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  • 人と違うことをやってみる!伝統的な技法「扇垂木」への挑戦が自分自身の成長に

    寺社建築の伝統的な技法「扇垂木(おうぎだるき)」と呼ばれる屋根架構を卒業制作のテーマにし、千葉県妙長寺の本堂建築に携わった桐山実久さん(建設学科4年・小野研究室)。念願だった技能五輪全国大会にも2度出場した経験を持ち、「やってみたいことは挑戦する」がモットー。桐山さんに卒業制作を通して実感している4年間の大学生活での学びや成長、将来の目標などのついてインタビューしました。 木造建築への熱意がものつくり大学進学に 幼い頃から、温かみを感じる木造の家が好きで、木造建築に興味がありました。高校は地元の愛媛県立吉田高校の機械建築工学科に進み、木造建築の面白さに魅了され、高校生ものづくりコンテストにも出場しました。ものつくり大学に進学したのは、同校の先輩が進学していて「技能五輪全国大会に出場できるチャンスがある」と話を聞いたことが大きかったです。ものつくり大学では、アーク溶接などにも触れましたが、やはり木造建築が好きだということを確信し、木造建築コースに進みました。木材の魅力は一度切ると元に戻せないところだと感じます。ボンドで貼っても再生できないですよね。1年生の頃はコロナ禍でオンライン授業が中心の学生生活に。2年生、3年生の時に連続して技能五輪全国大会に出場しました。出場職種は得意分野の大工ではなく、敢えて家具に挑戦しました。高校時代に先生から「細かいものも得意だね」と言われたことがあったからです。2年生の頃はまだ授業で家具づくりを学んでいなかったため、先輩方にいろいろ教えていただき、寝る間も惜しんで工房で技術を磨き大会に臨みました。3年生の時も家具職種に挑み、努力が実り敢闘賞を受賞することができました。ものつくり大学に進学し、念願だった技能五輪全国大会に挑戦できたことで、チャレンジ精神が旺盛になりました。 技能五輪全国大会に挑戦する桐山さん 伝統的な技法「扇垂木」を卒業制作に 私は小野研究室なのですが、今井研究室と仲が良く、交流が盛んな環境に身を置いています。4年生で卒業制作を迷っていた時、インターンシップでお世話になった今井先生から「千葉県館山市妙長寺の本堂新築の屋根架構を卒業制作として取り組んでみないか」と声をかけていただきました。今井先生から、本堂の屋根の形状は扇垂木(おうぎだるき)という唐傘をモチーフにした扇状に広がった垂木のことで、非常に手間がかかり、単純に配置することが難しいことや、現役の大工さんでも経験できないまれな技法であることなどの説明を受けました。学生生活の中で木造建築を中心に学び、大会などにも挑戦してきた経緯もあり「人と違ったことをやってみたい」という思いが強い私は「滅多にない経験ができるのは面白そう」と伝統的な技法である扇垂木の制作に挑戦したいと思いました。そして「館山市妙長寺の屋根架構の制作ー扇垂木の墨付け、刻み、加工-」を卒業制作のテーマにすることで新たな自分の可能性を見出したいと思いました。 限られた作業時間が没頭するための集中力に 扇垂木の墨付けから加工の工程は、扇垂木の木材加工の施工経験がある非常勤講師の福島先生のご指導の下、埼玉県寄居の福島工務店で行いました。扇垂木の木材となるのは、垂木、隅木、蕪束(かぶらづか)。墨付けから加工は、一般的な垂木の断面より大きいため、加工に費やす時間が多くなりました。搬入や組み立てを考慮して行った鎌継ぎ(一方の木材に端部の広がった突起を作り、他方の木材にはめ込む継ぎ手)やくせ加工などの作業も何度も行いました。作業時間が限られていたこともあり、43日間(2023年10月27日から12月8日)1日も休まず取り組みました。限られた時間の中での作業だったからこそ、集中して一心に取り組めたのだと思います。加工した木材の仕口を数えてみたら136箇所ありました。技術的な面は、福島先生のご指導に加え、学生生活を送る過程で様々な道具を使ったり、技術を磨いたりした経験や工程を頭に入れ作業する習慣がプラスに働きました。ある程度作業に慣れると、流れが分かり、段取りをつけながら1人で進めることもありました。精神面でのプレッシャーは地元の方との交流もあり、あまり感じませんでした。技能五輪全国大会に出場した時はかなり精神的にきつかったのですが、2度の出場経験により、精神的にも鍛えられたのかもしれません。しかし、肉体的には、かなりハードでした。今まで扱ってきた木材に比べて遥かに大きく、重かったので、運んだり、転がしたりするのは想像以上に身体に負荷がかかり、腰なども痛くなりました。 難易度の高い施工に挑み、目にした本物の建築 木材の加工が終了した翌日の12月9日に、埼玉県寄居町から千葉県館山市の現場に木材を搬入しました。現地の大工さんの力もお借りし、他の学生と一緒に12月13日から、施工に入りましたが、現地に入る前と後では、緊張感が違いました。まず、蕪束と隅木の取り付けを行いました。上段、中段、下段と隅木を継いでいきました。ここでは、ビス留めをし、しっかり止めました。次に、いよいよ垂木の取り付け作業に。隅木側から垂木を取り付ける工程はとても難しかったです。ひのきの垂木は全て寸法も異なり、木材だからこそ、ねじれや乾燥もあり、調整の繰り返しに。なかなか思うように作業が進まず、苦戦しつつも丁寧にかんなを使って微調整しながら組み立てを進めていきました。垂木の上段、下段の取り付けが進んでいくに従い、扇垂木が大きいことに驚きました。 扇垂木を下から見上げる 現場で施工する桐山さん 本物の建物の施工に関わるのは初めてで、しかも寺院の本堂は地域に根付き、歴史的にも価値をもつことになる建物です。いざ完成間近になった建物を目の前にし、「こんなにも大きな寺院をつくっているんだ」と言葉に表せない感情が湧きました。100年、200年と長期間、多くの人に親しんでもらえる建物にしたいと思っています。本堂の完成は2024年3月を予定しており、扇垂木の美しさが見える屋根になるように作業を進めています。 卒業制作を通して感じている自身の成長 卒業制作を通して特に2つほど自身の成長を感じています。1つは、今までは自分が納得いくためのものづくりだったのが、人に喜んでもらえるものづくりをしたいという思いが加わったことです。そもそも、ものつくり大学に進学した理由の1つに技能五輪全国大会への挑戦があったのですが、高校時代に高校生ものづくりコンテストに参加し、自分自身に対してやり残したという後悔がありました。「賞に入賞することよりも自分の納得するものづくりがやりたい」という思いが強く、1年目には納得できず、2年連続して挑戦。結果、3年生の時は敢闘賞を取ることもでき、自分なりに納得し、達成感が味わえました。しかし、今回、長い歳月建ち続けることになる寺院の施工に携わることで、多くの人が見たり、触れたりして大切にされていくことを想像する機会に恵まれ、ものづくりの喜びを倍に感じるようになりました。もう1つは、自分に自信が持てたことです。大学生活の中でいろいろな大会にも出場し、賞ももらってきたのですが、実は自分に自信が持てず、ものづくりも上手いと思ったことがありませんでした。自己評価が低く、時に先生から叱られることも。自信がなかったからこそ、さまざまなことに挑戦もしてきました。しかし、今回、卒業制作で難易度の高い扇垂木の制作に挑戦し、その結果、檀家さん、工務店の先生、大学の先生や友人など関わってきた人から評価してもらい、自信が持てました。本堂新築における扇垂木のことが新聞に取り上げられたことで、自分が関わった建築物が多くの方から注目を浴びていることを聞き、嬉しいです。 建築が進む妙長寺本堂 将来は木造建築の教員に 大学卒業後は、まず、大工としてプレカットの仕事に就き、大工職人として腕を磨きたいです。社会経験を積んだ後は、木造建築の教員になりたいと考えています。私の家族はみな教員で、幼い頃から「将来は先生になりたい」と思っていました。人に教えることも好きです。ただ、学生生活の中で、自信がなかなかもてず、後輩に対してもどこか教えることに引き気味でした。しかし、卒業制作などに取り組む中で教えることに少しずつ前向きになり、4年生ではSA(Students Assistant)として先生のアシスタントをしながら後輩にさまざまなことを教える経験をしています。実際、鋸の使い方1つでも教える立場になってみて、みんながそれぞれ違う使い方をしていることが分かり、その違いを面白いと感じます。一方で、一緒にSAをしている学生の教え方から学ぶことも多く、勉強になります。最近、木造建築に進む学生が少なくなっていると感じるので、木造建築の魅力や面白さを伝えられる教員になりたいです。 自分を磨けるものつくり大学での学び ものつくり大学での学生生活は、規則に従いながら過ごしていた小中学校時代、まだ何がやりたいかが明確ではなかった高校時代とは異なり、自分が好きなことをできる環境が整っていました。自分が磨きたいところを磨け、いろいろなことにも挑戦できました。先生からは理論や実践で役に立つことを教えてもらい、さまざまな実習やインターンシップでは、自分で実際にやってみる機会を多く作ることができました。具体的に教えていただいたことに挑戦できた結果、多くのことを学んだり、技術や技能を身に付けたりすることができました。さらに、先輩から教えていただき、後輩に教えるものづくりを通し、人とコミュニケーションを持ったり、信頼関係を築いたりする機会にも多く恵まれました。挑戦することを続けた4年間の学生生活の中で、特に卒業制作は、今までの学びと実践が活き、自分自身の成長を感じる機会になっています。 関連リンク ・建設学科 木質構造・材料研究室(小野研究室)・建設学科 建築技術デザイン研究室(今井研究室)・技能五輪全国大会実績WEBページ・建設学科WEBページ

  • 【知・技の創造】新しい教養教育の展開

    教養教育センターの始動 2022年1月7日の「知・技の創造」に「新しい教養教育の取組み」として、同年4月から始動する「ものつくり大学」の新しい教養教育の記事を掲載しました。今回は、教養教育センターが取り組んできた活動について紹介します。前回紹介したものづくり系科目群、ひとづくり系科目群、リベラルアーツ系科目群の教養教育科目は順調に展開しています。 教養教育センターWEBページ 教養教育センターからの発信 第1回教養教育センター特別講演会の様子 2022年11月24日に、第1回教養教育センター特別講演を本学で行いました。スペシャルゲストとして、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授の柳瀬博一氏をお招きし、「テクノロジストのための教養教育」についてお話を頂き、その後に教養教育センター教員によるパネルディスカッションを行いました。教養教育に関する熱い思いを学生にぶつけ、教養教育のキーワードとして土居浩教授は「磨き続ける」、井坂康志教授は「無知を認める」、町田由徳准教授は「視野を広げる」、土井香乙里講師は「とことん学ぶ」を挙げていました。ちなみに私は「本物を知る」です。 2023年11月9日には、第2回教養教育センター特別講演を渋谷で行いました。会場は渋谷スクランブルスクエア15階の「SHIBUYA QWS」で、日立アカデミーとの共催、ドラッカー学会の協賛で行いました。特別講演は、日立製作所名誉フェロー、脳科学研究で著名な小泉英明氏に、「脳の基本構造を知り、学びたいという気持ち、意欲やパッションの根源を知る」についてお話を頂きました。鼎談「脳科学、言葉、ものづくり、使える教養はどう育つか」では、キャスター・ジャーナリストの山本ミッシェール氏をお招きし、パネルディスカッションでは本学教養教育センター教員も参加して活発な討論が行われました。 第2回教養教育センター特別講演会の様子 教養教育センターでは、ものつくり研究情報センターと協力して、「半径5mの経営学 ドラッカー流 強みの見方・育て方」、「上田惇生 記念講座 ドラッカー経営学の真髄」、「ものづくりのためのデザイン思考講座」の社会人育成講座を行いました。 大学ホームページからは、埼玉の歴史や文化をものつくり大学独自で研究している「埼玉学」を発信しています。是非、ホームページをご覧ください。埼玉学の記事一覧はこちら 2024年度からの始動  2024年度からは、前述の「SHIBUYA QWS」のコーポレートメンバーに入会する予定で、会員になると月に1回広い会場スペースを利用することができます。特別講演をはじめ、様々な行事を行えるようになりますので、新たな展開に期待してください。  授業では、「ICT基礎実習」、今年度新設した「データリテラシー・AI基礎」を軸に、文部科学省の「数理・データサイエンス・AI教育プログラム認定制度」に申請し、情報の分野を強化します。また、来年度は留学生のための「日本語」を新設して、「留学生就職促進教育プログラム認定制度」に申請し、留学生の日本語教育と就職支援を行います。 おわりに 教養教育センターは、向上心を持って日々新しいことに挑戦しています。来年度は第3回教養教育センター特別講演をはじめ、様々な取り組みを発信します。これからの教養教育センターの活動にご期待ください。 埼玉新聞「知・技の創造」(2024年1月5日号)掲載 profile 澤本 武博(さわもと たけひろ)建設学科教授 東京理科大学卒業、同大学院博士後期課程修了、博士(工学)。若築建設株式会社、東京理科大学助手を経て、2005年着任、2019年より学長補佐、2022年より教養教育センター長。 関連リンク ・コンクリート研究室(澤本研究室)WEBサイト・建設学科WEBページ・教養教育センターWEBページ

  • 建設学科の女子学生が、建設(土木建築)現場の最前線で働く女性技術者のリアルを『見る』・『聴く』

    2023年10月20日、若築建設株式会社(本社目黒区)主催の女性技術者志望者対象の「工事現場見学会及び座談会」に、本学から、建設業に興味のある建設学科3年の女子学生5名が参加しました。この企画は、参加した女子学生が工事現場や女性技術者について理解を深め、建設業の魅力に触れることで、進路選択の一助になることを目的としています。本学では、長期インターンシップや企業訪問等の多様なキャリア支援施策を実施していますが、女性による女性のための女性だけのユニークな企画参加はおそらく初めて。参加した女子学生5名のリアルな感想を伺いました。 一瞬で打ち解けた若き女性技術者の明るさと元気さ 会場となったのは東京都葛飾区の新中川護岸耐震補強工事の現場。本事業は、東京都の女性活躍モデル工事となっているものです。まず若築建設から女性技術者9名の自己紹介があり、続いて4班に分かれた本学の女子学生がそれぞれ自己紹介を行いました。その後、全体スケジュールの説明があり、「女性技術者の目線から見た現場の現況や魅力を見て、今後の進路選択に役立ててほしい」と本日の目的を強調されました。学生たちは明るく元気な女性技術者の皆さんから積極的に話しかけていただきました。遠藤 夢さん(澤本研究室)は「女性技術者の皆さんが初対面の人同士でもフレンドリーでした」と第一印象について話してくれました。次に、いよいよリアルな工事現場見学に移動。現在進めている施工場所の長さは約150メートル。その移動の途中、学生たちは、気さくに説明をされる女性技術者に触れ、「現場で働く人に対して怖いイメージをもっていたけれど、実際は優しかったです」と河田 さゆりさん(田尻研究室)はイメージと現実の姿の違いを感じたようです。工事中の現場では、この工事の責任者である女性の監理技術者が「現在進行中の護岸工事は階段状に削ったところに新しい土を入れ、地滑りが起こらないように転圧(固める)をしています」と説明してくださいました。その姿を見たタマン・プナムさん(澤本研究室)は「現場に女子の監理技術者がいるのは面白い」と興味を持ちました。学生たちはフェンス越しに護岸の工事現場の様子を見て、メモを取ったり、女性技術者から具体的な説明を聞いたりするなどして現場でどのような工事を行っているのかを体感していました。説明してもらっていたカルキ・メヌカさん(澤本研究室)とプナムさんは「現場で働く女性技術者の方に、優しく、いろいろ教えてもらえて、とても勉強になりました」と話していました。 また工事現場での女性への配慮の一つとして、設置された仮設トイレや休憩所も見学しました。気になる仮設トイレは臭いを極力抑えるコーティングがされていることや休憩所では、電子レンジやWi-Fiが完備されている話などを伺いました。学生たちは現場でどのようにトイレを使用したり、休憩したりするかといったことにも関心もあり、工事現場の環境改善が進んでいることを実感しました。晴天でしたが、風が強めの見学であったため、女性技術者から現場の仕事は天候に左右される仕事でもある事情をお聞きし、現場の実情を知り、「現場を見られてよい経験になりました」と遠藤さん。また、工事現場見学を通し「現場のイメージが変わり、若い方も働いていて、働きやすい環境だと感じました」と河田さんは話してくれました。今回の工事現場見学では、日頃見聞きできない工事の進行状況や女性技術者がどんな環境でどのように仕事をしているのか直接教えていただきました。今回の工事現場見学を通して感じ、学んだことを他の学生とも情報共有し、本学での学習に活かすとともに建設業界の内情について理解を深めていってくれることを期待します。 4班それぞれに笑顔があふれた座談会 遠藤 夢さん 1班の遠藤さんは、監理技術者含む入社1年目と2年目の女性技術者3名との座談会。用意されたプロフィールを見ながらの現場での仕事の話になり、「女性技術者でも夜勤はあるけれど『滑走路から見る東京の夜景』や『早朝の富士山』は格別」といった現場あるある的なお話をしてくださいました。女性技術者と男性技術者の違いに関心があった遠藤さんは座談会で「現場で働く技術者は資格もある人もいれば、そうでない人もいて、男女に優劣はなく、その人次第ということを知りました」と話してくれました。 2班の金子 歩南さん(澤本研究室)は、入社8年目と1年目の2名の女性技術者との座談会。入社した経緯や自社の良いところについて熱弁してくださったお2人。話を聞いた金子さんは「土木・建築の技術者に進もうとする人は『インターンシップ』がきっかけだったり、土木や建築が元々好きだったりする人がいることを知りました」と。また、土木・建築の技術者にとってどんなことが大変だったかを知りたかった金子さんは「入社当初は、土木・建築の技術者としてなかなか実力が認められなかったけれど、経験を積んで、実績を見てもらったり、さまざまな立場の方との話をしたりして分かってもらえるようになった」という体験談を聞けたそうです。 3班のプナムさんとメヌカさんは、中途入社した4年目と8年目の2名とスリランカ出身で入社2年目の計3名の女性技術者との座談会。さまざまな経歴をもつ女性技術者たちからキャリアの活かし方について具体的なお話が聞けました。また、留学生である学生2人は外国人の女性技術者の働き方や文化の違いの対応について関心が高く、働く上で文化的な違いをどうやって理解し、日本の働き方に合わせるかを熱心に聞いていました。日本でアルバイトをしているからこそ同じ外国人として働く上での大変さについて共感も生まれていました。 タマン・プナムさん カルキ・メヌカさん さらに、日本企業と海外企業の仕事の進み具合の違いといった国際的な話も展開されていました。プナムさんは「スリランカ出身の方の話がためになりました。また、海外プロジェクトに参加したら、その経験が身につき、自分自身の実力になることを知りました」と。メヌカさんは「入社前に資格取得が必要ではないかと考えていましたが、土木・建築の分野の資格は入社してからでも大丈夫だと聞いて安心しました」と話してくれました。 4班の河田さんは、入社1年目と6年目の2名の女性技術者との座談会。日常生活について話を聞いたり、女性技術者が設計したものを直接タブレットで見せてもらったり、働く上で必要なことを伺いました。リアルな女性技術者の話を聞いた河田さんは「就職活動するにあたり、立派な志望理由が必要だと思っていましたが、『さまざまな角度や観点から考えてもいいんだ』といったことを考える良い機会になりました」と話してくれました。 視野を広げた貴重な体験 今回の座談会では、学生たちが若築建設の女性技術者の皆さんからさまざまな体験やアドバイスを聞くことができました。金子さんは「他の会社を見学した際、現場で働くのは男性が中心でしたが、今日は年齢が近い女性技術者にお会いできて、話が聞けてよかったです」と他の会社見学とは違った体験ができたと話してくれました。現場で働く女性技術者の年齢が近い方も多かったため親近感もわき、自分事して考えることができ、大きく印象が変わったようです。 金子 歩南さん また、今後の進路選択に当たり、若築建設のような建設会社を選択肢に入れたい思いが生まれたり、視野を広げたものの見方について学ぶ機会になったりと貴重な時間になりました。プナムさんは「女性技術者の皆さんの経験をお聞きし、皆さんがどれだけ頑張っているかを知り、私も頑張り、このような職業に就きたいと思いました」と熱い思いを語ってくれました。メヌカさんは「若築建設では英語も磨けると聞き、とても興味を持ちました」と意欲をわかせていました。最後に澤本武博教授(建設学科)からは、先生自身が若築建設の勤務経験があったことや卒業生が働いていることなどを踏まえ「今日の経験を今後の学生生活や就職活動に活かしてほしい」というお話をしてくださいました。そして女性技術者の皆さんからは熱いエールを送っていただき、座談会の幕を閉じました。工事現場見学会や座談会の進行を行っていただき、また熱心に説明をしてくださった若築建設の女性技術者の皆さまには心より感謝申し上げます。 参加者/1班:遠藤 夢 さん(建設学科3年、澤本研究室)2班:金子 歩南 さん(建設学科3年、澤本研究室)3班:カルキ・メヌカ さん(建設学科3年、澤本研究室)3班:タマン・プナム さん(建設学科3年、澤本研究室)4班:河田 さゆり さん(建設学科3年、田尻研究室) 関連リンク ・建設学科WEBページ・澤本研究室WEBサイト・田尻研究室WEBサイト・若築建設株式会社WEBサイト

  • 【知・技の創造】地域活性化は子どもたちから

    地域を担うのは誰? 郊外や地方で人口が減少する中で、地域の活力や賑わいを維持するためには、少ない人口でも生産性を上げる新たな産業の創出や観光の振興などが考えられますが、そこに住まう「人」が必要不可欠です。そのため、いずれの地域も「人」を確保するために、移住・定住の促進や、地域外に居住されていても地域とかかわりを持ってもらえる関係人口を増やすことに力を入れています。 このように人口の減少局面では「地域の外の人」に目がいきがちですが、もっと身近なところに頼もしいヒューマンリソースがあります。 地域の子どもたち 地域の子どもたちは、私立学校を除けば、お互いに同じ地域の中で同じ小学校や中学校に通学することが多く、比較的近隣に居住して親密な人間関係の基礎を築いていく傾向にあります。しかしながら高校生や大学生になると、地域外への通学や活動の場面も多くなり、そのまま就職することでネットワークは広がりますが、地域へのかかわりは少なくなる傾向にあります。 このような、子どもたちの成長過程で広がるネットワークの中に、なかでも地域に根差した生活を送る小学生・中学生の時期に、もっと積極的に地域のまちづくりや課題解決への意識や行動につながる組織をつくることができれば、中長期的な人材確保につながるのではないかと考えています。 地域へのかかわりを維持  私たちの研究室では、地域の小学校と中学校をまたいで、子どもたちによって組織された「子どもまちづくり協議会」の試験的な設置を提唱しており、ある自治体において実際に取り組みを始めています。協議会というカタい表現はあくまで組織の趣旨や活動を理解してもらうための仮称で、覚えやすく親しみやすい名称をみんなで考えればよいと考えています。 この組織の大きな目的は、小学校・中学校の子どもたちにまちづくりや地域の課題を解決してもらう当事者の一員になってもらうことです。 もちろん、子どもたちだけでは難しい場面も多いと思われますので、大学をはじめ有志のオトナも適切なサポートを行います。組織の中には複数のチームがあり、学年単位といった横割りではなく小学生・中学生の区別なく学年も超えた混成チームを編成し、自分たちで決めたテーマに取り組んだり、ほかのチームと協力することで年齢の枠を超えたつながりをつくります。 このチームは学年が上がっても、卒業しても、地域を離れても可能な限り維持に努めます。成果は議会などに提言や報告することも考えられます。 緩やかだけど強力な応援団  このようなネットワークの中の組織から、たとえ数名でも地域に残って活躍したり、Uターンしたり、地域に居住していなくても興味を持ち続けて外からの力でまちづくりや地域課題の解決を支援したり、または地域に縁がなかった人までも巻き込むきっかけになれば、緩やかではありますが強力な応援団として、けっきょくは中長期的にみると大きな効果を発揮するのではないかと考えます。 地域の活性化には中核となる人材の存在がキモですので、その人材と地域にかかわるネットワークを、いまの子どもたちの中から「育てていく」仕組みづくりも重要ではないでしょうか。 埼玉新聞「知・技の創造」(2023年11月3日号)掲載 Profile 田尻 要(たじり かなめ) 建設学科教授  九州大学 博士(工学)総合建設会社を経て国立群馬工業高等専門学校助教授、ものつくり大学准教授、2013年より現職 自治体との連携実績や委員も多数 関連リンク ・生活環境研究室研究室(田尻研究室)WEBサイト・建設学科WEBページ

