北海道の橋,建造物

札幌市内(2013.7,2014.7,2016.8,2019.9,2021.7,2022.6調査)

南大橋は中央区南9条西の豊平川に架かる橋長283.8mの3径間連続PC箱桁橋です.欄干には鮭のオブジェがあり,川を鮭が遡上することを表現していますが,近年は下流で獲られ遡上してくることは少ないそうです.1963年竣工で大成建設が施工しました.橋脚形状は美観を考慮して橋脚側面の勾配を上部工のウェブと同じ勾配としています.

 

南大橋
南大橋
南大橋
南大橋

豊平橋(とよひらばし)は中央区-豊平区の豊平川に架かる3径間連続鋼箱桁橋で,市の主要幹線道路のひとつである国道36号の橋であり,交通量がとても多い橋として知られています.1871年,開拓使によって架けられた初代橋は板橋という木造の橋でした.その後は豊平川の洪水により何度も架替えられています.

1924年に永久橋の構想が持ち上がり,国内二例目となるブレースト・リブ・タイド・アーチが完成,全長120.7m,橋脚は御影石を使用し,橋の両端には重厚なオベリスクが建ち,北海道三大名橋のひとつに選ばれています.しかし交通量の増加や強度補強の必要性が明らかになり,1966年,全長132.2mの現在の橋に架替えられています.

 

豊平橋
豊平橋
豊平橋

豊平川第一水管橋は1970年に建設された3径間パイプアーチ橋で,白川浄水場から運ばれた水を札幌市民に供給するライフラインを担っています.全長178.4m,豊平橋とでんでん大橋の間に架かっています.栗本鐵工所の施工です.

豊平川第一水管橋
豊平川第一水管橋
豊平川第一水管橋
豊平川第一水管橋
豊平川第一水管橋

でんでん大橋は中央区南三条東と白石区菊水一条を結ぶNTT(当時の電電公社)が建設した斜張橋で,日本で初めての通信ケーブル専用の橋です.電話回線や光ケーブルが橋を通って豊平川を渡河しています.1980年の完成で日本鋼管が施工しました.正式名は豊平川通信専用橋です.

でんでん大橋
でんでん大橋
でんでん大橋
でんでん大橋

一条大橋は中央区南2条東の豊平川に架かる,北海道道3号札幌夕張線の橋です.1923年に地元住民が寄付を募り,長さ182mの木橋を架けたのが始まりとされています.1936年の洪水により橋の一部が流失,1938年に札幌市が鋼鉄製の永久橋に架替え,名称を一条大橋としました.北海道初の鉄筋コンクリートによる橋の工事は岩田組が施工,橋長178m,幅員9mのゲルバー桁橋が完成しました.その後,交通量増加のため架替工事が決まり,上流側に幅員12.5mの対面通行による暫定供用で架設,既存の橋を取り壊したのち下流側に同じく幅12.5mの橋を架設し,1969年に4径間連続PC箱桁橋が完成しています.

一条大橋
一条大橋

水穂大橋は中央区-白石区の豊平川に架かる橋長150.0mのバスケットハンドル型ニールセンローゼ橋です.車道とは別に歩道が架けられ、中央には休憩スペースが設けてあります.1986年開通で,橋名は菊水(白石区)の水と苗穂(中央区)の穂から一文字ずつとりました.塗装色はアンケートの結果を踏まえて検討され,手稲山や藻岩山の背景にマッチしたライトブルーグリーンに決定されました.

水穂大橋
水穂大橋
水穂大橋

新琴似高架高速橋

従来のプレートガーダー橋は,作用力に応じて板幅や板厚変えた断面が鋼重ミニマムで経済的であるとされてきました.しかしながら,平成の初期に労働力の高騰もあり,むしろ多少鋼重が増えても断面変化を少なくして,部材数や溶接箇所数を少なくした構造が経済的であると考えられるようになりました.本橋は,その着想から試験施工されたものであり,鋼橋の省力化工法の基準に反映されました.5径間連続鋼桁橋であり,橋長367.85m,支間長約33m,1992年に完成しました.

上述の札樽自動車道の新琴似高架橋と交差する鉄道橋である新琴似高架橋(新川高架橋)は,JR北海道・札沼線の複線鉄道高架化事業において,国道と高速道路の上空を跨ぐ橋梁で,自動車の通行を疎外することのない押出し工法を採用し桁の架設を行ないました.橋梁形式は,施工性,経済性,保守性および景観性を考慮して,2径間連続エクストラドーズドPC下路桁橋を採用しています.橋長111.0m,支間長51.375m+58.375mであり,2000年12月に完成しました.

