熊本の橋,建造物

天草(2013.1・2015.10・2017.4調査)

天草五橋は宇土半島先端の三角から,天草諸島の大矢野島,永浦島,池島,前島を経て天草上島までを5つの橋で結ぶ,宇城市から上天草市にかけての連絡道路になります.1966年9月に開通しました.

宇城市三角町で分岐して上天草市大矢野町飛岳へ第1号橋(天門橋)で渡り,登立・江後を経て大矢野島を縦断し,第2号橋(大矢野橋)で満越から永浦島,第3号橋(中の橋)で池島,第4号橋(前島橋)で前島へと経て,第5号橋(松島橋)で松島町会津へと至る総延長17.4 kmです.天草五橋は当初は償還期間39年を見込んだ有料道路でしたが,開通により天草への観光客が急増,自家用車の普及による交通量の増大によりわずか9年で償還を完了して無料化されました.この地は,真珠の養殖が盛んだったことから「天草パールライン」と名付けられ,日本の道百選に選定されています.

 

天草五橋・1号橋(天門橋)は全長502mのトラス橋です.建設当時世界最長の連続トラス橋で,1966年に第1回の土木学会田中賞作品部門を受賞しました.2018年,すぐ横に新天門橋の天城橋が架かりましたが,自動車専用道のため自転車や歩行者は従来どおり天門橋を利用します.大型船が通行できるよう海面からの高さは42mです.上部は横河橋梁製作所,下部は西松建設の施工です.

1号橋(天門橋)
1号橋(天門橋)

調査時に架設中であった新天門橋は2018年5月に完成し,天城橋(てんじょうきょう)と名付けられました.三角ノ瀬戸に架かる橋で,全長463.0m,橋梁形式は鋼PC複合中路式アーチ橋です.ソリッドリブ形式のアーチ橋では国内最大の橋梁です.

調査時は横河ブリッジが施工中で,アーチリブと桁の架設がほぼ完了した状態でした.ケーブルエレクションの架設機材が見られてよかったです.1号橋の天門橋と並んで500mのケーブルクレーンが完成した状態で,久しぶりの現場に心が躍るような気分でした.

天門橋と高圧送電線に挟まれたわずかな空間に橋を建設しなければならないことから,大型起重機船による一括架設は不可能であり,そのためアーチ部は鉄塔から斜めに張ったケーブルで支えながら架設していくケーブルエレクション斜吊工法が採用されました.PC桁は橋脚から海側・陸側へ同時に張り出していく片持架設工法とし,鋼桁(補剛桁)は5ブロックに分けて台船で現地へ運び,直下から吊り上げてつなぎ合わせる台船曳航直下吊工法としています.宇城市と天草市を繋ぐ事から市の名前を1文字ずつ,外観が天にそびえる城をイメージさせる事から公募にて「天城橋」と名付けられました.2018年度の土木学会田中賞作品部門を受賞しています.

架設中の新天門橋
架設中の新天門橋
架設中の新天門橋
架設中の新天門橋

2号橋(大矢野橋)は黄色いアーチが美しい全長249.1mのランガートラス橋です.最大支間156mは当時日本最長でした.上部は日本橋梁,下部は大林組の施工です.

2号橋(大矢野橋)
2号橋(大矢野橋)
2号橋(大矢野橋)

 

3号橋(中の橋)はスパン中央にヒンジを有するPC箱桁橋で,全長361mの耐震性に優れたラーメン橋です.橋脚から左右にバランスをとりながら張り出して行くヤジロベー工法で架橋されました.住友建設のディビダーグ工法による施工です.

3号橋(中の橋)
3号橋(中の橋)

4号橋 (前島橋)は五橋の中で一番の長さである510.2mのPC箱桁橋です.大型船の通行が少ない海域ということもあり,海面高を低くし景色を楽しめるように設計されています.3号橋と同様に,橋脚から左右にバランスをとりながら張り出して行くヤジロベー工法で架橋されています.鹿島建設の施工です.

4号橋 (前島橋)
4号橋 (前島橋)

5号橋(松島橋)は日本で初めて造られた本格的なパイプアーチ構造の橋で全長177.7mです.松島橋という名は,かつて渡った先が天草郡松島町だったからだそうです.パイプアーチ橋を採用したのは景観を重視したためと推測できます.上部は川崎重工業,下部は星野土木施工です.耐震補強のため斜材が追加されています.

