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  • 若年者ものづくり競技大会 大会後インタビュー

    若年者ものづくり競技大会は、企業等に就業していない20歳以下の若年者のものづくりの技能向上と就業意識を高めるための大会です。技能五輪全国大会の登竜門でもあります。本学では第2回目から毎回出場しています。第17回大会は、2022年7月27日(水)から28日(木)にかけて広島県立広島産業会館にて開催されました。本学からは建設学科より2名が出場し、建築大工職種において銀賞、木材加工職種において敢闘賞を受賞しました。 今回は、2名の受賞者に大会への思いや今後の目標を伺いました。 先輩方からの指導を胸に大会に臨みました 木材加工職種 敢闘賞 建設学科1年 山口 菜さん 幼いころからものづくりに興味があり、中学では木材を使った技術科目の授業が好きで、本棚などを作っていました。その後、建築士になりたいという夢ができ、実習の授業が多いものつくり大学に入学しました。入学後は本格的に木材を加工することが好きになり、何かに挑戦してみたいという気持ちから、若年者ものづくり競技大会出場を目指しました。 指導いただいた先輩方からのアドバイスは、全て参考になるものばかりでした。特に、本番を想定した通し練習では、先輩方に作業ごとのタイムをメモしていただき、時間配分なども一緒に考えていただきました。大会が近づくにつれて、同じようなミスを繰り返してしまうことや、学業とひとり暮らしの両立のなかで練習時間が確保できず、落ち込んでしまうこともありました。しかし、大会で賞を取ることを目標に、心を強く持つことで最後まで頑張ることが出来ました。 大会では、タイムにこだわりましたが、組み立てのタイミングで木材が曲がってしまうなど想定外のミスが重なり、競技時間をオーバーしてしまいました。しかし、最後まで諦めずに完成を目指し、延長時間内に収めることができました。結果が敢闘賞だと分かった時には驚きましたが、一番に家族へ結果を伝え、喜んでもらえたので良かったです。卒業後に就きたい仕事はまだ決めていませんが、今後は技能五輪全国大会への出場を目標に、どんどん練習を重ねて腕を磨きたいと思っています。 険しい道は成長への第一歩。今後も挑戦し続けます! 建築加工職種 銀賞 建設学科 2年 森上 雄介さん 昨年は家具職種で出場しましたが、今年は建築大工職種を先生に薦められました。異なる職種なので技術を学び直すのは大変ですが、険しい道を選択すれば今後の役に立つと考え、建築大工職種に変更して大会に臨みました。練習は、非常勤講師の宮前先生やものつくり大学の卒業生の方にご指導いただきながら、インターンシップ先の宮前工務店で行いました。練習期間では、作業効率を意識しながらより多くの課題を仕上げることによって、大会直前までしっかりと練習を積み重ねることができました。家具職種とは注意を向ける工程が異なるので、新たな学びや、逆に昨年得た技術を活かすことができたと実感しています。また、練習で仕上げた課題の数が歴代の学生の中で多かったことも、今回の受賞に繋がっていると感じています。 大会当日は、昨年の出場経験から大きな緊張はありませんでした。原寸図の作成の際に、設計図を書き直してしまうという減点に繋がるミスはありましたが、常に練習通りを意識しながら、組み立てなど仕上がりに影響の出る箇所はいつもより多く時間を取り、時間内に終了させることができました。応援に駆けつけてくださった先生やOBの先輩と、無事に完成出来たことにホッと胸を撫でおろしました。 結果発表は競技の翌日でした。ドン!と待ち構えていましたが、銀賞受賞を聞いたときはやはり安心しました。すぐに仲間に連絡を入れて、「おめでとう」という声をかけてもらえたので、頑張った甲斐があったなと感じています。今大会では、計画をきちんと練り、時間通りに課題を進めることの大切さを学ぶことができたので、2級建築大工技能士や技能五輪全国大会の出場を視野に挑戦をし続けたいと思います。そのためには、日々の授業を楽しみながら仲間と技術を磨き合い、志を忘れずに過ごすことが重要だと思います。目標は、技能五輪全国大会で金賞受賞です! 関連リンク 若年者ものづくり競技大会出場実績 建設学科WEBページ