  • 先輩たちへの感謝を胸に大会へ ~第18回若年者ものづくり競技大会②~

    2023年8月1日から2日にかけて静岡県で第18回若年者ものづくり競技大会が開催されました。本学では建設学科から2名(建築大工職種1名、木材加工職種1名)の学生が出場し、建築大工職種で金賞、木材加工職種で銀賞という好成績を残すことができました。今回は木材加工職種で銀賞を受賞した入江 蛍さん(建設学科1年・静岡 科学技術高等学校出身)に、大会に出場した感想を伺いました。※木材加工職種の競技は、「小いす」を製作します。原寸図の作成、ホゾ(木材を接合する部分の突起)、ダボ(部材をつなぎ合わせる小片)による接合の加工、接合部の組み立てなどを行います。 慣れない作業に苦戦する毎日 入学当初から技能五輪全国大会に出たいと思っていました。友人から若年者ものづくり競技大会には1年生から出場できる事を聞き、早速、学内の掲示板を探しました。ものづくりに興味を持ったきっかけは、手先が器用な祖父が趣味で水車や離れを作っているのを見てきたからです。その後、大工仕事を学んでみたいと思って、高校で建築大工の技能検定を受けたり、高校生ものづくりコンテストの木材加工部門に出場しました。大工や家具、左官など色々なことに興味があって、ものつくり大学に入学したので、若年者ものづくり競技大会ではどの職種に挑戦するか迷いましたが、やったことがなかった家具に挑戦したいという思いから出場しました。練習は入学してすぐに始めました。大会出場を目指している新入生5人で先輩方に教えてもらいながら、毎日毎日練習をしました。先輩方は、日付が変わるくらいの時間まで常に教えてくださったのでびっくりしました。「まだ23時だからこれからノコやろう」とか日付をまたぐこともあったりして、時間の感覚がおかしくなっていました(笑)。授業もあって大変でしたが、昼夜を問わず練習できるのは良かったなって思います。それに、高校ではいつも一人で練習していたので、予選を受ける友人たちと一緒に、先輩方の指導を受けることができ、頑張ることができる環境はありがたいと思いましたし、だからこそ成長できたのかなって思います。 先輩との練習の様子 大工と家具では木材の大きさも道具も違いますが、少しは大工の経験があるから上手くできるかと思っていました。でも、予想以上に違いがありました。最初は、木材を切るにしても縦引き横引きが真っすぐできなくて、ぴったり合いませんでした。また、家具では白柿(しらがき)という罫書き線を引くための道具を使います。大工では墨差しや差し金を使って墨付けをするので、白柿を使ったことがありませんでした。持ち方もコツが必要で、垂直に線を引くのも難しかったので持ち方から慣れる必要がありました。家具の作業は考えることがすごく多かったです。刃には、しのぎ面という斜めになっているところがあって、そこが加工する側にくるようにとか、線を引くのもどの向きにとかスコヤをどこに当てるのかなど、ただの墨付けではあるんですけど、考えながらやる必要がありました。上手くできるようになったのは5月の学内予選の頃です。予選の時に、縦引きも横引きも最初に比べて真っすぐ切れるようになりましたし、ノミでの作業も綺麗にできるようになってきました。 わずかな隙間 高校生の時は、検定を受ける時も大会に出る時も自信を持てるまでずっと練習をしていたので、あまりプレッシャーを感じることはありませんでした。だけど今回は、本番一週間前までは何回やっても標準時間内に完成できませんでした。やればやるほど課題が見つかって、上手くいかないことがどんどん増えて焦っていました。練習で最後の最後まで納得がいく作品を作れなかったので、緊張していました。それに、本当に多くの方に教えていただいたので、期待に応えたいという気持ちがあったけど不安でした。練習では、標準時間にプラス30分程度かかって完成していましたが、それでは減点になってしまいます。金賞を狙うからには、時間内に作って減点を抑えようと思って大会に臨みました。午前中は思いのほかペースが良くて予定外のところまで作業が進んでしまいました。残りの5分は何をしたらいいのかというくらい余裕が出てしまい、掃除などをしていました(笑)。今にして思えば、ここでもうちょっと考えて進めておけば良かったなと思います。午前は驚くほど調子が良かったのですが、午後になり、最後の一番大事なところを綺麗に切れなかったことを後悔しています。練習の時も上手くいかなくて改善策を見つけて挑みましたが、今一つ上手くいかず隙間がわずかにできてしまいました。仕上げの時に、やすりをかけたり、ボンドで埋めたりして隙間を少しでも埋めるために調整して何とか仕上げました。不安だった作業時間は、標準時間よりプラス10分かかりました。プラス5分ごとに1点減点されてしまうので、出来栄えと減点を秤にかけて作業を終了することを目安にしていました。 完成した課題は、1か所隙間があり納得のいくものではなかったので「金賞は難しいかな」と思いました。でも、やってきたことに後悔はないのでその時の最大限の作品は作れたと思っています。今回、銀賞を受賞することができましたが、「やっぱり金賞取りたかったなぁ」って残念な思いです。でも、作品の出来栄えからすると入賞できて、先輩方の期待に少しは応えることができてほっとしています。先輩方には本当に毎晩遅くまでたくさん教えていただいたので感謝の気持ちでいっぱいです。 やりたい事がいっぱい 色々興味はありますが、建築士になりたいという目標があります。設計する上で、大工や左官のことも分かっていたほうが良いと思うので、まずは、1年生2年生のうちに左官や設計、資格取得など色々なことを経験したいと思います。実習が豊富だから仕上げや木造の実習も頑張りたいです。もうすぐインターンシップ先を決める時期ですが、どの分野に行くかすごく迷っています。本当は、これと決めた分野を究めていったほうがいいとは思っているんですけど、やっぱり色々なことに挑戦して経験を積んでいきたいです。 関連リンク ・練習で磨いた100%の技術を ~第18回若年者ものづくり競技大会①~・若年者ものづくり競技大会 大会後インタビュー・若年者ものづくり競技大会実績WEBページ・建設学科WEBページ

  • 練習で磨いた100%の技術を ~第18回若年者ものづくり競技大会①~

    2023年8月1日から2日にかけて静岡県静岡市で第18回若年者ものづくり競技大会が開催されました。本学では建設学科から2名(建築大工職種1名、木材加工職種1名)の学生が出場し、建築大工職種で金賞、木材加工職種で銀賞という好成績を残すことができました。 今回は建築大工職種で金賞を受賞した古舘 優羽さん(建設学科2年)に、大会に向けて積み重ねてきた努力などを伺いました。 ※建築大工職種の競技は、決められた時間内に木造小屋組の一部を製作し、出来栄えを競います。作業は、「カンナによる部材の木ごしらえ」→「正確な墨付け」→「ていねいで素早い加工仕上げ」の順で進められ、最後に各部材を組み立てて完成させます。 高校時代にやり残したこと 私は工業高校の建築科に通っていました。高校時代は部活動のバスケットボールばかりしていました。高校生の時から大工の検定や競技大会に興味はありましたが、先生から部活か競技大会か絞るように言われ、小学生から続けてきたバスケットボールを優先しました。進路を選択する際に、大工以外にも専門工事や設計など幅広く担える技術者になりたいと思い、木造建築以外にも様々なコースがあって、幅広く学べるものつくり大学への進学を決めました。大学に入学後は、まずは高校生の時にやりたかった検定に挑戦しようと思いました。1年生の時は、木材加工職種での出場を目指していましたが、学内予選で2位だったため出場することは叶いませんでした。今年は、建築大工職種の技能検定3級を受験し、学内で1位の成績を取ることができ、大会への出場権を得ました。大会に出場が決まってからは、インターンシップとして2か月間、家の巧株式会社にお世話になり練習に明け暮れました。家の巧株式会社には、非常勤講師で大会の検定員も務めている宮前 守先生や大会に出場経験がある卒業生の方がいて、指導していただきながら練習を進めました。 本番で100%の力を出すために 競技が終わった瞬間、練習の時より良いものができたという直感がありました。大会本番は練習の時より少し余裕を持って仕上げることができたので、最後に見落としがないか確認することができました。金賞とは言わないけど賞は取れると思いました。 金賞を受賞した課題 練習を見ていただいていた宮前先生から「練習で100%、120%のものを作れないと本番で同じように作れない」とずっと言われていました。大会の2週間前に製作時間が競技の標準時間内に入ることができました。それまでは時間内に完成させることを優先していて精度が低かったので、次は正確に作ることに集中していたら、また時間内に完成しなくなってしまいました。これはマズいと思って、休日にリフレッシュして最後の1週間を迎えました。この1週間は、製作時間の管理をしっかり行い、課題を5つ作りましたが、今までと比べ物にならないほど急に良いものが作れるようになりました。最後の最後で、100%に近いものを出せたと思えたので、大会で少し余裕を持つことができました。練習で一番のものを作れたからこそ本番でも金賞の課題を作れたのだと思います。 最後の1週間で製作した課題 課題の制作では「削り」と「墨付け」の工程が重要になります。「削り」は最初に渡される木材が仕上げの寸法よりも1.5㎜大きく製材されているため、寸法どおりに小さくしなければなりません。 カンナがけを行う古舘さん 「墨付け」については、墨を付ける場所が間違っていたら加工にも影響してしまい正確なものが完成しません。木材は全部で8本ほどありますが、ずっと練習をしていると墨を付けている時などに「何かこれおかしいな」って体が勝手に反応するようになります。例えば、練習中にいつもどおりに墨を付けたつもりが、墨付けが終わった時に木材全体を眺めると、ここの幅がいつもと違うなと思って、測ってみたら1㎝足りなかったという事がありました。こういった事も練習を繰り返していないと体に沁みつかないと思います。 墨付けをする古舘さん 練習では課題を20台作りました。月曜日から土曜日まで練習していましたが、1日は道具を研ぐ時間に充て、それ以外の日は課題を作っていました。道具をしっかり研いでおかないと摩耗して欠けてしまったり、切れ味が悪くなったりしてしまうため、道具を研ぐことも練習と同じくらい大切だと考えています。本番で使う道具だからこそ、練習の時から本番と同じ状態にしておかないと意味がないと思っていました。もちろん、毎日の練習が終わった後の手入れも欠かさずしていました。練習は、家の巧株式会社の工房で行っていました。宮前先生や卒業生の方は、日中は現場に出ていて、現場終わりや土曜の午前中に見に来てくださってアドバイスを受けていました。お二人のアドバイスはいつも的確で、すごく参考になりました。アドバイスをいただいた後は自分で考えて練習に落とし込んでいきました。ただ、基本的に1人で練習していたためペース配分が分からないことがあり、競う相手もいないから出来栄えの比較もできなくて苦労しました。気が滅入った時も1人ではなかなか切り替えるのが難しく、色々な面で1人というのが辛かったです。夢でも練習をしていて、失敗する夢でうなされて起きたこともあります。 頑張れた理由 高校生の時に特に何もできなかった私ですが、大学に入学してからでも努力すればできるということを実感したかったからストイックに練習することができました。それと、少しは母校である八戸工業高校にメッセージとして伝えたいという思いもありました。また、技能検定3級の課題で100点を取っていました。大会の課題は技能検定より少し難しい程度で、基本的な加工はほぼ同じだったので、大会の課題も100点に近いものができるよなって思い、自然と金賞が目標になりました。若年者ものづくり競技大会ではしばらく本学から金賞を受賞した人がいないと聞いていたこともあって、何とかして久しぶりに金賞を取って大学に帰りたいという思いもありました。母校には金賞受賞を報告していませんでしたが、担任の先生から「金賞取ったって話題になってるぞ」って連絡が来ました。今回の結果が、高校の後輩たちの励みになっていたら嬉しいです。これからは、入学前から考えていた技能五輪全国大会への出場を目標にします。そのためにまずは、2月に実施される技能検定2級で上位入賞を目指して練習していきます。それから、ものつくり大学に入学したからには大工の勉強をもっと専門的にしたいと思っています。入学してからの1年半は想像していたとおりの学生生活を送ることができています。すごく建築に詳しい先輩もいて、毎日が勉強です。入学前に思っていたよりも色々なことが学べています。将来は地元に帰るのか、関東で就職するのかはまだ決めていませんが、大学で学んだことをしっかり活かして、必要とされる人材になりたいと思います。そのためにも、学業を頑張っていきたいです。 関連リンク ・先輩たちへの感謝を胸に大会へ ~第18回若年者ものづくり競技大会②~・若年者ものづくり競技大会 大会後インタビュー・若年者ものづくり競技大会実績WEBページ・建設学科WEBページ

  • 【知・技の創造】気がつく人

    「気がつく」ということ 人の特性のひとつに「慣れ」があります。はじめはおぼつかないことでも、慣れてくるとスムーズにできるようになります。これは良い例なのですが、悪い例もあります。何かが便利になるとはじめの内はありがたがるのですが、その便利さに慣れてしまうと当初の感謝の気持ちは薄れてきてしまいます。そして、急に不便になったときには腹を立てたりします。元に戻っただけなのだから腹を立てなくても、と思うのですが、そうはいきません。かく言う私も紛れもなくその一人です。そのときに今まで便利であったことに改めて気がつきます。 この「気がつく」ということは人には大事です。特に勉強でも研究でも趣味でもどんな場合でも、何か課題を解決しようとしているときにはとても大事だと思います。ところが日常的には中々気がつきません。周囲の多くのものに注意を払っていれば気がつくのではないかと思うのですが、多くのものに注意を払うのも大変です。メガネを使用している読者の方々は、メガネを掛けていることに気がつかずにメガネを探した、という経験はありませんか。私はあります。気がつくことは案外大変なのです。ただ、何かきっかけがあれば気がつくことができる、というのが先の「悪い例」です。もちろん良いことについても、きっかけがあると気がつきやすいはずです。 「気がつく」の応用 この「気がつく」ということを技能の修得に活用できないか、と考えています。技能の修得には一般的に時間が掛かります。例え仕事に関わる技能であっても、仕事中は技能の修得(つまり練習)のみに時間を割くことはできませんから、時間が掛かるのは仕方がありません。以前から「習うより慣れろ」という言葉がありますが、慣れるのにも時間が掛かるのです。そこで、慣れていく途中で自分より上手な他社との違いに「気がつく」ような指標を示すことができれば、技能の修得に役立つのではないかと考えています。また、当たり前のことですが、気がつくのは自分自身です。気がついたことをその人自身が自覚しなければなりません。自覚するためには自分自身あるいは成果を客観的にみる必要があります。ところが一生懸命にものごとに取り組むと、夢中になってしまって自分自身を客観的にみられなくなってしまう。あるいは目的を見失ってしまう、という状況に陥りやすくなります。そのようなときに、見失った自分や目的に気がつけるような仕組みの構築を目指しています。 何かを修得しようとする(上手にできるようになろうとする)ときには、まずは先達の物まねからはじめます。ところが物まねはできても、結果が伴わないことはしばしばあることです。これはスポーツを例にするとよくわかると思います。もし物まねで済むのであれば、皆同じ打ち方、投げ方になるはずです。しかし実際にはそうはなりません。なぜならば、人それぞれの体の大きさや関節の動く範囲、筋力などが異なるからです。 したがって人はまず物まねをしますが、その後何かに気がついて、自分なりの方法を見つけることになります。何に気がつくか、についても人それぞれです。ただ気がつくきっかけを提示できればと考えています。 埼玉新聞「知・技の創造」(2023年9月8日号)掲載 Profile 髙橋 宏樹(たかはし・ひろき) 建設学科教授順天堂大学体育学部卒。同大大学院修士課程修了後、東京工業大学工学部建築学科助手を経て02年ものつくり大学講師。08年より現職。博士(工学)。 関連リンク ・人の生活と建築材料の研究室(髙橋研究室)WEBサイト・建設学科WEBページ

  • 【知・技の創造】木造住宅4号特例の縮小

    木造の住宅設計における「4号特例」とは 私の研究室では建築物の構造設計を通じて物の仕組みや成り立ちを考える研究を行っています。皆さんは木造の住宅設計において「4号特例」という制度があるのをご存じでしょうか?4号特例について新築の設計を例に説明すると、建築基準法第6条1項4号で定める建築物を建築士が設計する場合、建築確認の際に構造耐力関係規定などの審査を省略できる制度の事です。つまり対象となる建築物を設計する際に一部の書類提出を省略できるため、建築士も施主が望まない限りは審査に不要な書類の作成は行ってきませんでした。ここで対象となる建築物とは住宅等の木造建築物で2階建て以下の建物、延べ面積が500㎡以下で建物高さが13mまたは軒の高さが9m以下の建物で、これらの建物については建築確認審査を簡略化するという規定が「4号特例」と呼ばれる制度です。 ただし、建築士の責任で基準法に適合させることが前提です。4号特例は1983年に法改正してできた制度で当時の4号建築物の着工件数は今の倍程度あり確認審査側の人手との兼ね合いで、設計業務の一部の範囲については建築士の判断に委ねようという経緯がありました。 その後、1998年の建築基準法改正による建築確認・検査の民営化等によって、建築確認審査の実施率が向上し続ける一方で、4号特例制度を活用した多数の住宅において不適切な設計・工事監理が行われ、構造強度不足が明らかになる事案が断続的に発生したことなどを受け、制度の見直しの必要性が検討されてきました。 4号特例の縮小と課題 そのような状況の中、地球規模の課題である気候変動問題の解決に向けて、2050年までにカーボンニュートラルと呼ばれている脱炭素社会の実現に向けて国土交通省は建築物省エネ法と建築基準法を改正しました。2025年の全面施行に向け、段階的に政省令や告示などを定めていく予定で、その改正の中に「4号特例の縮小」と呼ばれる審査制度の見直し案が盛り込まれることになりました。改正後は4号の規定内容は新3号というものに引き継がれ特例となる対象は、平屋建て、床面積200㎡以下に範囲が縮小されます。 つまり2階建ての木造戸建て住宅は構造審査が必要になるという事です。これは建築業界にとっては大きな変化で建築士の業務量は増大し確認審査員の負担する審査件数も増大することで円滑な施工が実現できるのか懸念されています。木造住宅を手掛ける構造設計者の人数は、4号特例の縮小によって構造計算が必要になる住宅の物件数の増加に対して十分とは言えず、今後建設業界全体で木造住宅の構造計算を手掛けられる技術者を育てていく必要があります。もちろん4号特例の縮小は住宅を建てる施主側にとっては大きな安心につながります。より構造計画を重視した設計が求められることになり構造設計者の役割が重要になってきます。 私の研究室でも建築構造の基礎を学び構造設計の分野で活躍できる人材を社会に送り出していきたいと思っています。 埼玉新聞「知・技の創造」(2023年7月7日)掲載 Profile 間藤 早太(まとう・はやた) 建設学科教授日本大学理工学部建築学科卒業。1級建築士・構造設計1級建築士。金箱構造設計事務所を経て間藤構造設計事務所を設立。2022年より現職。 関連リンク ・建設学科WEBページ

  • 【Fゼミ】私の仕事 #4--歌手としての歩みとライフワーク

    1年次のFゼミは、新入生が大学生活を円滑に進められるように、基本的な心構えや、ものづくりを担う人材としての基礎的素養を修得する授業です。このFゼミにおいて各界で活躍するプロフェッショナルを招へいし、「現場に宿る教養」とその迫力を体感し、自身の生き方やキャリアに役立ててもらうことを目的として、プロゼミ(プロフェッショナル・ゼミ)を実施しました。今回は、歌手として都内のオペラ劇場を中心に活躍する他、作曲家、台本作家、指揮者、演出家の顔を持つ舞台の総合クリエイター、阿瀬見貴光氏を講師に迎えたプロゼミをお届けします。 肉声の魅力-声楽とは 私の職業は歌手です。声楽家です。主にオペラや舞台のクラシックコンサートに出演します。それと同時に故郷の加須市で市民ミュージカルのプロデュースも行っています。まずは歌手としての仕事についてお話したいと思います。 声楽家と現代的な歌手の大きな違いは何でしょう? そうです、マイクを使うか否かです。2,000人規模の大ホールでも60人以上のオーケストラと共演する場合も、基本的に声楽家はマイクを使いません。すなわち、肉声の魅力で音楽を表現します。肉声だからといって声はただ大きければよいというわけではありません。特にオペラは「声の芸術」とも言われていて、大事なのはよく響いて遠くまで通る声です。たとえば、「ストラディバリウス」というヴァイオリンの名器をご存知の方はいますか? ストラディバリウスの音色は実に繊細で密度が高い。そして近くで聴いているとそれほど大きな音に聞こえないのに、不思議と遠くの方まで響きが飛んでいくという特性があります。声楽家はそのような魅力的な音色をお手本にして技を身につけます。楽器である身体を鍛えたり、音声学を学びます。日々の発声練習も欠かしません。世界にはたくさんの種類の楽器がありますが、人間の声こそが最も美しく表現力豊かな楽器であると私は考えています。皆さんにはアコースティックサウンド、生の響きの醍醐味を感じていただきたいですし、そのようなコンサートに是非とも足を運んで欲しいと思います。 さて、ここで実演の意味も込めて歌ってみたいと思います。オペラ発祥の国イタリアから「オー ソレ ミーオ」というナポリの民謡です。高校1年の教科書に載っていますからご存知の方も多いかもしれませんね。私はイタリアに勉強に行ったことがあるのですが、イタリア南部の方の気質はとにかく陽気でおおらかです。この曲もまたそのような気質が現れていて、活きていることが素晴らしいと感じさせてくれます。 『オー ソレ ミーオ』 新国立劇場オペラの13年間 私は渋谷区初台にあるオペラ専用劇場を有する新国立劇場に所属し、約13年間インターナショナルな活動をしてまいりました。この劇場は、オペラのほか、舞踊と劇場の部門がありまして、どれも大変クオリティの高い公演が行われています。とくにオペラ部門は『ニューヨーク・タイムズ』のオペラ番付でも上位にランキングする実力があり、世界中のトップレベルの演奏家や演出家を招へいしています。 私はこの劇場の13年間オペラ公演で、延べ156演目、780のステージに立ちました。世界トップレベルの芸術家と一緒に舞台を創ること、それが私にとって何より刺激の源になりました。彼らとの日々のリハーサルや公演を通して、彼らの美の根底にある感性、思考、宗教観に触れることができたからです。近年ではウェブ上に舞台の情報が溢れる時代になりましたが、現場でしか味わえない貴重な経験をさせていただきました。日本にいながらにして、まるで海外留学をしているかのような気分です。 さて、オペラと言えばイタリア、ドイツ、フランス、イギリスなどヨーロッパを中心とした国々の芸術家との交流が多いのですが、「オペラ界のアジア」という視点で世界を見たとき、生涯忘れられないエピソードが2つありますのでご紹介したいと思います。 日中共同プロジェクト「アイーダ」と韓国人テノール ひとつ目は2012年の日中共同制作公演『アイーダ』です。日中国交正常化40周年の節目に日中の友好の象徴として共同制作されました。この前代未聞のプロダクションは、歌手およそ100名を新国立劇場と中国国家大劇院から集め、東京と北京で公演するというものです。国家大劇院は北京の中心部にありまして、国の威厳をかけて創設された大変立派な建築物です。近くには人民大会堂(日本の国会議事堂に相当する)があります。当時、中国の反日教育はよく知られていたので、劇場内でも日本人スタッフへのあたりが厳しいのではと心配したものでしたが、まったくの杞憂でした。むしろ国家大劇院の皆さんはとても友好的で、日本の音楽事情に興味津々といった様子でした。休日には関係者が北京市内を案内してくれもしました。リハーサルの後に、若いテノール歌手に食事に誘われ「遠くから来た要人には徹底的にもてなすのが中国人の流儀だ」と言って、約一カ月分のお給料に相当する額のご馳走を用意してくれたこともありました。そして肝心のオペラ公演も大成功を収めました。隣国同士の東洋人が心をひとつにして、西洋文化の象徴であるオペラに挑戦する。満席6,000人の巨大オペラ劇場が大いに湧きました。国家間の歴史認識の違いはあれど、芸術の世界に酔いしれるとき、国境が存在しないのだと感じました。しかし大変残念なことに、東京公演の一週間後、日中両国の外交関係が急速に悪化していきました。もし、このプロジェクトがあとひと月も遅ければ公演中止となっていたでしょう。 ふたつ目のエピソードは韓国です。皆さんは韓国アイドルの「推し」はありますか? 現在ではK-pop が大人気ですし、化粧品、美容グッズ、ファッションなど韓国のトレンドには力があります。若い皆さんは驚くかもしれませんが、2013年頃の日本では韓国に対する嫌悪感、いわゆる「嫌韓」の風潮が非常に高まっていました。その年の流行語のひとつは「ヘイト・スピーチ」でした。新宿区大久保などではデモがあり、激しいバッシングも見られました。そんな社会状況の中、新国立劇場ではオペラ『リゴレット』が公演されました。主役は韓国人の若手テノール歌手、ウーキュン・キム。それまで新国立劇場で韓国人が主役を張ることはほとんどなかったこともあり、過激な世論の中で彼がどんな評価をされるのか、私は興味深く見守っていました。彼の歌声は実に素晴らしいもので、客席は大きな拍手で彼を称えました。「日本の聴衆よ、よく公平な目で評価した!」隔たりを越えた美の世界を感じ、私はステージ上で静かに胸を熱くしました。 インターナショナルな活動の中で私がいつも思うことは、舞台製作の環境は常に政治の影響を受けていますが、政治に侵されない自由な領域を持つのもまた芸術の世界であるということです。だからこそ我々芸術家は、人間の普遍的な価値観や幅広い視点をもって世界の平和に貢献すべきだと考えています。 テクノロジーと古典芸能の融合-オペラ劇場の構造 今日は建設学科の講義ですので、オペラ劇場の構造について少し触れてみたいと思います。まず特徴的なのはステージと客席に挟まれた大きな窪みです。これは「オーケストラ・ピット」と言います。 ここにオーケストラ団員最大100名と指揮者が入り演奏します。ピットの床は上下に動きます。床が下がってピットが深くなるとオーケストラの音量が小さくなり、逆に床が上がると音量は大きくなります。これによって歌手の声量とバランスを取りながら、深さを調節するわけです。ピットの上には大きな反響板があります。オペラやクラシック音楽においては、いかに生の響きを客席に届けるかが大切ですから、音響工学の専門家が材質や形状にこだわり抜いてホール全体を設計しています。 これは劇場平面図です。客席から見える本舞台の左右と奥に同じ面積のスペースがありまして、これを四面舞台と言います。大きな床ごとスライドさせることができます。これによって、巨大な舞台セットを伴う場面転換がスムーズにできますし、場合によってはふたつの演目を日替わりで公演することも可能です。この機構をもつオペラ劇場は日本ではほんのいくつかしかありません。次は劇場断面図を見てみましょう。舞台の上には大きな空間がありまして、これは照明機材や舞台美術などを吊るためのものです。下側はというと「セリ」といって、舞台面の一部もしくは全体を昇降させることができます。そして、これらの機構の多くはコンピューターによって制御されています。最新のテクノロジーは古典芸能であるオペラ(400年の歴史)に新たな表現方法をもたらし続けているのです。 私のライフワーク-ミュージカルかぞ総監督として 「多世代交流の温かい心の居場所をつくろう」と思いついたのは約30年前のことです。私が大学3年生の夏に読んだ新聞記事がきっかけとなりました。若者の意思伝達能力の低下や家庭内暴力は、家庭問題というより社会の歪みに原因があるだろうと考えていました。「自分にできること、自分にしかできないこと」音楽や舞台表現を手段として、人間が人間に興味をもって、大いに笑い、平和を謳う。そんなコミュニティをつくろう!自分がオペラ歌手になるための勉強と並行して、文化団体の運営のイメージを実践方法を温め続けました。 2012年の夏に故郷である加須市で、市民劇団「ミュージカルかぞ」を立ち上げました。ありがたいことに、市長、教育長をはじめ、地元の実力派有志たちが私の掲げる活動理念に賛同、協力してくださいました。さらに嬉しいことに、一年目からすべての年代がバランスよく揃った『三世代ミュージカル』を実現したのです。また、ダンス講師、ピアニスト、照明家などプロの第一線で活躍する業界の仲間も加須に駆けつけてくれました。市民が主役の劇団ですから入団資格は『プロの舞台人でないこと』、以上。技と魂を兼ね備えたプロの舞台スタッフが環境を整え、地元のアマチュア俳優をステージで輝かせるのが私の手法です。団員たちが燃えるような魂で舞台に立つとき、キャラクター描写の奥に個々の圧倒的な生き様が放たれます。そこには見る者の魂を震えさせるほどの「人間の美しさ」があるのです。 しかし、そこにたどり着くまでには膨大な時間と労力、技術を要します。ほとんどの団員は演技や歌唱の経験がないからです。舞台での身体表現、呼吸法、発声法、楽曲分析、台本の読解法、そして舞台創りの精神など、私が日々舞台で実践していることを43名の団員たちに解りやすく愉快に伝えています。 ミュージカルかぞは年に2演目を10年間公演し続け(コロナ禍の中止はありましたが)、着実にレベルアップしています。いつも満員御礼の客席からは割れんばかりの拍手と「ブラボー!」が飛び交います。涙を流しながら客席を立つお客様の姿が増えました。県外からのファンや、教育や文化に携わる方も多くいらっしゃるようになりました。 『大人が笑えば子供も笑う』…劇団の稽古場は笑い声が絶えません。しかし、団員個々の心の事情には静かに話を聞いて、一緒に考えます。不登校、引きこもり、健康上の悩みなど事情は様々ですが、そこから社会の歪みが見えることは少なくないです。しかし、舞台表現を磨き続け、少しずつ自分の声と言葉で素直な自分を語れるようになった団員を見たとき、私も生きていて良かったと感じます。特に子どもや若者には、人と繋がって喜びを感じる『真実の時間』を過ごしてほしいと考えています。それは誰かを愛するための心の糧になると思うからです。 時空を超えるメッセージ-ミュージカル『いち』 さて皆さん、「愛」って何でしょうね? こういった漠然とした質問が一番困るんですよね。そのような抽象的なイメージを閃きに導かれながら具象化できるのが芸術文化のいいところです。愛をいかに表現するか、私も日々悩み続けています。 私の劇作家としての代表作にミュージカル『いち』があります。作品のもととなった加須古来からの伝承『いちっ子地蔵』を読んだ瞬間、作品のインスピレーションが稲妻のように降りてきました。眠るのを忘れるくらい無我夢中で台本と楽曲を書き留めました。全2幕8景、26曲、公演2時間と、なかなかのボリュームです。ドラマの舞台は天明6年(1786年)の加須です。水害などの度重なる困難に屈することなく、助け合って前を向いて生きるお百姓さんたちの姿を描いています。現代のような科学技術はなく、物質も情報も豊かではない村落共同体の人々は何に価値を感じて生きていたのか? 現代人が忘れかけた大切な「何か」を思い起こさせてくれるのです。そして、いつも忘れはならないのは「土地に生きた先人たちの努力、犠牲、愛があったからこそ、現在の我々がある」をいうことです。脈々とつながる命、先人からの愛に感謝することが、光ある未来を導くと『いち』は教えてくれます。 「大きな社会は変えられない、まずは小さな社会から」-。土壌づくりに20年。故郷で愛の種を蒔き始めて約10年。それらが今、芽吹きはじめました。埼玉の小さな街から田畑を越えて、時空を超えて、これから新たな愛の連鎖が広がっていくのだと思います。 『野菊』 『翼をください』 『帰れソレントへ』 Profile 阿瀬見 貴光(あせみ・たかみつ)昭和音楽大学声楽科卒業。日本オペラ振興会オペラ歌手育成部18期修了。声楽を峰茂樹、L.Bertagnollio の各氏に師事。歌手としては都内のオペラ劇場を中心に活躍し、定期的なトークコンサート《あせみんシリーズ》では客席を笑いと涙の渦に巻く。その他、作曲家、台本作家、指揮者、演出家の顔を持つ部隊の総合クリエイター。完全オリジナル作品の代表作にミュージカル《いち》があり、これまでに5回の再演を重ねている。プロの舞台で培った技術や経験を地域社会に還元すべく、子どもの教育や生涯学習を目的としたアマチュア舞台芸術の発展に力を注ぐ。教育委員会等で講演を精力的に行い、芸術文化による地方創生の実践を伝えている。NPO法人ミュージカルかぞ総監督。ハーモニーかぞ常任指揮者。加須市観光大使。地元の酒をこよなく愛する四児の父。 関連リンク ・【Fゼミ】私の仕事 #1--デジタルマーケティングとオンライン販売 基礎・実践・【Fゼミ】私の仕事 #2--私が在籍してきた企業におけるマーケティング・【Fゼミ】私の仕事 #3--自分を活かす 人を活かす 原稿井坂 康志(いさか・やすし)教養教育センター教授