5号橋(松島橋)
5号橋(松島橋)
5号橋(松島橋)

天草瀬戸大橋は天草市にある本渡瀬戸に架かる橋で,現在のものは3代目です.1923年には初代の瀬戸橋が,1960年には2代目の新瀬戸橋が架橋されましたが,桁下高が低く本渡瀬戸を航行する船舶があるときは橋を回転または跳ね上げる方式でした.1970年代に本渡瀬戸を航行する船舶と道路交通量それぞれの増加により,交通渋滞が激しくなったため,本橋の架設が計画され1974年5月に完成しました.

全長702.5m.瀬戸を航行する船舶を考慮して,海面からの高さを確保するために橋の両端はループ橋となっています.川崎重工業の施工です.

天草瀬戸大橋

 

本土瀬戸(ほんどせと)歩道橋は天草諸島の上島と下島に挟まれた海峡である本渡瀬戸に架る人道橋です.

瀬戸橋(跳ね上げ式可動橋)に変わり1974年に天草瀬戸大橋(ループ橋)が開通しましたが,急勾配な坂で自転車や歩行者が渡るのには不向きでした.その為,別途歩行者用に昇降式可動橋が1978年に架橋されました.橋長124.77m、幅員2.9mで,橋の下を船が通過する際,橋の中心部の橋桁(全長58m)が,船の大きさにより2段階(10.2m・17m)に上昇(昇降時間は約3分),船が通過すると降下が始まり通行が可能になります.監視所に常駐する監視員の操作により昇降されています.

本土瀬戸歩道橋
本土瀬戸歩道橋
本土瀬戸歩道橋

 

牛深(うしぶか)ハイヤ大橋は天草市牛深湾に架かる全長883mの7径間連続鋼床版曲線箱桁橋です.くまもとアートポリス事業のひとつで,イタリアの建築家レンゾ・ピアノ氏が設計しました.自然景観と調和した美しさで,風による振動を抑えるための整流板が採用されています.1997年8月完成です.1998年土木学会の田中賞作品部門を受賞しました.また,2001年第1回土木学会景観・デザイン賞も受賞しています.

2021年8月,脚と橋桁を支える支承の破損が見つかり,全面通行止にして応急工事を行い,同年12月に応急工事が完了し車両の通行が再開されています.

牛深ハイヤ大橋
牛深ハイヤ大橋
牛深ハイヤ大橋

三角西港は1887年に明治維新後の殖産興業のもと,オランダ人水理工師であるローエンホルスト・ムルドルの設計により築港されました.56mにもおよぶ石積みの埠頭や水路,建造物などは,築港当時の姿を残す唯一の港として国の重要文化財に指定され,2015年には世界文化遺産にも登録されました.

埠頭は,対岸の飛岳から切り出した安山岩を切石し,緻密で高度な石積みで形成されており,背後の山からの水を流すため山麓に沿って排水路を設け,直接海に排水するために町を縦断する2箇所の排水路を設けています.総延長756mに及ぶ石積埠頭,3つの浮桟橋,整然とした道路,排水路,石橋などは当時の最先端の都市計画の下で築かれたことを示しています.

三角西港
三角西港
三角西港
三角西港の説明板

 

コロニアル様式のホテル浦島屋は,当時熊本に住んでいた文豪・小泉八雲も立ち寄った名所で,現在の建物は当時の写真をもとに1993年に復元されたものです.

その先には,明治天皇の即位50年を記念して建設された龍驤館(りゅうじょうかん)があり,館内のムルドルハウスでは,地元の伝統工芸や特産,輸入雑貨が購入でき,周辺の観光情報も得られます.

石積み埠頭の脇にたつ旧三角海運倉庫は現在,レストラン西港明治館として利用されています.
また旧高田回漕店も当時の面影を色濃く残す建物のひとつで,回漕店とは運送会社・商店のことです.

ホテル浦島屋
龍驤館
旧三角海運倉庫
旧高田回漕店

 

大江天主堂は天草市天草町大江にあるキリスト教解禁後,天草で最も早く造られた教会です.フランス人宣教師のガルニエ神父が私財を投じて1933年に建設しました.設計・施工は,長崎県南松浦郡魚目村(現・新上五島町)出身の大工棟梁・鉄川与助(てつかわよすけ)です.ゴシック様式の﨑津教会(大江天主堂完成の翌年1934年の完成)も鉄川与助作で,独学で西洋の教会建築様式を勉強し,外国人宣教師の指導を受けながら建てたもの.ロマネスク様式の白亜の天主堂は「丘の天主堂」と呼ばれています.墓石には十字架が取り付けられています.