  • 対面開催は3年ぶり-碧蓮祭実行委員長・副実行委員長が語る、学園祭への思い

    2022年10月29日(土)、30日(日)の両日にわたり、対面式では3年ぶりとなる第22回碧蓮祭が開催されました。2020年度、2021年度のオンライン開催を経て碧蓮祭実行委員長に就任した木村晴人さん(建設学科3年)、副委員長の廣田雅人さん(建設学科3年)は、対面式の学園祭を経験していません。そのような中でも、卒業生が繋いできた伝統を絶やすことなく開催した碧蓮祭をどのように感じているのか伺いました。 まずは、今年度のコンセプトについて込めた思いを聞かせてください 【木村】過去2年間で対面式の開催が叶わず、何もわからないまま代替わりをしてしまったので、新体制の実行委員は碧蓮祭そのものを体験したことのないメンバーばかりでした。開催に向けて沢山の壁があるなかで、それをすべて超えたいという気持ちや、自分たちの力で元に戻せたらいいなという意気込みから、「Break Through ~Our Challenge~」というコンセプトにしました。 碧蓮祭実行委員会に所属している後輩にも僕たちの背中を見てもらうことで、次年度以降は、様々な変化にも恐れを抱かず勇気をもって取り組んで欲しいと思っています。 3年ぶりに対面の碧蓮祭を実施するにあたり、例年と変化したところはありますか 【木村】2020年、2021年は新型コロナウイルスの影響でオンライン開催となりました。実行委員の中で企画したイベントをYouTubeに公開しましたが、これは今後の対面開催に向けて、外部の方への認知度を上げるための開催でした。対面開催では、地域の方々にとって、イベントが少ない中でも碧蓮祭を楽しんでいただくことで、地域を活性化できたらなという目的がありました。 碧蓮祭を作り上げていく中で楽しかったことはありましたか 【木村】楽しかったことは、学年を超えて準備ができたことです。開催に向けて先輩方に相談できたり、みんなとステージの製作ができたことは強く心に残っています。あとは、開催当日が一番楽しい時間でした。準備の段階では疲れも重なり、実行委員のほとんどが辛そうな顔をしていましたが、当日になると生き生きとした表情で動いているのを見て、僕自身も元気をもらえました。 【廣田】僕は、様々な人を巻き込んで取り組むことで、最終的に1つの輪ができたことがとても嬉しかったです。正直、あまり大変だったと感じないほど、とても充実した期間だったと思います。しかし、実行委員の人数が不足していることは今後の課題にもなっていきますので、後輩たちにはしっかり勧誘を行ってほしいと伝えました。 大変だったことはありましたか 【木村】 準備の期間、呼びかけてもなかなか人数が集まらず、最終的には有志で協力してくださった先輩もいました。また、報連相や情報共有不足が毎年の課題になっていました。どちらの苦労もまずは資料や言葉で理解してもらおうと考えましたが、うまくいきませんでした。なので、自分自身の熱量とやる気を全面的に出し、休まず毎日準備を進めていたら徐々に協力してくれる人が増えていきました。碧蓮祭実行委員会の垣根を越えて沢山の方々が助けてくれた結果、成功したと思っています。 今後の碧蓮祭について考えていることはありますか 【木村】今年度が開催できたことは、これまでの先輩が繋いでいてくれたからこそ叶ったことなので、後輩たちには毎年当たり前に開催できるとは思わないでほしいです。そして、僕たちが繋いだもの、伝えたことが1人でも多くの後輩に繋げられたらいいなと思います。 また、もっと後輩が活躍できる場を設ける為、2023年2月に節分祭を復活させ、その運営は1、2年生中心で動いてもらう予定です。そこでは、碧蓮祭実行委員会だからといって、碧蓮祭しかできないという訳ではないことを伝えていきたいです。そもそも碧蓮祭実行委員会は、ものつくり大学を盛り上げるという目的でできた組織なので、様々なことにチャレンジしてほしいと思っています。 <節分祭とは>節分の時期に学生や近隣住民を集め、本学の連絡橋から豆やお菓子を配布する行事。地域住民の方との交流を目的としているが、新型コロナウイルスの影響により、2019年度以来開催されていない。 【廣田】基本的なことは引き継ぎますが、その年の色や自分たちのやりたいと感じたことを思う存分発揮してほしいと思います。節分祭自体も、2019年度に卒業した先輩たちで最後になっているため難しいとは思っていますが、そこで誰がどの役職に向いているのか、見守っていきたいです。 【木村】これは僕が碧蓮祭実行委員会に入った理由になるのですが、2020年度の碧蓮祭では、オンラインで「学生施工型アスレチック ~遊具王~」に参加し、自分も運営したいという気持ちがずっと強くありました。2020年度でチームの中心になった先輩の意志を継ぎ、もっとパワーアップした形で開催しようと準備を進めているところです。 <学生施工型アスレチック ~遊具王~とは>2020年度のオンライン碧蓮祭で開催した、設計から施工、競技運営まですべて学生が行うアスレチック型スポーツ大会。全身の筋肉と頭を使いながら、時間内に完走できるか競い合う。動画はこちら → https://youtu.be/5ThpU_DFypc 碧蓮祭を通して成長した部分はありましたか 【木村】所属当初は先輩からの指示を待つ状態でしたが、2年生の中盤から、このままでは次年度開催が難しいのではないかと感じ、組織としてどのように動いていったらいいのかを考えられるようになりました。委員長に就任してからは、部署ごとの進み具合や意見を聞くことで、更に視野が広がりました。 【廣田】副委員長の立場になってからは、一人ひとりの意見を聞けるようになりました。みんなの考えをまとめて、どのように動いたら最善の解決が出来るのか試行錯誤を続けられたことは、大きな成長だと思います。 碧蓮祭実行委員の仕事は大学生活でどのように役立っていますか 【木村】これは後悔になってしまいますが、熱量だけはすごくあるのに技術が追い付かないことがすごく多くて、もっときちんと授業を受けていれば…と思いました。逆に言うと、準備の段階で学んだことが授業できちんとできるようになるということです。碧蓮祭を通して人をまとめる力、履修している授業の基礎などが身に付いたので、先生の言っていることも頭の中にストンと入ってきました。 【廣田】目上の方や外部の方と連絡を取るときの文章能力が身に付きました。これは就職してから当たり前のスキルになっていくので、学生のうちに身に付けられたことは大きな経験だと思っています。 碧蓮祭実行委員の魅力とは何ですか 【木村】正直、かなり大変だとは思いますが、その分人として成長できるし、何よりも自分たちが主催する人生最後の祭を心から楽しめる場所だと思います。個人的には、「夢の叶う場所」ですね。まずは卒業生を含めた歴代の実行委員長と写真を撮ること、これは碧蓮祭で叶いました。また、その先輩たちと一緒に何かを作り上げたい。そして、実行委員会に所属する理由になった遊具王の開催。遊具王は碧蓮祭と同時開催が出来なかったため、節分祭で開催出来たら、全部の夢が叶います。 【廣田】本当に傍から見たら大変だと思います。でも、最終的には楽しくなって、良い経験には絶対なるのではないかなと思います。縦にも横にも輪が広がって、今後の為にもなる。この上ないくらい達成感があります。 最後に一言お願いします! 【木村】碧蓮祭実行委員会に所属しているメンバーや、これから入ろうとしている学生に「安パイと妥協は絶対にするな」と言いたいです。ベストを尽くしたとしても後悔は残ってしまうので、考えられるプランをやりきることが次年度の活力に繋がると思います。個人でも部活でもない「組織」なので決めたことをきちんと貫き、それでも残った反省点を後輩に伝えていくことでもっと大きな組織に成長すると思います。その背中を見て、沢山の人に碧蓮祭実行委員会へ所属してほしいです。 【廣田】僕はまったく逆です。できることとできないことを考えた上で、やりたくても妥協しなくてはいけない時があることを伝えたいです。木村は見ての通りやる気と熱量は誰よりもありますが、時間は有限だし予算や人材にも限りがある。どうしてもやりたいという気持ちも分かりますが、1回立ち止まる判断ができる人が1人はいた方が良いと思います。 【木村】僕らは火と水のようなコンビなので、運営を続ける中でも絶え間なく意見をぶつけ合いました。互いに違った視点を持っているので、とても勉強になるしやりやすかったです。 【廣田】たくさんの学生が碧蓮祭実行委員に入ってくれたら様々な個性が集まるので、恐れることなく是非入って欲しいです。もちろん、1年生でなくても大歓迎です。 関連リンク 碧蓮祭実行委員会WEBサイト