  • 【Fゼミ】私の仕事 #3--自分を活かす 人を活かす

    1年次のFゼミは、新入生が大学生活を円滑に進められるように、基本的な心構えや、ものづくりを担う人材としての基礎的素養を修得する授業です。このFゼミにおいて各界で活躍するプロフェッショナルを招へいし、「現場に宿る教養」とその迫力を体感し、自身の生き方やキャリアに役立ててもらうことを目的として、プロゼミ(プロフェッショナル・ゼミ)を実施しました。今回は、OL時代、自身の体調不良が玄米で改善した経緯から大阪で玄米カフェ実身美(サンミ)を創業し、顧客の健康改善事例に多く立ち合ってきた大塚三紀子氏を講師に迎えたプロゼミの内容をお届けします。 学生時代から就職まで 私は現在、㈱実身美を経営しています。本日は「自分を活かす 人を活かす」というテーマで私の経験をお話ししたいと思います。 最初に私の学生時代から始めたいと思います。私は法学部の出身なのですが、大学時代は正直なところやりたいことがありませんでした。何をしようかわからなかったというのが実感でした。法学部に在籍したことから、税理士事務所に就職はしてみたものの、やりがいは感じられませんでした。そのようなこともあり、しばらくして体調を崩してしまったのですね。 そんなとき、玄米食に切り替えたところ、めきめきと回復したのです。この経験は私にとって鮮烈なものがありました。そのとき思いました。体調不良の悩みを持つ人はきっと日本全国にいるはず。ならば、同じような方法で体調が回復することで喜びを共有することはできるだろうと。私自身が苦労したことをもとに、世の中の問題を解決できるのではないかと考えたわけです。そこで、事業を始めることにしました。これが私が経営者になったきっかけでした。 起業の経緯 実身美(サンミ)は、名前がコンセプトになっています。「実」があって「身」体に良くて「美」しい。すべて「み」と読みますから、3つで「サンミ」と呼ぶわけです。実身美は2002年に大阪市阿倍野区にて創業しています。現在は、玄米を主食とした健康食を提供しており、年間40万人以上のお客様にお届けしています。大阪阿倍野区、都島区、中央区、東京都、那覇市に5店舗を展開しています。 通信販売にも力を入れておりまして、独自開発の酵素ドレッシングは、全国お取り寄せグランプリ3年連続日本一(2017年全国4,400商品中1位、2018年全国4,730商品中1位、2019年全国5,131商品中1位)の評価をいただいております。現在でこそこのような高評価をいただいているものの、起業の時からすべてがうまくいったかというとまったくそうではありません。これから少しそのお話をしたいと思います。もともと食には興味があったのですが、起業となると何もわかりません。私はその分野にはまったくの素人でしたので、創業支援制度を利用して相談してみると、まずは「事業計画書を作成するように」と言われたのですね。ここで私は、コンセプトと数字の大切さを徹底的に学ぶことになりました。起業にあたって思いや志は何にもまして大切なものです。しかし一方で、現実に事業を成り立たせていくためいには、実にたくさんの具体的な行動が必要になってきます。 そこで大切なのは、仕組みづくりであり、数字をきちんと計算することです。たとえば、私は起業にあたって、公的金融機関からしかるべき融資をいただいたわけですが、それは言い換えれば借金をしたということです。借金をしたら、期限までに返さなければならないのは当然です。そこで、経営というものの責任を実感させられました。一度責任を引き受けた以上、何としてでもやらなければならないと決意しました。 そうなると、必要な費用を賄うのに、いくら必要か。これは痛いくらいの現実で、従業員やアルバイトさんの時給など掛け算すれば経費が出てきます。何で稼いで経費を払っていくか。これを計算しました。一日に必要な収入を割り出すと、ご来店54人という数字が出ました。これより少なかったら、店を成り立たせていくことはできないし、従業員にお給料も払えないわけです。 今にして思うのですが、「1日54人」の数字が出たから、私は成功できたのだと考えています。もちろん、お金だけではありません。店舗を展開していく中で、どうしても自分だけでは限界があります。人に働いてもらわなければなりません。自分がわかっているだけでは回らないのです。そのときはたと気づきました。どう人に動いてもらうかがわからなかったのです。そんなときに出合ったのが、「マネジメントの父」と言われているピーター・ドラッカーでした。 ドラッカー『仕事の哲学』との出合い 行き詰っていた時に出合ったのが、『仕事の哲学』というドラッカーの名言集です。2003年夏のことでした。まず感銘を受けたのが、「帯」の言葉です。 「不得手なことに時間を使ってはならない。自らの強みに集中すべきである」。 これは本当に救いになりました。その人にできることを生かさなければならない。生かせないならそれはマネジメントの責任ということです。この時期にビジネス界にも影響力を持つ人と出会えたのは幸福だったと思います。翌年2004年からはソーシャルネットワークで「ドラッカーに学ぶ」コミュニティも運営しはじめました。2007年には、翻訳者の上田惇生先生(ものつくり大学名誉教授)に勧めていただき、ドラッカー学会に入会して現在に至っています。 念のため、ここでドラッカーについて説明しておきます。1909年にウィーン生まれ。2005年にアメリカで没しています。「ビジネス界に最も影響力をもつ思想家」として知られる方で、東西冷戦の終結、転換期の到来、社会の高齢化をいちはやく知らせるとともに、「分権化」「目標管理」「経営戦略」「民営化」「顧客第一」「情報化」「知識労働者」「ABC会計」「ベンチマーキング」「コア・コンピタンス」など、マネジメントの理論と手法の多くを考案し、「マネジメントの父」と呼ばれています。今当たり前に通用している経営戦略とか目標管理などはドラッカーが発案したものです。 強みを生かすには 私がドラッカーから学んだ最大のものは、「強み」の考え方です。たとえば、ドラッカーは強みについて次のように述べています。 「何事かを成し遂げられることは強みによってである。弱みによって何かを行うことはできない」(『明日を支配するもの』) できないところに目を向けていてもしかたがありません。強みを集めて成果を上げるところまでもっていくことが大切だというのです。たとえば、経理の人はきちんと計算できれば、人付き合いできなくても成果をあげる上では問題ありません。むしろできることを卓越したレベルにまでもっていける。「強みを生かし、弱みを無意味にする」というのは、言うのは簡単なのですが、自己流だとうまくいきません。だんだんいらいらしてきます。人はなかなか見えないものだからです。 ではどう実践したか。実身美では、次の質問を投げかけています。「2人以上にほめられたことは何か」「2人以上に改善を求められたことは何か」一つ目については、「とても丁寧ですね。早いですね」といったささやかなことでよいのです。自分は大したことないと思っていても、強みは人が意外に知っているものです。スタッフ勉強会を開催して、隣の人のいいところを書いています。これを行うと、自分の気づいていないところがどんどん蓄積されて、新しい強みにも気づけたりする。「強みノート」を作成して、お互いの強みを理解し合えるように工夫しています。改善を求められたことについても同様に共有していきます。 強みに応じた人事としては、次のようなものがあります。社交性→百貨店担当学習欲→共同研究、HACCP取得、新規事業の把握責任感→マネジメント達成欲→成果が目に見える業務公平性→ルール作りのご意見番慎重さ→会社の危機を聞く、用意周到な準備が必要な案件コミュニケーション、共感性→お客様対応、広報指令性→プロジェクトリーダーポジティブ→ハードな現場収集心→リサーチ系の仕事(レシピ、店舗情報)着想→アイデアがないか聞く戦略性→成果へのプロセスを聞く さらに、気質や価値観も大切です。人には生まれ持っているものがあり、理由はわからないのにできてしまうことがあります。逆に、どんなに努力してもうまくできないこともあります。ドラッカーは次のように述べています。 「われわれは気質と個性を軽んじがちである。だがそれらのものは訓練によって容易に変えられるものではないだけに、重視し、明確に理解することが重要である」 人には教わっていないのにできてしまうことがあるのです。そういうものを生かしていきたいと考えています。なるべく人の持つ本質を大きく変えないようにすることで、生かしていきたいと考えています。 20年間存続するには--会社の文化づくり 最後になりますが、文化づくりについてお話したいと思います。私は文化の力はとても大きいと常々感じています。文化になれば言葉はいらなくなります。たとえば、日本では公共交通機関などでみんな並んで待つ文化がありますね。これは海外からすれば驚かれることです。それが文化の力であり、誰もが当たり前のようにやっていることです。 今日ものつくり大学に来て、みんなが気持ちよく挨拶してくれるのに感動いたしました。授業にもかなり前から教室に来ている。それはものつくり大学では普通のことかもしれませんが、立派な文化と言ってよいものです。文化になると人から言われなくてもできてしまう。これは、その文化の中にいる人を見れば伝わってくるものですし、本物の力だと思います。 なぜ実身美は20年継続できたのかを時々考えます。起業した企業が20年後に生き残っているのは0.3%と言われています。昔からあてにならないことを千三つと言いますが、まさに1000分の3の確率なのです。続けるのは難しいものです。ポイントは、学ぶこと、強みを生かすこと、そして「新しくしていくこと」です。続かないとは変われなかったということだからです。これは会社の文化といってよいと思います。 実身美では、継続学習とたゆまぬ改善活動を行っています。「丘の上の木を見ながら、手元の臼を引く」、すなわち、長期と短期をバランスさせる視点を大切にしています。ビジョンと現実の両方を見ながら、行くべき方向へかじ取りするのです。 最後に--マーケティングとイノベーション ドラッカーが言うのは、マーケティングとイノベーションです。ドラッカーは、「マーケティングとは販売を不要にすること」という有名な言葉を残しています。「買ってください」と言わなくても、お客様から「ほしい」と思っていただけることです。私は、自分が不便だと感じて、こんなのがあったらいいと思うことを大切にすることでした。自分も一人の顧客だからです。知人の本の編集者が教えてくれたのですが、「誰かにぴったり合うということは、その後ろに同じ感じ方をする人が30万人いる」という。それが独りよがりではなく、役に立ち、喜ばれるものになるのです。 イノベーションは新しくしていくことです。お店だったらいろんなメニューがありますね。消費者として、ほっとできるお店へのニーズがあるのに、それをベースにしているお店が少なかった。実身美の創業にはこのような思いもありました。そこで大切なのが顧客目線によるイノベーションです。お店の側は、自分が学んだイタリアンとか中華とかで勝負しようとしてしまいがちですね。果たしてそこに顧客目線はあるのかが疑問でした。自分の発想だけで出すと顧客からずれてしまいます。 自分が消費者だったらどうか。たとえば実身美では、冬に白湯を出すようにしています。というのも、通常の飲食店では、冬でも氷の入った水が出てくるところがあるからです。家ではありえないことですね。プロがそのようなことをしている。寒い時は常温の方がありがたいはずで、それだけでも感動してくれる人がいます。以前ジャーマンオムレツをメニューにしたいという意見があって、私はそこにトマトとかいろいろな野菜を入れたら魅力的ではと提案したことがあります。即座に「それではジャーマンオムレツにならない」という反論がありました。けれども、それは偶然私たちの知るジャーマンオムレツが、昔の人の保存がきくもの、じゃがいもとかしか使えなかった時代の遺物だったに過ぎない。それはものが不足していた時代に誰かが考えた苦肉の策なのに、今まったく違う現在でも踏襲してしまうのです。今はなすもトマトも入れられる。自分だったらこうするという具合に作り直していいのです。酵素ドレッシングもそうです。以前は、茶色で調味料というのが大半でした。生の良さを生かす「食べるドレッシング」という発想がなかった。それを顧客目線で開発した。 本日は「自分を活かす 人を活かす」というテーマで私の経験をお話しました。ものつくり大学の学生の皆さんに少しでも役に立てれば嬉しいです。ありがとうございました。 Profile 大塚 三紀子(おおつか・みきこ)㈱実身美 代表取締役関西大学法学部卒。OL時代、自身の体調不良が玄米で改善した経緯から2002年大阪で玄米カフェ実身美(サンミ)創業。20年間で玄米食を約500万食提供し、顧客の健康改善事例に多く立ち合う。玄米の機能性に感銘を受け、2017年度より、琉球大学医学部第二内科益崎教授研究室と玄米の機能性食品の共同研究開発を開始。働く女性を対象にした臨床試験を通じ、玄米の機能性成分がアルコール依存を軽減させる効果を認める。2019年~2023年 沖縄科学技術イノベーションシステム構築事業委託共同研究採択2022年 『特許庁 社会課題解決×知財 IOPEN プロジェクト~脳のデトックス効果のある玄米食を通じて社会ストレスを解消させる挑戦~令和3年度IOPENER』。ドラッカー学会会員。著書に『実身美のごはん』『実身美の養生ごはん』ワニブックス社がある。(累計2万9000部)『実があって身体に良く美味しい』をコンセプトにした商品開発を得意とする。酵素ドレッシングはベストお取り寄せ大賞3年連続総合大賞受賞(2019年度5,131商品中1位)他受賞多数。 関連リンク 【Fゼミ】私の仕事 #1--デジタルマーケティングとオンライン販売 基礎・実践 【Fゼミ】私の仕事 #2--私が在籍してきた企業におけるマーケティング 【Fゼミ】私の仕事 #4--歌手としての歩みとライフワーク 原稿井坂 康志(いさか・やすし)ものつくり大学教養教育センター教授

  • 【知・技の創造】ポストコロナと大学間連携

    政府は本年5月に新型コロナウイルス感染症の位置付けを「2類相当」から「5類」に移行するとしており、私たちの生活におけるコロナ対策も一つの転換点を迎えようとしています。2020年に入り世界中で新型コロナウイルスの感染が拡大して以降「ポストコロナ」や「ニューノーマル」といった言葉を用いて、新しい教育環境の創出にまつわる議論が様々な場面でされてきました。とりわけ、デジタルを活用したグローバル化、地方創生、リカレント教育、大学間連携といったキーワードが活発に議論されてきました。 人材育成と大学間連携 時代に求められる、時代に受け入れられる学びの形態を考え続けることは大学の責務であり、いま社会に求められているものとして「超スマート人材の育成」と「社会と連携した職業訓練」が挙げられます。Society 5.0と呼ばれる「サイバー空間とフィジカル(現実)空間を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する人間中心の社会(Society)」を担う人材、それが超スマート人材ですが、情報社会(Society 4.0)に続く新たな社会の担い手になるためには、幅広い学びが必要です。それぞれの専門分野の学びはもちろん、コミュニケーション能力や協調性といった人間力を育むことが必要不可欠であり、それは言い換えれば、他者を理解し、尊重できる能力なのかもしれません。私がいま所属しているものつくり大学では、隣接する羽生市の埼玉純真短期大学と、加須市にある平成国際大学との間で連携協力協定を締結しています。このように複数の大学が連携することで、他分野の学生等との相互交流が可能となり、「他者を理解し尊重する能力」が育まれることに繋がります。 こども学科と建設学科 パンデミックの影響もありましたが、埼玉純真短期大学「こども学科」とものつくり大学「建設学科」の学生たちが交流することで、2018年度「模擬保育室(おひさまランド)」の幼児用家具と室内遊具をデザイン・製作、2020~2021年度「屋外キッズハウス」をデザイン・製作するというプロジェクトが展開されてきました。専門的知識と実践力のある保育者・教育者を社会に輩出する「こども学科」と、実際にものづくりができ技能にも秀でたテクノロジストを輩出する「建設学科」の学生たちが、お互いを理解し尊重することで実現した成果です。 2018年度制作の「模擬保育室(おひさまランド) 2020年度制作のキッズハウス ポストコロナ元年 令和5年度の埼玉県一般会計当初予算は「ポストコロナ元年~持続可能な発展に向けて~」と名付けられました。「10年先、20年先を見据え、埼玉県の持続可能な発展に向けての礎を築いていく」という決意が込められているそうです。その具体的な取り組みの中には、資源のスマートな利用、ゼロ・カーボン社会に向けた取り組みも含まれています。「木材」を使った模擬保育教室と屋外キッズハウスプロジェクトは、森林と木材利用がカーボンニュートラルに貢献できることの学びに通じるものです。学生たちがそのことを深く考えるのは、あるいは卒業後かもしれませんが、大学間連携によって他者を理解することを学んだ若者たちが、超スマート人材として次世代の担い手になってくれることを願っています。 2021年度制作のキッズハウス 埼玉新聞「知・技の創造」(2023年5月5日号)掲載 Profile 佐々木 昌孝(ささき・まさたか) 建設学科教授 1973年生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科(建設工学専攻)博士後期課程。博士(工学)。2020年4月より現職。専門は木材加工、日本建築史 関連リンク ・家具研究室(佐々木研究室)WEBサイト・建設学科WEBページ

  • 【学生による授業レポート #2】受講後もSA(スチューデント・アシスタント)を通じて深める学び

    第2回「学生による授業レポート」をお届けします。今回は建設学科4年の杉山一輝さんが「鋼構造物施工および実習」を紹介します。杉山さんは2年次に「鋼構造物施工および実習」を受講して、4年次ではSA(スチューデント・アシスタント)として実習の運営をサポートしました。学生とSAの両方の視点からのレポートをお届けします。(学年は記事執筆当時) 「鋼構造物施工および実習」について 「鋼構造物施工および実習」は、鋼構造の躯体モデルとして鉄骨部材で構成されたシステム建築を施工する工程を通じて、鋼構造部材の組み立てを中心とした施工管理を学びます。高力ボルトなどの締付け管理や母屋、胴縁などのボルトによる施工要領について学び、筋交いやサグロッドなどの2次部材の役目や施工方法を習得します。 システム建築の特徴 この実習は、株式会社横河システム建築から鉄骨などの部材を提供いただくとともに、社員の方に非常勤講師として来ていただき行われています。横河システム建築は、業界トップシェアを誇るシステム建築と、国内外の大型開閉スタジアムやハワイ天文台のすばる望遠鏡大型シャッター装置など、様々な用途の大型可動建築物を提供する建築製品のトップメーカーです。 システム建築とは、建物を構成する部材を「標準化」することにより、「建築生産プロセス」をシステム化し、商品化した建築です。工場・倉庫・物流施設・店舗・スポーツ施設・最終処分場等に適した建築工法で、建設のうえで想定される検討事項・仕様が予め標準化されているので高品質でありながら、短工期・低価格を実現しています。(株式会社横河システム建築HPより引用:https://www.yokogawa-yess.co.jp/yess01/feature) 完成写真 苦労した点、勉強になった点 2年生で受講した時は、システム建築、鉄骨造と聞いてもイメージが全然湧きませんでした。図面を見て理解するにも時間がかかって施工するにもいろいろ苦労しました。しかし、世の中の鉄骨造の建築物(特に工場・倉庫)はどのように施工されているのかを細かな部分まで実習を通して知ることができ、完成に近づくほど楽しく、面白く感じました。「システム建築」がどのような事なのかも学ぶことができました。 図面確認 3年生になり、SA(スチューデント・アシスタント、以下SA)になってからは、受講生に質問されてもしっかり答えられるように図面をよく確認したり、作業内容を熟知するようにして事前準備をしていました。現場は予定通りにいかないことが多いので臨機応変に対応していくのが大変でした。SAとして、また実習に参加することで、受講当時に分からなかったことが理解できるようになったり、新たな疑問点は見つかったり、毎回の実習が充実していたので参加できて良かったと思います。 SAとして工夫した点 就職活動では、株式会社横河システム建築から内定をいただいたということもあり、SAを2年間経験させてもらっています。一般的にSAという立場は、受講生のサポート役として参加しますが、この実習では規模が大きいということもあり、SAが率先して受講生をまとめています。受講生では危険な作業が少々あり、SAがやらなくてはいけない作業があったりするからです。 工夫したことは、その場その場でいろいろとあります。教授・非常勤講師の打ち合わせに参加して、実習で使用する工具類の確認、授業の流れを把握したりして受講生がスムーズに実習できるように環境づくりを行いました。また、複数人いるSAの中でリーダーでもあったので指示を出したり、自身の分からないことはすぐに非常勤講師に質問して対応できるようにしていました。 SAによる柱設置作業 原稿建設学科4年 杉山 一輝(すぎやま かずき) 関連リンク ・【学生による授業レポート】ジジジジッ、バチバチッ・・・五感で学ぶ溶接技術・建設学科WEBページ

