少し以前に行った山陰地方の橋梁調査内容をアップします.
境水道大橋は橋長700m強の3径間のトラス橋です.上路トラスから中路,下路と変化する構造形式でとても美しいですね.川崎重工の旧橋で,1972年完成しています.当時,本四架橋の練習の一環で日本道路公団発注になります.近くで見ると耐震補強でボルトだらけになってしまっていますが,建設当時の面影を残した状態です.この橋をトラベラークレーンで架設したのは,ドキドキものですね.
江島大橋(境港市~松江市)は中浦水門の交通上の問題を解消するため建設された.桁下を航行する船舶(5000t船舶)の通航に支障がないよう,工事及び耐震の関係から島根県側は6.1%,鳥取県側は5.1%の勾配を設けて44.7mまで昇る.中央径間250mは2014年現在日本で第2位,PCラーメン橋に限れば世界で第3位に入る.「べた踏み坂」と表現され有名になった.全長1.7kmという長い橋です.
旧日野橋(米子市)は旧国道9号が日野川を跨ぐ地点に架かる.スパン60mの垂直材付ト6連の曲弦トラス構造で設計されたのは,当時国内では最新式でした.各主構端に半円アーチを刳り抜いた曲線型の橋門講を設けているのが特徴である.平成15年に登録有形文化財に選ばれた.現在は二輪車のみ通行できる.橋長は365.8m,幅員は6.4mです.1929年に完成しました.松尾橋梁の施工です.
志津見大橋しつみおおはし(飯石郡飯南町)は神戸川(斐伊川水系)を跨ぐ橋梁で,技術革新著しい複合トラス橋です.2005年完成で,オリエンタル建設・富士ピー・エスJVが施工しました.上手に地形の中に収まっている.橋の上部を水平にしたことも地形とのなじみをよくしている.橋脚のデザインは大変スッキリしており,落橋防止工の形状はシャープで橋脚の形をスマートにしている.
羅漢寺アーチ橋(大田市)は石見銀山五百羅漢にあります.です.この五百羅漢は羅漢寺向いの小川を挟んだ3つの石窟に安置されており,それぞれの石窟へは反り橋が架けられています.アーチを構成する輪石が橋面石も兼ねたシンプルな構造(ほぼ20㎝角,長さ約2mの台形断面角柱石材約 20本を円弧状に並べたもの)は,アーチの技術に長けていないと造れないものです.
新江川橋しんごうのかわばし(江津市)は,江の川下流部に架かる道路橋です.二層構造のトラス橋で,上側は国道9号(江津バイパス)下側は市道新江川橋線が通っています.下側は歩道もあり歩けます.橋長:378.3m,最大支間長:82.8mの4径間連続ダブルデッキトラス橋です.1992年土木学会田中賞受賞を受賞しています.
郷川橋梁(江津市)は1920年に完成した単線曲弦ワーレントラス鉄道橋(山陰本線)です.東京石川島造船所,汽車製造,横河橋梁,大阪鉄工所の施工です.
しまね海洋館歩道橋(浜田市)は「はっしータワー」と呼ばれており,国道9号を横断する横断歩道橋で,海浜レクリエーションゾーンとしまね海洋館ゾーンとを安全に結ぶ「かけ橋」であり,ランドマークとなるよう計画されたものです.橋長130m(斜張橋76m,PC中空床版橋54m),主塔の高さ46m(RC造,タイル貼りPC型枠),幅員6mになります.
浜田マリン大橋(浜田市)は橋長305m,アプローチ部を含めると橋長615m,幅員9.75m,鋼重3258tです.主径間200m側径間105mのアンバランスな径間割りとなっています.1999年完成で,横河・川鉄・鋼管(JFE)のJVで施工しました.
高角橋かつのばし(益田市)1942年完成です.全国的にも大規模で,かつ島根県では唯一のRCローゼ桁橋です.高津川に映る5連のアーチが美しい橋です.曲線の仕上げがいいですね.
匹見川橋梁(益田市)は1923年に完成した単線ワーレントラス鉄道橋(山陰本線)です.川崎造船所(兵庫工場)の施工です.