  • 行田市花いっぱい運動 地域との交流を通じて得た学び

    行田市はコロナ禍が続き、需要が低迷している市内の花卉《かき》農家を支援するため、「花いっぱい運動」を開始しました。行田市の観光事業である花手水に合わせて、忍城周辺や水城公園のヴェールカフェ周辺を花で彩っています。ものつくり大学では、建設学科の大竹研究室が、花によるフォトスポットやフラワースポットを制作し、花いっぱい運動に協力しました。今回は、忍城東小路とヴェールカフェ前のフォトスポット制作を担当した笠倉 圭佑さん(建設学科4年)と、忍城址内と浮き城の径のフラワースポット制作を担当した三森 公威さん(ものつくり学研究科1年)に伺いました。 フォトスポット制作が決まった時の気持ち 【笠倉】お話をいただいのが5月で、フォトスポットの設置時期が9月ということで、あまり時間も無く、最初は「できるかな」という気持ちでした。制作に関しては、フォトスポットは、今までに設計した事もありませんし、花についても詳しくないのですが、知らないが故に、逆にデザインの幅広さを感じていました。 【三森】最初は、笠倉さんのサポートというイメージで関わりました。2か所にフォトスポットを作るのだと思っていましたが、話を聞いているうちに他にもフラワースポットを作ることを知り、大竹先生から勧められて、制作を始めました。 フォトスポット、フラワースポットのコンセプト 【笠倉】フォトスポットのコンセプトは「カメラマンも被写体になる人も、花を楽しめるフォトスポット」です。フォトスポット制作の話を聞いたその日の午後には、スケッチを描き始めました。そこで、平面的なフォトスポットだと、被写体になる人から見えるのはカメラマンだけで、花を見られないのは勿体無いなと感じ、最初から奥行きのある立方体のデザインを考えていました。大竹先生からは、「フォトスポットの背後にあるヴェールカフェも背景に使ってみたら」というアドバイスをいただき、借景のヒントを得ました。 笠倉さんが描いたスケッチ ヴェールカフェ前のフォトスポット模型 【三森】フラワースポットは、行田市が月に1度開催している花手水のライトアップイベント「希望の光」をサポートして、より華やかにできるスポットを作ろうと思いました。浮き城の径の池に浮かべたフラワースポットのコンセプトは「浮かぶ行田市」です。池に花手水を作り、忍城の模型を浮かべて、「のぼうの城」の田楽踊りのシーンを作りました。忍城址内のフラワースポットは、番傘と組み合わせる予定だったので、番傘の上でよく回される「枡」をコンセプトにしました。ライトアップのメインである番傘との調和を崩さないことを意識して制作しました。 制作にあたって大学で学んできたことは活かせたか 【笠倉】設計の授業で、人の目線や見え方を学んでいなかったら、平面的なフォトスポットになっていたと思います。自分の好きなように設計するのではなく、使ってもらう人たちに楽しんでもらいたいと考えて作ることができました。 【三森】大学での学びを強く実感したのは、現場で施工している時でした。非常勤講師の先生と学生だけで施工したのですが、私たちは全員、1年生の時に架設の経験をしているため、スムーズに組み立てることができました。元々、2日間かけて単管を組む予定でしたが、1日目で組み終わり、2日目からは花を飾り付ける作業に入ることができました。 制作で苦労したことは 【笠倉】私が花に詳しくないため、花の飾り方は一番苦労しました。始めは、ただ花を吊るすことを考えていましたが、「花と花の間隔や、水やりや花の入れ替え作業の効率も考える必要がある」と行田市の方たちから意見をいただきました。そこで、フォトスポットの高さを低くし、作業をしやすくしました。また、花を斜めに設置すれば花が綺麗に見えると思い、格子状に組んだフェンスに入れる案や、板に丸い穴を開けて花を入れる案などを考えました。試行錯誤する中で、苗のポッドをアーチ状に結ぶ案が出て、試してみたところ強度もあり、花の見え方も綺麗だったので、実際に花を入れて撮った動画を行田市の方たちに見ていただき、強度を確認してもらい、この案に決定しました。 【三森】浮き城の径のフラワースポットは、打合せの時に忍城の模型を持参して、浮く素材を何パターンか提案しながら制作を進めました。花手水に使用する花が、ロス花を使用する関係上、数に限りがあったため、枠のサイズや厚みを調整して、花が綺麗に見えるパターンを探しました。また、池の流れで枠が流れてしまうため、重しの付け方や紐の長さも繰り返し試しました。 施工中の市民の方々の反応は 【笠倉】単管を組んでいる時は、近くを通った人たちから「何を作っているの?」と、たくさんの声をかけていただきました。花を飾り付けていくうちに「あ~、綺麗だね」という声が増えてきて、喜んでもらえていることを実感しました。忍城東小路のフォトスポットは、小学生の通学路になっていたため、単管を組んでいる時に「あ~、ジャングルジム!」って言われたりして、「登っちゃダメだよ」みたいなコミュニケーションがありました。制作中に声をかけていただいて、市民の方たちに注目されている事を感じることができ、嬉しかったです。 【三森】浮き城の径の池に入っている時に「池で花手水やるの?」という感じで、たくさんの方に話しかけられました。池に忍城と船を浮かべている時は、小さい子から中学生まで反応がすごく良かったので、やって良かったと感じました。 学生の視点から見る地域交流は 【三森】授業でものを作る時も、安全性は気にしながら作っていますが、学外にものを作る時は、長く設置されることを考慮して、継続性や見た目の変化を気にする必要があることを学びました。これは、授業では学べない事で、責任を感じました。 【笠倉】色々な条件がある中でものを作るのは難しかったですし、考える事がたくさんありました。ですが、完成した時に見てくれる人の数が学内で制作する時より格段に多く、人に見せるためにものを作るのは初めての経験でしたので、すごくやりがいがありました。大変でしたが、こんな経験はそうそうできないですから、制作できて良かったです。達成感が授業とは段違いでした。 地域と大学のより良い関係とは 【三森】今回のような連携は、学生にとっては経験になりますし、市役所の方たちにとっては新しいアイデアをもらえるということがお互いのメリットかと思います。普通、大学に依頼すると設計はできても、施工は企業に別途依頼すると思いますが、ものつくり大学であれば、設計から施工まで全部できる。できる幅が広いことが、ものつくり大学の強みだと思います。 【笠倉】頼られる大学になっていくと良いと思います。地域から頼られることで、学生は勉強する場ができます。ものつくり大学が作ったものが地域に増えたら、大学の名前も広がっていきますし、大学の外でものを作る経験をした方が絶対に自分の経験になりますから。 今回の学びをどう活かすか 【三森】行政の仕事に就くことを考えているため、行田市の方たちと仕事をできたことが貴重な経験になりました。私は、3Dプリンターやレーザーカッターを活用したデジタルファブリケーションについて研究していますが、レーザーカッターで多くの試作品を作ったことで、有用性や課題が見えてきました。手作業で模型を作ると時間がかかるのですが、レーザーカッターで作ると部材を切る時間は15分くらいで済みます。組み立てはあまり時間がかからず、加工も一定の精度でできるため、デジタルファブリケーションの強みが見えました。 【笠倉】条件がある中での制作で、考える力が身に付いたと思います。そして、知識が無いとそもそも思いつかない、知らない事が多いと何もできないということを実感しました。後は、伝え方が一番大事だと思いました。例えば、単管を組む時に、非常勤講師の先生から、どうやって作ればいいのか聞かれた時に、私は言葉で伝えるのが苦手なので、絵を描いて伝えていました。自分の強みを使って伝える力は大事だなと思いました。どう活かせるかというか、どこでも使える力だということを学べました。 関連リンク 【知・技の創造】装飾が愛着に繋がる 建設学科 デザイン・空間表現研究室(大竹研究室) 建設学科WEBページ

