大阪の橋,建造物

大阪市北部(2013.10,2016.2,2019.7,2021.3,2023.7調査)

長柄橋(ながらばし)は淀川に架かり,北区本庄東と東淀川区柴島とを結ぶ全長656.4m,幅員20mの橋です.古くからその名が知られており「日本後記」の嵯峨天皇条で,中央政府から造橋使が派遣されて工事が行われたと記されています.1909年,新淀川の開削にともない鉄製のポニートラス橋が架けられましたが,この橋は1874年開通の東海道本線のトラスを転用したものでした.その後 1936年にゲルバー式鋼鈑桁の2代目長柄橋へと架替えられ戦災での損傷後も引き続き使用されていました.現橋は1973年に架替工事が始まり,10年後の1983年に完成したバスケットハンドル型ニールセンローゼ橋です.

 

長柄橋(2013.10撮影)
長柄橋(2013.10撮影)
長柄橋(2013.10撮影)
長柄橋(2021.3撮影)
長柄橋(2021.3撮影)
長柄橋(2021.3撮影)

 

淀川橋梁は東淀川区東淡路1丁目と都島区大東町3丁目を結ぶ淀川に架かる,西日本旅客鉄道(JR西日本)おおさか東線の鉄道橋で通称は赤川鉄橋です.18のトラス桁が連続した全長約600mの鉄橋で1929年に城東貨物線の建設にあわせて橋が架けられました.建設当初から上下線がある複線での運転を想定して建設されましたが,開業当時は貨物輸送量がなかったため,トラス桁内の下流側(西側)のみ単線の線路を敷設し,上流側(東側)の線路を敷設するスペースには木製の板を敷き人や自転車が通れるようにしていました.しかし新しい旅客線を整備する構想が決まり,上流側のスペースは2013年10月31日限りで閉鎖され,複線化により新しい線路が敷かれ,2019年3月16日おおさか東線の開通に伴い旅客営業線としての供用が開始されています.

淀川橋梁
淀川橋梁
淀川橋梁
淀川橋梁
淀川橋梁

淀川水管橋は都島区と東淀川区柴島の淀川に架かるランガー桁の水管橋です.市北部に位置する大阪市最大の浄水場である柴島浄水場から市内に水を供給しています.橋長697.83m.

淀川水管橋(2013.10撮影)
淀川水管橋(2013.10撮影)
淀川水管橋(2013.10撮影)
淀川水管橋(2021.3撮影)

天神橋は大川に架かり北区天神橋1丁目と中央区北浜東を結ぶ橋です.中之島の拡張により実質的には堂島川と土佐堀川の2つの川を渡り,車道は全線南行き一方通行となっています.1594年が最初の架橋とされ,1634年に公儀橋となり浪華三大橋の真ん中に位置します.1885年の大水害で流失し,1888年に鉄橋に架替えられています.現在の橋は1934年架橋の全長210.7m、鋼2ヒンジアーチ橋で,2000年に「大川・中之島の橋梁群」の1つとして「土木学会選奨土木遺産」に選ばれています.

天神橋
天神橋
天神橋
天神橋
天神橋
天神橋
天神橋

天神橋剣先スロープは天神橋の剣先側から中之島へ行けるように設けられた,螺旋形式の自転車歩行者専用歩道橋です.剣先とは中之島の上流端のことになります.1986年3月完成,日立造船が施工しました.

天神橋剣先スロープ
天神橋剣先スロープ

難波橋(なにわばし)は中央区北浜と北区西天満を結ぶ全長189.7m,幅21.8mの橋です.中之島の拡張により,実質的には土佐堀川と堂島川の2つの川を渡ります.最初の橋は704年頃に行基によって架けられたといわれていて,天神橋,天満橋と共に浪華三大橋と称されています.明治末期まで難波橋筋に架かっていましたが,1915年に現在の位置に移されました.橋詰の4ヶ所に阿(あ)と吽(うん)それぞれ2体の石造のライオン像が配置されていることから「ライオン橋」の愛称でも親しまれています.1975年に大阪市によって大改修が施されています.

