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  • 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」③(全4回)~ものづくりがマーケットを変える~

    ―特別版②「理工系に必須の『伝えるすべ』」の続きです。 柳瀬博一先生(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 教授)を講師に招き、2022年11月24日に開催された教養教育センター特別講演会の内容を全4回にわたりお届けします。 「リベラル・アーツ」「教養」。普段、よく耳にする言葉ですが、その定義は実は曖昧です。柳瀬博一先生が講演の中で、『広辞苑』から参照していますが、やっぱり、「よく分からない」。人によって解釈や定義が異なりがちな「リベラル・アーツ」について、時に古代ギリシャまで遡り、時に自身の著作の事例を交えて、目まぐるしく変わる現代に必要な「リベラル・アーツ」について解き明かします。 第3回です。現代はスマホによって、誰もがメディアになれる時代になりました。そのメディアを構成する3つのレイヤー、そして理工系とリベラルアーツのつながりについて紹介します。 【教養教育センター特別講演会 開催概要】 日時:2022年11月24日(木)14:00~15:20 場所:ものつくり大学 大学本部 A3010大講義室 参加者:本学学生、高校生、一般、教職員 約220名 開催方法:オンライン・対面のハイブリッド 誰もがメディア化した さらに言うと、企業も大学もマスメディア化しています。インターネット革命の結果です。東工大のサイトも、もうメディア化を進めていますし、さらにコロナになって誰しもがメディア化するのが当たり前になりました。学生の皆さんも先生方も、Zoomや何かで授業を行ったり情報発信したりする。テレビに出ていることと何も変わらないのです。 誰もがマスメディア化したということです。実際にマスメディア化した個人をさらにテレビが放送する逆転現象まで出てきています。池上氏を撮るZoom講義をテレビ東京が来て取材するという、舞台裏の舞台裏を撮るみたいなことが現実に起きている。 池上氏のZoom講義を取材するテレビ東京 では、それを今起こしている道具は何か。テレビや新聞や雑誌ではない。スマホですね。スマホとネットがあれば誰でもマスメディアになれる。ユーチューブの情報発信、あるいはTikTok、ツイッターはスマホでできる。ネットにつなげれば、誰でもマスメディアになれるのです。 皆さんのお手元にあるスマホには、過去のメディアがすべて入っています。AbemaTVは典型ですけれども、NHKプラス、TVer、全局が何らかの形で行っています。ちなみに、これも日本が遅れています。世界中のテレビ局は、フルタイムをインターネットで見られます。 ラジオはRADIKOやラジオクラウドということで、こちらもほぼ聞けますよね。音楽はSPOTIFYがスタートでしたけれども、アマゾン、アップルなどでも聴ける。要するに、ほとんどすべての曲がもう今スマホで聴けます。 書籍はもちろん、アマゾンを筆頭に電子書籍で読めるし、ゲームも大半はアプリでできる。すべての新聞がアプリ化しています。唯一気を吐いているのは漫画です。小学館、講談社、集英社は去年、一昨年と過去最高収益です。漫画だけは電子のほうに移って、さらに知的財産コンテンツビジネスに変わった。『少年ジャンプ』(集英社)は、1996年に630万部が売れました。2022年の4月でもう129万部です。それだけ見ると、マーケットが激減したと思うのですが、漫画マーケットの売上げは、かつてのピークが4500億円、今は6000億円です。電子書籍も課金ができるようになった。まったく変わったのです。 しかも、ここからスピンアウトした漫画やアニメーションがNetflixやアマゾン・プライムで拡散していくので、知的財産ビジネスの売上が桁違いになっています。雑誌もDマガジンをはじめとして、ウェブになりました。 映画を含む新しい映像プラットフォームとしてNetflix、アマゾン・プライム、Hulu、U-NEXTなど実に多彩です。SNSは従来の手紙や独り言ですね。電話もできる。 メディアは理工系が9割 では、スマホは何か。ハードですね。ハードは本来科学技術の固まりです。 新しいメディアは、コンテンツが先に生まれるわけではない。新しいハードウェアとプラットフォームの誕生によって生まれてくるものです。 古い例で言えば、ラジオ受信機が誕生して初めて人々はラジオを聴けるようになった。ラジオ受信機がないと、ラジオを聴取する構造ができない。あるいはテレビ受像機が誕生して初めてテレビを視聴できるようになった。 ソニーで言うと、携帯カセットテープレコーダーというマーケットはなかった。ウォークマンが先です。概念を具体化することが大切で、マーケットは後からできる。その順番がしばしば勘違いされています。常に具体的なピンポイントの製品からマーケットは広がっている。 同じようにスマホが登場して初めてネットコンテンツをどこでも見られる構造ができる。概念が先ではないのです。具体的なハードウェアが先に誕生したからです。 マーケットを変えるのは常に製品、すなわち、ものづくりです。この大学の名前のとおり、ものづくりがマーケットのゲームチェンジを常時行います。 むしろ、ここ20数年間のものづくりの世界は、決定的に外部化、すなわちアウトソースするパターンが増えました。アップルは自社でほとんど作っていない。アパレル業界に近いのです。ナイキやオンワード樫山、あるいはコム・デ・ギャルソンは自社で製品は作らない。つくっているのは概念です。概念をつくって、設計図を渡して、ものづくりは協力工場に発注しています。トヨタ自動車をはじめ、メーカーは今それを相当行っている。自社でつくっているのはごくわずかです。 例えば、アップルがワールドエクスポでiPhoneの発売を発表したのは2007年です。まだ14~15年しかたっていない。ソフトバンクの孫正義社長が頼み込んで、2008年、iPhone3G、KDDIが入ったのは、東日本大震災「3・11」の後のことでした。2011年10月です。だから、3・11が起きたときは、スマホはまだ誰も持っていなかった。あのとき、さまざまな映像が飛び交いましたけれども、携帯電話によってでした。ユーチューブではなく、ほとんどはユーストリームです。 だから、今のスマホ、ユーチューブの世界はだいぶ前からあるように錯覚していますが、まだ10年もたっていない。最近といってよいのです。ドコモが参入してからまだ10年もたっていない。 では、何がゲームチェンジャーになったか。ドコモ、KDDIもソフトバンクも関係ない。アップルです。アップルがiPhoneという概念を製造して、形にして爆発的に普及させた。グーグルなどが追随して、ギャラクシーなどのスマホを作った。だから、マーケットのほうが製品より後です。これも勘違いされています。順番から言ってiPhoneが先でスマホが後です。 情報生態圏の基盤 メディアは、次の3つのレイヤーからできています。 ハードウェア、コンテンツ、プラットフォームです。ハードウェアは再生装置です。コンテンツは番組その他、プラットフォームは、コンテンツのデリバリー・システムです。この3つがメディアの情報生態系の基本なのです。 ラジオの場合は、ハードウェアはラジオ受信機ですね。コンテンツはラジオ番組です。プラットフォームは放送技術、放送局の仕組みです。テレビも同様ですね。テレビ受像機に替わるだけです。 新聞の場合は、紙の束がハードウェアです。コンテンツは記者の書く記事、プラットフォームは新聞印刷と宅配の流通システムです。だから、ある意味で新聞は究極の製造業です。ほとんどを自社で行っている。 出版社は、ハードウェアは書籍や雑誌の紙の束、コンテンツは記事、小説、テキストです。プラットフォームは出版流通と印刷になります。レイヤー構造から読み解くと、出版と新聞は似て非なるものです。メディアで自社が何も行っていないのは出版です。出版はアイデア・ビジネスなのです。 ゲーム、ハードウェアはゲームソフトとゲームプレイヤーです。プラットフォームは個々のゲーム規格ですね。ゲーム規格によって再生できるゲームが違います。それを行っているのは任天堂、あるいはマイクロソフトのXボックスなどを想起するとよい。 究極にわかりやすいのが、聖書です。聖書は紀元前1400年前です。今から3400年前に「十戒」ができる。このときは粘土板なわけです。粘土板に「十戒」が刻まれている。この場合コンテンツは「十戒」ですけれども、プラットフォームは当時生まれたばかりの文字、ハードウェアは粘土板ですね。「死海文書」になると、羊皮紙にきれいな手書きとなる。ということは、コンテンツは同じです。ハードウェアは羊皮紙、プラットフォームは羊皮紙を作る技術です。 さらに15世紀のグーテンベルグの活版印刷になります。一気に聖書がベストセラーになります。ハードウェアは紙の束になります。コンテンツは同じ聖書です。プラットフォームは活版印刷工房です。それが500年たつと、世界最大のベストセラーになる。 これが電子版に変わるとどうなるか。ハードウェアはキンドルやスマホになる。聖書のコンテンツは変わりません。プラットフォームはキンドルの規格であるインターネットです。スマホになると、今度はアプリになります。ハードウェアはスマホです。この場合もコンテンツは変わらない。プラットフォームはアップル、グーグルのApp storeになったとしても、聖書の中身は変わらないのです。変わっているのはプラットフォームとハードウェアです。 今見ていてもわかりますが、メディアのハードウェアとプラットフォームは、科学と技術の進歩で変わるものです。特にインターネットの時代になって、ハードウェアが一気に進化していきます。ということは、ハードウェアの変化が新しいメディアです。けれどもコンテンツはほとんど変わっていない。優良なコンテンツは、ハードウェアとプラットフォームが変わるごとに、中身を変えずに少しずつ表現を変えているだけで、本質的には変わっていないのです。 結局、どういうことか。前者のハードウェア制作は理工系の仕事なのです。後者のコンテンツは伝えるわざだから、リベラルアーツの産物ということです。これは理工系、文系ではない。ここには理工系、文系、アートなどのあらゆる知識が入っている。 ―特別版④「16号線の正体とリベラルアーツの本質」に続きます。 Profile 柳瀬 博一(やなせ・ひろいち) 1964年静岡県生まれ。東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。雑誌「日経ビジネス」の記者、専門誌の編集や新媒体開発などに携わった後、出版局にて『小倉昌男 経営学』『矢沢永吉 アー・ユー・ハッピー』『養老孟司 デジタル昆虫図鑑』『赤瀬川源平&山下裕二 日本美術応援団』『社長失格』『流行人類学クロニクル』など書籍の編集を行う。2018年4月より現職。著書に『国道16号線』(新潮社)、『親父の納棺』(幻冬舎)、共著に『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』(小林弘人と共著 晶文社)、『「奇跡の自然」の守りかた』(岸由二と共著 ちくまプリマ―新書)、『混ぜる教育』(崎谷実穂と共著 日経BP社)。 関連リンク 教養教育センターWEBページ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」①~東京工業大学のリベラルアーツ~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」②~理工系に必須の「伝えるすべ」~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」④(全4回)~16号線の正体とリベラルアーツの本質~

  • 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」②(全4回)~理工系に必須の「伝えるすべ」~

    ―特別版①「東京工業大学のリベラルアーツ」の続きです。柳瀬博一先生(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 教授)を講師に招き、2022年11月24日に開催された教養教育センター特別講演会の内容を全4回にわたりお届けします。「リベラル・アーツ」「教養」。普段、よく耳にする言葉ですが、その定義は実は曖昧です。柳瀬博一先生が講演の中で、『広辞苑』から参照していますが、やっぱり、「よく分からない」。人によって解釈や定義が異なりがちな「リベラル・アーツ」について、時に古代ギリシャまで遡り、時に自身の著作の事例を交えて、目まぐるしく変わる現代に必要な「リベラル・アーツ」について解き明かします。第2回は、日本の大学、とりわけ理工系が抱える課題である女子率の低さに始まり、リベラルアーツの源流、そして、リベラルアーツとは何であるか紐解いていきます。【教養教育センター特別講演会 開催概要】日時:2022年11月24日(木)14:00~15:20場所:ものつくり大学 大学本部 A3010大講義室参加者:本学学生、高校生、一般、教職員 約220名開催方法:オンライン・対面のハイブリッド 女子率の低さという問題 日本はトップ大学の女子比率が低いままです。とりわけ理工系は低い。東工大も例外ではありません。世界的でもまれに見るひどい状態です。大学教育がまだ途上にある事実を示している。 誰しもが危機感を抱くべきなのですが、日本の高学歴学生たちもそれが問題とは認識していない。これは日本のどこへ行っても変わりません。       日本がどのくらい遅れているか。データを見ると明らかです。 東京大学でたった19.3%です。京都大学22.5%、一橋大学で28.4%です。これらの数字を見るとおおよそわかりますね。早稲田大学、慶應義塾大学もともに4割に達していません。 では、世界はどうか。世界の大学ランキングを見ると、女子の比率はオックスフォード大学で47%、カリフォルニア工科大学36%、ハーバード大学もほぼ1対1です。スタンフォード大学は46%、ケンブリッジ大学は47%、ほとんど1対1です。MIT(マサチューセッツ工科大学)も4対6です。MITは2000年代に学長と経済学部長がそれぞれ女性でした。プリンストン大学は47%です。UCバークレーは女性が多い。イェール大学も同様です。 興味深いのはジョンズ・ホプキンス大学ですね。世界最高峰の医学部を持つ大学です。女性のほうが多い。ペンシルバニア大学は世界最高峰のMBAを持つ大学です。スイスのETHですら、3割は女子です。北京大学、清華大学も同様です。 こうして見ると、女子比率は、コーネル大学、シンガポール国立大学いずれも、1対1です。デューク大学も女子のほうが多い。 日本の問題がおわかりと思います。東大も京大も東工大も入っていない。問題は深刻です。人口における男女比率は1対1です。男性と女性に生まれついての知的能力差はありません。男性の方が理工系に向いているというのも嘘であることが数多くのデータから証明されております。あらゆる日本の大学がこの異様に低い女子比率を変えなければいけません。東工大では今女性が増える戦略を取り始めています。ご期待ください。 リベラルアーツとは「伝えるすべ」である リベラルアーツ教育についてお話しします。大学に加わって改めて感じたのは、リベラルアーツ、あるいは教養については、案外定義がきっちりしていない、ということでした。 『広辞苑』(岩波書店)に載っている「リベラルアーツ」の定義を参照しましょう。 「教養、教え育てること、社会人にとって必要な広い文化的な知識、単なる知識ではなくて、人間がその素質を精神的・全人的に開化・発展させるために学び養われる学問や芸術」とある。 よくわからない定義です。 リベラルアーツとは、「職業や専門に直接結びつかない教養。大学における一般教養」、こう書いてあるわけですね。これらは、日本の現実を表現しています。要するに、般教(パンキョー)がリベラルアーツだと信じ込まされてきた。 考えてみてください。文科系大学に進むと、生物学や数学や物理学、一般教養として履修しますね。東工大のような理科系大学に行くと、政治学、経済学、哲学、文学は一般教養になる。ということは、学問分野と教養教育、リベラルアーツ教育とは、関係がないことになる。先の『広辞苑』の設定が近い。だから大学生からすると、専門に移るまでにぬるく教わるクイズ的知識みたいなものを何となく教養と思っている。クイズ番組が教養番組として流れているのは、逆に言うとマーケットの認識を正確に反映しているということです。 こういうときは、源流を紐解いてみるのがよい。リベラルアーツの由来は何なのか。 リベラルアーツとは、古代ギリシャの「自由七科」が源流です。2種類あります。言語系3つ、文法・弁証法、あるいは論理学、さらに修辞学です。数学系では4つ、算術・幾何学・音楽・天文学です。リベラルアーツは「アルテス・リベラレス」ですね。 もともと紀元前8年、ポリス(都市国家)が古代ギリシャに生まれたときに、自由市民と奴隷に分かれていました。その頃の奴隷とは、現場仕事に従事する人々です。それぞれの必須知識がパイデイアとテクネーです。学ぶことが違う。パイデイアは、どちらかというと教養のイメージ、テクネーは実学です。 理由の一つは、ギリシャの弁論家イソクラテスが修辞学校をつくったことにあります。その頃は、演説が重視されていた時代だったので、弁舌を磨くための学校ができたわけです。それが修辞学です。さらに、演説のときは比喩を使いこなす必要がありました。古典を見栄えよく用いなければならない。そこで文法を教え、さらに演説で説得力ある美しい論理展開のために弁証法を学ぶ。その段でいくと、弁論術の一環として、先の語学系教育の基盤ができた。アルテス・リベラレスの言語系三科はこれらにあたるわけです。 では、数学系はどうか。かの哲人プラトンです。プラトンがアカデメイアをつくる。イソクラテスとは対照的に、世界は法則に満ちていると言ったのがプラトンですね。そこで、プラトンは算術、幾何学、そして世界の音を分割して数字で表す音楽、そして、地球から見る世界のことわりを探求する天文学です。 イソクラテスとプラトンは互いに反目し合っていたのですけれども、その後、セットにして教えるのがふさわしいということで、ローマ時代になって7科の原形ができる。クアドリウィウム、算術・音楽・幾何学・天文学を四科でクリドル、4つです。文法・修辞学・弁証法を三学、トリウィウムですから3つですね。 上級学校は3つありました。神学部、要は聖職者養成です。ローマ・カトリックが強大な力を持っていたためです。次に法律、政治家養成ですね。そして医学、内科医。まさに教養課程として7科、リベラルアーツの7学科があったということです。 ではこのリベラルアーツ7科とはなんでしょうか。実は全て「伝えるすべ」なんです。 イソクラテスの方は、言葉、物語です。文系的な「伝えるすべ」ですね。すなわち、いかに物語の構造で人に世界をわかりやすく伝えるかに関わっている。 プラトンの方は、数学です。理工系的な「伝えるすべ」です。算術、幾何学、音楽、天文学を使って、やはり人にわかりやすく、論理的に世界を伝える。文系、理工系のそれぞれの方法を使った「伝えるすべ」がリベラルアーツと呼んでいたということになります。つまり「伝える力」、すなわちメディア力です。 メディア力こそが教養の根幹である。池上彰氏や出口治明氏(APU(立命館大学アジア太平洋大学)学長)の本がよく読まれています。これらはお手軽に見えますが、実はそうではない。あの2人の取組みがリベラルアーツの本質を構成している。  一人ではわからないことを、まさに物語と論理で教えてくれているからです。だから、専門家はリベラルアーツの能力を持ち、わかりにくいことを伝えるすべを持つことが必要で、教養とは伝える力にかかっているのです。 理工系はメディアの当事者 そこでメディア論です。私は東工大でメディア論を教えています。 まず、理工系出身者はメディアの当事者であると伝えます。 というのも、理工系出身者が今ますますジャーナリズムの担い手になっている。そもそもメディア仕事は8割が理工系の仕事です。だから、理工系の学生にとって、メディアについて学ぶことは、伝える力、リベラルアーツそのものであり、同時に本業と心得るべきです。これが意外と認識されていません。 では、なぜ当事者なのでしょうか。 大隅良典先生は東工大の教授です。2016年10月のノーベル賞学者です。大隅先生がノーベル賞を受賞したとき、東工大のすずかけ台キャンパスで記者会見が行われています。まさに、メディアの当事者ということだ。まさにリベラルアーツが要求されるわけです。世界の誰よりも詳しい知識を、誰にでもわかりやすく説明することが期待されているからです。 私が徹底的に教えているのは、情報発信の仕方に関わっています。「伝える力」としてのリベラルアーツは理工系の研究者にとって必須の道具です。なぜなら、論文を執筆する、学会発表を行う、研究室でプレゼンする、あるいは経営会議に入って理工系のことがわからない投資家に資金を拠出してもらう、新製品を記者会見でレクチャーする、いずれも説明がきちんとできないと話にならない。すべてメディア当事者の仕事なのです。 さらに言うと、メディア・ジャーナリズムの取材対象としては、好むと好まざるとにかかわらず、アサインされる事案は理工系の人ほど多いのです。研究失敗の記者会見、工場の事故の説明、会社の研究・技術関係の不祥事。典型は福島の原発事故でしたね。東京電力福島第一原子力発電所所長の吉田昌郎氏は東工大の出身者ですが、吉田氏の伝える力が現場を救った。  現下のコロナなどはさらに典型と言ってよい。例えば西浦博氏(北海道大学教授)は、「8割おじさん」で知られますが、「8割」というわかりやすいキャッチコピーで、集団の公衆感染問題を相当に回避できた。マスク着用や人との接触を8割減らすと、指数関数的に感染を減少させられると指摘した。背景には複雑な計算が存在しつつも、キャッチコピーとして「8割」を使ったわけです。天才的な伝える力です。 このような人々は、科学と技術をよく理解した上で、しかもわかりやすく、受け手に目線を合わせて、根気強く伝えた。日本のコロナ対策はいろいろ言われていますけれども、最終的に感染者数・死者数の圧倒的には少なさは紛れもない事実です。専門家がジャーナリストになってくれたおかげです。 理工系の出身者はジャーナリズムにとって必須の存在になっています。というのは、時代の変革期は、テクノロジーの変革期であり、テクノロジーを誰にでもわかるように説明できるかどうかが重大な意味を持つためです。文系出身者がそれを行うのは相当に困難です。理工系出身者がリベラルアーツ力を生かしてメディアになってもらわなければ世の中が困ります。 ―特別版③「ものづくりがマーケットを変える」に続きます。 Profile   柳瀬 博一(やなせ・ひろいち) 1964年静岡県生まれ。東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。雑誌「日経ビジネス」の記者、専門誌の編集や新媒体開発などに携わった後、出版局にて『小倉昌男 経営学』『矢沢永吉 アー・ユー・ハッピー』『養老孟司 デジタル昆虫図鑑』『赤瀬川源平&山下裕二 日本美術応援団』『社長失格』『流行人類学クロニクル』など書籍の編集を行う。2018年4月より現職。著書に『国道16号線』(新潮社)、『親父の納棺』(幻冬舎)、共著に『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』(小林弘人と共著 晶文社)、『「奇跡の自然」の守りかた』(岸由二と共著 ちくまプリマ―新書)、『混ぜる教育』(崎谷実穂と共著 日経BP社)。 関連リンク 教養教育センターWEBページ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」①~東京工業大学のリベラルアーツ~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」③(全4回)~ものづくりがマーケットを変える~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」④(全4回)~16号線の正体とリベラルアーツの本質~