  • 完璧じゃなくても、より完成へ近づくまでプログラミングに集中する

    ETロボコンは、エンジニアの人材育成と技術教育の機会を提供することを目的としたロボットコンテスト。ETとはEmbedded Technologyの略。つまりマイコンを用いた組み込みソフトウェアの技術を競い合うもの。本学のETロボコンプロジェクトでは2012年から大会に参加し、2016年、2020年にチャンピオンシップ大会への出場歴があります。機体は同一のキットを使い、機体の中にインストールする制御プログラムの違いを競い合うレース大会。ひたすらプログラム製作に向かう辛い日々を凌駕する楽しさ、魅力はどこにあるのか! 若手エンジニアたちを熱くする、その魅力を高校時代から取り組んでいる青木 翔哉さん(総合機械学科2年)にインタビューしてみました。 ETロボコンに興味を持ったのは、いつ頃から 聖望学園高校時代に科学部に所属していました。部活でETロボコンに関わっていましたが、ちょうど2016年にものつくり大学と高校による合同チーム「mono&科学の妖精」で大会に出場し、デベロッパ部門アドバンストクラスのシルバーモデル賞を受賞しました。その連携の縁もあって、ものつくり大学に入学したという経緯です。とはいえ、入学当初はETロボコンを続けることに対して曖昧な気持ちしかなく、本格的に取組もうと思ったのは3カ月経った頃ですね。プログラミングは好きなので、他にも興味あることも多かったですが、最終的に選択したのはETロボコンでした。 高校時代から引き続き関わりたいと思った、その面白さとは 高校での経験やスキルもあるので、パソコンに向かって根を詰めることは苦にはならないのです。プログラムとにらめっこばかりだけど、注力した分の結果が出るところが面白いんです。プログラムエラーも出ますし、見えないエラーもあります。それを設計図通りに、重い通りに動くことができると楽しい。きれいにスムーズに動くと、より嬉しい。簡単ではないですけどね。 今年の大会での反省点や課題は まず、スムーズに走らなかった。それは機能が足りていなかった。僕がメインで、短期間で成果が出るように方針を決め、プログラム設計と、そのプログラムを動かす作業を行いました。でも、複数人で検証しながら、修正のアイデアを出して調整していくということができなかったので、結果的にリスク分析など検討が甘かったです。新しい機体だったので、脱線したりして、そうしたプログラムのずれを克服できなかったです。 例えば、ロボットはコースの黒のラインをトレースしながら走行するのですが、黒白の境界線を数値化してゼロと設定することで音が消えるというようなプログラムを組むんです。するとロボットがそこに動いたときに正確な位置を判断することができる。こうしたずれの修正策を検討しておかないと、ライントレースだけでなく、階段やジャンプ台、ゲートなど難所と呼ばれる箇所をクリアできないのです。そのためのリスク対策が重要だということを身をもって体験しました。 少人数で作業することのメリットやデメリットを理解して感じたことは 先程も言いましたが、少人数でのデメリットは、リスクを検討するにも、実装にも時間がかかる。人数がいれば開発もできただろうし、話し合う時間が持てることで様々なアイデアも出たと思います。でも自分は、自分に対して完璧主義なので、もしかすると相手にも高い成果を求めていたかもしれないと思うとチームをまとめる力があったかどうか、今後の課題です。ただし、今回の大会出場を通して自分自身に大きな変化がありました。完璧主義で、一つひとつを完璧に納得いくまで作業してきました。それが、一旦完成させてから妥協して進めてきた部分を検討するなど、それはあきらめる力というか、前へ進める力というか、いけぇ~というようなスキルがついたなと思いました。 今後、目標とすることや挑戦したいことは モデル競技はロボットにインストールするプログラムの組み方を競うものです。プログラムの概念を物体的に捉えるという考え方です。そのモデルの精度をきちっとすると色々な言語に対応できるので、今後は設計に力を入れていきたいです。今年よりもさらに良いモデルを製作できるようにしたいし、それを踏まえた上で、しっかり検討を重ねた設計内容を落とし込んだモデルにしたいですね。走行タイムを縮めて、難所もクリアできて、そして地区大会を突破し、本予選に出たい。そこまでいきたいです!! 最後にETロボコンプロジェクトのPRをお願いします 情報化社会で機械をプログラムで制御することは、ますます増えていくと思います。モデルの設計を通して、しかも短期間で製作し、成果を出す経験は、社会に出たときの良い訓練になるのではないかと思うので、やって損はないですね。学生時代にプロジェクト開発に関われる経験は、大きな財産になると思います。興味のある方、ぜひETロボコンプロジェクトの門を叩いてください。新しい自分発見とコミュニケーションで成長の実感ありますよ。僕自身は、マルチタスクが苦手なので、自分の性格に合った作業ができるETロボコンに注力していきます。目標に向かって一緒に頑張りましょう! 関連リンク ETロボコンプロジェクトWEBページ 情報メカトロニクス学科WEBページ

