっていますが基本的に屋外で、開放的なスペースで住民同士がコミュニケーションを行うことを想定しています。 他の村のコミュニティでの一幕 コミュニティの設計は、復興のシンボルになっている「大きなクロス型」をコンセプトにしています。復興住宅の壁には大きなクロス型があしらわれているのですが、このデザインについて37%の人が満足していたからです。復興住宅は、ジャケッティング構法と呼ばれている組積造というレンガブロックを積み上げて壁を作っています。これはインドネシアの伝統的な構法ですが、耐震性が低く地震の時に崩れてしまうため壁にワイヤーメッシュを貼り、その上からモルタルで仕上げています。その金属のメッシュがクロスの形をして浮き出ています。その壁を住民たちが好きな色に塗って仕上げています。 玄関横の大きなクロスは復興のシンボルになっている。 私の設計は、あくまで修士論文の範囲で行うものでインドネシアの村に必ず建設されるというものではありません。2024年に行われる WCEE(世界地震工学会議)にて今井教授に発表していただく予定です。今後、後輩が研究を引き継いで、いつか村にコミュニティスペースが建設されることを願っています。 関連リンク ・建設学科 建築技術デザイン研究室(今井研究室)・ものつくり学研究科WEBページ

  • 偶然を必然に ~6年間の集大成は自宅兼カフェの自主設計で行田まちなかの活性化に~

    行田市内に自宅兼店舗のカフェを自ら設計し、行田まちなか再生エリアプラットフォームに携わっている栗原里奈さん(大学院2年・今井研究室)。修士論文のテーマは「行田まちなか未来ビジョン策定に向けた中心市街地活性化に関する研究-あるくステーションの設計提案を通して-」。ものつくり大学での学生生活の中で、偶然を確かな自身のスキルアップにつなげている栗原さんに6年間の歩みをインタビューしました。 実習の多さと充実した設備が進学の決め手に 大学の進路選択に悩んでいる時、たまたま見たテレビ番組で、ものつくり大学のことが紹介されていました。ものづくりが好きでペーパークラフトや料理など何でも作っていたので、実習が多い大学だと知り興味を持ちました。福岡県出身ですが、実際大学を見学したいと思ったので、オープンキャンパスに参加しました。「ものつくり大学はとても設備が充実していて、今まで見学してきた他の大学とは違う」という印象を受けました。 ただ、福岡から埼玉県行田市までの距離があまりに遠かったので「行田に来ることは一生ない」と正直その時は思いました。しかし、福岡に戻りよく考え、他大学とも比較した結果、ものつくり大学一本に絞ることを決め、指定校推薦で進学しました。 自分の設計でコンクリートの家のオブジェが 自分で想像したものを自由に設計してみるのが好きだったので、2年生では、建設学科の建築デザインコースに進みました。コンクリートのオブジェをつくる授業があり、私が設計したものがチームの中で選ばれました。コンクリートのように机上に収まらないものを作れるのは本学だからこそ可能なことだと思います。実際、自分の設計による家の形をしたオブジェが完成した時はとても嬉しかったです。 インターンシップでは将来は住宅等の設計がやりたかったので、設計事務所に行くことを決めていました。事務所選びに迷いましたが、小さい事務所の雰囲気を味わいたいと思い、3人で運営している川口市の事務所にお世話になりました。実務につながるさまざまなことを学ぶことができ「建物の中でも住宅を設計したい」という思いがさらに強くなりました。 コロナ禍でリアルな先輩の卒業制作に携わることに 3年生(2020年)の頃はコロナ禍で、福岡の実家でオンライン授業を2、3カ月受けていました。今井研究室に所属しましたが、キャンパスに戻ると同研究室の先輩が卒業研究として熊谷まちなか再生エリアプラットフォームに関わり、熊谷まちなか再生未来ビジョン策定に向けたプロジェクトを行っていることを知りました。地域の課題解決に向けた取り組みである国土交通省のプロジェクトの一環で、官民学連携のまちなか再生推進事業として、ものつくり大学も立正大学、千葉大学などに加わり、熊谷市、地元企業、団体と一緒にコロナ禍でも定例会を行っているとのことでした。オンライン授業で福岡にいた私はリアルに活動している先輩の姿を目の当たりにし、温度差を感じました。今井先生からプロジェクトの協力に誘われたのを機に「全然分からないけど、何でもやってみよう」と思い、友人と一緒に携わることにしました。 卒論と同時進行で挑んだプロジェクト 4年次の進路選択は、兄が大学院に進んでいたり、熊谷のプロジェクトにも関わり続けたりしたかったので大学院進学を決めました。早い段階で進学が決まっていたこともあり、修士論文を書く勉強にもなると考え、卒業論文に挑戦しました。ル・コルビュジエによるロンシャンの礼拝堂を研究のテーマにして「窓から入る光が内部にどう影響を与えるか」といった問いを立て、夏と冬の太陽の角度の違いについて論じました。建物の窓の位置が及ぼす影響や論文の書き方を学ぶことで、大学院に進む準備ができました。 卒業論文と同時並行して熊谷でのプロジェクトに協力していました。アットホームな雰囲気で学生の意見を尊重してくれる環境で「何でも1回言ってみる」というスタンスが次第に育ち、いろいろ挑戦ができました。実際、星川沿いで行われる星川夜市に参加し、星川きらきらプロジェクトを実施し、光るカプセルなどを星川に浮かべるイベントをしたり、YATAIプロジェクトを実施し、折りたたんでコンパクトに移動できる屋台製作や活用をしたりしました。 星川夜市に参加する栗原さん(左) 熊谷まちなか再生エリアプラットフォームには大学3年生から大学院1年生(2020年度~2022年度)の3年間関わり、アイデアや意見を形にする経験ができました。 