―特別版②「理工系に必須の『伝えるすべ』」の続きです。 柳瀬博一先生(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 教授)を講師に招き、2022年11月24日に開催された教養教育センター特別講演会の内容を全4回にわたりお届けします。 「リベラル・アーツ」「教養」。普段、よく耳にする言葉ですが、その定義は実は曖昧です。柳瀬博一先生が講演の中で、『広辞苑』から参照していますが、やっぱり、「よく分からない」。人によって解釈や定義が異なりがちな「リベラル・アーツ」について、時に古代ギリシャまで遡り、時に自身の著作の事例を交えて、目まぐるしく変わる現代に必要な「リベラル・アーツ」について解き明かします。 第3回です。現代はスマホによって、誰もがメディアになれる時代になりました。そのメディアを構成する3つのレイヤー、そして理工系とリベラルアーツのつながりについて紹介します。 【教養教育センター特別講演会 開催概要】 日時:2022年11月24日(木)14:00~15:20 場所:ものつくり大学 大学本部 A3010大講義室 参加者:本学学生、高校生、一般、教職員 約220名 開催方法:オンライン・対面のハイブリッド 誰もがメディア化した さらに言うと、企業も大学もマスメディア化しています。インターネット革命の結果です。東工大のサイトも、もうメディア化を進めていますし、さらにコロナになって誰しもがメディア化するのが当たり前になりました。学生の皆さんも先生方も、Zoomや何かで授業を行ったり情報発信したりする。テレビに出ていることと何も変わらないのです。 誰もがマスメディア化したということです。実際にマスメディア化した個人をさらにテレビが放送する逆転現象まで出てきています。池上氏を撮るZoom講義をテレビ東京が来て取材するという、舞台裏の舞台裏を撮るみたいなことが現実に起きている。 池上氏のZoom講義を取材するテレビ東京 では、それを今起こしている道具は何か。テレビや新聞や雑誌ではない。スマホですね。スマホとネットがあれば誰でもマスメディアになれる。ユーチューブの情報発信、あるいはTikTok、ツイッターはスマホでできる。ネットにつなげれば、誰でもマスメディアになれるのです。 皆さんのお手元にあるスマホには、過去のメディアがすべて入っています。AbemaTVは典型ですけれども、NHKプラス、TVer、全局が何らかの形で行っています。ちなみに、これも日本が遅れています。世界中のテレビ局は、フルタイムをインターネットで見られます。 ラジオはRADIKOやラジオクラウドということで、こちらもほぼ聞けますよね。音楽はSPOTIFYがスタートでしたけれども、アマゾン、アップルなどでも聴ける。要するに、ほとんどすべての曲がもう今スマホで聴けます。 書籍はもちろん、アマゾンを筆頭に電子書籍で読めるし、ゲームも大半はアプリでできる。すべての新聞がアプリ化しています。唯一気を吐いているのは漫画です。小学館、講談社、集英社は去年、一昨年と過去最高収益です。漫画だけは電子のほうに移って、さらに知的財産コンテンツビジネスに変わった。『少年ジャンプ』(集英社)は、1996年に630万部が売れました。2022年の4月でもう129万部です。それだけ見ると、マーケットが激減したと思うのですが、漫画マーケットの売上げは、かつてのピークが4500億円、今は6000億円です。電子書籍も課金ができるようになった。まったく変わったのです。 しかも、ここからスピンアウトした漫画やアニメーションがNetflixやアマゾン・プライムで拡散していくので、知的財産ビジネスの売上が桁違いになっています。雑誌もDマガジンをはじめとして、ウェブになりました。 映画を含む新しい映像プラットフォームとしてNetflix、アマゾン・プライム、Hulu、U-NEXTなど実に多彩です。SNSは従来の手紙や独り言ですね。電話もできる。 メディアは理工系が9割 では、スマホは何か。ハードですね。ハードは本来科学技術の固まりです。 新しいメディアは、コンテンツが先に生まれるわけではない。新しいハードウェアとプラットフォームの誕生によって生まれてくるものです。 古い例で言えば、ラジオ受信機が誕生して初めて人々はラジオを聴けるようになった。ラジオ受信機がないと、ラジオを聴取する構造ができない。あるいはテレビ受像機が誕生して初めてテレビを視聴できるようになった。 ソニーで言うと、携帯カセットテープレコーダーというマーケットはなかった。ウォークマンが先です。概念を具体化することが大切で、マーケットは後からできる。その順番がしばしば勘違いされています。常に具体的なピンポイントの製品からマーケットは広がっている。 同じようにスマホが登場して初めてネットコンテンツをどこでも見られる構造ができる。概念が先ではないのです。具体的なハードウェアが先に誕生したからです。 マーケットを変えるのは常に製品、すなわち、ものづくりです。この大学の名前のとおり、ものづくりがマーケットのゲームチェンジを常時行います。 むしろ、ここ20数年間のものづくりの世界は、決定的に外部化、すなわちアウトソースするパターンが増えました。アップルは自社でほとんど作っていない。アパレル業界に近いのです。ナイキやオンワード樫山、あるいはコム・デ・ギャルソンは自社で製品は作らない。つくっているのは概念です。概念をつくって、設計図を渡して、ものづくりは協力工場に発注しています。トヨタ自動車をはじめ、メーカーは今それを相当行っている。自社でつくっているのはごくわずかです。 例えば、アップルがワールドエクスポでiPhoneの発売を発表したのは2007年です。まだ14~15年しかたっていない。ソフトバンクの孫正義社長が頼み込んで、2008年、iPhone3G、KDDIが入ったのは、東日本大震災「3・11」の後のことでした。2011年10月です。だから、3・11が起きたときは、スマホはまだ誰も持っていなかった。あのとき、さまざまな映像が飛び交いましたけれども、携帯電話によってでした。ユーチューブではなく、ほとんどはユーストリームです。 だから、今のスマホ、ユーチューブの世界はだいぶ前からあるように錯覚していますが、まだ10年もたっていない。最近といってよいのです。ドコモが参入してからまだ10年もたっていない。 では、何がゲームチェンジャーになったか。ドコモ、KDDIもソフトバンクも関係ない。アップルです。アップルがiPhoneという概念を製造して、形にして爆発的に普及させた。グーグルなどが追随して、ギャラクシーなどのスマホを作った。だから、マーケットのほうが製品より後です。これも勘違いされています。順番から言ってiPhoneが先でスマホが後です。 情報生態圏の基盤 メディアは、次の3つのレイヤーからできています。 ハードウェア、コンテンツ、プラットフォームです。ハードウェアは再生装置です。コンテンツは番組その他、プラットフォームは、コンテンツのデリバリー・システムです。この3つがメディアの情報生態系の基本なのです。 ラジオの場合は、ハードウェアはラジオ受信機ですね。コンテンツはラジオ番組です。プラットフォームは放送技術、放送局の仕組みです。テレビも同様ですね。テレビ受像機に替わるだけです。 新聞の場合は、紙の束がハードウェアです。コンテンツは記者の書く記事、プラットフォームは新聞印刷と宅配の流通システムです。だから、ある意味で新聞は究極の製造業です。ほとんどを自社で行っている。 出版社は、ハードウェアは書籍や雑誌の紙の束、コンテンツは記事、小説、テキストです。プラットフォームは出版流通と印刷になります。レイヤー構造から読み解くと、出版と新聞は似て非なるものです。メディアで自社が何も行っていないのは出版です。出版はアイデア・ビジネスなのです。 ゲーム、ハードウェアはゲームソフトとゲームプレイヤーです。プラットフォームは個々のゲーム規格ですね。ゲーム規格によって再生できるゲームが違います。それを行っているのは任天堂、あるいはマイクロソフトのXボックスなどを想起するとよい。 究極にわかりやすいのが、聖書です。聖書は紀元前1400年前です。今から3400年前に「十戒」ができる。このときは粘土板なわけです。粘土板に「十戒」が刻まれている。この場合コンテンツは「十戒」ですけれども、プラットフォームは当時生まれたばかりの文字、ハードウェアは粘土板ですね。「死海文書」になると、羊皮紙にきれいな手書きとなる。ということは、コンテンツは同じです。ハードウェアは羊皮紙、プラットフォームは羊皮紙を作る技術です。 さらに15世紀のグーテンベルグの活版印刷になります。一気に聖書がベストセラーになります。ハードウェアは紙の束になります。コンテンツは同じ聖書です。プラットフォームは活版印刷工房です。それが500年たつと、世界最大のベストセラーになる。 これが電子版に変わるとどうなるか。ハードウェアはキンドルやスマホになる。聖書のコンテンツは変わりません。プラットフォームはキンドルの規格であるインターネットです。スマホになると、今度はアプリになります。ハードウェアはスマホです。この場合もコンテンツは変わらない。プラットフォームはアップル、グーグルのApp storeになったとしても、聖書の中身は変わらないのです。変わっているのはプラットフォームとハードウェアです。 今見ていてもわかりますが、メディアのハードウェアとプラットフォームは、科学と技術の進歩で変わるものです。特にインターネットの時代になって、ハードウェアが一気に進化していきます。ということは、ハードウェアの変化が新しいメディアです。けれどもコンテンツはほとんど変わっていない。優良なコンテンツは、ハードウェアとプラットフォームが変わるごとに、中身を変えずに少しずつ表現を変えているだけで、本質的には変わっていないのです。 