  • 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」①(全4回)~東京工業大学のリベラルアーツ~

    柳瀬博一先生(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 教授)を講師に招き、2022年11月24日に開催された教養教育センター特別講演会の内容を全4回にわたりお届けします。「リベラル・アーツ」「教養」。普段、よく耳にする言葉ですが、その定義は実は曖昧です。柳瀬博一先生が講演の中で、『広辞苑』から参照していますが、やっぱり、「よく分からない」。人によって解釈や定義が異なりがちな「リベラル・アーツ」について、時に古代ギリシャまで遡り、時に自身の著作の事例を交えて、目まぐるしく変わる現代に必要な「リベラル・アーツ」について解き明かします。第1回は、柳瀬博一先生が在籍する東京工業大学のリベラルアーツ教育の歴史、特徴的なカリキュラムについて紹介します。【教養教育センター特別講演会 開催概要】日時:2022年11月24日(木)14:00~15:20場所:ものつくり大学 大学本部 A3010大講義室参加者:本学学生、高校生、一般、教職員 約220名開催方法:オンライン・対面のハイブリッド 東京工業大学のリベラルアーツ教育 私が現在在籍する東京工業大学は、リベラルアーツ研究教育院を2016年から開設しています。国立大学でリベラルアーツを冠に持つ学部・学院は、東工大が初めてかもしれません。 私は日経BP社という出版社で、記者、編集者、プロデューサーの業務に携わってきました。メディアの現場に身を置いてきました。その私がご縁がありまして、2018年から東工大のリベラルアーツ研究教育院に参加することになりました。現在は、テクノロジーとメディアの関わりあいについて、学生たちに教えております。 まず、東工大がどのような教養教育を行っているのか、大きな特徴は、教養教育を1年生から修士、博士課程で一貫して行うこと。大学の教養課程って、普通1年生2年生でおしまいですよね。東工大は学部4年、修士2年、さらに博士課程でもリベラルアーツ教育を施しています。 改革以前から、東工大はリベラルアーツ教育ではしかるべき定評を得てきた大学です。特に戦後新制において、東京大学をしのぐほどに進んでいるとされた時代がありました。そのときは小説家の伊藤整、KJ法で著名な川喜田二郎など日本のリベラルアーツの牽引者となる人たちが教鞭をとっていました。比較的近年では文学者の江藤淳氏がその列に加わります。 1990年代、大学の実学志向が強くなったときに、教養教育部門は、あらゆる大学で細っていった。その反省もあって、2000年代から再び大学の教養教育を見直す趨勢の中で、リベラルアーツ教育復権の旗印のもと東工大が目指したのは、いわゆるくさび形教育、教養教育を必須とする授業構成になります。 そのために、環境・社会理工学院をはじめさまざまな「縦軸」の大学院と学部をセットにした学院が設立され、他方で「横軸」だったリベラルアーツ研究教育院を組織として独立させた。現在60数名の教員が在籍しています。 もう一つ興味深いのが、東工大は理工系の大学ながらも、学部生が、リベラルアーツ研究教育院の教員のもとで研究を行う道が用意されています。大学院では、社会・人間科学コースが設置されており、人文科学系の学生が多く在籍しています。他大学や海外から進学してくる人もいれば、社会人入学の方、そして学部時代は東工大で理系だった学生もいます。私のゼミも昨年度の学生は東工大の内部進学者でした。情報工学を学んだあと、2年間みっちりテクノロジーとメディアの革新について素晴らしい修士論文を書き上げて、修了しました。最近、サントリー学芸賞を取った卒業生も、この大学院からは出ております。東工大というと理工系のイメージが強く、事実理工系の大学なのですけれども、リベラルアーツからも専門家も育っています。 先鞭をつけた池上彰氏 東工大がリベラルアーツ教育を復権させようと考えたのは2010年代初頭からとなります。このときに基盤を固められたのが哲学の桑子敏雄名誉教授、そして2022年春までリベラルアーツ研究教育院初代学院長を務められた上田紀行教授でした。その折に、大学の目玉になる先生を呼ぼうと考えた。しかも、純粋なアカデミシャンではなくて、リベラルアーツを広く豊かに教えられる外部の先生を呼ぼうということになったのです。白羽の矢が立ったのは池上彰氏でした。 リベラルアーツ研究教育院では、大学入学と同時に全学生が「立志プロジェクト」を受講します。2019年までは、大講堂で池上彰さんや外部から招いた専門家が講義を行いました。ここ3年はコロナ禍に対応して、動画配信で対応しています。これまでに劇作家の平田オリザ氏、水俣病のセンターの当事者の方など多彩な方が壇上に上がり講義を行っています。 次の週は、大学としては珍しいことですが、クラスを作るのです。27~28人を40組、リベラルアーツの先生全員が担任を持ちます。グループワークを行って、登壇者の話を批評的に論じるのです。グループワークでは自己紹介を行い、互いの人となりを知った上で、授業のサマリーをまとめて発表する。計5回繰り返し、最終的にこの大学で何を学びたいのか、つまり「志」を提出してもらい、まとめて発表する。大切なのは、必ず発表を伴うものとすることです。これが立志プロジェクトの「少人数クラス」の基本進行デザインです。 しかし、これで終わりではありません。3年生の秋には「教養卒論」の授業があります。普通、3年生になったら専門課程に進んで、教養科目の授業はおしまい、という大学が多いと思います。東工大は3年生全員が秋冬の15回の授業で、自分のこれから進む分野や興味と3年間で身につけた教養を掛け算して1万字の「教養卒論」を書いてもらうのです。最終的に優れた論文は表彰します。翌年夏には教養卒論の発表会を大講堂で行います。相当数の学生が集まります。見栄えのするパワポを準備して、本気で発表に臨む。 教授陣の紹介サイト それともう一つ、私が東工大に移籍して取り組んだしごとについてもお話しておきましょう。それは大学の教授陣の紹介サイトをつくることでした。日本の大学は公式の教員プロフィールが一覧で見られるサイトがあまりないんです。これは私がメディアにいた頃から、疑問に思っていたことでした。企業もIR関連情報のところに役員の詳しいプロフィールが載っていないことがあります。企業のIRで重要なのは、経営陣の顔が出ていること、人柄がわかること、活動内容がクリアであることです。つまり、経営陣自体がコンテンツになっていなければならない。 では、大学はどうか。大学における最大の財産は―最終的には学生ですけれども―入学時においては教授陣ですね。メディア出身の特技を生かして東工大のリベラルアーツ研究教育院のインタビューサイトをつくりました。インタビューも私が行っています。 全ての先生方を平等に見せるように心がけました。先生方の研究内容、教育の取組み等々、いわば小さな「私の履歴書」のようなサイトを一覧で見られるようにした。これは好評でした。実際に外部の方々が東工大の先生にアプローチしたい、インタビューしたい、相談に乗ってほしいというとき、有効に活用していただいています。 ―特別版②「理工系に必須の『伝えるすべ』」に続きます。 Profile 柳瀬 博一(やなせ・ひろいち) 1964年静岡県生まれ。東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。雑誌「日経ビジネス」の記者、専門誌の編集や新媒体開発などに携わった後、出版局にて『小倉昌男 経営学』『矢沢永吉 アー・ユー・ハッピー』『養老孟司 デジタル昆虫図鑑』『赤瀬川源平&山下裕二 日本美術応援団』『社長失格』『流行人類学クロニクル』など書籍の編集を行う。2018年4月より現職。著書に『国道16号線』(新潮社)、『親父の納棺』(幻冬舎)、共著に『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』(小林弘人と共著 晶文社)、『「奇跡の自然」の守りかた』(岸由二と共著 ちくまプリマ―新書)、『混ぜる教育』(崎谷実穂と共著 日経BP社)。 関連リンク 教養教育センターWEBページ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」②(全4回)~理工系に必須の「伝えるすべ」~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」③(全4回)~ものづくりがマーケットを変える~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」④(全4回)~16号線の正体とリベラルアーツの本質~

  • 震災復興の願いを実現した「集いの場」建設

    村上 緑さん(建設学科4年・今井研究室)は、2022年3月下旬、ある決意を胸に父親と共に大学の実習で使用した木材をトラックに積み込み、ものつくり大学から故郷へ出発しました。それから季節は流れて、11月末。たくさんの人に支えられて、夢を叶えました。 故郷のために 村上さんは、岩手県陸前高田市の出身。陸前高田市は、2011年3月11日に発生した東日本大震災での津波により、大きな被害を受けた地域です。全国的にも有名な「奇跡の一本松」(モニュメント)は、震災遺構のひとつです。当時住んでいた地域は、600戸のうち592戸が全半壊するという壊滅的な被害を受けました。 奇跡の一本松 11歳で震災体験をし、その後、ものつくり大学に進学し、卒業制作に選んだテーマは、故郷の地に「皆で集まれる場所」を作ること。そもそも、ものつくり大学を進学先に選んだ理由も、「何もなくなったところから道路や橋が作られ、建物ができ、人々が戻ってくる光景を目の当たりにして、ものづくりの魅力に気づき、学びたい」と考えたからでした。 震災から9年が経過した2020年、津波浸水域であった市街地は10mのかさ上げが終わり、地権者へ引き渡されました。しかし、9年の間に多くの住民が別の場所に新たな生活拠点を持ってしまったため、かさ上げ地は、今も空き地が点在しています。実家も、すでに市内の別の地域に移転していました。 そこで、幼い頃にたくさんの人と関わり、たくさんの経験をし、たくさんの思い出が作られた大好きな故郷にコミュニティを復活させるため、元々住んでいた土地に、皆が集まれる「集いの場」を作ることを決めたのです。 陸前高田にある昔ながらの家には、「おかみ(お上座敷)」と呼ばれる多目的に使える部屋がありました。大切な人をもてなすためのその部屋は、冠婚葬祭や宴会の場所として使用され、遠方から親戚や友人が来た時には宿泊場所としても使われていました。この「おかみ」を再現することができれば、多くの人が集まってくると考えたのでした。 「集いの場」建設へ 「集いの場」は、村上さんにとって、ものつくり大学で学んできたことの集大成になりました。まず、建設に必要な確認申請は、今井教授や小野教授、内定先の設計事務所の方々などの力を借りながらも、全て自分で行いました。建設に使用する木材は、SDGsを考え、実習で毎年出てしまう使用済みの木材を構造材の一部に使ったほか、屋内の小物などに形を変え、資源を有効活用しています。 帰郷してから、工事に協力してくれる工務店を自分で探しました。古くから地元にあり、震災直後は瓦礫の撤去などに尽力していた工務店が快く協力してくれることになり、同級生の鈴木 岳大さん、高橋 光さん(2人とも建設学科4年・小野研究室)と一緒にインターンシップ生という形で、基礎のコンクリ打ちや建方《たてかた》に加わりました。 地鎮祭は、震災前に住んでいた地元の神社にお願いし、境内の竹を四方竹に使いました。また、地鎮祭には、大学から今井教授と小野教授の他に、内定先でもあり、構造計算の相談をしていた設計事務所の方も埼玉から駆けつけてくれました。 基礎工事が終わってからの建方工事は「あっという間」でした。建方は力仕事も多く、女性には重労働でしたが、一緒にインターンシップに行った鈴木さんと高橋さんが率先して動いてくれました。さらに、ものつくり大学で非常勤講師をしていた親戚の村上幸一さんも、当時使っていた大学のロゴが入ったヘルメットを被り、喜んで工事を手伝ってくれました。 建方工事の様子 大学のヘルメットで現場に立つ村上幸一さん 2022年6月には、たくさんの地元の人たちが集まる中で上棟式が行われました。最近は略式で行われることが多い上棟式ですが、伝統的な上棟式では鶴と亀が描かれた矢羽根を表鬼門(北東)と裏鬼門(南西)に配して氏神様を鎮めます。その絵は自身が描いたものです。また、矢羽根を結ぶ帯には、村上家の三姉妹が成人式で締めた着物の帯が使われました。上棟式で使われた竹は、思い出の品として、完成後も土間の仕切り兼インテリアとなり再利用されています。 震災後に自宅を再建した時はまだ自粛ムードがあり、上棟式をすることはできませんでした。しかし、「集いの場」は地元の活性化のために建てるのだから、「地元の人たちにも来てほしい」という思いから、今では珍しい昔ながらの上棟式を行いました。災いをはらうために行われる餅まきも自ら行い、そこには、子どもたちが喜んで掴もうと手を伸ばす姿がありました。 村上さんが描いた矢羽根 餅まきの様子 インテリアとして再利用した竹材 敷地内には、東屋も建っています。これは、自身が3年生の時に木造実習で制作したものを移築しています。この東屋は、地元の人たちが自由に休憩できるように敷地ギリギリの場所に配置されています。完成した今は、絵本『泣いた赤鬼』の一節「心の優しい鬼のうちです どなたでもおいでください…」を引用した看板が立てられています。 誰でも自由に休憩できる東屋 屋根、外壁、床工事も終わった11月末には、1年生から4年生まで総勢20名を超える学生たちが陸前高田に行き、4日間にわたって仕上の内装工事を行いました。天井や壁を珪藻土で塗り、居間・土間のトイレ・洗面所の3か所の建具は、技能五輪全国大会の家具職種に出場経験のある三明 杏さん(建設学科4年・佐々木研究室)が制作しました。 「皆には感謝です。それと、ものを作るのが好きだけど、何をしたらいいか分からない後輩たちには、ものづくりの場を提供できたことが嬉しい」と話します。そして、学生同士の縁だけではなく、和室には震災前の自宅で使っていた畳店に発注した畳を使い、地元とのつながりも深めています。 こうして、村上さんの夢だった建坪 約24坪の「集いの場」が完成しました。 故郷への思い 建設中は、施主であり施工業者でもあったので、全てを一人で背負い込んでしまい、責任感からプレッシャーに押しつぶされそうになった時もありました。それでも、たくさんの人の力を借りて、「集いの場」を完成させました。2年生の頃から図面を描き、構想していた「地元の人の役に立つ、家族のために形になるものを作る」という夢を叶えることができたのです。また、「集いの場」の建設は、「父の夢でもありました。震災で更地になった今泉に戻る」という強い思いがありました。「大好きな故郷のために、大好きな大学で学んだことを活かして、ものづくりが大好きな仲間と共に協力しあって『集いの場』を完成させることができ、本当に嬉しいです」。 「こんなにたくさんの人が協力してくれるとは思っていなかった」と言う村上さんの献身的で真っすぐで、そして情熱的な夢に触れた時、誰もが協力したくなるのは間違いないところです。 「大学から『集いの場』でゼミ合宿などを開きたいという要請には応えたいし、私自身が出張オープンキャンパスを開くことだってできます」と今後の活用についても夢は広がります。 大学を出発する前にこう言っていました。「私にとって、故郷はとても大切な場所で、多くの人が行きかう町並みや空気感、景色、におい、色すべてが大好きでした。今でもよく思い出しますし、これからも心の中で生き続けます。だけど、震災前の風景を知らない、覚えていない子どもたちが増えています。その子どもたちにとっての故郷が『自分にとって大切な町』になるように願っています」。 村上さんが作った「集いの場」は、これからきっと、地域のコミュニティに必要不可欠な場所となり、次世代へとつながる場になっていくでしょう。 関連リンク 建設学科WEBページ 建設学科 建築技術デザイン研究室(今井研究室)

  • 【知・技の創造】省エネからウェルネスへ

     「久保君、これからの建築物はデザインや構造だけではなく、省エネルギーを考えなければ建設することができなくなる時代がやってくるよ」――これは筆者が大学3年生の時に、後に師匠となる元明治大学建築学科 加治屋亮一教授が述べられた言葉です。  当時の私は、エネルギーって何だろう、というくらいの認識でピンと来ていませんでしたが、現に、令和4年6月17日に公布された建築物省エネ法改正では、これから建築しようとする建築物には、エネルギー消費性能の一層の向上を図ることが建築主に求められています。  つまり加治屋教授が20数年前に述べられていたことが現実になったわけです。改正建築物省エネ法は省エネルギーを意識した設計を今後、必ず行っていく必要があることを意味しており、換言すれば、現代では省エネルギー建築は当たり前となる時代になったといえます。  一方で、2019年4月に施行された働き方改革関連法案は、一億総活躍社会を実現するための改革であり、労働力不足解消のために、①非正規社員と正社員との格差是正、②高齢者の積極的な就労促進、そして、③ワーカーの長時間労働の解消を課題として挙げられています。このうち、3つ目のワーカーの長時間労働の解消は、単に長時間労働を減らすだけではなく、ワーカーの労働生産性を高めて効率良く働くことを意味しています。  私は10年ほど前からワーカーの生産性を高めるオフィス空間に関する研究を行ってきました。ワーカーが働きやすい空間というのは、例えばワーカー同士が気軽に利用できるリフレッシュコーナーの充実や、快適なトイレの充足や機能性の充実、食事のための快適な空間の提供が挙げられます。さらに、建物内や敷地内にワーカーの運動促進・支援機能(オフィス内や敷地内にスポーツ施設がある、運動後のシャワールームの充実、等)を有することで、ワーカーの健康性を維持、向上させることが期待できます。  近年建築されるオフィスは、省エネルギーやレジリエンスは「当たり前性能」であり、ワーカーの生産性を高めるための多くの施設や設備が導入されています。いうまでもなく、建物のオーナーは所有するテナントビルで高い家賃収入を得ることを考えます。そのためには、テナントに入居するワーカーの充実度を高める必要があります。  現在私は建築設備業界や不動産業界と連携して、環境不動産(環境を考慮した不動産)の経済的便益について研究を行っています。250件を超えるオフィスビルを対象に、そのオフィスの環境性能を点数付し、その点数と建物の価値に影響を及ぼすと考えられる不動産賃料の関係について分析しています。最新の研究では、建物の環境性能が高いほど、不動産賃料が高いことを明らかにしました。これはつまり、ワーカーサイドは健康性や快適性が高まったことで労働生産性が向上し、オーナーサイドは高い不動産賃料が得られることとなり、両サイドともに好循環が生まれることになります。  加治屋教授の発言から四半世紀過ぎた今、私は研究室の学生には、「今後は、省エネルギーはもとより、ワーカーのウェルネスが求められる時代となっていく」と伝えています。 埼玉新聞「ものつくり大学発 知・技の創造」(2023年1月13日号)掲載 Profile 久保 隆太郎 (くぼ りゅうたろう)建設学科 准教授・博士(工学)  明治大学大学院博士後期課程修了。日建設計総合研究所 主任研究員を経て、2018年より現職。専門は建築設備、エネルギーマネジメント。 関連リンク 建設学科WEBページ 建設学科 建築環境設備研究室(久保研究室)

  • 出身高校のマーチングバンド部への想いから生まれた将来の夢「ものづくり」とは

    篠原 菜々美さん(建設学科1年生)は高校時代にマーチングバンド部に所属していました。母校である京華女子高校(東京)は全国大会の常連校であり、6年連続で金賞を受賞したこともある強豪校です。マーチングバンドと出会い、そしてものつくり大学に進学を決めた彼女の思い描く将来像に触れてみました。 マーチングバンドとの出会い  従妹たちがマーチングバンドの教室に通っていたのですが、私の地元にはなく、小学校では吹奏楽をやっていました。従妹が通っていた京華女子高校の文化祭に行った際、マーチングバンド部と出会い、パフォーマンスがとてもキラキラしていて、すごい!やってみたい!という気持ちが強くなりました。京華女子高校へ進学し、最初こそ吹奏楽部に入ろうと思っていましたが、マーチングバンド部へ入部しました。 自信がなかった私が、積極的になれたきっかけ  管楽器には4つのパートがあり、私は高校2年生の時に、メロフォンというトランペットの次に大きい楽器のパートリーダーになりました。実は、人前で話すことが苦手だったため、パートリーダーも自分から立候補したわけではありません。  元々メロフォンの演奏者は少なく、たった一人の先輩が受験勉強を理由に退部されたことや、同学年の部員が一人もいなかったことから、自動的にパートリーダーになりました。中高一貫校でしたので、一番下の学年は中学1年生。自分がしっかりしなくてはいけないという思いから、少しずつですが積極的に人前で話せるようになっていきました。高校からメロフォンを始めた私が、パートリーダーとして3年間続けられたのは、沢山支えてくれた先輩方や同級生のおかげだと思っています。 大会当日、朝練習の様子  そのパートリーダーで培われた積極性は、大学での学びを果敢に取り組むことに繋がっていると思います。授業で分からないところがあると、先生やTAの先輩方へ率先して質問できるようになりました。厳しい練習を乗り越えてきた分、忍耐強さも人一倍あり、高校時代に身に付けた力がいま活きています。  大会ではすべての出場校にそれぞれ金賞・銀賞・銅賞の評価がつけられますが、その上の小編成出場団体のなかでの金賞を目指して毎年出場しています。しかし、私たちの代は個人の成績で惜しくも銀賞だったのです。個人成績では6年連続で金賞を受賞していましたが、伝統を途切れさせてしまいました。とても悔しかったですが、後輩に思いを託し、今年の大会では見事に個人で金賞に返り咲きました。ただ、小編成出場団体の中での金賞はまだ一度も受賞できていないため、今後も後輩のためにより一層のサポートをしていきたいと思っています。 京華女子高校のマーチングバンド部 学んだことを活かした将来の夢  また、母校には出来る限りの恩返しをしたいと思っています。例えば、部活で演奏をする際は小道具を多く使用します。これまでは卒業生の保護者の方が協力して製作してくださいましたが、私が大学で様々な技術を学ぶことで、もっとハイクオリティな小道具を作りたいです。さらに、母校は都会の街中にあるため、体育館と呼べる建物がありません。騒音防止のため窓を閉めた状態で練習を行い、外練習も週に1回しかできませんでした。コロナ禍で全体練習も少なくなってしまったので、思う存分練習ができるような施設を作れる建築士になれたらなと考えています。 文系出身でも楽しめる学び  子どもの頃、建築士だった友人のお父さんから仕事の様子や模型などを見せてもらったり、両親には珍しい建物や美術館などに連れて行ってもらいました。建設に関する興味はずっとあり、将来はものづくりに携わる仕事をしてみたいとぼんやり思い浮かべていましたが、部活動は3年生の3月まであるので、推薦入試やAO入試で受験をすることが必須で、文系科目を中心に学んでいた私は、工業系大学に進学することに不安がありました。ですが、大学のオープンキャンパスや女子高校生のための実習体験授業に参加し、普通科の学生が多く入学していることや、実際に体を動かすことの楽しさから、必死に頑張れば文系でも追いつけるかもしれないと決意を固め、入学しました。 入学して思ったこと…そして決意  実際に授業を受けて感じたことですが、理論的なことを学びながら実習では実寸大の物を作れる。そんな大学は他にないと思うので、ものつくり大学の名前はもっと広まっても良いと思います。将来的にはみんなが当たり前に名前を知っている大学になってほしいです。私のような文系で全く違うことに取り組んできた人でも、一緒に頑張る友達や、優しく教えてくださる先生や先輩方が沢山います。まだ1年生なので、様々なことに好奇心を持ってこれからも勉強していきたいです! 関連リンク 建設学科WEBページ オープンキャンパスページ GRIRLS NOTE WEBページ

  • ぼくが旅に出る理由 モバイルハウスで日本一周

    ものつくり大学が2010年度から主催している「高校生建設設計競技」の2022年度の課題は「これからのモバイルハウス」です。「モバイルハウス」は、新型コロナウイルスがまん延し、人々の行動が制限されてしまった昨今、3密を避けられることからブームになったアウトドアと共に注目されている、「自由に移動できる家」です。設計ではなく、実際に軽トラックの荷台に居住空間を載せて作ったモバイルハウスで、日本一周に挑戦した学生がいます。渡邊 大也さん(建設学科4年・今井研究室)は、2022年の7月に盛暑の東日本を縦断。その後、9月から10月にかけて西日本を横断しました。渡邊さんは、どうしてモバイルハウスを作ったのか、なぜ日本一周の旅に出たのか、その理由に迫ります。 モバイルハウスを作ったきっかけ 運転免許取得時に、祖父から譲り受けた20年ものの軽トラックの荷台を何かに活かしたかったのが、そもそもの始まりです。最初は、大好きなヒマワリを皆に見てもらうために荷台で育てていましたが、大学1年の2月頃から新型コロナウイルスが拡大し始め、2年生の最初の頃は全ての授業がオンライン授業になりました。そこで、「オンラインならば全国を旅しながらでも授業を受けられるんじゃないか」と思い立ち、モバイルハウスの制作が始まりました。 子供の頃から旅行やキャンプが大好きで、高校生の時に、小口良平さんの「スマイル!笑顔と出会った自転車地球一周157カ国、155,502㎞」という本を読んでから、バックパッカーになるという夢を持っていました。そして、モバイルハウスを作った理由としてもう一つ、「元々、ものを作るのは好きだったけど、大きなものを完成させたことが無かったので、10代最後の挑戦にしたい」という思いがありました。 大学2年の夏からモバイルハウスの制作が始まりました。最初の頃は夢が膨らみすぎて、天井部分に芝生を植える等、完成した今となっては非現実的なアイデアもあり、納得のいくモバイルハウスが完成した時には大学4年生になっていました。 モバイルハウスの図面 制作中のモバイルハウス モバイルハウスのこだわり モバイルハウスは「海と船」をモチーフにして作られています。山梨出身で大学は埼玉。身近に海がない環境で育ったため、海に憧れを抱いていました。 モバイルハウスの助手席側の窓は、実際に船舶に使われている丸窓が入り、運転席側の窓は、旅先で海を眺めることを想定して、白く大きな窓を採用しています。また、屋根の部分は波をモチーフにして木材を加工しています。 制作にあたっては、大学の授業を応用して一人で制作を進めました。作り始めた頃は、モバイルハウスを作って旅に出ようとしている事を友人に話しても、皆から笑われたり、「やめときなよ」を言われました。しかし、完成が近くなってきて、本気さが伝わると、友人たちが最後の仕上げを手伝ってくれました。 旅での経験 完成したモバイルハウスで、いよいよ日本一周の旅に出発します。東日本に1か月、西日本に1か月半ほどの旅でしたが、どこに行くのか事前に計画は立てず、行先を決めるのは前日の夜。 世界遺産検定3級を持っていて、今回の旅には国内の世界遺産を巡るという目的がありました。日本を一周する中で、日本にある25件の世界遺産のうち10件を訪ねました。これで、未訪問の世界遺産は残り4つです。 大浦天主堂(長崎県) 白川郷(岐阜県) 他にも、旅にノルマ的なものを課していて、「建築・グルメ・文化」のうち、2つを堪能したと思えたら、次の場所に移るというものでした。 今回の旅で思い出に残っている場所は、モバイルハウスを作ったら絶対に行きたいと思っていた石川県の千里浜です。千里浜なぎさドライブウェイは、日本で唯一、一般の自動車やバイクでも砂浜の波打ち際を走れる道路です。海に憧れ、「海と船」をモチーフにしたモバイルハウスを作ったからには、是非とも写真に納めたい場所でした。ちなみに、石川県では、近江町市場の海鮮料理やターバンカレーを堪能して、兼六園や金沢21世紀美術館を訪ねました。 他にも、鹿児島県の桜島も印象に残る旅先でした。山梨で育ったため、山は見慣れていますが、山の形がまるで違っていて、ちょうど噴火していた桜島の雄大さが心に残っています。 旅の最中には、様々な人と出会い、繋がりもできました。特に、広島を旅していた時には、モバイルハウスを作りたいと考えている長崎から来た人に話しかけられ、ちょうど卒業研究用に作っていた資料を渡したことから意気投合しました。「今度、長崎に来る時は案内するよ」と言われたことで、実際に訪ねてみました。 また、千葉を旅している時は、所属する研究室の今井教授から「私の実家に行っていいよ」と連絡があり、実際にお風呂を借り、ご飯をごちそうになりました。 鳥取で台風に遭った時は、体育館に開設された避難所に行きました。避難しているのは一人だけでした。1か月という長い間、1.3畳ほどのモバイルハウスで生活していたため、広い体育館で一人になり、不意に寂しさを覚えました。寝れずにいたら、避難所の管理人の方が話しかけてきてくれて、夜遅くまで旅の話を聞いてくれました。 モバイルハウスの後方に「日本一周」と看板を掲げていたので、行く先々で話しかけてもらいました。長野の道の駅で同じように旅をしている方から素麺をごちそうになったり、途中で寄ったコンビニのオーナーから差し入れをいただいたりした事もあります。追い越していったバイクの方に手を振られる等、人の優しさに触れることができた旅でした。 モバイルハウス後方 長野でいただいた素麺 トラブルも数多くありました。一人旅だから何かあっても、自分で何とかするしかありません。佐賀の山を走っていた時に、エンジンオイルランプが点灯した上にガス欠になりかけていたところ、更にぬかるみでスタックした時は、山中に一人の状況に絶望して思わず叫びそうになりました(笑)。事前に、自動車部の友人から、オイルの入れ方やスタックした時の対処法を教えてもらっていたので何とかなりましたが、本当に怖かったです。 これからのモバイルハウス いつかモバイルハウスで海外に行き、高校生の時に留学していたアメリカのテネシー州まで旅をして、ホストファミリーを驚かせるという野望を持っています。 モバイルハウスで旅をする中で、「モバイルハウスがあれば家はいらない」と考えるようになりました。先日、モバイルハウスを所有している人たちの集まりがありました。夫婦二人と犬一匹でモバイルハウスに暮らしている方と出会い、モバイルハウスの可能性を感じました。軽トラックだと居住空間は狭いですが、1トントラックや2トントラックの荷台であれば、居住空間も広くすることができます。 実は、旅が終わった今も、ほとんどアパートで寝ることはなく、最後にアパートで寝たのはいつか分からないくらい、モバイルハウスか研究室に寝泊まりする日々が続いています。 日本ではモバイルハウスはかなり珍しい車ですが、車幅以内、高さ2.5m以内、350㎏以内であれば、自分の好きなように作れます。荷台に居住空間を荷物として載せているだけなので、特に手続きも必要ありません。制約があるからこそ、作っていて面白いと感じていて、モバイルハウスをもっと広めたいと考えています。 旅とは「生きがい」です。小さい頃から安定が好きではなく、刺激を求めていて、何をしても結局、旅に繋がります。就職先は、全国に支店がある内装工事の会社から内定をもらいましたが、転勤についても全国色々なところで建築に関われるので、今から楽しみです。 関連リンク 第12回ものつくり大学高校生建設設計競技 建設学科 建築技術デザイン研究室(今井研究室) 建設学科WEBページ