新琴似高架高速橋
新琴似高架高速橋
新琴似高架高速橋
新琴似高架橋(新川高架橋)

上白石橋は東区苗穂町11丁目と白石区 菊水元町1条1丁目を結ぶ2径間連続ワーレントラス桁橋です.

豊平川に架かる唯一のトラス橋で橋長264m,幅員8m,1971年の完成です.汽車製造が施工しました.JRの豊平川橋が平行して架かっています.

上白石橋
上白石橋
上白石橋
上白石橋

札幌市時計台は中央区北1条西2丁目にある建造物で1970年に国の重要文化財に指定されています.正式名称は「旧札幌農学校演武場」で,安達喜幸をはじめとする北海道開拓使工業局による設計・監督の下1878年に建設されました.バルーンフレーム構造の木造2階建で屋根は鉄板葺きとなっています.1881年に時計塔を付設してアメリカ・ハワード社製の時計が設置されました.1903年に農学校が移転し,1906年現在の場所に移設されています.

札幌市時計台
札幌市時計台

北海道庁旧本庁舎は中央区北3条西6丁目にある北海道庁の本庁舎として建築された煉瓦造りのネオ・バロック様式の建物です.1888年の完成で,屋上に八角塔が設置され,壁の赤い星は「五稜星」といい,開拓使を象徴するマークとして札幌市時計台などの同時期の建造物に見られます.かつての白石村・豊平村(現札幌市)などで製造された約250万個の煉瓦を使用しており,現在の庁舎ができるまでの約80年間,道政を担ってきた歴史ある建物で1969年に国の重要文化財に指定されました.

 

北海道庁旧本庁舎
北海道庁旧本庁舎
北海道庁旧本庁舎

札幌農学校(現北海道大学)第2農場は1877年に建設されたウイリアム・ホイラー設計の模範家畜房,ウイリアム・ペン・ブルックスが設計した穀物庫を中心とした一連の畜産経営の施設を備えた農場で,北海道畜産普及のモデルとなりました.各農場施設は,当時のアメリカ中西部の開拓地に広まった軽木骨造りの実用的な建物と同じバルーン・フレーム(風船構造)と言われる建築様式となっています.1887年に札幌育種場から移管を受けた土地(現札幌キャンパスの西半分)は「第1農場」と改称して農学校生徒の農業実習や試験栽培の場となり,旧農校園の土地は「第2農場」と改称され,欧米式農牧混合農場経営の北海道への移植を試みる経済農場と位置づけられました.1912年に現在地(北18条西8丁目)へ移転,2015年には耐震補強工事が施されています.1969年国の重要文化財に指定されています.

 

牧牛舎は1909年建築の木造2階建で,第2農場の移転にあたり最初に計画と建築された畜舎です.明治時代の終わりに海外から伝来した最先端の技術を駆使しています.1977年に原型をとどめる形で解体・修復工事が施されました.

 

牧牛舎
牧牛舎

釜場は1910年建築の札幌軟石造りの平屋建てでかまどと大釜を備えており,豚などの餌を煮こみ隣の洗い場に広げて潰し混和する家畜飼料の調整場です.

釜場

模範家畜房は1877年に地下室と2階を往来できる馬車道付きで完成,地下室と馬車道を除去して現在地に移築,1979年に修復されました.木造2階建のバルーンフレーム構造の建築様式で日本最古の洋式農業木造建築です.

模範家畜房
模範家畜房

最も北側にある施設は穀物庫・収穫室・脱ぷ室が組み合わされた木造の建物です.1877年建築で,1911年に移築,1974年に解体修復工事がおこなわれています.穀物庫もバルーンフレーム構造が取り入れられており,鼠返しを設けた高床式・切り妻造りで,とうもろこし等穀物の保管場所として使用されました.1棟を2つに分けた収穫室と脱ぷ室は収穫室のみ2階建,ベルトコンベヤーで穀物庫と連結されています.脱ぷ室は,麦等の穀物類の脱穀と選別作業などを行う機械作業場で,収穫室は秤量や袋詰,種子選別等を行う部屋であり,精選にしたがって1階から2階へと移動させていました.

 

右から穀物庫・収穫室および脱ぷ室
右から穀物庫・収穫室および脱ぷ室

この建物は1879年に第2 農場の派出所の名で建築され当時はこの建物から農場を監視していたそうです.現在はガードマンの事務所として使われています.

第2農場派出所

北海道大学植物園は現役の博物館建築としては国内最古である博物館本館を始め,博物館旧事務所や博物館倉庫,博物館便所,博物館鳥舎,植物園門衛所の6棟が重要文化財に指定されています.