結局、どういうことか。前者のハードウェア制作は理工系の仕事なのです。後者のコンテンツは伝えるわざだから、リベラルアーツの産物ということです。これは理工系、文系ではない。ここには理工系、文系、アートなどのあらゆる知識が入っている。 ―特別版④「16号線の正体とリベラルアーツの本質」に続きます。 Profile 柳瀬 博一(やなせ・ひろいち) 1964年静岡県生まれ。東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。雑誌「日経ビジネス」の記者、専門誌の編集や新媒体開発などに携わった後、出版局にて『小倉昌男 経営学』『矢沢永吉 アー・ユー・ハッピー』『養老孟司 デジタル昆虫図鑑』『赤瀬川源平&山下裕二 日本美術応援団』『社長失格』『流行人類学クロニクル』など書籍の編集を行う。2018年4月より現職。著書に『国道16号線』(新潮社)、『親父の納棺』(幻冬舎)、共著に『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』(小林弘人と共著 晶文社)、『「奇跡の自然」の守りかた』(岸由二と共著 ちくまプリマ―新書)、『混ぜる教育』(崎谷実穂と共著 日経BP社)。 関連リンク 教養教育センターWEBページ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」①~東京工業大学のリベラルアーツ~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」②~理工系に必須の「伝えるすべ」~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」④(全4回)~16号線の正体とリベラルアーツの本質~
―特別版①「東京工業大学のリベラルアーツ」の続きです。柳瀬博一先生(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 教授)を講師に招き、2022年11月24日に開催された教養教育センター特別講演会の内容を全4回にわたりお届けします。「リベラル・アーツ」「教養」。普段、よく耳にする言葉ですが、その定義は実は曖昧です。柳瀬博一先生が講演の中で、『広辞苑』から参照していますが、やっぱり、「よく分からない」。人によって解釈や定義が異なりがちな「リベラル・アーツ」について、時に古代ギリシャまで遡り、時に自身の著作の事例を交えて、目まぐるしく変わる現代に必要な「リベラル・アーツ」について解き明かします。第2回は、日本の大学、とりわけ理工系が抱える課題である女子率の低さに始まり、リベラルアーツの源流、そして、リベラルアーツとは何であるか紐解いていきます。【教養教育センター特別講演会 開催概要】日時:2022年11月24日(木)14:00~15:20場所:ものつくり大学 大学本部 A3010大講義室参加者:本学学生、高校生、一般、教職員 約220名開催方法:オンライン・対面のハイブリッド 女子率の低さという問題 日本はトップ大学の女子比率が低いままです。とりわけ理工系は低い。東工大も例外ではありません。世界的でもまれに見るひどい状態です。大学教育がまだ途上にある事実を示している。 誰しもが危機感を抱くべきなのですが、日本の高学歴学生たちもそれが問題とは認識していない。これは日本のどこへ行っても変わりません。 日本がどのくらい遅れているか。データを見ると明らかです。 東京大学でたった19.3%です。京都大学22.5%、一橋大学で28.4%です。これらの数字を見るとおおよそわかりますね。早稲田大学、慶應義塾大学もともに4割に達していません。 では、世界はどうか。世界の大学ランキングを見ると、女子の比率はオックスフォード大学で47%、カリフォルニア工科大学36%、ハーバード大学もほぼ1対1です。スタンフォード大学は46%、ケンブリッジ大学は47%、ほとんど1対1です。MIT(マサチューセッツ工科大学)も4対6です。MITは2000年代に学長と経済学部長がそれぞれ女性でした。プリンストン大学は47%です。UCバークレーは女性が多い。イェール大学も同様です。 興味深いのはジョンズ・ホプキンス大学ですね。世界最高峰の医学部を持つ大学です。女性のほうが多い。ペンシルバニア大学は世界最高峰のMBAを持つ大学です。スイスのETHですら、3割は女子です。北京大学、清華大学も同様です。 こうして見ると、女子比率は、コーネル大学、シンガポール国立大学いずれも、1対1です。デューク大学も女子のほうが多い。 日本の問題がおわかりと思います。東大も京大も東工大も入っていない。問題は深刻です。人口における男女比率は1対1です。男性と女性に生まれついての知的能力差はありません。男性の方が理工系に向いているというのも嘘であることが数多くのデータから証明されております。あらゆる日本の大学がこの異様に低い女子比率を変えなければいけません。東工大では今女性が増える戦略を取り始めています。ご期待ください。 リベラルアーツとは「伝えるすべ」である リベラルアーツ教育についてお話しします。大学に加わって改めて感じたのは、リベラルアーツ、あるいは教養については、案外定義がきっちりしていない、ということでした。 『広辞苑』(岩波書店)に載っている「リベラルアーツ」の定義を参照しましょう。 「教養、教え育てること、社会人にとって必要な広い文化的な知識、単なる知識ではなくて、人間がその素質を精神的・全人的に開化・発展させるために学び養われる学問や芸術」とある。 よくわからない定義です。 リベラルアーツとは、「職業や専門に直接結びつかない教養。大学における一般教養」、こう書いてあるわけですね。これらは、日本の現実を表現しています。要するに、般教(パンキョー)がリベラルアーツだと信じ込まされてきた。 考えてみてください。文科系大学に進むと、生物学や数学や物理学、一般教養として履修しますね。東工大のような理科系大学に行くと、政治学、経済学、哲学、文学は一般教養になる。ということは、学問分野と教養教育、リベラルアーツ教育とは、関係がないことになる。先の『広辞苑』の設定が近い。だから大学生からすると、専門に移るまでにぬるく教わるクイズ的知識みたいなものを何となく教養と思っている。クイズ番組が教養番組として流れているのは、逆に言うとマーケットの認識を正確に反映しているということです。 こういうときは、源流を紐解いてみるのがよい。リベラルアーツの由来は何なのか。 リベラルアーツとは、古代ギリシャの「自由七科」が源流です。2種類あります。言語系3つ、文法・弁証法、あるいは論理学、さらに修辞学です。数学系では4つ、算術・幾何学・音楽・天文学です。リベラルアーツは「アルテス・リベラレス」ですね。 もともと紀元前8年、ポリス(都市国家)が古代ギリシャに生まれたときに、自由市民と奴隷に分かれていました。その頃の奴隷とは、現場仕事に従事する人々です。それぞれの必須知識がパイデイアとテクネーです。学ぶことが違う。パイデイアは、どちらかというと教養のイメージ、テクネーは実学です。 理由の一つは、ギリシャの弁論家イソクラテスが修辞学校をつくったことにあります。その頃は、演説が重視されていた時代だったので、弁舌を磨くための学校ができたわけです。それが修辞学です。さらに、演説のときは比喩を使いこなす必要がありました。古典を見栄えよく用いなければならない。そこで文法を教え、さらに演説で説得力ある美しい論理展開のために弁証法を学ぶ。その段でいくと、弁論術の一環として、先の語学系教育の基盤ができた。アルテス・リベラレスの言語系三科はこれらにあたるわけです。 では、数学系はどうか。かの哲人プラトンです。プラトンがアカデメイアをつくる。イソクラテスとは対照的に、世界は法則に満ちていると言ったのがプラトンですね。そこで、プラトンは算術、幾何学、そして世界の音を分割して数字で表す音楽、そして、地球から見る世界のことわりを探求する天文学です。 イソクラテスとプラトンは互いに反目し合っていたのですけれども、その後、セットにして教えるのがふさわしいということで、ローマ時代になって7科の原形ができる。クアドリウィウム、算術・音楽・幾何学・天文学を四科でクリドル、4つです。文法・修辞学・弁証法を三学、トリウィウムですから3つですね。 上級学校は3つありました。神学部、要は聖職者養成です。ローマ・カトリックが強大な力を持っていたためです。次に法律、政治家養成ですね。そして医学、内科医。まさに教養課程として7科、リベラルアーツの7学科があったということです。 ではこのリベラルアーツ7科とはなんでしょうか。実は全て「伝えるすべ」なんです。 イソクラテスの方は、言葉、物語です。文系的な「伝えるすべ」ですね。すなわち、いかに物語の構造で人に世界をわかりやすく伝えるかに関わっている。 プラトンの方は、数学です。理工系的な「伝えるすべ」です。算術、幾何学、音楽、天文学を使って、やはり人にわかりやすく、論理的に世界を伝える。文系、理工系のそれぞれの方法を使った「伝えるすべ」がリベラルアーツと呼んでいたということになります。つまり「伝える力」、すなわちメディア力です。 メディア力こそが教養の根幹である。池上彰氏や出口治明氏(APU(立命館大学アジア太平洋大学)学長)の本がよく読まれています。これらはお手軽に見えますが、実はそうではない。あの2人の取組みがリベラルアーツの本質を構成している。 一人ではわからないことを、まさに物語と論理で教えてくれているからです。だから、専門家はリベラルアーツの能力を持ち、わかりにくいことを伝えるすべを持つことが必要で、教養とは伝える力にかかっているのです。 理工系はメディアの当事者 そこでメディア論です。私は東工大でメディア論を教えています。 