  • 【知・技の創造】日本の原風景

     JR高崎線・吹上駅からものつくり大学(行田市)に至る開けた田野の中ほどに「真摯さの道」がある。上越新幹線の高架へと続く200メートルほどの農道である。ことに夕景は美しく、清明な上州の山並み、時に富士の高嶺さえ仰ぐことができる。 JR吹上駅からものつくり大学に至る「真摯さの道」(筆者撮影) そこはマネジメントの父・ドラッカーの翻訳者で日本での分身ともされた、今は亡き上田惇生先生(ものつくり大学名誉教授)が、integrityの訳語を想起した道である。上田先生は若き日俳句に親しんだ人でもあり、一つの語彙が浮かぶのを忍耐強く待ち続け、ついに大学からの帰路、この道で「真摯さ」を呼び寄せたのだった。 ドラッカー(左)と上田惇生名誉教授(右) 生前の上田先生とこの道を歩いたことがある。心の内で生きる諄朴な日本の原風景そのままであり、原語の熱源を不思議なほど直にとらえることができた。 ドラッカーの遺産  現在世界はコロナ禍に際して、新しく文明社会を始めなければならないほどの分水嶺《ぶんすいれい》に立たされている。その点で、晩年のドラッカーが「テクノロジスト」というコンセプトを残してくれたのは、とりわけ日本人にとってかけがえのない遺産であった。 テクノロジストとは巧みにものを作る人というのみではない。ものを作るとは、言うまでもなく高度な精神によって統合された仕事である。ものづくりを外側から眺めると一つの行動だが、その実相は一人ひとりの内面で営まれている。  昨今DX(デジタルトランスフォーメーション)やAI(人工知能)が大流行である。だが、高度に組織化された情報も、最終的に実行するのも人間なら、享受するのも人間である。いや、かえってテクノロジーの進展するほどに、人間の存在感は増していくはずである。 教養あるテクノロジストのために 本年度新設されたものつくり大学教養教育センターは、テクノロジストのための教養教育を掲げている。教養というと書物が想起されるが、そればかりではない。それは徹底した知と行の合一の道である。そうであるならば、手早く片付けてしまうわけにはいかない、一生を賭けた大事業となるだろう。 ドラッカーはテクノロジストのもつべき一種の社会的知性としても、「真摯さ」を重視していた。その証拠に、彼は頭脳の明晰さよりも、真摯さの方を重く見て、個が現実社会を生き抜いていく上でよほどあてになると述べている。それは、生きるという根底的な理由と結ばれた精神的王道でもあったことに思いが至る。 Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学教養教育センター教授 1972年、埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、社会情報学。 関連リンク 教養教育センターWEBページ

  • 諦めない心が生んだ4年間の集大成と、卒業後の姿

    11月8日(火)、東京ビッグサイトにてJIMTOF2022が開催され、DMG森精機株式会社のブースにおいて「第17回切削加工ドリームコンテスト」の表彰式が行われました。本コンテストでは、2021年度3月に本学の製造学科(2022年現在は情報メカトロニクス学科) 武雄研究室の卒業生であり、現在はシチズンマシナリー株式会社に勤務している大澤 怜史さんが卒業研究で製作した「総削りスピーカー」が、アカデミック部門において見事銅賞に選ばれました。そこで、大澤さんが製作に込めた思いや、学びになったことと、今後の目標をお伺いしました。 なぜスピーカーにしようと思ったのですか 趣味でイヤホンやオーディオ機器を集めています。良いものを買って聞くことはいつでもできますが、4年間様々な勉強を積み重ねてきたので、好きなものを1から作ってみよう考えたことがきっかけです。 スピーカー全体図 総削り出しの特徴とは 無垢の金属の塊から形を作り出していくことを総削り出しと言います。彫刻とは違うのですが、彫刻のようなイメージで、機械を使って掘るように加工します。 通常のスピーカーと異なる部分はありますか? 既製品のスピーカーを参考に設計したため、形状に大きな違いはありません。 しかし、一般的なスピーカーには大きく振動させるためにゴムやスポンジ部品が使用されていますが、このスピーカーにはそのような柔らかい素材は一切使用せず、すべて金属で製作しています。それでも、きちんと実用できるスピーカーというところを目標にしました。また、木箱以外は大学の機械で設計から加工まで全て行いました。 スピーカー部分 完成までの期間はどれくらいかかりましたか スピーカーの設計や材料集め、削る刃物の選定等含めると半年以上かかりました。しかし、始まりから終わりまで一貫して自ら取り組めることを大学で教わったので、これが4年間の集大成だったのではないかと思います。  削るにも、刃物の回転数を調節するたびに切れ味や材料への衝撃に変化が出てくるので、何度も考えながら取り組みました。薄いものを作るということは、強い力を加えると変形してしまったり割れてしまったりするので、特に注意をしながら進めていきました。何度も失敗はしましたが、削る順番や回転数を何度も試行錯誤した結果、今の形になりました。 大変だったこと、学びになったことはありましたか スピーカーはコーンという部品を振動させて音を出す機械ですが、ただ薄くしただけの金属だと振動しないことが制作の過程で分かりました。シミュレーションの段階ではどうしたら響くのか苦労しましたが、何度も設計を重ねていくうちに、コーンを支える箇所に溝を作ることで、大きく振動させることができました。 また、様々な失敗を繰り返していく中で、試行錯誤をやめずに諦めないということは、就職した現在でも役立っていると思います。 スピーカーの裏側 大学生活を通して社会で役に立っていることはありますか ものつくり大学での学びはとにかく密度が濃かったこともあり、実際の社会に即した勉強ができることはとても大きかったなという気持ちです。同期よりも持っている知識の厚さが違うことや、社会人として即戦力になれるような教育を受けられたことはものつくり大学の良いところだと思っています。 表彰式の様子 現在はどのような仕事に取り組んでいますか 品質保証室という部門で、製品評価の仕事に取り組んでいます。 お客さまへ安全で高品質な機械を提供できる様に、新たに開発された新機種が求められる性能を持っているかの検査・試験を行っています。 今後の目標についてお聞かせください この度大変栄誉ある表彰を受け、ものつくり大学の学生として多くの方に評価していただきました。学生時代、後輩の指導を行うようなこともあり、自分でもある程度モノづくりがわかっている自信がありました。その自信は今も仕事をするうえで私の強い支えとなっています。しかし、社会人となった今、自分の未熟さも強く感じています。 そんな中で、現在の目標は、とにかく仕事を覚えていち早く1人前として成長することです。社会人生活は今までの人生の数倍長い期間を過ごすことになります。長い目線で、まずは1人前になること、そして将来的には身に付けた能力をまた後進へ伝えていけるような人材になりたいと思います。 最後に、今回の結果を後輩たちが知って、自分もこうなりたいと思ってもらえたら嬉しいです。 勤務先 シチズンマシナリー(株)で使用している金属加工機械 関連リンク 情報メカトロニクス学科WEBページ 情報メカトロニクス学科 機械加工・技能伝承研究室(武雄研究室)

  • 【知・技の創造】装飾が愛着に繋がる

    「装飾」から考える「花飾建築」とは 「装飾」とは、飾ること。美しく装うこと。また、その装い・飾り。「愛着」とはなれ親しんだものに深く心が引かれること。を意味します。 私事になりますが、現在、行田市内花き農家応援花いっぱい運動に取り組んでいます。ヴェールカフェ(旧忍町信用組合)や忍城を装飾する「花飾《かしょく》建築」と題した花台を制作しました。そのため、装飾について考えることがしばしばありました。9月に亡くなられた英エリザベス女王が、生前使用していた装飾品に大英帝国王冠があります。この王冠は、女王が戴冠式から着用されていたもので、ジョージ6世から譲り受け女王のために再デザインされたものです。国葬の際、女王の棺の上に、宝石の散りばめられた王冠が飾られていたのがとても印象的でした。 ファッションも建築も装飾されることで注目される 私が専門とする建築の分野では、「建築装飾」という言葉が使われます。鬼瓦や風見鶏のような厄除け魔除けのために取り付けられたり、欄間や襖のようにインテリアとして設えたり、構造体や間取りなど実用的機能に関係しない建築表現を指します。また、建築物を飾りつけるものとしては、ハロウィンやクリスマスのイルミネーション、お正月に飾るしめ縄や門松などがあります。東京タワーを事例に挙げてみると、建設当初、しばしば4本の稜線を電球で点灯。1964年のオリンピック以降、毎日点灯、都市の高層化により目立たなくなる。1989年、石井幹子氏による季節感を取り入れたライトアップの開始。2013年、増上寺のプロジェクションマッピングの背景に活用される。このように東京タワーは、電気によって装飾されることで、ときには都市の主役のように、ときには脇役のように捉えられてきました。装飾は、その季節や時代のトレンドを取り入れつつ、伝統を重んじながら発展してきました。ファッションも建築も装飾されることで注目されます。そして、その装飾された人、建物、街への愛着へと結びつきます。私の研究室で制作した「花飾建築」も旧忍町信用組合や忍城、そして行田市への愛着に繋がればいいなと思います。 埼玉新聞「ものつくり大学発 知・技の創造」(2022年11月4日号)掲載 Profile 大竹 由夏 (おおたけ ゆか) ものつくり大学建設学科講師。筑波大学博士後期課程修了。博士(デザイン学)。一級建築士。筑波大学博士特別研究員を経て現職。 関連リンク 行田市花いっぱい運動 地域との交流を通じて得た学び 建設学科 デザイン・空間表現研究室(大竹研究室) 建設学科WEBページ

  • 【知・技の創造】D2C時代のものづくり

    「D2C」の潮流  皆さんは「D2C」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?「D2C」とは「Direct to Consumer」(消費者に直接届ける)の略で、米国を中心に流行が始まっている新しい製品の販売、消費の動向です。「D2C」ブランドの特徴は原則小売店を介さずに、製造者が自社のwebサイトから直接消費者に販売する形態にあります。   「D2C」を代表するブランドとしては寝具の「Casper」、眼鏡の「Warby Parker」、日本でも若い世代を中心に支持を集めている、スニーカーの「Allbirds」などが挙げられます。  ではこれらの製品ジャンルは既に多くの製造者が古くから製品を供給しているにも関わらず、なぜこうした新興のブランドが誕生し消費者の支持を集めているのでしょうか。その背景にあるのはSNSの存在とサスティナビリティ(持続可能性)意識の普及にあると考えられます。  「Instagram」などのSNSの普及は、自分の持ち物を世界中の多くの人に見てもらう機会を生み出しました。それに従い、高価なものを自慢するのではなく「自分らしい」ものを選びたいというニーズ、そしてものを買うからにはそれを選んだ「確かな理由付け」が欲しいというニーズが消費者から求められるようになりました。  それに対し、例えば前述の「Warby Parker」は無償で5日間、5種類の試着用眼鏡を消費者の自宅に送付し、消費者はそれを試着してSNSに投稿し、その反応を見て自分に似合う眼鏡を選ぶ。といった新しい消費のスタイルを生み出しました。 そして「Allbirds」のスニーカーは、製品の製造から廃棄されるまでのCO2排出量を製品毎に公表し、消費者が出来るだけ環境負荷の少ない製品を選択できる仕組みを作っています。製品を購入し消費する以上、地球環境に対して何らかの悪影響を与えることは避けられませんが、このサスティナビリティに出来るだけ配慮してものづくりを行う企業姿勢が、環境意識に敏感な若い世代の支持を集めている理由であるといって良いでしょう。  こうしたD2Cの流行から考えられることは、消費者向けの製品開発は「小品種、大量生産」から「中品種、中量生産」、さらに「多品種、少量生産」の潮流へ向かっているということです。 これからの「ものづくり」教育 ではこの潮流に対して「ものづくり」教育はどのように応えていくべきでしょうか。「多品種、少量生産」の製品開発のためには、消費者個々のニーズを汲み取り、それをデザインに落とし込むユーザーリサーチ技術の研究や、サスティナビリティに配慮した素材を活用したデザインの研究が必要です。また少量生産に適した新しい生産プロセスの研究、あるいは手作りのプロセスによるものづくりの復権が考えられます。  従来「理系は人間の行動に対する想像力が弱く、文系は科学技術の進歩に対する理解力が足りない」と言われてきました。しかしこれからのものづくりに求められるのは、文理の枠を超えて消費者の行動、ニーズを理解した上で、最新の科学技術の進歩を享受した製品開発が出来るクロスオーバー型の人材であると言えるでしょう。ものつくり大学では2022年度より「教養教育センター」を設立し、従来の強みを活かしつつ分野をクロスオーバーする知を身につけた人材育成を目指しています。D2C時代のものづくりを切り拓く本学の教育展開にご期待ください。 埼玉新聞「ものつくり大学発 知・技の創造」(2022年10月7日号)掲載 Profile 町田 由徳 (まちだ よしのり) 教養教育センター・情報メカトロニクス学科 准教授 東京造形大学デザイン学科卒業後、デザイン事務所勤務、岡崎女子短期大学准教授等を経て、2020年より現職。専門はプロダクトデザイン。 関連リンク 教養教育センターWEBページ 情報メカトロニクス学科WEBページ

  • 学費以上の経験が得られる!?学生フォーミュラプロジェクトの魅力とは

    2022年9月6日(火)~9月10日(土)の5日間にかけて、静岡県 小笠原総合運動公園にて「学生フォーミュラ日本大会2022-ものづくり・デザインコンペティション-」が開催されました。対面での開催は実に3年ぶりとなります。本学からは、学生フォーミュラプロジェクトが参加しましたが、出場に必要なEV車は完成していません。その中で出場した理由や、学生にとっての学生フォーミュラプロジェクトの魅力を聞きました。 学生フォーミュラプロジェクト ■リーダー 野原 涼平さん(総合機械学科4年) ■メンバー 小林 蒼さん(総合機械学科3年) 小林 駿祐さん(総合機械学科2年) 武井 孝成さん(総合機械学科2年) 3年ぶりの対面開催に向けて設定した目標、課題などはありましたか 【野原】一昨年、これまで製作していたエンジン車から、時代の流れに即した車作りを考え、電気自動車へ移行しました。目標は、直線を得意とする車両でしたが、エンジンからモーターに変更する際、単純に製作する物が増えただけではなく、製作に重要な安全装備の知識が必要でした。しかも、今年度は全国から14チームがエントリーしましたが、車両を完走させたチームが2チームのみということを知り、それくらい難しい製作なのだと実感しました。 新型コロナウイルスの影響で、大学間交流や実際に走行している車両を見ることが減ってしまったこともあり、今年度は他大学と交流をしながら様々な学びを持ち帰るという意識を持って参加しました。来年度の完成に向けて、モーターを動かすための電子回路の製作と、高電圧を取り扱うため、安全装置を動かすプログラミングを完成させたいです。 走行が叶わなくても、出場した理由はどうしてですか 【野原】情報が一番集まるからです。完成しないから出ないという選択肢はありませんでした。また、今の1年生から3年生は対面開催を経験したことがなく、大会に関する知識を付けて欲しいということもあり、参加しました。 【武井】来年度出場を目指すにあたり、大会の様子を知っているのとそうでないのとでは意識がかなり違ってくることも感じていたので、出場して良かったと思います。 【小林(駿)】僕は、イメージを膨らませる為に参加しました。EV車は本学に完成品がなく、大会に参加すれば他大学の完成品を見ることができるので、自分たちの目指すべきところの確認もできました。 他大学で見られたもの、得られた学びはありましたか 【武井】本学の強みは、外装をほぼ内製で製作しているにも関わらず、ハイクオリティなところだと自負しています。大会に持って行った時も、沢山の大学の方に話しかけていただいたことで誇らしい気持ちになっていました。他の大学からも、モーターやバッテリー位置がとても参考になったので、今後もお話を聞いてみたいなと思いました。 【小林(駿)】やはり部品の配置はとても参考になりました。また、大会の熱気を受けて、同じレーンに立てるように早く走らせたいと強く感じました。 【小林(蒼)】大会に出場できるチームの少なさを知った時に、本学だけが遅れているわけではないことに正直ホッとしました。しかし、スケジュール設定に関しては遅れていることが分かり、もっとスピード感を持って進めていかなくてはならないと気持ちが引き締まりました。 【野原】私だけが関係するものになりますが、学生フォーミュラに参加している関東圏の大学生で構成された外部団体に所属しています。主にそこで学び合いや大学間交流を行っているので、現地での開催はとても重要だと感じました。また、電子回路の組み方や部品の発注など勉強になることは多いので。後輩の為にも今後他大学との交流も増やしていきたいです。 来年度の目標や、それを達成するためにプロジェクトで行うことはありますか 【野原】チームとしては、車検を通る車を作りたいと考えています。そのためにも、とにかく1日でも早く車両を動かしたいと思っています。 【小林(駿)】チーム全体との関わりが足りないと思っているので、コミュニケーションは積極的に行いたいです。チームの全体把握をし、やりたいと考えているマネジメントもしていきたいと考えています。 【小林(蒼)】走行データがまだとれていないため、走れる車両が完成次第、より良い走行を実現できるよう設計等考えていきたいです。 【武井】電子関係を勉強したくて学生フォーミュラプロジェクトに入ったので、個人でも勉強を進めながら、車両完成に向けてチームのサポートをしていきたいと思っています。 チームワークについて、どのような雰囲気ですか 【野原】楽しんで進めている様子も見られますが、参加するメンバーに偏りが見られます。本来チーム全体で車検に向けて動かなければならないので、各メンバーの思いを聞いた上でベストな組織作りに努めていきたいと思っています。また、卒業までに必要な知識をもっと蓄え、後輩にどんどん引き継いでいきたいです。 学生プロジェクトでの取り組みは大学生活でどのように役立っていますか? 【武井】学生プロジェクトに入ったことによって、授業の予習と復習が自然とできていることです。プロジェクトでやったことが予習になるときもあれば、授業で教わったことをプロジェクトでアウトプットできるということは、プロジェクトならではだと思います。 【小林(駿)】僕も同じです。プロジェクトで得たコミュニケーション能力が授業で発揮できました。縦や横の繋がりが出来たことも大きいです。 来年度の目標、目指している人はいますか 【小林(駿)】1人に絞ることは難しいので、様々な先輩の特性をどんどん吸収していきたいです。 【武井】父です。分からないことを教えてくれる時もスッと入ってくる分かりやすさでとても尊敬しています。そういう人間に成長したいと思っていますし、自分が目指している企業も父が勤めている企業です。 【小林(蒼)】僕は卒業生の丸山颯斗先輩(2022年3月卒業)のようになりたいと思っています。チーム内で意見の食い違いが起こった時に、みんなの要望を上手に汲み取って解決してくださったので、自分もチームのバランスを考えられる人になりたいです。 学生プロジェクトの強みや魅力を教えてください 【野原】就職活動にはかなり強いと思います。エピソードにもなるし、即戦力としての売り込みも出来るところは学生プロジェクトならではだと思います。 【小林(蒼)】授業では基礎的なことを広く教えてくれますが、学生プロジェクトではさらに深い知識・技能まで蓄えることができます。先輩や先生方に教えてもらうことで、繋がりや顔を覚えてもらえるところも強みだと思います。 【小林(駿)】僕は、逆に学生プロジェクトに入ってないと意味がないのではないかという話を友人とするくらいに重要性を感じています。授業で出てきた機械を学ぶ際も、何の為に使うのか、その機械によってものづくりの幅がどれだけ広がるのか考えられるようになりました。単位・成績を取るためだけに授業を受けるのではなくて、疑問や目的の為に授業を受ける意識になったのは学生プロジェクトに所属したからだと思います。 【武井】コミュニケーション能力が上がっているなと思いました。他大学や外部の企業との関わりにおいて、大学生活だけでは得ることのできない能力を学生プロジェクトで得ることができたと思います。 最後に一言お願いします! 【武井】まだプロジェクトに入っていない人、入ろうか迷っている人に、優しい人が多いよと伝えたいです。誰だって頭ごなしに怒られるのは嫌だと思いますが、まずありません。安心して見学に来てほしいと思います。 【小林(駿)】学生のうちはどれだけ失敗してもそれが自分の大きな責任にはならないし、失敗からの学びを身に付けることができます。むしろ大学が思う存分失敗できる最後の場所であって、就職してしまうと失敗に対して怖気づいてしまうと思うので、このタイミングで何もしないのはもったいないと思います。なので、何も恐れることなく挑戦する心を忘れないで欲しいです。 【小林(蒼)】学生プロジェクトは、学費以上の経験を積める場所です。自分の力では手に入れることのできない道具も、プロジェクト予算から出せるので、技能の幅も広がります。 【野原】小林(蒼)が言った「学費以上」は、個人的には「ものつくり大学の学生フォーミュラプロジェクトに所属すると、学費以上の経験を得られる」のだと思っています。ここまでの支援は他大学と比べてもトップクラスだと思うので、恩返しを出来るように気合を入れて頑張っていきたいと思います。 関連リンク 学生フォーミュラプロジェクトWEBページ 情報メカトロニクス学科WEBページ

