技能五輪国際大会造園職種の銀メダリストで、大学院ものつくり学研究科1年の田子雅也さんがリーダーとなり、高大連携の一環として、2024年12月から約1年にわたり取り組んだ「岩槻商業高等学校 中庭整備プロジェクト」。ものつくり大学の学生と岩槻商業高等学校(以下、岩槻商業)の生徒との協働により2025年12月22日に完成に至った中庭。デザインの考案から造園実技の指導に至るまで、持ち前のものづくり魂でプロジェクトを完遂させた田子さんに、完成までの歩みと思いをインタビューしました。
ものづくり魂で挑んだプロジェクト
-まず、このプロジェクトにどのような思いで関わろうと決められたのですか?
【田子雅也さん(以下、田子)】
私はものづくりに対して、「人から満足してもらえ、自分が本当に納得したものをつくりたい」という気持ちを常に持っています。今回の岩槻商業の中庭整備プロジェクトは、未経験の課題も山積みでした。しかし、「生徒さんや先生方に喜んでもらえるなら、全力で挑戦しよう」という思いが何より勝りました。
自分が「こうしたい」という思いももちろんありますが、高校側の「こういう場所があったらいいな」という願いを、可能な限り実現しよう、と覚悟を決めて臨みました。

中庭のデザインに込めたこだわり
ー中庭のデザイン考案も田子さんが担当されたそうですね。具体的にどのようなニーズを汲み取り、形にしていったのでしょうか。
【田子】
高校側からは大きく分けて2つの要望がありました。一つは「機能的・交流的側面」。鬱蒼(うっそう)としていた中庭を開放的な空間にし、生徒たちが昼食を食べたり、触れ合ったりできる「広場」にしたいという声です。もう一つは「教育的・地域共生的な側面」。前校長先生の熱い思いでもあったのですが、「近隣の保育園児などが家庭菜園を体験できるような、地域との繋がりを育む場所にしたい」という声でした。
デザインにあたっては、まず「庭との関わり方」と「空間構成」を徹底的に考えました。庭には「外から眺める庭」と「中に入って体験する庭」がありますが、今回は、生徒たちが主体的に使えるよう、広々とした空間構成を意識しました。また、学校施設である以上、安全面に留意しました。中庭の下には避難設備として埋設物が埋まっているのですが、そこを壊さず、しっかり機能させたまま計画しました。
-デザインにおいて、特に「田子さんのこだわり」を出した部分はどこですか?
【田子】
特にこだわったのは、「板石石畳(いたいしいしだたみ)」です。自然石の切り石を精密に舗装していく技術は、私が以前から自身の表現として極めたかった分野でした。これを今回のプロジェクトにどう落とし込むか、何度もシミュレーションを重ねました。
そして、もう一つは「タイルアート」です。通常の造園ではあまり行わない手法ですが、岩槻商業のマスコットキャラクターである「商子(しょうこ)ちゃん」をタイルで描くことにしました。

-デザイン画を描くプロセスや、それに対する高校側の反応はいかがでしたか?
【田子】
手描きで2案作成しました。1枚描くのに1時間半くらいかけました。平面的なポイント。つまり庭のメインになる場所を決め、それと同時にそのメインを引き立てる「空き」、つまり空間の余裕を大切にしたいと考えました。植栽や石の「高さ」のバランスを重視して構成をもしたんです。そこから高校側と打ち合わせを重ね、2案それぞれの良さを残しながらブラッシュアップしていきました。
2025年3月頃に最終案がまとまったのですが、生徒たちは「これが本当に自分たちの学校にできるの?」とワクワクした表情を見せてくれました。一方で、先生方からは「このクオリティを予算内で本当に実現できるのか」という不安の声もありました。
そこで工夫したのが、「循環型の資材調達」です。既存の中庭にあった石を再利用し、足りない分は非常勤講師の渡邉先生が経営する「株式会社八廣園」から譲り受けた余剰材などを活用しました。4月の段階で、予算計算と綿密な工程計画を詰め、徹底的に準備しました。
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ものつくり大学特有の「多職種」の絆
-実際の施工は2025年5月から始まったのですね。完成までのプロセスを教えてください。
【田子】
施工期間は大学での準備を含めると100日を超え、岩槻商業の現場には約80日通い詰めました。工程としては、まず地盤を整えてコンクリートを打ち、洗い出しの仕上げを施してから石畳を組んでいく。骨格となる「固い物(石や構造物)」ができてから、最後に樹木を入れ、芝を張って「柔らかさ」を出す。これが造園のセオリーです。
-プロジェクトに関わったものつくり大学の学生の構成や協力体制は?
【田子】
私のほかに、のべ10名ほどの4年生が手伝ってくれました。彼らは卒業研究で多忙な中、合間を縫って現場に入ってくれました。特に中心となった4、5名は、私とほぼ同じ頻度で現場を支えてくれたんです。一人では絶対に不可能だったプロジェクトです。
現場の制約は想像以上に厳しかったです。最大の問題は「重機を入れられない」こと。さらに私自身が免許を持っていなかったため、免許のある学生がいる時しか軽トラが使えず、350㎏という積載量の限界と格闘しながら、巨大な石や木を運びました。
技術的な難所やクレーンが必要な場面では、八廣園さんのプロの助けを借りましたが、基本は学生たちの手作業です。ここで、ものつくり大学の強みが発揮されました。