  • 【学生による授業レポート】ジジジジッ、バチバチッ…五感で学ぶ溶接技術

    今回は、学生の目線から授業を紹介します。建設学科1年の佐々木望さん(上記写真左)、小林優芽さん(上記写真右)が「構造基礎および実習Ⅳ」のアーク溶接実習についてレポートします。実習を通じて、学生たちは何を感じ、何を学んでいるのか。リアルな声をお届けします。(学年は記事執筆当時) ものつくり大学の授業について ものつくり大学の特色…それは何といっても実習授業の多さです。なんと授業のおよそ6割が実習であり、実践を通して知識と技術の両方を身に着けることができます。科目ごとに基礎実習から始まり、使用する道具の名称や使い方などを一から学ぶことができます。 本学は4学期制でそれぞれを1クォータ、2クォータと呼び、1クォータにつき全7回の授業と最終試験を一区切りとして履修していきます。今回は、そんな授業の中で建設学科1年次の4クォータで履修する「構造基礎および実習Ⅳ」のアーク溶接実習について紹介します。 アーク溶接の実習とは まず、アーク溶接について簡単に説明すると「アーク放電」という電気的現象を利用して金属同士をつなぎ合わせる溶接方法の一種です。アーク溶接の中にも被覆、ガスシールド、サブマージ、セルフシールドなど様々な種類がありますが、この実習では一般的に広く使用されている被覆アーク溶接を行いました。 アーク溶接の様子 この授業は、講義の中で溶接の基礎知識や安全管理等の法令を学び、実技を通してアーク溶接の技術を身に付けることを目的としています。また、6回目の授業で突合せ板継ぎ溶接の実技試験、7回目の授業で「アーク溶接等作業の安全」をテキストとした試験を行います。その試験に合格した学生には特別教育修了証が発行され、アーク溶接業務を行えるようになります。 実技試験の課題 突合せ溶接 実習では平板ストリンガー溶接、T型すみ肉溶接、丸棒フレア溶接、突合せ板継ぎ溶接といった、数種類の継手の面やコーナー部を溶接する練習を行いました。また、講義では鋼材に関する知識、溶接方法の原理、作業における安全管理、品質における溶接不良の原因や構造物への影響等について学び、試験に臨みました。 実習の流れとしては、まず作業の前に溶接方法の説明を受けます。その後、皮手袋やエプロン、防じんマスク、保護面等の保護具を着用して、3~4人で一班になり、各ブースに分かれて順番に練習を行います。作業中は、実際に現場で活躍されている非常勤講師の先生が学生の間を回り、精度の高い溶接ができるようアドバイスや注意をしてくれます。溶接金属やその周囲は非常に高温になるため、他の実習よりも危険なポイントが多いので作業中だけでなく、準備・片付けもケガ無く安全に行えるよう毎回KY(危険予知)活動をしてから実習に臨みました。 実習を行ってみて 説明ばかりでは授業の様子を想像するのも難しいですよね…。ということで、実際に授業を受けた建設学科1年、小林と佐々木の感想をお届けしたいと思います! ・何を学ぶことができたか 【小林】アーク溶接とは何かを学ぶことができました。もっとも、それを教わるための講義なので何を言ってるんだと思われてしまいそうですが、そもそも私は溶接と無縁の生活を送ってきたので、アーク溶接ってなに?というか溶接ってなんだよ。というところから入りました。1回目の講義の際、どのようなものが溶接で作られているのか紹介していただいたのですが、ほとんどが知らなかったことだったので、とても面白かったのを覚えています。 【佐々木】溶接というのは非常に優れた接合方法だということを学びました。溶接は継ぎ手効率が高く、大型の構造物を作るのに適しています。あの東京スカイツリーはなんと37,000ものパーツを全て溶接することで作られていると知り、世界一高い塔を作る溶接という技術がこんなに小さな機械で、こんなに簡単にできるものなのだと驚きました。また、一口に溶接といっても用途によって材料や溶接方法、継ぎ手の種類などが様々で、その違いを興味深く学ぶことができました。 ・楽しかったこと 【小林】アーク溶接を実技として教わったことがすごく楽しかったです。非常勤の先生方がとても優しく、どのようにすればいいか、どのくらい浮かすのか、どの音で進めていくのかなど一緒に動かしたり、その都度「今離れたよ。もう少し近付けて。そう、その音」と声をかけてくれたりして理解できるようにしてくださったので、すごく分かりやすかったです。そのおかげで綺麗に溶接ができるようになり、すごく褒めてくださることもあって、とても楽しく実習をすることができました。先生が「初めてでここまでできる人は初めて見た」とまで言ってくださったので、とても嬉しく、褒められればやる気が出る単純なタイプなので、やる気もすごく出ました。 【佐々木】練習を重ねて、アドバイスを実践していく度に溶接の精度が上がり、目に見える形でできるようになっていくのが楽しかったです。溶接は五感がとても大切で、保護面越しで見るアーク放電の光だけでなく、ジジジジッ、バチバチッといった音の違いや溶接棒越し感触を頼りに集中し、真っすぐに溶接できた時にはとても達成感を感じました。班の中でも上手な学生から感覚を教えてもらったり、説明を受けながら溶接の様子を見学することで、より学びを深めることができたと思います。講義では、先生から現場での実体験を交えてお話いただいたおかげで楽しく知識を身に着けることができたので、苦にすることなく試験勉強に取り組めました。 実習中の様子 ・苦労したこと 【小林】T字の材料に溶接するところがすごく苦労しました。平面とはまた違った角度をつけて溶接しなければならず、どうにもそれが難しかったです。1層目の溶接は擦りつけながら溶接すると言われ、この前までは浮かせるって言ってたのに?と混乱している中、追い打ちで「この前とは違う角度で溶接する」と言われてしまい、思考が停止したのをよく覚えています。さらに、そのことに気を取られ、前回できていた適切な距離を維持することができなくなり、手が震えて作業している場所が分からず、ズレてガタガタになることを経験して、やっぱり一筋縄ではいかないんだと痛感しました。 T型すみ肉溶接 【佐々木】被覆アーク溶接というのは、細長い溶接棒と溶接金属の母材を溶かし合わせてつなぎ合わせる方法で、溶接を進めるほど溶接棒が溶けていくので、母材と溶接棒の距離を保つのが難しく、溶接の後が上下にずれてしまい大変でした。アークの光が明るすぎて目視では距離の確認ができずに困っていたら、「正しい距離を保てば見えるようになる」と教えてもらい、それからは以前より真っすぐに溶接できるようになりました。また、溶接不良を何か所も発生させてしまい、溶接不良が原因で鉄橋が崩落した大事故についても学んでいたため、仕事としての難しさや、構造物を作っている技術の高さを改めて感じました。 最後に 私たちの授業紹介はいかがでしたでしょうか?建設学科では、今回紹介した構造基礎の授業だけでなく、設計製図や木造、仕上げといった幅広い分野について実習を通して学び、知識と技術を身に着けることができます。 この記事を通して「ものつくり大学って面白そう!」「他にどんな授業をしているのかな」と少しでも興味を持っていただけたらとても嬉しいです。 最後までお読みいただきありがとうございました。 原稿建設学科1年 佐々木 望(ささき のぞみ)       小林 優芽(こばやし ゆめ) 関連リンク ・【学生による授業レポート #2】受講後もSA(スチューデント・アシスタント)を通じて深める学び・建設学科WEBページ

  • 【知・技の創造】コンクリートの未来に向けて

    転換点を迎えたコンクリート コンクリートは、現代のインフラ構築において不可欠な構造材料です。コンクリートの構成材料は、一般には水、セメント、細骨材(砂)、荒骨材(砂利)と少量のセメント分散効果のある液剤(化学混和剤)の5つになります。このうち、水、細骨材および粗骨材は、特殊な環境を除いて地球上のあらゆるところで採取できます。また、構造材料には、ほかに木材や鋼材が代表的ですが、我が国においては単位体積あたりではコンクリートが最も安価です。 これに加えて、適切な材料を使って練混ぜ、施工および養生を行えば、大きな圧縮強度が得られ、長大な構造物を重力に逆らわない自由な造形で構築することが可能です。 こうした特性が、広範に使われている所以なのかもしれません。しかしながら、昨今では施工人員の不足や環境負荷低減への対応が喫緊の課題となっており、大きな転換点を迎えています。 コンクリートの施行の変容 コンクリート工事は、機械化が進んでいるものの、未だに多くの作業を人力に頼る部分が大きいです。ある程度の構造物であれば、コンクリートを打込む部位1か所につき20名ほどの作業者が必要とされる場合もあります。一方で、作業者の高齢化や若年入職者の減少など、今後ますます人員が不足する可能性が高くなっています。 実習でコンクリートを打設している様子 この対策のために、ロボットの活用や更なる機械化施工に加え、3Dプリンティングの技術の開発など、各所で様々な取り組みが活発化しており、近い将来には多くの作業者が見られた建設現場の風景が変わる可能性を秘めています。 コンクリートの環境負荷低減 冒頭で述べたように、コンクリートは総合的には最も合理的な構造材料と言えます。一方で、セメントの製造には多くの二酸化炭素を排出し、地球環境保護の観点からは、いかに抑制するかが喫緊の課題となっています。業界の取り組みにより、徐々に改善されつつありますが、今後も引き続き検討していく必要があるでしょう。 また、セメントの代替として、高炉スラグ微粉末(鉄鋼生産の副産物)やフライアッシュ(石炭火力発電所等で副産される石炭灰)を大量に置換して、従前のセメントを用いたコンクリートと同等の性能を得る技術など、各所で多くの研究が行われています。 一方で、解体後のコンクリート塊は、従来より再生砕石等でほぼ全量がリサイクルされてきましたが、より環境負荷低減を図る上でもさらなる構造物の長寿命化や新たなリサイクル方法など、様々な技術が開発されつつあります。これらの研究開発が、コンクリートの未来に向けて大きな展開につながることが期待されています。 コンクリートの未来に向けて 現代のコンクリートが登場して100年ほど経過し、歴史的にも大きな転換点を迎えている状況ですが、これに代わる合理性を持った構造材料の登場には至っておらず、今後も当分の間多くの構造物で使われるものと思われます。 一方で、社会の変容のスピードは速く、これに追随して変化していかなければ、時代に取り残された技術となってしまいます。当研究室としても、新たなコンクリートの未来に向けて学生諸君とともに様々な課題解決のために研究活動に取り組んでいきたいと考えます。 埼玉新聞「知・技の創造」(2023年3月3日号)掲載 Profile 大塚 秀三(おおつか しゅうぞう) 建設学科教授 川口通正建築研究所を経て2005年ものつくり大学技能工芸学部建設技能工芸学科卒業(社会人入学、1期生)2013年日本大学大学院理工学研究科博士後期課程修了 博士(工学)2018年4月より現職。専門は建築材料施工、コンクリート工学 関連リンク ・建設学科WEBページ・建設学科 建築材料施工研究室(大塚研究室)

  • 創造しいモノ・ガタリ 02 ~「本物」を見に行こう~

    教養教育センターの井坂康志教授が、ものつくり大学の教員に、教育や研究にのめりこむきっかけとなったヒト・モノ・コトについてインタビュー。今回は建設学科 八代克彦教授に伺いました。 Profile 八代 克彦(やしろ かつひこ)技能工芸学部建設学科 教授 1957年、群馬県沼田市生まれ。東京工業大学大学院理工学研究科建築学専攻博士課程単位取得退学。博士(工学)。札幌市立高等専門学校助教授を経て、2005年にものつくり大学へ移籍。専門は建築意匠・計画 現在行っている教育研究のきっかけを教えてください。 専門の建築意匠・計画の分野だけでなく、いろいろなモノに対して自然と関心が向いてきた研究人生であったと思います。一見すると寄り道に見えることが、後々意外なところで新しい活動につながったり触発されたりといったこともずいぶん体験してきました。 やはり研究人生の基点となったのが、東京工業大学の4年次に所属した茶谷正洋研究室です。茶谷先生は世間では「折り紙建築」の創始者として有名ですが、実は建築意匠・構法の研究者として環太平洋の民家を精力的にサーヴェイされており、その総仕上げともいえる中国の地下住居に研究室所属時に出くわし、一辺で魅了されました。時は1980年代初頭、中国北部の黄土高原に見られる伝統的な住居形態・窰洞(ヤオトン)と呼ばれる地面に穴を掘って生活する人々がなんと4,000万人もいました。これは、中国の陝西省北部、甘粛省東部、山西省中南部、河南省西部などの農村では普通に見られる住宅形式です。地坑院ともいわれており、現在では国家級無形文化遺産にも登録され、今でもかなりの数の人々(約1,000万人?)の人々が崖や地面に掘った穴を住居として利用しています。 その研究を行ったのが、1980年代中葉、天安門事件の前の時代でした。西安に留学し、住居の構造はもちろんのこと、文化人類学的な関心からも研究を深めることができました。黄土高原の表土である黄土は、柔らかく、非常に多孔質であるために簡単に掘り抜くことができ、住居全体を地下に沈めた「下沈式」と呼ばれる、世界的にも特異なものでした。今ならドローンで比較的安易に撮影可能と思いますが、当時はそのようなものはありませんので、横2m×縦2.7mほどの大きな六角凧で空撮を敢行しました。どこに行っても住人が凧の紐を持つのを争って手伝ってくれたのが懐かしい思い出です。 ヤオトン空撮写真(河南省洛陽) その経験が後々まで力を持ったということですね。 そうだと思います。やはり最初に関心を持った分野というのは、後々まで影響するようで、現在に至っても、私の建築デザインの原型にはあの洞窟住居があるように感じています。東工大の後は札幌市立高等専門学校に務めました。この学校は全国初かつ唯一のデザイン系の高専で、校長が建築家の清家清先生です。この学校で研究からデザイン教育にフォーカスしていったのですが、一貫して地下住居への関心は持ち続けてきました。なぜか気になる。そこには、必ず何かがあるはずなのです。その何かが研究を継続するうえでの芯のようなものを提供してくれたのかとも思う。まさに穴だらけの研究人生です。その後、2005年からものつくり大学で教鞭を執るようになりました。ものつくり大学では、手と頭を動かしてモノをつくる、ものづくりにこだわりを持つ学生が多く、刺激的な教育研究生活を送ってこられたと思います。これからも、学生には自分の中にある関心の芽を大切にしてほしいと思いますね。私の場合それは中国の地下住居だった。関心対象はどんどん形を変えていくかもしれないけれど、核にあるものはたぶん変わらない。二十歳前後の頃に、なぜかはっとさせられたもの、心を温めてくれたもの、存分に時間とエネルギーを費やしたものは、一生の主軸になってくれます。 ものつくり大学で最も強い思いのある作品は何ですか。 いろいろあるのですが、とりわけル・コルビュジエ(1887~1965年)の休暇小屋原寸レプリカが第一に挙げられると思います。現在ものつくり大学のキャンパスに設置されています。コルビュジエは、スイス生まれのフランス人建築家で、ミース・ファン・デル・ローエ、フランク・ロイド・ライト、ヴァルター・グロピウスと並んで近代建築の四大巨匠の一人に数えられる人です。これは正確には、「カップ・マルタンの休暇小屋」と言います。地中海イタリア国境近くの保養地リヴィエラにあるコルビュジエ夫婦のわずか5坪の別荘です。1951年にコルビュジエ64歳の折、妻の誕生祝いとして即興で設計して翌年に完成させた建築物です。打ち放しのコンクリートがコルビュジエの一般的なイメージなのですが、休暇小屋はきわめて珍しい木造建築なのですね。日本でのコルビュジエ作品としては、上野の国立西洋美術館が有名です。彼が設計者に指名されたのは1955年ですから、国立西洋美術館の構想も休暇小屋で練り上げられた可能性もあります。 どんなプロジェクトだったのでしょうか。 レプリカ制作に着手したのは、2010年6月、当時神本武征学長の頃でした。学長プロジェクトとして「とにかく大学を元気にする企画」という募集があって、さっそく有志を募ってプロジェクトを立ち上げました。「世界を変えたモノに学ぶ/原寸プロジェクト実行委員会」がそれです。建設学科と製造学科(現 情報メカトロニクス学科)両方の教職員学生を巻き込み、世界的名作とされる住宅や工業製品を原寸で忠実に再現することを通して、本物のものづくりを直に体験してほしいと考えて始めました。第一弾となったのが、この小さな休暇小屋であったわけです。そのこともあって、2010年9月に急いでフランスに渡り、必要な手続きを行うことになりましたが、これがとても刺激的でした。ありがたいことに、パリのル・コルビュジエ財団からは、翌10月には無事に許諾を得ることができました。2011年2月には、カップ・マルタンに学生10名、教職員6名とともに実物を見に行きました。これは現地の実測調査も兼ねており、約2年間の卒業制作として、設計、確認申請、施工とものつくり大学の学生たちが、ネジ一個から建具金物、照明、家具に至るまで丸ごと再現しています。実際に現地で見て、自分たちの手で原寸制作する。本人たちにとって本物のすさまじさを思い知らされる体験だったはずです。繰り返しになりますが、休暇小屋は私にとって、両学科協働で制作したものですから、両学科の叡智を結集した象徴的作品といってよい。現在は遠方からも足を運んで見に来てくださる方が大勢おられます。 カップマルタン実測調査の様子 教育研究にあたって心がけていることは何でしょう。 私はオプティミスティック(楽観的)な性格だと思っています。やはり学生に対しても希望と好奇心の大切さを語りたいと常々思っています。悲観的なことを語るのは、なんとなく知的に見えるかもしれないけど、現実には何も生み出さないのですね。特に本学の学生は、テクノロジストとして、将来ものづくりのリーダーになっていくわけですから、まずは自分がそれに惚れていないと明るい未来を堂々と語れないと思う。リーダーは不退転の決意で明朗なビジョンを語れなければ、誰もついていきたいとは思わないでしょう。そのこともあって、教育や研究の中でも、いつも学生には希望と好奇心、プラス一歩前に出る勇気を伝えてきたと思います。 最後にメッセージがあればお聞かせください。 私自身は「タンジブル」なもの、いわゆる五感で見て触れることを大切にしてきました。それらは物質という形式をとっているわけですけれども、創造した人の精神や思いの結晶でもあるわけです。そうであるならば、現在のようにオンラインとかネットで見られる時代だからこそ、なおさら本物に触れてほしいと思います。本物に触れなければどうしても伝わらないものがこの世界には偏在しているから。たとえば、「世界を変えたモノに学ぶ/原寸プロジェクト実行委員会」も、実物のみが語る声に対して繊細に耳を澄ませる体験がぜひとも必要だった。だから、カップ・マルタンまで足を運んだのです。それは私が大学時代、洞窟住居を研究するために中国に留学したのと同じ動機です。まさに、ホンモノ《・・・・》というのは千里を遠しとせず足を運ばせるにふさわしい熱量を持っているものなのです。フランスに本物があればフランスに行くし、中国に本物があれば中国に行く。そんな具合に私は世界中を見て回ってきたと思います。だから、ぜひ学生諸君には本物を相手にしてほしい。本物に触れ、その熱度に打たれてほしい。そのためにはどんどん外に行ってほしいと思います。まずはコルビュジエ設計の世界遺産、国立西洋美術館に足を運んでみてはいかがでしょうか。上野にあるわけですから。電車に乗れば一時間程度。たいした距離ではありません。実際に行って五感をフルに働かせてほしい。頭だけで想像したのとはまったく違う質感、コルビュジエの手触り感が伝わってくるはずです。 カップ・マルタンの休暇小屋レプリカの室内 八代教授と藤原名誉教授の著書「図解 世界遺産 ル・コルビュジエの小屋ができるまで」(エクスナレッジ刊) 取材・原稿井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学教養教育センター教授 関連リンク ・建設学科WEBページ・建設学科 デザインプロセス研究室(八代研究室)

  • 震災復興の願いを実現した「集いの場」建設

    村上 緑さん(建設学科4年・今井研究室)は、2022年3月下旬、ある決意を胸に父親と共に大学の実習で使用した木材をトラックに積み込み、ものつくり大学から故郷へ出発しました。それから季節は流れて、11月末。たくさんの人に支えられて、夢を叶えました。 故郷のために 村上さんは、岩手県陸前高田市の出身。陸前高田市は、2011年3月11日に発生した東日本大震災での津波により、大きな被害を受けた地域です。全国的にも有名な「奇跡の一本松」(モニュメント)は、震災遺構のひとつです。当時住んでいた地域は、600戸のうち592戸が全半壊するという壊滅的な被害を受けました。 奇跡の一本松 11歳で震災体験をし、その後、ものつくり大学に進学し、卒業制作に選んだテーマは、故郷の地に「皆で集まれる場所」を作ること。そもそも、ものつくり大学を進学先に選んだ理由も、「何もなくなったところから道路や橋が作られ、建物ができ、人々が戻ってくる光景を目の当たりにして、ものづくりの魅力に気づき、学びたい」と考えたからでした。 震災から9年が経過した2020年、津波浸水域であった市街地は10mのかさ上げが終わり、地権者へ引き渡されました。しかし、9年の間に多くの住民が別の場所に新たな生活拠点を持ってしまったため、かさ上げ地は、今も空き地が点在しています。実家も、すでに市内の別の地域に移転していました。 そこで、幼い頃にたくさんの人と関わり、たくさんの経験をし、たくさんの思い出が作られた大好きな故郷にコミュニティを復活させるため、元々住んでいた土地に、皆が集まれる「集いの場」を作ることを決めたのです。 陸前高田にある昔ながらの家には、「おかみ(お上座敷)」と呼ばれる多目的に使える部屋がありました。大切な人をもてなすためのその部屋は、冠婚葬祭や宴会の場所として使用され、遠方から親戚や友人が来た時には宿泊場所としても使われていました。この「おかみ」を再現することができれば、多くの人が集まってくると考えたのでした。 「集いの場」建設へ 「集いの場」は、村上さんにとって、ものつくり大学で学んできたことの集大成になりました。まず、建設に必要な確認申請は、今井教授や小野教授、内定先の設計事務所の方々などの力を借りながらも、全て自分で行いました。建設に使用する木材は、SDGsを考え、実習で毎年出てしまう使用済みの木材を構造材の一部に使ったほか、屋内の小物などに形を変え、資源を有効活用しています。 帰郷してから、工事に協力してくれる工務店を自分で探しました。古くから地元にあり、震災直後は瓦礫の撤去などに尽力していた工務店が快く協力してくれることになり、同級生の鈴木 岳大さん、高橋 光さん(2人とも建設学科4年・小野研究室)と一緒にインターンシップ生という形で、基礎のコンクリ打ちや建方《たてかた》に加わりました。 地鎮祭は、震災前に住んでいた地元の神社にお願いし、境内の竹を四方竹に使いました。また、地鎮祭には、大学から今井教授と小野教授の他に、内定先でもあり、構造計算の相談をしていた設計事務所の方も埼玉から駆けつけてくれました。 基礎工事が終わってからの建方工事は「あっという間」でした。建方は力仕事も多く、女性には重労働でしたが、一緒にインターンシップに行った鈴木さんと高橋さんが率先して動いてくれました。さらに、ものつくり大学で非常勤講師をしていた親戚の村上幸一さんも、当時使っていた大学のロゴが入ったヘルメットを被り、喜んで工事を手伝ってくれました。 建方工事の様子 大学のヘルメットで現場に立つ村上幸一さん 2022年6月には、たくさんの地元の人たちが集まる中で上棟式が行われました。最近は略式で行われることが多い上棟式ですが、伝統的な上棟式では鶴と亀が描かれた矢羽根を表鬼門(北東)と裏鬼門(南西)に配して氏神様を鎮めます。その絵は自身が描いたものです。また、矢羽根を結ぶ帯には、村上家の三姉妹が成人式で締めた着物の帯が使われました。上棟式で使われた竹は、思い出の品として、完成後も土間の仕切り兼インテリアとなり再利用されています。 震災後に自宅を再建した時はまだ自粛ムードがあり、上棟式をすることはできませんでした。しかし、「集いの場」は地元の活性化のために建てるのだから、「地元の人たちにも来てほしい」という思いから、今では珍しい昔ながらの上棟式を行いました。災いをはらうために行われる餅まきも自ら行い、そこには、子どもたちが喜んで掴もうと手を伸ばす姿がありました。 村上さんが描いた矢羽根 餅まきの様子 インテリアとして再利用した竹材 敷地内には、東屋も建っています。これは、自身が3年生の時に木造実習で制作したものを移築しています。この東屋は、地元の人たちが自由に休憩できるように敷地ギリギリの場所に配置されています。完成した今は、絵本『泣いた赤鬼』の一節「心の優しい鬼のうちです どなたでもおいでください…」を引用した看板が立てられています。 誰でも自由に休憩できる東屋 屋根、外壁、床工事も終わった11月末には、1年生から4年生まで総勢20名を超える学生たちが陸前高田に行き、4日間にわたって仕上の内装工事を行いました。天井や壁を珪藻土で塗り、居間・土間のトイレ・洗面所の3か所の建具は、技能五輪全国大会の家具職種に出場経験のある三明 杏さん(建設学科4年・佐々木研究室)が制作しました。 「皆には感謝です。それと、ものを作るのが好きだけど、何をしたらいいか分からない後輩たちには、ものづくりの場を提供できたことが嬉しい」と話します。そして、学生同士の縁だけではなく、和室には震災前の自宅で使っていた畳店に発注した畳を使い、地元とのつながりも深めています。 こうして、村上さんの夢だった建坪 約24坪の「集いの場」が完成しました。 故郷への思い 建設中は、施主であり施工業者でもあったので、全てを一人で背負い込んでしまい、責任感からプレッシャーに押しつぶされそうになった時もありました。それでも、たくさんの人の力を借りて、「集いの場」を完成させました。2年生の頃から図面を描き、構想していた「地元の人の役に立つ、家族のために形になるものを作る」という夢を叶えることができたのです。また、「集いの場」の建設は、「父の夢でもありました。震災で更地になった今泉に戻る」という強い思いがありました。「大好きな故郷のために、大好きな大学で学んだことを活かして、ものづくりが大好きな仲間と共に協力しあって『集いの場』を完成させることができ、本当に嬉しいです」。 「こんなにたくさんの人が協力してくれるとは思っていなかった」と言う村上さんの献身的で真っすぐで、そして情熱的な夢に触れた時、誰もが協力したくなるのは間違いないところです。 「大学から『集いの場』でゼミ合宿などを開きたいという要請には応えたいし、私自身が出張オープンキャンパスを開くことだってできます」と今後の活用についても夢は広がります。 大学を出発する前にこう言っていました。「私にとって、故郷はとても大切な場所で、多くの人が行きかう町並みや空気感、景色、におい、色すべてが大好きでした。今でもよく思い出しますし、これからも心の中で生き続けます。だけど、震災前の風景を知らない、覚えていない子どもたちが増えています。その子どもたちにとっての故郷が『自分にとって大切な町』になるように願っています」。 村上さんが作った「集いの場」は、これからきっと、地域のコミュニティに必要不可欠な場所となり、次世代へとつながる場になっていくでしょう。 関連リンク 建設学科WEBページ 建設学科 建築技術デザイン研究室(今井研究室)