難波橋
難波橋
難波橋
難波橋

ばらぞの橋は北区の中之島公園内に架けられた橋で,西側と東側のバラ園を結んでいます.橋長31.5m,幅員4.0m.1990年完成のアーチ橋です.

ばらぞの橋
ばらぞの橋

鉾流橋(ほこながしばし)は北区の堂島川に架かる3径間ゲルバー式鋼鈑桁橋です.北区西天満1丁目と北区中之島1丁目を結んでいます.毎年7月24日の朝,天神祭の鉾流神事が橋のたもとで行われることが橋名の由来といわれています.1918年に最初の橋が木造で架橋され,現在の橋は1929年に完成し,1980年に拡幅などの改修が行われています.橋長98.04m,幅員12.5m.

鉾流橋

水晶橋は堂島川に架かる歩行者専用橋で北区中之島1丁目と北区西天満2丁目を結んでいます.元は堂島川の水質改善を目的として1929年に建設された可動堰でしたが,1982年にアスファルト舗装だった橋面を花崗石と花崗擬石で敷き直し,法律上でも橋となりました.2002年に可動堰部分は撤去されています.橋長72.33m,幅員9.09mで本体のアーチとその上に施された9つの小アーチの組み合わせが美しく,夜間はライトアップされています.橋名は水面に映る様子が水晶のかがやきに似ているという説や,大阪が繁栄するようにといった意味が込められているともいわれています.

因みに土佐堀川に架かる歩行者専用橋の錦橋も土佐堀川可動堰を再生したものです.

水晶橋
水晶橋

淀屋橋は土佐堀川に架かり,北区中之島1丁目と中央区北浜3丁目を結んでいます.初代の橋は江戸時代,当時日本一の材木商だった淀屋によって架けられたもので,橋名はそれに因んでいます.現在の橋は1935年に完成した鉄筋コンクリート造りの3径間アーチ橋で,橋長53.5m,幅員36.5mです.対になる堂島川に架かる大江橋も同年完成で,2000年に「大川・中之島の橋梁群」の1つとして土木学会選奨土木遺産,2008年には「大江橋及び淀屋橋」として,重要文化財に指定されています.付近には日本銀行大阪支店(1903年竣工)をはじめ,府立中之島図書館(1904年竣工),中央公会堂(1918年竣工)など戦前からの歴史的建造物が点在しています.

淀屋橋
淀屋橋
淀屋橋
淀屋橋

都島橋(みやこじまばし)は北区と都島区を結ぶ大川に架かる橋です.最初の橋は1922年に市道大阪環状線の橋として架けられ,市電梅田善源寺町線の軌道も敷設されました(市電は1969年に廃止).現在の橋は1956年に竣工した4径間ゲルバー式鋼鈑桁橋で橋長145.0m,1979年に拡幅工事が行われ幅員は26.0mです.

 

都島橋
都島橋
都島橋

毛馬橋は北区と都島区を結ぶ大川に架かる橋です. 最初の橋は1914年に架けられた橋長155m,幅員3.6mの木橋でした.その後,1961年に幅員8mの3径間連続合成桁橋に架替えられ,1979年に幅25mに拡幅されています.

毛馬橋
毛馬橋
毛馬橋
毛馬橋
毛馬橋
毛馬橋
毛馬橋

飛翔橋(ひしょうばし)は都島区善源寺町1丁目と北区長柄東1丁目を結ぶ大川に架かる歩行者専用橋です.橋の一部が阪神高速道路守口線の下を通るため構造的な制限を受けることとなり,二重アーチ構造のニールセンローゼ橋になっています.橋名は「UFOを思わせ,どこか飛び立つようなイメージ」から名付けられたそうです.橋長103.55m,1984年竣工です.

飛翔橋
飛翔橋
飛翔橋
飛翔橋
飛翔橋
飛翔橋
飛翔橋
飛翔橋

友渕橋は城北川に架かり都島区毛馬町と友渕町を結びます.現在の橋は2005年10月に架替えられたものです.1958年に架けられた前の橋は長さ42.12mの国内初の2径間連続合成桁橋であり,以降の合成桁発展の基礎となりました.