 

バチェラー記念館はイギリス人宣教師のジョン・バチェラー博士の旧宅です.博士はアイヌの教育と研究に熱心に取り組まれ,アイヌ研究の父と呼ばれています.1898年の竣工当時は北3条西7丁目に建てられていましたが,1962年に北海道から寄贈され植物園に移築されました.総2階建,全面下見板張の寄棟屋根鉄板葺の木造洋館です.2000年に登録有形文化財に指定されました.

バチェラー記念館

北海道大学農学部植物園・博物館は1882年に開拓使札幌博物場として米国人建築士ベートマンの設計により建てられました.1884年に羊場は植物園用地として札幌農学校に移管・整備され現在の植物園となっています.

植物園・博物館
植物園・博物館

博物館事務所は1901年に竣工した博物館の事務所で,北海道では珍しい瓦屋根の建物です.

博物館事務所

博物館門衛所は1911年の植物園一般公開に伴って建設されたもので,内部は半八角形の部分が板敷の見張所,主体部が畳敷の休憩所となっています.

博物館門衛所

博物館便所は現在の北海道大学農学部の位置に1903年に建てられた便所を1918年に移築したものです.

 

博物館便所

博物館倉庫は1885年に現在の博物館事務所がある位置に平屋建切妻屋根で建てられましたが,事務所新築に伴い1900年に移築され,その後マンサード屋根の二階建に改築されています.

 

博物館倉庫

札幌市資料館(旧札幌控訴院庁舎)は中央区大通西13丁目にあり,1926年に札幌控訴院として建てられました.裁判所の移転に伴い1973年11月に札幌市資料館として開館しています.支笏火山が生んだ溶結凝灰岩「札幌軟石」を使用した建物として貴重なものであり,歴史的景観に寄与することが評価され,1997年5月に国の登録有形文化財,2007年3月に札幌景観資産,2018年3月に札幌市指定有形文化財,そして2020年12月には国の重要文化財に指定されています.建物前には,佐藤忠良制作の「若い女の像」が建立されていて古典的な建物と近代的な若々しい乙女の裸像が美しく,像の周りはバラ園となっています.

旧札幌控訴院庁舎
旧札幌控訴院庁舎
旧札幌控訴院庁舎

日本基督教団札幌教会は中央区北1条東1丁目にある日本基督教団の教会です.市の中心を流れる創成川に面しています.1904年の竣工で,札幌軟石の外壁に尖塔アーチ窓はロマネスク様式,アーチ型の開口部分やバラ窓などはゴシック風のデザインです.設計は当時北海道庁土木課技師であり札幌教会員の間山千代勝が担当しました.1998年に国の登録有形文化財に登録されています.

札幌教会
札幌教会

ノアの箱舟は中央区南8条西4丁目の鴨々川沿いにある海鮮レストランです. 1988年に開業し,設計は英国人建築家ナイジェル・コーツ,施工は辰村組です.構造は鉄筋コンクリート造2階建て,2階部分が石化した木造舟で右側が船首,1階と後ろ側は舟がめり込んだ岩山という意匠だそうです.

ノアの箱舟

豊平館(ほうへいかん)は中央区中島公園内にある西洋館です.1880年に現在の大通公園1丁目付近に高級西洋ホテルとして開拓使が建造しました.最初の宿泊客は明治天皇で1881年8月30日から9月2日までの4日間,札幌行幸のときに行在所に用いられました.1958年に中島公園に移設され,2012年4月~2016年6月までの保存修理工事を終えて集客交流施設としてリニューアルオープンしています.

白い外壁をウルトラマリン・ブルーといわれる高貴な色で縁どられた建物はアメリカ風様式を基調としたシンメトリーを意識した洋館で,そのため煙突のひとつはダミーだそうです.正面中央には開拓使のシンボルである赤い五綾星があしらわれています.1964年に国の重要文化財に指定されました.

豊平館
豊平館
豊平館

清華亭(せいかてい)は北区北7条西7丁目にあり,札幌最初の都市公園である偕楽園内の一施設として開拓使により1880年に建てられました.翌年の明治天皇北海道巡幸の折には休憩所として利用されています.外観は洋風,内部は至る所に和風の様式を取り入れた和洋折衷建築です.1961年には札幌市の有形文化財となり,1978年に改修工事が完了して現在に至ります.