  • 人と違うことをやってみる!伝統的な技法「扇垂木」への挑戦が自分自身の成長に

    寺社建築の伝統的な技法「扇垂木(おうぎだるき)」と呼ばれる屋根架構を卒業制作のテーマにし、千葉県妙長寺の本堂建築に携わった桐山実久さん(建設学科4年・小野研究室)。念願だった技能五輪全国大会にも2度出場した経験を持ち、「やってみたいことは挑戦する」がモットー。桐山さんに卒業制作を通して実感している4年間の大学生活での学びや成長、将来の目標などのついてインタビューしました。 木造建築への熱意がものつくり大学進学に 幼い頃から、温かみを感じる木造の家が好きで、木造建築に興味がありました。高校は地元の愛媛県立吉田高校の機械建築工学科に進み、木造建築の面白さに魅了され、高校生ものづくりコンテストにも出場しました。ものつくり大学に進学したのは、同校の先輩が進学していて「技能五輪全国大会に出場できるチャンスがある」と話を聞いたことが大きかったです。ものつくり大学では、アーク溶接などにも触れましたが、やはり木造建築が好きだということを確信し、木造建築コースに進みました。木材の魅力は一度切ると元に戻せないところだと感じます。ボンドで貼っても再生できないですよね。1年生の頃はコロナ禍でオンライン授業が中心の学生生活に。2年生、3年生の時に連続して技能五輪全国大会に出場しました。出場職種は得意分野の大工ではなく、敢えて家具に挑戦しました。高校時代に先生から「細かいものも得意だね」と言われたことがあったからです。2年生の頃はまだ授業で家具づくりを学んでいなかったため、先輩方にいろいろ教えていただき、寝る間も惜しんで工房で技術を磨き大会に臨みました。3年生の時も家具職種に挑み、努力が実り敢闘賞を受賞することができました。ものつくり大学に進学し、念願だった技能五輪全国大会に挑戦できたことで、チャレンジ精神が旺盛になりました。 技能五輪全国大会に挑戦する桐山さん 伝統的な技法「扇垂木」を卒業制作に 私は小野研究室なのですが、今井研究室と仲が良く、交流が盛んな環境に身を置いています。4年生で卒業制作を迷っていた時、インターンシップでお世話になった今井先生から「千葉県館山市妙長寺の本堂新築の屋根架構を卒業制作として取り組んでみないか」と声をかけていただきました。今井先生から、本堂の屋根の形状は扇垂木(おうぎだるき)という唐傘をモチーフにした扇状に広がった垂木のことで、非常に手間がかかり、単純に配置することが難しいことや、現役の大工さんでも経験できないまれな技法であることなどの説明を受けました。学生生活の中で木造建築を中心に学び、大会などにも挑戦してきた経緯もあり「人と違ったことをやってみたい」という思いが強い私は「滅多にない経験ができるのは面白そう」と伝統的な技法である扇垂木の制作に挑戦したいと思いました。そして「館山市妙長寺の屋根架構の制作ー扇垂木の墨付け、刻み、加工-」を卒業制作のテーマにすることで新たな自分の可能性を見出したいと思いました。 限られた作業時間が没頭するための集中力に 扇垂木の墨付けから加工の工程は、扇垂木の木材加工の施工経験がある非常勤講師の福島先生のご指導の下、埼玉県寄居の福島工務店で行いました。扇垂木の木材となるのは、垂木、隅木、蕪束(かぶらづか)。墨付けから加工は、一般的な垂木の断面より大きいため、加工に費やす時間が多くなりました。搬入や組み立てを考慮して行った鎌継ぎ(一方の木材に端部の広がった突起を作り、他方の木材にはめ込む継ぎ手)やくせ加工などの作業も何度も行いました。作業時間が限られていたこともあり、43日間(2023年10月27日から12月8日)1日も休まず取り組みました。限られた時間の中での作業だったからこそ、集中して一心に取り組めたのだと思います。加工した木材の仕口を数えてみたら136箇所ありました。技術的な面は、福島先生のご指導に加え、学生生活を送る過程で様々な道具を使ったり、技術を磨いたりした経験や工程を頭に入れ作業する習慣がプラスに働きました。ある程度作業に慣れると、流れが分かり、段取りをつけながら1人で進めることもありました。精神面でのプレッシャーは地元の方との交流もあり、あまり感じませんでした。技能五輪全国大会に出場した時はかなり精神的にきつかったのですが、2度の出場経験により、精神的にも鍛えられたのかもしれません。しかし、肉体的には、かなりハードでした。今まで扱ってきた木材に比べて遥かに大きく、重かったので、運んだり、転がしたりするのは想像以上に身体に負荷がかかり、腰なども痛くなりました。 難易度の高い施工に挑み、目にした本物の建築 木材の加工が終了した翌日の12月9日に、埼玉県寄居町から千葉県館山市の現場に木材を搬入しました。現地の大工さんの力もお借りし、他の学生と一緒に12月13日から、施工に入りましたが、現地に入る前と後では、緊張感が違いました。まず、蕪束と隅木の取り付けを行いました。上段、中段、下段と隅木を継いでいきました。ここでは、ビス留めをし、しっかり止めました。次に、いよいよ垂木の取り付け作業に。隅木側から垂木を取り付ける工程はとても難しかったです。ひのきの垂木は全て寸法も異なり、木材だからこそ、ねじれや乾燥もあり、調整の繰り返しに。なかなか思うように作業が進まず、苦戦しつつも丁寧にかんなを使って微調整しながら組み立てを進めていきました。垂木の上段、下段の取り付けが進んでいくに従い、扇垂木が大きいことに驚きました。 扇垂木を下から見上げる 現場で施工する桐山さん 本物の建物の施工に関わるのは初めてで、しかも寺院の本堂は地域に根付き、歴史的にも価値をもつことになる建物です。いざ完成間近になった建物を目の前にし、「こんなにも大きな寺院をつくっているんだ」と言葉に表せない感情が湧きました。100年、200年と長期間、多くの人に親しんでもらえる建物にしたいと思っています。本堂の完成は2024年3月を予定しており、扇垂木の美しさが見える屋根になるように作業を進めています。 卒業制作を通して感じている自身の成長 卒業制作を通して特に2つほど自身の成長を感じています。1つは、今までは自分が納得いくためのものづくりだったのが、人に喜んでもらえるものづくりをしたいという思いが加わったことです。そもそも、ものつくり大学に進学した理由の1つに技能五輪全国大会への挑戦があったのですが、高校時代に高校生ものづくりコンテストに参加し、自分自身に対してやり残したという後悔がありました。「賞に入賞することよりも自分の納得するものづくりがやりたい」という思いが強く、1年目には納得できず、2年連続して挑戦。結果、3年生の時は敢闘賞を取ることもでき、自分なりに納得し、達成感が味わえました。しかし、今回、長い歳月建ち続けることになる寺院の施工に携わることで、多くの人が見たり、触れたりして大切にされていくことを想像する機会に恵まれ、ものづくりの喜びを倍に感じるようになりました。もう1つは、自分に自信が持てたことです。大学生活の中でいろいろな大会にも出場し、賞ももらってきたのですが、実は自分に自信が持てず、ものづくりも上手いと思ったことがありませんでした。自己評価が低く、時に先生から叱られることも。自信がなかったからこそ、さまざまなことに挑戦もしてきました。しかし、今回、卒業制作で難易度の高い扇垂木の制作に挑戦し、その結果、檀家さん、工務店の先生、大学の先生や友人など関わってきた人から評価してもらい、自信が持てました。本堂新築における扇垂木のことが新聞に取り上げられたことで、自分が関わった建築物が多くの方から注目を浴びていることを聞き、嬉しいです。 建築が進む妙長寺本堂 将来は木造建築の教員に 大学卒業後は、まず、大工としてプレカットの仕事に就き、大工職人として腕を磨きたいです。社会経験を積んだ後は、木造建築の教員になりたいと考えています。私の家族はみな教員で、幼い頃から「将来は先生になりたい」と思っていました。人に教えることも好きです。ただ、学生生活の中で、自信がなかなかもてず、後輩に対してもどこか教えることに引き気味でした。しかし、卒業制作などに取り組む中で教えることに少しずつ前向きになり、4年生ではSA(Students Assistant)として先生のアシスタントをしながら後輩にさまざまなことを教える経験をしています。実際、鋸の使い方1つでも教える立場になってみて、みんながそれぞれ違う使い方をしていることが分かり、その違いを面白いと感じます。一方で、一緒にSAをしている学生の教え方から学ぶことも多く、勉強になります。最近、木造建築に進む学生が少なくなっていると感じるので、木造建築の魅力や面白さを伝えられる教員になりたいです。 自分を磨けるものつくり大学での学び ものつくり大学での学生生活は、規則に従いながら過ごしていた小中学校時代、まだ何がやりたいかが明確ではなかった高校時代とは異なり、自分が好きなことをできる環境が整っていました。自分が磨きたいところを磨け、いろいろなことにも挑戦できました。先生からは理論や実践で役に立つことを教えてもらい、さまざまな実習やインターンシップでは、自分で実際にやってみる機会を多く作ることができました。具体的に教えていただいたことに挑戦できた結果、多くのことを学んだり、技術や技能を身に付けたりすることができました。さらに、先輩から教えていただき、後輩に教えるものづくりを通し、人とコミュニケーションを持ったり、信頼関係を築いたりする機会にも多く恵まれました。挑戦することを続けた4年間の学生生活の中で、特に卒業制作は、今までの学びと実践が活き、自分自身の成長を感じる機会になっています。 関連リンク ・建設学科 木質構造・材料研究室(小野研究室)・建設学科 建築技術デザイン研究室(今井研究室)・技能五輪全国大会実績WEBページ・建設学科WEBページ

  • 【知・技の創造】新しい教養教育の展開

    教養教育センターの始動 2022年1月7日の「知・技の創造」に「新しい教養教育の取組み」として、同年4月から始動する「ものつくり大学」の新しい教養教育の記事を掲載しました。今回は、教養教育センターが取り組んできた活動について紹介します。前回紹介したものづくり系科目群、ひとづくり系科目群、リベラルアーツ系科目群の教養教育科目は順調に展開しています。 教養教育センターWEBページ 教養教育センターからの発信 第1回教養教育センター特別講演会の様子 2022年11月24日に、第1回教養教育センター特別講演を本学で行いました。スペシャルゲストとして、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授の柳瀬博一氏をお招きし、「テクノロジストのための教養教育」についてお話を頂き、その後に教養教育センター教員によるパネルディスカッションを行いました。教養教育に関する熱い思いを学生にぶつけ、教養教育のキーワードとして土居浩教授は「磨き続ける」、井坂康志教授は「無知を認める」、町田由徳准教授は「視野を広げる」、土井香乙里講師は「とことん学ぶ」を挙げていました。ちなみに私は「本物を知る」です。 2023年11月9日には、第2回教養教育センター特別講演を渋谷で行いました。会場は渋谷スクランブルスクエア15階の「SHIBUYA QWS」で、日立アカデミーとの共催、ドラッカー学会の協賛で行いました。特別講演は、日立製作所名誉フェロー、脳科学研究で著名な小泉英明氏に、「脳の基本構造を知り、学びたいという気持ち、意欲やパッションの根源を知る」についてお話を頂きました。鼎談「脳科学、言葉、ものづくり、使える教養はどう育つか」では、キャスター・ジャーナリストの山本ミッシェール氏をお招きし、パネルディスカッションでは本学教養教育センター教員も参加して活発な討論が行われました。 第2回教養教育センター特別講演会の様子 教養教育センターでは、ものつくり研究情報センターと協力して、「半径5mの経営学 ドラッカー流 強みの見方・育て方」、「上田惇生 記念講座 ドラッカー経営学の真髄」、「ものづくりのためのデザイン思考講座」の社会人育成講座を行いました。 大学ホームページからは、埼玉の歴史や文化をものつくり大学独自で研究している「埼玉学」を発信しています。是非、ホームページをご覧ください。埼玉学の記事一覧はこちら 2024年度からの始動  2024年度からは、前述の「SHIBUYA QWS」のコーポレートメンバーに入会する予定で、会員になると月に1回広い会場スペースを利用することができます。特別講演をはじめ、様々な行事を行えるようになりますので、新たな展開に期待してください。  授業では、「ICT基礎実習」、今年度新設した「データリテラシー・AI基礎」を軸に、文部科学省の「数理・データサイエンス・AI教育プログラム認定制度」に申請し、情報の分野を強化します。また、来年度は留学生のための「日本語」を新設して、「留学生就職促進教育プログラム認定制度」に申請し、留学生の日本語教育と就職支援を行います。 おわりに 教養教育センターは、向上心を持って日々新しいことに挑戦しています。来年度は第3回教養教育センター特別講演をはじめ、様々な取り組みを発信します。これからの教養教育センターの活動にご期待ください。 埼玉新聞「知・技の創造」(2024年1月5日号)掲載 profile 澤本 武博(さわもと たけひろ)建設学科教授 東京理科大学卒業、同大学院博士後期課程修了、博士(工学)。若築建設株式会社、東京理科大学助手を経て、2005年着任、2019年より学長補佐、2022年より教養教育センター長。 関連リンク ・コンクリート研究室(澤本研究室)WEBサイト・建設学科WEBページ・教養教育センターWEBページ

  • 建設学科の女子学生が、建設(土木建築)現場の最前線で働く女性技術者のリアルを『見る』・『聴く』

    2023年10月20日、若築建設株式会社(本社目黒区)主催の女性技術者志望者対象の「工事現場見学会及び座談会」に、本学から、建設業に興味のある建設学科3年の女子学生5名が参加しました。この企画は、参加した女子学生が工事現場や女性技術者について理解を深め、建設業の魅力に触れることで、進路選択の一助になることを目的としています。本学では、長期インターンシップや企業訪問等の多様なキャリア支援施策を実施していますが、女性による女性のための女性だけのユニークな企画参加はおそらく初めて。参加した女子学生5名のリアルな感想を伺いました。 一瞬で打ち解けた若き女性技術者の明るさと元気さ 会場となったのは東京都葛飾区の新中川護岸耐震補強工事の現場。本事業は、東京都の女性活躍モデル工事となっているものです。まず若築建設から女性技術者9名の自己紹介があり、続いて4班に分かれた本学の女子学生がそれぞれ自己紹介を行いました。その後、全体スケジュールの説明があり、「女性技術者の目線から見た現場の現況や魅力を見て、今後の進路選択に役立ててほしい」と本日の目的を強調されました。学生たちは明るく元気な女性技術者の皆さんから積極的に話しかけていただきました。遠藤 夢さん(澤本研究室)は「女性技術者の皆さんが初対面の人同士でもフレンドリーでした」と第一印象について話してくれました。次に、いよいよリアルな工事現場見学に移動。現在進めている施工場所の長さは約150メートル。その移動の途中、学生たちは、気さくに説明をされる女性技術者に触れ、「現場で働く人に対して怖いイメージをもっていたけれど、実際は優しかったです」と河田 さゆりさん(田尻研究室)はイメージと現実の姿の違いを感じたようです。工事中の現場では、この工事の責任者である女性の監理技術者が「現在進行中の護岸工事は階段状に削ったところに新しい土を入れ、地滑りが起こらないように転圧(固める)をしています」と説明してくださいました。その姿を見たタマン・プナムさん(澤本研究室)は「現場に女子の監理技術者がいるのは面白い」と興味を持ちました。学生たちはフェンス越しに護岸の工事現場の様子を見て、メモを取ったり、女性技術者から具体的な説明を聞いたりするなどして現場でどのような工事を行っているのかを体感していました。説明してもらっていたカルキ・メヌカさん(澤本研究室)とプナムさんは「現場で働く女性技術者の方に、優しく、いろいろ教えてもらえて、とても勉強になりました」と話していました。 また工事現場での女性への配慮の一つとして、設置された仮設トイレや休憩所も見学しました。気になる仮設トイレは臭いを極力抑えるコーティングがされていることや休憩所では、電子レンジやWi-Fiが完備されている話などを伺いました。学生たちは現場でどのようにトイレを使用したり、休憩したりするかといったことにも関心もあり、工事現場の環境改善が進んでいることを実感しました。晴天でしたが、風が強めの見学であったため、女性技術者から現場の仕事は天候に左右される仕事でもある事情をお聞きし、現場の実情を知り、「現場を見られてよい経験になりました」と遠藤さん。また、工事現場見学を通し「現場のイメージが変わり、若い方も働いていて、働きやすい環境だと感じました」と河田さんは話してくれました。今回の工事現場見学では、日頃見聞きできない工事の進行状況や女性技術者がどんな環境でどのように仕事をしているのか直接教えていただきました。今回の工事現場見学を通して感じ、学んだことを他の学生とも情報共有し、本学での学習に活かすとともに建設業界の内情について理解を深めていってくれることを期待します。 4班それぞれに笑顔があふれた座談会 遠藤 夢さん 1班の遠藤さんは、監理技術者含む入社1年目と2年目の女性技術者3名との座談会。用意されたプロフィールを見ながらの現場での仕事の話になり、「女性技術者でも夜勤はあるけれど『滑走路から見る東京の夜景』や『早朝の富士山』は格別」といった現場あるある的なお話をしてくださいました。女性技術者と男性技術者の違いに関心があった遠藤さんは座談会で「現場で働く技術者は資格もある人もいれば、そうでない人もいて、男女に優劣はなく、その人次第ということを知りました」と話してくれました。 2班の金子 歩南さん(澤本研究室)は、入社8年目と1年目の2名の女性技術者との座談会。入社した経緯や自社の良いところについて熱弁してくださったお2人。話を聞いた金子さんは「土木・建築の技術者に進もうとする人は『インターンシップ』がきっかけだったり、土木や建築が元々好きだったりする人がいることを知りました」と。また、土木・建築の技術者にとってどんなことが大変だったかを知りたかった金子さんは「入社当初は、土木・建築の技術者としてなかなか実力が認められなかったけれど、経験を積んで、実績を見てもらったり、さまざまな立場の方との話をしたりして分かってもらえるようになった」という体験談を聞けたそうです。 3班のプナムさんとメヌカさんは、中途入社した4年目と8年目の2名とスリランカ出身で入社2年目の計3名の女性技術者との座談会。さまざまな経歴をもつ女性技術者たちからキャリアの活かし方について具体的なお話が聞けました。また、留学生である学生2人は外国人の女性技術者の働き方や文化の違いの対応について関心が高く、働く上で文化的な違いをどうやって理解し、日本の働き方に合わせるかを熱心に聞いていました。日本でアルバイトをしているからこそ同じ外国人として働く上での大変さについて共感も生まれていました。 タマン・プナムさん カルキ・メヌカさん さらに、日本企業と海外企業の仕事の進み具合の違いといった国際的な話も展開されていました。プナムさんは「スリランカ出身の方の話がためになりました。また、海外プロジェクトに参加したら、その経験が身につき、自分自身の実力になることを知りました」と。メヌカさんは「入社前に資格取得が必要ではないかと考えていましたが、土木・建築の分野の資格は入社してからでも大丈夫だと聞いて安心しました」と話してくれました。 4班の河田さんは、入社1年目と6年目の2名の女性技術者との座談会。日常生活について話を聞いたり、女性技術者が設計したものを直接タブレットで見せてもらったり、働く上で必要なことを伺いました。リアルな女性技術者の話を聞いた河田さんは「就職活動するにあたり、立派な志望理由が必要だと思っていましたが、『さまざまな角度や観点から考えてもいいんだ』といったことを考える良い機会になりました」と話してくれました。 視野を広げた貴重な体験 今回の座談会では、学生たちが若築建設の女性技術者の皆さんからさまざまな体験やアドバイスを聞くことができました。金子さんは「他の会社を見学した際、現場で働くのは男性が中心でしたが、今日は年齢が近い女性技術者にお会いできて、話が聞けてよかったです」と他の会社見学とは違った体験ができたと話してくれました。現場で働く女性技術者の年齢が近い方も多かったため親近感もわき、自分事して考えることができ、大きく印象が変わったようです。 金子 歩南さん また、今後の進路選択に当たり、若築建設のような建設会社を選択肢に入れたい思いが生まれたり、視野を広げたものの見方について学ぶ機会になったりと貴重な時間になりました。プナムさんは「女性技術者の皆さんの経験をお聞きし、皆さんがどれだけ頑張っているかを知り、私も頑張り、このような職業に就きたいと思いました」と熱い思いを語ってくれました。メヌカさんは「若築建設では英語も磨けると聞き、とても興味を持ちました」と意欲をわかせていました。最後に澤本武博教授(建設学科)からは、先生自身が若築建設の勤務経験があったことや卒業生が働いていることなどを踏まえ「今日の経験を今後の学生生活や就職活動に活かしてほしい」というお話をしてくださいました。そして女性技術者の皆さんからは熱いエールを送っていただき、座談会の幕を閉じました。工事現場見学会や座談会の進行を行っていただき、また熱心に説明をしてくださった若築建設の女性技術者の皆さまには心より感謝申し上げます。 参加者/1班:遠藤 夢 さん(建設学科3年、澤本研究室)2班:金子 歩南 さん(建設学科3年、澤本研究室)3班:カルキ・メヌカ さん(建設学科3年、澤本研究室)3班:タマン・プナム さん(建設学科3年、澤本研究室)4班:河田 さゆり さん(建設学科3年、田尻研究室) 関連リンク ・建設学科WEBページ・澤本研究室WEBサイト・田尻研究室WEBサイト・若築建設株式会社WEBサイト

  • 【知・技の創造】地域活性化は子どもたちから

    地域を担うのは誰? 郊外や地方で人口が減少する中で、地域の活力や賑わいを維持するためには、少ない人口でも生産性を上げる新たな産業の創出や観光の振興などが考えられますが、そこに住まう「人」が必要不可欠です。そのため、いずれの地域も「人」を確保するために、移住・定住の促進や、地域外に居住されていても地域とかかわりを持ってもらえる関係人口を増やすことに力を入れています。 このように人口の減少局面では「地域の外の人」に目がいきがちですが、もっと身近なところに頼もしいヒューマンリソースがあります。 地域の子どもたち 地域の子どもたちは、私立学校を除けば、お互いに同じ地域の中で同じ小学校や中学校に通学することが多く、比較的近隣に居住して親密な人間関係の基礎を築いていく傾向にあります。しかしながら高校生や大学生になると、地域外への通学や活動の場面も多くなり、そのまま就職することでネットワークは広がりますが、地域へのかかわりは少なくなる傾向にあります。 このような、子どもたちの成長過程で広がるネットワークの中に、なかでも地域に根差した生活を送る小学生・中学生の時期に、もっと積極的に地域のまちづくりや課題解決への意識や行動につながる組織をつくることができれば、中長期的な人材確保につながるのではないかと考えています。 地域へのかかわりを維持  私たちの研究室では、地域の小学校と中学校をまたいで、子どもたちによって組織された「子どもまちづくり協議会」の試験的な設置を提唱しており、ある自治体において実際に取り組みを始めています。協議会というカタい表現はあくまで組織の趣旨や活動を理解してもらうための仮称で、覚えやすく親しみやすい名称をみんなで考えればよいと考えています。 この組織の大きな目的は、小学校・中学校の子どもたちにまちづくりや地域の課題を解決してもらう当事者の一員になってもらうことです。 もちろん、子どもたちだけでは難しい場面も多いと思われますので、大学をはじめ有志のオトナも適切なサポートを行います。組織の中には複数のチームがあり、学年単位といった横割りではなく小学生・中学生の区別なく学年も超えた混成チームを編成し、自分たちで決めたテーマに取り組んだり、ほかのチームと協力することで年齢の枠を超えたつながりをつくります。 このチームは学年が上がっても、卒業しても、地域を離れても可能な限り維持に努めます。成果は議会などに提言や報告することも考えられます。 緩やかだけど強力な応援団  このようなネットワークの中の組織から、たとえ数名でも地域に残って活躍したり、Uターンしたり、地域に居住していなくても興味を持ち続けて外からの力でまちづくりや地域課題の解決を支援したり、または地域に縁がなかった人までも巻き込むきっかけになれば、緩やかではありますが強力な応援団として、けっきょくは中長期的にみると大きな効果を発揮するのではないかと考えます。 地域の活性化には中核となる人材の存在がキモですので、その人材と地域にかかわるネットワークを、いまの子どもたちの中から「育てていく」仕組みづくりも重要ではないでしょうか。 埼玉新聞「知・技の創造」(2023年11月3日号)掲載 Profile 田尻 要(たじり かなめ) 建設学科教授  九州大学 博士(工学)総合建設会社を経て国立群馬工業高等専門学校助教授、ものつくり大学准教授、2013年より現職 自治体との連携実績や委員も多数 関連リンク ・生活環境研究室研究室(田尻研究室)WEBサイト・建設学科WEBページ