まず、理工系出身者はメディアの当事者であると伝えます。 というのも、理工系出身者が今ますますジャーナリズムの担い手になっている。そもそもメディア仕事は8割が理工系の仕事です。だから、理工系の学生にとって、メディアについて学ぶことは、伝える力、リベラルアーツそのものであり、同時に本業と心得るべきです。これが意外と認識されていません。 では、なぜ当事者なのでしょうか。 大隅良典先生は東工大の教授です。2016年10月のノーベル賞学者です。大隅先生がノーベル賞を受賞したとき、東工大のすずかけ台キャンパスで記者会見が行われています。まさに、メディアの当事者ということだ。まさにリベラルアーツが要求されるわけです。世界の誰よりも詳しい知識を、誰にでもわかりやすく説明することが期待されているからです。 私が徹底的に教えているのは、情報発信の仕方に関わっています。「伝える力」としてのリベラルアーツは理工系の研究者にとって必須の道具です。なぜなら、論文を執筆する、学会発表を行う、研究室でプレゼンする、あるいは経営会議に入って理工系のことがわからない投資家に資金を拠出してもらう、新製品を記者会見でレクチャーする、いずれも説明がきちんとできないと話にならない。すべてメディア当事者の仕事なのです。 さらに言うと、メディア・ジャーナリズムの取材対象としては、好むと好まざるとにかかわらず、アサインされる事案は理工系の人ほど多いのです。研究失敗の記者会見、工場の事故の説明、会社の研究・技術関係の不祥事。典型は福島の原発事故でしたね。東京電力福島第一原子力発電所所長の吉田昌郎氏は東工大の出身者ですが、吉田氏の伝える力が現場を救った。 現下のコロナなどはさらに典型と言ってよい。例えば西浦博氏(北海道大学教授)は、「8割おじさん」で知られますが、「8割」というわかりやすいキャッチコピーで、集団の公衆感染問題を相当に回避できた。マスク着用や人との接触を8割減らすと、指数関数的に感染を減少させられると指摘した。背景には複雑な計算が存在しつつも、キャッチコピーとして「8割」を使ったわけです。天才的な伝える力です。 このような人々は、科学と技術をよく理解した上で、しかもわかりやすく、受け手に目線を合わせて、根気強く伝えた。日本のコロナ対策はいろいろ言われていますけれども、最終的に感染者数・死者数の圧倒的には少なさは紛れもない事実です。専門家がジャーナリストになってくれたおかげです。 理工系の出身者はジャーナリズムにとって必須の存在になっています。というのは、時代の変革期は、テクノロジーの変革期であり、テクノロジーを誰にでもわかるように説明できるかどうかが重大な意味を持つためです。文系出身者がそれを行うのは相当に困難です。理工系出身者がリベラルアーツ力を生かしてメディアになってもらわなければ世の中が困ります。 ―特別版③「ものづくりがマーケットを変える」に続きます。 Profile 柳瀬 博一(やなせ・ひろいち) 1964年静岡県生まれ。東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。雑誌「日経ビジネス」の記者、専門誌の編集や新媒体開発などに携わった後、出版局にて『小倉昌男 経営学』『矢沢永吉 アー・ユー・ハッピー』『養老孟司 デジタル昆虫図鑑』『赤瀬川源平&山下裕二 日本美術応援団』『社長失格』『流行人類学クロニクル』など書籍の編集を行う。2018年4月より現職。著書に『国道16号線』(新潮社)、『親父の納棺』(幻冬舎)、共著に『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』(小林弘人と共著 晶文社)、『「奇跡の自然」の守りかた』(岸由二と共著 ちくまプリマ―新書)、『混ぜる教育』(崎谷実穂と共著 日経BP社)。 関連リンク 教養教育センターWEBページ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」①~東京工業大学のリベラルアーツ~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」③(全4回)~ものづくりがマーケットを変える~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」④(全4回)~16号線の正体とリベラルアーツの本質~
柳瀬博一先生(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 教授)を講師に招き、2022年11月24日に開催された教養教育センター特別講演会の内容を全4回にわたりお届けします。「リベラル・アーツ」「教養」。普段、よく耳にする言葉ですが、その定義は実は曖昧です。柳瀬博一先生が講演の中で、『広辞苑』から参照していますが、やっぱり、「よく分からない」。人によって解釈や定義が異なりがちな「リベラル・アーツ」について、時に古代ギリシャまで遡り、時に自身の著作の事例を交えて、目まぐるしく変わる現代に必要な「リベラル・アーツ」について解き明かします。第1回は、柳瀬博一先生が在籍する東京工業大学のリベラルアーツ教育の歴史、特徴的なカリキュラムについて紹介します。【教養教育センター特別講演会 開催概要】日時:2022年11月24日(木)14:00~15:20場所:ものつくり大学 大学本部 A3010大講義室参加者:本学学生、高校生、一般、教職員 約220名開催方法:オンライン・対面のハイブリッド 東京工業大学のリベラルアーツ教育 私が現在在籍する東京工業大学は、リベラルアーツ研究教育院を2016年から開設しています。国立大学でリベラルアーツを冠に持つ学部・学院は、東工大が初めてかもしれません。 私は日経BP社という出版社で、記者、編集者、プロデューサーの業務に携わってきました。メディアの現場に身を置いてきました。その私がご縁がありまして、2018年から東工大のリベラルアーツ研究教育院に参加することになりました。現在は、テクノロジーとメディアの関わりあいについて、学生たちに教えております。 まず、東工大がどのような教養教育を行っているのか、大きな特徴は、教養教育を1年生から修士、博士課程で一貫して行うこと。大学の教養課程って、普通1年生2年生でおしまいですよね。東工大は学部4年、修士2年、さらに博士課程でもリベラルアーツ教育を施しています。 改革以前から、東工大はリベラルアーツ教育ではしかるべき定評を得てきた大学です。特に戦後新制において、東京大学をしのぐほどに進んでいるとされた時代がありました。そのときは小説家の伊藤整、KJ法で著名な川喜田二郎など日本のリベラルアーツの牽引者となる人たちが教鞭をとっていました。比較的近年では文学者の江藤淳氏がその列に加わります。 1990年代、大学の実学志向が強くなったときに、教養教育部門は、あらゆる大学で細っていった。その反省もあって、2000年代から再び大学の教養教育を見直す趨勢の中で、リベラルアーツ教育復権の旗印のもと東工大が目指したのは、いわゆるくさび形教育、教養教育を必須とする授業構成になります。 そのために、環境・社会理工学院をはじめさまざまな「縦軸」の大学院と学部をセットにした学院が設立され、他方で「横軸」だったリベラルアーツ研究教育院を組織として独立させた。現在60数名の教員が在籍しています。 もう一つ興味深いのが、東工大は理工系の大学ながらも、学部生が、リベラルアーツ研究教育院の教員のもとで研究を行う道が用意されています。大学院では、社会・人間科学コースが設置されており、人文科学系の学生が多く在籍しています。他大学や海外から進学してくる人もいれば、社会人入学の方、そして学部時代は東工大で理系だった学生もいます。私のゼミも昨年度の学生は東工大の内部進学者でした。情報工学を学んだあと、2年間みっちりテクノロジーとメディアの革新について素晴らしい修士論文を書き上げて、修了しました。最近、サントリー学芸賞を取った卒業生も、この大学院からは出ております。東工大というと理工系のイメージが強く、事実理工系の大学なのですけれども、リベラルアーツからも専門家も育っています。 先鞭をつけた池上彰氏 東工大がリベラルアーツ教育を復権させようと考えたのは2010年代初頭からとなります。このときに基盤を固められたのが哲学の桑子敏雄名誉教授、そして2022年春までリベラルアーツ研究教育院初代学院長を務められた上田紀行教授でした。その折に、大学の目玉になる先生を呼ぼうと考えた。しかも、純粋なアカデミシャンではなくて、リベラルアーツを広く豊かに教えられる外部の先生を呼ぼうということになったのです。白羽の矢が立ったのは池上彰氏でした。 リベラルアーツ研究教育院では、大学入学と同時に全学生が「立志プロジェクト」を受講します。2019年までは、大講堂で池上彰さんや外部から招いた専門家が講義を行いました。ここ3年はコロナ禍に対応して、動画配信で対応しています。これまでに劇作家の平田オリザ氏、水俣病のセンターの当事者の方など多彩な方が壇上に上がり講義を行っています。 次の週は、大学としては珍しいことですが、クラスを作るのです。27~28人を40組、リベラルアーツの先生全員が担任を持ちます。グループワークを行って、登壇者の話を批評的に論じるのです。グループワークでは自己紹介を行い、互いの人となりを知った上で、授業のサマリーをまとめて発表する。計5回繰り返し、最終的にこの大学で何を学びたいのか、つまり「志」を提出してもらい、まとめて発表する。大切なのは、必ず発表を伴うものとすることです。これが立志プロジェクトの「少人数クラス」の基本進行デザインです。 しかし、これで終わりではありません。3年生の秋には「教養卒論」の授業があります。普通、3年生になったら専門課程に進んで、教養科目の授業はおしまい、という大学が多いと思います。