友渕橋
友渕橋
友渕橋

十三大橋(じゅうそうおおはし)は北区中津(南岸)と淀川区新北野(北岸)を結ぶ,淀川に架かる5連のタイドアーチ橋です.1931年竣工で設計は増田淳です.十三の地名は条里制の十三条に由来するという説や,淀川の渡しのうち上から数えて13番目であったこととする説が有力です.橋長681.2mの同橋と25.1mのゲルバー式鋼板桁である十三小橋が繋がっています.1966年に下流側に新十三大橋が完成したので,北行き片側1車線,南行き片側3車線および歩行者道となっています.

すぐ上流側には阪急新淀川橋梁があり,神戸本線・宝塚本線・京都本線が通っています.下流側のアーチ鉄橋はNTT十三専用橋(通信線専用橋)です.

十三大橋
十三大橋
十三大橋
十三大橋
十三大橋
十三大橋
十三大橋
上流に架かる阪急新淀川橋梁

NTT十三専用橋は北区中津7丁目と淀川区新北野1丁目のNTT西日本淀川ビルを結ぶ通信線専用のアーチ橋です.日本鉄塔工業の施工で1984年に完成しています.橋長745.5m,幅員9.5mで中に電話等の通信回線が収納されています.通常,川を越えて回線を通す場合はトンネルを掘るのが一般的ですが,川幅が広く,今後の通信量が膨大なものになる見通しだったことから専用橋を架けました.因みにNTTグループには他に札幌市の豊平川と東京都の隅田川にも専用橋があります.

 

NTT十三専用橋
NTT十三専用橋
NTT十三専用橋

毛間第一閘門(けまだいいちこうもん)

淀川は大規模な洪水が頻発し,流域の人々に甚大な被害を及ぼしていたため明治政府は1896年より淀川の大改修工事を開始しました.毛馬においては1907年に第1閘門,1910年には洗堰を設置し旧淀川(大川)に流れ込む水量を調節するとともに船運の利便を図りました.1975年,同地に新閘門および新水門が建設される過程で毛馬洗堰・閘門は役目を終え,淀川河川公園内に保存,国の重要文化財となっています.

毛馬第一閘門
毛馬第一閘門
毛馬第一閘門
毛馬閘門
毛馬閘門

神州橋は淀川区三津屋と豊中市を結ぶ神崎川に架かる3径間連続合成箱桁橋です.橋長170.76m,幅員9.5mで阪急電鉄神戸線の神崎川橋梁が並行して架かります.1972年3月竣工で,櫻田機械工業が施工しました.

神洲橋
神洲橋
神洲橋
神洲橋
神洲橋
神洲橋
神洲橋
並行して架かる阪急電鉄神戸線の神崎川橋梁
並行して架かる阪急電鉄神戸線の神崎川橋梁

神崎川ガス管橋は豊中市大島町3丁目の神崎川に架かる6径間トラスです.

神崎川ガス管橋
神崎川ガス管橋

大豊橋は神崎川に架かり淀川区加島と豊中市を結ぶ5径間ゲルバー式鋼鈑桁橋です.阪神高速池田線と並走しています.橋長163.8m,1963年の完成です.

大豊橋
大豊橋
大豊橋
大豊橋(床版下面鋼板補強)
大豊橋
大豊橋

毛斯倫大橋(もすりんおおはし)は淀川区加島と尼崎市戸ノ内を結ぶ神崎川に架かる3径間連続プレストレスト合成箱桁橋です.現在の橋は1970年完成の3代目で,橋長198.8m,中央径間76.5mはこの形式では当時国内最長でした.毛斯倫はモスリンという毛織物のことで,1896年に日本で初めての毛斯倫紡織会社が設立され,1923年に加島の対岸である園田村・戸之内に工場を設立,本社と工場を結ぶ毛斯倫橋を建設したことからその名がつけられました.

 

毛斯倫大橋
毛斯倫大橋
毛斯倫大橋
毛斯倫大橋

神崎橋(かんざきばし)は淀川区加島三丁目から兵庫県尼崎市西川を結ぶ神崎川に架かる橋です.橋長321.2m,幅員21.5mの合成桁橋です.神崎橋の名は1300年代の「太平記」にも記されていますが,近代まで橋は途絶え,渡し船が交通を担っていました.1923年に橋が架けられ,以後2度にわたり架替えられていて,1953年に架替えられた橋は日本初の合成桁橋であり,1978年に架けられた現在の橋もまた合成桁橋で,国内最大規模を誇っています.

