長崎の橋,建造物

平戸(2021.10調査)

平戸大橋は1977年4月に有料道路として開通した平戸島と本土側の田平町を結ぶ単径間吊橋です.側径間は橋脚を設けた桁橋です.全長665m,主塔間465.4m,幅員10.7m,海面からの高さは30mです. 1976年土木学会の田中賞作品部門を受賞しています.2010年4月に生月大橋とともに通行料が無料になりました.

平戸大橋
平戸大橋
平戸大橋
平戸大橋
平戸大橋

 

生月大橋(いきつきおおはし)は平戸島と生月島を結ぶ全長960m,幅員6.5mのトラス橋です.この橋の開通で離島だった生月島は平戸大橋を経由して本土とつながりました.最大径間400mは3径間連続トラス橋としては建設当時世界最長規模で, 1991年度土木学会の田中賞作品部門を受賞しています.1991年7月31日の開通です.支間中央部は塗装の塗り替え用の足場が設置されていました.

 

生月大橋
生月大橋
生月大橋

 

幸橋(さいわいばし)は平戸市岩の上町の鏡川に架かる石造りのアーチ橋です.かつて平戸の中心街を流れる鏡川には橋が無く,両岸を船で結んでいましたが,1669年に当時の平戸藩主松浦鎮信(天祥)により初めて木造の橋が架けられました.長年の不便が解消したことを祝って「幸橋」と命名されました.その後1702年に鎮信を継いだ松浦棟により現在の石橋に架替えられました.この時,かつて平戸にあったオランダ商館の石造建築に携わった石工の豊前(とよさき)から伝授されてきた技法が用いられたと言われることから別名「オランダ橋」とも呼ばれ,国の重要文化財に指定されています.

幸橋
幸橋
幸橋
幸橋

 

平戸の教会

平戸ザビエル記念教会は1931年に 平戸市鏡川町に建設されました.1971年には1550年のザビエル平戸来訪を記念して教会脇に「ザビエル記念像」が建立され,教会の名称が「聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂」と呼ばれるようになりましたが,近年,正式名称を「平戸ザビエル記念教会」と改めました.

平戸ザビエル記念教会
平戸ザビエル記念教会
平戸ザビエル記念教会

 

田平(たびら)天主堂は1914年に着任した中田神父のときに建立が計画され,信者の積立や献身的な労働奉仕,さらには寄付などによって1918年に完成しました.設計・施工は,教会の建築で有名な鉄川与助で,多彩な煉瓦積み手法,ススを塗った黒煉瓦による装飾,さらには八角形のドームを頂く鐘塔,かまぼこ型のリブ・ヴォールト天井など,彼を代表する煉瓦建築になっています.2003年に国の重要文化財に指定されています.

田平天主堂
田平天主堂
田平天主堂

 

カトリック宝亀(ほうき)教会は平戸で最も古い教会で,1898年に建立されました.多くの特徴をもつ聖堂で基礎は石造り,正面外壁は煉瓦造り,主体構造は木造で両側面にはベランダと床面まである窓が設けられています.黒島で洗礼を受けた大工の柄本庄一が施工しました.柄本は旧紐差教会や黒島教会の建設にも関わっています.

カトリック宝亀教会
カトリック宝亀教会
カトリック宝亀教会

 

カトリック紐差(ひもさし)教会は平戸市紐差地区の信者の協力によって初代の聖堂が建設された後,現在の天主堂がマタラ神父の計画のもと,鉄川与助により1929年に建てられました.浦上天主堂が原爆によって倒壊した後は,日本最大の天主堂といわれました.

カトリック紐差教会
カトリック紐差教会

西海(2013.1,2021.10調査)

西海橋は1955年に佐世保市と西海市の西彼半島をつなぐ橋として架けられた全長316m,海面からの高さ43mのアーチ橋です.日本三大急潮のひとつに数えられる針尾瀬戸の急流とうず潮でも有名です.

長い間「陸の孤島」であった西彼半島と佐世保市を陸路で結び,半島における産業の振興と開発の促進を目的として架けられました.完成当時は固定アーチ橋としては世界で三番目の長さを誇り,東洋一と評されました .2020年には戦後に建設された橋としては初めて,国の重要文化財に指定されています.横河橋梁の施工です.

 

西海橋
西海橋
西海橋
西海橋

新西海橋は佐世保市と西彼半島の針尾瀬戸を渡海する橋長620m,幅員20.2mの橋梁で,鋼中路ブレースドリブアーチ橋300mと4径間連続PCラーメン箱桁橋320mで構成されています.