飯田吊橋(益田市)は橋長165.8mの3径間の吊り橋です.高角橋,安富橋と共に,高津川の三名橋と呼ばれています.1955年完成です.平成28年に補修が終わり,鮮やかさが増したています.RCの主塔に,補剛桁はポニートラスで,床版にはグレーチングを用いています.高欄フェンスにハートの形が施されています.
惣郷川橋梁そうごうがわ(山口県阿武町)は全長189mであり,1932年に山陰本線最後の開通区間にかかる構造物として完成しました.日本海に隣接し,波浪による浸食や潮風による腐食(塩害)を避けるため,鉄筋コンクリート4柱ラーメン構造の堅牢作りとなっており,景色も美しいことから,撮影ポイントとして鉄道ファンからの人気は高く,土木学会選奨土木遺産を受賞している.
その他,橋梁以外の建造物を紹介します.
美保関灯台は明治31年建造で,石造です.明治31年(1898年)に初点灯された山陰最古の灯台です.灯台の高さは14m,水面からの高さは83mとなっており,美保湾を隔てて大山,弓ヶ浜,また遠く隠岐の島を望むことができ,景観の眺望は雄大で素晴らしい灯台です.明治の面影をとどめた石造りの風格ある建物で,平成10年にIALA(国際航路標識協会)の総会において,歴史的・文化的価値のある文化遺産として「世界の歴史的灯台100選」に選ばれました.
国宝,松江城は明治初めに解体せず,保存されました.堀尾吉晴は慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦の後,出雲・隠岐両国を拝領した子の忠氏と共に,遠江国浜松(静岡県)から月山富田城(広瀬)に入りましたが,松江の将来性に着目して城地を移しました.豊臣秀吉,徳川家康と二人の天下人に仕え,豊臣政権下では三中老の一人として功績を残しています.城普請の名人であり,孫の忠晴を助け松江城と城下町を建設し,現在の松江市の礎を築きました.
大社駅の駅舎は明治45年(1912年)に国鉄の開通により開業され,大正13年(1924)2月に新たに改築されました.出雲大社の門前町にふさわしい,純日本風の木造平屋建てで,和風趣向の際立つ建物です.JR大社線は,平成2年(1990)3月31日に廃止され,その後旧大社駅舎は平成16年(2004)国の重要文化財に指定されました.高く設計された天井からは大正風の灯篭型の和風シャンデリアが玄関を含めて30個備え付けてあります.
江津ウインドパワー,あまり回っていませんでしたけど,壮観です.真っ青な日本海,その砂浜に立ち並ぶ真っ白な風車.思わず歓声をあげてしまうこの美しい光景は,高さ80mの柱,回転時に直径約82mになるブレードを持つ,11基の風車で発電を行っています.発電量は一般家庭約12,000軒分.年間で平均すると,江津市全体の電気を自給できる量です.
石見銀山五百羅漢を見ました.様々な表情です.大森の観世音寺住職である月海浄印が,銀山で働いて亡くなった人の供養や安全のために発願したもので,田中中納言宗武卿をはじめ多くの寄進によって明和3年(1766年),25年で五百体が完成しました.世界遺産です.
萩反射炉を見学しました.海防強化の一環として,西洋式の鉄製大砲鋳造を目指した萩藩が,安政3年(1856)に試作的に築いた反射炉の遺跡です.当時は鉄製大砲を建造するには,衝撃に弱い硬い鉄を粘り気のある軟らかい鉄に溶解する必要があり,その装置として反射炉を用いていました.高さ10.5mの安山岩積み(上方一部レンガ積み)の煙突にあたる部分が残っています.反射炉の遺構が現存するのは,静岡県伊豆の国市の韮山反射炉と鹿児島市の旧集成館,萩市の3ヶ所のみです.
幕末期に吉田松陰の志を継ぐ維新志士たちを数多く輩出した松下村塾.松陰の外伯父にあたる久保五郎左衛門から,安政4年(1857),28歳の松陰が私塾を継ぎ,主宰することになりました.木造瓦葺き平屋建ての50㎡ほどの小舎で,松陰は身分や階級にとらわれず塾生として受け入れ,わずか1年余りの間でしたが,久坂玄瑞,高杉晋作,伊藤博文,山県有朋,山田顕義,品川弥二郎など,明治維新の原動力となり,明治新政府に活躍した多くの逸材を育てました.