埼玉学とは、埼玉県の歴史・文化・産業・地理など、埼玉県に関するあらゆる分野を総合的に研究・探究する学問です。教養教育センターの井坂康志教授が新しい研究テーマとして連載しています。
埼玉学第15回は、『クレヨンしんちゃん』で知られる春日部を訪れます。1980年代から現在までの春日部の変容を辿ります。
水郷と職人の街
日光街道の第四の宿場町、「粕壁宿」として近世より命脈を保ってきた春日部--。
この土地を知性的な観点から俯瞰すれば、関東平野の広大な低地に位置し、古利根川や大落古利根川といった水系が網の目のように交錯する水郷の顔を持つことが直ちにわかる。
古くは水上交通の要衝として栄え、度重なる水害のリスクと引き換えに、水と土がもたらす肥沃な恩恵を享受してきた。

江戸時代、日光東照宮造営に関わった工匠たちが定住したのに端を発するとされる桐箪笥の製造や、農閑期の副業から発展した麦わら帽子、そして色彩豊かな押絵羽子板、これらの特産品は、地方名産の枠を超え、春日部という土地の底流に堆積した職人気質と、泥臭くも堅実な民衆の営みの歴史を雄弁に語っている。
現在の春日部に立ち、その風景を見渡すとき、そうした重曹的な歴史の連なりを看取するのは意外に困難である。
1980年代の原風景--ヤンキー、自転車、たばこの煙
1980年代後半、私が高校生だった頃の春日部を思い起こしてみる。そこは現在と異なるどころか別の惑星の一画みたいだった。
街角には控えめに言って奇抜な制服に身を包んだヤンキーが溢れ、駅前にはポストモダニズム的に自転車が放置、至る所に煙草と排気ガスの混ざったえもいわれぬ匂いが漂っていた。
当時の春日部は、私のようなわりと一般的な高校生にとって控えめに言って荒っぽい街だった。とりわけ、かつて西口に存在したイトーヨーカドー(2024年11月をもって長きにわたる歴史に幕を下ろした)の周辺は、一種の無法地帯めいた空気を孕んでいた。
すれ違う同世代の視線には刺々しさが宿り、不用意に歩くのがためらわれるような、ヒリヒリとした野性感が街の裏側に張り付いていた。
現在、それらを支えた建造物は解体され、当時のざらついた空気感は完全に消滅している。
アンチ・ヒーローと、ささやかな幸せ
あのイトーヨーカドーはいずこへーー。
実は虚構の世界において永遠の命を付与されることとなった。『クレヨンしんちゃん』に登場する「サトーココノカドー」である。抜群のネーミングセンスだ。日本の郊外都市における高度消費文化の象徴を見事に撃ち抜いている。
現在、春日部という地名は、全国的、いや世界的にも「クレヨンしんちゃんの街」として認知されている。
バブル経済崩壊後の「失われた30年」という長期的な停滞の中で、人々が見出した「ささやかな幸せ」のバーチャルな表現にほかならない。野原しんのすけという5歳の幼稚園児は、大人が構築した建前や窮屈な社会システムを、無意識の諧謔によって軽やかに解体する。不条理世界のアンチ・ヒーローである。
彼が走り回る春日部の風景には、私たちがかつて恐れたヤンキーたちの暴力性とは対極にある、弛緩しつつも温かみのある郊外の日常が真空パックされている。

二重映しになる街--ロビンソン百貨店と匠大塚
アーネスト・ヘミングウェイの遺稿となった未発表短編集のタイトルに、「何を見ても何かを思いだす(I Guess Everything Reminds You of Something)」という一文がある。
この簡潔にして残酷な心理は、現在の春日部を歩く私の精神状態を的確に言い表している。新しく整備されたはずの駅前の風景を眺めていても、私の網膜にはかつての雑駁で混沌とした街並みが、二重にも三重にもだぶって映し出されるからだ。当の本人もとめることができない心の動きだ。
中でも、鮮烈な色彩を伴って蘇るのは、今はなきロビンソン百貨店の記憶である。1985年11月、東口の広大な敷地に鳴り物入りで設立されたこの華麗なる商業施設は、当時の春日部にとって、いや周辺の埼玉県東部地域全体にとって、いくら誇っても誇り足りないくらいの消費文化の象徴であった。
ロビンソン百貨店の誕生は、春日部が匿名的なベッドタウンから、最新の情報と流行を発信する拠点へと変貌を遂げた決定的な瞬間でもあった。
私が初めて「ウォークマン」という革命的な製品を手に入れたのも、高校一年の時春日部のラオックスにおいてである。音楽を携帯する未曽有の体験は、それまでの空間的制約からの完全な開放を意味し、春日部のくすんだレイヤーを重ね合わせる魔法のような体験だった。今の人にはおそらく想像もつかないだろう。