  • 先輩たちへの感謝を胸に大会へ ~第18回若年者ものづくり競技大会②~

    2023年8月1日から2日にかけて静岡県で第18回若年者ものづくり競技大会が開催されました。本学では建設学科から2名(建築大工職種1名、木材加工職種1名)の学生が出場し、建築大工職種で金賞、木材加工職種で銀賞という好成績を残すことができました。今回は木材加工職種で銀賞を受賞した入江 蛍さん(建設学科1年・静岡 科学技術高等学校出身)に、大会に出場した感想を伺いました。※木材加工職種の競技は、「小いす」を製作します。原寸図の作成、ホゾ(木材を接合する部分の突起)、ダボ(部材をつなぎ合わせる小片)による接合の加工、接合部の組み立てなどを行います。 慣れない作業に苦戦する毎日 入学当初から技能五輪全国大会に出たいと思っていました。友人から若年者ものづくり競技大会には1年生から出場できる事を聞き、早速、学内の掲示板を探しました。ものづくりに興味を持ったきっかけは、手先が器用な祖父が趣味で水車や離れを作っているのを見てきたからです。その後、大工仕事を学んでみたいと思って、高校で建築大工の技能検定を受けたり、高校生ものづくりコンテストの木材加工部門に出場しました。大工や家具、左官など色々なことに興味があって、ものつくり大学に入学したので、若年者ものづくり競技大会ではどの職種に挑戦するか迷いましたが、やったことがなかった家具に挑戦したいという思いから出場しました。練習は入学してすぐに始めました。大会出場を目指している新入生5人で先輩方に教えてもらいながら、毎日毎日練習をしました。先輩方は、日付が変わるくらいの時間まで常に教えてくださったのでびっくりしました。「まだ23時だからこれからノコやろう」とか日付をまたぐこともあったりして、時間の感覚がおかしくなっていました(笑)。授業もあって大変でしたが、昼夜を問わず練習できるのは良かったなって思います。それに、高校ではいつも一人で練習していたので、予選を受ける友人たちと一緒に、先輩方の指導を受けることができ、頑張ることができる環境はありがたいと思いましたし、だからこそ成長できたのかなって思います。 先輩との練習の様子 大工と家具では木材の大きさも道具も違いますが、少しは大工の経験があるから上手くできるかと思っていました。でも、予想以上に違いがありました。最初は、木材を切るにしても縦引き横引きが真っすぐできなくて、ぴったり合いませんでした。また、家具では白柿(しらがき)という罫書き線を引くための道具を使います。大工では墨差しや差し金を使って墨付けをするので、白柿を使ったことがありませんでした。持ち方もコツが必要で、垂直に線を引くのも難しかったので持ち方から慣れる必要がありました。家具の作業は考えることがすごく多かったです。刃には、しのぎ面という斜めになっているところがあって、そこが加工する側にくるようにとか、線を引くのもどの向きにとかスコヤをどこに当てるのかなど、ただの墨付けではあるんですけど、考えながらやる必要がありました。上手くできるようになったのは5月の学内予選の頃です。予選の時に、縦引きも横引きも最初に比べて真っすぐ切れるようになりましたし、ノミでの作業も綺麗にできるようになってきました。 わずかな隙間 高校生の時は、検定を受ける時も大会に出る時も自信を持てるまでずっと練習をしていたので、あまりプレッシャーを感じることはありませんでした。だけど今回は、本番一週間前までは何回やっても標準時間内に完成できませんでした。やればやるほど課題が見つかって、上手くいかないことがどんどん増えて焦っていました。練習で最後の最後まで納得がいく作品を作れなかったので、緊張していました。それに、本当に多くの方に教えていただいたので、期待に応えたいという気持ちがあったけど不安でした。練習では、標準時間にプラス30分程度かかって完成していましたが、それでは減点になってしまいます。金賞を狙うからには、時間内に作って減点を抑えようと思って大会に臨みました。午前中は思いのほかペースが良くて予定外のところまで作業が進んでしまいました。残りの5分は何をしたらいいのかというくらい余裕が出てしまい、掃除などをしていました(笑)。今にして思えば、ここでもうちょっと考えて進めておけば良かったなと思います。午前は驚くほど調子が良かったのですが、午後になり、最後の一番大事なところを綺麗に切れなかったことを後悔しています。練習の時も上手くいかなくて改善策を見つけて挑みましたが、今一つ上手くいかず隙間がわずかにできてしまいました。仕上げの時に、やすりをかけたり、ボンドで埋めたりして隙間を少しでも埋めるために調整して何とか仕上げました。不安だった作業時間は、標準時間よりプラス10分かかりました。プラス5分ごとに1点減点されてしまうので、出来栄えと減点を秤にかけて作業を終了することを目安にしていました。 完成した課題は、1か所隙間があり納得のいくものではなかったので「金賞は難しいかな」と思いました。でも、やってきたことに後悔はないのでその時の最大限の作品は作れたと思っています。今回、銀賞を受賞することができましたが、「やっぱり金賞取りたかったなぁ」って残念な思いです。でも、作品の出来栄えからすると入賞できて、先輩方の期待に少しは応えることができてほっとしています。先輩方には本当に毎晩遅くまでたくさん教えていただいたので感謝の気持ちでいっぱいです。 やりたい事がいっぱい 色々興味はありますが、建築士になりたいという目標があります。設計する上で、大工や左官のことも分かっていたほうが良いと思うので、まずは、1年生2年生のうちに左官や設計、資格取得など色々なことを経験したいと思います。実習が豊富だから仕上げや木造の実習も頑張りたいです。もうすぐインターンシップ先を決める時期ですが、どの分野に行くかすごく迷っています。本当は、これと決めた分野を究めていったほうがいいとは思っているんですけど、やっぱり色々なことに挑戦して経験を積んでいきたいです。 関連リンク ・練習で磨いた100%の技術を ~第18回若年者ものづくり競技大会①~・若年者ものづくり競技大会 大会後インタビュー・若年者ものづくり競技大会実績WEBページ・建設学科WEBページ

  • 練習で磨いた100%の技術を ~第18回若年者ものづくり競技大会①~

    2023年8月1日から2日にかけて静岡県静岡市で第18回若年者ものづくり競技大会が開催されました。本学では建設学科から2名(建築大工職種1名、木材加工職種1名)の学生が出場し、建築大工職種で金賞、木材加工職種で銀賞という好成績を残すことができました。 今回は建築大工職種で金賞を受賞した古舘 優羽さん(建設学科2年)に、大会に向けて積み重ねてきた努力などを伺いました。 ※建築大工職種の競技は、決められた時間内に木造小屋組の一部を製作し、出来栄えを競います。作業は、「カンナによる部材の木ごしらえ」→「正確な墨付け」→「ていねいで素早い加工仕上げ」の順で進められ、最後に各部材を組み立てて完成させます。 高校時代にやり残したこと 私は工業高校の建築科に通っていました。高校時代は部活動のバスケットボールばかりしていました。高校生の時から大工の検定や競技大会に興味はありましたが、先生から部活か競技大会か絞るように言われ、小学生から続けてきたバスケットボールを優先しました。進路を選択する際に、大工以外にも専門工事や設計など幅広く担える技術者になりたいと思い、木造建築以外にも様々なコースがあって、幅広く学べるものつくり大学への進学を決めました。大学に入学後は、まずは高校生の時にやりたかった検定に挑戦しようと思いました。1年生の時は、木材加工職種での出場を目指していましたが、学内予選で2位だったため出場することは叶いませんでした。今年は、建築大工職種の技能検定3級を受験し、学内で1位の成績を取ることができ、大会への出場権を得ました。大会に出場が決まってからは、インターンシップとして2か月間、家の巧株式会社にお世話になり練習に明け暮れました。家の巧株式会社には、非常勤講師で大会の検定員も務めている宮前 守先生や大会に出場経験がある卒業生の方がいて、指導していただきながら練習を進めました。 本番で100%の力を出すために 競技が終わった瞬間、練習の時より良いものができたという直感がありました。大会本番は練習の時より少し余裕を持って仕上げることができたので、最後に見落としがないか確認することができました。金賞とは言わないけど賞は取れると思いました。 金賞を受賞した課題 練習を見ていただいていた宮前先生から「練習で100%、120%のものを作れないと本番で同じように作れない」とずっと言われていました。大会の2週間前に製作時間が競技の標準時間内に入ることができました。それまでは時間内に完成させることを優先していて精度が低かったので、次は正確に作ることに集中していたら、また時間内に完成しなくなってしまいました。これはマズいと思って、休日にリフレッシュして最後の1週間を迎えました。この1週間は、製作時間の管理をしっかり行い、課題を5つ作りましたが、今までと比べ物にならないほど急に良いものが作れるようになりました。最後の最後で、100%に近いものを出せたと思えたので、大会で少し余裕を持つことができました。練習で一番のものを作れたからこそ本番でも金賞の課題を作れたのだと思います。 最後の1週間で製作した課題 課題の制作では「削り」と「墨付け」の工程が重要になります。「削り」は最初に渡される木材が仕上げの寸法よりも1.5㎜大きく製材されているため、寸法どおりに小さくしなければなりません。 カンナがけを行う古舘さん 「墨付け」については、墨を付ける場所が間違っていたら加工にも影響してしまい正確なものが完成しません。木材は全部で8本ほどありますが、ずっと練習をしていると墨を付けている時などに「何かこれおかしいな」って体が勝手に反応するようになります。例えば、練習中にいつもどおりに墨を付けたつもりが、墨付けが終わった時に木材全体を眺めると、ここの幅がいつもと違うなと思って、測ってみたら1㎝足りなかったという事がありました。こういった事も練習を繰り返していないと体に沁みつかないと思います。 墨付けをする古舘さん 練習では課題を20台作りました。月曜日から土曜日まで練習していましたが、1日は道具を研ぐ時間に充て、それ以外の日は課題を作っていました。道具をしっかり研いでおかないと摩耗して欠けてしまったり、切れ味が悪くなったりしてしまうため、道具を研ぐことも練習と同じくらい大切だと考えています。本番で使う道具だからこそ、練習の時から本番と同じ状態にしておかないと意味がないと思っていました。もちろん、毎日の練習が終わった後の手入れも欠かさずしていました。練習は、家の巧株式会社の工房で行っていました。宮前先生や卒業生の方は、日中は現場に出ていて、現場終わりや土曜の午前中に見に来てくださってアドバイスを受けていました。お二人のアドバイスはいつも的確で、すごく参考になりました。アドバイスをいただいた後は自分で考えて練習に落とし込んでいきました。ただ、基本的に1人で練習していたためペース配分が分からないことがあり、競う相手もいないから出来栄えの比較もできなくて苦労しました。気が滅入った時も1人ではなかなか切り替えるのが難しく、色々な面で1人というのが辛かったです。夢でも練習をしていて、失敗する夢でうなされて起きたこともあります。 頑張れた理由 高校生の時に特に何もできなかった私ですが、大学に入学してからでも努力すればできるということを実感したかったからストイックに練習することができました。それと、少しは母校である八戸工業高校にメッセージとして伝えたいという思いもありました。また、技能検定3級の課題で100点を取っていました。大会の課題は技能検定より少し難しい程度で、基本的な加工はほぼ同じだったので、大会の課題も100点に近いものができるよなって思い、自然と金賞が目標になりました。若年者ものづくり競技大会ではしばらく本学から金賞を受賞した人がいないと聞いていたこともあって、何とかして久しぶりに金賞を取って大学に帰りたいという思いもありました。母校には金賞受賞を報告していませんでしたが、担任の先生から「金賞取ったって話題になってるぞ」って連絡が来ました。今回の結果が、高校の後輩たちの励みになっていたら嬉しいです。これからは、入学前から考えていた技能五輪全国大会への出場を目標にします。そのためにまずは、2月に実施される技能検定2級で上位入賞を目指して練習していきます。それから、ものつくり大学に入学したからには大工の勉強をもっと専門的にしたいと思っています。入学してからの1年半は想像していたとおりの学生生活を送ることができています。すごく建築に詳しい先輩もいて、毎日が勉強です。入学前に思っていたよりも色々なことが学べています。将来は地元に帰るのか、関東で就職するのかはまだ決めていませんが、大学で学んだことをしっかり活かして、必要とされる人材になりたいと思います。そのためにも、学業を頑張っていきたいです。 関連リンク ・先輩たちへの感謝を胸に大会へ ~第18回若年者ものづくり競技大会②~・若年者ものづくり競技大会 大会後インタビュー・若年者ものづくり競技大会実績WEBページ・建設学科WEBページ

  • 【知・技の創造】気がつく人

    「気がつく」ということ 人の特性のひとつに「慣れ」があります。はじめはおぼつかないことでも、慣れてくるとスムーズにできるようになります。これは良い例なのですが、悪い例もあります。何かが便利になるとはじめの内はありがたがるのですが、その便利さに慣れてしまうと当初の感謝の気持ちは薄れてきてしまいます。そして、急に不便になったときには腹を立てたりします。元に戻っただけなのだから腹を立てなくても、と思うのですが、そうはいきません。かく言う私も紛れもなくその一人です。そのときに今まで便利であったことに改めて気がつきます。 この「気がつく」ということは人には大事です。特に勉強でも研究でも趣味でもどんな場合でも、何か課題を解決しようとしているときにはとても大事だと思います。ところが日常的には中々気がつきません。周囲の多くのものに注意を払っていれば気がつくのではないかと思うのですが、多くのものに注意を払うのも大変です。メガネを使用している読者の方々は、メガネを掛けていることに気がつかずにメガネを探した、という経験はありませんか。私はあります。気がつくことは案外大変なのです。ただ、何かきっかけがあれば気がつくことができる、というのが先の「悪い例」です。もちろん良いことについても、きっかけがあると気がつきやすいはずです。 「気がつく」の応用 この「気がつく」ということを技能の修得に活用できないか、と考えています。技能の修得には一般的に時間が掛かります。例え仕事に関わる技能であっても、仕事中は技能の修得(つまり練習)のみに時間を割くことはできませんから、時間が掛かるのは仕方がありません。以前から「習うより慣れろ」という言葉がありますが、慣れるのにも時間が掛かるのです。そこで、慣れていく途中で自分より上手な他社との違いに「気がつく」ような指標を示すことができれば、技能の修得に役立つのではないかと考えています。また、当たり前のことですが、気がつくのは自分自身です。気がついたことをその人自身が自覚しなければなりません。自覚するためには自分自身あるいは成果を客観的にみる必要があります。ところが一生懸命にものごとに取り組むと、夢中になってしまって自分自身を客観的にみられなくなってしまう。あるいは目的を見失ってしまう、という状況に陥りやすくなります。そのようなときに、見失った自分や目的に気がつけるような仕組みの構築を目指しています。 何かを修得しようとする(上手にできるようになろうとする)ときには、まずは先達の物まねからはじめます。ところが物まねはできても、結果が伴わないことはしばしばあることです。これはスポーツを例にするとよくわかると思います。もし物まねで済むのであれば、皆同じ打ち方、投げ方になるはずです。しかし実際にはそうはなりません。なぜならば、人それぞれの体の大きさや関節の動く範囲、筋力などが異なるからです。 したがって人はまず物まねをしますが、その後何かに気がついて、自分なりの方法を見つけることになります。何に気がつくか、についても人それぞれです。ただ気がつくきっかけを提示できればと考えています。 埼玉新聞「知・技の創造」(2023年9月8日号)掲載 Profile 髙橋 宏樹(たかはし・ひろき) 建設学科教授順天堂大学体育学部卒。同大大学院修士課程修了後、東京工業大学工学部建築学科助手を経て02年ものつくり大学講師。08年より現職。博士(工学)。 関連リンク ・人の生活と建築材料の研究室(髙橋研究室)WEBサイト・建設学科WEBページ

  • 【知・技の創造】木造住宅4号特例の縮小

    木造の住宅設計における「4号特例」とは 私の研究室では建築物の構造設計を通じて物の仕組みや成り立ちを考える研究を行っています。皆さんは木造の住宅設計において「4号特例」という制度があるのをご存じでしょうか?4号特例について新築の設計を例に説明すると、建築基準法第6条1項4号で定める建築物を建築士が設計する場合、建築確認の際に構造耐力関係規定などの審査を省略できる制度の事です。つまり対象となる建築物を設計する際に一部の書類提出を省略できるため、建築士も施主が望まない限りは審査に不要な書類の作成は行ってきませんでした。ここで対象となる建築物とは住宅等の木造建築物で2階建て以下の建物、延べ面積が500㎡以下で建物高さが13mまたは軒の高さが9m以下の建物で、これらの建物については建築確認審査を簡略化するという規定が「4号特例」と呼ばれる制度です。 ただし、建築士の責任で基準法に適合させることが前提です。4号特例は1983年に法改正してできた制度で当時の4号建築物の着工件数は今の倍程度あり確認審査側の人手との兼ね合いで、設計業務の一部の範囲については建築士の判断に委ねようという経緯がありました。 その後、1998年の建築基準法改正による建築確認・検査の民営化等によって、建築確認審査の実施率が向上し続ける一方で、4号特例制度を活用した多数の住宅において不適切な設計・工事監理が行われ、構造強度不足が明らかになる事案が断続的に発生したことなどを受け、制度の見直しの必要性が検討されてきました。 4号特例の縮小と課題 そのような状況の中、地球規模の課題である気候変動問題の解決に向けて、2050年までにカーボンニュートラルと呼ばれている脱炭素社会の実現に向けて国土交通省は建築物省エネ法と建築基準法を改正しました。2025年の全面施行に向け、段階的に政省令や告示などを定めていく予定で、その改正の中に「4号特例の縮小」と呼ばれる審査制度の見直し案が盛り込まれることになりました。改正後は4号の規定内容は新3号というものに引き継がれ特例となる対象は、平屋建て、床面積200㎡以下に範囲が縮小されます。 つまり2階建ての木造戸建て住宅は構造審査が必要になるという事です。これは建築業界にとっては大きな変化で建築士の業務量は増大し確認審査員の負担する審査件数も増大することで円滑な施工が実現できるのか懸念されています。木造住宅を手掛ける構造設計者の人数は、4号特例の縮小によって構造計算が必要になる住宅の物件数の増加に対して十分とは言えず、今後建設業界全体で木造住宅の構造計算を手掛けられる技術者を育てていく必要があります。もちろん4号特例の縮小は住宅を建てる施主側にとっては大きな安心につながります。より構造計画を重視した設計が求められることになり構造設計者の役割が重要になってきます。 私の研究室でも建築構造の基礎を学び構造設計の分野で活躍できる人材を社会に送り出していきたいと思っています。 埼玉新聞「知・技の創造」(2023年7月7日)掲載 Profile 間藤 早太(まとう・はやた) 建設学科教授日本大学理工学部建築学科卒業。1級建築士・構造設計1級建築士。金箱構造設計事務所を経て間藤構造設計事務所を設立。2022年より現職。 関連リンク ・建設学科WEBページ

  • 【Fゼミ】私の仕事 #4--歌手としての歩みとライフワーク

    1年次のFゼミは、新入生が大学生活を円滑に進められるように、基本的な心構えや、ものづくりを担う人材としての基礎的素養を修得する授業です。このFゼミにおいて各界で活躍するプロフェッショナルを招へいし、「現場に宿る教養」とその迫力を体感し、自身の生き方やキャリアに役立ててもらうことを目的として、プロゼミ(プロフェッショナル・ゼミ)を実施しました。今回は、歌手として都内のオペラ劇場を中心に活躍する他、作曲家、台本作家、指揮者、演出家の顔を持つ舞台の総合クリエイター、阿瀬見貴光氏を講師に迎えたプロゼミをお届けします。 肉声の魅力-声楽とは 私の職業は歌手です。声楽家です。主にオペラや舞台のクラシックコンサートに出演します。それと同時に故郷の加須市で市民ミュージカルのプロデュースも行っています。まずは歌手としての仕事についてお話したいと思います。 声楽家と現代的な歌手の大きな違いは何でしょう? そうです、マイクを使うか否かです。2,000人規模の大ホールでも60人以上のオーケストラと共演する場合も、基本的に声楽家はマイクを使いません。すなわち、肉声の魅力で音楽を表現します。肉声だからといって声はただ大きければよいというわけではありません。特にオペラは「声の芸術」とも言われていて、大事なのはよく響いて遠くまで通る声です。たとえば、「ストラディバリウス」というヴァイオリンの名器をご存知の方はいますか? ストラディバリウスの音色は実に繊細で密度が高い。そして近くで聴いているとそれほど大きな音に聞こえないのに、不思議と遠くの方まで響きが飛んでいくという特性があります。声楽家はそのような魅力的な音色をお手本にして技を身につけます。楽器である身体を鍛えたり、音声学を学びます。日々の発声練習も欠かしません。世界にはたくさんの種類の楽器がありますが、人間の声こそが最も美しく表現力豊かな楽器であると私は考えています。皆さんにはアコースティックサウンド、生の響きの醍醐味を感じていただきたいですし、そのようなコンサートに是非とも足を運んで欲しいと思います。 さて、ここで実演の意味も込めて歌ってみたいと思います。オペラ発祥の国イタリアから「オー ソレ ミーオ」というナポリの民謡です。高校1年の教科書に載っていますからご存知の方も多いかもしれませんね。私はイタリアに勉強に行ったことがあるのですが、イタリア南部の方の気質はとにかく陽気でおおらかです。この曲もまたそのような気質が現れていて、活きていることが素晴らしいと感じさせてくれます。 『オー ソレ ミーオ』 新国立劇場オペラの13年間 私は渋谷区初台にあるオペラ専用劇場を有する新国立劇場に所属し、約13年間インターナショナルな活動をしてまいりました。この劇場は、オペラのほか、舞踊と劇場の部門がありまして、どれも大変クオリティの高い公演が行われています。とくにオペラ部門は『ニューヨーク・タイムズ』のオペラ番付でも上位にランキングする実力があり、世界中のトップレベルの演奏家や演出家を招へいしています。 私はこの劇場の13年間オペラ公演で、延べ156演目、780のステージに立ちました。世界トップレベルの芸術家と一緒に舞台を創ること、それが私にとって何より刺激の源になりました。彼らとの日々のリハーサルや公演を通して、彼らの美の根底にある感性、思考、宗教観に触れることができたからです。近年ではウェブ上に舞台の情報が溢れる時代になりましたが、現場でしか味わえない貴重な経験をさせていただきました。日本にいながらにして、まるで海外留学をしているかのような気分です。 さて、オペラと言えばイタリア、ドイツ、フランス、イギリスなどヨーロッパを中心とした国々の芸術家との交流が多いのですが、「オペラ界のアジア」という視点で世界を見たとき、生涯忘れられないエピソードが2つありますのでご紹介したいと思います。 日中共同プロジェクト「アイーダ」と韓国人テノール ひとつ目は2012年の日中共同制作公演『アイーダ』です。日中国交正常化40周年の節目に日中の友好の象徴として共同制作されました。この前代未聞のプロダクションは、歌手およそ100名を新国立劇場と中国国家大劇院から集め、東京と北京で公演するというものです。国家大劇院は北京の中心部にありまして、国の威厳をかけて創設された大変立派な建築物です。近くには人民大会堂(日本の国会議事堂に相当する)があります。当時、中国の反日教育はよく知られていたので、劇場内でも日本人スタッフへのあたりが厳しいのではと心配したものでしたが、まったくの杞憂でした。むしろ国家大劇院の皆さんはとても友好的で、日本の音楽事情に興味津々といった様子でした。休日には関係者が北京市内を案内してくれもしました。リハーサルの後に、若いテノール歌手に食事に誘われ「遠くから来た要人には徹底的にもてなすのが中国人の流儀だ」と言って、約一カ月分のお給料に相当する額のご馳走を用意してくれたこともありました。そして肝心のオペラ公演も大成功を収めました。隣国同士の東洋人が心をひとつにして、西洋文化の象徴であるオペラに挑戦する。満席6,000人の巨大オペラ劇場が大いに湧きました。国家間の歴史認識の違いはあれど、芸術の世界に酔いしれるとき、国境が存在しないのだと感じました。しかし大変残念なことに、東京公演の一週間後、日中両国の外交関係が急速に悪化していきました。もし、このプロジェクトがあとひと月も遅ければ公演中止となっていたでしょう。 ふたつ目のエピソードは韓国です。皆さんは韓国アイドルの「推し」はありますか? 現在ではK-pop が大人気ですし、化粧品、美容グッズ、ファッションなど韓国のトレンドには力があります。若い皆さんは驚くかもしれませんが、2013年頃の日本では韓国に対する嫌悪感、いわゆる「嫌韓」の風潮が非常に高まっていました。その年の流行語のひとつは「ヘイト・スピーチ」でした。新宿区大久保などではデモがあり、激しいバッシングも見られました。そんな社会状況の中、新国立劇場ではオペラ『リゴレット』が公演されました。主役は韓国人の若手テノール歌手、ウーキュン・キム。それまで新国立劇場で韓国人が主役を張ることはほとんどなかったこともあり、過激な世論の中で彼がどんな評価をされるのか、私は興味深く見守っていました。彼の歌声は実に素晴らしいもので、客席は大きな拍手で彼を称えました。「日本の聴衆よ、よく公平な目で評価した!」隔たりを越えた美の世界を感じ、私はステージ上で静かに胸を熱くしました。 インターナショナルな活動の中で私がいつも思うことは、舞台製作の環境は常に政治の影響を受けていますが、政治に侵されない自由な領域を持つのもまた芸術の世界であるということです。だからこそ我々芸術家は、人間の普遍的な価値観や幅広い視点をもって世界の平和に貢献すべきだと考えています。 テクノロジーと古典芸能の融合-オペラ劇場の構造 今日は建設学科の講義ですので、オペラ劇場の構造について少し触れてみたいと思います。まず特徴的なのはステージと客席に挟まれた大きな窪みです。これは「オーケストラ・ピット」と言います。 ここにオーケストラ団員最大100名と指揮者が入り演奏します。ピットの床は上下に動きます。床が下がってピットが深くなるとオーケストラの音量が小さくなり、逆に床が上がると音量は大きくなります。これによって歌手の声量とバランスを取りながら、深さを調節するわけです。ピットの上には大きな反響板があります。オペラやクラシック音楽においては、いかに生の響きを客席に届けるかが大切ですから、音響工学の専門家が材質や形状にこだわり抜いてホール全体を設計しています。 これは劇場平面図です。客席から見える本舞台の左右と奥に同じ面積のスペースがありまして、これを四面舞台と言います。大きな床ごとスライドさせることができます。これによって、巨大な舞台セットを伴う場面転換がスムーズにできますし、場合によってはふたつの演目を日替わりで公演することも可能です。この機構をもつオペラ劇場は日本ではほんのいくつかしかありません。次は劇場断面図を見てみましょう。舞台の上には大きな空間がありまして、これは照明機材や舞台美術などを吊るためのものです。下側はというと「セリ」といって、舞台面の一部もしくは全体を昇降させることができます。そして、これらの機構の多くはコンピューターによって制御されています。最新のテクノロジーは古典芸能であるオペラ(400年の歴史)に新たな表現方法をもたらし続けているのです。 私のライフワーク-ミュージカルかぞ総監督として 「多世代交流の温かい心の居場所をつくろう」と思いついたのは約30年前のことです。私が大学3年生の夏に読んだ新聞記事がきっかけとなりました。若者の意思伝達能力の低下や家庭内暴力は、家庭問題というより社会の歪みに原因があるだろうと考えていました。「自分にできること、自分にしかできないこと」音楽や舞台表現を手段として、人間が人間に興味をもって、大いに笑い、平和を謳う。そんなコミュニティをつくろう!自分がオペラ歌手になるための勉強と並行して、文化団体の運営のイメージを実践方法を温め続けました。 2012年の夏に故郷である加須市で、市民劇団「ミュージカルかぞ」を立ち上げました。ありがたいことに、市長、教育長をはじめ、地元の実力派有志たちが私の掲げる活動理念に賛同、協力してくださいました。さらに嬉しいことに、一年目からすべての年代がバランスよく揃った『三世代ミュージカル』を実現したのです。また、ダンス講師、ピアニスト、照明家などプロの第一線で活躍する業界の仲間も加須に駆けつけてくれました。市民が主役の劇団ですから入団資格は『プロの舞台人でないこと』、以上。技と魂を兼ね備えたプロの舞台スタッフが環境を整え、地元のアマチュア俳優をステージで輝かせるのが私の手法です。団員たちが燃えるような魂で舞台に立つとき、キャラクター描写の奥に個々の圧倒的な生き様が放たれます。そこには見る者の魂を震えさせるほどの「人間の美しさ」があるのです。 しかし、そこにたどり着くまでには膨大な時間と労力、技術を要します。ほとんどの団員は演技や歌唱の経験がないからです。舞台での身体表現、呼吸法、発声法、楽曲分析、台本の読解法、そして舞台創りの精神など、私が日々舞台で実践していることを43名の団員たちに解りやすく愉快に伝えています。 ミュージカルかぞは年に2演目を10年間公演し続け(コロナ禍の中止はありましたが)、着実にレベルアップしています。いつも満員御礼の客席からは割れんばかりの拍手と「ブラボー!」が飛び交います。涙を流しながら客席を立つお客様の姿が増えました。県外からのファンや、教育や文化に携わる方も多くいらっしゃるようになりました。 『大人が笑えば子供も笑う』…劇団の稽古場は笑い声が絶えません。しかし、団員個々の心の事情には静かに話を聞いて、一緒に考えます。不登校、引きこもり、健康上の悩みなど事情は様々ですが、そこから社会の歪みが見えることは少なくないです。しかし、舞台表現を磨き続け、少しずつ自分の声と言葉で素直な自分を語れるようになった団員を見たとき、私も生きていて良かったと感じます。特に子どもや若者には、人と繋がって喜びを感じる『真実の時間』を過ごしてほしいと考えています。それは誰かを愛するための心の糧になると思うからです。 時空を超えるメッセージ-ミュージカル『いち』 さて皆さん、「愛」って何でしょうね? こういった漠然とした質問が一番困るんですよね。そのような抽象的なイメージを閃きに導かれながら具象化できるのが芸術文化のいいところです。愛をいかに表現するか、私も日々悩み続けています。 私の劇作家としての代表作にミュージカル『いち』があります。作品のもととなった加須古来からの伝承『いちっ子地蔵』を読んだ瞬間、作品のインスピレーションが稲妻のように降りてきました。眠るのを忘れるくらい無我夢中で台本と楽曲を書き留めました。全2幕8景、26曲、公演2時間と、なかなかのボリュームです。ドラマの舞台は天明6年(1786年)の加須です。水害などの度重なる困難に屈することなく、助け合って前を向いて生きるお百姓さんたちの姿を描いています。現代のような科学技術はなく、物質も情報も豊かではない村落共同体の人々は何に価値を感じて生きていたのか? 現代人が忘れかけた大切な「何か」を思い起こさせてくれるのです。そして、いつも忘れはならないのは「土地に生きた先人たちの努力、犠牲、愛があったからこそ、現在の我々がある」をいうことです。脈々とつながる命、先人からの愛に感謝することが、光ある未来を導くと『いち』は教えてくれます。 「大きな社会は変えられない、まずは小さな社会から」-。土壌づくりに20年。故郷で愛の種を蒔き始めて約10年。それらが今、芽吹きはじめました。埼玉の小さな街から田畑を越えて、時空を超えて、これから新たな愛の連鎖が広がっていくのだと思います。 『野菊』 『翼をください』 『帰れソレントへ』 Profile 阿瀬見 貴光(あせみ・たかみつ)昭和音楽大学声楽科卒業。日本オペラ振興会オペラ歌手育成部18期修了。声楽を峰茂樹、L.Bertagnollio の各氏に師事。歌手としては都内のオペラ劇場を中心に活躍し、定期的なトークコンサート《あせみんシリーズ》では客席を笑いと涙の渦に巻く。その他、作曲家、台本作家、指揮者、演出家の顔を持つ部隊の総合クリエイター。完全オリジナル作品の代表作にミュージカル《いち》があり、これまでに5回の再演を重ねている。プロの舞台で培った技術や経験を地域社会に還元すべく、子どもの教育や生涯学習を目的としたアマチュア舞台芸術の発展に力を注ぐ。教育委員会等で講演を精力的に行い、芸術文化による地方創生の実践を伝えている。NPO法人ミュージカルかぞ総監督。ハーモニーかぞ常任指揮者。加須市観光大使。地元の酒をこよなく愛する四児の父。 関連リンク ・【Fゼミ】私の仕事 #1--デジタルマーケティングとオンライン販売 基礎・実践・【Fゼミ】私の仕事 #2--私が在籍してきた企業におけるマーケティング・【Fゼミ】私の仕事 #3--自分を活かす 人を活かす 原稿井坂 康志(いさか・やすし)教養教育センター教授