神崎橋
神崎橋
神崎橋

大阪市中央公会堂(通称:中之島公会堂)は北に堂島川,南に土佐堀川が流れる中之島の地に建つ公会堂です.株式仲買人であった岩本栄之助の寄附をもとに1913年着工,1918年に竣工しました. 設計デザインは13名参加による懸賞付き建築設計競技により,岡田信一郎の案が選ばれ,それに基づき辰野金吾・片岡安が実施設計をしました.鉄骨煉瓦造地上3階,地下1階建ての構造で,意匠はネオ・ルネサンス様式を基調としています. 老朽化による保存・再生工事が行われ,2002年に再生竣工し国の重要文化財に指定されました.正面窓には,慶祝の象徴である鳳凰と大阪市の市章「澪標(みおつくし)」がデザイン化されたステンドグラスを見ることが出来ます。

 

中之島公会堂
ステンドグラス

国立国際美術館は北区中之島の市立科学館敷地内にある美術館です.1970年に大阪で開催された日本万国博覧会の万国博美術館を再利用して1977年に現代美術館として開館,2004年に現在地に移転しました.設計者はアルゼンチン出身の建築家であるシーザー・ペリ.外観は竹の生命力と現代美術の発展と成長をイメージしているそうです.館内はすべて地下に設計された珍しい美術館です.

国立国際美術館
国立国際美術館
国立国際美術館

 

 

大阪市東部(2016.2,2021.3,2022.3,2023.7調査)

相合橋(あいあうばし)は中央区の道頓堀川に架かる玉屋町筋の橋です.この橋が最初に架けられたのは1680年代で,当初は中橋あるいは新中橋と呼ばれていて,近松門左衛門の浄瑠璃「心中重井筒」の一節に中橋として登場しています.現在の鉄橋が架けられたのは1962年で,1983年には拡幅整備され橋の上に憩いの広場が設けられています.2004年には付近にとんぼりリバーウォークが整備され遊歩道へのアプローチ階段が設置されました.

相合橋
相合橋

太左衛門橋は道頓堀川に架かる橋長41.20m,幅員4.0mの3径間連続合成桁橋です.現在の橋は1958年に架けられ,道頓堀川の遊歩道が整備されたときに両側に木製の側道橋が設置,本橋の欄干も木製となりました.橋名は,橋の東南角で歌舞伎の小屋を開いた興行師大坂太左衛門に由来するそうです.

 

太左衛門橋
太左衛門橋

戎橋(えびすばし)は中央区心斎橋筋2丁目~中央区道頓堀1丁目の道頓堀川に架かり,大阪ミナミの繁華街の中心に位置する橋長26mの鋼鈑桁橋です.橋の架設は1615年の道頓堀川の開削とほぼ同時であったといわれており,現在の橋は2007年に鴻池組により架替えられたものです.道頓堀沿いに戎橋から太左右衛門橋まで遊歩道とんぼりリバーウォークが整備され,橋下には御影石と青銅を用いた先代橋の三連窓壁高欄が取り入れられています.橋のたもとのグリコのネオンサインも有名です.

戎橋
戎橋
戎橋
戎橋銘板
グリコのネオンサイン

道頓堀橋は1936年に御堂筋(国道25号)の整備にあわせて新たに架けられた橋長38.2mの三径間連続鋼板桁です.基礎は地下鉄御堂筋線と一体で築造されています.幅員は43.6mあり,単独の橋としては大阪で最も幅が広い橋となっています.

道頓堀橋
道頓堀橋
道頓堀橋
道頓堀橋

新戎橋(しんえびすばし)は道頓堀川に架かる橋長39.75mの3径間単純合成鈑桁橋です.現在の橋は1963年架橋されたもので,1992年に歩道設置ならびに橋面整備,2007年からは道頓堀川水辺整備事業に併せ改修工事が行われ翌年改修が終わりました.先代橋の高欄が朱色であったことから,高欄フレームに朱色を取り入れ,ガラスで挟み込んだ和紙パネルをはめ込み,夜間には高欄外側からの照明で和紙が浮かび上がります.