-「ものつくり大学ならでは」の強みとは?
【田子】
「多職種の力」です。ベンチの設計には大工を目指している学生から木材の性質について意見をもらい、タイルアートでは技能五輪全国大会のタイル張り職種で金賞を取った学生のアドバイスを受けました。「庭」という空間は、植物、石、木工、左官、タイル・・・あらゆる業種が重なり合って成立しています。それを学生同士のネットワークで補完し合い、一つの作品を作り上げられたのは、大きな収穫でした。造園だけをやっていては辿り着けないクオリティを実現できました。
酷暑、重機なき苦悩。例え話で高校生に伝えた「ものづくりの技」
-特に夏場の作業は、過酷を極めたのではないでしょうか。
【田子】
本当に、その時期が一番きつかったですね。60平米もの面積を、重機を使わずスコップだけでひたすら手掘りしたんです。掘り出した大量の土を、400~500メートル先の置き場までネコ(一輪車)でひたすら運び続けました。
体力のある学生たちですら、汗だくで無言になってしまって。「声がけをしなければ、誰か倒れてしまう」という、命の危険を感じるほどの暑さでした。高校生の安全を守るため、一番過酷な時期の土台作りは我々大学生が引き受け、進めました。
-重機が使えない中、どのような苦労や工夫をされたのですか?
【田子】
300㎏~400㎏ある石を動かすために「三又(さんまた)」という原始的な三脚とチェーンブロックを使いました。クレーンなら5分で済む作業に、準備から30分以上かかりました。効率が悪く、安全面にも気を使ったのですが、道具を駆使して石を据える経験が貴重でした。
また、工期短縮のために「プレキャスト化(事前製作)」の工夫もしました。大学でパーツをあらかじめ作っておき、現場で繋ぎ合わせました。

-高校生への技術指導で意識したことはありますか?
【田子】
高校生には「商子ちゃん」のタイル仕上げや、植栽、石の加工などの作業を手伝ってもらいました。石の加工の仕方やデザインの考え方を、実践を交えて教えました。タイルの加工は大半はこちらで準備しました。初めて触る「タイルニッパー」でタイルを割ってもらい、一緒に作り上げました。専門用語を並べても伝わらないので、身近に感じてもらうために「例え」を使いました。
例えば、タイルの目地を繋ぐ時、「3枚のタイルが合わさる部分を『Y』の字にすると綺麗に見えるよ。三ツ矢サイダーのマークを意識してみて」と教えました。例えを使うことで生徒さんの理解が深まり、一気に作業の精度が上がるんです。
植栽では、やはり高校生たちのセンスもあると思うんですね。色使いとか、本当は華道部の生徒さんにも参加してほしかったのですが、日程が合わなくて、最終的に高校側のプロジェクトメンバーの15名が、放課後の時間を使って、自分たちの庭に命を吹き込んでくれました。