東工大は3年生全員が秋冬の15回の授業で、自分のこれから進む分野や興味と3年間で身につけた教養を掛け算して1万字の「教養卒論」を書いてもらうのです。最終的に優れた論文は表彰します。翌年夏には教養卒論の発表会を大講堂で行います。相当数の学生が集まります。見栄えのするパワポを準備して、本気で発表に臨む。 教授陣の紹介サイト それともう一つ、私が東工大に移籍して取り組んだしごとについてもお話しておきましょう。それは大学の教授陣の紹介サイトをつくることでした。日本の大学は公式の教員プロフィールが一覧で見られるサイトがあまりないんです。これは私がメディアにいた頃から、疑問に思っていたことでした。企業もIR関連情報のところに役員の詳しいプロフィールが載っていないことがあります。企業のIRで重要なのは、経営陣の顔が出ていること、人柄がわかること、活動内容がクリアであることです。つまり、経営陣自体がコンテンツになっていなければならない。 では、大学はどうか。大学における最大の財産は―最終的には学生ですけれども―入学時においては教授陣ですね。メディア出身の特技を生かして東工大のリベラルアーツ研究教育院のインタビューサイトをつくりました。インタビューも私が行っています。 全ての先生方を平等に見せるように心がけました。先生方の研究内容、教育の取組み等々、いわば小さな「私の履歴書」のようなサイトを一覧で見られるようにした。これは好評でした。実際に外部の方々が東工大の先生にアプローチしたい、インタビューしたい、相談に乗ってほしいというとき、有効に活用していただいています。 ―特別版②「理工系に必須の『伝えるすべ』」に続きます。 Profile 柳瀬 博一(やなせ・ひろいち) 1964年静岡県生まれ。東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。雑誌「日経ビジネス」の記者、専門誌の編集や新媒体開発などに携わった後、出版局にて『小倉昌男 経営学』『矢沢永吉 アー・ユー・ハッピー』『養老孟司 デジタル昆虫図鑑』『赤瀬川源平&山下裕二 日本美術応援団』『社長失格』『流行人類学クロニクル』など書籍の編集を行う。2018年4月より現職。著書に『国道16号線』(新潮社)、『親父の納棺』(幻冬舎)、共著に『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』(小林弘人と共著 晶文社)、『「奇跡の自然」の守りかた』(岸由二と共著 ちくまプリマ―新書)、『混ぜる教育』(崎谷実穂と共著 日経BP社)。 関連リンク 教養教育センターWEBページ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」②(全4回)~理工系に必須の「伝えるすべ」~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」③(全4回)~ものづくりがマーケットを変える~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」④(全4回)~16号線の正体とリベラルアーツの本質~
JR高崎線・吹上駅からものつくり大学(行田市)に至る開けた田野の中ほどに「真摯さの道」がある。上越新幹線の高架へと続く200メートルほどの農道である。ことに夕景は美しく、清明な上州の山並み、時に富士の高嶺さえ仰ぐことができる。 JR吹上駅からものつくり大学に至る「真摯さの道」(筆者撮影) そこはマネジメントの父・ドラッカーの翻訳者で日本での分身ともされた、今は亡き上田惇生先生(ものつくり大学名誉教授)が、integrityの訳語を想起した道である。上田先生は若き日俳句に親しんだ人でもあり、一つの語彙が浮かぶのを忍耐強く待ち続け、ついに大学からの帰路、この道で「真摯さ」を呼び寄せたのだった。 ドラッカー(左)と上田惇生名誉教授(右) 生前の上田先生とこの道を歩いたことがある。心の内で生きる諄朴な日本の原風景そのままであり、原語の熱源を不思議なほど直にとらえることができた。 ドラッカーの遺産 現在世界はコロナ禍に際して、新しく文明社会を始めなければならないほどの分水嶺《ぶんすいれい》に立たされている。その点で、晩年のドラッカーが「テクノロジスト」というコンセプトを残してくれたのは、とりわけ日本人にとってかけがえのない遺産であった。 テクノロジストとは巧みにものを作る人というのみではない。ものを作るとは、言うまでもなく高度な精神によって統合された仕事である。ものづくりを外側から眺めると一つの行動だが、その実相は一人ひとりの内面で営まれている。 昨今DX(デジタルトランスフォーメーション)やAI(人工知能)が大流行である。だが、高度に組織化された情報も、最終的に実行するのも人間なら、享受するのも人間である。いや、かえってテクノロジーの進展するほどに、人間の存在感は増していくはずである。 教養あるテクノロジストのために 本年度新設されたものつくり大学教養教育センターは、テクノロジストのための教養教育を掲げている。教養というと書物が想起されるが、そればかりではない。それは徹底した知と行の合一の道である。そうであるならば、手早く片付けてしまうわけにはいかない、一生を賭けた大事業となるだろう。 ドラッカーはテクノロジストのもつべき一種の社会的知性としても、「真摯さ」を重視していた。その証拠に、彼は頭脳の明晰さよりも、真摯さの方を重く見て、個が現実社会を生き抜いていく上でよほどあてになると述べている。それは、生きるという根底的な理由と結ばれた精神的王道でもあったことに思いが至る。 Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学教養教育センター教授 1972年、埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、社会情報学。 関連リンク 教養教育センターWEBページ
「D2C」の潮流 皆さんは「D2C」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?「D2C」とは「Direct to Consumer」(消費者に直接届ける)の略で、米国を中心に流行が始まっている新しい製品の販売、消費の動向です。「D2C」ブランドの特徴は原則小売店を介さずに、製造者が自社のwebサイトから直接消費者に販売する形態にあります。 「D2C」を代表するブランドとしては寝具の「Casper」、眼鏡の「Warby Parker」、日本でも若い世代を中心に支持を集めている、スニーカーの「Allbirds」などが挙げられます。 ではこれらの製品ジャンルは既に多くの製造者が古くから製品を供給しているにも関わらず、なぜこうした新興のブランドが誕生し消費者の支持を集めているのでしょうか。その背景にあるのはSNSの存在とサスティナビリティ(持続可能性)意識の普及にあると考えられます。 「Instagram」などのSNSの普及は、自分の持ち物を世界中の多くの人に見てもらう機会を生み出しました。それに従い、高価なものを自慢するのではなく「自分らしい」ものを選びたいというニーズ、そしてものを買うからにはそれを選んだ「確かな理由付け」が欲しいというニーズが消費者から求められるようになりました。 それに対し、例えば前述の「Warby Parker」は無償で5日間、5種類の試着用眼鏡を消費者の自宅に送付し、消費者はそれを試着してSNSに投稿し、その反応を見て自分に似合う眼鏡を選ぶ。といった新しい消費のスタイルを生み出しました。 そして「Allbirds」のスニーカーは、製品の製造から廃棄されるまでのCO2排出量を製品毎に公表し、消費者が出来るだけ環境負荷の少ない製品を選択できる仕組みを作っています。製品を購入し消費する以上、地球環境に対して何らかの悪影響を与えることは避けられませんが、このサスティナビリティに出来るだけ配慮してものづくりを行う企業姿勢が、環境意識に敏感な若い世代の支持を集めている理由であるといって良いでしょう。 こうしたD2Cの流行から考えられることは、消費者向けの製品開発は「小品種、大量生産」から「中品種、中量生産」、さらに「多品種、少量生産」の潮流へ向かっているということです。 これからの「ものづくり」教育 ではこの潮流に対して「ものづくり」教育はどのように応えていくべきでしょうか。「多品種、少量生産」の製品開発のためには、消費者個々のニーズを汲み取り、それをデザインに落とし込むユーザーリサーチ技術の研究や、サスティナビリティに配慮した素材を活用したデザインの研究が必要です。また少量生産に適した新しい生産プロセスの研究、あるいは手作りのプロセスによるものづくりの復権が考えられます。 従来「理系は人間の行動に対する想像力が弱く、文系は科学技術の進歩に対する理解力が足りない」と言われてきました。しかしこれからのものづくりに求められるのは、文理の枠を超えて消費者の行動、ニーズを理解した上で、最新の科学技術の進歩を享受した製品開発が出来るクロスオーバー型の人材であると言えるでしょう。ものつくり大学では2022年度より「教養教育センター」を設立し、従来の強みを活かしつつ分野をクロスオーバーする知を身につけた人材育成を目指しています。D2C時代のものづくりを切り拓く本学の教育展開にご期待ください。 埼玉新聞「ものつくり大学発 知・技の創造」(2022年10月7日号)掲載 Profile 町田 由徳 (まちだ よしのり) 教養教育センター・情報メカトロニクス学科 准教授 東京造形大学デザイン学科卒業後、デザイン事務所勤務、岡崎女子短期大学准教授等を経て、2020年より現職。専門はプロダクトデザイン。 関連リンク 教養教育センターWEBページ 情報メカトロニクス学科WEBページ