有料道路・西海パールラインの一部で,桁下にバルコニー付きの遊歩道が設置されており,支間中央スペースの床にあるガラス張りの窓から真下のうず潮を見ることができます.

本橋は周辺が自然豊かな景勝地であること,1955年に竣工し当時の橋梁規模として東洋一と謳われた西海橋に並列することから,景観性はもとより技術面に対しても新旧の調和に配慮した橋として計画・施工され,2006年度土木学会の田中賞作品部門を受賞しました.

新西海橋
新西海橋
新西海橋
新西海橋の遊歩道
新西海橋
新西海橋
新西海橋
新西海橋
新西海橋
新西海橋

 

大島大橋は西海市の西彼半島と同市大島町の寺島とを結ぶ全長1,095mの斜張橋です.1999年(平成11年)11月11日午前11時11分11秒という『1』並びにこだわり供用が開始されました.開通当初は有料でしたが,2011年4月から無料となりました.大島へは,さらに寺島大橋で結ばれています.

大島大橋
大島大橋
大島大橋
大島大橋
大島大橋

長崎市内(2013.1,2014.9,2017.4調査)

眼鏡橋は長崎市の中心部を流れる中島川に架かる橋です.1634年興福寺第2代目住職の黙子如定(もくすにょじょう)が架設したとされ,川面に映る橋影が眼鏡のように見えることから「めがね橋」と呼ばれ,1882年に正式に眼鏡橋と命名されました.橋長22m,幅は3.65m,川面までの高さ5.46mの日本初の石造りアーチ橋で,東京の「日本橋」,山口の「錦帯橋」と並び日本三名橋に数えられ,国の重要文化財に指定されています.1982年の長崎大水害で一部崩壊しましたが翌年復元されました.

眼鏡橋
眼鏡橋
眼鏡橋
眼鏡橋
眼鏡橋
眼鏡橋
眼鏡橋

 

東新橋は中島川石橋群のひとつで1673年架橋といわれています.1800年架橋の石橋が1982年の長崎大水害で流出したため,現橋は1986年に昭和の石橋として唐津の安山岩を使って架設されたものです.

東新橋
東新橋
東新橋

 

すすき原橋は中島川に1681年に架けられた石造りアーチ橋で,1721年および1796年の洪水で流失し,1804年に長崎奉行所の官命で再架設されましたが,1982年の長崎大水害で全壊したため,1986年に鉄筋コンクリート橋になりました.昔,この付近は草が生い茂っていたことからこの名が付けられたそうです.

すすき原橋
すすき原橋
すすき原橋

 

一覧橋は1657年に豪商で唐通事(江戸幕府が長崎に置いた唐船のための訳官)であった高一覧が浄財を募って架けた石造りアーチ橋です.現在の橋は大水害後の1986年に再建されたもので,使用されている花崗岩は中国福州市産で橋の名前とともに高一覧にちなんだものです.

一覧橋

 

大波止橋は中島川の最下流(河口)に架かる橋で,夢彩都(ショッピングセンター)と出島ワーフ(商業施設)とを結んでいます.2000年3月の竣工で,単弦ローゼと呼ばれるアーチ状のリブにより中央部分を支える構造になっています.橋長52.5m,三菱重工業の施工です.大波止は,江戸時代長崎奉行の船の発着場(波止場)でした.

大波止橋

女神大橋は長崎港の南部と西部に分散している港湾施設の連携強化・物流の効率化を図ることを目的として2005年12月に完成した斜張橋で,全長1289m,支間長480mは国内でも大規模です.長崎港に大型の客船が出入りすることを考慮し桁下65mの高さを確保しています.有料道路「ながさき女神大橋道路」となっていますが,歩行者は無料で通行することができます.愛称はヴィーナスウィング.2005年度土木学会の田中賞作品部門を受賞しています.

 

女神大橋
女神大橋
女神大橋

 

西日本高速道路会社と三井住友建設が共同で開発した超高耐久橋梁「Dura-Bridge」が,西日本高速道路が発注した長崎自動車道の現場で,長さ約16mの工事用道路橋として採用されました.従来のコンクリート橋において,腐食・劣化の原因だった鉄筋やプレストレスト・コンクリート鋼材を全て排除し,鋼繊維補強コンクリートやアラミド繊維を樹脂で固めたアラミド繊維強化プラスチック(AFRP)ロッドの緊張材を取り入れています.鋼繊維がコンクリートの中で浮いた状態であり,鉄筋のように腐食するものがないので,メンテナンスが最小限に抑えられることもあり,初期コストは同規模のPC橋の1.5倍かかりますが,30~40年後にライフサイクルコストの逆転が見込まれています.