新戎橋
新戎橋

大黒橋(だいこくばし)は道頓堀川に架かる橋で北岸の中央区西心斎橋2丁目と南岸の同区道頓堀2丁目および浪速区湊町1丁目とを結びます.初めての架橋は1615年の道頓堀川が開削されてから間もない時期で,江戸時代は橋長42.7m,幅員2.4mの木橋であったとされています.木津の大黒神社への参道にあたることからその名が付けられたようです.1930年に橋長35m,幅員9mのコンクリートアーチ橋となり,同時に上流側には道頓堀川の浄化用の可動堰が設けられています.その後1988年の改装を経て,2012年には現在の橋長30.0m,幅員11.0mの鋼ポータルラーメン橋に架替えられました.

大黒橋
大黒橋
大黒橋照明柱

深里橋 (ふかりばし)は道頓堀川に架かる四つ橋筋 (大阪市道南北線) の橋です.1908年に市電南北線の敷設事業にともない架設され,現在の橋は1930年に架替えられた橋長53.2m,幅員23.7mの3径間ゲルバー式鋼鈑桁です.

深里橋
深里橋
深里橋

浮庭橋(うきにわばし)は道頓堀川に架かり,浪速区湊町1丁目の湊町リバープレイスと西区南堀江1丁目のキャナルテラス堀江(商業施設)を結ぶ橋です.本橋はデザインコンペを行い,内藤俊彦デザインの「浮かぶはらっぱ」をコンセプトとした吊橋形式になっています.橋上や側面にたくさんの緑が配されていて緑あふれる空間となっています.橋名も一般公募を行い決定しています.2008年の完成です.

浮庭橋
浮庭橋
浮庭橋
浮庭橋
浮庭橋
浮庭橋
浮庭橋
浮庭橋
浮庭橋

中央区船場中央にある船場センタービルの上は,両端に中央大通の高架道路が,一段高くなっている中央には阪神高速13号東大阪線が通っています.地下には大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)中央線が中央大通に沿って通ります. 船場センタービルは全長930m,道路の傾斜に合わせて階高が1階から4階まであり,10 棟が内部でつながっています.1970年,船場地区に高速道路を通すにあたり,ビルを建築しその上に道路を構築しビルと道路が一体構造というアイデアが認められ,2020年度土木学会選奨土木遺産に選ばれています.

 

船場センタービル上高架道路
船場センタービル上高架道路

通天閣は浪速区の新世界中心部に建つ高さ108m(避雷針を含む)の展望塔であり,大阪の観光名所ならびにシンボルタワーです.1912年に初代通天閣が誕生,現在のものは1956年10月に再建された2代目となります.2007年に登録有形文化財に指定されました.明治期の儒学者である藤沢南岳が「天に通じる高い建物」という意味で「通天閣」と名付けました.

通天閣
通天閣
通天閣
通天閣

ビリケンさんは1908年にアメリカの女性芸術家であるフローレンス・プリッツが夢で見た幸福の神様が起源です.当時の大統領であったウィリアム・ハワード・タフトのウィリアムの愛称「ビリー」に小さいを表す接尾語「-ken」を加えたのが名前の由来とされています.尖った頭と吊り上がった目が特徴の子供の姿をしている幸運の神の像で,日本に伝わったのは1909年頃です.1912年に通天閣と同時開業した遊園地「ルナパーク」に展示された像が有名で,一般の商店や民家に祀られることも多く,大阪では身近な福の神として庶民の暮らしを見守っています.

ビリケンさん

かに道楽道頓堀本店は1962年に開店したかに道楽の1号店です.店頭に掲げられた動くかに看板は,道頓堀の風物詩として人気の撮影スポットです.1996年にビルが建て替えられ現在の看板は3代目となります.2022年 2月1日に道頓堀本店及びかに看板が60周年を迎えたため「とれとれぴちぴちで60年。還暦で~す。」のゼッケンをつけていました.因みに看板のかには「松葉ガニ」とのことで,松葉ガニはズワイガニのオスの呼び名のひとつなので,看板のかにはオスになりますね.