プロジェクトの成果物を発表した栗原さん(右から2人目) 行田まちなか再生プロジェクトに自身の経験を活かしたい 熊谷でのプロジェクト終了後、千葉大学や他の方から「行田市は歴史や文化、自然など豊富な資源を活用して、今抱える地域課題を解決できるのでは」という提案があり、行田まちなか再生エリアプラットフォームが立ち上がりました。ものつくり大学や商工団体、NPO法人などが中心に官民学連携で協力して、キックオフミーティングが2023年3月に行われ、2023年4月にスタートしました。私も「行田は観光名所があったり、テレビドラマの舞台になったり魅力的な街だ」と感じていたのと、「熊谷のプロジェクトに関わってきた経験を活かせるのでは」と参加することにしました。行田市は足袋産業がかつて盛んだったこともあり、「足袋」と「旅」を掛けて「たび・あるくが楽しい街、住む人々の豊かな暮らしの実現」を目指し、行田まちなか未来ビジョン策定に向けて動き出しました。 行田まちなか再生エリアプラットフォームのミーティング 行田の商店街に自宅兼店舗のカフェを自主設計することに 実は、キックオフミーティングと同時期、行田市内に自宅を建てることが決まっていました。私は大学進学に伴い、福岡から埼玉に来ましたが、兄の結婚を機に2年前、両親も埼玉に移住し、現在一緒に上尾の借家に住んでいます。父には以前から「カフェをやりたい」という夢があり、たまたま行田市の商店街にちょうどいい物件があったため、土地を購入し、自宅兼店舗のカフェを建てることになりました。大学進学をきっかけに埼玉に来て、行田市の大学で学んできたのですが、まさか自分がこの地に住むことになるとは想像もしていませんでした。 今井先生に経緯を話すと「自宅兼店舗のカフェを自主設計してみては」と勧められました。ものづくりが好きで、様々な実習を設備の充実した大学で行い、インターンシップも設計事務所に行き、設計の面白さや楽しさを経験してきた大学生活でもありました。行田まちなか未来ビジョン策定にも関わることになったので、「行田まちなか」にカフェを自主設計することで中心市街地活性化につなげたいと考えました。そして、本学での6年間の学びの集大成として「行田まちなか未来ビジョン策定に向けた中心市街地活性化に関する研究-あるくステーションの設計提案を通して-」を修士論文の研究テーマにすることにしました。 自宅兼店舗のカフェを自主設計する過程で直面した課題とやりがい 自宅兼店舗のカフェの設計を私が自らすることを両親に伝えると、特に父はとても喜んでくれました。自主設計に際し、今井先生の知り合いの工務店が施工を請け負ってくださることになりました。2023年3月から設計の案を考えたのですが、行田市は蔵の街でもあるので「蔵の街並みに合う、まちなかの交流の場としてのカフェの設計」をコンセプトに決めました。現代風の蔵の外観にし、周囲の景観に馴染むような設計にしました。 自宅兼店舗の立面図 先ず直面した課題は限られた予算や坪数の中で、いかに両親の希望に沿った建築設計にするかということでした。2階建ての建物の1階はカフェの店舗に、2階は自宅にといった構想の下、様々な案を練りました。なかなか前に進めない時は今井先生からアドバイスをいただいたことで新たな視点を入れて設計に取り組むことができました、5カ月間構想を練り、繰り返し設計図を書き直し、2023年の夏頃に設計図が完成しました。自主設計したものが実際の建物になっていくのを目にし、達成感を感じています。両親の思いを大切にして自宅兼店舗のカフェを自主設計するやりがいや喜びを体感できたのは、本学での学びや実践があったからこそ叶ったことです。 建築中の店舗兼自宅 行田まちなか未来ビジョン策定に向けた研究を活かしたい 2023年3月から関わっている行田まちなか未来ビジョン策定に向けての行田まちなか再生エリアプラットフォーム。2023年4月から毎月1回まちづくりミュージアムにて定例会を開催したり、講師の先生をお呼びし「行田まちなか再生エリアプラットフォーム・フォーラム」を現時点で3回開催したりして、率先して運営に関わっていますが、なかなか学生の意見が反映されないもどかしさを抱えています。まだ構築段階にあり、1年目なので難しさを感じるのは当然ともいえます。定例会で参加者の発言を記録したり、フォーラム開催時にはアンケートも取ってまとめたりしているのですが、時間がかかり根気もいります。しかし、こういった地道な活動を通し、参加者の声を聞くことで、様々な課題が見えて情報共有もできます。実際少しずつプラットフォームの構築に関わる団体や個人も増えていて、これからが正念場と感じています。 行田市について、正直まだ知らないことが多く、明確にイメージが湧いていないのが実感としてあります。1年間関わってきた中だけでは分からない魅力があるとも思います。修士論文では「行田まちなか未来ビジョン策定に向けた中心市街地活性化に関する研究-あるくステーションの設計提案を通して-」を研究してきたので、「あるくステーションの設計提案」を通して中心市街地活性化につなげられるように今後もものつくり大学の卒業生としてプロジェクトに関わりたいです。 卒業後は都内の内装系の会社に就職し、店舗の設計から施工の仕事に携わることになりますが、地元になる「行田まちなか」の父のカフェに市内外から歩いて来てくださる人たちとの交流を深められたら嬉しいです。 関連リンク ・建設学科 建築技術デザイン研究室(今井研究室) ・ものつくり学研究科WEBページ

  • 人と違うことをやってみる!伝統的な技法「扇垂木」への挑戦が自分自身の成長に

