ものつくり大学が2010年度から主催している「高校生建設設計競技」の2022年度の課題は「これからのモバイルハウス」です。「モバイルハウス」は、新型コロナウイルスがまん延し、人々の行動が制限されてしまった昨今、3密を避けられることからブームになったアウトドアと共に注目されている、「自由に移動できる家」です。
設計ではなく、実際に軽トラックの荷台に居住空間を載せて作ったモバイルハウスで、日本一周に挑戦した学生がいます。渡邊 大也さん(建設学科4年・今井研究室)は、2022年の7月に盛暑の東日本を縦断。その後、9月から10月にかけて西日本を横断しました。
渡邊さんは、どうしてモバイルハウスを作ったのか、なぜ日本一周の旅に出たのか、その理由に迫ります。
モバイルハウスを作ったきっかけ
運転免許取得時に、祖父から譲り受けた20年ものの軽トラックの荷台を何かに活かしたかったのが、そもそもの始まりです。最初は、大好きなヒマワリを皆に見てもらうために荷台で育てていましたが、大学1年の2月頃から新型コロナウイルスが拡大し始め、2年生の最初の頃は全ての授業がオンライン授業になりました。そこで、「オンラインならば全国を旅しながらでも授業を受けられるんじゃないか」と思い立ち、モバイルハウスの制作が始まりました。
子供の頃から旅行やキャンプが大好きで、高校生の時に、小口良平さんの「スマイル!笑顔と出会った自転車地球一周157カ国、155,502㎞」という本を読んでから、バックパッカーになるという夢を持っていました。そして、モバイルハウスを作った理由としてもう一つ、「元々、ものを作るのは好きだったけど、大きなものを完成させたことが無かったので、10代最後の挑戦にしたい」という思いがありました。
大学2年の夏からモバイルハウスの制作が始まりました。最初の頃は夢が膨らみすぎて、天井部分に芝生を植える等、完成した今となっては非現実的なアイデアもあり、納得のいくモバイルハウスが完成した時には大学4年生になっていました。
モバイルハウスのこだわり
モバイルハウスは「海と船」をモチーフにして作られています。山梨出身で大学は埼玉。身近に海がない環境で育ったため、海に憧れを抱いていました。
モバイルハウスの助手席側の窓は、実際に船舶に使われている丸窓が入り、運転席側の窓は、旅先で海を眺めることを想定して、白く大きな窓を採用しています。また、屋根の部分は波をモチーフにして木材を加工しています。
制作にあたっては、大学の授業を応用して一人で制作を進めました。作り始めた頃は、モバイルハウスを作って旅に出ようとしている事を友人に話しても、皆から笑われたり、「やめときなよ」を言われました。しかし、完成が近くなってきて、本気さが伝わると、友人たちが最後の仕上げを手伝ってくれました。
旅での経験
完成したモバイルハウスで、いよいよ日本一周の旅に出発します。東日本に1か月、西日本に1か月半ほどの旅でしたが、どこに行くのか事前に計画は立てず、行先を決めるのは前日の夜。
世界遺産検定3級を持っていて、今回の旅には国内の世界遺産を巡るという目的がありました。日本を一周する中で、日本にある25件の世界遺産のうち10件を訪ねました。これで、未訪問の世界遺産は残り4つです。
他にも、旅にノルマ的なものを課していて、「建築・グルメ・文化」のうち、2つを堪能したと思えたら、次の場所に移るというものでした。
今回の旅で思い出に残っている場所は、モバイルハウスを作ったら絶対に行きたいと思っていた石川県の千里浜です。千里浜なぎさドライブウェイは、日本で唯一、一般の自動車やバイクでも砂浜の波打ち際を走れる道路です。海に憧れ、「海と船」をモチーフにしたモバイルハウスを作ったからには、是非とも写真に納めたい場所でした。
ちなみに、石川県では、近江町市場の海鮮料理やターバンカレーを堪能して、兼六園や金沢21世紀美術館を訪ねました。
他にも、鹿児島県の桜島も印象に残る旅先でした。山梨で育ったため、山は見慣れていますが、山の形がまるで違っていて、ちょうど噴火していた桜島の雄大さが心に残っています。
旅の最中には、様々な人と出会い、繋がりもできました。
特に、広島を旅していた時には、モバイルハウスを作りたいと考えている長崎から来た人に話しかけられ、ちょうど卒業研究用に作っていた資料を渡したことから意気投合しました。「今度、長崎に来る時は案内するよ」と言われたことで、実際に訪ねてみました。
また、千葉を旅している時は、所属する研究室の今井教授から「私の実家に行っていいよ」と連絡があり、実際にお風呂を借り、ご飯をごちそうになりました。
鳥取で台風に遭った時は、体育館に開設された避難所に行きました。避難しているのは一人だけでした。1か月という長い間、1.3畳ほどのモバイルハウスで生活していたため、広い体育館で一人になり、不意に寂しさを覚えました。寝れずにいたら、避難所の管理人の方が話しかけてきてくれて、夜遅くまで旅の話を聞いてくれました。
モバイルハウスの後方に「日本一周」と看板を掲げていたので、行く先々で話しかけてもらいました。長野の道の駅で同じように旅をしている方から素麺をごちそうになったり、途中で寄ったコンビニのオーナーから差し入れをいただいたりした事もあります。追い越していったバイクの方に手を振られる等、人の優しさに触れることができた旅でした。
トラブルも数多くありました。一人旅だから何かあっても、自分で何とかするしかありません。佐賀の山を走っていた時に、エンジンオイルランプが点灯した上にガス欠になりかけていたところ、更にぬかるみでスタックした時は、山中に一人の状況に絶望して思わず叫びそうになりました(笑)。事前に、自動車部の友人から、オイルの入れ方やスタックした時の対処法を教えてもらっていたので何とかなりましたが、本当に怖かったです。
これからのモバイルハウス
いつかモバイルハウスで海外に行き、高校生の時に留学していたアメリカのテネシー州まで旅をして、ホストファミリーを驚かせるという野望を持っています。
モバイルハウスで旅をする中で、「モバイルハウスがあれば家はいらない」と考えるようになりました。先日、モバイルハウスを所有している人たちの集まりがありました。夫婦二人と犬一匹でモバイルハウスに暮らしている方と出会い、モバイルハウスの可能性を感じました。軽トラックだと居住空間は狭いですが、1トントラックや2トントラックの荷台であれば、居住空間も広くすることができます。
実は、旅が終わった今も、ほとんどアパートで寝ることはなく、最後にアパートで寝たのはいつか分からないくらい、モバイルハウスか研究室に寝泊まりする日々が続いています。
日本ではモバイルハウスはかなり珍しい車ですが、車幅以内、高さ2.5m以内、350㎏以内であれば、自分の好きなように作れます。荷台に居住空間を荷物として載せているだけなので、特に手続きも必要ありません。制約があるからこそ、作っていて面白いと感じていて、モバイルハウスをもっと広めたいと考えています。
旅とは「生きがい」です。小さい頃から安定が好きではなく、刺激を求めていて、何をしても結局、旅に繋がります。就職先は、全国に支店がある内装工事の会社から内定をもらいましたが、転勤についても全国色々なところで建築に関われるので、今から楽しみです。