清華亭
清華亭
清華亭

北海道百年記念塔は厚別区の野幌森林公園に位置した建造物です.1968年に北海道開拓使が置かれてから100年を記念して建設が進められ1970年7月に竣工しました.鉄骨トラス構造25階建て,外壁は耐候性高張力鋼板で覆われていて,高さ100mは百年記念塔に因んでいます.塔壁面の凹凸は風雪と闘った歴史の流れを表現,塔断面は「北」の文字,基部の平面は六角形をした雪の結晶をイメージしていました.複雑な構造の塔は雨水が溜まりやすく腐食が予想以上に進み,1992年と1999年に大規模修繕を行うも完全修復には至らず,存廃を検討した結果2019年2月に解体の方針が決定され,2023年1月23日から解体工事を開始しています.跡地には将来の北海道を象徴する新モニュメントが建設される予定になっています.

 

北海道百年記念塔(2019年3月撮影)
北海道百年記念塔(2019年3月撮影)
北海道百年記念塔(2019年3月撮影)
北海道百年記念塔(2019年3月撮影)

道央-石狩地方(2017.7,2021.7,2022.6.7,2023.7調査)

花畔大橋(ばんなぐろおおはし)は石狩市生振の茨戸川に架かる2径間連続鋼箱桁斜張橋です.橋長230m,1990年に完成しました.花畔の由来は当地のアイヌの人々がこの地区をバナワンクル(川下の人の漁場)と呼んでいたことから花と畔の字を当てたそうです.

花畔大橋
花畔大橋
花畔大橋
花畔大橋
花畔大橋

シェークスピア橋は石狩市八幡町のシェークスピアカントリークラブ内のカート道路橋です.ニールセンローゼタイプの橋で,1989年に完成しています.高欄には物語が描かれた銅板が設置されています.

シェークスピア橋
シェークスピア橋
シェークスピア橋
シェークスピア橋
シェークスピア橋

クレオパトラ橋もシェークスピアカントリークラブ内のカート道路橋で,橋長105.0mの吊床版橋です.1989年に住友建設が施工しました.

クレオパトラ橋
クレオパトラ橋

キウス第一橋は千歳市中央地区にある縄文時代の遺跡であるキウス周堤墓群内に建設された鋼2径間連続PC床版2主桁橋です.橋長86m,1997年竣工です.「キウス」とはアイヌ語で「草が多い場所」という意味だそうです.

キウス第一橋
キウス第一橋
キウス第一橋
キウス第一橋
キウス第一橋

千歳JCTランプ橋は1998年に建設された連続箱桁橋です.合成床版を用いた開断面連続合成箱桁橋であり,床版支間 5.2mで合成床版としては初めての長支間床版で,孔あき鋼板の帯板タイプの床版が採用されています.橋長198.0m.

千歳JCTランプ橋
千歳JCTランプ橋
千歳JCTランプ橋
千歳JCTランプ橋
千歳JCTランプ橋
千歳JCTランプ橋

山線鉄橋は千歳市の支笏湖から流れ出る千歳川のたもとに架かる歩道橋で,北海道で現存する現役最古の鉄橋です.当時の鉄道技術の結晶ともいえる斜材をすべてX字形に交差させた英国式200フィートダブルワーレントラス橋です.1899年に北海道官設鉄道上川線に第一空知川橋梁として空知川に架けられましたが,1923年王子製紙の専用軽便鉄道として現在の場所に移されました.軽便鉄道は1951年に廃止され,鉄橋も鉄道橋の役目を終えましたが,1967年に千歳市に寄贈されました.1995年からの3年間,解体修復工事がなされ,2007年には経済産業省の近代化産業遺産,2018年には土木学会選奨土木遺産に認定されました.橋名は苫小牧から日高方面海沿いに走っていた鉄道を海線と呼び,支笏湖方面に走っていた鉄道を山線と呼んでいたことに由来しています.

山線鉄橋
山線鉄橋
山線鉄橋
山線鉄橋
山線鉄橋
山線鉄橋

日の出橋は恵庭市の漁川(いざりがわ)に架かる下路ブレースドリブアーチ橋です.2001年竣工で,川崎重工業と横河のJVです.

日の出橋
日の出橋
日の出橋
日の出橋
日の出橋
日の出橋
日の出橋
日の出橋

美原大橋(みはらおおはし)は江別市にある石狩川に架かる橋長649.5m(全長972.0m)の3径間連続鋼斜張橋で,国道337号道央圏連絡道路美原バイパスの供用開始に伴い建設されました.石狩川の河口から6番目の橋になります.2005年の完成で日本橋梁施工です.