かに道楽道頓堀本店 動くかに看板

 

 

大阪市南部(2021.1,2021.3,2023.7調査)

住吉反橋(すみよしそりはし)は住吉区の住吉大社境内に架かる橋で,橋長20m,幅員5.8mの木造桁橋です.橋中央部の高さは4.4mで,中央部を頂点として半円状に反り,最大傾斜は約48°となっています.石造橋脚は,慶長年間に淀君(豊臣秀吉の妻)が秀頼公の成長祈願の為に奉納したものと伝えられています.川端康成の小説「反橋」(1948年発表)の舞台となっており,橋の南東には、小説の一節が刻まれた文学碑が設置されています.

 

住吉反橋
住吉反橋
住吉反橋

南海高野線(こうやせん)大和川橋梁は南海電鉄高野線の我孫子前駅ー浅香山駅にある大和川を跨ぐ橋梁です.1900年に高野鉄道が単線で開通した当時の橋桁が上り線用として現在も使われており,1925年には複線化されています.10連の上路プレートガーダー橋で,全長228mです.

 

南海高野線大和川橋梁
南海高野線大和川橋梁
南海高野線大和川橋梁
南海高野線大和川橋梁

遠里小野橋(おりおのばし)は大和川に架かる大阪市と堺市を結ぶ橋で,1930年竣工のゲルバー鈑桁です.橋長188.2m,幅員10.9mです.

遠里小野橋
遠里小野橋
遠里小野橋

阪堺電車大和川橋梁は阪堺電車(路面電車)の大和川駅ー我孫子道駅間の大和川に架かる橋です.全長198.57m,1911年竣工で,2本の桁をそれぞれ支える鉄管柱やJ字型に曲げた補剛材の処理などのイギリス式が特徴です.横河橋梁製作所が施工しました.阪堺電気軌道と関連施設群は,2018年度の土木学会選奨土木遺産に認定されています.

阪堺電車大和川橋梁
阪堺電車大和川橋梁
阪堺電車大和川橋梁
阪堺電車大和川橋梁
阪堺電車大和川橋梁

大和橋は住之江区安立と堺市並松町を結ぶ大和川に架かる3径間連続の斜張橋です.床版がコンクリートで設計上プレストレスしない合成桁の思想を取り入れた珍しいものです.橋長192.00m,幅員9.50m,1974年竣工で石川島播磨重工業が施工しました.

大和橋
大和橋
大和橋
大和橋
大和橋
大和橋

南海本線大和川橋梁・阪神高速堺線PC橋

阪神高速15号堺線が大和川を渡るための橋梁です.川を斜めに横切っており,隣接する南海本線の大和川橋梁を越える形で架橋されています.

 

南海本線大和川橋梁・阪神高速堺線PC橋
南海本線大和川橋梁・阪神高速堺線PC橋
南海本線大和川橋梁・阪神高速堺線PC橋

大和川大橋は住之江区と堺市を結ぶ国道26号線に架かるゲルバー鈑桁橋で大和川を渡河します.橋長204.5m,1937年竣工です.

大和川大橋
大和川大橋
大和川大橋
大和川大橋

JR木津川橋梁はJR大阪環状線の大正ー芦原橋間にあり木津川を跨ぐ橋梁です.下路ダブルワーレントラス橋で橋長106mです.1928年に開通しました.

JR木津川橋梁
JR木津川橋梁
JR木津川橋梁

阿倍野歩道橋はJR天王寺駅とあべのハルカスとを連絡する交差道路上に架かる歩道橋です.再開発事業の一環と旧阿倍野歩道橋(1965年完成)の老朽化に伴い2013年4月に架替えられました.デザイン・設計コンペにより,あべのの「aからまちが始まる」をテーマした案が採用され,曲線トラス橋3連と鋼床版鈑桁2連などから構成され,光触媒型テント膜屋根に部材を三角形に組んだトラスとなっており長さは197m,上から見ると「a」の形状をしています.