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  • 若年者ものづくり競技大会 大会後インタビュー

    若年者ものづくり競技大会は、企業等に就業していない20歳以下の若年者のものづくりの技能向上と就業意識を高めるための大会です。技能五輪全国大会の登竜門でもあります。本学では第2回目から毎回出場しています。第17回大会は、2022年7月27日(水)から28日(木)にかけて広島県立広島産業会館にて開催されました。本学からは建設学科より2名が出場し、建築大工職種において銀賞、木材加工職種において敢闘賞を受賞しました。 今回は、2名の受賞者に大会への思いや今後の目標を伺いました。 先輩方からの指導を胸に大会に臨みました 木材加工職種 敢闘賞 建設学科1年 山口 菜さん 幼いころからものづくりに興味があり、中学では木材を使った技術科目の授業が好きで、本棚などを作っていました。その後、建築士になりたいという夢ができ、実習の授業が多いものつくり大学に入学しました。入学後は本格的に木材を加工することが好きになり、何かに挑戦してみたいという気持ちから、若年者ものづくり競技大会出場を目指しました。 指導いただいた先輩方からのアドバイスは、全て参考になるものばかりでした。特に、本番を想定した通し練習では、先輩方に作業ごとのタイムをメモしていただき、時間配分なども一緒に考えていただきました。大会が近づくにつれて、同じようなミスを繰り返してしまうことや、学業とひとり暮らしの両立のなかで練習時間が確保できず、落ち込んでしまうこともありました。しかし、大会で賞を取ることを目標に、心を強く持つことで最後まで頑張ることが出来ました。 大会では、タイムにこだわりましたが、組み立てのタイミングで木材が曲がってしまうなど想定外のミスが重なり、競技時間をオーバーしてしまいました。しかし、最後まで諦めずに完成を目指し、延長時間内に収めることができました。結果が敢闘賞だと分かった時には驚きましたが、一番に家族へ結果を伝え、喜んでもらえたので良かったです。卒業後に就きたい仕事はまだ決めていませんが、今後は技能五輪全国大会への出場を目標に、どんどん練習を重ねて腕を磨きたいと思っています。 険しい道は成長への第一歩。今後も挑戦し続けます! 建築加工職種 銀賞 建設学科 2年 森上 雄介さん 昨年は家具職種で出場しましたが、今年は建築大工職種を先生に薦められました。異なる職種なので技術を学び直すのは大変ですが、険しい道を選択すれば今後の役に立つと考え、建築大工職種に変更して大会に臨みました。練習は、非常勤講師の宮前先生やものつくり大学の卒業生の方にご指導いただきながら、インターンシップ先の宮前工務店で行いました。練習期間では、作業効率を意識しながらより多くの課題を仕上げることによって、大会直前までしっかりと練習を積み重ねることができました。家具職種とは注意を向ける工程が異なるので、新たな学びや、逆に昨年得た技術を活かすことができたと実感しています。また、練習で仕上げた課題の数が歴代の学生の中で多かったことも、今回の受賞に繋がっていると感じています。 大会当日は、昨年の出場経験から大きな緊張はありませんでした。原寸図の作成の際に、設計図を書き直してしまうという減点に繋がるミスはありましたが、常に練習通りを意識しながら、組み立てなど仕上がりに影響の出る箇所はいつもより多く時間を取り、時間内に終了させることができました。応援に駆けつけてくださった先生やOBの先輩と、無事に完成出来たことにホッと胸を撫でおろしました。 結果発表は競技の翌日でした。ドン!と待ち構えていましたが、銀賞受賞を聞いたときはやはり安心しました。すぐに仲間に連絡を入れて、「おめでとう」という声をかけてもらえたので、頑張った甲斐があったなと感じています。今大会では、計画をきちんと練り、時間通りに課題を進めることの大切さを学ぶことができたので、2級建築大工技能士や技能五輪全国大会の出場を視野に挑戦をし続けたいと思います。そのためには、日々の授業を楽しみながら仲間と技術を磨き合い、志を忘れずに過ごすことが重要だと思います。目標は、技能五輪全国大会で金賞受賞です! 関連リンク 若年者ものづくり競技大会出場実績 建設学科WEBページ