 

美原大橋
美原大橋
美原大橋
美原大橋
美原大橋
美原大橋

エスコンフィールドはプロ野球・北海道日本ハムファイターズの新本拠地として2023年3月,北広島市に開業した開閉式屋根と天然芝を配した野球場です.アメリカ・テキサス州ダラスの設計事務所HKSが設計し,大林組と岩田地崎建設が建設を担当しました.日本野球機構(NPB)への球場登録名がエスコンフィールドHOKKAIDOに決まり,略称は「エスコンフィールド」「エスコンF」です.球場を含めパーク内に宿泊施設・商業施設・レストラン・マンションなどが建設されています.

エスコンフィールド(2022年6月撮影)
エスコンフィールド(2022年6月撮影)
エスコンフィールド(2022年7月撮影)
エスコンフィールド(2022年7月撮影)
エスコンフィールド(2022年7月撮影)

道央-空知地方(2015.10,2017.7,2021.7,2022.6調査)

千鳥の沢川橋は,場所打ちの横締めPC床版を有する鋼2主桁構造の連続合成桁橋です.経済性と耐久性を兼ね備えた橋であり,本橋では支間部の正曲げモーメントを受ける範囲では,解析や実験の結果から,垂直補剛材の間隔を桁高の約3倍まで拡大して,横桁間に垂直補剛材を設けていません.また,床版の圧縮フランジの拘束効果による曲げ耐荷力向上を考慮することにより,水平補剛材を設けることなく腹板の薄板化を行いました.その他,耐候性鋼材を用いたこと,現場溶接継手にZ型の前段面溶接を採用したこと,手延べ機を小さくした送出し架設を採用したこと,および移動型枠による場所打ちPC床版を施工したこと等が特徴です.

 

千鳥の沢川橋
千鳥の沢川橋
千鳥の沢川橋
千鳥の沢川橋
千鳥の沢川橋
千鳥の沢川橋
千鳥の沢川橋
千鳥の沢川橋
千鳥の沢川橋

滝下橋は夕張郡栗山町字滝下の夕張川に架かる角型鋼管を用いたトラス橋です.トラスの弦材と腹材とを溶接し,各部材を45度傾けて用いており,シャープなデザインとなっています.1997年竣工で豊平製鋼が施工しました.2001年度土木学会デザイン賞を受賞しています.

滝下橋
滝下橋
滝下橋
滝下橋

夕張シューパロダムは夕張市の石狩川水系夕張川上流部に建設された多目的ダムで,2014年に完成しました.1958年の大夕張ダム建設に伴い,ダム湖を渡って木材輸送するために6つの橋が架けられました.そのうちのひとつが正式名称「下夕張森林鉄道夕張岳線第一号橋梁」と呼ばれる全長381.8mの三弦橋です.三弦トラスと呼ばれる断面が三角形の世界的にも非常に珍しい構造の橋梁でしたが,夕張シューパロダムの完成により,2015年3月に大夕張ダムとともに水没しています.数年に一度の渇水期にのみ再び姿を現す幻の橋となってしまいました.

シューパロ湖説明板
シューパロ湖

白銀橋(しろがねばし)は夕張市のシューパロ湖に架かるニールセンローゼ橋で,橋長は174m(コンクリート橋部を含めると全長は761m)です.2014年の完成で,夕張岳登山口へ続いています.

 

白銀橋
白銀橋
白銀橋

千鳥橋は夕張市の滝の上公園内に架かる橋長100.0mのニールセンローゼ橋です.橋の上からは夕張川の浸食によってできた千鳥ケ滝や竜仙峡と呼ばれる渓谷を見ることができます.

千鳥橋
千鳥橋
千鳥橋

由仁夕張川橋梁(ゆにゆうばりがわきょうりょう)はJR室蘭本線の由仁町と栗山町の境界付近を流れる夕張川に架かる曲弦プラットトラスとポニーワーレントラス橋で,1902年架設された橋を1930年に改築,現在はJR上り線として使われています.橋長162.72m.調査時は橋の周囲に木々が密集していました.

 

由仁夕張川橋梁

なかよし橋は岩見沢市東町二条の利根別川に架かる屋根付き木橋です.1999年竣工で橋長22.3m,サンモク工業が施工しました.

なかよし橋
なかよし橋
なかよし橋
なかよし橋
なかよし橋
なかよし橋
なかよし橋

千樹橋は岩見沢市九条西の利根別川に架かる桁橋です.橋長32.5mは木製桁橋としては日本最長です.1994年の完成です.

千樹橋
千樹橋
千樹橋
千樹橋
千樹橋

桂沢大橋は三笠市の桂沢湖に架かる国道452号線上の橋長323.0mの連続鈑桁ローゼ橋です.1987年の完成ですが,新桂沢ダムの完成によりダム湖の水位が上昇するため水没することになっています.