桁近傍
桁内
桁近傍
AFRPロッド
継目部
説明板

 

グラバー園は長崎市南山手町にある観光施設で9棟の伝統的建造物を見ることができます.そのうち旧グラバー住宅,旧オルト住宅,旧リンガー住宅は居留地時代に建築され,150年以上この地に建ち続けている貴重な建物です.これら3棟は国指定重要文化財に指定され,旧グラバー住宅は「明治日本の産業革命遺産」の構成資産にも登録されています.

旧グラバー住宅
旧オルト住宅
旧オルト住宅
旧リンガー住宅
旧リンガー住宅 応接室
旧リンガー住宅 応接室

 

大浦天主堂は,長崎市にあるカトリックの教会堂です.幕末の開国後である1864年に竣工し,国内に現存するキリスト教建築物としては最古です.正式名は日本二十六聖殉教者聖堂で,日本二十六聖人に捧げられた教会堂であり,殉教地である長崎市西坂に向けて建てられています.また,浦上の潜伏キリシタン達が信仰の告白をした1865年の「信徒発見」の舞台でもあります.1953年国宝に指定され,2018年ユネスコの世界文化遺産に登録が決まった「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を構成する文化財の1つとなっています.

大浦天主堂

軍艦島は長崎市にある島で端島(はしま)ともいいます.1890年代後半から1970年代前半にかけて,海底炭鉱によって栄え,日本初の鉄筋コンクリート造の高層集合住宅も建造されるなど,1960年代には東京以上の人口密度を有していました.1974年の閉山にともない島民が島を離れてからは,無人島になっています.2015年,端島炭坑を構成遺産に含む「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼,造船,石炭産業」がユネスコの世界文化遺産に登録されました.

軍艦島
軍艦島
軍艦島

島原(2017.4調査)

われん川大橋は島原市鎌田町の水無川に架かるニールセンローゼ橋です.橋長185m,2002年9月竣工です.水無川下流の導流堤内から,こんこんと湧き出る湧水を「われん川」といい,1991年の雲仙・普賢岳災害以前は,周辺の人々の生活用水として利用され,住民の手で管理保全が行われていましたが,土石流により呑み込まれてしまいました.災害後,復興を願う地域住民の熱意により,官民一体となって復元・再生のための整備が行われ,蘇っています.

われん川大橋
われん川大橋
われん川大橋
われん川大橋
われん川大橋

 

安新大橋はわれん川大橋と平行して架かる島原鉄道のワーレントラス鉄道橋です.普賢岳の火砕流により直接被害を受けた地域ですが,その後新線が敷設され1997年2月に竣工しました.しかし同鉄道の部分廃線が決まり2008年4月廃橋となっています.

安新大橋
安新大橋
安新大橋

五島列島(上五島)中通島(2013.1調査)

2018年6月30日「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎,熊本両県)の世界文化遺産への登録が決まりました.1500年代から1800年代にわたるキリスト教禁教政策の下で,長崎や天草地方のキリシタンが「潜伏」したきっかけや,信仰の実践と共同体の維持のために行った様々な試み,そして宣教師との接触により転機を迎え「潜伏」が終わりを迎えるまでを12の構成資産によって表わしています.これら潜伏キリシタンの教会(世界遺産に登録されなかったものを含め)を調査しています.

 

頭ヶ島(かしらがしま)天主堂は南松浦郡新上五島町友住郷頭ケ島に鉄川与助の設計・施工により1910年に着工され,島内で切り出した石を丹念に積み上げ1919年に完成しました.天井はアーチやヴォールトを用いず二重の持送りハンマー・ビーム架構で折りあげられています.創建時の原型が完全に保存され現在も教会堂として使用されていて,2001年11月に重要文化財に指定されています.

世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」に登録された「頭ヶ島の集落」にある石造りの天主堂です.

頭ケ島天主堂
頭ケ島天主堂

 

青砂ケ浦天主堂は新上五島町奈摩郷の奈摩湾を見下ろす高台に立つ赤煉瓦造りの教会です.2001年に国の重要文化財に指定されています.3代目となる現在の教会は,鉄川与助の設計・施工によるもので1910年に完成しました.正面入口は台座と植物模様の柱頭飾を有する円柱で支えられた石造りアーチとなっています.建築に使用された煉瓦は佐世保より,木材は平戸,石は頭ヶ島より船で運ばれ,海岸からは信徒が総出で運んだとのことです.