阿倍野歩道橋
阿倍野歩道橋
阿倍野歩道橋
阿倍野歩道橋

あべのハルカスは阿倍野区阿倍野筋1丁目に立地する近畿日本鉄道の超高層ビルです.近鉄「大阪阿部野橋」駅,JR・Osaka Metro「天王寺」駅各線と直結,近鉄百貨店 あべのハルカス近鉄本店,大阪マリオット都ホテルなどで構成される複合商業ビルです.高さ300mは国内では麻布台ヒルズ森JPタワー(325 m)に次ぎ2番目に高いビルとなります.2014年3月竣工,同年3月7日にグランドオープンしました.建物は全面がガラスで覆われたカーテンウォールであり,三段階にセットバックする立体構造となっています.「ハルカス」は古語の「晴るかす」に由来しているそうです.

あべのハルカス
あべのハルカス
あべのハルカス

大阪市西部(2021.3,2022.3,2023.7調査)

新歌島橋(しんうたじまばし)は西淀川区野里の淀川北岸線が旧中島大水道と交わる地点に架かる桁橋です.橋長47.4m,幅員20.0mで1960年竣工の本橋は大きな角度をもつ斜橋として知られています.

新歌島橋
新歌島橋
新歌島橋
新歌島橋
新歌島橋
新歌島橋
新歌島橋
新歌島橋

 

岩崎運河橋梁はJR大阪環状線の弁天町駅~大正駅間に架かる橋長91mの下路ダブルワーレントラス橋です.上弦材と下弦材を全長にわたって同じ高さの平行弦とし端柱を垂直としているため,頑丈な構造となっています.因みに大正駅ー芦原橋駅間の木津川橋梁も同一設計となっています.並行して岩崎橋が架かります.

岩崎運河橋梁
岩崎運河橋梁
岩崎運河橋梁

常吉大橋(つねよしおおはし)は此花(このはな)区常吉と人工島である舞洲(まいしま)を結ぶ大阪港に架かる橋です.全長539.65mのうち340.8mが3径間連続鋼床版箱桁斜張橋で,地形的制約などから非対称構造となっています.塔高80mの逆Y形1本タワーの斜張橋で,塔が1基のものとしては国内最大規模です.1999年竣工です.

 

常吉大橋
常吉大橋

此花大橋(このはなおおはし)は此花区北港と此花区舞洲を結ぶ大阪港に架かる橋長540.0mの橋です.世界でも珍しいモノケーブル自碇式吊橋(主径間300m)で,1本のメインケーブルによって橋桁が吊り下げられています.また,一般の吊橋はケーブルを定着するためにアンカレッジを設けていますが,この橋の架橋地点の地盤は軟弱で、アンカレッジの設置が困難であったため,ケーブルを補剛桁の端部に定着して構造全体のバランスを保つようにしています.1990年度の土木学会田中賞を受賞しています.

2025年開催の日本国際博覧会に向け,6車線に拡幅する工事を実施する予定です.

此花大橋
此花大橋

夢舞大橋(ゆめまいおおはし)は此花区の大阪北港(おおさかほっこう)にある2つの人工島「夢洲(ゆめしま)」と「舞洲(まいしま)」の間に架かるアーチ橋です.世界初の浮体式旋回可動橋で,緊急時に可動部を旋回させ,大型船舶の航行も可能となる仕組みとなっていて,2年毎に夜間を利用して開閉訓練が行なわれています.橋本体には歩道が設置されていますが,両側の取り付け部分が未完成で現在も歩行者や自転車は通行出来ません.夢洲がメイン会場となる2025年の大阪万博に向けて未完成部分を完成させる予定になっています.2001年竣工.橋長940m,浮体部 410m,幅員33.8m.

夢舞大橋
夢舞大橋
夢舞大橋
夢舞大橋

天保山大橋(てんぽうざんおおはし)は安治川の河口に架かる斜張橋で,港区築港と此花区桜島とを結んでいます.1990年の完成で橋長 640m主塔の高さは152mあり,保守点検などのために主塔にエレベータが設置されている珍しい橋です.1990年度土木学会田中賞を受賞しています.