―特別版②「理工系に必須の『伝えるすべ』」の続きです。 柳瀬博一先生(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 教授)を講師に招き、2022年11月24日に開催された教養教育センター特別講演会の内容を全4回にわたりお届けします。 「リベラル・アーツ」「教養」。普段、よく耳にする言葉ですが、その定義は実は曖昧です。柳瀬博一先生が講演の中で、『広辞苑』から参照していますが、やっぱり、「よく分からない」。人によって解釈や定義が異なりがちな「リベラル・アーツ」について、時に古代ギリシャまで遡り、時に自身の著作の事例を交えて、目まぐるしく変わる現代に必要な「リベラル・アーツ」について解き明かします。 第3回です。現代はスマホによって、誰もがメディアになれる時代になりました。そのメディアを構成する3つのレイヤー、そして理工系とリベラルアーツのつながりについて紹介します。 【教養教育センター特別講演会 開催概要】 日時:2022年11月24日(木)14:00~15:20 場所:ものつくり大学 大学本部 A3010大講義室 参加者:本学学生、高校生、一般、教職員 約220名 開催方法:オンライン・対面のハイブリッド 誰もがメディア化した さらに言うと、企業も大学もマスメディア化しています。インターネット革命の結果です。東工大のサイトも、もうメディア化を進めていますし、さらにコロナになって誰しもがメディア化するのが当たり前になりました。学生の皆さんも先生方も、Zoomや何かで授業を行ったり情報発信したりする。テレビに出ていることと何も変わらないのです。 誰もがマスメディア化したということです。実際にマスメディア化した個人をさらにテレビが放送する逆転現象まで出てきています。池上氏を撮るZoom講義をテレビ東京が来て取材するという、舞台裏の舞台裏を撮るみたいなことが現実に起きている。 池上氏のZoom講義を取材するテレビ東京 では、それを今起こしている道具は何か。テレビや新聞や雑誌ではない。スマホですね。スマホとネットがあれば誰でもマスメディアになれる。ユーチューブの情報発信、あるいはTikTok、ツイッターはスマホでできる。ネットにつなげれば、誰でもマスメディアになれるのです。 皆さんのお手元にあるスマホには、過去のメディアがすべて入っています。AbemaTVは典型ですけれども、NHKプラス、TVer、全局が何らかの形で行っています。ちなみに、これも日本が遅れています。世界中のテレビ局は、フルタイムをインターネットで見られます。 ラジオはRADIKOやラジオクラウドということで、こちらもほぼ聞けますよね。音楽はSPOTIFYがスタートでしたけれども、アマゾン、アップルなどでも聴ける。要するに、ほとんどすべての曲がもう今スマホで聴けます。 書籍はもちろん、アマゾンを筆頭に電子書籍で読めるし、ゲームも大半はアプリでできる。すべての新聞がアプリ化しています。唯一気を吐いているのは漫画です。小学館、講談社、集英社は去年、一昨年と過去最高収益です。漫画だけは電子のほうに移って、さらに知的財産コンテンツビジネスに変わった。『少年ジャンプ』(集英社)は、1996年に630万部が売れました。2022年の4月でもう129万部です。それだけ見ると、マーケットが激減したと思うのですが、漫画マーケットの売上げは、かつてのピークが4500億円、今は6000億円です。電子書籍も課金ができるようになった。まったく変わったのです。 しかも、ここからスピンアウトした漫画やアニメーションがNetflixやアマゾン・プライムで拡散していくので、知的財産ビジネスの売上が桁違いになっています。雑誌もDマガジンをはじめとして、ウェブになりました。 映画を含む新しい映像プラットフォームとしてNetflix、アマゾン・プライム、Hulu、U-NEXTなど実に多彩です。SNSは従来の手紙や独り言ですね。電話もできる。 メディアは理工系が9割 では、スマホは何か。ハードですね。ハードは本来科学技術の固まりです。 新しいメディアは、コンテンツが先に生まれるわけではない。新しいハードウェアとプラットフォームの誕生によって生まれてくるものです。 古い例で言えば、ラジオ受信機が誕生して初めて人々はラジオを聴けるようになった。ラジオ受信機がないと、ラジオを聴取する構造ができない。あるいはテレビ受像機が誕生して初めてテレビを視聴できるようになった。 ソニーで言うと、携帯カセットテープレコーダーというマーケットはなかった。ウォークマンが先です。概念を具体化することが大切で、マーケットは後からできる。その順番がしばしば勘違いされています。常に具体的なピンポイントの製品からマーケットは広がっている。 同じようにスマホが登場して初めてネットコンテンツをどこでも見られる構造ができる。概念が先ではないのです。具体的なハードウェアが先に誕生したからです。 マーケットを変えるのは常に製品、すなわち、ものづくりです。この大学の名前のとおり、ものづくりがマーケットのゲームチェンジを常時行います。 むしろ、ここ20数年間のものづくりの世界は、決定的に外部化、すなわちアウトソースするパターンが増えました。アップルは自社でほとんど作っていない。アパレル業界に近いのです。ナイキやオンワード樫山、あるいはコム・デ・ギャルソンは自社で製品は作らない。つくっているのは概念です。概念をつくって、設計図を渡して、ものづくりは協力工場に発注しています。トヨタ自動車をはじめ、メーカーは今それを相当行っている。自社でつくっているのはごくわずかです。 例えば、アップルがワールドエクスポでiPhoneの発売を発表したのは2007年です。まだ14~15年しかたっていない。ソフトバンクの孫正義社長が頼み込んで、2008年、iPhone3G、KDDIが入ったのは、東日本大震災「3・11」の後のことでした。2011年10月です。だから、3・11が起きたときは、スマホはまだ誰も持っていなかった。あのとき、さまざまな映像が飛び交いましたけれども、携帯電話によってでした。ユーチューブではなく、ほとんどはユーストリームです。 だから、今のスマホ、ユーチューブの世界はだいぶ前からあるように錯覚していますが、まだ10年もたっていない。最近といってよいのです。ドコモが参入してからまだ10年もたっていない。 では、何がゲームチェンジャーになったか。ドコモ、KDDIもソフトバンクも関係ない。アップルです。アップルがiPhoneという概念を製造して、形にして爆発的に普及させた。グーグルなどが追随して、ギャラクシーなどのスマホを作った。だから、マーケットのほうが製品より後です。これも勘違いされています。順番から言ってiPhoneが先でスマホが後です。 情報生態圏の基盤 メディアは、次の3つのレイヤーからできています。 ハードウェア、コンテンツ、プラットフォームです。ハードウェアは再生装置です。コンテンツは番組その他、プラットフォームは、コンテンツのデリバリー・システムです。この3つがメディアの情報生態系の基本なのです。 ラジオの場合は、ハードウェアはラジオ受信機ですね。コンテンツはラジオ番組です。プラットフォームは放送技術、放送局の仕組みです。テレビも同様ですね。テレビ受像機に替わるだけです。 新聞の場合は、紙の束がハードウェアです。コンテンツは記者の書く記事、プラットフォームは新聞印刷と宅配の流通システムです。だから、ある意味で新聞は究極の製造業です。ほとんどを自社で行っている。 出版社は、ハードウェアは書籍や雑誌の紙の束、コンテンツは記事、小説、テキストです。プラットフォームは出版流通と印刷になります。レイヤー構造から読み解くと、出版と新聞は似て非なるものです。メディアで自社が何も行っていないのは出版です。出版はアイデア・ビジネスなのです。 ゲーム、ハードウェアはゲームソフトとゲームプレイヤーです。プラットフォームは個々のゲーム規格ですね。ゲーム規格によって再生できるゲームが違います。それを行っているのは任天堂、あるいはマイクロソフトのXボックスなどを想起するとよい。 究極にわかりやすいのが、聖書です。聖書は紀元前1400年前です。今から3400年前に「十戒」ができる。このときは粘土板なわけです。粘土板に「十戒」が刻まれている。この場合コンテンツは「十戒」ですけれども、プラットフォームは当時生まれたばかりの文字、ハードウェアは粘土板ですね。「死海文書」になると、羊皮紙にきれいな手書きとなる。ということは、コンテンツは同じです。ハードウェアは羊皮紙、プラットフォームは羊皮紙を作る技術です。 さらに15世紀のグーテンベルグの活版印刷になります。一気に聖書がベストセラーになります。ハードウェアは紙の束になります。コンテンツは同じ聖書です。プラットフォームは活版印刷工房です。それが500年たつと、世界最大のベストセラーになる。 これが電子版に変わるとどうなるか。ハードウェアはキンドルやスマホになる。聖書のコンテンツは変わりません。プラットフォームはキンドルの規格であるインターネットです。スマホになると、今度はアプリになります。ハードウェアはスマホです。この場合もコンテンツは変わらない。プラットフォームはアップル、グーグルのApp storeになったとしても、聖書の中身は変わらないのです。変わっているのはプラットフォームとハードウェアです。 今見ていてもわかりますが、メディアのハードウェアとプラットフォームは、科学と技術の進歩で変わるものです。特にインターネットの時代になって、ハードウェアが一気に進化していきます。ということは、ハードウェアの変化が新しいメディアです。けれどもコンテンツはほとんど変わっていない。優良なコンテンツは、ハードウェアとプラットフォームが変わるごとに、中身を変えずに少しずつ表現を変えているだけで、本質的には変わっていないのです。 