  • 現場体験で感じた林業に魅了されて・・・第二の故郷へ就く

    林業の機械化が進んだことで、素材生産や森林調査等で女性が活躍する場が増えています。とはいえ、まだまだ3K(きつい、汚い、危険)のイメージは拭えません。その林業の現場に大きな夢を抱いて挑戦する女子学生がいます。 例えば、京都を代表する銘木「北山杉」。古くから北山林業では女性は重要な役割を担っていました。枝打ちや伐採は男性の仕事ですが、加工作業や運搬、苗木の植え付けは主に女性の仕事でした。では、現代の林業女子には仕事はないのでしょうか。近年は機械化が進むことで伐採等の林業現場へも女性が進出することが期待されています。その林業に挑戦する浅野 零さん(建設学科4年)。153㎝の華奢なカラダからは想像できないバイタリティーの源はなにか、感動のインタビューです。 浅野さんのチャレンジ魂を育てたものは何ですか 高校までものづくりとは縁がなかったです。茨城県の生まれですが、小学校4年から中学卒業まで長野県にある人口850人程の村へ山村留学していました。高校は山口県でした。田舎が好きで、今度は瀬戸内海の島でした。山から海へ、です。高校時代は、アーチェリー部に所属していました。強化指定を受けていたことで、3年生では選手として全国大会へ出場しています。強いてものづくりと縁があるなら、山村留学時に仲間と小屋を作ったことでしょうか。その楽しかった思い出は心のどこかにずっとあって、このエピソードはものつくり大学へ進学する時に大学の方にお話しました。大学からすると、私の志望動機が不思議に思えたようでした。 そもそも母の影響というか、子育て方針というか、兄も同じ村に先に山村留学していて、後にカナダへ海外留学をしました。私は茨城→長野→山口→埼玉と国内を巡っていますが、この度、就職で長野へ戻ります。それも山村留学でお世話になった同じ村に戻ります。何でしょうね、Uターンでもなく、Iターンでもなくて。 大学での4年間もパワフルだったのではないですか もちろん普通高校卒なので、ものづくりを学んだのは入学してからです。木に触れることは好きだったので、最初は木工家具の製作に憧れました。角材を加工する授業は楽しかったけれど、そのうち角材になる前の木自体に興味が湧いてきて、林業を意識するようになりました。 1年の秋に「林業体験」のイベントを探して個人で参加しました。木を切って、加工して、その凄さに憧れました。女性も参加しやすいイベントで、参加したのは大方女性でした。人生で初めてチェンソーを使って、木を切りました。そして、垂直に立てた木の幹に切り込みを入れて燃やし、手軽に焚き火が楽しめるスウェーデントーチでの料理を楽しみました。 これをきっかけに林業界への憧れが強くなり、将来仕事として就きたいと思うようになりました。2年次に実施される大学のインターンシップは、長野県飯山市のNPO法人で木材加工に従事しました。3年次では、進路を林業一本に絞ったため、個人的に様々な企業や現場を見学に行きました。そういう意味では決断も早く、行動力もありましたね。いま思えば大学の授業との両立もうまく対処していたように思います。 自らの進むべき道を見つけるまでに、どんな出会いがありましたか 大学では就活を意識した活動と共に、1年次で建築大工3級、2年次で左官2級、造園3級、3年次で造園2級と、とにかく木に関わる資格を取得していきました。生活全てを木に関わっていきたい思いが強かったです。 実は、高校時代に生活していた山口県の林業会社の方に「この世界、女性ではたいへんだけれど、男性とは違う視点で活躍している方がたくさんいるよ」と言われました。その林業会社の方にはオンラインで頻繁に相談に乗っていただきました。「山口においでよ」と何度もお誘いをいただきました。正直、山口へ移住しようという気持ちにもなりました。同時に長野とも連絡を取っていて、情報収集に努めていました。 林業は、国の重要な施策なので、どちらかと言えば昔ながらの堅苦しいイメージを持っていました。でも、民間の小さな林業会社では、自分の技術やスキルがついたらやりたいことをやらせてもらえるような新しい考え方も生まれてきていることを知りました。長野で林業を起業された社長さんと話していると、ぐいぐい引き込まれていきました。その将来を見据えた魅力たっぷりの内容に感激しました。 そして最終的に長野へ就職を決めたのですか もちろん企業方針を何度も聞いて、性格的に合っているなと思いましたし、私が内定をいただいた会社がある村は、小学生の山村留学でお世話になったところでした。この村は私にとって特別です。住むことができる、仕事をすることができるなら恩返しの気持ちを持って戻りたいと強く思いました。会社も林業としては2021年に法人化されたばかり。不思議な縁を感じて、お世話になった村へ帰ろうと思いました。 林業女子としての不安や期待はありますか 林業は3Kと言われます。きつい、汚い、危険ですね。それに林業の現場に出る女性としての問題は、まずトイレ。いまは自然保護の観点から、以前のような現地で処理するようなことは減ってきています。トイレの設置や、山を下って用を足すこともできます。それから力の強さですね。女性ですので、体力は男性と比べて見劣りします。でも機械化も進み、力の問題も徐々に解決してくれそうです。緑の雇用制度で3年間鍛えることができるので、いまはそれが楽しみでなりません。都会にある林業会社では、近年「かっこいい林業」をスローガンにして新しい「K」が生まれています。期待ということでは、いずれキャンプ場を作るという会社の重点方針があります。いまは力不足ですが、ぜひチャレンジしたいです。 林業を通して、森林と地域との新たな価値を創造する繋ぎになるということですね 日本は平野の少ない森林大国です。木があれば、火を起こせる。火を起こしたら、ごはんも炊ける、お風呂も沸かせる。家も建てられるし、生きていく上でのあらゆる繋がりがあります。花粉問題だって、木を切る人がいれば、むしろ空気の循環を良くしてくれる。林業は大切なんですよね。人間の生活の基盤になっていると思っています。 ですから林業を通して、そこに生活する方たちのほのぼのとした幸福感や満足感を充足したいですし、村おこしといった地域の活性化にも非常に興味があります。 大学では様々な検定試験に挑戦しましたが、授業では学べないところまで教えてもらいました。先生方の技術が素晴らしいので、安心して学べます。私はこうした知識や技能・技術は、いずれどこかの場面で役立つと思っています。自分と仕事、自分と社会を繋ぐ力です。その力がないと新たな価値の創造なんてできないです。 視野が広がり、自分の進むべき道を見つけた大学での4年間。いまは卒業制作に仲間と懸命に取り組んでいます。一般家庭のエントランスと庭づくりです。次のステップへ進むために!!! 関連リンク 建設学科WEBページ

  • Japan Steel Bridge Competition 2022 ものつくり大学だからこそ作れる橋梁モデル

    建設学科 大垣研究室は、「Japan Steel Bridge Competition(通称:ブリコン)」に毎年出場しています。ブリコンとは、学生が自ら橋の構造を考え、設計、製作(鋼材の切断、溶接、孔開け、塗装)、架設を行い、全国の大学生および高専生の間で競い合う大会です。大会当日は、架設競技、プレゼン競技、載荷競技、美観投票を行います。2022年9月に開催された大会では、大垣研究室から2チームが出場し、Aチームが美観部門1位、Bチームが美観部門2位という成績を収めました。美観部門で1位を受賞したAチームで、プレゼン競技を担当した後藤 七海さん(建設学科4年)、製作を担当した杉本 陸さん(建設学科4年)に伺いました。 どんな橋を目指して作ったか 【後藤】美観と構造を意識しました。美観を重視するためにレンズ型トラス橋を選択しました。構造は、曲線と直線を組み合わせています。昨年のブリコンでは、曲線部分の継手に時間がかかってしまったため、今回は3種類の継手を取り入れ、継手箇所を工夫して架設も意識しました。 製作したレンズ型トラス橋の設計図 プレートで挟むタイプの継手 差し込むタイプの継手 かみ合わせるタイプの継手 美観部門1位に選ばれた理由は 【杉本】シンプルに形だと思います。他のチームも凝った形をした橋はありましたが、鉄骨を1番曲げていたのは私たちでした。私は高校の3年間、溶接と鉄を加工した経験がありますが、真っ直ぐな鉄骨を700℃~800℃くらいの熱で少しずつ曲げるため、ものすごく時間がかかりましたし、難しかったです。加工は、ほぼ一人で作業しました。材料から切り出すのが2~3日、曲げ加工に1週間、溶接に1週間、塗装に3~4日かけて、全体で2週間半かかりました。お昼の12時に大学に来て作業をして、大学から帰るのは夜中の3時とか、1日10時間以上かけて曲げました。本来であれば、2か月かかるような作業を突貫で仕上げました。それでも、大会前夜まで溶接をしていました。 【後藤】部材を決められた箱の中に納めないといけないのですが、設計に甘いところがあって納まりきらなかったため、一度加工したものを削り直し、歪んでしまった部材を大会前夜まで直していました。ビードをあんなに削ったのは初めてだっていうくらい削りました。今年は、アーチ橋を作っている大学が少なかったです。私たち以外にもアーチ橋を作っている大学はありましたが、継手の部分が多くてカクカクしていました。直線を重ねたアーチよりも、鉄骨を曲げてアーチを作った方が綺麗に見えます。 【杉本】他には、塗装も評価されたと思います。私たちの橋は、スクールカラーの茜色をベースにしたキャンディレッドにしましたが、通常、1層から3層くらいで塗装を終わりにするところ、私たちは13層塗りました。シルバーを5~6層、レッドを3~4層、クリアを4層と重ねて塗っていて、車の塗装の層数より多いです。時間をかけた分、仕上りも綺麗になりました。アーチが綺麗でも、塗装が汚かったら、1位を取れていたか分からないです。 今回以上に美観の良い橋は作れるか 【杉本】情報メカトロニクス学科と一緒に製作すればできると思います。建設学科の設備だけでは加工の機械が足りていません。情報メカトロニクス学科には、使いたいと思う設備が全部揃っています。一緒に製作できれば、企業に依頼したのではないかというくらいケタ違いの橋ができると思います。学内に機械は揃っているので、後は使いこなす知識が必要です。 【後藤】ものつくり大学の設備はピカイチだと思います。知識についても、私たちは様々な実習を経験しているから身に付いていると思います。私たちは全員、溶接の資格を持っていますが、他のチームは、溶接担当の人しか持っていないチームもあります。 【杉本】橋の形としては、今回以上のものは作れないと感じます。総合優勝を目指すのであれば、鉄骨を変えて耐力を上げる必要があります。ブリコンで使う材料は「鋼材」とだけ決まっています。鋼材と一言でいっても色々な物がありますから、今使っている鋼材よりも硬い鋼材を使えば総合優勝を狙えるかもしれません。ただ、今より費用がかかり、溶接も加工も大変になるという問題があります。 【後藤】他には、橋を車上橋にすることも考えられます。吊り橋にしてワイヤーを上手く使った形ができたら、今回の橋より格好良い橋ができると思います。ただ、架設にかかる時間と耐力を考えると、今回の橋の形のバランスがベストだと思います。 プレゼン競技で伝えたかったことは 【後藤】大学の実習でも、要点をまとめて施工フローを作っているのですが、それと同じ感覚でプレゼン資料を作りました。文章は少なくして、写真と言葉で伝えることを心がけました。1番伝えたかったのは製作過程です。杉本さんが頑張ってくれた分、うまく伝えたいと思っていました。製作風景の写真を説明していた時に、審査員の方に「企業に依頼したのですか?」と聞かれましたが、杉本さんの作業している写真が学生の作業風景に見えなかったみたいです(笑)。 昨年の大会から成長していたことは 【後藤】チームメンバーとは、1年間一緒に研究をしてきたから、コミュニケーションが上がっています。誰が何をできるのか分かっているため、仕事も振りやすかったです。加工ができるからとか、去年もプレゼンやったからとか、架設のリーダーはまとめる力があるメンバーにやってもらうとか。1年で人となりを知れて、それぞれの得意分野を知れたから仕事を任せることができるようになりました。 総合優勝するために必要なこと 【杉本】自分たちだけで処理しないで、大学全体を巻き込んで作れると良いと思います。今のままでは、加工の知識や技術があっても、他で負けている部分があります。例えば、美観の面では、他のチームにはカラーコーディネーターの資格を持っている人や、デザインのセンスがある人がいます。でも、私たちの橋は、デザインはあまり凝っている方ではありません。そこで、デザインに強い人がいたら、その人のデザインを基に、「じゃあ、こうしたら耐久性も上がるよ」ということができます。また、チームの人員に限りがあり、製作に時間をかける分、設計と解析にかけられる時間が少ない現状があります。 【後藤】他には、アーチ橋ではなく、早く架設できる橋にすることや、知識を深めて解析をしっかり行い、強い構造の橋にすることも考えられます。解析の知識があれば、色々な形をどんどん解析にかけて強い形を検討することができます。今は知識が無いから、解析通りの結果が出ずに、橋が想定以上にたわんでしまっています。 橋梁の魅力は 【杉本】橋は人の目に付くところが魅力です。ビル等の建築物だと自分が製作した鉄骨が隠れてしまいますが、橋なら完成した後も鉄骨が見えます。橋は人が通る所に作りますし、運送がロボットに変わって自動になっても橋が無くなることはありません。 【後藤】単純に橋は格好良いと思っています。そして、橋は人の生活を良くするためにあり、人が住んでいる限り無くなりません。住宅は古くなると壊してしまいますが、橋は補修されてずっと残ります。それに、橋には色々な形があって、変わった形の橋を作ることができるのも魅力です。 ブリコンの経験は今後に活かせるか 【後藤】ブリコンを通じて、色々な形の橋を知りました。私は橋梁関係の企業で施工管理に就くため、工程についても、誰に仕事を振って、次の作業は何か、工程はどの程度あるか、安全やKY(危険予知)等も心がけるようになりました。ブリコンで、設計の知識も製作の知識も身に付き、それぞれの工程についても知ることができました。 【杉本】後藤さんと同じく、設計と製作などの他の工程を担当している人とのコミュニケーションの取り方が身に付いたと思います。他には、今回の製作では工程計画も無く、自分の限界までやってしまったから、しっかり工程計画を作れるようになったら、工程を管理できたかなと思います。 関連リンク 建設学科WEBページ 建設学科 橋梁・構造研究室(大垣研究室)

  • F3RC大会で強豪校を下して優勝した3人の1年生。その快挙の本質に迫る!

    皆さんはロボットに興味はありますか。 鉄腕アトムや鉄人28号、ガンダムなど、当時は夢物語で、子供の心を掴んで離さない存在でした。しかし現代は目覚しい技術の発展により、ロボットの存在は夢物語ではなくなっています。ロボットは多様な技術が結集したシステム。ものつくり大学にもロボット製作に熱く取組んでいる学生たちがいます。ロボコン界の新人戦ともいえるF3RC(エフキューブロボットコンテスト)で優勝した学生たちにロボットの魅力と今後の目標についてインタビューしました。 NHK学生ロボコンプロジェクト ■チーム名/SRG MOF ■チームメンバー 藤野 楓土さん(情報メカトロニクス学科1年) 茂木 柊斗さん(情報メカトロニクス学科1年) 大出 将太さん(情報メカトロニクス学科1年) ■F3RC(エフキューブロボットコンテスト) 開催日:2022年9月24日(土)~25日(日) 会場:東京大学本郷キャンパス 参加大学:東京大学・慶應義塾大学・早稲田大学・明治大学・東京工科大学・工学院大学・千葉工業大学・ものつくり大学 優勝おめでとうございます。新人戦とも言えるロボット大会で優勝できた要因は? 【藤野】予選勝ち抜けのじゃんけんかなぁ(笑)。今回、予選で1位が3組出ましたが、TOPで勝ち抜いて、その後の準決勝、決勝とパーフェクトの試技でした。大会前に起きていたトラブルが全くなかったことが大きな要因です。 【茂木】足回りに特殊なプログラムを用いました。当日の現地では短時間でのパラメーターの調整に苦労しましたが、競技では問題なく動いてくれました。個人的には優勝したことよりも他大学の遊びゴコロあるロボットへの仕掛けが見られて良かったです。 【藤野】他大学の学生に「おめでとう」と声掛けされましたし、大会後の交流会では名刺交換もしました。今でもやり取りをしていまして、ものつくり大学へ見学に来たいと言われてもいます。本学では、加工も一からマシンを使える環境にあり、だいぶ羨ましがられています。 3人のチームワークも大きな勝因だったのでは? 【大出】お互いに楽しく、やりたいことをやっていました。話し合いながら、どういうところを改善したらよいか、前向きに取り組むことができました。目標があったから、お互いを理解し合うことで一つにまとまったのかなぁ。偶然にできたチームですが、まとまったのは必然ですかね。 【藤野】大出くんが設計と加工、茂木くんが加工、自分は制御と設計を担当しました。設計を2人で進めていて、設計が終わったら、加工にかかりました。加工作業は1日で済ませてくれましたが、組立ての時間や制御に時間をかける中、ルールの理解を深めるなど、それぞれが自分のペースで行いました。ロボットが動き出してからは、茂木くんも毎日参加してくれて、コート整備など雑用も進んでやってくれました。チームですが、相方って感じです。 強豪校ばかりのライバル校については 【藤野】緊張したぁ。 【大出】大会に臨む段階でやるだけはやってきたので、あとは操縦者の2人の緊張をほぐすようにと思っていました。対戦相手の様子やタイムを気にかけながら、2人に声掛けしていました。 【茂木】意外と2人は緊張していましたね。私は他大学をみても特に緊張はしなかったです。それよりも自分の操作がうまくいくよう全力を出すように心がけていました。 【藤野】他校のロボットには面白さを求めたことでの形状や動き方の違いを見ることができました。またサッカーがテーマだったので、蹴ることを重視したアイデアなど作業していたら楽しいだろなと思いました。いまはもっと自分たちの世界に没入しても良かった気もしています。 ロボットづくりに興味をもったのは、いつから? 【大出】高校は普通科なので、ロボットに触れるのも、まして大会へ出るなど入学時には考えられませんでした。NHKロボコンプロジェクトを知り、先輩方から色々と説明を聞いて、設計に関われたらと思いました。 【茂木】高校で設計と加工を学んできたので、当然大学でも関わりたいと思っていました。このチームでは加工分野を担当しましたが、先輩たちが講習会を開いて、丁寧に教えてくれましたので、いまでは一人で作業ができるようになりました。  【藤野】ロボコンに関わりたい、大会に出たいという強い気持ちで入学しました。高校から制御設計の経験もあって、今回は制御・設計担当でしたが、いまは先輩たちを目指して頑張っています。 今回のロボットですが、技術的に難しかったところは 【藤野】上部の手の部分やエアシリンダーを使った発射機構が難しかった。最初は大きすぎてロボットのサイズに合いませんでした。足回りパーツの組み合わせを調整するときに、耐久性が下がらないように、切削するのが難しかったですね。結局、課題は軽量化と耐久性のバランスを考慮することでした。 【茂木】本体はすべて加工しています。3DCADでは設計者が作ったデータを変換してプリンターへ送るだけなので、結構複雑な形状も可能でした。加工担当の負担も少なかったです。あとは組立ててから自走させて調整しました。 【藤野】強度をメインにした構造。4回の競技に耐えてくれました。1日10回の事前テストでも、ほとんどの部品は壊れなかったです。学生プロジェクトでは、毎年のデータをバックアップしてあるので、それを共有できるのが強みですね。後輩たちに残してくれています。プロジェクトの大きな特長は、こうして先輩たちが残してくれたプログラムをベースにして製作しているので、ロボットの足回りの作り方が似ていることですね。その上でプログラムを理解して、自分たちなりにゼロから製作していきます。 ところでロボットの魅力とは 【藤野】ロボットを作る方の多くが、人の役に立つものを作れるということに魅力ややりがいを感じているものです。機械や電気、プログラミングなど様々な専門的な知識やスキルを身に付けることで、自分にとって大きな強みとなるところも魅力です。 【茂木】そうですね。ものを作れるというのが楽しい。ものとものが合体して動いているのが面白いし、何が起きるかわからないからドキドキします。想定外の動きがうまくいったり、改良を要したりなど、答えがなくてやり続けてしまうところですかね。 【大出】ロボットは、多様な技術や専門分野が複合的に組み合わさったシステムです。そして、その研究開発は間違いなく面白いと言えます。そのためには専門知識が必要になりますし、それを習得するには基礎学力が欠かせません。プロジェクトでは、それらを身に付けられると思いますので、向上心を持って、能動的に学んでいきたいです。 物怖じしない3人ですが、今後の目標は 【全員】NHK学生ロボコンに出場し、優勝したい。 【藤野】これは最終目標ですが、先輩たちと一緒に、そしてアイデア出しから参画できるようレベルを上げていきたいです。ロボットが作りたくて入学したので、今回の優勝は自信になりました。最近だとカメラを使ったセンサー方式になっていて、他大学では多数搭載しています。これらは技術的なコントロールが難しいのですが、プロジェクトを通してやり遂げたいです。 【茂木】入学して、論理的な思考を持てるようになりました。物事の一つひとつに対して、すごく考えるようになりました。尊敬する高校の先輩のように材料の知識が豊富で、材料の特性を理解していることで瞬時に最適解を出せるようになりたいです。深く学び続けることで得られる言動を見習いたいと思います。また、今大会ではロボットは動かないことが大前提の中で、動いた瞬間の喜びは何事にも代えられません。 【大出】普通科出身なので、入学して生活そのものが変わりました。今回の大会で設計担当になり、知識や技術が身に付いた実感があります。やればやるだけ身に付くと思っているので、今日よりは明日を目指して、自分自身を磨いていくしかないと思います。1人ではなく、仲間も一緒なので面白さは倍増すると思いますね。 関連リンク NHK学生ロボコンプロジェクトWEBページ 情報メカトロニクス学科WEBページ

  • 宇宙開発研究プロジェクト 航空機製作への新たな挑戦

    情報メカトロニクス学科の学生プロジェクト「宇宙研究開発プロジェクト」。ロケットの構造や整備、制御、運用体制などを学生自らが学び、毎年開催されている「能代宇宙イベント」や「種子島ロケットコンテスト」に出場しています。2021年からは新たに「全日本学生室内飛行ロボットコンテスト」への出場を始めました。全日本学生室内飛行ロボットコンテストは、全国各地の高校や高専、大学が出場するラジコン飛行機やドローンについて競う大会です。部門は4つあり、ラジコン飛行機の一般部門と無人操縦部門、マルチコプター部門、機体の特性を評価するユニークデザイン部門があります。2022年9月に開催された同大会の一般部門に出場した機体を製作した鈴木 郁宣さん(総合機械学科3年)、パイロットの吉開 啓冴さん(総合機械学科3年)に伺いました。 宇宙開発研究プロジェクトに入ったきっかけ 【吉開】ものつくり大学に入学したら、自分のやりたい事を見つけて、それをやった方が絶対に未来に活かせると思っていました。いくつか学生プロジェクトがある中で、興味がある宇宙に関連した活動をしている宇宙開発研究プロジェクトに入る事を決めました。 【鈴木】動機は不純ですが、1年生の時にドーミトリ(学生寮)に入っていて、残寮するためには学生プロジェクトに入っていると有利だと先輩から聞いて、何か学生プロジェクトに入ろうと思いました。友人から、宇宙開発研究プロジェクトは色々できるという話を聞き、入りました。 全日本学生室内飛行ロボットコンテストに出場する理由 【吉開】宇宙開発研究プロジェクトには、モデルロケットとハイブリッドロケットの2つの軸があります。ハイブリッドロケットを担当している学生は、ハイブリッドロケットもモデルロケットも製作するのですが、モデルロケットの学生はそれしか無いため、活動の幅を広げるために航空機の製作を始めることになりました。それで、先輩から「航空機を作るなら、全日本学生室内飛行ロボットコンテストに出てみたら」と勧められ、出場を始めました。 今回出場した機体のコンセプト 【鈴木】練習で使う事も想定して壊れにくい機体を第一に考えて、機体の骨組みをしっかり組みました。競技では、宙返りすることもあるため、機動力も重要でした。通常の飛行機は、安定飛行のために翼を大きく長くしています。機動力を出すためには、翼のアスペクト比をできる限り正方形に近付け、翼の幅を短くします。そうすると左右の移動がしやすくなります。また、主翼から尾翼までの長さを短くすると宙返りの半径を小さくすることができます。 大会当日の飛行 【鈴木】練習を重ねた機体に補強をしたら、規定の重量をオーバーしてしまいました。そのため、大会当日にバッテリーを軽いものに変えたのですが、軽くなり過ぎてしまい、練習の時と挙動が変わってしまいました。上手くいったところは、設計段階から機体の整備性を考えていて、モーター部分の取付けを容易にできるようにしていました。競技直前にモーターの不調があり、交換する必要がありましたが、早く交換することが出来ました。 他校の機体から学んだこと 【鈴木】私たちの機体の材料は、木材と発泡ポリプロピレンを使い、レーザーカッターで加工していますが、強豪校には、発泡スチロールを削り出して作っている学校や、電熱線カッターや手作業で作っている学校があります。発泡スチロールを削り出してボディを作った方が、強度と軽量性がある場合もあり、手作業で加工する技術はすごいと思いました。今後は、私たちも発泡スチロールで作ることも検討しています。 来年以降の出場について 【鈴木】優勝を目指して出場を続けます。今回は、本番で操縦が上手くいきませんでしたが、機体のスペックを活かすことができれば十分優勝を狙える機体だったと思います。優勝するためには、操縦技術が必要になると思います。 今後の宇宙開発研究プロジェクトの活動予定 【吉開】3月の種子島ロケットコンテストに出場予定です。今は、種子島ロケットコンテストを想定した機体を作っていて、近日中に部内戦を行います。この部内戦を経て、種子島ロケットコンテストに向けたチームを作っていきます。 宇宙開発研究プロジェクトで学んだ事、成長した事 【鈴木】パーツを設計するために毎日のようにCADを使っているため、CADや設計について知識が深まりました。 【吉開】私たちが入学した時は、コロナ禍で大学に行くこともあまり無くて、なかなか友人ができませんでした。しかし、1年生の9月にこのプロジェクトに入ってからは、友人関係が広がり、色んな学生がいるため趣味や知識を深めることができるようになりました。 今後の目標 【鈴木】宇宙開発研究プロジェクトとしては、種子島ロケットコンテストで優勝を目指します。その他にも色々な大会に出て、結果を残したいと思っています。個人としての目標は、後輩を育てることです。特に航空機のパイロットが私と吉開さんしかいないので、良いパイロットを育てる必要があります。機体の製作についても、今回出場した2機とも私が作っているため、航空機体の製作も教えていく必要があると思っています。 【吉開】大学からの資金援助を受けるためにも、色々な大会で結果を出し続ける必要があります。最近、NHK学生ロボコンプロジェクトが実力を付けてきているので、負けないように頑張ります。 関連リンク ・でっかいロケットを作りたい-1年生ながらリーダーとして種子島ロケットコンテスト優勝!-・宇宙開発研究プロジェクトWEBページ・情報メカトロニクス学科WEBページ

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  • 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」③(全4回)~ものづくりがマーケットを変える~