    寺社建築の伝統的な技法「扇垂木(おうぎだるき)」と呼ばれる屋根架構を卒業制作のテーマにし、千葉県妙長寺の本堂建築に携わった桐山実久さん(建設学科4年・小野研究室)。 念願だった技能五輪全国大会にも2度出場した経験を持ち、「やってみたいことは挑戦する」がモットー。桐山さんに卒業制作を通して実感している4年間の大学生活での学びや成長、将来の目標などのついてインタビューしました。 木造建築への熱意がものつくり大学進学に 幼い頃から、温かみを感じる木造の家が好きで、木造建築に興味がありました。高校は地元の愛媛県立吉田高校の機械建築工学科に進み、木造建築の面白さに魅了され、高校生ものづくりコンテストにも出場しました。ものつくり大学に進学したのは、同校の先輩が進学していて「技能五輪全国大会に出場できるチャンスがある」と話を聞いたことが大きかったです。ものつくり大学では、アーク溶接などにも触れましたが、やはり木造建築が好きだということを確信し、木造建築コースに進みました。木材の魅力は一度切ると元に戻せないところだと感じます。ボンドで貼っても再生できないですよね。 1年生の頃はコロナ禍でオンライン授業が中心の学生生活に。2年生、3年生の時に連続して技能五輪全国大会に出場しました。出場職種は得意分野の大工ではなく、敢えて家具に挑戦しました。高校時代に先生から「細かいものも得意だね」と言われたことがあったからです。2年生の頃はまだ授業で家具づくりを学んでいなかったため、先輩方にいろいろ教えていただき、寝る間も惜しんで工房で技術を磨き大会に臨みました。3年生の時も家具職種に挑み、努力が実り敢闘賞を受賞することができました。ものつくり大学に進学し、念願だった技能五輪全国大会に挑戦できたことで、チャレンジ精神が旺盛になりました。 技能五輪全国大会に挑戦する桐山さん 伝統的な技法「扇垂木」を卒業制作に 私は小野研究室なのですが、今井研究室と仲が良く、交流が盛んな環境に身を置いています。4年生で卒業制作を迷っていた時、インターンシップでお世話になった今井先生から「千葉県館山市妙長寺の本堂新築の屋根架構を卒業制作として取り組んでみないか」と声をかけていただきました。今井先生から、本堂の屋根の形状は扇垂木(おうぎだるき)という唐傘をモチーフにした扇状に広がった垂木のことで、非常に手間がかかり、単純に配置することが難しいことや、現役の大工さんでも経験できないまれな技法であることなどの説明を受けました。 学生生活の中で木造建築を中心に学び、大会などにも挑戦してきた経緯もあり「人と違ったことをやってみたい」という思いが強い私は「滅多にない経験ができるのは面白そう」と伝統的な技法である扇垂木の制作に挑戦したいと思いました。そして「館山市妙長寺の屋根架構の制作ー扇垂木の墨付け、刻み、加工-」を卒業制作のテーマにすることで新たな自分の可能性を見出したいと思いました。 限られた作業時間が没頭するための集中力に 扇垂木の墨付けから加工の工程は、扇垂木の木材加工の施工経験がある非常勤講師の福島先生のご指導の下、埼玉県寄居の福島工務店で行いました。扇垂木の木材となるのは、垂木、隅木、蕪束(かぶらづか)。墨付けから加工は、一般的な垂木の断面より大きいため、加工に費やす時間が多くなりました。搬入や組み立てを考慮して行った鎌継ぎ(一方の木材に端部の広がった突起を作り、他方の木材にはめ込む継ぎ手)やくせ加工などの作業も何度も行いました。作業時間が限られていたこともあり、43日間(2023年10月27日から12月8日)1日も休まず取り組みました。限られた時間の中での作業だったからこそ、集中して一心に取り組めたのだと思います。加工した木材の仕口を数えてみたら136箇所ありました。 技術的な面は、福島先生のご指導に加え、学生生活を送る過程で様々な道具を使ったり、技術を磨いたりした経験や工程を頭に入れ作業する習慣がプラスに働きました。ある程度作業に慣れると、流れが分かり、段取りをつけながら1人で進めることもありました。精神面でのプレッシャーは地元の方との交流もあり、あまり感じませんでした。技能五輪全国大会に出場した時はかなり精神的にきつかったのですが、2度の出場経験により、精神的にも鍛えられたのかもしれません。しかし、肉体的には、かなりハードでした。今まで扱ってきた木材に比べて遥かに大きく、重かったので、運んだり、転がしたりするのは想像以上に身体に負荷がかかり、腰なども痛くなりました。 難易度の高い施工に挑み、目にした本物の建築 木材の加工が終了した翌日の12月9日に、埼玉県寄居町から千葉県館山市の現場に木材を搬入しました。現地の大工さんの力もお借りし、他の学生と一緒に12月13日から、施工に入りましたが、現地に入る前と後では、緊張感が違いました。まず、蕪束と隅木の取り付けを行いました。上段、中段、下段と隅木を継いでいきました。ここでは、ビス留めをし、しっかり止めました。次に、いよいよ垂木の取り付け作業に。隅木側から垂木を取り付ける工程はとても難しかったです。ひのきの垂木は全て寸法も異なり、木材だからこそ、ねじれや乾燥もあり、調整の繰り返しに。なかなか思うように作業が進まず、苦戦しつつも丁寧にかんなを使って微調整しながら組み立てを進めていきました。垂木の上段、下段の取り付けが進んでいくに従い、扇垂木が大きいことに驚きました。 扇垂木を下から見上げる 現場で施工する桐山さん 本物の建物の施工に関わるのは初めてで、しかも寺院の本堂は地域に根付き、歴史的にも価値をもつことになる建物です。いざ完成間近になった建物を目の前にし、「こんなにも大きな寺院をつくっているんだ」と言葉に表せない感情が湧きました。100年、200年と長期間、多くの人に親しんでもらえる建物にしたいと思っています。