天保山大橋(2023.7撮影)
天保山大橋(2023.7撮影)
天保山大橋(2023.7撮影)
天保山大橋(2022.3撮影)

港大橋は港区海岸通3丁目と住之江区南港東9丁目を結ぶ全長980mの3径間ゲルバートラス橋です.大阪港で最も船舶航行量の多い航路を跨ぐため中央径間510m,桁下空間は51mあり,中央径間は日本最長,世界でも第3位の規模です.上下2層のダブルデッキで,上層が4号湾岸線および16号大阪港線,下層が5号湾岸線となっています.1974年の竣工で,建設にあたりFEM解析や風洞実験が行われ,超高張力鋼の採用など当時の最新の技術が駆使されており,1974年度の土木学会田中賞を受賞しています.1995年の兵庫県南部地震による影響で耐震連結装置などに損傷が発生したため再解析が行われ,耐震補強工事が行われています.この工事により,2007年度に2度目の土木学会田中賞(作品部門)を受賞しています.

港大橋(2022.3撮影)
港大橋(2022.3撮影)
港大橋(2022.3撮影)
港大橋(2023.7撮影)
港大橋(2023.7撮影)

なみはや大橋は港区と大正区とを結ぶ尻無川に架かる箱桁橋です.1995年の完成当初は有料橋でしたが,2014年に大阪市道路公社の解散に伴い無料となっています.付近は大型船の往来が多いことを考慮して海面からの高さを確保するため,橋の両端は6.9%の急勾配になっており「大阪版ベタ踏み坂」と呼ばれています.全長1,740m,主径間長250mでプレードガーダー橋としては国内第2位の長大橋です.

 

なみはや大橋
なみはや大橋
なみはや大橋
なみはや大橋
なみはや大橋
なみはや大橋

千歳橋は大正区の大正内港に架かるアーチ橋です.初代千歳橋は1922年に架けられ,鶴町と対岸の新千歳町を結んでいました.1940年に鉄橋に架替られましたが,大正内港の建設工事のため1957年に撤去され現在の橋は3代目となります. 2003年に開通した橋は海面からの高さが28mあり,歩行者や自転車の利用には不便なことから渡船は橋開通後も存続されています.橋長365m,2径間連続非対称ブレースドリブアーチ橋で鮮やかな青色に塗られています.2003度土木学会田中賞を受賞しています.

千歳橋
千歳橋
千歳橋
千歳橋
千歳橋
千歳橋
千歳橋

新木津川大橋は大正区船町1丁目と住之江区柴谷2丁目の間の木津川に架かるアーチ橋です.1994年9月の開通当時は日本最長のアーチ橋でした.主径間長305mは現在でも広島空港大橋に次いで国内第2位の規模となっています.大型船の往来を想定し海面から橋桁までが50mあるため,北側(大正区側)は3重のループとなっています.歩行者・自転車の利用が困難な為,橋のすぐ横に木津川渡船が健在です.1994年度の土木学会田中賞を受賞しています.

新木津川大橋
新木津川大橋
新木津川大橋
新木津川大橋
新木津川大橋
新木津川大橋ループ部

大浪橋は大正区と浪速区を結ぶ橋ということで区名の一字ずつをとり名付けられた木津川に架かる橋です.付近は大型船の航行が頻繁であったため,橋脚なしで川を跨ぎ,アーチ部材がトラス状であるブレストリブタイドアーチ橋が採用されました.また,桁下高を確保するため橋面が高く,取り付け道路が長くなっています.1937年完成で,橋長81.5m,幅員21.7m.

 

大浪橋
大浪橋
大浪橋

千本松大橋は大正区南恩加島3丁目と西成区南津守2丁目をつなぐ木津川に架かる全長323.5mの橋です.木津川の両岸には工業地帯や造船所が広がり,大型船が頻繁に航行していたため水面から高さが必要となり,2重式ループが造られました.1973年の完成で道路長は1,228 mあり,橋の形状をメガネに見立て,地元ではめがね橋の愛称で呼ばれています.歩行者や自転車の利用が難しいとの住民の声により,橋の架設に伴い廃止予定であった本松渡船場は現在も存続されています.

千本松大橋
千本松大橋
千本松大橋
千本松大橋ループ部

 

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