    ―特別版②「理工系に必須の『伝えるすべ』」の続きです。 柳瀬博一先生(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 教授)を講師に招き、2022年11月24日に開催された教養教育センター特別講演会の内容を全4回にわたりお届けします。 「リベラル・アーツ」「教養」。普段、よく耳にする言葉ですが、その定義は実は曖昧です。柳瀬博一先生が講演の中で、『広辞苑』から参照していますが、やっぱり、「よく分からない」。人によって解釈や定義が異なりがちな「リベラル・アーツ」について、時に古代ギリシャまで遡り、時に自身の著作の事例を交えて、目まぐるしく変わる現代に必要な「リベラル・アーツ」について解き明かします。 第3回です。現代はスマホによって、誰もがメディアになれる時代になりました。そのメディアを構成する3つのレイヤー、そして理工系とリベラルアーツのつながりについて紹介します。 【教養教育センター特別講演会 開催概要】 日時:2022年11月24日(木)14:00~15:20 場所:ものつくり大学 大学本部 A3010大講義室 参加者:本学学生、高校生、一般、教職員 約220名 開催方法:オンライン・対面のハイブリッド 誰もがメディア化した さらに言うと、企業も大学もマスメディア化しています。インターネット革命の結果です。東工大のサイトも、もうメディア化を進めていますし、さらにコロナになって誰しもがメディア化するのが当たり前になりました。学生の皆さんも先生方も、Zoomや何かで授業を行ったり情報発信したりする。テレビに出ていることと何も変わらないのです。 誰もがマスメディア化したということです。実際にマスメディア化した個人をさらにテレビが放送する逆転現象まで出てきています。池上氏を撮るZoom講義をテレビ東京が来て取材するという、舞台裏の舞台裏を撮るみたいなことが現実に起きている。 池上氏のZoom講義を取材するテレビ東京 では、それを今起こしている道具は何か。テレビや新聞や雑誌ではない。スマホですね。スマホとネットがあれば誰でもマスメディアになれる。ユーチューブの情報発信、あるいはTikTok、ツイッターはスマホでできる。ネットにつなげれば、誰でもマスメディアになれるのです。 皆さんのお手元にあるスマホには、過去のメディアがすべて入っています。AbemaTVは典型ですけれども、NHKプラス、TVer、全局が何らかの形で行っています。ちなみに、これも日本が遅れています。世界中のテレビ局は、フルタイムをインターネットで見られます。 ラジオはRADIKOやラジオクラウドということで、こちらもほぼ聞けますよね。音楽はSPOTIFYがスタートでしたけれども、アマゾン、アップルなどでも聴ける。要するに、ほとんどすべての曲がもう今スマホで聴けます。 書籍はもちろん、アマゾンを筆頭に電子書籍で読めるし、ゲームも大半はアプリでできる。すべての新聞がアプリ化しています。唯一気を吐いているのは漫画です。小学館、講談社、集英社は去年、一昨年と過去最高収益です。漫画だけは電子のほうに移って、さらに知的財産コンテンツビジネスに変わった。『少年ジャンプ』(集英社)は、1996年に630万部が売れました。2022年の4月でもう129万部です。それだけ見ると、マーケットが激減したと思うのですが、漫画マーケットの売上げは、かつてのピークが4500億円、今は6000億円です。電子書籍も課金ができるようになった。まったく変わったのです。 しかも、ここからスピンアウトした漫画やアニメーションがNetflixやアマゾン・プライムで拡散していくので、知的財産ビジネスの売上が桁違いになっています。雑誌もDマガジンをはじめとして、ウェブになりました。 映画を含む新しい映像プラットフォームとしてNetflix、アマゾン・プライム、Hulu、U-NEXTなど実に多彩です。SNSは従来の手紙や独り言ですね。電話もできる。 メディアは理工系が9割 では、スマホは何か。ハードですね。ハードは本来科学技術の固まりです。 新しいメディアは、コンテンツが先に生まれるわけではない。新しいハードウェアとプラットフォームの誕生によって生まれてくるものです。 古い例で言えば、ラジオ受信機が誕生して初めて人々はラジオを聴けるようになった。ラジオ受信機がないと、ラジオを聴取する構造ができない。あるいはテレビ受像機が誕生して初めてテレビを視聴できるようになった。 ソニーで言うと、携帯カセットテープレコーダーというマーケットはなかった。ウォークマンが先です。概念を具体化することが大切で、マーケットは後からできる。その順番がしばしば勘違いされています。常に具体的なピンポイントの製品からマーケットは広がっている。 同じようにスマホが登場して初めてネットコンテンツをどこでも見られる構造ができる。概念が先ではないのです。具体的なハードウェアが先に誕生したからです。 マーケットを変えるのは常に製品、すなわち、ものづくりです。この大学の名前のとおり、ものづくりがマーケットのゲームチェンジを常時行います。 むしろ、ここ20数年間のものづくりの世界は、決定的に外部化、すなわちアウトソースするパターンが増えました。アップルは自社でほとんど作っていない。アパレル業界に近いのです。ナイキやオンワード樫山、あるいはコム・デ・ギャルソンは自社で製品は作らない。つくっているのは概念です。概念をつくって、設計図を渡して、ものづくりは協力工場に発注しています。トヨタ自動車をはじめ、メーカーは今それを相当行っている。自社でつくっているのはごくわずかです。 例えば、アップルがワールドエクスポでiPhoneの発売を発表したのは2007年です。まだ14~15年しかたっていない。ソフトバンクの孫正義社長が頼み込んで、2008年、iPhone3G、KDDIが入ったのは、東日本大震災「3・11」の後のことでした。2011年10月です。だから、3・11が起きたときは、スマホはまだ誰も持っていなかった。あのとき、さまざまな映像が飛び交いましたけれども、携帯電話によってでした。ユーチューブではなく、ほとんどはユーストリームです。 だから、今のスマホ、ユーチューブの世界はだいぶ前からあるように錯覚していますが、まだ10年もたっていない。最近といってよいのです。ドコモが参入してからまだ10年もたっていない。 では、何がゲームチェンジャーになったか。ドコモ、KDDIもソフトバンクも関係ない。アップルです。アップルがiPhoneという概念を製造して、形にして爆発的に普及させた。グーグルなどが追随して、ギャラクシーなどのスマホを作った。だから、マーケットのほうが製品より後です。これも勘違いされています。順番から言ってiPhoneが先でスマホが後です。 情報生態圏の基盤 メディアは、次の3つのレイヤーからできています。 ハードウェア、コンテンツ、プラットフォームです。ハードウェアは再生装置です。コンテンツは番組その他、プラットフォームは、コンテンツのデリバリー・システムです。この3つがメディアの情報生態系の基本なのです。 ラジオの場合は、ハードウェアはラジオ受信機ですね。コンテンツはラジオ番組です。プラットフォームは放送技術、放送局の仕組みです。テレビも同様ですね。テレビ受像機に替わるだけです。 新聞の場合は、紙の束がハードウェアです。コンテンツは記者の書く記事、プラットフォームは新聞印刷と宅配の流通システムです。だから、ある意味で新聞は究極の製造業です。ほとんどを自社で行っている。 出版社は、ハードウェアは書籍や雑誌の紙の束、コンテンツは記事、小説、テキストです。プラットフォームは出版流通と印刷になります。レイヤー構造から読み解くと、出版と新聞は似て非なるものです。メディアで自社が何も行っていないのは出版です。出版はアイデア・ビジネスなのです。 ゲーム、ハードウェアはゲームソフトとゲームプレイヤーです。プラットフォームは個々のゲーム規格ですね。ゲーム規格によって再生できるゲームが違います。それを行っているのは任天堂、あるいはマイクロソフトのXボックスなどを想起するとよい。 究極にわかりやすいのが、聖書です。聖書は紀元前1400年前です。今から3400年前に「十戒」ができる。このときは粘土板なわけです。粘土板に「十戒」が刻まれている。この場合コンテンツは「十戒」ですけれども、プラットフォームは当時生まれたばかりの文字、ハードウェアは粘土板ですね。「死海文書」になると、羊皮紙にきれいな手書きとなる。ということは、コンテンツは同じです。ハードウェアは羊皮紙、プラットフォームは羊皮紙を作る技術です。 さらに15世紀のグーテンベルグの活版印刷になります。一気に聖書がベストセラーになります。ハードウェアは紙の束になります。コンテンツは同じ聖書です。プラットフォームは活版印刷工房です。それが500年たつと、世界最大のベストセラーになる。 これが電子版に変わるとどうなるか。ハードウェアはキンドルやスマホになる。聖書のコンテンツは変わりません。プラットフォームはキンドルの規格であるインターネットです。スマホになると、今度はアプリになります。ハードウェアはスマホです。この場合もコンテンツは変わらない。プラットフォームはアップル、グーグルのApp storeになったとしても、聖書の中身は変わらないのです。変わっているのはプラットフォームとハードウェアです。 今見ていてもわかりますが、メディアのハードウェアとプラットフォームは、科学と技術の進歩で変わるものです。特にインターネットの時代になって、ハードウェアが一気に進化していきます。ということは、ハードウェアの変化が新しいメディアです。けれどもコンテンツはほとんど変わっていない。優良なコンテンツは、ハードウェアとプラットフォームが変わるごとに、中身を変えずに少しずつ表現を変えているだけで、本質的には変わっていないのです。 結局、どういうことか。前者のハードウェア制作は理工系の仕事なのです。後者のコンテンツは伝えるわざだから、リベラルアーツの産物ということです。これは理工系、文系ではない。ここには理工系、文系、アートなどのあらゆる知識が入っている。 ―特別版④「16号線の正体とリベラルアーツの本質」に続きます。 Profile 柳瀬 博一(やなせ・ひろいち) 1964年静岡県生まれ。東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。雑誌「日経ビジネス」の記者、専門誌の編集や新媒体開発などに携わった後、出版局にて『小倉昌男 経営学』『矢沢永吉 アー・ユー・ハッピー』『養老孟司 デジタル昆虫図鑑』『赤瀬川源平&山下裕二 日本美術応援団』『社長失格』『流行人類学クロニクル』など書籍の編集を行う。2018年4月より現職。著書に『国道16号線』(新潮社)、『親父の納棺』(幻冬舎)、共著に『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』(小林弘人と共著 晶文社)、『「奇跡の自然」の守りかた』(岸由二と共著 ちくまプリマ―新書)、『混ぜる教育』(崎谷実穂と共著 日経BP社)。 関連リンク 教養教育センターWEBページ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」①~東京工業大学のリベラルアーツ~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」②~理工系に必須の「伝えるすべ」~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」④(全4回)~16号線の正体とリベラルアーツの本質~

  • 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」②(全4回)~理工系に必須の「伝えるすべ」~

    ―特別版①「東京工業大学のリベラルアーツ」の続きです。柳瀬博一先生(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 教授)を講師に招き、2022年11月24日に開催された教養教育センター特別講演会の内容を全4回にわたりお届けします。「リベラル・アーツ」「教養」。普段、よく耳にする言葉ですが、その定義は実は曖昧です。柳瀬博一先生が講演の中で、『広辞苑』から参照していますが、やっぱり、「よく分からない」。人によって解釈や定義が異なりがちな「リベラル・アーツ」について、時に古代ギリシャまで遡り、時に自身の著作の事例を交えて、目まぐるしく変わる現代に必要な「リベラル・アーツ」について解き明かします。第2回は、日本の大学、とりわけ理工系が抱える課題である女子率の低さに始まり、リベラルアーツの源流、そして、リベラルアーツとは何であるか紐解いていきます。【教養教育センター特別講演会 開催概要】日時:2022年11月24日(木)14:00~15:20場所:ものつくり大学 大学本部 A3010大講義室参加者:本学学生、高校生、一般、教職員 約220名開催方法:オンライン・対面のハイブリッド 女子率の低さという問題 日本はトップ大学の女子比率が低いままです。とりわけ理工系は低い。東工大も例外ではありません。世界的でもまれに見るひどい状態です。大学教育がまだ途上にある事実を示している。 誰しもが危機感を抱くべきなのですが、日本の高学歴学生たちもそれが問題とは認識していない。これは日本のどこへ行っても変わりません。       日本がどのくらい遅れているか。データを見ると明らかです。 東京大学でたった19.3%です。京都大学22.5%、一橋大学で28.4%です。これらの数字を見るとおおよそわかりますね。早稲田大学、慶應義塾大学もともに4割に達していません。 では、世界はどうか。世界の大学ランキングを見ると、女子の比率はオックスフォード大学で47%、カリフォルニア工科大学36%、ハーバード大学もほぼ1対1です。スタンフォード大学は46%、ケンブリッジ大学は47%、ほとんど1対1です。MIT(マサチューセッツ工科大学)も4対6です。MITは2000年代に学長と経済学部長がそれぞれ女性でした。プリンストン大学は47%です。UCバークレーは女性が多い。イェール大学も同様です。 興味深いのはジョンズ・ホプキンス大学ですね。世界最高峰の医学部を持つ大学です。女性のほうが多い。ペンシルバニア大学は世界最高峰のMBAを持つ大学です。スイスのETHですら、3割は女子です。北京大学、清華大学も同様です。 こうして見ると、女子比率は、コーネル大学、シンガポール国立大学いずれも、1対1です。デューク大学も女子のほうが多い。 日本の問題がおわかりと思います。東大も京大も東工大も入っていない。問題は深刻です。人口における男女比率は1対1です。男性と女性に生まれついての知的能力差はありません。男性の方が理工系に向いているというのも嘘であることが数多くのデータから証明されております。あらゆる日本の大学がこの異様に低い女子比率を変えなければいけません。東工大では今女性が増える戦略を取り始めています。ご期待ください。 リベラルアーツとは「伝えるすべ」である リベラルアーツ教育についてお話しします。大学に加わって改めて感じたのは、リベラルアーツ、あるいは教養については、案外定義がきっちりしていない、ということでした。 『広辞苑』(岩波書店)に載っている「リベラルアーツ」の定義を参照しましょう。 「教養、教え育てること、社会人にとって必要な広い文化的な知識、単なる知識ではなくて、人間がその素質を精神的・全人的に開化・発展させるために学び養われる学問や芸術」とある。 よくわからない定義です。 リベラルアーツとは、「職業や専門に直接結びつかない教養。大学における一般教養」、こう書いてあるわけですね。これらは、日本の現実を表現しています。要するに、般教(パンキョー)がリベラルアーツだと信じ込まされてきた。 考えてみてください。文科系大学に進むと、生物学や数学や物理学、一般教養として履修しますね。東工大のような理科系大学に行くと、政治学、経済学、哲学、文学は一般教養になる。ということは、学問分野と教養教育、リベラルアーツ教育とは、関係がないことになる。先の『広辞苑』の設定が近い。だから大学生からすると、専門に移るまでにぬるく教わるクイズ的知識みたいなものを何となく教養と思っている。クイズ番組が教養番組として流れているのは、逆に言うとマーケットの認識を正確に反映しているということです。 こういうときは、源流を紐解いてみるのがよい。リベラルアーツの由来は何なのか。 リベラルアーツとは、古代ギリシャの「自由七科」が源流です。2種類あります。言語系3つ、文法・弁証法、あるいは論理学、さらに修辞学です。数学系では4つ、算術・幾何学・音楽・天文学です。リベラルアーツは「アルテス・リベラレス」ですね。 もともと紀元前8年、ポリス(都市国家)が古代ギリシャに生まれたときに、自由市民と奴隷に分かれていました。その頃の奴隷とは、現場仕事に従事する人々です。それぞれの必須知識がパイデイアとテクネーです。学ぶことが違う。パイデイアは、どちらかというと教養のイメージ、テクネーは実学です。 理由の一つは、ギリシャの弁論家イソクラテスが修辞学校をつくったことにあります。その頃は、演説が重視されていた時代だったので、弁舌を磨くための学校ができたわけです。それが修辞学です。さらに、演説のときは比喩を使いこなす必要がありました。古典を見栄えよく用いなければならない。そこで文法を教え、さらに演説で説得力ある美しい論理展開のために弁証法を学ぶ。その段でいくと、弁論術の一環として、先の語学系教育の基盤ができた。アルテス・リベラレスの言語系三科はこれらにあたるわけです。 では、数学系はどうか。かの哲人プラトンです。プラトンがアカデメイアをつくる。イソクラテスとは対照的に、世界は法則に満ちていると言ったのがプラトンですね。そこで、プラトンは算術、幾何学、そして世界の音を分割して数字で表す音楽、そして、地球から見る世界のことわりを探求する天文学です。 イソクラテスとプラトンは互いに反目し合っていたのですけれども、その後、セットにして教えるのがふさわしいということで、ローマ時代になって7科の原形ができる。クアドリウィウム、算術・音楽・幾何学・天文学を四科でクリドル、4つです。文法・修辞学・弁証法を三学、トリウィウムですから3つですね。 上級学校は3つありました。神学部、要は聖職者養成です。ローマ・カトリックが強大な力を持っていたためです。次に法律、政治家養成ですね。そして医学、内科医。まさに教養課程として7科、リベラルアーツの7学科があったということです。 ではこのリベラルアーツ7科とはなんでしょうか。実は全て「伝えるすべ」なんです。 イソクラテスの方は、言葉、物語です。文系的な「伝えるすべ」ですね。すなわち、いかに物語の構造で人に世界をわかりやすく伝えるかに関わっている。 プラトンの方は、数学です。理工系的な「伝えるすべ」です。算術、幾何学、音楽、天文学を使って、やはり人にわかりやすく、論理的に世界を伝える。文系、理工系のそれぞれの方法を使った「伝えるすべ」がリベラルアーツと呼んでいたということになります。つまり「伝える力」、すなわちメディア力です。 メディア力こそが教養の根幹である。池上彰氏や出口治明氏(APU(立命館大学アジア太平洋大学)学長)の本がよく読まれています。これらはお手軽に見えますが、実はそうではない。あの2人の取組みがリベラルアーツの本質を構成している。  一人ではわからないことを、まさに物語と論理で教えてくれているからです。だから、専門家はリベラルアーツの能力を持ち、わかりにくいことを伝えるすべを持つことが必要で、教養とは伝える力にかかっているのです。 理工系はメディアの当事者 そこでメディア論です。私は東工大でメディア論を教えています。 まず、理工系出身者はメディアの当事者であると伝えます。 というのも、理工系出身者が今ますますジャーナリズムの担い手になっている。そもそもメディア仕事は8割が理工系の仕事です。だから、理工系の学生にとって、メディアについて学ぶことは、伝える力、リベラルアーツそのものであり、同時に本業と心得るべきです。これが意外と認識されていません。 では、なぜ当事者なのでしょうか。 大隅良典先生は東工大の教授です。2016年10月のノーベル賞学者です。大隅先生がノーベル賞を受賞したとき、東工大のすずかけ台キャンパスで記者会見が行われています。まさに、メディアの当事者ということだ。まさにリベラルアーツが要求されるわけです。世界の誰よりも詳しい知識を、誰にでもわかりやすく説明することが期待されているからです。 私が徹底的に教えているのは、情報発信の仕方に関わっています。「伝える力」としてのリベラルアーツは理工系の研究者にとって必須の道具です。なぜなら、論文を執筆する、学会発表を行う、研究室でプレゼンする、あるいは経営会議に入って理工系のことがわからない投資家に資金を拠出してもらう、新製品を記者会見でレクチャーする、いずれも説明がきちんとできないと話にならない。すべてメディア当事者の仕事なのです。 さらに言うと、メディア・ジャーナリズムの取材対象としては、好むと好まざるとにかかわらず、アサインされる事案は理工系の人ほど多いのです。研究失敗の記者会見、工場の事故の説明、会社の研究・技術関係の不祥事。典型は福島の原発事故でしたね。東京電力福島第一原子力発電所所長の吉田昌郎氏は東工大の出身者ですが、吉田氏の伝える力が現場を救った。  現下のコロナなどはさらに典型と言ってよい。例えば西浦博氏(北海道大学教授)は、「8割おじさん」で知られますが、「8割」というわかりやすいキャッチコピーで、集団の公衆感染問題を相当に回避できた。マスク着用や人との接触を8割減らすと、指数関数的に感染を減少させられると指摘した。背景には複雑な計算が存在しつつも、キャッチコピーとして「8割」を使ったわけです。天才的な伝える力です。 このような人々は、科学と技術をよく理解した上で、しかもわかりやすく、受け手に目線を合わせて、根気強く伝えた。日本のコロナ対策はいろいろ言われていますけれども、最終的に感染者数・死者数の圧倒的には少なさは紛れもない事実です。専門家がジャーナリストになってくれたおかげです。 理工系の出身者はジャーナリズムにとって必須の存在になっています。というのは、時代の変革期は、テクノロジーの変革期であり、テクノロジーを誰にでもわかるように説明できるかどうかが重大な意味を持つためです。文系出身者がそれを行うのは相当に困難です。理工系出身者がリベラルアーツ力を生かしてメディアになってもらわなければ世の中が困ります。 ―特別版③「ものづくりがマーケットを変える」に続きます。 Profile   柳瀬 博一(やなせ・ひろいち) 1964年静岡県生まれ。東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。雑誌「日経ビジネス」の記者、専門誌の編集や新媒体開発などに携わった後、出版局にて『小倉昌男 経営学』『矢沢永吉 アー・ユー・ハッピー』『養老孟司 デジタル昆虫図鑑』『赤瀬川源平&山下裕二 日本美術応援団』『社長失格』『流行人類学クロニクル』など書籍の編集を行う。2018年4月より現職。著書に『国道16号線』(新潮社)、『親父の納棺』(幻冬舎)、共著に『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』(小林弘人と共著 晶文社)、『「奇跡の自然」の守りかた』(岸由二と共著 ちくまプリマ―新書)、『混ぜる教育』(崎谷実穂と共著 日経BP社)。 関連リンク 教養教育センターWEBページ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」①~東京工業大学のリベラルアーツ~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」③(全4回)~ものづくりがマーケットを変える~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」④(全4回)~16号線の正体とリベラルアーツの本質~