  • 対面開催は3年ぶり-碧蓮祭実行委員長・副実行委員長が語る、学園祭への思い

    2022年10月29日(土)、30日(日)の両日にわたり、対面式では3年ぶりとなる第22回碧蓮祭が開催されました。2020年度、2021年度のオンライン開催を経て碧蓮祭実行委員長に就任した木村晴人さん(建設学科3年)、副委員長の廣田雅人さん(建設学科3年)は、対面式の学園祭を経験していません。そのような中でも、卒業生が繋いできた伝統を絶やすことなく開催した碧蓮祭をどのように感じているのか伺いました。 まずは、今年度のコンセプトについて込めた思いを聞かせてください 【木村】過去2年間で対面式の開催が叶わず、何もわからないまま代替わりをしてしまったので、新体制の実行委員は碧蓮祭そのものを体験したことのないメンバーばかりでした。開催に向けて沢山の壁があるなかで、それをすべて超えたいという気持ちや、自分たちの力で元に戻せたらいいなという意気込みから、「Break Through ~Our Challenge~」というコンセプトにしました。 碧蓮祭実行委員会に所属している後輩にも僕たちの背中を見てもらうことで、次年度以降は、様々な変化にも恐れを抱かず勇気をもって取り組んで欲しいと思っています。 3年ぶりに対面の碧蓮祭を実施するにあたり、例年と変化したところはありますか 【木村】2020年、2021年は新型コロナウイルスの影響でオンライン開催となりました。実行委員の中で企画したイベントをYouTubeに公開しましたが、これは今後の対面開催に向けて、外部の方への認知度を上げるための開催でした。対面開催では、地域の方々にとって、イベントが少ない中でも碧蓮祭を楽しんでいただくことで、地域を活性化できたらなという目的がありました。 碧蓮祭を作り上げていく中で楽しかったことはありましたか 【木村】楽しかったことは、学年を超えて準備ができたことです。開催に向けて先輩方に相談できたり、みんなとステージの製作ができたことは強く心に残っています。あとは、開催当日が一番楽しい時間でした。準備の段階では疲れも重なり、実行委員のほとんどが辛そうな顔をしていましたが、当日になると生き生きとした表情で動いているのを見て、僕自身も元気をもらえました。 【廣田】僕は、様々な人を巻き込んで取り組むことで、最終的に1つの輪ができたことがとても嬉しかったです。正直、あまり大変だったと感じないほど、とても充実した期間だったと思います。しかし、実行委員の人数が不足していることは今後の課題にもなっていきますので、後輩たちにはしっかり勧誘を行ってほしいと伝えました。 大変だったことはありましたか 【木村】 準備の期間、呼びかけてもなかなか人数が集まらず、最終的には有志で協力してくださった先輩もいました。また、報連相や情報共有不足が毎年の課題になっていました。どちらの苦労もまずは資料や言葉で理解してもらおうと考えましたが、うまくいきませんでした。なので、自分自身の熱量とやる気を全面的に出し、休まず毎日準備を進めていたら徐々に協力してくれる人が増えていきました。碧蓮祭実行委員会の垣根を越えて沢山の方々が助けてくれた結果、成功したと思っています。 今後の碧蓮祭について考えていることはありますか 【木村】今年度が開催できたことは、これまでの先輩が繋いでいてくれたからこそ叶ったことなので、後輩たちには毎年当たり前に開催できるとは思わないでほしいです。そして、僕たちが繋いだもの、伝えたことが1人でも多くの後輩に繋げられたらいいなと思います。 また、もっと後輩が活躍できる場を設ける為、2023年2月に節分祭を復活させ、その運営は1、2年生中心で動いてもらう予定です。そこでは、碧蓮祭実行委員会だからといって、碧蓮祭しかできないという訳ではないことを伝えていきたいです。そもそも碧蓮祭実行委員会は、ものつくり大学を盛り上げるという目的でできた組織なので、様々なことにチャレンジしてほしいと思っています。 <節分祭とは>節分の時期に学生や近隣住民を集め、本学の連絡橋から豆やお菓子を配布する行事。地域住民の方との交流を目的としているが、新型コロナウイルスの影響により、2019年度以来開催されていない。 【廣田】基本的なことは引き継ぎますが、その年の色や自分たちのやりたいと感じたことを思う存分発揮してほしいと思います。節分祭自体も、2019年度に卒業した先輩たちで最後になっているため難しいとは思っていますが、そこで誰がどの役職に向いているのか、見守っていきたいです。 【木村】これは僕が碧蓮祭実行委員会に入った理由になるのですが、2020年度の碧蓮祭では、オンラインで「学生施工型アスレチック ~遊具王~」に参加し、自分も運営したいという気持ちがずっと強くありました。2020年度でチームの中心になった先輩の意志を継ぎ、もっとパワーアップした形で開催しようと準備を進めているところです。 <学生施工型アスレチック ~遊具王~とは>2020年度のオンライン碧蓮祭で開催した、設計から施工、競技運営まですべて学生が行うアスレチック型スポーツ大会。全身の筋肉と頭を使いながら、時間内に完走できるか競い合う。動画はこちら → https://youtu.be/5ThpU_DFypc 碧蓮祭を通して成長した部分はありましたか 【木村】所属当初は先輩からの指示を待つ状態でしたが、2年生の中盤から、このままでは次年度開催が難しいのではないかと感じ、組織としてどのように動いていったらいいのかを考えられるようになりました。委員長に就任してからは、部署ごとの進み具合や意見を聞くことで、更に視野が広がりました。 【廣田】副委員長の立場になってからは、一人ひとりの意見を聞けるようになりました。みんなの考えをまとめて、どのように動いたら最善の解決が出来るのか試行錯誤を続けられたことは、大きな成長だと思います。 碧蓮祭実行委員の仕事は大学生活でどのように役立っていますか 【木村】これは後悔になってしまいますが、熱量だけはすごくあるのに技術が追い付かないことがすごく多くて、もっときちんと授業を受けていれば…と思いました。逆に言うと、準備の段階で学んだことが授業できちんとできるようになるということです。碧蓮祭を通して人をまとめる力、履修している授業の基礎などが身に付いたので、先生の言っていることも頭の中にストンと入ってきました。 【廣田】目上の方や外部の方と連絡を取るときの文章能力が身に付きました。これは就職してから当たり前のスキルになっていくので、学生のうちに身に付けられたことは大きな経験だと思っています。 碧蓮祭実行委員の魅力とは何ですか 【木村】正直、かなり大変だとは思いますが、その分人として成長できるし、何よりも自分たちが主催する人生最後の祭を心から楽しめる場所だと思います。個人的には、「夢の叶う場所」ですね。まずは卒業生を含めた歴代の実行委員長と写真を撮ること、これは碧蓮祭で叶いました。また、その先輩たちと一緒に何かを作り上げたい。そして、実行委員会に所属する理由になった遊具王の開催。遊具王は碧蓮祭と同時開催が出来なかったため、節分祭で開催出来たら、全部の夢が叶います。 【廣田】本当に傍から見たら大変だと思います。でも、最終的には楽しくなって、良い経験には絶対なるのではないかなと思います。縦にも横にも輪が広がって、今後の為にもなる。この上ないくらい達成感があります。 最後に一言お願いします! 【木村】碧蓮祭実行委員会に所属しているメンバーや、これから入ろうとしている学生に「安パイと妥協は絶対にするな」と言いたいです。ベストを尽くしたとしても後悔は残ってしまうので、考えられるプランをやりきることが次年度の活力に繋がると思います。個人でも部活でもない「組織」なので決めたことをきちんと貫き、それでも残った反省点を後輩に伝えていくことでもっと大きな組織に成長すると思います。その背中を見て、沢山の人に碧蓮祭実行委員会へ所属してほしいです。 【廣田】僕はまったく逆です。できることとできないことを考えた上で、やりたくても妥協しなくてはいけない時があることを伝えたいです。木村は見ての通りやる気と熱量は誰よりもありますが、時間は有限だし予算や人材にも限りがある。どうしてもやりたいという気持ちも分かりますが、1回立ち止まる判断ができる人が1人はいた方が良いと思います。 【木村】僕らは火と水のようなコンビなので、運営を続ける中でも絶え間なく意見をぶつけ合いました。互いに違った視点を持っているので、とても勉強になるしやりやすかったです。 【廣田】たくさんの学生が碧蓮祭実行委員に入ってくれたら様々な個性が集まるので、恐れることなく是非入って欲しいです。もちろん、1年生でなくても大歓迎です。 関連リンク 碧蓮祭実行委員会WEBサイト