本堂の完成は2024年3月を予定しており、扇垂木の美しさが見える屋根になるように作業を進めています。 卒業制作を通して感じている自身の成長 卒業制作を通して特に2つほど自身の成長を感じています。1つは、今までは自分が納得いくためのものづくりだったのが、人に喜んでもらえるものづくりをしたいという思いが加わったことです。そもそも、ものつくり大学に進学した理由の1つに技能五輪全国大会への挑戦があったのですが、高校時代に高校生ものづくりコンテストに参加し、自分自身に対してやり残したという後悔がありました。「賞に入賞することよりも自分の納得するものづくりがやりたい」という思いが強く、1年目には納得できず、2年連続して挑戦。結果、3年生の時は敢闘賞を取ることもでき、自分なりに納得し、達成感が味わえました。しかし、今回、長い歳月建ち続けることになる寺院の施工に携わることで、多くの人が見たり、触れたりして大切にされていくことを想像する機会に恵まれ、ものづくりの喜びを倍に感じるようになりました。 もう1つは、自分に自信が持てたことです。大学生活の中でいろいろな大会にも出場し、賞ももらってきたのですが、実は自分に自信が持てず、ものづくりも上手いと思ったことがありませんでした。自己評価が低く、時に先生から叱られることも。自信がなかったからこそ、さまざまなことに挑戦もしてきました。しかし、今回、卒業制作で難易度の高い扇垂木の制作に挑戦し、その結果、檀家さん、工務店の先生、大学の先生や友人など関わってきた人から評価してもらい、自信が持てました。本堂新築における扇垂木のことが新聞に取り上げられたことで、自分が関わった建築物が多くの方から注目を浴びていることを聞き、嬉しいです。 建築が進む妙長寺本堂 将来は木造建築の教員に 大学卒業後は、まず、大工としてプレカットの仕事に就き、大工職人として腕を磨きたいです。社会経験を積んだ後は、木造建築の教員になりたいと考えています。私の家族はみな教員で、幼い頃から「将来は先生になりたい」と思っていました。人に教えることも好きです。ただ、学生生活の中で、自信がなかなかもてず、後輩に対してもどこか教えることに引き気味でした。しかし、卒業制作などに取り組む中で教えることに少しずつ前向きになり、4年生ではSA(Students Assistant)として先生のアシスタントをしながら後輩にさまざまなことを教える経験をしています。実際、鋸の使い方1つでも教える立場になってみて、みんながそれぞれ違う使い方をしていることが分かり、その違いを面白いと感じます。一方で、一緒にSAをしている学生の教え方から学ぶことも多く、勉強になります。最近、木造建築に進む学生が少なくなっていると感じるので、木造建築の魅力や面白さを伝えられる教員になりたいです。 自分を磨けるものつくり大学での学び ものつくり大学での学生生活は、規則に従いながら過ごしていた小中学校時代、まだ何がやりたいかが明確ではなかった高校時代とは異なり、自分が好きなことをできる環境が整っていました。自分が磨きたいところを磨け、いろいろなことにも挑戦できました。先生からは理論や実践で役に立つことを教えてもらい、さまざまな実習やインターンシップでは、自分で実際にやってみる機会を多く作ることができました。具体的に教えていただいたことに挑戦できた結果、多くのことを学んだり、技術や技能を身に付けたりすることができました。さらに、先輩から教えていただき、後輩に教えるものづくりを通し、人とコミュニケーションを持ったり、信頼関係を築いたりする機会にも多く恵まれました。挑戦することを続けた4年間の学生生活の中で、特に卒業制作は、今までの学びと実践が活き、自分自身の成長を感じる機会になっています。 関連リンク ・建設学科 木質構造・材料研究室(小野研究室) ・建設学科 建築技術デザイン研究室(今井研究室) ・技能五輪全国大会実績WEBページ ・建設学科WEBページ

  • 【大学院生による研究紹介】高出力機構(SDV)リカンベント自転車の研究

    本学では学部4年次と大学院2年次から本格的に研究が始まります。この研究は、担当指導教員と共に研究テーマを選定し、企画・設計・制作・検査・評価までの一連の作業を行います。 今回は、佐藤正承さん(大学院1年生・佐久田研究室)が、集大成となる自身の研究を紹介します。 はじめに 私は、高校生の頃から自転車に関する研究を行いたいという思いがあり、学部の卒業研究のテーマとして取り上げ、大学院生になった現在も研究を続けています。今回はその一部を私の持論とともにご紹介させていただきます。 今では身近な移動手段として幅広い層から利用されている自転車ですが、自転車の歴史は浅く200年という短い歳月の中で様々な変化を遂げ、今の自転車が存在しています。世界には推定10億台以上の自転車がありますが、その多くは東南アジアに集中しています。さらに、欧米諸国でも地球環境の配慮や健康の面からも自転車の利用度は増加傾向にあります。しかし、従来型自転車の駆動機構では単純で生産しやすいということに重きを置いた構造であり、人間からの動力を最大限に発揮する機構とは言えません。また、楽に短時間で通勤通学をサポートする乗り物として電動アシスト自転車もありますが、価格が高くモーターによる駆動が環境面で問題視されています。 現在、皆さんにはあまり聞きなじみのない「SDVリカンベント自転車」という高出力自転車の研究を行っています。この研究では、従来型自転車と比べて最大で1.8倍の出力を実現することが可能であり、将来的には従来型機構の代替となる可能性を秘めています。以前も2人の先輩が研究され、私が引き継いで3代目になりました。私は、さらなる効率化を追求するために研究を進めています。