  • 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」①(全4回)~東京工業大学のリベラルアーツ~

    柳瀬博一先生(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 教授)を講師に招き、2022年11月24日に開催された教養教育センター特別講演会の内容を全4回にわたりお届けします。「リベラル・アーツ」「教養」。普段、よく耳にする言葉ですが、その定義は実は曖昧です。柳瀬博一先生が講演の中で、『広辞苑』から参照していますが、やっぱり、「よく分からない」。人によって解釈や定義が異なりがちな「リベラル・アーツ」について、時に古代ギリシャまで遡り、時に自身の著作の事例を交えて、目まぐるしく変わる現代に必要な「リベラル・アーツ」について解き明かします。第1回は、柳瀬博一先生が在籍する東京工業大学のリベラルアーツ教育の歴史、特徴的なカリキュラムについて紹介します。【教養教育センター特別講演会 開催概要】日時:2022年11月24日(木)14:00~15:20場所:ものつくり大学 大学本部 A3010大講義室参加者:本学学生、高校生、一般、教職員 約220名開催方法:オンライン・対面のハイブリッド 東京工業大学のリベラルアーツ教育 私が現在在籍する東京工業大学は、リベラルアーツ研究教育院を2016年から開設しています。国立大学でリベラルアーツを冠に持つ学部・学院は、東工大が初めてかもしれません。 私は日経BP社という出版社で、記者、編集者、プロデューサーの業務に携わってきました。メディアの現場に身を置いてきました。その私がご縁がありまして、2018年から東工大のリベラルアーツ研究教育院に参加することになりました。現在は、テクノロジーとメディアの関わりあいについて、学生たちに教えております。 まず、東工大がどのような教養教育を行っているのか、大きな特徴は、教養教育を1年生から修士、博士課程で一貫して行うこと。大学の教養課程って、普通1年生2年生でおしまいですよね。東工大は学部4年、修士2年、さらに博士課程でもリベラルアーツ教育を施しています。 改革以前から、東工大はリベラルアーツ教育ではしかるべき定評を得てきた大学です。特に戦後新制において、東京大学をしのぐほどに進んでいるとされた時代がありました。そのときは小説家の伊藤整、KJ法で著名な川喜田二郎など日本のリベラルアーツの牽引者となる人たちが教鞭をとっていました。比較的近年では文学者の江藤淳氏がその列に加わります。 1990年代、大学の実学志向が強くなったときに、教養教育部門は、あらゆる大学で細っていった。その反省もあって、2000年代から再び大学の教養教育を見直す趨勢の中で、リベラルアーツ教育復権の旗印のもと東工大が目指したのは、いわゆるくさび形教育、教養教育を必須とする授業構成になります。 そのために、環境・社会理工学院をはじめさまざまな「縦軸」の大学院と学部をセットにした学院が設立され、他方で「横軸」だったリベラルアーツ研究教育院を組織として独立させた。現在60数名の教員が在籍しています。 もう一つ興味深いのが、東工大は理工系の大学ながらも、学部生が、リベラルアーツ研究教育院の教員のもとで研究を行う道が用意されています。大学院では、社会・人間科学コースが設置されており、人文科学系の学生が多く在籍しています。他大学や海外から進学してくる人もいれば、社会人入学の方、そして学部時代は東工大で理系だった学生もいます。私のゼミも昨年度の学生は東工大の内部進学者でした。情報工学を学んだあと、2年間みっちりテクノロジーとメディアの革新について素晴らしい修士論文を書き上げて、修了しました。最近、サントリー学芸賞を取った卒業生も、この大学院からは出ております。東工大というと理工系のイメージが強く、事実理工系の大学なのですけれども、リベラルアーツからも専門家も育っています。 先鞭をつけた池上彰氏 東工大がリベラルアーツ教育を復権させようと考えたのは2010年代初頭からとなります。このときに基盤を固められたのが哲学の桑子敏雄名誉教授、そして2022年春までリベラルアーツ研究教育院初代学院長を務められた上田紀行教授でした。その折に、大学の目玉になる先生を呼ぼうと考えた。しかも、純粋なアカデミシャンではなくて、リベラルアーツを広く豊かに教えられる外部の先生を呼ぼうということになったのです。白羽の矢が立ったのは池上彰氏でした。 リベラルアーツ研究教育院では、大学入学と同時に全学生が「立志プロジェクト」を受講します。2019年までは、大講堂で池上彰さんや外部から招いた専門家が講義を行いました。ここ3年はコロナ禍に対応して、動画配信で対応しています。これまでに劇作家の平田オリザ氏、水俣病のセンターの当事者の方など多彩な方が壇上に上がり講義を行っています。 次の週は、大学としては珍しいことですが、クラスを作るのです。27~28人を40組、リベラルアーツの先生全員が担任を持ちます。グループワークを行って、登壇者の話を批評的に論じるのです。グループワークでは自己紹介を行い、互いの人となりを知った上で、授業のサマリーをまとめて発表する。計5回繰り返し、最終的にこの大学で何を学びたいのか、つまり「志」を提出してもらい、まとめて発表する。大切なのは、必ず発表を伴うものとすることです。これが立志プロジェクトの「少人数クラス」の基本進行デザインです。 しかし、これで終わりではありません。3年生の秋には「教養卒論」の授業があります。普通、3年生になったら専門課程に進んで、教養科目の授業はおしまい、という大学が多いと思います。東工大は3年生全員が秋冬の15回の授業で、自分のこれから進む分野や興味と3年間で身につけた教養を掛け算して1万字の「教養卒論」を書いてもらうのです。最終的に優れた論文は表彰します。翌年夏には教養卒論の発表会を大講堂で行います。相当数の学生が集まります。見栄えのするパワポを準備して、本気で発表に臨む。 教授陣の紹介サイト それともう一つ、私が東工大に移籍して取り組んだしごとについてもお話しておきましょう。それは大学の教授陣の紹介サイトをつくることでした。日本の大学は公式の教員プロフィールが一覧で見られるサイトがあまりないんです。これは私がメディアにいた頃から、疑問に思っていたことでした。企業もIR関連情報のところに役員の詳しいプロフィールが載っていないことがあります。企業のIRで重要なのは、経営陣の顔が出ていること、人柄がわかること、活動内容がクリアであることです。つまり、経営陣自体がコンテンツになっていなければならない。 では、大学はどうか。大学における最大の財産は―最終的には学生ですけれども―入学時においては教授陣ですね。メディア出身の特技を生かして東工大のリベラルアーツ研究教育院のインタビューサイトをつくりました。インタビューも私が行っています。 全ての先生方を平等に見せるように心がけました。先生方の研究内容、教育の取組み等々、いわば小さな「私の履歴書」のようなサイトを一覧で見られるようにした。これは好評でした。実際に外部の方々が東工大の先生にアプローチしたい、インタビューしたい、相談に乗ってほしいというとき、有効に活用していただいています。 ―特別版②「理工系に必須の『伝えるすべ』」に続きます。 Profile 柳瀬 博一(やなせ・ひろいち) 1964年静岡県生まれ。東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。雑誌「日経ビジネス」の記者、専門誌の編集や新媒体開発などに携わった後、出版局にて『小倉昌男 経営学』『矢沢永吉 アー・ユー・ハッピー』『養老孟司 デジタル昆虫図鑑』『赤瀬川源平&山下裕二 日本美術応援団』『社長失格』『流行人類学クロニクル』など書籍の編集を行う。2018年4月より現職。著書に『国道16号線』(新潮社)、『親父の納棺』(幻冬舎)、共著に『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』(小林弘人と共著 晶文社)、『「奇跡の自然」の守りかた』(岸由二と共著 ちくまプリマ―新書)、『混ぜる教育』(崎谷実穂と共著 日経BP社)。 関連リンク 教養教育センターWEBページ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」②(全4回)~理工系に必須の「伝えるすべ」~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」③(全4回)~ものづくりがマーケットを変える~ 教養教育センター特別講演会「テクノロジストのための教養教育」④(全4回)~16号線の正体とリベラルアーツの本質~

  • 震災復興の願いを実現した「集いの場」建設

    村上 緑さん(建設学科4年・今井研究室)は、2022年3月下旬、ある決意を胸に父親と共に大学の実習で使用した木材をトラックに積み込み、ものつくり大学から故郷へ出発しました。それから季節は流れて、11月末。たくさんの人に支えられて、夢を叶えました。 故郷のために 村上さんは、岩手県陸前高田市の出身。陸前高田市は、2011年3月11日に発生した東日本大震災での津波により、大きな被害を受けた地域です。全国的にも有名な「奇跡の一本松」(モニュメント)は、震災遺構のひとつです。当時住んでいた地域は、600戸のうち592戸が全半壊するという壊滅的な被害を受けました。 奇跡の一本松 11歳で震災体験をし、その後、ものつくり大学に進学し、卒業制作に選んだテーマは、故郷の地に「皆で集まれる場所」を作ること。そもそも、ものつくり大学を進学先に選んだ理由も、「何もなくなったところから道路や橋が作られ、建物ができ、人々が戻ってくる光景を目の当たりにして、ものづくりの魅力に気づき、学びたい」と考えたからでした。 震災から9年が経過した2020年、津波浸水域であった市街地は10mのかさ上げが終わり、地権者へ引き渡されました。しかし、9年の間に多くの住民が別の場所に新たな生活拠点を持ってしまったため、かさ上げ地は、今も空き地が点在しています。実家も、すでに市内の別の地域に移転していました。 そこで、幼い頃にたくさんの人と関わり、たくさんの経験をし、たくさんの思い出が作られた大好きな故郷にコミュニティを復活させるため、元々住んでいた土地に、皆が集まれる「集いの場」を作ることを決めたのです。 陸前高田にある昔ながらの家には、「おかみ(お上座敷)」と呼ばれる多目的に使える部屋がありました。大切な人をもてなすためのその部屋は、冠婚葬祭や宴会の場所として使用され、遠方から親戚や友人が来た時には宿泊場所としても使われていました。この「おかみ」を再現することができれば、多くの人が集まってくると考えたのでした。 「集いの場」建設へ 「集いの場」は、村上さんにとって、ものつくり大学で学んできたことの集大成になりました。まず、建設に必要な確認申請は、今井教授や小野教授、内定先の設計事務所の方々などの力を借りながらも、全て自分で行いました。建設に使用する木材は、SDGsを考え、実習で毎年出てしまう使用済みの木材を構造材の一部に使ったほか、屋内の小物などに形を変え、資源を有効活用しています。 帰郷してから、工事に協力してくれる工務店を自分で探しました。古くから地元にあり、震災直後は瓦礫の撤去などに尽力していた工務店が快く協力してくれることになり、同級生の鈴木 岳大さん、高橋 光さん(2人とも建設学科4年・小野研究室)と一緒にインターンシップ生という形で、基礎のコンクリ打ちや建方《たてかた》に加わりました。 地鎮祭は、震災前に住んでいた地元の神社にお願いし、境内の竹を四方竹に使いました。また、地鎮祭には、大学から今井教授と小野教授の他に、内定先でもあり、構造計算の相談をしていた設計事務所の方も埼玉から駆けつけてくれました。 基礎工事が終わってからの建方工事は「あっという間」でした。建方は力仕事も多く、女性には重労働でしたが、一緒にインターンシップに行った鈴木さんと高橋さんが率先して動いてくれました。さらに、ものつくり大学で非常勤講師をしていた親戚の村上幸一さんも、当時使っていた大学のロゴが入ったヘルメットを被り、喜んで工事を手伝ってくれました。 建方工事の様子 大学のヘルメットで現場に立つ村上幸一さん 2022年6月には、たくさんの地元の人たちが集まる中で上棟式が行われました。最近は略式で行われることが多い上棟式ですが、伝統的な上棟式では鶴と亀が描かれた矢羽根を表鬼門(北東)と裏鬼門(南西)に配して氏神様を鎮めます。その絵は自身が描いたものです。また、矢羽根を結ぶ帯には、村上家の三姉妹が成人式で締めた着物の帯が使われました。上棟式で使われた竹は、思い出の品として、完成後も土間の仕切り兼インテリアとなり再利用されています。 震災後に自宅を再建した時はまだ自粛ムードがあり、上棟式をすることはできませんでした。しかし、「集いの場」は地元の活性化のために建てるのだから、「地元の人たちにも来てほしい」という思いから、今では珍しい昔ながらの上棟式を行いました。災いをはらうために行われる餅まきも自ら行い、そこには、子どもたちが喜んで掴もうと手を伸ばす姿がありました。 村上さんが描いた矢羽根 餅まきの様子 インテリアとして再利用した竹材 敷地内には、東屋も建っています。これは、自身が3年生の時に木造実習で制作したものを移築しています。この東屋は、地元の人たちが自由に休憩できるように敷地ギリギリの場所に配置されています。完成した今は、絵本『泣いた赤鬼』の一節「心の優しい鬼のうちです どなたでもおいでください…」を引用した看板が立てられています。 誰でも自由に休憩できる東屋 屋根、外壁、床工事も終わった11月末には、1年生から4年生まで総勢20名を超える学生たちが陸前高田に行き、4日間にわたって仕上の内装工事を行いました。天井や壁を珪藻土で塗り、居間・土間のトイレ・洗面所の3か所の建具は、技能五輪全国大会の家具職種に出場経験のある三明 杏さん(建設学科4年・佐々木研究室)が制作しました。 「皆には感謝です。それと、ものを作るのが好きだけど、何をしたらいいか分からない後輩たちには、ものづくりの場を提供できたことが嬉しい」と話します。そして、学生同士の縁だけではなく、和室には震災前の自宅で使っていた畳店に発注した畳を使い、地元とのつながりも深めています。 こうして、村上さんの夢だった建坪 約24坪の「集いの場」が完成しました。 故郷への思い 建設中は、施主であり施工業者でもあったので、全てを一人で背負い込んでしまい、責任感からプレッシャーに押しつぶされそうになった時もありました。それでも、たくさんの人の力を借りて、「集いの場」を完成させました。2年生の頃から図面を描き、構想していた「地元の人の役に立つ、家族のために形になるものを作る」という夢を叶えることができたのです。また、「集いの場」の建設は、「父の夢でもありました。震災で更地になった今泉に戻る」という強い思いがありました。「大好きな故郷のために、大好きな大学で学んだことを活かして、ものづくりが大好きな仲間と共に協力しあって『集いの場』を完成させることができ、本当に嬉しいです」。 「こんなにたくさんの人が協力してくれるとは思っていなかった」と言う村上さんの献身的で真っすぐで、そして情熱的な夢に触れた時、誰もが協力したくなるのは間違いないところです。 「大学から『集いの場』でゼミ合宿などを開きたいという要請には応えたいし、私自身が出張オープンキャンパスを開くことだってできます」と今後の活用についても夢は広がります。 大学を出発する前にこう言っていました。「私にとって、故郷はとても大切な場所で、多くの人が行きかう町並みや空気感、景色、におい、色すべてが大好きでした。今でもよく思い出しますし、これからも心の中で生き続けます。だけど、震災前の風景を知らない、覚えていない子どもたちが増えています。その子どもたちにとっての故郷が『自分にとって大切な町』になるように願っています」。 村上さんが作った「集いの場」は、これからきっと、地域のコミュニティに必要不可欠な場所となり、次世代へとつながる場になっていくでしょう。 関連リンク 建設学科WEBページ 建設学科 建築技術デザイン研究室(今井研究室)

  • 【知・技の創造】省エネからウェルネスへ

     「久保君、これからの建築物はデザインや構造だけではなく、省エネルギーを考えなければ建設することができなくなる時代がやってくるよ」――これは筆者が大学3年生の時に、後に師匠となる元明治大学建築学科 加治屋亮一教授が述べられた言葉です。  当時の私は、エネルギーって何だろう、というくらいの認識でピンと来ていませんでしたが、現に、令和4年6月17日に公布された建築物省エネ法改正では、これから建築しようとする建築物には、エネルギー消費性能の一層の向上を図ることが建築主に求められています。  つまり加治屋教授が20数年前に述べられていたことが現実になったわけです。改正建築物省エネ法は省エネルギーを意識した設計を今後、必ず行っていく必要があることを意味しており、換言すれば、現代では省エネルギー建築は当たり前となる時代になったといえます。  一方で、2019年4月に施行された働き方改革関連法案は、一億総活躍社会を実現するための改革であり、労働力不足解消のために、①非正規社員と正社員との格差是正、②高齢者の積極的な就労促進、そして、③ワーカーの長時間労働の解消を課題として挙げられています。このうち、3つ目のワーカーの長時間労働の解消は、単に長時間労働を減らすだけではなく、ワーカーの労働生産性を高めて効率良く働くことを意味しています。  私は10年ほど前からワーカーの生産性を高めるオフィス空間に関する研究を行ってきました。ワーカーが働きやすい空間というのは、例えばワーカー同士が気軽に利用できるリフレッシュコーナーの充実や、快適なトイレの充足や機能性の充実、食事のための快適な空間の提供が挙げられます。さらに、建物内や敷地内にワーカーの運動促進・支援機能(オフィス内や敷地内にスポーツ施設がある、運動後のシャワールームの充実、等)を有することで、ワーカーの健康性を維持、向上させることが期待できます。  近年建築されるオフィスは、省エネルギーやレジリエンスは「当たり前性能」であり、ワーカーの生産性を高めるための多くの施設や設備が導入されています。いうまでもなく、建物のオーナーは所有するテナントビルで高い家賃収入を得ることを考えます。そのためには、テナントに入居するワーカーの充実度を高める必要があります。  現在私は建築設備業界や不動産業界と連携して、環境不動産(環境を考慮した不動産)の経済的便益について研究を行っています。250件を超えるオフィスビルを対象に、そのオフィスの環境性能を点数付し、その点数と建物の価値に影響を及ぼすと考えられる不動産賃料の関係について分析しています。最新の研究では、建物の環境性能が高いほど、不動産賃料が高いことを明らかにしました。これはつまり、ワーカーサイドは健康性や快適性が高まったことで労働生産性が向上し、オーナーサイドは高い不動産賃料が得られることとなり、両サイドともに好循環が生まれることになります。  加治屋教授の発言から四半世紀過ぎた今、私は研究室の学生には、「今後は、省エネルギーはもとより、ワーカーのウェルネスが求められる時代となっていく」と伝えています。 埼玉新聞「ものつくり大学発 知・技の創造」(2023年1月13日号)掲載 Profile 久保 隆太郎 (くぼ りゅうたろう)建設学科 准教授・博士(工学)  明治大学大学院博士後期課程修了。日建設計総合研究所 主任研究員を経て、2018年より現職。専門は建築設備、エネルギーマネジメント。 関連リンク 建設学科WEBページ 建設学科 建築環境設備研究室(久保研究室)

  • 出身高校のマーチングバンド部への想いから生まれた将来の夢「ものづくり」とは

    篠原 菜々美さん(建設学科1年生)は高校時代にマーチングバンド部に所属していました。母校である京華女子高校(東京)は全国大会の常連校であり、6年連続で金賞を受賞したこともある強豪校です。マーチングバンドと出会い、そしてものつくり大学に進学を決めた彼女の思い描く将来像に触れてみました。 マーチングバンドとの出会い  従妹たちがマーチングバンドの教室に通っていたのですが、私の地元にはなく、小学校では吹奏楽をやっていました。従妹が通っていた京華女子高校の文化祭に行った際、マーチングバンド部と出会い、パフォーマンスがとてもキラキラしていて、すごい!やってみたい!という気持ちが強くなりました。京華女子高校へ進学し、最初こそ吹奏楽部に入ろうと思っていましたが、マーチングバンド部へ入部しました。 自信がなかった私が、積極的になれたきっかけ  管楽器には4つのパートがあり、私は高校2年生の時に、メロフォンというトランペットの次に大きい楽器のパートリーダーになりました。実は、人前で話すことが苦手だったため、パートリーダーも自分から立候補したわけではありません。  元々メロフォンの演奏者は少なく、たった一人の先輩が受験勉強を理由に退部されたことや、同学年の部員が一人もいなかったことから、自動的にパートリーダーになりました。中高一貫校でしたので、一番下の学年は中学1年生。自分がしっかりしなくてはいけないという思いから、少しずつですが積極的に人前で話せるようになっていきました。高校からメロフォンを始めた私が、パートリーダーとして3年間続けられたのは、沢山支えてくれた先輩方や同級生のおかげだと思っています。 大会当日、朝練習の様子  そのパートリーダーで培われた積極性は、大学での学びを果敢に取り組むことに繋がっていると思います。授業で分からないところがあると、先生やTAの先輩方へ率先して質問できるようになりました。厳しい練習を乗り越えてきた分、忍耐強さも人一倍あり、高校時代に身に付けた力がいま活きています。  大会ではすべての出場校にそれぞれ金賞・銀賞・銅賞の評価がつけられますが、その上の小編成出場団体のなかでの金賞を目指して毎年出場しています。しかし、私たちの代は個人の成績で惜しくも銀賞だったのです。個人成績では6年連続で金賞を受賞していましたが、伝統を途切れさせてしまいました。とても悔しかったですが、後輩に思いを託し、今年の大会では見事に個人で金賞に返り咲きました。ただ、小編成出場団体の中での金賞はまだ一度も受賞できていないため、今後も後輩のためにより一層のサポートをしていきたいと思っています。 京華女子高校のマーチングバンド部 学んだことを活かした将来の夢  また、母校には出来る限りの恩返しをしたいと思っています。例えば、部活で演奏をする際は小道具を多く使用します。これまでは卒業生の保護者の方が協力して製作してくださいましたが、私が大学で様々な技術を学ぶことで、もっとハイクオリティな小道具を作りたいです。さらに、母校は都会の街中にあるため、体育館と呼べる建物がありません。騒音防止のため窓を閉めた状態で練習を行い、外練習も週に1回しかできませんでした。コロナ禍で全体練習も少なくなってしまったので、思う存分練習ができるような施設を作れる建築士になれたらなと考えています。 文系出身でも楽しめる学び  子どもの頃、建築士だった友人のお父さんから仕事の様子や模型などを見せてもらったり、両親には珍しい建物や美術館などに連れて行ってもらいました。建設に関する興味はずっとあり、将来はものづくりに携わる仕事をしてみたいとぼんやり思い浮かべていましたが、部活動は3年生の3月まであるので、推薦入試やAO入試で受験をすることが必須で、文系科目を中心に学んでいた私は、工業系大学に進学することに不安がありました。ですが、大学のオープンキャンパスや女子高校生のための実習体験授業に参加し、普通科の学生が多く入学していることや、実際に体を動かすことの楽しさから、必死に頑張れば文系でも追いつけるかもしれないと決意を固め、入学しました。 入学して思ったこと…そして決意  実際に授業を受けて感じたことですが、理論的なことを学びながら実習では実寸大の物を作れる。そんな大学は他にないと思うので、ものつくり大学の名前はもっと広まっても良いと思います。将来的にはみんなが当たり前に名前を知っている大学になってほしいです。私のような文系で全く違うことに取り組んできた人でも、一緒に頑張る友達や、優しく教えてくださる先生や先輩方が沢山います。まだ1年生なので、様々なことに好奇心を持ってこれからも勉強していきたいです! 関連リンク 建設学科WEBページ オープンキャンパスページ GRIRLS NOTE WEBページ

  • ぼくが旅に出る理由 モバイルハウスで日本一周

    ものつくり大学が2010年度から主催している「高校生建設設計競技」の2022年度の課題は「これからのモバイルハウス」です。「モバイルハウス」は、新型コロナウイルスがまん延し、人々の行動が制限されてしまった昨今、3密を避けられることからブームになったアウトドアと共に注目されている、「自由に移動できる家」です。設計ではなく、実際に軽トラックの荷台に居住空間を載せて作ったモバイルハウスで、日本一周に挑戦した学生がいます。渡邊 大也さん(建設学科4年・今井研究室)は、2022年の7月に盛暑の東日本を縦断。その後、9月から10月にかけて西日本を横断しました。渡邊さんは、どうしてモバイルハウスを作ったのか、なぜ日本一周の旅に出たのか、その理由に迫ります。 モバイルハウスを作ったきっかけ 運転免許取得時に、祖父から譲り受けた20年ものの軽トラックの荷台を何かに活かしたかったのが、そもそもの始まりです。最初は、大好きなヒマワリを皆に見てもらうために荷台で育てていましたが、大学1年の2月頃から新型コロナウイルスが拡大し始め、2年生の最初の頃は全ての授業がオンライン授業になりました。そこで、「オンラインならば全国を旅しながらでも授業を受けられるんじゃないか」と思い立ち、モバイルハウスの制作が始まりました。 子供の頃から旅行やキャンプが大好きで、高校生の時に、小口良平さんの「スマイル!笑顔と出会った自転車地球一周157カ国、155,502㎞」という本を読んでから、バックパッカーになるという夢を持っていました。そして、モバイルハウスを作った理由としてもう一つ、「元々、ものを作るのは好きだったけど、大きなものを完成させたことが無かったので、10代最後の挑戦にしたい」という思いがありました。 大学2年の夏からモバイルハウスの制作が始まりました。最初の頃は夢が膨らみすぎて、天井部分に芝生を植える等、完成した今となっては非現実的なアイデアもあり、納得のいくモバイルハウスが完成した時には大学4年生になっていました。 モバイルハウスの図面 制作中のモバイルハウス モバイルハウスのこだわり モバイルハウスは「海と船」をモチーフにして作られています。山梨出身で大学は埼玉。身近に海がない環境で育ったため、海に憧れを抱いていました。 モバイルハウスの助手席側の窓は、実際に船舶に使われている丸窓が入り、運転席側の窓は、旅先で海を眺めることを想定して、白く大きな窓を採用しています。また、屋根の部分は波をモチーフにして木材を加工しています。 制作にあたっては、大学の授業を応用して一人で制作を進めました。作り始めた頃は、モバイルハウスを作って旅に出ようとしている事を友人に話しても、皆から笑われたり、「やめときなよ」を言われました。しかし、完成が近くなってきて、本気さが伝わると、友人たちが最後の仕上げを手伝ってくれました。 旅での経験 完成したモバイルハウスで、いよいよ日本一周の旅に出発します。東日本に1か月、西日本に1か月半ほどの旅でしたが、どこに行くのか事前に計画は立てず、行先を決めるのは前日の夜。 世界遺産検定3級を持っていて、今回の旅には国内の世界遺産を巡るという目的がありました。日本を一周する中で、日本にある25件の世界遺産のうち10件を訪ねました。これで、未訪問の世界遺産は残り4つです。 大浦天主堂(長崎県) 白川郷(岐阜県) 他にも、旅にノルマ的なものを課していて、「建築・グルメ・文化」のうち、2つを堪能したと思えたら、次の場所に移るというものでした。 今回の旅で思い出に残っている場所は、モバイルハウスを作ったら絶対に行きたいと思っていた石川県の千里浜です。千里浜なぎさドライブウェイは、日本で唯一、一般の自動車やバイクでも砂浜の波打ち際を走れる道路です。海に憧れ、「海と船」をモチーフにしたモバイルハウスを作ったからには、是非とも写真に納めたい場所でした。ちなみに、石川県では、近江町市場の海鮮料理やターバンカレーを堪能して、兼六園や金沢21世紀美術館を訪ねました。 他にも、鹿児島県の桜島も印象に残る旅先でした。山梨で育ったため、山は見慣れていますが、山の形がまるで違っていて、ちょうど噴火していた桜島の雄大さが心に残っています。 旅の最中には、様々な人と出会い、繋がりもできました。特に、広島を旅していた時には、モバイルハウスを作りたいと考えている長崎から来た人に話しかけられ、ちょうど卒業研究用に作っていた資料を渡したことから意気投合しました。「今度、長崎に来る時は案内するよ」と言われたことで、実際に訪ねてみました。 また、千葉を旅している時は、所属する研究室の今井教授から「私の実家に行っていいよ」と連絡があり、実際にお風呂を借り、ご飯をごちそうになりました。 鳥取で台風に遭った時は、体育館に開設された避難所に行きました。避難しているのは一人だけでした。1か月という長い間、1.3畳ほどのモバイルハウスで生活していたため、広い体育館で一人になり、不意に寂しさを覚えました。寝れずにいたら、避難所の管理人の方が話しかけてきてくれて、夜遅くまで旅の話を聞いてくれました。 モバイルハウスの後方に「日本一周」と看板を掲げていたので、行く先々で話しかけてもらいました。長野の道の駅で同じように旅をしている方から素麺をごちそうになったり、途中で寄ったコンビニのオーナーから差し入れをいただいたりした事もあります。追い越していったバイクの方に手を振られる等、人の優しさに触れることができた旅でした。 モバイルハウス後方 長野でいただいた素麺 トラブルも数多くありました。一人旅だから何かあっても、自分で何とかするしかありません。佐賀の山を走っていた時に、エンジンオイルランプが点灯した上にガス欠になりかけていたところ、更にぬかるみでスタックした時は、山中に一人の状況に絶望して思わず叫びそうになりました(笑)。事前に、自動車部の友人から、オイルの入れ方やスタックした時の対処法を教えてもらっていたので何とかなりましたが、本当に怖かったです。 これからのモバイルハウス いつかモバイルハウスで海外に行き、高校生の時に留学していたアメリカのテネシー州まで旅をして、ホストファミリーを驚かせるという野望を持っています。 モバイルハウスで旅をする中で、「モバイルハウスがあれば家はいらない」と考えるようになりました。先日、モバイルハウスを所有している人たちの集まりがありました。夫婦二人と犬一匹でモバイルハウスに暮らしている方と出会い、モバイルハウスの可能性を感じました。軽トラックだと居住空間は狭いですが、1トントラックや2トントラックの荷台であれば、居住空間も広くすることができます。 実は、旅が終わった今も、ほとんどアパートで寝ることはなく、最後にアパートで寝たのはいつか分からないくらい、モバイルハウスか研究室に寝泊まりする日々が続いています。 日本ではモバイルハウスはかなり珍しい車ですが、車幅以内、高さ2.5m以内、350㎏以内であれば、自分の好きなように作れます。荷台に居住空間を荷物として載せているだけなので、特に手続きも必要ありません。制約があるからこそ、作っていて面白いと感じていて、モバイルハウスをもっと広めたいと考えています。 旅とは「生きがい」です。小さい頃から安定が好きではなく、刺激を求めていて、何をしても結局、旅に繋がります。就職先は、全国に支店がある内装工事の会社から内定をもらいましたが、転勤についても全国色々なところで建築に関われるので、今から楽しみです。 関連リンク 第12回ものつくり大学高校生建設設計競技 建設学科 建築技術デザイン研究室(今井研究室) 建設学科WEBページ