大江天主堂
大江天主堂の説明板

崎津教会は世界遺産の構成資産として登録された崎津集落に立つゴシック式の教会で「海の天主堂」とも呼ばれています.この場所は絵踏みが行われていた庄屋屋敷をフランス人宣教師ハルブ神父が買い取ったものと言われていて,1934年に神父と信者の協力によって再建されました.教会内は畳敷きとなっています.

崎津教会
崎津教会の説明板

県央・県南(2015.10・2020.1調査)

霊台橋(れいだいきょう)は下益城郡美里町を流れる緑川に架かる江戸時代末期の石橋で,国指定の重要文化財です. 単一アーチ石橋として熊本県で最も大きく橋長89.86mです.惣庄屋の篠原善兵衛が流されることの無い石橋の架橋を発案し,種山石工(たねやまいしく:江戸時代後期に熊本県の八代地域に住んでいた石工集団)の卯助・宇一・丈八3兄弟が中心となって1847年に架橋しました.丈八は霊台橋や通潤橋工事の功績で苗字帯刀を許され橋本勘五郎と名を改め,明治時代に入ると政府から依頼され,浅草橋や京橋,他にも多くの橋梁の施工に関わりました.

梅雨と台風が来る季節を避けて造られたためわずか6~7か月の工事期間であり,大勢の大工や農民の協力のもと予定より早く工事が終わったことが,中国の古典「孟子」の中の文王霊台建造の話に類似すると考えた篠原善兵衛は,この故事にあやかり「霊台橋」と名付けました.1900年に県道の一部とされた際,石橋の上にさらに石垣を積んで石橋上の道を平らにし,バスやトラックなど大型車を含む車が通れるようにしましたが,1966年に上流側に並行して鉄骨製の新霊台橋が完成したため,石橋は自動車の進入が禁止され観光用の人道橋となり1980年完成当時の姿に復元する工事が行われ現在に至ります.

霊台橋
霊台橋
霊台橋
新霊台橋

 

金内橋は上益城郡山都町の御船川に架かる大小二連からなる眼鏡橋です.石工棟梁であった宇一と丈八によって1850年3月に架橋され,この4年後には通潤橋を完成させています.大きなアーチは御船川の本流を,小さなアーチは嘉永福良井手の取入れ口となって,すぐ下流にある水路橋の立野橋に繋がっています.

1933年の改修工事で欄干を含む上部と石垣の補強のためコンクリートで被われてしまったため,石橋であると気付きにくいですが,河原からは美しいアーチと石組みを見ることができます.

金内橋
金内橋

下鶴橋は上益城郡御船町の八勢川に架かる橋長71.0m,幅員5.3mの石橋です. 橋本勘五郎,弥熊父子によって1882年から1886年までの4年間を費やして架設されたものです.橋本弥熊が初めて架けた眼鏡橋としても有名で,酒好きの弥熊は,親柱に「とっくり」と「さかずき」の透かし孔を残しました.隣接して新橋が架設されたあとは 車両通行止となっています.

下鶴橋
下鶴橋
下鶴橋の親柱と「とっくり」の透かし孔
下鶴橋の説明板

 

通潤橋は1854年(嘉永7年),四方を河川に囲まれた白糸台地に農業用水を送るために建設された日本最大級の石造りアーチ水路橋で,長さ75.6m,幅6.3m,高さ20.2mです.時の惣庄屋「布田保之助(ふたやすのすけ)」が,”肥後の石工”たちの持つ技術を用いて建設しました.橋を渡った水は今もなお白糸台地上の約100haの水田を潤しています.2016年4月の熊本地震による橋上部の損傷に加え,2018年5月の豪雨で石垣が崩落するなどの被害を受け,保存修理工事を行ってきましたが,2020年に約4年ぶりに放水が再開することとなりました.1960年に国の重要文化財に指定されています.

通潤橋
通潤橋
通潤橋の説明板
地震後補修中の通潤橋

令和2年7月豪雨は2020年7月3日から7月31日にかけて,熊本県を中心に九州や中部地方など日本各地で発生した集中豪雨です.球磨川氾濫後の様子になります.

JR肥薩線の鎌瀬駅 – 瀬戸石駅間にある球磨川第一橋梁(1908年竣工)は一部流失しています.

球磨川第一橋梁
球磨川第一橋梁
球磨川第一橋梁

 

球磨郡球磨村神瀬の神瀬(こうのせ)橋(1934年竣工)は上部工が流出し,撤去工事が行われていました.

神瀬橋撤去工事
神瀬橋撤去工事
神瀬橋の工事説明板

八代市坂本町の中谷橋(1982年竣工)は流木等が堆積していますが,残存していました.

中谷橋
中谷橋

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