この高出力自転車ですが、元々は産業技術総合研究所(以下、産総研)とオーテック有限会社で共同研究が行われていましたが、産総研での研究が終了した後に、私が所属する精密機械システム研究室(佐久田研究室)が研究の継承と発展のために購入しました。 SDVリカンベント自転車とは? 高出力機構「SDV」は、産総研とオーテックの共同研究で開発されました。SDVはSuper da Vinci Vehicle の略で世界的に有名な画家 Leonardo da Vinci(レオナルド・ダ・ヴィンチ) が描いたとされるデッサンにあやかり名付けられ、SDVや高出力自転車と呼ばれています。もし、デッサンが事実であるとすれば、その起源は15世紀末まで遡ることができ「現在の自転車に革命をもたらす可能性がある」という夢と希望に満ち溢れた自転車を研究していることになります。 Leonardo da Vinci が描いたとされるデッサン リカンベント自転車とは、オランダ語で寝そべりながら運転する自転車の事で、空気抵抗が少ない事から世界一速い手動2輪と言われています。このリカンベントタイプでは、カナダ出身のTodd・Reichert(トッド・ライヘルト)氏が自転車の世界最速記録である144km/hを達成したとしても知られている乗り物です。そのためSDVリカンベント自転車は。SDV(高出力)の機構とリカンベント自転車(世界一速い自転車)を組み合わせて制作された自転車なので、実走しても体感できるほど未来の自転車(ロマン仕様)です。今後、この自転車を使用して世界最速に挑む人が現れるかもしれません。 高出力機構SDVリカンベント自転車 SDV型駆動(長円運動)と従来型駆動(真円運動)の違い <SDV型(例:高出力自転車)の場合> ・スプロケット:上下左右に2枚のスプロケット(歯車)合計4枚仕様・回転方法:チェーンを直接引っ張り回転させる・形状:精密な形状・長円:人間が得意とされる駆動方式・価格:髙い SDVの特徴・SDVは人間が得意とされる上から下へ蹴る力を効率的に力に変換することができる・長円状のチェーンにペダルを直結し、長い直線部分で人間の蹴る力を駆動力に変換できるためパワーロスが少なく大きな力を得ることができる。 <従来型(例:ママチャリ)の場合> ・スプロケット:片側に1枚のスプロケット・回転方法:クランク(歯車)本体を回転させる・形状:生産しやすい形状・真円:真円なため力が伝わりにくい・価格:安い 従来型の特徴・踏みやすく、ペダリング(漕ぐ動作)が安定しているため、上り坂や低速時にも力が入りやすい・形状が円形で加工が容易であるため、コストが低いのも特徴 SDV 従来型 従来型が最適な機構ではない理由 従来型とは、この場ではシティサイクル(ママチャリ)などに装備されている真円形状の事を指し、真円の形状では人間が得意とされる踏み込み力(人間が地面を蹴る動作すなわち直線距離)が少なく、パワーが伝わりにくい傾向にあります。一方で、円運動の特性を考慮し、効率的なパワー発生を実現するために、楕円形状の機構が販売されています。しかし、従来型と楕円形状でのパワーの差は0.1倍程度であまり効果が期待できません。私も時折、楕円形状を使用していますが、体感できる程の変化は感じられませんでした(回転効率が上昇するためやや速くなる程度です)。しかし、これらのことを踏まえて開発されたのがSDVという機構です。SDVは2枚のスプロケット(歯車)を横に並べて配置することによって、直線距離を長くすることで人間が得意とされる踏み込み力を高い値で維持しながら自転車に伝えることが可能になりました。詳細はこの場では触れませんが、産総研の報告によると、最適な運動形態はややS字状であるとの結果が出ており、それを基にこの装置が開発されました。 今後の課題 ・登坂時には、電動アシスト自転車のように楽に坂道を上ることができないため、この課題に対して解決策を模索する必要がある。・SDVの価格は従来の機構に比べて高いため、低価格での提供を実現することを目指す必要がある。・構造が複雑でメンテナンスが困難なため、メンテナンス性を考慮した改良が必要である。・更なる多様化(現在では自転車に採用されているが、手漕ぎ自転車やスワンボートに対応可能にする) おわりに 現在、市場で販売されている自転車の大半は従来型(真円)の駆動方式を採用した言わば、非効率的な自転車が販売されています。一部では「自転車は二酸化炭素を排出しないエコな乗り物だ」などと言われていますが、エコな乗り物であっても用途によってはエコな乗り物ではないと私は考えています。自転車は走行中に二酸化炭素を排出しないだけではなく、維持費が安価であるという利点もありますが、自動車やバイクと比べ継続的に使用することが難しいことや製造工程でのコスト面が問題点として挙げられます。 また、通勤通学を短時間かつ楽に実現するために、電動アシスト自転車が広く普及していますが、モーターを動かすためのバッテリーは火力発電(2021年時点で化石燃料による火力発電が72.9%)から賄われた電気が利用されています。さらに、国によっては廃棄されるバッテリーの数が急激に増えており、リサイクル率の低いバッテリーが環境問題に悪影響を及ぼす可能性があります。そのため私個人としては、このような背景を考慮すると電動アシスト自転車の魅力を十分に感じることができません。まだ、経験が浅いため一概に否定しませんが、単純に「疲れたくないから」や「短時間で移動したいから」と言った安直な考えではなく、本当に自分自身のライフスタイルに適合するかどうかを慎重に考えるべきだと思います。 そのための戦略転換として、SDVの研究を行っています。前任者から研究を行っている高出力機構SDVはモーターに頼らず、人力だけで最大1.8倍の出力を実現することができます。