セントラルパーク、蠅男、ミセス・ロビンソン
当時、すぐ近くで店を営んでいた友人の家には、高校生にとって絶好の隠れ家となる離れが存在した。
私たちはその薄暗い離れで『ザ・フライ(蠅男)』というグロいビデオを見た後、外気を吸うために連れ立ってロビンソン百貨店へと向かった。
目当ては、新設されたばかりの洗練されたCDショップである。まだレコードやカセットテープが主流であり、コンパクトディスクというメディアが黎明期にあった時代、その銀色に輝く円盤は未来の象徴のように見えた。
そこで私は、サイモン&ガーファンクルの『セントラルパーク・コンサート』のCDを購入した。すでに一世代前のアーティストながら、名盤と言ってよい。1981年の秋にニューヨークで開催され、50万人を動員した歴史的ライブの記録である。ちなみにオープニング曲は「ミセス・ロビンソン」である。
そのプラスチックのケースに収められた円盤は、数十年の時を経た今でも私の書棚に静かに収まっている。

自宅に戻り、ウォークマンのイヤホンを通してその音源を聴いたときの衝撃を、私は忘れることができない。
セントラルパークの広大な空間を埋め尽くす群衆のざわめきを、アコースティックギターの響きが、地方都市の狭い部屋の壁を突き破り、私の意識を遠く海を越えた異国へと運んでいった。
自らの目が、初めて「外の世界」からの招待状を受け取った気がした。世界は広く果てしなく、しかも多様である。私は音楽の中に絶対的で不可侵の「自由」を見出した。
しかし、その根源的な知的・感覚的体験を、あの離れの部屋で共有したはずの友人は、それから間もなくして唐突に高校を中退し、私の視界から姿を消してしまった。彼が自らの足で歩み出した先にどのような人生を見つけたのか、あるいは見つけられなかったのか。私に知るすべもない。
年月は容赦なく流れ、街も人も、経済のダイナミズムの中で変容を余儀なくされる。春日部の文化を牽引したロビンソン百貨店は、流通業界の構造変化とともにその輝きを失い、2013年には西武春日部店へと屋号を変えた。地方都市の空洞化という時代の大きなうねりに抗うことはできず、2016年2月をもって完全に撤退し、その波乱に満ちた歴史に幕を下ろした。現在は匠大塚の広大なモデルルームになっている。
ヤンキーはどこへ行った?
巨大な建造物自体は形を変えて残存しているものの、そこに集まった人々の熱気や、新しい文化を無邪気に消費する高揚感はすでに失われている。
現在、春日部の駅前は西口も東口も、大規模な再開発によってかつての姿をとどめないほどに変わってしまった。区画は整理され、歩道は広くなり、視界を遮る障害物は排除された。
結果としてごみごみとした生活の匂いや特有の猥雑さは、ぞうきんで黒板を拭ったように無化されてしまった。あの頃、駅前を我が物顔で闊歩していたヤンキーたちは、一体どこへ行ったのだろうか。カツアゲの恐怖に怯えながらも、私たちが街に対していだいていたあのヒリヒリするような愛憎の念は、この平滑なアスファルトのどこに吸収されてしまったのか。
ヒート・シーガーが書き、ピーター・ポール&マリーが歌った反戦歌「花はどこへ行った(What Have All the Flowers Gone?)」の物悲しいリフレインが、唐突に脳裏を掠める。
春日部--。
ここは間違いなく、過去の記憶の堆積と現在の都市性が鋭く交錯する場所である。あのざらついた次代を己の身体で生き抜いた不良たちも、ロビンソン百貨店で消費の快楽に酔いしれた大人たちも、そして音楽に無限の世界を夢見た高校生だった私も、みな等しく時代の波間に消え去った。
残された街並みは、まさに「つわものどもが夢の跡」と呼ぶにふさわしい。私はその風景の中に、かつての自分自身と、見失ってしまった友人の幻影を、今もただ静かに、あてどなく探し続けていた。


井坂 康志(いさか やすし)
ものつくり大学 教養教育センター教授
1972年埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、情報社会学。
・【埼玉学①】行田-太古のリズムは今も息づく
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