結局、どういうことか。前者のハードウェア制作は理工系の仕事なのです。後者のコンテンツは伝えるわざだから、リベラルアーツの産物ということです。これは理工系、文系ではない。ここには理工系、文系、アートなどのあらゆる知識が入っている。 ―特別版④「16号線の正体とリベラルアーツの本質」に続きます。 Profile 柳瀬 博一(やなせ・ひろいち) 1964年静岡県生まれ。東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。雑誌「日経ビジネス」の記者、専門誌の編集や新媒体開発などに携わった後、出版局にて『小倉昌男 経営学』『矢沢永吉 アー・ユー・ハッピー』『養老孟司 デジタル昆虫図鑑』『赤瀬川源平&山下裕二 日本美術応援団』『社長失格』『流行人類学クロニクル』など書籍の編集を行う。2018年4月より現職。著書に『国道16号線』(新潮社)、『親父の納棺』(幻冬舎)、共著に『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』(小林弘人と共著 晶文社)、『「奇跡の自然」の守りかた』(岸由二と共著 ちくまプリマ―新書)、『混ぜる教育』(崎谷実穂と共著 日経BP社)。 関連リンク 教養教育センターWEBページ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」①~東京工業大学のリベラルアーツ~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」②~理工系に必須の「伝えるすべ」~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」④(全4回)~16号線の正体とリベラルアーツの本質~
―特別版①「東京工業大学のリベラルアーツ」の続きです。柳瀬博一先生(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 教授)を講師に招き、2022年11月24日に開催された教養教育センター特別講演会の内容を全4回にわたりお届けします。「リベラル・アーツ」「教養」。普段、よく耳にする言葉ですが、その定義は実は曖昧です。柳瀬博一先生が講演の中で、『広辞苑』から参照していますが、やっぱり、「よく分からない」。人によって解釈や定義が異なりがちな「リベラル・アーツ」について、時に古代ギリシャまで遡り、時に自身の著作の事例を交えて、目まぐるしく変わる現代に必要な「リベラル・アーツ」について解き明かします。第2回は、日本の大学、とりわけ理工系が抱える課題である女子率の低さに始まり、リベラルアーツの源流、そして、リベラルアーツとは何であるか紐解いていきます。【教養教育センター特別講演会 開催概要】日時:2022年11月24日(木)14:00~15:20場所:ものつくり大学 大学本部 A3010大講義室参加者:本学学生、高校生、一般、教職員 約220名開催方法:オンライン・対面のハイブリッド 女子率の低さという問題 日本はトップ大学の女子比率が低いままです。とりわけ理工系は低い。東工大も例外ではありません。世界的でもまれに見るひどい状態です。大学教育がまだ途上にある事実を示している。 誰しもが危機感を抱くべきなのですが、日本の高学歴学生たちもそれが問題とは認識していない。これは日本のどこへ行っても変わりません。 日本がどのくらい遅れているか。データを見ると明らかです。 東京大学でたった19.3%です。京都大学22.5%、一橋大学で28.4%です。これらの数字を見るとおおよそわかりますね。早稲田大学、慶應義塾大学もともに4割に達していません。 では、世界はどうか。世界の大学ランキングを見ると、女子の比率はオックスフォード大学で47%、カリフォルニア工科大学36%、ハーバード大学もほぼ1対1です。スタンフォード大学は46%、ケンブリッジ大学は47%、ほとんど1対1です。MIT(マサチューセッツ工科大学)も4対6です。MITは2000年代に学長と経済学部長がそれぞれ女性でした。プリンストン大学は47%です。UCバークレーは女性が多い。イェール大学も同様です。 興味深いのはジョンズ・ホプキンス大学ですね。世界最高峰の医学部を持つ大学です。女性のほうが多い。ペンシルバニア大学は世界最高峰のMBAを持つ大学です。スイスのETHですら、3割は女子です。北京大学、清華大学も同様です。 こうして見ると、女子比率は、コーネル大学、シンガポール国立大学いずれも、1対1です。デューク大学も女子のほうが多い。 日本の問題がおわかりと思います。東大も京大も東工大も入っていない。問題は深刻です。人口における男女比率は1対1です。男性と女性に生まれついての知的能力差はありません。男性の方が理工系に向いているというのも嘘であることが数多くのデータから証明されております。あらゆる日本の大学がこの異様に低い女子比率を変えなければいけません。東工大では今女性が増える戦略を取り始めています。ご期待ください。 リベラルアーツとは「伝えるすべ」である リベラルアーツ教育についてお話しします。大学に加わって改めて感じたのは、リベラルアーツ、あるいは教養については、案外定義がきっちりしていない、ということでした。 『広辞苑』(岩波書店)に載っている「リベラルアーツ」の定義を参照しましょう。 「教養、教え育てること、社会人にとって必要な広い文化的な知識、単なる知識ではなくて、人間がその素質を精神的・全人的に開化・発展させるために学び養われる学問や芸術」とある。 よくわからない定義です。 リベラルアーツとは、「職業や専門に直接結びつかない教養。大学における一般教養」、こう書いてあるわけですね。これらは、日本の現実を表現しています。要するに、般教(パンキョー)がリベラルアーツだと信じ込まされてきた。 考えてみてください。文科系大学に進むと、生物学や数学や物理学、一般教養として履修しますね。東工大のような理科系大学に行くと、政治学、経済学、哲学、文学は一般教養になる。ということは、学問分野と教養教育、リベラルアーツ教育とは、関係がないことになる。先の『広辞苑』の設定が近い。だから大学生からすると、専門に移るまでにぬるく教わるクイズ的知識みたいなものを何となく教養と思っている。クイズ番組が教養番組として流れているのは、逆に言うとマーケットの認識を正確に反映しているということです。 こういうときは、源流を紐解いてみるのがよい。リベラルアーツの由来は何なのか。 リベラルアーツとは、古代ギリシャの「自由七科」が源流です。2種類あります。言語系3つ、文法・弁証法、あるいは論理学、さらに修辞学です。数学系では4つ、算術・幾何学・音楽・天文学です。リベラルアーツは「アルテス・リベラレス」ですね。 もともと紀元前8年、ポリス(都市国家)が古代ギリシャに生まれたときに、自由市民と奴隷に分かれていました。その頃の奴隷とは、現場仕事に従事する人々です。それぞれの必須知識がパイデイアとテクネーです。学ぶことが違う。パイデイアは、どちらかというと教養のイメージ、テクネーは実学です。 理由の一つは、ギリシャの弁論家イソクラテスが修辞学校をつくったことにあります。その頃は、演説が重視されていた時代だったので、弁舌を磨くための学校ができたわけです。それが修辞学です。さらに、演説のときは比喩を使いこなす必要がありました。古典を見栄えよく用いなければならない。そこで文法を教え、さらに演説で説得力ある美しい論理展開のために弁証法を学ぶ。その段でいくと、弁論術の一環として、先の語学系教育の基盤ができた。アルテス・リベラレスの言語系三科はこれらにあたるわけです。 では、数学系はどうか。かの哲人プラトンです。プラトンがアカデメイアをつくる。イソクラテスとは対照的に、世界は法則に満ちていると言ったのがプラトンですね。そこで、プラトンは算術、幾何学、そして世界の音を分割して数字で表す音楽、そして、地球から見る世界のことわりを探求する天文学です。 イソクラテスとプラトンは互いに反目し合っていたのですけれども、その後、セットにして教えるのがふさわしいということで、ローマ時代になって7科の原形ができる。クアドリウィウム、算術・音楽・幾何学・天文学を四科でクリドル、4つです。文法・修辞学・弁証法を三学、トリウィウムですから3つですね。 上級学校は3つありました。神学部、要は聖職者養成です。ローマ・カトリックが強大な力を持っていたためです。次に法律、政治家養成ですね。そして医学、内科医。まさに教養課程として7科、リベラルアーツの7学科があったということです。 ではこのリベラルアーツ7科とはなんでしょうか。実は全て「伝えるすべ」なんです。 イソクラテスの方は、言葉、物語です。文系的な「伝えるすべ」ですね。すなわち、いかに物語の構造で人に世界をわかりやすく伝えるかに関わっている。 プラトンの方は、数学です。理工系的な「伝えるすべ」です。算術、幾何学、音楽、天文学を使って、やはり人にわかりやすく、論理的に世界を伝える。文系、理工系のそれぞれの方法を使った「伝えるすべ」がリベラルアーツと呼んでいたということになります。つまり「伝える力」、すなわちメディア力です。 メディア力こそが教養の根幹である。池上彰氏や出口治明氏(APU(立命館大学アジア太平洋大学)学長)の本がよく読まれています。これらはお手軽に見えますが、実はそうではない。あの2人の取組みがリベラルアーツの本質を構成している。 一人ではわからないことを、まさに物語と論理で教えてくれているからです。だから、専門家はリベラルアーツの能力を持ち、わかりにくいことを伝えるすべを持つことが必要で、教養とは伝える力にかかっているのです。 理工系はメディアの当事者 そこでメディア論です。私は東工大でメディア論を教えています。 