この「人力だけで1.8倍」という点が魅力的ですし、さらにその名称は「Leonardo da Vinciが描いたとされるデッサン」を基に名付けられたという点から、技術者の世界観や遊び心、ユーモアなセンスが感じられます。高出力機構SDVの研究を進めることで、温室効果ガスや二酸化炭素の排出削減など、環境問題に対して有効な移動手段になる可能性があります。SDVの機構は環境にやさしく、持続可能な移動手段としての役割を果たすことが期待されます。 「この機構は未完成だが、その潜在能力から見れば未完の大器であると言える」。これからも高出力機構SDVリカンベント自転車の研究を進め、身近な場所で利用できる機構を目指します。そして、従来の機構よりもエコで高効率な自転車を提供し、社会に貢献したいと考えています。 あとがき 最後までこの文章をお読みいただきありがとうございました。楽しんでいただけましたか?少しでも高出力機構SDVリカンベント自転車の魅力が伝われば幸いです。ものつくり大学では、「ものつくり魂」を基盤に、ものづくりに直結する実技・実務教育を学び、一流の「テクノロジスト」を目指しています。学生の中には大学で初めて工作機械に触れた学生も多く、私もその一人です。ですが、企業の最前線で活躍してきた教職員の方々のサポートもあり、学生たちは充実した学びを受けることができます。また、研究分野では産業界で求められる課題・問題意識に取り組んでいます。 最後に、この記事を通じてものづくりに対する情熱や研究への取り組みを感じていただけたら幸いです。お忙しい中、最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。これからも、ものづくりの世界でさらなる成長を追求し、社会に貢献していくことを目指します。 原稿ものつくり学研究科1年 佐藤 正承(さとう まさよし) 関連リンク ・情報メカトロニクス学科 精密機械システム研究室(佐久田研究室)・ものつくり学研究科WEBページ

  • 震災復興の願いを実現した「集いの場」建設

    村上 緑さん(建設学科4年・今井研究室)は、2022年3月下旬、ある決意を胸に父親と共に大学の実習で使用した木材をトラックに積み込み、ものつくり大学から故郷へ出発しました。それから季節は流れて、11月末。たくさんの人に支えられて、夢を叶えました。 故郷のために 村上さんは、岩手県陸前高田市の出身。陸前高田市は、2011年3月11日に発生した東日本大震災での津波により、大きな被害を受けた地域です。全国的にも有名な「奇跡の一本松」(モニュメント)は、震災遺構のひとつです。当時住んでいた地域は、600戸のうち592戸が全半壊するという壊滅的な被害を受けました。 奇跡の一本松 11歳で震災体験をし、その後、ものつくり大学に進学し、卒業制作に選んだテーマは、故郷の地に「皆で集まれる場所」を作ること。そもそも、ものつくり大学を進学先に選んだ理由も、「何もなくなったところから道路や橋が作られ、建物ができ、人々が戻ってくる光景を目の当たりにして、ものづくりの魅力に気づき、学びたい」と考えたからでした。 震災から9年が経過した2020年、津波浸水域であった市街地は10mのかさ上げが終わり、地権者へ引き渡されました。しかし、9年の間に多くの住民が別の場所に新たな生活拠点を持ってしまったため、かさ上げ地は、今も空き地が点在しています。実家も、すでに市内の別の地域に移転していました。 そこで、幼い頃にたくさんの人と関わり、たくさんの経験をし、たくさんの思い出が作られた大好きな故郷にコミュニティを復活させるため、元々住んでいた土地に、皆が集まれる「集いの場」を作ることを決めたのです。 陸前高田にある昔ながらの家には、「おかみ(お上座敷)」と呼ばれる多目的に使える部屋がありました。大切な人をもてなすためのその部屋は、冠婚葬祭や宴会の場所として使用され、遠方から親戚や友人が来た時には宿泊場所としても使われていました。この「おかみ」を再現することができれば、多くの人が集まってくると考えたのでした。 「集いの場」建設へ 「集いの場」は、村上さんにとって、ものつくり大学で学んできたことの集大成になりました。まず、建設に必要な確認申請は、今井教授や小野教授、内定先の設計事務所の方々などの力を借りながらも、全て自分で行いました。建設に使用する木材は、SDGsを考え、実習で毎年出てしまう使用済みの木材を構造材の一部に使ったほか、屋内の小物などに形を変え、資源を有効活用しています。 帰郷してから、工事に協力してくれる工務店を自分で探しました。古くから地元にあり、震災直後は瓦礫の撤去などに尽力していた工務店が快く協力してくれることになり、同級生の鈴木 岳大さん、高橋 光さん(2人とも建設学科4年・小野研究室)と一緒にインターンシップ生という形で、基礎のコンクリ打ちや建方《たてかた》に加わりました。 地鎮祭は、震災前に住んでいた地元の神社にお願いし、境内の竹を四方竹に使いました。また、地鎮祭には、大学から今井教授と小野教授の他に、内定先でもあり、構造計算の相談をしていた設計事務所の方も埼玉から駆けつけてくれました。 基礎工事が終わってからの建方工事は「あっという間」でした。建方は力仕事も多く、女性には重労働でしたが、一緒にインターンシップに行った鈴木さんと高橋さんが率先して動いてくれました。さらに、ものつくり大学で非常勤講師をしていた親戚の村上幸一さんも、当時使っていた大学のロゴが入ったヘルメットを被り、喜んで工事を手伝ってくれました。 建方工事の様子 大学のヘルメットで現場に立つ村上幸一さん 2022年6月には、たくさんの地元の人たちが集まる中で上棟式が行われました。