 

桂沢大橋
桂沢大橋
桂沢大橋

萱野水管橋(かやのすいかんきょう)は三笠市岡山の幾春別川に架かる橋長90.0mのローゼ桁の水管橋です.1993年に函館ドックが施工しました.

 

萱野水管橋
萱野水管橋
萱野水管橋
萱野水管橋

道央-後志地方(2003.10,2014.7調査)

張碓大橋(はりうすおおはし)は小樽市の札幌自動車道 張碓地区に架かる,橋長501.7mのワーレントラス橋です.札幌オリンピック開催前年の1971年に完成しました.函館ドックの施工です.

張碓大橋
張碓大橋
張碓大橋

小樽運河に架かる旭橋は運河と小樽港をつなぐ水路に架かる小樽唯一のアーチ橋です.北運河に係留している船舶はこの橋をくぐるため,運河に架かる橋の中では一番高い構造となっています.小樽運河クルーズ船は,中央橋発着で月見橋から一旦小樽港に出て,旭橋をくぐり小樽運河に戻ってくるルートになっています.

旭橋
旭橋
旭橋

小樽運河は1923年完成,全長1,140mの小樽の海運を支えた水路になります.運河としての役割を終えた1986年に一部埋め立てを行い,散策路や街園が整備され現在の姿となりましたが,北側(通称北運河)は昔のまま河幅40mが残されています.散策路には63基のガス灯が設置され,運河沿いの石造倉庫群は当時の姿で残されておりレストランなどに再利用されています.

小樽運河
小樽運河
小樽運河
小樽運河
小樽運河
小樽運河

小樽港北防波堤は1908年竣工のコンクリートを用いた日本初の本格的な防波堤です.小樽築港事務所初代所長の廣井勇が考案・設計・施工し,その構造は,投石マウンドの上にコンクリート方塊を積み重ねた混成堤でした.コンクリート・ブロックは71度34分の角度で斜めに重なり合うように積んであります.ブロックを斜めに積み重ねることで重心をずらしブロック相互に支持力を発生させて波力による崩壊や脱落を防ぐ当時の最新技術でした.この方塊は防波堤の延長方向に傾斜積みされていることから、「斜塊」とも呼ばれています.完成から110年以上経過した現在も小樽の町を守っています.2000年に土木学会推奨土木遺産認定.

小樽港北防波堤説明板

小樽港斜路式ケーソン製作ヤードは1912年竣工です.滑り台方式でケーソンを進水させた世界初の施設であり,ケーソン技術の適応範囲を広げ,日本の近代港湾の発展に貢献したとして,2009年度選奨土木遺産に認定されています.廣井勇の弟子であり小樽築港事務所長の伊藤長右衛門が考案しました.進水の際は斜路を延長して海中まで設置し,海中に沈めたままだと腐食が進むので,使用時以外は陸に引き上げていたそうです.

小樽港斜路式ケーソン製作ヤード
小樽港斜路式ケーソン製作ヤード説明板

カトリック小樽教会 富岡聖堂は富岡1丁目,地獄坂から少し奥まったところにある教会です.1929年の建築で,木造一部鉄筋コンクリート造3階建の外観は,長崎の大浦天主堂などを模して設計されたと思われ,赤いトンガリ屋根と八角堂の鐘楼があり中世ロマネスクとゴシック様式が混在しています.

小樽教会
小樽教会
小樽教会
小樽教会

日本銀行旧小樽支店は日本近代建築の先駆者である辰野金吾の指導のもと,長野宇平治,岡田信一郎の設計により1912年に完成しました.尖塔を四隅に配するいわゆる「辰野式」のレンガ造りの外観に,鉄骨構造やモルタルなど当時の最先端技術を集結させた,色内銀行街を代表する建造物です.2002年に支店が廃止されるまで,北日本随一の経済都市の象徴として重要な役割を果たしました.

 

日本銀行旧小樽支店
日本銀行旧小樽支店
日本銀行旧小樽支店説明板

旧安田銀行小樽支店は色内大通りと中央通り交差点北西角に建つ,1930年築の鉄筋コンクリート造の建造物です.富士銀行が継承した後,1970年からは北海道経済新聞社という水産系業界の新聞社が社屋として使用,その後和食レストランとして営業していましたが,2020年に閉店しています.ギリシャの建築様式をもった昭和初期の典型的な銀行構造で,重量感あふれる円柱が特徴です.道路拡幅に伴い2001年に建物が後方に曳家され,外観も修復されました.