技能五輪の経験がもたらしたもの
-田子さんは世界銀メダリストですが、高校時代から技能五輪全国大会に出場されていますよね。その経験はこのプロジェクトにどう反映されましたか?
【田子】
大会に出るための訓練で、実際に庭を見て、感性を磨いてきたことが一番生きました。植木の植え方、高さのバランス、平面的な空間構成、これらは訓練の中で無数の庭を見て、実際に手を動かす中で自然と身についてきたものです。
そのおかげで、今回のデザイン案もあまり悩まずに、かなり早い段階でまとめ上げることができました。「これは自分でも実現可能だ」という裏付けがあるからこそのデザインで、それは間違いなく、これまでの厳しい訓練の結果です。
-自身の中で、この100日間で感じた「成長」は何でしょうか。
【田子】
一番は「段取り」の重要性を再認識したことです。
大学から岩槻商業までは往復3時間。忘れ物一つが、致命的なタイムロスとコスト増を招きます。「段取り八分、仕事二分」という言葉の重みを、責任者として身をもって学びました。材料、道具、人員の動き、そのすべてを先読みして管理するプロデュース能力は、技能五輪で得た経験がベースにあり、現場ならではの学びとなりました。
高校生との交流、そして「生きた庭」の未来へ
-商業高校の生徒さんとの交流で、意外な発見や喜びはありましたか?
【田子】
私は農業高校の生徒さんとの交流は多いのですが、商業高校の生徒さんとはなかなか機会がなかったんです。普段はパソコンや電卓に向き合っている生徒たちにとって、土を触り、自分の手で形を作る作業はとても新鮮だったようです。「今日は作業をやるから来てね」と言うと、興味をもって参加してくれる生徒さんがたくさんいました。「ものを作るのが好き」という言葉を聞いた時、商業という枠組みを超えて、ものづくりの可能性を感じました。
デザインを立体として具現化し、生徒さんに喜んでもらえる空間を実現できたことも、何よりの達成感になりました。最初は全容が見えなかった中庭に、緑が入り形になっていくにつれ、生徒さんから「ああ、すごいな」、学生が作ったベンチを見て「これすごいね」と声をかけていただけるようになったときはうれしかったです。
-2025年12月22日、ついに中庭が完成しました。高校側の反応はいかがでしたか?
【田子】
「暑い中も含め、長い間ありがとうございました」と感謝の声をいただきました。完成が冬だったので、今はまだ木々が少し寂しい姿をしています。だから高校生たちには「春に芽吹くまでは、しっかり水をあげてね。これからどんどん緑が増えていくから」と伝えました。校長先生が庭を眺めて、「あそこに何か植えたいな」とポツリとつぶやいてくださったのはうれしかったですね。
-この中庭が、今後どのように育ってほしいですか。
【田子】
岩槻商業には、これまで「憩いの場」と呼べる緑地が少なかったと聞きます。文化祭などの行事はもちろん、日常の何気ない時間に、ふとこの庭を通り抜けてほしいです。あえて通り抜けができる動線を設計したのは、生活の一部に庭を取り込んでほしかったからです。季節ごとに変化する緑に目を向け、心がふっと軽くなる。そんな場所になってほしいですね。

建築と庭を繋ぐ、次世代のプロデューサーを目指して
-田子さんが、そもそも造園を志したきっかけは何だったのでしょう?
【田子】
中学2年生の時に見た、東京スカイツリーの建設動画です。
最初は建築そのものに興味が湧いたのですが、スカイツリーが建った後の下町の映像を見て、心が動きました。人間が作ったコンクリートの直線的な建物と、植木の曲線的な要素が絡み合った街の景色。それが「人と自然の合作」のように見えたんです。
建築もいいけれど、緑地デザイン、特にランドスケープデザインをやりたいと直感しました。
-農業高校からものつくり大学、そして大学院へ。学び続ける理由は?
【田子】
高校時代は緑地デザインコースで学び、造園部に入り、1年から3年まで毎年技能五輪全国大会に出場し、敢闘賞や銀賞を受賞しました。仲間と切磋琢磨するのが楽しくて技術も上達したのだと思います。
ものつくり大学を選んだのは、建築の要素も学びつつ、技能五輪で金賞を目指せる環境があったからです。緑地デザインの中には建築の要素も入っているんですよね。
大学院に進んだのは、造園をより建築に馴染ませるための勉強をしたかったからです。現在は三原研究室で、技能五輪を通した若手技能者のスキルアップについての論文を書きつつ、京都の桂離宮や迎賓館などを巡り、空間のあり方を自主的に研究しています。
私の目標は、「建築が分かる造園屋」になることです。
将来は、建築と庭の両方を一貫してプロデュース、設計・施工できる存在になりたいです。特に今は、商業施設や店舗の庭に興味があります。飲食店などに立ち寄った人の目に留まり、「この庭はいいな。自分の庭もこの人に任せたい」と思ってもらえるような、そんなきっかけを作れる庭を手がけていきたいですね。
-最後に、このプロジェクトを通して、高校生たちにメッセージを。
【田子】
庭は完成して終わりではありません。5年後、10年後、木々が大きく育ち、花が咲き、実が成る。その時、関わった生徒たちが卒業生としてここを訪れ、「この石は自分が置いたんだ」「このタイル、一緒に割ったな」と思い出してくれたら。
自分たちが作った場所が、後輩たちに愛され、育っている。その誇りと達成感を共有し続けてほしいです。