  • 【Fゼミ】私の仕事 #3--自分を活かす 人を活かす

    1年次のFゼミは、新入生が大学生活を円滑に進められるように、基本的な心構えや、ものづくりを担う人材としての基礎的素養を修得する授業です。このFゼミにおいて各界で活躍するプロフェッショナルを招へいし、「現場に宿る教養」とその迫力を体感し、自身の生き方やキャリアに役立ててもらうことを目的として、プロゼミ(プロフェッショナル・ゼミ)を実施しました。今回は、OL時代、自身の体調不良が玄米で改善した経緯から大阪で玄米カフェ実身美(サンミ)を創業し、顧客の健康改善事例に多く立ち合ってきた大塚三紀子氏を講師に迎えたプロゼミの内容をお届けします。 学生時代から就職まで 私は現在、㈱実身美を経営しています。本日は「自分を活かす 人を活かす」というテーマで私の経験をお話ししたいと思います。 最初に私の学生時代から始めたいと思います。私は法学部の出身なのですが、大学時代は正直なところやりたいことがありませんでした。何をしようかわからなかったというのが実感でした。法学部に在籍したことから、税理士事務所に就職はしてみたものの、やりがいは感じられませんでした。そのようなこともあり、しばらくして体調を崩してしまったのですね。 そんなとき、玄米食に切り替えたところ、めきめきと回復したのです。この経験は私にとって鮮烈なものがありました。そのとき思いました。体調不良の悩みを持つ人はきっと日本全国にいるはず。ならば、同じような方法で体調が回復することで喜びを共有することはできるだろうと。私自身が苦労したことをもとに、世の中の問題を解決できるのではないかと考えたわけです。そこで、事業を始めることにしました。これが私が経営者になったきっかけでした。 起業の経緯 実身美(サンミ)は、名前がコンセプトになっています。「実」があって「身」体に良くて「美」しい。すべて「み」と読みますから、3つで「サンミ」と呼ぶわけです。実身美は2002年に大阪市阿倍野区にて創業しています。現在は、玄米を主食とした健康食を提供しており、年間40万人以上のお客様にお届けしています。大阪阿倍野区、都島区、中央区、東京都、那覇市に5店舗を展開しています。 通信販売にも力を入れておりまして、独自開発の酵素ドレッシングは、全国お取り寄せグランプリ3年連続日本一(2017年全国4,400商品中1位、2018年全国4,730商品中1位、2019年全国5,131商品中1位)の評価をいただいております。現在でこそこのような高評価をいただいているものの、起業の時からすべてがうまくいったかというとまったくそうではありません。これから少しそのお話をしたいと思います。もともと食には興味があったのですが、起業となると何もわかりません。私はその分野にはまったくの素人でしたので、創業支援制度を利用して相談してみると、まずは「事業計画書を作成するように」と言われたのですね。ここで私は、コンセプトと数字の大切さを徹底的に学ぶことになりました。起業にあたって思いや志は何にもまして大切なものです。しかし一方で、現実に事業を成り立たせていくためいには、実にたくさんの具体的な行動が必要になってきます。 そこで大切なのは、仕組みづくりであり、数字をきちんと計算することです。たとえば、私は起業にあたって、公的金融機関からしかるべき融資をいただいたわけですが、それは言い換えれば借金をしたということです。借金をしたら、期限までに返さなければならないのは当然です。そこで、経営というものの責任を実感させられました。一度責任を引き受けた以上、何としてでもやらなければならないと決意しました。 そうなると、必要な費用を賄うのに、いくら必要か。これは痛いくらいの現実で、従業員やアルバイトさんの時給など掛け算すれば経費が出てきます。何で稼いで経費を払っていくか。これを計算しました。一日に必要な収入を割り出すと、ご来店54人という数字が出ました。これより少なかったら、店を成り立たせていくことはできないし、従業員にお給料も払えないわけです。 今にして思うのですが、「1日54人」の数字が出たから、私は成功できたのだと考えています。もちろん、お金だけではありません。店舗を展開していく中で、どうしても自分だけでは限界があります。人に働いてもらわなければなりません。自分がわかっているだけでは回らないのです。そのときはたと気づきました。どう人に動いてもらうかがわからなかったのです。そんなときに出合ったのが、「マネジメントの父」と言われているピーター・ドラッカーでした。 ドラッカー『仕事の哲学』との出合い 行き詰っていた時に出合ったのが、『仕事の哲学』というドラッカーの名言集です。2003年夏のことでした。まず感銘を受けたのが、「帯」の言葉です。 「不得手なことに時間を使ってはならない。自らの強みに集中すべきである」。 これは本当に救いになりました。その人にできることを生かさなければならない。生かせないならそれはマネジメントの責任ということです。この時期にビジネス界にも影響力を持つ人と出会えたのは幸福だったと思います。翌年2004年からはソーシャルネットワークで「ドラッカーに学ぶ」コミュニティも運営しはじめました。2007年には、翻訳者の上田惇生先生(ものつくり大学名誉教授)に勧めていただき、ドラッカー学会に入会して現在に至っています。 念のため、ここでドラッカーについて説明しておきます。1909年にウィーン生まれ。2005年にアメリカで没しています。「ビジネス界に最も影響力をもつ思想家」として知られる方で、東西冷戦の終結、転換期の到来、社会の高齢化をいちはやく知らせるとともに、「分権化」「目標管理」「経営戦略」「民営化」「顧客第一」「情報化」「知識労働者」「ABC会計」「ベンチマーキング」「コア・コンピタンス」など、マネジメントの理論と手法の多くを考案し、「マネジメントの父」と呼ばれています。今当たり前に通用している経営戦略とか目標管理などはドラッカーが発案したものです。 強みを生かすには 私がドラッカーから学んだ最大のものは、「強み」の考え方です。たとえば、ドラッカーは強みについて次のように述べています。 「何事かを成し遂げられることは強みによってである。弱みによって何かを行うことはできない」(『明日を支配するもの』) できないところに目を向けていてもしかたがありません。強みを集めて成果を上げるところまでもっていくことが大切だというのです。たとえば、経理の人はきちんと計算できれば、人付き合いできなくても成果をあげる上では問題ありません。むしろできることを卓越したレベルにまでもっていける。「強みを生かし、弱みを無意味にする」というのは、言うのは簡単なのですが、自己流だとうまくいきません。だんだんいらいらしてきます。人はなかなか見えないものだからです。 ではどう実践したか。実身美では、次の質問を投げかけています。「2人以上にほめられたことは何か」「2人以上に改善を求められたことは何か」一つ目については、「とても丁寧ですね。早いですね」といったささやかなことでよいのです。自分は大したことないと思っていても、強みは人が意外に知っているものです。スタッフ勉強会を開催して、隣の人のいいところを書いています。これを行うと、自分の気づいていないところがどんどん蓄積されて、新しい強みにも気づけたりする。「強みノート」を作成して、お互いの強みを理解し合えるように工夫しています。改善を求められたことについても同様に共有していきます。 強みに応じた人事としては、次のようなものがあります。社交性→百貨店担当学習欲→共同研究、HACCP取得、新規事業の把握責任感→マネジメント達成欲→成果が目に見える業務公平性→ルール作りのご意見番慎重さ→会社の危機を聞く、用意周到な準備が必要な案件コミュニケーション、共感性→お客様対応、広報指令性→プロジェクトリーダーポジティブ→ハードな現場収集心→リサーチ系の仕事(レシピ、店舗情報)着想→アイデアがないか聞く戦略性→成果へのプロセスを聞く さらに、気質や価値観も大切です。人には生まれ持っているものがあり、理由はわからないのにできてしまうことがあります。逆に、どんなに努力してもうまくできないこともあります。ドラッカーは次のように述べています。 「われわれは気質と個性を軽んじがちである。だがそれらのものは訓練によって容易に変えられるものではないだけに、重視し、明確に理解することが重要である」 人には教わっていないのにできてしまうことがあるのです。そういうものを生かしていきたいと考えています。なるべく人の持つ本質を大きく変えないようにすることで、生かしていきたいと考えています。 20年間存続するには--会社の文化づくり 最後になりますが、文化づくりについてお話したいと思います。私は文化の力はとても大きいと常々感じています。文化になれば言葉はいらなくなります。たとえば、日本では公共交通機関などでみんな並んで待つ文化がありますね。これは海外からすれば驚かれることです。それが文化の力であり、誰もが当たり前のようにやっていることです。 今日ものつくり大学に来て、みんなが気持ちよく挨拶してくれるのに感動いたしました。授業にもかなり前から教室に来ている。それはものつくり大学では普通のことかもしれませんが、立派な文化と言ってよいものです。文化になると人から言われなくてもできてしまう。これは、その文化の中にいる人を見れば伝わってくるものですし、本物の力だと思います。 なぜ実身美は20年継続できたのかを時々考えます。起業した企業が20年後に生き残っているのは0.3%と言われています。昔からあてにならないことを千三つと言いますが、まさに1000分の3の確率なのです。続けるのは難しいものです。ポイントは、学ぶこと、強みを生かすこと、そして「新しくしていくこと」です。続かないとは変われなかったということだからです。これは会社の文化といってよいと思います。 実身美では、継続学習とたゆまぬ改善活動を行っています。「丘の上の木を見ながら、手元の臼を引く」、すなわち、長期と短期をバランスさせる視点を大切にしています。ビジョンと現実の両方を見ながら、行くべき方向へかじ取りするのです。 最後に--マーケティングとイノベーション ドラッカーが言うのは、マーケティングとイノベーションです。ドラッカーは、「マーケティングとは販売を不要にすること」という有名な言葉を残しています。「買ってください」と言わなくても、お客様から「ほしい」と思っていただけることです。私は、自分が不便だと感じて、こんなのがあったらいいと思うことを大切にすることでした。自分も一人の顧客だからです。知人の本の編集者が教えてくれたのですが、「誰かにぴったり合うということは、その後ろに同じ感じ方をする人が30万人いる」という。それが独りよがりではなく、役に立ち、喜ばれるものになるのです。 イノベーションは新しくしていくことです。お店だったらいろんなメニューがありますね。消費者として、ほっとできるお店へのニーズがあるのに、それをベースにしているお店が少なかった。実身美の創業にはこのような思いもありました。そこで大切なのが顧客目線によるイノベーションです。お店の側は、自分が学んだイタリアンとか中華とかで勝負しようとしてしまいがちですね。果たしてそこに顧客目線はあるのかが疑問でした。自分の発想だけで出すと顧客からずれてしまいます。 自分が消費者だったらどうか。たとえば実身美では、冬に白湯を出すようにしています。というのも、通常の飲食店では、冬でも氷の入った水が出てくるところがあるからです。家ではありえないことですね。プロがそのようなことをしている。寒い時は常温の方がありがたいはずで、それだけでも感動してくれる人がいます。以前ジャーマンオムレツをメニューにしたいという意見があって、私はそこにトマトとかいろいろな野菜を入れたら魅力的ではと提案したことがあります。即座に「それではジャーマンオムレツにならない」という反論がありました。けれども、それは偶然私たちの知るジャーマンオムレツが、昔の人の保存がきくもの、じゃがいもとかしか使えなかった時代の遺物だったに過ぎない。それはものが不足していた時代に誰かが考えた苦肉の策なのに、今まったく違う現在でも踏襲してしまうのです。今はなすもトマトも入れられる。自分だったらこうするという具合に作り直していいのです。酵素ドレッシングもそうです。以前は、茶色で調味料というのが大半でした。生の良さを生かす「食べるドレッシング」という発想がなかった。それを顧客目線で開発した。 本日は「自分を活かす 人を活かす」というテーマで私の経験をお話しました。ものつくり大学の学生の皆さんに少しでも役に立てれば嬉しいです。ありがとうございました。 Profile 大塚 三紀子(おおつか・みきこ)㈱実身美 代表取締役関西大学法学部卒。OL時代、自身の体調不良が玄米で改善した経緯から2002年大阪で玄米カフェ実身美(サンミ)創業。20年間で玄米食を約500万食提供し、顧客の健康改善事例に多く立ち合う。玄米の機能性に感銘を受け、2017年度より、琉球大学医学部第二内科益崎教授研究室と玄米の機能性食品の共同研究開発を開始。働く女性を対象にした臨床試験を通じ、玄米の機能性成分がアルコール依存を軽減させる効果を認める。2019年~2023年 沖縄科学技術イノベーションシステム構築事業委託共同研究採択2022年 『特許庁 社会課題解決×知財 IOPEN プロジェクト~脳のデトックス効果のある玄米食を通じて社会ストレスを解消させる挑戦~令和3年度IOPENER』。ドラッカー学会会員。著書に『実身美のごはん』『実身美の養生ごはん』ワニブックス社がある。(累計2万9000部)『実があって身体に良く美味しい』をコンセプトにした商品開発を得意とする。酵素ドレッシングはベストお取り寄せ大賞3年連続総合大賞受賞(2019年度5,131商品中1位)他受賞多数。 関連リンク 【Fゼミ】私の仕事 #1--デジタルマーケティングとオンライン販売 基礎・実践 【Fゼミ】私の仕事 #2--私が在籍してきた企業におけるマーケティング 【Fゼミ】私の仕事 #4--歌手としての歩みとライフワーク 原稿井坂 康志(いさか・やすし)ものつくり大学教養教育センター教授

  • 【知・技の創造】ポストコロナと大学間連携

    政府は本年5月に新型コロナウイルス感染症の位置付けを「2類相当」から「5類」に移行するとしており、私たちの生活におけるコロナ対策も一つの転換点を迎えようとしています。2020年に入り世界中で新型コロナウイルスの感染が拡大して以降「ポストコロナ」や「ニューノーマル」といった言葉を用いて、新しい教育環境の創出にまつわる議論が様々な場面でされてきました。とりわけ、デジタルを活用したグローバル化、地方創生、リカレント教育、大学間連携といったキーワードが活発に議論されてきました。 人材育成と大学間連携 時代に求められる、時代に受け入れられる学びの形態を考え続けることは大学の責務であり、いま社会に求められているものとして「超スマート人材の育成」と「社会と連携した職業訓練」が挙げられます。Society 5.0と呼ばれる「サイバー空間とフィジカル(現実)空間を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する人間中心の社会(Society)」を担う人材、それが超スマート人材ですが、情報社会(Society 4.0)に続く新たな社会の担い手になるためには、幅広い学びが必要です。それぞれの専門分野の学びはもちろん、コミュニケーション能力や協調性といった人間力を育むことが必要不可欠であり、それは言い換えれば、他者を理解し、尊重できる能力なのかもしれません。私がいま所属しているものつくり大学では、隣接する羽生市の埼玉純真短期大学と、加須市にある平成国際大学との間で連携協力協定を締結しています。このように複数の大学が連携することで、他分野の学生等との相互交流が可能となり、「他者を理解し尊重する能力」が育まれることに繋がります。 こども学科と建設学科 パンデミックの影響もありましたが、埼玉純真短期大学「こども学科」とものつくり大学「建設学科」の学生たちが交流することで、2018年度「模擬保育室(おひさまランド)」の幼児用家具と室内遊具をデザイン・製作、2020~2021年度「屋外キッズハウス」をデザイン・製作するというプロジェクトが展開されてきました。専門的知識と実践力のある保育者・教育者を社会に輩出する「こども学科」と、実際にものづくりができ技能にも秀でたテクノロジストを輩出する「建設学科」の学生たちが、お互いを理解し尊重することで実現した成果です。 2018年度制作の「模擬保育室(おひさまランド) 2020年度制作のキッズハウス ポストコロナ元年 令和5年度の埼玉県一般会計当初予算は「ポストコロナ元年~持続可能な発展に向けて~」と名付けられました。「10年先、20年先を見据え、埼玉県の持続可能な発展に向けての礎を築いていく」という決意が込められているそうです。その具体的な取り組みの中には、資源のスマートな利用、ゼロ・カーボン社会に向けた取り組みも含まれています。「木材」を使った模擬保育教室と屋外キッズハウスプロジェクトは、森林と木材利用がカーボンニュートラルに貢献できることの学びに通じるものです。学生たちがそのことを深く考えるのは、あるいは卒業後かもしれませんが、大学間連携によって他者を理解することを学んだ若者たちが、超スマート人材として次世代の担い手になってくれることを願っています。 2021年度制作のキッズハウス 埼玉新聞「知・技の創造」(2023年5月5日号)掲載 Profile 佐々木 昌孝(ささき・まさたか) 建設学科教授 1973年生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科(建設工学専攻)博士後期課程。博士(工学)。2020年4月より現職。専門は木材加工、日本建築史 関連リンク ・家具研究室(佐々木研究室)WEBサイト・建設学科WEBページ

  • 【学生による授業レポート #2】受講後もSA(スチューデント・アシスタント)を通じて深める学び

    第2回「学生による授業レポート」をお届けします。今回は建設学科4年の杉山一輝さんが「鋼構造物施工および実習」を紹介します。杉山さんは2年次に「鋼構造物施工および実習」を受講して、4年次ではSA(スチューデント・アシスタント)として実習の運営をサポートしました。学生とSAの両方の視点からのレポートをお届けします。(学年は記事執筆当時) 「鋼構造物施工および実習」について 「鋼構造物施工および実習」は、鋼構造の躯体モデルとして鉄骨部材で構成されたシステム建築を施工する工程を通じて、鋼構造部材の組み立てを中心とした施工管理を学びます。高力ボルトなどの締付け管理や母屋、胴縁などのボルトによる施工要領について学び、筋交いやサグロッドなどの2次部材の役目や施工方法を習得します。 システム建築の特徴 この実習は、株式会社横河システム建築から鉄骨などの部材を提供いただくとともに、社員の方に非常勤講師として来ていただき行われています。横河システム建築は、業界トップシェアを誇るシステム建築と、国内外の大型開閉スタジアムやハワイ天文台のすばる望遠鏡大型シャッター装置など、様々な用途の大型可動建築物を提供する建築製品のトップメーカーです。 システム建築とは、建物を構成する部材を「標準化」することにより、「建築生産プロセス」をシステム化し、商品化した建築です。工場・倉庫・物流施設・店舗・スポーツ施設・最終処分場等に適した建築工法で、建設のうえで想定される検討事項・仕様が予め標準化されているので高品質でありながら、短工期・低価格を実現しています。(株式会社横河システム建築HPより引用:https://www.yokogawa-yess.co.jp/yess01/feature) 完成写真 苦労した点、勉強になった点 2年生で受講した時は、システム建築、鉄骨造と聞いてもイメージが全然湧きませんでした。図面を見て理解するにも時間がかかって施工するにもいろいろ苦労しました。しかし、世の中の鉄骨造の建築物(特に工場・倉庫)はどのように施工されているのかを細かな部分まで実習を通して知ることができ、完成に近づくほど楽しく、面白く感じました。「システム建築」がどのような事なのかも学ぶことができました。 図面確認 3年生になり、SA(スチューデント・アシスタント、以下SA)になってからは、受講生に質問されてもしっかり答えられるように図面をよく確認したり、作業内容を熟知するようにして事前準備をしていました。現場は予定通りにいかないことが多いので臨機応変に対応していくのが大変でした。SAとして、また実習に参加することで、受講当時に分からなかったことが理解できるようになったり、新たな疑問点は見つかったり、毎回の実習が充実していたので参加できて良かったと思います。 SAとして工夫した点 就職活動では、株式会社横河システム建築から内定をいただいたということもあり、SAを2年間経験させてもらっています。一般的にSAという立場は、受講生のサポート役として参加しますが、この実習では規模が大きいということもあり、SAが率先して受講生をまとめています。受講生では危険な作業が少々あり、SAがやらなくてはいけない作業があったりするからです。 工夫したことは、その場その場でいろいろとあります。教授・非常勤講師の打ち合わせに参加して、実習で使用する工具類の確認、授業の流れを把握したりして受講生がスムーズに実習できるように環境づくりを行いました。また、複数人いるSAの中でリーダーでもあったので指示を出したり、自身の分からないことはすぐに非常勤講師に質問して対応できるようにしていました。 SAによる柱設置作業 原稿建設学科4年 杉山 一輝(すぎやま かずき) 関連リンク ・【学生による授業レポート】ジジジジッ、バチバチッ・・・五感で学ぶ溶接技術・建設学科WEBページ