  • 【知・技の創造】日本の原風景

     JR高崎線・吹上駅からものつくり大学(行田市)に至る開けた田野の中ほどに「真摯さの道」がある。上越新幹線の高架へと続く200メートルほどの農道である。ことに夕景は美しく、清明な上州の山並み、時に富士の高嶺さえ仰ぐことができる。 JR吹上駅からものつくり大学に至る「真摯さの道」(筆者撮影) そこはマネジメントの父・ドラッカーの翻訳者で日本での分身ともされた、今は亡き上田惇生先生(ものつくり大学名誉教授)が、integrityの訳語を想起した道である。上田先生は若き日俳句に親しんだ人でもあり、一つの語彙が浮かぶのを忍耐強く待ち続け、ついに大学からの帰路、この道で「真摯さ」を呼び寄せたのだった。 ドラッカー(左)と上田惇生名誉教授(右) 生前の上田先生とこの道を歩いたことがある。心の内で生きる諄朴な日本の原風景そのままであり、原語の熱源を不思議なほど直にとらえることができた。 ドラッカーの遺産  現在世界はコロナ禍に際して、新しく文明社会を始めなければならないほどの分水嶺《ぶんすいれい》に立たされている。その点で、晩年のドラッカーが「テクノロジスト」というコンセプトを残してくれたのは、とりわけ日本人にとってかけがえのない遺産であった。 テクノロジストとは巧みにものを作る人というのみではない。ものを作るとは、言うまでもなく高度な精神によって統合された仕事である。ものづくりを外側から眺めると一つの行動だが、その実相は一人ひとりの内面で営まれている。  昨今DX(デジタルトランスフォーメーション)やAI(人工知能)が大流行である。だが、高度に組織化された情報も、最終的に実行するのも人間なら、享受するのも人間である。いや、かえってテクノロジーの進展するほどに、人間の存在感は増していくはずである。 教養あるテクノロジストのために 本年度新設されたものつくり大学教養教育センターは、テクノロジストのための教養教育を掲げている。教養というと書物が想起されるが、そればかりではない。それは徹底した知と行の合一の道である。そうであるならば、手早く片付けてしまうわけにはいかない、一生を賭けた大事業となるだろう。 ドラッカーはテクノロジストのもつべき一種の社会的知性としても、「真摯さ」を重視していた。その証拠に、彼は頭脳の明晰さよりも、真摯さの方を重く見て、個が現実社会を生き抜いていく上でよほどあてになると述べている。それは、生きるという根底的な理由と結ばれた精神的王道でもあったことに思いが至る。 Profile 井坂 康志(いさか やすし)ものつくり大学教養教育センター教授 1972年、埼玉県加須市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。東洋経済新報社を経て、2022年4月より現職。ドラッカー学会共同代表。専門は経営学、社会情報学。 関連リンク 教養教育センターWEBページ

  • 諦めない心が生んだ4年間の集大成と、卒業後の姿

    11月8日(火)、東京ビッグサイトにてJIMTOF2022が開催され、DMG森精機株式会社のブースにおいて「第17回切削加工ドリームコンテスト」の表彰式が行われました。本コンテストでは、2021年度3月に本学の製造学科(2022年現在は情報メカトロニクス学科) 武雄研究室の卒業生であり、現在はシチズンマシナリー株式会社に勤務している大澤 怜史さんが卒業研究で製作した「総削りスピーカー」が、アカデミック部門において見事銅賞に選ばれました。そこで、大澤さんが製作に込めた思いや、学びになったことと、今後の目標をお伺いしました。 なぜスピーカーにしようと思ったのですか 趣味でイヤホンやオーディオ機器を集めています。良いものを買って聞くことはいつでもできますが、4年間様々な勉強を積み重ねてきたので、好きなものを1から作ってみよう考えたことがきっかけです。 スピーカー全体図 総削り出しの特徴とは 無垢の金属の塊から形を作り出していくことを総削り出しと言います。彫刻とは違うのですが、彫刻のようなイメージで、機械を使って掘るように加工します。 通常のスピーカーと異なる部分はありますか? 既製品のスピーカーを参考に設計したため、形状に大きな違いはありません。 しかし、一般的なスピーカーには大きく振動させるためにゴムやスポンジ部品が使用されていますが、このスピーカーにはそのような柔らかい素材は一切使用せず、すべて金属で製作しています。それでも、きちんと実用できるスピーカーというところを目標にしました。また、木箱以外は大学の機械で設計から加工まで全て行いました。 スピーカー部分 完成までの期間はどれくらいかかりましたか スピーカーの設計や材料集め、削る刃物の選定等含めると半年以上かかりました。しかし、始まりから終わりまで一貫して自ら取り組めることを大学で教わったので、これが4年間の集大成だったのではないかと思います。  削るにも、刃物の回転数を調節するたびに切れ味や材料への衝撃に変化が出てくるので、何度も考えながら取り組みました。薄いものを作るということは、強い力を加えると変形してしまったり割れてしまったりするので、特に注意をしながら進めていきました。何度も失敗はしましたが、削る順番や回転数を何度も試行錯誤した結果、今の形になりました。 大変だったこと、学びになったことはありましたか スピーカーはコーンという部品を振動させて音を出す機械ですが、ただ薄くしただけの金属だと振動しないことが制作の過程で分かりました。シミュレーションの段階ではどうしたら響くのか苦労しましたが、何度も設計を重ねていくうちに、コーンを支える箇所に溝を作ることで、大きく振動させることができました。 また、様々な失敗を繰り返していく中で、試行錯誤をやめずに諦めないということは、就職した現在でも役立っていると思います。 スピーカーの裏側 大学生活を通して社会で役に立っていることはありますか ものつくり大学での学びはとにかく密度が濃かったこともあり、実際の社会に即した勉強ができることはとても大きかったなという気持ちです。同期よりも持っている知識の厚さが違うことや、社会人として即戦力になれるような教育を受けられたことはものつくり大学の良いところだと思っています。 表彰式の様子 現在はどのような仕事に取り組んでいますか 品質保証室という部門で、製品評価の仕事に取り組んでいます。 お客さまへ安全で高品質な機械を提供できる様に、新たに開発された新機種が求められる性能を持っているかの検査・試験を行っています。 今後の目標についてお聞かせください この度大変栄誉ある表彰を受け、ものつくり大学の学生として多くの方に評価していただきました。学生時代、後輩の指導を行うようなこともあり、自分でもある程度モノづくりがわかっている自信がありました。その自信は今も仕事をするうえで私の強い支えとなっています。しかし、社会人となった今、自分の未熟さも強く感じています。 そんな中で、現在の目標は、とにかく仕事を覚えていち早く1人前として成長することです。社会人生活は今までの人生の数倍長い期間を過ごすことになります。長い目線で、まずは1人前になること、そして将来的には身に付けた能力をまた後進へ伝えていけるような人材になりたいと思います。 最後に、今回の結果を後輩たちが知って、自分もこうなりたいと思ってもらえたら嬉しいです。 勤務先 シチズンマシナリー(株)で使用している金属加工機械 関連リンク 情報メカトロニクス学科WEBページ 情報メカトロニクス学科 機械加工・技能伝承研究室(武雄研究室)

  • 【知・技の創造】装飾が愛着に繋がる

    「装飾」から考える「花飾建築」とは 「装飾」とは、飾ること。美しく装うこと。また、その装い・飾り。「愛着」とはなれ親しんだものに深く心が引かれること。を意味します。 私事になりますが、現在、行田市内花き農家応援花いっぱい運動に取り組んでいます。ヴェールカフェ(旧忍町信用組合)や忍城を装飾する「花飾《かしょく》建築」と題した花台を制作しました。そのため、装飾について考えることがしばしばありました。9月に亡くなられた英エリザベス女王が、生前使用していた装飾品に大英帝国王冠があります。この王冠は、女王が戴冠式から着用されていたもので、ジョージ6世から譲り受け女王のために再デザインされたものです。国葬の際、女王の棺の上に、宝石の散りばめられた王冠が飾られていたのがとても印象的でした。 ファッションも建築も装飾されることで注目される 私が専門とする建築の分野では、「建築装飾」という言葉が使われます。鬼瓦や風見鶏のような厄除け魔除けのために取り付けられたり、欄間や襖のようにインテリアとして設えたり、構造体や間取りなど実用的機能に関係しない建築表現を指します。また、建築物を飾りつけるものとしては、ハロウィンやクリスマスのイルミネーション、お正月に飾るしめ縄や門松などがあります。東京タワーを事例に挙げてみると、建設当初、しばしば4本の稜線を電球で点灯。1964年のオリンピック以降、毎日点灯、都市の高層化により目立たなくなる。1989年、石井幹子氏による季節感を取り入れたライトアップの開始。2013年、増上寺のプロジェクションマッピングの背景に活用される。このように東京タワーは、電気によって装飾されることで、ときには都市の主役のように、ときには脇役のように捉えられてきました。装飾は、その季節や時代のトレンドを取り入れつつ、伝統を重んじながら発展してきました。ファッションも建築も装飾されることで注目されます。そして、その装飾された人、建物、街への愛着へと結びつきます。私の研究室で制作した「花飾建築」も旧忍町信用組合や忍城、そして行田市への愛着に繋がればいいなと思います。 埼玉新聞「ものつくり大学発 知・技の創造」(2022年11月4日号)掲載 Profile 大竹 由夏 (おおたけ ゆか) ものつくり大学建設学科講師。筑波大学博士後期課程修了。博士(デザイン学)。一級建築士。筑波大学博士特別研究員を経て現職。 関連リンク 行田市花いっぱい運動 地域との交流を通じて得た学び 建設学科 デザイン・空間表現研究室(大竹研究室) 建設学科WEBページ

  • 【知・技の創造】D2C時代のものづくり

    「D2C」の潮流  皆さんは「D2C」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?「D2C」とは「Direct to Consumer」(消費者に直接届ける)の略で、米国を中心に流行が始まっている新しい製品の販売、消費の動向です。「D2C」ブランドの特徴は原則小売店を介さずに、製造者が自社のwebサイトから直接消費者に販売する形態にあります。   「D2C」を代表するブランドとしては寝具の「Casper」、眼鏡の「Warby Parker」、日本でも若い世代を中心に支持を集めている、スニーカーの「Allbirds」などが挙げられます。  ではこれらの製品ジャンルは既に多くの製造者が古くから製品を供給しているにも関わらず、なぜこうした新興のブランドが誕生し消費者の支持を集めているのでしょうか。その背景にあるのはSNSの存在とサスティナビリティ(持続可能性)意識の普及にあると考えられます。  「Instagram」などのSNSの普及は、自分の持ち物を世界中の多くの人に見てもらう機会を生み出しました。それに従い、高価なものを自慢するのではなく「自分らしい」ものを選びたいというニーズ、そしてものを買うからにはそれを選んだ「確かな理由付け」が欲しいというニーズが消費者から求められるようになりました。  それに対し、例えば前述の「Warby Parker」は無償で5日間、5種類の試着用眼鏡を消費者の自宅に送付し、消費者はそれを試着してSNSに投稿し、その反応を見て自分に似合う眼鏡を選ぶ。といった新しい消費のスタイルを生み出しました。 そして「Allbirds」のスニーカーは、製品の製造から廃棄されるまでのCO2排出量を製品毎に公表し、消費者が出来るだけ環境負荷の少ない製品を選択できる仕組みを作っています。製品を購入し消費する以上、地球環境に対して何らかの悪影響を与えることは避けられませんが、このサスティナビリティに出来るだけ配慮してものづくりを行う企業姿勢が、環境意識に敏感な若い世代の支持を集めている理由であるといって良いでしょう。  こうしたD2Cの流行から考えられることは、消費者向けの製品開発は「小品種、大量生産」から「中品種、中量生産」、さらに「多品種、少量生産」の潮流へ向かっているということです。 これからの「ものづくり」教育 ではこの潮流に対して「ものづくり」教育はどのように応えていくべきでしょうか。「多品種、少量生産」の製品開発のためには、消費者個々のニーズを汲み取り、それをデザインに落とし込むユーザーリサーチ技術の研究や、サスティナビリティに配慮した素材を活用したデザインの研究が必要です。また少量生産に適した新しい生産プロセスの研究、あるいは手作りのプロセスによるものづくりの復権が考えられます。  従来「理系は人間の行動に対する想像力が弱く、文系は科学技術の進歩に対する理解力が足りない」と言われてきました。しかしこれからのものづくりに求められるのは、文理の枠を超えて消費者の行動、ニーズを理解した上で、最新の科学技術の進歩を享受した製品開発が出来るクロスオーバー型の人材であると言えるでしょう。ものつくり大学では2022年度より「教養教育センター」を設立し、従来の強みを活かしつつ分野をクロスオーバーする知を身につけた人材育成を目指しています。D2C時代のものづくりを切り拓く本学の教育展開にご期待ください。 埼玉新聞「ものつくり大学発 知・技の創造」(2022年10月7日号)掲載 Profile 町田 由徳 (まちだ よしのり) 教養教育センター・情報メカトロニクス学科 准教授 東京造形大学デザイン学科卒業後、デザイン事務所勤務、岡崎女子短期大学准教授等を経て、2020年より現職。専門はプロダクトデザイン。 関連リンク 教養教育センターWEBページ 情報メカトロニクス学科WEBページ

  • 学費以上の経験が得られる!?学生フォーミュラプロジェクトの魅力とは

    2022年9月6日(火)~9月10日(土)の5日間にかけて、静岡県 小笠原総合運動公園にて「学生フォーミュラ日本大会2022-ものづくり・デザインコンペティション-」が開催されました。対面での開催は実に3年ぶりとなります。本学からは、学生フォーミュラプロジェクトが参加しましたが、出場に必要なEV車は完成していません。その中で出場した理由や、学生にとっての学生フォーミュラプロジェクトの魅力を聞きました。 学生フォーミュラプロジェクト ■リーダー 野原 涼平さん(総合機械学科4年) ■メンバー 小林 蒼さん(総合機械学科3年) 小林 駿祐さん(総合機械学科2年) 武井 孝成さん(総合機械学科2年) 3年ぶりの対面開催に向けて設定した目標、課題などはありましたか 【野原】一昨年、これまで製作していたエンジン車から、時代の流れに即した車作りを考え、電気自動車へ移行しました。目標は、直線を得意とする車両でしたが、エンジンからモーターに変更する際、単純に製作する物が増えただけではなく、製作に重要な安全装備の知識が必要でした。しかも、今年度は全国から14チームがエントリーしましたが、車両を完走させたチームが2チームのみということを知り、それくらい難しい製作なのだと実感しました。 新型コロナウイルスの影響で、大学間交流や実際に走行している車両を見ることが減ってしまったこともあり、今年度は他大学と交流をしながら様々な学びを持ち帰るという意識を持って参加しました。来年度の完成に向けて、モーターを動かすための電子回路の製作と、高電圧を取り扱うため、安全装置を動かすプログラミングを完成させたいです。 走行が叶わなくても、出場した理由はどうしてですか 【野原】情報が一番集まるからです。完成しないから出ないという選択肢はありませんでした。また、今の1年生から3年生は対面開催を経験したことがなく、大会に関する知識を付けて欲しいということもあり、参加しました。 【武井】来年度出場を目指すにあたり、大会の様子を知っているのとそうでないのとでは意識がかなり違ってくることも感じていたので、出場して良かったと思います。 【小林(駿)】僕は、イメージを膨らませる為に参加しました。EV車は本学に完成品がなく、大会に参加すれば他大学の完成品を見ることができるので、自分たちの目指すべきところの確認もできました。 他大学で見られたもの、得られた学びはありましたか 【武井】本学の強みは、外装をほぼ内製で製作しているにも関わらず、ハイクオリティなところだと自負しています。大会に持って行った時も、沢山の大学の方に話しかけていただいたことで誇らしい気持ちになっていました。他の大学からも、モーターやバッテリー位置がとても参考になったので、今後もお話を聞いてみたいなと思いました。 【小林(駿)】やはり部品の配置はとても参考になりました。また、大会の熱気を受けて、同じレーンに立てるように早く走らせたいと強く感じました。 【小林(蒼)】大会に出場できるチームの少なさを知った時に、本学だけが遅れているわけではないことに正直ホッとしました。しかし、スケジュール設定に関しては遅れていることが分かり、もっとスピード感を持って進めていかなくてはならないと気持ちが引き締まりました。 【野原】私だけが関係するものになりますが、学生フォーミュラに参加している関東圏の大学生で構成された外部団体に所属しています。主にそこで学び合いや大学間交流を行っているので、現地での開催はとても重要だと感じました。また、電子回路の組み方や部品の発注など勉強になることは多いので。後輩の為にも今後他大学との交流も増やしていきたいです。 来年度の目標や、それを達成するためにプロジェクトで行うことはありますか 【野原】チームとしては、車検を通る車を作りたいと考えています。そのためにも、とにかく1日でも早く車両を動かしたいと思っています。 【小林(駿)】チーム全体との関わりが足りないと思っているので、コミュニケーションは積極的に行いたいです。チームの全体把握をし、やりたいと考えているマネジメントもしていきたいと考えています。 【小林(蒼)】走行データがまだとれていないため、走れる車両が完成次第、より良い走行を実現できるよう設計等考えていきたいです。 【武井】電子関係を勉強したくて学生フォーミュラプロジェクトに入ったので、個人でも勉強を進めながら、車両完成に向けてチームのサポートをしていきたいと思っています。 チームワークについて、どのような雰囲気ですか 【野原】楽しんで進めている様子も見られますが、参加するメンバーに偏りが見られます。本来チーム全体で車検に向けて動かなければならないので、各メンバーの思いを聞いた上でベストな組織作りに努めていきたいと思っています。また、卒業までに必要な知識をもっと蓄え、後輩にどんどん引き継いでいきたいです。 学生プロジェクトでの取り組みは大学生活でどのように役立っていますか? 【武井】学生プロジェクトに入ったことによって、授業の予習と復習が自然とできていることです。プロジェクトでやったことが予習になるときもあれば、授業で教わったことをプロジェクトでアウトプットできるということは、プロジェクトならではだと思います。 【小林(駿)】僕も同じです。プロジェクトで得たコミュニケーション能力が授業で発揮できました。縦や横の繋がりが出来たことも大きいです。 来年度の目標、目指している人はいますか 【小林(駿)】1人に絞ることは難しいので、様々な先輩の特性をどんどん吸収していきたいです。 【武井】父です。分からないことを教えてくれる時もスッと入ってくる分かりやすさでとても尊敬しています。そういう人間に成長したいと思っていますし、自分が目指している企業も父が勤めている企業です。 【小林(蒼)】僕は卒業生の丸山颯斗先輩(2022年3月卒業)のようになりたいと思っています。チーム内で意見の食い違いが起こった時に、みんなの要望を上手に汲み取って解決してくださったので、自分もチームのバランスを考えられる人になりたいです。 学生プロジェクトの強みや魅力を教えてください 【野原】就職活動にはかなり強いと思います。エピソードにもなるし、即戦力としての売り込みも出来るところは学生プロジェクトならではだと思います。 【小林(蒼)】授業では基礎的なことを広く教えてくれますが、学生プロジェクトではさらに深い知識・技能まで蓄えることができます。先輩や先生方に教えてもらうことで、繋がりや顔を覚えてもらえるところも強みだと思います。 【小林(駿)】僕は、逆に学生プロジェクトに入ってないと意味がないのではないかという話を友人とするくらいに重要性を感じています。授業で出てきた機械を学ぶ際も、何の為に使うのか、その機械によってものづくりの幅がどれだけ広がるのか考えられるようになりました。単位・成績を取るためだけに授業を受けるのではなくて、疑問や目的の為に授業を受ける意識になったのは学生プロジェクトに所属したからだと思います。 【武井】コミュニケーション能力が上がっているなと思いました。他大学や外部の企業との関わりにおいて、大学生活だけでは得ることのできない能力を学生プロジェクトで得ることができたと思います。 最後に一言お願いします! 【武井】まだプロジェクトに入っていない人、入ろうか迷っている人に、優しい人が多いよと伝えたいです。誰だって頭ごなしに怒られるのは嫌だと思いますが、まずありません。安心して見学に来てほしいと思います。 【小林(駿)】学生のうちはどれだけ失敗してもそれが自分の大きな責任にはならないし、失敗からの学びを身に付けることができます。むしろ大学が思う存分失敗できる最後の場所であって、就職してしまうと失敗に対して怖気づいてしまうと思うので、このタイミングで何もしないのはもったいないと思います。なので、何も恐れることなく挑戦する心を忘れないで欲しいです。 【小林(蒼)】学生プロジェクトは、学費以上の経験を積める場所です。自分の力では手に入れることのできない道具も、プロジェクト予算から出せるので、技能の幅も広がります。 【野原】小林(蒼)が言った「学費以上」は、個人的には「ものつくり大学の学生フォーミュラプロジェクトに所属すると、学費以上の経験を得られる」のだと思っています。ここまでの支援は他大学と比べてもトップクラスだと思うので、恩返しを出来るように気合を入れて頑張っていきたいと思います。 関連リンク 学生フォーミュラプロジェクトWEBページ 情報メカトロニクス学科WEBページ