青砂ケ浦天主堂

 

大曽教会は新上五島町青方郷に建つ煉瓦造りの教会です.八角形ドーム型の鐘楼や煉瓦の凸凹による装飾,色の異なる煉瓦を規則的に配置するなど壁面の意匠にも配慮した鉄川与助の手によるもので,柱頭の彫刻は与肋の父与四郎が施しました.1879年に木造教会が建立し,1916年に現在の煉瓦造りの教会堂となりました.県指定有形文化財となっています.

大曽教会

 

旧鯛ノ浦教会は上五島町鯛之浦郷に1903年建立された教会です.1949年の増築時に煉瓦造りの塔が正面につけられ,一部に旧浦上天主堂の被爆煉瓦を使用しています. 

旧鯛ノ浦教会
旧鯛ノ浦教会
旧鯛ノ浦教会説明板

 

佐野原教会は新上五島町東神ノ浦郷佐ノ原の山中にある,五島では数少ない海の見えない教会です.1950年に仮聖堂が建ち,1963年に現在の教会堂が建立されました.

佐野原教会
佐野原教会
佐野原教会説明板

 

船隠(ふなかくし)教会は上五島町東神ノ浦郷船隠の五島灘に面した入江の奥に建つ教会です.1927年の初代教会は民家を買い受けて使用していました.老朽化と戦後の人口増のため1956年に現在の教会が完成しています.

船隠教会
船隠教会
船隠教会説明板

福見教会は新上五島町岩瀬浦郷福見の,住民のほぼ全員がカトリック信者という地区にある教会です.1882年に最初の教会が建てられましたが2年後の台風で崩壊しています.その後,信徒達の献身的な労働と援助により1913年現在の教会が完成しました.外部は屋根を除き全てが赤煉瓦造りとなっています.

福見教会
福見教会
福見教会
福見教会説明板

五島列島(下五島)福江島(2013.1調査)

堂崎教会は五島市奥浦町にある江戸時代からのキリスト教禁教令廃止以降,五島列島で最初に建てられた教会です.設計はペルー神父,施工は野原与吉・鉄川与助が担当しました.1908年完成で煉瓦造り・ゴシック様式は五島初の洋風建築とされています.現在は,弾圧の歴史や資料を展示する資料館として一般公開され,県の有形文化財に指定されています.

堂崎教会
堂崎教会
堂崎教会

 

楠原教会は五島市岐宿町楠原に建てられた,煉瓦造り・ゴシック様式の教会です.内部はリブ・ヴォールト天井で1912年に鉄川与助が施工しました.下五島に現存する教会としては堂崎教会に次いで2番目の古さです.

楠原教会

 

水ノ浦教会は五島市岐宿町岐宿に建立された教会です.最初の教会は1880年に建てられましたが老朽化に伴い奥の土手を削って広げ,1938年鉄川与助設計・施工で木造の現教会に改築されました.ロマネスク,ゴシック,和風建築が混合した白亜の美しい教会で,木造の教会堂としては国内最大規模であり,リブ・ヴォールト天井を有する教会としては与助最後の作品といわれています.

水ノ浦教会
水ノ浦教会

五島列島(下五島)久賀島(2013.1調査)

旧五輪教会堂は五島市蕨町にある教会です.1881年に久賀島の浜脇に建てられたカトリック浜脇教会の旧教会堂を1931年にそのまま移築したもので,世界文化遺産「久賀島の集落」の構成資産となっています.老朽化のため1985年に隣に五輪教会が新築されたため,解体の話が持ち上がりましたが,当初の姿での保存が決まりました.木造瓦葺平屋建で窓を除けば外観は和風建築ですが,内部は三廊式,リブ・ヴォールト天井,ゴシック風祭壇など本格的な教会建築様式となっています.1999年に国の重要文化財に指定されています.

旧五輪教会堂
旧五輪教会堂
旧五輪教会堂
旧五輪教会堂
旧五輪教会堂
旧五輪教会堂説明板

 

五島列島(下五島)奈留島(2013.12調査)

江上天主堂は五島市奈留町大串に1918年建立された教会で,世界文化遺産「奈留島の江上集落」の構成資産であり,国指定重要文化財です.1918年,鉄川与助の施工です.信徒が漁業の収入で資金を貯め,用地は山を切り崩して造成しました.クリーム色の板張りの壁に水色の窓枠が美しく,1900年代前半に多くの教会が木造から鉄筋コンクリート造りへと変わる中,鉄川与助による木造教会の代表作として歴史的価値が高いものとなっています.

江上天主堂
江上天主堂
江上天主堂説明板

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