旧安田銀行小樽支店
旧安田銀行小樽支店
旧安田銀行小樽支店説明板

道央-担振地方(2021.7調査)

ホロナイ川橋は虻田郡洞爺湖町の道央自動車道豊浦IC~虻田洞爺湖IC間のホロナイ川に架かる橋です.国内初の鋼2主鈑桁にプレストレストコンクリート床版を組み合わせて施工し,1995年土木学会田中賞受賞を受賞しています.鋼桁は耐候性鋼材を使用しています.橋長107.0m,川田工業の施工です.

 

ホロナイ川橋
ホロナイ川橋
ホロナイ川橋
ホロナイ川橋

白鳥大橋(はくちょうおおはし)は室蘭市にある国道37号線上の橋で,陣屋町と対岸の祝津町(絵鞆半島)を結ぶ橋長1,380mの吊橋です.橋名は室蘭港の別名白鳥湾に因みます.構想から約40年後の1998年に完成した東日本最大の吊橋で,メインケーブルに取り付けられた228個のLED電灯,2本の主塔にはそれぞれ44個のLED投光器が設置され,日没から深夜0時まで風力発電によりライトアップされています.1998年度の土木学会田中賞を受賞しています.

白鳥大橋
白鳥大橋
白鳥大橋
白鳥大橋アプローチ

道東-十勝地方(2015.10調査)

タウシュベツ川橋梁は上士幌町の糠平湖に架かる旧国鉄士幌線(廃線)の全長130mのコンクリート製アーチ橋です.1937年に完成しましたが,1955年に水力発電用の糠平ダムが建設され湖底に沈むことになりました.その際,橋梁上の線路は撤去されましたが,橋梁自体はダム湖の中に残されることとなり,現在までその姿を留めています.季節や発電により水位が変化するため,橋梁全体が水没してしまう時期もあれば,水位が低くなって橋梁全体が見渡せる時期もあることから幻の橋とも呼ばれています.近年は劣化が進み,11連アーチが繋がって見られるのは今年が最後と言われて久しくなっています.

 

タウシュベツ川橋梁
タウシュベツ川橋梁
タウシュベツ川橋梁
タウシュベツ川橋梁

松見大橋は上川町と士幌町を結ぶ国道273号の三国峠の手前に架かる上路ワーレントラス橋です.橋長330m,高さ30mで1988年の竣工です.三国峠は道内の国道の中で一番標高の高い峠(標高1,139m)であり,大雪山系の樹海と美しいカーブを描く赤い橋は絶景のドライブスポットになっています.川崎重工業,日本橋梁,横河橋梁のJVです.

松見大橋
松見大橋
松見大橋
松見大橋銘板

石山橋は上川郡清水町のペケレベツ川に架かり市街地と国道274号を結んでいます.2016年8月30日の台風10号で川が氾濫し橋の取り付け部が崩壊,2021年2月に架替えが完了し復旧しています.

 

石山橋(2015年10月撮影)
石山橋(2015年10月撮影)
石山橋(2015年10月撮影)
石山橋(2015年10月撮影)
石山橋(2015年10月撮影)

道東-根室地方(2021.8調査)

温根沼大橋(おんねとうおおはし)は根室半島の付け根にあたる温根沼と根室湾の境に架かる国道44号線上の橋です.全長141.2mのニールセンローゼ橋で1995年に完成しました.駒井鐵工所, 片山ストラテックの施工です.

温根沼大橋
温根沼大橋
温根沼大橋

標津橋(しべつはし)は標津郡標津町の標津川を渡河するアーチリブにフィーレンディール構造を持つ国内唯一の橋です.1962年の竣工で横河橋梁製作所が施工しました.橋長は269.4m.2022年度に土木学会選奨土木遺産に認定されました.

標津橋
標津橋
標津橋

明治公園は根室市牧の内にある公園で日本の歴史公園100選に選ばれています.元は函館の田園牧場に次ぐ道内2番目の牧場として1875年に開場した開拓使根室牧畜場で,公園はその跡地を利用しています.1921年からは北海道練乳(現在の明治乳業)所有の土地となり,1932年に直径4.7m,高さ12mの第二サイロ,1936年には直径5.9m,高さ15mの第一サイロと直径5.9m,高さ14mの第三サイロが建てられました.これら3基のサイロは煉瓦積みとしては国内最大級で,国の登録有形文化財や経済産業省による近代化産業遺産に認定されています.

明治公園内サイロ
明治公園内サイロ
明治公園内サイロ

春国岱(しゅんくにたい)は根室半島の付け根に位置する長さ約8kmの細長い砂でできた島で,面積は約6,000haです.3つの砂洲から成り,周囲を海と湖,干潟に囲まれ,海岸草原,湿原,森林などの多様な環境がひとまとまりになって存在します.第一砂丘には国内最大級のハマナスの大群落,第二砂丘にはアカエゾマツの純林,第三砂丘には巨木が生い茂ります.野鳥の聖域とも言われており,根室を代表する自然の宝庫です.散策路は湿地・森林と砂丘の2つのコースがあり木道が整備されています.