  • 行田市花いっぱい運動 地域との交流を通じて得た学び

    行田市はコロナ禍が続き、需要が低迷している市内の花卉《かき》農家を支援するため、「花いっぱい運動」を開始しました。行田市の観光事業である花手水に合わせて、忍城周辺や水城公園のヴェールカフェ周辺を花で彩っています。ものつくり大学では、建設学科の大竹研究室が、花によるフォトスポットやフラワースポットを制作し、花いっぱい運動に協力しました。今回は、忍城東小路とヴェールカフェ前のフォトスポット制作を担当した笠倉 圭佑さん(建設学科4年)と、忍城址内と浮き城の径のフラワースポット制作を担当した三森 公威さん(ものつくり学研究科1年)に伺いました。 フォトスポット制作が決まった時の気持ち 【笠倉】お話をいただいのが5月で、フォトスポットの設置時期が9月ということで、あまり時間も無く、最初は「できるかな」という気持ちでした。制作に関しては、フォトスポットは、今までに設計した事もありませんし、花についても詳しくないのですが、知らないが故に、逆にデザインの幅広さを感じていました。 【三森】最初は、笠倉さんのサポートというイメージで関わりました。2か所にフォトスポットを作るのだと思っていましたが、話を聞いているうちに他にもフラワースポットを作ることを知り、大竹先生から勧められて、制作を始めました。 フォトスポット、フラワースポットのコンセプト 【笠倉】フォトスポットのコンセプトは「カメラマンも被写体になる人も、花を楽しめるフォトスポット」です。フォトスポット制作の話を聞いたその日の午後には、スケッチを描き始めました。そこで、平面的なフォトスポットだと、被写体になる人から見えるのはカメラマンだけで、花を見られないのは勿体無いなと感じ、最初から奥行きのある立方体のデザインを考えていました。大竹先生からは、「フォトスポットの背後にあるヴェールカフェも背景に使ってみたら」というアドバイスをいただき、借景のヒントを得ました。 笠倉さんが描いたスケッチ ヴェールカフェ前のフォトスポット模型 【三森】フラワースポットは、行田市が月に1度開催している花手水のライトアップイベント「希望の光」をサポートして、より華やかにできるスポットを作ろうと思いました。浮き城の径の池に浮かべたフラワースポットのコンセプトは「浮かぶ行田市」です。池に花手水を作り、忍城の模型を浮かべて、「のぼうの城」の田楽踊りのシーンを作りました。忍城址内のフラワースポットは、番傘と組み合わせる予定だったので、番傘の上でよく回される「枡」をコンセプトにしました。ライトアップのメインである番傘との調和を崩さないことを意識して制作しました。 制作にあたって大学で学んできたことは活かせたか 【笠倉】設計の授業で、人の目線や見え方を学んでいなかったら、平面的なフォトスポットになっていたと思います。自分の好きなように設計するのではなく、使ってもらう人たちに楽しんでもらいたいと考えて作ることができました。 【三森】大学での学びを強く実感したのは、現場で施工している時でした。非常勤講師の先生と学生だけで施工したのですが、私たちは全員、1年生の時に架設の経験をしているため、スムーズに組み立てることができました。元々、2日間かけて単管を組む予定でしたが、1日目で組み終わり、2日目からは花を飾り付ける作業に入ることができました。 制作で苦労したことは 【笠倉】私が花に詳しくないため、花の飾り方は一番苦労しました。始めは、ただ花を吊るすことを考えていましたが、「花と花の間隔や、水やりや花の入れ替え作業の効率も考える必要がある」と行田市の方たちから意見をいただきました。そこで、フォトスポットの高さを低くし、作業をしやすくしました。また、花を斜めに設置すれば花が綺麗に見えると思い、格子状に組んだフェンスに入れる案や、板に丸い穴を開けて花を入れる案などを考えました。試行錯誤する中で、苗のポッドをアーチ状に結ぶ案が出て、試してみたところ強度もあり、花の見え方も綺麗だったので、実際に花を入れて撮った動画を行田市の方たちに見ていただき、強度を確認してもらい、この案に決定しました。 【三森】浮き城の径のフラワースポットは、打合せの時に忍城の模型を持参して、浮く素材を何パターンか提案しながら制作を進めました。花手水に使用する花が、ロス花を使用する関係上、数に限りがあったため、枠のサイズや厚みを調整して、花が綺麗に見えるパターンを探しました。また、池の流れで枠が流れてしまうため、重しの付け方や紐の長さも繰り返し試しました。 施工中の市民の方々の反応は 【笠倉】単管を組んでいる時は、近くを通った人たちから「何を作っているの?」と、たくさんの声をかけていただきました。花を飾り付けていくうちに「あ~、綺麗だね」という声が増えてきて、喜んでもらえていることを実感しました。忍城東小路のフォトスポットは、小学生の通学路になっていたため、単管を組んでいる時に「あ~、ジャングルジム!」って言われたりして、「登っちゃダメだよ」みたいなコミュニケーションがありました。制作中に声をかけていただいて、市民の方たちに注目されている事を感じることができ、嬉しかったです。 【三森】浮き城の径の池に入っている時に「池で花手水やるの?」という感じで、たくさんの方に話しかけられました。池に忍城と船を浮かべている時は、小さい子から中学生まで反応がすごく良かったので、やって良かったと感じました。 学生の視点から見る地域交流は 【三森】授業でものを作る時も、安全性は気にしながら作っていますが、学外にものを作る時は、長く設置されることを考慮して、継続性や見た目の変化を気にする必要があることを学びました。これは、授業では学べない事で、責任を感じました。 【笠倉】色々な条件がある中でものを作るのは難しかったですし、考える事がたくさんありました。ですが、完成した時に見てくれる人の数が学内で制作する時より格段に多く、人に見せるためにものを作るのは初めての経験でしたので、すごくやりがいがありました。大変でしたが、こんな経験はそうそうできないですから、制作できて良かったです。達成感が授業とは段違いでした。 地域と大学のより良い関係とは 【三森】今回のような連携は、学生にとっては経験になりますし、市役所の方たちにとっては新しいアイデアをもらえるということがお互いのメリットかと思います。普通、大学に依頼すると設計はできても、施工は企業に別途依頼すると思いますが、ものつくり大学であれば、設計から施工まで全部できる。できる幅が広いことが、ものつくり大学の強みだと思います。 【笠倉】頼られる大学になっていくと良いと思います。地域から頼られることで、学生は勉強する場ができます。ものつくり大学が作ったものが地域に増えたら、大学の名前も広がっていきますし、大学の外でものを作る経験をした方が絶対に自分の経験になりますから。 今回の学びをどう活かすか 【三森】行政の仕事に就くことを考えているため、行田市の方たちと仕事をできたことが貴重な経験になりました。私は、3Dプリンターやレーザーカッターを活用したデジタルファブリケーションについて研究していますが、レーザーカッターで多くの試作品を作ったことで、有用性や課題が見えてきました。手作業で模型を作ると時間がかかるのですが、レーザーカッターで作ると部材を切る時間は15分くらいで済みます。組み立てはあまり時間がかからず、加工も一定の精度でできるため、デジタルファブリケーションの強みが見えました。 【笠倉】条件がある中での制作で、考える力が身に付いたと思います。そして、知識が無いとそもそも思いつかない、知らない事が多いと何もできないということを実感しました。後は、伝え方が一番大事だと思いました。例えば、単管を組む時に、非常勤講師の先生から、どうやって作ればいいのか聞かれた時に、私は言葉で伝えるのが苦手なので、絵を描いて伝えていました。自分の強みを使って伝える力は大事だなと思いました。どう活かせるかというか、どこでも使える力だということを学べました。 関連リンク 【知・技の創造】装飾が愛着に繋がる 建設学科 デザイン・空間表現研究室(大竹研究室) 建設学科WEBページ