まず、理工系出身者はメディアの当事者であると伝えます。 というのも、理工系出身者が今ますますジャーナリズムの担い手になっている。そもそもメディア仕事は8割が理工系の仕事です。だから、理工系の学生にとって、メディアについて学ぶことは、伝える力、リベラルアーツそのものであり、同時に本業と心得るべきです。これが意外と認識されていません。 では、なぜ当事者なのでしょうか。 大隅良典先生は東工大の教授です。2016年10月のノーベル賞学者です。大隅先生がノーベル賞を受賞したとき、東工大のすずかけ台キャンパスで記者会見が行われています。まさに、メディアの当事者ということだ。まさにリベラルアーツが要求されるわけです。世界の誰よりも詳しい知識を、誰にでもわかりやすく説明することが期待されているからです。 私が徹底的に教えているのは、情報発信の仕方に関わっています。「伝える力」としてのリベラルアーツは理工系の研究者にとって必須の道具です。なぜなら、論文を執筆する、学会発表を行う、研究室でプレゼンする、あるいは経営会議に入って理工系のことがわからない投資家に資金を拠出してもらう、新製品を記者会見でレクチャーする、いずれも説明がきちんとできないと話にならない。すべてメディア当事者の仕事なのです。 さらに言うと、メディア・ジャーナリズムの取材対象としては、好むと好まざるとにかかわらず、アサインされる事案は理工系の人ほど多いのです。研究失敗の記者会見、工場の事故の説明、会社の研究・技術関係の不祥事。典型は福島の原発事故でしたね。東京電力福島第一原子力発電所所長の吉田昌郎氏は東工大の出身者ですが、吉田氏の伝える力が現場を救った。 現下のコロナなどはさらに典型と言ってよい。例えば西浦博氏(北海道大学教授)は、「8割おじさん」で知られますが、「8割」というわかりやすいキャッチコピーで、集団の公衆感染問題を相当に回避できた。マスク着用や人との接触を8割減らすと、指数関数的に感染を減少させられると指摘した。背景には複雑な計算が存在しつつも、キャッチコピーとして「8割」を使ったわけです。天才的な伝える力です。 このような人々は、科学と技術をよく理解した上で、しかもわかりやすく、受け手に目線を合わせて、根気強く伝えた。日本のコロナ対策はいろいろ言われていますけれども、最終的に感染者数・死者数の圧倒的には少なさは紛れもない事実です。専門家がジャーナリストになってくれたおかげです。 理工系の出身者はジャーナリズムにとって必須の存在になっています。というのは、時代の変革期は、テクノロジーの変革期であり、テクノロジーを誰にでもわかるように説明できるかどうかが重大な意味を持つためです。文系出身者がそれを行うのは相当に困難です。理工系出身者がリベラルアーツ力を生かしてメディアになってもらわなければ世の中が困ります。 ―特別版③「ものづくりがマーケットを変える」に続きます。 Profile 柳瀬 博一(やなせ・ひろいち) 1964年静岡県生まれ。東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。雑誌「日経ビジネス」の記者、専門誌の編集や新媒体開発などに携わった後、出版局にて『小倉昌男 経営学』『矢沢永吉 アー・ユー・ハッピー』『養老孟司 デジタル昆虫図鑑』『赤瀬川源平&山下裕二 日本美術応援団』『社長失格』『流行人類学クロニクル』など書籍の編集を行う。2018年4月より現職。著書に『国道16号線』(新潮社)、『親父の納棺』(幻冬舎)、共著に『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』(小林弘人と共著 晶文社)、『「奇跡の自然」の守りかた』(岸由二と共著 ちくまプリマ―新書)、『混ぜる教育』(崎谷実穂と共著 日経BP社)。 関連リンク 教養教育センターWEBページ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」①~東京工業大学のリベラルアーツ~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」③(全4回)~ものづくりがマーケットを変える~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」④(全4回)~16号線の正体とリベラルアーツの本質~
柳瀬博一先生(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 教授)を講師に招き、2022年11月24日に開催された教養教育センター特別講演会の内容を全4回にわたりお届けします。「リベラル・アーツ」「教養」。普段、よく耳にする言葉ですが、その定義は実は曖昧です。柳瀬博一先生が講演の中で、『広辞苑』から参照していますが、やっぱり、「よく分からない」。人によって解釈や定義が異なりがちな「リベラル・アーツ」について、時に古代ギリシャまで遡り、時に自身の著作の事例を交えて、目まぐるしく変わる現代に必要な「リベラル・アーツ」について解き明かします。第1回は、柳瀬博一先生が在籍する東京工業大学のリベラルアーツ教育の歴史、特徴的なカリキュラムについて紹介します。【教養教育センター特別講演会 開催概要】日時:2022年11月24日(木)14:00~15:20場所:ものつくり大学 大学本部 A3010大講義室参加者:本学学生、高校生、一般、教職員 約220名開催方法:オンライン・対面のハイブリッド 東京工業大学のリベラルアーツ教育 私が現在在籍する東京工業大学は、リベラルアーツ研究教育院を2016年から開設しています。国立大学でリベラルアーツを冠に持つ学部・学院は、東工大が初めてかもしれません。 私は日経BP社という出版社で、記者、編集者、プロデューサーの業務に携わってきました。メディアの現場に身を置いてきました。その私がご縁がありまして、2018年から東工大のリベラルアーツ研究教育院に参加することになりました。現在は、テクノロジーとメディアの関わりあいについて、学生たちに教えております。 まず、東工大がどのような教養教育を行っているのか、大きな特徴は、教養教育を1年生から修士、博士課程で一貫して行うこと。大学の教養課程って、普通1年生2年生でおしまいですよね。東工大は学部4年、修士2年、さらに博士課程でもリベラルアーツ教育を施しています。 改革以前から、東工大はリベラルアーツ教育ではしかるべき定評を得てきた大学です。特に戦後新制において、東京大学をしのぐほどに進んでいるとされた時代がありました。そのときは小説家の伊藤整、KJ法で著名な川喜田二郎など日本のリベラルアーツの牽引者となる人たちが教鞭をとっていました。比較的近年では文学者の江藤淳氏がその列に加わります。 1990年代、大学の実学志向が強くなったときに、教養教育部門は、あらゆる大学で細っていった。その反省もあって、2000年代から再び大学の教養教育を見直す趨勢の中で、リベラルアーツ教育復権の旗印のもと東工大が目指したのは、いわゆるくさび形教育、教養教育を必須とする授業構成になります。 そのために、環境・社会理工学院をはじめさまざまな「縦軸」の大学院と学部をセットにした学院が設立され、他方で「横軸」だったリベラルアーツ研究教育院を組織として独立させた。現在60数名の教員が在籍しています。 もう一つ興味深いのが、東工大は理工系の大学ながらも、学部生が、リベラルアーツ研究教育院の教員のもとで研究を行う道が用意されています。大学院では、社会・人間科学コースが設置されており、人文科学系の学生が多く在籍しています。他大学や海外から進学してくる人もいれば、社会人入学の方、そして学部時代は東工大で理系だった学生もいます。私のゼミも昨年度の学生は東工大の内部進学者でした。情報工学を学んだあと、2年間みっちりテクノロジーとメディアの革新について素晴らしい修士論文を書き上げて、修了しました。最近、サントリー学芸賞を取った卒業生も、この大学院からは出ております。東工大というと理工系のイメージが強く、事実理工系の大学なのですけれども、リベラルアーツからも専門家も育っています。 先鞭をつけた池上彰氏 東工大がリベラルアーツ教育を復権させようと考えたのは2010年代初頭からとなります。このときに基盤を固められたのが哲学の桑子敏雄名誉教授、そして2022年春までリベラルアーツ研究教育院初代学院長を務められた上田紀行教授でした。その折に、大学の目玉になる先生を呼ぼうと考えた。しかも、純粋なアカデミシャンではなくて、リベラルアーツを広く豊かに教えられる外部の先生を呼ぼうということになったのです。白羽の矢が立ったのは池上彰氏でした。 リベラルアーツ研究教育院では、大学入学と同時に全学生が「立志プロジェクト」を受講します。2019年までは、大講堂で池上彰さんや外部から招いた専門家が講義を行いました。ここ3年はコロナ禍に対応して、動画配信で対応しています。これまでに劇作家の平田オリザ氏、水俣病のセンターの当事者の方など多彩な方が壇上に上がり講義を行っています。 次の週は、大学としては珍しいことですが、クラスを作るのです。27~28人を40組、リベラルアーツの先生全員が担任を持ちます。グループワークを行って、登壇者の話を批評的に論じるのです。グループワークでは自己紹介を行い、互いの人となりを知った上で、授業のサマリーをまとめて発表する。計5回繰り返し、最終的にこの大学で何を学びたいのか、つまり「志」を提出してもらい、まとめて発表する。大切なのは、必ず発表を伴うものとすることです。これが立志プロジェクトの「少人数クラス」の基本進行デザインです。 しかし、これで終わりではありません。3年生の秋には「教養卒論」の授業があります。普通、3年生になったら専門課程に進んで、教養科目の授業はおしまい、という大学が多いと思います。