最近は略式で行われることが多い上棟式ですが、伝統的な上棟式では鶴と亀が描かれた矢羽根を表鬼門(北東)と裏鬼門(南西)に配して氏神様を鎮めます。その絵は自身が描いたものです。また、矢羽根を結ぶ帯には、村上家の三姉妹が成人式で締めた着物の帯が使われました。上棟式で使われた竹は、思い出の品として、完成後も土間の仕切り兼インテリアとなり再利用されています。 震災後に自宅を再建した時はまだ自粛ムードがあり、上棟式をすることはできませんでした。しかし、「集いの場」は地元の活性化のために建てるのだから、「地元の人たちにも来てほしい」という思いから、今では珍しい昔ながらの上棟式を行いました。災いをはらうために行われる餅まきも自ら行い、そこには、子どもたちが喜んで掴もうと手を伸ばす姿がありました。 村上さんが描いた矢羽根 餅まきの様子 インテリアとして再利用した竹材 敷地内には、東屋も建っています。これは、自身が3年生の時に木造実習で制作したものを移築しています。この東屋は、地元の人たちが自由に休憩できるように敷地ギリギリの場所に配置されています。完成した今は、絵本『泣いた赤鬼』の一節「心の優しい鬼のうちです どなたでもおいでください…」を引用した看板が立てられています。 誰でも自由に休憩できる東屋 屋根、外壁、床工事も終わった11月末には、1年生から4年生まで総勢20名を超える学生たちが陸前高田に行き、4日間にわたって仕上の内装工事を行いました。天井や壁を珪藻土で塗り、居間・土間のトイレ・洗面所の3か所の建具は、技能五輪全国大会の家具職種に出場経験のある三明 杏さん(建設学科4年・佐々木研究室)が制作しました。 「皆には感謝です。それと、ものを作るのが好きだけど、何をしたらいいか分からない後輩たちには、ものづくりの場を提供できたことが嬉しい」と話します。そして、学生同士の縁だけではなく、和室には震災前の自宅で使っていた畳店に発注した畳を使い、地元とのつながりも深めています。 こうして、村上さんの夢だった建坪 約24坪の「集いの場」が完成しました。 故郷への思い 建設中は、施主であり施工業者でもあったので、全てを一人で背負い込んでしまい、責任感からプレッシャーに押しつぶされそうになった時もありました。それでも、たくさんの人の力を借りて、「集いの場」を完成させました。2年生の頃から図面を描き、構想していた「地元の人の役に立つ、家族のために形になるものを作る」という夢を叶えることができたのです。また、「集いの場」の建設は、「父の夢でもありました。震災で更地になった今泉に戻る」という強い思いがありました。「大好きな故郷のために、大好きな大学で学んだことを活かして、ものづくりが大好きな仲間と共に協力しあって『集いの場』を完成させることができ、本当に嬉しいです」。 「こんなにたくさんの人が協力してくれるとは思っていなかった」と言う村上さんの献身的で真っすぐで、そして情熱的な夢に触れた時、誰もが協力したくなるのは間違いないところです。 「大学から『集いの場』でゼミ合宿などを開きたいという要請には応えたいし、私自身が出張オープンキャンパスを開くことだってできます」と今後の活用についても夢は広がります。 大学を出発する前にこう言っていました。「私にとって、故郷はとても大切な場所で、多くの人が行きかう町並みや空気感、景色、におい、色すべてが大好きでした。今でもよく思い出しますし、これからも心の中で生き続けます。だけど、震災前の風景を知らない、覚えていない子どもたちが増えています。その子どもたちにとっての故郷が『自分にとって大切な町』になるように願っています」。 村上さんが作った「集いの場」は、これからきっと、地域のコミュニティに必要不可欠な場所となり、次世代へとつながる場になっていくでしょう。 関連リンク 建設学科WEBページ 建設学科 建築技術デザイン研究室(今井研究室)

  • ぼくが旅に出る理由 モバイルハウスで日本一周

    ものつくり大学が2010年度から主催している「高校生建設設計競技」の2022年度の課題は「これからのモバイルハウス」です。「モバイルハウス」は、新型コロナウイルスがまん延し、人々の行動が制限されてしまった昨今、3密を避けられることからブームになったアウトドアと共に注目されている、「自由に移動できる家」です。設計ではなく、実際に軽トラックの荷台に居住空間を載せて作ったモバイルハウスで、日本一周に挑戦した学生がいます。渡邊 大也さん(建設学科4年・今井研究室)は、2022年の7月に盛暑の東日本を縦断。その後、9月から10月にかけて西日本を横断しました。渡邊さんは、どうしてモバイルハウスを作ったのか、なぜ日本一周の旅に出たのか、その理由に迫ります。 モバイルハウスを作ったきっかけ 運転免許取得時に、祖父から譲り受けた20年ものの軽トラックの荷台を何かに活かしたかったのが、そもそもの始まりです。最初は、大好きなヒマワリを皆に見てもらうために荷台で育てていましたが、大学1年の2月頃から新型コロナウイルスが拡大し始め、2年生の最初の頃は全ての授業がオンライン授業になりました。そこで、「オンラインならば全国を旅しながらでも授業を受けられるんじゃないか」と思い立ち、モバイルハウスの制作が始まりました。 子供の頃から旅行やキャンプが大好きで、高校生の時に、小口良平さんの「スマイル!笑顔と出会った自転車地球一周157カ国、155,502㎞」という本を読んでから、バックパッカーになるという夢を持っていました。そして、モバイルハウスを作った理由としてもう一つ、「元々、ものを作るのは好きだったけど、大きなものを完成させたことが無かったので、10代最後の挑戦にしたい」という思いがありました。 大学2年の夏からモバイルハウスの制作が始まりました。