  • 現場体験で感じた林業に魅了されて・・・第二の故郷へ就く

    林業の機械化が進んだことで、素材生産や森林調査等で女性が活躍する場が増えています。とはいえ、まだまだ3K(きつい、汚い、危険)のイメージは拭えません。その林業の現場に大きな夢を抱いて挑戦する女子学生がいます。 例えば、京都を代表する銘木「北山杉」。古くから北山林業では女性は重要な役割を担っていました。枝打ちや伐採は男性の仕事ですが、加工作業や運搬、苗木の植え付けは主に女性の仕事でした。では、現代の林業女子には仕事はないのでしょうか。近年は機械化が進むことで伐採等の林業現場へも女性が進出することが期待されています。その林業に挑戦する浅野 零さん(建設学科4年)。153㎝の華奢なカラダからは想像できないバイタリティーの源はなにか、感動のインタビューです。 浅野さんのチャレンジ魂を育てたものは何ですか 高校までものづくりとは縁がなかったです。茨城県の生まれですが、小学校4年から中学卒業まで長野県にある人口850人程の村へ山村留学していました。高校は山口県でした。田舎が好きで、今度は瀬戸内海の島でした。山から海へ、です。高校時代は、アーチェリー部に所属していました。強化指定を受けていたことで、3年生では選手として全国大会へ出場しています。強いてものづくりと縁があるなら、山村留学時に仲間と小屋を作ったことでしょうか。その楽しかった思い出は心のどこかにずっとあって、このエピソードはものつくり大学へ進学する時に大学の方にお話しました。大学からすると、私の志望動機が不思議に思えたようでした。 そもそも母の影響というか、子育て方針というか、兄も同じ村に先に山村留学していて、後にカナダへ海外留学をしました。私は茨城→長野→山口→埼玉と国内を巡っていますが、この度、就職で長野へ戻ります。それも山村留学でお世話になった同じ村に戻ります。何でしょうね、Uターンでもなく、Iターンでもなくて。 大学での4年間もパワフルだったのではないですか もちろん普通高校卒なので、ものづくりを学んだのは入学してからです。木に触れることは好きだったので、最初は木工家具の製作に憧れました。角材を加工する授業は楽しかったけれど、そのうち角材になる前の木自体に興味が湧いてきて、林業を意識するようになりました。 1年の秋に「林業体験」のイベントを探して個人で参加しました。木を切って、加工して、その凄さに憧れました。女性も参加しやすいイベントで、参加したのは大方女性でした。人生で初めてチェンソーを使って、木を切りました。そして、垂直に立てた木の幹に切り込みを入れて燃やし、手軽に焚き火が楽しめるスウェーデントーチでの料理を楽しみました。 これをきっかけに林業界への憧れが強くなり、将来仕事として就きたいと思うようになりました。2年次に実施される大学のインターンシップは、長野県飯山市のNPO法人で木材加工に従事しました。3年次では、進路を林業一本に絞ったため、個人的に様々な企業や現場を見学に行きました。そういう意味では決断も早く、行動力もありましたね。いま思えば大学の授業との両立もうまく対処していたように思います。 自らの進むべき道を見つけるまでに、どんな出会いがありましたか 大学では就活を意識した活動と共に、1年次で建築大工3級、2年次で左官2級、造園3級、3年次で造園2級と、とにかく木に関わる資格を取得していきました。生活全てを木に関わっていきたい思いが強かったです。 実は、高校時代に生活していた山口県の林業会社の方に「この世界、女性ではたいへんだけれど、男性とは違う視点で活躍している方がたくさんいるよ」と言われました。その林業会社の方にはオンラインで頻繁に相談に乗っていただきました。「山口においでよ」と何度もお誘いをいただきました。正直、山口へ移住しようという気持ちにもなりました。同時に長野とも連絡を取っていて、情報収集に努めていました。 林業は、国の重要な施策なので、どちらかと言えば昔ながらの堅苦しいイメージを持っていました。でも、民間の小さな林業会社では、自分の技術やスキルがついたらやりたいことをやらせてもらえるような新しい考え方も生まれてきていることを知りました。長野で林業を起業された社長さんと話していると、ぐいぐい引き込まれていきました。その将来を見据えた魅力たっぷりの内容に感激しました。 そして最終的に長野へ就職を決めたのですか もちろん企業方針を何度も聞いて、性格的に合っているなと思いましたし、私が内定をいただいた会社がある村は、小学生の山村留学でお世話になったところでした。この村は私にとって特別です。住むことができる、仕事をすることができるなら恩返しの気持ちを持って戻りたいと強く思いました。会社も林業としては2021年に法人化されたばかり。不思議な縁を感じて、お世話になった村へ帰ろうと思いました。 林業女子としての不安や期待はありますか 林業は3Kと言われます。きつい、汚い、危険ですね。それに林業の現場に出る女性としての問題は、まずトイレ。いまは自然保護の観点から、以前のような現地で処理するようなことは減ってきています。トイレの設置や、山を下って用を足すこともできます。それから力の強さですね。女性ですので、体力は男性と比べて見劣りします。でも機械化も進み、力の問題も徐々に解決してくれそうです。緑の雇用制度で3年間鍛えることができるので、いまはそれが楽しみでなりません。都会にある林業会社では、近年「かっこいい林業」をスローガンにして新しい「K」が生まれています。期待ということでは、いずれキャンプ場を作るという会社の重点方針があります。いまは力不足ですが、ぜひチャレンジしたいです。 林業を通して、森林と地域との新たな価値を創造する繋ぎになるということですね 日本は平野の少ない森林大国です。木があれば、火を起こせる。火を起こしたら、ごはんも炊ける、お風呂も沸かせる。家も建てられるし、生きていく上でのあらゆる繋がりがあります。花粉問題だって、木を切る人がいれば、むしろ空気の循環を良くしてくれる。林業は大切なんですよね。人間の生活の基盤になっていると思っています。 ですから林業を通して、そこに生活する方たちのほのぼのとした幸福感や満足感を充足したいですし、村おこしといった地域の活性化にも非常に興味があります。 大学では様々な検定試験に挑戦しましたが、授業では学べないところまで教えてもらいました。先生方の技術が素晴らしいので、安心して学べます。私はこうした知識や技能・技術は、いずれどこかの場面で役立つと思っています。自分と仕事、自分と社会を繋ぐ力です。その力がないと新たな価値の創造なんてできないです。 視野が広がり、自分の進むべき道を見つけた大学での4年間。いまは卒業制作に仲間と懸命に取り組んでいます。一般家庭のエントランスと庭づくりです。次のステップへ進むために!!! 関連リンク 建設学科WEBページ

  • Japan Steel Bridge Competition 2022 ものつくり大学だからこそ作れる橋梁モデル

    建設学科 大垣研究室は、「Japan Steel Bridge Competition(通称:ブリコン)」に毎年出場しています。ブリコンとは、学生が自ら橋の構造を考え、設計、製作(鋼材の切断、溶接、孔開け、塗装)、架設を行い、全国の大学生および高専生の間で競い合う大会です。大会当日は、架設競技、プレゼン競技、載荷競技、美観投票を行います。2022年9月に開催された大会では、大垣研究室から2チームが出場し、Aチームが美観部門1位、Bチームが美観部門2位という成績を収めました。美観部門で1位を受賞したAチームで、プレゼン競技を担当した後藤 七海さん(建設学科4年)、製作を担当した杉本 陸さん(建設学科4年)に伺いました。 どんな橋を目指して作ったか 【後藤】美観と構造を意識しました。美観を重視するためにレンズ型トラス橋を選択しました。構造は、曲線と直線を組み合わせています。昨年のブリコンでは、曲線部分の継手に時間がかかってしまったため、今回は3種類の継手を取り入れ、継手箇所を工夫して架設も意識しました。 製作したレンズ型トラス橋の設計図 プレートで挟むタイプの継手 差し込むタイプの継手 かみ合わせるタイプの継手 美観部門1位に選ばれた理由は 【杉本】シンプルに形だと思います。他のチームも凝った形をした橋はありましたが、鉄骨を1番曲げていたのは私たちでした。私は高校の3年間、溶接と鉄を加工した経験がありますが、真っ直ぐな鉄骨を700℃~800℃くらいの熱で少しずつ曲げるため、ものすごく時間がかかりましたし、難しかったです。加工は、ほぼ一人で作業しました。材料から切り出すのが2~3日、曲げ加工に1週間、溶接に1週間、塗装に3~4日かけて、全体で2週間半かかりました。お昼の12時に大学に来て作業をして、大学から帰るのは夜中の3時とか、1日10時間以上かけて曲げました。本来であれば、2か月かかるような作業を突貫で仕上げました。それでも、大会前夜まで溶接をしていました。 【後藤】部材を決められた箱の中に納めないといけないのですが、設計に甘いところがあって納まりきらなかったため、一度加工したものを削り直し、歪んでしまった部材を大会前夜まで直していました。ビードをあんなに削ったのは初めてだっていうくらい削りました。今年は、アーチ橋を作っている大学が少なかったです。私たち以外にもアーチ橋を作っている大学はありましたが、継手の部分が多くてカクカクしていました。直線を重ねたアーチよりも、鉄骨を曲げてアーチを作った方が綺麗に見えます。 【杉本】他には、塗装も評価されたと思います。私たちの橋は、スクールカラーの茜色をベースにしたキャンディレッドにしましたが、通常、1層から3層くらいで塗装を終わりにするところ、私たちは13層塗りました。シルバーを5~6層、レッドを3~4層、クリアを4層と重ねて塗っていて、車の塗装の層数より多いです。時間をかけた分、仕上りも綺麗になりました。アーチが綺麗でも、塗装が汚かったら、1位を取れていたか分からないです。 今回以上に美観の良い橋は作れるか 【杉本】情報メカトロニクス学科と一緒に製作すればできると思います。建設学科の設備だけでは加工の機械が足りていません。情報メカトロニクス学科には、使いたいと思う設備が全部揃っています。一緒に製作できれば、企業に依頼したのではないかというくらいケタ違いの橋ができると思います。学内に機械は揃っているので、後は使いこなす知識が必要です。 【後藤】ものつくり大学の設備はピカイチだと思います。知識についても、私たちは様々な実習を経験しているから身に付いていると思います。私たちは全員、溶接の資格を持っていますが、他のチームは、溶接担当の人しか持っていないチームもあります。 【杉本】橋の形としては、今回以上のものは作れないと感じます。総合優勝を目指すのであれば、鉄骨を変えて耐力を上げる必要があります。ブリコンで使う材料は「鋼材」とだけ決まっています。鋼材と一言でいっても色々な物がありますから、今使っている鋼材よりも硬い鋼材を使えば総合優勝を狙えるかもしれません。ただ、今より費用がかかり、溶接も加工も大変になるという問題があります。 【後藤】他には、橋を車上橋にすることも考えられます。吊り橋にしてワイヤーを上手く使った形ができたら、今回の橋より格好良い橋ができると思います。ただ、架設にかかる時間と耐力を考えると、今回の橋の形のバランスがベストだと思います。 プレゼン競技で伝えたかったことは 【後藤】大学の実習でも、要点をまとめて施工フローを作っているのですが、それと同じ感覚でプレゼン資料を作りました。文章は少なくして、写真と言葉で伝えることを心がけました。1番伝えたかったのは製作過程です。杉本さんが頑張ってくれた分、うまく伝えたいと思っていました。製作風景の写真を説明していた時に、審査員の方に「企業に依頼したのですか?」と聞かれましたが、杉本さんの作業している写真が学生の作業風景に見えなかったみたいです(笑)。 昨年の大会から成長していたことは 【後藤】チームメンバーとは、1年間一緒に研究をしてきたから、コミュニケーションが上がっています。誰が何をできるのか分かっているため、仕事も振りやすかったです。加工ができるからとか、去年もプレゼンやったからとか、架設のリーダーはまとめる力があるメンバーにやってもらうとか。1年で人となりを知れて、それぞれの得意分野を知れたから仕事を任せることができるようになりました。 総合優勝するために必要なこと 【杉本】自分たちだけで処理しないで、大学全体を巻き込んで作れると良いと思います。今のままでは、加工の知識や技術があっても、他で負けている部分があります。例えば、美観の面では、他のチームにはカラーコーディネーターの資格を持っている人や、デザインのセンスがある人がいます。でも、私たちの橋は、デザインはあまり凝っている方ではありません。そこで、デザインに強い人がいたら、その人のデザインを基に、「じゃあ、こうしたら耐久性も上がるよ」ということができます。また、チームの人員に限りがあり、製作に時間をかける分、設計と解析にかけられる時間が少ない現状があります。 【後藤】他には、アーチ橋ではなく、早く架設できる橋にすることや、知識を深めて解析をしっかり行い、強い構造の橋にすることも考えられます。解析の知識があれば、色々な形をどんどん解析にかけて強い形を検討することができます。今は知識が無いから、解析通りの結果が出ずに、橋が想定以上にたわんでしまっています。 橋梁の魅力は 【杉本】橋は人の目に付くところが魅力です。ビル等の建築物だと自分が製作した鉄骨が隠れてしまいますが、橋なら完成した後も鉄骨が見えます。橋は人が通る所に作りますし、運送がロボットに変わって自動になっても橋が無くなることはありません。 【後藤】単純に橋は格好良いと思っています。そして、橋は人の生活を良くするためにあり、人が住んでいる限り無くなりません。住宅は古くなると壊してしまいますが、橋は補修されてずっと残ります。それに、橋には色々な形があって、変わった形の橋を作ることができるのも魅力です。 ブリコンの経験は今後に活かせるか 【後藤】ブリコンを通じて、色々な形の橋を知りました。私は橋梁関係の企業で施工管理に就くため、工程についても、誰に仕事を振って、次の作業は何か、工程はどの程度あるか、安全やKY(危険予知)等も心がけるようになりました。ブリコンで、設計の知識も製作の知識も身に付き、それぞれの工程についても知ることができました。 【杉本】後藤さんと同じく、設計と製作などの他の工程を担当している人とのコミュニケーションの取り方が身に付いたと思います。他には、今回の製作では工程計画も無く、自分の限界までやってしまったから、しっかり工程計画を作れるようになったら、工程を管理できたかなと思います。 関連リンク 建設学科WEBページ 建設学科 橋梁・構造研究室(大垣研究室)

  • F3RC大会で強豪校を下して優勝した3人の1年生。その快挙の本質に迫る!

    皆さんはロボットに興味はありますか。 鉄腕アトムや鉄人28号、ガンダムなど、当時は夢物語で、子供の心を掴んで離さない存在でした。しかし現代は目覚しい技術の発展により、ロボットの存在は夢物語ではなくなっています。ロボットは多様な技術が結集したシステム。ものつくり大学にもロボット製作に熱く取組んでいる学生たちがいます。ロボコン界の新人戦ともいえるF3RC(エフキューブロボットコンテスト)で優勝した学生たちにロボットの魅力と今後の目標についてインタビューしました。 NHK学生ロボコンプロジェクト ■チーム名/SRG MOF ■チームメンバー 藤野 楓土さん(情報メカトロニクス学科1年) 茂木 柊斗さん(情報メカトロニクス学科1年) 大出 将太さん(情報メカトロニクス学科1年) ■F3RC(エフキューブロボットコンテスト) 開催日:2022年9月24日(土)~25日(日) 会場:東京大学本郷キャンパス 参加大学:東京大学・慶應義塾大学・早稲田大学・明治大学・東京工科大学・工学院大学・千葉工業大学・ものつくり大学 優勝おめでとうございます。新人戦とも言えるロボット大会で優勝できた要因は? 【藤野】予選勝ち抜けのじゃんけんかなぁ(笑)。今回、予選で1位が3組出ましたが、TOPで勝ち抜いて、その後の準決勝、決勝とパーフェクトの試技でした。大会前に起きていたトラブルが全くなかったことが大きな要因です。 【茂木】足回りに特殊なプログラムを用いました。当日の現地では短時間でのパラメーターの調整に苦労しましたが、競技では問題なく動いてくれました。個人的には優勝したことよりも他大学の遊びゴコロあるロボットへの仕掛けが見られて良かったです。 【藤野】他大学の学生に「おめでとう」と声掛けされましたし、大会後の交流会では名刺交換もしました。今でもやり取りをしていまして、ものつくり大学へ見学に来たいと言われてもいます。本学では、加工も一からマシンを使える環境にあり、だいぶ羨ましがられています。 3人のチームワークも大きな勝因だったのでは? 【大出】お互いに楽しく、やりたいことをやっていました。話し合いながら、どういうところを改善したらよいか、前向きに取り組むことができました。目標があったから、お互いを理解し合うことで一つにまとまったのかなぁ。偶然にできたチームですが、まとまったのは必然ですかね。 【藤野】大出くんが設計と加工、茂木くんが加工、自分は制御と設計を担当しました。設計を2人で進めていて、設計が終わったら、加工にかかりました。加工作業は1日で済ませてくれましたが、組立ての時間や制御に時間をかける中、ルールの理解を深めるなど、それぞれが自分のペースで行いました。ロボットが動き出してからは、茂木くんも毎日参加してくれて、コート整備など雑用も進んでやってくれました。チームですが、相方って感じです。 強豪校ばかりのライバル校については 【藤野】緊張したぁ。 【大出】大会に臨む段階でやるだけはやってきたので、あとは操縦者の2人の緊張をほぐすようにと思っていました。対戦相手の様子やタイムを気にかけながら、2人に声掛けしていました。 【茂木】意外と2人は緊張していましたね。私は他大学をみても特に緊張はしなかったです。それよりも自分の操作がうまくいくよう全力を出すように心がけていました。 【藤野】他校のロボットには面白さを求めたことでの形状や動き方の違いを見ることができました。またサッカーがテーマだったので、蹴ることを重視したアイデアなど作業していたら楽しいだろなと思いました。いまはもっと自分たちの世界に没入しても良かった気もしています。 ロボットづくりに興味をもったのは、いつから? 【大出】高校は普通科なので、ロボットに触れるのも、まして大会へ出るなど入学時には考えられませんでした。NHKロボコンプロジェクトを知り、先輩方から色々と説明を聞いて、設計に関われたらと思いました。 【茂木】高校で設計と加工を学んできたので、当然大学でも関わりたいと思っていました。このチームでは加工分野を担当しましたが、先輩たちが講習会を開いて、丁寧に教えてくれましたので、いまでは一人で作業ができるようになりました。  【藤野】ロボコンに関わりたい、大会に出たいという強い気持ちで入学しました。高校から制御設計の経験もあって、今回は制御・設計担当でしたが、いまは先輩たちを目指して頑張っています。 今回のロボットですが、技術的に難しかったところは 【藤野】上部の手の部分やエアシリンダーを使った発射機構が難しかった。最初は大きすぎてロボットのサイズに合いませんでした。足回りパーツの組み合わせを調整するときに、耐久性が下がらないように、切削するのが難しかったですね。結局、課題は軽量化と耐久性のバランスを考慮することでした。 【茂木】本体はすべて加工しています。3DCADでは設計者が作ったデータを変換してプリンターへ送るだけなので、結構複雑な形状も可能でした。加工担当の負担も少なかったです。あとは組立ててから自走させて調整しました。 【藤野】強度をメインにした構造。4回の競技に耐えてくれました。1日10回の事前テストでも、ほとんどの部品は壊れなかったです。学生プロジェクトでは、毎年のデータをバックアップしてあるので、それを共有できるのが強みですね。後輩たちに残してくれています。プロジェクトの大きな特長は、こうして先輩たちが残してくれたプログラムをベースにして製作しているので、ロボットの足回りの作り方が似ていることですね。その上でプログラムを理解して、自分たちなりにゼロから製作していきます。 ところでロボットの魅力とは 【藤野】ロボットを作る方の多くが、人の役に立つものを作れるということに魅力ややりがいを感じているものです。機械や電気、プログラミングなど様々な専門的な知識やスキルを身に付けることで、自分にとって大きな強みとなるところも魅力です。 【茂木】そうですね。ものを作れるというのが楽しい。ものとものが合体して動いているのが面白いし、何が起きるかわからないからドキドキします。想定外の動きがうまくいったり、改良を要したりなど、答えがなくてやり続けてしまうところですかね。 【大出】ロボットは、多様な技術や専門分野が複合的に組み合わさったシステムです。そして、その研究開発は間違いなく面白いと言えます。そのためには専門知識が必要になりますし、それを習得するには基礎学力が欠かせません。プロジェクトでは、それらを身に付けられると思いますので、向上心を持って、能動的に学んでいきたいです。 物怖じしない3人ですが、今後の目標は 【全員】NHK学生ロボコンに出場し、優勝したい。 【藤野】これは最終目標ですが、先輩たちと一緒に、そしてアイデア出しから参画できるようレベルを上げていきたいです。ロボットが作りたくて入学したので、今回の優勝は自信になりました。最近だとカメラを使ったセンサー方式になっていて、他大学では多数搭載しています。これらは技術的なコントロールが難しいのですが、プロジェクトを通してやり遂げたいです。 【茂木】入学して、論理的な思考を持てるようになりました。物事の一つひとつに対して、すごく考えるようになりました。尊敬する高校の先輩のように材料の知識が豊富で、材料の特性を理解していることで瞬時に最適解を出せるようになりたいです。深く学び続けることで得られる言動を見習いたいと思います。また、今大会ではロボットは動かないことが大前提の中で、動いた瞬間の喜びは何事にも代えられません。 【大出】普通科出身なので、入学して生活そのものが変わりました。今回の大会で設計担当になり、知識や技術が身に付いた実感があります。やればやるだけ身に付くと思っているので、今日よりは明日を目指して、自分自身を磨いていくしかないと思います。1人ではなく、仲間も一緒なので面白さは倍増すると思いますね。 関連リンク NHK学生ロボコンプロジェクトWEBページ 情報メカトロニクス学科WEBページ

  • 宇宙開発研究プロジェクト 航空機製作への新たな挑戦

    情報メカトロニクス学科の学生プロジェクト「宇宙研究開発プロジェクト」。ロケットの構造や整備、制御、運用体制などを学生自らが学び、毎年開催されている「能代宇宙イベント」や「種子島ロケットコンテスト」に出場しています。2021年からは新たに「全日本学生室内飛行ロボットコンテスト」への出場を始めました。全日本学生室内飛行ロボットコンテストは、全国各地の高校や高専、大学が出場するラジコン飛行機やドローンについて競う大会です。部門は4つあり、ラジコン飛行機の一般部門と無人操縦部門、マルチコプター部門、機体の特性を評価するユニークデザイン部門があります。2022年9月に開催された同大会の一般部門に出場した機体を製作した鈴木 郁宣さん(総合機械学科3年)、パイロットの吉開 啓冴さん(総合機械学科3年)に伺いました。 宇宙開発研究プロジェクトに入ったきっかけ 【吉開】ものつくり大学に入学したら、自分のやりたい事を見つけて、それをやった方が絶対に未来に活かせると思っていました。いくつか学生プロジェクトがある中で、興味がある宇宙に関連した活動をしている宇宙開発研究プロジェクトに入る事を決めました。 【鈴木】動機は不純ですが、1年生の時にドーミトリ(学生寮)に入っていて、残寮するためには学生プロジェクトに入っていると有利だと先輩から聞いて、何か学生プロジェクトに入ろうと思いました。友人から、宇宙開発研究プロジェクトは色々できるという話を聞き、入りました。 全日本学生室内飛行ロボットコンテストに出場する理由 【吉開】宇宙開発研究プロジェクトには、モデルロケットとハイブリッドロケットの2つの軸があります。ハイブリッドロケットを担当している学生は、ハイブリッドロケットもモデルロケットも製作するのですが、モデルロケットの学生はそれしか無いため、活動の幅を広げるために航空機の製作を始めることになりました。それで、先輩から「航空機を作るなら、全日本学生室内飛行ロボットコンテストに出てみたら」と勧められ、出場を始めました。 今回出場した機体のコンセプト 【鈴木】練習で使う事も想定して壊れにくい機体を第一に考えて、機体の骨組みをしっかり組みました。競技では、宙返りすることもあるため、機動力も重要でした。通常の飛行機は、安定飛行のために翼を大きく長くしています。機動力を出すためには、翼のアスペクト比をできる限り正方形に近付け、翼の幅を短くします。そうすると左右の移動がしやすくなります。また、主翼から尾翼までの長さを短くすると宙返りの半径を小さくすることができます。 大会当日の飛行 【鈴木】練習を重ねた機体に補強をしたら、規定の重量をオーバーしてしまいました。そのため、大会当日にバッテリーを軽いものに変えたのですが、軽くなり過ぎてしまい、練習の時と挙動が変わってしまいました。上手くいったところは、設計段階から機体の整備性を考えていて、モーター部分の取付けを容易にできるようにしていました。競技直前にモーターの不調があり、交換する必要がありましたが、早く交換することが出来ました。 他校の機体から学んだこと 【鈴木】私たちの機体の材料は、木材と発泡ポリプロピレンを使い、レーザーカッターで加工していますが、強豪校には、発泡スチロールを削り出して作っている学校や、電熱線カッターや手作業で作っている学校があります。発泡スチロールを削り出してボディを作った方が、強度と軽量性がある場合もあり、手作業で加工する技術はすごいと思いました。今後は、私たちも発泡スチロールで作ることも検討しています。 来年以降の出場について 【鈴木】優勝を目指して出場を続けます。今回は、本番で操縦が上手くいきませんでしたが、機体のスペックを活かすことができれば十分優勝を狙える機体だったと思います。優勝するためには、操縦技術が必要になると思います。 今後の宇宙開発研究プロジェクトの活動予定 【吉開】3月の種子島ロケットコンテストに出場予定です。今は、種子島ロケットコンテストを想定した機体を作っていて、近日中に部内戦を行います。この部内戦を経て、種子島ロケットコンテストに向けたチームを作っていきます。 宇宙開発研究プロジェクトで学んだ事、成長した事 【鈴木】パーツを設計するために毎日のようにCADを使っているため、CADや設計について知識が深まりました。 【吉開】私たちが入学した時は、コロナ禍で大学に行くこともあまり無くて、なかなか友人ができませんでした。しかし、1年生の9月にこのプロジェクトに入ってからは、友人関係が広がり、色んな学生がいるため趣味や知識を深めることができるようになりました。 今後の目標 【鈴木】宇宙開発研究プロジェクトとしては、種子島ロケットコンテストで優勝を目指します。その他にも色々な大会に出て、結果を残したいと思っています。個人としての目標は、後輩を育てることです。特に航空機のパイロットが私と吉開さんしかいないので、良いパイロットを育てる必要があります。機体の製作についても、今回出場した2機とも私が作っているため、航空機体の製作も教えていく必要があると思っています。 【吉開】大学からの資金援助を受けるためにも、色々な大会で結果を出し続ける必要があります。最近、NHK学生ロボコンプロジェクトが実力を付けてきているので、負けないように頑張ります。 関連リンク ・でっかいロケットを作りたい-1年生ながらリーダーとして種子島ロケットコンテスト優勝!-・宇宙開発研究プロジェクトWEBページ・情報メカトロニクス学科WEBページ

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