東工大は3年生全員が秋冬の15回の授業で、自分のこれから進む分野や興味と3年間で身につけた教養を掛け算して1万字の「教養卒論」を書いてもらうのです。最終的に優れた論文は表彰します。翌年夏には教養卒論の発表会を大講堂で行います。相当数の学生が集まります。見栄えのするパワポを準備して、本気で発表に臨む。 教授陣の紹介サイト それともう一つ、私が東工大に移籍して取り組んだしごとについてもお話しておきましょう。それは大学の教授陣の紹介サイトをつくることでした。日本の大学は公式の教員プロフィールが一覧で見られるサイトがあまりないんです。これは私がメディアにいた頃から、疑問に思っていたことでした。企業もIR関連情報のところに役員の詳しいプロフィールが載っていないことがあります。企業のIRで重要なのは、経営陣の顔が出ていること、人柄がわかること、活動内容がクリアであることです。つまり、経営陣自体がコンテンツになっていなければならない。 では、大学はどうか。大学における最大の財産は―最終的には学生ですけれども―入学時においては教授陣ですね。メディア出身の特技を生かして東工大のリベラルアーツ研究教育院のインタビューサイトをつくりました。インタビューも私が行っています。 全ての先生方を平等に見せるように心がけました。先生方の研究内容、教育の取組み等々、いわば小さな「私の履歴書」のようなサイトを一覧で見られるようにした。これは好評でした。実際に外部の方々が東工大の先生にアプローチしたい、インタビューしたい、相談に乗ってほしいというとき、有効に活用していただいています。 ―特別版②「理工系に必須の『伝えるすべ』」に続きます。 Profile 柳瀬 博一(やなせ・ひろいち) 1964年静岡県生まれ。東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。雑誌「日経ビジネス」の記者、専門誌の編集や新媒体開発などに携わった後、出版局にて『小倉昌男 経営学』『矢沢永吉 アー・ユー・ハッピー』『養老孟司 デジタル昆虫図鑑』『赤瀬川源平&山下裕二 日本美術応援団』『社長失格』『流行人類学クロニクル』など書籍の編集を行う。2018年4月より現職。著書に『国道16号線』(新潮社)、『親父の納棺』(幻冬舎)、共著に『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』(小林弘人と共著 晶文社)、『「奇跡の自然」の守りかた』(岸由二と共著 ちくまプリマ―新書)、『混ぜる教育』(崎谷実穂と共著 日経BP社)。 関連リンク 教養教育センターWEBページ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」②(全4回)~理工系に必須の「伝えるすべ」~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」③(全4回)~ものづくりがマーケットを変える~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」④(全4回)~16号線の正体とリベラルアーツの本質~
JR高崎線・吹上駅からものつくり大学(行田市)に至る開けた田野の中ほどに「真摯さの道」がある。上越新幹線の高架へと続く200メートルほどの農道である。ことに夕景は美しく、清明な上州の山並み、時に富士の高嶺さえ仰ぐことができる。 JR吹上駅からものつくり大学に至る「真摯さの道」(筆者撮影) そこはマネジメントの父・ドラッカーの翻訳者で日本での分身ともされた、今は亡き上田惇生先生(ものつくり大学名誉教授)が、integrityの訳語を想起した道である。上田先生は若き日俳句に親しんだ人でもあり、一つの語彙が浮かぶのを忍耐強く待ち続け、ついに大学からの帰路、この道で「真摯さ」を呼び寄せたのだった。 ドラッカー(左)と上田惇生名誉教授(右) 生前の上田先生とこの道を歩いたことがある。心の内で生きる諄朴な日本の原風景そのままであり、原語の熱源を不思議なほど直にとらえることができた。 ドラッカーの遺産 現在世界はコロナ禍に際して、新しく文明社会を始めなければならないほどの分水嶺《ぶんすいれい》に立たされている。その点で、晩年のドラッカーが「テクノロジスト」というコンセプトを残してくれたのは、とりわけ日本人にとってかけがえのない遺産であった。 テクノロジストとは巧みにものを作る人というのみではない。ものを作るとは、言うまでもなく高度な精神によって統合された仕事である。ものづくりを外側から眺めると一つの行動だが、その実相は一人ひとりの内面で営まれている。 昨今DX(デジタルトランスフォーメーション)やAI(人工知能)が大流行である。だが、高度に組織化された情報も、最終的に実行するのも人間なら、享受するのも人間である。いや、かえってテクノロジーの進展するほどに、人間の存在感は増していくはずである。 教養あるテクノロジストのために 本年度新設されたものつくり大学教養教育センターは、テクノロジストのための教養教育を掲げている。教養というと書物が想起されるが、そればかりではない。それは徹底した知と行の合一の道である。そうであるならば、手早く片付けてしまうわけにはいかない、一生を賭けた大事業となるだろう。 ドラッカーはテクノロジストのもつべき一種の社会的知性としても、「真摯さ」を重視していた。その証拠に、彼は頭脳の明晰さよりも、真摯さの方を重く見て、個が現実社会を生き抜いていく上でよほどあてになると述べている。それは、生きるという根底的な理由と結ばれた精神的王道でもあったことに思いが至る。 Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学教養教育センター教授 1972年、埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、社会情報学。 関連リンク 教養教育センターWEBページ
「D2C」の潮流 皆さんは「D2C」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?「D2C」とは「Direct to Consumer」(消費者に直接届ける)の略で、米国を中心に流行が始まっている新しい製品の販売、消費の動向です。「D2C」ブランドの特徴は原則小売店を介さずに、製造者が自社のwebサイトから直接消費者に販売する形態にあります。 「D2C」を代表するブランドとしては寝具の「Casper」、眼鏡の「Warby Parker」、日本でも若い世代を中心に支持を集めている、スニーカーの「Allbirds」などが挙げられます。 ではこれらの製品ジャンルは既に多くの製造者が古くから製品を供給しているにも関わらず、なぜこうした新興のブランドが誕生し消費者の支持を集めているのでしょうか。その背景にあるのはSNSの存在とサスティナビリティ(持続可能性)意識の普及にあると考えられます。 「Instagram」などのSNSの普及は、自分の持ち物を世界中の多くの人に見てもらう機会を生み出しました。それに従い、高価なものを自慢するのではなく「自分らしい」ものを選びたいというニーズ、そしてものを買うからにはそれを選んだ「確かな理由付け」が欲しいというニーズが消費者から求められるようになりました。 それに対し、例えば前述の「Warby Parker」は無償で5日間、5種類の試着用眼鏡を消費者の自宅に送付し、消費者はそれを試着してSNSに投稿し、その反応を見て自分に似合う眼鏡を選ぶ。といった新しい消費のスタイルを生み出しました。 そして「Allbirds」のスニーカーは、製品の製造から廃棄されるまでのCO2排出量を製品毎に公表し、消費者が出来るだけ環境負荷の少ない製品を選択できる仕組みを作っています。製品を購入し消費する以上、地球環境に対して何らかの悪影響を与えることは避けられませんが、このサスティナビリティに出来るだけ配慮してものづくりを行う企業姿勢が、環境意識に敏感な若い世代の支持を集めている理由であるといって良いでしょう。 こうしたD2Cの流行から考えられることは、消費者向けの製品開発は「小品種、大量生産」から「中品種、中量生産」、さらに「多品種、少量生産」の潮流へ向かっているということです。 これからの「ものづくり」教育 ではこの潮流に対して「ものづくり」教育はどのように応えていくべきでしょうか。「多品種、少量生産」の製品開発のためには、消費者個々のニーズを汲み取り、それをデザインに落とし込むユーザーリサーチ技術の研究や、サスティナビリティに配慮した素材を活用したデザインの研究が必要です。また少量生産に適した新しい生産プロセスの研究、あるいは手作りのプロセスによるものづくりの復権が考えられます。 従来「理系は人間の行動に対する想像力が弱く、文系は科学技術の進歩に対する理解力が足りない」と言われてきました。しかしこれからのものづくりに求められるのは、文理の枠を超えて消費者の行動、ニーズを理解した上で、最新の科学技術の進歩を享受した製品開発が出来るクロスオーバー型の人材であると言えるでしょう。ものつくり大学では2022年度より「教養教育センター」を設立し、従来の強みを活かしつつ分野をクロスオーバーする知を身につけた人材育成を目指しています。D2C時代のものづくりを切り拓く本学の教育展開にご期待ください。 埼玉新聞「ものつくり大学発 知・技の創造」(2022年10月7日号)掲載 Profile 町田 由徳 (まちだ よしのり) 教養教育センター・情報メカトロニクス学科 准教授 東京造形大学デザイン学科卒業後、デザイン事務所勤務、岡崎女子短期大学准教授等を経て、2020年より現職。専門はプロダクトデザイン。 関連リンク 教養教育センターWEBページ 情報メカトロニクス学科WEBページ