最初の頃は夢が膨らみすぎて、天井部分に芝生を植える等、完成した今となっては非現実的なアイデアもあり、納得のいくモバイルハウスが完成した時には大学4年生になっていました。 モバイルハウスの図面 制作中のモバイルハウス モバイルハウスのこだわり モバイルハウスは「海と船」をモチーフにして作られています。山梨出身で大学は埼玉。身近に海がない環境で育ったため、海に憧れを抱いていました。 モバイルハウスの助手席側の窓は、実際に船舶に使われている丸窓が入り、運転席側の窓は、旅先で海を眺めることを想定して、白く大きな窓を採用しています。また、屋根の部分は波をモチーフにして木材を加工しています。 制作にあたっては、大学の授業を応用して一人で制作を進めました。作り始めた頃は、モバイルハウスを作って旅に出ようとしている事を友人に話しても、皆から笑われたり、「やめときなよ」を言われました。しかし、完成が近くなってきて、本気さが伝わると、友人たちが最後の仕上げを手伝ってくれました。 旅での経験 完成したモバイルハウスで、いよいよ日本一周の旅に出発します。東日本に1か月、西日本に1か月半ほどの旅でしたが、どこに行くのか事前に計画は立てず、行先を決めるのは前日の夜。 世界遺産検定3級を持っていて、今回の旅には国内の世界遺産を巡るという目的がありました。日本を一周する中で、日本にある25件の世界遺産のうち10件を訪ねました。これで、未訪問の世界遺産は残り4つです。 大浦天主堂(長崎県) 白川郷(岐阜県) 他にも、旅にノルマ的なものを課していて、「建築・グルメ・文化」のうち、2つを堪能したと思えたら、次の場所に移るというものでした。 今回の旅で思い出に残っている場所は、モバイルハウスを作ったら絶対に行きたいと思っていた石川県の千里浜です。千里浜なぎさドライブウェイは、日本で唯一、一般の自動車やバイクでも砂浜の波打ち際を走れる道路です。海に憧れ、「海と船」をモチーフにしたモバイルハウスを作ったからには、是非とも写真に納めたい場所でした。ちなみに、石川県では、近江町市場の海鮮料理やターバンカレーを堪能して、兼六園や金沢21世紀美術館を訪ねました。 他にも、鹿児島県の桜島も印象に残る旅先でした。山梨で育ったため、山は見慣れていますが、山の形がまるで違っていて、ちょうど噴火していた桜島の雄大さが心に残っています。 旅の最中には、様々な人と出会い、繋がりもできました。特に、広島を旅していた時には、モバイルハウスを作りたいと考えている長崎から来た人に話しかけられ、ちょうど卒業研究用に作っていた資料を渡したことから意気投合しました。「今度、長崎に来る時は案内するよ」と言われたことで、実際に訪ねてみました。 また、千葉を旅している時は、所属する研究室の今井教授から「私の実家に行っていいよ」と連絡があり、実際にお風呂を借り、ご飯をごちそうになりました。 鳥取で台風に遭った時は、体育館に開設された避難所に行きました。避難しているのは一人だけでした。1か月という長い間、1.3畳ほどのモバイルハウスで生活していたため、広い体育館で一人になり、不意に寂しさを覚えました。寝れずにいたら、避難所の管理人の方が話しかけてきてくれて、夜遅くまで旅の話を聞いてくれました。 モバイルハウスの後方に「日本一周」と看板を掲げていたので、行く先々で話しかけてもらいました。長野の道の駅で同じように旅をしている方から素麺をごちそうになったり、途中で寄ったコンビニのオーナーから差し入れをいただいたりした事もあります。追い越していったバイクの方に手を振られる等、人の優しさに触れることができた旅でした。 モバイルハウス後方 長野でいただいた素麺 トラブルも数多くありました。一人旅だから何かあっても、自分で何とかするしかありません。佐賀の山を走っていた時に、エンジンオイルランプが点灯した上にガス欠になりかけていたところ、更にぬかるみでスタックした時は、山中に一人の状況に絶望して思わず叫びそうになりました(笑)。事前に、自動車部の友人から、オイルの入れ方やスタックした時の対処法を教えてもらっていたので何とかなりましたが、本当に怖かったです。 これからのモバイルハウス いつかモバイルハウスで海外に行き、高校生の時に留学していたアメリカのテネシー州まで旅をして、ホストファミリーを驚かせるという野望を持っています。 モバイルハウスで旅をする中で、「モバイルハウスがあれば家はいらない」と考えるようになりました。先日、モバイルハウスを所有している人たちの集まりがありました。夫婦二人と犬一匹でモバイルハウスに暮らしている方と出会い、モバイルハウスの可能性を感じました。軽トラックだと居住空間は狭いですが、1トントラックや2トントラックの荷台であれば、居住空間も広くすることができます。 実は、旅が終わった今も、ほとんどアパートで寝ることはなく、最後にアパートで寝たのはいつか分からないくらい、モバイルハウスか研究室に寝泊まりする日々が続いています。 日本ではモバイルハウスはかなり珍しい車ですが、車幅以内、高さ2.5m以内、350㎏以内であれば、自分の好きなように作れます。荷台に居住空間を荷物として載せているだけなので、特に手続きも必要ありません。制約があるからこそ、作っていて面白いと感じていて、モバイルハウスをもっと広めたいと考えています。 旅とは「生きがい」です。小さい頃から安定が好きではなく、刺激を求めていて、何をしても結局、旅に繋がります。就職先は、全国に支店がある内装工事の会社から内定をもらいましたが、転勤についても全国色々なところで建築に関われるので、今から楽しみです。 関連リンク 第12回ものつくり大学高校生建設設計競技 建設学科 建築技術デザイン研究室(今井研究室) 建設学科WEBページ