  • 【学生による授業レポート】ジジジジッ、バチバチッ…五感で学ぶ溶接技術

    今回は、学生の目線から授業を紹介します。建設学科1年の佐々木望さん(上記写真左)、小林優芽さん(上記写真右)が「構造基礎および実習Ⅳ」のアーク溶接実習についてレポートします。実習を通じて、学生たちは何を感じ、何を学んでいるのか。リアルな声をお届けします。(学年は記事執筆当時) ものつくり大学の授業について ものつくり大学の特色…それは何といっても実習授業の多さです。なんと授業のおよそ6割が実習であり、実践を通して知識と技術の両方を身に着けることができます。科目ごとに基礎実習から始まり、使用する道具の名称や使い方などを一から学ぶことができます。 本学は4学期制でそれぞれを1クォータ、2クォータと呼び、1クォータにつき全7回の授業と最終試験を一区切りとして履修していきます。今回は、そんな授業の中で建設学科1年次の4クォータで履修する「構造基礎および実習Ⅳ」のアーク溶接実習について紹介します。 アーク溶接の実習とは まず、アーク溶接について簡単に説明すると「アーク放電」という電気的現象を利用して金属同士をつなぎ合わせる溶接方法の一種です。アーク溶接の中にも被覆、ガスシールド、サブマージ、セルフシールドなど様々な種類がありますが、この実習では一般的に広く使用されている被覆アーク溶接を行いました。 アーク溶接の様子 この授業は、講義の中で溶接の基礎知識や安全管理等の法令を学び、実技を通してアーク溶接の技術を身に付けることを目的としています。また、6回目の授業で突合せ板継ぎ溶接の実技試験、7回目の授業で「アーク溶接等作業の安全」をテキストとした試験を行います。その試験に合格した学生には特別教育修了証が発行され、アーク溶接業務を行えるようになります。 実技試験の課題 突合せ溶接 実習では平板ストリンガー溶接、T型すみ肉溶接、丸棒フレア溶接、突合せ板継ぎ溶接といった、数種類の継手の面やコーナー部を溶接する練習を行いました。また、講義では鋼材に関する知識、溶接方法の原理、作業における安全管理、品質における溶接不良の原因や構造物への影響等について学び、試験に臨みました。 実習の流れとしては、まず作業の前に溶接方法の説明を受けます。その後、皮手袋やエプロン、防じんマスク、保護面等の保護具を着用して、3~4人で一班になり、各ブースに分かれて順番に練習を行います。作業中は、実際に現場で活躍されている非常勤講師の先生が学生の間を回り、精度の高い溶接ができるようアドバイスや注意をしてくれます。溶接金属やその周囲は非常に高温になるため、他の実習よりも危険なポイントが多いので作業中だけでなく、準備・片付けもケガ無く安全に行えるよう毎回KY(危険予知)活動をしてから実習に臨みました。 実習を行ってみて 説明ばかりでは授業の様子を想像するのも難しいですよね…。ということで、実際に授業を受けた建設学科1年、小林と佐々木の感想をお届けしたいと思います! ・何を学ぶことができたか 【小林】アーク溶接とは何かを学ぶことができました。もっとも、それを教わるための講義なので何を言ってるんだと思われてしまいそうですが、そもそも私は溶接と無縁の生活を送ってきたので、アーク溶接ってなに?というか溶接ってなんだよ。というところから入りました。1回目の講義の際、どのようなものが溶接で作られているのか紹介していただいたのですが、ほとんどが知らなかったことだったので、とても面白かったのを覚えています。 【佐々木】溶接というのは非常に優れた接合方法だということを学びました。溶接は継ぎ手効率が高く、大型の構造物を作るのに適しています。あの東京スカイツリーはなんと37,000ものパーツを全て溶接することで作られていると知り、世界一高い塔を作る溶接という技術がこんなに小さな機械で、こんなに簡単にできるものなのだと驚きました。また、一口に溶接といっても用途によって材料や溶接方法、継ぎ手の種類などが様々で、その違いを興味深く学ぶことができました。 ・楽しかったこと 【小林】アーク溶接を実技として教わったことがすごく楽しかったです。非常勤の先生方がとても優しく、どのようにすればいいか、どのくらい浮かすのか、どの音で進めていくのかなど一緒に動かしたり、その都度「今離れたよ。もう少し近付けて。そう、その音」と声をかけてくれたりして理解できるようにしてくださったので、すごく分かりやすかったです。そのおかげで綺麗に溶接ができるようになり、すごく褒めてくださることもあって、とても楽しく実習をすることができました。先生が「初めてでここまでできる人は初めて見た」とまで言ってくださったので、とても嬉しく、褒められればやる気が出る単純なタイプなので、やる気もすごく出ました。 【佐々木】練習を重ねて、アドバイスを実践していく度に溶接の精度が上がり、目に見える形でできるようになっていくのが楽しかったです。溶接は五感がとても大切で、保護面越しで見るアーク放電の光だけでなく、ジジジジッ、バチバチッといった音の違いや溶接棒越し感触を頼りに集中し、真っすぐに溶接できた時にはとても達成感を感じました。班の中でも上手な学生から感覚を教えてもらったり、説明を受けながら溶接の様子を見学することで、より学びを深めることができたと思います。講義では、先生から現場での実体験を交えてお話いただいたおかげで楽しく知識を身に着けることができたので、苦にすることなく試験勉強に取り組めました。 実習中の様子 ・苦労したこと 【小林】T字の材料に溶接するところがすごく苦労しました。平面とはまた違った角度をつけて溶接しなければならず、どうにもそれが難しかったです。1層目の溶接は擦りつけながら溶接すると言われ、この前までは浮かせるって言ってたのに?と混乱している中、追い打ちで「この前とは違う角度で溶接する」と言われてしまい、思考が停止したのをよく覚えています。さらに、そのことに気を取られ、前回できていた適切な距離を維持することができなくなり、手が震えて作業している場所が分からず、ズレてガタガタになることを経験して、やっぱり一筋縄ではいかないんだと痛感しました。 T型すみ肉溶接 【佐々木】被覆アーク溶接というのは、細長い溶接棒と溶接金属の母材を溶かし合わせてつなぎ合わせる方法で、溶接を進めるほど溶接棒が溶けていくので、母材と溶接棒の距離を保つのが難しく、溶接の後が上下にずれてしまい大変でした。アークの光が明るすぎて目視では距離の確認ができずに困っていたら、「正しい距離を保てば見えるようになる」と教えてもらい、それからは以前より真っすぐに溶接できるようになりました。また、溶接不良を何か所も発生させてしまい、溶接不良が原因で鉄橋が崩落した大事故についても学んでいたため、仕事としての難しさや、構造物を作っている技術の高さを改めて感じました。 最後に 私たちの授業紹介はいかがでしたでしょうか?建設学科では、今回紹介した構造基礎の授業だけでなく、設計製図や木造、仕上げといった幅広い分野について実習を通して学び、知識と技術を身に着けることができます。 この記事を通して「ものつくり大学って面白そう!」「他にどんな授業をしているのかな」と少しでも興味を持っていただけたらとても嬉しいです。 最後までお読みいただきありがとうございました。 原稿建設学科1年 佐々木 望(ささき のぞみ)       小林 優芽(こばやし ゆめ) 関連リンク ・【学生による授業レポート #2】受講後もSA(スチューデント・アシスタント)を通じて深める学び・建設学科WEBページ

  • 【知・技の創造】コンクリートの未来に向けて

    転換点を迎えたコンクリート コンクリートは、現代のインフラ構築において不可欠な構造材料です。コンクリートの構成材料は、一般には水、セメント、細骨材(砂)、荒骨材(砂利)と少量のセメント分散効果のある液剤(化学混和剤)の5つになります。このうち、水、細骨材および粗骨材は、特殊な環境を除いて地球上のあらゆるところで採取できます。また、構造材料には、ほかに木材や鋼材が代表的ですが、我が国においては単位体積あたりではコンクリートが最も安価です。 これに加えて、適切な材料を使って練混ぜ、施工および養生を行えば、大きな圧縮強度が得られ、長大な構造物を重力に逆らわない自由な造形で構築することが可能です。 こうした特性が、広範に使われている所以なのかもしれません。しかしながら、昨今では施工人員の不足や環境負荷低減への対応が喫緊の課題となっており、大きな転換点を迎えています。 コンクリートの施行の変容 コンクリート工事は、機械化が進んでいるものの、未だに多くの作業を人力に頼る部分が大きいです。ある程度の構造物であれば、コンクリートを打込む部位1か所につき20名ほどの作業者が必要とされる場合もあります。一方で、作業者の高齢化や若年入職者の減少など、今後ますます人員が不足する可能性が高くなっています。 実習でコンクリートを打設している様子 この対策のために、ロボットの活用や更なる機械化施工に加え、3Dプリンティングの技術の開発など、各所で様々な取り組みが活発化しており、近い将来には多くの作業者が見られた建設現場の風景が変わる可能性を秘めています。 コンクリートの環境負荷低減 冒頭で述べたように、コンクリートは総合的には最も合理的な構造材料と言えます。一方で、セメントの製造には多くの二酸化炭素を排出し、地球環境保護の観点からは、いかに抑制するかが喫緊の課題となっています。業界の取り組みにより、徐々に改善されつつありますが、今後も引き続き検討していく必要があるでしょう。 また、セメントの代替として、高炉スラグ微粉末(鉄鋼生産の副産物)やフライアッシュ(石炭火力発電所等で副産される石炭灰)を大量に置換して、従前のセメントを用いたコンクリートと同等の性能を得る技術など、各所で多くの研究が行われています。 一方で、解体後のコンクリート塊は、従来より再生砕石等でほぼ全量がリサイクルされてきましたが、より環境負荷低減を図る上でもさらなる構造物の長寿命化や新たなリサイクル方法など、様々な技術が開発されつつあります。これらの研究開発が、コンクリートの未来に向けて大きな展開につながることが期待されています。 コンクリートの未来に向けて 現代のコンクリートが登場して100年ほど経過し、歴史的にも大きな転換点を迎えている状況ですが、これに代わる合理性を持った構造材料の登場には至っておらず、今後も当分の間多くの構造物で使われるものと思われます。 一方で、社会の変容のスピードは速く、これに追随して変化していかなければ、時代に取り残された技術となってしまいます。当研究室としても、新たなコンクリートの未来に向けて学生諸君とともに様々な課題解決のために研究活動に取り組んでいきたいと考えます。 埼玉新聞「知・技の創造」(2023年3月3日号)掲載 Profile 大塚 秀三(おおつか しゅうぞう) 建設学科教授 川口通正建築研究所を経て2005年ものつくり大学技能工芸学部建設技能工芸学科卒業(社会人入学、1期生)2013年日本大学大学院理工学研究科博士後期課程修了 博士(工学)2018年4月より現職。専門は建築材料施工、コンクリート工学 関連リンク ・建設学科WEBページ・建設学科 建築材料施工研究室(大塚研究室)

  • 創造しいモノ・ガタリ 02 ~「本物」を見に行こう~

    教養教育センターの井坂康志教授が、ものつくり大学の教員に、教育や研究にのめりこむきっかけとなったヒト・モノ・コトについてインタビュー。今回は建設学科 八代克彦教授に伺いました。 Profile 八代 克彦(やしろ かつひこ)技能工芸学部建設学科 教授 1957年、群馬県沼田市生まれ。東京工業大学大学院理工学研究科建築学専攻博士課程単位取得退学。博士(工学)。札幌市立高等専門学校助教授を経て、2005年にものつくり大学へ移籍。専門は建築意匠・計画 現在行っている教育研究のきっかけを教えてください。 専門の建築意匠・計画の分野だけでなく、いろいろなモノに対して自然と関心が向いてきた研究人生であったと思います。一見すると寄り道に見えることが、後々意外なところで新しい活動につながったり触発されたりといったこともずいぶん体験してきました。 やはり研究人生の基点となったのが、東京工業大学の4年次に所属した茶谷正洋研究室です。茶谷先生は世間では「折り紙建築」の創始者として有名ですが、実は建築意匠・構法の研究者として環太平洋の民家を精力的にサーヴェイされており、その総仕上げともいえる中国の地下住居に研究室所属時に出くわし、一辺で魅了されました。時は1980年代初頭、中国北部の黄土高原に見られる伝統的な住居形態・窰洞(ヤオトン)と呼ばれる地面に穴を掘って生活する人々がなんと4,000万人もいました。これは、中国の陝西省北部、甘粛省東部、山西省中南部、河南省西部などの農村では普通に見られる住宅形式です。地坑院ともいわれており、現在では国家級無形文化遺産にも登録され、今でもかなりの数の人々(約1,000万人?)の人々が崖や地面に掘った穴を住居として利用しています。 その研究を行ったのが、1980年代中葉、天安門事件の前の時代でした。西安に留学し、住居の構造はもちろんのこと、文化人類学的な関心からも研究を深めることができました。黄土高原の表土である黄土は、柔らかく、非常に多孔質であるために簡単に掘り抜くことができ、住居全体を地下に沈めた「下沈式」と呼ばれる、世界的にも特異なものでした。今ならドローンで比較的安易に撮影可能と思いますが、当時はそのようなものはありませんので、横2m×縦2.7mほどの大きな六角凧で空撮を敢行しました。どこに行っても住人が凧の紐を持つのを争って手伝ってくれたのが懐かしい思い出です。 ヤオトン空撮写真(河南省洛陽) その経験が後々まで力を持ったということですね。 そうだと思います。やはり最初に関心を持った分野というのは、後々まで影響するようで、現在に至っても、私の建築デザインの原型にはあの洞窟住居があるように感じています。東工大の後は札幌市立高等専門学校に務めました。この学校は全国初かつ唯一のデザイン系の高専で、校長が建築家の清家清先生です。この学校で研究からデザイン教育にフォーカスしていったのですが、一貫して地下住居への関心は持ち続けてきました。なぜか気になる。そこには、必ず何かがあるはずなのです。その何かが研究を継続するうえでの芯のようなものを提供してくれたのかとも思う。まさに穴だらけの研究人生です。その後、2005年からものつくり大学で教鞭を執るようになりました。ものつくり大学では、手と頭を動かしてモノをつくる、ものづくりにこだわりを持つ学生が多く、刺激的な教育研究生活を送ってこられたと思います。これからも、学生には自分の中にある関心の芽を大切にしてほしいと思いますね。私の場合それは中国の地下住居だった。関心対象はどんどん形を変えていくかもしれないけれど、核にあるものはたぶん変わらない。二十歳前後の頃に、なぜかはっとさせられたもの、心を温めてくれたもの、存分に時間とエネルギーを費やしたものは、一生の主軸になってくれます。 ものつくり大学で最も強い思いのある作品は何ですか。 いろいろあるのですが、とりわけル・コルビュジエ(1887~1965年)の休暇小屋原寸レプリカが第一に挙げられると思います。現在ものつくり大学のキャンパスに設置されています。コルビュジエは、スイス生まれのフランス人建築家で、ミース・ファン・デル・ローエ、フランク・ロイド・ライト、ヴァルター・グロピウスと並んで近代建築の四大巨匠の一人に数えられる人です。これは正確には、「カップ・マルタンの休暇小屋」と言います。地中海イタリア国境近くの保養地リヴィエラにあるコルビュジエ夫婦のわずか5坪の別荘です。1951年にコルビュジエ64歳の折、妻の誕生祝いとして即興で設計して翌年に完成させた建築物です。打ち放しのコンクリートがコルビュジエの一般的なイメージなのですが、休暇小屋はきわめて珍しい木造建築なのですね。日本でのコルビュジエ作品としては、上野の国立西洋美術館が有名です。彼が設計者に指名されたのは1955年ですから、国立西洋美術館の構想も休暇小屋で練り上げられた可能性もあります。 どんなプロジェクトだったのでしょうか。 レプリカ制作に着手したのは、2010年6月、当時神本武征学長の頃でした。学長プロジェクトとして「とにかく大学を元気にする企画」という募集があって、さっそく有志を募ってプロジェクトを立ち上げました。「世界を変えたモノに学ぶ/原寸プロジェクト実行委員会」がそれです。建設学科と製造学科(現 情報メカトロニクス学科)両方の教職員学生を巻き込み、世界的名作とされる住宅や工業製品を原寸で忠実に再現することを通して、本物のものづくりを直に体験してほしいと考えて始めました。第一弾となったのが、この小さな休暇小屋であったわけです。そのこともあって、2010年9月に急いでフランスに渡り、必要な手続きを行うことになりましたが、これがとても刺激的でした。ありがたいことに、パリのル・コルビュジエ財団からは、翌10月には無事に許諾を得ることができました。2011年2月には、カップ・マルタンに学生10名、教職員6名とともに実物を見に行きました。これは現地の実測調査も兼ねており、約2年間の卒業制作として、設計、確認申請、施工とものつくり大学の学生たちが、ネジ一個から建具金物、照明、家具に至るまで丸ごと再現しています。実際に現地で見て、自分たちの手で原寸制作する。本人たちにとって本物のすさまじさを思い知らされる体験だったはずです。繰り返しになりますが、休暇小屋は私にとって、両学科協働で制作したものですから、両学科の叡智を結集した象徴的作品といってよい。現在は遠方からも足を運んで見に来てくださる方が大勢おられます。 カップマルタン実測調査の様子 教育研究にあたって心がけていることは何でしょう。 私はオプティミスティック(楽観的)な性格だと思っています。やはり学生に対しても希望と好奇心の大切さを語りたいと常々思っています。悲観的なことを語るのは、なんとなく知的に見えるかもしれないけど、現実には何も生み出さないのですね。特に本学の学生は、テクノロジストとして、将来ものづくりのリーダーになっていくわけですから、まずは自分がそれに惚れていないと明るい未来を堂々と語れないと思う。リーダーは不退転の決意で明朗なビジョンを語れなければ、誰もついていきたいとは思わないでしょう。そのこともあって、教育や研究の中でも、いつも学生には希望と好奇心、プラス一歩前に出る勇気を伝えてきたと思います。 最後にメッセージがあればお聞かせください。 私自身は「タンジブル」なもの、いわゆる五感で見て触れることを大切にしてきました。それらは物質という形式をとっているわけですけれども、創造した人の精神や思いの結晶でもあるわけです。そうであるならば、現在のようにオンラインとかネットで見られる時代だからこそ、なおさら本物に触れてほしいと思います。本物に触れなければどうしても伝わらないものがこの世界には偏在しているから。たとえば、「世界を変えたモノに学ぶ/原寸プロジェクト実行委員会」も、実物のみが語る声に対して繊細に耳を澄ませる体験がぜひとも必要だった。だから、カップ・マルタンまで足を運んだのです。それは私が大学時代、洞窟住居を研究するために中国に留学したのと同じ動機です。まさに、ホンモノ《・・・・》というのは千里を遠しとせず足を運ばせるにふさわしい熱量を持っているものなのです。フランスに本物があればフランスに行くし、中国に本物があれば中国に行く。そんな具合に私は世界中を見て回ってきたと思います。だから、ぜひ学生諸君には本物を相手にしてほしい。本物に触れ、その熱度に打たれてほしい。そのためにはどんどん外に行ってほしいと思います。まずはコルビュジエ設計の世界遺産、国立西洋美術館に足を運んでみてはいかがでしょうか。上野にあるわけですから。電車に乗れば一時間程度。たいした距離ではありません。実際に行って五感をフルに働かせてほしい。頭だけで想像したのとはまったく違う質感、コルビュジエの手触り感が伝わってくるはずです。 カップ・マルタンの休暇小屋レプリカの室内 八代教授と藤原名誉教授の著書「図解 世界遺産 ル・コルビュジエの小屋ができるまで」(エクスナレッジ刊) 取材・原稿井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学教養教育センター教授 関連リンク ・建設学科WEBページ・建設学科 デザインプロセス研究室(八代研究室)

  • 震災復興の願いを実現した「集いの場」建設

    村上 緑さん(建設学科4年・今井研究室)は、2022年3月下旬、ある決意を胸に父親と共に大学の実習で使用した木材をトラックに積み込み、ものつくり大学から故郷へ出発しました。それから季節は流れて、11月末。たくさんの人に支えられて、夢を叶えました。 故郷のために 村上さんは、岩手県陸前高田市の出身。陸前高田市は、2011年3月11日に発生した東日本大震災での津波により、大きな被害を受けた地域です。全国的にも有名な「奇跡の一本松」(モニュメント)は、震災遺構のひとつです。当時住んでいた地域は、600戸のうち592戸が全半壊するという壊滅的な被害を受けました。 奇跡の一本松 11歳で震災体験をし、その後、ものつくり大学に進学し、卒業制作に選んだテーマは、故郷の地に「皆で集まれる場所」を作ること。そもそも、ものつくり大学を進学先に選んだ理由も、「何もなくなったところから道路や橋が作られ、建物ができ、人々が戻ってくる光景を目の当たりにして、ものづくりの魅力に気づき、学びたい」と考えたからでした。 震災から9年が経過した2020年、津波浸水域であった市街地は10mのかさ上げが終わり、地権者へ引き渡されました。しかし、9年の間に多くの住民が別の場所に新たな生活拠点を持ってしまったため、かさ上げ地は、今も空き地が点在しています。実家も、すでに市内の別の地域に移転していました。 そこで、幼い頃にたくさんの人と関わり、たくさんの経験をし、たくさんの思い出が作られた大好きな故郷にコミュニティを復活させるため、元々住んでいた土地に、皆が集まれる「集いの場」を作ることを決めたのです。 陸前高田にある昔ながらの家には、「おかみ(お上座敷)」と呼ばれる多目的に使える部屋がありました。大切な人をもてなすためのその部屋は、冠婚葬祭や宴会の場所として使用され、遠方から親戚や友人が来た時には宿泊場所としても使われていました。この「おかみ」を再現することができれば、多くの人が集まってくると考えたのでした。 「集いの場」建設へ 「集いの場」は、村上さんにとって、ものつくり大学で学んできたことの集大成になりました。まず、建設に必要な確認申請は、今井教授や小野教授、内定先の設計事務所の方々などの力を借りながらも、全て自分で行いました。建設に使用する木材は、SDGsを考え、実習で毎年出てしまう使用済みの木材を構造材の一部に使ったほか、屋内の小物などに形を変え、資源を有効活用しています。 帰郷してから、工事に協力してくれる工務店を自分で探しました。古くから地元にあり、震災直後は瓦礫の撤去などに尽力していた工務店が快く協力してくれることになり、同級生の鈴木 岳大さん、高橋 光さん(2人とも建設学科4年・小野研究室)と一緒にインターンシップ生という形で、基礎のコンクリ打ちや建方《たてかた》に加わりました。 地鎮祭は、震災前に住んでいた地元の神社にお願いし、境内の竹を四方竹に使いました。また、地鎮祭には、大学から今井教授と小野教授の他に、内定先でもあり、構造計算の相談をしていた設計事務所の方も埼玉から駆けつけてくれました。 基礎工事が終わってからの建方工事は「あっという間」でした。建方は力仕事も多く、女性には重労働でしたが、一緒にインターンシップに行った鈴木さんと高橋さんが率先して動いてくれました。さらに、ものつくり大学で非常勤講師をしていた親戚の村上幸一さんも、当時使っていた大学のロゴが入ったヘルメットを被り、喜んで工事を手伝ってくれました。 建方工事の様子 大学のヘルメットで現場に立つ村上幸一さん 2022年6月には、たくさんの地元の人たちが集まる中で上棟式が行われました。最近は略式で行われることが多い上棟式ですが、伝統的な上棟式では鶴と亀が描かれた矢羽根を表鬼門(北東)と裏鬼門(南西)に配して氏神様を鎮めます。その絵は自身が描いたものです。また、矢羽根を結ぶ帯には、村上家の三姉妹が成人式で締めた着物の帯が使われました。上棟式で使われた竹は、思い出の品として、完成後も土間の仕切り兼インテリアとなり再利用されています。 震災後に自宅を再建した時はまだ自粛ムードがあり、上棟式をすることはできませんでした。しかし、「集いの場」は地元の活性化のために建てるのだから、「地元の人たちにも来てほしい」という思いから、今では珍しい昔ながらの上棟式を行いました。災いをはらうために行われる餅まきも自ら行い、そこには、子どもたちが喜んで掴もうと手を伸ばす姿がありました。 村上さんが描いた矢羽根 餅まきの様子 インテリアとして再利用した竹材 敷地内には、東屋も建っています。これは、自身が3年生の時に木造実習で制作したものを移築しています。この東屋は、地元の人たちが自由に休憩できるように敷地ギリギリの場所に配置されています。完成した今は、絵本『泣いた赤鬼』の一節「心の優しい鬼のうちです どなたでもおいでください…」を引用した看板が立てられています。 誰でも自由に休憩できる東屋 屋根、外壁、床工事も終わった11月末には、1年生から4年生まで総勢20名を超える学生たちが陸前高田に行き、4日間にわたって仕上の内装工事を行いました。天井や壁を珪藻土で塗り、居間・土間のトイレ・洗面所の3か所の建具は、技能五輪全国大会の家具職種に出場経験のある三明 杏さん(建設学科4年・佐々木研究室)が制作しました。 「皆には感謝です。それと、ものを作るのが好きだけど、何をしたらいいか分からない後輩たちには、ものづくりの場を提供できたことが嬉しい」と話します。そして、学生同士の縁だけではなく、和室には震災前の自宅で使っていた畳店に発注した畳を使い、地元とのつながりも深めています。 こうして、村上さんの夢だった建坪 約24坪の「集いの場」が完成しました。 故郷への思い 建設中は、施主であり施工業者でもあったので、全てを一人で背負い込んでしまい、責任感からプレッシャーに押しつぶされそうになった時もありました。それでも、たくさんの人の力を借りて、「集いの場」を完成させました。2年生の頃から図面を描き、構想していた「地元の人の役に立つ、家族のために形になるものを作る」という夢を叶えることができたのです。また、「集いの場」の建設は、「父の夢でもありました。震災で更地になった今泉に戻る」という強い思いがありました。「大好きな故郷のために、大好きな大学で学んだことを活かして、ものづくりが大好きな仲間と共に協力しあって『集いの場』を完成させることができ、本当に嬉しいです」。 「こんなにたくさんの人が協力してくれるとは思っていなかった」と言う村上さんの献身的で真っすぐで、そして情熱的な夢に触れた時、誰もが協力したくなるのは間違いないところです。 「大学から『集いの場』でゼミ合宿などを開きたいという要請には応えたいし、私自身が出張オープンキャンパスを開くことだってできます」と今後の活用についても夢は広がります。 大学を出発する前にこう言っていました。「私にとって、故郷はとても大切な場所で、多くの人が行きかう町並みや空気感、景色、におい、色すべてが大好きでした。今でもよく思い出しますし、これからも心の中で生き続けます。だけど、震災前の風景を知らない、覚えていない子どもたちが増えています。その子どもたちにとっての故郷が『自分にとって大切な町』になるように願っています」。 村上さんが作った「集いの場」は、これからきっと、地域のコミュニティに必要不可欠な場所となり、次世代へとつながる場になっていくでしょう。 関連リンク 建設学科WEBページ 建設学科 建築技術デザイン研究室(今井研究室)



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