春国岱木橋
春国岱木橋
春国岱木橋
春国岱木橋
春国岱説明板

知床五湖は斜里町にある知床連山を背景に原生林の中にたたずむ5つの湖です.一湖から五湖までの名前がついています.知床五湖には2つの歩き方があり,うちひとつは全長約800mの高架木道で一湖湖畔まで行くことができ,電気柵(7000V)が張り巡らされているため安全に散策することができます.

 

知床五湖木道
知床五湖木道
知床五湖木道
知床五湖木道
知床五湖木道

納沙布岬(のさっぷみさき)は根室半島の先端に位置し,離島を除けば一般人が訪問可能な日本最東端地点です.日本で一番早く朝日と出会える場所としても有名です.歯舞群島・貝殻島までは3.7km,水晶島までは7kmしか離れておらず,肉眼でも見ることができ,周辺は望郷の岬公園として整備されています.

 

納沙布岬

納沙布岬灯台は1872年に初点灯した北海道初の洋式灯台であり,納沙布岬は北海道灯台発祥の地とされています.日本各地に多くの灯台を築き灯台の父とも呼ばれる技術者・ブラントンによって造られました.

納沙布岬灯台
納沙布岬灯台説明板

四島(しま)のかけ橋は望郷の岬公園に配された北方領土返還の願いが込められたシンボル像です.四島とはロシアが実効支配する北方四島のことで,国後島(くなしりとう),択捉島(えとろふとう),色丹島(しこたんとう),歯舞群島(はぼまいぐんとう)のことです.特殊耐候性鋼板を使用し,高さ13m,底辺の長さは35m,1981年9月に竣工しました. 像の下には北方領土の返還を求める国民の強い決意をこめて返還実現のその日まで燃やし続ける「祈りの火」灯火台が置かれ,隣接する「北方館 望郷の家」の開館時間(夏季は9:00〜17:00)に合わせ灯されています.

四島のかけ橋
四島のかけ橋銘板

きぼうの鐘は北方領土の1日も早い返還実現の願いを込めた日本国民の強い祈りを表しています.響く鐘の音は四島が返還される日まで北方の島々に鳴り続けるとされています.

 

きぼうの鐘

別海北方展望塔は「北方領土返還要求運動」の正しい理解と国民世論の高揚のため1979年に建設されました.施設隣の「四島への道 叫び」の像は,1982年に建立されたもので「島を返せ」と叫び続ける国民の総意を,老女と孫に託しているそうです.野付半島から国後島までの距離は16km.この距離にちなみ四島に見立てた四本の柱と叫びの像の間は16mとなっています.展望塔からはオホーツク海に浮かぶ北方領土の国後島や野付半島を一望できます.

四本の柱
叫びの像
叫びの像説明板

道東-釧路地方(2021.8調査)

釧路湿原国立公園は釧路市北斗にある国内最大の泥炭性草原湿地からなる国立公園です.1967年には湿原そのものが国の天然記念物に指定されています.湿原の散策コースには吊り橋が架かり,1周約1時間でまわることができます.

釧路湿原木製歩廊
釧路湿原木製歩廊

道北地方(2021.8調査)

旭橋は橋長226m,幅員18.3mであり,1932年11月に完成したブレースドリブタイドアーチ橋である.アーチの両端側径間側にロッキングカラムと呼ばれる柱部材のゲルバーヒンジ部を設けており,側径間をトラス構造としている.タイ材はドイツ製の高張力鋼を採用しており,アーチ部のたわみ変更を拘束している.また,床版下面には1m角のバックルプレートを設けており,鉄道車両載荷に耐えられるような床版としている.1927年、当時の北海道大学工学部長吉町太郎一博士が設計指導を行い,「旭川のシンボルとなるような橋を」と考えて、内務省と協議して橋梁形式を決定している.

橋の正面には建設当時「誠」という文字を中心に、忠節、礼儀、武勇、信義、質素の軍人勅諭網領が書かれた旭日章が高く掲げられていた.電車が橋の上を通過する時,車掌は「気をつけ!」と号令をかけたという.軍都旭川を象徴する橋でした.

少し古いですが,2003年に調査した際の写真を以下に示します.

旭橋

旭橋

旭橋

旭橋

トラス格点構造

ロッキングカラム

バックルプレート

おしゃれな橋名板

概要が示された橋歴板

 

 

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