  • 完璧じゃなくても、より完成へ近づくまでプログラミングに集中する

    ETロボコンは、エンジニアの人材育成と技術教育の機会を提供することを目的としたロボットコンテスト。ETとはEmbedded Technologyの略。つまりマイコンを用いた組み込みソフトウェアの技術を競い合うもの。本学のETロボコンプロジェクトでは2012年から大会に参加し、2016年、2020年にチャンピオンシップ大会への出場歴があります。機体は同一のキットを使い、機体の中にインストールする制御プログラムの違いを競い合うレース大会。ひたすらプログラム製作に向かう辛い日々を凌駕する楽しさ、魅力はどこにあるのか! 若手エンジニアたちを熱くする、その魅力を高校時代から取り組んでいる青木 翔哉さん(総合機械学科2年)にインタビューしてみました。 ETロボコンに興味を持ったのは、いつ頃から 聖望学園高校時代に科学部に所属していました。部活でETロボコンに関わっていましたが、ちょうど2016年にものつくり大学と高校による合同チーム「mono&科学の妖精」で大会に出場し、デベロッパ部門アドバンストクラスのシルバーモデル賞を受賞しました。その連携の縁もあって、ものつくり大学に入学したという経緯です。とはいえ、入学当初はETロボコンを続けることに対して曖昧な気持ちしかなく、本格的に取組もうと思ったのは3カ月経った頃ですね。プログラミングは好きなので、他にも興味あることも多かったですが、最終的に選択したのはETロボコンでした。 高校時代から引き続き関わりたいと思った、その面白さとは 高校での経験やスキルもあるので、パソコンに向かって根を詰めることは苦にはならないのです。プログラムとにらめっこばかりだけど、注力した分の結果が出るところが面白いんです。プログラムエラーも出ますし、見えないエラーもあります。それを設計図通りに、重い通りに動くことができると楽しい。きれいにスムーズに動くと、より嬉しい。簡単ではないですけどね。 今年の大会での反省点や課題は まず、スムーズに走らなかった。それは機能が足りていなかった。僕がメインで、短期間で成果が出るように方針を決め、プログラム設計と、そのプログラムを動かす作業を行いました。でも、複数人で検証しながら、修正のアイデアを出して調整していくということができなかったので、結果的にリスク分析など検討が甘かったです。新しい機体だったので、脱線したりして、そうしたプログラムのずれを克服できなかったです。 例えば、ロボットはコースの黒のラインをトレースしながら走行するのですが、黒白の境界線を数値化してゼロと設定することで音が消えるというようなプログラムを組むんです。するとロボットがそこに動いたときに正確な位置を判断することができる。こうしたずれの修正策を検討しておかないと、ライントレースだけでなく、階段やジャンプ台、ゲートなど難所と呼ばれる箇所をクリアできないのです。そのためのリスク対策が重要だということを身をもって体験しました。 少人数で作業することのメリットやデメリットを理解して感じたことは 先程も言いましたが、少人数でのデメリットは、リスクを検討するにも、実装にも時間がかかる。人数がいれば開発もできただろうし、話し合う時間が持てることで様々なアイデアも出たと思います。でも自分は、自分に対して完璧主義なので、もしかすると相手にも高い成果を求めていたかもしれないと思うとチームをまとめる力があったかどうか、今後の課題です。ただし、今回の大会出場を通して自分自身に大きな変化がありました。完璧主義で、一つひとつを完璧に納得いくまで作業してきました。それが、一旦完成させてから妥協して進めてきた部分を検討するなど、それはあきらめる力というか、前へ進める力というか、いけぇ~というようなスキルがついたなと思いました。 今後、目標とすることや挑戦したいことは モデル競技はロボットにインストールするプログラムの組み方を競うものです。プログラムの概念を物体的に捉えるという考え方です。そのモデルの精度をきちっとすると色々な言語に対応できるので、今後は設計に力を入れていきたいです。今年よりもさらに良いモデルを製作できるようにしたいし、それを踏まえた上で、しっかり検討を重ねた設計内容を落とし込んだモデルにしたいですね。走行タイムを縮めて、難所もクリアできて、そして地区大会を突破し、本予選に出たい。そこまでいきたいです!! 最後にETロボコンプロジェクトのPRをお願いします 情報化社会で機械をプログラムで制御することは、ますます増えていくと思います。モデルの設計を通して、しかも短期間で製作し、成果を出す経験は、社会に出たときの良い訓練になるのではないかと思うので、やって損はないですね。学生時代にプロジェクト開発に関われる経験は、大きな財産になると思います。興味のある方、ぜひETロボコンプロジェクトの門を叩いてください。新しい自分発見とコミュニケーションで成長の実感ありますよ。僕自身は、マルチタスクが苦手なので、自分の性格に合った作業ができるETロボコンに注力していきます。目標に向かって一緒に頑張りましょう! 関連リンク ETロボコンプロジェクトWEBページ 情報メカトロニクス学科WEBページ

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